読んでいない本について堂々と語る方法
ピエール・バイヤール著 大浦康介訳
ちくま学芸文庫 2016年10月 本体950円 文庫判304頁 ISBN978-4-480-09757-6
カバー裏紹介文より:本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ――大胆不敵なテーゼをひっさげて、フランス文壇の鬼才が放つ世界的ベストセラー。ヴァレリー、エーコ、漱石など、古今東西の名作から読書をめぐるシーンをとりあげ、知識人たちがいかに鮮やかに「読んだふり」をやってのけたかを例証。テクストの細部にひきずられて自分を見失うことなく、その書物の位置づけを大づかみに捉える力こそ、「教養」の正体なのだ。そのコツさえ押さえれば、とっさのコメントも、レポートや小論文も、もう怖くない! すべての読書家必携の快著。
★親本は同版元より2008年に刊行。創造的読書論の名著であり、手ごろな値段で読めるようになったことは実に喜ばしいです。「注意ぶかく読んだ本と、一度も手にしたことがなく、聞いたことすらない本とのあいだには、さまざまな段階があり、それらはひとつひとつ検討されなければならない」(15頁)と著者は書きます。本書がユニークなのは「ぜんぜん読んだことのない本」「ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本」「人から聞いたことがある本」「読んだことはあるが忘れてしまった本」の四種をすべて「読んでいない本」という大きなカテゴリーの内に置くことです。そうやって「「読んだ」と「読んでいない」とのあいだの境界」(同頁)というものが非常に不確かなものであることを証明し、本から適度な距離を取ることの効用を論じます。
★本を読んでいないことに対する罪の意識を捨て去ることの重要性を、読書行為の様々なありようの分析を通じて明確にしようとする本書には「スクリーンとしての書物/共有図書館」「内なる書物/内なる図書館」「幻想としての書物/ヴァーチャル図書館」といった興味深い概念も登場します。本書の結論部分には読書論からの一種の反転が仕掛けられているので、それを味わうためには飛ばし読みはせずにせめて本書を「ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本」として遇する必要があります。実際たいへん面白いので通読することはさほど困難ではありません。その昔、ショーペンハウアーは多読の弊害と、自分自身で考えることの大切さを説きました。バイヤールの本書はその綿密かつ見事な変奏だと言えそうです。業界人必読、と書くことにすらある意味恥じらいを感じるほどの、必須の課題図書だと断言しておきたいと思います。
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★次に、発売済の文庫新書より注目書目を列記しておきます。
『心はどこにあるのか』ダニエル・C・デネット著、土屋俊訳、ちくま学芸文庫、2016年10月、本体1,200円、文庫判288頁、ISBN978-4-480-09753-8
『この人を見よ』ニーチェ著、丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫、2016年10月、本体740円、文庫判244頁、ISBN978-4-334-75341-2
『「哲学」は図で考えると面白い――はじめての思考の手引き』白取春彦監修、青春文庫、2016年10月、本体900円、文庫判384頁、ISBN978-4-413-09655-3
『哲学史講義Ⅱ』G・W・F・ヘーゲル著、長谷川宏訳、河出文庫、2016年10月、本体1,500円、文庫判464頁、ISBN978-4-309-46602-6
『スエデンボルグ』鈴木大拙著、講談社文芸文庫、2016年10月、本体1,500円、文庫判272頁、ISBN978-4-06-290324-0
『浄土系思想論』鈴木大拙著、岩波文庫、2016年7月、本体970円、文庫判368頁、ISBN978-4-00-333235-1
『グローバリズム以後――アメリカ帝国の失墜と日本の運命』エマニュエル・トッド著、朝日新聞聞き手、朝日新書、2016年10月、本体720円、新書判200頁、ISBN978-4-02-273689-5
『問題は英国ではない、EUなのだ――21世紀の新・国家論』エマニュエル・トッド著、堀茂樹訳、文春新書、2016年9月、本体830円、新書判256頁、ISBN978-4-16-661093-8
★デネット『心はどこにあるのか』は草思社「サイエンス・マスターズ」シリーズの1冊として1997年に刊行された同名単行本の文庫化。デネット(Daniel C. Dennett, 1942-)の単独著の訳書は8点ほどありますが、文庫になるのは今回が初めて。原書は『Kinds of Minds: Toward an Understanding of Consciousness』(Basic Books, 1996)です。目次は書名のリンク先をご覧下さい。
★ちくま学芸文庫では11月にヴェブレン『有閑階級の理論[新版]』村井章子訳や、エルンスト・トゥーゲントハット/ウルズラ・ヴォルフ『論理哲学入門』鈴木崇夫/石川求訳、などが9日発売予定。ヴェルレンの同書の旧版は現在増補改訂版が講談社学術文庫から刊行されています。村井さんは今月、日経BPクラシックスでハイエクの『隷従への道』の新訳を上梓されています。トゥーゲントハット/ヴォルフの方は、1993年に晢書房より刊行された単行本の文庫化かと思われます。
★ニーチェ『この人を見よ』は『ツァラトゥストラ』(上下巻、光文社古典新訳文庫、2013年)に続く、丘沢訳ニーチェの第二弾。光文社古典新訳文庫としてはニーチェの新訳は『善悪の彼岸』『道徳の系譜学』(ともに中山元訳)が先行していますから、今回の新刊で4点目になります。自らの半生を振り返るとともに自らの著書の数々を解説した『この人を見よ』はカバー紹介文を借りると「ニーチェ自身による最高のニーチェ公式ガイドブック」。
★ニーチェは今月、ベストセラーの白取春彦編訳『超訳ニーチェの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の大活字版が発売。同書は約1年前に文庫サイズのエッセンシャル版も刊行されており、ニーチェ・ブームはまだまだ続きそうです。なお、白鳥さんは今月発売となった図解文庫『「哲学」は図で考えると面白い』の監修者もおつとめでいらっしゃいます。近年類書は増加傾向にありますが、初心者向けの図解本はぞれぞれに工夫が凝らされていて、同業者にとっては興味深い分野です。
★光文社古典新訳文庫では来月、ジュネの『薔薇の奇跡』が宇野邦一さんの新訳で発売となるようです。同作は堀口大學訳が新潮文庫より1970年に刊行されていますが、現在は品切。光文社古典新訳文庫でのジュネの新訳は中条省平訳『花のノートルダム』(2010年)に続く2点目。
★ヘーゲル『哲学史講義Ⅱ』は全4巻本の第2回配本。いくら親本があるからとはいえ、毎月1冊のペースで発売されているのはなかなかのスピード感です。第Ⅱ巻には第一部「ギリシャの哲学」第一篇「タレスからアリストテレスまで」の続きで、第二章「ソフィストからソクラテス派まで」、第三章「プラトンとアリストテレス」が収録されています。第Ⅲ巻は11月8日発売予定。
★来月発売の河出文庫では中島義道さんの『過酷なるニーチェ』なども刊行されます。さらに同社の単行本近刊には、アンドリュー・カルプの話題書『ダーク・ドゥルーズ』が見えます。版元紹介文に曰く「ドゥルーズは世界を憎み世界の破壊の哲学なのだ。既成のドゥルーズ像をぶち壊しながら斬新な思考をうちたてるマニフェスト。日本のラディカルなドゥルージアン4名からの応答を付す」と。さらに、上野俊哉さんによる『四つのエコロジー――フェリックス・ガタリの思考』も予告されています。
★鈴木大拙『スエデンボルグ』は大拙訳『天界と地獄』に続く、講談社文芸文庫でのスウェーデンボルグ本第二弾。大拙の論考「スエデンボルグ」と、スウェーデンボルグ著「新エルサレムとその教説」の大拙訳、さらに参考資料として吉永進一さんによる論考「大拙とスウェーデンボルグ――その歴史的背景」を付し、安藤礼二さんが解説「「霊性」と「浄土」の起源」を寄せておられます。同書の底本は岩波書店版『鈴木大拙全集』第二十四巻(1969年12月刊)、文庫化にあたり、1913年に丙午出版社より刊行された単行本『スエデンボルグ』および同社より翌年1914年に出版された訳書『新エルサレムとその教説』初版も参照し、「誤字と思われる箇所は正し、適宜ふりがなと表記を調整」したとのことです。吉永さんの論考の初出は、吉永さんと中西直樹さんの共著『仏教国際ネットワークの源流――海外宣教会(1888年~1893年)の光と影』(三人社、2015年)の第四章であり、表記や誤記の訂正を行ったとのことです。
★大拙によるスウェーデンボルグの訳書にはこのほかに丙午出版社より『神智と神愛』(1914年)と『神慮論』(1915年)が上梓されており、前者は岩波版大拙全集二十五巻、後者は同二十四巻に収められています。安藤さんの解説にはこの二篇については全集をひもとくよう書かれているので、あるいは当面は文庫化の予定はないのかもしれません。
★なお大拙全集からは第六感を底本として7月に岩波文庫で『浄土系思想論』が刊行されていることは周知の通りです。また、講談社文芸文庫の今月の新刊では上記書のほかに、細川光洋選『湯川秀樹歌文集』が発売されています。また、これは後日改めて取り上げようと思いますが、同社の学術文庫の今月新刊の『杜甫全詩訳注(四) 』が税込でいよいよ3000円の大台を超えるものとなりました。千頁以上あるので、やむをえないのかもしれませんが、さすがに1冊で3000円を超えるとなると紙媒体の文庫としては異次元の部類になっていきます(電子書籍では複数巻の合本もので3000円を超えるものがあります)。
★今月そして先月と、トッドさんの日本オリジナル版の新書が立て続けに刊行されています。まず先月刊行された『問題は英国ではない、EUなのだ』は好評を博したと聞く昨春の『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる――日本人への警告』(堀茂樹訳、文春新書、2015年5月)や『シャルリとは誰か?――人種差別と没落する西欧』(堀茂樹訳、文春新書、2016年1月)に続く時事論集です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭の「日本の読者へ――新たな歴史的転換をどう見るか?」によれば、冒頭の「なぜ英国はEU離脱を選んだのか?」を除いて「本書に収録されたインタビューと講演はすべて日本でおこなわれました。その意味で、これは私が本当の意味で初めて日本で作った本なのです」と。本書では世界大戦以後の、1950~80年の経済成長期、1980~2010年の経済的グローバリゼーション、といった段階に続く第三局面「グローバリゼーション・ファティーグ〔疲労〕を分析しています。
★今月発売された新書『グローバリズム以後』は朝日新聞が1998年から2015年にかけて行ったトッドさんへのインタヴューに2本の語り下しを加えて1冊としたもの。18年に及ぶこの期間において著者は「「長期持続」という視点を重視」し、「日々の政治的、軍事的な出来事や、その登場人物たちが声高に叫ぶことに振り回されず、つねに社会の深いところで起きている流れを把握しようと努めて」きた、と巻頭の「日本の読者へ」で書いています。本書ではグローバリゼーションの絶頂期と墜落過程が分析されています。「日本は、安定していますが、老いつつあります」(9頁)と著者は指摘します。「核兵器が依然として力と均衡の道具となっている世界で、日本はかつてないほどに経済的、軍事的安全にかかわる構造的な問題の解決をせまられて」いる、と(同)。2006年10月のインタヴュー「日本の「核武装」を勧めたい」では若宮啓文記者との緊張感あるやりとりを読むことができます。「私は中道左派で、満足に兵役も務めなかった反軍主義者。核の狂信的愛好者ではない。でも本当の話、核保有問題は緊急を要する」(158-159頁)。賛否はあるにせよ、著者の現実主義は一読の価値があります。
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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『ラテンアメリカ文学入門――ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで』寺尾隆吉著、中公新書、2016年10月、本体780円、新書判240頁、ISBN978-4-12-102404-6
『台湾少女、洋裁に出会う――母とミシンの60年』鄭鴻生著、天野健太郎訳、紀伊國屋書店、2016年9月、本体1,700円、B6判上製268頁、ISBN 978-4-314-01143-3
『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』稲場紀久雄著、平凡社、2016年10月、本体2,800円、4-6判上製352頁、ISBN978-4-582-82483-4
★寺尾隆吉『ラテンアメリカ文学入門』はまもなく発売。現代ラテンアメリカ文学の愛読者の方なら寺尾さんのお名前はよくご存じかと思います。現代企画室の「ロス・クラシコス」や「セルバンテス賞コレクション」、水声社の「フィクションのエル・ドラード」などのシリーズをはじめ、単行本でも訳書を多数手がけておられ、さらに研究書『魔術的リアリズム――二〇世紀のラテンアメリカ小説』(水声社、2012年)も上梓されています。寺尾さんにとって初めての新書となる今回の新刊では「ラテンアメリカ文学がもっとも豊かな成果をもたらしたブームの時代、具体的には1958年から81年にいたる二十数年間を中心に、その前後数十年まで展望を拡げて、約100年にわたる現代ラテンアメリカ小説(ほぼスペイン語圏だが、ポルトガル語圏に属するブラジルの小説も含む)の動向を探って」おられます。全6章立てで、第1章「リアリスム小説の隆盛――地方主義小説、メキシコ革命小説、告発の文学」、第2章「小説の刷新に向って――魔術的リアリズム、アルゼンチン幻想文学、メキシコ小説」、第3章「ラテンアメリカ小説の世界進出――「ラテンアメリカ文学のブーム」のはじまり」、第4章「世界文学の最先端へ――「ブーム」の絶頂」、第5章「ベストセラー時代の到来――成功の光と影」、第6章「新世紀のラテンアメリカ小説――ボラーニョとそれ以後」。巻末には関連年表と参考文献が配されています。
★鄭鴻生『台湾少女、洋裁に出会う』は発売済。原書は『母親的六十年洋裁歳月』(印刻文学生活雑誌出版、2010年)で、著者の鄭鴻生(ジェン・ホンシェン:1951-)さんが母親である施伝月さんの「洋裁人生」を綴ったものです。帯文に曰く「もうひとつの“カーネーション”がここにあった! 『主婦之友』『婦人倶楽部』……日本統治下の一九三〇年代の台湾で、日本の婦人雑誌に魅了された少女は、親の反対を押しきって、洋装店の見習いとなり、やがて台南に自ら洋裁学校を開校する。母が息子に語った“小さな近代史”」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「〔若い頃の〕あの日の耳に突き刺さるような〔日本人の〕警官の〔侮蔑的な〕言葉と耐えがたい屈辱を母はついに忘れることがなかった。その反面、日本の帝国意識が高まった1930年代において、母に新しい希望の光を与え、人にばかにされないための行動の規範となり、また同時に大きな慰めとなったのは日本の婦人雑誌であった」(67-68頁)。施伝月さんは日本人が経営する台南の洋装店の見習いとなり、日本にも留学し、戦後には台南で洋裁学校を開校します。
★本書の終盤近くにある次のくだりが印象的です。「1950年代からの2、30年間、台湾人女性はそれぞれ置かれた条件下のもと、競い合って洋裁を学び、自らの手でさまざまなスタイルの美しい衣装を作り出した。それはきっと、あの時代を生きた女性たちの、自分らしさの表出ではなかったか。洋裁は、女性の自立に必要不可欠な技能というだけでなく、彼女たちの自己表現の舞台でもあった。布を選び、雑誌や仕立て屋を覗いてスタイルを考え、採寸から裁断、仮縫い、試着、本縫いまで自らの手で完成させる――そんな手間のかかるプロセスは、現在のように百貨店に並ぶ無数の既製品からなんとなく選んで買うのとはまるで異なる行為であったのだ」(236頁)。本書はほぼ新書サイズのハードカバー上製本で本文はセピア色で印刷されています。非常に美しい一冊です。
★稲場紀久雄『バルトン先生、明治の日本を駆ける!』はまもなく発売。帯文はこうです。「謎に包まれたバルトン先生の全貌解明! 帝国大学教授としてコレラ禍から日本を救うため、上下水道の整備を進める一方、日本初のタワー・浅草十二階の設計を指揮、さらに写真家として小川一真の師でもあったバルトン先生。彼の貴重な写真も多数収録」。目次も列記しておきます。
プロローグ――バルトンの夢を追って
第1章 故郷エディンバラ
第2章 知の巨峰、父ジョン・ヒル・バートン
第3章 ウイリー誕生、バルトン幼少期
第4章 技術者への道、バルトン青年期
第5章 永訣と自立と
第6章 ロンドンでの活躍、そして日本へ
第7章 バルトン先生の登場
第8章 国境を超えた連帯
第9章 首都東京の上下水道計画
第10章 日本の写真界に新風
第11章 浅草十二階――夢のスカイ・スクレイパー
第12章 濃尾大震災の衝撃
第13章 望郷――愛の絆
第14章 迫るペスト禍と台湾行の決心
第15章 台湾衛生改革の防人
第16章 永遠の旅立ち
第17章 満津と多満――打ち続く試練
第18章 ブリンクリ一家に守られて
第19章 多満の結婚とその生涯
エピローグ――時空を超えて
謝辞
バルトン略年表
★著者は上下水道研究に長らく尽力されており、旧著『都市の医師――浜野弥四郎の軌跡』(水道産業新聞社、1993年)ではバルトンの弟子の人生を描いておられます。そこに本書の主人公であるバルトン先生こと、ウィリアム・K・バートン(1856-1899)も登場しています。その後もバルトン先生の多方面での活躍を知ることとなった著者がついに本書を上梓するに至ったのは、運命的な出会いのように思えます。個人的には、凌雲閣(浅草十二階)の設計と建設、完成後に催された日本初の「美人コンテスト」、そして濃尾大震災による被災と写真集『日本の大地震』の刊行までの過程が興味をそそるのは、近年の東京スカイツリーの完成や日々近づきつつある大地震が読み手に影響しているからでしょうか。タイムマシンがあったら浅草十二階に行ってみたいと思っている方はそれなりにいらっしゃることでしょう。
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待望の文庫化『読んでいない本について堂々と語る方法』、ほか注目新刊
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