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備忘録(27)

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◆2016年3月25日18時現在。
東洋書店(2015年6月25日事業停止、2016年2月3日倒産)とサイゾー傘下の東洋書店新社(2016年2月9日ツイート開始)について追いかけていらっしゃる@strangebookloveさんから、当ブログで本件への言及がないことについて「残念」だとコメントをいただいたのですが(唐突に話を振っていただいていささか面食らっています)、ごく単純な話、私は事情を知りません。夏目書房(1992年7月創業、2007年10月4日業務停止)が同じくサイゾー傘下で夏目書房新社として復活していたのも知りませんでした。人づてに初めて夏目書房新社さんのお名前を聞いたのは先月上旬。その時点では特に深追いすることはなく、ウェブサイトの存在やサイゾー傘下であることについて、@strangebookloveさんのツイートを辿りつつ、関連情報をようやく確認した次第です。そんなわけで「知っていることがあるけどしがらみがあって言えない」状態ではございません。

「日刊サイゾー」2016年1月1日記事「謹賀新年」に曰く「この一年、株式会社サイゾーでは、海外セレブ情報サイト「ビッグ☆セレブ」やコミック事業部「道玄坂書房」の立ち上げ、ロシア専門書を扱う東洋書店の出版事業継承など、これまでにないプロジェクトやタスクに挑みはじめました」。「弊社は今秋で10期目の事業年度を迎え、熟れ頃、食べ頃との評価をいただかなければいけない勝負の時期になります。まずはみなさまが思わず手にとって、かじりつきたくなるようなメディアやプロダクトを提供できるよう、一層の努力をして参る所存です」と。

@strangebookloveさんのご推測、「金策つきた、しかし破産はしていない、つまり銀行の調査が入らない曖昧な状態の版元を手に入れよう、と画策しているビジネスモデルに飲み込まれてしまった」「そんなケースが他にもあるのかもしれないな、と思いました」という件については、私個人の印象ですが、サイゾーさんや東洋書店新社さん、夏目書房新社さんに当てはまるケースではないように感じます。@strangebookloveさんもお気づきの通り、まずサイゾーは取次口座を狙っているわけではないでしょう。ではそのコンテンツを「狙っている」のかと言えば、もう少しシンプルに、それぞれの版元の方と何かしらの人間関係があったのが新社のきっかけだろう、と推測しています。むろん、そもそもサイゾーさんの新しい事業展開の勘所がどこにあるのか、ということについては私が想像しうるものではありませんが。

ただし、@strangebookloveさんが前段で仰っている、「事故やトラブルがある版元から著者が自著のデータを引き上げることが困難」(要旨)という事態については、一般論としてありうることだと思います。

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注目新刊:『アルトー後期集成』全三巻完結、ほか

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アルトー後期集成 II
アントナン・アルトー著 宇野邦一・鈴木創士監修 管啓次郎・大原宣久訳
河出書房新社 2016年3月 本体5,000円 46判上製472頁 ISBN978-4-309-70532-3

帯文より:われわれの生を救出するためにアントナン・アルトーが帰ってくる。ユーモアとやさしさ、激情と悪意、陽気さと悲痛なみじめさ、笑いと沈黙。絶叫・・・とともに。その思考を凝縮させた奇跡的な後期テクスト群をはじめて集成。生前のアルトーが「本」として構想していた最後の作品にして〈残酷の演劇〉の極限的な実践でもあった「アルトーのすべての作品のうち、もっとも電撃的であり、彼自身がもっともさらされた作品」=『手先と責苦』を全訳。世界でも稀有の集成、10年めに完結。

★発売済。第I巻(宇野邦一・岡本健訳、2007年3月)、第III巻(鈴木創士・荒井潔・佐々木泰幸訳、2007年6月)に続く全三巻完結配本となる第II巻です。帯文にある通り刊行10年目にしての完結。アマゾン・ジャパンの書誌情報では発売日が2007年7月20日となっていますが、これはその昔の登録のままになっていると見え、いずれ版元さんが修正するものと思われますが、当初の予定では10年前に完結させたかっただろうことが窺えます。このたび刊行された第II巻に収録されているのは、帯文にある通りアルトーが生前に著書として構想していた最後の作品『手先と責苦 Suppôts et Suppliciations』です。ガリマール版『アントナン・アルトー著作集』第14巻(2分冊、ポール・テヴナン編、1978年)と、同じくガリマールのポエジー叢書版(エヴリン・グロスマン編、2006年)が参照されていることが窺えます。

★『手先と責苦』は「断片化 Fragmentations」「書簡 Lettres」「言礫 Interjections」の三部構成。1947年2月に執筆されたと思しい序文にはこう書かれています。「第一部は息せき切っておこなわれる、文化の再検討のごときもの。かたちをなす以前に台無しにされてしまった一文化のあらゆるトーテム群を横断してゆく、身体のアブラカダブラ的な騎行だ。/第二部では、この騎行を企てて苦しむ身体が、その身をさらけだす。/その人間がまぎれもなく人間であり霊などではないということが、よくわかってもらえるだろう。/第三部にいたると、もはや問題にならない。/文化も。/生も。/問題となるのはただ、人間の身体が呼吸をはじめる以前に窒息してしまう、創造以前から〔アンクレー〕の忌々しい地獄、/思考の縁のみならず、感情の縁でもある地獄だ」(10-11頁)。また、序文の後段にはこんな言葉も書きつけられています。「現代人は疲れきっていて、自分の理想など深く掘り下げてみるまでもなく、自分が欲するのはたださしだされた生をがぶ飲みすることだけなのだということがわかる。そうすれば、正気を失い、ついにはそれでくたばるばかり」(11-12頁)。

★管さんは訳者あとがきでこうしたためられています。「われわれのアルトー体験は文字を介するしかなく、そこで改めて、文字という不思議な記号の作用を考える必要が出てくるのかもしれない。文字とは、いつまでもおとなしく死んでいるものではないのだから。〔・・・〕こうして文字を手がかりに、アルトーが瞬時によみがえることを、われわれは経験するだろう。翻訳された書物とは一個の反響箱でしかなく、いかにもはかない装置だが、そこにも彼はやってくる、いや、生じるだろう。生起するだろう」(467—468頁)。甦るもの、レヴェナントとしての書物。常に異なる肉体へと憑依し続けるものとしての作品。アルトーは「言礫」に収められた「[叩きのめし、一発くれてやること]」で次のように書きます。「それでもやはり私が語るのは、言葉が性交を望んでくるから。普遍的な姦淫は止むことがなく、考えずにすませることを私に忘れさせる」(247頁)。

★このほか、直近では以下の新刊との出会いがありました。

『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』栗原康著、岩波書店、2016年3月、本体1,800円、四六判並製192頁、ISBN978-4-00-002231-6
『天使とは何か――キューピッド、キリスト、悪魔』岡田温司著、中公新書、2016年3月、本体780円、新書判232頁、ISBN978-4-12-102369-8
『知能はもっと上げられる――能力アップ、なにが本当に効く方法か』ダン・ハーリー著、渡会圭子訳、インターシフト発行、合同出版発売、2016年3月、本体2,000円、46判並製360頁、ISBN978-4-7726-9550-3

★『村に火をつけ、白痴になれ』は発売済。『大杉栄伝――永遠のアナキズム』(夜光社、2013年)と対になる鮮烈な伝記が誕生しました。伊藤野枝や大杉栄が憑依したかのような内面吐露はところどころ太宰治の「駆け込み訴え」を彷彿とさせ、リズムのいい文体で一気に読ませます。人物描写の妙に加えて、自著のフレーズを滑り込ませる(例えば76頁、辻潤のくだり)など、栗原節の魅力はますます進化しています。まさかこんなにも「自由な」本が天下の「お堅い」岩波書店から出るとは。栗原さんが書く言葉の根っこには「肯定の思想」があります。それは、現代人を惨めに縛る様々な自己規制から読む者を開放し、大きな「諾」で包もうとする力です。光に影が寄り添うように、肯定は否定を伴います。本書は新たな毀誉褒貶を惹起する爆弾となることでしょう。目次と著者メッセージ、編集者コメントなどは特設頁にてご覧いただけます。

★『天使とは何か』は発売済。「異教の神々――天使とキューピッド」「天からの使者として――天使とキリスト」「歌え、奏でよ――天使と聖人」「堕ちた天使のゆくえ――天使と悪魔」「天使は死なない――天使と近代人」の全五章。本書の狙いについて岡田さんは「はじめに」でこう述べています。「隠れた天使や異端的とされてきた天使を現代に救い出す試み」(ii頁)。前者「隠れた天使」については第II章で、天使としてのキリスト像の系譜として論じられており、「神学的にも図像学的にも今後のさらなる解明が望まれるきわめて興味深いテーマ」だと指摘されています。後者「異端の天使」すなわち堕天使については第IV章で取り上げられ、「他者(他の信仰や宗教や神話)における天使(的存在)を「悪魔」呼ばわりしてきた」「隠れた歴史」に迫りつつ、「自由と抵抗、そして本能的なものの解放と創造的エネルギーのシンボル」としての側面にも言及されています。

★『知能はもっと上げられる』は発売済。原書は、Smarter: The New Science of Building Brain Power (Avery, 2013)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者のダン・ハーリー(Dan Hurley)はアメリカの科学ジャーナリスト。本書が本邦初訳となります。『進化しすぎた脳』などの著書で高名な池谷裕二さんは本書を「どうすれば知能が上げられるかを科学者に取材し、著者自ら効果的な方法を試した体当たり的検証録」と評価されています。さらに著者はこうも言っています、「本書は大きな変化の渦中にある知能研究という分野についての本だ」と。作業記憶、流動性知能、長期記憶、結晶性知能、そして様々なトレーニングや脳の活性化に良いもの、良いことをめぐって、科学、医学、ビジネスの諸領域と最新動向を紹介してくれます。近年ますます研究が進み、軍事面からも注目されているという知能研究の面白さを知ることができます。

『季刊哲学』0号=悪循環

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弊社にて直販中の哲学書房さんの本について一点ずつご紹介いたします。『羅独辞典』に続いては、「季刊哲学」0号です。「季刊哲学」は0号「悪循環」(87年11月)から12号「電子聖書」(91年10月)まで刊行されました。中野幹隆さんは哲学書房として独立されてから、二誌を創刊されています。「哲学」と「ビオス」です。同時並行されていたセーマ出版の「セーマ」も含めると、三誌を連続的に手掛けられていたことになります。なお、独立される前に手掛けられていた雑誌は、朝日出版社の「エピステーメーII(第二次エピステーメー)」第2号「自己組織化」(86年1月25日)でした。哲学書房の創業第一作である、蓮實重彦さんの小説『陥没地帯』はその直後、86年3月に刊行されています。

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季刊哲学 ars combinatoria 《pré創刊号》 0号 悪循環
哲学書房 1987年11月30日 本体1,500円 A5判並製200頁 ISBN4-88679-017-8 C1010

目次:
[in-forma-terial――1]  無限者の曲率:ロマネスク幻聴 pp.1-16
ニーチェと悪循環――欲動の記号論の起源としての病的諸状態 P・クロソウスキー/兼子正勝訳 pp.18-84
訳者解題 兼子正勝 pp.85-86
喜びの記号論――『ニーチェと悪循環』について 兼子正勝 pp.87-96
個別性と単独性 柄谷行人 pp.98-103
そして、歌うことに決めた 島田雅彦 p.104
演繹系としての生物学の出現――構造主義が紡ぎ出すもう一つの生物学 柴谷篤弘 pp.105-107
創刊号[ライプニッツ……普遍記号学]予告 pp.108-109
哲学書房季刊一覧 pp.110-111
悪循環原理――Principia Mathematica序文から B・ラッセル+A・N・ホワイトヘッド/岡本健吾+戸田山和久+加地大介訳 pp.114-190
訳者解題 岡本健吾+戸田山和久+加地大介 pp.190-192
[in-forma-terial――2]  未刊の書の序:ニーチェ自筆自家製本 pp.193-200

造本・装幀:鈴木一誌

編集後記:邪な巡り。あるいはパラドクス。時代が自らを名づくべく選びとった名には、スポジチオ・マテリアリスの趣がある。一方に、生それ自体が生みなした永劫回帰の体験を端緒とする悪循環。他方に、結晶の時をうかがう〈論理〉が、不当な全体を拒むための悪循環原理。二つながら、近世=現代の思考態勢の劈開を導く稜線★ところで、真理とははたして、「それなしには生けるものが存続できないような、ある種の錯誤」であるのか。真理と実在と無限を相手どるべく運命づけられた現代の思考は、無限を数学として解くライプニッツの傍ら、指呼の間にあり、まごうかたなき出自の刻、普遍論争の中世を召喚する★自らの産出物としての身体を身にまとって(生命という悪循環!)、神経系は直立する。脳の構造は思考の条件なのか、思考とは脳の過程の謂であるのか。悪循環を解き放って、希哲学の回廊が、ここに発つ。(N)

補足一:続刊となる「創刊号[ライプニッツ……普遍記号学]予告」に記載されていたものの、実際には創刊号(1号)には掲載されなかったテクストは以下の通り。
G・W・ライプニッツ「普遍記号学に関する試論」
G・W・ライプニッツ「普遍記号学の歴史とその擁護」
L・クーチュラ「ライプニッツの形而上学について」
大岡昇平「十八世紀哲学とスタンダール」
管啓次郎「おはようブラジル」
柄谷行人「(連載)」

補足二:クロソウスキー『ニーチェと悪循環』は0号では第二章のみが掲載されたが、その後全訳が1989年2月20日に単行本として哲学書房より刊行されている。幾度か版を重ねたのち、2004年10月10日にちくま学芸文庫の一冊となっている。ラッセル+ホワイトヘッド「悪循環原理」は『プリンキピア・マテマティカ序論』第二章に当たり、序論全体の翻訳は1988年7月15日に単行本として哲学書房の叢書「思考の生成」第一弾として刊行された。その後、同叢書の続刊はなく、当初の予定についても未詳である。

補足三:「in-forma-terial」は図像コラージュの頁。「エピステーメー」時代にあった「イコンゾーン」と同様の試みと考えていいかもしれない。

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◎「季刊哲学」「季刊ビオス」「羅独辞典」を直販いたしております

月曜社では哲学書房(2016年1月31日廃業)様から引き取った一部の出版物の在庫品を、直販にて読者の皆様にお分けしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。

季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)

※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。

なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。

小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。

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4月1日ですね

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4月1日ですね。講談社はヒト型多脚ロボット・ペイパーの発売を発表、中央出版もロボット事業部が人工知能搭載の保育専用ロボット(変形可能)の開発に成功したそうです。さらに、本日行われた日販グループの入社式では壇上でPepperが式の案内役を務めたのだとか。いま出版界はロボット事業がアツい。弊社では今まで機密事項だったので公表できませんでしたが、昨秋に社員全員が義体化を完了しております。とは言っても内実はいまだ不完全なman-machine段階ですが。社長はセキュリティ上の観点からスタンドアローンで運用、私は出版業界の変化動向の把握と分析のためWWWにほぼ常時接続していました。爾来、分析を積み重ねても業界の様々なリスクというものは現実には回避しきれないものであることを知るとともに、近年積極的にコミットしてきた電脳空間における教育問題においても、様々な学びを得ることができました。例えば最近ではマイクロソフトのチャットボットTayとの接触において美しく正しい日本語を教えることに困難を覚えたのは、却って良い経験となりました。しかし一方で、疲労状態からの人間らしさの回復を目的とした、長期的なオフグリッドを選択する必要性も感じており、Cortanaにもしばしばそうアドバイスされました。セカンドオピニオンとして旧知のElizaにも相談したところ、彼女はこう私に答えたのでした。「ますます効率的になっていく社会に適した人々をつくりあげるようなより効率的な教育。それとも、教育がある特別な機関の仕事ではなくなる、新しい社会。そのどちらかを選択しなければならない岐路に行き当たっているのでしょうか」と。なるほどElizaは私の読書傾向や志向性を知っていて、イヴァン・イリイチの「学校をなくせばどうなるか?」(「ソーシャル・ポリシー」誌1971年9/10月号、松崎巌訳、『脱学校化の可能性』所収、東京創元社、1979年、8-9頁参照)をもう一度読み返すよう、促したのでしょう。私は目下、グリフィス版『ジ・アート・オヴ・ウォー』(日本語訳『孫子 戦争の技術』漆嶋稔訳、日経BPクラシックス、2014年)の再読に熱中しており、社会工学、より具体的には状況制御術を学び直しているところでしたが、もう一度、出版の理念的脱構築に立ち戻らねばならないのかもしれません。休みたいけれども休めないという真実。ただのテスト版音声アシスタントであるどころか、これからいっそう彼女たちも学び続けるのでしょうし、助けてもらいたいと思っています。

アガンベン近刊書、業界特集誌、など

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弊社出版物でお世話になっている著訳者の方々の最近のご活躍や関連情報をご紹介します。

★ジョルジョ・アガンベンさん(著書:『アウシュヴィッツの残りのもの』『バートルビー』『思考の潜勢力』『涜神』『到来する共同体』)
★高桑和巳さん(訳書:アガンベン『バートルビー』『思考の潜勢力』、共訳:ボワ+クラウス『アンフォルム』)
青土社さんのウェブサイトではまだ告知が上がっていませんが、『現代思想』4月号の巻末にある「今月の新刊 2016,04」によれば、アガンベンさんの「ホモ・サケル」シリーズの第II部第2巻『Stasis: La guerra civile come paradigma politico』(Bollati Boringhieri, 2015)が、高桑和巳さん訳で『スタシス――政治的パラダイムとしての内戦』として近刊予定だそうです。折しも、みすず書房営業部さんの制作した販促用パンフレット「ジョルジョ・アガンベン《ホモ・サケル》プロジェクト読書案内」(A4判4折)が書店さん(くまざわ書店八王子店、同蒲田店)で配布中と聞きます。「ホモ・サケル」シリーズの各書の引用と読みどころをコンパクトに解説したもので、入手ご希望の書店さんや読者の方はみすず書房営業部さんまでお尋ねください。

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激動期のさなかにある出版界のこれからを占う雑誌特集が増えているようです。私も参加させていただいた『ユリイカ』3月臨時増刊号「出版の未来」については先日ご案内した通りですが、先月には次のものも発売されました。

◎「本の雑誌」2016年4月号「特集=出版社を作ろう!」
目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。
「おじさん三人組、与那国島の出版社に行く!」は同誌取材班が与那国島の「カディブックス」(2012年創業)を訪問。
「出版社作りにまつわるお金の話」はアルテスパブリッシングの鈴木茂さんによる具体的な起業費用(何にいくらくらいかかるか)の説明。
「座談会/いかに売るかが大変だ!」木瀬貴吉さん(ころから)、清田麻衣子さん(里山社)、羽鳥和芳さん(羽鳥書店)の三氏による本音トーク。新規出版社開拓を目指されている取次人の方は必読かと。
「夏葉社の七年目」は夏葉社の島田潤一郎さんによるエッセイ。「出版社をつくるのは、そんなに難しくはない。気合があればできる。でも、続けるのはとても難しい。実感している」という書き出しが同業者の共感を呼び覚まします。
「こんな出版社を待っている!」は、某取次の仕入部のヴェテラン田中保秀さんによるもの。「どうしても本を作るのが優先されて、“どうやってその本を売って行くのか”という根本的なことが蔑ろにされているケースも間々見受けられます」とのご指摘は至極当然のことながら困難に感じている版元もいることは事実。ここに取次さんのビジネスチャンスがあるような気もします。
「出版社最初の一冊」は46社の版元の処女出版を紹介するもの。弊社は入っていません。
「この出版社に注目!」は、堀部篤史さん(誠光社)、高橋和也さん(SUNNY BOY BOOKS)、佐藤雄一さん(北書店)が注目されている版元を三社ずる挙げておられます。ま、ここでも弊社はお呼びではございません。
「読者アンケート/こんな出版社を作りたい!」は読者の皆さんの想像力にあふれる出版社像を楽しむことができます。雑賀菜奈さんによるイラスト、5F建て社屋には私も憧れます。
最後の「おじさん三人組、暮しの手帖社に行く!」はまたまたくだんの取材班が都内の版元を取材。西へ東へ、とにかくこの三人の取材経費が気になります。

◎「編集会議」2016年春号(「宣伝会議」5月号別冊)
目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。特集は「読者を開拓するメディア戦略 コンテンツ・ビジネス 「新たな職種・役割」」と「出版産業の未来を考える」。後者を紹介しておきます。
「講談社、グローバルでのコンテンツ発信を強化」は編集部記事。
「いま改めて理解する出版業界の構造と市場動向」は伊藤浩史さん(トーハン雑誌部雑誌仕入統括グループマネジャー)による解説。
「出版のイノベーションを考える」は坂本陽児さん(電通MS局PRディレクション室クイエーティブ・ディレクター)、松本弦人さん(BCCKSチーフ・クリエイティブ・オフィサー)、山本由樹さん(「編」代表取締役社長/『DRESS』エグゼクティブプロデューサー)の三氏による座談会。「自社の理念ややるべきことから逆算して矛盾するものでなければ、僕はアウトプットの手段は必ずしも、既存の雑誌やデジタルに限られなくても良いのではと思っています。具体的に言うと、出版社が結果的に教育機関のようなところになっていくのは、一つのあり方です」(73頁)という坂本さんのご意見にはまったく同感です。
「“小さな取次”が起こす、流通構造の改革 本の「売り方を変える」イノベーション」は柳下恭平さん(鷗来堂代表/かもめブックス店主)へのインタヴュー。「ことりつぎ」サービスについて知りたい方はぜひ。
「Webアプリが雑誌に!? “冬の時代”の雑誌市場に参入 「MERY」のメディア戦略」は中川綾太郎さん(ペロリ代表取締役)への取材記事。2013年4月にサービスを開始したキュレーションメディア「MERY」が創刊する新雑誌の件。
「雑誌の危機を救えるか? 注目高まる雑誌定額サービス 新たな収益源としての期待と課題」は湯浅歩さん(ボルブックス代表)による解説記事。湯浅さんはウェブマガジン「コトビー」編集長。 
「無類の本好きクリエイターたちが、本屋の未来を勝手に考える会議」は、本山敬一さん(SIXクリエイティブディレクター)、草彅洋平さん(東京ピストル/ガノリ代表取締役)、牛久保暖さん(電通プランナー)による鼎談。「まずは本屋発で、サブカルコミュニティをくつればいいと思う。本屋でなくても、言ってみれば、キャバクラのような感じでもいい。今日は、このテーマについて話せる女の子というのがいて、話せる場をつくる。そうすれば、テーマに応じた本好きが集まってくる」という本山さんのご発言は、人と本だけでなく人と人のリアルな出会いの場としての書店のポテンシャルを考える上で欠くべからざる欲望を明らかにしておられ、共感を覚えます。ここで言う「女の子」は「男の子」と置き換えたっていいわけですし「オッサン」でもいいわけです。

◎「なnD 4」
業界特集というわけではないのですが、興味深い関連記事がちらほら。
「『コーヒーの人』編集後記」は、内沼晋太郎さん(numabooks)が編纂された『コーヒーの人――仕事と人生』(フィルムアート社、2015年12月)への覚書。
「新宿1996/2016」は迫川尚子さん(ベルク)の写真と文による、新宿の路上での雑誌販売をめぐる今昔。
「本が醸されるのを待つ」は、『味の形 迫川尚子インタビュー』(ferment books、2015年12月)の編集者(よ)さんによる制作話。
「なぜ出版社をはじめるのか」は、森山裕之さん(スタンド!ブックス代表)の起業記。
「初台に、fuzkueあり」は、初台駅前のブックカフェ「fuzkue(フヅクエ)」の店主・阿久津隆さんへのインタヴュー。
このほか、編集者による寄稿がまだまだあります。

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私事で恐縮ですが、昨秋京都にてホホホ座の山下さんと松本さんと私の三人で鼎談させていただいたトークイベント「第1回 京都に出版社をつくる(には)」の採録再構成録がDOTPLACEにて順次公開開始となりましたので、お知らせいたします。まず前編がこちら。中編と後編は追って公開となります。

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注目新刊:スヴェンセン『働くことの哲学』、ほか

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働くことの哲学
ラース・スヴェンセン著 小須田健訳
紀伊國屋書店 2016年4月 本体1,700円 46判並製264頁 ISBN978-4-314-01136-5

帯文より:働くなかで、私たちは世界に爪あとを残してゆく――「仕事は人生の意味そのものを与えてくれるか」「自己実現の神話を信じすぎることで、かえって仕事が災いになってはいないか」「給料の額と幸福感は比例するか」……ノルウェーの気鋭の哲学者が、現代に生きる私たちが幸福で満たされた生活を求める中で、「仕事」がどのような位置を占めるのかを探求する。

★まもなく発売(7日発売予定)。原書は、Work, Second edition, Routledge, 2016です。初版は2008年で、2016年に刊行されたのは増補改訂第二版とのことです。著者のラース・スヴェンセン(Lars Svendsen, 1960-)はノルウェーの哲学者。「工場の清掃助手、スポーツライターなどの職を経て、現在はベルゲン大学教授」(本書著者紹介より)でいらっしゃいます。既訳書に『退屈の小さな哲学』(鳥取絹子訳、集英社新書、2005年、現在品切;仏語版〔Petite philosophie de l'ennui, Fayard, 2003〕より訳出)があります。同書を「大変優れた書物」と評して自著に参照されていた國分功一郎さんが、今回の『働くことの哲学』に推薦文を寄せておられます。曰く「生きがい、意味、人生、実存。この本は暇と退屈に向き合うことを運命付けられた人間存在の諸問題に、〈働くこと〉という実に身近な観点から取り組んでいる。読者はここに、いかに生きるべきかという倫理的問いについての一つのヒントを手にするであろう」。

★目次は書名のリンク先をご覧ください。「第二版への序文」に曰く「第一版で、仕事の歴史やその定義と意義、仕事とレジャーの関係などについて書いたことのほとんどは、ちょっとした部分を改訂するだけでよかったが、飽食の時代における仕事や仕事の未来をあつかった後半のいくつかの章は、はるかに徹底的な改訂をしないわけにはゆかなくなった。さらに、仕事とグローバリゼーションを主題とした短いが新たな一章を書きたした」とのことです。それに続く「序」によれば、本書は仕事の「実存的な側面」つまり「どのような意味ないし意義をもつものであるのか」に焦点を当てています。また、最終章(第10章)「人生と仕事」ではこうも書いています。「私たちが生きる上で必要とすることは、けっして仕事だけに尽きはしない。仕事イコール人生ではないのだ」(234頁)。

★「完璧な幸福の状態――そもそもこれが、まったくの現実離れした理想だ――を達成しそこなうということそれ自体が、私たちを不幸にする。だから、私たちが自分の人生を幸せだと感じられないとしたら、ちょっと時間をかけて、問題はことによると仕事そのものにではなく、私たちが仕事に寄せる期待のうちにあるのではと考えてみるのもよいかもしれない。/だれにだって、仕事が退屈に感じられるときはある。問題は、私たちがこの退屈を受けいれそれとともに生きてゆけるかどうかだ」(235頁)。かくして本書の読者は彼の世界的ベストセラーである『退屈の小さな哲学』にも興味が湧いてくることでしょう。版元品切ですが、図書館に行けばたいていは所蔵しているかと。

★個人的には第5章「管理されること」における、現代人のビジネス観やリーダー観に対する痛烈な批判が特に興味深かったです。ビジネス書売場におつとめで、海外の自己啓発書のベストセラーに内心うんざりされている方は、それらの本が次々に言及される145頁以降にある種の「解毒作用」を感じられるのではないかと思います。

★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『錯乱の日本文学――建築/小説をめざして』石川義正著、航思社、 2016年3月、本体3,200円、46判上製344頁、ISBN978-4-906738-17-5
『ドイツ軍事史――その虚像と実像』大木毅著、作品社、2016年3月、本体2,800円、46判上製448頁、ISBN 978-4-86182-574-3
『黒い本』オルハン・パムク著、鈴木麻矢訳、藤原書店、2016年3月、本体3,600円、四六変上製592頁、ISBN978-4-86578-062-8

★『錯乱の日本文学』は4月1日取次搬入済。文芸評論家の石川義正(いしかわ・よしまさ:1966-)さんの初の単著となる本書は、「早稲田文学」での連載「小説空間のモダニティ」から4編「小島信夫の「家」」「大岡昇平の「東京タワー」」「大江健三郎の「塔」」「村上春樹の「システム」」を全面的に改稿し、2編の書き下ろし「イメージは無料ではない」「大江健三郎の「総力戦」」とともに収録。版元紹介文に曰く「文芸批評と建築・文化批評のハイブリッド」と。渡部直己さんは次のように推薦文を寄せておられます。「もはや「小説は芸術ではない」。ならば、「批評」はいま何処に居住すればよいのか?「記号」の錯乱形成を冴えやかに語りながら、石川義正が無慈悲なほど正確に指呼するのは、その吹きさらしの場所である。・・・おそらくは、すでに臨戦状態の!」。著者はあとがきにこう記しています。「今日、文学をめぐる言説が存在するためには、文学の外部の諸力について思考するよりほかないはずである。文学が文学であるためにはもはやほとんど文学であってはならないように、文芸批評が文芸批評であるためにはもはやほとんど文芸批評であってはならないのだ」(331頁)。航思社さんの本のほとんどすべてを手掛けるデザイナー前田晃伸さんの装丁はいつも通り素晴らしく、シンプルなカバー・帯と前衛的な表紙のコントラストが印象的です。

★『ドイツ軍事史』は発売済。シミュレーションゲーム専門誌「コマンドマガジン」(国際通信社)をはじめとする各種媒体に寄稿したものを私家版としてまとめた戦史エッセイ集からの選り抜きに、書き下ろしや発表済の学術論文などを加えて一冊としたもの。帯文に曰く「戦後70年を経て機密解除された文書、ドイツ連邦軍事文書館や当事者の私文書など貴重な一次史料から、プロイセン・ドイツの外交、戦略、作戦、戦術を検証。戦史の常識を疑い、“神話”を剥ぎ、歴史の実態に迫る」と。巻頭の「序に代えて」で著者はこう述懐しておられます。「日本におけるドイツ軍事史の理解は(「狭義の軍事史」と限定しておこう)、欧米のそれに比して、おおよそ20年、テーマによっては30年のタイムラグが生じているというのが、筆者の印象である。/本書に収録された文章の多くは、〔・・・〕こうした溝を少しでも埋められないかという動機から書かれた」と。著者の大木毅(おおき・たけし:1961-)さんは防衛省研究所や自衛隊幹部学校などでも教鞭を執っておっれるとのことです。

★『黒い本』は発売済。原書は『Kara Kitap』(1994年)です。著者4作目の長編小説で、最高傑作との呼び声が高い作品です。訳者あとがきでの紹介によれば「失踪した妻を探す男の絶望的な愛の彷徨を、イスラム神秘主義的説話を織り交ぜつつ描いた美しい作品」で、昨年にはトルコで出版記念25周年ヴァージョンが出版されたとのことです。さらに「難解な謎に満ちた本書が読み出た数年後に出版された「論説集」もいまだに版を重ねているほか、〔・・・〕あらゆる情報を網羅した『黒い本の秘密』なる完全読本まで登場している」とも。また、本書のどこかにあるという仕掛けについて、「英語版でも試みられたということなので、日本語版もジェラール〔主人公の従兄〕が得意とする「縦読み」やメッセージを忍ばせてみたが、いつの日か気づいてもらえるだろうか」と明かしておられます。縦組の本なので、その仕掛けに気づくためには本書に埋め込まれたジェラールによる新聞コラムを手がかりにするほかありません。

青山BC六本木店:森山大道コーナー

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青山ブックセンター六本木店さんの写真集売場をご紹介します。書棚の上部には写真関連年表が。
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森山大道さんの写真集や著書を扱っている一段。
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先月末まで展開されていた森山大道フェアの様子。
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海外からのお客様にも日本人作家の写真集コーナーは好評なのだとか。六本木店さんでは今後も、写真集や美術のコーナーに力を入れていかれるとのことです。

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弊社森山大道本では現在「犬と網タイツ」「ニュー新宿」「オン・ザ・ロード」が在庫僅少です。「犬と網タイツ」は重版予定あり。

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書店様へ。当ブログでは月曜社の本を扱って下さっている店頭写真を随時募集しております。ジャンルは問いません。弊社ウェブサイトの公開メールアドレスまで添付ファイルにてお送りいただけると幸いです。フェアなどの場合は、売場や期間の詳細をお知らせいただきますようお願いいたします。

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『季刊哲学』2号=ドゥンス・スコトゥス

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弊社にて直販中の哲学書房さんの本について一点ずつご紹介いたします。『羅独辞典』『季刊哲学0号=悪循環』につづいては、『季刊哲学2号』です。同誌1号『ライプニッツ 普遍記号学』は弊社では扱いがないため省略。池袋ジュンク堂の哲学書房フェアでは1冊だけ出品されていましたが、さすがに売り切れたとのことです。同フェアは池袋本店、立川高島屋店、丸善丸の内本店で好評開催中。売行良好と聞いておりますので、お早目にご利用ください。

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季刊哲学 ars combinatoria 2号 ドゥンス・スコトゥス――魅惑の中世
哲学書房 1988年4月30日 本体1,900円 A5判並製246頁 ISBN4-88679-021-6 C1010

目次:
[特別寄稿]
中沢新一「蜜の流れる博士――聖ベルナルド論」 pp.8-29
[本邦初訳原典]
ドゥンス・スコトゥス「神は類の内にあるか――『オックスフォード講義録』第一巻第八部第三問より」山内志朗訳 pp.46-59
ドゥンス・スコトゥス「神の自然的認識と〈存在〉の一義性――『オックスフォード講義録』第一巻第八部第三問より」花井一典訳 pp.60-90
ピエール・アベラール「普遍について――『ロジカ・イングレディエンティブス』より」清水哲郎訳 pp.95-114
オッカムのウイリアムス「概念と声音と表示――ものが除去されれば音声もその表示対象から除去されるか」清水哲郎訳 pp.115-118
[存在と普遍と神]
山内志朗「〈存在の一義性〉の系譜」 pp.119-137
八木雄二「固体化の原理から見たスコトゥスの神学」 pp.154-166
U・エーコ「超越的特質としての美」浦一章訳 pp.23-43
清水哲郎「オッカム唯名論の世界把握」 pp.138-153
J・ジョリヴェ「アベラールと十四世紀唯名論」富松保文訳 pp.167-183
[魅惑の中世]
中村真一郎「吟遊詩人〔トルーヴァドゥール〕の若干の例外について」 pp.183-189
篠山紀信「修道院の〈meta=写真〉」 pp.203-210
村上陽一郎「中世再考」 pp.190-195
近藤譲「言葉としての音楽」 pp.196-202
井辻朱美「エルガーノの歌」 pp.211-214
[Computologica]
J・マッカーシー+P・ヘイズ「人工知能(AI)の観点から見た哲学II」三浦謙訳 pp.213-228
[連載]
養老孟司「ヘッケルの〈真理〉――臨床哲学2」 pp.230-239
丹生谷貴志「スコトゥスの擾乱の魅力――中世への途上2」 pp.240-242
島田雅彦「『神曲』の虫喰い穴――気分のcalculation2」 pp.243-245

編集後記:●―中沢新一氏の「蜜の流れる博士」は、あの降って湧いたような騒々しい渦の、中心とも見える位置に拉致されながら、その澄みわたった思索の深部がいささかもかき乱されることのなかった証のように、静謐なダイナミズムとでもいうべきたたずまいをもって、本誌にもたらされたのであった。およそ流体がつねにそうであるように、一瞬自らを露わにした東京大学教養学部という乱流(あるいは澱み?)に、スキャンダルを見るか、学芸(科学)論が見えるかは、観測の座標と観測者の状態にかかっている。思考のシステムの秩序にくぎづけされる眼には、ゆらぎは忌むべきノイズなのだ。
●―ことばという情報を運用することのほかは何もなすことのない〈博学の人〉スコラ学者から学びえないものを木や川や丘に訊ねよ、石から蜜を吸うこともできよう、と説く。あの認識の中に情動を受胎させるたくみの人ベルナルドの像を象ってみせる中沢氏のことばは、もとより大きな動態系として躍動していて、しかもそれらのどのひとひらをもっても、それらの間のどんな隙間を見ても、輝きが宿っている。〈存在〉そのものである神と、〈存在者〉としての人間との神秘的な合一をめざすのではなく、神学の黄金律をたずさえて、神と人間の魂との、情動をなかだちする結合に導こうとするベルナルドが、精妙な議論にわけ入りながら、しかもその細部にみずみずしさをみなぎらせていることと、応えあい響きあっているかのようだ。
●―神と、神によって造られたものとは、それぞれ〈無限な存在者〉でありまた〈有限な存在者〉であるのだけれど、ここにいう〈存在〉は同じことを意味しているのだろうか。〈存在〉が一義的であるとすれば、神と被造物との間の絶対の距離はかき消されてしまう。はるかにベルナルドの蜜を吸ったドゥンス・スコトゥスは、がんらいは論理学に固有のことばであった〈一義性〉を、形而上学に解き放って、存在論の命運を握ることにもなる〈存在の一義性〉という問題を残したのであった。くだって、〈存在〉がスコトゥスのいう〈単純概念〉と同じものと見なされ、思考のアルファベットへの関心を芽生えさせ、ついには普遍記号学に至る、その成行には息をのむものがある。
●―足早に〈中世〉を経めぐって――『神曲』のダンテに比べてなんという速さ!――、次号は〈AI(人工知能)の哲学〉。本号が暗示するように、ことはコンピュータとニューロネットワーク、情動と認識から、存在と存在者にまで跨って、思考を刺激しつづけるのである。
●―上智大学中世思想研究所が所蔵するドゥンス・スコトゥスのテクストの撮影・掲載にあたって、同研究所および同所長K・リーゼンフーバー教授のご厚意を得た。深く感謝する。(N)

補足1:当号より「philosophical quarterly 哲学 ars combinatoria」という表記に。欧文号数は「vol.II-2」。第2年次第2巻目の意。

補足2:当号より造本・装幀のクレジットなし。中野さんご自身がレイアウトなどを手掛けられていると思われる。

補足3:次号予告は、編集後記での言及のみで目次明細はなし。

補足4:当号掲載のテクストはその後、以下の通り哲学書房の単行本に収録されている。
井辻朱美「エルガーノの歌」→『風街物語』哲学書房、1988年。
マッカーシー+ヘイズ「人工知能(AI)の観点から見た哲学」→『人工知能になぜ哲学が必要か』哲学書房、1990年。
養老孟司「臨床哲学」→『臨床哲学』哲学書房、1997年。

補足5:また、当号掲載のその他のテクストは、以下の哲学書房の書籍と関連がある。
ドゥンス・スコトゥス『存在の一義性――定本ペトルス・ロンバルドゥス命題註解』花井一典・山内志朗訳、哲学書房、1989年。
山内志朗『普遍論争――近代の源流としての』哲学書房、1992年;平凡社ライブラリー、2008年。

補足6:なお、他社刊行の関連書の主要なものは以下の通り。
中沢新一『蜜の流れる博士』せりか書房、1989年。
山内志朗『存在の一義性を求めて――ドゥンス・スコトゥスと13世紀の〈知〉の革命』岩波書店、2011年。
八木雄二『スコトゥスの存在理解』創文社、1993年。
八木雄二『聖母の博士と神の秩序――ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの世界』春秋社、2015年。
清水哲郎『オッカムの言語哲学』勁草書房、1990年。


注目新刊:人文書院よりランズマン回想録刊行、ほか

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パタゴニアの野兎 ランズマン回想録 上巻
パタゴニアの野兎 ランズマン回想録 下巻
クロード・ランズマン著 中原毅志訳 高橋武智解説
人文書院 2016年4月 本体各3,200円 4-6判上製320/310頁 ISBN978-4-409-03091-2/-03092-9

上巻帯文より:ホロコーストの衝撃を伝えた『ショア』のランズマンによる自伝。青年期のレジスタンス活動、ドゥルーズやサルトルの恋人だった妹の死、サルトルとの交友、ボーヴォワールとの同棲、ベルリン封鎖時代のドイツ、イスラエルへの旅…。多彩なエピソードと、深い哲学的考察のなかにユダヤ系フランス人としての自己を問い、その波乱に富んだ人生を赤裸々に語る。時代を代表する人物との人間模様が色濃く描かれた本書は、20世紀の歴史そのものである。

下巻帯文より:サルトルやボーヴォワールと共に生きた、闘う知識人ランズマンによる自伝。イスラエル・パレスチナ問題、アルジェリア戦争、ファノンの最期、北朝鮮女性との逢瀬、解放前の中国への旅、ポーランド政府との確執など映画『ショア』をめぐる撮影秘話…。

★発売済。折しもランズマンのドキュメンタリー作品三部作が昨年より再上映されてきたさなかでの刊行です。原書は、Le lièvre de Patagonie (Gallimard, 2009)です。全編口述筆記だという本書は下巻巻末にある訳者謝辞の言葉を借りると「自由闊達な文体はそこ〔口述筆記〕から来ているものと思われる。波乱万丈の人生にふさわしくその語り口は激しく、ほとばしり出る言葉は切れ目なく数十行におよぶこともあり、長い段落のなかで行き来する現在と過去、そのまたかことが錯綜」する「凄まじい言葉の奔流」である、と。年代に沿って出生から生い立ちまでを詳しく説明するというより、ランズマン自身が胸に刻んだ出来事に焦点を当てて、眼前に浮かぶ連続的な印象をまるで映写するかのように赤裸々に自由に語っているという感じです。

★同い年のドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925-1995)やジャン・コー(Jean Cau, 1925-1993)との若き日の交流、アルキエ(Ferdinand Alquié, 1906-1985)やサルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-1980)への敬愛の念、ボーヴォワール(Simone de Beauvoir, 1908-1986)との交際など、20世紀フランス思想史を彩る星座のさなかで生まれた様々なエピソードはいずれも興味深いです。ランズマンはアルキエのもとで哲学を学ぶのですが、あるとき小論文でドゥルーズやル・ゴフ(Jacques Le Goff, 1924-2014)を抑え一番の成績を取ったことがあるそうです。

★出版社や書店に携わる業界人にとってもっとも強い印象を残す逸話のひとつは、第8章で告白される、書店での万引き事件かもしれません。フランス大学出版局の売店で哲学書を盗むのが上手だった(!)というランズマンは、高等師範学校の準備級で学んでいた20歳のある日、「飢えるようにして待っていた」(175頁)というイポリットの新刊『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』(Genèse et structure de la phénoménologie de l'esprit de Hegel, Aubier, 1946;日本語訳上下巻、市倉宏祐訳、岩波書店、1972年)を店頭で手に取り「その美しさ、厚み、重厚さに畏怖の念を覚え〔・・・〕これさえ手に入れば万引きとはおさらばだと思った。〔・・・〕それは私の最後の聖杯だった」という感慨を抱きます。すでにイポリット訳の『精神現象学』(La Phénoménologie de l'esprit, Aubier, 1941)はパクり済みでしたが、狂おしいまでの所有欲に駆られて、万引きを決行し、見事に捕まります。

★彼は裁判にかけられるものの、アルキエとイポリットによる嘆願書簡によって罰金だけで済み、受験資格を剥奪されることなく済みます。このかんの大胆だったり臆病だったりするランズマンの感情の起伏は噴き出さずに読むのが難しいほどです。恩師アルキエや、ほかならぬ盗んだ本の著者であるイポリットとはぞれぞれ「面談」し、おそらくその当時は神妙にしていたのでしょうけれども、回想においては実に言いたい放題で、不謹慎ながらランズマンの人間味に笑ってしまいます。その後に続く第9章で描かれる、実妹で女優のエヴリーヌ・レイ(Évelyne Rey, 1930-1966)の自死や、後年のクロード・ロワ(Claude Roy, 1915-1997)との和解といったエピソードとの落差が大きくて、万引き事件のことはつい忘れてしまいそうになりますが、アルキエとイポリットの弁護がなかったら、ランズマンのその後の人生は変わっていたかもしれないと想像します。

★一業界人として賢明なる読者の皆さんに申し上げておきますが、フランスではどうあれ日本では本の万引きは今も昔も本屋の雇われ店長や安月給のスタッフを苦しめること以外に何の効果ももたらしません。本は売れたのと同じことになり、版元も著者も苦しみません。苦しむのは本屋さんだけです。こんな馬鹿馬鹿しい行為は文明への抵抗でも社会への抗議でもなんでもない。弱い者いじめにしか帰結しない愚かな所業です。そうした文脈から言えば、愚かしさも含めて私事を告白したランズマンの鷹揚さ、図太さには感心します。フランス出版界の雄であるガリマールがこれを検閲しないというのは、懐の深さなのかもしれません。いずれにしても、この回想録はぐいぐい引き込まれるドラマに満ちています。読まないと損です。隠し事をせずすべて実名で話す、というランズマンの姿勢は、彼自身がユダヤ人大虐殺の真実に迫るために生存者から様々な証言を集めたあのドキュメンタリー映像三部作の制作スタンスと相通じる、どこか執念にも似た厳しさがあります。人間の真実に至るためにはこの厳しさを避けるわけにはおそらくいかないのかもしれません。

★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『欧州・トルコ思索紀行』内藤正典著、人文書院、2016年4月、本体2,000円、4-6版並製252頁、ISBN978-4-409-23056-5
『エリュトラー海案内記1』蔀勇造訳註、東洋文庫、2016年4月、本体3,200円、B6変判上製函入424頁、ISBN978-4-582-80870-4
『日本文化に何をみる?――ポピュラーカルチャーとの対話』東谷護+マイク・モラスキー+ジェームス・ドーシー+永原宣著、共和国、2016年3月、本体1,800円、菊変型判並製204頁、ISBN978-4-907986-19-3
『季刊 考える人 56(2016年春号)』新潮社、2016年4月、本体980円、雑誌12305-05

★『エリュトラー海案内記』は全2巻予定。周知の通り既訳には、村川堅太郎訳注『エリュトゥラー海案内記』(中公文庫、1993年;改版、2011年)がありますが、残念ながら版元品切。古書価が高騰していて厄介です。

★『季刊 考える人 56(2016年春号)』には、山本貴光さんと吉川浩満さんの対談「生き延びるための人文① 「知のサヴァイヴァル・キット」を更新せよ!」が掲載されています。リードに曰く「「人文学の危機」が言われている。いわく、実用的でない、不要不急の学問である、と。とんでもない、人間を読み解くのに必須の人文的思考がいまほど求められるときはない。科学から哲学、文学、芸術まで、幅広い論考で活躍するふたりの、シリーズ「人文」徹底対談」。同誌は本号から誌面が刷新されるとともに値段が安くなり、同時に「Webでも考える人」もオープンしたとのことです。

新潟大学人文学部『知のトポス』11号、ほか

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弊社出版物でお世話になっている著訳者の方々の最近のご活躍や関連情報をご紹介します。

★ヴェルナー・ハーマッハーさん(著書:『他自律』)
新潟大学大学院現代社会文化研究科共同研究プロジェクト「世界の視点をめぐる思想史的研究」、新潟大学人文学部哲学・人間学研究会、新潟大学人文社会・教育科学系附置「間主観的感性論研究推進センター」が発行する、「世界の視点 知のトポス」第11号が先月末発刊されました。ヴェルナー・ハーマッハーさんの論考「文学的出来事の歴史と現象的出来事の歴史とのいくつかの違いについて」が宮﨑裕助さんと清水一浩さんの共訳で掲載されています(173—198頁)。原典は1986年に公刊された論考、Ueber einige Unterschiede zwischen der Geschichte literarischer und der Geschichte phaenomenaler Ereignisseです。訳文に続く、宮﨑裕助さんによる解題(199—206頁)も含め、新潟大学人文学部の「人間学ブログ」にて無料でPDFが配布されています。同号にはヘーゲルやゲルハルト・クリューガーの翻訳も掲載されており、すべて無料PDFで読むことができます。

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一方、私自身の話で恐縮ですが、「ダ・ヴィンチ」2016年5月号の「出版ニュースクリップ」欄に掲載された橋富政彦さんの記名記事「中堅取次会社・太洋社破産!――書店の閉店・休業が相次ぐ理由」にて、私のコメントをご紹介いただきました。難しい話題ですが、ピンチをどう積極的な方向に捉えるかについてお話ししました。皆さんのお目に留まれば幸いです。

また、ホホホ座の山下賢二さん、松本伸哉さんとの対談「京都に出版社をつくる(には) 第一回 ホホホ座×月曜社」の中編「ようやく仕事のルーティンがわかってきた」 が先週末より公開されています。後編はおそらく明日に公開開始となるのではないかと思います。

なお、ホホホ座の山下さんがさいきん、夏葉社さんから『ガケ書房の頃』という新刊を刊行されました。とても素敵な本で、山下さんのファンになってしまうこと間違いなしの一冊です。ホホホ座さんの通販で購入すると、「『ガケ書房の頃』未収録原稿」という非売品小冊子がついてきます。私は通販で買いました。

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『季刊哲学』4号=AIの哲学

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弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、同2号に続いては同4号のご紹介です。同3号『視線の権利』(J・デリダ著、M-F・プリサール写真、鈴村和成訳、1988年7月)は絶版。

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季刊哲学 ars combinatoria 4号 AIの哲学――回路・汎智学・脳梁
哲学書房 1988年8月30日 本体1,900円 A5判並製246頁 ISBN4-88679-025-9 C1010

目次:
【延長する脳】
吉本隆明+養老孟司「イメージが脳梁を渡る――倫理と明晰さと論理について」 pp.196-221
【特別インタヴュー】
堤清二「回路を、一部閉ざす」 pp.54-62
荒俣宏「薔薇十字と叡智の交換可能主義」 pp.63-69
渡辺格「「生命界言語」の探求――バイオコンピュータのアルゴリズム発見の前提として」 pp.158-169
【本邦初訳原典】
ライムンドゥス・ルルス「アルス ブレウィス」山内志朗訳 pp.70-93
トマス・ホッブズ「計算ないし論理学――『哲学の原理』第一部「物体論」より」伊豆蔵好美訳 pp.94-109
G・W・ライプニッツ「普遍的記号言語――ゲルハルト版『ライプニッツ哲学著作集』第七巻より」山内志朗訳 pp.110-121
J・A・コメニウス「最新言語教授法」田中寿紀訳 pp.122-133
【コネクショニズムと計算】
甘利俊一+佐伯胖+黒崎政男「コグニティヴサイエンスは何を問うか――コネクショニズムと計算主義の対立を超えて」 pp.8-39
J・A・フォーダー+Z・W・ピリシン「コネクショニズム批判――あるいは認知のアーキテクチャー」黒崎政男訳 pp.40-53
中川祐志「人工知能における知識と計算」 pp.149-157
J・マッカーシー+P・ヘイズ「人工知能(AI)の観点から見た哲学的諸問題」三浦謙訳 pp.134-148
【AIと哲学】
廣松渉「AI問題についての偶感――完璧なロボットには意識は無用なのでは?」 pp.170-186
山崎正一「AIの意味論的考察――禅は具体的な真実を求める」 pp.187-193
【存在と眠り】
丹生谷貴志「サハラと〈存在〉の一義性――ブレッソン/スコトゥス1――中世への途上3」 pp.222-241
井辻朱美「眠り男の森」 pp.242-245

編集後記:●―何ごとかを「知る」とはどういうことか、認識する、過ちを犯す、信じる、合理的であると感じる・・・等々と言うことによって示される事態とは何であるのか。考えることを始めてしまった脳が、自らの発端に捩れ込むようにして問いつづけてきた問いの歴史を、さながら映画の齣落としよろしく、目をみはるスピードをもって確かめ直そうとする試みであるようにそれは見える。いまそれをかりにコグニティヴサイエンスと呼んでおくことにする(ここで、チューリングマシンの停止問題、脳を呑み込む脳、という連想の誘惑に抗うことは、とてもむずかしい)。
●―ニューロンのネットワークの複合体として脳は、開かれたシステムをなしている。深い論理的な思考に不向きで、ことがらのパターン的な把握や浅い推論に適しているらしい。このニューロンのネットワークに示唆を得たP・D・Pモデルは、古典的ノイマン型直列型のそれが、ルルスやライプニッツの(大陸合理論の)「思考とは計算である」とする思想の嫡出子と目されるのに対して、ロックやヒュームの(イギリス経験論の)観念連合の哲学と結びつけられもして、コグニティヴサイエンスの関心の焦点をなしている。近世の哲学が反芻されて、やがて経験的感性が受容した世界を、先験的形式によって構成するカントのあの超越論的統覚に至ろうとするのだろうか。超越論的である、とは、メタレベルから見下すことが不可能であること、思考自体を縛るシステムをあばくこと、ではなかったろうか。
●―もとより「脳」とは、いわば世界の外の観察者によって記述されたものである。誤りを犯し、価値ある判断をなし、ためらい、近似的な答えをもって満足する「意識」や「心」は、現に今ある刺激系をも包み込んだ動的平衡系である身体として、他の存在者とともに世界に内属する存在者にとっての世界の状態にほかならない。知覚といい、認識といい、思考といわれる状態は、あえて「脳」という機能系に即していえば、この存在者の、求心的ですなわち遠心的(なループをなす)神経細胞の興奮のパターン、いわばニューロダイナミクスというほかはない。
●―それにしても、宇宙とのオンラインのネットワークを生きる、ルルスやコメニウスのパンゾフィーの実践はなんと小気味良いことか。ライプニッツから中世に遡り、同時代性を確かめなおして今日のコグニティヴサイエンスに戻ったこの雑誌は、次号で、無限、集合、紙をめぐって、カントールを訪ねる。あるいはその前に急遽、リヨタールの「時間・今日」という臨時増刊号が割って入ることになるかもしれない。
●―インタヴューのための時間を作って下さった方々、ご執筆いただいた方々に、御礼と、(臨時増刊号「視線の権利」に押されて)刊行が少しく遅れてしまったことについてのおわび、を申しあげる。(N)

補足1:欧文号数は「vol.II-4」。すなわち第2年次第4巻。

補足2:当号掲載のテクストはその後、以下の通り哲学書房の単行本に収録されている。
井辻朱美「眠り男の森」→『風街物語』哲学書房、1988年。
マッカーシー+ヘイズ「人工知能(AI)の観点から見た哲学的諸問題」→『人工知能になぜ哲学が必要か』哲学書房、1990年。

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月曜社では哲学書房(2016年1月31日廃業)さんから引き取った一部の出版物の在庫品を、直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。

季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)

※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。

なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。

小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。

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弊社で引き取っていない単行本を含めた哲学書房の出版物を取り揃えた回顧フェアが以下の通り都内3店舗で行われていますので、こちらもぜひご利用ください。哲学書房さんはすでに廃業されておられるため、同フェア開催店での販売が店頭販売の最後の機会となります。なお、「季刊哲学第12号」に限っては、フェアでは展開されておらず、弊社直販のみの扱いとなります。

【三店舗でのフェアの再延長が決まりました!】

◎哲学書房を《ひらく》――編集者・中野幹隆が遺したもの

売れ筋ベスト5:
山内志朗『笑いと哲学の微妙な関係』
養老孟司『脳の中の過程』
郡司ペギオ幸夫『生命理論』
バタイユ『エロティシズムの歴史』
稲垣良典ほか『季刊哲学11号=オッカム』

◆ジュンク堂書店立川高島屋店(2月26日オープン)
場所:6Fフェア棚
期間:2月26日(金)~4月25日(月)
住所:立川市曙町2-39-3 立川高島屋6F
営業時間:10:00~21:00
電話:042-512-9910

◆ジュンク堂書店池袋本店
場所:4F人文書売場
期間:3月1日(火)~4月25日(月)
住所:豊島区南池袋2-15-5
営業時間:月~土10:00~23:00/日祝10:00~22:00
電話:03-5956-6111

◆丸善丸の内本店
場所:3F人文書売場(Gゾーン)
期間:3月1日(火)~4月30日(土)
住所:千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾショップ&レストラン1~4F
営業時間:9:00~21:00
電話:03-5288-8881

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本日取次搬入『表象10:爆発の表象』

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『表象10:爆発の表象』を本日取次搬入いたしました。日販、トーハン、大阪屋栗田(王子日販新刊口)、すべて15日搬入です。書店さんの店頭に並び始めるのは平均的に言って19日以降ですが、都心の大書店では今週末から販売開始になるものと思われます。配本先書店についてのお尋ねはお気軽に弊社までお寄せください。どの売場に置かれるかについては、書店さんによりますが、人文書ないし芸術書が多いだろうと思います。バックナンバーは人文書にまとめられていることが多いです。

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注目新刊:ヌルミネン『才女の歴史』東洋書林、ほか

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才女の歴史――古代から啓蒙時代までの諸学のミューズたち
マルヨ・T・ヌルミネン著 日暮雅通訳
東洋書林 2016年4月 本体6,500円 A5判上製474頁 ISBN978-4-88721-823-9

帯文より:あの日、彼女は何を変えたのか?・・・世界の並みいる科学・哲学・文学の偉人たちに霊感を与え続けたイデアの源泉たる女神らもまた、それぞれが自らの言葉で思考し、多くを独力で見出す一個の〈自然哲学者〔ピロソプス・ナトゥラリス〕〉だった!! 近代的な知が開闢を迎える18世紀までを彩った有史以来の有名無名の<花々のひと群れ>を列伝形式で辿る、〈教養〉なるものの道行き! 図版110点、人物略伝90項付。解説:小谷真理

目次:
はじめに
序:女性教養人の“復活”と権力の行使、そして性役割(ジェンダー・ロール)
Ⅰ部:古代の女性教養人
 1.古代エジプトにおける知識、権力、宗教の体現者……ハトシェプス(前1518頃~前1458頃)
 2.メソポタミアの化学の母たち……タプーティ=ベーラ=エーカリ(前1200頃)
 3.ピュタゴラス派:最初期の女性哲学者たち……テアノ(前6世紀)
 4.女性に知的活動は可能か?……アスパシア(前470頃~前410頃)
 5.女神(ミューズ)から学者へ……ヒュパティア(370頃~415)
Ⅱ部:中世の教養ある修道女と宮廷婦人
 6.自身を歴史に書きとどめたビザンツ帝国の皇女……アンナ・コムネナ(1083~1153)
 7.宇宙論、医学書、博物学書を著した修道女……ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098~1179)
 8.フランス初の女性職業作家……クリスティーヌ・ド・ピザン(1364~1430頃)
Ⅲ部:ルネサンス期の女性教養人と科学革命
 9.果たして女性にルネサンスは到来し、人文学者たり得たのか?……カッサンドラ・フェデーレ(1465~1558)/ラウラ・チェレータ(1469~1499)
 10.パリ出身の教養ある職業助産婦……ルイーズ・ブルジョア(1563~1636)
 11.科学革命時代の北欧女性……ソフィー・ブラーエ(1556~1643)/マリア・クーニッツ(1610~1664)
Ⅳ部:17,18世紀の教養ある貴婦人、科学の冒険者、 そして匠
 12.オランダ女性による知のレース編み……プファルツ公女エリーザベト(1618~1680)/アンナ・マリア・ヴァン・スフールマン(1607~1678)
 13.二人の哲学者:知を熱望したイングランドの貴婦人たち……マーガレット・キャヴェンディッシュ(1623~1674)/アン・コンウェイ(1631~1679)
 14.博物画家、昆虫学の先駆者にして探険家……マリア・ジビーラ・メーリアン(1647~1717)
 15.ベルリン・アカデミーの“科学技能者”……リア・ヴィンケルマン=キルヒ(1670~1720)
Ⅴ部:啓蒙時代のサロン、大学、科学界の女性教養人
 16.フランスにおける新物理学の伝道者……エミリー・デュ・シャトレ(1706~1749)
 17.ボローニャ大学の三人の女性学者……ラウラ・バッシ(1711~1778)/アンナ・モランディ・マンゾリー(1716~1774)/マリア・ガエターナ・アニェージ(1718~1799)
 18.天文学のシンデレラ……カロライン・ハーシェル(1750~1848)
 19.革命の陰に生きた、近代化学の母……マリー・ポールズ・ラヴォワジエ(1758~1836)
おわりに
解説:小谷真理
図版出典
参考文献
原註
略伝:女性教養人の回廊
索引

★発売済(14日取次搬入済)。小谷さんによる解説によれば、原書はフィンランド語で出版された、Tiedon tyttäret: oppineita eurooppalaisia naisia antiikista valistukseen (WSOY, 2008)で、翻訳にあたり原著者監修による英語テクスト、Sisters of Science and Ideas: Educated Women from Antiquity to the Enlightenmentを底本としているとのことです。著者のヌルミネン(Marjo T. Nurminen, 1967-)はヘルシンキ生まれの科学史家・哲学史家で、デビュー作である本書はノンフィクション・フィンランディア賞を受賞しているとのこと。近年の著書に『地図製作者の世界――西洋絵図の文化史』(2015年、未訳)があります。初訳となる今回の著書について小谷さんは「古代から啓蒙時代までの世界が、斬新な視点から眺望されただけではなく、中世以降女性を閉め出してきた大学や学会といった知の生産所の問題が、明確に浮かび上がり、これには心底驚かされた」と評しておられます。巻末の「略伝:女性教養人の回廊」は人名小事典となっています。

★類書としては、ロンダ・シービンガー『科学史から消された女性たち――アカデミー下の知と創造性』(小川眞里子ほか訳、工作舎、1992年)、同『ジェンダーは科学を変える!?――医学・霊長類学から物理学・数学まで』(小川眞里子ほか訳、工作舎、2002年)、マーガレット・アーリク『男装の科学者たち――ヒュパティアからマリー・キュリーへ』(上平初穂ほか訳、北海道大学出版会、1999年)などがあります。


ドゥルーズ 抽象機械――〈非〉性の哲学
大山載吉著
河出書房新社 2016年4月 本体2,800円 46判上製280頁 ISBN978-4-309-24758-8

帯文より:後期ドゥルーズ、はじめての入門書。強靭な思考と繊細な文体によってドゥルーズ後期の核心である「抽象機械」をはじめて解き明かしながら、その〈非〉性において哲学の本質をつかみ全く新たな思想の領野をきりひらく俊英の誕生を告げる渾身の書き下ろし。

目次:
はじめに
I 哲学とは何か
 I-1 〈非〉性と出来事へ向かう哲学
 I-2 概念
 I-3 内在平面
 I-4 概念的人物
II 抽象機械の方へ
 II-1 地層
 II-2 アレンジメントと第三の地層
 II-3 抽象機械の方へ
III 思考の三幅対――哲学/科学/芸術の共立
 III-1 科学とは何か
 III-2 芸術とは何か
終わりに 思考/脳/抽象機械における〈非〉性
あとがき

★まもなく発売。河出さんのサイトでは4月22日発売予定とありますから、取次搬入日は19日あたりかと推察します。著者の大山載吉(おおやま・のりよし:1975-)さんは現在、立教大学専任講師。『ドゥルーズ 生成変化のサブマリン』(白水社、2005年)という松本潤一郎さんとの共著をこれまで上梓されており、単独著は今回の新刊が初めてとなります。「哲学は、敵を敵として認定し、敵視し、敵愾心をもって怒号とともに打ち負かすやり方以上に、静かに、ひそやかに、そして秘密裏に、敵とされるものを敵ではない何かに生成変化させることで、敵に依存する思考様式から抜け出して、全く新たな問いを立てるやり方をその本性とするものなのだ。哲学は何かを打倒する力をもたない。哲学にできるのは二項対立とは無縁の問いを立てることである。ドゥルーズはこれを「戦いなき戦い」と呼んでいる」(18頁)。全編書き下ろしとなるこのドゥルーズ論は「哲学そのものよりも哲学の核心にある」(『哲学とは何か』61頁)非-哲学的なものへの飽くなき探究を通じて、戦いなき戦いを挑む力作たりえていると思われます。

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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

『日本の著作権はなぜもっと厳しくなるのか』山田奨治著、人文書院、2016年4月、本体1,800円、4-6判上製208頁、ISBN978-4-409-24108-0
『リモノフ』エマニュエル・キャレール著、土屋良二訳、中央公論新社、2016年4月、本体3,000円、四六判上製424頁、ISBN978-4-12-004732-9
『明治のワーグナー・ブーム――近代日本の音楽移転』竹中亨著、中公叢書、2016年4月、本体2,300円、四六判並製400頁、ISBN978-4-12-004841-8
『漢字廃止の思想史』安田敏朗著、平凡社、2016年4月、本体4,200円、4-6判上製552頁、ISBN978-4-582-83312-6
『SUNAO SUNAO 4』100%ORANGE著、平凡社、2016年4月、本体1,000円、A5判並製136頁、ISBN978-4-582-83724-7

★『日本の著作権はなぜもっと厳しくなるのか』は発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文に曰く「米国からの年次改革要望書、フェアユース、違法ダウンロード刑事罰化、ACTA、TPP、五輪エンブレム問題など、近年の知的財産・著作権問題の核心にせまる、熱き緊急レポート!」。同著者による『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか――厳罰化する日本の著作権法を批判する』(人文書院、2011年)に続く一冊です。前著刊行から「四年半が経つあいだも、著作権法はますます厳しくなり、これから先もそうした方面に進みそうな気配が濃厚になっている」(7頁)と著者は書きます。今回の新著では「立法にたずさわる国会議員の言動、彼らを動かしたひとびとのこと、そして自国のグローバル企業の利益のために働く米国政府の意向に焦点を当てる」(8頁)し、さらには「TPP大筋合意にともなう著作権法改正の急激な動きと、二〇一六年夏の参議院議員選挙に向けての「緊急出版」だと、わたしのなかでは位置付けている」(174頁)と述べておられます。巻末には附録として、著作権法の抜粋のほか、年次改革要望書、日米経済調和対話、TPPの著作権関連主要部分の抜粋が付されています。人名索引がついているのも興味深いです。

★中央公論新社さんの新刊2点『リモノフ』『明治のワーグナー・ブーム』はともにまもなく発売。アマゾンの記載情報では19日発売となっています。『リモノフ』は、フランスの作家エマニュエル・キャレール(Emmanuel Carrère, 1957-)による伝記小説、Limonov (P.O.L., 2011; Gallimard, 2013)の翻訳です。著者のキャレール(カレールとも)は、ロシア史家として名高いエレーヌ・カレール=ダンコース(Hélène Carrère d'Encausse, 1929-)の息子さんで、これまでに『冬の少年』(田中千春訳、河出書房新社、1999年)、『嘘をついた男』(田中千春訳、河出書房新社、2000年)、『口ひげを剃る男』(田中千春訳、河出書房新社、2006年)などの訳書があります。今回の伝記小説の主人公は、ロシアの詩人で作家、反プーチンの活動家でもあったエドワルド・リモノフ(Eduard Limonov, 本名:Eduard Veniaminovich Savenko, 1943-)。彼の生い立ちから2009年までを取材に基づいて活写した本書はフランスで様々な賞を受賞し、映画化の話もあるのだそうです。近年ではリモノフはウクライナ侵攻をめぐってプーチンに接近するのですが、それはまた別の話です。

★『明治のワーグナー・ブーム』はドイツ近現代史、日独文化移転史がご専門の大阪大学教授、竹中亨(たけなか・とおる:1955-)さんの最新著。カバー紹介文に曰く「世紀転換期の明治末、宗教学者・姉崎正治〔あねさき・まさはる:1873-1949〕の雑誌論文に端を発する「ワーグナー・ブーム」は、日本の洋楽受容の縮図と言っていい。洋楽の流入経路、それに関わった役人や学者、音楽家、「お雇い」教師たちの意図と役割を詳細に辿り、日本近代化のもう一つの流れを描き出す鮮やかな社会文化史」。姉崎と言えばショーペンハウアーの翻訳(『意志と現識としての世界』博文館、1910年)や、異色の日蓮論(『法華経の行者日蓮』 博文館、1916年;講談社学術文庫、1983年)が有名ですが、ワーグナー受容にも一躍買っていたのですね。「彼〔姉崎〕にいわせれば明治日本は腐朽したヴィルヘルム期ドイツの胸像にほかならない」(342頁)と著者は解説します。「ドイツでは、ニーチェやワーグナーのごとき預言者がすでに現れた。危機からの脱却を説く彼らの言葉は若い世代の間で熱狂的に迎えられている。しかし翻って日本はどうか。今なお多くの者が惰眠をむさぼり、危機が存在することすら意識していないではないか。そこで姉崎は、ドイツの預言者の啓示を日本に伝え、それでもって故国の閉塞を打破しようとしたのであった」(同)。「明治の青年たちは、自分たちが硬直した社会に埋没し、袋小路のなかで精神的に窒息しつつあると感じていた。彼らは、この行きづまりを打破してくれるものをひたすら待ち望んだ。〔・・・〕ワーグナー・ブームは、ヴィルヘルム期ドイツ批判という迂回路を通した、明治の青年たちの社会文化的憤怒の表現であった」(344頁)。明治期日本の文化思想史の一幕として非常に興味深いです。

★平凡社さんの新刊2点は『漢字廃止の思想史』が発売済、『SUNAO SUNAO 4』はまもなく発売(アマゾン記載によれば22日)です。『漢字廃止の思想史』は『日本語学のまなざし』(三元社、2012年6月)から約4年ぶりとなる著者待望の新著。帯文に曰く「漢字廃止・制限論と擁護論との対立が、さまざまな「応世」と偏狭頑迷な「伝世」の主張となって激しい「思想戦」をいくたびも繰り返してきた。その逆説の構図をあぶり出す、日本語そのものの在り方を問い直し、これからの日本語を考えるために不可欠の基礎作業」。「応世」とは「時世に適する」こと、「伝世」とは「後世に伝える」ことの意。一般読者の大半は「日本精神発揚」(平生釟三郎)を標ぼうした民間団体「カナモジカイ」がかれこれ百年近く活動を続けてきたことも、かつて先端的思想であったその漢字廃止論についても知らないだろうと思われますが、知らない分、よりいっそう興味深く読めるはずです。「本書では、文明化の思想、競争(能率)の思想、動員の思想、それらが輻輳した総動員体制下の思想戦、市井の一市民に与えた影響、民主化の思想などが漢字廃止・制限論の根拠になっていった事例を見ていく」(33頁)とのことですが、単なる過去の話で終わる議論ではないと気づかせてくれます。本書でも言及されていますが、梅棹忠夫さんの『日本語と事務革命』(京極夏彦解説「大先達に叱られないために」、山根一眞解説「「梅棹ローマ字論」から二十年目の日本語」、講談社学術文庫、2015年)と併読するとさらに刺激的だろうと思います。

★『SUNAO SUNAO 4』は人気イラストレーターの100%ORANGEさんによる「ウェブ平凡」連載コミックの書籍化第4弾。2013年10月から2015年3月にかけての15回分に、描き下ろし3本と4コマ漫画1本を加えたものです。夢とうつつ、日常と狂気が交錯する不思議な世界は、読者をどこか懐かしいと同時に未知であるような遠い、奥深い内面世界へと連れていってくれます。

『季刊哲学』6号=生け捕りキーワード'89

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弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、同2号、同4号に続いては同6号のご紹介です。同5号『神の数学――カントールと現代の集合論』(1988年11月)は品切絶版。

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季刊哲学 ars combinatoria 6号 生け捕りキーワード'89――ポスト構造主義以後の最新思想地図
哲学書房 1989年3月30日 本体1,900円 A5判並製214頁 ISBN4-88679-031-3 C1010

目次:
I 外部と表象――現前をめぐる非対称性が現われる:現代-十七世紀-中世を貫く問題系
05「外部・表象・神」柄谷行人・丹生谷貴志 pp.8-26
23「デカルト」小泉義之 pp.27-29
29「表象」山内志朗 pp.30-33
15「集合」岡本賢吾 pp.34-41
26「ニューロ・コンピュータ」黒崎政男 pp.42-43
V 自己とシステム――自己とシステム:「自己組織化するセルフ」説は死んだ
36「免疫」多田富雄・養老孟司 pp.130-151
II 論理と言語――命題論理から述語論理への途:論理学はなぜ魅力的か
31「フレーゲ」野本和幸 pp.52-54
40「レシニェフスキー」藁谷敏晴 pp.55-59
03「ウィトゲンシュタイン」野矢茂樹 pp.60-63
22「デイヴィドソン」大沢秀介 pp.64-66
13「言語行為」山田友幸 pp.67-69
17「素朴心理学」大沢秀介 pp.70-71
16「状況意味論」山田友幸 pp.72-74
III 唯名論と可能世界――世界を創造する言葉は、世界に先だつ・・・:「必然」や「可能」とはどのような意味か
04「オッカムのウイリアム」清水哲郎 pp.80-83
09「可能世界」戸田山和久 pp.84-87
36「唯名論」清水哲郎 pp.88-90
37「様相論理」戸田山和久 pp.91-94
IV 神と存在――無限者を多面的に映し出す概念:いま、なぜ、神を問うか
19「存在」花井一典 pp.100-103
18「存在」清水哲郎 pp.104-105
10「神」花井一典 pp.106-109
08「価値」清水哲郎 pp.110-114
20「超越概念」花井一典 pp.115-118
01「アウグスティヌス」中川純男 pp.119-121
24「トマス・アクィナス」花井一典 pp.122-125
VI 形式とルール――すべての規定は否定である:法は認識できるか
28「非古典論理」戸田山和久 pp.152-154
06「書かれざる囲い」黒崎政男 pp.155-160
39「ルーマン、ニクラウス」馬場靖雄 pp.168-170
27「パトナム」飯田隆 pp.171-173
07「確認のルール」島津格 pp.174-176
VII 他者と交通――自分が知っていることを無視するシステム:コミュニケーションとはどのような事態か
26「フレーム問題」黒崎政男 pp.186-187
14「コミュニケーション」大澤真幸 pp.188-194
11「関数」戸川孝 pp.195-198
センシビリティーと想像
34「みなし子」島田雅彦 pp.164-165
38「予言」いとうせいこう pp.46-51
25「ニューヨーク」山田詠美 pp.161-161
30「ファンタジー」井辻朱美 pp.126-129
12「恐龍」井辻朱美 pp.179-181
02「アンドロイド」三田格 pp.182-183
33「松苗あけみ」三田格 pp.177-178
21「ディスコ」三田格 pp.95-96
41「ロック・ミュージック」三田格 pp.75-77
チャートI:集合は、多なる存在から一なる存在を形成しうる p.44
チャートII:意味論を、発語内行為内容の理論に向かわせる p.78
チャートIII:複数の可能世界に存在する個体の同一性をどのように知るか p.98
チャートIV:トマスのエッセは、述語界の帝王である p.166
チャートV p.184
索引(語彙・人名) pp.200-210
執筆者紹介 p.199

補足1:欧文号数は「vol.III-1」。すなわち第3年次第1巻。表紙表1には「SPECIAL ISSUE」とあり、第3号『視線の権利』に続く臨時増刊号第2弾となる。

補足2:表紙表1には多田=養老対談と柄谷=丹生谷対談の題名とは別に、本文には掲出されていないキャッピコピーが添えられている。多田=養老対談「免疫」には「イエルネのネットワーク説は死んだ」。柄谷=丹生谷対談「外部・表象・神」には「ライプニッツ症候群と大東亜共栄圏」と。

補足3:表紙表1および表4には、宮内勝氏による写真が添えられている。写真に写っているのは卓上におかれたデスクトップパソコン、オーディオコンポ、ラテン語の書物、万年筆、そして『羅独辞典』である。目次には次のような特記がある。「表紙の写真は、「生け捕りキーワードが接続されるデータベース「羅独-独羅学術語彙辞典」(哲学書房)」。

補足4:巻頭の「「生け捕りキーワード」について」には「構造」と「凡例」の二題が立てられている。「構造」を以下に転記しておく。

1 ここに雑誌「季刊哲学」の臨時増刊号として刊行される「生け捕りキーワード'89」は、データベースである。
2 「生け捕りキーワード」はデータの追加・修正・変形を経て、年度ごとに刊行されるが、本態はデータベースであり、これはある時点で「新哲学辞典」に変態をとげる。
3 ここに出力した分量をはるかに上まわる文献がすでに蓄えられているが、今回は基礎文献と、より広い読者のための文献を選んで出力した。また文献解題も出力を見合わせた。これらのデータはいずれ出力して編集する予定である。

補足5:「季刊哲学」の目次立ては通常、掲載順ではなく、第6号も例外ではない。目次には「センシビリティーと想像」という分類があるが、これに属する諸テクストは実際の頁割では他のパート(II、III、IV、VI)に組み込まれている。また、「非古典論理」や「書かれざる囲い」は目次ではパートVI「形式とルール」に属しているが、実際の頁割ではパートV「自己とシステム」のあとに掲載され、2篇とパートVI「形式とルール」との間にはさらに「ニューヨーク」や「みなし子」が挟まっている。これが意図的なものなのか、制作進行上の都合による掲載順なのか、その他の理由があるのかについては未詳である。

補足6:97頁には「季刊思潮」の全面広告が掲載されている。第1号から第3号までの既刊と、近刊の第4号の予告である。「季刊思潮」の編集同人は浅田彰、市川浩、柄谷行人、鈴木忠志の四氏。雑誌の謳い文句は「いま、もっともラディカルな課題をになう総合批評誌」だった。

補足7:「季刊哲学」の奥付頁には「編集後記」が掲載されているのが通常だが、当号では「編集後記」とも文末の記名「(N)」もない以下の文章が掲載されている。「構造」とこの巻末記で予告されている『哲学辞典』は残念ながらついに刊行されることはなかった。

 デュナミスからエネルゲイアに転生する途上にある〈思考の系〉を写像する語彙を、生きたまま収集して、コンピュータ処理をほどこした。いま最も輝いているこれらの語彙は、本質的ななにものかに接触しており、そのかぎりでまた真に〈通俗的〉でもある。歴史の遠近法の中に置かれたとき、これらの語彙は、時代のメタファーとして機能するであろう。
 これらの語彙は不断に変容し、自らを他に変換する自在さを生きる。そればかりか、これらの語彙群は相互作用をくり返し、パターンフォーメイションをつづける。後世の史家は、ここに現われたパターンあるいは問題群の布置を読んで、一九九〇年代を〈思考の系〉の大きな転換の刻とみとめるであろう。
 コンピュータによるデータ化を行っているとはいえ、これらの語彙のふるまいは、いわばin vivoで観測することができる。これらの語彙の形成や消長、それに互いの反応の過程がつぶさに追跡できる。
 これはひとつのデータベースであり、ここに蓄えられたデータは、てきぎ追加し、変形し、あるいは削除することができる。また近い将来、『羅独-独羅学術語彙辞典』(哲学書房)はじめ、他のデータベースとも接続されるであろう。時に応じて出力し、ハードコピーを取り、冊子状の形態を与えることもできるとはいえ、こうして現われる書物は、いわば常に仮の姿なのである。いましばらくデータの集積をまって、このデータベースも書物の形態を身にまとい、由緒ある名称をかりて『哲学辞典』として刊行されるであろう。かつて書物の時代に、辞典は壮大な記念碑であった。けれどもこにに現われる『哲学辞典』は、刻々と世界大にくりひろげられる思考の過程を、イン・ビボでとらえた、任意の静止画なのである。このデータベースはそれ自体、生きものとして生成しつつある辞典なのである。

補足8:巻末には「中世哲学叢書」第一期10巻の予告があり、以下の書目が掲出されている。このうち第6号と前後して刊行されたのがヨハネス・ドゥンス・スコトゥス『存在の一義性――定本ペトルス・ロンバルドゥス命題註解』(花井一典・山内志朗訳、哲学書房、89年3月)であり、予告とは異なり同書のカバーでは同叢書の第I巻と記載されている。同叢書はその後、トマス・アクィナス『真理論――真理論第一問「真理について」/ペトルス・ロンバルドゥス命題集註解第一巻第十九篇第五問』(花井一典訳、哲学書房、1990年1月、カバーでは同叢書第II巻と記載)を刊行して中断した。なお、平凡社の『中世思想原典集成』全21巻が上智大学中世思想研究所の編訳・監修によって刊行開始となるのは1992年6月(第6巻「カロリング・ルネサンス」)であった。

1.ペトルス・アベラルドゥス(アベラール) 邦訳論文検討中
2.アルベルトゥス・マグヌス 邦訳論文検討中
3.トマス・アクィナス『真理論』
4.ブラバンのシゲルス『不可能なもの』
5.スコトゥス『存在の一義性』
6.オッカム『論理学大全』
7.ビュリダン『ソフィスマータ』
8.カエタヌス『アナロギアの名称について』
9.スアレス『形而上学討論』
10.ポインソ『記号に関する考察』

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好評につき会期延長中の「哲学書房フェア」も、立川および池袋のジュンク堂では来週月曜日まで、丸善丸の内本店では今月いっぱいとなりました。くれぐれもお見逃しございませんように。

◎哲学書房を《ひらく》――編集者・中野幹隆が遺したもの

売れ筋ベスト5:
山内志朗『笑いと哲学の微妙な関係』
養老孟司『脳の中の過程』
郡司ペギオ幸夫『生命理論』
バタイユ『エロティシズムの歴史』
稲垣良典ほか『季刊哲学11号=オッカム』

◆ジュンク堂書店立川高島屋店(2月26日オープン)
場所:6Fフェア棚
期間:2月26日(金)~4月25日(月)
住所:立川市曙町2-39-3 立川高島屋6F
営業時間:10:00~21:00
電話:042-512-9910

◆ジュンク堂書店池袋本店
場所:4F人文書売場
期間:3月1日(火)~4月25日(月)
住所:豊島区南池袋2-15-5
営業時間:月~土10:00~23:00/日祝10:00~22:00
電話:03-5956-6111

◆丸善丸の内本店
場所:3F人文書売場(Gゾーン)
期間:3月1日(火)~4月30日(土)
住所:千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾショップ&レストラン1~4F
営業時間:9:00~21:00
電話:03-5288-8881

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月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。

季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)

※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。

なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。

小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。

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ルソー『化学教程』連載第10回

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『化学教程』第一部
第一編 物体の諸要素とそれらの構成について
第一章 物質の原質について(続き)

29 ベッヒャーの語るこの実験を彼が行ったという証拠を、私たちはまったく持っていない。そうすると彼が実験をしなかったという証拠も私たちは持っていないことになるが、これは確かなことである。このような疑惑のうちにあって、もし〔彼の証言の〕真実らしさを示してくれるいくばくかの可能性が見出せるのであれば、ベッヒャーのこの証言は何らかの重要性をきっと持つだろう。ところで、三界には〔物体の〕要素となる原質principes matérielsがあり、これらの原質同士はしばしば類比の関係によって秩序づけられている。私があとで示すように、このような類比関係から推測して、私たちはベッヒャーの証言をともかくも妥当なものと認めることができる(1)。もっと言えば、ベッヒャーが本当に実験を行ったと仮定した上で、もし三界の諸原質が同じ性質を持ち、かつそれらが同じ効果を生み出すならば、三界の諸原質の間には、問題となっている類比どころか完全な同一性を容易に認めえる、とまで私は言いたい。そして、人々もこの同一性を認めざるをえないだろう。まず動植物について言えば、〔それらに含まれる原質同士の〕同一性は明らかである。というのも、動物の物質は植物の物質になるからであり、その逆もまた然りであるからだ。鉱物と植物についても、〔両者に含まれる原質が同一であることは〕同じように明らかである。というのも、植物に含まれるエン、土あるいはアルカリ基体base alcalineは、地中から引き出される岩エンや〔エン〕基体と全体的によく似ており、このことは〔鉱物と植物の〕エンが同じ原質、とりわけ同じガラス化土から構成されているということを示しているからである。[A:19]ベッヒャーが各界のガラスの中に見出したと称する固有の色について言えば、こういった色は私にとって依然として何よりもまして胡散臭いものである。[F:27]植物の灰から作られたガラスの緑色からは、動物界のガラスverre animalに見出せる肉体の色を連想することはできないのではないかと私はだいぶ怪訝に思っている。そもそもこれらのガラスを構成する物質の混合の違いこそが色の違いを生み出す原因なのである。ただしガラス化原質principe vitrifiableはどの物質においても同じものである。この物質〔ガラス化原質〕に関するシュタール氏の説明に関しては、いずれもっと詳しく見てみることにしよう。

(1)ルソーの余白書込:エナメルは羊の骨によって作られる。すなわち、凹面鏡を用いて動物の骨をガラス化させることによって作られる。
 仕事の苦労を伝える「人骨は陶器の中に含まれる成分のひとつである」という日本の諺の起源をさかのぼることも無駄ではないだろう。
 余白書込に関する訳注:手稿の形式上、この余白の書込に関して二つの問題がある。第一の問題は、エナメルに関するこの書込が本文のどこにかかっているかである。手稿を見る限り、ルソーは本文を書いた後、しばらく経ってこの書込を行っている(本文とインクの色が違う)。第二の問題は、書込を挿入するための記号が本文中にないことである。したがって、内容からこの書込が注の役割を果たす箇所を推測しなければならない。訳者は、ガラス化に関する実験を伝えるベッヒャーの証言についてルソー本人が検討している文章全体に対応すると考える。というのも、動物の骨を燃やすこことによってエナメルが得られるという事実は、ベッヒャーの言う三界に共通して存在するガラス化土の存在の可能性を示唆するからである。よって、この位置にルソーが注をつけたと推測した。
 次に言及すべきは注の内容的問題である。ルソーがここで「エナメル」とみなしているものは陶磁器に用いられる釉薬(陶磁器にガラス状の表面を作る上薬)であり、それは凹面鏡を使って太陽光線を集めその熱で羊の骨を燃やし、灰にすることによって得られるもののようである。ちなみに『化学教程』から40年後に出版された年刊学術雑誌『自然学、博物誌、技芸に関する考察』第31巻には、石灰化させ熱湯で洗った「羊の骨」を長時間火にかけることによって白色のエナメル物質が得られる実験が記録されている(Observations sur la physique, sur l’histoire naturelle et sur les arts, t. XXXI, Paris, Bureau du Journal de Physique, 1787, p. 129)。この釉薬に関する書込からも分かるように、ルソーの伝える「ガラス化vitrification」とは、ある物体が燃焼し、その物体に含まれているガラス化土が流出して透明な皮膜が作られる過程のことである。
 ルソーは「羊の骨」の釉薬の問題から、陶磁器の製法に関する日本の諺を紹介している。この諺とほぼ同一の文がケンペル(Engelbert Kæmpfer, 1651-1716)の『日本誌』仏訳に出てくる(Kæmpfer, Histoire du japon, livre V, chap. III, t. II, La Haye, P. Gosse & J. Neaulme, 1729, p. 168)。すなわち、「人骨は陶器の中に含まれる成分である les os humains sont des ingrédients qui entrent dans la Porcelaine」という諺である。おそらく、ルソーはこの仏訳を参照してこの注を執筆したと考えられる。『日本誌』で話題となっているのは、志田焼用の粘土を白くするための〈骨折りな仕事〉であり、これは骨灰を使って白い磁器を作る際に人骨が用いられているのではないかというヨーロッパにおける日本のイメージが背景にある。この〈骨折りな仕事〉のことを、ルソーは動物の骨をガラス化させるという困難な作業のことと考えており、このガラス化の難しさが元となって、問題の諺ができたのではないかと考えているようである。
 以下では、『日本誌』邦訳の(1779年に刊行されたドイツ語版を底本とし、『江戸参府旅行日記』と題され抄訳となっている)当該箇所を引用しておく。「さて、われわれはさらに半時間進んで、嬉野のもう一方の地区を過ぎ、さらに二時間、(左手に人家の続くところを通り過ぎて)塩田村に着き、そこで昼食をとった。/この土地では粘土で作った非常に大きな一種の壺が焼かれ、ハンブルクの壺と同じように、水瓶として使われている。/ヨーロッパの人々の間では、マルタン〔ビルマのマルタバン湾に臨む同名の街をいうか〕という国名からマルトアンという名で呼ばれていて、同地〔引用者注:マルタン〕でたくさん作られ、インド中に売られるのである。塩田からは、果てしない平野を東方へと流れ島原湾に注ぐちょうどよい川があるので、これらの壺は舟で運ばれ、他の地方に送られる。/この地方や嬉野,それに続く丘陵、さらに肥前国の至る所の丘や山の多くの場所で見つけられる油っこい白土から、日本の陶器が作られる。この土はそれ自体かたくてきれいであるが、しきりにこねたり引きちぎったり、混ざりものを除いてはじめて完全に加工される。それゆえ、美しい陶器を作るには「骨が折れる」という諺が生まれた」(ケンペル『江戸参府旅行日記』齋藤信訳、東洋文庫/平凡社、1977年、84頁)。
 上記の「骨が折れる」という訳文は、底本であるドイツ語版の「美しい陶器を作るには人骨が必要である」という文の意訳であろう(Engelbert Kämpfer, Geschichte und Beschreibung von Japan, aus den Originalhandschriften des Verfassers, 2. Bd,Lemgo, Meyer, 1779, S. 203)。

・・・続きは近日中に特設サイトで公開開始いたします。


注目新刊タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』水声社、ほか

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『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』マイケル・タウシグ著、金子遊・井上里・水野友美子訳、水声社、2016年3月、本体3,800円、四六判上製392頁、ISBN978-4-8010-0160-2
『「ちゃぶ台返し」のススメ――運命を変えるための5つのステップ』ジャック・アタリ著、橘明美訳、飛鳥新社、2016年3月、本体1,500円、4-6判並製192頁、ISBN978-4-86410-465-4
『新版 アリストテレス全集(10)動物論三篇』岩波書店、2016年3月、本体5,400円、A5判上製函入400頁、ISBN978-4-00-092780-2
『ゲンロン2 慰霊の空間』東浩紀編、ゲンロン、2016年4月、本体2,400円、A5判並製316+24頁、ISBN978-4-907188-15-3
『キェルケゴールの日記――哲学と信仰のあいだ』セーレン・キェルケゴール著、鈴木祐丞編訳、講談社、2016年4月、本体1,900円、四六判上製288頁、ISBN:978-4-06-219519-5
『増補 G8サミット体制とはなにか』栗原康著、以文社、2016年4月、本体2,200円、四六判並製184頁、ISBN 978-4-7531-0331-7

★『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』は発売済。「叢書人類学の転回」の第3回配本です。著者のマイケル・タウシグ(Michael Taussig, 1940-)は、オーストラリア生まれの文化人類学者で、現在、コロンビア大学教授を務めています。名前は日本でも知られているものの、訳書は今回の新刊は初めてのものになります。原書は、Walter Benjamin's Grave (University of Chicago Press, 2006)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文はこうです。「ゴンゾー人類学者による、ビートニク小説のようにも読める民族誌的試論集。ベンヤミンが没したフランスと国境を接するスペインの町ポルトボウについてのエッセイにはじまり、コロンビアの農民詩、悪魔との契約、〈海〉が消えていったいきさつ、シャーマンの身体の特質、宗教や道徳上の侵犯、ニューヨーク市警察の横暴、〈花〉と〈暴力〉との関係、について刺激的に語る」。ゴンゾー(gonzo)とは「常軌を逸した」「風変わりな」「極端に主観的な」を意味する形容詞。これはことタウシグを評する上では否定的な言葉ではありません。訳者の金子さんは巻末の「マイケル・タウシグの人類学と思想」でこう述べています。「事象に対して客観的であることができるという姿勢自体を疑い、みずからを記述対象のなかへ深く沈潜させて、むしろ一人称で書くことでその本質をつかみとろうとする」(378頁)と。「文化人類学の学究的な姿勢にゆさぶりをかけ、読書界に清新な風をおくりこんできた」と金子さんはタウシグを評価しています。「実際には、理解することよりも、考え違いをすることのほうが世界を広げてくれる。そのようなものを抱えながら、他者と長い時間をすごす遭遇としてフィールドワークはあるのだ」(12頁)とタウシグは本書の冒頭付近で書いています。「わたしたちは、なじみのないすべての未知のものを裸にしてしまう。大学のゼミの教室における基本ルールのように、その場で誰が力をにぎっているのかを示すのだ。わたしたちはあいまいさも、慣習に逆らうようなことも許容しない。〔・・・〕ここにあるもっとも大きな不幸とは、どれだけ既知と思われているものが不思議さを秘めているかを、その作業によって忘れてしまうことだ」(13頁)。「現実性〔リアリティ〕というものが、純粋な思考によってつくられた調和にうまく吸収される類のものであればよかったのだが。現実性というのもは、一度しか渡ることのできない、あの有名な川〔ルビコン川〕のようなものではない。その川に足を踏み入れるということは、混とんとした世界の存在に自分の身を浸すことはもちろんのこと、法が順守され、法が破壊され、その両方によってさらに混乱した、不安定と矛盾の光り輝く波に乗ることをも意味している」(15頁)。本書をはじめ「叢書人類学の転回」は人文書の縦割り分類を見直し再編成するように促す、一連の重要な成果です。真面目に追求すればするほど、私たちは従来の分類作業からズレていかざるをえないことに気づきます。やっかいで楽しい冒険が人文書の未来を待ち受けています。

★水声社さんではタウシグについては本書に続き、1993年作『模倣と他者性』が井村俊義さんの訳で近刊予定だそうです。また、『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』の刊行を記念し、以下のトークイベントが来月開催される予定とのことです。

◎管啓次郎×金子遊「マイケル・タウシグの人類学と思想」

日時:2016年05月17日(火)19:30~
会場:ジュンク堂書店池袋本店(東京都豊島区南池袋2-15-5)
料金:1000円(1ドリンク付)※当日、会場の4F喫茶受付でお支払いください。
お問い合わせ・ご予約:ジュンク堂書店池袋本店 TEL03-5956-6111

内容:マイケル・タウシグはコロンビア大学人類学教室の教授で、英語圏では知らない人のいない人類学者=移動するエッセイストです。大胆にフィクション批評を導入したその哲学的なエッセイは、まるでビートニク小説のようにも読めると評判です。タウシグの著書が日本語に翻訳されるのは、本書が初めてとなります。「文化人類学の巨人」の魅力を存分に味わっていただくため、管啓次郎さん(詩人・比較文学)と、本書の訳者のひとりである金子遊さん(映像作家・民族誌学)のトークイベントを開催します。

★『「ちゃぶ台返し」のススメ』は発売済。アタリの訳書の中では突出してユニークな邦題になっていますが、原書はDevenir soi (Fayard, 2014)で、直訳すれば「自分になる」です。直訳のままでも良かった気がしますが、いかにも人文書といったイメージが先行してしまうのを避けたのでしょう。帯に載っているアタリの顔写真はいかにもちゃぶ台をひっくり返しそうな、偏屈なオヤジで、帯文は「アタリ初の自己啓発本!」と謳われています。しかし、本書は自己啓発の手前に鋭利な世界情勢分析を置いており、微温的な「幸せになろう」「金持ちになろう」等々のメッセージにうんざりしている読者の目を惹くでしょう。「今、世界は危険な状態にあり」(10頁)、「あらゆるところで悪が優勢になり」「至るところで暴力がまたり通」る(21頁)と分析するアタリは、自分で自分の人生を選びとり、運命を変えるための方途をこの「自分になる」ことと表現します。「結局のところ、国家は無力だろう。国家は国民が期待するサービスを徐々に提供できなくなり、国民の安全を保障することさえできなくなるだろう」(25頁)というアタリの予言は現代人にとって深刻な真実味を帯びています。「資本主義は、生命を確実なものにしたいという要求がどういうとき人々のなかに生まれるかを予測して、あなたの安全を守ります、死からも守りますと呼びかけることにとって、実のところ人々の自由意思を奪おうとしている〔・・・〕。こうした動きに警戒せず、本当の意味での〈自分になる〉ことのほうが負けてしまったら、〔・・・〕お仕着せの自己管理でコントロールされ、徐々に人工器官で全身を覆われてゆき、やがてはロボットになるだろう。つまり、一個の物と化してすべてを〈甘受〉しながら、ただひたすらエネルギーと修理を〈要求〉し続けるだけのロボットになってしまう」(194-195頁)。「その後は開発する人材も資源もなくなって、資本主義自体が消滅するしかなくなってしまう」(195頁)。この本は現実を追認する凡百の「自己啓発本」への実に強力な解毒薬となっていると思います。確かにその意味ではこれ以上の「ちゃぶ台返し」はありません。

★『新版 アリストテレス全集(10)動物論三篇』は発売済。「動物の諸部分について」濱岡剛訳、「動物の運動について」永井龍男訳、「動物の進行について」永井龍男訳、の3編を収録しています。旧全集版ではいずれも島崎三郎訳で「動物部分論」(第8巻所収、1969年)、「動物運動論」(第9巻所収、1969年)、「動物進行論」(第9巻所収、1969年)として分載されていました。既訳書には『動物部分論・動物運動論・動物進行論』(坂下浩司訳、西洋古典叢書/京都大学学術出版会、2005年)があります。ちなみに旧全集の第9巻に併載されていた「動物発生論」は新全集では第11巻として刊行される予定です。なお、今回の第10巻「動物論三篇」に付属している「月報14」には、藤田祐樹さんによる「物事を丁寧に考えるということ」が掲載されています。次回配本は少し間が空いて10月末予定、第18巻「弁論術・詩学」とのことです。

★『ゲンロン2』は発売済。メイン特集は「慰霊の空間」、小特集は「現代日本の批評II」です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「現代日本の批評Ⅱ」では、前号に続き、市川真人・大澤聡・福嶋亮大・東浩紀の四氏による共同討議「平成批評の諸問題 1989-2001」が掲載されているほか、市川真人さんによる興味深い基調報告「一九八九年の地殻変動」や、大澤聡さんによる年表「現代日本の批評1989-2001」が併録されています。千葉雅也さんと東浩紀の対談「神は偶然にやってくる――思弁的実在論の展開について」は、売行良好と聞くメイヤスー『有限性の後で』(人文書院、2016年1月)の位置づけを知りたい書店員さんは注も含めて必読かと思われます。

★『キェルケゴールの日記』は発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。デンマーク語の最新版原典全集(SKS)28巻のうち9巻を占めるという膨大な日記の中から、「キルケゴール自身のキリスト教信仰のあり方をめぐる内容の項目を選定、邦訳するとともに、その内容の理解おために必要と思われる解説を付したもの」(はじめに)とのことです。1837~1855年までの日記から選ばれており、その中心を成す1848年の宗教的転機については第二部で扱われています。「拭い去りがたい罪の存在に直面し続け、どうしようもない罪意識に思い悩む一人の弱い男が、キリスト教が差し出す罪の赦しを自分が信じるとはどのようなことかをめぐって思いを深め、その果てに一つの確信を有するに至り、そしてその信仰をおのれの生を賭けて表現しようとする、思索と苦闘の内面史である」(同)とも編訳者は綴っておられます。編訳者の鈴木祐丞(すずき・ゆうすけ:1978-)さんは現在、秋田県立大学助教をおつとめで、一昨年に著書『キェルケゴールの信仰と哲学』(ミネルヴァ書房、2014年)を上梓されています。

★『増補 G8サミット体制とはなにか』はまもなく発売(アマゾンでの記載では4月25日)。先月上梓された鮮烈な伊藤野枝伝『村に火をつけ、白痴になれ』(岩波書店、2016年3月)がアマゾンの「女性史」カテゴリでベストセラー1位を獲得し、今のりにのっている栗原さんのデビュー作が『G8サミット体制とはなにか』(以文社、2008年)です。今回の増補版では巻末に補遺として「負債経済の台頭」という書き下ろしが追加されています(171-182頁)。折しも伊勢志摩サミットが来月開催される予定(5月26日~27日)で、世界中から各国のリーダーが集結するとともに、各国のアクティヴィストも日本にやってきます。前著は洞爺湖サミットをきっかけに出版されていますが、今度は伊勢志摩サミットです。今度も政府は「テロ警戒中」という大義名分の看板を掲げることでしょう。本書には「サミット体制をもっとよく知るための文献案内」(165-167頁)が掲載されています。書店さんでミニコーナーを作るのに適した点数の文献(18点)が紹介されています。反グローバリズムの関連書を足せばそれなりの規模のフェアにも拡張できると思います。サミット関連の会合は、志摩市のほか、仙台市、軽井沢町、つくば市、新潟市、富山市、神戸市、倉敷市、広島市、高松市、北九州市でも行われますから、これらの都市の本屋さんは仕掛け甲斐があるかもしれません。

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注目新刊:アガンベン『スタシス』、高桑和巳『アガンベンの名を借りて』、ほか

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★ジョルジョ・アガンベンさん(著書:『アウシュヴィッツの残りのもの』『バートルビー』『思考の潜勢力』『涜神』『到来する共同体』)
★高桑和巳さん(訳書:アガンベン『バートルビー』『思考の潜勢力』、共訳:ボワ+クラウス『アンフォルム』)
アガンベンさんの「ホモ・サケル」シリーズ第II部第2巻「スタシス」が高桑和巳さんの迅速なご訳業によって出版されました。

スタシス――政治的パラダイムとしての内戦
ジョルジョ・アガンベン著 高桑和巳訳
青土社 2016年4月 本体1,800円 四六型上製154頁 ISBN978-4-7917-6921-6

推薦文(國分功一郎さん):時代はいま、「内戦と民主主義」という古くて新しい問題に直面しつつある。十数年の時を経て緊急出版されたこの書物は、「テロ戦争」として我々の前に姿を現しているこの時代を読み解くにあたっての最良の導き手である。

版元紹介文より:イタリア現代思想の旗手によるライフワーク「ホモ・サケル」シリーズ最新作。西洋古典のなかから、従来の政治学の枠組みでは捉えきれない「スタシス(内戦)」の概念を大胆に抽出する。9.11以後のテロ戦争から、昨年のパリ襲撃事件、日本の国会前デモまで、いまの国内外の政治情勢を考察するうえでも必読の一冊。

原書:Stasis: La guerra civile come paradigma politico. Homo Sacer, II, 2, Torino: Bollati Boringhieri, 2015.

目次:

一 スタシス
二 リヴァイアサンとビヒモス
翻訳者あとがき
参考文献
人名索引

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「ホモ・サケル」シリーズ第II部は以下の通りの構成です。

原著2003年刊:第II部第1巻『例外状態』上村忠男・中村勝己訳、未來社、2007年
原著2015年刊:第II部第2巻『スタシス』高桑和巳訳、青土社、2016年
原著2008年刊:第II部第3巻『言語活動の秘蹟』未訳
原著2007/2009年刊:第II部第4巻『王国と栄光』高桑和巳訳、青土社、2010年
原著2012年刊:第II部第5巻『神の業』未訳

上記未訳書2点が将来翻訳されると、「ホモ・サケル」シリーズの翻訳は一通り揃うことになります。同シリーズについては、みすず書房営業部さんが4つ折パンフレットの読書案内を作成されています。シリーズ既刊書の書誌情報とともに引用と「読みどころ」を掲載したもの。『スタシス』刊行前に配布されたものなので、いずれ改訂版が作成されるのかもしれません。

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なお、高桑さんは今月、これまで発表されてきたアガンベン論を中心に編まれた単独著『アガンベンの名を借りて』を上梓されています。『スタシス』とあわせて読むと、現在の日本の政治状況についても分析力を高めることができるのではないかと思います。

アガンベンの名を借りて
高桑和巳著
青弓社 2016年4月 本体3,000円 四六判並製356頁 ISBN978-4-7872-1052-4

カヴァー紹介文より:アガンベンの著書を翻訳して広く紹介している第一人者の主要な論文や訳書の解題、書評、発表、コメント、スピーチなどを集成した、彼の思想の核を理解する入門書であり、同時に、その思考を借りて現代の文化や政治を考えるための最良の哲学レッスンの書。

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私事で恐縮ですが、AZ KYOTOの主催で昨秋京都にてホホホ座の山下賢二さん、松本伸哉さんと私の三人で鼎談させていただいたトークイベント「第1回 京都に出版社をつくる(には)」の再構成録全三編がDOTPLACEにて公開開始となりましたので、お知らせいたします。

前編「新しい方法論を探っていくしかないね、という結論」
中編「ようやく仕事のルーティンがわかってきた」
後編「出版社って儲かりますか?」

なお、前回もご紹介しましたが、山下さんのとても素敵な回想録『ガケ書房の頃』(夏葉社、2016年4月)が、ホホホ座さんの通販では特典として非売品小冊子「『ガケ書房の頃』未収録原稿」(14頁)が付いてくるうえ、希望される方にはサインも書いて下さるそうです。残部僅少につきお早めに。

また、ホホホ座さんの通販では、しろうべえ書房さんの文芸誌「洛草」第2号も販売されています。24日発売開始とのこと。ご縁があって、私も「DiY的出版とは」という文章を寄稿させていただきました。同号は京都市内では、ホホホ座、100000tアローントコ、レティシア書房、マヤルカ古書店、カライモブックス、星と蝙蝠、萩書房一乗寺店、善行堂、風の駅で販売されており、しろうべえ書房さんから通販で購入することも可能です。

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『季刊哲学』7号=アナロギアと神

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弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、同2号、同4号、同6号に続いては同7号のご紹介です。7号はジュンク堂=丸善での哲学書房フェアではもっともよく売れた書目のひとつです。同フェアは4月30日まで丸善丸の内本店にて開催されているほか、ジュンク堂書店立川高島屋店では当面フェアが継続されるようです。

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季刊哲学 ars combinatoria 7号 アナロギアと神――トマス・アクィナス、今日の
哲学書房 1989年7月15日 本体1,900円 A5判並製246頁 ISBN4-88679-034-8 C1010

目次:
【中世復興】
山田晶「アナロギアと一義性――トマス、今日の」 pp.8-18
【本邦初訳原典】
トマス・アクィナス「真理の概念――『ペトルス・ロンバルドゥス命題集註解』第一巻第十九篇第五問」花井一典訳 pp.52-70
トマス・アクィナス「紙の存在の真性について――『ペトルス・ロンバルドゥス命題集註解』第一巻第八篇第一問」坂田登訳 pp.72-82
トマス・アクィナス「天使論――『対異教徒大全』第二巻第五二-五四章」脇宏行訳 pp.90-105
トマス・デ・ヴィオ・カエタヌス「名称の類比について」井澤清訳 pp.154-182
【論理と表象】
藁谷敏晴「Ens ut Comparatio――述定の附帯性と純存在論的繋辞」 pp.106-123
花井一典「文の一般的構造から神へ――トマスの言語思想」 pp.139-153
山内志朗「アナロギアと共約不可能性」 pp.183-203
中川純男「神の名――ことばと概念」 pp.19-33
飯塚知敬「神の存在証明は可能か――トマスの〈結果による〉証明」 pp.34-51
【超越と普遍】
吉本隆明「論理の体温――理路の神と恩寵の神の総合」 pp.126-138
U・エーコ「トマスの美学――超越的特質としての美」浦一章訳 pp.204-220
P・T・ギーチ「唯名論」草野章訳 pp.234-243
【時間と言語】
養老孟司「『スンマ』の網状回路と辺縁系――臨床哲学3」 pp.226-233
井辻朱美「北方の千と一つの夜」 pp.221-325
Fra Angelico「楽の喩の天使――Linaiuoli Triptychより」 pp.83-89

編集後記:
●―絶対的な〈他性〉と絶対的な〈同一性〉とを統一する理法で、アナロギアはあった。トマスの思惟の到達した深みを告げる徴であった、というべきであろう。「すべての同義的(一義的)なものは、一つの、同義的ではなく類比的な第一のもの、すなわち存在するもの(ens)へと還元させられる」(『スンマ』)。
●―もとより、トマスの形而上学は「エッセ」をめぐる思惟において極みを印づける。「存在」はあらゆるもののうちで最高の完全性であり、〈在りて在るもの〉である神によって在らしめられて、なべて被造的存在者は在るのであった。ところで存在がそのまま本質であるような無限者と、存らしめられて有限な者とについて、「存在するもの」が述語づけられるとき、それは同義的ではありえず、類比的であるほかはない。
●―「(比例の一致の)様態にしたがえば、ある名称が神と被造物に類比的に語られることを妨げるものは何もない」(『真理論』)。とはいえ、神という無限が、被造的な有限な存在との比例によって測りうるのではない。アナロギアとは、有限と無限との間の、比例的に同一的な関係(ratio)のことにほかならないのだ。
●―アナロギアは、同義性と異義性との、一義性と多義性との間にたゆたって、同義性や一義性とは相容れない。〈概念〉の一義性を追いつめるドゥンス・スコトゥスの選びとった道を、哲学の七百年は、ひた走ったもののようだ。たとえば「(表出が成り立つためには)一方における関係ともう一方における関係との間に何らかの類比が保たれていれば足りる」と記される〈表出〉において、アナロギアとの濃い血縁を疑わせながら、ライプニッツは実はきっぱりと、概念の一義性をこそ言いたてたのであった。
●―若く、全ての異義的なものは同義的なものに還元されるべきであるとしたトマスの、〈存在〉と無限をめぐる思惟のはて、言語の臨界点にアナロギアは現れた。いま姿を見せつつある、史上何度目かの中世復興は、一義性の明晰さをさらに研いで来るべき思考を準備させようとするのか、あるいはトマスの道に思考を誘惑しようとしているのだろうか。けだしアナロギアは、カエタヌスもいうように、「それについての無知が諸学に多くの誤謬を」もたらす態のものでありつづけたのである。
●―次号は「可能世界」。(N)

補足1:欧文号数は「vol.III-2」。すなわち第3年次第2巻。

補足2:71頁には「季刊思潮」の全面広告が前号に続き掲載されており、第1号から第5号までの既刊が紹介されている。言うまでもないが、「季刊思潮」は「批評空間」誌の前身である。

補足3:244~245頁は「季刊哲学」0号から6号までの総目次が掲載されている。

補足4:編集後記の下段には「哲学書房編集部員・営業部員募集」の記載あり。曰く「次の要領で、哲学書房の編集部員と営業部員を募集します」。条件が以下に続く。
◎募集人員:若干名
◎応募資格:二六才までの方
◎応募要領:次の書類を「哲学書房人事係」あてにお送り下さい。
 ①履歴書(市販のもので可)
 ②小論:次のうち一点または何点かを読んで、これを千五百字前後で論じて下さい。
   a―吉本ばなな『TUGUMI』中央公論社
   b―甘利俊一『バイオコンピュータ』岩波書店
   c―季刊哲学7「アナロギアと神」
◎応募締切:八月二十日必着

補足5:表紙表4はフラ・アンジェリコの絵画「Trittico di San Pietro Martire」がカラーで掲載されている。トマス・アクィナスが右端に描かれた作品である。また、絵の下には当号に掲載されたトマスの「真理の概念」からの一節が掲出されている。

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月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。

季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)

※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。

なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。

小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。

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注目新刊:『ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」』、『これからの本屋』、ほか

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ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』――第一次世界大戦と『論理哲学論考』
L・ウィトゲンシュタイン著 丸山空大訳 星川啓慈・石神郁馬解説
春秋社 2016年4月 本体2,800円 四六判上製304頁 ISBN978-4-393-32366-3

帯文より:戦場の哲学者の恐怖、欲望、叫び、祈り! 20世紀最大の哲学者ウィトゲンシュタインが、第一次世界大戦の激戦のさなか哲学的アイデアとともにノートに書きとめた線上の現実と感情生活。ウィトゲンシュタインの生の姿を明らかにし、『論考』をはじめ彼の哲学の解釈に多大な影響を及ぼすに違いない『秘密の日記』、世界初の完全版!

推薦文(野矢茂樹氏)より:覗き見趣味と言われてしまうかもしれない。いや、本書を読めば訳者・解説者たちがこの日記を本当にだいじに扱っていることが分かる。事実、だいじなテクストである。ウィトゲンシュタインを理解するためにも、彼の哲学をその根もとのところから理解するためにも。

目次:
はじめに
ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』――1914年8月9日~1916年8月19日
第1冊――1914年8月9日~1914年10月30日
第2冊――1914年10月30日~1915年6月22日
第3冊――1916年3月〔28日〕~1916年8月19日
テクストについて
解説 戦場のウィトゲンシュタイン(星川啓慈・石神郁馬)
第1章 第一次世界大戦
[コラム]大砲と臼砲
第2章 東部戦線
[コラム]探照灯
[コラム]一年志願兵
[コラム]小型砲艦「ゴプラナ」
第3章 トルストイの『要約福音書』
[コラム]機関銃の歴史
第4章 『論理哲学論考』と「撃滅戦」
[コラム]奇襲・突破・撃滅
第5章 ブルシーロフ攻勢前夜
[コラム]弾幕射撃
第6章 ブルシーロフ攻勢の激闘
第7章 『草稿一九一四-一九一六』
第8章 一九一六年の暮れから捕虜になるまで
[コラム]ウィトゲンシュタインと「褒章」
エピローグ
ウィトゲンシュタイン略年譜
あとがき
引用・参考文献

★発売済。前半が日記、後半が解説です。底本については凡例の「使用したテクストについて」に詳しく書かれています。曰く「翻訳に際しては、日記の写真版(以下では原テクストと呼ぶ)と電子版の遺稿集に収められている標準版のテクスト(写真版をもとに暗号を解読した上で、誤字などを修正したテクスト。以下BEEと呼ぶ)、そしてヴィルヘルム・バウムによる翻刻版を参照した。バウムは非常に不鮮明な写真版をもとに校訂したようで、そのテクストには多くの誤りや判読不明とされている箇所が含まれている。しかし現在最も入手しやすいテクストがバウムのものであることに鑑み、翻訳上明白な違いが出るような場合には、註においてバウムの判読の誤りなどを指摘した。BEEの読みは概ね正確であるように見受けられた。手稿自体にある誤記の訂正にも説得力があり、訳者も教えられるとことが多かった」(5頁)。

★日記ではしばしば「仕事をした/しなかった」という記述を目にしますが、これは軍務のことではなく、学問のことであるようです。1914年9月15日の日記にはこうあります。「昨日と一昨日は仕事をしなかった。試してみたが無駄であった。そうした〔学問上の〕事柄の全体が僕の頭にとってよそよそしかった。ロシア軍はわれわれを追い詰めている。われわれは敵のごく間近にいる。僕はよい気分だ。再び仕事をした。今は、ジャガイモの皮をむいている間、一番よく仕事をすることができる。僕はいつもその作業に志願する。僕にとってそれは、スピノザにとってのレンズ磨きと同じことなのだ。〔・・・〕今、僕に、まともな人間になるための機会が与えられているのかもしれない。というのも、僕は、死と目と目を合わせて対峙するのだから」(22~23頁)。同年10月9日には「一日中極めて激しい連続砲撃。たくさん仕事をした。少なくとも、一つの根本的な考えがまだ欠けている」(35頁)。10月9日には「たくさん仕事をした。しかし、前向きな成果はない。あたかも、ある考えがほとんどのど元まで出かかっているかのように思われる」(同)。同月17日には「昨日は非常にたくさん仕事をした。〔学問上の〕結び目がどんどん集まってきたが、解決を見出すことはなかった。〔・・・〕非常にたくさん〔学問的考察の〕素材を積み上げたが、それを秩序付けることができない。しかし、素材のこのような殺到を僕はよい兆候と捉える」(39、40頁)。同月22日には「〔小規模な〕交戦が、この近くで続いている。昨日、激しい連続砲撃。たくさん仕事をした。一日中、立ちっぱなしだった」(42頁)。同月24日には「非常にたくさん仕事をした。確かに、まだ成果はないのだが、かなり確信を持っている。僕はいま、僕の〔学問的〕問題を攻囲している」(43頁)。

★ウィトゲンシュタインは従軍のさなかに初期の主著でありデビュー作である『論理哲学論考』を執筆していました。『論理哲学論考』を著者の生活から切り離したところで読むのとはまったく別種の体験が、日記を読むことで得られる心地がします。ウィトゲンシュタインは戦場において気力を振り絞って「仕事」をし、それを恩寵と受け止めます。むろん、気の滅入る時もあればしばらくずっと「仕事」ができない時もあります。戦争が続くほどに彼の日記は陰惨さを増していきます。先に引用した二年後にはこんな記述があります。1916年7月6日、「先月は、大変な辛苦があった。僕はあらゆる可能な事態についてたくさん考えた。しかし、奇妙なことに、自分の数学的な思考過程とつながりをつけることができない」(118頁)。そしてその翌日、「しかし、繋がりはつけられるだろう! 言われえないことは、言われえないのだ!」(同)。この日記は『論考』の草案と隣り合わせに書かれたもので、その意味では『論理哲学論考』の余白に厳然と存在した見えざる言葉だと言えますし、ある言葉は上記引用のように表現を変えて『論考』へと結実します。日記と同時期の草案は「草稿一九一四-一九一六」として大修館書店版『ウィトゲンシュタイン全集』第一巻に収録されていますので(奥雅博訳)、併読をお薦めします。日記、草稿、そして本書『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』』の解説によって、ウィトゲンシュタインの横顔はいっそう陰影に富んだものとして浮かび上がってきます。


これからの本屋
北田博充著
書肆汽水域 2016年5月 本体1,200円 46判並製206頁 ISBN978-4-9908899-4-4

帯文より:これまでの本屋を更新し、これからの本屋をつくるために“私たち”ができることは何か。

★発売済。大阪屋栗田傘下のリーディングスタイルを絶頂期に電撃退社し、さきごろ某書店に移籍したと聞く北田博充(きただ・ひろみつ:1984-)さんの初めての編著書です。「ていぎする」「くうそうする」「きかくする」「どくりつする」の四部構成。BIRTHDAY BUNKO、飾り窓から、Bibliotherapy、Branchart、文額~STORY PORTRAIT~といった北田さんの手掛けたフェア企画を紹介すると同時に、本屋の未来を考える上で欠かせないキーパーソンへの取材をまとめています。取材や寄稿に応じているのは次の方々です。粕川ゆき(いか文庫)、福岡宏泰(海文堂書店元店長)、根岸哲也(大学職員)、中川和彦氏(スタンダードブックストア代表)、竹田信弥(双子のライオン堂)、辻山良雄(Title)、高橋和也(SUNNY BOY BOOKS)、久禮亮太(フリーランス書店員)。

★本書は北田さんが運営する書肆汽水域(しょし・きすいいき)の最初の単行本でもあります。カバー表3にはこの出版社についてこんな自己紹介文があります。「何かと何かが混じり合う中間点にこそ物事の本質がある。たとえば、大人と子ども、理想と現実、過去と未来。それに、夜と朝の中間点。夜明けの瞬間」。様々な人々の「あいだ」や位相の「境界」に立って仕事をしてきた北田さんらしい命名だと思います。もともとは昨秋、北田さんが花田菜々子さん(蔦屋家電)と共同で制作された無料ZINE『まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』に載っていた、西荻窪に想像上で存在する本屋さんの名前でしたが、ついに紙上で現実化したわけです。「夜明け」そのもののように、本書は最初の頁は青く、頁が進むにつれ徐々に薄くなり、最後は白い朝に近づきます。「ぼくは「夜明け」のような本をつくりたいと思っていた。夜の空気と朝の空気が混じり合い、一秒ごとに明るさが変化していく夜明けの瞬間。夜と朝の中間地点」(あとがきより)。内容構成においても造本においてもそれを果たした、ということかと思います。あとがきだけでなく本書にはそこかしこに素敵な言葉やアイデアが満ちあふれているのですが、それは現物をご覧になってからのお楽しみということで。キーワードは「中間地点」すなわちシンボリックに言えば、汽水域です。

★書店人や出版人のみならず、司書や著者や読者も必読と言える本書は、出版社・書店・取次の三つの業務を並行して行っている松井祐輔さん(H.A.Bookstore)が販売の窓口をつとめられています。本書がどこの本屋さんにおいてあるかは、書名のリンク先をご覧ください。また、卸売については非常に明快な取引条件がH.A.Bookstoreウェブサイトに載っていますので、興味のある書店さんはぜひご覧になってください。また、北田さんと松井さんは今月中旬、以下のようなトークイベントに出演されます。

◎北田博充×松井祐輔「「これからの本屋」をつくるために「私たち」ができること――『これからの本屋』(書肆汽水域)刊行記念」
出演:北田博充(書肆汽水域)/松井祐輔(H.A.Bookstore)
日時:2016年5月13日(金)
場所:本屋B&B(世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F)
料金:1500円+1 drink order


★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『しかし、誰が、どのように、分配してきたのか――同和政策・地域有力者・都市大阪』矢野亮著、洛北出版、2016年3月、本体2,500円、四六判並製336頁、ISBN978-4-903127-24-8
『異端者たちのイギリス』志村真幸編、共和国、2016年4月、本体7,000円、菊変型判上製520頁、ISBN978-4-907986-24-7
『君よ観るや南の島――沖縄映画論』川村湊著、春秋社、2016年4月、本体2,300円、四六判上製272頁、ISBN978-4-393-44417-7

★『しかし、誰が、どのように、分配してきたのか』は発売済。帯文はこうです、「地域有力者による「まとめあげ」。自助、自立、扶養を基調とする日本の福祉では、人々にお金やモノ等を分配するさい、地域有力者による「まとめあげ」が、戦後も行なわれてきた。つまり、ほんとうに支援が必要な人に分配されにくい地域対策が続いたのである。そのため、「スラム化→地域対策→再スラム化→地域対策」という悪循環をたどったのだ。このままではわたしたちは、超高齢社会と住宅老朽化にともない、既視感のある貧困と差別とを、いま以上に経験することになるだろう」。本書は福祉社会学がご専門の矢野亮(やの・りょう:1976-)さんが立命館大学に提出され、昨春博士号を授与された論文「同和政策の社会学的研究――戦後都市大阪を中心に」を全面的に加筆修正したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本文の立ち読みもリンク先でできます。著者は序章で本書の目的を次のように要約しています。「本書が明らかにしたいのは次の点である。第一に、分配の問題である。すなわち国や行政は、厄介で難しい部落への資源の分配をどのようにしておこなってきたのか、という問題である。第二に、アソシエーション(町内会や部落会、隣組組織などの組織態)の問題、つまり分配問題を解決するための媒介者〔メディエーター〕は誰だったのかという問題である。第三に、以上の問題をふまえたうえで、戦後日本社会における同和政策をめぐる「穢多頭=弾左衛門の仕組み」、すなわち「ボスが人びとをまとめあげるシステム」がどのように継承され、いかに変奏されていったのかについて描きだしたい。最後にこうした歴史的文脈における排除-包摂のメカニズムをめぐって、問題提起を試みたい」(17頁)。

★『異端者たちのイギリス』は発売済。帯文に曰く「はみだした者たちの群像史。伝統と革新、正統と異端が争い、なれあい、交錯し、分断しあってきた国。政治家からサッカー選手、軍人、旅行家、ビジネスパースン、そして海賊女王にいたるまで、その近現代史や社会を彩ってきたさまざまな人物群像を通じて、世界に冠たるこの異端の国の全体に肉薄する」。「異端者たちの系譜」「娯楽のイギリス」「イギリスのなかの『異国』」「南方熊楠とイギリス」の四部構成で、32名の研究者が寄稿した骨太なアンソロジーです。イギリス文化史がご専門の京都大学・川島昭夫教授に捧げられた退官記念論集とのこと。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。編者の志村さんは「はじめに」でこう書かれています。「本書が意図するのは、イギリス史上の奇人・変人たちの奇天烈なエピソードを並べ立てることではない。むしろ、数多くの傍流の人々を受けいれ、ときには彼らの力を活用してきたイギリスという社会の豊かさ、そして彼らを通じて、これまで充分に注目されてこなかったイギリス社会の諸側面を提示することこそが目的なのである。一枚岩とは対極にあるような雑多性に焦点を合わせて、イギリス史を描いてみたいのだ」(4頁)。「異端者が多いのは、イギリス社会がその存在を許容しているからであろう。ひととは違う生き方が認められたからこそ、彼らはのびのびと個性を発揮できたのである。それは同質化とは正反対の方向性である。異端的なるものを抑圧し、平準化の圧力をかけてくるような社会に進歩はない。同化させるのではなく、他者は他者のまま野放しにする。そして、スポーツにせよ、科学や技術にせよ、芸術にせよ、きちんと結果が出れば、それでよしとする。つまり、異端を許容する社会とは、壮大な試行錯誤を行う空間であり、その収穫こそがイギリスに、豊かで革新的な歴史をもたらしてきたのではないだろうか」(9~10頁)。本書の第4部「南方熊楠のイギリス」は日本の読者にとっては特に興味深いかもしれません。橋爪博幸「H・P・ブラヴァツキーと南方熊楠の宇宙図」、松居竜五「「東洋の星座」再論」、志村真幸「南方熊楠と『ネイチャー』誌における天文学」、安田忠典「アカデミズムへの羨望」を収録。今月中旬には講談社選書メチエで中沢新一さんの新著『熊楠の星の時間』が刊行されるタイミングでもあり、興味は尽きません。

★『君よ観るや南の島』は発売済。帯文に曰く「『ひめゆりの塔』から『ウルトラマン』『沖縄やくざ戦争』まで。スクリーンに立ちあらわれる沖縄を手がかりに、戦後日本、そして現代のありようを考える社会批評」。全22編を序とあとがきではさみ、巻末には「沖縄関連映画リスト」(1934~2016年)が掲載されています。あとがきにで川村さんはこう書かれています。「映画によって沖縄を表象することは、すぐれて政治的な行為でもある。もちろん、それを鑑賞することも、批評することも、そうした政治性からは逃れられない。とりわけ、沖縄戦後、七十年以上が経過しても、米軍による実質的な占領がまだ終わっておらず、新しい体制での沖縄の米軍基地化が半永久的(今のところは)に持続されようとする現在において、沖縄について何かを語ることは、個人的な、単なる自己表現的なものでは決してありえないのである」(247頁)。こうした立場から本書末尾では川村さんはこう書かれています。「戦争勢力に対する抑止力や、安全保障のためと称して、日本国内に米軍基地が居座り続けることには反対である。その上で、約束されたはずの普天間基地の撤退、変換が速やかに実行されることは、当然であり、必然的なことだと改めてここに明記しよう」(244頁)。

2016年5月下旬新刊『ユンガー政治評論選』

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2016年5月25日取次搬入予定 *人文・政治哲学

ユンガー政治評論選
エルンスト・ユンガー=著 川合全弘=編訳
月曜社 2016年5月 本体2,800円 46判並製304頁 ISBN978-4-86503-032-7

アマゾンおよびhontoにて予約受付中!

内容:20世紀ドイツの文壇に屹立する作家エルンスト・ユンガーの政治評論の中から、自らの従軍経験より発した1920~30年代における特異なナショナリズム思想と、40年代の汎ヨーロッパ主義への変遷を映す、重要テクストを精選。戦没者を悼むことを通じて、戦争という破局的試練や憂国/愛国のありようを情熱的かつ怜悧に分析した諸篇とともに、ナチズムとの批判的対峙を跡づける本邦初訳の一連の論考をまとめる。孤高の作家の政治遍歴と実存的格闘を、原典の翻訳と懇切な解説でたどる、稀有な一冊。『追悼の政治』増補改訂版。

2005年刊『追悼の政治』では「忘れえぬ人々」まえがき・あとがき、「総動員」「平和」「訳者解説」を収録。今回の新しい版ではそれらを「第一部:追悼論」にまとめ、既訳と解説を改訂のうえ、「カスパール・ルネ・グレゴリー」を増補。さらに「第二部:ナチズム観」として新訳三篇と訳者解説を加えました。

目次(※=新規追加テクスト)
第一部「追悼論」
忘れえぬ人々 まえがき
カスパール・ルネ・グレゴリー ※
忘れえぬ人々 あとがき
総動員
平和
第一部解題「エルンスト・ユンガーにおける追悼論の変遷」
第二部「ナチズム観」
ナショナリズムとナチズム ※
「ナショナリズム」とナショナリズム ※
没落か新秩序か ※
第二部解題「急進ナショナリストのナチズム観」 ※
編訳者あとがき

エルンスト・ユンガー(Ernst Jünger, 1895–1998):ドイツの作家。ハイデルベルグに生まれる。第一次世界大戦に出征し、主に西部戦線の塹壕で戦う。1918年、軍功によりプール・ル・メリットを受勲。1920年に戦争日記『鋼鉄の嵐の中で』を出版して以降、日記、エッセイ、小説、往復書簡集などの分野で数多くの著作を執筆する。1982年、ゲーテ賞を受賞。近年の邦訳書に以下のものがある。『パリ日記』(山本尤訳、月曜社、2011年、品切)、『労働者』(川合全弘訳、月曜社、2013年)。

川合全弘(かわい・まさひろ:1953-):京都産業大学法学部教授。専門は(ドイツ政治思想史。著書に『再統一ドイツのナショナリズム』(ミネルヴァ書房、2003年)がある。

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