★講談社さんの新書および文庫の、注目新刊既刊を列記します。
『日本の歪み』養老孟司/茂木健一郎/東浩紀(著)、講談社現代新書、2023年9月、本体1,000円、新書272頁、ISBN978-4-06-531405-0
『はじめての人類学』奥野克巳(著)、講談社現代新書、2023年8月、本体900円、新書判224頁、ISBN978-4-06-532857-6
『時間の終わりまで――物質、生命、心と進化する宇宙』ブライアン・グリーン(著)、青木薫(訳)、ブルーバックス、2023年5月、本体1,800円、新書判640頁、ISBN978-4-06-532007-5
『柄谷行人の初期思想』柄谷行人(著)、講談社文芸文庫、2023年9月、本体2,100円、A6判272頁、ISBN978-4-06-532944-3
『変身物語(上)』オウィディウス(著)、大西英文(訳)、講談社学術文庫、2023年9月、本体1,700円、A6判512頁、ISBN978-4-06-533285-6
『変身物語(下)』オウィディウス(著)、大西英文(訳)、講談社学術文庫、2023年09月、本体1,750円、A6判520頁、ISBN978-4-06-533286-3
『魏武注孫子』曹操(校注)、渡邉義浩(訳)、講談社学術文庫、2023年9月、本体1,200円、A6判304頁、ISBN978-4-06-532924-5
『明代二大茶書 張源『茶録』・許次紓『茶疏』全訳注』岩間眞知子(訳)、講談社学術文庫、2023年8月、本体1,000円、A6判240頁、ISBN978-4-06-533080-7
『遠野物語 全訳注』柳田國男(著)、新谷尚紀(訳)、講談社学術文庫、2023年8月、本体1,260円、A6判344頁、ISBN978-4-06-532531-5
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000379139
★講談社現代新書より2点。まず『日本の歪み』は、養老孟司(ようろう・たけし, 1937-)さん、茂木健一郎(もぎ・けんいちろう, 1962-)さん、東浩紀(あずま・ひろき, 1971-)さんの3氏による鼎談本。構成は株式会社μの 代表取締役で編集者の今岡雅依子(いまおか・まいこ, 1982-)さんによるもの。巻頭の「はじめに」は養老さんが書き、「おわりに」は茂木さんが書いています。主要目次は以下の通り。最終章が第10章ではなく第0章となっているのは転記ミスではなく、現物のままの記載です。
はじめに(養老孟司)
第一章 日本の歪み
第二章 先の大戦
第三章 維新と敗戦
第四章 死者を悼む
第五章 憲法
第六章 天皇
第七章 税金
第八章 未来の戦争
第九章 あいまいな社会
第〇章 地震
おわりに(茂木健一郎)
★養老さん曰く「本書は、近代以降の日本社会の歪みが主題で、この本の中に主な問題点は、ほど出尽くしていると思う。具体的には目次を見れば歴然としている。当然語り足りない部分も多いが、それについてもっと深堀すると、長くなりすぎる」(3頁)。茂木さん曰く「世界の複雑さに向き合うためには、一人ひとりの人間の内面の複雑さで対抗するしかない。鼎談者はそれぞれやっかいな内面を抱えつつ、日本の近代の問題に向き合い、お互いの言葉に耳を傾けた。時にすれ違いや齟齬もあるなかで、結果として、日本の歪みに対するふさわしい、滋養のある本になったと自負している」(268頁)。
★次に『はじめての人類学』は、文化人類学者の奥野克巳(おくの・かつみ, 1962-)さんによる初めての書き下ろし新書。「この本は、人類学の世界を覗きたい、自分自身と他者を知るための学問とは何かを学びたい、そんな初学者のための本です」(3頁)。「人類学は遠く離れた人々を対象とする学問であるだけでなく、私たち自身の「生」を含め、「生きている」と向き合うための学問でもあるのです」(8頁)。
★「誤解を恐れずに言えば、人類学には「絶対にこの4人は外せない」という最重要人物がいます。ブロニスワフ・マリノフスキ(1884-1942)、クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)、フランス・ボアズ(1858-1942)、ティム・インゴルド(1948-)です。彼らは19世紀後半から現代に至るまで、それぞれの時代を生きながら人類学において重要な概念を打ち出してきました。/先回りして言えば、マリノフスキは「生の全体」を、レヴィ=ストロースは「生の構造」を、ボアズは「生のあり方」を、インゴルドは「生の流転」を突き詰めた人類学者と捉えることができます。/人間の生にまつわるこの4つの考え方は、そのまま人類学が歴史の中で勝ち取ってきた学問的な成果です。つまり4人の人類学者を取り上げることで、人類学の歩みが一摑みにできると言えるのです。本書ではこの4人を中心に、人類学の「真髄」を押さえます」(5頁)。
★ブルーバックスより1点。『時間の終わりまで』は、米国の理論物理学者ブライアン・グリーン(Brian Randolph Greene, 1962-)さんの著書『Until the End of Time: Mind, Matter, and Our Search for Meaning in an Evolving Universe』(Knopf, 2020)の訳書で2021年12月に刊行された同名書籍を新書化したもの。ここ最近のブルーバックスでは分厚い部類でしょうか。
★「以下のページでは、衰退を運命づけられた宇宙の内部に、星と銀がから生命と意識まで、さまざまな秩序構造をもたらす物理原理を見ていきながら、宇宙の年表に沿って未来への向かうことにしよう。人の寿命は限られているが、宇宙における生命と心という現象もまた、限られた時間しか存在しないことを明らかにする議論も見て行こう。実のところ、ある時点から先には、組織化された物質は存在できそうにない。それがわかれば、内省する生物である人間は、どうしたってのんきではいられない。その不安に対し、人がどう向き合うのかも見て行こう」(「はじめに」19頁)。
★講談社文芸文庫より1点。『柄谷行人の初期思想』は、批評家の柄谷行人(からたに・こうじん, 1941-)さんの『柄谷行人初期論文集』(批評空間、2002年;改題再刊『思想はいかに可能か』インスクリプト、2005年)の文庫化。柄谷さんは「著者自身による解題」でこう書いています。「実際、私が著者であるというには、これらのテクストは私によって遠い過去でありすぎる。中にはほとんど覚えていないものもあった。読んでみると、幼稚な考え方や言葉使いが多くて閉口した。他方で、近年において自分が考えていることに近いところが少なからずあって、驚きもした」(212頁)。
★巻末に加えられた解説は、國分功一郎さんによる「本質的な思想家は一つの課題しかもたないのか?」。國分さんはこう評しています。「もし柄谷行人が一つの課題しか持たない本質的な思想家であるとして、その課題とは何なのか。それは柄谷本人にも分かっていない何かであろう。柄谷行人がそのタイプの思想家であるのかどうか、そしてもしそうであるならばその課題とはなにかのか。柄谷行人が広く世界で読まれるようになった今こそ、この問いが追究されなければならない。その追究は当然、批評的な態度を必要とする。/批評の言葉が批評的に読まれることによってのみ批評は復活するであろう。本書はその意味で、少しも回顧的な本ではない。読み手の自己検証を絶えず求める、現在の書物である」(226頁)。
★講談社学術文庫より4点5冊。4点とも学術文庫オリジナルの訳し下ろし。まず、オウィディウス『変身物語』上下巻は神戸市外国語大学名誉教授の大西英文(おおにし・ひでふみ, 1948-)さんによる新訳。近年の訳書には京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」で高橋宏幸訳全2巻(2019/2020年)があり、文庫版では岩波文庫より中村善也訳上下巻(1981/1984年)があります。大西さんは西洋古典学がご専門で、これまでにセネカ、キケロー、ルーカーヌスなどの翻訳を手掛けられています。
★『魏武注孫子』は、早稲田大学教授の渡邉義浩(わたなべ・よしひろ, 1962-)さんによる訳し下ろし。凡例によれば「魏武(魏の武王と追尊された曹操)の解釈に基づいて、本文を訳出した。『十一家註孫子』などに収録される曹操以外の解釈は、『全譯魏武註孫子』(汲古書院、2023年刊行予定)を参照されたい」とのこと。さらに訳者による巻末解題の紹介を借りると「曹操が著した『魏武注孫子』は、自らの軍事的な経験を背景としながらも、『孫子』の特徴に寄り添うことを原則とした注である。『孫子』が、長く『魏武注孫子』により読まれ続けた理由である」と。訳文、原文読み下し、補注、解説で構成。
★『明代二大茶書 張源『茶録』・許次紓『茶疏』全訳注』は、静岡県島田市のふじのくに茶の都ミュージアム客員研究員の岩間眞知子(いわま・まちこ, 1978-)さんによる訳し下ろし。帯文に曰く「世界最古の茶書『茶経』に続く、中国茶道、煎茶道の重要書。製茶、茶葉選びから水、貯蔵、茶器、客人の対応まですべての実践を教える」と。訓読、現代語訳、原文、注釈で構成。図版多数。
★『遠野物語 全訳注』は、国立総合研究大学院大学・国立歴史民俗博物館名誉教授の新谷尚紀(しんたに・たかのり, 1948-)さんによる現代語訳。訳文、原文、注釈で構成されています。『遠野物語』の文庫本は各版あって、岩波文庫版では原文、新潮文庫版では原文に3本の解説を併録(山本健吉「解説」、吉本隆明「『遠野物語』の意味」、三島由紀夫「小説とは何か」)。河出文庫版は遠野物語研究所研究員の佐藤誠輔(さとう・せいゆう, 1928-)さんによる口語現代訳に『柳田国男全集』編集委員の小田富英(おだ・とみひで, 1949-)さんによる注を併載したもの。角川ソフィア文庫版および角川文庫版は原文に併せて作家の京極夏彦(きょうごく・なつひこ, 1963-)さんによる口語現代訳と解説を付したもの。特に現代語訳は各版を読み比べる楽しみがあるでしょう。
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『稜線の路』ガブリエル・マルセル(著)、古川正樹(訳)、ルリユール叢書:幻戯書房、2023年9月、本体3,500円、四六判上製336頁、ISBN978-4-86488-284-2
『吉本隆明全集32[1990-2001]』吉本隆明(著)、晶文社、2023年9月、本体6,500円、A5判変型上製528頁、ISBN978-4-7949-7132-6
『新装版 哲学の集大成・要綱 第三部 精神哲学』ヘーゲル(著)、長谷川宏(訳)、作品社、2023年9月、本体6,000円、A5判上製440頁、ISBN978-4-86182-993-2
『新装版 哲学の集大成・要綱 第二部 自然哲学』ヘーゲル(著)、長谷川宏(訳)、作品社、2023年6月、本体7,000円、A5判上製596頁、ISBN978-4-86182-985-7
『新装版 哲学の集大成・要綱 第一部 論理学』ヘーゲル(著)、長谷川宏(訳)、作品社、2023年4月、本体6,000円、A5判上製450頁、ISBN978-4-86182-968-0
★『稜線の路』は、「ルリユール叢書」第34回配本(48冊目)。フランスの哲学者で劇作家のガブリエル・マルセル(Gabriel Marcel, 1889–1973)の戯曲『Chemin de Crète』(Grasset, 1936)の訳書。帯文に曰く「マルセルの哲学思想を先導する〈筋書きの無い演劇〉にして、マルセル戯曲作品の頂点を極めた全四幕の悲劇。本邦初訳」と。マルセルの戯曲の翻訳が刊行されるのは実に半世紀ぶり(正確には53年ぶり)のこと。マルセル自身は本作をめぐって「この作品では私は自分を決定的に解き放っている」と証言していることが訳者解説で紹介されています。マルセルの没後50年、名シリーズ「ルリユール叢書」にまた貴重な1冊が加わりました。
★『吉本隆明全集32[1990-2001]』は、晶文社版全集の第33回配本。吉本隆明(よしもと・たかあき, 1924-2012)の晩年期の著書『匂いを読む』(光芒社、1999年)、『写生の物語』(講談社、2000年)、『食べものの話』(丸山学芸図書、1997年;増補改訂版、光芒社、2001年)などを収録。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。特筆したいのは、江藤淳(えとう・じゅん, 1932-1999)さんの自死を悼む3篇「江藤淳氏を悼む」「江藤淳記」「江藤さんの特異な死」が収められていること。眼も足腰も衰えたと綴る吉本さん自身の老境への言及と相俟って、思念の旅路の終わりのその先へと踏み出すように見える筆致に感銘を覚えます。付属の「月報33」は作家の宇田川悟さんによる「託されたバトン」を掲載。
★「ヘーゲル哲学の聖典」(帯文より)である、長谷川宏訳『エンチクロペディ(Enzyklopädie der philosophischen Wissenschaften im Grundrisse:哲学の集大成・要綱)』三部作(2002年、2005年、2006年)の新装版(2023年4月、6月、9月)が、『精神哲学』の発売で完結。訳者による「新装版あとがき」の各巻から引用します。長谷川さんの以下の評言は各巻の帯表4にも掲出されています。
★「希望の近代は理性の近代であった。ヘーゲルの目には現実世界の全体が、さらには人間の思考の全体が、理性につらぬかれているように見えた。その理性の秩序立ったありかたの抽象的な筋道を記述する著作の第一部が「論理学」となるのは当然だった。現実世界の合理性と人間の思考の合理性をともども明らかにするのが「論理学」の課題だった。/二十一世紀にヘーゲルの「論理学」を読むことは、希望の近代の遠さと近さに探りを入れることにほかならない」(『論理学』445頁)。
★「一九世紀初頭にヘーゲルのとらえた自然は、科学技術の破壊力にも動じることのない、もっと大きな存在だった。いつまでも調和と均衡を保ってまわりにあると信じられる存在だった。/自然破壊が問題となるとき、自然はもはやすべてを包みこむゆるぎない存在ではない。しかし、それがどういう存在なのか、その全体像がわたしたちには明確には見えてはいない。ヘーゲルの『自然哲学』を読むことは、未見の全体像の構築に向って歩みを進める営みでもあろう」(『自然哲学』589頁)。
★「ヘーゲルの目には現実が有形無形の災厄や困難や矛盾をかかえつつ、生き生きとゆたかな未来へと前進していく道筋が見えていて、その躍動のさまをかれは「人間精神の発展」ととらえたのだった。初期の『精神現象学』以来、息をつめるようにして、個人の、社会の、人類の精神を追いかけてきたヘーゲルにとって、同時代の市民革命も産業革命も近代国家の形成も、人間精神の可能性の顕現以外のなにものでもなかった。〔…〕歴史の未来にヘーゲルほどのゆたかさを展望しえないわたしたちは、人間精神のありようにも懐疑と批判の目を向けざるをえない。そして、その懐疑と批判の目はヘーゲル哲学を生んだ西洋近代への懐疑と批判に大きく重なる。『エンチクロペディ』の読み直しは近代批判と密接不可分の作業だと言わねばならないのだ」(『精神哲学』427頁)。