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ブックフェア「哲学書房を《ひらく》」@ジュンク堂書店・丸善

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先月末で廃業された哲学書房さんの出版物を取り揃えた回顧フェアが以下の通り都内3店舗で行われます。一番手は明日2月26日オープンのジュンク堂書店立川高島屋店さんです。

◎哲学書房を《ひらく》――編集者・中野幹隆が遺したもの

◆ジュンク堂書店立川高島屋店(2月26日オープン)
場所:6Fフェア棚
期間:2月26日(金)~3月下旬
住所:立川市曙町2-39-3 立川高島屋6F
営業時間:10:00~21:00
電話:042-512-9910

◆ジュンク堂書店池袋本店
場所:4F人文書売場
期間:3月1日(火)~4月上旬
住所:豊島区南池袋2-15-5
営業時間:月~土10:00~23:00/日祝10:00~22:00
電話:03-5956-6111

◆丸善丸の内本店
場所:3F人文書売場(Gゾーン)
期間:3月1日(火)~4月17日(日)
住所:千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾショップ&レストラン1~4F
営業時間:9:00~21:00
電話:03-5288-8881

なお、哲学書房さんの廃業については「東京新聞/中日新聞」2016年2月22日(月)夕刊の「大波小波」欄に「哲学書房がなくなった」という記事が載っており、オンラインでは有料で読むことができます。


備忘録(23)

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◆2016年2月26日22時現在。
死神はこのところたいてい金曜日にやってきます。15時過ぎから業界内外に衝撃を与えている例の件、だいたい一通り本日分の記事は配信され終わったでしょうか。少しずつまとめたいと思います。

「帝国データバンク」2月26日付の大型倒産速報「書籍・雑誌小売/「芳林堂書店」「コミックプラザ」を展開/株式会社芳林堂書店/破産手続き開始決定受ける/負債20億7500万円」に曰く「(株)芳林堂書店(資本金2000万円、豊島区西池袋3-23-10、代表齋藤聡一氏)は、2月26日に東京地裁へ自己破産を申請し、同日付で破産手続き開始決定を受けた」と。

今週月曜日に版元・書店各社にFAXされた太洋社の中間決算報告書を読んだ人々にとっては、ことさら驚くべき展開ではないものの、記事末尾の展開には眉をひそめた向きも少なくないようです。

また曰く「戦後、古本販売業を目的に個人創業され、1948年(昭和23年)3月に法人改組した書籍小売業者。71年にはJR池袋西口に芳林堂ビルを建設し、旗艦店となる池袋本店をオープン。その後も都内を中心に出店を進めて業容を拡大し、99年8月期には年売上高約70億5000万円をあげていた」。

池袋本店はリブロ池袋店の活躍以前ではまさに池袋の一番店で、新刊書店・古書店(古書高野)・喫茶店(栞)がひとつのビルに入居している、実に便利な本屋さんでした。90年代半ばまで人文書売場で黒色戦線社の刊行物をずらりと棚に並べていたのは都内では珍しかったですし、90年代後半には硬派路線から方向転換し1Fでサブカル棚にいち早く力を入れていました。

また曰く「しかしその後は、長引く出版不況と相次ぐ競合大型店の出店から売り上げの減少が続き、2003年12月に池袋本店を閉店、2004年1月には芳林堂ビルを売却した。以後も店舗のスクラップアンドビルドを進め、近年はエミオ狭山市店をオープン(2014年8月)させた一方、津田沼店(2014年5月)、センター北店(2015年4月)、汐留店、鷺ノ宮店(ともに2015年9月)を閉店。近時は、高田馬場店、コミック本専門店の「コミックプラザ」(豊島区西池袋)など都内4店舗、埼玉県5店舗、神奈川県1店舗の計10店舗の直営店展開となっていたが、2015年8月期の年売上高は約35億8700万円にダウン、厳しい資金繰りを強いられていた」。

池袋本店の閉店後は高田馬場店が基幹店でした。人文書版元にとっては、十数年前に退職された名物書店員の生天目美代子さんのことをどれほど懐かしく思い出すことでしょうか。「人文書に日々接していると、うつりゆく社会の様々な出来事の深層に目を凝らすようになる。地理的視野が広がり、歴史的認識が深まって色んなことが見えてくる、やりがいのある分野なのです」。生天目さんはどの営業マンにもそう教えて下さいました。新しい文化動向が出てくると訪問する営業マンに必ず矢継ぎ早に質問し、常に情報収集のアンテナを張っておられたのでした。

また曰く「負債は債権者約187名に対し約20億7500万円」。そのほとんどは太洋社という理解で良いと思います。ハードランディングを版元ももはや覚悟せざるをえません。

そして肝心の記事末尾。「なお、当社は商号を2月25日付で(株)芳林堂書店から(株)S企画に変更して自己破産を申し立てている(2月26日時点で商業登記簿上では商号変更されていない)ほか、(株)書泉(東京都千代田区)に事業譲渡することで合意。店舗の営業は継続している」。

なお、とまるでついでのように書かれていますが「商号変更して自己破産」&「事業譲渡」と。このあたりは「S企画」の2月26日付関係者各位宛文書「事業承継先のご連絡」を読まないと何が何やら分からないことになっています。この文書は取引先を中心に配布されていると見え、中身を見ていない版元も多いだろうと思われます。文書の概要については「新文化」2月26日付記事「芳林堂書店、負債20億円で破産」や「図書新聞」トップページに本日掲載された記事「芳林堂書店、書泉に書店9店と外商部門を事業譲渡――2月26日付で自己破産を申請。同日付で破産手続き開始決定受ける」をご覧ください。両記事とも同文書を参考にしているものと推測できます。

「新文化」に曰く「同社は高田馬場駅店やコミックプラザ店、みずほ台店など9店舗を運営しているが、書泉(東京・千代田区)へ書店事業を譲渡(譲渡日は2016年8月26日予定)することで合意している。外商部事業は新設の分割会社「株式会社芳林堂書店外商部」が事業継承する(新設分割、分割効力発生日は同年2月25日)。ただし、事業譲渡実行日までは、引き続き同社が店舗運営する」。

少しまだ分かりにくいでしょうか。「図書新聞」の説明を見てみます。曰く「芳林堂書店は、3月26日に9店舗の書店事業をアニメイトグループの書泉に譲渡する。外商部については、芳林堂書店が2月25日に会社分割で新設した「株式会社芳林堂書店外商部」の株式を2月26日に書泉に譲渡する。/これに伴い、同書店は2月26日に東京地裁に自己破産を申請し、同日で破産手続き開始決定を受けた。同書店は商号を「株式会社S企画」に変更して、清算手続きを進めていく。/〔・・・〕債権者集会は6月7日午後2時半から東京家庭・簡易裁判所合同庁舎5階で開く予定」。さらに曰く「同書店は2月5日の太洋社の自主廃業の表明を受けた後、第三者の支援を求めて、書店・外商部事業の維持・存続に向けて協議を進めてきた。その結果、書泉との間で従業員や店舗賃貸人等の関係者の同意が得られることを条件に事業承継することで合意に至った。/今後は、破産管財人の下、書店事業の譲渡と新設分割会社の株式譲渡が実行される予定だが、書店事業の譲渡日までは同書店が店舗運営にあたる。〔・・・〕」。

事業譲渡と破産手続きの一般的説明はたとえばこちらをご覧ください。「事業譲渡は,個別的な財産処分行為ですから,事業譲渡により譲渡する事業に関する債務であっても譲受会社に承継するには,当該債権者の承諾が必要です」。「破産手続は,事業の清算を目的とするわけですから,破産手続前後に事業譲渡をすることで当該事業は破産財団を構成し得なくなるため,債権者に与える影響は極めて大きいと言えます。当該事業を存続させることに社会的意義を見いだすことができて,事業の全部又は一部を換価する事が可能であり,事業譲渡の結果として譲渡会社の破産財団を増殖させるような場合に許容される方法だと考えられます。その意味で債権者らの理解が得られる様な形で慎重に進めていく必要があります」。

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◆2月26日23時現在。

「東京商工リサーチ」2月26日付速報「[東京] 書店経営/(株)芳林堂書店/~太洋社自主廃業の影響で初の倒産~」に曰く「取次の変更を模索していたが太洋社への未払い債務などの問題もあり難航し、2月初旬から新刊などが書店に入荷しない事態が発生して話題となっていた。/なお、当社は数日前に商号を(株)S企画に変更(登記は未登記)、書店運営については(株)書泉(千代田区)へ事業譲渡することで合意しているが、詳細日程については未定。/2月26日現在、太洋社の自主廃業に向けた動きに関連した書店の休業や閉鎖は10店舗、倒産は1社となっている」。

同速報には「太洋社の自主廃業に向けた動きに関連して店舗閉鎖や休業した書店」が一覧化されています。「愛書堂」のあとには「富山市・精文館書店」「長崎市・Books読書人」「北九州市・アミ書店」などがリストに挙がっています。今後もおそらくこのリストは長く伸びていかざるをえないのでしょう。

同速報を受けた内容の記事には「ねとらぼ」2月26日付記事「芳林堂書店が破産 「コミックプラザ」など運営――書店運営については書泉に事業譲渡することで合意。」(同記事のコメント欄付ヤフー版)や「毎日新聞」2月26日記事「芳林堂書店――破産手続き開始決定 負債20億」があります。記事に無関係のコメントが投稿されがちなのはヤフコメの宿命ではあります。先に紹介した「帝国データバンク」の速報はヤフーニュースにも掲載されており、多数のコメントが寄せられています。この速報を受けた記事には「ITmediaビジネスオンライン」2月26日付記事「芳林堂書店が破産申し立て――首都圏で書店を展開する芳林堂書店が破産。」(同記事のコメント欄付ヤフー版)や、「Excite Bit コネタ」2月26日付記事「芳林堂書店の破産にショック受ける人続々「学生時代お世話になった」」などがあります。

業界の内部情報のチェックには今なお、2chの一般書籍板のスレッド「太洋社がピンチ」が有効です。また、配信のタイミングを見計らっていたようにも思えるほど分厚い記事、「CNET Japan」での林智彦さんによる連載「電子書籍ビジネスの真相」の2月26日付最新記事「芳林堂も破産、書店閉店が止まらない日本――書店復活の米国との違いとは?」では、「書店数と総坪数の推移(2003~2014年)」「書店空白自治体(2014年:都道府県別空白自治体数/空白自治体率)」「書店が減っている(1日1店弱/書店がない自治体数の数/書店がない市)」「書店売上ランキング(2013年度)」「丸善CHIホールディングス業績推移(売上高/経常利益率)」「文教堂ホールディングス業績推移(売上高/経常利益率)」「TSUTAYA書籍・雑誌販売額と加盟店舗数の推移」などのデータ分析を積み上げ、書店業界の概要を説得的に説明されています。立地(駅前―郊外)を縦軸にし、業態(専業―兼業)を横軸にした書店分布図も興味深いです。同記事の後半では米国の書店事情も様々なデータとともに概説され、さらには日本と米国の書店利益率の違いについても切り込んでおられます。「日本における書籍販売のマージン分配」「米国における書籍販売のマージン分配」「日本の出版社の収益構造」「中小書店には売れる本が回ってこない」などのデータは必見です。同連載で3年前に3回にわたって解説された「書籍にまつわる都市伝説の真相――委託販売、再販制度は日本だけなのか」も今後を模索するうえで必読かと思います。

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◆2月27日午前0時現在。
「東京商工リサーチ」の「データを読む」欄の2月26日付記事「太洋社の自主廃業に連鎖した書店の倒産・休廃業調査」の結論部分に曰く「太洋社の自主廃業により休廃業を決めた書店の多くは地方に所在する。ネット通販や電子ブックの登場で書籍を購入する方法は以前より増えたものの、高年齢層を中心に従来通り「町の書店」で書籍を購入している人も少なくない。こうした状況において、地域に根差した書店の減少は文字・活字文化への接触機会を読者から奪うことに繋がりかねず、情報格差が進行する危険性も孕んでいる」と。

情報格差はネットや図書館で補える、と仰る方もおられるかもしれません。ネットと書籍の情報量は違うので、補える分野とそうでない分野が出てくるでしょう。また図書館とて新刊すべてを購入できるわけではありませんから、「読者が出会わない本」は書店の減少とともに必然的に増えることになるでしょう。ネット書店で出会える、とも言えますが、ネット書店ではモノとしての本が人に与える様々な感覚やアウラは味わえませんし、書架のあいだを逍遥することと、関連書をネットサーフィンすることは端的に別の経験だと言えるでしょう。

さらに曰く「休廃業を決めた書店は、その理由として「帳合変更に伴い書籍1冊あたりの利益率の低下」、「取次業者への保証金の差し入れによる資金負担」などをあげている。太洋社の後を引き継ぎ、地域の書店との取引を新たに開始しようとする取次業者が、地域書店に対して与信コストを踏まえた上での取引条件の提示や、保証金差し入れを要求することはやむを得ない面もある。しかし、これにより地域書店の淘汰が進み書店空白エリアが広がることは、再販制度が掲げた文字・活字文化の振興の理念を瓦解させてしまう。市場原理に伴い企業の新陳代謝が図られるのは避けられないが、急激な変動は利益を享受すべき読者に大きな不利益を与えかねず、業界全体で激変緩和に向けた取引方法の構築を模索すべき時期に来ている」。

この前段でも再販制が言及されており、議論の直接的対象になっているわけではないとしても、「激変緩和に向けた取引方法の構築」というテーマには当然、再販制の弾力的運用も含まれることでしょう。商取引の細部を見れば再販制のみを論じればいいのではないことは明らかなので、「再販制は悪」などという議論の単純化は賢明に避けねばなりません。

「ハフィントンポスト」2月26日付、安藤健二氏記名記事「芳林堂書店が倒産。太洋社廃業の影響で「町の本屋さん」が続々と閉店」は「帝国データバンク」や「東京商工リサーチ」の速報内容を受けての記事です。曰く「主力仕入先である書籍取次の太洋社が2月5日、自主廃業も想定して会社の全資産の精査などを進める方針を突如として発表した。芳林堂書店は、取次の変更を模索していたが太洋社への未払い債務などの問題もあり難航し、2月初旬から新刊などが書店に入荷しない事態になっていた。〔・・・〕東京商工リサーチによると、太洋社の今回の動きに関連して、芳林堂書店以外にも全国的に10の書店が閉鎖や休業に追い込まれることになった」。事実と相違する部分があるわけでないものの、この記事タイトルと内容では、芳林堂の未払いの累積が太洋社廃業の最大要因のひとつになっていることがあまり伝わらないかもしれません。事態はさらに悪くなり、今や芳林堂の自己破産によって太洋社は自主廃業すらかなわなくなる可能性が出てきているのです。太洋社の後ろには帳合書店さんもいれば版元もいます。芳林堂に対する出版業界の目は実際のところここしばらく厳しさを増していかざるをえないでしょう。そしてそのありうべき帰結として、書泉さんやその帳合取次さん(もちろん太洋社さんではありません)を囲む空気感にも変化は出てくるでしょう。同情と苛立ちは両立しうるものですから、それぞれの立場を理解しつつも内心は冷ややかでしょう。

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注目新刊:佐々木中さんの安吾論『戦争と一人の作家』、ほか

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戦争と一人の作家――坂口安吾論
佐々木中著
河出書房新社 2016年2月 本体2,200円 46判上製288頁 ISBN978-4-309-24750-2

帯文より:君はもう堕落している。「戯作〔ファルス〕」を求めた作家・坂口安吾はなぜ特攻を賛美したのか――? あらゆる安吾論を無に帰しながら〈現在〉を撃つ、かつてない思考の雷撃。「爆心地の無神論者――『はだしのゲン』が肯うもの」収録。

目次:
戦争と一人の作家――坂口安吾論
 一 ファルスの定義
 二 初期ファルスの実際とその蹉跌
 三 「吹雪物語」へ
 四 「吹雪物語」の挫折
 五 「文学のふるさと」と芋虫の孤独
 六 「イノチガケ」――合理主義と死
 七 「紫大納言」から「桜の森の満開の下」へ、そしてその彼方へ――消滅のカタルシス
 八 安吾の文体論――「文章のカタダマ」の「必要」
 九 イノチガケの特攻――「日本文化私観」と「特攻隊に捧ぐ」
 十 堕落・政治・独創――「堕落論」「続堕落論」再考
 十一 戦争と美と一人の女と
 十二 ファルスの帰結――明日は天気になれ、もう軍備はいらない
 註釈
ゲン、爆心地の無神論者――『はだしのゲン』が肯うもの


★発売済。季刊誌「文藝」2016年春号に掲載された論考の、続きを含む全体が単行本として早くも刊行されました。分量的に言えば「文藝」掲載分(第八章終わり近く、正確には単行本版107頁の引用まで)は本作の半分でした。安吾の特攻賛美の詳細を小説「真珠」(1942年)に見る第九章にはこんなくだりがあります。「この奇妙な死を前にした「呑気」と「遠足」に、何が瞠目すべき、注意を払うべきものを見出す必要は全くない。ありふれている。世界中でいま現在も繰り返されている光景に過ぎない」(125頁)。このあとの段落にはGHQの検閲によって雑誌から全文削除となった安吾の「特攻隊に捧ぐ」(1947年)からの引用が続くのですが、そのなかには「いのちを人にささげる者を詩人という。唄う必要はないのである」という言葉があります。

★佐々木さんの安吾論は、私たちが生きる現代世界に頻発している自爆テロや現代日本の安全保障問題を論じているわけではないにもかかわらず、「今」を生きる読み手の肺腑に冷ややかにそして熱く刺さってくる刃のようなものを有しています。個人的には注375にある次の示唆が、佐々木さんの今後の新作へと続いていくような期待感を持たせてくれます。「ガーンディーの非暴力抵抗はキング牧師のそれとともに実は「暴力」を定義自体を変容させるものであるが、他の機会に譲る」(246頁)。本書に『はだしのゲン』を扱った論考(初出は『「はだしのゲン」を読む』河出書房新社、2014年)が併載されているのもまた非常に印象的です。

★「描き、書き、歌い、踊り、語り、創り、癒し、生き延びていく……藝術のすべてが爆心地で肯定されている。これをナイーヴだと言うのならば、よろしい。愚直で凡庸であると言うなら、よろしい。もう何も言うことはありません。そういう人は、筆を折るといい。言い訳は必要ありません。筆を折るべきです」(278頁)。帯文に「思考の雷撃」とありますが、確かに佐々木さんの文章にはそれを感じます。読んでいる最中には静電気のようなエネルギーがいつの間にか体内に入り込み、読後に世界と再び触れ合う際にバチンと衝撃が走り抜けます。この驚くべき強度こそ佐々木中さんの魅力です。


スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタヴュー
ジョナサン・コット著 木幡和枝訳
河出書房新社 2016年2月 本体2,200円 46変形判並製228頁 ISBN978-4-309-20702-5

帯文より:素の私、沈黙している私に出会ってほしい――世界文学、サブカルチャー、エロティシズム、そしてふつうの生活……絶頂期のスーザン・ソンタグと『ローリング・ストーン』誌との、オープンで、重層的で、複雑な会話。

目次:
まえがき(ジョナサン・コット)
スーザン・ソンタグの『ローリング・ストーン』インタヴュー
訳者あとがき(木幡和枝)

★発売済。1978年11月にソンタグの自宅で行われたロング・インタヴューを収録しています。このインタヴューは1979年10月に『ローリング・ストーン』誌に三分の一だけ収録され、35年後に全体が単行本 Susan Sontag: The Complete Rolling Stone Interview (Yale University Press, 2013)として出版されました。その日本語訳が本書です。このインタヴューはソンタグの『隠喩としての病』(1978年)や『写真論』(1977年)を上梓した時期と重なります。インタヴューのテーマは多岐にわたりますが、その分「ソンタグらしさ」の幅が示されているように感じます。印象的だったもののひとつを以下に引用しておきます。

★「もっとも早い時期から私が使命感をもってやってきたことのひとつは、思考と感情の区別に反対することだったわ。実際、これがすべての反知性的なものの見方の基盤になっていると思う。心と頭脳、考えることと感じること、空想と良識……私はこんな分断があるとは信じていない。私たちはだいたいにおいて同じ身体をもっているけれど、考えとなると非常に異なるものがあるわ。体で考えるというより、文化が与えてくるさまざまな手立てを通して考える、その度合いのほうが強いと信じている。だからこそ、世の中にはこれだけ多様な考え方があるんだわ。考えることは感じることのひとつのかたちだし、感じることは考えることのひとつのかたち、そんな感じがする。/たとえば、私が行うことの結果が本や映画になる、私ではない事物になるわけで、それらは言葉であれ視線であれ、なんであれ、何かの転写物なのよ。これは、純粋に知性に委ねた工程だと想定する人もいるでしょう。だけど、私がやることのほとんどは直観に動かされているのであって、理性の出番にも負けないほど多い。愛は包括的な了解を前提にしているとは言わないけれども、誰かを愛しているとなれば、ありとあらゆる考えや判断に与することになる。それが実態なのね」(116-117頁)。

★ちなみにインタヴュイーであるコットによるまえがきは、ソンタグの「ボルヘスへの手紙」(1996年)からの引用で締めくくられています。その部分はそのまま出典である『書くこと、ロラン・バルトについて』(富山太佳夫訳、みすず書房、2009年)の版元紹介文の冒頭に引用されている箇所と一緒です。たいへん感動的な一節で、特に出版人・書店人の胸に響く内容となっていますので、ぜひリンク先でお読みください。


これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得
荒木優太著
東京書籍 2016年2月 本体1,500円 四六判並製256頁 ISBN978-4-487-80975-2

帯文より:勉強なんか勝手にやれ。やって、やって、やりまくれ! 16人の在野研究者たちの「生」を、彼らの残した文献から読み解き、アウトサイドで学問するための方法を探し出す。大学や会社や組織の外でも、しぶとく「生き延びる」ための、〈あがき〉方の心得、40選。

目次:
はじめに――これからのエリック・ホッファーのために
在野研究の心得
第一章 働きながら学問する
 どれくらい働いたらいいのか?――三浦つとむ(哲学・言語学)
 終わりなき学びを生きる――谷川健一(民俗学)
 学歴は必要か?――相沢忠洋(考古学)
第二章 寄生しながら学問する
 絶対に働きたくない――野村隈畔(哲学)
 勝手にやって何が悪い?――原田大六(考古学)
第三章 女性と研究
 女性研究者という生き方――高群逸枝(女性史学)
 大器晩成ス――吉野裕子(民俗学)
第四章 自前メディアを立ち上げる
 自前のメディアで言論を――大槻憲二(精神分析)
 評伝の天才――森銑三(書誌学・人物研究)
 言葉を造る――平岩米吉(動物学)
第五章 政治と学問と
 政治と研究――赤松啓介(民俗学)
 市民社会のなかで考える――小阪修平(哲学)
第六章 教育を広げる
 「野」の教育法――三沢勝衛(地理学)
 領域を飛びわたれ――小室直樹(社会科学)
第七章 何処であっても、何があっても
 好奇心が闊歩する――南方熊楠(民俗学・博物学・粘菌研究)
 旅立つことを恐れない――橋本梧郎(植物学)
あとがき――私のことについて、あるいは、〈存在へのあがき〉について

★発売済。著者の荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さんは東京都生まれの在野研究者で、明治大学文学部で博士前期課程を修了されています。ご専門は有島武郎。論文「反偶然の共生空間――愛と正義のジョン・ロールズ」(「群像」2015年11月号)は第59回群像新人評論賞優秀作で、2013年にブイツーソリューションから自費出版され力作『小林多喜二と埴谷雄高』が単著第一弾です。この第一弾はアマゾン・ジャパンのみで販売されていたようですが、現在は品切。古書店やオークションの検索でも引っかかりません。もったいないことです。第二作となる今回の新刊のテーマは副題にある通り「在野研究者の生と心得」をめぐるもの。ここまでのコンボで荒木さんの苦労人ぶりが偲ばれるわけですが、今回の新刊は「かわいそう」などと思いながら読む本ではありません。軽い気持ちで読み始めるとガツンとやられます。言い返されるというわけではなく、本気度が違うのです。時間のない読者はまず本屋さんで本書冒頭にある「在野研究の心得」に目を通してみてください。全部で40項目ある箇条書きで、これにピンときたら本書は絶対に「買い」です。凡百の自己啓発書よりよっぽど面白く読めると思います。この40項目に感銘を覚えない出版人がいるでしょうか。出版人もまた「在野」の人間なのです。

★二年間大学院に通っておられた頃の苛立ちを直截に綴った「あとがき」にはこう書かれています。「研究者が教師であらねばならない、などという意見が間違っていることは直感的には理解できた。学校のなかでしか生きられないほど天下の学問様がヤワなはずないだろ、このスットコドッコイ!」(251頁)。だからこそのこの書名、だからこそホッファーなのです。ホッファーを知らないという不運な、いえそれどころか幸運な方は、説明しませんからまずネットで調べるか、『エリック・ホッファー自伝』(中本義彦訳、作品社、2002年)をお読みになってください。ちなみに荒木さんの本ではホッファーその人を扱っている章はないので、あるいは今後、荒木さんに選者になっていただいて『ホッファー語録』が編まれたら、とも想像します。

★ちなみに荒木さんは、インディペンデントな同人ウェブサイト「エン-ソフ」で2013年に、フランスの哲学者エミール・ブートルー(1845-1921)の著書『自然法則の偶然性について De la contingence des lois de la nature』(1898年)をお訳しになっておられます。この本には古い訳(『自然法則の偶然性』野田又夫訳、創元社、1945年)がありますが、約70年ぶりの新訳です。「元々、訳者がブートルーに興味をもったのは、ブートルーの偶然論を批判的に継承した主著『偶然性の問題』を書いた九鬼周造が、具体的に如何に本書を読んだのか(彼は昭和五年に演習のテキストとしてブートルーの偶然論を選んでいる)、それを知りたかったためだ」とのこと。荒木さんへの注目は今後ますます高まる予感がします。


アートの入り口――美しいもの、世界の歩き方[アメリカ編]
河内タカ著
太田出版 2016年2月 本体1,800円 四六判並製368頁 ISBN978-4-7783-1494-1

帯文より:毎朝流れてくるラジオのような、気持ちのいいエッセイ集。絵画も写真も映画も音楽も、数多くの著名なアーティストたちと交流してきた著者と散歩するアートの世界。アンディ・ウォーホル、パティ・スミス、ウィリアム・クライン、ジャクソン・ポロック、ヴィヴィアン・マイヤー……「私のお気に入り」。

★発売済。著者の河内タカ(かわち・たか:1960-)さんは、1980年から30年間にわたってニューヨークで現代アートや写真を扱う展覧会のキュレーションや写真集の編集などを多数手がけられ、2011ねに帰国後は「amana photo collection」のチーフディレクターをおつとめになっておられます。単独著としては本書が第一作となるようです。目次は書名のリンク先でご覧ください。冒頭部分の立ち読みもできます。本書で取り上げられるアーティストや写真家は多数に上るのですが、その中から個人的に興味がある人物、ゴードン・マッタ=クラーク(1943-1978)による「フード」(1971-1974)に関する紹介を以下に引いておきます。

★「ここは、長く見捨てられていた商業スペースを再利用した簡易食堂で、お腹をすかしたアーティストたちに食事を提供し支援することに加え、この場所を拠点とした新しいコミュニティを作るという試みで、彼流のパフォーマンスとしてのアートプロジェクトであったのです。/この『FOOD』は三年間運営され、マッタ=クラークと彼を支える大勢のアーティストの友人たちが自ら料理をサーブしたりと、この店を盛り立てることに積極的に参加していたといいます。つまり、マッタ=クラークのアートとは、人々が生活する空間やそこに集まるコミュニティをテーマにし、アーティストと観衆の出会いの新たな場を作り上げることだったはずです。また、捨てられた家や空間をアート作品として提示したのも、そこに新たなまなざしを向けさせ価値を見出すといった、それまでのアートになかった画期的な行為だったと思います」(263-264頁)。

★途中を省略して言ってしまうと、マッタ=クラークのパフォーマンスは、リアルな空間の潜在力をいかに最大限引き出し活用するか、という書店業界の課題にとって重要な示唆を含んでいると思われます。さらに言えば、書店による書き手の支援(インキュベーターとしての書店)という点でも、議論の参考になるでしょう。今回の紹介では取り上げた本の書き手が偶然にも全員「在野」であったわけですが、「野に住む者の力」を出版人や書店人が信じることは今後のこの業界にとってたいへん重要であると感じます。鳥のように自由に。

備忘録(24)

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◆2016年3月1日14時現在。
朝一番で太洋社さんよりFAXが入りました。3月1日付、國弘社長名で「お取引出版社様」宛の「ご報告とお願い」全2頁です。自主廃業に向けて今後の手続きのスピードを速めていくことが窺われます。重要ないくつかのポイントがありますが、いずれ業界紙で概要が報じられることでしょう。

なお「備忘録(23)」以後の太洋社関連の報道や論説には以下のものがあります。

「ヤフーニュース」2月27日付、篠田博之(月刊『創』編集長)氏記名記事「芳林堂書店の自己破産と出版界に広がる深刻な危機」に曰く「スマホは確かに便利だが、紙媒体の情報がネットに代えられるわけではない。最近、ニュースといえばヤフーニュースしか見てないという若い人が多い。でも、ネットニュースと新聞のニュースは実はかなり違う。このあたりはもうさんざん言われていることだから今さら書かないが、ネットの速報性は他のメディアをもって代えがたいが、新聞の持っている情報をネットが全て肩代わりできるわけではない」と。本論からは外れる言及ではあるものの、このことは「さんざん言われている」とはいえ、読者の多くはあまり気づいていないかもしれません。

「おたぽる」2月29日付、昼間たかし氏記名記事「太洋社の自主廃業の影響を受け、芳林堂書店もアニメイトグループに」に曰く「先週からは「日販・トーハンと帳合変更を協議したが、未払いの多さが原因で蹴られた」「一度は支援企業が決まりかけたものの、不採算店舗の状態を見て逃げられた」といったウワサが業界内で公然と流れるようになっていた。2月末にはなんらかの結論が出ると見られていたが、それは自己破産の申請という形になった」。「書泉は、現在神保町の書泉グランデと秋葉原の書泉ブックタワーを運営する企業。2011年以降はアニメイトの子会社となっている。/実際に、どのような形で事業譲渡が行われ、不採算店舗についても運営を継続するか否かは、まだ明らかになっていない。だが、アニメイトの勢力が一段と拡大することは間違いないだろう」と。

「東京商工リサーチ」2月29日付速報「[熊本] 書店経営/八重州書店(個人企業)/~業歴約50年の老舗書店、太洋社の自主廃業に連鎖した書店閉鎖は11店舗目~」に曰く「八重州書店(熊本市中央区出水4-38-29、事業主:中島邦博氏)は2月21日、運営する唯一の店舗「八重州書店江津店」を閉鎖した」。「創業から約50年の老舗書店で、最盛期は熊本市内を中心に7店舗を運営していた。しかし、市場の縮小や景気低迷、インターネット通販や電子書籍の普及などから順次店舗を閉鎖し、江津店の1店舗の運営となっていた。出版取次の(株)太洋社(千代田区)との親密な連携により、コミックの取り扱いは他の書店よりも充実し、地域住民より一定の支持を得ていた。〔・・・〕八重州書店の関係者によると、〔太洋社の自主廃業準備〕公表後、速やかに大手の取次業者と交渉を重ねたものの、コミックの入荷について太洋社ほど優遇された条件での契約は出来なかったという。このため、従来通りのコミックの取り扱い冊数が確保できなくなる可能性が高く、コミック以外を主力とした店舗への転換は難しいと判断。店舗を閉鎖するに至った」と。

日本出版者協議会・高須次郎(緑風出版)会長記名記事「太洋社は自主廃業できるのか」が2月29日付で同協会のブログにて公開されています。曰く「業界紙や小社の記録を辿ると、2008年に文真堂書店がトーハンへ帳合変更をしたのを皮切りに、2012年には、いまじん(大垣店、大桑店)が日販に、こまつ書店(6店舗。10月、トーハン)、喜久屋書店小樽店など5店舗(12月、トーハン)、東武ブックス(十数店舗)、メロンブックス、ブックスフジ(2店舗。13年2月)などが帳合変更し、43億円の返品が発生した。書泉を吸収したアニメイトも他帳合〔中央社〕となった。13年にはハイパーブックス(滋賀6店舗)、15年2月にはTRCが日販に、同年9月にはブックスタマ(12店舗。15年9月)がトーハンに帳合変更した。本年〔2月1日〕になって大洋図書のFC店188店が日販へと帳合変更した。/こうしてみると、トーハン、日販による草刈り場の様相を呈している。出版不況のなかで生き残りを懸けた大手取次店による帳合はぎ取りにあい、今日の事態を迎えたといえよう。これで耐えるのは難しい」と。

また曰く「太洋社の取引先300法人800書店の残り250法人450書店には雑誌書籍を流さずに取立に徹するというのである」という計算については、確かに数字上ではそうなるのですが、この800書店の中には商品の動きのない口座も含まれるという非公式の説明がありますから、実際に店舗が存在して運営されている形態での書店数はもう少し違うはずだとも言えます。この辺は本当は太洋社さんにもう少し整理して発信してほしいところですが、取引先の事情もありなかなか難しいようです。先述の3月1日付太洋社文書では「書店業を専業とする書店様のうち、事業の廃止を決定された書店様を除くと、8割を超える書店様の帳合変更が決まり、2月中には弊社に対する買掛金の支払を含めた帳合変更に伴なう決済もほぼ完了いたしました」とあります。この文書では実際、未変更書店さんの数は分かりませんし、太洋社さんとしても現時点では明かしようがないことなのでしょう。

小田光雄さんによる「出版状況クロニクル」の「94(2016年2月1日~2月29日)」が本日発表されています。当然ながら太洋社についても記述あり。それとは別に業界人の目を引くのはおそらく第8項でしょう。

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新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる本屋さん

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2016年4月15日(金)オープン
良品計画恵比寿店:420坪(書籍50坪、雑貨・CD??坪)
東京都渋谷区恵比寿南1-5-5 アトレ恵比寿 4F
大阪屋帳合。弊社へのご発注は写真集など。取次さんのマスター上では店名が「良品計画」ですが、実際に掲げられる看板は「MUJIBOOKS」です。有楽町店に続く都内2店目で、一番最初の博多キャナルシティ店を含めると全国で3店舗目になります。取次さんの出品依頼書にはアトレ恵比寿4Fと記載されていますが、アルバイト情報では5~6Fとなっています。現状のアトレ恵比寿のフロアガイドでは実際に4~6Fには改装中の場所がありますけれども、スペース的に一番大きいのは4Fです。ちなみに5Fには有隣堂が入っていますから、多層階店舗であったとしてもここにぶつけるはずはないような気もします。

マイネビネットに掲出されている「MUJIBOOKS」恵比寿店の概要は以下の通り。「無印良品の本屋さん≪MUJIBOOKS≫、週3/4h~OK!、社割で生活充実!、未経験OK!― 新しい発見とヒントの場!1万冊以上の本に囲まれてオシゴト ―≪都内2店舗目≫話題のお店“MUJIBOOKS”で働きませんか? シフトはあなたの希望を考慮!≪週3/4h~≫で夕方から/夕方までなどの勤務もOKです」。「≪4月中旬リニューアルOPEN!≫一緒に始める仲間いっぱい!お店をイチから作っていけるオープニングスタッフの募集です。雑貨が好き、アロマが好き、無印良品の世界観が好き…きっかけは何でもOKです!」。「くらしの「さしすせそ」がコンセプト。無印良品らしさを感じる書籍を揃えた≪MUJIBOOKS≫。 MUJIBOOKSで扱う本・・・「さ」=冊、「し」=食、「す」=素、「せ」=生活、「そ」=装(そう)。くらしの「さしすせそ」をコンセプトに取り揃えた本には「発見とヒント」が隠れています」。「仕事内容・・・書籍の在庫管理、メンテナンス、店内イベントのお手伝い、お客様のご案内 etc...【未経験でも大丈夫!】店長や先輩スタッフがひとつひとつ丁寧に教えます。事前に研修も行うのでご安心くださいね! あなたのペースでお仕事を覚えていけますよ」と。

「週刊読書人」に『写真の映像』の書評

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弊社12月刊、ベルント・シュティーグラー『写真の映像――写真をめぐる隠喩のアルバム』(竹峰義和・柳橋大輔訳)の書評「周到な仕掛けを施す――55の断章からなる切れ味鋭い写真論」が、『週刊読書人』2016年2月26日号に掲載されました。評者は東京国立近代美術館主任研究員の増田玲さんです。「55の断章はいずれも切れ味鋭い考察」とのご評価を賜りました。同書は弊社「芸術論叢書」の最新刊です。シリーズ既刊書は以下の通り。

2011年01月『アンフォルム――無形なものの事典』イヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・E・クラウス=著、加治屋健司+近藤學+高桑和巳=訳、3刷
2013年06月『原子の光(影の光学)』リピット水田堯=著、門林岳史+明知隼二=訳
2015年12月『写真の映像――写真をめぐる隠喩のアルバム』ベルント・シュティーグラー=著、竹峰義和+柳橋大輔=訳

工藤×小林トークイベント「今、出版を続けるための方法 」

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今月下旬の祝日に以下のイベントに出演させていただくことになりました。

◎トークイベント「今、出版を続けるための方法 」

日時:2016年3月21日月曜日 15:00~17:00(予定)
場所:福岡パルコ新館6Fタマリバ6

ゲスト:
工藤 秀之(株式会社トランスビュー代表取締役)
小林 浩(有限会社月曜社取締役)

参加方法:
・フタバ図書福岡パルコ新館店レジカウンターにてチケットをご購入ください。
・席代 1,000円(税込) ドリンク1杯つき
・募集人数 30名(定員に達し次第終了させていただきます)

主催:フタバ図書福岡パルコ新館店(問い合わせ電話番号092-235-7488 担当:神谷)

内容:今大きな転換期を迎えている出版業界にあって、独自の方法をもって奮闘する出版社の経営者のお2人をお迎えし、業界の現状の徹底的な分析を踏まえた、“今、出版を続けるための方法”についての議論を行っていただきます。お2人は現在発売中の「ユリイカ2016年3月臨時増刊号『出版の未来』で 『構造変動期の出版流通と営業』というテーマで対談をなさっていますが、ここで語られた内容についてもさらに思考を深めていく試みになればと思います。業界関係者はもちろん、これから出版を目指す人、本を愛する日々を送る読者の皆様も必聴のイベントです。

備忘録(25)

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◆2016年3月4日11時現在。
「日刊ゲンダイ」3月4日付記事「老舗「芳林堂書店」倒産の裏に出版界の壮絶“引き抜き合戦”」(コメント欄付ヤフーニュース版はこちら)に曰く、「倒産の引き金を引いたのが書籍取次の「太洋社」だ。芳林堂は太洋社から本と雑誌を仕入れていたが、太洋社は2月上旬に自主廃業を決めた。そこで芳林堂は大手取次への帳合変更を模索したが、引き受け手が見つからなかったといわれる。要するに太洋社の廃業に伴う“連鎖倒産”だ。芳林堂に問い合わせたところ「コメントは差し控えたい」とのこと」。太洋社さんがさきに自主廃業を発表したためにどうしてもネット上では「芳林堂倒産は太洋社が原因」という趣旨の理解のされ方が多く、その後押しをいくつかのマスメディアがしてしまったことは事実でしょう。そのために、業界関係者や事情通がその都度「実際はその逆で、太洋社廃業は芳林堂が原因」と告知してきました。にもかかわず、相変わらず上記のような報道になってしまうのは、単なる誤解とも言える反面、別の視点から言えば二社とも当然それぞれに問題があるとも分析できるため、かもしれません。「日刊ゲンダイ」さんの場合はそういう裏や行間があるのかどうかはよく分かりませんが。

たとえば、帝国データバンクの藤森徹さんは「日本経済新聞」3月2日付記事「芳林堂書店、倒産の教訓 もたれ合いが共倒れを生む」(会員限定記事なので非会員は冒頭しか読めません)において、リスク分散ができない「もたれ合い」とその帰結としての「共倒れの危険」について分析されています。これは業界人にとっては痛い話で、例えばフリー歴16年目のビジネス書編集者でありライターでいらっしゃる方がこうツイートされています。「1社との取引の割合が大きすぎると怖いのはフリーも同じ。「企業間取引ではシェア拡大が大きな課題となる。しかし、リスク分散のないシェア拡大は企業にとって両刃の剣となり、双方の危機に直結する」 / “芳林堂書店、倒産の教訓 もたれ合い…”」と。フリーの社外スタッフへの外注に依存している版元にとってはこの警告は笑い飛ばせるものではまったくありません。また、取次一手扱いの版元や、取次一社としか付き合いのない書店にとっても同様です。関係強化ともたれ合いは表裏一体です。藤森さんの結論を借りれば「もたれ合いと関係強化。そのバランス感覚が失われたとき、企業の倒産リスクは高まる」わけですが、リスク分散というのは取引開始前に分散先についてあらかじめ吟味することが必要ですから、現代社会のスピード感の中では分散は容易ではありません。関係強化による信頼感の深まりは当然重要でもありますし、難しいです。ただ、お互いにとって「しんどい」と感じられ始めたら、見直しが当然必要ではあるでしょう。例えば日販とアマゾンの関係が昨今気になるところではあります。

さて「日刊ゲンダイ」記事に戻ると、後半にはこんなくだりがあります。「もともと本屋は薄利多売のビジネスだ。単行本と雑誌の利益率はわずか20~24%。しかも本を並べる作業などのために人件費がかかる。一種の“不況産業”なのだ。「図書新聞」事業企画室室長の諸山誠氏が解説する。/「本屋が一軒もない“無書店地帯”が問題になるほど、全国的に本屋が減っています。飲食店情報などがPCやスマホで読めるようになったことのほかに、週刊誌や月刊誌を支えていた団塊世代のリタイアも大きい。毎週雑誌を買いに立ち寄り、ついでに単行本を買っていた人が遠ざかっているのです。出版業界の市場規模はまだ下げ止まったとはいえません」」。諸山さんが仰っている「出版業界の市場規模はまだ下げ止まったとはいえない」というのは現在の出版界の大勢が抱いているリアルな感覚ではないかと思います。

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◆3月4日正午現在。
おさらい。「東京商工リサーチ」3月2日付速報「[東京] 出版物取次/(株)太洋社/取次事業停止へ~取次事業を停止へ、書籍新刊の最終搬入日は3月4日~」は、3月1日付の取引出版社向け「ご報告とお願い」文書の内容のまとめ。曰く「書面には、「事業の廃止等を決定された書店を除くと、8割を超える書店の帳合変更が決まり、2月中に当社に対する買掛金の支払を含めた帳合変更に伴う決済もほぼ完了した。残る書店についても、引き続き帳合変更の交渉を行っているが、取引書店の財務状況その他の事情もあり、これまでのようなスピード感での進捗は望めない状況」の旨が記載されている」。先日も書きましたが、まだ帳合変更ができていない2割というのがどれくらいの書店数で、実際その中で廃業を検討されている書店さんがどれくらいあるのか、またすでに太洋社が把握している限りでどれくらいの帳合書店が廃業したのかは、はっきりとは分かりません。

さらに曰く「また、「当社がこれまで営んできた取次事業を停止したうえで、当社事業に伴う債権債務を確定すべき時期に至ったと判断した」として、書籍新刊は3月4日、雑誌新刊は首都圏基準で3月7日発売までを最終搬入日に設定したいとしている。なお、一部書店に対しては、預り信認金(保証金)と売掛金の相殺に関する念書の提出を求めている。今後、こうした動きは加速するとみられ、帳合変更が済んでいない書店への影響が広がる可能性がある」。暗い霧が濃くなるなかでいつまでも版元が商品供給を続けられるとは思えませんからこう判断したのでしょうが、前回も今回も出荷する版元にとっては急ブレーキの観が否めません。自主廃業直前に常備入替があった版元が激怒するのはやむをえませんし、2月に通常通りの委託配本をした版元にとっては委託する意味があったのかどうか、やりきれない思いがあるだろうことも想像に難くありません。しかしどこかで締め切らなければならないわけです。

同じく「東京商工リサーチ」3月4日付速報「[埼玉] 書店運営/竹島書店戸ヶ崎店/店舗閉鎖へ~太洋社の自主廃業の影響で3月6日に店舗を閉鎖予定~」に曰く、「竹島書店戸ヶ崎店(三郷市戸ヶ崎3-556-2、事業主:国井修氏)は3月6日、運営する唯一の書店「竹島書店戸ヶ崎店」を閉店する。/平成18年1月より(株)タケシマ(越谷市)のフランチャイズ店として書店を営んでいた。26年に独立したが、屋号はそのまま引き継いだ。書籍のほかトレーディングカードなども取り扱い、地元住民を中心に固定客を抱えていた。〔・・・太洋社自主廃業準備公表〕以降は一部商品の仕入が困難となり売上高が落ち込み、他の取次業者と帳合変更の交渉も進めた。しかし、条件面で折り合いがつかなかったことや運営を続けても業況の改善は見込めないと判断したことから、帳合を変更せず閉店を決断した。/太洋社の自主廃業に向けた動きに関連した書店の休業や閉鎖は16店舗、倒産は1社となっている(判明分)」と。

この業界では、版元にせよ取次にせよ書店にせよ、プライドを持てるような幸福な歯車であることはもはや困難なのでしょうか。こうした時に大事なのは「むやみに希望すること」ではなくおそらくは「正しく絶望すること」だろうと思われます。絶望的な状況に近づきつつはあるものの、「危機」だと騒いでじたばたしても前には進めません。たいていの業界人は状況を実感しつつも淡々と仕事をこなし、歯を食いしばりつつ明日への可能性を模索していることでしょう。例えば「伊野尾書店WEBかわら版」3月2日付エントリー「やるべきことは仕事でしょうよ」にはこうあります。「やっぱり松井やイチローはいいことを言う。/コントロールできないことに関心を持たない。/本当、そのとおりなんだと思います。/自分は、自分のできることをやるしかない。/他人の成績を気にしてる暇があったら、そのあいだにバットを振った方がいい。/練習環境とか、自分の体力が以前と変わっていったとしても、その都度それに対応して。/ほら、イチローがよく言うじゃないですか。/「アジャスト(=対応)することが大事」って。/対応しながら、そのとき出せる最大のパフォーマンスを目指して。/もしかしたら僕らは「バトル・ロワイヤル」の参加者じゃなくて、「世の中」という球団と契約しているプロ野球選手みたいなものかもしれなくて。/周りがどうなろうとも、「君はそろそろ」と言われるまでは、やれることをやるしかない」。

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注目新刊:津村喬、ウィリアムズ、ハーヴェイ、など

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横議横行論
津村喬著 酒井隆史解説
航思社 2016年2月 本体3,400円 四六判上製344頁 ISBN978-4-906738-16-8

帯文より:「瞬間の前衛」たちによる横断結合を! 抑圧的な権力、支配システムのもとで人々はいかに結集し、蜂起するのか。全共闘、明治維新、おかげまいり、横巾の乱、文化大革命、ロシア革命、ナチズムなど古今東西の事象と資料を渉猟し、群衆、都市文化、組織、情報、戦争、身体、所作/作風などあらゆる側面から考証、「名もなき人々による革命」の論理を極限まで追究する。

★発売済。シリーズ「革命のアルケオロジー」第五弾です。単行本未収録論考に、書き下ろしを加えた一冊。目次詳細は書名のリンク先でご覧ください。表題作である第一章「横議横行論」は1980年から1981年にかけて工作舎の『遊』に連載されたもの。その続編である第八章「横議横行論(続)」が書き下ろし。第二章から第七章までは70年代に各誌で発表された論考です。巻末の長編解説「一九六八年 持続と転形」(400字詰で約100枚!)は酒井隆史さんによるもの。津村さんの著書をこんにち読み返すことの意義について熱く語られています。

★「横議横行論(続)」にはこう書かれています。「もはや誰も「左翼」について語らず、考えようともしないが、国家全体がどんどん右傾化していく二度目のプロセスが今進んでいるなかで、「左翼」が踏みとどまって声を上げていくということが何よりも大事だ。しかし、私たちは「戦後左翼」も「新左翼」にももう何事も期待していない。「戦後左翼と「新左翼」に共通した欠点は、「自分の主張だけが正しい」という立場に立ったことである。その背後には、レーニンやトロツキーなど様々な先達の言葉が覆いかぶさり、それぞれが人と違う説を立てて、一党一派を作った。〔・・・〕言葉で自分を定義できる、言葉によって自分は左翼だと思うことが病だったのだ。〔・・・〕私は前衛だ、と思う人は、ただ自分のまなぶことができた知識でそう思っているにすぎなかった。だから人を押しのけて論争し、言い負かすことに自分の存在価値はあった」(277-278頁)。

★猪俣津南雄を参照しつつ議論は続きます。「縦割りにされている産業別と党派別の組織のそれぞれの中に、左翼的な役割を果たせる「個人」がいる。その個人が縦横につながっていくことで不定形の、絶えず変形する「前衛的なもの」が現前していく。前衛党と称する党派のメンバーであるならば前衛なのではなく、その一人一人が現に果たしている役割によって決まる、と〔猪俣は〕考えた。自称前衛党であってもその局面で反動的な役割を果たすこともあるし、右翼組合や中間政党に籍をおいていても、ある時点ではすばらしい積極的な役割を果たすこともある。その者が次の局面ではまた反動的な役割を持つこともある。前衛制度論ではなく、前衛機能論がこれだった。これを横断左翼と呼んだのだ」(279—280頁)。

★「いま横議横行論から横断左翼までを振り返ってみる理由というのは、またしても右翼的反動の時代を迎えつつある中で、タテ社会ではないヨコの抵抗組織、そこからくる新しいヨコ社会のあり方を展望してみようという思いからなのである」(281頁)。これに呼応するようにして酒井さんはこう書いています。「かくして誰もが過去を乗り越え、すべての欠点を克服したはてに、歴史の絶頂に位置することになる。現代は、このような自己愛と高慢の情動で充填された日本語で満ちあふれている。本書がなぜいま読まれなければならないか? そのような日本語空間――津村喬たちが「国=語」と名づけた――の外に脱出し、わたしたちのスタイルをあらためて獲得するためにほかならない」(337頁)。


想像力の時制――文化研究II
レイモンド・ウィリアムズ著 川端康雄編訳 遠藤不比人ほか訳
みすず書房 2016年2月 本体6,500円 A5判上製400頁 ISBN 978-4-622-07815-9

帯文より:「ユートピアとSF」「メトロポリス的知覚とモダニズムの出現」「演劇化された社会における演劇」「文学と社会学」ほか本邦初訳15篇、新訳1篇。ジャンルをこえ展開する「文化唯物論」の地平。

★発売済。「文化研究」全二巻完結です(第I巻『共通文化にむけて』は2013年12月刊)。目次詳細は書名のリンク先でご覧下さい。「歴史・想像力・コミットメント」「アヴァンギャルドとモダニズム」「文学研究と教育」「文学と社会」の四部構成。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著者のウィリアムズ(Raymond Williams, 1921-1988)が急逝する半年前に行われたイーグルトンとの対話「可能性の実践」(1987年)が末尾に収録されていることにも注目です。20世紀イギリスを代表する左派論客の、新旧それぞれの世代を代表する二人による対談は30年前のものですが、当時よりある意味で危機がいっそう国内外に進行しつつあるこんにち、切実さをもって読むことができます。

★イーグルトンはこう問いかけます。「社会主義という目標は、現在はるか遠く離れたところにある。これまで政治活動をなさってきた中でも、どの時期にも劣らないくらい、いや、もっと遠くなったとさえいえるかもしれません。まさしくわたしたちが目にしているのは、政治について人びとが記憶しているなかでも労働者階級への悪意を剥き出しにした言語道断の政権です。警察国家の地ならしがなされ、それに対する左翼の対抗はみたところ混乱しています。軍事面でいえば、わたしたちはひどい危険にさらされています。そこでうかがいたいのですが、かくも長き闘争の果てに、どんな意味であれ幻滅を感じておられるのでしょうか? サッチャーの第三期政権が決まった選挙の直後という状況で、政治的な思考と希望をどのようにいだいておられるのか」(355-356頁)。

★ウィリアムズの第一声はこうです。「幻滅はまったく感じていません」。自身の人生を振り返り、様々な現実に出会って落胆と挫折、敗北感を重ねたことを回想しつつも、いっそう社会主義を信じる彼の立場には、単なる理想主義という以上のしなやかさ、「果てしもない打たれ強さ」(368頁)を感じます。「たとえば核戦争を避けられるかどうかを見積もって〈五分五分かな〉と言うとしたら、即座にわたしはあべこべにして五十一対四十九とか六十対四十にしてみせます。希望のために語らなければならないと言うゆえんです――それが危険の本性を隠してしまわないかぎりはね。/思うに、わたしの社会主義はたんなる幼少期の経験の延長ではありません。〔・・・〕それはしっかりと根を張っていて破壊できない、しかし同時に変化を伴いつつ体現された、共通のくらしの可能性なのです」(同頁)。

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★つづいて、作品社さんの3月新刊より3点をご紹介します。

『〈資本論〉第2巻・第3巻入門』デヴィッド・ハーヴェイ著、森田成也・中村好孝訳、作品社、2016年3月、本体2,800円、46判上製554頁、ISBN978-4-86182-569-9
『ルイ14世期の戦争と芸術――生みだされる王権のイメージ』佐々木真著、作品社、2016年3月、本体6,800円 A5判上製528頁 ISBN978-4-86182-566-8
『絶望と希望――福島・被災者とコミュニティ』吉原直樹著、作品社、2016年3月、本体2,200円、46判上製260頁 ISBN978-4-86182-576-7

★『〈資本論〉第2巻・第3巻入門』は発売済。『〈資本論〉入門』(森田成也・中村好孝訳、作品社、2011年)の続編です。訳者解説に曰く「主として『資本論』第二巻の解説を対象としつつ、『資本論』第三巻の核心部分をも大胆に組み込んでいる」と。原書は、A Companion to Marx's Capital Volume 2 (Verso, 2013)です。版元さんによるプレスリリースではこう謳われています。「グローバル経済を読み解く鍵は、〈第2巻〉の「資本の流通過程」分析にこそある」と。訳者解説にはこうあります。「この流通過程論は経済地理学のテーマと多くの重なり合うテーマ(資本の空間的移動、流通時間、資本の回転、時間による空間の絶滅、等々)を対象にしており、経済地理学者たるハーヴェイにとってまさに最も興味をそそる理論領域と言えよう」。資本主義のしくみを誰よりも冷徹に分析したマルクスに近づくためのたいへん有益な解説書です。

★『ルイ14世期の戦争と芸術』は発売済(3月3日取次搬入)。著者の佐々木真(ささき・まこと:1961-)さんは駒澤大学文学部教授で、ご専門はフランス近世史です。近年の著書に『図説 フランスの歴史』(河出書房新社、2011年)があり、同書は今月、増補新装版が発売される予定です。今回の新著は、2013年に駒澤大学から博士(歴史学)の学位が授与された博士論文「フランス絶対王政期の戦争と芸術――ルイ14世期の視覚メディアを中心に」をもとに大幅加筆修正されたものです。版元さんによるプレスリリースの文言を借りると「王宮の室内装飾や絵画、タピスリー、メダル、建築物、版画など、国王像の保存と伝達に大きな役割を果たした視覚メディアを、約160点の豊富な図版を用いて解き明かした」労作です。索引(人名・事項)、文献一覧、図版出典一覧、付表も充実しています。


★『絶望と希望』はまもなく発売(3月9日取次搬入予定)。帯文に曰く「3・11、あれから5年。報道されない“体の不調”と“心の傷”、破壊され、そして新たに創出される人々の絆とコミュニティ――。被災者の調査を続けてきた地域社会学の第一人者による現地調査の集大成」と。「難民化・棄民化する被災者」「被災コミュニティの虚と実」の二部と、結章「不安の連鎖から見えてくるもの――『絶望の情熱』を持ち続けるなかで」から成る本書は、前著『「原発さまの町」からの脱却――大熊町から考えるコミュニティの未来』(岩波書店、2013年)の刊行以降に各媒体へ寄稿したものを再構成したもので、当事者以外にとっては徐々に忘却の闇に埋もれつつある被災者の現実を明らかにし、そこにある絶望と希望をつぶさに描きだしています。著者の吉原直樹さんは社会学者で、現在、大妻女子大学社会情報学部教授、東北大学名誉教授でいらっしゃいます。

まだ見ぬ世界を待って

新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる本屋さん

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2016年5月中旬オープン予定
枚方蔦屋:??坪
大阪府枚方市岡東町758 HIRAKATA T-SITE
日販帳合。弊社には5F分として写真集をご発注いただいています。京阪本線枚方市駅前の旧近鉄百貨店跡地に建設される「HIRAKATA T-SITE」内への出店です。地下1階、地上9階建てだという「HIRAKATA T-SITE」は、公式ウェブサイトで次のように宣伝されています。「創業の地、大阪府・枚方市に、16年春、『枚方T-SITE』が誕生します。蔦屋書店をコアに、本の生活提案力を活かした「生活提案型商業施設」を創造し、枚方でのより上質な日常を提案します」。

ネット上ではすでに様々な紹介が出ていますが、たとえばこちらのブログではビルの外観や仮囲いに掲示されたパース(完成予想図)などの写真があります。本棚をイメージしているというビルは総ガラス張り。吹き抜けの壁面いっぱいに並べられた書棚は背が高すぎて、高い場所の本の背を見るのも手に取るのも難しそうです。系列で手掛けている図書館での先例を考えると、店員さんに取ってもらうのかもしれませんが、それにしても、という感じはします。つまり、本が「お飾り」になっていないかという心配です。敷地面積約823坪、延床面積約4,900坪で、そのうち「蔦屋書店」がどれくらいの坪数を占めるのか分かりませんが、NHKの「プロフェッショナルーー仕事の流儀」を見た限りではワンフロアを占める構想だったと記憶しています。内観パースを見ると、本は必ずしもワンフロアに限って展開するものではなさそうですけれども、他の商材とどれほどミックスされることになるのかは、更なる詳報を待つしかありません。

「枚方つーしん」2014年4月13日付記事「近鉄百貨店跡にできる新商業施設を手がける株式会社ソウ・ツーにどんな施設をつくるのか聞いてきた」には、CCCの関係会社で代官山T-SITEなどの実績がある「ソウ・ツー」の長田(おさだ)さんという男性がざっくばらんに取材に答えていらっしゃいます。いくつかの発言に注目してみます。

「施設のコンセプトとしては、「本を軸とした商業施設」これが大前提です。また「街のランドマーク」これは普通の商業施設によくあるような建物じゃなくて、パースにもあるようなシンボルになるような建物にしたいと思っています」。「あのデザインはというと、建物全体に本棚をイメージしました。ガラス越しにルーバー(木の縦の遮光板)もありよりイメージしやすいと思います。全体が本棚で、いくつか四角いボックスが設置されていますが、あれは「本棚から情報が飛びだしている」ところをイメージしているんですね。そしてガラス面を多く使い開放感や透明感、つまり情報をクリアにお伝えするという意味です」。「この施設を計画するにあたってこだわっているのが、「普通のモノ売りの場にはしたくない」ということです」。完成予想図を拝見する限りではその意気込みが充分に伝わってきます。そこではもはや本という商品は「主役」とは呼べないものの、欠くべからざる重要な脇役であることは間違いありません。

「「本を軸に」と謳っているのは、じっくりと楽しめる滞在型の店舗を作っていきたいと思っているからです。「商品を買いました、帰ります」というのではなく、本とカフェがあって、本は買っても買わなくてもいいのでゆっくり読んでください、カフェはコーヒーなどを買ってもらって、一日中そこでゆったりとくつろいでくださいという形のお店にしようと思っています。なので椅子や座れるところを多く用意して、ずっと一日中いてもらう、「雰囲気を楽しむ」という施設にしたいと思っています」。「モノを提供してはいますが、一番提供しているのは空間です。ここで過ごす時間がかっこいいと思える、オシャレだと思ってもらえるようにしたい、そう思えば人ってやってくると考えています」。この、空間を提供しているのだ、という考え方は蔦屋書店の戦略の中枢にあるものですね。VMD(ヴィジュアル・マーチャンダイジング)はそれぞれの書店で戦略が異なりますが、業界全体を対象とする書店空間研究というものが今こそ確立されなければならないと思います。

「ネットで足りるものはネットとなってしまう。今後さらにこの動きは強まっていくと思っています。だからネットには提供できないもの、そこにしかないもの、わざわざ行きたくなる施設、そこで過ごしたいと思える時間を提案してゆければと思っています」。リアルな空間が持つポテンシャルというものを先んじて考えてきたという意味で、CCCは書店複合化時代のリーディング・カンパニーと呼ばれるにふさわしいでしょう。

「今回の施設では、本を売るというより、雰囲気を提供しているんですね。ここで本を手に取って、ここで本を読める。しかも雰囲気のいい、上質な時間が流れる場で本が読める、またそういった空間のなか関連したサービスや商品が生活シーンによって提案されている。つまり本だけを提供しているのではなくて、雰囲気、空間を合わせたライフスタイルを提供している。同じ本を読むならあの空間の中でと思ってもらうようにしたいと考えています」。まずはっきり言わなければならないのは、出版社は本を貸し出しているわけではないので、読まれてショタレて返品されるということを内心は快く思っていないということです。昨今のブックカフェや複合型書店で見受けられるような「お茶を飲みながら座り読みしていただけますよ」という打ち出し方は、返品可能な長期委託というものの拡大解釈とでも言うべきであろうと思います。複合化の波の中ですっかり浸透したスタイルですが、出版社の黙認に積極的な意味は必ずしもありません。それでもいいよ、と考えている版元もいるでしょうけれど、漫画喫茶でもあるまいし、と呆れている出版人がそれなりにいることは特記しておきます。

CCC系列以外でも使われるようになって昨今かまびすしい「ライフスタイルの提案」についても一言申し上げておくと、提案をする者に問われるのはまず何よりその「知的資質」と重層性、多層性であり、お客様とのコミュニケーション力であろうと思われます。ハコを作り棚を埋めたからと言って、それだけで上質な時間が流れるわけではありません。蔦屋書店に問われているのは「中身」の質であって、時間だの空間だのを構築しうる内実がどうなっているのか、ということです。売場というのはいわば象徴的な意味で「雑誌」の誌面であって、巧みな編集(商品の組み合わせ)が必要であることはもちろんのこと、作り手以上に商品のプロモーションがうまくなければなりません。現状の蔦屋書店さんを観察するかぎりでは、空間研究はできているご様子でも、商品研究は充分とはまだ見えません(特に専門書)。商品研究に本腰を入れない限り、蔦屋書店は張り子の虎になるリスクがあるわけです。むろん優秀なスタッフさんもいらっしゃいますが、出版人から見ると、少なくとも商品研究においては、ジュンク堂書店の方がまだ一枚上ですし、人材の層も相対的には厚い。ジュンク堂は複合化時代の前まで、書店の理想形を体現していました。ジュンク堂に象徴されるような「巨大化」は、複合化時代の今でも命脈を保ってはいますが、テナント家賃の上昇に伴い、撤退リスクが高まりつつあります。蔦屋が得意な空間研究と、ジュンク堂が得意な商品研究。この両輪を兼ね備え、さらにここに十全な「接客研究」を加えた書店こそ、今後の「第三勢力」「新興勢力」として台頭するのにふさわしいのではないかと思われます。

この「接客研究」の肝とは何か。個人的にはこれは単なる「無理な要望も聞くコンシェルジュ」に終わるのではなく、教育や啓蒙という次元が開けていると思っているのですが、これについてはまた別の機会に書ければと思います。

「季刊哲学」「季刊ビオス」「羅独辞典」を直販いたします

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月曜社では今般、哲学書房(2016年1月31日廃業)様から引き取った一部の出版物の在庫品を、直販にて読者の皆様にお分けいたします。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。

季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)

※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。

なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。

小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。

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弊社で引き取っていない単行本を含めた哲学書房の出版物を取り揃えた回顧フェアが以下の通り都内3店舗で行われていますので、こちらもぜひご利用ください。哲学書房はすでに廃業されていますので、同フェア開催店での販売が店頭販売の最後の機会となります。なお、「季刊哲学第12号」に限っては、フェアでは展開されておらず、弊社直販のみの扱いとなります。

◎哲学書房を《ひらく》――編集者・中野幹隆が遺したもの

◆ジュンク堂書店立川高島屋店(2月26日オープン)
場所:6Fフェア棚
期間:2月26日(金)~3月下旬
住所:立川市曙町2-39-3 立川高島屋6F
営業時間:10:00~21:00
電話:042-512-9910

◆ジュンク堂書店池袋本店
場所:4F人文書売場
期間:3月1日(火)~4月上旬
住所:豊島区南池袋2-15-5
営業時間:月~土10:00~23:00/日祝10:00~22:00
電話:03-5956-6111

◆丸善丸の内本店
場所:3F人文書売場(Gゾーン)
期間:3月1日(火)~4月17日(日)
住所:千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾショップ&レストラン1~4F
営業時間:9:00~21:00
電話:03-5288-8881

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注目新刊:横山茂雄『神の聖なる天使たち』研究社、ほか

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神の聖なる天使たち――ジョン・ディーの精霊召喚一五八一~一六〇七
横山茂雄著
研究社 2016年2月 本体6,400円 A5判上製454頁 ISBN978-4-327-37740-3

帯文より:エリザベス朝における知の巨人ジョン・ディーと錬金術師エドワード・ケリーが水晶球の中に見出したのは、神の遣いか、魔界の使者か? 天使の言語「エノク語」は解読可能なのか? ディーの膨大な手稿を読み解き、余白の書き込みや抹消部分に至るまで丹念に目を通し、さらに同時代の資料を博捜することで明らかにする、驚愕の真相。

自序(iv頁)より:本書は、ジョン・ディーのもっぱら後半生に焦点を絞り、彼の密接な協力者であったエドワード・ケリー、そしてふたりの許を訪れた精霊たちとともに繰り広げられた奇怪な劇のあらましを描き出そうとする試みにすぎない。/それはおそらく神秘、崇高、悲惨、滑稽、不条理、不気味さがないまざったものとなるだろう。読者の心のなかに、ディー、ケリー、精霊たちの姿が、一篇の仄暗い幻燈劇のごとく浮かびあがってくれさえすれば、わたしのささやかな望みはかなえられよう。

推薦文(高山宏氏):ユークリッド幾何学を近代文明に紹介した「科学者」ジョン・ディー(1527-1609)は、天使との交信記録で魔術の世界にも燦然と輝く、過渡の16世紀そのものの謎の人物。栄光のルネサンスが我々の時代そっくりな「夜のルネサンス」に暗転していく「ローマ劫掠」の年に生まれたという事実が、この稀代のマニエリスム万能学者にはいきなり似つかわしくないか。この半世紀、「異貌のルネサンス」、マニエリスム知性史の大流行の台風の目であったディー博士の実像に、天使との交信録の息詰まる西独を通じて迫る、世界的にも瞠目の一著が、新千年紀劈頭の日本から現れたのは近時の痛快事だ。意外、暗号文学としても傑作!!」

★発売済。主要目次は書名のリンク先をご覧ください。ピーター・J・フレンチ『ジョン・ディー――エリザベス朝の魔術師』(高橋誠訳、平凡社、1989年)の刊行から実に四半世紀以上、ディー博士のおぼろげな姿を追い続けてきた日本の読者にとって最高の贈り物がついに刊行されました。横山茂雄さんのお名前は、『聖別された肉体――オカルト人種論とナチズム』(白馬書房/書肆風の薔薇、1990年)や、稲生平太郎名義『定本 何かが空を飛んでいる』(国書刊行会、2013年)などの名著の数々を胸に刻んでいる読者にとって特別なものであることは言うまでもありません。その横山さんが20年来取り掛かっておられたのが本書です。50代半ばのディー博士がおよそ30歳年下の青年霊媒師ケリーを得て、8年に及ぶ天使との交信を積み重ね、その記録は死後半世紀経過した1659年にメリック・カソーボンによって『多年に亙ってジョン・ディー博士と精霊の間に起ったことの真正にして忠実な記録』(本書では『精霊日誌』と略称)としてまとめられました。爾来約360年間にわたって日本人にとっては不可視の帝国からの通信だったものがついにその相貌を露わにしたのだと言えます。

★本書では『精霊日誌』のほかに『ジョン・ディーの精霊召喚作業記録』(『召喚記録』と略記)、『ジョン・ディーの私的日録』(『日録』と略記)、『略歴〔簡略な自伝〕』などが参照され、さらには『エノクの書』や『ロガー〔神の言葉〕』なども言及されています。精霊召喚の顛末は様々な人間模様の明暗を生んで読者を瞠目させます。天使からの指令に忠実であり続けようとするディーの姿を横山さんは「凄絶ともいえる決意であって、鬼気迫るものを感じざるをえない」(329頁)と評しつつ、本書の末尾付近でこう書かれています。「四半世紀に及ぶ召喚作業を介して天界から下されたおびただしい量の言葉にもかかわらず、ディーは己れの希求した絶対的な秘奥の叡智を獲得することは叶わなかった。〔・・・〕いわば厳重な錠のかかった宝物函であり、それを開く鍵をディーは見つけることができなかったし、現在にいたるまで見つけたものは誰もいない」(330頁)。途方もない徒労を跡付ける労苦――それを厭わなかった本書の試みには頭を垂れるばかりです。


吉本隆明全集(12)1971-1974
晶文社 2016年3月 本体6,600円 A5判変型並製708頁 ISBN978-4-7949-7112-8

版元紹介文より:第12巻には、和歌の作者であり中世期の特異な武家社会の頭領でもあった実朝の実像に迫る『源実朝』と、著者のロールシャハ・テストとそれをめぐる二つの対談、および同時期の評論やエッセイを収録する。第9回配本。月報:中村稔・ハルノ宵子。

★まもなく発売。解題に曰く「全体を五部に分ち、I部には『源実朝』そそれに関する文章を、II部には、詩八篇を、III部には、この期間の主要な評論・講演・エッセイを、IV部には、著者のロールシャッハ・テストとそれをめぐっての二つの対話などを、V部には、推薦文やあとがきの類を収録した」とのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。第12巻の中核は言うまでもなく1971年の書き下ろし『源実朝』ですが、40代後半のこの時期に『試行』誌に発表され、74年に『詩的乾坤』に収められた一連の「情況への発言」には単独者として言論戦を生きた吉本さんの激越な言葉が記されており、胸を打ちます。

★「映画やテレビをだしに〈革命〉などを論ずるバカは、花×××、武×××どまりかと思っていたら、まだ居やがった。××。お前たちは淀×××以下なのだ。淀×××には、映画やテレビが好きで好きでたまらないものの良さがある。お前たちには、映画やテレビが好きでたまらないものの良さもなければ、〈革命〉者の厚みもない。あるのは駄ぼらだけだ。お前たちの駄ぼらの構造は単純だ。主体性唯物論者が、じぶんの実感や現実体験を理論のなかに流入させるところから始めるのに、おまえたちは、世界図式から始めて、差別、被差別、窮民、非窮民、帝国主義、植民地で世界図式を二色に分けているだけだ。もちろん、お前たち自身は、はじめから〈亡霊〉だから、この図式のどこにも入らない。つまり、デザイナー気取りで製図版に向っているつもりになっている。〈亡霊〉のくせに、飯を喰って、おまけに、やくざ映画など、抜け目なく観てやはるのだ。もう一度云う。××」(「情況への発言――きれぎれの感想――[1972年11月]、407頁)。伏字は引用者である私の浅はかな〈配慮〉にすぎません。本書を手に取ってご確認いただけたら幸いです。

★別人への批判の際にここで引き合いに出されている高名評論家との鋭い対立についてはつとに知られていますが、後段にはこんな言明もあります。「ことに花×××は、某商業新聞紙上で、わたしの名前を挙げずに、わたしをスパイと呼んだ。わたしが、この男を絶対に許さないと心に定めたのは、このときからである。それとともに、対立者をスパイ呼ばわりして葬ろうとするロシア・マルクス主義の習性を、わたしは絶対に信用しまいということも心に決めた。わたしは、それ以来、スパイ談義に花を咲かす文学者と政治運動家を心の底から軽蔑することにしている」(同、410頁)。

★単騎で野を駆け続ける者の疲労はいかばかりであったでしょうか。「『詩的乾坤』あとがき」にはこう書かれています。「年齢とともに、心身ともゆとりを失って、きつくなるばかりであった〔・・・〕。わたしが弱年のころ想像していたのは、この逆であった。やがていつかはじっくりとゆとりをもって生きてゆけるときがやってくるにちがいないということであった。壮年になっても、やはりこの夢を捨てることができなかった。いまは、それがどんなに虚妄であったかを思い知らされている。そして、そんな夢は捨ててしまった。人間の生涯は、何ものかに向って、キリを揉み込むようなものではないのか。深みにはまりこんで困難さは増すばかりである。そして誰も生き方について、わたしにこのことを教えてくれなかった。遥かなる未知よ、わたしはそこへ到達できるだろうか」(673頁)。この言葉はあらゆる単独者の胸にあるものではないでしょうか。

★「月報9」には、中村稔さんによる「吉本隆明さん随感」と、ハルノ宵子さんの「ヘールボップ彗星の日々」が掲載されています。次回配本は第1巻、今年6月の刊行予定とのことです。

★このほか、最近では以下の新刊に注目しました。

『新版 アリストテレス全集(16)大道徳学/エウデモス倫理学』岩波書店、2016年2月、本体6,000円、A5判函入上製500頁、ISBN978-4-00-092786-4
『メッカ巡礼記――旅の出会いに関する情報の備忘録(2)』イブン・ジュバイル著、家島彦一訳注、東洋文庫、2016年3月、本体1,100円、B6変判函入上製384円、ISBN978-4582-80869-8
『カラヴァッジョ伝記集』石鍋真澄編訳、平凡社ライブラリー、2016年3月、本体1,300円、B6変判並製240頁、ISBN978-4-582-76838-1
『ポストモダンを超えて――21世紀の芸術と社会を考える』三浦雅士編、芳賀徹・高階秀爾・山崎正和・ほか著、平凡社、2016年3月、4-6判上製456頁、ISBN978-4-582-20644-9

★『新版 アリストテレス全集(16)大道徳学/エウデモス倫理学』は発売済。第13回配本です。『大道徳学』(新島龍美訳)、『エウデモス倫理学』(荻野弘之訳)、『徳と悪徳について』(荻野弘之訳)を収録。「月報13」は廣川洋一さんによる「「プレポン」の響き」を掲載。プレポンは「適切さ・ふさわしさ」を表すギリシア語で、今回刊行された『大道徳学』『エウデモス倫理学』だけでなく『ニコマコス倫理学』(第15巻、発売済)に見られる「度量の広さ」という徳を説明する際に出てくる言葉です。次回配本は3月29日、第10巻「動物論三篇」とのことです。

★『メッカ巡礼記2』は発売済。全3巻のうちの第2巻です。帯文に曰く「巡礼者の模範的な旅行案内、イスラーム巡礼紀行文学の祖型となった古典的書物。第2巻は、メッカに滞在して巡礼大祭に参加、メディナを経てバグダード、マウスィルを訪れる」と。579年ラジャブ月から、580年サファル月までの旅程を収めます。東洋文庫次回配本は4月、『エリュトラー海案内記1』(蔀勇造訳註)とのことです。同書には既訳として『エリュトゥラー海案内記』(村川堅太郎訳、中公文庫、1993年/2011年)がありましたが、現在は品切のようです。

★『カラヴァッジョ伝記集』は発売済。ライブラリー版オリジナルのアンソロジーです。収録テクストは以下の通り。ジュリオ・マンチーニ「カラヴァッジョ伝」(1620年頃)、ジョヴァンニ・バリオーネ「カラヴァッジョ伝」(1642年)、ジョヴァンニ・ピエトロ・ベッローリ「カラヴァッジョ伝」(1672年)、カレル・ファン・マンデル「現在ローマで活躍する他のイタリア画家伝」(1604年)、ヨアキム・フォン・ザンドラルト「カラヴァッジョ伝」(1675年)、フランチェスコ・スジンノ「画家ミケラニョロ・モリージ・ダ・カラヴァッジョ伝」(抜粋、1724年)、カラヴァッジョ犯科帳、バリオーネ裁判の記録(抜粋)、ヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニの書簡(1620年代)、そして編訳者の石鍋さんによる「カラヴァッジョの真実」で、巻頭にはモノクロながら52点の作品図版があり、巻末には年譜があります。今月から始まり6月12日まで国立西洋美術館で行われる「カラヴァッジョ展」とともに楽しみたいです。

★『ポストモダンを超えて』はまもなく発売。サントリー文化財団の調査研究事業として2011年から2013年に開催された連続シンポジウム「21世紀日本の芸術と社会を考える研究会」の記録です。芳賀・高階・山崎・三浦「はじめに:ポストモダンとアジア」、河本真理「曙光と黄昏――モダンのリミットとしての抽象表現主義」、岡田暁生「音楽論の現在――音楽学・音楽史・音楽批評」、片山杜秀「連続と非連続――日本現代音楽史の欠落が意味するもの」、斎藤希史「漢字圏とポストモダン――「表感文字」の時代へ」、加藤徹「京劇はポストモダン――二・五次元芸術という考え方」、三浦篤「芸術、アート、イメージ――アナログとデジタルの狭間」、芳賀・高階・山崎・三浦「まとめ:世界文明と日本文化――21世紀芸術の行方を探る」、三浦雅士「あとがき――インターネットとポストモダン」を収録。各章は報告者を交えた討論の記録となっており、自由闊達な発言の数々が目を惹きます。個人的には片山さんの回の末尾にある「人間の本質としての騙すこと」における岡田さん、片山さん、山崎さんのやりとりは特に興味深く感じました。「大丈夫です。騙せばいいのです」というご発言のインパクト。

備忘録(26)

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◆2016年3月14日10時現在。
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哲学書房版『羅独-独羅学術語彙辞典』(1989年)

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弊社で直販しております哲学書房さんの本を今後一点ずつご紹介いたします。まず最初は、もっともお問い合わせが多い『羅独辞典』から。

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羅独-独羅学術語彙辞典
麻生建+黒崎政男+小田部胤久+山内志朗編
哲学書房 1989年5月 本体24,272円 A5判函入上製797頁 ISBN4-88679-033-X

内容紹介:かつて思考の行為はラテン語を用いて、スコラの枠組の中で営まれていた。十八世紀に至ってドイツ語の学術語の形成が始まり、やがてカントを生むドイツ思想が自発する。この辞典は、こうして現れるドイツ語学術語とその元をなすラテン語とを当時の学術書から収集してコンピュータ処理を施したもの。哲学・神学・法学・数学・文法学等諸分野に亘る。

欧語書名:Onomasticon philosophicum latinoteutonicum et teutonicolatinum.

序文より:この学術語彙辞典の出典は、18世紀ドイツの哲学書が中心となっているが、収録している分野は以下の通りである。哲学(存在論・形而上学)、神学、論理学、倫理学、法学、美学、文芸学、解釈学、言語学、文法学、修辞学、数学(数論・幾何学)、自然哲学、占星術、心理学。特に哲学関係では、ヴォルフ、バウムガルテン、カントの主要著作のほとんどを網羅している。しかし、これで満足すべき状態に到達したわけではない。〔・・・〕この学術語彙辞典は私家版(第一版1986年9月、第二版1987年2月)を前身とし、そこでの蓄積を基礎にしている。

補足:『季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89』の表紙にはデスクトップパソコン(エプソン製かもしれない)やシステムコンポ(ケンウッドのロゴが見える)らしきものと並んで『羅独辞典』が置かれている写真があしらわれている。目次の欄外には「表紙の写真は「生け捕りキーワード」が接続されるデータベース「羅独-独羅学術語彙辞典」(哲学書房)」とある。

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◎『羅独辞典』についてのネットでの反響

@maiky_booさん曰く 「おおお知らなんだ。18世紀ドイツ哲学を研究してる人間にとって哲学書房といったら、やっぱりオノマスティコンに尽きるよな。『羅独‐独羅学術語彙辞典』。あれはドイツの研究者も重宝がる、世界にも類を見ない名辞典」。また曰く「余談ですが、あれ丸善ジュンク堂では洋辞書にカテゴライズされるらしく、店頭在庫を電話で取り寄せるとき部署をたらい回しされて難儀した」。

@paragesさん曰く「今では入手困難な貴重な辞典だが、今こそコンピュータ処理に使ったデータを戻して電子書籍として再版して欲しい。。「…ドイツ語学術語とその元をなすラテン語とを当時の学術書から収集してコンピュータ処理を施した…」『羅独-独羅 学術語彙辞典』」。

@crepuscule1976さん曰く「池袋のジュンク堂に寄ったら、哲学書房のフェアをやっており、『羅独-独羅 学術語彙辞典』があったので即買いした。お値段は度外視」。

@pliselonpliさん曰く「すさまじい辞書が編纂されていたものだ:哲学書房版『羅独-独羅学術語彙辞典』(1989年)」。

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◎「季刊哲学」「季刊ビオス」「羅独辞典」を直販いたしております

月曜社では哲学書房(2016年1月31日廃業)様から引き取った一部の出版物の在庫品を、直販にて読者の皆様にお分けしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。

季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)

※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。

なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。

小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。


「紙と印刷のフェア」@カネイリ・ミュージアムショップ6

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せんだいメディアテーク(仙台市青葉区春日町2-1)の1Fにある「KANEIRI Museum Shop 6」では現在「紙と印刷のフェア」の後期が今週月曜日から始まっています。紙モノのメーカーの製品や出版社の書籍などに使用されている紙の特性や印刷加工技術に注目したユニークなフェアです。参加しているメーカーや出版社は以下の通り。

7 days cards、福永紙工、ララデザイン、赤々舎、朝日出版社、カラマリインク、月曜社、研究社、青幻舎、大福書林、竹尾、ナナロク社、パイ・インターナショナル、プランクトン、プチグラパブリッシング、ミシマ社、港の人、リトルモア、HeHe、ONE STROKE、TOTO出版、YK Publishing。

弊社からは『曽根裕|Perfect Moment』を出品。ブックデザインを手がけられたカラマリインクの尾中俊介さんが本の紹介文をお書きになっておられます。裏表紙をわざわざ破った加工が施されている真っ白な本で、店頭販売をしているお店はごく少数です。ネット書店でももう販売していませんので、この機会をぜひご利用いただけたら幸いです。フェアの会期は4月3日まで。3月27日(日)にはメディアテークとの協同イベント「活版印刷体験」が開催されるそうですがすでに定員いっぱいとのことです。

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いよいよ来週月曜日、福岡で皆さんにお目に掛かります。この激動期に出版とは何か、本を作ることと売ることについて、工藤さんや会場の皆さんと議論してみたいと念願しております。どうぞよろしくお願いいたします。

◎トークイベント「今、出版を続けるための方法」

日時:2016年3月21日月曜日 15:00~17:00(予定)
場所:福岡パルコ新館6Fタマリバ6

ゲスト:
工藤 秀之(株式会社トランスビュー代表取締役)
小林 浩(有限会社月曜社取締役)

参加方法:
・フタバ図書福岡パルコ新館店レジカウンターにてチケットをご購入ください。
・席代 1,000円(税込) ドリンク1杯つき
・募集人数 30名(定員に達し次第終了させていただきます)

主催:フタバ図書福岡パルコ新館店(問い合わせ電話番号092-235-7488 担当:神谷)

内容:今大きな転換期を迎えている出版業界にあって、独自の方法をもって奮闘する出版社の経営者のお2人をお迎えし、業界の現状の徹底的な分析を踏まえた、“今、出版を続けるための方法”についての議論を行っていただきます。お2人は現在発売中の「ユリイカ2016年3月臨時増刊号『出版の未来』で 『構造変動期の出版流通と営業』というテーマで対談をなさっていますが、ここで語られた内容についてもさらに思考を深めていく試みになればと思います。業界関係者はもちろん、これから出版を目指す人、本を愛する日々を送る読者の皆様も必聴のイベントです。
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重版出来:アガンベン『バートルビー』4刷

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★ジョルジョ・アガンベンさん(著書:『アウシュヴィッツの残りのもの』『バートルビー』『涜神』『思考の潜勢力』『到来する共同体』)
★高桑和巳さん(訳書:アガンベン『バートルビー』『思考の潜勢力』、共訳:クラウス+ボワ『アンフォルム』)
アガンベン『バートルビー 偶然性について [附]ハーマン・メルヴィル『バートルビー』』(高桑和巳訳、月曜社、2005年)の4刷が3月14日(月)にできあがりました。なお、高桑和巳さんのアガンベン論を集成した『アガンベンの名を借りて』が青弓社さんより来月下旬に刊行されます。


★ドリーン・マッシーさん(著書:『空間のために』)
3月11日(金)にご自宅で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。オープン・ユニヴァーシティによる訃報「Doreen Massey, 1944-2016」、それを受けたマンチェスター・イヴニング・ニュース紙の訃報「Tributes after the death of geographer and acclaimed social scientist Professor Doreen Massey」などをご参照ください。マッシーさんは2014年3月に来日されています。既訳書には以下のものがあります。

ドリーン・マッシィ『空間的分業――イギリス経済社会のリストラクチャリング』富樫幸一・松橋公治訳、古今書院、2000年。
ドリーン・マッシー『空間のために』森正人・伊澤高志訳、月曜社、2014年。

注目新刊:吉本隆明『全南島論』作品社、ほか

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全南島論
吉本隆明著、安藤礼二解説
作品社 2016年3月 本体5,400円 A5判上製 ISBN978-4-86182-571-2

帯文より:日本国と天皇制の起源。「吉本隆明によって南島は、人間の表現の「原型」、さらには、人間の家族・親族・国家の「起源」を探ることが可能な場所であった。それは同時に自らの詩人としての起源、批評家としての起源が立ち現われてくる場所でもあった。本書『全南島論』は、吉本隆明の表現の「原型」、表現の「起源」を明らかにしてくれる特権的な書物になった。一冊の書物のなかに、文字通り、一つの宇宙が封じ込められているのだ」(安藤礼二「解説」より)。

本文より:沖縄は沖縄の本島独自の、八重垣島は八重垣島の、奄美大島は奄美の、そして与論島は与論島、宮古島は宮古島独自の、神話と接続された歴史的時代の記述をもっています。そういう意味あいからいいますと、現在の日本国家が、権力の版図内にあるとかんがえている空間的地域は、実は大小のちがいこそあれ、これらの島の一つ一つを本土と同等に扱う理由しかないといっていいのです。つまり、琉球や沖縄の諸島も、その一つ一つが、やはり本土と同等の国家であるとかんがえてよろしいわけです。(「国家と宗教のあいだ」147頁)

目次:
まえがき
I
南島論序説
『琉球弧の喚起力と南島論』覚書
南島論I・II
II
島はみんな幻
母制論
起源論
異族の論理
国家と宗教のあいだ
宗教としての天皇制
南島論――家族・親族・国家の論理
「世界-民族-国家」空間と沖縄
南島の継承祭儀について――〈沖縄〉と〈日本〉の根底を結ぶもの
家族・親族・共同体・国家――日本~南島~アジア視点からの考察
『記』『紀』歌謡と『おもろ』歌謡――何が原形か
色の重層
縦断する「白」
共同幻想の時間と空間――柳田国男の周辺
共同体の起源についての註
おもろさうしとユーカラ
イザイホーの象徴について
島尾敏雄『琉球弧の視点から』
島尾敏雄――遠近法
聖と俗
III
鬼伝承〔島尾敏雄〕
民話・時間・南島〔大山麟五郎〕
歌謡の発生をめぐって〔藤井貞和〕
母型論と大洋論〔山本哲士・高橋順一〕
南島歌謡研究の方法と可能性〔玉城政美〕
あとがき
初出掲載
解説 〔安藤礼二〕

★18日取次搬入済。まえがきとあとがきは2005年の書き下ろし。第I部は本書の担当編集者・高木有さんが編集長をおつとめだった時代の「文藝」誌に連載され、未完に終わった「南島論」と同論をめぐる覚書を収録。第II部には68年から93年までの関連テクストを集成、第III部には76年から91年までの関連対談がまとまっています。吉本さんの言う「南島」とは、琉球と奄美のことです。沖縄をめぐる諸問題が今なお未解決にとどまるこんにち、現代の読者が吉本さんの数十年に及ぶ思索の結晶に触れることの意義は大きいのではないでしょうか。また、まもなく筑摩書房さんからも吉本さんの『アジア的ということ』が刊行されると聞きます。こちらは「80年代前半、「試行」誌に書き続けられた論稿「アジア的ということ」に他の論稿を加え、著者の生前の構想に沿って編集したアジア的世界思想の可能性を示す論集」とのことです。

★『全南島論』巻末にある安藤礼二さんによる解説はこう始まります、「『共同幻想論』(1968年)を書きあげた吉本隆明にとって、そこで提出された諸主題をあらためて総括し、その彼方へと抜け出そうと意図された書物が「南島論」であった。吉本は、繰り返し「南島論」に立ち戻り、新たな構想のもとで「南島論」を何度も書き進め、書き直そうとしていた。しかしながら、自身の思索の深まりとともに「南島論」として一つに総合されなければならない論点は限りなく広がり、限りなく複雑化してゆく。結局のところ、吉本の生前、「南島論」というタイトルで一冊の書物がまとめられることはなかった。「南島論」は、詩人であり批評家であった吉本隆明が、そのすべての力を注ぎ込みながら――それ故に――「幻」となった書物であった」(572頁)。

★「南島論序説」はその昔、第1回「文藝」シンポジウム「吉本隆明を聴く――琉球弧の喚起力と「南島論」の可能性」(1988年12月2日、那覇市沖縄タイムス・ホール、主催=『文藝』沖縄実行委員会、後援=尚学院・沖縄タイムス社)における基調報告として講演されたもので、後日、季刊「文藝」1989年春季号に、パネルディスカッション「それぞれの南島論」吉本隆明・赤坂憲雄・嵩元政秀・比嘉政夫・上原生男・渡名喜明(司会)、総括評論「南島論、あらたなる胎動」とともに掲載されました。同号の編集後記で高木さんはこう綴っておられます、「次号予定の吉本隆明氏「南島論」の連載に先駆け、先頃、小誌としては初の試みのシンポジウムを沖縄で開催した。会場の沖縄タイムス・ホールは550名で満席となり、急遽第二会場にTVモニターを用意し150名を収容する始末。予測を遥かに超えた盛況に予定の三時間は瞬く間にすぎ、会場限界の11時迄5時間に亙り熱気ある討論が重ねられた。会場の片隅で思い知ったのは、言葉を支えるのは知識だけではないという単純なことであった」。

★『全南島論』の「あとがき」にはこうあります。「漱石の絶品『彼岸過迄』の敬太郎とおなじで、さんざん追っかけた積りだろうが、結局何も確かなことは判らないじゃないかと言われそうな気がするが、それが素人の宿命にちがいない。ただ比較的良質の宿命だとしたら以って瞑すべきだと思っている。高木有さんが懸命の努力でわたしなど自分で忘れていた文章も蘇生させていただいた。その労力に叶う返報が少しでもあったなら、わたしにとってもこれに過ぎる幸はない」(569頁)と。

★著者にライフワークがあるのならば、編集者にもそれはあるのだと思います。「早い・安い・旨い」が求められざるをえない、市場サイクルの短い昨今の出版業界において、それは稀有なことです。きっと高木さんの胸の内には吉本さんとの出会いのインパクトや、シンポジウムの会場の熱気が今なお鮮明に息づいているのでしょう。くだんのシンポジウムは雑誌掲載後、登壇者らの論考を加えて単行本『琉球弧の喚起力と南島論』(現在は品切重版未定)としてもまとめられています。今回刊行された『全南島論』の姉妹編とも言える本なので、以下に書誌情報を掲出しておきます。本書からは「南島論序説」と「『琉球弧の喚起力と南島論』覚書」が『全南島論』に収録されています。

琉球弧の喚起力と南島論――シンポジウム1988・12・2那覇
吉本隆明ほか著
河出書房新社 1989年7月 本体1,748円 A5判並製220頁 ISBN:978-4-309-00575-1

目次:
第一部=基調報告
南島論序説 〔吉本隆明〕
第二部=パネルディスカッション
それぞれの南島論 〔嵩元政秀・比嘉政夫・上原生男・赤坂憲雄・吉本隆明・渡名喜明〕
第三部=後論
南島論、あらたなる胎動 〔赤坂憲雄〕
海のしらべからの返書 〔上原生男〕
文化の基層をみきわめるために 〔比嘉政夫〕
グスク論――その性格をめぐって 〔嵩元政秀〕
琉球王権のコスモロジー 〔渡名喜明〕
うふゆー論序説 〔高良勉〕
覚書 〔吉本隆明〕
コラム
 ノロとキコエオオキミ 〔比嘉政夫;『沖縄大百科事典』より〕
 をなり信仰とカーミヌチビティーチ 〔比嘉政夫〕
 南島文化の系譜論 〔嵩元政秀〕
 南島の地名 〔比嘉政夫〕
 異端の天皇・後醍醐 〔赤坂憲雄〕
 南島の神話群 〔渡名喜明〕
著者紹介
初出一覧
地図(琉球弧、宮古・八重山諸島、沖縄諸島)

★最後に『全南島論』第II部に収録されている1970年9月の講演「南島論――家族・親族・国家の論理」から引用します。「火の神信仰とか、家の世代的遡行から出てくる、たかだか親族における共同性にしかすぎない祭りの本質を追求してゆく中に、農耕民族、あるいは農耕神話起源以前における古形が、〈本土〉においても〈南島〉においてもあからさまに存在しているのだと考えられます。こういう問題は、やがて調査、発掘の進展とともに明らかになっていくでしょう。そして、それによって、天皇制統一国家に対して、それよりも古形を保存している風俗、習慣、あるいは〈威力〉継承の仕方があるという意味で、〈南島〉の問題が重要さを増してくるだけでなく、それ以前の古形、つまり弥生式国家、あるいは天皇制統一国家を根柢的に疎外してしまうような問題の根拠を発見できるかどうか、それはまさに今後の追求にかかっているのです。/そういう問題のはらんでいる重さが開拓されたところで、本格的な意味で琉球、沖縄の問題が問われることになるだろうとおもいます。こんなことをいっている間にも、さまざまな政治的課題が起こりつつあるわけですが、起こりつつある問題の解決の中に根柢的な掘り下げ、あるいは根底的な方向性が存在しないかぎり、依然として最初の問題は解決されないだろうと信じます。それなしには、〈南島〉の問題は、たんに地域的辺境の問題として軽くあしらわれるにすぎないでしょう。つまり、現在の問題に限っても、日本の資本制社会の下積みのところで、末梢的な役割を果すにすぎないという次元で、琉球、沖縄の問題はいなされてしまうことは確実です。現在の政治的な体制と反体制のせめぎあいのゆきつくところは、いまのままでは、たかだか辺境の領土と種族の帰属の問題にすぎなくなることは、まったく明瞭だとおもいます」(200-201頁)。そろそろこの講演から半世紀が過ぎようかとしている現在、『全南島論』の射程の遥かさに改めて驚きを禁じ得ません。

★高木さんは今月、もう一冊新刊を手掛けられています。17日取次搬入済、『川村湊自撰集』完結編となる第五巻「民族・信仰・紀行編」(作品社、2016年3月、本体2,800円、46判上製408頁、ISBN978-4-86182-518-7)です。帯文に曰く「アジア的風土への積年の執心と煩を恐れぬ綿密なフィールドワーク、行動の批評家の思索の核心をなす民俗学的・宗教的諸論考を選りすぐって集成」と。巻末の著者解題では、札幌の北海道立文学館に「川村湊文庫」が作られる予定であることが明かされています。そのためにもご自身の年譜を編む必要性があったとのことで、年譜作成のご苦労について「並大抵のものではない」「大変な作業」「膨大な手間暇」と吐露されています。作家が「あとは検索エンジンで検索するだけ」と言いうるような、すべての媒体が電子化される未来というものは果たしていつ到来するでしょうか。

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★ここ半年ほどの間に当ブログで言及する機会を逸していた新刊の一覧を書き起こしたいと思います。それなりの点数になるので、まずはその中でも特記しておきたい2点についてまず一言ずつ。

『ユークリッドと彼の現代のライバルたち』ルイス・キャロル著、細井勉訳・解説、日本評論社、2016年1月、本体2,900円、A5判並製340頁、ISBN978-4-535-79803-8
『アッティカの夜1』アウルス・ゲッリウス著、大西英文訳、西洋古典叢書/京都大学学術出版会、2016年1月、本体4,000円、四六変判上製492頁、ISBN978-4-87698-915-7

★『ユークリッドと彼の現代のライバルたち』の原書は、ルイス・キャロルが本名Charles Lutwidge Dodgsonの名義で上梓した幾何教育論「Euclid and His Modern Rivals」(Macmillan, 1879, 2nd ed., 1885)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。版元紹介文には「ユークリッドの幾何学を中学生にどのように教えるべきか、ルイス・キャロルが演劇台本の形を借りて縦横に論じる。初の日本語全訳」とあります。複数の登場人物が議論を交わす(登場人物の一人の夢の中ではユークリッドも登場する)という、ドラマ仕立てのユニークな教科書です。本書巻頭の、訳者による「前書き的な解説」や巻末の訳者略歴によれば、細井先生による訳注書『ルイス・キャロルのユークリッド論』が日本評論社さんより刊行予定だそうです。

★『アッティカの夜1』は「西洋古典叢書」2015年第6回配本(2016年全6点の配本は今年5月開始)。帯文に曰く「帝政期ローマの著述家ゲッリウスは、ギリシアに遊学して哲学を修めた人物。プルタルコスの友人に師事し、マルクス帝の師らとも交流をもった。本書は著者が若かりし頃、アテナイ滞在中に冬の長夜の無聊を慰めんがため、広範な文献を渉猟して蒐集した逸話や随筆から成り、後に散佚した作品からの引用も豊富。本分冊には、B・ショーによる戯曲化で有名な寓話なども含まれる。本邦初訳。(全2冊)」。ショーの戯曲とは「アンドロクレスと獅子」(1912年)で、1954年に映画化もされています。ゲッリウスの本では第5巻に「プレイストニケスの異名をもつ博学者アピオンが、ローマで見た、と記している、ライオンと人が、古い交情を思い出し、再び互いを認め合ったという話」として収録されており、月報に寄稿された西村賀子教授によればこの寓話は「ゲッリウスが遺した最も有名な遺産」として知られており、イソップ寓話の一つとしても数え上げられているとのことです。

★では最後に、上記2書以外の注目既刊書(単行本のみ、文庫本は除く)について、列記してみます。当然のことながらこれらが「すべて」ではなく、拾い切れていない書目がたくさんあるはずですが、いずれ思いがけず出会うこともあるのではないかと期待するほかありません。

『エラスムス神学著作集』金子晴勇訳、教文館、2016年3月、ISBN978-4-7642-1811-6
『エラスムス『格言選集』』金子晴勇編訳、知泉書館、2015年9月、ISBN978-4-86285-216-8
『ギリシア詞華集 2』沓掛良彦訳、西洋古典叢書/京都大学学術出版会、2016年3月、ISBN978-4-87698-916-4
『ギリシア悲劇名言集 新装版』ギリシア悲劇全集編集部編、岩波書店、2015年11月、ISBN978-4-00-061082-7
『ギリシア喜劇名言集』ギリシア喜劇全集編集部編、岩波書店、2015年11月、ISBN978-4-00-061081-0
『内乱記 (カエサル戦記集)』カエサル著、高橋宏幸訳、岩波書店、2015年10月、ISBN978-4-00-024173-1
『大山猫の物語』クロード・レヴィ=ストロース著、渡辺公三監訳、みすず書房、2016年3月、ISBN978-4-622-07912-5
『もっとも崇高なヒステリー者――ラカンと読むヘーゲル』スラヴォイ・ジジェク著、鈴木國文ほか訳、みすず書房、2016年3月、ISBN978-4-622-07973-6
『生の書物』J・クリシュナムルティ著、藤仲孝司ほか訳、UNIO、2016年3月、ISBN978-4-434-21796-8
『ブッダとクリシュナムルティ――人間は変われるか』J・クリシュナムルティ著、正田大観ほか訳、コスモス・ライブラリー、2016年3月、ISBN978-4-434-21760-9
『思考の限界――知性のまやかし』J・クリシュナムルティ+デイヴィッド・ボーム著、中野多一郎訳、創英社、2016年2月、ISBN978-4-88142-930-3
『デカルト全書簡集 第4巻 1640-1641』大西克智ほか訳、知泉書館、2016年3月、ISBN978-4-86285-227-4
『デカルト全書簡集 第8巻 1648-1655』安藤正人ほか訳、知泉書館、2016年2月、ISBN978-4-86285-226-7
『デカルト全書簡集 第6巻 1643-1646』倉田隆ほか訳、知泉書館、2015年12月、ISBN978-4-86285-226-7
『一流の狂気――心の病がリーダーを強くする』ナシア・ガミー著、山岸洋ほか訳、日本評論社、2016年2月、ISBN978-4-535-98426-4
『フランス・ルネサンス文学集 2 笑いと涙と』宮下志朗ほか編訳、白水社、2016年2月、ISBN978-4-560-08486-1
『徳と理性――マクダウェル倫理学論文集』ジョン・マクダウェル著、大庭健編・監訳、勁草書房、2016年2月、ISBN978-4-326-19968-6
『プラハの墓地』ウンベルト・エーコ著、橋本勝雄訳、東京創元社、2016年2月、ISBN978-4-488-01051-5
『爆弾のすきな将軍』U・エーコ作、E・カルミ絵、海都洋子訳、六耀社、2016年1月、ISBN978-4-89737-824-4
『火星にいった3人の宇宙飛行士』U・エーコ作、E・カルミ絵、海都洋子訳、六耀社、2015年11月、ISBN978-4-89737-820-6
『評伝レヴィナス――生と痕跡』サロモン・マルカ著、斎藤慶典ほか訳、慶應義塾大学出版会、2016年2月、ISBN978-4-7664-2287-0
『他者のための一者――レヴィナスと意義』ディディエ・フランク著、米虫正巳ほか訳、法政大学出版局、2015年10月、ISBN978-4-588-01034-7
『一五〇〇〇〇〇〇〇』マヤコフスキー著、小笠原豊樹訳、土曜社、2016年2月、ISBN978-4-907511-27-2
『仏の真理のことば註 ダンマパダ・アッタカター 2』ブッダ・ゴーサ著、及川真介訳註、春秋社、2016年2月、ISBN978-4-393-11332-5
『仏の真理のことば註 ダンマパダ・アッタカター 1』ブッダ・ゴーサ著、及川真介訳註、春秋社、2015年9月、ISBN978-4-393-11331-8
『これで駄目なら――若い君たちへ:卒業式講演集』カート・ヴォネガット著、円城塔訳、飛鳥新社、2016年1月、ISBN978-4-86410-408-1
『無底と意志−形而上学――ヤーコプ・ベーメ研究』薗田坦著、創文社、2016年1月、ISBN978-4-423-17158-5
『ルクリュの19世紀世界地理 第1期セレクション2 北アフリカ 第2部 トリポリタニア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、サハラ』エリゼ・ルクリュ著、柴田匡平訳、古今書院、2016年1月、ISBN978-4-7722-9007-4
『スクリブナー思想史大事典』10巻セット、Maryanne Cline Horowitz編、丸善出版、2015年12月、ISBN978-4-621-08961-3
『あなたが世界のためにできるたったひとつのこと――〈効果的な利他主義〉のすすめ』ピーター・シンガー著、関美和訳、NHK出版、2015年12月、ISBN978-4-14-081692-9
『神殿伝説と黄金伝説――シュタイナー秘教講義より 新装版』ルドルフ・シュタイナー著、高橋巖ほか訳、国書刊行会、2015年12月、ISBN978-4-336-05984-0
『虚無感について――心理学と哲学への挑戦』ヴィクトール・E・フランクル著、広岡義之訳、青土社、2015年12月、ISBN978-4-7917-6906-3
『商業についての政治的試論』ムロン著、米田昇平ほか訳、京都大学学術出版会、2015年12月、ISBN978-4-87698-883-9
『時ならぬマルクス――批判的冒険の偉大さと逆境(十九−二十世紀)』ダニエル・ベンサイド著、佐々木力監訳、未來社、2015年12月、ISBN978-4-624-01194-9
『フリーメーソン・イルミナティの洗脳魔術体系――そのシンボル・サイン・儀礼そして使われ方』テックス・マーズ著、宮城ジョージ訳、ヒカルランド、2015年11月、ISBN978-4-86471-326-9
『図説ユダヤ・シンボル事典』エレン・フランケル著、ベツィ・P・トイチ画、木村光二訳、悠書館、2015年9月、ISBN978-4-903487-91-5
『数学と裸の王様――ある夢と数学の埋葬 新装版(収穫と蒔いた種と)』アレクサンドル・グロタンディーク著、辻雄一訳、現代数学社、2015年10月、ISBN978-4-7687-0451-6
『ポリス的動物――生物学・倫理・政治』スティーブン・R・L・クラーク著、古牧徳生訳、春秋社、2015年10月、ISBN978-4-393-32343-4
『世界を変えるデザイン 2 スラムに学ぶ生活空間のイノベーション』シンシア・スミス編、北村陽子訳、英治出版、2015年10月、ISBN978-4-86276-170-5
『聞こえくる過去――音響再生産の文化的起源』ジョナサン・スターン著、中川克志ほか訳、インスクリプト、2015年10月、ISBN978-4-900997-58-5
『風立ちぬ――宮崎駿の妄想カムバック』宮崎駿著、大日本絵画、2015年10月、ISBN978-4-499-23167-1
『七つ星の宝石』ブラム・ストーカー著、森沢くみ子訳、アトリエサード、2015年9月、ISBN978-4-88375-212-6
『我々はどのような生き物なのか――ソフィア・レクチャーズ』ノーム・チョムスキー著、福井直樹ほか編訳、岩波書店、2015年9月、ISBN978-4-00-006227-5

4月新刊『表象10:爆発の表象』、創刊10周年

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2016年4月15日取次搬入予定 *人文・芸術

表象10――爆発の表象
表象文化論学会=発行 月曜社=発売
2016年4月 本体1,800円 A5判並製336頁 ISBN978-4-86503-031-0

いま、表象文化研究の最前線はどこにあるのか? 巻頭対談では、領域横断的なイメージ論を精力的に展開している岡田温司・田中純の両氏に訊く。続く特集1では爆発の表象をめぐる様々なアプローチを吟味。花火製造術から現代アートまで、初期映画から現代ハリウッド映画まで、至るところで表象されている「爆発」を、崇高論の枠組みを超えて論じる。さらに特集2では、演劇やダンスから儀礼・祭祀までを包括する「パフォーマンス」をめぐる言説のあり方を再検討する。

アマゾン・ジャパンにてご予約受付中

目次
◆【巻頭言】
言語と表象(佐藤良明)
◆【対談】
新たなるイメージ研究へ(岡田温司×田中純)
◆【特集1:爆発の表象】
共同討議:「爆発的メディウム」の終焉?――映画、アニメーション、ドローン(石岡良治+北村紗衣+畠山宗明+星野太+橋本一径)
電気じかけの夜(フィリップ゠アラン・ミショー/森元庸介訳)
爆発への無関心(ジェフリー・スコンス/仁井田千絵訳)
平和と原子爆弾(セルゲイ・エイゼンシュテイン/畠山宗明訳・解題)
◆【特集2:パフォーマンス論の現在】
共同討議:パフォーマンスの場はどこにあるのか(森山直人+武藤大祐+田中均+江口正登)
方法論としてのニュー・ドラマトゥルギー――共同討議の余白に(内野儀)
パフォーマンス/ミュージアム(三輪健仁)
◆【投稿論文】
パンとサイコロに賭けられるもの――聖史劇の聖別と瀆聖(杉山博昭)
洞窟という鑑賞装置――フレデリック・キースラーの《ブケパロス》(瀧上華)
歌う声を〈きく〉行為――歌う身体と聴く身体が交叉するところ(堀内彩虹)
小津安二郎『お早よう』におけるオナラの音(正清健介)
◆【書評】
スクリーン・プラクティスのふくらみ――大久保遼『映像のアルケオロジー――視覚理論・光学メディア・映像文化』書評(細馬宏通)
エクフラシスの快楽――岡田温司『映画は絵画のように――静止・運動・時間』書評(堀潤之)
ロシア・アヴァンギャルドの複雑に絡んだ糸を解きほぐす――河村彩『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』書評(柏木博)
過去と未来の狭間にあり続けること――田口かおり『保存修復の技法と思想――古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』書評(金井直)
薄明の映画論──中村秀之『敗者の身ぶり──ポスト占領期の日本映画』書評(松浦寿輝)
写真のパラノーマリティ――浜野志保『写真のボーダーランド――X線・心霊写真・念写』書評(前川修)
メディアアートの歴史的瞬間――馬定延『日本メディアアート史』書評(原島大輔)
映画の「自動性」と「世界への信」――三浦哲哉『映画とは何か――フランス映画思想史』書評(武田潔)
音楽と驚異――村山則子『ペローとラシーヌの「アルセスト論争」――キノー/リュリの「驚くべきものle merveilleux」の概念』書評(横山義志)
「世界認識の方法」としてのリアリズム――小林剛『アメリカン・リアリズムの系譜――トマス・エイキンズからハイパーリアリズムまで』書評(横山佐紀)

哲学書房フェア、売れ筋や会期延長情報など

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哲学書房の出版物を取り揃えた回顧フェアが以下の通り都内3店舗で絶賛開催中です。好評につき会期延長となっていますので、最新情報を下記に列記いたします。哲学書房はすでに廃業されており、版元在庫はありませんので、店頭販売はこの3店舗を頼るほかありません。なお、「季刊哲学第12号」については3店舗では展開されておらず、弊社直販のみの扱いとなります。フェアでは、中野幹隆さんが手がけられた書籍一覧の年表がレジュメとして無料配布されています。貴重な資料です。

◎哲学書房を《ひらく》――編集者・中野幹隆が遺したもの

売れ筋ベスト5:
山内志朗『笑いと哲学の微妙な関係』
中沢新一ほか『季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス』
中村元ほか『季刊哲学9号=神秘主義』
大森荘蔵ほか『季刊哲学10号=唯脳論と無脳論』
稲垣良典ほか『季刊哲学11号=オッカム』

◆ジュンク堂書店立川高島屋店(2月26日オープン)
場所:6Fフェア棚
期間:2月26日(金)~4月20日(水)
住所:立川市曙町2-39-3 立川高島屋6F
営業時間:10:00~21:00
電話:042-512-9910

ジュンク堂さん手作りの資料は無料配布中。
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店頭に1冊しかない本はどうぞお早めに。
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◆ジュンク堂書店池袋本店
場所:4F人文書売場
期間:3月1日(火)~4月20日(水)
住所:豊島区南池袋2-15-5
営業時間:月~土10:00~23:00/日祝10:00~22:00
電話:03-5956-6111

池袋本店ではエスカレーターを上がって右手壁面で展開中。
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「セーマ」誌は中野さんが手がけられた最後の雑誌です。貴重!
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◆丸善丸の内本店
場所:3F人文書売場(Gゾーン)
期間:3月1日(火)~4月17日(日)※延長の可能性あり
住所:千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾショップ&レストラン1~4F
営業時間:9:00~21:00
電話:03-5288-8881

丸の内本店では蓮実重彦『陥没地帯』が早々に完売したとのこと。
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フェアタイトルにもなっている「哲学書房を開く」は会社設立挨拶から採られています。 「フィロギア」というのは原文では「フィロロギア」です。
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なお、弊社(月曜社)では「季刊哲学」「季刊ビオス」「羅独辞典」を直販にて絶賛販売中です。弊社での売れ筋ナンバー1は「羅独辞典」です。

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