弊社にて直販中の哲学書房さんの本について一点ずつご紹介いたします。『羅独辞典』『季刊哲学0号=悪循環』につづいては、『季刊哲学2号』です。同誌1号『ライプニッツ 普遍記号学』は弊社では扱いがないため省略。池袋ジュンク堂の哲学書房フェアでは1冊だけ出品されていましたが、さすがに売り切れたとのことです。同フェアは池袋本店、立川高島屋店、丸善丸の内本店で好評開催中。売行良好と聞いておりますので、お早目にご利用ください。
季刊哲学 ars combinatoria 2号 ドゥンス・スコトゥス――魅惑の中世
哲学書房 1988年4月30日 本体1,900円 A5判並製246頁 ISBN4-88679-021-6 C1010
目次:
[特別寄稿]
中沢新一「蜜の流れる博士――聖ベルナルド論」 pp.8-29
[本邦初訳原典]
ドゥンス・スコトゥス「神は類の内にあるか――『オックスフォード講義録』第一巻第八部第三問より」山内志朗訳 pp.46-59
ドゥンス・スコトゥス「神の自然的認識と〈存在〉の一義性――『オックスフォード講義録』第一巻第八部第三問より」花井一典訳 pp.60-90
ピエール・アベラール「普遍について――『ロジカ・イングレディエンティブス』より」清水哲郎訳 pp.95-114
オッカムのウイリアムス「概念と声音と表示――ものが除去されれば音声もその表示対象から除去されるか」清水哲郎訳 pp.115-118
[存在と普遍と神]
山内志朗「〈存在の一義性〉の系譜」 pp.119-137
八木雄二「固体化の原理から見たスコトゥスの神学」 pp.154-166
U・エーコ「超越的特質としての美」浦一章訳 pp.23-43
清水哲郎「オッカム唯名論の世界把握」 pp.138-153
J・ジョリヴェ「アベラールと十四世紀唯名論」富松保文訳 pp.167-183
[魅惑の中世]
中村真一郎「吟遊詩人〔トルーヴァドゥール〕の若干の例外について」 pp.183-189
篠山紀信「修道院の〈meta=写真〉」 pp.203-210
村上陽一郎「中世再考」 pp.190-195
近藤譲「言葉としての音楽」 pp.196-202
井辻朱美「エルガーノの歌」 pp.211-214
[Computologica]
J・マッカーシー+P・ヘイズ「人工知能(AI)の観点から見た哲学II」三浦謙訳 pp.213-228
[連載]
養老孟司「ヘッケルの〈真理〉――臨床哲学2」 pp.230-239
丹生谷貴志「スコトゥスの擾乱の魅力――中世への途上2」 pp.240-242
島田雅彦「『神曲』の虫喰い穴――気分のcalculation2」 pp.243-245
編集後記:●―中沢新一氏の「蜜の流れる博士」は、あの降って湧いたような騒々しい渦の、中心とも見える位置に拉致されながら、その澄みわたった思索の深部がいささかもかき乱されることのなかった証のように、静謐なダイナミズムとでもいうべきたたずまいをもって、本誌にもたらされたのであった。およそ流体がつねにそうであるように、一瞬自らを露わにした東京大学教養学部という乱流(あるいは澱み?)に、スキャンダルを見るか、学芸(科学)論が見えるかは、観測の座標と観測者の状態にかかっている。思考のシステムの秩序にくぎづけされる眼には、ゆらぎは忌むべきノイズなのだ。
●―ことばという情報を運用することのほかは何もなすことのない〈博学の人〉スコラ学者から学びえないものを木や川や丘に訊ねよ、石から蜜を吸うこともできよう、と説く。あの認識の中に情動を受胎させるたくみの人ベルナルドの像を象ってみせる中沢氏のことばは、もとより大きな動態系として躍動していて、しかもそれらのどのひとひらをもっても、それらの間のどんな隙間を見ても、輝きが宿っている。〈存在〉そのものである神と、〈存在者〉としての人間との神秘的な合一をめざすのではなく、神学の黄金律をたずさえて、神と人間の魂との、情動をなかだちする結合に導こうとするベルナルドが、精妙な議論にわけ入りながら、しかもその細部にみずみずしさをみなぎらせていることと、応えあい響きあっているかのようだ。
●―神と、神によって造られたものとは、それぞれ〈無限な存在者〉でありまた〈有限な存在者〉であるのだけれど、ここにいう〈存在〉は同じことを意味しているのだろうか。〈存在〉が一義的であるとすれば、神と被造物との間の絶対の距離はかき消されてしまう。はるかにベルナルドの蜜を吸ったドゥンス・スコトゥスは、がんらいは論理学に固有のことばであった〈一義性〉を、形而上学に解き放って、存在論の命運を握ることにもなる〈存在の一義性〉という問題を残したのであった。くだって、〈存在〉がスコトゥスのいう〈単純概念〉と同じものと見なされ、思考のアルファベットへの関心を芽生えさせ、ついには普遍記号学に至る、その成行には息をのむものがある。
●―足早に〈中世〉を経めぐって――『神曲』のダンテに比べてなんという速さ!――、次号は〈AI(人工知能)の哲学〉。本号が暗示するように、ことはコンピュータとニューロネットワーク、情動と認識から、存在と存在者にまで跨って、思考を刺激しつづけるのである。
●―上智大学中世思想研究所が所蔵するドゥンス・スコトゥスのテクストの撮影・掲載にあたって、同研究所および同所長K・リーゼンフーバー教授のご厚意を得た。深く感謝する。(N)
補足1:当号より「philosophical quarterly 哲学 ars combinatoria」という表記に。欧文号数は「vol.II-2」。第2年次第2巻目の意。
補足2:当号より造本・装幀のクレジットなし。中野さんご自身がレイアウトなどを手掛けられていると思われる。
補足3:次号予告は、編集後記での言及のみで目次明細はなし。
補足4:当号掲載のテクストはその後、以下の通り哲学書房の単行本に収録されている。
井辻朱美「エルガーノの歌」→『風街物語』哲学書房、1988年。
マッカーシー+ヘイズ「人工知能(AI)の観点から見た哲学」→『人工知能になぜ哲学が必要か』哲学書房、1990年。
養老孟司「臨床哲学」→『臨床哲学』哲学書房、1997年。
補足5:また、当号掲載のその他のテクストは、以下の哲学書房の書籍と関連がある。
ドゥンス・スコトゥス『存在の一義性――定本ペトルス・ロンバルドゥス命題註解』花井一典・山内志朗訳、哲学書房、1989年。
山内志朗『普遍論争――近代の源流としての』哲学書房、1992年;平凡社ライブラリー、2008年。
補足6:なお、他社刊行の関連書の主要なものは以下の通り。
中沢新一『蜜の流れる博士』せりか書房、1989年。
山内志朗『存在の一義性を求めて――ドゥンス・スコトゥスと13世紀の〈知〉の革命』岩波書店、2011年。
八木雄二『スコトゥスの存在理解』創文社、1993年。
八木雄二『聖母の博士と神の秩序――ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの世界』春秋社、2015年。
清水哲郎『オッカムの言語哲学』勁草書房、1990年。
↧
『季刊哲学』2号=ドゥンス・スコトゥス
↧