『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』デヴィッド・グレーバー著、酒井隆史/芳賀達彦/森田和樹訳、岩波書店、2020年7月、本体3,700円、A5判並製442頁、ISBN978-4-00-061413-9
『国道3号線――抵抗の民衆史』森元斎著、共和国、2020年8月、本体2,500円、四六変型判上製272頁、ISBN978-4-907986-73-5
『民衆暴力―― 一揆・暴動・虐殺の日本近代』藤野裕子著、中公新書、2020年8月、本体820円、新書判240頁、ISBN978-4-12-102605-7
★『ブルシット・ジョブ』は『Bullshit Jobs: A theory』(Simon & Schuster, 2018)の訳書。巻頭には「なにか有益なことをしたいと望んでいるすべてのひとに捧げる」という言葉が掲げられています。米国の人類学者グレーバー(David Graeber, 1961-)の単独著の邦訳はこれで7冊目。『負債論――貨幣と暴力の5000年』(酒井隆史監訳、高祖岩三郎/佐々木夏子訳、以文社、2016年;原著『Debt: The First 5000 Years』Melville House, 2011)に並ぶグレーバーの代表作の待望の刊行です。コロナ禍により「新しい生活様式」なるものが政府によって唱導される昨今、現代人の働き方や生き方、考え方を見つめ直すうえで重要な一書ではないでしょうか。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。巻頭10頁の立ち読みも可能。訳者あとがきが本書の解説となっているので時間の余裕がない方には特に有益かと思います。グレーバーは序章「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)現象について」の末尾で次のように記しています。
★「いつ、どのようにして、創造性〔クリエイティヴィティ〕とは苦痛を伴うものだと想定されるようになったのか。あるいは、どのようにして、人間の時間の売却が可能であるという考えが生まれたのか。〔…〕わたしは、本書がわたしたちの文明の心臓部を射抜く矢となることをねがっている。わたしたちがみずからつくりだしてきたもののなかには、なにかとてもおかしなところがある。わたしたちは、仕事を基盤とした文明をつくりだしてきた――ここでの仕事とは「生産的な仕事」というよりも、それ自体が目的でありそれ自体に意味のあるような仕事である。さらにわたしたちは、自分にとってもとくに愉しくない仕事なのに、その仕事を勤勉にこなしていない人間をみると、悪人とみなし、愛情にも、ケアにも、支援にも値しないと考えるようになった。まるで、わたしたちがこぞって自分自身の隷属化を黙認しているかのようなのである。わたしたちが大半の時間を完全に無意味で反生産的ですらある活動――たいてい、自分の好きでもない人間からの命令下でおこなわれる――に従事しているという自覚に対する、主な政治的反応は、この同じ罠にはまっていない人間も世の中には存在するという事態への、反感をともなった怒りである。結果として、嫌悪と反感と疑念が、わたしたちの社会をまとめあげる接着剤となった。これは悲惨な状態である。ねがわくば終わらせたい」(16頁)。
★『国道3号線』は森元斎(もり・もとなお、1983-:長崎大学多文化社会学部准教授)さんの『具体性の哲学――ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社、2015年)および『アナキズム入門』(ちくま新書、2017年)に続く、3冊目の単独著。国道3号線沿いの九州の歴史を掘り起こし、歪んだ近代化の過程における民衆の抵抗史を見つめつつ、「日本の「原基」を垣間見る」(15頁)試み。西南戦争、山鹿コミューン、水俣病、三池炭鉱、サークル村、米騒動などが論及されています。「あわいに生きるからこそ、私たちは立ちすくむ。と同時に加勢することができる。そして大きく行動することもできる。あわいに、つまり悶え加勢する水準に私たちは生きることができる。〔…〕放射性物質が拡散し、COVID-19が蔓延し、なすすべもなく立ちすくむ。私たちは何もできない。と同時に私たちは何でもできる。これらのあわいに私たちは悶え加勢しながら生きている」(99~100頁)。悶え加勢する、とは石牟礼道子さんの言葉です。
★『民衆暴力』はまもなく発売。藤野裕子(ふじの・ゆうこ、1976-:東京女子大学現代教養学部准教授)さんによる『都市と暴動の民衆史』(有志舎、2015年)に続く単独著第2弾。はしがきによれば、序章では「近世の百姓一揆とその変遷を概観し」、本論前半では「明治元年に起きた新政反対一揆と、自由民権運動期に起きた秩父事件〔…〕を題材に、近代国家の樹立にともなって、どのような民衆暴動が起こり、それがどのように変化したのかを確認」する。後半では「明治後期から大正期にかけて起きた民衆暴力」の二例、「日露戦争の終結に際して巻き起こった日比谷焼き打ち事件」と「関東大震災時の朝鮮人虐殺」を取り上げる。前者では「対外戦争の経験や近代都市での生活をとおして、それまでとは異なる都市暴動という独特の民衆暴力の形態が生まれたことを確認し」、後者では「植民地支配と関わってどのような民衆暴力が生まれたのか、また軍隊や警察といった国家の暴力装置が民衆暴力を正当化した際にどのような事態が起きたのかを明らかにしたい」と。現代におけるSNSでの炎上や匿名暴力を考える上でも示唆的ではないでしょうか。
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『吉本隆明全集23[1987-1989]』吉本隆明著、晶文社、2020年8月、本体6,800円、A5判変型判上製634頁、ISBN978-4-7949-7123-4
『伊東豊雄 自選作品集――身体で建築を考える』伊東豊雄著、平凡社、2020年8月、本体12,000円、A4判上製408頁、ISBN978-4-582-54467-1
『アウグストゥス――虚像と実像』バーバラ・レヴィック著、マクリン富佐訳、法政大学出版局、2020年8月、本体6,300円、四六判上製596頁、ISBN978-4-588-01120-7
『マルジナリアでつかまえて――書かずば読めぬの巻』山本貴光著、本の雑誌社、2020年7月、本体2,200円、四六判並製320頁(巻頭カラー32頁)、ISBN978-4-86011-445-9
★『吉本隆明全集23[1987-1989]』はまもなく発売。『ハイ・イメージ論Ⅱ』と『宮沢賢治』が収められています。月報24は、川村湊「“終わりをまっとうする”批評家」、金子遊「マクロネシアの渚へ」、ハルノ宵子「孤独のリング」を収録。『ハイ・イメージ論Ⅱ』のあとがきに記された言葉が印象的です。「どんな緊急で突発的にみえる主題も、永続的な根本的な主題のすがたをはらんでいるかとおもうと、どんな永続的な悠久の貌をした主題も、かならず緊急で、突発的なすがたをはらんであらわれる」(303頁)。
★『伊東豊雄 自選作品集』は建築家の伊東豊雄(いとう・とよお、1941-)さんが1976年から2020年までに手掛けた建築物から伊藤さん自身が選んだ27作品を取り上げるほか、展覧会および舞台、製品など諸々のデザインの紹介、さらに自らの半生を振り返る長めの序文を収めたもの。巻頭には中沢新一さんによるエッセイ「伊東豊雄の建築哲学」が配されています。A4サイズの大型本で存在感抜群。大きな本が好き、という方にはぜひ手にとっていただきたいです。
★『アウグストゥス』は英国の歴史家バーバラ・レヴィック(Barbara Levick, 1931-)による『Augustus: Image and Substance』(Longman, 2010)を全訳したもの。著者は二度来日しているとのことですが、訳書の刊行は今回が初めて。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。初代ローマ皇帝アウグストゥスによる、共和政から元首政への移行は、彼がオクタウィアヌスだった当初から有していた権力志向に発するものだ、と鋭く分析されています。
★『マルジナリアでつかまえて』は文筆家でゲーム作家の山本貴光(やまもと・たかみつ、1971-)さんの8冊目となる単独著。『本の雑誌』での連載「マルジナリアでつかまえて」の第1回から第25回(2017年10月号~2019年10月号)までをまとめたもの。連載は現在も継続中です。「著名人から無名の痕跡、プログラミングのコメントまで」(カバーソデ紹介文より)、マルジナリア(余白の書き込み)を長年追い続けてきた著者ならではの魅力的なエッセイ集です。
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『国道3号線――抵抗の民衆史』森元斎著、共和国、2020年8月、本体2,500円、四六変型判上製272頁、ISBN978-4-907986-73-5
『民衆暴力―― 一揆・暴動・虐殺の日本近代』藤野裕子著、中公新書、2020年8月、本体820円、新書判240頁、ISBN978-4-12-102605-7
★『ブルシット・ジョブ』は『Bullshit Jobs: A theory』(Simon & Schuster, 2018)の訳書。巻頭には「なにか有益なことをしたいと望んでいるすべてのひとに捧げる」という言葉が掲げられています。米国の人類学者グレーバー(David Graeber, 1961-)の単独著の邦訳はこれで7冊目。『負債論――貨幣と暴力の5000年』(酒井隆史監訳、高祖岩三郎/佐々木夏子訳、以文社、2016年;原著『Debt: The First 5000 Years』Melville House, 2011)に並ぶグレーバーの代表作の待望の刊行です。コロナ禍により「新しい生活様式」なるものが政府によって唱導される昨今、現代人の働き方や生き方、考え方を見つめ直すうえで重要な一書ではないでしょうか。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。巻頭10頁の立ち読みも可能。訳者あとがきが本書の解説となっているので時間の余裕がない方には特に有益かと思います。グレーバーは序章「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)現象について」の末尾で次のように記しています。
★「いつ、どのようにして、創造性〔クリエイティヴィティ〕とは苦痛を伴うものだと想定されるようになったのか。あるいは、どのようにして、人間の時間の売却が可能であるという考えが生まれたのか。〔…〕わたしは、本書がわたしたちの文明の心臓部を射抜く矢となることをねがっている。わたしたちがみずからつくりだしてきたもののなかには、なにかとてもおかしなところがある。わたしたちは、仕事を基盤とした文明をつくりだしてきた――ここでの仕事とは「生産的な仕事」というよりも、それ自体が目的でありそれ自体に意味のあるような仕事である。さらにわたしたちは、自分にとってもとくに愉しくない仕事なのに、その仕事を勤勉にこなしていない人間をみると、悪人とみなし、愛情にも、ケアにも、支援にも値しないと考えるようになった。まるで、わたしたちがこぞって自分自身の隷属化を黙認しているかのようなのである。わたしたちが大半の時間を完全に無意味で反生産的ですらある活動――たいてい、自分の好きでもない人間からの命令下でおこなわれる――に従事しているという自覚に対する、主な政治的反応は、この同じ罠にはまっていない人間も世の中には存在するという事態への、反感をともなった怒りである。結果として、嫌悪と反感と疑念が、わたしたちの社会をまとめあげる接着剤となった。これは悲惨な状態である。ねがわくば終わらせたい」(16頁)。
★『国道3号線』は森元斎(もり・もとなお、1983-:長崎大学多文化社会学部准教授)さんの『具体性の哲学――ホワイトヘッドの知恵・生命・社会への思考』(以文社、2015年)および『アナキズム入門』(ちくま新書、2017年)に続く、3冊目の単独著。国道3号線沿いの九州の歴史を掘り起こし、歪んだ近代化の過程における民衆の抵抗史を見つめつつ、「日本の「原基」を垣間見る」(15頁)試み。西南戦争、山鹿コミューン、水俣病、三池炭鉱、サークル村、米騒動などが論及されています。「あわいに生きるからこそ、私たちは立ちすくむ。と同時に加勢することができる。そして大きく行動することもできる。あわいに、つまり悶え加勢する水準に私たちは生きることができる。〔…〕放射性物質が拡散し、COVID-19が蔓延し、なすすべもなく立ちすくむ。私たちは何もできない。と同時に私たちは何でもできる。これらのあわいに私たちは悶え加勢しながら生きている」(99~100頁)。悶え加勢する、とは石牟礼道子さんの言葉です。
★『民衆暴力』はまもなく発売。藤野裕子(ふじの・ゆうこ、1976-:東京女子大学現代教養学部准教授)さんによる『都市と暴動の民衆史』(有志舎、2015年)に続く単独著第2弾。はしがきによれば、序章では「近世の百姓一揆とその変遷を概観し」、本論前半では「明治元年に起きた新政反対一揆と、自由民権運動期に起きた秩父事件〔…〕を題材に、近代国家の樹立にともなって、どのような民衆暴動が起こり、それがどのように変化したのかを確認」する。後半では「明治後期から大正期にかけて起きた民衆暴力」の二例、「日露戦争の終結に際して巻き起こった日比谷焼き打ち事件」と「関東大震災時の朝鮮人虐殺」を取り上げる。前者では「対外戦争の経験や近代都市での生活をとおして、それまでとは異なる都市暴動という独特の民衆暴力の形態が生まれたことを確認し」、後者では「植民地支配と関わってどのような民衆暴力が生まれたのか、また軍隊や警察といった国家の暴力装置が民衆暴力を正当化した際にどのような事態が起きたのかを明らかにしたい」と。現代におけるSNSでの炎上や匿名暴力を考える上でも示唆的ではないでしょうか。
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『吉本隆明全集23[1987-1989]』吉本隆明著、晶文社、2020年8月、本体6,800円、A5判変型判上製634頁、ISBN978-4-7949-7123-4
『伊東豊雄 自選作品集――身体で建築を考える』伊東豊雄著、平凡社、2020年8月、本体12,000円、A4判上製408頁、ISBN978-4-582-54467-1
『アウグストゥス――虚像と実像』バーバラ・レヴィック著、マクリン富佐訳、法政大学出版局、2020年8月、本体6,300円、四六判上製596頁、ISBN978-4-588-01120-7
『マルジナリアでつかまえて――書かずば読めぬの巻』山本貴光著、本の雑誌社、2020年7月、本体2,200円、四六判並製320頁(巻頭カラー32頁)、ISBN978-4-86011-445-9
★『吉本隆明全集23[1987-1989]』はまもなく発売。『ハイ・イメージ論Ⅱ』と『宮沢賢治』が収められています。月報24は、川村湊「“終わりをまっとうする”批評家」、金子遊「マクロネシアの渚へ」、ハルノ宵子「孤独のリング」を収録。『ハイ・イメージ論Ⅱ』のあとがきに記された言葉が印象的です。「どんな緊急で突発的にみえる主題も、永続的な根本的な主題のすがたをはらんでいるかとおもうと、どんな永続的な悠久の貌をした主題も、かならず緊急で、突発的なすがたをはらんであらわれる」(303頁)。
★『伊東豊雄 自選作品集』は建築家の伊東豊雄(いとう・とよお、1941-)さんが1976年から2020年までに手掛けた建築物から伊藤さん自身が選んだ27作品を取り上げるほか、展覧会および舞台、製品など諸々のデザインの紹介、さらに自らの半生を振り返る長めの序文を収めたもの。巻頭には中沢新一さんによるエッセイ「伊東豊雄の建築哲学」が配されています。A4サイズの大型本で存在感抜群。大きな本が好き、という方にはぜひ手にとっていただきたいです。
★『アウグストゥス』は英国の歴史家バーバラ・レヴィック(Barbara Levick, 1931-)による『Augustus: Image and Substance』(Longman, 2010)を全訳したもの。著者は二度来日しているとのことですが、訳書の刊行は今回が初めて。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。初代ローマ皇帝アウグストゥスによる、共和政から元首政への移行は、彼がオクタウィアヌスだった当初から有していた権力志向に発するものだ、と鋭く分析されています。
★『マルジナリアでつかまえて』は文筆家でゲーム作家の山本貴光(やまもと・たかみつ、1971-)さんの8冊目となる単独著。『本の雑誌』での連載「マルジナリアでつかまえて」の第1回から第25回(2017年10月号~2019年10月号)までをまとめたもの。連載は現在も継続中です。「著名人から無名の痕跡、プログラミングのコメントまで」(カバーソデ紹介文より)、マルジナリア(余白の書き込み)を長年追い続けてきた著者ならではの魅力的なエッセイ集です。
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