『抹消された快楽――クリトリスと思考』カトリーヌ・マラブー著、西山雄二/横田祐美子訳、法政大学出版局、2021年8月、本体2,400円、四六判上製186頁、ISBN978-4-588-01133-7
★『抹消された快楽』はまもなく発売。『Le Plaisir effacé : Clitoris et Pensée』(Payot & Rivages, 2020)の全訳。帯文に曰く「権力と支配に抵抗するアナーキーとしてクリトリスを論じ、ラディカル・フェミニズムの思考を刷新する」と。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。
★「不具のペニスたるクリトリス〔…〕不在とみなされ、切除され、切断され、否認された存在。クリトリスは否定とは異なる仕方で、精神、身体、無意識のうちに存在しうるのだろうか」(9~10頁)とマラブーは問います。「最近、さまざまな書物が刊行されており、幸いなことに、クリトリスが目に見えない状態を払いのけている。快楽に関するまったく新たな地理学、美学、倫理が頭角を現しており、異性愛の母型を越えてさらに広がり、「挿入の彼方」〔フランスの作家マルタン・パージュ(Martin Page, 1975-)による『Au-delà de la pénétration』(初版:Monstrograph, 2018; 新版:Le nouvel Attila, 2020)を参照〕という短い表現でその概略が示されている」(12頁)。
★「男性ロゴス中心主義は西洋の哲学的言説をその起源から編成し、なおも統治している。/それでもなお、哲学に課せられた学術的かつ倫理的な責務のひとつはつねに、何らかの理由で隠され、秘められ、しばしば抑圧され続けてきた、現実のいくつかの面に光を当てることであった。哲学においてクリトリスを語ることは、それゆえ、クリトリスが現れるように呼びかけることである。しかし、クリトリスをふたたび隠蔽することなく、いかにして現れさせればよいのだろうか。哲学の言語表現が論理的な切除であるならば、実際、クリトリスをいかに思考するべきだろうか」(16頁)。
★「本書で私が支持する立場は、ターフ(TERF:トランス排除的ラディカルフェミニスト)から距離を取るラディカル・フェミニズムの立場である」(19頁)。「クリトリスが女のものであることが必然ではないとしても、クリトリスは女性的なものの謎めいた場のままである。要するに、クリトリスはいまだみずからの場を見出していないのである。/私は本書でこのクリトリスの場を一連の筆遣いで素描してみたい」(20頁)。「私は何かを証明するつもりはなく、ただ、複数の声が聞こえるようにしたい。そうすることで、今日、女性的なものを語るという極度の困難と極度の緊急性のあいだで自分のバランスを保ちたい」(20~21頁)。
★「私にとって、哲学のファロス中心主義を耐え忍ぶ唯一の方法は、哲学のノンバイナリー性を肯定することである。しかし、くり返しになるが、それは哲学の中性性を結論づけることではない。ノンバイナリー性は哲学が脱構築可能であるという特徴を示している。体系的な概念の建造物の脱構築は、デリダが「不完全な隅石」と呼んだ場所をかならず経由する。実のところ、この「石」が、テクストが有する別のセックスや別のジェンダーの現前をしるしづけているのであり、このようなセックスやジェンダーだけがテクストを読解可能にしているのだ。つまり、ロゴスのクリトリス帯の現前がしるしづけられるのである。/テクストのクリトリスがしるしづけているのは、哲学者たちが快楽を感じ、みずからの解剖学的な性や社会的ジェンダーと同一化するのをやめる場所である。この場所はつねに直接見えるわけではない。もちろん定型の模範的解釈はこの場所を抹消しようとするが、成功することはない。西洋のロゴスという枠組みを揺さぶることで、異質な身体へと、目録にない享楽の形へとロゴスをつねにわずかに開く、そんな一連の形態がテクストとそれ自体との隔たりに宿ってくるのである」(155~156頁)。
★訳者あとがきによれば「本書は、マラブーが2017年頃から着手している長期的な研究プロジェクト「哲学とアナーキズム」の一環である」とのことです。「クリトリスはアナーキストなのである」(161頁)とマラブーは書き記しています。なお本書をめぐっては、以下の通り、脱構築研究会主催による講演会と共同討議がオンラインで予定されています。
◎カトリーヌ・マラブーの哲学
日時:2021年9月10日(金)18:00-20:30
第1部:講演「抹消された快楽 クリトリスと思考」
講演者:カトリーヌ・マラブー(キングストン大学)
コメント:郷原佳以、中村彩
司会:西山雄二
第2部:共同討議「カトリーヌ・マラブーの可塑性の哲学」
登壇者:鵜飼哲、星野太、佐藤朋子、藤本一勇、宮﨑裕助、小川歩人
Zoomウェビナーを使用 要事前登録
フランス語使用、翻訳配布、通訳有
通訳:渡名喜庸哲、馬場智一
主催:脱構築研究会
共催:日仏哲学会(提案型ワークショップ)
後援:東京大学「共生のための国際哲学研究センター」(UTCP)
助成:東京都立大学
★このほか最近では以下の新刊や近刊との出会いがありました。
『狂い咲く、フーコー ――京都大学人文科学研究所 人文研アカデミー『フーコー研究』出版記念シンポジウム全記録+(プラス)』小泉義之ほか訳、読書人、2021年8月、本体1,100円、新書判208頁、ISBN978-4-924671-48-5
『都市を終わらせる――「人新世」時代の精神、社会、自然』村澤真保呂著、ナカニシヤ出版、2021年7月、本体3,000円、4-6判上製306頁、ISBN978-4-7795-1594-1
『ベトナム戦争と韓国、そして1968』コ・ギョンテ著、平井一臣/姜信一/木村貴/山田良介訳、人文書院、2021年8月、本体3,600円、4-6判並製374頁、ISBN978-4-409-51086-5
『もんじゅの夢と罪――旧動燃幹部の妻と熊取の研究者の「闘い」』細見周著、人文書院、2021年8月、本体2,200円、4-6判並製270頁、ISBN978-4-409-24141-7
『16歳からの経済学――ジュニア向け経済思想入門の決定版』根井雅弘著、2021年8月、本体2,200円、4-6判並製270頁、ISBN978-4-409-24142-4
★『狂い咲く、フーコー』は、小泉義之/立木康介編『フーコー研究』(岩波書店、2021年3月)の副読本ともいうべき小著。副題にある通り『フーコー研究』の出版記念シンポジウムの全記録で、書籍化にあたり加筆修正が行われているとのことです。読書人新書の第一弾ですが、書店さんの売場としては新書売場ではなく、人文書売場で『フーコー研究』と一緒に置かれるのではないかと思われます。
★『都市を終わらせる』は2009年から2020年にかけて各媒体で発表されてきた11本の論考に書き落としの序章を加えて一冊としたもの。巻頭の「はじめに」に曰く、本書の論考すべてに通底しているのは「脱都市の観点」である、とのこと。「環境問題をはじめとする字ぞz句可能性の危機は、これまでの都市の広がりと発展の裏側にある。そうであれば地球規模の環境問題の深刻化により、人類の持続可能性の危機が謳われるようになった現在、都市化をこれ以上進めるべきかどうか、都市をどうするかが問われるのは理の当然である」(i頁)。
★人文書院さんの新刊3点はいずれもまもなく発売。それぞれ帯文を参照すると、『ベトナム戦争と韓国、そして1968』は「ハンギョレ新聞記者である著者が、インタビューをかさね丹念に追った戦争の記憶と東アジアの激動の歴史」。『もんじゅの夢と罪』は、動燃幹部の自死の謎を追う妻と、もんじゅに反対し続けた原子力研究者・小林圭二の、それぞれの戦いを描いたノンフィクション。『16歳からの経済学』は「ジュニア向け経済思想入門の決定版」。なお、人文書院さんの来月以降の近刊予定には、トリスタン・ガルシア『激しい生――近代の強迫観念』栗脇永翔訳、スチュアート・ホール/ビル・シュワルツ『親密なるよそ者――スチュアート・ホール回想録』吉田裕訳、などが挙がっています。