『ゆるく考える』東浩紀著、河出書房新社、2019年2月、本体1,800円、46判並製336頁、ISBN978-4-309-02744-9
『あたかも壊れた世界――批評的、リアリズム的』小泉義之著、青土社、2019年2月、本体2,000円、四六判並製232頁、ISBN978-4-7917-7146-2
『世界史の実験』柄谷行人著、岩波新書、2019年2月、本体780円、新書判並製224頁、ISBN978-4-00-431762-3
『吸血鬼百科 復刻版』佐藤有文著、復刊ドットコム、2019年2月、本体3,900円、B6判上製192頁、ISBN978-4-8354-5651-5
★『ゆるく考える』は2008年から2018年にかけて発表された文章のうち、「比較的時評性が低く、文学性が高いものを抜粋して編まれたエッセイ集」(あとがきより)。第i章は2018年1月から6月まで「日本経済新聞」夕刊「プロムナード」欄に掲載されたコラムをまとめたもの。続く第ii章は「文學界」2008年8月号から2010年4月号まで全20回掲載された連載評論「なんとなく、考える」をまとめたもの。「なんとなく、考える」は「じつは最初は「ゆるく考える」というシリーズタイトルを提案していた」(326頁)とのことです。「友と敵の境界をクリアに引かず、「ゆるく」考えることは、最近のぼくにとって大きな課題になっている」(同)。「ゼロ年代はじつに甘い時代だった。まだみながネットの力を信じることができ、若い世代が日本を変えると信じることができた時代だった。第二章には、そんな時代のぼくが見た夢が記録されている」(327頁)。
★第iii章は、2010年から2018年にかけて主に「新潮」誌で掲載されたものなどから9篇。一番新しいのは「新潮」2019年1月号(2018年12月発売)に掲載された「悪と記念碑の問題」です。「このエッセイ集は、いわば〔…〕、長い思考錯誤の末、ようやく批評家として「やるべきこと」を発見した、その過程の文章を集めたものだと言える」(329頁)。本書に続く東さんの新刊はまもなく一般発売開始となる、石田英敬さんとの対談本『新記号論――脳とメディアが出会うとき』。昨秋刊行された小松理虔さんの『新復興論』に続く「ゲンロン叢書」第2弾です。
★『あたかも壊れた世界』は「初の批評集」(帯文より)。コミック、映画、小説、ラノベなどを考察対象に、2004年から2018年にかけて各媒体で発表されてきた作品論14篇を収録し、「身体的」「精神的」「社会的」の3部に振り分けています。巻頭に書き下ろしの「はじめに」が置かれています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。「作品を読むこと、作品を見ることは、わたしからするなら、鑑賞・受容・消費であるというよりは、経験の一部である。〔…〕作品における愛の経験と現実における愛の経験は、本質的に異なってはいない。ともにリアルである。そして、そのような経験を可能にするものとして作品を読解することが、作品論の基本中の基本であると思う」(11頁)。「作品の経験は、愛なる概念の経験になる。〔…〕私は、批評は、少なくともその出発点においては概念実在論(概念リアリズム)に立たざるをえないと考える」(15頁)。
★「およそこの二十年ほど、種々のアプローチが後退して流行してきたあいだに、作品に内在する批評が軽侮されるだけでなく、かつてのリアリズム論争の諸論点がすっかり忘れ去られて、リアリズムに関連する諸概念が一方的に安直に否定されてきたことにあらためて気づかされた」(16頁)。「結局のところ、作品のリアリティ、作品の経験、現実の経験を見る目が失われてきたのである」(20頁)。コミック作品をしばしば取り上げている本書は、そっとコミック売場に紛れ込ませて人文書の読者とは別の読者との出会いを果たすべき運命にあると思われます。
★『世界史の実験』はあとがきから推察するに、岩波書店の月刊誌「図書」での連載エッセイ「思想の散策」(全20回、2015年9月「思うわ、ゆえに、あるわ」~2017年4月「柳田と国学」)と、ジュンク堂書店池袋本店での「柄谷行人書店」に連動して行われた連続講演「歴史と実験」(2018年8月25日、10月27日)をもとに、加筆修正されたもののようです。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。「私は『世界史の構造』〔岩波書店、2010年;岩波現代文庫、2015年〕で論じた諸問題が回帰してくるのを感じた。だから、私はこの本を『世界史の実験』と呼ぶことにしたのである」(あとがき、199頁)とあります。阪神淡路大震災のあと、そして東日本大震災のあと、柄谷さんは柳田国男の「先祖の話」(角川ソフィア文庫、2013年)を再読してきたといいます。「そこ〔『世界史の構造』〕で確立した観点から、柳田の考えたことを見直すようになった」(12頁)と。また、本書第二部「山人から見る世界史」は『遊動論――柳田国男と山人』(文春新書、2014年)の考察を引き継いでいます。『世界史の実験』の刊行を機に、「週刊読書人」では柄谷さんのロングインタヴュー「普遍的な世界史の構造を解明するために」が公開されています。
★『吸血鬼百科 復刻版』は、講談社「ドラゴンブックス」全11巻(1974~1975年)の第1巻(1974年刊)の復刻。復刊ドットコムではこれに先行して第4巻『悪魔全書 復刻版』が2018年11月に復刻されています。これまで復刊ドットコムでは立風書房「ジャガーバックス」(1972~1983年頃)や、学研「ジュニアチャンピオンコース」(1971~1980年頃)などから人気タイトルを復刻してきましたが、「ドラゴンブックス」の『悪魔全書』と『吸血鬼百科』はとりわけダークな内容。私は初版刊行当時この2点には出会っていませんでしたが、たとえ出会っていたとしても怖くて頁をめくれなかったことでしょう。そこそこキツいのです。これが児童書だったとは。復刊ドットコムさんには今後も3シリーズからの復刻を継続してほしいです。
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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで』フェルナンド・バエス著、八重樫克彦/八重樫由貴子訳、紀伊國屋書店、2019年3月、本体3,500円、B6判上製739頁、ISBN978-4-314-01166-2
『宇宙の果てまで離れていても、つながっている――量子の非局所性から「空間のない最新宇宙像」へ』ジョージ・マッサー著、吉田三知世訳、インターシフト発行、合同出版発売、2019年3月、本体2,300円、四六判並製352頁、ISBN978-4-7726-9563-3
『イスラーム神学古典選集』松山洋平編訳、作品社、2019年2月、本体4,800円、A5判上製336頁、ISBN978-4-86182-736-5
『ドゥルーズ『差異と反復』を読む』森田裕之著、作品社、2019年2月、本体2,200円、46判並製176頁、ISBN978-4-86182-735-8
『ロシア構成主義――生活と造形の組織学』河村彩著、共和国、2019年2月、本体3,200円、菊変型判並製304頁、ISBN978-4-907986-43-8
『ハバナ零年』カルラ・スアレス著、久野量一訳、共和国、2019年2月、本体2,700円、菊変型判並製280頁、ISBN978-4-907986-53-7
『現代思想 2019年3月号 特集=引退・卒業・定年』青土社、2019年2月、本体1,400円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1378-3
★『書物の破壊の世界史』はベネズエラの作家で過去にベネズエラ国立図書館館長も務めたことがあるバエス(Fernando Báez, 1970-)の高名な著書『Nueva historia universal de la destrucción de libros』(Océano, 2013)の訳書。2004年に刊行された原著初版に大幅加筆し、新たに図版を加えた増補改訂版が底本です。主要目次は例えば版元ドットコムでの単品頁をご覧ください。「本書のタイトルを“書物の破壊の〈歴史〉”ではなく“書物の破壊の〈世界史〉”としたのは、世界中で起こっている身近な問題として捉えてほしかったからだ」(18頁)と著者は書きます。「五〇世紀以上も前から書物は破壊され続けているが、その原因のほとんどは知られていない。本や図書館に関する専門書は数あれど、それらの破壊の歴史を綴った書物は存在しない。何とも不可解な欠如ではないか?」(25頁)。
★「書物の破壊は、公的機関によるものでも個人によるものでも、必ずといっていいほど、規制、排斥、検閲、略奪、破壊という暗澹たる段階を経る」(33頁)。「書物を焼いたり図書館を空爆したりするのは、それらが敵対する側のシンボルだからだ」(同)。「ビブリオコースト(書物の破壊を端的に表現する新語、“書物の大量虐殺”の意)とは、何らかの理由で優越性を持つ一方の記憶にとって、直接あるいは間接的な脅威となる記憶を抹殺することだ」(34頁)。著者は第5章「大災害の世紀」で、日中戦争における教育施設の破壊についても触れています。「日中戦争前の1936年に4041あった図書館のうち、少なくとも2500が破壊されている。さらに92の高等教育施設が全壊。戦争中に失われた本の総数は、約300万冊に上るといわれる」(507頁)。書物は戦争や検閲、さらには不注意による廃棄や営利目的による分解ばら売りなど様々な人為的破壊にさらされてきただけでなく、天災や材料の劣化や虫害等々によっても失われていきます。本書は特に人間の暗部を如実に描出しており、その闇が今なお息づいていることを教えてくれます。未来への警告の書でもあるわけです。
★『宇宙の果てまで離れていても、つながっている』は『Spooky Action at a Distance: The Phenomenon That Reimagines Space and Time - and What It Means for Black Holes, the Big Bang, and Theories of Everything』(Scientific Americans, 2015)の訳書です。目次詳細と巻頭の「はじめに: あらゆる謎の根源」が書名のリンク先でご覧いただけます。「量子力学をはじめとする物理学の各分野では、場所も距離も、より深いレベルでは存在しないかもしれないという説が提案されているのだ。物理学の実験では、2つの粒子の運命を結びつけて、一対の魔法ののコインのように振る舞わせることができる――投げれば当然、それぞれ表か裏かを上にして落ちるのだが、なんとびっくり、常に2枚が同じ面を上にして落ちる、そんな魔法のコインのように。それらの粒子は、あいだに横たわる空間を伝わる力など一切存在しないにもかかわらず、協調して振る舞う。これらの2個の粒子は、それぞれ宇宙の反対側に飛んで行って離れ離れになったとしても、やはり一致した振る舞いをする。つまり、これらの粒子は局所性をやぶっている。要するに、空間を超越しているのだ」(7頁)。
★「どうやら自然は、奇妙であると同時に微妙なバランスを保っているらしい。たいていの場面では、自然は局所性〔ローカリティ〕に従っている――なにしろ、自然には局所性に従ってもらわないと、私たちは存在できないのだから――が、その一方で、自然はその基盤においては非局所的なのだという、かすかな証拠があちこちで見え始めている。本書では、この緊張した状況を詳しく紹介していきたい。/非局所性〔ノンローカリティ〕は、それを研究する者にとっては、物理学のあらゆる謎の根源であり、今日物理学者が直面するさまざまな謎――量子論的粒子の奇妙さのみならず、ブラックホールの運命、宇宙の起源、そして自然の本質的統一までも――の核心に関わるものなのである」(7~8頁)。なお、本書の一部は、昨秋発売された「別冊日経サイエンス」の『量子宇宙――ホーキングから最新理論まで』にも掲載されています。著者のマッサー(George Musser, 1965-)は科学ジャーナリストで、『サイエンティフィック・アメリカン』誌の寄稿編集者。本書が初めての訳書となります。
★『イスラーム神学古典選集』は版元紹介文に曰く「現存するイスラームの三大宗派、スンナ派(アシュアリー学派、マートゥリーディー学派、ハンバリー学派)、シーア派(一二イマーム派、イスマーイール派、ザイド派)、イバード派の読みやすい古典テクストを選書、この一冊から読めるイスラーム概論を付し、各テクストを丁寧に解説」と。巻頭の「はじめに」によれば「本書では、特定のテーマに特化するのではなく、イスラーム教の信条全体、またはその基礎的な部分を論じたテクストを中心に翻訳の対象とした」(5頁)とのこと。目次は以下の通りです。
はじめに
序章
コラム(1)信仰告白「シャハーダ」
コラム(2)啓典クルアーン
コラム(3)預言者と使徒
コラム(4)イスラーム法学
コラム(5)アリーと「教友」の間の確執・対立
第一章 イージー『信条』|スンナ派(アシュアリー学派)
第二章 サヌースィー『証明の母』|同上
第三章 アブー・ハニーファ『訓戒』|スンナ派(マートゥリーディー学派)
第四章 イブン・カマール・パシャ『一二の問題におけるアシュアリー学派とマートゥリーディー学派の相違』|同上
第五章 アブー・ヤアラー『信条』|スンナ派(ハンバリー学派)
第六章 イブン・クダーマ『比喩的解釈の咎』|思弁神学の是非を巡る対立:ハンバリー学派
第七章 アシュアリー『思弁神学に従事することの正当化』|思弁神学の是非を巡る対立:アシュアリー学派
第八章 ヒッリー『第一一の門』|シーア派(一二イマーム派)
第九章 アリー・イブン・アル=ワリード『諸信条の王冠』抄訳|シーア派(イスマーイール派〔タイイブ派〕)
第一〇章 ラッサース『提要』|シーア派(ザイド派)
第一一章 サーリミー『子供への教授』第一部|イバード派
付録 礼拝の作法
補記と謝辞
索引
★『ドゥルーズ『差異と反復』を読む』は大谷大学教授で教育哲学がご専門の森田裕之(もりた・ひろゆき:1967-)さんによる、『ドゥルーズ=ガタリのシステム論と教育学――発達・生成・再生』(学術出版会、2012年)、『贈与-生成変化の人間変容論――ドゥルーズ=ガタリと教育学の超克』(青山社、2015年)に続く単独著第三弾。ドゥルーズの主著である「『差異と反復』の理論をできるかぎり図式的かつ体系的に描き出すことを目指した」(11頁)、ドゥルーズ思想入門です。目次は以下の通り。
はじめに
第一章 先験的経験論の方法と主題
1 先験的経験論の方法
2 先験的経験論の主題
第二章 強度による理念の個体化論
1 強度による理念の個体化論に向けて
2 強度による理念の個体化論
第三章 理念の差異化=微分化論と理念の異化=分化論
1 理念の差異化=微分化論
2 理念の異化=分化論
第四章 個体化-ドラマ化-差異化/異化=微分化/分化としての先験的経験論
1 先験的経験論の理論的な位置づけ
2 先験的経験論の理論的展開
補論
1 思考という能力の超越論的な行使の捉え直し
2 理念の差異化=微分化の捉え直し
ドゥルーズの著作
あとがき
★『ロシア構成主義』は『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』(水声社、2014年)に続く河村さんの単独著第二弾となる書き下ろし。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。「問題の根本は、東西対立の終焉とともに二十世紀の夢そのものが失われたことにある。二十世紀の大衆社会は、西側も東側も結局すべての人に物質的に豊かな生活を等しく供給することができなかったばかりか、もはや今となってはそれを目指す努力すら放棄されてしまった」(13頁)。「本書は構成主義の残骸を拾い集め、初期ソヴィエトで構想された、近代の夢の一つのヴァリアントを復元する試みである。残骸が「星座の布置」を描いて輝きを放つならば、それは暗い夜道のような二十一世紀を照らす、ささやかな道しるべとなるだろう」(14頁)。なお本書の、カバーと帯が斜めにカットされているのは初版のみの仕様とのことです。奥付発行日にも驚くべき仕掛けが刻まれていますが、これもまた初版のみの〈不可能な日付〉かもしれません。
★『ハバナ零年』は共和国さんの叢書「世界浪漫派」の一冊。ハバナ出身の作家カルラ・スアレス(Karla Suárez, 1969-)さんの本邦初訳となる小説です。原書は『Habana año cero』(Ediciones Unión, 2016)。ポルトガル語版が2011年、フランス語版が2012年に刊行されており、同2012年にカルベ・ド・ラ・カリブ文学賞と フランス語圏島嶼文学賞を受賞しています。「数学とミステリーの要素を巧みに織り込んで挑んだ代表作」だと謳う帯文によれば、本書のあらすじは以下の通り。「1993年、深刻な経済危機下のキューバ。数学教師のジュリアは、ハバナで初めて電話が発明されたことを証明する、イタリア人発明家メウッチの重要な自筆文書の存在を知る。その文書をめぐって、作家、ジャーナリスト、そして元恋人までが虚々実々の駆け引きと恋を展開するが……」。なお、メウッチ(Antonio Meucci, 1808-1889)は実在の発明家です。
★『現代思想 2019年3月号 特集=引退・卒業・定年』は樫田祐一郎編集長体制になってから2つ目の通常号。巻頭の山田ルイ53世さんと武田砂鉄さんの対談「理にかなわない生存――芸人×ライターの続け方」は議論の緩やかな勾配が見事。同誌の新たな地平を見る思いがします。トップスピードでハイレベルな議論が交わされる硬派な対談や鼎談もいいですが、一見世間話のようで特集内容への入口となるようなこうした良い意味での「雑談」を意識的に組み込んでおくことが、どんな特集内容であれますます重要になってくるように思われました。
★竹熊健太郎さんへのインタヴュー「フリーランスに「引退」はあるのか――漫画家・編集家・ライターの未来」では、出版社所属の編集者から仲介エージェントに変わる「生き残り戦略」をめぐるヒントを得られる箇所があります。「僕自身は、作品をつくる上で、プロデューサーがいたほうがいいと思っています。自己プロデュースができる作家はまれにいて、そういった人に編集者は正直必要ないのですが、僕が出会った限りでは生活していけるレベルまで世間に売り込めるほどの自己プロデュースができる人はなかなかいないですよ。創作とプロデュースは本来両立しません。どんなに自分でKindle版で発売しても全然結果がついてこない」(70頁)。さらに考えるなら、プロデューサーやエージェントが資金を引っ張ってくるのが出版社からではなくなる時代がもう到来しているのかもしれない、とも感じました。
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