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注目新刊:人文書院よりランズマン回想録刊行、ほか

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パタゴニアの野兎 ランズマン回想録 上巻
パタゴニアの野兎 ランズマン回想録 下巻
クロード・ランズマン著 中原毅志訳 高橋武智解説
人文書院 2016年4月 本体各3,200円 4-6判上製320/310頁 ISBN978-4-409-03091-2/-03092-9

上巻帯文より:ホロコーストの衝撃を伝えた『ショア』のランズマンによる自伝。青年期のレジスタンス活動、ドゥルーズやサルトルの恋人だった妹の死、サルトルとの交友、ボーヴォワールとの同棲、ベルリン封鎖時代のドイツ、イスラエルへの旅…。多彩なエピソードと、深い哲学的考察のなかにユダヤ系フランス人としての自己を問い、その波乱に富んだ人生を赤裸々に語る。時代を代表する人物との人間模様が色濃く描かれた本書は、20世紀の歴史そのものである。

下巻帯文より:サルトルやボーヴォワールと共に生きた、闘う知識人ランズマンによる自伝。イスラエル・パレスチナ問題、アルジェリア戦争、ファノンの最期、北朝鮮女性との逢瀬、解放前の中国への旅、ポーランド政府との確執など映画『ショア』をめぐる撮影秘話…。

★発売済。折しもランズマンのドキュメンタリー作品三部作が昨年より再上映されてきたさなかでの刊行です。原書は、Le lièvre de Patagonie (Gallimard, 2009)です。全編口述筆記だという本書は下巻巻末にある訳者謝辞の言葉を借りると「自由闊達な文体はそこ〔口述筆記〕から来ているものと思われる。波乱万丈の人生にふさわしくその語り口は激しく、ほとばしり出る言葉は切れ目なく数十行におよぶこともあり、長い段落のなかで行き来する現在と過去、そのまたかことが錯綜」する「凄まじい言葉の奔流」である、と。年代に沿って出生から生い立ちまでを詳しく説明するというより、ランズマン自身が胸に刻んだ出来事に焦点を当てて、眼前に浮かぶ連続的な印象をまるで映写するかのように赤裸々に自由に語っているという感じです。

★同い年のドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925-1995)やジャン・コー(Jean Cau, 1925-1993)との若き日の交流、アルキエ(Ferdinand Alquié, 1906-1985)やサルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-1980)への敬愛の念、ボーヴォワール(Simone de Beauvoir, 1908-1986)との交際など、20世紀フランス思想史を彩る星座のさなかで生まれた様々なエピソードはいずれも興味深いです。ランズマンはアルキエのもとで哲学を学ぶのですが、あるとき小論文でドゥルーズやル・ゴフ(Jacques Le Goff, 1924-2014)を抑え一番の成績を取ったことがあるそうです。

★出版社や書店に携わる業界人にとってもっとも強い印象を残す逸話のひとつは、第8章で告白される、書店での万引き事件かもしれません。フランス大学出版局の売店で哲学書を盗むのが上手だった(!)というランズマンは、高等師範学校の準備級で学んでいた20歳のある日、「飢えるようにして待っていた」(175頁)というイポリットの新刊『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』(Genèse et structure de la phénoménologie de l'esprit de Hegel, Aubier, 1946;日本語訳上下巻、市倉宏祐訳、岩波書店、1972年)を店頭で手に取り「その美しさ、厚み、重厚さに畏怖の念を覚え〔・・・〕これさえ手に入れば万引きとはおさらばだと思った。〔・・・〕それは私の最後の聖杯だった」という感慨を抱きます。すでにイポリット訳の『精神現象学』(La Phénoménologie de l'esprit, Aubier, 1941)はパクり済みでしたが、狂おしいまでの所有欲に駆られて、万引きを決行し、見事に捕まります。

★彼は裁判にかけられるものの、アルキエとイポリットによる嘆願書簡によって罰金だけで済み、受験資格を剥奪されることなく済みます。このかんの大胆だったり臆病だったりするランズマンの感情の起伏は噴き出さずに読むのが難しいほどです。恩師アルキエや、ほかならぬ盗んだ本の著者であるイポリットとはぞれぞれ「面談」し、おそらくその当時は神妙にしていたのでしょうけれども、回想においては実に言いたい放題で、不謹慎ながらランズマンの人間味に笑ってしまいます。その後に続く第9章で描かれる、実妹で女優のエヴリーヌ・レイ(Évelyne Rey, 1930-1966)の自死や、後年のクロード・ロワ(Claude Roy, 1915-1997)との和解といったエピソードとの落差が大きくて、万引き事件のことはつい忘れてしまいそうになりますが、アルキエとイポリットの弁護がなかったら、ランズマンのその後の人生は変わっていたかもしれないと想像します。

★一業界人として賢明なる読者の皆さんに申し上げておきますが、フランスではどうあれ日本では本の万引きは今も昔も本屋の雇われ店長や安月給のスタッフを苦しめること以外に何の効果ももたらしません。本は売れたのと同じことになり、版元も著者も苦しみません。苦しむのは本屋さんだけです。こんな馬鹿馬鹿しい行為は文明への抵抗でも社会への抗議でもなんでもない。弱い者いじめにしか帰結しない愚かな所業です。そうした文脈から言えば、愚かしさも含めて私事を告白したランズマンの鷹揚さ、図太さには感心します。フランス出版界の雄であるガリマールがこれを検閲しないというのは、懐の深さなのかもしれません。いずれにしても、この回想録はぐいぐい引き込まれるドラマに満ちています。読まないと損です。隠し事をせずすべて実名で話す、というランズマンの姿勢は、彼自身がユダヤ人大虐殺の真実に迫るために生存者から様々な証言を集めたあのドキュメンタリー映像三部作の制作スタンスと相通じる、どこか執念にも似た厳しさがあります。人間の真実に至るためにはこの厳しさを避けるわけにはおそらくいかないのかもしれません。

★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『欧州・トルコ思索紀行』内藤正典著、人文書院、2016年4月、本体2,000円、4-6版並製252頁、ISBN978-4-409-23056-5
『エリュトラー海案内記1』蔀勇造訳註、東洋文庫、2016年4月、本体3,200円、B6変判上製函入424頁、ISBN978-4-582-80870-4
『日本文化に何をみる?――ポピュラーカルチャーとの対話』東谷護+マイク・モラスキー+ジェームス・ドーシー+永原宣著、共和国、2016年3月、本体1,800円、菊変型判並製204頁、ISBN978-4-907986-19-3
『季刊 考える人 56(2016年春号)』新潮社、2016年4月、本体980円、雑誌12305-05

★『エリュトラー海案内記』は全2巻予定。周知の通り既訳には、村川堅太郎訳注『エリュトゥラー海案内記』(中公文庫、1993年;改版、2011年)がありますが、残念ながら版元品切。古書価が高騰していて厄介です。

★『季刊 考える人 56(2016年春号)』には、山本貴光さんと吉川浩満さんの対談「生き延びるための人文① 「知のサヴァイヴァル・キット」を更新せよ!」が掲載されています。リードに曰く「「人文学の危機」が言われている。いわく、実用的でない、不要不急の学問である、と。とんでもない、人間を読み解くのに必須の人文的思考がいまほど求められるときはない。科学から哲学、文学、芸術まで、幅広い論考で活躍するふたりの、シリーズ「人文」徹底対談」。同誌は本号から誌面が刷新されるとともに値段が安くなり、同時に「Webでも考える人」もオープンしたとのことです。


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