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注目新刊:木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド』、ほか

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a0018105_00020518.jpg『ダークウェブ・アンダーグラウンド――社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』木澤佐登志著、イースト・プレス、2019年1月、本体1,850円、四六判並製272頁、ISBN978-4-7816-1741-1
『侵略者は誰か?――外来種・国境・排外主義』ジェームズ・スタネスク/ケビン・カミングス編、井上太一訳、以文社、2019年1月、本体3,400円、四六判上製320頁、ISBN978-4-7531-0351-5
『天然知能』郡司ペギオ幸夫著、講談社選書メチエ、2019年1月、本体1,700円、四六判並製256頁、ISBN978-4-06-514513-5



★『ダークウェブ・アンダーグラウンド』はブロガーで文筆家の木澤佐登志(きざわ・さとし:1988-)さんによる注目のデビュー作。個人的にとても楽しみにしていた一冊です。目次詳細が掲出されているアマゾン・ジャパンの単品頁では新人への洗礼と言うべきかすでに辛口の評言がいくつか寄せられています。指摘の一々はおそらくご本人も承知の上でしょう。アカデミックでもなく、サブカルでもなく、そのあわいを素早く一瞥する最初の身振りが本書であろうと感じます。その一瞥にもセンスが問われるわけで、私は書店員さんに本書を推したいです。読者が不足に思う部分は本書の参考文献を一助として自身で探査する自由がある。どこかに腰を据えて深く掘り下げる行為には、その場の磁力に絡めとられる不都合が伴うわけで、少なくとも人文書にコミットせざるをえない私としては、内容といい造本といい、書名にせよ帯文にせよ、人文書にありがちなルートからは外れていて「良かった」と思えます。木澤さんが拓いた回路は新たなルートへと発展するはずです。ちなみに分類コードは0036つまり「社会」です。ネットカルチャーを論じている以上それは常道なのですが、もちろん文芸書売場の「ノンフィクション」に置かれてもいいし、人文書売場の「現代思想」に置かれてもいいのでは、と。



★序章「もう一つの別の世界」から引用すると、本書の構成は以下の通り。「第1章〔暗号通信という「思想」〕は、ダークウェブの土台を成す暗号技術に焦点を合わせ、カウンターカルチャーが「暗号」をどのように取り扱ってきたのかを確認する。私たちはそこで、暗号空間としてのダークウェブに、かつてのサイバースペースの夢があたかも回帰するかのような事態を見るだろう。/続く第2章〔ブラックマーケットの光と闇〕、第3章〔回遊する都市伝説〕、第4章〔ペドファイルたちのコミュニティ〕は、ダークウェブという舞台に表れた様々なサイトや人物たちと、そこで起こったドラマの数々を見ていくことを通してダークウェブの光と闇を考察する。/第5章〔新反動主義の台頭〕は、新反動主義と呼ばれる、インターネット上のコミュニティを震源とする思想を扱う。新反動主義がどのようにオルタナ右翼に影響を与え、現在のインターネットの「空気」を醸成しているのかを説明する。/終章となる第6章〔近代国家を超越する〕では、インターネットの未来を考えるためにブロックチェーンを例に取り上げて論じる。思想とインターネット技術が絡み合うことで、私たちの現実社会すら根本から書き換えていくさまを幻視しようと思う。/補論では本省で取り上げきれなかったトピックを扱う。補論1〔思想をもたない日本のインターネット〕では日本におけるダークウェブの実態と日本とインターネット思想の関係を、続く補論2〔現実を侵食するフィクション〕ではインターネット・ミームという観点からフィクションと現実の関係を再考する」。関連記事に「欧米を揺るがす「インテレクチュアル・ダークウェブ」のヤバい存在感――「反リベラル」の言論人ネットワーク」(現代ビジネス、2019年1月17日付)があります。


★『侵略者は誰か?』は『The Ethics and Rhetoric of Invasion Ecology』(Lexington Books, 2016)の訳書。帯文に曰く「外来種を侵略者と読み替える「国境」の論理――それが生み出す、人間と人外の動物への「排外主義」とは何か。本書は、「人新世」や「多元的存在論」など、人間と自然の関係を再検討する諸概念・研究を手がかりに、既存の外来種論の見直しを図る人文社会科学からの応答である」。章立てと執筆者を以下に転記しておきます。


序章 種が侵略者となるとき |ジェームズ・スタネスク/ケビン・カミングス
第一章 いと(わ)しい存在の管理を超えて |マシュー・カラーコ
第二章 外来種生態学〔エイリアン・エコロジー〕、あるいは、存在多元論の探究 |ジェームズ・スタネスク
第三章 客か厄か賊か――種に印づけられた倫理と植民地主義による「侵略的他者」の理解 |レベカ・シンクレア/アンナ・プリングル
第四章 ユダの豚――サンタクルス島の「野生化」豚殺し、生政治、ポスト商品物神 |バシレ・スタネスク
第五章 帰属の大活劇――多種世界における市民権の非登録化 |バヌ・スブラマニアム
第六章 よそ者を迎えて――繁殖の脅威論と侵略種 |ケルシー・カミングス/ケビン・カミングス
第七章 楽園と戦争――アルド・レオポルドと復元生態学におけるレトリックの起源 |ケイシー・R・シュミット
第八章 根無し草の根を育てる――ピーター・ケアリーの『異星の快楽』にみられる侵略種と不気味な生態系 |マイカ・ヒルトン
原注
参考文献
訳者あとがき


★「人新世とは、人間活動が初めて生態系に傷跡を残した頃から続く時代を指す。人新世が進むにつれ、傷跡は指数級数的に規模を広げ、地球には消し去ることのできない損傷が加えられた。仮に、人びとが分かっているとしよう。集団、衆人、または個人として、意識的に、あるいは、もしかすると無意識的に、人間が自分たちのもたらしてきた過去と現在の損害を認知しているとする。となれば、自分たちの最悪の習性をまとめて他の非在来動物の身に着せるのは、どれほど気楽な話だろう。ましてそう前提することで私たちが救い主の役柄を演じられるのであればなおさらである。/非在来種に対する管理戦略が、社会の片隅で暮らす移民その他の人びとに対する警備戦略に重なるものだとすると、周縁部に生きる全ての者を結束させる、肥沃な連合の基盤が広がっているはずである。思想と学問の脱植民地化論は、おもにローラン・セザリ、フランツ・ファノン、エドゥアール・グリッサン、シルビア・ウィンターらの著作を通して形成された。脱植民地化論の中核には帝国主義への批判がある。ヨーロッパ思想の遺産を受け入れ、先住民の征服を讃えるのではなしに、脱植民地化論はワルテル・ミニョーロのいう「認識論的不服従」に関わる。米・『サイエンティスト』誌に載った2011年の特集「侵略種の思想」の中で、研究者のマシュー・チューとスコット・キャロルは記した。「認めがたいのは、深く広く根を下ろした『非在来種』という概念上の分類群を相手に、終わりも望みもない戦争を続ける頑なな態度である。それは、今となっては移入種が重要な役割を担う生態系を絶えず搔き乱す紛争となる」。この永続的な戦争を求め続ける声に対抗し、本書の各章は認識論的不服従を呼びかける」(13~14頁)。本書が注目に値する理由がこの序章の言葉にはっきりと表れていると感じます。


★『天然知能』はひょっとすると郡司さんの著作の中でもっとも親しみやすい本となるかもしれない画期的な一書。目次詳細と巻頭の「ダサカッコワルイ宣言」は書名のリンク先にある「試し読み」で見ることができます。「おしゃれなかっこよさは、自分に都合の悪いものは排除し、自分のコントロールできる範囲で、自分の世界に事物を配置することで実現されます。かっこいいは、そういった独我論的世界観、一人称的世界観に裏付けられています。かっこいい者にとって、外部なんて存在しないのです」(12頁)。「一・五人称的知性としての天然知能は、「わたし」と無関係な、それ自体として存在する「わたしの外部の実在」を問題とします。「わたし」と関係のある、「わたし」に有用なものだけで構想される、そういった世界の、外部に目を向けます。/それは最近話題の、新しい実在論や、外部の実在を構想する思弁的実在論と、密接な関係にあることが予想されるでしょう。ところがむしろ、新しい実在論の延長線上に、天然知能が位置することが示されるのです。つまり先にあるということです」(13頁)。「本書では、知覚できないが存在する、という存在様式を認める知性について、一つの理論を提案します」(同頁)。ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』が選書メチエで刊行されたのがちょうど一年前でした。再びいま私たちは新たなステージの知的刺激を本書から受け取るることになるのではないでしょうか。「世界の見方を変えてくれます」(養老孟司)、「AIみたいな人間と人間みたいなAIにあふれる社会への挑戦状」(吉川浩満)というお二人の推薦文はけっして大げさではないでしょう。


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★続いて、最近出会った新刊を列記します。


『フーコーの言説――〈自分自身〉であり続けないために』慎改康之著、筑摩選書、2018年1月、本体1,600円、四六判並製272頁、ISBN978-4-480-01674-4
『天皇組合』火野葦平著、河出書房新社、2019年1月、本体1,700円、46判並製256頁、ISBN978-4-309-02773-9
『リバタリアニズム――アメリカを揺るがす自由至上主義』渡辺靖著、中公新書、2019年1月、本体800円、新書判並製224頁、ISBN978-4-12-102522-7
『硫黄島――国策に翻弄された130年』石原俊著、中公新書、2019年1月、本体820円、新書判240頁、ISBN978-4-12-102525-8
『風土記と古代の神々――もうひとつの日本神話』瀧音能之著、平凡社、2019年1月、本体2,400円、4-6判並製246頁、ISBN978-4-582-46912-7
『大清律・刑律1――伝統中国の法的思考』谷井俊仁/谷井陽子訳解、東洋文庫893、2019年1月、本体3,600円、B6変判上製函入500頁、ISBN978-4-582-80893-3



★『フーコーの言説』はフーコーの講義録や著書の数々を翻訳し新訳してきた慎改康之(しんかい・やすゆき:1966-、明治学院大学教授)さんの初の単独著。50年代のテクストから最晩年の絶筆『性の歴史(4)肉の告白』に至るまでの思考の足取りを読み解くものです。主要目次はアマゾン・ジャパンの単品頁で確認することができます。「フーコーの言説のうちに、主体性の支えや倫理的原則を期待しても無駄である。彼の歴史研究が我々に与えてくれるのは、特定の思考や行動のための処方ではなく、「思考をそれがひそかに思考しているものから解放し、別の仕方で思考することを可能にする」ための道具である。その道具をどのように使用するのか、そしてそれによって実際に自分自身からの離脱へと導かれるかどうかは、我々一人ひとりの選択、我々一人ひとりの努力に委ねられているのだ」(258頁)。「一方では、自分自身から身を引き離すことによって、主体と真理との関係を新たなやり方で考える可能性が開かれるということ。そして他方では、人間、主体、真理をめぐる問題を、さまざまな領域、さまざまな軸のもとで扱うことによって、自分自身からのさらなる離脱へと導かれるということ。主体性をめぐる問題を、以前の自分自身とは異なるやり方で思考するにはどのようにすればよいか。自分自身からの新たなる脱出のために、主体と真理との関係をどのように問い直せばよいか。こうした二重の問いこそ、フーコーの言説全体を特徴づけることのできる優れてフーコー的な問いなのだ」(266~267頁)。



★『天皇組合』は、芥川賞作家の火野葦平(ひの・あしへい:1907-1960)さんが1950年に中央公論社より上梓した小説を、評論家の陣野俊史さんと高沼利樹さんによる解説を付して再刊したもの。帯文はこうです。「戦後の混乱期、われこそ真の天皇と名乗り出るものが続々と出現。そのひとり、虎沼天通の一かは現天皇の体位をもとめる天皇の組合結成を思い立った。戦後の風俗を背景に個性あふれる人物たちが右往左往するユーモアあふれるドタバタ劇」。本文からひとつだけ引きます。「この「君が代」は、誰のための歌か? 誰のために、自分は歌うのか? 通軒はちぐはぐな気持ちで、ただ機械のように、口だけ動かしていたが、やがて、いつの日にか、自分のために歌われる日が来る、その日のための練習をみんながやっているのだ、と考えることによって、わずかに、勇気をとりもどした。(自分のために、歌うのだ)と自得して、少し声が大きくなった。そして、天皇組合を早く結成して、所期の大目的を怱急に達成せねばならぬと、焦燥の思いが一段と強まるのである」(140頁)。


★中公新書の1月新刊から2点。『リバタリアニズム』は「中央公論」誌の連載「リバタリアン・アメリカ」(2018年4月号~2019年1月号、全10回)に加筆したもの。トランプ政権誕生後のアメリカ各地を取材し、若い世代に拡がりつつあるというリバタリアニズム(自由至上主義)の実情に迫っています。さまざまな活動家や団体が紹介されていますが、そのひとつ、ピーター・ティールから資金援助を得て設立されたNPO「シースティング研究所」が興味深いです。「人類を政治家から解放すること」を目指すという同研究所は、かのミルトン・フリードマンの孫でグーグル出身のエンジニア、パトリ・フリードマン(1976-)が会長を務めています。彼は「バーニングマン」に霊感を得て、公海上に洋上自治都市を多数つくろうとしています。「自国から自由になりたい人は大勢います。そうした人びとの受け皿になりたい」(29頁)と。「シリコン・バレーには世界や人類を本気で変えてやろうと思っている人が多くいます。「議論は止めろ、作ってしまえ」という雰囲気も好きです。ピーター(・ティール)と知り合えたのもここならでは」(29~30頁)。彼の父親はデヴィッド・フリードマン(1945-)。無政府資本主義の理論家で、『自由のためのメカニズム――アナルコ・キャピタリズムへの道案内』(勁草書房、2003年)などの著書があります。


★もう1点、『硫黄島』は「忘れられてきた硫黄列島の近現代史を再構成するとともに硫黄列島民の視点から、日本とアジア太平洋の戦前・戦争・戦後を問い直す作業である」と(vii頁)。本書には二つの目的があると言います。「一つは、硫黄列島の歴史を従来の「地上戦」一辺倒の言説から解放し、島民とその社会を軸とする近現代史として描き直すこと」(vi頁)、そして「もう一つは、日本帝国の典型的な「南洋」植民地として発達し、日米の総力戦の最前線として利用され、冷戦下で米国の軍事利用に差し出された硫黄列島の経験を、現在の日本の国境内部にとどまらないアジア太平洋の近現代史に、きちんと位置づけることである」(同頁)。「硫黄列島民が近現代の日本とアジア太平洋世界のなかで強いられてきた、激動と苦難に満ちた130年間は、「帝国」「戦争」「冷戦」の世紀であった20世紀が何であったかを、その最前線の地点から鮮烈に照らし出すことになるだろう」(vii頁)と。「軍事利用のために約75年にわたって島民全体が帰郷できない」(v頁)という現実を、国民のどれくらいが知っているでしょうか。


★『風土記と古代の神々』は日本古代史がご専門の駒沢大学教授、瀧音能之(たきおと・よしゆき:1953-)さんの最新著。「風土記から見た「記・紀」神話」と「地域の神々の神話」の二部構成。「中央政府によってまとめられた『古事記』『日本書紀』に対して、地方の国単位で編纂された『風土記』という対峙を重視し」(8頁)、「「記・紀」神話の体系を可能な限り、諸国の『風土記』の内容でカバー」し「「記・紀」神話と『風土記』の神話との間に新しい関係性を見出す」(9頁)とともに、「「記・紀」ではあまりとりあげられていない地域の神や神社について、主に『風土記』を用いて、その実像を追いかけ」(同頁)たもの。第二部の主要目次を列記しておくと、「地域の大神」「出雲の四大神と二大社」「目ひとつの鬼」「荒ぶる神――半ばを生かし、半ばを殺しき…」「カラクニイタテ神社と新羅」「古四王神社の由来」。


★『大清律・刑律――伝統中国の法的思考』は全2巻予定で、まず第1巻が発売。帯文はこうです。「前近代中国の成文法を代表する法典『大清律』のうち刑罰を定めた「刑律」を全文訳し、当時の最も優れた注釈書に基づいて解説を加えた書。中国の伝統的な法的思考がよくわかる」。第1巻では「賊盗篇」「人命篇」「闘殴篇」「罵詈篇」「訴訟篇」を収録。「闘殴篇」の「殴受業師」では「およそ教えを受けた師を暴行したならば、一般人に二等を加える。死なせたならば、斬」(306頁)と記されます。二等とは絞首刑のこと。斬は斬首刑。


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「図書新聞」に『忘却の記憶 広島』の書評が掲載されました

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「図書新聞」3383号(2019年1月19日)に、弊社10月刊『忘却の記憶 広島』の書評「「忘却の口」=他なる記憶の穴へとはいりこむ――「信頼」への「信頼」を忘れていたかもしれないことに、わたしたちは本書を通じて気づくことができる」が掲載されました。評者は静岡大学准教授の渡邊英理さんです。「出来事の数量的還元から離れる「脱集計化」を縦糸に、また出来事の自己中心的語りから遠ざかる「脱中心化」を横糸に川本隆史が提唱する「記憶のケア」は、この蛇行と迂回の多数で複数の記憶の河をいくひとつの方法である。本書は、そうした蛇行と迂回の、それぞれの「現場性」のなかでの多数的で複数的な実践の記録である」と評していただきました。

注目新刊:『ドゥルーズの21世紀』河出書房新社、ほか

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a0018105_13184137.jpg弊社出版物でお世話になっている著訳者の皆様の最近のご活躍をご紹介します。


★近藤和敬さん(著書:『カヴァイエス研究』、訳書:カヴァイエル『論理学と学知の理論について』)
★江川隆男さん(訳書:ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論)』
★宮﨑裕助さん(共訳:ド・マン『盲目と洞察』)
河出書房新社さんよりまもなく発売となるドゥルーズ論集に寄稿されています。


ドゥルーズの21世紀
檜垣立哉/小泉義之/合田正人編
河出書房新社 2019年1月 本体5,800円 46変形判上製512頁 ISBN978-4-309-24896-7
帯文:21世紀は「ドゥルーズの世紀」(フーコー)なのか。最前線のドゥルーズ論者が世代をこえて集結、その哲学を究め、拡張し、対決する――未来の哲学を開く記念碑的集成。


あとがき(檜垣立哉氏)より:ドゥルーズやドゥルーズ=ガタリが最新のフランス現代思想の輸入品として重宝がられた時代や、それを哲学史的文脈に置き直す時代はすでに終わった。本書はむしろ、そうした時代の重層性をかいくぐりながら、現在の日本の論者たちが、ドゥルーズあるいはドゥルーズ=ガタリをどのように自らの論脈にひきつけ破断させるのかをかいまにさせる場であるべきだろう。


目次:
はじめに |近藤和敬
第Ⅰ部 ドゥルーズを究める
 哲学の奇妙な闘い |宇野邦一
 現行犯での伝説化――ドゥルーズの芸術論における映画の身分についての試論 |小倉拓也
 『差異と反復』をさまようヘルマン・コーエンの亡霊 |合田正人
 〈身体-戦争機械〉論について――実践から戦略へ |江川隆男
 シモンドンと超越論的経験論の構築 |アンヌ・ソヴァニャルグ〔上野隆弘/平田公威訳〕
 『差異と反復』におけるトリガーとしての問いの存在論 |小林卓也
第Ⅱ部 ドゥルーズを広げる
 類似的他者――ドゥルーズ的想像力と自閉症の問題 |國分功一郎
 ドゥルーズと制度の理論 |西川耕平
 スキゾ分析の初期設定 |山森裕毅
 ドゥルーズの霊性――恩寵の光としての自然の光 |小泉義之
 『シネマ』の政治――「感覚-運動的な共産主義」の終焉をめぐって |堀千晶
 儀礼・戦争機械・自閉症――ルジャンドルからドゥルーズ+ガタリへ |千葉雅也
第Ⅲ部 ドゥルーズに対する
 パースとドゥルーズ――基層における交錯 |檜垣立哉
 持続は一か多か――ドゥルーズ『ベルクソニスム』の諸解釈をめぐって |岡嶋隆祐
 生き別れの双子としてのシモンドンとドゥルーズ |宇佐美達朗
 ドゥルーズのシモンドン読解について――1966年の書評を手がかりに |堀江郁智
 ドゥルーズとデリダ、内在と超越――近年のフランス思想における二つの方向 |ダニエル・W・スミス〔小川歩人訳〕
 ひとつの生、ひとつの生き延び――ドゥルーズ/デリダ |宮﨑裕助
 思考-生-存在――バディウの批判から見るドゥルーズの後期思想 |近藤和敬
あとがき |檜垣立哉
編者・執筆者・訳者一覧


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さらに近藤和敬さんは以下の共訳書を先月上梓され、解説をお書きになっています。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。また、先月末発売の『現代思想2019年1月号 特集=現代思想の総展望2019――ポスト・ヒューマニティーズ』において、近藤さんは「メイヤスーとバディウ――真理の一義性について」と題した論考を寄稿されています(87~102頁)。



推移的存在論
アラン・バディウ著 近藤和敬/松井久訳
水声社 2018年12月 本体3,000円 四六判上製251頁 ISBN978-4-8010-0384-2
帯文:一なき多の思考。存在論とは数学である。「神は死んだ」――もはや宗教の神に出会うのでもなく、形而上学の原理の下に隠すのでもなく、ロマン主義のメランコリーに賭けるのでもなく、存在を思考することはいかにして可能となるのか。主著『存在と出来事』のエッセンスから出発して、集合論と圏論を携えてプラトンからカントまでを一挙に横断し、数学=存在論を宣言したバディウ哲学の転回点!


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★小澤正人さん(訳書:ブルワー=リットン『来るべき種族』)
先月、下記のウェルズ論を上梓されました。


ユートピアの誘惑――H・G・ウェルズとユートピア思想
小澤正人著
三恵社 2018年12月 本体1,900円 四六判並製170頁 ISBN978-4-86487-994-1


目次:
始めに
第一章 ウェルズの初期作品とユートピア思想
第二章 『モダン・ユートピア』とユートピア思想
第三章 『モダン・ユートピア』と優生思想
第四章 「盲人の国」における視力と知性:ユートピアの二面性
第五章 変えることができる――のか?:『ポリー氏の物語』における選択
第六章 『神々のような人々』とユートピア思想
終わりに
参考文献


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★澤里岳史さん(共訳:ヴィリリオ『民衆防衛とエコロジー闘争』)
★河村一郎さん(共訳:ヴィリリオ『民衆防衛とエコロジー闘争』)
ラクラウ(Ernesto Laclau, 1935-2014)の著書『On Populist Reason』(Verso, 2005)の全訳書を上梓されました。澤里さんが2016年に死去されたため、河村さんが翻訳を引き継がれたものです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。なお、本書に解説を寄せられた山本圭さんはまもなく、シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』の訳書を明石書店から上梓されます。



ポピュリズムの理性
エルネスト・ラクラウ著 澤里岳史/河村一郎訳 山本圭解説
明石書店 2018年12月 本体3,600円 4-6判上製416頁 ISBN978-4-7503-4698-4
帯文より:人民を構築せよ、〈左派ポピュリズム〉の可能性のために。、侮蔑的に論じられがちなポピュリズムを“政治的なもの”の構築の在り方として精緻に理論化した、ポピュリズム論の金字塔的著作。根源的、複数主義的な民主主義のために、政治的主体構築の地平を拓く。「エルネスト・ラクラウという思想家の原点かつ到達点」――山本圭氏(本書解説「『ポピュリズムの理性』に寄せて」より)。


解説より:『ポピュリズムの理性』の日本語訳の刊行は、紛いもなく反時代的なものだ。しかし根源的〔ラディカル〕であるとは、えてして反時代的なものだろう。自由民主主義のお約束の着地点に居直ることなく、政治からの疎外を、排除を、無力化を直視し、民主主義の理想が本源的に含んでいる楽観に、もう一度身を委ねようとするならば――。


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注目新刊:『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[10]中国学・地質学・普遍学』、ほか

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『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[10]中国学・地質学・普遍学』G・W・ライプニッツ著、山下正男/谷本勉/小林道夫/松田毅訳、工作舎、2019年1月、本体8,500円、A5判上製336頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-501-6
『現代物理学における決定論と非決定論――因果問題についての歴史的・体系的研究【改訳新版】』エルンスト・カッシーラー著、山本義隆訳、みすず書房、2019年1月、本体6,000円、A5判上製392頁、ISBN978-4-622-08736-6
『現代思想2019年2月号 特集:「男性学」の現在――〈男〉というジェンダーのゆくえ』青土社、2019年1月、本体1400円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1376-9
『サンデル教授、中国哲学に出会う』マイケル・サンデル/ポール・ダンブロージョ編著、鬼澤忍訳、2019年1月、本体2,700円、判頁、ISBN978-4-15209832-0
『親鸞の言葉』吉本隆明著、中公文庫、2019年1月、本体900円、288頁、ISBN978-4-12-206683-0
『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ著、高橋英夫訳、中公文庫、2019年1月、本体1,200円、536頁、ISBN978-4-12-206685-4
『ファースト・マン』上下巻、ジェイムズ・R・ハンセン著、日暮雅通/水谷淳訳、河出文庫、2019年1月、本体各780円、408/392頁、ISBN978-4-309-46486-2/978-4-309-46487-9



★『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[10]中国学・地質学・普遍学』は、新装版第Ⅰ期の第3回配本。「中国自然神学論」「プロトガイア」「普遍学の基礎と範例」など十篇を収録しています。各論考の題名は書名のリンク先でご確認いただけます。ライプニッツの中国理解はイエズス会宣教師たちとの文通に助けられたものでありながら、宣教師たちのキリスト教中心主義的な分析の不十分さを見ぬいていたようです。山下正男さんは解説でライプニッツの中国論を「東と西の思想の巨人が対等の力量でぶつかった稀に見る歴史的事件」と評しています。「プロトガイア」は訳者の谷本勉さんによれば「一王家の歴史の序章というよりは、「地球の初源の特徴と自然の中に残された古代の歴史の痕跡についての論説」(シャイト版の副題)であり、地球起源論を含む非常に地質学的な書」。普遍学論文六篇については、小林道夫さんによる解説「ライプニッツの夢――百科全書の構想と普遍学」によれば、「最初の四篇は百科全書のプランを提示するものであり、他の2篇は普遍学の起源や価値あるいはその論理的原理を要約して述べている」と。


★「百科全書あるいは普遍学のための予備知識」にはこう書かれています。「「知恵」は幸福の学問である。/「真の教養」は、「知恵」を準備するもの、あるいは、それが可能であるかぎり、幸福のために役立つ諸知識の体系である。/「幸福」は持続する喜びの状態である。「喜び」は何らかの完全性を考えることから生じる心の「情念」である。もしその考えが正しいとすると、喜びが持続するものに高まる。/したがって、完全性を増大させ、保存するために貢献するものなら、何でも、幸福のために役立つのである。/それゆえ、われわれは、「人間」の完全性がいかなるもののうちにあり、また、その諸原因が何であるかを知らなくてはならない。/しかし、われわれの完全性は、ちょうど、ある優れた段階の健康がそうであるように、「病気」や不完全性――身体の働きを妨げたり、損なったりするあらゆるもの――のような諸活動を、われわれが、できるだけ容易に引き受けうることのうちにある。/したがって、自らのうちで最大限に働くわれわれの本質を、および、われわれの成長を促したり、完成させたりもすれば、また、妨げたり、損ないもしうる他の事物の本質を、われわれが普遍的に認識しなければならない点に、人々は同意するだろう。そして、それゆえに、「人間」は一種の「普遍的学問」を努力して得なくてはならないことになる」(212頁)。


★百科全書構想と普遍的記号法の完成を生涯追い求めたというライプニッツの興味深い足跡は、工作舎さんの既刊書、エイトン『ライプニッツの普遍計画』や佐々木能章『ライプニッツ術』などで窺うことができます。ちなみに工作舎さんでは来月、フランセス・イエイツの『薔薇十字の覚醒』を新装復刊するとのことです。



★『現代物理学における決定論と非決定論』は『Determinismus und Indeterminismus in der modernen Physik : Historische und systematische Studien zum Kausalproblem』の翻訳。巻末の「訳者あとがきと解説」によれば、本書はまず1936年にスウェーデンのイエーテボリ大学の紀要に公表され、翌年にスウェーデンで書籍化(イエーテボリ版)。その後1972年に西ドイツの出版社から『アインシュタインの相対性理論』と合本で刊行されています(ダルムシュタット版)。「カッシーラーが生前に眼を通すことができたのは、イエーテボリ版だけ」。訳者の山本さんがかつて1994年に学術書房の「科学史研究叢書」で翻訳刊行したのはダルムシュタット版とのことで、「イエーテボリ版とくらべてダルムシュタット版が明らかに不正確であることが判明した」ため、「全面的にイエーテボリ版に依拠して訳し直」したとのことです。帯文に曰く「1936年に執筆された本書は、量子力学的世界の哲学的基礎付けを試み、科学と哲学を架橋した画期作であり、カッシラーの生涯の哲学的問題意識のすべての要素の結接点に位置する」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。


★『現代思想2019年2月号 特集:「男性学」の現在』は、編集人が栗原一樹さんから「ユリイカ」編集部の樫田祐一郎さんに交代となって初めての号となります。編集後記では特に交代についての言及や説明はなし。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。版元紹介文にはこうあります。「さまざまな社会状況の変化を受け、いま再び「男性学」が注目を集めている。男性が男性として抱える困難を真摯に見つめ直しつつ、しかしフェミニズムに対する不毛なアンチに陥る危険を注意深く避けながら、男性性のあり方を批判的かつポジティヴに思考する途はあるか。本特集ではセクシュアリティやコミュニケーション、教育、労働、福祉といった多様な観点から「男」なるものの来し方と行く末を思考する」と。まさに「現代/現在」と向き合う、意欲的な特集号だと思います。3月号の特集は「引退・卒業・定年」とのことで、八年間にわたる栗原体制との違いの萌芽がかいまみえるような印象です。栗原さん時代の「現代思想」誌を振り返るブックフェアやイベントがあっても良いような気がするのですが、どこかでおやりになるのでしょうか。



★『サンデル教授、中国哲学に出会う』は『Encountering China: Michael Sandel and Chinese Philosophy』(Harvard University Press, 2018)の訳書。巻末にある編者二名による原著謝辞には、2016年3月に開催された国際会議「マイケル・サンデルと中国哲学」が本書の端緒となった、と記されています。帯文はこうです。「気鋭の研究者9名の論考にサンデルが応答する、正義論の新展開。ハーバード大学の超人気教授は、孔子、孟子、荘子ら古の哲人といかに対話するか?」。日本人にとっても必読文献となりそうです。版元サイトに掲出されていないようなので、目次を以下に転記しておきます。



はしがき 中国、マイケル・サンデルと出会う |エヴァン・オスノス(Evan Osnos)
Ⅰ 正義、調和、共同体
 第一章 調和なき共同体?――マイケル・サンデルへの儒教的批評 |李晨阳([Li Chenyang)
 第二章 個人、家族、共同体、さらにその先へ――『これからの「正義」の話をしよう』におけるいくつかのテーマに関する儒教的考察 |白彤東(Bai Tongdong)
 第三章 美徳としての正義、美徳に基づく正義、美徳の正義――マイケル・サンデルの正義の概念に対する儒教的修正 |黄勇(Huang Yong)
Ⅱ 市民の徳と道徳教育
 第四章 市民道徳に関するサンデルの考え方 |朱慧玲(Zhu Huiling)
 第五章 儒教から見たサンデルの『民主政の不満』 |陳来(Chen Lai)
Ⅲ 多元主義と完全性――サンデルと道家思想の伝統
 第六章 ジェンダー、道徳的不一致、自由――中国というコンテクストにおけるサンデルの共通善の政治 |ロビン・R・ワン(Robin R. Wang)
 第七章 満足、真のそぶり、完全さ――サンデルの『完全な人間を目指さなくてもよい理由』と道家思想 |ポール・ダンブロージョ(Paul J. D'Ambrosio)
Ⅳ 人間の概念――サンデルと儒教的伝統
 第八章 儒教倫理における「人間」を理論化する |ロジャー・T・エイムズ(Roger T. Ames)
 第九章 道徳的主体なき道徳性についてどう考えるべきか |ヘンリー・ローズモント・ジュニア(Henry Rosemont Jr.)
 第一〇章 儒教の役割倫理に対するあるサンデル派の応答 |ポール・ダンブロージョ
Ⅴ マイケル・サンデルによる応答
 第一一章 中国哲学から学ぶ |マイケル・サンデル(Michael J. Sandel)
謝辞
参考文献

執筆者一覧


★『親鸞の言葉』は文庫版オリジナル編集。「親鸞における言葉」(『[思想読本]親鸞』所収、法蔵館、1982年)と、「歎異抄」「書簡」「教行信証」より吉本さんが編訳した「親鸞の言葉」(原題「現代語訳親鸞著作集(抄)」、前掲書所収)、そして鮎川信夫、佐藤正英、中沢新一の各氏と対談した「親鸞をめぐる三つの対話」の三部構成です。巻末エッセイとして、先ごろ亡くなった梅原猛さんによる「吉本隆明の思い出」(「東京新聞」2012年3月26日付夕刊掲載)が付されています。三本の対話はそれぞれ次の通り。鮎川さんとの対談は「『歎異抄』の現在性」(『現代思想』1979年6月号所収)、佐藤さんとの対談は「親鸞の〈信〉と〈不信〉」(『現代思想』1985年6月号所収)、中沢さんとの対話は「『最後の親鸞』からはじまりの宗教へ」(『中央公論』2008年1月号所収)。


★「歎異抄」からの現代語訳をひとつ引用します。「善人でさえもなお往生を遂げることができます。まして悪人ならばなおさらのことです。それなのに、世間のひとはいつも云っています。悪人でさえなお往生できる、まして善人ならばなおさらのことだというように。この言い方は、ちょっとかんがえると理路がとおっているようにみえますけれども、他力による本願の主旨にそむいています。そのわけは、自力で全を作(な)そうとする人は、どうしても他力を頼みにする心が欠けているので、阿弥陀如来の本願の対象にはなりません。けれども、自力が頼むこころをおもいかえして、如来の他力におすがりすれば、真実の浄土に往生を遂げることができます」(48頁)。続きはぜひ現物をご確認下さい。


★また「教行信証」の現代語訳より。「「横に跳び超える」とは、すなわち本願が成就されるただひとつある真実の円満な真の教えであって、つまり真宗がこれである。〔…〕阿弥陀仏のおおきな本願によって得られる清浄な真実の浄土に生まれるには、人の身分や位階の差はかかわりない。わずか一念するちょっとの間に、速やかにはやく無上の正真のさとりの道を得る。それだから、「横超(おうちょう)」というのである」(101頁)。


★『ホモ・ルーデンス』は、1973年の中公文庫版の改版。中公文庫プレミアム「知の回廊」の最新刊です。巻末の編集付記によれば「同文庫33刷(2015年11月刊)を底本とし、旧版の巻末にあった原注、訳者注は各章末に移した」とのこと。また、新たな収録作として堀米庸三(ほりごめ・ようぞう:1913-1975:西洋中世史)さんとマリウス・B・ジャンセン(1923-2000:日本史)さんとの対談「ホモ・ルーデンスの哲学」(初出:「中央公論」昭和42年9月号)が収められています。底本は1956年のドイツ語版で、1955年英語版、1949年イタリア語版、1958年のオランダ語全集版、1951年フランス語版にも「随時目を通して、より正確を期した」とあります。中公文庫プレミアム「知の回廊」では昨年11月に『中世の秋』上下巻が再刊されています。また、『ホモ・ルーデンス』は、昨年3月に講談社学術文庫より里見元一郎さんによる河出書房新社版「ホイジンガ選集」第一巻(1971年;新装版1989年)が文庫化されています。


★『ファースト・マン』は『First Man: The Life of Neil A. Armstrong』(初版、Simon & Schuster, 2005;改訂版、2006年;増補改訂版、2018年)の訳書。2007年にソフトバンク・クリエイティブから刊行された単行本は改訂版が底本で、今回の文庫は増補改訂版(新版)が底本とのことです。訳者あとがきによれば、この最新版では「全体的に内容が整理され、また旧版出版以降の出来事、とくにアームストロング最晩年のエピソードが大幅に加筆されている。これを新たに訳しなおすとともに、固有名詞や技術用語などの訳語を一部手直ししたのが〔…〕この文庫版である」とのことです。医師でエッセイストの向井万起男さんが文庫版解説を書いておられます。本書を原作とした同名映画が、かの『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督、ライアン・ゴズリング主演で来月2月8日から全国ロードショーとのことです。



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注目新刊:フィッシャー『わが人生の幽霊たち』、ブライドル『ニュー・ダーク・エイジ』、ほか

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『わが人生の幽霊たち──うつ病、憑在論、失われた未来』マーク・フィッシャー著、五井健太郎訳、ele-king books:Pヴァイン、2019年1月、本体2,900円、四六判並製384頁、ISBN978-4-909483-18-8
『ニュー・ダーク・エイジ――テクノロジーと未来についての10の考察』ジェームズ・ブライドル著、久保田晃弘監訳、栗原百代訳、2018年12月、本体2,600円、四六判並製333+x頁、ISBN978-4-7571-4355-5



★『わが人生の幽霊たち』は『Ghosts of My Life: Writings on Depression, Hauntology and Lost Futures』(Zero Books, 2014)の訳書で、英国の文化批評家マーク・フィッシャー(Mark Fisher, 1968-2017)の『資本主義リアリズム』(セバスチャン・ブロイ/河南瑠莉訳、堀之内出版、2018年2月;Capitalist Realism: Is There No Alternative?, Zero Books, 2009)に続く2点目の単独著です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。原著版元のZero Booksは、フィッシャーが小説家のタリク・ゴダードと2009年に共同設立したレーベル。フィッシャーのほか、グレアム・ハーマンやユージン・サッカーなどの著書も刊行しています。



★音楽ライターの髙橋勇人(たかはし・はやと:1990-)さんによる巻末解説「開かれた「外部」へ向かう幽霊たち──マーク・フィッシャーの思想とそれが目指したもの」によれば、本書は「2005年から刊行年の2014年という9年の長いスパンで執筆された、『k-punk』〔フィッシャーのブログ〕の投稿、エッセイや音楽作品のライナーノーツ、インタヴュー記事といった質の異なる文章を副題の三つのキーワード〔うつ病、憑在論、失われた未来〕をもとに編纂したものだ。政治・経済システムを通して、新自由主義化した資本主義以外の選択肢などないと人々に思いこませ、社会の閉塞的硬直状態を作り出す資本主義リアリズムという概念を描いた『資本主義リアリズム』がフィッシャーの政治・社会思想を写したものであるならば、『わが人生の幽霊たち』はその文化論編として読むことができるだろう」(374頁)。


★フィッシャーは巻頭のエッセイ「「緩やかな未来の消去」」でこう書いています。「ここ最近の数年間のなかで、日常生活は加速しているが、文化は減速しているのである。/こうした時間的な病理の原因がどのようなものであるにせよ、その病理を逃れえているような西洋の文化領域はあきらかに、どこにも存在していない。かつて未来を描いて見せた者たちの砦だったエレクトロニック・ミュージックも、もはやいまでは、形式的なノスタルジーを逃れえてはいない。音楽文化は、さまざまなかたちでポスト・フォーディズム的な資本主義下における文化の運命の範例となるものである。形式のレヴェルにおいては、音楽はパスティシュや反復に閉じこめられている。だがその下部構造は、大規模かつ予期できない変化の対象でありつづけている。消費の古いパラディグムである小売と取次は崩壊していき、ダウンロード化とともに、物理的な対象は影を潜め、レコード・ショップは閉店し、ジャケットのアートは消えていく。/憑在論という概念は、こうしたことのすべてと、いったいどのような関係をもつといえるのだろうか」(36~37頁)。ここからフィッシャーはデリダの憑在論(『マルクスの亡霊たち』藤原書店、2007年)を援用して議論を進めていきます。


★「取り憑くこととはつまり、失敗した喪なのだと考えることができる。それは霊を手放さないことであり――けっきょくは同じことだが――幽霊がわれわれに見切りをつけるのを拒むことである。亡霊は、われわれが、資本主義リアリズムに統治された世界のなかで見つかる平凡な満足のなかで生きていくのを許さないだろうし、そうした平凡な満足で妥協するのを許さないだろう」(45頁)。「この本は、私の人生の幽霊たちについてのものであり、したがって必然として以下に、個人的な次元を含んでいる。〔…〕誰にとってであれ、じぶんじしんであること(さらにいえば、じぶんじしんを売りこむことを強いられること)ほど惨めなことはない。文化や、文化にたいする分析が価値をもつのは、それがじぶんじしんからの逃走を可能にするかぎりでのことなのだ。/以上のような見通しは、それほど簡単に手に入ったものではない。鬱は私の人生を犬のようにつけまわしてきたもっとも悪意ある亡霊である――この場合鬱とは、憑在論的メランコリーの叙情的で(そして集団的な)荒廃とは区別される、健康状態におけるより荒涼とした独我論のことである」(53~54頁)。


★続きはこうです。「2003年にブログをはじめたとき、私はいまだそうした鬱状態のなかにあり、当時の私にとって日常の生活はほとんどたえがたいものだった。そのときに書かれたもののいくつかは部分的に、そうした状態になんとか折りあいをつけようとしたものであり、(いまのところ成功している)私の鬱からの逃走が、否定性にたいしてなんらかのかたちで具体的なかたちを与えることと同期していることは偶然ではない。問題は(たんに)私にあったのではなく、私をとりまく文化にあったのだ。私にとってはっきりしているのは、おおまかにいって2003年から現在にいたるまでの時期はいまや、1950年代以来の(ポピュラー)文化のなかで、最悪の時代だと見なされることになるだろうということだ。それもはるか先の未来にではなく、もうすぐにそう見なされることになるだろう。だが文化が荒廃していたということは、異なる可能性の痕跡が存在していなかったということではない。『わが人生の幽霊たち』は、そうした痕跡のいくつかと格闘するひとつの試みである」(54頁)。


★ちなみにPヴァインの「ele-king books」では昨秋、トルコ生まれで米国で教鞭を執るテクノ・ソシオロジスト、ゼイナップ・トゥフェックチー(Zeynep Tufekci, 1970年代生)の著書『ツイッターと催涙ガス――ネット時代の政治運動における強さと脆さ』(毛利嘉孝監修、中林敦子訳、ele-king books:Pヴァイン、2018年10月)を刊行しており、人文系の読者にとっても見逃せないコンテンツを発信しています。Pヴァインの書籍の発売元は日販IPS。主に輸出卸売事業で有名でしたが、出版流通代行事業もやっています。さらには編プロからの出版企画を随時募集しており、自社発行商品を拡大しているとのことです。非常に興味深いです。


★『ニュー・ダーク・エイジ』は『New Dark Age: Technology and the End of the Future』(Verso, 2018)の訳書。著者のジェームズ・ブライドル (James Bridle, 1980-)は英国のアーティストで「新しい美学」の中心的論者。本書は初の単独著です。Chasm:裂け目、Computation:計算、Climate:気候、Calculation:予測、Complexity:複雑性、Cognition:認知、Complicity:共謀、Conspiracy:陰謀、Concurrency;並列、Cloud:雲、といった10のキーワードが章題となっています。



★ニュー・ダーク・エイジ、新たなる暗黒時代とは何か。ブライドルはこう述べています。「今日、ふと気づくと私たちは、巨大な知の倉庫とつながってはいるが、考えることを学べてはいない。それどころか、その反対になっているというのが正しい。世界の蒙を啓こうと意図したことが、実際には世界を暗黒へと導いている。インターネットで入手できる、あり余るほどの情報と多数の世界観は、首尾一貫したリアリティを生み出せず、原理主義者の簡素な語りの主張と、陰謀論と、ポスト事実の政治とに引き裂かれている。この矛盾こそが、新たなる暗黒時代という着想の根源だ。すなわち、知に与えられてきた価値が、あり余るほどの利益を生む商品によって破壊され、世界を理解する新しい方法を探すために自分自身の周りを見回す、そんな時代である」(14~15頁)。


★「私が暗黒と書くのは文字どおりの意味ではなく、暗黒時代として一般的に考えられている知の不在や閉塞を表しているのでもない。ニヒリズムや絶望の表現でもない。むしろそれは現在の危機の性質と好機を表わしている。私たちの目の前にあるものがはっきりと見えないこと、主体性と正当さをもって、世界で意味深く行動できないこと――そして、別の光による新しい理解の方法を探し求めることのために、この暗黒を認めること」(15~16頁)。


★「本書で提示する主張は、テクノロジーの影響が気候変動のように世界中に広がっており、私たちの生活のあらゆる分野に、すでに変化をもたらしていることである。こうした影響は大惨事になりうるし、私たち自身が開発してきた激動のネットワークで結ばれた産物を、私たちが理解できていないことに起因する。そうしたテクノロジーは、私たちが愚かにも、ものごとの自然の秩序だと思うようになったものを覆し、私たちの世界観のラディカルな再考を要求している。だがもう一つの主張は、すべてが失われたわけではないということだ。実際に新しいやり方で世界を考えられるのなら、世界を再考し、理解し、そのなかで異なった生き方ができる」(20頁)。


★「新たなる暗黒時代について書くのは、ネットワークにつながれた希望をにじませられるにしても、楽しいことではない。それはむしろ、言わずにおきたいことを言い、考えないでいたいことを考えることを要求する。そうすると胸にぽっかり穴が開いたような気持ちになり、ある種の絶望感に襲われることが多い。それでもそうしなければ、世界をそういうものとして理解できず、ファンタジーと抽象概念のなかに生きていくしかないだろう。〔…〕現状の緊急性を深い脆弱さについて〔…〕考えることをやめてはならない。私たちは、いまや互いに失敗することができないのだ」(21頁)。


★ブライドルとフィッシャーは年齢が一回り違いますが、それぞれの立場で現代世界の残酷さや暗さと真摯に向き合おうとしています。この、暗黒への直面と対峙は現代の知性の条件であり、まさにこの薄暮のなかでミネルヴァのふくろうは飛び立とうとしているかに見えます。


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★まもなく発売となるちくま学芸文庫の2月新刊は以下の6点です。


『マネの絵画』ミシェル・フーコー著、阿部崇訳、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,400円、文庫判並製368頁、ISBN978-4-480-09907-5
『デカルト入門講義』冨田恭彦著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,200円、文庫判並製336頁、ISBN978-4-480-09906-8
『倫理学入門』宇都宮芳明著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,200円、文庫判並製304頁、ISBN978-4-480-09904-4
『資治通鑑』司馬光著、田中謙二編訳、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,600円、文庫判並製624頁、ISBN978-4-480-09905-1
『ほとけの姿』西村公朝著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,100円、文庫判並製240頁、ISBN978-4-480-09909-9
『古文読解のための文法』佐伯梅友著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,500円、文庫判並製528頁、ISBN978-4-480-09901-3


★『マネの絵画』は筑摩書房より2006年に刊行された単行本の文庫化。新たに「文庫版訳者あとがき」が付されています。「再版に際して、以前の拙訳を見直し、問題のある箇所や読みにくい箇所などを改め〔…〕本文中で引用されている文献の邦訳の引用については〔…〕新しい訳が刊行されているフーコーの著作についてのみ、新しい邦訳に差し替え」たとのことです。


★『デカルト入門講義』はちくま学芸文庫のための書き下ろし。「デカルトが、科学者・数学者としての仕事と並行して試みたのが、諸学の基礎を与える新たな「第一哲学」(別名「形而上学」)の確立でした。〔…〕デカルトの第一哲学を最も詳しく述べた彼の著書が、1641年に出版された『第一哲学についての省察』です。本書は、これを基本テクストとし、彼の第一哲学のロジックをできるだけわかりやすくお話ししようとするものです」(「はじめに」より)。目次は以下の通り。


はじめに
第1章 デカルトの生涯――1596年~1650年
第2章 『省察』を読む(Ⅰ)――第一省察~第三省察
第3章 『省察』を読む(Ⅱ)――第四省察~第六省察
第4章 形而上学を支える自然学――物体の本性と観念の論理
第5章 デカルトの「循環」?――「自然の光」だけを頼りとして
第6章 主観主義の伝統と分析哲学の起点――デカルト哲学の射程
あとがき


★『倫理学入門』は放送大学教育振興会より1997年に刊行されたテキストの文庫化。著者は2007年に逝去。三重野清顕さんによる解説「人「間」の倫理学へむけて」が新たに加えられています。「「入門」と銘打たれているものの〔…〕本書の内容は、著者が追求しつづけた「相互主体性の哲学」の円熟期における体系的展開であり、その哲学的内実はきわめて高度なものだと言える。その一方で本書は、「入門」の名にふさわしく、倫理学史上のさまざまな学説を整理、配置したうえで、それらの要点を明瞭に叙述している」(283頁)と三重野さんは評価しておられます。


★『資治通鑑』は朝日新聞社より1974年に刊行された単行本の文庫化。カヴァー裏紹介文によれば、294巻のなかから後漢の「党錮の禁」、南北朝時代の「侯景の乱」、唐の「安史(安禄山)の乱」を綴った巻を収録。編訳者は2002年に亡くなっておられ、文庫化にあたって新たに付け加えられた文章はないようです。


★『ほとけの姿』は毎日新聞社より1990年に刊行された単行本の文庫化。巻末特記によれば「著者が遺した朱入本を元に、加筆・修正を施した」とあります。本書はいわば改訂版であり、著者が2000年に遺した「はじめに」と「あとがき」が加わり、著者のご息女の大成栄子さんが「『ほとけの姿』改訂版によせて」という一文をお書きになっています。なお、今年6月~7月に、吹田市立博物館にて企画展「西村公朝流 仏像のつくりかた(仮)」が開催予定だそうです。


★『古文読解のための文法』は三省堂より1995年に刊行された単行本の文庫化。巻末の特記によれば「明らかな誤りは適宜訂正した」とのこと。著者は94年没。新たに付された解説「古典文を「文法的に読む」ために」は小田勝さんによるもの。本書を「佐伯文法の最終形として、「かぞえ年90歳の記念のように世に出」(後記)されたものである。佐伯文法の到達点を示す充実した内容を、著者一流の気負いのない平易な語り口で読みもの風に仕上げており、まさに奇跡のような古典文法書となっている」(490頁)と評しておられます。


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★最後に、最近出会った1月~2月の新刊について、版元さんごとに列記します。


『歴史という教養』片山杜秀著、河出新書、2019年1月、本体800円、新書判並製232頁、ISBN978-4-309-63103-5
『他力の哲学――赦し・ほどこし・往生』守中高明著、河出書房新社、2019年2月、本体2,600円、46変形判上製256頁、ISBN978-4-309-24900-1


★河出書房新社さんの、1月の新書新刊とまもなく発売となる2月単行本新刊です。『歴史という教養』は河出新書の第3弾。「歴史を真の教養にするための試行錯誤の道」(まえがきより)をめぐる書き下ろしです。主要目次を列記しておきますが詳細目次はさらに興味深いので、ぜひ店頭で現物をご確認ください。


まえがき
序章 「歴史」が足りない人は野蛮である
第一章 「温故知新主義」のすすめ
第二章 「歴史好き」にご用心
第三章 歴史が、ない
第四章 ニヒリズムがやってくる
第五章 歴史と付き合うための六つのヒント
第六章 これだけは知っておきたい五つの「史観」パターン
終章 教養としての「温故知新」
あとがき


★『他力の哲学』は今週発売予定。帯文に曰く「法然、親鸞、一遍における熾烈な信仰の生成を、生/死を超える万人救済の教えとして徹底的に問い直し、〈他力〉の思考と実践をその現代性を鳴り響かせつつ甦えらせる――詩人思想家がその生のすべてを賭けた「廻心」の書」。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。「本書は、私の「廻心(えしん)」の記録である。〔…〕宗教的「信」のまったき転回を指す、あの廻心である。/私は浄土宗の寺に生まれ育った。〔…そして24歳の折に〕正式に僧侶の身となった。しかし、私のアイデンティティはなかば宗教者でありなかば人文学研究者であるという、半端なものであった。実際、私の日常は、一方で毎朝本堂で勤行をし、土曜日・日曜日には檀信徒各位の求めに応じて法要を営み、他方で日々デリダやドゥルーズの著作を読み、機会があればみずから翻訳し、そしてその思考をめぐって著書や論考を書くという、二極に引き裂かれたものだった。/その引き裂かれた心に転回が起きた。〔…〕数年前のある日〔以下略〕」(「あとがき」より、240~241頁)。あとはぜひ本書現物をご確認ください。


『デリダ 歴史の思考』亀井大輔著、法政大学出版局、2019年1月、本体3,600円、A5判上製276頁、ISBN978-4-588-15101-9
『支配と抵抗の映像文化――西洋中心主義と他者を考える』エラ・ショハット/ロバート・スタム著、早尾貴紀監訳、内田(蓼沼)理絵子/片岡恵美訳、法政大学出版局、2019年1月、本体5,900円、A5判上製544頁、ISBN978-4-588-60357-0



★法政大学出版局さんの1月新刊より2点。2点とも目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。『デリダ 歴史の思考』は2005年から2018年にかけて各媒体で発表されてきた論文を改稿し再編し、書き下ろしを加えて一冊としたもの。「本書で私なりに明らかにしようとしたのもやはり、まぎれもなく「歴史と言語の思想家」としてのデリダだった」(249頁)と「あとがき」にあります。


★『支配と抵抗の映像文化』は『Unthinking Eurocentrism: Multiculturalism and the Media』(Routledge, 1994)の全訳。「ヨーロッパ中心主義は、非西洋を庇護したり悪魔化までしながら、西洋の歴史の都合の悪い面を削除したのである。自分たち西洋には、科学、進歩、人間性といった崇高な偉業を表す言葉を用い、非西洋のことは、事実だろうが想像だろうが、欠陥を示す言葉で表現するのだ。/本書はヨーロッパ中心主義に反対する研究書として、その規範の普遍化を批判する」(序章、3頁)。著者のショハット(Ella Shohat, 1959-)はイラク出身のアラブ系ユダヤ人で、米国で教鞭を執っています。スタム(Robert Stam, 1941-)はニューヨーク大学におけるショハットの同僚で、映画学教授。単独著の既訳に『転倒させる快楽――バフチン,文化批評,映画』(浅野敏夫訳、法政大学出版局、2002年)があります。


『きらめくリボン』長田真作著、共和国、2019年1月、本体1,600円、B5変型判上製32頁、ISBN978-4-907986-50-6
『いてつくボタン』長田真作著、共和国、2019年1月、本体1,600円、B5変型判上製32頁、ISBN978-4-907986-51-3



★共和国さんの1月新刊2点は長田真作さんによるモノクロ絵本です。昨年上梓された『すてきなロウソク』に続く2点で、「アカルイセカイ」3部作完結となります。モノクロと言っても全頁にUV加工が施されており、透明の様々なかたちの模様が光を優しく反射してとても美しいです。3部作の物語世界は明るい世界にも暗さがあるというよりは、暗い世界にも明るさが灯っているという印象です。


『死とは何か――1300年から現代まで(上)』ミシェル・ヴォヴェル著、立川孝一/瓜生洋一訳、藤原書店、2019年1月、本体6,800円、A5判上製592頁、ISBN978-4-86578-207-3
『地域の医療はどう変わるか――日仏比較の視点から』フィリップ・モッセ著、原山哲/山下りえ子訳、藤原書店、2019年1月、本体2,800円、四六上製176頁、ISBN978-4-86578-208-0
『「雪風」に乗った少年――十五歳で出征した「海軍特別年少兵」』西崎信夫著、小川万海子編、藤原書店、2019年1月、本体2,700円、四六上製328頁、ISBN978-4-86578-209-7
『あそぶ 12歳の生命誌――中村桂子コレクション・いのち愛づる生命誌(Ⅴ)』中村桂子著、養老孟司解説、藤原書店、2019年1月、本体2.200円、四六変上製296頁、ISBN978-4-86578-197-7



★藤原書店さんの1月新刊から4点。特に注目したいのは、フランスの歴史家ミシェル・ヴォヴェル(Michel Vovelle, 1933-2018)の主著『死と西欧――1300年から現代まで』(La Mort et l'Occident de 1300 à nos jours, Paris, Gallimard, 1983)の訳書が『死とは何か』として上下巻で刊行開始となったことです(下巻は今月発売予定)。全七部のうち上巻では第四部「バロック時代の盛大な葬儀(一五八〇~一七三〇年)」までを収録。巻頭には2014年に執筆された「日本の読者へ」が置かれています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。藤原書店さんでは今月、本書の下巻のほかに、アンドレ=ジョルジュ・オードリクール(André-Georges Haudricourt, 1911-1996;オドリクールとも)の『作ること 使うこと――生活技術の歴史・民族学的研究』をご出版になるそうで、とても楽しみです。



『経済学者の勉強術――いかに読み、いかに書くか』根井雅弘著、人文書院、2019年1月、本体1,800円、4-6判並製240頁、ISBN978-4-409-24123-3
『乳母の文化史―― 一九世紀イギリス社会に関する一考察』中田元子著、人文書院、2019年1月、本体2,800円、4-6判上製280頁、ISBN978-4-409-14067-3
『シベリア抑留者への鎮魂歌』富田武著、人文書院、2019年2月、本体3,000円、4-6判上製212頁、ISBN978-4-409-52075-8
『つながりからみた自殺予防』太刀川弘和著、人文書院、2019年2月、本体2,800円、4-6判並製260頁、ISBN978-4-409-34053-0



★人文書院さんの1~2月新刊から4点。『経済学者の勉強術』『乳母の文化史』は発売済で、『シベリア抑留者への鎮魂歌』『つながりからみた自殺予防』は2月20日頃発売とのことです。特に注目したいのは近刊の『シベリア抑留者への鎮魂歌』。2015年から2018年までに各媒体で発表された論考に2篇(序章「シベリア出兵とシベリア抑留」、第四章「四國五郎――抑留体験とヒロシマ」)の書き下ろしを加えたもので、「拙著『シベリア抑留者たちの戦後』(人文書院、2013年)、『シベリア抑留』(中公新書、2016年)のような体系性はない」が、「個別次章の分析という点で概説的な本には収まりきらない内容の論文を収録」してあるとのことです。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。


『ドイツ国防軍砂漠・ステップ戦必携教本――ドイツ国防軍陸軍総司令部』大木毅編訳解説、作品社、2019年1月、本体4,600円、A5判上製336頁、ISBN978-4-86182-733-4



★最後に作品社さんの1月新刊より1点。『ドイツ国防軍砂漠・ステップ戦必携教本』は帯文によれば、1942年に発行された、砂漠とステップにおける戦闘に関するマニュアルで、こんにちの中東で作戦遂行する各国の軍隊でも参照されている第一級の史料とのことです。「本教本の内容は、砂漠・ステップの地勢にはじまり、部隊の編制や武装、訓練、位置標定、捜索や見張、行軍や宿営の要領、衛生、家畜の扱いなど、多岐にわたる」と編訳者は巻末解説で説明されています。特に注目すべきは「さまざまな障害への対処方法が確認されていることだろう」と。

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注目新刊:メルロ=ポンティ『講義草稿』、ランシエール『哲学者とその貧者たち』

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弊社出版物でお世話になっている訳者の方の最近のご活躍をご紹介します。


★松葉祥一さん(共訳:ロゴザンスキー『我と肉』)
2点の共訳書を立て続けに上梓されました。メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)の『Notes de cours 1959-61』(Gallimard, 1996)の訳書と、ランシエール(Jacques Rancière, 1940-)の『Le Philosophe et ses pauvres』, (Fayard, 1983 ; réédition, livre de poche, Flammarion, 2007)の訳書です。それぞれの目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。


コレージュ・ド・フランス講義草稿 1959-1961
モーリス・メルロ=ポンティ著 ステファニー・メナセ編 松葉祥一/廣瀬浩司/加國尚志訳
みすず書房 2019年1月 本体7,800円 A5判上製544頁 ISBN978-4-622-08763-2
帯文より:「今日の哲学」「デカルト的存在論と今日の存在論」「ヘーゲル以後の哲学と非‐哲学」の3編を軸に、非‐哲学のなかでの哲学の再発見、肉の存在論など、哲学者の晩年の構想を思索を十全に伝える待望作。


松葉さんのご担当は、クロード・ルフォールによる「序文」、メルロ=ポンティの「ヘーゲル以後の哲学と非‐哲学」と「1960-1961年講義への補遺」、訳者あとがき、です。「講義草稿というテクストの性格から文意を読み取りにくい部分があることは確かだが、一般に開かれた講義ということもあって、わかりやすい説明を行っている部分も多い。また、これまで研究ノートや講義要録などでしか知ることのできなかったメルロ=ポンティの最晩年の思想を知ることができるだけでなく、彼の思想全体を知るための手がかりとしても本書は役立つだろう。『知覚の現象学』における知覚理論がどのように「表現」論につながり、絵画や文学に重要な役割が与えられるようになるのか、また『弁証法の冒険』などにおける弁証法理解がどのような深まりをみせるようになったのか、そしてこれらの議論がどのように『見えるものと見えないもの』における存在論や〈自然〉についての思索につながることになるのか。これらを知るために、本書は多くの手がかりを与えてくれるだろう」(507頁)と松葉さんは「訳者あとがき」で解説されています。


ルフォールの「序文」にはこんな言葉があります。「現在とは、考えられることなく進行する重大な二者択一が突然生じるような、歴史から切り離された瞬間などではない。現在には厚みがあり、暗い。私たちが現在を名ざすことができるのは、それがまさに非‐哲学の旗印の下で指し示されるからである。しかしながら、非‐哲学をたんに哲学の破棄だと理解すべきではない。それは、哲学とは異質なさまざまなかたちの活動と認識を同時に含んでおり、制度化された哲学の領野の外で新たな思考の制度を保証し、哲学の必要を失わせるどころか、ふたたび活性化してくれるものなのである。こうして、現代の文学、絵画、音楽は、与えられている問題を私たちが測定することを助けてくれる」(5頁)。「哲学か非‐哲学か。講義全体を通してメルロ=ポンティは私たちに、両者を切り離すことも混同することもできないと説く」(26頁)。


メルロ=ポンティは「1960年10月の執筆の下書き」でこう書いています。「哲学が欲すること、それはこの見えるもの、名づけうるもの、思考しうるものの火山帯に身を置くことであり、そこでは現在において見ること、語ること、思考することが、これまで存在してきたし、いつか存在しうるであろうすべての視覚や言葉や思考と交わる」(456頁)。「世界を再び‐語ること、思考を再び‐思考すること、それはそれらを解体すること、布地のように縫い直すことではなく、それらに直接態として密着することでもなく、それらを造り上げ、それらに形と凝集性を与えてくれるような、からっぽの鋳型を再発見することであり、手袋を反転させて裏側を見せることであり、身体において見る者と見えるものの癒着と回路を暴くこと、言葉において話し手と聞き手の癒着を、思考することにおいて、思考行為とその痕跡、その航跡、その登記を暴くこと、したがってこうしたすべての思考の背後に、その真理であるような反‐思考を見きわめることなのである」(457頁)。

哲学者とその貧者たち
ジャック・ランシエール著、松葉祥一/上尾真道/澤田哲生/箱田徹訳
航思社 2019年1月 本体4,000円 四六判上製416頁 ISBN978-4-906738-36-6
帯文より:政治/哲学ができるのは誰か。プラトンの哲人王、マルクスの革命論、ブルデューの社会学(そしてサルトルの哲学)……。かれらの社会科学をつらぬく支配原理を白日のもとにさらし、労働者=民衆を解放する、世界の出発点としての「知性と感性の平等」へ。


松葉さんは訳文全体の見直しと訳者あとがきの執筆を担当されています。「35年前に書かれた本書は、けっして古びていない。むしろ本書が提起している問題は、とりわけ現在の日本にとってますます重要性を増している。深刻化する貧困化と階層化のなかで、本書はわれわれが何を起点にしてこの状況を考えるべきかについて指針を示してくれる。とくに日本社会は現在、否応なく移民社会へ移行しようとしている。〔…〕必要なのは、本書が提起する「知性と感性の平等」という起点から社会を、政治を作り直すことである」(412~413頁)と松葉さんは「訳者あとがき」でお書きになっておられます。


ランシエールは「序文」でこう述べています。「言説史のしかじかの瞬間に、ある状況下でしかじかの立場にあるとき、人は何を考えうるのかと問うこと――の背後に、私が見分けるべきもっと根源的な問いがあることに気づいたのだ。考えることはいかに許されうるのか、考えることを仕事にしない人々は考える主体として自らをどのように構成するのかという問いだ」(13~14頁)。「哲学の古い狡知と非哲学の近代的な狡知とのあいだに、まっすぐな線が引けそうに感じられた。哲学者を織工に変えることで、靴職人を首尾よく非哲学の地獄に送るプラトンの論理から出発して、民衆の徳に対する畏敬の念へと、また学者や指導者の近代的な言説をあいまいに擁護するイデオロギー的なうぬぼれに対する非難へと至る線である。マルクスはプラトンの描くイデアの王国を破壊した。しかしその一方でプロレタリアートに真理を与えつつ、学者の専売特許とされる学問からは首尾よく排除することで、当人が転倒したと主張するものを生きながらえさせているだろうことだけは、少なくとも示しておきたかった」(14~15頁)。


「私は、学生だったときに幅を利かせていた黄金律、著者が立てた問い以外の問いを絶対に著者に投げかけてはならないという決まりには、どうしても心から賛同できなかった。そうした慎み深さは、何らかの思い上がりをはらんでいるのではないかといつも気になっていた。そして私は経験から次のことを学んだように思える。思考の力とは、むしろそれが移動させられる可能性に由来しており、それは楽曲の力が別の楽器でも演奏される可能性におそらく由来するのと似ているということである。反対意見と、各人に自分の仕事をせよと命じる警察とを結ぶつながりについては、くどくど述べるに及ばない」(16頁)。「私は個人的につねに倫理原則に従おうと努めてきた。自分が話す相手については、それが床張り職人であれ大学教授であれ、愚か者と見なさないという決まりである」(17頁)。


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3月初旬発売予定:筧菜奈子『ジャクソン・ポロック研究』

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2018年3月06日取次搬入予定【芸術/現代アート】


ジャクソン・ポロック研究――その作品における形象と装飾性
筧菜奈子著
月曜社 2019年3月 本体:4,000円 A5判上製184頁 ISBN: 978-4-86503-072-3 C1071


ポロックの作品に一貫して描かれている形象を抉出するとともに、代表作のオールオーヴァー絵画を装飾と評することがなぜ忌避されてきたのかを綿密に分析する。形象と装飾という二つの観点から新たに捉え直す、ポロック作品の全体像。【シリーズ・古典転生:第19回配本、本巻18】


アマゾン・ジャパンにて予約受付中



主要目次:
序論
第一部 ジャクソン・ポロックの作品における形象
第一章 オールオーヴァー絵画の制作過程
第二章 無意識をめぐる一九三四年から一九四六年のイメージの変遷
第三章 ブラック・ペインティングと書芸術
第二部 ジャクソン・ポロックの作品と装飾
第一章 ポロックの絵画における装飾模様的な性質
第二章 装飾としてのポロックの作品の受容
結論


筧菜奈子(かけい・ななこ)1986年生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。著書に『めくるめく現代アート――イラストで楽しむ世界の作家とキーワード』(フィルムアート社、2016年)、共訳書にティム・インゴルド『ライフ・オブ・ラインズ――線の生態人類学』(フィルムアート社、2018年)がある。現在、日本学術振興会特別研究員。岡山大学、京都精華大学などで非常勤講師をつとめる。

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ツイート(1)2017年12月

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2017年12月6日に開設したツイッターのアカウント@uragetsuでの過去のつぶやきから選んで順次保管していきます。※は補足です。まずは2017年12月分からの抜粋。


2017年12月6日
明日発表する新雑誌は、世間の速い流れから離れた、ロングスパンかつスローな実践を意識しつつ、最先端でも最新でもない、過去に置き去りにされようとしているものに耳を傾ける試みとして準備してきたつもりです。旧式の潜水艇にも暗い場所に降りていく使命はあります、たぶん。


2017年12月7日
おはようございます。本日2017年12月7日、有限会社月曜社は創業満17周年を迎え、営業18年目に突入しました。皆様のご支援に深く御礼申し上げます。出版不況のさなかでの出発でしたが、近年はますます冬が深まりゆく気配を感じます。新雑誌ではそうした業界の気配にも関心を払いたいと思っています。
※新雑誌=「多様体」第1号



2017年12月8日
拝啓、ツイッター先生。奇跡の出会いの場所に降り立ってから三日目になりました。僕はなんだか、高速道路のすぐ脇に立って猛スピードの往来へ大声を張り上げている気持ちです。僕の地元のブログでは立ち止まることができたけど、ここではすべてが流れ去っていくみたいに見えます。#ツイッター初心者


2017年12月11日
ありのままを言えば、12月9日午後に「多様体」の新刊案内をFAXで送った書店さんの軒数は321店、丸2日経った現在、受注件数が多い順に言うと、トーハン>大阪屋栗田>日販。受注冊数が多い順も同様。ちなみにトーハン帳合の受注冊数は現時点では日販帳合の倍。最近はこの初動パターンが多いです。


補足すると、直近の人文書の実績では、案内した書店さんの約3割から受注があり、受注軒数はトーハン>大阪屋栗田>日販、受注冊数では日販>トーハン>大阪屋栗田。軒数に大きな差はありませんが、日販の受注冊数の約半分はネット書店分なので、これを差し引くと日販の受注冊数は他社の6割程度です。


ひと昔前は、受注軒数も冊数も取次さんの順位通りでした。しかし弊社の場合、日販帳合で受注する書店さんの軒数はどんどん減っていき、トーハンや大阪屋栗田に抜かれるようになったものの、圧倒的なネット書店の発注数で、日販での新刊配本のライン取りが支えられてきた、という状況です。


はっきり言えば、アマゾンからの受注分を乗せない限り、リアル書店単独分の受注数では日販で配本してもらえる冊数に届かないことがある、という意味です。これでアマと直取引したら、日販での弊社の売上がどうなるかはご想像いただけると思います。 #零細出版社の実情


日販帳合の大型リアル書店数十軒分を合わせた受注冊数よりも、アマゾン一軒(こう数えるのが正しいかどうか分かりませんが)からの受注数が多いことがしばしばあります。少しでも事前人気が高い新刊書の場合、初版部数の半分以上の発注数がアマゾンから入る、という事態が今年は二度ありました。


直取引でアマゾンの発注数をそのまま受け入れていたら、ほかのリアル書店さんに配本する本が少なくなってしまうリスクがあります。だからこそ、日販さんが間に立って下さる方が状況をコントロールしうる余地があるわけです。これが一般化できる話なのかどうかは分かりません。


2017年12月13日
せっかく出版社や書店で働いたのに、退職後にその技能を活かせる場所が少ないと感じるざるをえない状況というのは、業界にとって〈自壊〉的な要素だと思っています。


これは公開記事にしていただきたかったですが、二大取次からこうした声が出るのは初めてではないので、出版社としては来年が取引条件改定の年になるのではないかと恐れます。「自然科学書協会懇親会、2大取次専務が物流問題訴える」文化通信2017年12月13日
※曰く「自然科学書協会が12月7日、東京・新宿区の日本出版クラブ会館で開いた年末懇親会で、大手取次2社の役員が、出版物の輸送が危機的な状況を迎えていることを訴えた。/ 懇親会には同協会会員社をはじめ、…」


2017年12月15日
この業界では誰しもが何かしらの無力感と戦っているのではないかと想像します。「信じる気持ちを十分に心のなかに持てば、あなたが思い描くことは、最終的には事実になる。だから、不安から解放される自分の姿を思い描こう」と書いたピールの言葉を噛みしめている次第です。


出典は、ノーマン・V・ピール『新訳 積極的考え方の力』(月沢李歌子訳、ダイヤモンド社、2012年、142頁)です。キリスト教への信仰心を背景にしているので、日本人の場合「神」という言葉にぴんとこない部分もあるかもしれませんが、それでも読む者の背中を押してくれる素晴らしい本です。
本日付けで子会社化。「主婦の友社の培ってきた編集力やノウハウ、取引先や読者との信頼関係を活かしながらCCCグループの各事業や企画力と掛け合わせ、新しいライフスタイル提案を行っていきたい」カルチュア・エンタテインメント株式会社
※ニュースリリース「株式会社主婦の友社子会社化に関するお知らせ」2017年12月15日付


2017年12月17日
本の仕事に携わる人々とその読者は、たとえどんなに一人ひとりが小さな存在でも、その双肩でそれぞれの天球を支える小さなアトラスなのだと思います。そのアトラスたちの奮戦が当たり前のものではもはやなくなる時代が近づいている予感がします。「立ち上がれ」と本たちが囁きます。


「立ち上がれ、アトラスたち。川を渡れ、クリストフォロスたち。たとえお前が拷問され、斬首されようとも、お前が大地に植えた杖はいずれ巨木となろう」。


「そしてお前の天球は満天を飾る星座の一部となる。」


2017年12月18日
空犬(空犬太郎)@sorainu1968さんのご投稿のリツイート
「誰もが書店を開けるポジティブな未来をつくる。そのために柳下は、従来の流通構造をそのまま残したかたちで、「横」でつながる小規模流通の仕組みを築き上げようとする」。/ 「誰でもどこでも本屋になれるようにする」本を愛する男の小さな声


2017年12月21日
「"ただ不便"な超大型書店はもう無理なのか:「化石のような商売」の活路」(2017年8月に収録)の後、11月に行われた東京組合書店経営研修会での、丸善ジュンク堂書店・工藤恭孝会長のご講演。「「化石店舗対策」テーマに講演」(「全国書店新聞」平成29年12月15日号)。



私自身は超大型書店を「ただ不便」とはほとんど思っていない利用者なのですが、それについては一出版人の視点も踏まえ、議論を整理する必要があるなと感じています。


拝啓、ツイッター先生。始めた頃は、少し経てば「木綿のハンカチーフ」を歌いたい気持ちになるだろう、と想像していたのですが、二週間が過ぎてそうでもないことが分かりました。ビュンビュン通り過ぎていく車に飛び乗ろうとするのは危険で、まだ慣れませんし、距離感もつかめません。まだ初心者です。


2017年12月25日
前刀禎明さん曰く「アマゾンの強みは3つ。1つ目は物流を自ら仕切っていること。2つ目は目的視点での製品の開発力。3つ目は「超」が付く生活密着です」。「アマゾンの強さ ブランド戦略なきブランド力」 NIKKEI STYLE



日販さん曰く「新刊本の売上額2016年度は1兆7,221億円、前年比730億円減。業界トップクラスの書店チェーン1企業分の売上額に相当。ここ数年、毎年1チェーンが消えている計算」。『出版物販売額の実態2017』について:日販営業推進室経営相談グループ書店サポートチーム


2017年12月26日
出版科学研究所『出版月報12』特集「2017年出版動向」によれば今年1~11月の書籍と雑誌をあわせた推定販売金額は1兆2557億3100万円で、前年同期比6・5%減。雑誌とコミックの落ち込みが大きい、と。「出版科研、1~11月の出版市場6・5%減と発表」文化通信



2017年12月27日
「消費者庁によると、同社はウェブサイトの商品ページで、メーカー小売価格より高かったり根拠のなかったりする金額を「参考価格」として掲載。実際の販売価格との差を大きくすることで、割引率が高いように見せ掛けていた」アマゾンジャパンに措置命令=二重価格表示で違反―消費者庁(時事通信)

※「毎日新聞」2017年12月27日付記事「消費者庁 「参考価格」が不当 アマゾンに再発防止命令」


2017年12月28日
非常に興味深い記事です。「ナイキに学ぶ、Amazon軍門下における「ブランド」の宿命:提携から6カ月を経て」DIGIDAY



「ナイキがAmazon上で販売を開始したあとも、「特集・おすすめ」で表示される製品はサードパーティの販売者のもので埋め尽くされている。『多くのブランドのあいだで、Amazonはパートナーとして非協力的なことで悪名高い』」というくだりが特に印象深いです。


「誰から買うのか、選ぶのは客だ」という立場かと受け止めていますが、メーカーを守る立場ではないというのは危ういと思います。作り手が弱体化するリスクを回避しきれないからです。大胆ですが、繊細とは言えません。つまり逆に言えば「繊細さ」の価値追求こそ、アマゾンと競合しない道になるかと。


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ツイート(2)2018年1月

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2018年1月12日
CVSに出荷している版元は取次との取引条件を改定する必要に迫られるのではないかと思います。「出版市場の縮小で積み荷の本は激減しているのに、配送先は増え続ける――。出版社と売り場をつなぐ出版取り次ぎが非効率にあえいでいる。コンビニの増加が背景」
※朝日新聞デジタル「出版取り次ぎ「もう限界」 一晩で配送55店、積み荷は激減」2018年1月12日付(公開終了)


出版業界にはどれほど当てはまる話なのかは正直分からないと感じました。「宅配便料金改定で分かった「一斉値上げ」で儲かる時代の到来」 | ダイヤモンド・オンライン



「出版物流の抜本的な解決、リアル書店とネットの融合、新しい書店モデルの創造を展開する。物流コスト増、物流の協業化の課題に取り組みたい。業界全体でも危機意識を共有して」。新文化1月9日付「トーハンの藤井武彦社長、「出版物流の抜本的な解決などを行う」と発表」



昨年12月1日に千代田区一ツ橋2-4-4「岩波書店一ツ橋別館」地下2階付8階建を売却。岩波が今後このほかの一ツ橋や神田神保町の不動産を処分するのかしないのかに注目が集まることになりそうです。
※東京商工リサーチ2018年1月12日付「岩波書店、テナントビルを小学館へ売却」


2018年1月15日
「10年で約1000万部減。最大の発行部数を誇る読売新聞1紙がまるまる消えた計算。新聞発行部数のピークは1997年で、2000年以降は前年を上回ったことがなく、2008年あたりから減少率が大きくなっている」|「新聞崩壊」はたった一年でこんなに進んでしまった|現代ビジネス



2018年1月16日
空犬(空犬太郎)@sorainu1968さんのご投稿のリツイート
「「TSUTAYA」...や...「リブロ」をはじめ、ワンダーグー...、西村書店...、啓文社...などの地方チェーンがファミマ一体型店舗の展開を進めている」。/ コンビニ+驚きのコラボも!「異業種一体型店舗」に挑むファミマ、その成否は?(HARBOR BUSINESS Online)



記事には「本屋やCD店はいずれも出版不況により元気がなく、“逆境”を跳ね除けるため売場の一部を減らしてコンビニの集客力を借りるという「捨て身の覚悟」をおこなっているのだ」とも。


書店さんが読書会を始めた例としては、代官山蔦屋書店さんが始めた「代官山人文カフェ」があります。


本屋さんは本と人だけでなく人と人とのリアルな出会いの場でもあると思います。そのポテンシャルはとても大きいと感じます。


八重洲山【八重洲ブックセンターの社長】@yaesuyamaさんの投稿のリツイート
『ネット社会はつながっていると思われているが、本当はそうではない。作り手、売り手、運び手の役割が明確で、買い手と分断されている。情報の共有は乏しい。実店舗の小売業はそこをつなげる使命がある』|アマゾンと小売りの未来(複眼): 日本経済新聞



良品計画会長・金井政明さん曰く「日本には「足るを知る」という言葉がある。「これでいい」世界だ。アマゾンと同じ土俵で闘ってもしょうがない。人や自然、社会と調和した商品や企業の理念によってデジタル革命と異なる世界でやっていけるはずだ。日本の小売業、商人には素養がある」とも。


八重洲山【八重洲ブックセンターの社長】@yaesuyamaさんの投稿のリツイート
『バラバラだったら把握しづらい膨大な本も、棚の分類や互いの位置関係で記憶される。そう、書店とはそれ自体が巨大なブックマップであり、それを人の頭に入れやすくする記憶装置でもあるのだ』|書店こわい 山本貴光:日本経済新聞



大書店を逍遥する醍醐味。「そうして小一時間も過ごすと、半分は当初の問いと関係のない本を買って帰ることになる。問いが増え、また書店が楽しくなる。以下無限ループである。書店こわい」。さいきん増えているオーサービジットも、棚巡りの面白さにほかなりません。


2018年1月17日
「トーハンがまとめた出店状況(2017年7月時点)によると書店が1軒もない市区町村数の割合は全国平均が22%だった。四国では香川県の空白率がゼロで、愛媛県も15%にとどまり、全国平均を下回った」と。|「書店ない市・町 香川ゼロ」日本経済新聞



出版社目線で言えば、本屋さんがあっても受注のない地域はいくらでもあるのが現実です。試みに「多様体」創刊号の受注状況を見ると、香川県下、愛媛県下とも各1店舗です。県によっては無受注に終わることもあります。専門書や小零細版元の出版物を扱う書店さんの数はきわめて限られています。


受注店については弊社の場合、お客様へのお問合せにお答えする時と、ごく数店舗でしか扱われない商品以外は、原則的に公開していません。公開を望まない書店さんもおられるためです。理由は様々ですが、出版社が「在庫あるかも」と言っても店頭では「ない」ことがあるため、等々です。


店頭にない本はそもそも存在しない本と思われがちなところがあります。書物の樹海は二千坪でも置き切れないくらい本当は広いのですけれども・・・。


書誌情報が書籍現物よりも実在の基準になるという困った傾向があります。結果、書誌情報だけが消されずに残って実は本が刊行されていなかったり、書誌情報さえ残せば書籍現物は廃棄しても仕方ない、となったりするリスクがあるわけです。


取次の問題であるとは一概に言えないです。書誌情報を登録すると様々な取引先とそれを共有することになるので、削除や変更が一挙的にはできない場合があります。刊行予定についてはやや面倒ですが、個々の出版社の情報を確認するのが一番かと思います。


共感!「最先端ばかりを追い求めるのではなく、古いものを大事にして、それを何度でも甦らせていく、そういう温かくてエコでセンスある文化や生業がある街にしていきたい」|ヴィンテージ・シティー(Vintage City)で歴史書出版社をやること (有志舎 永滝稔) | 版元ドットコム


図書館もいずれ減っていかざるをえなくなるのでしょうか。|地方インフラ、維持より解体 人口減で市町村限界|日本経済新聞



2018年1月18日
「創業以来一〇〇年間に発行した全書目を刊行順に並べこれに対応して小社の主要記事出版界国内外事情を掲載」B5判上製函入2344頁、本体20,000円、限定300部なんですね。|『岩波書店百年』2018年1月刊



ほさか@worldtower26さんの投稿のリツイート
いいコラム。「本を読むことも一種の〈移民〉体験だ。なぜならそれは異質な他者の生を想像して生きることだから。読むたびに、また別の生が付け加えられ、僕たちの生はますます豊かになる。」
僕たちはみな<移民> 境界線を跳び越えよう 小野正嗣:朝日新聞デジタル(公開終了)


2018年1月19日
アマゾンの大義名分「顧客至上主義」は林部さんの言う「本気の資本主義」に裏打ちされているわけで、この二項が両立できない地点に限界が生じるかと思われます。|アマゾンが取引先に課している「冷酷な条件」 合理性を追求した徹底したロジカル経営| 東洋経済オンライン



2018年1月22日
数百人が束になっても汲み尽くせない価値があるということが「イノベーター」の側から積極的に評価されない事態というのは、一出版人として何ともやるせない貧しさを感じた次第ですが、一方でそれは縮小という現実となって表れているわけですね。出版部数や販売部数も同様かもしれません。


2018年1月23日
生意気を申し上げてたいへん恐縮ですが、書店さんからの返品依頼書というのは版元にとって、書店さんの内情をかいまみることによってお店の印象が決まってくる、とても大切なツールでございますね。ですから、こう(以下略)


有料記事なので途中までしか読めませんが、取次さんは業界紙だけでなく、ご自身でどんどん意見を発信し、公的な議論に供していただきたいなと強く思います。新春の会は動画配信しても良いのでは。|トーハン・近藤副社長、「物流問題にICタグでイノベーションを」|文化通信



というのも、新春の会に出席する(ことができる)書店や版元は限られているからです。出版界の諸問題はもっとオープンに議論されるべきです。ちなみに同社の新年仕事始め式での藤井武彦社長の挨拶(要旨)は以下で読めます。ここでも物流問題への言及があります。|新年仕事始め式 年頭挨拶(要旨)


2018年1月24日
今後も出版社のグループ化と淘汰が進みそうな予感がします。|【新文化】 - 日本BS放送、理論社と国土社を連結子会社化



ついに、品物を持って出るだけの「AMAZON GO」がシアトルで開店とのこと。|
アマゾンの無人コンビニ体験 購入品の把握、実力十分: 日本経済新聞



八重洲山【八重洲ブックセンターの社長】@yaesuyamaさんの投稿のリツイート
『レジで滞らないため、100人並んでも待ち時間は10~15分ほど。訪れた人たちからは「忙しい人に最適」「クールだ」といった声が上がった』|AIコンビニ「アマゾン・ゴー」開業 レジ待ち短く: 日本経済新聞



「店の天井にはカメラが確認できただけで130台以上は設置されており、誰が何を取ったかを追跡し続けることで実現」と。監視社会と紙一重とはいえ、この利便性が日本にも導入されるだろうことは想像に難くありません。


「同じAIの活用を進めるウォルマートでは「いかにレジの行列待ちを減らすか」(幹部)に注力しているが、アマゾンの場合は「そもそもレジは必要か」という視点に立っている」。そもそも論の重要性と有用性。|アマゾンの無人AIコンビニ、米で開店へ:日本経済新聞



「出版物流から撤退する企業が急増。日販の委託先では、5年間で7社が撤退。新たな委託先を開拓しようと21社に見積もりを打診、回答は1社のみで予算の4倍の料金」|(真相深層)物流危機が迫る出版改革 雑誌の発売日分散広がる 配送撤退、電子化を後押し:日本経済新聞



いよいよ今年は取引条件改定か。日経記事に曰く「赤字を全く埋められない。残念ながら自分の代で会社を畳むことになるかもしれない」との声。「別の物流会社の幹部は「数年以内に出版物流からの撤退を考えている」と。ネット通販の普及で食料品の取り扱いが増え、本が売上高に占める割合は1割に」。


同記事では「物流会社も取次も体力の限界が近い。発売日の分散には、出版市場の継続的な縮小という大きな潮流を変える力はない。発行部数減を止める策が求められている」と書いておられるものの、発行部数を増やすことではなく、販売部数を増やすことが重要なのでは。


同記事の結論「出版物流が疲弊するなか、読者へ確実に出版物を届ける手段である電子書籍にいつシフトするのか。出版社は決断を迫られている」はいささか事態を単純化して見ているように感じます。電子書籍へのシフトがすべての問題の答えとは思えません。


ともあれ輸送料や取引条件改定のための外堀はすでに埋まっており、あとは現実的に、コンビニに商品を卸している版元から改定を始めるか、それとも一挙的に二大取次が全出版社に対して改定を申し入れるか、時間の問題かもしれません。説明会が開催されるとしたら紛糾するのは必定です。


出版社は高齢化が進んでいます。料金改定や条件改定により売上が今より減少すれば廃業を視野に入れざるをえない会社も当然出てくるでしょう。同時に、新規で出版社や書店を開業しようとすることが無謀に見えてしまうかもしれません。この危機をチャンスと捉えている企業もあるでしょうけれども。


日本出版取次協会・雑誌進行委員会「2016年12月31日(土)特別発売日についてのお願い」に曰く「先般、2016度の年間発売日が決定し、本年は12月31日(土)を全国一斉発売日とする新たな試みに、出版業界全体で挑戦することとなりました」。



取協/雑協「2017 年度「年末年始特別発売日」について」に曰く「2017年12月29日を年末特別発売日、18年1月4日を年始特別発売日とし〔…〕定期誌と年末年始特別商品のラインナップを揃えて、「年末年始は雑誌・読書を楽しみましょう」と引き続いてアピール」と。



同文書によれば「12月31日の特別発売日には雑誌臨時増刊、ムック、コミックス約130点、約800万部、書籍新刊約70万部が全国一斉発売。雑誌売上は前年比117.3%と急上昇、昨年12月29日から1月4日までの雑誌売上は前年同期比 101.5%(取次合計POS店 4,069 店)と前年を上回ることができました」と。


長期低迷傾向にある雑誌(および書籍)へのカンフル剤投入によって売上が上昇すれば物流の現場にも恩恵があるはず、という考えなのかもしれませんが、当然現場の負担は大きくなりますね。この特別発売に参加していない版元も多いでしょうから、取協の言う「出版業界全体で挑戦」という表現は・・・。


2018年1月26日
大坪嘉春氏「委託販売(税法上では買戻条件付販売)をしている版元、取次店に認められる勘定科目、返品調整引当金を廃止することが、昨年12月22日に閣議決定された税制改正の大綱で明らかに。これがどういうことを意味するのか、また、どういう影響が出版業界に生じるのか」新文化1月25日号1面掲載



2018年1月28日
八重洲山【八重洲ブックセンターの社長】@yaesuyamaさんの投稿のリツイート

『鳴子まちづくりは「温泉も読書も人を元気にする力があり、相性がいい」と話す』|<鳴子温泉>読書湯治の魅力を紹介 キャンベルさん2月4日に講演|2018/1/27 - 河北新報



2018年1月31日
「日販のグループ書店として、連結対象子会社に。商号と屋号については今後変更する予定」【新文化】 -日販、東武ブックスの株式83.3%を取得


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「新書大賞2019」(「中央公論」2019年3月号)に参加しました

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「中央公論」2019年3月号に掲載された「新書大賞2019」に参加しました。同号では、111名が選ぶ「年間ベスト20」の発表のほか、大賞受賞者インタビュー、編集者座談会、識者対談、54名が選ぶベスト5冊、などが掲載されています。私が選んだ5冊は例年通りベスト20とは重複しませんでした。狙っているわけではないのですが、どうもズレるのですね。ベスト5冊の方では3冊までの選書コメントが掲載されています。「4位、5位を含む全文は3月下旬発売予定の電子書籍〈中央公論Digital Digest〉『新書大賞2019』に掲載します」とのことです。私が選んだ5冊は以下の通りです(135頁に3位までのコメントとともに掲載)。


1)一田和樹『フェイクニュース』角川新書
2)保立道久『現代語訳 老子』ちくま新書
3)エドワード・ルトワック『日本4.0』文春文庫
4)大野和基編『未来を読む』PHP新書
5)J・ウォーリー・ヒギンズ『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』光文社新書


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注目新刊:シャルル・ペギー『クリオ』河出書房新社、ほか

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『クリオ――歴史と異教的魂の対話』シャルル・ペギー著、宮林寛訳、河出書房新社、2019年2月、本体3,200円、46変形判上製436頁、ISBN978-4-309-61996-5



★『クリオ』は池澤夏樹さん監修のシリーズ「須賀敦子の本棚」の第6弾。フランスの作家ペギー(Charles Péguy, 1873-1914)の死後出版『Clio, dialogue de l'Histoire et de l'âme Païenne』(Gallimard, 1932)の全訳。凡例によればプレイヤッド版『ペギー散文全集』第3巻(1992年)を適宜参照したとのことです。巻末に監修者の池澤さんによる「解説、あるいはペギー君の「試論」の勝手な読み」が付されています。同著には抄訳本(『歴史との対話――『クリオ』』山崎庸一郎訳、中央出版社、1977年)がありますが、今回の新訳は初めての全訳です。


★旧訳のカヴァー表4に記載された紹介文と新訳の帯文を見比べてみます。


中央出版社版
「神が人間を歴史家としてつくったことは、神の最大の恩寵であり、最大の慈悲である……」。人間は、老いるとき、過去と和解し、出来事の歴史家となり、形骸化のなかに安住する。だが、歴史として客観的な記載の対象となることを拒否する真の出来事とは何か。本書においてペギーは、イエス事件というテキストの解説、ドレフュス事件というテキストの解説を通じて、真の神秘観の復興、神秘的宗教としてのキリスト教の意義を説く。/『われらの青春』についで、ここに見られるのは、40歳という年齢を通過したペギー、ベロニカがその手巾にイエスの顔を写し取ったように、出来事の刻印である弾痕をその顔に受けて地に伏す直前のペギーの、現代世界に対する悲痛なる糾弾であり、その病患の摘出であり、彼のかけがえのない遺著である」。


河出書房新社版
歴史の女神クリオが語る、老いとは何か、歴史とは何か――。ドゥルーズ、ゴダール、ベンヤミンらが深く愛した究極の名著、初完訳! カトリック左派の中心的な思想家として知られ、須賀敦子も敬愛したペギーが、モネの「睡蓮」やヴィクトル・ユゴーの作品を主軸に、その思索を結実させた傑作。


★『クリオ』の成立過程については今回の新訳の、宮林さんによる「訳者あとがき」に説明があります。「1909年から翌10年にかけて、ペギーは長大な歴史論に取り組んでいる。残された草稿は423枚。研究者のあいだで『クリオⅠ』と呼びならわされ、一時期ペギーが『歴史と肉的魂の対話』と呼んでいた未完の作品だ。時が流れて1912年6月、いったん中断した対話の改稿に着手したペギーは『クリオⅠ』の冒頭部分だけを残し(本書76ページの「ヴィシュヌ神が早急のロチュスに座することはもはやない」まで)、残りはすべて放棄したうえで、984枚にもおよぶ展開を書き加えることになった。こうして成立したのが本書『クリオ 歴史と異教的魂の対話』(通称『クリオⅡ』である」(422頁)。


★これに続き宮林さんは、中央出版社版の紹介文中にあったベロニカ(ヴェロニカ)について次のように説明されています。「1913年6月の時点でペギーはまだ『クリオⅡ』を執筆中だったことが書簡等の資料から明らかになっている。正確な時期はわからないが、『クリオⅠ』から『クリオⅡ』に移る過程でペギーが第二の対話を構想し、「記載」に終始する不毛な歴史と、年代記作者の態度で出来事を捉える「記憶」の働きを、それぞれクリオと聖女ヴェロニカに託そうとしたこともわかっている。十字架を背負ってゴルゴタの丘へと向かうイエス・キリストの通り道にたまたま居合わせ、その顔をぬぐうことでイエスの面貌を手巾に写し取った聖女ヴェロニカは、無際限によみがえる記憶を体現した人物として登場するはずだった。対話篇同士の対話を想定した、実に興味深い作品構想ではあるのだが、ヴェロニカの存在は『クリオ』で一度暗示されたきりで(本書298頁)、聖女の名を題名に含む対話篇は書かれずじまいになった。対話篇同士の対話が実現すれば、ペギーの資質と思索の在り方を、これ以上なく純粋な形で表現する作品になっていただろう」(422~423頁)。


★ペギーはクリオにこう語らせます。「老いるとは、年齢が変わったことではなく、年齢が変わりつつある、というよりもむしろ、同じ年齢に固執し、長くとどまりすぎたことを言う」(336頁)。「老いとは、まさしく人間そのものなのだ」(338頁)。「老いはその本質からして〔…〕回顧と、哀惜の活動にほかならない」(同頁)。「哀惜ほど崇高で、美しいものはどこにもないし、最も美しい詩は哀惜の詩だ」(339頁)。「老いはその本質からして記憶の活動にほかならない〔…〕。それに記憶の働きがあるからこそ、人間にはあれだけの奥行きが生まれた。(ベルクソンはそう考えている〔…〕。今でもまだベルクソンの著作を引用することが許されるなら、『物質と記憶』と、『意識の直接与件についての試論〔時間と自由〕』を読んでごらんなさい。)」(同頁)。「記憶ほど歴史に逆行し、歴史とかけはなれたものはない。また歴史ほど記憶に逆行し、記憶とかけはなれたものはない。そして老いは記憶の側にあり、記載は歴史の側にある」(同頁)。


★「記載と想起は直角をなす〔…〕。つまり記載が水平の線だとしたら、それに接する想起の勾配は90度になる。歴史はその本質からして縦走的であり、記憶はその本質からして鉛直である。歴史はその本質からして出来事に沿って進むことで成り立つ。記憶はその本質からして出来事の中にあり、まずは絶対外に出ないことによって、内側にとどまることによって、それから出来事の中を遡ることによって成り立つ。/記憶と歴史は直角を形成する」(342頁)。「出来事は決して均質ではなく、たぶん有機的な組成をもつ〔…〕。緊張と弛緩、安定期と激動期を繰り返し、振動の幅と、隆起点と、臨界点もあらわれ、暗い平原が開けたかと思えば突如として中断符で終わる」(392頁)。ここから「何も起こりはしなかった。それなのに世界は相貌を変え、人間の悲惨も変わった」(393頁)に至る記述には圧倒的な迫力があります。


★「40歳の男は、今まさに青春から抜け出したという感覚があるだけでなく、自分の内面を覗いて、失った青春に目を凝らす。だから40歳の男には老いるとはどういうことであり、老いとはそもそもなんであるのかということが、ちゃんとわかっている」(368頁)。「40歳の男は、20歳の男が詩人であるのと同様、年代記作者であり、回想録作家であることをその本分とする。ところが20歳を過ぎた人間はもはや詩人ではなく、40歳を過ぎた人間はもはや回想録作家ではない」(369頁)。「40歳の男は〔…〕これから自分は歴史家になると感じ」る(369~370頁)。この書物は年齢に限らず「老い」を感じている読者こそが味わえるものなのかもしれません。


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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。


『インポッシブル・アーキテクチャー』五十嵐太郎監修、埼玉県立近代美術館/新潟市美術館/広島市現代美術館/国立国際美術館編、平凡社、2019年2月、本体2,700円、A4判並製252頁、ISBN978-4-582-20715-6
『中国ドキュメンタリー映画論』佐藤賢著、平凡社、2019年2月、本体5,000円、A5判上製344頁、ISBN978-4-582-28265-8
『海を撃つ――福島・広島・ベラルーシにて』安東量子著、みすず書房、2019年2月、本体2,700円、四六変型判上製296頁、ISBN978-4-622-08782-3


★『インポッシブル・アーキテクチャー』は同名の巡回展の公式図録。20世紀以降の国内外のアンビルト建築を紹介するもので、建築されなかった/できなかったものたちの群れは、ひょっとしたらありえたかもしれないもうひとつの世界を想像させ、見る者に豊かな霊感をもたらします。正式な書名(展覧会名)は、インポッシブルに取り消し線が引かれています。図録は論考や作品図版とともに年表を掲載しており、たいへん充実した保存版です。展覧会の図録でなければ倍の値段はするであろう内容と造本で、最初から最後までワクワクさせてくれる素晴らしい一冊。


埼玉県立近代美術館:2019年2月2日~3月24日
新潟市美術館:2019年4月13日~7月15日
広島市現代美術館:2019年9月18日~12月8日
国立国際美術館:2020年1月7日~3月15日


★『中国ドキュメンタリー映画論』は「1980年代末から90年代初めにかけて始まった中国における独立制作によるドキュメンタリーを取り上げ、およそ2000年代までの展開を素描し、中国独立ドキュメンタリーの「独立」とは何であるかについて、中国の社会・文化的文脈の中で考察するもの」(「はじめに」より)。「中国独立ドキュメンタリーの出現」「テレビ体制と独立ドキュメンタリー」「デジタルビデオと個人映画」「映画を見る運動」「中国独立ドキュメンタリーの現在」の全5章。中国ドキュメンタリー映画の関係年表や主要作品リストも付されています。


★『海を撃つ』は植木屋を夫と営むかたわらボランティア団体「福島のエートス」を主宰する安東量子(あんどう・りょうこ:1976-)さんの単独著第一弾。震災後の福島をめぐる淡々とした筆致の中にも強い思いを感じさせるエッセイ集です。書名の由来は表題作である最終章で明かされていますがこれはネタバレしない方がいいかと思います。


★胸に残る一節。「失われたかつての暮らしを、退屈な日常を、私たちが失ったものを、失わなくてはならなかった理由を、私たちを巻き込んだ得体のしれない巨大なものの正体を、本当は語りたい。けれど私たちは、それを語る共有の言葉をいまだ持たない」(244頁)。「私たちが本当に語りたいことはなんなのだろうか。それを語る共通の言葉を得るまで、私たちは、唯一語り得ると信じる放射線の健康影響について、たどたどしく語り続けるのを止めないだろう。私たちの本当に語りたいことではないかもしれないのに。この出来事はどこからやってきて、私たちになにをもたらしたのか、もたらそうとしているのか。私たちはなにを失ったのか。本当の影響はなんだったのか。この先長い時間をかけて、私たちは語り得る共通の言葉を探していかなくてはならない」(245頁)。


★そしてもっとも胸を揺さぶられた一節。「しかし、私たちは全員知っていたではないか。避難指示が解除される見込みさえなく、放置されている人びとがいることを。成功者が賞賛を浴びれば浴びるほど、彼らへの注目は薄れ、万事滞りなく進んでいるとの空気は強まった。脚光を集めた者に当たる光はますます強く、一方で、陰に落ちた人びとはより暗がりに沈み、その姿は見えなくなった。やがて破綻することはわかっていた。彼は姿を見せた。私たちが気づきながら見ようとしてこなかった陰は、確かにあるのだと伝えるために。彼の来訪は予期されていたものだった。彼は来るべくして、ここに来たのだ。私たちの浴びている光が、本当にそれに値するものなのかを問うために」(261頁)。この「彼」が誰のことなのかについてはぜひ店頭で本書を手に取って確かめていただければ幸いです。一読者として、私にとって本書の中心はこの「彼」でした。彼でしかありえないと感じたのでした。


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取次搬入日確定:須藤温子『エリアス・カネッティ――生涯と著作』

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須藤温子さんの単独著デビュー作となる『エリアス・カネッティ――生涯と著作』の取次搬入日が確定しました。大阪屋栗田が本日15日(金)、日販とトーハンは18日(月)の予定です。同書は「シリーズ・古典転生」の第18回配本で本巻17です。類書が少なく、貴重な研究書です。どうぞよろしくお願いいたします。写真では分かりにくいですが、カバー表1の書名は、メタリック・ブルーの箔押しです。書店さんの店頭に並び始めるのは来週後半以降になるかと思われます。どの書店さんに並ぶかは、地域をご指定のうえお問い合わせいただければ幸いです。


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「みすず」誌読書アンケート特集号に弊社刊『仮象のオリュンポス』評

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月刊誌「みすず」の毎年恒例の「読書アンケート特集」(2019年1/2月678号)で、弊社の昨春の既刊書、佐藤真理恵『仮象のオリュンポス――古代ギリシアにおけるプロソポンの概念とイメージ変奏』を、岡田温司さんと上村忠男さんが取り上げて下さいました。


「顔=仮面」とは何かという永遠のテーマについて、テクストとイメージの両面から挑んだ意欲作である。(岡田さん)
古代ギリシアにおいては、プロソポンという一語のなかに、「顔」と「仮面」という、近代人の共通理解からすると相反するかにみえる二つの意味が同じ地平に位置づけられ、矛盾することなく共存しえていた。これはどうしてであったのかという疑問に端を発して、その概念系とイメージ変奏の諸相を古典文献や陶器画などのアナクロニックな比較分析をつうじて解明しようとした、新鋭による刮目すべき試み。(上村さん)


なお、同誌では弊社出版物の著訳者である星野太さんや、郷原佳以さんも寄稿されています。


『仮象のオリュンポス』は「シリーズ・古典転生」の本巻16です。同シリーズでは今月と来月、以下の新刊を発売いたします。
2月下旬:第18回配本、本巻18:須藤温子『エリアス・カネッティ――生涯と著作』
3月上旬:第19回配本、本館19::筧菜奈子『ジャクソン・ポロック研究――その作品における形象と装飾性』


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注目新刊:スカル『狂気――文明の中の系譜』東洋書林、ほか

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★最近購入した文庫新刊はいずれも「老境」ないし「成熟」というものと無縁ではない内容で、時を経て得た光景の、見た目の単純さとはうらはらの曰く言い難いニュアンスを感じさせます。


『古今和歌集全評釈(上)』片桐洋一注釈、講談社学術文庫、2019年2月、本体3,000円、1096頁、ISBN978-4-06-514740-5
『古今和歌集全評釈(中)』片桐洋一注釈、講談社学術文庫、2019年2月、本体2,950円、992頁、ISBN978-4-06-514741-2
『古今和歌集全評釈(下)』片桐洋一注釈、講談社学術文庫、2019年2月、本体2,900円、944頁、ISBN978-4-06-514742-9
『老年について 友情について』キケロー著、大西英文訳、講談社学術文庫、2019年2月、本体1,180円、320頁、ISBN978-4-06-514507-4
『いまこそ、希望を』サルトル/レヴィ著、海老坂武訳、光文社古典新訳文庫、2019年2月、本体860円、209頁、ISBN978-334-75395-5
『夢の本』ホルヘ・ルイス・ボルヘス著、堀内研二訳、河出文庫、2019年2月、本体1,200円、352頁、ISBN978-4-309-46485-5
『老境まんが』山田英生編、ちくま文庫、2019年2月、本体780円、384頁、ISBN:978-4-480-43581-1



★『古今和歌集全評釈』は1998年に講談社で刊行された単行本全3巻の文庫化です。「万物すべてが歌を歌う」(「真名序」第二節ノ一、上巻283頁)と説いた日本最初の勅撰和歌集を、一首ごとに原文、要旨、通釈、語釈、校異、他出、鑑賞と評論、注釈史・享受史などを加えて読者に提供する決定版。講談社学術文庫ではかつて久曽神昇さんによる全訳注書4巻本を1979年から1983年にかけて刊行していましたが、こちらは品切。今回の片桐版はそれぞれ1000頁近い大冊で、3巻揃えて買うと10000円近い最重量級の文庫本。講談社の気概を感じます。


★『老年について 友情について』は文庫オリジナルの新訳。「最晩年の著作のうち、最も人気のある二つの対話篇」(カバー裏紹介文より)を収録。入手しやすい既訳では「老年について」「友情について」はともに中務哲郎訳を岩波文庫で読むことができます。今回の新訳の底本はJ・G・F・パウエル編Oxford Classical Texts(2006年)版です。巻末解説はキケローの人となりの紹介にも頁を割いており、共和政ローマ末期における政治家にして哲学者の生きざまへの理解を助けてくれます。


★『いまこそ、希望を』はサルトルの最晩年のインタビュー(1980年)。元「毛沢東」派の秘書による「尋問調」が多くの関係者を怒らせた問題作です。訳者による解説ⅠとⅡは「朝日ジャーナル」初出時(「いま 希望とは」1980年4月)のもの。巻頭の「はじめに」と解説Ⅲ、年譜、訳者あとがきは文庫化において追加されたものです。サルトルが自省とともに語る最後の境地が文庫で読めるようになったのは非常に有益なことです。


★なお光文社古典新訳文庫の来月刊行予定では、アリストテレス『詩学』三浦洋訳、ジッド『ソヴィエト旅行紀』國分俊宏訳、などが予告されていて非常に楽しみです。


★『夢の本』は国書刊行会の「世界幻想文学大系」の第43巻(1983年、新装版1992年)を文庫化したもの。古今東西の文献から「夢」めぐる断片を集めたもので、ボルヘス自身の作品も含む113篇が編まれています。巻末解説は作家の谷崎由依さんによる「秩序と混沌」。帯文にも引かれた「夢は現実の影なんかではない。蔑ろにしていると、いつかきっと痛い目に遭う」という谷崎さんの言葉の重みが沁みる一冊。


★『老境まんが』は『ビブリオ漫画文庫』『貧乏まんが』に続く山田英生さん編のマンガアンソロジー。個人的には今回の新刊が一番味わい深く感じました。一編ずつをゆっくり読みたい本です。特にかの高名な、「ペコロスの母に会いに行く(抄)」はほのぼのとした空気感の中にも涙をこらえがたい名作で、自宅以外では絶対にひもとけません。


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★続いて最近の注目新刊を2点。


『左派ポピュリズムのために』シャンタル・ムフ著、山本圭/塩田潤訳、明石書店、2019年2月、本体本体2,400円、4-6判上製152頁、ISBN978-4-750-34772-1
『クルアーン――やさしい和訳』水谷周監訳著、杉本恭一郎訳補完、国書刊行会、2019年2月、本体2,700円、四六判並製644頁、ISBN978-4-336-06338-0



★『左派ポピュリズムのために』は『For a Left Populism』(Verso, 2018)の全訳。単独著としては4冊目の日本語訳となります。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。「左派ポピュリズムとは、新自由主義的なヘゲモニー編成のなかで、制度からこぼれ落ち、あるいは資本によるむき出しの暴力によって傷つけられた人々が、制度外の闘争から制度内へと政治的介入を行う戦略なのだ。この介入がめざすのは、権力の掌握ではない。そうではなく、国家の政治的、社会‐経済的役割の回復と深化、そしてそれらを実現するための民主的な国家運営こそが重要なのだ」(訳者解題、139頁)。同解題によれば、先だって同版元から刊行されたラクラウ『ポピュリズムの理性』が理論篇であるとすれば本書は実践篇であるとのことです。「〈少数者支配(オリガーキー)〉に立ち向かう」という帯文が力強いです。


★『クルアーン』は2014年に日亜対訳の新訳本が作品社から刊行されたばかりですが、今般また新たな新訳が上梓されました。「はじめに」によれば「本書の狙いは、タイトルの『クルアーン――やさしい和訳』にすべてが込められている。従来よく聞かれたことだが、頑張って読んでも分からないという強い訴えの声に背中を押された格好だ」とのこと。巻末資料は、「イスラーム信仰について」「各章見出し一覧」「繰り返し論法と同心円構造」「予言者一覧」「クルアーン関係年表」「参考文献」「索引」。値段も税込で3000円以内と求めやすい価格です。


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★また、最近では以下の2冊との出会いがありました。


『狂気――文明の中の系譜』アンドルー・スカル著、三谷武司訳、東洋書林、2019年2月、本体5,400円、A5判上製460頁、ISBN978-4-88721-826-0
『これからの本の話をしよう』萩野正昭著、晶文社、2019年2月、本体1,700円、四六判並製304頁、ISBN978-4-7949-7075-6



★『狂気』は『Madness in Civilization: A Cultural History of Insanity, from the Bible to Freud, from the Madhouse to Modern Medicine』(Thames & Hudson, 2015)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「狂気は芸術家、劇作家、小説家、作曲家、聖職者、それに医師や科学者の関心の中心を占め続けてきた〔…〕狂気は文明の外部に位置づけられるようなものではない。それは否応なくすでにして文明の一部なのである」(6頁)。「文明と狂気の関係を、複雑で多義的な両社の相互作用を〔…〕追究し解明」(7頁)する、と。古代から現代まで、文明の内部に狂気を位置づけ直す文化史。著者スカル(Andrew Scull, 1947-)は英国出身で米国カリフォルニア大学サンディエゴ校で教鞭を執っているとのことです。


★『これからの本の話をしよう』は日本におけるデジタル出版事業を牽引してきた株式会社ボイジャーの創業者で現在は取締役の萩野正昭(はぎの・まさあき:1946-)さんの四半世紀にわたる活動とこれからの展望をめぐる書き下ろし。第1章「メディアは私たちのもの」は萩野さんの現在の仕事と将来への課題について。第2章「なぜ出版、どうしてデジタル」は米国ボイジャーの創業者ボブ・スタインについて。第3章「本はどこに向かっていくのか」は「誰かに与えられるコンテンツから、自分が発信する道をどうやったら開いていけるのか」(17頁)を問うもの。第4章は鈴木一誌さんによるインタヴュー記事の再録(『d/SIGN』第18号、2010年)。出版人必読の一書。


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注目新刊:荒木優太『無責任の新体系』、『現代思想』臨時増刊号「ジュディス・バトラー」

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a0018105_16150684.jpg弊社出版物でお世話になっている著訳者の方々の最近のご活躍をご紹介します。


★荒木優太さん(著書:『仮説的偶然文学論』)
晶文社さんの読み物サイト「晶文社スクラップブック」での連載「きみはウーティスと言わねばならない」(全23回、2016年12月~2018年10月)を大幅に書き直した『無責任の新体系』が同社より今月発売されました。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。


無責任の新体系――きみはウーティスと言わねばならない
荒木優太著
晶文社 2018年2月 本体1,800円 四六判上製216頁 ISBN978-4-7949-7076-3
帯文より:作戦名は「ウーティス(誰でもない)」。和辻哲郎とハンナ・アレントと悪魔合体した分人日本文化論を斥け、高橋哲哉で歴史的主体にドーピングした結果、ロールズとレヴィナスとテクスト論でテンションマックスに達するフリーター系社会超批評!

★ジュディス・バトラーさん(著書:『自分自身を説明すること』『権力の心的な生』)
★佐藤嘉幸さん(共訳書:バトラー『自分自身を説明すること』『権力の心的な生』)
★廣瀬純さん(著書:『絶望論』、共著:コレクティボ・シトゥアシオネス『闘争のアサンブレア』、訳書:ヴィルノ『マルチチュードの文法』、共訳:ネグリ『芸術とマルチチュード』)
★清水知子(著書:『文化と暴力』、共訳書:バトラー『自分自身を説明すること』『権力の心的な生』)
2018年12月のバトラーさんの来日講演を含む「現代思想」誌の臨時増刊号『現代思想 2019年3月臨時増刊号 総特集=ジュディス・バトラー:『ジェンダー・トラブル』から『アセンブリ』へ』(青土社、2019年2月、本体1800円、A5判並製310頁、ISBN978-4-7917-1377-6)が発売されました。ジュディス・バトラーさんのテクストは4本掲載されています。


「この生、この理論」坂本邦暢訳、2018年12月6日、明治大学での講演会の原稿。
「非暴力、哀悼可能性、個人主義批判」本荘至訳、2018年12月11日、明治大学での講演会の原稿。
「メルロ=ポンティと、マルブランシュにおける「触れること」」合田正人訳、『The Cambridge Companio to Merleau-Ponty』2004年所収。 
「恐れなき発言と抵抗」佐藤嘉幸訳、ディスカッション・セミナー「ジュディス・バトラー『アセンブリ』検討会」京都大学人文科学研究所、2018年12月9日での導入講演。


同じくこのセミナーにおけるバトラーに対する三氏のコメントも掲載されています。 


佐藤嘉幸「個人的パレーシアから集団的パレーシアへ――「恐れなき発言と抵抗」へのコメント」
廣瀬純「民主主義の彼方へ――「恐れなき発言と抵抗」へのコメント」
清水知子「「現れの政治」が「忘却の穴」に突き落とされる前に考えるべき三つのこと――「恐れなき発言と抵抗」へのコメント」


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ブックツリー「哲学読書室」に伊藤嘉高さんの選書リストが追加されました

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オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、ブリュノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す――アクターネットワーク理論入門』(法政大学出版局、2019年1月)の訳者、伊藤嘉高さんによるコメント付き選書「なぜ、いま、アクターネットワーク理論なのか」が追加されました。以下のリンク先一覧からご覧になれます。


◎哲学読書室1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる」
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!」
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える」
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想」
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている」
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために」
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える」
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?」
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す」
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について」
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも」
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在」
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流」
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ」
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書」
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する」
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ」
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!」
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える」
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために」
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流」
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える」
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る」

27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う」
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する」

29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体」

30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く」
31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊」
32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために」
33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊」
34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊」
35)的場昭弘(まとば・あきひろ:1952-)さん選書「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。」
36)小林えみ(こばやし・えみ:1978-)さん選書「『nyx』5号をより楽しく読むための5冊」
37)小林浩(こばやし・ひろし:1968-)選書「書架(もしくは頭蓋)の暗闇に巣食うものたち」
38)鈴木智之(すずき・ともゆき:1962-)さん選書「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊」
39)伊藤嘉高(いとう・ひろたか:1980-)さん選書「なぜ、いま、アクターネットワーク理論なのか」


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保管:2017年11月~2018年2月既刊情報

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弊社にとって初めての自社発行雑誌となる「多様体」の創刊号を刊行したのが1年前でした。目下2号と3号が同時進行しています。


◎2018年2月16日発売:『多様体 第1号:人民/群衆』本体2,500円
 宮﨑裕助氏書評「現代日本の思想誌の最良の命脈を継承」(「週刊読書人」2018年4月13日号)
◎2018年1月31日発売:ヴィンフリート・メニングハウス『生のなかば』本体2,500円、叢書・エクリチュールの冒険第10配本。
 廣川智貴氏書評「すぐれた教師による「精読」の集中講義――ヘルダーリン詩学全体、そして同時代の思想へと開かれた一書」(「図書新聞」2018年7月21日号)
 守中高明氏書評「古典的文学研究の静かな凄み――巨大な問題系への繊細で厳密な通路」(「週刊読書人」2018年8月10日号)
◎2017年11月29日発売:ジャン・ウリ『コレクティフ』本体3,800円
◎2017年11月1日発売:南嶌宏『最後の場所』本体3,500円


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本日取次搬入:ハナ・ロスチャイルド『パノニカ――ジャズ男爵夫人の謎を追う』

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弊社2月新刊、ハナ・ロスチャイルド『パノニカ――ジャズ男爵夫人の謎を追う』(小田中裕次訳)を本日取次搬入いたしました。日販、トーハン、大阪屋栗田、ともに本日2月22日搬入です。書店さんの店頭に並び始めるのは、来週中盤以降かと思われます。どうぞよろしくお願いいたします。


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注目新刊:江川隆男『スピノザ『エチカ』講義』、ブライドッティ『ポストヒューマン』、ほか

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弊社出版物でお世話になっている著訳者の皆様の最近のご活躍をご紹介します。


◆江川隆男さん(訳書:ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』)
『アンチ・モラリア――〈器官なき身体〉の哲学』(河出書房新社、2014年6月)以来、約5年ぶりとなる単独著『スピノザ『エチカ』講義』がまもなく発売となります。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。本書の執筆と並行して、江川さんは朝日カルチャーセンター新宿校で『エチカ』をめぐる講義を4年前から行っておられます。2019年度は6月1日の「スピノザ「エチカ」入門――哲学の名著を読む」です。



スピノザ『エチカ』講義――批判と創造の思考のために
江川隆男著
法政大学出版局 2019年2月 本体5,000円 A5判上製406頁 ISBN978-4-588-15098-2
帯文より:待望のスピノザ論、ついに完成! 独自の読解法で稀代の書『エチカ』を読破に導く、類を見ない圧倒的な講義、ここに開幕――。


★帯表4には序論「批判的で創造的な」からの引用が記載されています。「私は、こうした意味での価値評価の破壊と転換を含むスピノザの『エチカ』を人類にとってもっとも重要な書物だと考える。例えば、今、本書を手に取っている読者諸賢も含めて、ほとんどの人が、実際には「哲学は多様であり、また人間にはいろいろな思考の仕方がある」、と考えているのではないだろうか。それは、たしかに正しい理解である。しかしながら、これに対して私は、あえて次のように言いたい――哲学は、実は二種類しかないのだ、すなわち、スピノザの哲学とそれ以外の哲学である、と」(3頁)。


★帯文の引用はここまでですが、本文ではこの次にフィヒテの言葉が引かれます。「私は、もう少し注意しておこう。「自我はある」を踏み超えるときには、人は必然的にスピノザ主義に至らざるをえないのである。(…)また、完全に徹底した体系は二つしかない、すなわち、この〔自我の〕限界を認める批判的体系〔カント〕と、この限界を踏み超えるスピノザの体系とである」(『フィヒテ全集(4)全知識学の基礎』隈元忠敬訳、晢書房、1997年、102頁)。


★スピノザ哲学とはどのようなものなのでしょうか。江川さんは序論の後段で次のように述べておられます。「人間は、ニヒリズムの本性をもつがゆえにつねに自然から超越しようと努力している(進歩あるいは発展の努力)。〔・・・〕スピノザの哲学は、そうしたニヒリズムの人間精神を解体して、人類そのものがまさに特異な〈地球-球体〉という所産的自然――巨大分子――に内在し直すための諸観念から人間精神を再構成しようとする〔…〕。これは、ニーチェと同様に、もっとも哲学的な思考――つまり、本質的に意味の変形と価値の転換からなる哲学――を最大限に有した、その意味でそれらの強度をもっとも有した人類の生ける産物であり、その限りでまさに未来の遺産(つまり、〈未来を思い出すこと〉)である。スピノザの『エチカ』は、人間によって書かれたあらゆる書物のなかで未来の様態のためにもっとも必要なことが書かれている。それは、科学的理性や宗教的精神に絶対に還元されえない哲学的知性によって書かれている。この意味においてスピノザは、ニーチェと同様に、もっとも哲学者らしい哲学者である」(6頁)。


★江川さんは本講義での試みについてこう述べておられます。「例えば、無神論的傾向を一般的にもつ現代人の多くは、おそらく『エチカ』を真剣に読むことが不可能になるだろう。しかし、私がここで提案したいのは、『エチカ』のなかの「神」(Deus)という言葉をすべて「自然」(Natura)という言葉に置き換えて読むことである。スピノザ自身がまさに「神あるいは自然」と言っている以上、この置換は完全に正当化されうる。そこで、次のような定理を事例として挙げてみよう。/(a)すべて在るものは神のうちにあり、そして何ものも神なしには在りえず、また考えられない(第1部、定理15)。/(b)何びとも神を憎むことはできない(第5部、定理18)。/一読してわかるように、無神論的な傾向にある現代人にはおそらく違和感のある文章であろう。しかし、これらの定理のなかの「神」に代わって「自然」という言葉を入れると、この文章は次のようになる。/(a´)すべて在るものは自然のうちにあり、そして何ものも自然なしには在りえず、また考えられない(第1部、定理15)。/(b´)何びとも自然を憎むことはできない(第5部、定理18)。/おそらく何の違和感もなく、多くの人々がこの二つの言説を当然の事柄として受け入れることができると思われる――すべては自然のうちにしか存在しえないし、自然がなければ、何ものも存在しえない。自然は自然法則からしか成立しないのであるから、自然をいくら憎いんでも何にもならない、等々」(16~17頁)。


★周知の通りスピノザ『エチカ』をめぐっては昨年暮に國分功一郎さんの『100分 de 名著 スピノザ 『エチカ』(NHKテキスト、2018年11月)が発売され、12月に放映された同番組全4回は好評を博しました。さらに先月は、法政大学出版局さんより秋保亘(あきほ・わたる:1985-)さんの『スピノザ 力の存在論と生の哲学』が刊行されています。『エチカ』の全訳書は、岩波文庫判全2冊と、中公クラシックス版(『エティカ』)などがあります。江川さんの新刊との併売併読をお薦めしたいです。


◆門林岳史さん(共訳:リピット水田堯『原子の光 影の光学』)
イタリアに生まれオーストラリアやフランスで学び、オランダ・ユトレヒト大学で教鞭を執っている哲学者でありフェミニスト理論家、ロージ・ブライドッティ(Rosi Braidotti, 1954-)さんの単独著『ポストヒューマン』(2013年)の本邦初訳に監訳者として関わっておられます。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。巻末の訳者あとがきは門林さんによるものです。



ポストヒューマン――新しい人文学に向けて
ロージ・ブライドッティ著 門林岳史監訳 大貫菜穂/篠木涼/唄邦弘/福田安佐子/増田展大/松谷容作訳
フィルムアート社 2019年2月 本体3,000円 四六判上製352頁 ISBN978-4-8459-1725-9
帯文より:新時代の人間論。自己・種・死・理論の先にある新たな生のための、ポストヒューマン理論入門の決定版、待望の刊行! 人文主義の根幹にある近代・西洋・白人・男性的な人間像に異議を突きつけ、新しい人文学(ヒューマニティーズ)のかたちを描き出す。


★原著は『The Posthuman』(Polity Press, 2013)。「人間という概念は、現代科学の進展とグローバル経済の利害という二重の圧力のもとで砕け散ってしまった」(序、10頁)と著者は指摘します。「わたしたちの種、わたしたちの政体、そして、わたしたちがこの惑星の他の居住者たちと取り結ぶ関係にとって、共有の参照項となる基本的単位とは厳密にいって何なのか。この論点は、科学・政治・国際関係が現代において複雑化したなかで、わたしたちが――人間として――共有するアイデンティティの構造そのものにかかわる深刻な問いを提起している」(11頁)。「アカデミックな文化において、ポストヒューマンなるものは、批判理論や文化理論の次なるフロンティアとして賞賛されるか、わずらわしい一連の「ポスト」流行りの最新版として敬遠されるかのどちらかである。ポストヒューマンは、かつての万物の尺度であった「人間〔Man〕」が深刻に脱中心化されている可能性に対して、歓喜のみならず不安をも引き起こしているのである。人間主体についての支配的ヴィジョン、そして、それを中心に据えた学問分野、すなわち人文学〔ヒューマニティーズ〕が、重要性や支配力の喪失を被っているという懸念が広まっているのだ」(同頁)。


★「本書でわたしが取り組みたい主要な問いは以下である。第一に、ポストヒューマンとは何か。より具体的には、わたしたちをポストヒューマンへと導くかもしれない知的および歴史的道程とはどのようなものなのか。第二に、ポストヒューマン的状況において、人間性〔ヒューマニティ〕はどうなってしまうのか。より具体的には、それはどのような新しい主体性のありかたを支持するのか。第三に、ポストヒューマンは、どのようにしてそれ固有の非人間性のありかたを生じさせるのか。より具体的には、わたしたちは自らの時代の非人間的(非人道的)な側面にどのように抵抗しうるのか。そして最後に、ポストヒューマンは今日の人文学の実践にどのような影響を与えるのか。より具体的には、ポストヒューマンの時代において理論が果たす機能とはどのようなものか」(13頁)。


★人文学の未来への展望にとどまらず、本書の知見は書店さんでの人文書の扱いについても様々な示唆をもたらしてくれるはずです。昨年から「ポスト人文学」フェアが複数の書店で開催されてきましたが、ブライドッティの『ポストヒューマン』はフェアの開催後に通常の分野別書棚へと同テーマを落とし込みたい書店さんにとって、鍵となる一冊だと思います。


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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。


『絵とはなにか』ジュリアン・ベル著、長谷川宏訳、中央公論新社、2019年2月、本体4,200円、A5判上製280頁、ISBN978-4-12-005167-8
『野の花づくし 季節の植物図鑑[春・夏編]』木原浩著、平凡社、2019年2月、本体3,000円、AB判並製192頁、ISBN978-4-582-54255-4
『叛徒と隠士 周作人の一九二〇年代』小川利康著、2019年2月、本体4,500円、4-6判上製404頁、ISBN978-4-582-48223-2


★『絵とはなにか』は『What is Painting?』(Thames & Hudson, 1999; New edition, 2017)の訳書。初版のみ副題「Representation and Modern Art」が付されています。著者のジュリアン・ベル(Julien Bell, 1952-)はイギリスの画家であり批評家。単独著の訳書は『アート・ライブラリー(16)ボナール』(島田紀夫/中村みどり訳、西村書店、1999年)以来のもの。帯にはゴンブリッチの言葉「新鮮で独創性に満ちた労作だ」が引かれています。カラー図版多数。目次は以下の通りです。



はじめに
第一章 図像としるし
 原物と図像
 自然の模倣
 絵としるし
 様式と置き換え
 創造と凝視
第二章 見ることと知ること
 人物像と観察
 知のモデルとしての絵
 写真とリアリズム
 感覚
 セザンヌ以後のリアリズム
第三章 形と時間
 形と物体
 時間と物語
 歴史画の歴史
 美と現代性
 モダニズムの時代
 ポストモダンと神話
第四章 表現
 表現の意味
 市場と個人
 色
 心と精神
 体
 伝達
第五章 芸術のもつさまざまな意味
 比較と凝視
 自由としての芸術
 特定の媒体と特定の対象
 お笑い
第六章 再現
 再現のさまざまな段階
 「理論」
 「絵の死」
 絵画へと向かう絵
謝辞
訳者あとがき
図版一覧
参考文献
索引


★著者は「はじめに」でこう書いています。「絵とはなにかという総合的な問いは、たとえば以下のような問いに枝分かれしていく。/「絵」と呼ばれる対象を統一するなにかがあるのか。/近代美術において再現という考えになにが起こったのか。/過去の200年にわたる絵の性質の変化はどんな要因によって引き起こされたのか。/古くからの絵の制作活動は現代世界ではどうなっているのか。/本書の六章は、歴史的な証拠に着目しつつ、身近な経験にもとづく推論によって、右〔=以下〕の問いに答えようとするものだ。/第一章では、絵の性質についての西洋の伝統的な考えと、絵についてのわたしたちの感情の土台となるいくつかの事柄を見ていく。第二章は、絵と写真との歴史的な関係を議論するが、そこには「知識」や「現実」や「感覚」をめぐる問いがふくまれる。第三章は、「近代」の観念と近代人の変わりゆく時間・空間の理解との関係を問題とする。この変化は「近代」の(あるいは「近代後〔ポストモダン〕の」)芸術を定義する助けとなろう。第四章は、個の表現という観念が、西洋文化における絵の制作活動をどう形成していったかについて考える。第五章は、絵と呼ばれる特定の美術と、彫刻その他の美術と、「芸術」そのものの概念との相互関係を考える。最後の第六章では、絵とアカデミズムの絵画理論との関係を議論し、絵の行くすえについて理論的な言及を試みる。各章は独立しているのではなく、章が進むごとに議論が発展していく」(2~3頁)。


★本書はいったん初版本で訳し終わったものの、その後新版が刊行されたために訳し直したとのことで、編集者と訳者の多大な労苦の一端が訳者あとがきで言及されています。「新版が出るや、〔編集担当の〕橋爪さんは新旧二版を突き合わせ、コンマや引用符の有無、単語の差しかえ、図版との対応のさせかた、引用文献の変更その他、こまかいところまで丁寧に照合し、異同の一つ一つを旧版に記入して見せてくれた」(249頁)。編集者が実際そこまでケアするのはなかなか大変なことです。本書刊行に賭ける情熱を感じます。


★『野の花づくし 季節の植物図鑑[春・夏編]』は日本の植物を美麗なカラー写真と軽妙なエッセイで紹介する図鑑の春夏編。春は90種、夏は68種の植物を収録。もともとは2003年から2014年にかけて各紙誌で発表してきたもの。眺めているだけで穏やかな気持ちになれる素晴らしい図鑑です。秋冬編の刊行も楽しみ。


★『叛徒と隠士 周作人の一九二〇年代』はかの魯迅の実弟、周作人(1885-1967)の「日本留学時代から始まる二十年弱にわたる〔…〕文学活動の諸相を論じるもの」(はしがき、12頁)。「文学革命(1917年)前後からの十年間にわたる文学理念の変遷を詳細に検討し、五・四運動後の挫折から再生に至る複雑な過程を極力明快に一つの脈絡のなかで描き出すことを目指した。周作人の複雑な思惟のすべてをトレースできたとは言い難いが、主要な問題点は網羅てきたのではないかと思う」(12~13頁)と。主要目次は以下の通りです。


はしがき
序論 内なる「叛徒」と「隠士」の葛藤
第一章 日本文化との邂逅――周作人における「東京」と「江戸」
第二章 人道主義文学の提唱とその破綻
第三章 失われた「バラ色の夢」――『自分の畑』における文学観の転換
第四章 「生活の芸術」と循環史論――エリスの影響

あとがき
主要引用・参考文献一覧
周作人略年譜及び関連事項
人名索引


★なお平凡社さんでは「東洋文庫」で『周作人読書雑記』(全5巻、中島長文訳注、2018年)を刊行しておられます。


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ブックツリー「哲学読書室」に山井敏章さんの選書リストが追加されました

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オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、ユルゲン・コッカ『資本主義の歴史――起源・拡大・現在』(人文書院、2018年12月)の訳者、山井敏章さんによるコメント付き選書「資本主義史研究の新たなジンテーゼ?」が追加されました。以下のリンク先一覧からご覧になれます。


◎哲学読書室1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる」
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!」
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える」
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想」
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている」
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために」
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える」
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?」
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す」
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について」
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも」
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在」
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流」
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ」
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書」
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する」
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ」
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!」
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える」
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために」
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流」
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える」
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る」

27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う」
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する」

29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体」

30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く」
31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊」
32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために」
33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊」
34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊」
35)的場昭弘(まとば・あきひろ:1952-)さん選書「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。」
36)小林えみ(こばやし・えみ:1978-)さん選書「『nyx』5号をより楽しく読むための5冊」
37)小林浩(こばやし・ひろし:1968-)選書「書架(もしくは頭蓋)の暗闇に巣食うものたち」
38)鈴木智之(すずき・ともゆき:1962-)さん選書「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊」
39)山井敏章(やまい・としあき:1954-)さん選書「資本主義史研究の新たなジンテーゼ?」


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