『世界はなぜ過激化(ラディカリザシオン)するのか?――歴史・現在・未来』ファラッド・コスロカヴァール著、藤原書店、2016年12月、本体2,800円、四六上製272頁、ISBN978-4-86578-101-4
★発売済。原書は『Radicalisation』(Les Éditions de la Maison des sciences de l'homme, 2014)です。著者のファラッド・コスロカヴァール(Farhad Khosrokhavar, 1948-)はテヘラン生まれの社会学者で、フランスとイランの国籍を有しており、現在はフランスの社会科学高等研究所(EHESS)の教授でいらっしゃいます。既訳書に『なぜ自爆攻撃なのか――イスラムの新しい殉教者たち』(早良哲夫訳、青灯社、2010年6月;著者名表記は「ファルハド・ホスロハヴァル」)があり、今回の新刊は日本語訳第二弾です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭には〈日本語版 特別インタビュー〉として「過激ジハード主義テロの本質にあるもの」が置かれています。ここでコスロカヴァールは日本に「先進国として日本が新しい移民政策モデルをつくり上げてほしい」(31頁)として「選択的な移民政策」をごく簡潔に提言されています。本論で著者は「西欧でジハード主義者の人集めが行われていない国はない」(231頁)とさる情報筋の話を特記しています。実際のところ日本ももはや例外ではなく、ラディカリザシオン=過激化現象について深く学ぶべき時が到来していると言えます。
Farhad Khosrokhavar - Radicalisation et mal démocratique (2016, France Culture)
Farhad Khosrokhavar - Hors-champs (France Culture)
Farhad Khosrokhavar - " Les deux types de jihadismes européen "
★なお、藤原書店さんでは今月下旬、ドイツにおけるエジプト学の大御所ヤン・アスマン(Jan Assmann, 1938-)の代表作のひとつ、『エジプト人モーセ――ある記憶痕跡の解読』(安川晴基訳;原著1998年)を刊行する予定とのことです。『エジプト――初期高度文明の神学と信仰心』(吹田浩訳、関西大学出版部、1998年2月、品切)以来の訳書であり、要チェックかと思います。
『私たちの“感情”と“欲望”は、いかに資本主義に偽造されているのか?――新自由主義社会における〈感情の構造〉』フレデリック・ロルドン著、杉村昌昭訳、作品社、2016年10月、本体2,400円、四六判上製284頁、ISBN978-4-86182-602-3
★発売済。原書は『La Société des affects : Pour un structuralisme des passions』(Seuil, 2013)です。著者のフレデリック・ロルドン(Frederic Lordon, 1962-)はフランスの経済学者・思想家。フランス国立科学研究センター(CNRS)および、ヨーロッパ社会学センター(CSE)の研究ディレクターで、最近ではパリの大衆抗議運動「Nuit debout(ニュイ・ドゥブ:夜、立ち上がれ)」における活躍が注目されています。既訳書『なぜ私たちは、喜んで“資本主義の奴隷”になるのか?──新自由主義社会における欲望と隷属』(杉村昌昭訳、作品社、2012年11月)があり、今回の新刊は日本語訳第二弾になります。巻頭には日本語版への序文として「「欲望」と「感情」を棚上げにしてきた人文・社会科学――“欲望”が制度的秩序を転覆する“力”ともなる」ではスピノザの東洋性(!)というイメージから語り起こし、スピノザ主義社会科学としての「感情の構造主義」(13頁)が示唆されています。ロルドンはネグリやバリバール以後、スピノザをもっとも先鋭的に政治哲学へと活用している一人として目が離せない存在になっています。巻末には訳者の杉村さんによる解説「ロルドンの活動と本書の思想的戦略について」に続き、付録としてロルドンによる痛烈なピケティ批判である「ピケティでもって“21世紀の資本”は安泰だ」(ル・モンド・ディプロマティーク日本語電子版2015年4月号からの抜粋)が併載されています。
Lordon lance un appel à la révolte # Nuit Debout
Débat entre Frédéric Lordon et David Graeber : les Nuits debout doivent-elles rester sauvages ?
Lordon Piketty CSOJ 04/2015
+++
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『用兵思想史入門』田村尚也著、作品社、2016年11月、本体2,800円、四六判上製352頁、ISBN978-4-86182-605-4
『汚れた戦争』タルディ/ヴェルネ著、共和国、2016年12月、本体3,500円、A4変型判上製176頁、ISBN978-4-907986-13-1
『沈黙の海へ』髙﨑紗弥香写真、アダチプレス、2016年11月、本体5,000円、B4変型判上製32頁、ISBN978-4-908251-05-4
『引揚げ文学論序説――新たなポストコロニアルへ』朴裕河著、人文書院、2016年11月、本体2,400円、4-6han・上製210頁、ISBN978-4-409-16099-2
『加藤秀俊社会学選集(上/下)』加藤秀俊著、人文書院、2016年11月、本体各3,400円、4-6判上製314頁/330頁、ISBN978-4-409-24111-0/24112-7
『うたごえの戦後史』河西秀哉著、人文書院、2016年10月、本体2,200円、4-6判上製204頁、ISBN978-4-409-52064-2
★田村尚也『用兵思想史入門』は発売済。本書の言う「用兵思想」とは「兵の用い方に関する思想」(1頁)であり、「戦争のやり方や軍隊の使い方に関するさまざまな概念の総称」と定義されています。「用兵思想の夜明け」「ローマの遺産」「封建制と絶対王政が生み出したもの」「ナポレオンと国民軍の衝撃」「産業革命とドイツ参謀本部」「海洋用兵思想の発展」「国家総力戦の現出」「諸兵科協同戦術の発展」「航空用兵思想の発展」「機甲用兵思想の発展」「ロシア・赤軍の用兵思想の発展」「アメリカ軍の原題用兵思想の発展」の全12章で、古代メソポタミアから現代アメリカの「エアランド・バトル」までを概観できます。田村さんは在野の軍事研究家で、近年ではアニメ『ガールズ&パンツァー』の軍事監修のほか、今春から陸上自衛隊幹部学校の技術高級過程の講師をお勤めだそうです。
★タルディ/ヴェルネ『汚れた戦争』はまもなく発売。先月刊行された『塹壕の戦争 1914-1918』に続く、共和国さんのタルディ第二作です。原書は『Putain de Guerre !』(Casterman, 2014)。訳者あとがきによれば、同作はまず2008年から2009年にかけて、タブロイド判6分冊で発行されたあとに2分冊のアルバムとして刊行され、その後本書の底本となる1巻本新装版が2014年に刊行された、とのことです。前半(第1部)は、ジャック・タルディが第一次大戦を描いた「汚れた戦争」で、後半(第2部)はジャン=ピエール・ヴェルネによる大戦をめぐる資料編「汚れた戦争全史 1914-1918」となっています。世界情勢があたかも大戦前夜のようにきな臭くなっているこんにち、100年前に起こった最悪の事態について何度でも学び直す必要があると思えます。共和国さんは今年、タルディの二作をはじめ、池田浩士『戦争に負けないための二〇章』や、藤原辰史編『第一次世界大戦を考える』などの新刊を刊行されており、その出版活動そのものが反戦のアクションとなっています。「この編集者を見よ」と言わずにはいられません。
★髙﨑紗弥香写真集『沈黙の海へ』は発売済。「初夏から晩秋にかけて御嶽山の山小屋で働きながら、撮影を続けている写真家」(版元紹介文より)だという髙﨑紗弥香(たかさき・さやか:1982-)さんの写真集第一作です。当ブログでの写真では小さく見えるかもしれませんが実際はB4変型判(279mm×406mm)というかなり大判な本で迫力があります。収録されているのは「2014年に行なった、日本海から太平洋を縦断する単独行において〔・・・〕新潟・親不知の海抜ゼロメートルを起点に、北アルプス→乗鞍岳→御嶽山→中央アルプス→南アルプス→最終地点の静岡・駿河湾へ至る43日間」の中で撮影されたもので、厳しい自然の表情は「日本の自然でありながら、まったく未知の場所に降り立ったかのような新鮮な印象を与えるもの」となっていると謳われています。サンプル写真は書名のリンク先をご覧ください。静けさの中に生と死が剥き出しのまま隣り合わせているような、美しさと厳しさを併せ持つ凄絶な写真群に圧倒されます。今月17日(土)まで、静岡県三島市のGALLERYエクリュの森にて写真集出版記念展「沈黙の海へ」が開催されています。
★朴裕河『引揚げ文学論序説』はまもなく発売。2008年から2016年に各誌や論集で発表されてきた「引揚げ文学」をめぐる論文を一冊にまとめたもの。「引揚げ文学」とは、前世紀における満州、朝鮮、中国から日本への帰国者の中で作家として活躍した人々のことを指しており、彼らは「帝国時代の記憶にこだわり続け〔・・・〕」多くは、引揚げ後も自らを「在日日本人」と認識し、自らの異邦人性を強く自覚していた。〔・・・〕青少年期までの時期をかの地で過ごした結果として、植民地や占領地以外には「故郷」がないと感じていたひとたち」(14頁)と著者は指摘しています。目次詳細や取り上げられている作家については書名のリンク先をご覧ください。
★「「引揚げ」関連手記や文学作品をひもといてまず気づくのは、これらの物語が、「日本」という主体の統合化に微細ながら決定的な亀裂を入れていることである。つまり、そこでは植民地の日常の記憶や、戦後日本への違和感とともに、植民地からもち帰った言葉や文化の「混交」の現場も語られていて、植民地・占領地返還後の「日本」がけっして単一の言葉・文化・血統を共有する「単一民族国家」ではありえなかったことが、そこからは見えてくる」(29頁)。「「引揚げ文学」は、「引揚げ」そのものの悲惨な記憶を忘却せんとする欲望に加えて、「帝国」政策の結果としての混血性を露わにし、新しいはずの「戦後日本」がほかならぬ「帝国後日本」でしかなかったことをつきつける存在でもあった」(30頁)というのが著者の分析です。
★また、あとがきでは次のように振り返っておられます。「『和解のために』『ナショナル・アイデンティティとジェンダー――漱石・文学・近代』『帝国の慰安婦』と、引揚げとは関係ない本をだしてきたが、『ナショナル・アイデンティティとジェンダー』にさえ、他者と出会う体験をさせる「移動」への関心が底辺にあった。ここ十余年の歳月は、まさに移動への関心とともにあったのである。特に『帝国の慰安婦』は、住み慣れた場所を離れることを余儀なくされ、「移動」させられる女性たちのことを書いたつもりである」(201~202頁)。「歴史は、ともすると観念化する」(204頁)という言葉は朴さんの研究における批判的姿勢をよく表しているように思えます。
★『加藤秀俊社会学選集(上/下)』は発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。版元さんの説明によれば、『加藤秀俊著作集』全12巻(中央公論社、1980~1981年)に含まれていない、「1995年以降の主要な論考を、若い世代の社会学者の意見も参考にしながらまとめた」もので、「各論考に、現在の考え、当時の思い出やこぼれ話といった「あとがき」を付」したもの、とのことです。白い紙に書家の石川九楊さんによる題字が印刷され、カバーには内容紹介文は一切記載されておらず、帯も付属しないという極めてシンプルな装丁です。人文書院さんのウェブサイトでは、竹内洋さんによる「加藤秀俊論」(『大衆の幻像』中央公論新社、2014年より転載)が掲出されており、加藤さんの立場を「非」論壇的で「非」左翼であるとする興味深い分析を読むことができます。
★河西秀哉『うたごえの戦後史』は発売済。著者の河西秀哉(かわにし・ひでや:1977-)さんは神戸女学院大学文学部准教授。これまで主にに戦後の天皇制をめぐる複数の著書を上梓しておられます。本書について「合唱は一緒に歌うことを通じて、参加者どうしの結びつきを強め、一体となる効用があると考えられた。そして、ともに歌うことで、一人ひとりが抱えていた問題が解消し、またそれぞれの生活に戻っていく。うたごえの戦後史は、それをどう思想的に位置づけ実践するのか、という模索であった」(196頁)と著者は終章で述べています。目次詳細や序章の立ち読みは書名のリンク先をご覧ください。
↧
注目新刊:コスロカヴァール『世界はなぜ過激化するのか?』、など
↧