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『季刊哲学』9号=神秘主義

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弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号につづいては、9号ののご紹介です。「哲学」第8号=「可能世界――神の意志と真理」は品切。

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季刊哲学 ars combinatoria 9号 神秘主義――テクノロジーとカルト
哲学書房 1989年12月25日 本体1,900円 A5判並製198頁 ISBN4-88679-037-2 C1010

目次:
【観想と歴程】
アレクサンドリアのフィロン「アブラハムの魂の遍歴」野町啓訳 pp.28-39
偽ディオニシオス・アレオパギテース「神名論」熊田陽一郎訳 pp.40-59
ヨハネス・エリウゲナ「ヨハネ福音書序文説教」今義博訳 pp.60-75
クレルヴォーのベルナルドゥス「雅歌講話」山内志朗訳 pp.76-83
ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程」長倉久子訳 pp.108-
ベーメ「真の心理学」四日谷敬子訳 pp.128-161
ライプニッツ「真の神秘神学について」伊豆蔵好美訳 pp.162-168
【直観と自証】
中村元「神秘主義と直観的認識」 pp.84-93
上田閑照「キリスト教神秘主義における自証――エックハルトのドイツ語説教集の中の「私」」吉田喜久子訳 pp.8-27
【超越と時間】
近藤譲「超越への耳――神秘主義と神秘主義音楽」 pp.94-96
小林康夫「時間と神秘」 pp.98-102
【科学と神秘】
小林昌宏「遅れてきたアリストテレス――ウィリアム・ハーヴィー断章」 pp.177-186
【表象と実在】
笠井潔「『死霊』の神秘思想」 pp.174-176
いとうせいこう「テクノロジーとカルト」 pp.169-173
守中高明「治癒と反復――イジドール・デュカスによる『ポエジー』」 pp.187-195
「熾天使〔セラフィム〕と聖フランチェスコ」 pp.103-107
「既刊目次」

編集後記:
●―観想の雲の中で、神は見られる、とエリウゲナはいう。観想には甘美がともなう。それは魂が透かし見る、自由な直観であった。ボナヴェントゥラによれば、神の甘美を味わうことこそ、知 sapientia のそもそものあり方であったのである。そこには恍惚があった。
●―ひとは、蜜の甘さと自らを競うことはかなわず、百合の絢爛とも、太陽の輝きとも競うことあたわぬ。まして相そのものである神と愛を競うなどとは。れけども存在の全てをあげて愛するならば、その愛に欠けるところはない。それは全体なのだから。魂が言葉によって愛され、言葉が魂を圧倒するのだ、とベルナルドは説く。これらは、乾いているものと泉との関係にたとえられる。泉から清水を汲むこと。
●―ヨーロッパの思想を垂直につらぬいて、神秘主義の清冽な水脈はある。いま、ここにテキストを編んだ思想家は、それぞれが水源であり、あるいはこれを今日に導く水流を形づくっている(非ヨーロッパ世界で並行する問題系については、中村元論文ほかが、示唆を与えてくれる)。
●ところで、被造物は神と無に由来し、神とはすなわち自存性、つまり〈1〉であり、無はといえば、非存性つまり〈0〉であった。ライプニッツにとって、事物の本質は数のごときものであった。〈0〉と〈1〉あるいは情報という非時間、が世界をのみ込んだことと、中世の魅惑的な回帰とは、どこかで結ばれているのかもしれない。そして〈情報〉とわたり合って、スキエンツィアとテクネーとは、交錯して新しい局面をひらいた。もとより科学とは神の意志を観ることであり、神の理性の権限にほかならない〈法則〉を明らかにして、もって対象を支配することがテクノロジーであった。科学と神学とが、テクノロジーと神秘主義とが、今日ほど親しげに近しくあった時代が、かつてあっただろうか。
●―神は私にとって身体よりもずっと親しい。身体はそれ自体では実体でがばjy、流れ去る陰にすぎない(ライプニッツ)。情報と脳、脳と意識と世界、脳と身体をめぐって、次号の特集は「〈唯名論〉と〈無能論〉」となる。(N)

補足1:欧文号数は「vol.III-4」。すなわち第3年次第4巻。

補足2:97頁には「季刊思潮」の全面広告が前号に続き掲載されており、第1号から第7号までの既刊が紹介されている。また127頁には教文館「キリスト教神秘主義著作集」全17巻の全面広告が掲載されており、佐藤敏夫氏の「推薦のことば」、第1回配本9月10日刊行第6巻「エックハルトI」、「全17巻の内容」が紹介されている。

補足3:ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程」は「南山神学」第5号(1982年)からの転載である旨が126頁末尾に「季刊哲学」編集部によって特記されている。また、「精神の神への歴程」の全体はラテン語-日本語対訳の形で、近くボナヴェントゥラ研究所〔東京ボナヴェントゥラ研究所→東京フランシスカン研究会→現・東京キリスト教神学研究所〕から出版される予定である、とも特記されているが、実際に刊行されたのは1993年2月、『ボナヴェントゥラ『魂の神への道程』註解』(長倉久子訳註、創文社)としてだった。担当編集者は小山光夫氏(現・知泉書館社長)。

補足4:103~107頁を飾る図版頁「熾天使〔セラフィム〕と聖フランチェスコ」では、ヤン・ファン・アイク「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(部分)、ジオット「聖痕を受ける聖フランチェスコ」、ジオット「焔の車の幻」、ジオット「泉の奇蹟」、ジオット「小鳥に説教する聖フランチェスコ」が掲載されている。

補足5:表紙表4はジオットの絵画「聖痕を受ける聖フランチェスコ」がカラーで掲載されている。また、絵の上部には当号に掲載されたボナヴェントゥラの「魂の神への歴程」からの一節が掲出されている。

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月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。

季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)

※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。

なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。

小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。

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注目の新書・文庫新刊(2016年2月~4月)

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★単行本を優先したためにここしばらく言及できずにいた新書や文庫をまとめてご紹介します。

『憲法の無意識』柄谷行人著、岩波新書、2016年4月、本体760円、208頁、ISBN978-4-00-431600-8
『現代思想史入門』船木亨著、ちくま新書、2016年4月、本体1,300円、576頁、ISBN978-4-480-06882-8
『中国4.0――暴発する中華帝国』エドワード・ルトワック著、奥山真司訳、文春新書、2016年3月、本体780円、208頁、ISBN978-4-16-661063-1

★『憲法の無意識』は昨今盛んに問われている改憲の是非をじっくり考える上で欠かせない新刊です。目次詳細はこちらをご覧ください。自主憲法を謳うことの内実や、九条の意義について歴史を遡りつつ解き明かしておられます。「私は憲法九条が日本から消えてしまうことは決してないと思います。たとえ策動によって日本が戦争に突入するようなことになったとしても、そのあげくに憲法九条をとりもどすことになるだけです。高い代償を支払って、ですが」(「あとがき」、198頁)と柄谷さんは書きます。日本だけでなく世界の情勢がますます不安定化しつつあるこんにち、柄谷さんのこの言葉は予言的に響きます。

★『現代思想史入門』は束幅約25ミリの分厚い入門書です。ちくま新書では時折こうした分厚い新書が出ますね。書名には「現代思想」という言葉が入っていますが、20世紀以降の現代の思想家にのみ特化した入門書ではなく、現代思想をかたちづくるものの前史(19世紀後半)も簡潔に説明してくれます。主題は「生命」「精神」「歴史」「情報」「暴力」の五つ。巻末には人名・書名索引があります。「これらの五つの層のそれぞれに見いだされるのは、社会状況と人間行動の捉えがたさ、混沌と冥さであるが、それらを重ねあわせてみることによって、この一五〇年の現代思想の重畳した諸地層のさまと、それぞれのよってきた由来や経路を捉えることくらいはできるだろう」(23頁)と舟木さんは仰っています。「人間の脱人間化」や「世界の脱中心化」(406頁)が進行する渦中における思想家たちの格闘を見つめ直すきっかけとなる労作です。

★『中国4.0』は、大手シンクタンク「戦略国際問題研究所」(CSIS)の上級顧問であるエドワード・ルトワック(Edward N. Luttwak, 1942-)さんが2015年10月に来日した折に、「国際地政学研究所」上席研究員の奥山真司(おくやま・まさし:1972-)さんが6回にわたってインタヴューしたものを翻訳しまとめたオリジナル本です。カバーソデ紹介文に曰く「2000年以降、「平和的台頭」(中国1.0)路線を採ってきた中国は、2009年頃「対外強硬」(中国2.0)にシフトし、2014年秋以降、「選択的攻撃」(中国3.0)に転換した。来たる「中国4.0」は? 危険な隣国の真実を世界最強の戦略家が明らかにする」と。第5章「中国軍が尖閣に上陸したら?――封じ込め政策」にはこうあります。「他国の島をとって基地を建設してしまうような中国に対抗するには、島を占拠されても、誰にも相談せずに迅速に奪還できるメカニズムが不可欠である。国家が領土を守るには、そういう覚悟が必要なのだ。それ以外の選択肢は存在しない。/ここで肝に銘じておくべきなのは、「ああ、危機が発生してしまった。まずアメリカや国連に相談しよう」などと言っていたら、島はもう戻ってこないということだ。ウクライナがそのようにしてクリミア半島を失ったことは記憶に新しい」(152頁)。目下の不安な情勢ではこうした冷徹な見解は実に《リアル》な響きがあります。

★ルトワックさんの邦訳第一作『クーデター入門――その攻防の技術』(遠藤浩訳、徳間書店、1970年)は日本で近年再び話題となっているためか古書価が高騰しています。文春学藝ライブラリーあたりで復刊してもらえるといいのですが・・・。

★続いて文庫の紹介です。

『ゴシック美術形式論』ウィルヘルム・ヴォリンガー著、中野勇訳、文春学藝ライブラリー、2016年2月、本体1,210円、304頁、ISBN978-4-16-813060-1
『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』アンドレス・ダンサ+エルネスト・トゥルボヴィッツ著、大橋美帆訳、角川文庫、2016年3月、本体760円、336頁、ISBN978-4-04-104327-1
『教科書名短篇 人間の情景』中央公論新社編、中公文庫、2016年4月、本体700円、240頁、ISBN978-4-12-206246-7
『教科書名短篇 少年時代』中央公論新社編、中公文庫、2016年4月、本体700円、240頁、ISBN978-4-12-206247-4
『暦物語』ブレヒト著、丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫、2016年2月、本体960円、316頁、ISBN978-4-334-75325-2
『失われた世界』アーサー・コナン・ドイル著、伏見威蕃訳、光文社古典新訳文庫、2016年3月、本体920円、442頁、ISBN978-4-334-75328-3
『日本語と事務革命』梅棹忠夫著、講談社学術文庫、2015年12月、本体900円、264頁、ISBN978-4-06-292338-5
『きのふはけふの物語 全訳注』宮尾與男訳注、講談社学術文庫、2016年2月、本体1,650円、608頁、ISBN978-4-06-292349-1
『日本古代呪術――陰陽五行と日本原始信仰』吉野裕子著、講談社学術文庫、2016年4月、本体1,050円、320頁、ISBN978-4-06-292359-0
『時間論 他二篇』九鬼周造著、小浜善信編、岩波文庫、2016年2月、本体1,020円、416頁、ISBN978-4-00-331464-7
『ヘーゲルからニーチェへ――十九世紀思想における革命的断絶(下)』レーヴィット著、三島憲一訳、岩波文庫、2016年2月、本体1,200円、496頁、ISBN978-4-00-336933-3
『法の原理――人間の本性と政治体』ホッブズ著、田中浩・重森臣広・新井明訳、岩波文庫、2016年4月、本体1,010円、400頁、ISBN978-4-00-340047-0
『生物学のすすめ』ジョン・メイナード=スミス著、木村武二訳、ちくま学芸文庫、2016年2月、本体1,000円、240頁、ISBN978-4-480-09717-0
『市場の倫理 統治の倫理』ジェイン・ジェイコブズ著、香西泰訳、ちくま学芸文庫、2016年2月、本体1,500円、464頁、ISBN978-4-480-09716-3
『無量寿経』阿満利麿注解、ちくま学芸文庫、2016年2月、本体1,500円、512頁、ISBN978-4-480-09713-2
『共産主義黒書〈ソ連篇〉』ステファヌ・クルトワ+ニコラ・ヴェルト著、外川継男訳、ちくま学芸文庫、2016年3月、本体1,700円、640頁、ISBN978-4-480-09723-1
『アミオ訳 孫子[漢文・和訳完全対照版]』守屋淳監訳・注解、臼井真紀訳、ちくま学芸文庫、2016年4月、本体1,200円、336頁、ISBN978-4-480-09726-2

★『ゴシック美術形式論』は、Formprobleme der Gotik (Piper, 1911)の翻訳です。今回文庫化された中野勇訳は、座右宝刊行会(1944年)版を阿部公正さんが校訂した岩崎美術社版(1968年)を底本とし、巻末に石岡良治さんによる解説「ヴォリンガーの「ゴシック」とその現在」が併載されています(265—301頁)。文庫で読めるヴォリンガーの著書と言えば、『抽象と感情移入』(草薙正夫訳、岩波文庫、1953年)がありますが、1999年の復刊以来、版が途絶えている状況です。この機会に復刊されてもいいような気がするのですが、岩波さんはこうした機会を逃すことは今まであまりなかったですから、きっと遠からず復刊して下さることでしょう。

★『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』は『悪役ーー世界でいちばん貧しい大統領の本音』(汐文社、2015年10月)に加筆修正が加えられ、文庫化されたもの。来日のタイミングで刊行されたためか、発売直後にたちまち売り切れて、先月下旬にはすでに3刷に達していました。私自身、当時は本屋さんを5軒以上回っても見つけられず、驚いたものです。本書はムヒカさんを19年間にわたって取材したルポルタージュです。手っ取り早くムヒカさんの高名なスピーチに当たりたい読者は本書ではなくほかのムックを入手される方がいいでしょうけれども、ムヒカさんの生きざまをじっくり読みたい方には本書が向いていると思います。ムヒカさんの言葉に接するとき、私はイヴァン・イリイチの思想との近さを思います。ムヒカさんの本の隣にマララ・ユスフザイさんや、セヴァン・カリス=スズキさん、ワンガリ・マータイさんの本、あるいは『世界がもし100人の村だったら』や『ハチドリのひとしずく』などを置くのは間違いなく良い選択ですが、そこにほかのオルタナティヴな思想家たちも並べると幅が広がると思います。イリイリのほかに、ドネラ・H・メドウズ、ノーム・チョムスキー、スーザン・ジョージ、ナオミ・クラインといった人々です。

★続いて中公文庫。『教科書名短篇』は「人間の情景」と「少年時代」の二冊。それぞれ12編ずつ中学教科書から厳選されています。「人間の情景」では司馬遼太郎「無名の人」「ある情熱」、森鴎外「最後の一句」「高瀬舟」、山本周五郎「鼓くらべ」「内蔵允留守」、菊池寛「形」、武田泰淳「信念」、遠藤周作「ヴェロニカ」、吉村昭「前野良沢」、梅崎春生「赤帯の話」、野坂昭如「凧になったお母さん」を収録。「少年時代」では。ヘッセ「少年の日の思い出」高橋健二訳、永井龍男「胡桃割り」、井上靖「晩夏」、長谷川四郎「子どもたち」、安岡章太郎「サアカスの馬」、吉行淳之介「童謡」、竹西寛子「神馬」、山川方夫「夏の葬列」、三浦哲郎「盆土産」、柏原兵三「幼年時代」、阿部昭「あこがれ」、魯迅「故郷」竹内好訳、を収録。いずれも短篇ですが余韻を残す名作揃いです。中学時代を思い出す方もおられるかもしれません。読み切りやすいので通勤通学などの移動時間向きかと思います。

★次に光文社古典新訳文庫。ブレヒトは『暦物語』で5点目。既訳には矢川澄子訳(現代思潮社、1963年)や、『ベルトルト・ブレヒトの仕事(5)ブレヒトの小説』(河出書房新社、1972年/2007年)収録の岩淵達治訳がありました。収録作のひとつ「異端者の外套」はジョルダーノ・ブルーノが登場する有名な作品です。ドイルは古典新訳文庫初登場。兄弟分の光文社文庫では『新訳シャーロック・ホームズ全集』全9巻(日暮雅通訳、2006~2008年)が刊行されているのは周知の通り。古典新訳文庫の今月新刊はまもなく発売で、ヴォルテール『寛容論』斉藤悦則訳と、ポー『アッシャー家の崩壊/黄金虫』小川高義訳とのことです。

★講談社学術文庫。梅棹忠夫『日本語と事務革命』は昨年末の新刊ですが、先月の新刊、安田敏朗『漢字廃止の思想史』(平凡社、2016年4月)でも言及されており、再び注目されそうです。近世初期の笑話集『きのふはけふの物語 全訳注』は文庫オリジナル。凡例に曰く「全二百三十四話の原文に現代語訳、語注、鑑賞を付す。本書ははじめて『きのふはけふの物語』を一冊本に収めるものである」とのことです。訳注者の宮尾與男さんは同じく講談社学術文庫で』『醒酔笑 全訳注』を2014年に上梓されています。『日本古代呪術』の親本は大和書房より1975年に刊行された増補版。巻末解説「悔しくてたまらない理由」は小長谷有紀さんがお書きになっておられます。悔しいと思っていらっしゃるのは解説者ではなく吉野さんご自身なのですが、何を悔しがっておられるのかは現物をお手に取ってみてください。

★岩波文庫。九鬼周造『時間論 他二篇』は「時間論」「時間の問題――ベルクソンとハイデッガー」「文学の形而上学」の三篇を収録。底本は岩波書店版『九鬼周造全集』第一巻、第三巻、第四巻(1981年刊)所収の各テクストです。「時間論」は1928年にフランスで九鬼がフランス語で発表した二つの講演「時間の観念と東洋における時間の反復」「日本芸術における「無限」の表現」をまとめたもので、編者の小浜さんがお訳しになられています。「時間の問題」はフランス講演の翌年である1929年に発表された論文で、「文学の形而上学」は『文芸論』(岩波書店、1941年)からの一篇。巻末には長文の編者解説「永遠回帰という思想――九鬼周造の時間論」(327—405頁)が添えられています。レーヴィット『ヘーゲルからニーチェへ(下)』は、上巻(2015年12月)に続く完結編。原著第二版(1950年)刊行の折に初版本(1941年)から削除された第二部のエルンスト・ユンガー論は、下巻の付録「初版との異同」に収録されています。巻末にはさらに、年表、邦訳文献一覧、人名注、人名索引などが配されています。『法の原理』は1640年に執筆されたホッブズの最初の政治学書The Elements of Law: natural & Politicです。底本は1927年にケンブリッジ大学出版より刊行された版。同書は『哲学原論〔Elements of Philosophy〕』や『リヴァイアサン』に先立つ論考で、今回が初訳となります。巻末には田中浩さんによる解説「ホッブズ「政治学」の近代的性格」が付されています。

★最後にちくま学芸文庫です。『生物学のすすめ』の親本は紀伊国屋書店より1990年刊。『市場の倫理 統治の倫理』はどうにも古書価が高かった日経ビジネス人文庫版(2003年)からの待望のスイッチ。巻末には以下のような特記があります。「訳者の著作権管理者の許可を得たうえで、植木直子氏の協力により訳語を改訂した箇所がある」と。訳者の香西泰(こうさい・ゆたか:1933-)さんは日本経済研究センター名誉顧問でいらっしゃいます。『無量寿経』は文庫オリジナルの書き下ろし。明治学院大学名誉教授の阿満利麿(あま・としまろ:1939-)さんによる労作です。凡例に曰く「テキストは、真宗大谷派の『真宗聖典』所収の『仏説無量寿経』を使用した。ただし、読み下し文については、読みにくい箇所にかぎって、他の刊行本の読み下し文を使用した。〔・・・〕漢文の区切り方については一部、『真宗聖典』に従っていない箇所がある」とのことです。『共産主義黒書〈ソ連篇〉』の親本は恵雅堂出版より2001年刊。同書は単行本では続編「犯罪・テロル・抑圧〈コミンテルン・アジア篇〉」(ステファヌ・クルトワ+ジャン=ルイ・パネ+ジャン=ルイ・マルゴラン著、高橋武智訳、恵雅堂出版、2006年)が出ていましたので、順当に考えれば続編も文庫化して下さるものと想像します。『アミオ訳 孫子[漢文・和訳完全対照版]』は文庫オリジナル。漢文、一般的な日本語訳、ジャン=ジョセフ=マリ・アミオ(1718—1793)による仏訳からの日本語訳、解説を積み重ねていく構成になっています。巻末には監訳・注解を担当された守屋淳さんによる「アミオ小伝」と、航空自衛官の伊藤大輔さんによる論考「ナポレオン・ボナパルトは、『孫子』を読んだのか?」が掲載されています。伊藤さんの論考にはグリフィス版『孫子』への重要な論及がありますので、グリフィス版を読まれた方にはご一読をお薦めします。

★まもなく発売となる今月のちくま学芸文庫の新刊には、パウル・クレー『造形思考』上下巻や、ルーマンの『自己言及性について』などが登場。今月もマストバイです。

ルソー『化学教程』連載第11回

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ルソー『化学教程』第十一回:第一部第一編「物体の諸要素とそれらの構成について」第一章「物質の原質について」(続き)

34 私たちがスイギン土terre mercurielleと呼ぶ第三の原質に関して言えば、それは依然としてまったく知られておらず、多くの人びとはその存在を認めていない。以下は、ベッヒャーが伝えるその原質についての知識である。

35 先の二つの原質〔ガラス化土と燃素土すなわちフロギストン〕と混ぜ合わされることで、第三の原質はこれらの三つ原質からできる物質の種類を決定する。このような第三の原質が存在するということを人びとは疑うことができない。というのも、鉱物界の生成について限って言えば、私たちが明らかにするように、半透明の石は第一と第二の土から形成されていることは確かであり(1)、不透明の石に関して言えば、その不透明さ、形状、そして石の状態を生み出す第三の土がその石の中には必ずや存在しなければならないからである(2)。[A:24]金属についても〔スイギン土がその種類を決定するということは〕同じである。なぜなら、金属が先の二種類の土から受け取った色彩と可融性に加えて、第三の原質からしか引き出せないような展性と金属的光沢をも金属は有しているからである。類比関係から、同様の原質はその他の二つの界〔動物界、植物界〕の中にも存在するはずである。事実、不揮発性のエンが結晶化の中でとる規則的な形状はいったい何に由来するというのか。また揮発性のエンの植物の形状はいったい何に由来するというのか。ニガヨモギやモミの木材(3)に見られるように、揮発性のエンは植物の形状をときおりきわめて明瞭に呈する。この第三の土は俗に言う水銀の混合物の中にそれなりの量が含まれており、そのために何人かの化学者たちはこの土に水銀という名称を性急にも当ててしまった。この第三の土はむしろスイギン土と呼ぶべきである。というのも第一に、[C:79]第三の土を含む[F:32]あらゆる物体から液体の水銀を抽出できるということは誤りであるからだ。そもそも、水銀というもの自体が他の原質から成るひとつの混合物ではないだろうか? こうして、強い揮発性を有する(4)という理由でだけで、実に不適切にも、この第三の土は水銀と呼ばれるようになってしまったのである。第三の土は揮発性を有するがゆえに、例えば〔すでにこの土を含んでいる〕何らかの金属にこの土を余分に結合させてみると、この金属は揮発性および流動性という水銀の形態を有するようになる。そして火の助けを借りて金属を凝固することでしか、その金属を再び硬化させることはもはやできないのである。ベッヒャーは、この土がヘルモントやパラケルススの有名なアルカエストalcahest(5)以外の何ものでもないという意見に与しており、あたかも自分がよく知っているものであるかのようにこの液体について語っている。そのアルカエストが持つ強い浸透力pénétration〔という性質〕に魅せられたベッヒャーは、うかつにもこの性質を確かめようと骨を折ることになったのである。上記の化学者たちの主張では、このアルカエストが普遍溶媒dissolvant universelであると知られている。しかしながら、ベッヒャーはこの普遍溶媒と通常の溶媒dissolvants ordinairesを区別した。なぜならば、〔普遍溶媒である〕アルカエストはひとつの物体の部分を分割し、それらを[A:25]把握できないほど細かくすることしかしないのに対して、後者の通常の溶媒は溶解した物体と結合するからである。こうして、この〔普遍溶媒に浸した〕諸部分はその自然の状態état naturel〔=静止〕(6)にしておくと時間とともに沈殿する。もっとも重い部分から沈殿してゆき、そしてもっとも軽いものが沈殿する。これは合金を分離する方法である。というのも、例えば金は他の金属よりも先に沈殿するからである。

続きは・・・特設サイトで公開中。

備忘録(28)

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◆2016年5月13日午前11時現在。
昨年あたりからうわさが流れていましたが、ついに新聞報道が出ました。「朝日新聞」2016年5月13日付記事「紀伊国屋新宿南店、事実上の撤退へ 売り場を大幅に縮小」に曰く「7月下旬をめどに、売り場を大幅に縮小させ、事実上撤退する方針であることがわかった。計6フロア(約4千平方メートル)ある売り場のうち、6階のみを洋書専門店として残す。紀伊国屋は「ビルの所有者側と賃料交渉がまとまらなかった」としている。〔・・・〕オープンから20年を迎え、9月の契約満了を控えて交渉が続いていた」と。コメント欄付のヤフーニュース版はこちら。同記事はlivedoorNEWSでも配信されています。

また、「都商研ニュース」5月13日付記事「紀伊國屋書店新宿南店、7月下旬閉店」によれば、「紀伊國屋書店新宿南店は1996年10月に開店。タカシマヤタイムズスクエア(新宿髙島屋)南館の1~6階に入居しており、売場面積は約4,000㎡。〔・・・〕当初は日本最大の書店として話題になったものの、新宿駅東口にある新宿本店との棲み分けが出来ずに苦戦。近年は漫画の品揃えを充実させるなど差別化を行っていたが、開店20年の契約満了を機に閉店することになったという。〔・・・〕7階の紀伊國屋サザンシアターについては、昨年「賃貸契約を更新する方針」であると報道されており、今夏の公演予定も決まっているため、書店の閉店後も当面は運営を続けると見られている」。

版元としては大型店の閉店は大量返品に帰結するので、厳しいです。閉店がはっきりしているならば、新刊委託や客注はともかく、補充注文の要請には応えにくくなるというのが現実でしょう。南店の在庫を本店や各支店がフル活用する、というのも考えにくいですし、その辺は紀伊國屋書店さんがはっきりと方針を声に出してくださらないと、版元によっては出荷を抑制せざるをえなくなるものと思われます。下手をすれば補充が入らず、閉店前には棚や平台にアキが目立つようになるでしょう。これはさいきんどこかで見た風景に似ています。

いっぽうで、洋書フロアとサザンシアターが残るのは幸いでした。専門店として残るなら洋書はさらに充実されるといいのですが、什器等を一新させないと難しいでしょうか。サザンシアターでの催事関係の和書はその都度出張販売するのでしょうか。紀伊國屋書店新宿本店との棲み分け解消となるわけで、本店にも影響があることでしょうけれども、それについてはいずれ遠からず発表されるのでしょう。

ちなみに2012年3月のジュンク堂書店新宿店の撤退時には、本店・南店ともに改装を行っていました。新宿界隈ではそのさらに一年前の2011年11月にブックファーストルミネ新宿2店が閉店。ルミネ1の6Fにある同チェーンのルミネ新宿店は規模を縮小しつつも今なお営業しています。同チェーンの旗艦店であるブックファースト新宿店の開店は2008年11月。小田急百貨店の三省堂書店新宿店は2015年2月に閉店。半世紀近い営業だったため版元さんや、お客様から惜しむ声があがりました。2015年10月には、文具専門店だった丸善新宿京王店が、「書籍スペース62坪を加え、新たに書籍・文具の総合店舗としてスタート」しています。こんな風に近年変化が激しい新宿地区ですが、大型店は実質的に、駅を挟んで西口にブックファースト新宿店、その反対側に紀伊國屋書店新宿本店を残すのみということになります。

ここしばらく書店業界では、テナント契約終了による退店が目立ってきました。かつては集客の要だった書店が、売上の落ち込みにより、オーナーにとっては期待値が下がっているのかもしれません。それを挽回するためにここしばらく書店には複合化の波が押し寄せているわけですが、紀伊國屋書店新宿南店のあとのタカシマヤ・タイムズスクエア南館に複合書店が入居することはやや考えにくいような気がします。代々木東口界隈がさらにぎやかになると南館にも影響があるように思えるものの、まだ時間が掛かるのかもしれません。

閉店する紀伊國屋書店新宿南店は日販帳合です。新宿本店は日販とトーハンのダブル帳合、ブックファーストはトーハン傘下ですから当然トーハン帳合。日販としては新宿地区での巻き返しを図りたいところでしょうか。

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『季刊哲学』10号=唯脳論と無脳論

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弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号、9号に続いて、10号のご紹介です。

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季刊哲学 ars combinatoria 10号 唯脳論と無脳論――ニューロ=メタ=フィジクス
哲学書房 1990年3月15日 本体1,900円 A5判並製174頁 ISBN4-88679-039-9 C1010

目次:
【本邦初訳原典】
ライプニッツ「実在的現象を想像的現象から区別する方法について」伊豆蔵好美訳 pp.30-37
バークリ「哲学的評註」一ノ瀬正樹訳 pp.38-61
【自我と時間】
大森荘蔵「自我と時間の双生」 pp.8-20
小林康夫「時間・身体・脳」 pp.114-120
黒崎政男「脳の解明は、何を解明するか――人間の諸能力と脳内過程」 pp.121-126
岡本賢吾「コギトと視点――デカルトによる省察と、そのライプニッツ的な展開をめぐる一考察」 pp.154-165
松原仁「人工知能における「頭の内と外」――フレーム問題を例として」 pp.21-29
【構造と情報】
柴谷篤弘「唯脳論・構造主義生物学・神学――滝沢克己再訪」 p.74-84
養老孟司+中村桂子「唯心論と情報二元論」 pp.62-73
小林昌宏「認識としての解剖学――三木成夫と養老孟司」 pp.98-107
布施英利「二重の脳化――テクノロジーとアート」 pp.108-113
【精神の歴程】
ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程――第一章」長倉久子訳 pp.127-151
井辻朱美「指環のジン――風街物語外伝」 p.166-170
「脳の中世」 p.87-97
「既刊目次」 pp.172-173

編集後記:
●―現〔あらわ〕るがままのものensと真verumとは相即的であったエンスが知性と合一するときに示す相貌ratioが真なのである。認識とはこの合致の結果にほかならない。トマスにあってはこうして、エンスから真への移行のアプリオリが語られる。
●―現るがままのもの、とは世界のことである。世界として知覚され、世界として思考されて、世界は現る。一方、知覚や思考や記憶や意識は脳の働きである。すると世界もまた脳の産物であるというべきなのだろうか?(大森荘蔵はかつてこれを脳産教理と名づけ、この脳産教理を論拠にして無脳論の可能性を示した。視覚風景の分岐から脳産教理を衝いた氏は、いま、同じその分岐から「自我と時間の双生」の場に到り、客観的世界と主観との分画の形成を説く地平をひらいた。
●―考えるとは脳の状態である。cogito ergo sumとは、〈私が考えている〉と言語で表現される状態cogitoがあって、それは〈私が存在する〉と言語で表現される状態sumなのである、と養老孟司『唯脳論』は解す。デカルトにとってその時、神の存在も明証的であった。
●―アウグスティヌスが、脳室に精神過程が局在することをみとめ、しだいに、三つの脳室の内に、共通感覚と理性と記憶とは存在することになる。スコラの、神学の時代にも脳(をめぐる思考)はあった。そしていま、コンピュータという構造体として延長を続ける脳、世界を脳化して自らに再参入する脳、神を脳内の現実として生成させる脳は、ありとある思考の、避けて通ることのできない、いわば思考のhybrid causationの特異点をなしているのである。(N)

補足1:欧文号数は「vol.IV-1」。すなわち第4年次第1巻。

補足2:81頁には「季刊思潮」の全面広告が前号に続き掲載されており、第1号から第8号までの既刊が紹介されていると同時に、終刊イヴェント「「終わり」をめぐって――講演+シンポジウム」が告知されている。日時は1990年3月28日18:30~21:00、場所は新宿・紀伊國屋ホール、入場料は1,200円で、予約および問い合わせ先は紀伊國屋ホール事業部と記載されている。出席者は蓮実重彦、三浦雅士、浅田彰、柄谷行人の四氏。

補足3:図版頁「脳の中世」には、中世の写本や、ヨハネス・ケタム『医学小論』(1419年)、アルベルトゥス・マグヌス『小哲学』(1490年、1493年、1506年)、アリストテレス『霊魂論』(1494年版)、ロバート・フラッド『両宇宙誌』(1617年)、ヴェサリウス『ファブリカ』(1543年)、現代の解剖図や顕微鏡写真などが掲載されている。

補足4:171頁では哲学書房のシリーズ、サム・モーガンスターン編『音楽のことば――作曲家が書き遺した文章』全9巻(日本語版監修=海老澤敏、監訳=近藤譲)が紹介されている。当時既刊は第2巻「モーツァルト、ベートーヴェンほか」(飯野敏子・下迫真理訳、1990年2月刊)のみだった。その後、第7巻「マーラー、ドビュッシーほか」(岩佐鉄男・白石美雪・長木誠司訳、1990年4月)、第3巻「シューマン、ショパンほか」(飯野敏子・下迫真理・高松晃子訳、1900年5月)が刊行され、途絶した。未刊に終わったのは第1巻「テレマン、クープランほか」、第4巻「リスト、ヴァーグナーほか」、第5巻「スメタナ、ブラームスほか」、第6巻「チャイコフスキー、ドヴォルジャークほか」、第8巻「サティ、ラヴェルほか」、第9巻「バルトーク、プロコフィエフほか」。

補足5:表紙表4には当号に掲載されたバークリの「哲学的評註」からの一節が掲出されている。

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月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。

季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)

※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。

なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。

小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。

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注目新刊:ドゥギー『ピエタ ボードレール』未來社、ほか

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ピエタ ボードレール
ミシェル・ドゥギー著 鈴木和彦 訳
未來社 2016年4月 本体2,200円 四六判上製220頁 ISBN978-4-624-93265-7

帯文より:現代フランス最高の詩人で批評家のミシェル・ドゥギーが2012年のコレージュ・ド・フランスでのボードレール講義をもとに断章ふうに書き下ろした詩人論。フランス近代の代表的詩人であるボードレールが詩集『悪の華』で問うた詩の「観念の明晰さ」と「希望の力」という問題系を、デリダやバンヴェニストなどを参照しつつ現代世界の諸問題を前にした最新の詩学というかたちで応答した、詩的・哲学的論考。訳者による長篇インタビュー付き。

★発売済。シリーズ「ポイエーシス叢書」の第65弾です。ミシェル・ドゥギー(Michel Deguy, 1930-)はフランスの詩人であり哲学者。著書は40冊以上にのぼるそうですが、単独著の訳書は『尽き果てることなきものへ――喪をめぐる省察』(梅木達郎訳、松籟社、2000年)と『愛着――ミシェル・ドゥギー選集』(丸川誠司訳、書肆山田、2008年)の2点のみです。3冊目となる今回の新刊は、La Pietà Baudelaire (Belin, 2012)の訳書。ドゥギーによるボードレール論を集成したものです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻末には日本語版オリジナルで、訳者によるロング・インタヴュー「ミシェル・ドゥギー、詩を語る」(168—209頁)が併載されています。2015年7月18日にドゥギー宅で行われたものです。訳者の鈴木和彦(すずき・かずひこ:1986-)さんは現在、パリ第10大学博士課程に在籍。訳書にクリスチャン・ドゥメ『日本のうしろ姿』(水声社、2013年)があります。

★本書の意図についてドゥギーはこう述べています。「ボードレールがいまなおわたしたちの同時代人であるかのように、わたしたちのもとに、わたしたちのために、彼を巻き込み、連れてくることで、彼の定理とわたしたちの不安をすりあわせてみたい。ボードレールとわたしたちを隔てる六つの世代、〈未曾有の事態〉という底なしの区切りに分断されたふたつの時代(説明するまでもないが、二度の世界大戦が勃発し、ヨーロッパではユダヤ人絶滅計画が恐ろしいジェノサイドを生み、日本にはに初の原子爆弾が投下され、チェルノブイリと福島で原発が爆発し、人口順位が変動し、赤貧にあえぎ援助を必要とする膨大な人口によって汚れた地球の棄球化が進み、そして最後に(?)「デジタル革命」によって現実は画面のなかのイメージとなった……これだけのことがあってもなお、1850年から2012年までの世界が不変的かつ内在的に「同じ世界」であると、どうして信じられよう)……しかし、この区切りを越えて、ボードレールの作品は、わたしが詩学と呼ぶものは、わたしたちに語りかけてくる。言語のなかで、フランス語のなかで、はるかかなたからすぐそばから、わたしたちのもとへやってくる。どのようにして、何のためになるのか。いまなお、なぜボードレールなのか」(26-27頁)。

★詩についてはこう書かれています。「詩〔ポエジー〕の能力とは予言の力であり、その力は謎や寓話を生む。[・・・]「日常的」には関係のないふたつのものを近寄せる〔比較する〕ことで、読み解くべきひとつの形象(古い意味での「イメージ」)や「神託」を生む。[・・・]詩とはあるふたつのものを近寄せることで、そのふたつを近寄せる可能性をわたしたちの意志に与えてくれるものだ。詩はやって来るものを言うものであり、いかなる答えでもありはしない」(12-13頁)。また、こんな言葉もあります、「人間のさだめとは人と人の間に立つことであり、これは誰しもに共通の、根本的で決定的な経験である」(156頁)。「憐れみとは一方的なものではない」(158頁)。「憐れみとは超越の経験である。超越とは退路を断ち、ひとつのわたしたちに無限と虚無を背負わせる運動である。/人間とはみずからの超越に苦しむ存在である」(159頁)。「この時代にボードレールを移送〔トランスフェール〕しよう」(27頁))とするドゥギーの言葉は時としてやや難解ではありますが、訳者によるインタヴューが読解の良き導き手になってくれます。

★「ポイエーシス叢書」では先月、ドゥギーの訳書に先立って、小林康夫『オペラ戦後文化論(1)肉体の暗き運命1945-1970』が発売されています。これはPR誌「未来」の連載をまとめたもの。発売が前後していますが、こちらが第66弾です。第64弾であるホルヘ・センプルン『人間という仕事――フッサール、ブロック、オーウェルの抵抗のモラル』(小林康夫・大池惣太郎訳、2015年11月)までは帯が付属していましたが、『オペラ戦後文化論』以降は帯が付かないデザインに変更されており、ドゥギーの本も同様です。また、同叢書では来月(2016年6月)、佐々木力『反原子力の自然哲学』が刊行予定とのことで、たいへん楽しみです。


ドイツ的大学論
フリードリヒ・シュライアマハー著 深井智朗訳
未來社 2016年2月 本体2,200円 四六判並製208頁 ISBN978-4-624-93445-3

帯文より:プロイセンが、自国の精神復興政策として推進したベルリン大学の開設。フィヒテ、フンボルトらとともに創設に携わったシュライアマハーは、ナショナリズムの熱気のなかで大学の理念をどう構想したのか。ベルリン大学創設200年を経て再発見された大学近代化論の古典。

★『ドイツ的大学論』は発売済。シリーズ「転換期を読む」の第25弾です。Gelegentliche Gedanken über Universitäten in deutschem Sinn (1808)の翻訳で、巻末の訳者解題「ベルリン大学創設とシュライアマハーの『大学論』(1808年)」によれば初版本を底本とし、「全集における編集や校訂作業を参照しつつ行った」とのことです。「校訂版によって原著〔初版本〕の誤植を確認し、すべての文章を翻訳した」とも特記されています。既訳には「ドイツ的意味での大学についての随想」(梅根栄一訳、シュライエルマッヘル『国家権力と教育』所収、明治図書、1961年)があります。新訳では付録として「〔ベルリンに〕新たに設置される大学について」というテクストも訳出されていますが、これは既訳でも翻訳されています。

★帯文としても掲載されていますが、第4章「諸学部について」にはこんな言葉があります。「大学の本来的な方向性というのは、次第に支配的なものとなった国家の影響を、再び境界線の向こう側に押し戻し、それとは逆に、元来の姿、すなわち学者たちの共同体としての性格を取り戻すということにある」(93—94頁)。訳者あとがきによれば、「〔ベルリン大学創設に際して書かれた大学論では〕フィヒテの大学論が有名であるが、シュライアマハーの大学論は当時広く読まれ、さまざまな議論を巻き起こしたことで知られている」とのことです。フリードリヒ・シュライアマハー(Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher, 1768-1834)は、ドイツの神学者、哲学者で、近年の邦訳には『神学通論(1811年/1830年)』(加藤常昭・深井智朗訳、教文館、2009年)、『シュライエルマッハーのクリスマス』(松井睦訳、YOBEL新書、2010年)、『宗教について――宗教を軽蔑する教養人のための講話』(深井智朗訳、春秋社、2013年)、『キリスト教信仰』の弁証――『信仰論』に関するリュッケ宛ての二通の書簡』(安酸敏眞訳、知泉書館、2015年)があります。

★訳者の深井智朗(ふかい・ともあき:1964-)さんは金城学院大学人間科学部教授。ご専門はドイツ宗教思想史で、未來社の「転換期を読む」ではF・W・グラーフ+A・クリストファーセン編『精神の自己主張――ティリヒ = クローナー往復書簡1942-1964』(未來社、2014年)という共訳書を上梓されています。今回の『ドイツ的大学論』について、深井さんは訳者あとがきで「大学改革の必要性が主張され、特に文化系の学部の意義が問われ、学部の改組が急速に行われている今日、もう一度大学論の古典を読んでおくことは重要なのではないか」と問いかけられています。大学論の古典再読解の重要性は確かにこんにち高まっています。フィヒテの大学論は『フィヒテ全集』第22巻(晢書房、1998年)で読むことができます。半世紀ほど下ってはジョン・スチュアート・ミル『大学教育について』(竹内一誠訳、岩波文庫、2011年)がありますし、さらに20世紀に下ると、ヤスパース『大学の理念』(福井一光訳、理想社、1999年)、デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳、月曜社、2008年)、ビル・レディングズ『廃墟のなかの大学』(青木健・斎藤信平訳、法政大学出版局、2000年)なども重要ではないかと思います。青土社「現代思想」誌ではしばしば大学論が特集されていますし、手ごろな本では社会学者の吉見俊哉さんによる『大学とは何か』(岩波新書、2011年)、『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書、2016年2月)や、哲学者の室井尚さんによる『文系学部解体』(角川新書、2015年12月)などが良く読まれているようです。

★なお、シリーズ「転換期を読む」では今月、ラルフ・ウォルドー・エマソン『エマソン詩選』(小田敦子・武田雅子・野田明・藤田佳子訳)が発売予定となっています。エマソンはこのところ『自己信頼〔Self-Reliance〕』(1841年)というエッセイがたびたび新訳されていますが、詩作品の新訳が一冊にまとまるのはかなり久しぶりのことで、たいへん意外です。待ち望んでおられた読者も多いのではないでしょうか。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『メッカ巡礼記――旅の出会いに関する情報の備忘録(3)』イブン・ジュバイル著、家島彦一訳注、東洋文庫、2016年5月、本体3,300円、B6変判448頁、ISBN978-4-582-80871-1
『翻訳技法実践論――『星の王子さま』をどう訳したか』稲垣直樹著、平凡社、2016年5月、本体2,500円、4-6判上製320頁、ISBN978-4-582-83728-5
『人文会ニュース123号』人文会、2016年4月、非売品

★東洋文庫第871巻『メッカ巡礼記(3)』はまもなく発売。全3巻完結です。帯文に曰く「十字軍時代のイスラーム世界を西から東へ横断、地理、建築物から儀礼、文化までを緻密に記述した古典。第3巻はシリア、パレスチナを経て、地中海を西へ、グラナダに帰還するまで」。ヒジュラ暦580年第一ラビーウ月(西暦1184年6月12日以降)から581年ムハッラム月(1185年4月4日~5月初旬)までの記録です。巻末には参考文献、地名索引、人名索引のほか、イブン・ジュバイルの全旅程の地図が付されています。訳者あとがきでは、本書がイブン・バットゥータ『大旅行記』(全8巻、家島彦一訳、東洋文庫、1996—2002年)に与えた影響について率直な分析が綴られており、興味深いです。東洋文庫の次回配本は6月、『陳独秀文集(1)』です。

★『翻訳技法実践論』はまもなく発売。サン=テグジュペリの名作の新訳『星の王子さま』(稲垣直樹訳、平凡社ライブラリー、2006年1月)と、作品解釈を綴った『「星の王子さま」物語』(平凡社新書、2011年5月) に続き、その翻訳技法について詳しく解説した書き下ろしが本書です。帯文に曰く「翻訳の美徳と快楽は自虐的なまでの無私の徹底。その域に至るために必要な方法と技術とは何か。不特定多数を読者とする「出版訳」。それは学校で親しんだ「講読訳」とは根本的に異なる。したがって、いくら「講読訳」に習熟しても「出版訳」にはほとんど役立たない。この衝撃的でありながらも、実はよく囁かれる事実をまえに、長年教壇に立つ外国文学研究者として処方箋を伝授。翻訳談義めかした韜晦とは無縁の具体的な技術論」と。全九章だてで、「実践のための翻訳理論」「『細雪』『雪国』の英仏訳に見る翻訳の実践」「準備段階でなすべきこと」「翻訳技法を詳解する」の四章が半分以上を占め、あとの五章は「『星の王子さま』翻訳実践」と題されています。「入口の間口は広く、入りやすいが、入ったあとは周到なラビリンス」(309頁)であるという『星の王子さま』との格闘に圧倒されます。「1970年後半以降30年以上も「翻訳技術伝承」が滞っていた影響は甚大である。大学教授イコール翻訳の名人というのは遠い過去の話で、今や出版社はその人の翻訳能力をよほど見極めてからでないと、大学教授に文学作品の翻訳を依頼できなくなっている」(98頁)という厳しいご指摘は編集者の胸にも深く突き刺さるものです。

★『人文会ニュース123号』は非売品で、大型書店さんの店頭などで手に取ることができるほか、ウェブでPDFがダウンロードできます。書店さん向けの内容が中心ですが、一般読者にとっても興味深い記事が掲載されるので、要チェックです。123号には、木村草太「15分で読む 憲法と国家権力の三大失敗」、芝健太郎(フタバ図書)「書店現場から 商品部と店舗の経験から考える人文書販売について」、野口幸生「図書館レポート 北米研究図書館における電子化環境」、栗原一樹(「現代思想」編集長)「編集者が語るこの叢書・このシリーズ⑧ 非-現代思想のほうへ」が掲載されています。特に栗原さんの長文寄稿はなかなか珍しいもので、ここしばらくの「現代思想」誌の主要な特集号の意図を明かしておられます。必読です。

注目新刊:『第一次世界大戦を考える』共和国、ほか

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弊社出版物でお世話になっている著訳者の方々の最近のご活躍をご紹介します。

★立木康介さん(共訳:ネグリ『芸術とマルチチュード』)
藤原辰史さん編によるアンソロジー集『第一次大戦を考える』に、ご論考「反戦の女」が収録されています(136-139頁)。初出は2014年12月6日付「図書新聞」。このアンソロジー集は、「2014年1月から12月まで『図書新聞』に掲載された第一次世界大戦に関するエッセイ、2014年10月から2015年9月まで『京都新聞』に連載された「京大人文研・共同研究班が読み解く世界史」、そして、京都大学人文科学研究所共同研究班「第一次世界大戦の総合的研究」のホームページに掲出されたエッセイのうち、執筆者が転載を許可した文章を再構成」したもの(「はじめに」より)とのことです。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。

第一次世界大戦を考える
藤原辰史編
共和国 2016年5月 本体2,000円 菊変型判並製276頁 ISBN978-4-907986-18-6

カヴァー紹介文より:「現代」はここからはじまった!「平和のための戦争」を大義名分にかかげ、毒ガス、戦闘機、戦車などの近代兵器とともに総力戦を繰りひろげた第一次世界大戦(1914-18)は、まさに「人類の終末」としての「現代のはじまり」を告げるものだった! のべ60余名の執筆者が多彩なテーマで語りつくす、大戦のハンディな小百科。


★川田喜久治さん(写真集『地図』)
昨年10月に芝浦から東麻布に移転したフォトギャラリー・インターナショナル(東京都港区東麻布2-3-4 TKBビル3F)で先週から開催されているコレクション展「ものをみる」にて川田喜久治さんの作品が展示されています。

◎PGIコレクション展「ものをみる」

日時:2016年5月10日(火)~6月2日(木)
   月~金:11時~19時、土:11時~18時、日祝休館
場所:フォトギャラリー・インターナショナル(東京都港区東麻布2-3-4 TKBビル3F)
入場料:無料


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次に弊社本の書評ついてのご紹介です。福岡市の書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)さんが創刊された文学ムック「たべるのがおそい」(vol.1, Spring 2016)の特集「本がなければ生きていけない」において、ゲーム作家の米光一成(よねみつ・かずなり:1964-)さんが「ただ本がない生活は想像のむこう側にも思い浮かばず」というエッセイを寄稿されており、その末尾に付された「気になる三冊」の一冊として、ジョン・サリス『翻訳について』(西山達也訳、月曜社、2013年)を挙げて下さいました。「翻訳の支配から逃れられない思考の果てに、「無翻訳という夢」から翻訳の可能性ないし不可能性を問う翻訳の哲学。翻訳の鏡の迷宮を乱反射しながら進んでいく一本のテキストに目眩する楽しさ」と評していただきました。米光さん、ありがとうございます。

続いて弊社本の広告について。「現代思想」2016年5月号「特集=人類の起源と進化――プレ・ヒューマンへの想像力」に広告を出しました。目次裏、本扉の対向頁です。

最後に私自身の話で恐縮ですが、京都のしろうべえ書房さんが発行する文芸誌「洛草」第二号に、「DiY的出版とは」という一文を寄せました(23-30頁)。発行人の中島志朗さんからのご依頼に応えたものです。掲載にあたっては編集人の敷島宗介さんにたいへんにお世話になりました。あこがれの「地本」に参加させていただくことができ、とても光栄です。

京都文芸洛草 第二号
しろうべえ書房 2016年4月 本体600円 A5判並製100頁 ISBN978-4-908210-07-5

目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。同誌は京都市内の、ホホホ座、100000tアローントコ、レティシア書房、マヤルカ古書店、カライモブックス、星と蝙蝠、萩書房一乗寺店、善行堂、風の駅、の各店頭で販売されているほか、しろうべえ書房さんから通販で購入することも可能です。

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『季刊哲学』11号=オッカム

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弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号、9号、10号に続いて、11号のご紹介です。

季刊哲学 ars combinatoria 11号 オッカム――現代を闢ける
哲学書房 1990年6月30日 本体1,900円 A5判並製198頁 ISBN4-88679-040-2 C1010

目次:
【本邦初訳原典】
オッカムのウイリアム「神について知る可能性――明証認識と直覚/抽象認識(『自由党論集』第五巻より)」清水哲郎訳 pp.82-100
オッカムのウイリアム「概念について――『アリストテレス自然学問題集』第一問題―第六問題」渋谷克美訳 pp.102-125
ライプニッツ「オッカムの格率――M・ニゾリウス『似而非哲学者に抗する、哲学の真の原理』への序文より」山内志朗訳 pp.126-132
【形而上学へ】
稲垣良典+清水哲郎「認識の形而上学と論理学――オッカム、現代の源流としての」 pp.24-43

クラウス・リーゼンフーバー「神の全能と人間の自由――オッカム理解の試み」矢玉俊彦訳 pp.170-183
清水哲郎「元祖《オッカムの剃刀》――性能と使用法の分析」 pp.8-23
【薔薇と記号】
ウンベルト・エーコ「表意と表示――ボエティウスからオッカムへ」富松保文訳 pp.44-68
伊藤博明「世界の被造物はわれらを映す鏡――『薔薇の名前』とリールのアラヌス」 pp.142-156
【代表と形式】
G・プリースト+S・リード「オッカムの代表理論の形式化」金子洋介訳 pp.133-139
ヴィルヘルム・フォッセンクール「ウィリアム・オッカム――伝記的接近」加藤和哉訳 pp.69-76
【普遍と因果】
養老孟司「オッカムとダーウィン――スペキエスを切り落とす:臨床哲学5」 pp.184-189
丹生谷貴志「ディエゲネスの贋金――E・ブレイエ『ストア派における非物体の理論』の余白に:中世への途上6」 p.190-194
小林昌廣「病因論序説――医学的思考とは何か」 pp.157-169
「オッカム用語解説」 p.140-141
「オッカムのウイリアムの時代」 pp.80-81
「地図の上の〈オッカムの時代〉」 p.101
「既刊目次」 pp.196-197

編集後記:
●―ものとことばをへだてる深い淵に、七百年の時間に養われた思惟がじっと横たわり、その真上でオッカムとその時代が、今日と交感する。オッカムは今、あるいはその「哲学の存在論的な根本的前提は、ものと記号との根元的分離」」である(稲垣良典『抽象と直観』)と示され、あるいは「ものとその記号とを別々のものとして区別して把握することができないほどに、表裏一体である記号」を見出した(清水哲郎『オッカムの言語哲学』)と読まれる。
●―知性が、ものの「何であるか」を認識することにおいて、記号としての普遍が作り出される。知性の内にある記号としての普遍と、ものとが合一し一体となること、真理の経験。この経験を表わす言語の試みがトマスのスペキエスであった。
●―オッカムにおいては「存在する」とは、個別的なものやことが、ここで、いま(可感的で史料的な世界において)存在することであり、一方、複数のものを表示できる(一-多関係が可能な)ものと定義される「普遍」は、精神の内にある。精神の活動の領域とは、記号の領域である。オッカムは、普遍をめぐる思惟を、記号の体系としての精神の内部に限定する。また学知(scientia)の対象は命題の全体であり、命題は、事物や実体から合成されるのではなく、これらの事物を代示する(suppositio)する観念や概念にほかならない。論理学は諸観念を代示する諸観念にかかわる。
●―もの自体には向わず、ものと記号との関係を問うのでもなく、普遍をひたすら記号として究めようとする論理学者オッカムは、論理的必然性と経験的明証だけをよりどころとして、爾余をオッカムの剃刀で落す。ここに、もの(つまりは物理的世界)と記号(精神)との二元論がうちたてられる、と『抽象と直観』は言う。
●―この世紀のなかばから、思考の全光景を彩っていた修辞学と文法学が、『言葉と物』というモニュマンを残して足早に退いて、論理学がたちまちのうちにこれにとって代ろうとしているかに見える。そしてその背後には、近世のものであると思われていた認識の理論が〈現代への越境者〉オッカムによって準備されていたことが明らかになるにつえて、ものそれ自体、あるいは存在に向う中世の思惟の糸、形而上学が、にわかに豊かな光源としてたち現われるのである。自身は、時代の人として、ついに敬虔なフランシスコ会士であったオッカムの像と共に。
●―この号が成るにあたって、清水哲郎先生には格別にお世話になった。(N)

補足1:欧文号数は「vol.IV-2」。すなわち第4年次第2巻。

補足2:フォッセンクール「ウィリアム・オッカム――伝記的接近」の末尾には「この部分を含む本書の全体は、近く哲学書房から刊行予定である」と特記されているが、実際は出版されず、他社からも刊行されていない。

補足3:目次には明記されていないが78~79頁は図版項であり、解説が77頁に記載されている。図版は史料ではなくイラストである。

補足4:195頁では前号に続き、哲学書房のシリーズ、サム・モーガンスターン編『音楽のことば――作曲家が書き遺した文章』全9巻(日本語版監修=海老澤敏、監訳=近藤譲)が紹介されている。第2巻「モーツァルト、ベートーヴェンほか」(飯野敏子・下迫真理訳、1990年2月刊)、第3巻「シューマン、ショパンほか」(飯野敏子・下迫真理・高松晃子訳、1900年5月)、第7巻「マーラー、ドビュッシーほか」(岩佐鉄男・白石美雪・長木誠司訳、1990年4月)に既刊のしるしが付されているが、以後は続刊されなかった。

補足5:表紙表4には映画『薔薇の名前』の一シーンが掲出され、ショーン・コネリー扮するバスカヴィルのウィリアムが見える。併せて河島英昭訳『薔薇の名前』(東京創元社)からの一節が引かれている。


注目新刊:ビショップ『人口地獄』フィルムアート社、ほか

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『人工地獄――現代アートと観客の政治学』クレア・ビショップ著、大森俊克訳、フィルムアート社、2016年5月、本体4,200円、A5判上製536頁、ISBN978-4-8459-1575-0
『ラスト・ライティングス』ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン著、古田徹也訳、講談社、2016年5月、本体2,700円、四六判上製512頁、ISBN978-4-06-218696-4
『世界妖怪図鑑 復刻版』佐藤有文編著、復刊ドットコム、2016年5月、本体4,400円、B6判上製208頁、ISBN978-4-8354-5356-9

★『人工地獄』はまもなく発売。原書は、Artificial Hells: Participatory Art and the Politics of Spectatorship (Verso, 2012)です。クレア・ビショップ(Claire Bishop, 1971-)はアメリカの美術史家で、現在、ニューヨーク市立大学大学院センターで現代美術を担当する教授を務めておられます。著書が翻訳されるのは今回が初めて。日本で翻訳されてきた同分野の先達で言えば、クレメント・グリーンバーグやロザリンド・クラウスといった美術批評家以後で、もっとも注目すべきキーパーソンの一人がビショップです。

★本書では現代における「参加型アート」の系譜が辿られます。「参加型アート」というのは、ビショップによれば次のようなものです。「「アトリエ制作以後」の実践の拡張された領域〔・・・〕ソーシャリー・エンゲージド・アート、コミュニティ型アート、実験的コミュニティ、対話型アート、浜辺のアート〔・・・制度外部で社会的な交流を目指す芸術〕、介入主義的アート、〔・・・〕協働型アート、コンテクスチュアル・アート、そして(直近では)ソーシャル・プラクティス〔・・・〕。芸術が、たえずその環境に対応するものである限り、いったい社会的関与ではない芸術など、存在するのだろうか。〔・・・〕本書では、演劇やパフォーマンスという手立てによって、人々の存在が芸術的な媒体と素材の中心的要素となる、そうしたものとして参加を定義し、これを核に据える」(12頁)。

★「訳者あとがき」で本書はこう紹介されています。「芸術と社会の関係を主題として、20世紀の美術や演劇、社会運動を今日の状況へと架橋する試みとなっている」と。こうした越境的試みによるものか、ガタリ、ドゥボール、フレイレ、ランシエールといった社会思想家たちにたびたび言及しているのも、興味深いところです。日本においても近年、参加型アートには注目が集まっており、関連書が増えてきているのは周知の通りです。本書ではアジア圏の芸術運動は扱われていませんが、「本書の目的の一つは、協働的な作者性やスペクタクル性の興亡を論じるにあたっての、より細やかな差異をはらんだ(そして率直な)批評の語り口を生み出すこと〔であり〕、「悪しき」単独の作者性と「善き」集団的な作者性という、誤った双極性〔は糾弾されねばならない〕」との姿勢は、傾聴に値すると思われます。

★帯文にも引かれていますが、本書の結論にはこう書かれています。「私たちは芸術を、世界と部分的に重なる実験的な鋭意の形式としてとらえる必要がある。その形式が持つ否定という属性は、政治的構想の支えとなりうる(ただし、それを構築し実現するという責任に縛られることはない)。そして私たちにとってより根本的に必要なのは、〔・・・〕――芸術の想像力の大胆さと結びついた(そしてときにそれを凌ぐ)果敢さを有する――思考の越境的な侵犯作用によって、既存の制度=慣例を漸進的に変えていくことを、支持するということだ」(431-432頁)。

★このあとには次のように続きます。「参加型アートは人々を媒体として活用することで、つねに二重の存在論的な立場をとってきた。それは世界における出来事であると同時に、世界から一定の距離をとる。だからこそ参加型アートは、二つの次元から――参加者と観客に向けて――日常の議論で抑圧されている矛盾を伝達する能力、そして世界と私たちの関係性をあらたに構想するための可能性を拡げる、倒錯的で乖乱的な、そして享楽的な経験をもたらす能力を有している。〔・・・〕参加型アートは、特権化された政治的媒体でもなければ、スペクタクル社会に対する都合のよい解決法でもない。〔・・・それは〕民主主義そのものと同じように不確かで不安定なものなのだ。参加型アートと民主主義はどちらも、予め道理が与えられているものではない。この二つは、あらゆる具体的な文脈で持続的に実践=上演され、そして試されていかねばならない」(432頁)。

★訳者の大森俊克(おおもり・としかつ:1975-)さんのご専門は美術批評、現代美術史。単著に『コンテンポラリー・ファインアート――同時代としての美術』(美術出版社、2014年)があります。


★『ラスト・ライティングス』は発売済。Last Writings on the Philosophy of Psychology, Vol. I, II (edited by G. H. von Wright and H. Nyman, Blackwell, 1982-1992)の合本全訳です。ウィトゲンシュタインは先月、『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』――第一次世界大戦と『論理哲学論考』』(丸山空大訳、春秋社、2016年4月)が刊行されたばかりなので、二か月連続で新刊が出るというのは珍しい話です。帯文はこうです。「ウィトゲンシュタイン最晩年の思考、待望の本邦初訳! 他人が「痛みを感じている」ことと「痛い振りをしている」こと――言語、心、知覚、意味、数学など終生を貫くテーマが凝縮された注目の遺稿集! 詳細な訳註と用語解説を付す。珠玉の哲学が、ここにある!」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。

★訳者解説によれば、本書は「1949年頃までに執筆されたノートを基にした第一巻と、彼の死の直前、51年春までに執筆されたノートを基にした第二巻からなる。〔・・・〕第一巻は、『哲学探究』第二部の最終草稿ないしは予備的考察として位置づけるのが適当である。〔・・・また〕『心理学の哲学』全二巻は、本巻の予備的考察としての性格が色濃〔い。・・・さらに〕第二巻は、文字通り最晩年のウィトゲンシュタインの手稿を含んでおり、同時期の遺稿集としてすでに公刊されている『確実性の問題』および『色彩について』と密接な関係にある」。念のためこれらの関連書の書誌情報を挙げておきます。

『色彩について』中村昇・瀬嶋貞徳訳、新書館、1997年9月、品切
『哲学探究』丘沢静也訳、岩波書店、2013年8月
『ウィトゲンシュタイン全集 8 哲学探究』藤本隆志訳、大修館書店、1976年7月
『ウィトゲンシュタイン全集 9 確実性の問題・断片』黒田亘・菅豊彦訳、大修館書店、1975年6月
『ウィトゲンシュタイン全集 補巻1 心理学の哲学1』佐藤徹郎訳、大修館書店、1985年4月
『ウィトゲンシュタイン全集 補巻2 心理学の哲学2』野家啓一訳、大修館書店、1988年12月

★『色彩について』はしばらく品切になっており、そろそろ文庫化してほしいところ。ちくま学芸文庫、講談社学術文庫、岩波文庫、平凡社ライブラリーなどにそれぞれウィトゲンシュタインを文庫化した実績がありますが、どこかがやってくださるといいなと思います。『ラスト・ライティングス』も最初から文庫で出してもらって一向に構わない気がするものの、遺稿という性質上、『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』(イルゼ・ゾマヴィラ編、鬼界彰夫訳、講談社、2005年)の時と同様にまずは単行本で様子見ということでしょうか。まとまった論考というよりかは相互に関連している思索の断片の集積である『ラスト・ライティングス』について、訳者は次のように解説しています。

★「本書においてウィトゲンシュタインは、心や言語などをめぐる膨大な現象を相手に、その謎を解き明かそうと、まさに手探りで歩を進めている。そこには、諸現象を一定の解釈の方向性に導こうという目算も余裕も見られない。「私はまだ、大量の現象を乗り越えられていない」(LW1, 590;本書160頁)という記述は、彼の素直な心境を吐露していると言えるだろう。/彼は、哲学者の仕事を「たくさんのもつれ糸を解くこと」(LW1,756;本書201頁)に喩えている。〔・・・〕本書でウィトゲンシュタインが行っているのは、スマートな論証などではなく、複雑なもつれ糸との粘り強い格闘に他ならない」(489頁)。ウィトゲンシュタインの思索の跡をたどる知的刺激に満ちた読書が堪能できるのではないでしょうか。


★『世界妖怪図鑑 復刻版』は発売済。復刊ドットコムによる「ジャガーバックス」復刊シリーズの第3弾です。これまでに小隅黎監修の2冊、『宇宙怪物(ベム)図鑑 復刻版』(2015年8月)、『宇宙戦争大図鑑 復刻版』(2016年1月)が発売されています。今回の『世界妖怪図鑑』は「ジャガーバックス」でも屈指の人気商品であり、児童書にもかかわらず古書価格は数万円を下りません。初版の1973年当時の定価は430円、その後の重版で650円になったとはいえ、古書価高騰にせよ、今回の復刻版にせよ、決してお手頃な値段とは言えません。しかし『世界妖怪図鑑』の中身を見れば、この本が今なお強烈なインパクトを持っていることは一目瞭然かと思います。石原豪人、柳柊二、好美のぼる、斉藤和明らによるイラストはいずれも素晴らしいですし、古典籍から現代映画までを渉猟した図像と情報の数々は、子供向けだからといって内容を薄めたりしないという作り手の熱意を感じるもので、こんにちの類書に比しても抜群に新鮮です。復刻版の購入は書影を模したピンバッジ。伝説の一書を入手できるこの機会を見逃す手はありません。なお、今後の復刊候補には姉妹編である佐藤有文編著『日本妖怪図鑑』が挙がっています。『世界妖怪図鑑』と同様に人気のある書目なので、ぜひ復刊されてほしいです。

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★このほか、最近では以下の書目との出会いがありました。

『出版状況クロニクルIV――2012年1月~2015年12月』小田光雄著、論創社、2016年5月、本体3,000円、四六判並製714頁、ISBN978-4-8460-1528-2
『テロルの伝説――桐山襲烈伝』陣野俊史著、河出書房新社、2016年5月、本体2,900円、46判上製464頁、ISBN978-4-309-02469-1
『仙人と妄想デートする――看護の現象学と自由の哲学』村上靖彦著、人文書院、2016年5月、本体2,300円、4-6判並製244頁、ISBN978-4-409-94009-9
『近現代イギリス移民の歴史――寛容と排除に揺れた200年の歩み』パナイー・パニコス著、浜井祐三子・溝上宏美訳、人文書院、2016年5月、本体6,800円、4-6判上製512頁、ISBN978-4-409-51073-5

★『出版状況クロニクルIV』はまもなく発売。『出版状況クロニクル〔2007年8月~2009年3月〕』(論創社、2009年5月、ISBN978-4-8460-0861-1)、『出版状況クロニクルⅡ――2009年4月~2010年3月』(論創社、2010年7月、ISBN978-4-8460-0875-8)、『出版状況クロニクルⅢ――2010年3月~2011年12月』(論創社、2012年3月、ISBN978-4-8460-1131-4)に続く第四弾。帯文にも引かれていますが、「まえがき」に曰く「本クロニクルは1890年前後に立ち上がった出版社・取次・書店という近代流通システムに基づく出版業界の歴史、それらの関係と構造をふまえ、戦後における再販制の導入、1980年代以降の書店の郊外店出店ラッシュ、複合店の台頭、新古本産業の出現、公共図書館の隆盛、アマゾンの上陸、電子書籍の動向なども包括的にたどっている。そしてまたリアルタイムでの広義の出版史であることを意図している」と。既刊に比して扱っている年月も頁数も倍以上のヴォリュームです。「あとがき」には「このような出版状況下〔近代出版流通システムが崩壊の危機〕ゆえに近年自著の上梓を慎んできたこともあって、今回の一冊は4年分の大部なものとなってしまった」と明かされています。大阪屋の救済や栗田の破綻の背景はこの一冊でたどることができます。

★『テロルの伝説』はまもなく発売。帯文に曰く「80年代、桐山襲〔きりやま・かさね:1949-1992〕という作家がいた。その孤独な闘いの軌跡を時代の記憶とともに甦らせた渾身の巨編。桐山襲・単行本未収録作品「プレゼンテ」収録」と。帯文にはさらに、いとうせいこうさん、青来有一さん、中島京子さん、星野智幸さんらの推薦文が掲出されています。著者の陣野さんは第一章の冒頭近くでこう述べておられます。「作家の肉声は作品を介してのみ聴き取り得るのだ、という主張にも一理ある。だが、今回、私はそうした立場を採らない。理由は、桐山襲という作家の残した作品が、その重要性とは無関係に、忘れられようとしていることに強い反発を覚えるからである。作品さえあればいいという立場は、個々の作品がだんだん言及されなくなり、人々の記憶から消えてしまう傾向に抵抗することができない。作品はただ消え去るのみ、といった諦念に強く抗いたいのだ」(12-13頁)。陣野さんは作家自身が整理した資料集を閲覧し、感慨をこう綴っておられます。「膨大なコピーに同梱されていた大学ノートには、デビューした83年から亡くなる92年までの間に発表した文章のタイトルが記されている。〔・・・〕桐山の意図は明白だった。誰かが自分の死後に訪ねてくるかもしれない。そのためにこそ自分の足跡を整理しておかねばならない。資料はそう語っていた」(14頁)。本書は作家を回想するためだけに書かれたのではなく、まだ見ぬその後継者に向けて書かれたのだということは、本書の結語やあとがきに明らかであるように思われます。

★河出書房新社さんでは来月、カンタン・メイヤスー『有限性の後で』(人文書院、2016年1月)に続く思弁的実在論の新刊、スティーブン・シャヴィロ(Steven Shaviro, 1954-)による『モノたちの宇宙――思弁的実在論とは何か』(上野俊哉訳、河出書房新社、6月22日発売予定、本体2,800円、ISBN978-4-309-24765-6;原著 The Universe of Things: On Speculative Realism, University of Minnesota Press, 2014)が刊行される予定です。版元紹介文に曰く「現代思想を塗り替える思弁的実在論をホワイトヘッドを媒介に論じる名著。メイヤスー、ハーマンらを横断しながら哲学の新しい地平の上に「新しい唯物論」を拓く」。また、来月にはメイヤスー『有限性の後で』の出版記念シンポジウムが東大駒場キャンパスで以下の通り行われるとのことです。

◎究極的な理由がないこの世界を言祝ぐ――メイヤスー『有限性の後で』出版記念イベント

日時:2016年6月18日(土)15:00-17:30
場所:東京大学駒場キャンパス アドミニストレーション棟3階 学際交流ホール
料金:入場無料│事前登録不要
使用言語:日本語
主催:東京大学大学院総合文化研究科附属共生のための国際哲学研究センター(UTCP)上廣共生哲学寄付研究部門 L1プロジェクト「東西哲学の対話的実践」

プログラム:
第1部 非理由律と偶然性 15:00-16:30
登壇者:千葉雅也(立命館大学)・大橋完太郎(神戸大学)・星野太(金沢美術工芸大学)・中島隆博(UTCP)

第2部 物理学と哲学の突端 16:30-17:30
登壇者:千葉雅也(立命館大学)・大橋完太郎(神戸大学)・星野太(金沢美術工芸大学)・野村泰紀(UCバークレー教授・東京大学Kavli IPMU客員上級科学研究員)・中島隆博(UTCP)


★『仙人と妄想デートする』は発売済。主に2010年代に各媒体で発表してきた諸論考に書き下ろし数編を加えて一冊としたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文はこうです。「看護師の語りがひらく、新たな自由への扉。医療の世界には技術、法、倫理の制約がある。しかし、それら外からの規範とは別に、看護師や家族、患者の間には、個々の状況に応じた自発的な実践のプラットフォームがうまれ、病のなか、苦しみのなかで、かすかな創造性を獲得する。それは自由と楽しさの別名でもある。重度の精神病、ALS、人工中絶など存在の極限に向き合う看護師の語りの分析が、哲学に新たなステージを切り拓く」。前著『摘便とお花見――看護の語りの現象学』(医学書院、2013年)もそうでしたが、ユニークな書名からは想像しにくい非常にアクチュアルな問題系を哲学の領野にもたらしてくださっています。巻末の参考文献は書店員さん必見です。分野横断的なブックフェアやコーナーづくりのヒントになります。

★『近現代イギリス移民の歴史』はまもなく発売。原書は、An Immigration History of Britain: Multicultural Racism since 1800 (Pearson-Longman, 2010)です。著者のPanikos Panayiさんは、イギリスのド・モンフォート大学ヨーロッパ史教授。イギリス入移民史がご専門。本書が邦訳書第一作です。帯文を引きますと「移民をめぐる人種主義と多文化主義。近接するヨーロッパの国々から、そしてかつての植民地から…。時に迫害をのがれ、時に豊かな暮らしを求めて…。様々な出自、様々な文化や宗教の移民や難民は、どう社会から排斥され統合されていったのか。200年にわたるイギリスへの移民とその子孫の歴史を詳細にたどりながら、移民経験の複雑さと矛盾とを長期的視点からよみとく」。巻頭の「日本語版への序文」で著者はこう本書を要約しています。「移住とその原因、統合の必然性、移民のアイデンティティの複雑さ、人種主義そして、単純にもっとも新しい集団、あるいはもっとも「脅威を及ぼす集団」にその対象が移っていく外国人嫌悪の堅牢さ、そして多文化主義の発展といった〔五つの〕テーマに焦点を絞って、包括的にアプローチしている」と。目次は書名のリンク先をご覧ください。近年ますます移民問題が重要性を帯びているこの国の過去・現在・未来を考える上で、本書が明かすイギリス史は有益な示唆を与えてくれると思われます。

取次搬入日決定:『ユンガー政治評論選』

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エルンスト・ユンガー『追悼の政治』(川合全弘編訳、月曜社、2005年)の増補改訂版である『ユンガー政治評論選』(川合全弘編訳、月曜社、2016年5月、本体2,800円)の取次搬入日が決定いたしました。日販、トーハン、大阪屋栗田、ともに5月25日(水)です。書店さんの店頭に並び始めるのは取次搬入日の2営業日以後が通例です。都心の大型書店やネット書店など、お店によっては、搬入日翌日から扱いが始まる場合もございます。今回の増補改訂版では特に、ユンガーのナチズム観を表わす3編のテクスト(本邦初訳)をぜひご高覧いただけたら幸いです。

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御清聴ありがとうございます

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東京外国語大学H28年度(2016年)リレー講義「日本の出版文化」第7回として、「編集と独立」というお題をいただき、昨日2016年5月25日(水)3時限に発表させていただきました。御清聴ありがとうございました。皆さんのレスポンスシートはすべて拝読させていただきました。また皆さんとお目に掛かってお話をする機会があれば幸いです。

『季刊哲学』12号=電子聖書

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弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号、9号、10号、11号に続いて、12号のご紹介です。

季刊哲学 ars combinatoria 12号 電子聖書〔ハイパーバイブル〕――テクストの新スペキエス:文化の相転移のために
哲学書房 1991年10月10日 本体1,900円 A5判並製294頁 ISBN4-88679-050-X C1010

目次:
【テクスト・神学・外部】
荒井献「プロローグとしてのエピローグ――マルコ福音書16章7-8節によせて」 pp.8-31
百瀬文晃「聖書と教義」 pp.32-47
青野太潮+大貫隆「聖書研究の現在――エクリチュール・神学・外部」 pp.52-74
川島貞雄「『聖書 新共同訳』(新約)の意義と問題点――エキュメニズムの果実」 pp.75-83
白柳誠一「古くて新しい聖書」 pp.48-51
【電子メディアと聖書】
Z・イエール「聖書とコンピュータ」 pp.209-214
近藤司朗「日本語版電子聖書の役割と展望――言葉の森のアリアドネー」 pp.215-221
黒崎政男「電子メディアと現代哲学」 pp.222-237
【テクスト・声エクリチュール】
柄谷行人「テクストとしての聖書」 pp.120-133 
磯崎新「「声」と「ことば」――教会建築に何が起きたか」 pp.144-147
高橋悠治「ことば、文字、……」 pp.192-195
E・レヴィナス「弦と木――聖書のユダヤ的解釈について」合田正人訳 pp.134-143
【像と喩】
小此木啓吾「聖書とフロイト――鳥は風によって懐妊する」 pp.153-164
若桑みどり「預言者の図像とその肖像――システィナ礼拝堂の場合」 pp.84-116
【テクストのフィギュール】
トマス・アクィナス「ロマ書講解(第13章30-33節) コリント前書講解(第1章21-25節)」花井一典訳 pp.174-
ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程 第二章」長倉久子訳 pp.238-257
山内志朗「聖書と普遍論争――中世におけるフランチェスコ会」 pp.196-208
【デュナミスと思考】
養老孟司「聖心信仰――臨床哲学4」 pp.148-152
小林康夫「聖書の場所」 pp.118-119
小林昌廣「治癒力の伝道者たち――聖書と医学」 pp.165-173
岡部雄三「星の賢者と神の聖者――パラケルススの魔術論」 pp.258-278
小林龍生+中野幹隆「ハイパーバイブル――成立・構造・利用法」 pp.279-291
「『ハイパーバイブル』(floppy disk A)をご希望の方に」 pp.293-
「ハイパーバイブル申し込み書」 p.293
「契約書」 p.294
「編集後記」 p.292

編集後記:
●―テクストに内在する読者と、これに自らを投影して行く、歴史的に実在する読者と。この時読者は、いずれも聴者でもあった。たとえば、歴史という「地」からマルコ福音書というテクストがたち現われるあたり、声つまりパロールの内的直接性と、エクリチュールとは、未分の状態で、いまだあった。もとより読者と著者はテクストの担い手なのであった。二十世紀の半を過ぎて、エクリチュールの外部性を直截に言うことによってプロブレマティックの全容が明らかにある、時間軸上のこの二点を『聖書』が無ずぶのである。
●―テクストはあくことなく読解を挑発する。文化とはたとえば『聖書』に加えられたヘルメノイティークの堆積層の別名にほかならない。啓示と生、思考と行為を貫いてそれはあった。
●―ひるがえって『聖書』は、書物のメタファー、あるいは原=書物として、時代の先端をなすテクノロジーとそれが可能にしたメディアによって担われてきた。メディアは身体を貫いて精神を象る。一四五五年、グーテンベルクによってもたらされた最初の活字印刷本こそ、「四二行聖書」であった。この時以来五世紀、書物が思考の生理を律する。
●―そしていま「電子聖書」が創出される。書物の、とはつまり思考の形態転換の軌跡が鋭く折れる。テクストの新たなスペキエスの出現によって、いまや「書物」という身体(physics)から解き放たれ、あからさまに自らを露出する「情報」は、思考のモードを、どのように相転移させようとするのだろうか。
●―フロッピーディスクになった、『聖書=ハイパーテキスト』と双生児というべきこの雑誌は、ご寄稿いただいた方々はもとより、実に多くの方々のご協力のことに成った。編集部の不手際にとって今日まで刊行が遅れてしまったことを深くおわび申しあげる。財団法人日本聖書協会、Z・イエール神父、佐藤信弘(JICC)、安斎利洋(サピエンス)の方々にはわけてもお世話になった。西洋古典学を修め信篤い友人小林龍生(ジャストシステム)は、ほとんど共同編集者であった。とはいえ、責任の一切が哲学書房に帰すこと、いうまでもない。
●―なお、「電子聖書」の実験は日々新たな展開を見せており、多国語聖書を収めた「国際聖書」のCDROM化が日程に上っている。
●―次号は「神の存在(論的)証明」となる。(N)

補足1:欧文号数は「vol.V-1」。すなわち第5年次第1巻。「編集後記」には次号予告があるものの、この号が実質的な最終号となった。

補足2:目次末尾には次のような注記がある。「聖書からの引用は、原則として『聖書 新共同訳』に拠る。なお行論・文脈上、〈口語訳〉〈前田護郎訳〉ほかに拠る論文もある。また翻訳の場合は、原著者による引用を忠実に訳出した。」

補足3:117頁は日本キリスト教団出版局の「新共同訳 新約聖書注解」全2巻(高橋虔/B・シュナイダー監修、川島貞雄・橋本滋男・堀田雄康編集)の広告が掲載されている。

補足4:表紙表4は、磯崎新氏の展覧会「磯崎新建築展 1960/1990」(1991年9月~1992年7月、東京・水戸・群馬・梅田・北九州)の全面広告である。

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月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。

季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)

※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。

なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。

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注目新刊:デリダ『獣と主権者II』『精神分析のとまどい』『他の岬 新装版』、ほか

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ジャック・デリダ講義録 獣と主権者Ⅱ
ジャック・デリダ著 西山雄二・亀井大輔・荒金直人・佐藤嘉幸訳
白水社 2016年6月 本体6,800円 A5判上製430頁 ISBN978-4-560-09802-8

帯文より:世界は存在せず、ただ島々だけが存在する。生き埋めにされるという幻像(ファンタスム)から『ロビンソン・クルーソー』を読み解き、土葬と火葬という「喪の作業」の二項対立を考察し、ハイデガーとともに、動物と人間が共住する世界の「支配(ヴァルテン)」を問う! 最終講義を収録した、著者晩年の脱構築的思索の白眉。

★まもなく発売。原書はガリレから2010年に刊行された、Séminaire La bête et le souverain Volume II (2002-2003)です。『獣と主権者Ⅰ』(西山雄二・郷原佳以・亀井大輔・佐藤朋子訳、白水社、2014年11月)に続く同講義の完結編で、デリダの生前最後の講義です。目次は書名のリンク先でご覧いただけます。訳者の西山さんは巻末の解説でこう述べておられます。「訳者のうち、西山と佐藤は留学中、本セミネールに出席し、デリダ自身の肉声で講義を聴いた。第一日目、デリダは「私はひとりだ」とおもむろにつぶやいて授業を始めた。大教室を埋め尽くす聴衆は一気に彼の演劇的な語り口に飲み込まれ、『ロビンソン・クルーソー』とハイデガー講義『形而上学の根本諸概念』の読解というスリリングな知的冒険に魅了された」(373頁)。なお、本訳書では、デフォー『ロビンソン・クルーソー』は平井正穂訳(上下巻、岩波文庫、1966~1971年)が、そしてハイデガー『形而上学の根本諸概念』は創文社版『ハイデッガー全集』第29/30巻(川原栄峰+セヴェリン・ミュラー訳、1998年)が参照されています。

★講義冒頭で「私はひとりだ」と発語したあと、デリダは言葉を重ねつつこうも述べます。「この世界でひとり。つまり、孤独が話題になるとき、問われているのはつねに世界のことです。そして、世界と孤独との関係が私たちの本年度の主題となるでしょう。〔・・・〕けれども、私は退屈するのではないでしょうか。〔・・・〕とりわけ、ハイデガーが1929~30年の講義で論じたSichlangweilen〔退屈すること〕はおそらく、本年度のセミネールの核心となるでしょう。〔・・・〕ロビンソン・クルーソーは退屈したでしょうか。実際、この男性はひとりでした。〔・・・〕ロビンソンはいわば島のなかの島のようでした」(9-20頁)。全10回の講義に記された議論は濃密で多岐にわたり、要約は困難ですが、冒頭で言われた世界と孤独の問題については最後の講義である第10回(2003年3月26日)にも回帰します。イラク戦争勃発直後の講義であり、デリダの死去(2004年10月8日)の前年にあたります。

★「おそらく、世界のなかにあまりにも多くの世界が存在するのでしょう。しかし、ひとつの世界が存在すると誰が私たちに保証できるのでしょうか。おそらく、世界は存在しないのでしょう。〔・・・〕私たちが生きている諸世界は、〔・・・〕怪物性に至るまでに異なっている〔・・・〕。群島のあいだの深淵、めまいがするほど翻訳不可能なもの、それらの怪物性に至るまでに異なっている〔・・・〕。私たちがこれほど語っている孤独そのものは、もはや、同一世界の複数者の孤独、共-住可能な唯一の同じ世界において依然として分有可能な孤独でさえなく、諸世界の孤独であり、世界は存在しない、ひとつの世界さえ、唯一の同じ世界さえ存在しない、ひとつのものである世界は存在しない、つまり世界一般、ひとつの世界、ひとつのものである世界は存在しない、という否みがたい事実」(332頁)。

★「もし私たちが他者を、君を担わねばならない〔ツェラン「外へと-」、『息の転換』所収〕と考えるのなら、〔・・・〕二つのことしか問題にはなりえません。二つのことのうち、一方あるいは他方です。/一、〔・・・〕世界の外、すなわち私たちが少なくとも、世界は、共通の世界はもはや存在しない、という知識を幻像なく分有する場へと他者を運ぶこと。〔・・・〕二、あるいは、第二の仮説。世界が存在しないような場所で、世界がここにもあそこにも存在せず、遠くに、向こうに無限に離れているということ。君と共に、君を支えながら私がなさねばならないことは、まさにひとつの世界がある、ただひとつの世界がある、さもなければひとつの公正な世界があるようにすることだ、ということ。あるいは、あたかもたったひとつの世界しか存在しないかのようにし、〔・・・〕君に対して、〔・・・〕私が世界を世界へと到来させるかのようにすること――あたかも現在そこに存在しない場所に世界が存在するかのように。この「かのように」の贈与あるいは贈り物を詩的に生起させること、そのことだけが、〔・・・〕不可能な旅の有限な時間のなかで、私が生きられるようにし、君を生きさせ、あるいは君を生きるがままにさせ、楽しみ、あるいは君を楽しませ、君を楽しむがままにさせうる、ということ」(334-335頁)。

★デリダの言葉は難解で、はっきりした結論を聴きたい方にとっては何ともモヤモヤした感じがするかもしれませんが、分かり切った自明な真理への到達を偽装することよりも、問い続けること、折り畳まれて今にも摩滅しそうな問いの地平を丁寧に拡げ直し、私たちが生きていく場所を見出そうと努力することをデリダは選んでいるのではないかと感じます。デリダは講義の最後に「死の能力」について問うことがまだ手つかずである、と述べます。デリダなき今、その問いは読者である私たちが引き継がねばなりません。

★なお、白水社さんではデリダ講義録の続巻として、『獣と主権者』全2巻に続き、そのちょうど前期である1999~2001年のテーマである『死刑――責任の問い』(2巻本、原著2012/2015年刊)を刊行されるご予定。

★また、白水社さんでは今月「書物復権2016」で、居安正さん訳によるジンメルの著書、『貨幣の哲学[新訳版]』『社会学――社会化の諸形式についての研究』(上下巻)や、サミュエル・ベケット『事の次第』(片山昇訳)など、重要書が復刊されています。また、来月下旬の新刊では『コーネル・ウェストが語るブラック・アメリカ』(クリスタ・ブッシェンドルフ編、秋元由紀訳、白水社、2016年7月、ISBN9784560092491)が予告されています。版元紹介文に曰く「常にくすぶり続ける「人種問題」の根源に迫るため、今もっとも注目される論客が6人の賢人に託して語り尽くした刺激的なアメリカ論」と。昨秋出版された『Black Prophetic Fire』(Beacon Press, 2014)が原書だとすると、6人の賢人というのは、フレデリック・ダグラス、W・E・B・デュボイス、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、エラ・ベイカー、マルコム・X、アイダ・B・ウェルズとなります。結論部では「オバマの時代」についても言及されています。本書を軸に黒人思想家・活動家をしっかりフォローすれば書棚で人種の多様性を表現することも可能になるのではないかと思います。

★『獣と主権者Ⅱ』に先立って、今月にはデリダの次の二冊が刊行されました。また、先月下旬には入門書も発売されています。

『精神分析のとまどい――至高の残酷さの彼方の不可能なもの』ジャック・デリダ著、西宮かおり訳、岩波書店、2016年5月、本体2,200円、四六判上製192頁、ISBN978-4-00-061129-9
『他の岬――ヨーロッパと民主主義【新装版】』ジャック・デリダ著、高橋哲哉・鵜飼哲訳、國分功一郎解説、みすず書房、2016年5月、本体2,800円、四六判上製144頁、ISBN978-4-622-07999-6
『〈ジャック・デリダ〉入門講義』仲正昌樹著、作品社、2016年4月、本体2,000円、46判並製448頁、ISBN978-4-86182-578-1

★『精神分析のとまどい』は、États d'âme de la psychanalyse: L'impossible au-delà d'une certaine cruauté (Galilée ,2000)の翻訳。帯文はこうです。「精神分析は欲動の経済論を越えて「残酷さの彼方」を思考することにより、主権の横暴が露わになる戦争や死刑に対抗する言説を紡ぎだすべきではないか。精神分析の衰退を背景として開催された会議〔2000年〕における真摯で率直な提言」。巻末には立木康介さんによる解説「精神分析とデリダ――コンフロンタシオンから三部会へ」(153-173頁)が併載されています。デリダの導きの糸となるのはアインシュタインとフロイトの往復書簡ですが、タイミングの良いことに、6月11日発売の講談社学術文庫の新刊『ひとはなぜ戦争をするのか』(浅見昇吾訳、養老孟司解説、斎藤環解説;親本は『ヒトはなぜ戦争をするのか?』花風社、2000年)として文庫化されます。フロイトの手紙については『人はなぜ戦争をするのか』(中山元訳、光文社古典新訳文庫、2008年)などでも読むことができます。前出の『獣と主権者』の講義原稿と本書『精神分析のとまどい』の発表原稿の執筆年が近いこともあって、問題の連続性を両書のうちに見出せるような気がします。

★ちなみに岩波書店のウェブサイトでは今月から近藤ようこさんによる夏目漱石「夢十夜」の連載が始まっています。これは必見。漱石没後百年記念だそうです。また、同版元の来月新刊には、6月上旬発売の単行本で井波律子訳『完訳論語』、6月中旬発売の岩波少年文庫でディーノ・ブッツァーティ『古森のひみつ』(川端則子訳)などが見えます。

★『他の岬[新装版]』は1993年の同書の再刊ですが(原著はL’Autre cap suivi de La Démocratie ajournée, Minuit, 1991)、 巻末に新たに國分功一郎さんによる解説「二重の義務」(122-132頁)が加えられており、デリダ再読の意義を示しています。デリダはこう書きました。「ヨーロッパは突出部――地理的及び歴史的な前衛――をもって自任している。それは突出部として前進して=突き出していくのであり、他者に対して突出する=言い寄る=先行投資するのをやめてしまうことはないだろう。引き入れ、誘惑し、産出し、指揮し、おのれを増殖させ、養い=耕し、愛したり犯したりし、犯すことを愛し、植民地化し、おのれ自身を植民地化するために」(38-39頁)。ヨーロッパの落日を迎えつつあるようにも見えるこんにち、本書は新たな読解を誘うように思います。

★「理念的資本としての文化的資本を危機にさらすのは、次のような人間たちの消失である。すなわち、「失われた美徳、読むすべを知っていた」人間たち、「聞くすべ、耳を傾けるすべさえ知っていた」人間たち、「見るすべ」を、「くりかえし読み」「くりかえし聞き」「くりかえし見る」「すべを知っていた」人間たち――一言で言うなら、反復と記憶の能力をもち、応答する準備のできた人間たち、初めて聞いたり、見たり、読んだり、知ったりしたことの前で応答し、それらについて応答し=責任を負い、それらに対して応答する準備のできた人間たちの」(54-55頁)。ここでデリダが参照しているのは、第二次世界大戦開戦直前のポール・ヴァレリーのテクスト「精神の自由」(1939年)です。『精神の危機 他15篇』(恒川邦夫訳、岩波文庫、2010年)などで読むことができます。繰り返し読んで記憶するという習慣から離れつつある現代人にとって待ち受けているのは、その習慣によって避けられたかもしれない「過ちを繰り返すこと」の危険です。

★『〈ジャック・デリダ〉入門講義』は、2014年11月8日から2015年5月9日にかけて連合設計社市谷建築事務所で行われた全7回の連続講義に大幅に加筆したもの。『精神について』(平凡社ライブラリー、2010年新版)と、『死を与える』(ちくま学芸文庫、2004年、品切)の読解を中心とした講義にそれぞれ3回ずつ割かれ、最終講では『声と現象』(ちくま学芸文庫、2005年)が扱われます。仲正さんは「はじめに」でこう書かれています。「デリダの文章は、慣れていない読者には、何が主題なのかさえ分かりにくいが、デリダが脱構築の対象として言及している元のテクストに直接当たって、デリダが拘っている語句や表現をよくよく吟味していくと、徐々にデリダの問題意識が見えてくる。元のテクストというのがプラトン、ヘーゲル、フッサール、フロイト、バタイユ、ハイデガー、アルトー、レヴィナスなど、それ自体が結構難解で、他の思想家のテクストと間テクスト的に複雑に繋がっているので、予備作業にかなりの労力が必要だが、その分、分かってくると爽快感がある。デリダが奇妙な文体を駆使するのは、単に、難解さを演出してマニアックな読者を惹きつけるためではなく、哲学的にきちんとした理由があることが見えてくる。〔・・・〕デリダは、際限のない解釈の連鎖へと誘う著者である」(5頁)。

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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。

『未来のために何をなすべきか?――積極的社会建設宣言』ジャック・アタリ+積極的社会フォーラム著、的場昭弘訳、作品社、2016年5月、本体1,400円、46判並製160頁、ISBN978-4-86182-581-1
『イン・アメリカ』スーザン・ソンタグ著、木幡和枝訳、河出書房新社、2016年5月、本体4,200円、46判上製488頁、ISBN978-4-309-20705-6

★アタリ『未来のために何をなすべきか?』は発売済。原書は、Manifeste pour une société positive (Mille et une nuits, 2014)です。附録として、『神奈川大学評論』創刊80年記念号「人類への希望のメッセージ――世界からの提言」(2015年3月号)にアタリが寄稿した「未来の世代のために尽くすことこそ、継続的、均衡成長のための鍵である」が収録されています。本書の序文にはこうあります。「本書は、愛他主義(もちろんこれはエゴイズムの知的な形態でもあるのだが)への呼びかけである。本書の意味は、人間、国家、集団、企業それぞれに目を見開いてもらい、今日の社会を変革し、明日の地球全体の未来について考えてもらうことである。次の世代の利益を確保するためには、あれやこれやの現場で働く、すべての個人、あるいはすべての単位たる組織が、積極的でなければならないのである。〔・・・〕まさに、いまこそ行動に移すべき時なのだ。/次の世代の生活を準備し、さらにそれを実現するための協同、信頼、弾力性という基準を評価するためには、「積極的経済」というものが存在しなければならない。積極的経済という概念のなかで貢献しえるのは、人びとすべてである。〔・・・〕積極的経済の運動において中心となるのは、教育、健康、移動、エコロジー、金融、民主的ガバナンス、イノベーションなど、社会をそれぞれ構成する概念、そして全体として生きているそれぞれの単位でなければならない」(18-20頁)。

★序文に先立ち、巻頭には「積極的な社会をつくりだすための17の提言・活動計画」が掲げられていて、国家、地域、企業の三次元に分けた提言が目を惹きます。特に興味深いのは企業レベルに振り分けられている提言のいつくかで、たとえば「株主の投票権を、その株をどれくらい長く保持しているかという持続性によって増やすこと」ですとか、「「積極的免税ゾーン」というものを創設し、企業が法人税を支払うことなく、そこに進出し、取引を拡大できるようにすること」など、ハゲタカファンドやタックスヘイブンの問題を考える上でユニークな論点が提起されています。また、巻末の訳者解説では、アタリが2012年にオランド大統領に提出した報告書の概要が紹介されており、積極的経済を実現するための45の要求事項についても列記されています。この報告書は本書誕生の淵源となっています。訳者の的場さんは積極的経済の意義についてこう説明しておられます。「それは自分自身の分相応の限界からの解放である。さらにそうさせない世論や規制からの解放である。積極的経済とはそうしたものから解放されるという積極性を意味するし、まさに愛他主義とはそうした解放を意味する」(150頁)。

★ソンタグ『イン・アメリカ』は発売済。原書は、In America (Farrar, Straus & Giroux, 1999)です。帯文にはこうあります。「ポーランド移民がシェイクスピア劇を通じてスターになるまで。史実をもとにソンタグが描く、大長編ロマン。全米図書賞受賞作」。本書冒頭にはこう書かれています。「『イン・アメリカ』の物語はポーランドでもっとも高名だった女優ヘレナ・モジェイェフスカが1876年、夫のカロル・フワボフスキ伯爵、15歳の息子ルドルフ、若きジャーナリストで後に『クォ・ワディス』などの作品をものして作家となるヘンルィク・シェンキェーヴィチ、それに数人の友人たちと共にアメリカを目指して国を出たことに触発されて書かれた――一行はカリフォルニア州アナハイムにしばらく滞在しているが、その後モジェイェフスカはヘレナ・モジェスカの名でアメリカの舞台劇の世界で活躍し、大成功を収める。/こうしたことに触発されて書いた……それ以上でもそれ以下でもない」(3頁)。訳者あとがきはなし。木幡さんは長らく、精力的にソンタグの翻訳を継続されており、その恩恵には大きなものがあることは言うまでもありません。


『心に刺青をするように』吉増剛造著、藤原書店、2016年5月、本体4,200円、A5変上製308頁、ISBN978-4-86578-069-7
『ジェイン・ジェイコブズの世界 1916-2006(別冊『環』22)』塩沢由典・玉川英則・中村仁・細谷祐二・宮崎洋司・山本俊哉編、藤原書店、2016年5月、本体3,600円、菊大判並製352頁、ISBN978-4-86578-074-1

★吉増剛造『心に刺青をするように』は発売済。藤原書店さんのPR誌『機』で2001年2月から2008年1月まで連載された「triple ∞ vision」全80篇の単行本化です。まえがき「書物モマタ夢ヲミル」とあとがきが書き下ろされています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文に曰く「前衛吉増詩人が、〈言葉―イメージ―音〉の錯綜するさまざまな聲を全身で受けとめ、新しい詩的世界に果敢に挑戦!」と。様々な作家やアーティスト、思想家の視線と交錯していく本書には、諸分野を縫うように走っていく詩人の針と糸の繊細な動きが見て取れます。造本は個性的で、カヴァーと帯の上からもう一枚半透明のカヴァーが掛けられており、本文と写真はセピア系のインクで刷られています。なお、吉増剛造さんはまもなく、『怪物君』(みすず書房、2016年6月、本体4,200円、B5変型判160頁、ISBN978-4-622-07986-6)という新刊も上梓されます。版元紹介文によれば「大震災からの五年、渾身の力を込めて書き続けられた一連の詩」と。

★『ジェイン・ジェイコブズの世界』は発売済。帯文に曰く「都市・コミュニティ・起業を考える上で必読の一冊。「都市思想の変革者」の全体像に多角的視点から迫る! 人口減少による社会再編に直面する今、都市とコミュニティの活性化と発展の原理を明らかにしたジェイコブズに何を学ぶか? 生誕100年・没10年記念出版」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「ジェイコブズを読む」「都市空間とコミュニティ」「都市のイノベーション、そして国家」「ジェイコブズの先へ」の四部構成で30余編もの論考が読めるほか、巻末にはジェイコブズ略年譜(1916-2006)や著書一覧が配されています。ラング+ウンシュ『常識の天才ジェイン・ジェイコブズ――『死と生』まちづくり物語』(玉川英則・玉川良重訳、鹿島出版会、2012年)とともにひもときたい一冊です。なお、筑摩書房の「ちくま大学」ではこの半年間、「生誕百年 ジェイン・ジェイコブズの思想と行動」という連続講座が開かれてきたことも特記しておきたいと思います。

★藤原書店さんでは来月、エマニュエル・トッドの大著、『家族システムの起源(Ⅰ)ユーラシア』(2分冊)が刊行予定とのことです。「「人類の歴史」像を覆す! 人類学者エマニュエル・トッドの集大成!」と版元サイトで予告されています。


『現代思想 2016年6月臨時増刊号 微生物の世界――発酵食・エコロジー・腸内細菌…』青土社、2016年5月、本体1,300円、A5判並製198頁、ISBN978-4-7917-1322-6
『現代思想 2016年6月号 日本の物理学者たち』青土社、2016年5月、本体1,300円、A5判並製230頁、ISBN978-4-7917-1323-3

★『現代思想』6月号と同月臨時増刊号は発売済。通常号は物理学、臨時増刊号は微生物、いずれも理系メインの内容で、『現代思想』誌が渉猟する領域の幅広さが示されているとともに、栗原編集長時代の飽くなき挑戦の広がりを感じさせます。それぞれの収録論文は、誌名のリンク先でご確認いただけます。まず通常号ですが、いずれも興味深い内容のエッセイや論考、インタヴューが揃っていて、個人的には数学者の津田一郎さんの寄稿「カオス理論から見た心脳研究の私的遍歴」が読めるのが嬉しいです。周知の通り津田さんは昨年末、『心はすべて数学である』(文藝春秋、2015年12月)というたいへん魅力的な新著を上梓されており、文理の別を問わない広い関心を集めておられます。

★臨時増刊号では、渡邉格・渡邉麻里子さんへのインタヴュー『田舎のパン屋が描く、〈生活〉のかたち』や、川邉雄さんの寄稿『酵母と暮らすパン焼き生活』といったパン屋・パン職人の方々の声が掲載されていることに注目したいです。お三方は『Spectator』誌第35号「特集=発酵のひみつ」(エディトリアル・デパートメント発行、幻冬舎発売、2016年1月、本体952円、B5変形190頁、ISBN978-4-344-95294-2)にも登場されていますし、渡邉格さんの著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社、2013年)はビジネス書として以上に一冊の思想書として注目できます。また、川邉さんはグラフィック・デザイナーとしても知られていますが、近著では『認知資本主義――21世紀のポリティカル・エコノミー』(山本泰三編、ナカニシヤ出版、2016年4月)にも寄稿されています。『Spectator』『現代思想』の両誌や関連書が併売されれば、新たな読者層が開拓できるかもしれません。

★『現代思想』7月号は6月下旬発売予定、「特集=報道の未来」とのことです。

備忘録(29)

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◆2016年6月1日17時現在。
「新文化」2016年6月1日付記事「トーハン、八重洲BCの株式49%取得。山﨑厚男氏が社長に」に曰く、「トーハンは5月31日、取締役会を行い、鹿島建設グループから八重洲ブックセンターの株式49%を取得することを決議し、同日に株式譲渡契約書と株式間協定書を締結した。〔・・・〕八重洲BCの代表取締役社長には7月1日付でトーハン元社長の山﨑厚男氏が、取締役会長には八重洲ブックセンター社長の吉野裕二氏が就く」と。

2012年12月におけるブックファーストの子会社化と違い、100%の株式取得ではないにせよ、驚きを隠せない業界人も多いようです。旗艦店である東京駅前の八重洲ブックセンター本店は日販とトーハンのダブル帳合でしたが、今後はトーハン一本になるわけです。このところトーハンは、リブロ池袋本店(日販帳合)閉店後に出店した三省堂書店池袋店のメイン帳合をつとめていますし、ジュンク堂書店池袋本店(元・大阪屋帳合)のメイン帳合になったりして、攻勢を強めています。帳合戦争の次の一手がまさか八重洲ブックセンターになるとは、というのが業界人の驚きとなったわけです。

トーハンの6月1日付ニュースリリース「株式会社八重洲ブックセンターの株式譲受に関するお知らせ」にはこうきっぱり書かれています。「今後、八重洲ブックセンターにおいては、代表取締役をトーハンより派遣し運営していくこととなりましたのでお知らせいたします」。49%(トーハン)対51%(鹿島G)という株主構成比を微妙と見るべきか絶妙と見るべきか、様々に分析できるでしょう。

なお、「日本経済新聞」2015年4月15日付記事「進化する「オフィス街」 大手町、連鎖型都市再生の全貌 東京大改造マップ2020(2)」では、日経アーキテクチュア+日経ビジネス+日経コンストラクションの共同編集によるムック『東京大改造マップ2020 最新版』(日経BP社、2015年4月)の内容の一部が、次のように紹介されています。

「93万m2の超大規模開発・・・一方、その隣の東京駅前の八重洲エリアでは超大規模開発の動きがある。八重洲1丁目東地区(地図D-3)、2丁目北地区(地図D-3~D-4)、2丁目中地区(地図C-4~D-4)で再開発が計画されており、3地区を合わせた総延べ面積は約93万m2。高さ200mを超える超高層ビルを複数建設する予定で、五輪後に完成する見込み。/各地区の地下には東京駅と直結する八重洲バスターミナルも計画している。東京都が進めているBRT(バス高速輸送システム)構想(地図C-3~C-4)では、湾岸部から東京駅に向かうルートも検討しており、実現すれば、このバスターミナルが使われる可能性が高い」。

ここで言う「地図」の拡大版を見ると、八重洲ブックセンターは「八重洲2丁目中地区再開発」の中に入っています。この再開発計画についてはまとめ記事「東京・八重洲で大規模再開発が決定!3地区で複合ビル、地下にバスターミナルも!」をご覧ください。このまとめで引用されている「建設通信新聞」2014年12月15日付記事「3地区総延べ94万㎡/都市機構が地下バスターミナル/八重洲地区開発」によれば、「八重洲ブックセンター、常陽銀行などのある八重洲2-4~7の約2haが施行対象地。再開発ビルは、延べ約38万㎡を想定している。事業協力者として、三井不動産と鹿島が参画している。事業期間は16-22年度を予定している」と。もうすでに2016年ですが、すぐに再開発工事に取り掛かるというわけではないようです。むろん、オリンピックに照準が当てられていることは確かでしょう。まとめ記事にも書いてありますが、東京都都市整備局の「(八重洲地区)整備計画」によれば、再開発地区の地下には八重洲バスターミナルという大規模な施設ができあがることになっています。

2004年9月、東京駅丸の内口ではオアゾがオープンし、丸善丸の内本店(日販帳合)が進出して以来、東京駅の反対側に位置し長らく「駅前の覇者」であった八重洲ブックセンター本店には様々な苦労があったことと推察できます。しかし、あと数年で「東京駅前戦争」に新展開が生まれることになるのかもしれません。60歳以上の業界人の方なら鮮烈に思い出せることかと思いますが、八重洲ブックセンター本店は1978年9月のオープン当時、業界外の企業である鹿島建設が仕掛けてきた最大の「黒船」でした。当時の鹿島建設社長である鹿島守之助さんが従来の書店に飽き足らず、どんな本でも買える巨大な書店を作ったのです。あれから約40年。1000坪を超える書店が次々と誕生し、ネット通販のアマゾンこそが「黒船」と呼ばれてきた昨今、元祖「黒船」である八重洲ブックセンターが再開発でどう生まれ変わるのか、目が離せません。

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◆6月1日18時現在。
小田光雄さんの「出版状況クロニクル97(2016年5月1日~5月31日)」が公開されました。今回も盛りだくさんの内容です。来たるべき八重洲BCの「新本店」については、「八重洲ブックセンター本店も建替えのため一時閉店予定とされているが、実質的に縮小となるのではないだろうか」と分析されています。その背景として業界全体の「下げ止まることのない出版物売上の落ちこみは、大型店の維持が困難であることを露呈させ始めている」と。

また、先月オープンした「枚方T-SITE」については、次のように述べられています。「この「T-SITE」は代官山、湘南に続いて3店目になるけれど、コアとなる蔦屋書店などは赤字と見られ、レンタルのTSUTAYA事業にしても、かつてのような収益を上げることはありえない。/それゆえにCCCの「T-SITE」事業は、蔦屋書店とTSUTAYAのブランドを延命させ、それらのフランチャイズシステムを維持するためのものであり、これで打ち止めになるように思われる。/日販にしてもMPDにしても、これ以上はCCCと併走できなくなっているだろうし、それにまだ打つ手が残されているのだろうか」と。

創業の地に凱旋した枚方T-SITEは書店の複合化の極点とも言えますが、小田さんの言う通り内実は「大型不動産プロジェクト」と言うべきであり、脱書店であるというべきかと思われます。これ以上のプロジェクトや理念がCCCにあるのかどうかということに注目が集まっています。書店にせよ取次にせよ版元にせよ、複合化や電子化が進む中で脱書店、脱出版の方向性が生まれるのは必然的ではありますが、一方でいわゆる「小商い」や「独立系」の潮流があってこちらでも従来のメインプレイヤーと良くも悪くも断絶した新しい書店や版元が生まれ続けています。分裂するリアリティの中で時代はどこに向っていくのでしょうか。

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◆6月2日16時現在。
「新文化」2016年6月1日付記事「日販、減収減益の連結決算」によれば、日販の第68期(2015年4月1日~2016年3月31日)決算が「連結売上高は6398億9300万円(前年比3.2%減)。雑誌販売が低迷して全体を押し下げた。〔・・・〕連結対象子会社は25社。あゆみBooksやOKCなどが加わった」。「単体の売上高は5136億3800万円(同4.6%減)、〔・・・〕で減収増益。「書籍」売上げは2475億9700万円(同0.5%増)、「雑誌」は2434億5400万円(同9.9%減)。書籍が雑誌を上回ったのは36期以来32年ぶり」と。OKCとは大阪屋栗田の注文品を扱う物流拠点です。

「共同通信」2016年6月1日付記事「書籍の売上高、雑誌上回る――日販、32年ぶり」には日販の説明が紹介されています。「同社によると、お笑い芸人の又吉直樹さんの芥川賞受賞作「火花」など、文芸の話題作が多かった書籍の売上高は2476億円で、対前年度比では微増。雑誌は女性ファッション誌などの不振が影響して売上高は2435億円、対前年度比9・9%減と大きく落ち込んだ。/同社幹部は、最近も店頭での書籍売り上げが堅調なことから「書籍(の下落)は底を打った感がある」としており、長年「雑高書低」と言われてきた出版界の変動を示す結果となった」と。

さらに「日本経済新聞」2016年6月1日付記事「雑誌売り上げが書籍を下回る 日販16年3月期、32年ぶり」ではより詳しく、「女性向けファッション誌が11.8%減の大幅な落ち込みとなった雑誌は全体でも15年3月期比9.9%減の2434億円だった。お笑い芸人の又吉直樹さんの芥川賞受賞作「火花」など話題作が相次いだ書籍は0.5%増の2475億円だった。/雑誌の返品率は40.9%となり、書籍の30.7%を上回った。なかでもコンビニの雑誌の返品率が51.2%と高く、記者会見した日販の加藤哲朗専務は「この1年でコンビニで雑誌が売れなくなった」と話した。/コミックの売上高は3.9%減。「NARUTO」や「黒子のバスケ」といった人気作品が完結したことが響いた。〔・・・〕17年3月期の見通しは「書籍は前期並みとなりそうだが、雑誌の減少は避けられない」(酒井和彦常務)。文具などの取り扱いを増やし、落ち込みを補う」。

また「NHKニュース」2016年6月2日付記事「雑誌売り上げ 32年ぶりに書籍下回る」では、「日販によりますと、雑誌の売り上げが書籍を下回るのはおよそ32年ぶりだということです。国内の出版は全体として落ち込みが激しく、中でも雑誌についてはインターネットやスマートフォンの普及などの影響から発行部数や売り上げの減少が続いていました。/日販は「雑誌が置かれた状況は引き続き厳しく、大幅な回復は見込めない。一方で、書籍の売り上げは安定してきていて、ヒット作に恵まれれば、さらに伸びる可能性がある」と分析しています」。

「Fashionsnap.com News」2016年6月2日付記事「女性ファッション誌の不振が影響、雑誌の売上が約32年ぶりに書籍を下回る」では、「売上が落ち込んでいる雑誌のなかでも女性ファッション誌が対前年11.8%減、ティーンズ誌が対前年7.7%減となり、業績に大きな影響を与えている。主な背景として、2015年度は休刊が相次ぎ、創刊数91点に対して休刊数は177点。販売部数の減少も大きな要因として挙げられている。コンビニエンスストアでの雑誌売上実績は対前年12.8%減で、返品率は51.2%。日販は雑誌の売上減少を阻止するため、出版社とチェーンが連動した限定プライベートブランド商品の開発などに取り組む計画だという」。

このほか、関連記事に以下のものがあります。
「毎日新聞」2016年6月2日付記事「書籍売り上げ、雑誌超え 「火花」話題など 15年度32年ぶり」
「J-CASTニュース」2016年6月2日付記事「雑誌売り上げ、書籍売り上げを下回る――日版が昨年度決算を発表」

以上をまとめますと、
1)日販は連結でも単体でも昨年度は減収増益。
2)雑誌の売上がついに書籍を下回り始めた。
3)特にファッション誌の売上が落ち込んでいる。
4)コンビニで雑誌が売れていない。半分以上は返品。
5)雑誌の不調はインターネットやスマホの普及の影響なのか。
6)雑誌は創刊より休刊する方が多かった。
7)雑誌は販売部数だけではなくそもそも発行部数も減っている。
8)雑誌売上がさらに落ち込みそうなので文具など新商材を拡充する。
9)版元と小売で連携して雑誌のPB商品も開発する。
10)書籍はヒット作があれば現状を維持できる(あわよくば微増)かも。
11)コミック人気作の完結終了は厳しい。

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◆6月2日19時現在。
「文化通信」6月2日付記事「MPD、買切のオリジナルレーベル刊行開始へ」に曰く「MPDは6月1日、2016年度BOOK方針発表会を開き、6月下旬に出版社と連携した買切、書店マージン40%の独自レーベルの刊行を開始することなどを発表した。/奥村景二社長は昨年度実績として、…〔以下有料〕」云々と。

周知の通り、MPDは2006年に日販(51%)とCCC(49%)が設立した合弁会社で、「CD・DVD・BOOK・ゲームなどのエンターテイメント商材をTSUTAYAや書店、エンタテイメント店、ホームセンター、スーパーマーケット、ドラッグストア、ネットショップ等へ供給する販売物流会社」であり、事業内容は「書籍・雑誌・音楽・映像・ゲームソフト等の卸販売」「エンタテインメント関連商材の卸販売」「中古品(音楽・映像・ゲームソフト等)の売買」「レーベル事業」です。事業の中にはオリジナル商品の開発も含まれていて(レーベル事業でしょうか)、MPD出版として絵本を刊行していたりもします。

また、CCCは2014年12月1日に「CCCメディアハウス」を立ち上げ、阪急コミュニケーションズの出版事業を引き継いでいます(系譜としては、ブリタニカ→TBSブリタニカ→阪急コミュニケーションズ→CCCメディアハウス)。今回の記事が言う「出版社」というのがMPD出版のことなのか、傘下のCCCメディアハウスのことなのか、他社版元のことなのかは分かりませんが、普通に考えると他社版元との連携を強めるのでしょう。CCCに限らず、いわゆる「製販同盟」はますます進むのでしょう。

なお、「新文化」6月1日付記事「MPD、減収減益の決算」によれば、「売上げシェア約52%の「BOOK」の伸び悩みが響き、売上高は前年比1.6%減の1894億5800万円となり、1900億円割れと厳しい結果となった。運賃改善や物流拠点の配置見直しなど販管費の圧縮に努めたものの、経常利益は7億2900万円(前年比28.1%減)となった」と。さらに「部門別の売上高は次の通り。「BOOK」989億39000万円(前年比1.7%減)、「AVセル」308億7700万円(同8.7%減)、「GAME」165億5400万円(同8.9%減)、「RENTAL」239億5200万円(同6.5%減)、「その他」191億4500万円(同33.9%増) 」とも発表されており、書籍雑誌以上にほかの事業も厳しい様子です。

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注目新刊:ストラパローラ『愉しき夜』平凡社、ほか

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愉しき夜――ヨーロッパ最古の昔話集
ストラパローラ著 長野徹訳
平凡社 2016年6月 本体3,200円 4-6判上製352頁 ISBN978-4-582-83730-8

帯文より:ペロー、グリム、バジーレへと続く、民話・お伽噺・童話集の源流にして、ルネサンス文学の古典、本邦初訳!

目次:
第一夜第二話 カッサンドリーノ
第一夜第三話 スカルパチーフィコ神父
第一夜第四話 テバルド
第二夜第一話 豚王子
第二夜第四話 悪魔の災難
第三夜第一話 あほうのピエトロ
第三夜第二話 リヴォレット
第三夜第三話 ビアンカベッラ
第三夜第四話 フォルトゥーニオ
第三夜第五話 正直者の牛飼い
第四夜第一話 コスタンツァ/コスタンツォ
第四夜第三話 美しい緑の鳥
第四夜第五話 死をさがしに旅に出た男
第五夜第一話 グエッリーノと野人
第五夜第二話 人形
第五夜第三話 三人のせむし
第七夜第一話 商人の妻
第七夜第五話 三人の兄弟
第八夜第一話 三人のものぐさ
第八夜第四話 魔法使いの弟子
第十夜第二話 ロバとライオン
第十夜第三話 竜退治
第十一夜第一話 猫
第十一夜第二話 死者の恩返し
第十二夜第三話 動物の言葉
第十三話第六話 よい日
解題
参考文献
訳者あとがき

★まもなく発売。解題によれば「本書は、ルネサンス期のイタリア人作家ジョヴァン・フランチェスコ・ストラパローラ(Giovan Francesco Straparola)が著した短篇物語集『愉しき夜』(La piacevoli notti)の中から、特に昔話風の物語26篇を訳したアンソロジー」とのこと。さらに「作者のストラパローラは、1480年頃に北イタリア・ロンバルディア地方の町ベルガモ近郊のカラヴァッジョに生まれ、1557年頃に没した。名はジョヴァンニ・フランチェスコ、ジャン・フランチェスコ、姓はストラッパローラ、ストレパローラ、ストレパロッレと記されることもある。Straparolaという名前は、straparlare(「とりとめもない話をする」「放言する」)と動詞に通じるので、ペンネームではないかと考える向きもある。その生涯や経歴についてはほとんどわかっていないが、1530年から1540年の間ヴェネツィアに滞在していたらしい」(313頁)。

★『愉しき夜』の出版史については次の通り説明されています。「第一巻が1550年に、第二巻が53年にヴェネツィアで出版された。第一巻は初版の翌年に新しい版が出るほど好評を博し、作者は急ぎ二巻目の執筆に取り掛かったようである。55年には合冊版も登場し、1558年から161年の間に実に23の版が出版されるという当時のベストセラーであったが、艶笑話や聖職者を笑いものにした話なども含まれているために焚書目録に載せられたこともある。1560年に第一巻がフランス語に訳され、1572年には完訳が出版。フランスでは、16、17世紀にわたって数多く版を重ねた。スペイン(1598年)やドイツ(1791年、抄訳)にも紹介され、1897年には最初の英語の完訳が出ている。イタリアでは、19世紀末から20世紀の初めにかけてジュゼッペ・ルーアが編纂した版が刊行され、再び光が当てられた」(314頁)。

★全体では73話(後の版では全74話)で、そのうちの1/3強が訳されたかたちです。なお、第二巻(第六夜~第十三夜)に23話は、「ナポリの作家ジローラモ・モルリーニのラテン語作品『物語集』(Novelae, 1920)からの翻訳もしくは翻案である。急遽二巻目を執筆しなくてはならなくなったものの、アイデアに行き詰った作者の窮余の作だったのであろう」(315頁)とのことです。「原書では、各話のあとに韻文形式の「謎々(エニグマ)」が添えられているが、この翻訳では、各話の導入部も含め、そうした枠に当たる部分は割愛し、語り手によって語られた物語のみを訳した。また、各話のタイトルは訳者が便宜的に付けたものである」(315-316頁)。今回抄訳された昔話風の物語のほかに、「世俗的な滑稽話や艶笑話、恋愛や愚弄をテーマとした物語などが挙げられ、先行する他の作家の短篇物語から借用したモチーフを独自に脚色した話もある。昔話風の物語は第一巻のほうに多く収録されており、モルリーニから取った物語は比較的短い小話風のものが多い」(315頁)と。

★訳者は本書にボッカッチョ『デカメロン』からの影響を認めています。『デカメロン』は『愉しき夜』の後代に生まれたバジーレのお伽話集『ペンタメローネ』にも影響を与えているとのことです。文庫(少年少女向けの形態ではないもの)で読める西欧の民話集の古典としては、『デカメロン』上下巻・講談社文芸文庫/全三巻品切・ちくま文庫/全五巻品切・岩波文庫、『ペンタメローネ』上下巻品切・ちくま文庫、『グリム童話集』全五巻・岩波文庫/全七巻・ちくま文庫/全三巻品切・講談社文芸文庫、『ペロー童話集』岩波文庫/『眠れる森の美女――完訳ペロー昔話集』品切・講談社文庫/眠れる森の美女――シャルル・ペロー童話集』新潮文庫/『長靴をはいたねこ――ペロー童話集』品切・旺文社文庫 、『アンデルセン童話集』全七巻・岩波文庫/全三巻・新潮文庫/上下巻・文春文庫、などがあります。


鏡のなかのボードレール
くぼたのぞみ著
共和国 2016年6月 本体2,000円 四六変型判上製212頁 ISBN978-4-907986-20-9

★まもなく発売。新シリーズ「境界の文学」第一弾です。カリブ出身の恋人ジャンヌにボードレールが捧げた「ジャンヌ・デュヴァル詩篇」の新訳を含むボードレール論で、ジャンヌを主人公にしたアンジェラ・カーターの短篇「ブラック・ヴィーナス」も新訳で併載されています(163-203頁)。あとがきによれば本書は「ボードレールからクッツェーまで、黒い女たちの影とともにたどった旅の記録のようでもある。大学時代の記憶、翻訳という仕事へ向かった契機、今日ここにいたるまでに何度も書き直された旅の記録」とのことです。目次詳細については書名のリンク先をご覧ください。

★また、こうも書かれています。「女性が初めて日本語に訳すボードレール詩篇ですね、本にしましょう――という下平尾さんの一声で」まとめられたとのことです。共和国さんのプレスリリースで下平尾さんは「本書を編集しながら、『悪の華』からクッツェーの『恥辱』へと、あるいは『海潮音』以来の日本のボードレール受容へと開かれてゆく著者の思索の軌跡を追体験できたのは、なんとも心のおどる時間でした」と掛かれています。また、本書に挟み込まれている「共和国急使」第7号では、下平尾さんによる新シリーズについての説明があります。「この「境界」は単に地理的な関係だけではなく、映画、音楽、歴史、政治などへとジャンルを越境するもの、とでも言えばよいでしょうか。「ミニ世界文学全集」的な下心も」ある、と。今後の展開が楽しみです。

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★また、最近では以下の文庫新刊に注目しています。

『造形思考』上・下巻、パウル・クレー著、土方定一・菊盛英夫・坂崎乙郎訳、ちくま学芸文庫、2016年5月、本体1,600円/1500円、480頁/352頁、ISBN978-4-480-09601-2/978-4-480-09602-9
『自己言及性について』ニクラス・ルーマン著、土方透・大澤善信訳、ちくま学芸文庫、2016年5月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09677-7

★『造形思考』の親本は1973年、新潮社刊の上下本。クレーによる「かたちの哲学」の書といっていい名著がまさか文庫化されるとは思わず、感動しました。クレーの著書が文庫になるのは今回が初めて。親本の古書はそれなりに高額ですし、文庫化にあたって多少値段が上がっても合本していただいた方が嬉しかったのですが、それはないものねだりというものでしょう。原著は1956年、バーゼルの名門ベンノ・シュワーベ(シュヴァーベとも)より刊行。帯文にある通り「バウハウス時代の論文や講義草稿を集成」したもの。ユルク・シュピラーによる「編者のことば」「まえがき」に続いてクレーの本文が始まりますが、まず最初にカオスについて語られます。「計り得るものではなく、永遠に測定されえぬもの〔・・・〕無と名づけることもできれば、なにかまどろんでいる存在とも名づけられる。死、あるいは生誕と呼ぶこともできよう。〔・・・〕この「非概念」である真のカオス」(上巻57頁)。文庫版解説「「中間領域」の思索と創作」を書かれた岡田温司さんは本書を「レオナルドの数々の手稿に匹敵するといっても、おそらく誇張にはならないだろう」(下巻339頁)と評価されています。新潮社のクレーの品切本にはこのほか、南原実訳『無限の造形』(上下巻、1981年)や、同訳『クレーの日記』(1972年)があり、 特に前者が高額なので、ぜひ次に文庫化されてほしいと切望しています。

★『自己言及性について』の親本は1996年、国文社刊。「文庫化に際しては、全面的に訳文を見直し、改訂を施した」と巻末に特記されています。前述のクレーもそうですが、ルーマンの著作が文庫で読めるのは今回が初めてのことです。帯文に曰く「社会システム理論の全貌を見通す画期的著作」と。訳者あとがきにはこうあります。本書は「ルーマンの膨大な著作群のなかでも、なにより「エッセイ」というかたちをとる希有な著作である。これがエッセイであるのは、本書がルーマンの他の著作とは異なり、所収論文が「自己言及性」をめぐる論考であるということによる。〔・・・〕本書においては、ルーマンの理論のひとつの核心である「自己言及性」に読者がアプローチしていくということを可能にしている。つまり本書は、ルーマンの理論展開を追いかけるのではなく、ルーマンが自己の理論展開で用いる装置(自己言及性)にさまざまな切り口から接近していくことを可能にするものといえる」。原書はEssays on Self-Reference (Columbia University Press, 1990)で、論文「社会学の基礎概念としての意味(Meaning as Sociology's Basic Concept)」のみ、原著者からの要請により割愛されています。同論文のドイツ語版からの翻訳が佐藤嘉一訳で『批判理論と社会システム理論――ハーバーマス=ルーマン論争』(上巻、木鐸社、1984年、29-124頁)に収められています。また、ルーマンの新刊としては『社会の宗教』(土方透・森川剛光・渡曾知子・畠中茉莉子訳、法政大学出版局、2016年6月)がまもなく発売予定です。


『寛容論』ヴォルテール著、斉藤悦則訳、2016年5月、本体1,060円、346頁、ISBN978-4-334-75332-0
『ポケットマスターピース07 フローベール』ギュスターヴ・フローベール著、堀江敏幸編、菅谷憲興・菅野昭正・笠間直穂子・山崎敦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2016年4月、本体1,300円、848頁、ISBN978-4-08-761040-6

★『寛容論』は『カンディード』(光文社古典新訳文庫、2015年)に続く斉藤さんによるヴォルテールの新訳第2弾です。凡例によれば底本は1763年に匿名で出版された、Traité sur la toléranceとその異版で、1765年に付加された章(最終章)については、1879年のガルニエ版ヴォルテール全集第25巻に拠った、とのことです。巻末には福島清紀さんによる解説「『寛容論』からの問いかけ――多様なるものの共存はいかにして可能か?」が収められています。帯文に「シャルリー・エブド事件後、フランスで大ベストセラーに」とあります。カヴァー紹介文はこうです。「カトリックとプロテスタントの対立がつづくなか、実子殺しの容疑で父親が逮捕・処刑された「カラス事件」。狂信と差別意識の絡んだこの冤罪事件にたいし、ヴォルテールは被告の名誉回復のために奔走する。理性への信頼から寛容であることの意義、美徳を説いた最も現代的な歴史的名著」。ヴォルテールは明言しています。「われわれと意見がちがうひとびとを迫害すること、また、それによってかれらの憎しみをまねくことには、はっきり言って、何のメリットもない。〔・・・〕不寛容は愚行である」(149-150頁)と。『寛容論』の入手しやすい既訳には中川信訳(中公文庫、2011年)があります。なお、今月下旬には、堀茂樹さんによる新訳『カンディード』が晶文社より発売予定とのことです。また、まもなく発売となる光文社古典新訳文庫の6月新刊ではベルクソン『笑い』(増田靖彦訳)が予告されています。

★『ポケットマスターピース07 フローベール』は、「十一月」笠間直穂子訳、「ボヴァリー夫人(抄)」菅野昭正訳、「サランボー(抄)」笠間直穂子訳、「ブヴァールとペキュシェ(抄)」菅谷憲興訳、「書簡集」山崎敦訳を収録。解説は堀江敏幸さんによる「揺るぎない愚かさ――「フローベール集」に寄せて」。作品解題、著作目録、主要文献案内、年譜は菅谷さんが担当されています。ポケットマスターピースは全13巻で、本書でちょうど半分を折り返したことになります。続巻では、ポー、ルイス・キャロル、セルバンテスなどが気になります。


『小説の技法』ミラン・クンデラ著、西永良成訳、岩波文庫、2016年5月、本体780円、256頁、ISBN978-4-00-377002-3
『禅堂生活』鈴木大拙著、横川顕正訳、岩波文庫、2016年5月、本体900円、320頁、ISBN978-4-00-333233-7

★『小説の技法』は、L'art du roman (Gallimard, 1986)の新訳。同書の既訳には金井裕・浅野敏夫訳『小説の精神』(法政大学出版局、1990年、品切)があります。カヴァー紹介文に曰く「セルバンテス、カフカ、プルーストなど、誰もが知っている名著名作の作者たちとその作品に言及しながら、さらには自らの創作の源泉を語りつつ、「小説とは何か」「小説はどうあるべきか」を論じるクンデラ独自の小説論。実存の発見・実存の探求としての小説の可能性を問う、知的刺激に満ちた文学入門でもある。2011年刊行の改訂版を底本とした新訳決定版」。私は本書をとある大書店で買ったのですが、1000坪以上のお店で1冊しか在庫が残っておらず、売行良好であることを目の当たりにしました。クンデラは14歳の時にカフカの長編作『城』を読んで心奪われ「眩惑された」(161頁)と告白しています。私自身が『城』を読んだのはもっと遅く高校生の時でしたが、その茫漠たる迷宮感には『審判』以上に当惑し目眩がしたのを思い出します。

★『禅堂生活』は、鈴木大拙の英文著書The Training of the Zen Buddhist Monkの日本語訳(大蔵出版、1948年)に、随想5篇「僧堂教育論」「鹿山庵居」「洪川禅師のことども」「楞伽窟老大師の一年忌に当りて」「釈宗演師を語る」を添えて文庫化したものです。解説は横田南嶺さん、解題は小川隆さんが寄せておられます。横田さんによれば、大拙没後50年にあたり、『禅堂生活』『大乗仏教概論』『浄土系思想論』の三点が岩波文庫に入ることになった、とのことです。『大乗仏教概論』(佐々木閑訳)は今月(2016年6月)17日発売予定で、500頁を超える本のためか、本体1260円と岩波文庫にしてはややお高め。先月、今月と続く同文庫の新刊、ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』もそうですが、1000円を超える岩波文庫は着実に増えてきています。他社の専門書文庫並みに高くになってきた気がするのは少し残念な気もしますが、もともと安かったわけで、仕方ないのだろうなとは思います。

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7月新刊:W・ウォルターズ『統治性――フーコーをめぐる批判的な出会い』

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■ 2016年7月8日取次搬入予定 【思想/社会】

統治性――フーコーをめぐる批判的な出会い
ウィリアム・ウォルターズ著 阿部潔・清水知子・成実弘至・小笠原博毅訳
月曜社 2016年7月 本体2,500円 46判(天地190mm×左右130mm)並製336頁
ISBN:978-4-86503-034-1

※アマゾン・ジャパンにて予約受付中

国際関係/政治/現代社会の現在を分析するための道具としての統治性概念の探究へ。多くの国の大学院コースで採用された定評ある研究書。ミシェル・フーコーによって展開された統治性という概念は、社会学や政治学など多くの分野で基本的な研究ツールとなっている。複雑で予測困難に思われる今日の世界を、社会科学という道具を用いて理解するうえでの統治性概念の大きな可能性を本書は追究し、フーコーの政治思想、権力、統治、主体性という問いや方法について、議論の導線をかたちづくる。日本語版序文を付す。

ウィリアム・ウォルターズ(William Walters, 1964-):カールトン大学(カナダ、オタワ)政治学・社会学教授。著書にUnemployment and Government: Genealogies of the Social [CUP 2000]、Jens Henrik Haahrとの共著にGoverning Europe [Routledge 2005]がある。『統治性』は、独・仏・伊・ポーランド・フィンランドの各国語に翻訳されている。

原書 Governmentality: Critical Encounters, Routledge, 2012.

目次
日本語版への序文
謝辞
イントロダクション
第一節 統治性の高まり
第二節 批判的な出会い
第三節 四つの章

第一章 フーコー、権力、統治性

第一節 統治性とはなにか
第二節 権力の微視的物理学を越えて?
第三節 国家の理論から国家の系譜学へ
第四節 統治術の歴史
司牧的権力/国家理性/自由主義的な統治性
第五節 フーコーと統治性に関する五つの課題

第二章 統治性3・4・7

第一節 フーコー以降の統治性
概念の展開/現代を研究する/「国家を超える政治権力」/権力の新しい領土
第二節 統治性と政治学
マイナーな知識?/統治の特殊性/統治のテクネー/「統治」を脱中心化する
第三節 統治性の諸問題
ヨーロッパ中心主義の諸問題/自由主義のバイアス/パッチーー統治作動中/装置とはなに(でない)か。/統治性、政治、政治的なもの

第三章 よみがえるフーコー効果? 国際統治性研究へのいくつかの覚え書き
第一節 連座配置
第二節 いくつかの予備的考察
第三節 国際統治性研究における問題と論争
統治性のスケールアップ(Ⅰ)/統治性のスケールアップ(Ⅱ)/国際的なものの個別化/フーコーの道具箱の外への移動/異なる幾何学

第四章 統治性と系譜学をふたたびつなぐーースタイルの問題

第一節 系譜学と統治性
第二節 系譜学を多元化する
第三節 系譜学を実際にやってみるーー三つのスタイル
第四節 系統図?権力の家系図か。(系譜学Ⅰ)
第五節 対抗的記憶と再系列化(系譜学Ⅱ)
第六節 忘れられた闘争と従属化された知の再奪取としての系譜学(系譜学Ⅲ)

結論 統治性との出会い
第一節 権力の新たな地図作成としての統治性
第二節 マッピングから出会いへ
概念を考え出せ/外へと動き出せ/視角を変えろ/系譜学を実践せよ/合理主義に用心せよ/底面を探究せよ
第三節 統治性と政治

訳者あとがき
参考文献
索引

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7月新刊:G・バタイユ『マネ』

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2016年7月1日取次搬入予定 *芸術・絵画論

マネ
ジョルジュ・バタイユ=著 江澤健一郎=訳
月曜社 2016年7月 本体3,600円 A5変型判並製232頁 ISBN978-4-86503-033-4

★アマゾン・ジャパンで予約受付中

伝統から解放された近代絵画の誕生――「マネの名は、絵画史において特別な意味を帯びている。マネは、非常に偉大な画家であるばかりではない。つまり彼は、先人たちと断絶したのである。彼は、われわれが生きている時代を切り開き、現在のわれわれの世界とは調和している。だが、彼が暮らしてスキャンダルを引き起こした世界では、不協和を引き起こすのだ。マネの絵画がもたらしたのは突然の変化、刺激的な転覆であり、もし曖昧さが生じなければ革命の名がそれにふさわしいであろう」。バタイユの高名な絵画論(1955年)、待望の新訳。【芸術論叢書・第四回配本】

目次:
マネ
 マネの優雅さ
 非人称的な転覆
 主題の破壊
 《オランピア》のスキャンダル
 秘密
 疑念から至上の価値へ
年譜
簡略書誌
カラー図版(マネ作品50点)

訳者解説:もうひとつの近代絵画論『マネ』――表面の深奥でわれわれを見つめる不在
 一、『マネ』成立の背景
 二、聖なるものの行方
 三、『至高性』の問題圏
 四、芸術と至高な「主体(主題)」の関係
 五、近代絵画論『マネ』の特異性
 六、バタイユとマルロー
 七、供犠的操作
 八、詩的操作と横滑り
訳者あとがき

ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille, 1897–1962):フランスの思想家、小説家。主著に「無神学大全」三部作となる『内的体験』(一九四三年)、『有罪者』(1944年)、『ニーチェについて』(1945年)や、『呪われた部分』(1945年)、『エロティシズム』(1957年)があるほか、小説では『眼球譚』(1928年)、『マダム・エドワルダ』(1941年)など、文学論では『文学と悪』(1957年)などがある。晩年には、『マネ』や『ラスコーあるいは芸術の誕生』(1955年)を上梓し、芸術論の分野でも重要な思想家として知られる。

江澤健一郎(えざわ・けんいちろう:1967-):仏文学者。立教大学ほか兼任講師。著書に『バタイユ――呪われた思想家』(河出書房新社、2013年)、『ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学』(水声社、2005年)があるほか、訳書にジョルジュ・バタイユ『ドキュマン』(河出文庫、2014年)、ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン『イメージの前で――美術史の目的への問い』(法政大学出版局、2012年)がある。

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2015年2月~4月新刊書誌情報【保管用】

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◎2015年4月14日発売:『表象09:音と聴取のアルケオロジー』本体1,800円

◎2015年4月10日発売:Ph・ソレルス『ドラマ』本体2,400円

◎2015年4月1日発売:『猪瀬光全作品』本体9,000円

◎2015年3月27日発売:阿部将伸『存在とロゴス』本体3,700円
書評1⇒森秀樹氏書評:「読み手へを思索へと誘う――アリストテレス解釈について詳細な見取り図を提示」(「週刊読書人」2015年6月12日付)

◎2015年3月6日発売:C・L・R・ジェームズ『境界を越えて』本体3,000円
書評1⇒中島俊郎氏書評:「スポーツ文化史の名著」(「北海道新聞」2015年5月3日付12面「本の森」欄)
書評2⇒藤島大氏書評:「黒人思想家のスポーツ愛」(「日本経済新聞」2015年5月13日付夕刊「エンジョイ読書/目利きが選ぶ今週の3冊」欄)
書評3⇒中村和恵氏書評:「クリケットで語る植民地の精神」(「朝日新聞」2015年6月7日付読書欄)
書評4⇒赤尾光春氏書評「世界史と芸術論を架橋する革命的クリケット文化批評」(『年報カルチュラル・スタディーズ』第3号、カルチュラル・スタディーズ学会、2015年6月)

◎2015年2月6日発売:ジョルジョ・アガンベン『到来する共同体 新装版』本体1,800円

注目新刊:福嶋聡『書店と民主主義』人文書院、ほか

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書店と民主主義――言論のアリーナのために
福嶋聡著
人文書院 2016年6月 本体1,600円 4-6判並製188頁 ISBN978-4-409-24109-7

帯文より:「紙の本」の危機は「民主主義」の危機だ。氾濫するヘイト本、ブックフェア中止問題など、いま本を作り、売る者には覚悟が問われている。書店界の名物店長による現場からのレポート、緊急出版。政治的「中立」を装うのは、単なる傍観である。

★発売済。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「序」に曰く「本書は人文書院の公式サイトに毎月ぼくが連載しているコラム「本屋とコンピュータ」を中心に、2014年後半から2016年初頭にかけて、『現代思想』『ユリイカ』、朝日新聞社の月刊誌『Journalism』、ネットマガジン「WEBRONZA」、出版業界紙『新文化』などに寄稿した文章を収録、再構成したものである」とのこと。意見や信条というものを誰しもそれなりに持ってはいても、それをはっきりと口に出したり書いたりしうるかどうかは、特に接客業や小売業の現場ではなかなか困難なことではないでしょうか。そうした困難さと向き合いつつけっして状況から逃げずに実名で発言し続けてきた人間は、この出版業界にそう多くはいません。福嶋さんはそうした少数派の一人です。「朝日新聞」2015年12月2日付記事「報道・出版への「偏ってる」批判の背景は 識者に聞いた」で紹介された福嶋さんの明快なコメント「書店は「意見交戦の場」」(聞き手・市川美亜子)に感銘を覚えた業界人は少なくなかったろうと思います。

★「2014年末からジュンク堂書店難波店で開催していた「店長本気の一押し『NOヘイト!』」に対するクレームを、ぼく自身何件も受けたし、昨秋には、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店での「民主主義」を称揚するブックフェアに絡んだツイッターが「炎上」し、フェアの一時撤去を余儀なくされた。/波状攻撃的に押し寄せる様々な事件についてコメントを求められ、読み、考え、書く中、ぼくは、時代の大きなうねりと書店現場の日常の出来事は、強く相関していると感じた。出版が、時代状況に拠って立ちながら逆にその状況そのものにコミットしていく営為であるのだから、それは当然のことかもしれない」(18頁)。出版社や書店が時代と共にあることは必然とはいえ、特定の一方向からの風を真正面から受けることはしんどい作業です。福嶋さんはそうした風をも追い風に変えようとされています。本書第Ⅱ部末尾には「ブックフェア中止問題を考える」と題した考察が二篇掲載されており、その第1篇「クレームはチャンス」で、福嶋さんは次のように述べています。

★「クレームは、対話の、説明の絶好の機会なのである。〔・・・〕仮に同意を得られなくとも、たとえ議論にもならなくとも、異論を聞くだけで、時に表現の修正も含めて、自らの主張を鍛えることができる」(162頁)。「現代社会をめぐる様々な問題について中立の立場を堅守することは容易ではない。また、それが立派なことでもない。/中立であるためには問題そのものから距離をとらなければならない。当事者でありながら、中立に固執することは、むしろ「不誠実」というべきであろう。そして、民主主義国家の国民はすべて、その国の政治の当事者なのである」(163頁)。「かくして、書店店頭は、本と本、本と人、人と人との「交戦」の現場である」(同)。これは戦いのための戦い、論争のための論争を志向する好戦家や天邪鬼の認識ではなく、分かり合うことを諦めた絶望者の認識でもなく、民主主義を標榜し、そのありのままの手触りを手放すまいとするリアリストの認識です。

★リアリストが考える現実とは、数字だのマーケティングだのがすべてであるような乾いたものではありません。「出版に「マーケティング」があるとすれば、その意味は「市場調査」だけではない。それ以上に「市場開拓」である。出版にとって本来の「マーケティング」とは、議論の場を創成、醸成していくことなのだ」(154頁)。「コンピュータの導入によって自他のPOSデータ=販売記録が速やかに、正確に見られるようになり、便利になった分だけ、書店員はデータに縛られ操られるようになった。こぞって売れ行きの良いものを追いかけるようになり、書店の風景は、どこも変わらないものになってしまった。書店員は、「数字を見て考えている」と言うかもしれないが、売れ数のインプットに応じて注文数をアウトプットするのは、きわめて機械的な作業であり、「考えている」のではない。そのような作業が積み重なって出来ている書店は、今ある社会とその欲望、格差の増幅器になるだけで、決して社会の変換器にはなれない。新しい書物に期待されているのは、社会の閉塞状況を突破するオルタナティブである。過去のデータを追っているだけでは、そうした書物を発見することはできない」(16頁)。

★「縮小する市場とともに低下し続ける数値を元に、それに合わせた仕事をしている限り、出版業界のシュリンク傾向に歯止めをかけることは出来ないだろう。必要なのは信念であり、矜持であり、そして勇気なのである」(183頁)。これをただの精神論だと片づける人がいるとしたら気の毒です。行動する勇気、挑戦する矜持、出会いを恐れない信念が、業界人一人ひとりに問われているのだと思います。

★発売されたばかりの人文書院さんの今月新刊にはもう一冊あります。

1941 決意なき開戦――現代日本の起源
堀田江理著
人文書院 2016年6月 本体3,500円 4-6判上製424頁 ISBN978-4-409-52063-5

帯文より:なぜ挑んだのか、「勝ち目なき戦争」に? 指導者たちが「避戦」と「開戦」の間を揺れながら太平洋戦争の開戦決定に至った過程を克明に辿る、緊迫の歴史ドキュメント。NYタイムズ紙ほか絶賛。

★本書は、Japan 1941: Countdown to Infamy (Knopf, 2013)の著者自身による日本語版です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。堀田江理さんはかのイアン・ブルマさんのパートナーで、ブルマさんがアヴィシャイ・マルガリートさんとともに2004年に上梓した『Occidentalism: the West in the eyes of its enemies』を日本語にお訳しになったのはほかならぬ堀田さんです(『反西洋思想』堀田江理訳、新潮新書、2006年、品切)。『1941 決意なき開戦』は堀田さんの、日本語による初の単独著です。

★あとがきでの説明を借りると「本書は、1941年4月から12月までの日本の政策決定プロセスを追いながら、これらの根本的な疑問に迫る試みとして書かれた。つまり日本側から見た日米開戦の起源が主題」(397頁)。さらに著者はこうも述べています。「歴史に明るい人でさえも、ルーズベルトやチャーチルが、日本に攻撃を仕向けたというような共謀説や、ごく狭い戦術的視点からの論議に固執しがちで、ましてや真珠湾に至る日本の内政問題についてなどは、そのわかりにくさも手伝ってか、あまり語られることはない」(398頁)。

★「アメリカの読者に向けて、「日本側から見た真珠湾」という切り口で書かれたのが本書なのである。しかし、翻訳の機会を得た今回、日本語での出版にどのような意義があるのかも考えさせられた。その中で感じたのは、実際には開戦の経緯を把握し、一定の歴史理解に目指した意見を持っている日本人は、少数派なのではないかということだった。たとえば開戦までの四年間のうち、二年半以上にわたって、日本の首相を務めた近衛文麿のことを、その謎めいた人物像を含め、どれだけの人が知っているのだろうか。同じく、よく悪玉の筆頭にあげられる東条英機が、実は開戦直前に戦争を回避しようとしたことを、どれだけの人が把握しているだろうか」(399頁)。

★「軍部が政策決定権を乗っ取ったから、またはアメリカの対日経済制裁や禁輸政策が日本をギリギリまで追い込んだから、というような一元的で受け身の理由は、それがいくら事実を含んでいたとしても、歴史プロセスとしての開戦決意を説明するのにはまったく不十分だ。スナップ・ショット的な断片を提示することは、全体像を把握することとは異なるのだ。確かに日本は、独裁主義国家ではなかった。戦争への決断は、圧倒的決定権を持つ独裁者の下で発生したのではなく、いくつもの連絡会議や御前会議を経て下された、軍部と民間の指導者たちの間で行われた共同作業だったということを忘れてはならない。同時にそれは、指導層内に全権が存在せず、重大な政策決定責任があやふやになる傾向があった事実を明らかにしている」(399-400頁)。

★「全16章を通して訴えたかったのは、日本の始めた戦争は、ほぼ勝ち目のない戦争であり、そのことを指導者たちも概ね正しく認識していたこと、また開戦決意は、熟攻された軍部の侵略的構想に沿って描かれた直線道路ではなかったことだった。その曲がりくねった道のりで、そうとは意識せず、日本はいくつかの対米外交緊張緩和の機会をみすみす逃し、自らの外交的選択肢を狭めていった。そして、最終的な対米開戦の決意は、「万が一の勝利」の妄想によって正当化された、いわば博打打ち的政策として、この本は解釈している」(400頁)。「本書が、今日に生きる日本の読者ならではの歴史的考察を深めてもらうきっかけになれば、喜ばしいことである」(401頁)。

★なお、本書の原書について著者がインタヴューに応えた「Book TV」での動画(英語)をYouTubeで閲覧することができます。

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★このほか、ここ最近では以下の新刊との出会いがありました。

『陳独秀文集――初期思想・文化言語論集 1』陳独秀著、長堀祐造・小川利康・小野寺史郎・竹元規人編訳、東洋文庫、2016年6月、本体3,100円、B6変型判上製函入384頁、ISBN978-4-582-80872-8
『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性――世界システムの思想史』植村邦彦著、平凡社、2016年6月、本体2,500円、4-6判上製232頁、ISBN978-4-582-70352-8
『ボルジア家』アレクサンドル・デュマ著、田房直子訳、作品社、2016年6月、本体2,400円、46判上製296頁、ISBN978-4-86182-579-8
『親鸞』三田誠広著、作品社、2016年6月、本体2,600円、46判上製400頁、ISBN978-4-86182-585-9
『脳がわかれば心がわかるか──脳科学リテラシー養成講座』山本貴光・吉川浩満著、太田出版、2016年6月、本体2,400円、菊判上製320頁、ISBN978-4-7783-1519-1
『(不)可視の監獄――サミュエル・ベケットの芸術と歴史』多木陽介著、水声社、2016年6月、本体4,000円、46判上製376頁、ISBN978-4-8010-0186-2

★平凡社さんの新刊2点『陳独秀文集 1』『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性』はどちらもまもなく発売。『陳独秀文集 1』は東洋文庫の第872弾。全3巻予定で、帯文に曰く「新文化運動、五・四運動の先導者、中国共産党の創立者でありながら、不等にその存在意義を貶められてきた「生涯にわたる反対派」の主要論説を編訳。第1巻は中共建党以前」。陳独秀(1879-1942)の翻訳文集は本邦初。訳者はしがきでは、毛沢東や孫文などと比して日本の中国研究における扱いが不公正であったことが指摘され、「これは中国国民革命の総括をめぐって陳独秀が中国トロツキー派指導者に転じ、自らが創立した中国共産党から除名されたことに起因する」と分析しています。第1巻は陳独秀略伝を巻頭に置き、続いて陳独秀のテクストの翻訳が「『安徽俗話報』の創刊から五・四運動まで」「五・四運動から中共建党まで」の二部構成で収められ、付録として「陳独秀旧体詩選」を併載し、巻末には編訳者の小野寺さんと小川さんによる解説が配されています。第2巻は『政治論集1:1920~1929』、第3巻は『政治論集2:1930~1942』となるそうです。なお東洋文庫の次回配本は7月、趙曄『呉越春秋』とのことです。

★『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性』は帯文に曰く「ローザ・ルクセンブルクと世界システム論者「四人組」――アンドレ・グンダー・フランク、サミール・アミン、イマニュエル・ウォーラーステイン、ジョヴァンニ・アリギ――とを思想的な影響関係でつなぐ鮮やかな系譜学。近代世界のジレンマ、もつれた糸をいかに解くか」と。主要目次を列記しておくと、序章「ハンナ・アーレントとローザ・ルクセンブルク」、第一章「ルクセンブルク――資本主義の不可能性」、第二章「レーニンからロストウへ――二つの発展段階論」、第三章「フランク――「低開発の発展」」、第四章「アミン――「不等価交換」」、第五章「ウォーラーステイン――「近代世界システム」」、第六章「アリギ――「世界ヘゲモニー」」、終章「資本主義の終わりの始まり」となっています。あとがきによれば「関西大学経済学部で私が担当する「社会思想史」の講義では、「世界システムの思想史」をテーマとして、ルソー対スミスの「未開/文明」論争から始まり、マルクスとルクセンブルクを経て世界システム論へといたる世界認識の歴史をたどる試みを続けてきた。この講義の前半部分は『「近代」を支える思想――市民社会・世界史・ナショナリズム』(ナカニシヤ出版、2001年)第二章の再論である。〔・・・〕『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性』は「世界システムの思想史」後半部分の講義ノートをもとにして書き下ろしたもの」とのことです。

★作品社さんの新刊2点『ボルジア家』『親鸞』はともに発売済。『ボルジア家』は訳者あとがきによれば「デュマが1839年から1840年にかけて発表した『有名な犯罪』(Crimes célèbres)のなかの一篇で、悪名高い「ボルジア家の攻防を描いた作品」である『Les Borgia』の全訳。既訳には、吉田良子訳『ボルジア家風雲録』(上下巻、イースト・プレス、2013年)があります。また、田房さんによるデュマの訳書は『メアリー・スチュアート』(作品社、2008年)に続く第二作となります。一方、三田さんの『親鸞』は『空海』(作品社、2005年)、『日蓮』(作品社、2007年)に続く、日本仏教の傑物の生涯を描いた書き下ろし長編歴史小説の第三弾です。三田さんは前二作と本書とのあいだにドストエフスキーの新釈本4点という大作に挑まれており、変わらぬ健筆に瞠目するばかりです。

★『脳がわかれば心がわかるか』は発売済。山本さんと吉川さんのデビュー作『心脳問題』(朝日出版社、2004年)の改題増補改訂版です。帯文に曰く「脳科学と哲学にまたがる、見晴らしのよい・親切で本質的な心脳問題マップ」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。朝日出版社版では四六判の縦組でしたが、今回の新しい版では一回り大きなサイズになり、横組に変更されています。このイメチェンは本書らしさをいっそう引き立てており、心地よいです。巻頭に置かれた増補改訂版へのまえがきによれば、「今回のリニューアルえは、旧版の内容を全体的に見直すとともに、近年の動向を踏まえた増補をも行いました。とりわけ好評だった巻末の作品ガイドは、この間に刊行された関連文献に基づいて大幅にヴァージョンアップしています」とのことです。増補改訂版では終章のあとに補章として「心脳問題のその後」が追加されています。

★『(不)可視の監獄』は発売済。多木陽介さんの単独著としては『アキッレ・カスティリオーニ――自由の探求としてのデザイン』(アクシス、2007年)に続くものです。帯文はこうです。「これまで深く考察されてこなかったベケットと監獄との親密な関係を探究しながら、グローバル化した世界の様々な危機的状況を映し出す〈鏡〉としてベケットの作品を論じる。現代を生きる我々の実存を閉じ込めてきた〈(不)可視の監獄〉を浮き彫りにする、イタリア在住の演出家による渾身のベケット論」。「ベケットと監獄――平穏な客席ではよく分からない芝居」「一人目のベケット――破壊的想像力」「二人目のベケット――技術空間の中の道化」「三人目のベケット――歴史の瓦礫に舞い降りた天使たち」という四部構成。序によれば「本書は、いわゆる一作家の作品研究ではない。むしろ、サミュエル・ベケットの芸術の力を借りて、我々が生きている時代の今一つ不透明な歴史のヴェールを一枚でも剥いで見ようという試みである。〔・・・ベケットは〕誰よりも歴史の深層に流れるエネルギーを繊細に聞き取ることの出来る稀代のシャーマンに思える」と。

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注目新刊:『21世紀の哲学をひらく』、ベルクソン新訳『笑い』

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★増田靖彦さん(訳書:ハーマッハー『他自律』)
★柿並良佑さん(共訳:サラ-モランス『ソドム』)
★清水知子さん(著書:『文化と暴力』、共訳:バトラー『自分自身を説明すること』『権力の心的な生』、ウォルターズ『統治性』)
ミネルヴァ書房さんから刊行されたアンソロジー集で増田さんが編著者を、柿並さんと清水さんが共著者を務めておられます。

21世紀の哲学をひらく――現代思想の最前線への招待
齋藤元紀・増田靖彦編著
ミネルヴァ書房 2016年5月 本体3,500円 A5判並製296頁 ISBN978-4-623-07582-9

帯文より:人間の思考はどこまで進んでいるか。ナンシー、ガタリ、ハーバーマス、カヴェル、バトラー…不透明さを増す哲学の論点を探る、待望の思想地図。

第Ⅰ部「現代のフランス・イタリア哲学」で、柿並良佑さんが第1章「哲学と〈政治〉の問い――ラクー=ラバルトとナンシー」(1 〈政治〉をめぐって/2 新たな哲学の位置を求めて/3 〈哲学の終焉〉の後で)を寄稿され、編者の増田靖彦さんは第2章「主観性の生産/別の仕方で思考する試み――フェリックス・ガタリを中心にして」(1 プルーストを読む/2 ガタリの思想/3 備考――ネグリとの邂逅)を執筆されています。また、第Ⅲ部「現代のイギリス・アメリカ哲学」では清水知子さんが、第11章「性/生の可能性を問う政治哲学――ジュディス・バトラーの思想」(1 欲望のエコノミー/2 異性愛のマトリクスとメランコリー/3 暴力・哀悼・可傷性/4 身体の存在論と倫理)を寄稿されています。

このほか、第Ⅰ部では川瀬雅也さんによる第3章「生の現象学――ミシェル・アンリ、そして木村敏」、信友建志さんによる第4章「「寄生者」の思想――ジャック・ラカン」、鯖江秀樹さんによる第5章「イタリアの現代哲学――ネグリ、カッチャーリ、アガンベン、エスポジト、ヴァッティモ、エーコ」が収められ、第Ⅱ部「現代のドイツ哲学」では加藤哲理さんによる第6章「「実践哲学の復権」の再考――ハーバーマス、ルーマン、ガーダマー」、編者の齋藤元紀さんによる第7章「アレゴリーとメタファー――ベンヤミンとブルーメンベルク」、入谷秀一さんによる第8章「批判理論――アドルノ、ホネット、そしてフランクフルト学派の新世代たち」を収録、第Ⅲ部では荒畑靖宏さんによる第9章「日常性への回帰と懐疑論の回帰――スタンリー・カヴェル」、三松幸雄さんによる第10章「「芸術」以後――音楽の零度より ジョン・ケージ」、河田健太郎さんによる第12章「ナンセンスとしての倫理――コーラ・ダイアモンドの『論考』解釈」、齋藤暢人さんによる第13章「分析哲学――現代の言語哲学として」が収録されています。

また、増田靖彦さんは今月発売となった光文社古典新訳文庫で、ベルクソンの名著の新訳を手掛けられています。

笑い
ベルクソン著 増田靖彦訳
光文社古典新訳文庫 2016年6月 本体980円 328頁 ISBN978-4-334-75333-7

帯文より:「おかしさ」はどこから生まれてくるのか?「笑い」のツボを哲学する。

目次:
笑い
 序
 旧序
 第一章 おかしさ一般について
 第二章 情況のおかしさと言葉のおかしさ
 第三章 性格のおかしさ
 第二十三版の付録
解説
年譜
訳者あとがき

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一方、私自身のお話しで恐縮ですが、先週土曜日は、明星大学日野キャンパスにお邪魔し、人文学部H28年度(2016年)「自己と社会 II」「文化を職業にする」第2回において発表させていただきました。今年で5回目の参加になりますが、今回はテーマを「出版界の現在と独立系出版社」とし、ここ数年間で出版業界に起きた変化や新しい波、また私の信条と体験をお話ししました。ご清聴いただきありがとうございました。担当教官の小林一岳先生に深謝申し上げます。受講された皆さんとどこかで再会できることを楽しみにしています。

2012年6月16日「文化を職業にする」
2013年6月15日「独立系出版社の仕事」
2014年6月07日「変貌する出版界と独立系出版社の仕事」
2015年6月13日「独立系出版社の挑戦」
2016年6月11日「出版界の現在と独立系出版社」

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