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注目新刊:ぷねうま舎版『死海文書』全12巻刊行開始、ほか

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a0018105_01450522.jpg『死海文書 Ⅷ 詩篇』勝村弘也/上村静訳、ぷねうま舎、2018年6月、本体3,600円、A5判上製30+245+4頁、ISBN978-4-906791-82-8
『訳注 秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』松長有慶著、春秋社、2018年7月、本体3,500円、四六判上製336頁、ISBN978-4-393-11346-2
『処女崇拝の系譜』アラン・コルバン著、山田登世子/小倉孝誠訳、藤原書店、2018年6月、本体2,200円、四六変上製224頁、ISBN978-4-86578-177-9
『菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』栗原康著、瀬々敬久・相澤虎之助原作、タバブックス、本体2,200円、四六判並製432頁、ISBN978-4-907053-25-3
『NO BOOK NO LIFE Editor's Selection――編集者22人が本気で選んだ166冊の本』雷鳥社、2018年6月、本体1,500円、四六判並製256頁、ISBN978-4-8441-3737-5
『文藝 2018年秋季号』河出書房新社、2018年7月、本体1,300円、A5判上製662頁、ISBN978-4-309-97949-6



★『死海文書 Ⅷ 詩篇』は全12巻中の第1回配本。「感謝の詩篇」勝村弘也訳、「バルキ・ナフシ」上村静訳、「外典詩篇」勝村弘也訳、「外典哀歌」勝村弘也訳、「神の諸々の業と共同の告白」上村静訳、を収録。帯文に曰く「最新の校訂・解読を踏まえた、原典からの初めての日本語訳」と。『死海文書』は1940年代後半から1950年代かけて死海北西岸の11の洞窟から発見された羊皮紙およびパピルスの文書群で、ユダヤ教の一派「エッセネ派」と見なされるクムラン教団が伝え、書写したという説が広く支持されています。昨年(2017年)には文書が盗掘されたらしい痕跡を残す12番目の洞穴が発見されたといいます。


★写本は大まかに分類して、ヘブライ語聖書関連、外典・偽典の原語版および未知の古代ユダヤ文献、クムラン教団独自の文書などがあり、古代ユダヤ教のみならず原始キリスト教との関連においても第一級の史料であり、最古の聖書写本を含んでいることは周知の通りです(ただし、初代キリスト教会とクムラン教団との間に直接的な接触があった形跡はないというのが定説)。800余りの文書のうち200本強が聖書写本と同定されており、ぷねうま舎版『死海文書』では「聖書写本以外の約600文書のうち、或る程度意味を成す分量の文章が残っているものすべてを訳出する。また、『ダマスコ文書』についてはカイロ・ゲニザから発見されたものを、さらにクムラン文書と関連のあるいくつかのマサダ出土の写本についても必要に応じて訳出した」、と巻頭の「序にかえて 死海文書とは何か」に記されています。


★『死海文書』は今なお執拗に再生産され続ける陰謀論系の言説やフィクションの影響で学術研究外からの関心も高いため、興味本位で購入される読者もいるかもしれませんが、それはそれで構わないと思います。失われてしまった宗教遺産の異形性もさることながら、ところどころ読解不能な文書の数々に、読む者の想像力を掻き立てる側面があるのは否定しようがなく、教文館版『聖書外典偽典』シリーズや岩波書店版『ナグ・ハマディ文書』シリーズ、さらには『マリアの福音書』『ユダの福音書』『グノーシスの神話』『ヘルメス文書』などとともに、今後も様々な分野のクリエイターにとって霊感の源泉となることが予想できます。


★松長有慶『訳注 秘蔵宝鑰』は凡例によれば「内容について広く江湖の理解を得るために、もとになる漢文を、まず「現代的な表現」に改めて提示し、ついで「読み下し文」を加え、さらに原文中の難解な用語を解説する「用語釈」を付す三段の構成からなる。ただし必要に応じて、「要旨」、「解説」などを付け加えた」と。本書における「現代的な表現」での再提示というのは単純な現代語訳に留まるものではなく、たとえば序の13句中の有名な「生れ生れ生れ生れて、生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終りに冥し」と読み下されている箇所(「生生生生暗生始 死死死死冥死終」)は、「生から死へと幾度か、輪廻転生を繰り返し、見極めつかぬ漆黒の、始終なき旅を続ける」という風に記述されています。その解釈の根拠については直後の解説に詳しいですが、まさに「現代人が抵抗なく読み得る現代表現」(あとがき)となっていると感じます。「画期的な現代語訳」と帯文が謳っている通りです。


★コルバン『処女崇拝の系譜』は『Les filles de rêve』(Fayard, 2014)の全訳。原題は「夢の乙女たち」とでも訳せそうですが、『処女崇拝の系譜』というのは一昨年お亡くなりになった訳者の山田さんのご発案とのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。序でコルバンはおおよそこう述べています。見かけたりすれ違ったりしただけの魅惑的な乙女たちが男たちの「感傷的な追憶のうちに刻みこまれ」、現実の恋人や妻の印象を凌駕するようなイメージまで膨らむことがある、と。「このような夢の乙女の姿は、読書したり、絵画や彫刻を見たり、演劇やオペラに通ったりして培われたモデルからきている。これらのモデルへの憧れは、心身ともにステレオタイプ化した肖像となって表れ、またその感受性のありかたにも表れており、それ以上に、床を共にする女たちのところでは決して見出せないような決定的な美質に表れている。本書の目的はまさにここにあるのだ。すなわり、直接に性欲にうったえることなく恋心をかきたてるように導いた一連の紙上の乙女たちを選び出して、その姿を描き出すことである。/精神に占めるその存在感の大きさの順に、こうして選ばれた乙女たちを検討してゆきたい」(12頁)。


★またこうも書いています。「今日、彼女たちのおよぼした影響力を良く理解するのは難しいと思うので、夢の乙女たちの本質的な特性について詳述しなければならない。つまり私が語りたいのは、処女性のことである。残念ながら、かくも長い世紀にわたって重大であったこの概念について書かれた、新しい決定的な歴史は存在しない。そもそもからして、男たちの精神にあって、夢の乙女は処女であり、無傷で、護られているのだ。「すべての時代、すべての国の人びとは、処女性について素晴らしいという思いを抱いている」。フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンは1802年に書いている」(13~14頁)。小倉さんによる訳者解説によえば「コルバンのいう「夢の女」とは、美、慎ましさ、やさしさ、美徳、純潔をすべて備えた女であり、男たち、とりわけ青年たちが理想化し、時として天使のような相貌を付与してしまう女のことである。彼女にはしばしば男を寄せつけないような凛とした佇まいが漂い、その身体は男の欲望から隔離されているかのように守られている。聖母マリアがそうだったと言われるように、永遠の処女性を保持している女――それが「夢の女」ということになる。/西洋の歴史において、そのような女はいつ頃、どこにいたのか? 現実には、生身の人間としてはどこにも存在しなかったが、男たちの想像力――あるいは妄想――のなかでは古代から常に存在してきた」(193頁)。


★「古代神話に登場する月の女神アルテミス(ディアーナ)から、中世イタリアのダンテとペトラルカ、17世紀のシェイクスピア、18世紀のリチャードソンとゲーテ、19世紀のシャトーブリアンとネルヴァルを経て、20世紀のアラン=フルニエまで、時代と国(したがって言語)の多様性に配慮しながら、19人の「夢の女」たちの姿を描き出す」(194頁)。なお、同解説によれば、本書の原稿が版元に手渡されたのは、山田さんの逝去のわずか二日前だったそうです。小倉さんが「校正刷りに目を通し、若干の加筆修正を施し、訳注を追加した」とのこと。女性の性の商品化がしばしば問われるこんにちですが、コルバンが辿った崇拝の系譜は単純に商品化の歴史と同一視するわけにはいかないと思われます。異性の理想像を神聖化することにおいては、女性にとっての男性像というものも一方であるわけで、人文書だけでなく文学、コミック、アニメ、映画、写真集まで話題を広げると、男女の理想像をめぐる興味深いコーナーやフェアができそうです。


★なお、藤原書店さんの直近の注目情報が二つあります。ひとつは藤原良雄社長が今般、アカデミー・フランセーズより「2018年フランス語フランス文学顕揚賞(Prix du Rayonnement de la langue et de la littérature françaises)」を授与されるということ。もうひとつは9月に新雑誌『兜太 TOTA』が創刊されることです。新雑誌第1号の特集名は「金子兜太とは何者か」。筑紫磐井さんが編集長で、編集委員は、井口時男・伊東乾・坂本宮尾・中嶋鬼谷・橋本榮治・横澤放川・黒田杏子の各氏。黒田さんが(編集主幹)をおつとめになるとのことです。菊大判並製240頁、定価1,944円。寄稿予定者は誌名のリンク先でご確認いただけます。『環』(第Ⅰ期:2000年4月~2015年5月)の後に創刊される新雑誌であるだけに、どんな誌面になるのか、注目したいです。



★栗原康『菊とギロチン』はまもなく発売(7月11日頃)。瀬々敬久監督の映画作品「菊とギロチン」(7月7日よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開中)を、気鋭の政治学者・栗原康さんが評伝的小説として書き上げたもの。「菊とギロチン」の内容は同映画の公式サイトの解説によれば「物語の舞台は、大正末期、関東大震災直後の日本。混沌とした社会情勢の中、急速に不寛容な社会へとむかう時代。登場するのは、かつて実際に日本全国で興行されていた「女相撲」の一座と、実在したアナキスト・グループ「ギロチン社」の青年たち。女だという理由だけで困難な人生を生きざるを得なかった当時の女たちにとって、「強くなりたい」という願いを叶えられる唯一の場所だった女相撲の一座。様々な過去を背負った彼女たちが、少し頼りないが「社会を変えたい、弱い者も生きられる世の中にしたい」という大きな夢だけは持っている若者たちと運命的に出会う。立場は違えど、彼らの願いは「自由な世界に生きること」。次第に心を通わせていく彼らは、同じ夢を見て、それぞれの闘いに挑む――」というもの。





★栗原さんの本はその小説化ですが、版元ウェブサイトに掲載された原作者の瀬々監督のコメントが本書の輝きをもっとも端的に表現していると思います。曰く「脚本の書き直しをやっている時、栗原康さんの著作の数々を心震わせて読んだ。現代をアナキズム的生き方で切り拓こうとする彼の態度に勇気づけられたのだ。そして幸運にも遊撃的著作を書いてもらえることとなる。今回も栗原さんの文章は独特のいわば講談調とも呼ぶべき檄文で、映画『菊とギロチン』が見事なほどに栗原流の血沸き肉躍る菊ギロに読み替えられている。ノベライズとかそんな生易しいものではない。化学変化極まり爆破寸前の爆弾であり、脳天へズドーン小説なのだ。それに感化されてか、自分も思わず戦後史総ざらいの「その後の菊とギロチン」を書いてしまった。乞うご期待!」と。目次詳細や栗原さん自身のコメントは書名のリンク先をご覧ください。


★栗原さんの『菊とギロチン』の出だしはこうです。「人生はクソである。人糞じゃない、犬の糞だ。水洗便所できれいさっぱりとながされることなんてなく、道端にコロッコロしていて、ただただ侮蔑の目でみられるようなあのクソである。この物語は、そんなクソたちによる、クソたちのための、クソったれの人生だ。コロッコロしようぜ、クソくらえ。さあ、はじめよう」(13頁)。予告編にもある東出昌大さんが演じるギロチン社の中濱鐵が語る熱い言葉のくだりは小説ではこうです。「十勝川が腰をゆらしながら、中浜のまわりをまわりはじめた。ウヒョオ、エロいね! 気分上々の中浜は、十勝川にむかって自分の夢をかたりはじめた。「オレの夢はな、満州にいって自分たちだけの国をつくる。そこじゃなにもかも平等で、食うのも平等、はたらくのも平等、貧乏人もカネもちもいない。共存共栄の理想郷だ。」それをきいた十勝川は、わらいながらこういった。「ホントにできるのかい、そんな国。」そんなふたりを古田がジッとみつめている」(229頁)。


★また、予告編につながる別の場面。「花菊がちかづいてきて、こういった。「たいへんなんだよ・・・、十勝川が兵隊みたいな男たちにつれていかれて!」「ナニぃー!」中浜がおどろきの声をあげた。「しばられて、たたかれて・・・、血だらけで・・・。」そういって、花菊は涙をながした。それをきいて、中浜はもういてもたってもいられない。「どこだ! 花菊、つれていけ!」花菊がはしりだす。中浜がついていくが、古田がピクリともうごかない。それに気づいて、花菊が心配そうにたちどまった。てめえ、なにやってんだよと、中浜が檄をとばす。「大さん、いくぞぉ!」それでも古田は微動だにしない。「ダメだよ。オレみたいな男は、なにをやったってダメなんだ!」それをきいて、マジギレした中浜。きょうはじめて、本気でどなった。「バッカヤロォォー! 女ひとり、たすけられねえで、なにが革命だァ!」(267~268頁)。


★なお、映画公開と本書の刊行を記念して、以下の通りイベントが開催されます。


◎栗原康×瀬々敬久×小木戸利光「女相撲とアナキスト――社会に風穴を!」


日時:2018年7月15日(日)19:00~21:00 (18:30開場)
会場:本屋B&B(下北沢)
内容:著者の栗原康さん、瀬々敬久監督、大杉栄役の小木戸利光さんが激論!『菊とギロチン』を自主企画として三十年温め続け、ようやく公開まで漕ぎつけた瀬々敬久監督。本作を元にいまだかつていない破壊的評伝小説をかきあげた栗原康さん。映画の中で大杉栄を演じ観客に鮮烈なイメージを与えた小木戸利光さん。それぞれの立場から“菊ギロ”への思いを語っていただきます。震災、国粋主義、貧困、格差など、現代との共通性も感じられる『菊とギロチン』。観るならいましかねえ、読むならいましかねえ。トークイベント、来るならいましかねえ!


★『NO BOOK NO LIFE Editor's Selection』は、2014年に刊行された全国の書店員さんによるブックガイド『NO BOOK NO LIFE――全国の本屋さんが選んだ!僕たちに幸せをくれた307冊の本』の姉妹編で、今度は20社22名(フリーランス含む)の編集者が15のテーマごとに合計166冊を選んで紹介してくれます。さらに「編集者へのQ&A」として15本のコラムも散りばめられています。15のテーマとQ&Aの詳細については、書名のリンク先の「立ち読み」からご確認いただけます。選書テーマは、本の企画性やタイトル、装丁、取材力、独自性、刊行のタイミングなど様々な切り口があって、おそらく書店さんや読者にとって興味深いだけでなく、同業者もしくは出版社を目指す方にとっても参考になる一冊です。



★版元さんのウェブサイトには寄稿者22名の詳細がないようなので、以下に列記しておきます。敬称略にて失礼します。滑川弘樹(多聞堂)、奥川健太郎(三省堂)、三上丈晴(学研プラス)、小林みずほ(KADOKAWA)、天野潤平(ポプラ社)、小塩孝之(洋泉社)、川﨑優子(廣済堂出版)、石毛力哉(原書房)、宮崎博之(淡交社)、木瀬貴吉(ころから)、北島彩(地球丸)、小林えみ(堀之内出版)、古川聡彦(猿江商會)、出口富士子(ビーンズワークス)、安永則子(小さい書房)、鈴木収春(クラーケン)、中岡祐介(三輪舎)、成田希(星羊社)、㓛刀匠(立東舎)、中村徹(雷鳥社)、望月竜馬(雷鳥社)、谷口香織(フリーランス)。


★ブックガイドといえば、角川ソフィア文庫で5月に発売された松岡正剛さんの『千夜千冊エディション 本から本へ』『千夜千冊エディション デザイン知』が6月にははやばやと再版されています。取り上げられている本の書目は書名のリンク先に掲出されていますが、一部正確ではないので、「試し読みをする」の方をご確認いただいた方がいいです。個人的にツボだったのは、『本から本へ』では小川道明『棚の思想』(影書房、1990年)、『デザイン知』ではルネ・ユイグ『かたちと力』(潮出版社、1988年)です。


★松岡さんはリブロ黄金期の社長・小川道明さんの『棚の思想』をめぐって、こうコメントされています。「おもしろい書店というものは、さまざまな棚組みやフェアや組み替えに躍起になってとりくんでいるものだ。もしも、行きつけの書店にそういう雰囲気がないようなら、そういう書店にはいかない方がいい。〔…しかし…〕、ネット書店に頼っていたのでは感覚に磨きはかからない。ぜひとも本屋遊びをし、「棚の思想」を嗅ぎ分けたい」(217頁)。『棚の思想』は出版業界をめぐる小川さんのエッセイをまとめたもので、松岡さんの著書のように本の情報に満ちた編集哲学が開陳されているわけではありませんが、リブロの歴史を知る上では、田口久美子『書店風雲録』(ちくま文庫、2007年)、今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』(論創社、2010年)、中村文孝『リブロが本屋であったころ』(論創社、2011年)、辻山良雄『本屋、はじめました』(苦楽堂、2017年)などとともに必読文献と言えます。


★ユイグ『かたちと力』については松岡さんは「それにしても、こういう本、やっぱりぼくとスタッフで作ってみたかった」(51頁)と嘆息されています。テーマもヴィジュアルもすぐれているこの名著は古書価がさがりようがない素晴らしい本で、大げさに言えば本書が書斎にあるかどうかで蔵書世界が変容してしまう類の本です。長い間品切になっているのは出版文化にとって損失ですらあります。なお「千夜千冊エディション」は帯表4の情報によれば、今後、『文明の奥と底』『情報生命』『少年の憂鬱』『面影の日本』などが刊行予定となっています。


★『文藝 2018年秋季号』ではやはり、山本貴光さんの文芸時評「季評 文態百版」(第2回:2018年3月~5月)に注目。「膨大なデータを分類・整理して、活用できる状態にすること。とりわけ、文芸の歴史のなかに現在の状況を定期的に測定し、位置づけるという作業が必要だ〔…〕。まずは事実としてどのような作品がどこにあるか、それはどのようなものかということを見てとりやすくするのがよいだろう。肝心なことは、そうした膨大な材料を、人間の身の丈で把握しやすく表現し、操作しやすくすることだ。/いま私は無理を言っているかもしれない。だが、できる範囲でいいから、この場で観測を続け、少しずつ足場を広げながら、誰もが使える文芸のマップをつくりたいと念じている」(494頁)。こうした構想は研究者のみならず、出版社や書店、図書館にとっても有益なはずで、やめようにもやめられない重大な作業領域に山本さんは足を踏み入れられたのではないかという印象があります。


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★まもなく発売(7月9日)となる、ちくま学芸文庫の7月新刊に注目。



『20世紀の歴史――両極端の時代(下)』エリック・ホブズボーム著、大井由紀訳、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,900円、672頁、ISBN978-4-480-09867-2
『古代の鉄と神々』真弓常忠著、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,100円、272頁、ISBN978-4-480-09870-2
『餓死(うえじに)した英霊たち』藤原彰著、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,100円、288頁、ISBN978-4-480-09875-7
『隊商都市』ミカエル・ロストフツェフ著、青柳正規訳、ちくま学芸文庫、本体1,200円、352頁、ISBN978-4-480-09878-8


★ホブズボーム『20世紀の歴史(下)』は文庫オリジナルの新訳版の完結篇。下巻は第Ⅱ部「黄金時代」の続きで第10章「社会革命――1945-90年」からはじまり、最終章となる第Ⅲ部「地滑り」第19章「新しいミレニアムに向けて」まで。巻末に読書案内、参考文献、索引など。ホブズボームは本書の最終章で私たちが生きる21世紀についてこう書いています。「新しい千年紀、人類の運命は公的な権能が復活できるか否かにかかっている」(576頁)。「歴史とは、他の多くの重要なことにもまして、人類の罪と愚行の記録である」(588頁)。「われわれが生きている世界は、著しい影響力をここ二、三世紀奮ってきた資本主義の発展というきわめて大きな経済的・科学技術的変化によって捕らえられ、根を奪われ、形が変わった世界である。それが永遠に続かないことはわかっている。少なくとも、そう思うのが合理的である。〔…〕いま、科学技術を用いる経済が生み出す力はあまりにも大きく、環境、つまり人間の生活を物質的に支えている基盤を破壊している。人間が住む社会の構造そのものが、資本主義経済を支える社会的基盤も含め、人類が過去から継承したものが蝕まれていくなかで、壊されようとしている。〔…〕そのような世界は、変わらねばならない」(589~590頁)。「もし人類に未来が与えられるとすれば、それは過去や現在を延長して可能になるのではない。そのつもりで第三千年紀を築こうとすれば、失敗するほかない。そしてその失敗の代償は、つまり、社会を変えることができなかった時に残るのは、暗闇である」(590頁)。


★真弓常忠『古代の鉄と神々』は、同名の親本(学生社、1985年;増補第三版、2012年)の文庫化。「『片葉の葦に生まれる鉄』の発見」は削除され、文庫版あとがきと上垣外憲一さんによる解説が付されています。上垣外さんは本書の論点の核心について次のように書いておられます。「日本の弥生時代には褐鉄鉱を原料とする「弥生製鉄」が存在したこと、そしてそれは、日本の地方の古い神社の祭祀から証明できるということである」。「本書の最初の刊行(昭和60年)が、五斗長垣内遺跡の発見(平成13年:2001年)にはるかに先行するものであることは、本書の先進性を物語って余りある。考古学が、真弓先生の祭祀学を後追いしているのである」。著者は宮司であると同時に大学教授も務めた研究者。初版に付された「はしがき」で著者はこう書いていました。「21世紀に向かって新しい文化の形成のために発想の転換が求められているとき、もっとも古く、もっとも保守的とみなされている神道の学問にたずさわるものよりする、新たな問題の提起であり、古代史研究における従来の方法とは異なったあらたな視点の提供である。いうならば闇に閉ざされた古代の謎を解くため、ここに一灯を掲げて博雅の万灯を待とうとするにほかならない」(7~8頁)。


★藤原彰『餓死した英霊たち』は2001年に青木書店より刊行された単行本の文庫化。巻末の特記によれば「文庫化に際しては、明らかな誤記を訂正した。そのほか、文脈を明らかにするために編集部による補注を施した箇所がある」とのことです。本書の目的については著者が巻頭の「はじめに」でこう述べています。「この戦争〔第二次世界大戦〕で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行為による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、餓死地獄の中での野垂れ死にだったのである。〔…〕戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦争の全体にわたって発生したことが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質を見ることができる。悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と特質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい。それが本書の目的である」(9~10頁)。一ノ瀬俊也さんは解説で次のように述べておられます。本書が明らかにしたのは「1937年に始まった日中戦争、41年に始まって45年まで続いた太平洋戦争の日本側戦死者230万人のうち、実に140万人の死因が文字通りの餓死と、栄養失調による戦病死、いわば広義の餓死の合数であったこと」であり、「2001年の刊行時、この数字は衝撃をもって社会に受け止められた。そして今日に至るまで、先の戦争の惨禍を語る際にはよく引用されている」と。軍人だった著者が敗戦後に研究者となり、晩年に執筆したのが本書でした。「本書を読む者は、戦争に対する著者の深い疑問と怒りが、いっけん淡々とした叙述の背後から立ち上ってくるのを感じ取るだろう」と一ノ瀬さんは評しておられます。また一ノ瀬さんは、かの戦争における飢えと病死の苦しみについての理解を深めるために、著者自身の遺著『中国戦線従軍記』(大月書店、2002年)の併読を薦められています。



★ロストフツェフ『隊商都市』は、1978年に新潮選書の一冊として刊行されたものの文庫化。1931年に刊行されたロシア語版から英訳された1932年の『Caravan Cities』の全訳ですが、底本となる英訳版は、著者自身による部分的書き直しや加筆を反映しているとのことです。文庫版訳者あとがきと、前田耕作さんによる文庫版解説「『隊商都市』多声と深さの復権」が新たに付されています。著者は「序」で「本書は1928年に書いた一連の紀行文を纏めたものである」と書いています。目次を列記しておくと、第一章「隊商貿易とその歴史」、第二章「ペトラ」、第三章「ジェラシュ」、第四章「パルミュラとドゥラ」、第五章「パルミュラの遺跡」、第六章「ドゥラの遺跡」。巻頭には訳者の青柳正規さんによる「隊商都市随想」が置かれています。「メソポタミア、エジプト、ギリシア、地中海、文明揺籃の地に囲まれキャラバン交易で反映した古代オリエント都市の遺跡に立ち、往時の繁栄に思いを馳せた紀行」(カバー表4紹介文)。


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