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ブックツリー「哲学読書室」に渡名喜庸哲さん、真柴隆弘さん、福尾匠さんの選書リストが追加されました

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オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、以下の3本が新たに追加されました。
グレゴワール・シャマユー『ドローンの哲学――遠隔テクノロジーと〈無人化〉する戦争』(明石書店、2018年7月)の訳者、渡名喜庸哲さんによるコメント付き選書リスト「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために」。
キャシー・オニール『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』(インターシフト、2018年6月)の日本語版出版プロデューサー、真柴隆弘さんによるコメント付き選書リスト「AIの危うさと不可能性について考察する5冊」。
『眼がスクリーンになるとき――ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社、2018年7月)の著者、福尾匠さんによるコメント付き選書リスト「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊」。

以下のリンク先一覧からご覧になれます。

◎哲学読書室1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる」
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!」
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える」
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想」
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている」
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために」
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える」
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?」
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す」
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について」
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも」
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在」
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流」
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ」
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書」
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する」
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ」
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!」
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える」
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために」
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流」
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える」
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る」

27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う」
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する」

29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体」

30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く」
31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊」
32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために」
33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊」
34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊」


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注目新刊:オスカル・パニッツァ『犯罪精神病』平凡社、ほか

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a0018105_21534229.jpg『犯罪精神病』オスカル・パニッツァ著、種村季弘/多賀健太郎訳、平凡社、2018年9月、本体3,600円、4-6判上製340頁、ISBN978-4-582-83524-3
『個人空間の誕生――食卓・家屋・劇場・世界』イーフー・トゥアン著、阿部一訳、ちくま学芸文庫、2018年9月、本体1,300円、368頁、ISBN978-4-480-09886-3
『独立自尊――福沢諭吉と明治維新』北岡伸一著、ちくま学芸文庫、2018年9月、本体1,300円、400頁、ISBN978-4-480-09877-1
『日本人の死生観』立川昭二著、ちくま学芸文庫、本体1,200円、320頁、ISBN9781-4-480-09888-7
『呪文』星野智幸著、河出文庫、2018年9月、本体640円、256頁、ISBN978-4-309-41632-8
『おとうさんとぼく』e.o.プラウエン作、岩波少年文庫、2018年7月、本体760円、B6変型判並製320頁、ISBN978-4-00-114245-7


★『犯罪精神病』はドイツの作家パニッツァ(Oskar Panizza, 1853-1921)の日本語版独自編集となる作品集。種村季弘(たねむら・すえひろ:1933-2004)さんの遺稿を多賀健太郎(たが・けんたろう:1974-)さんが補訳したものです。周知の通り種村さんは個人全訳版『パニッツァ全集』全3巻(筑摩書房、1991年)を手掛けておられました。全集の「落穂拾い」と多賀さんは「訳者あとがき」に書いておられますが、本書だけでも充分に読み応えがありますし、内容的にも重要です。パニッツァはその最晩年を心の病による入院生活で過ごしたのですが、本書に収録されている作品群は、すべて入院前のもので、表題作を含め8篇中5篇は自ら設立した出版社「チューリヒ討論社」および『チューリヒ討論』誌で公刊されたもの。帯文には「梅毒としての文学」とあります。これは種村さんの著書『愚者の機械学』(青土社、1991年)に収められたパニッツァ論の題名でもあります。『犯罪精神病』の目次は以下の通りです。


目次|発表年:
犯罪精神病〔プシコパテイア・クリミナリス〕|1898年
天才と狂気|1891年
幻影主義と人格の救出――ある世界観のスケッチ|1895年
キリスト教の精神病理学的解明|1898年
フッテンの精神による対話(抄)|1897年
 第四対話 無神論者と検事のあいだで交わされる三位一体論
 第五対話 エラとルイのあいだで交わされるあらゆる時代の精神による愛の対話
壁の内側でも外側でも〔イントラ・ムロス・エト・エクストラ〕|1899年
パリからの手紙 七月十四日〔カトルズ・ジュイエ〕|1900年
進歩的無政府主義狂〔マニア・アナルヒスティカ・プログレッシウァ〕|1900年
原註
訳註
解題
訳者あとがき――オスカル・パニッツァと種村季弘


★戯曲『性愛公会議』の内容を咎められて実刑判決を受け、投獄されたその収監中に書いたという対話篇「フッテンの精神による対話」の第一対話から第三対話は、『性愛公会議』とともに『パニッツァ全集』第Ⅲ巻で読むことができます。


★表題作の「犯罪精神病」では「犯罪的な理性の形態であり、一種の思考のインフルエンザ」(65頁)で、「すこぶる感染力が強いもの」(67頁)としての犯罪精神病について論じており、症例としてパニッツァは革命家や宗教活動家だけでなく哲学者にも言及します。その一方で「幻影主義と人格の救出」では「幻影を吐き出せば吐き出すほど、豊穣な歴史を刻むのだ」(192頁)と書いています。どちらのエッセイにおいてもサヴォナローラや幾人かの思想家たちが出てくるのは偶然ではないと思います。「天才と狂気」の末尾ではハイネの詩「想像の歌」からの一節が引かれています。曰く「病いこそはおそらく/創造衝動すべての究極因。/創造によって私は癒され、/創造によって私は健康を取り戻した。――」。


★パニッツァは「幻影主義と人格の救出」でこうも書きます。「この世界をもみ消してしまったってかまいはしない。自分の五感でこの世界を生み出したからには、おまえがふたたび世界を思考によって破壊するのは、不可避であるばかりでなく、このような状況下では、不可欠でもある。だから、おまえが背後に抱えている悩みの種をぶちまけて前向きに取り組むことだ」(184頁)。「おまえの五感にとっては幻覚は現実のものなのだ。〔…〕おまえは幻影をいつでも消し去り、幻影を解消させることができるのだ」(185頁)。「われわれが思想を破壊しなければ、思想がわれわれを破壊する。われわれが思想を行動に移さず思想を手放さなければ、思想が行動し、われわれの身を滅ぼすことになる」(189頁)。パニッツァの思索は、自らの内面に兆す狂気と常に対峙していた当事者のそれであるような濃密な迫力があります。この機会に『パニッツァ全集』がちくま文庫か平凡社ライブラリーで文庫化されることを期待したいです。


★続いてちくま学芸文庫のまもなく発売となる(10日発売予定)の9月新刊より3点。『個人空間の誕生』は、『空間の経験――身体から都市へ』(山本浩訳、1993年)、『トポフィリア――人間と環境』(小野有五/阿部一訳、2008年)に続く、ちくま学芸文庫でのイーフー・トゥアン(Yi-Fu Tuan: 段義孚, 1930-)の文庫本第3弾。原書は『Segmented Worlds and Self: Group Life and Individual Consciousness』(University of Minnesota Press, 1982)であり、訳書親本はせりか書房より1993年に刊行されています。文庫版あとがきによれば、「わずかに存在した誤字・誤訳個所や、一部の固有名詞等の表記を修正し、また日本語として意味の取りにくい訳文にも手を加えた。さらに、引用文献のうち邦訳のあるものについて、いくつかを注につけ加えた」とのことです。訳者の阿部さんはこの新たなあとがきで、「個室に引きこもってスマホをチェックする個人が、SNSを通じて誰かとつながろうとしている現代社会において、本書の考察は絶えず振り返るべき価値を持ち続けているものと思われる」と綴っておられます。


★『独立自尊』は講談社単行本(2002年)、中公文庫(2011年)を経て再度文庫化されたもの。副題が「福沢諭吉の挑戦」から「福沢諭吉と明治維新」に改められています。著者の北岡さんによる「ちくま学芸文庫版へのあとがき」によれば、中公文庫版へのあとがきや猪木武徳さんによる解説は再録されておらず、巻末文献リストには重要文献が数点追加されているとのことです。そのかわり、新たに細谷雄一さんによる解説が付されています。北岡さんは今回の最新のあとがきで、「こういう時代にこそ、福沢諭吉に学んでほしいと思う。福澤が独立自尊の精神でもって、いかなるタブーにもとらわれることなく、因習に挑戦し続けたことを知ってほしいと思う」としたためておられます。なお本書は昨年に英訳版も刊行されているとのことです。


★『日本人の死生観』の親本は1998年に筑摩書房より刊行された単行本。昨年お亡くなりになった日本文化史家・立川昭二さんの著書のちくま学芸文庫での文庫化は『江戸人の生と死』(1993年)、『江戸病草紙』(1998年)に続いて本書で3冊目になります。本書では、西行、鴨長明、吉田兼好、松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門、貝原益軒、神沢杜口、千代女、小林一茶、滝沢馬琴、良寛ら12名の死生観が取り上げられています。「十二人が語ってくれたことばのなかに日本人の死生観を読み解き、彼らの生き方死に方にふれながら、できるだけ現代の私たちが直面している問題にむすびつけ、今日の日本人のメンタリティ(心性)の基層に生きている死生観を照らし出してみることを意図したものである」と親本から再録されたあとがきに記されています。解説「古典文学から日本人の死生観を辿る」は、島内裕子さんによるもの。


★『呪文』は2015年に河出書房新社より刊行された単行本の文庫化。解説は窪美澄さんがお書きになっています。シャッター商店街を舞台にした胸が締め付けられる恐ろしい小説が早くも文庫になりました。「まさに古い時代は終わり、新しい時代が作られようとしてる。人類は少しずつ滅亡しようとしていると、私は実感してる。それで、方舟がどこにあるのかは知らないが、少なくとも私はその乗客ではないことは自覚している。本能的に知ってるというかね。おまえらもそうだろ?〔…〕大切なのは、滅びるほうだろ? 滅びるべき者たちがその使命を悟って死んでいくから、世の中を新しく変えることができるわけだ。つまり、世を変えているのは、死んでいく側なんだよ」(173頁)。「強い意志を持って率先して消えることで」(同頁)新しい世界を創るという選民たちの冷ややかな決意が、フィクションという以上に現実に起こりうることのヴィジョンのように響くのはなぜでしょうか。本当に怖いです。


★『おとうさんとぼく』は先々月の既刊書ですが、なかなか入手する機会に恵まれませんでした。愛読していた旧版(2巻本、1985年)が手元にあるので急ぐことはなかったものの、岩波少年文庫が近所で購入できないどころか、電車に乗ってターミナル駅まで出ないと買えないというのは、色々と考えさせられるものがあります。新版全1巻を手にとってみて、登場する親子の相変わらずの他愛ない愛情と日常に胸を優しく締め付けられながら、どこか昔のようには読んでいないかもしれない自分も発見しました。それでもなお本書は名作であり、これからもずっと名作として読み継がれていくだろうと感じます。名作が残されていく世界であってほしいと心から思います。本書は児童書売場に置かれるのもいいですが、世の中の「おとうさん」たちにもっと読んでもらっていいはずです。その意味で『おとうさんとぼく』はビジネス書の新刊台に半年間は積まれていい本です。ビジネスパーソンが読むべき本がビジネス書なのだと私は思います。


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10月上旬刊行予定新刊:東琢磨/川本隆史/仙波希望編『忘却の記憶 広島』

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月曜社新刊案内【2018年10月:人文/歴史/社会】
9月28日受注締切◆10月4日取次搬入予定※
※目下、取次が業量の平準化と分散化を強力に推進しているため、通常の発売予定が数週間ほど延期になる状況下に置かれております。正確な取次搬入日は後日あらためてお知らせいたします。


忘却の記憶 広島
東琢磨・川本隆史・仙波希望編
月曜社 2018年10月 本体価格2,400円

46判変型[天地180mm×左右120mm×束24mm]並製432頁 
ISBN:978-4-86503-065-5 C0020 重量:340g


アマゾン・ジャパンにて予約受付中



広島学を起動する――被害地でも加害地でもある錯綜した場に立つ者は、いかに記憶を語り、あるいは忘却するのか。なぜそれは忘却されなければならなかったのかを問うことを通して、はじめて現在の広島を揺り動かすことができる。幾度も物語られるこの場所をもう一度語り直すために、批評家、研究者、労働者、アーティストなど13人が、街、島、路地……の記憶を織り上げる新たな試み=広島学の出発!


目次
忘却の記憶:編者まえがきあるいは解題的なものとして|東琢磨


◆忘却と記憶の時空
記憶のケアから記憶の共有へ:エノラ・ゲイ展示論争の教訓|川本隆史
「記憶のケア」を織り上げる:〈脱集計化〉を縦糸、〈脱中心化〉を横糸に|川本隆史インタビュー;聞き手=仙波希望/東琢磨
忘却の口:他なる記憶の避難所として|東琢磨

◆歴史と都市
軍都=学都としての広島|小田智敏
〈平和都市〉空間の系譜学|仙波希望
〈そこにいてはならないもの〉たちの声:広島・「復興」を生きる技法の社会史|西井麻里奈
原爆資料館の人形展示を考える|鍋島唯衣

◆ことば・映像
記憶する言葉へ:忘却と暴力の歴史に抗して|柿木伸之
占領の表象としての原爆映画におけるマリア像:熊井啓『地の群れ』を中心に|片岡佑介
結晶たちの「ヒロシマ」:諏訪敦彦の『H Story』と『A Letter from Hiroshima』|井上間従文

恨と飯:パフォーマンスの記録|ガタロ+ハルミ

◆文化実践と「ジモト学」
ジモトへのだらしない越境:哲学カフェとエルカップの試み|上村崇
「ジモト」を旅する/旅に落ち着く|峰崎真弥

ブックガイド
それぞれの〈ヒロシマ〉をとおって 編者むすび|東琢磨
あとがきにかえて|東琢磨
年表
編者・執筆者紹介


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東琢磨(ひがし・たくま:1964-)音楽・文化批評家。広島に関する本に『ヒロシマ独立論』(青土社、2007年)・『ヒロシマ・ノワール』(インパクト出版、2014年) がある。広島県生まれ・在住。


川本隆史(かわもと・たかし:1951-)国際基督教大学教員。主著は『現代倫理学の冒険』(創文社、1995年)、『ロールズ』(講談社、1997年)、『共生から』(岩波書店、2008年)。広島市生まれ。


仙波希望(せんば・のぞむ:1987-)東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程在籍。専攻は都市研究、メディア研究、歴史社会学。第7回日本都市社会学会若手奨励賞(論文の部)受賞。


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注目新刊:『nyx 第5号』堀之内出版、ほか

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a0018105_03542488.jpg『nyx 第5号』堀之内出版、2018年9月、本体2,000円、A5判並製344頁、ISBN978-4-906708-72-7
『未来のイヴ』ヴィリエ・ド・リラダン著、高野優訳、光文社古典新訳文庫、2018年9月、本体1,800円、828頁、ISBN978-4-334-75384-9
『方丈記』鴨長明著、蜂飼耳訳、光文社古典新訳文庫、2018年9月、本体640円、152頁、ISBN978-4-334-75386-3


★『nyx 第5号』は、第一特集は「聖なるもの」(主幹:江川純一×佐々木雄大)で、第二特集が「革命」(主幹:斎藤幸平)です。目次詳細は版元ドットコムに掲出されています。さらに3本目の柱は小特集「マルクス・ガブリエル」で、千葉雅也さんとガブリエルさんの対談「「新実在論」「思弁的実在論」の動向をめぐって」と、ガブリエルさんの京都大学講演「なぜ世界は存在しないのか――〈意味の場の存在論〉の〈無世界観〉」が収載されています。また、特集には属していませんが飯田賢穂さんによるレポート「なぜ、哲学なのか? 発言する哲学、越境する哲学」も掲載されています。これは、明治大学文学部に新設された哲学専攻を記念して今春行われたシンポジウムの様子を写真とともに報告したものです。プログラム内容についてはプレスリリースをご覧ください。また、簡単なイベントレポートが大学ウェブサイトに掲出されています。


★第5号はまばゆい金色の表紙がまず目を惹きますが、ここまで全体に金色を使いながらあざとくもしつこくもないというのは稀ではないでしょうか。また内容面でも、今回の二大特集は「聖なるもの」と「革命」で、一見相反する主題のようにも見えますけれども、いずれも規範を超えた力の収斂と放射を伴なう特異点として現われる事象であるという意味では議論の回路が相互に開かれているわけで、この二つが双子として頁を分け合っているのは故なきことではないと言えそうです。一方、ガブリエルをめぐってはまもなく青土社の月刊誌『現代思想』の2018年10月臨時増刊号として「総特集=マルクス・ガブリエル――新しい実在論」が発売になりますので、『nyx 第5号』のほか、ガブリエルの既訳書『神話・狂気・哄笑』(ジジェクとの共著、堀之内出版、2015年)や『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ、2018年)、「資本主義はショウ(見世物)だ」(セドラチェクとの対話、『欲望の資本主義2』所収、東洋経済新報社、2018年)などと併せ、売場が再び盛り上がるのではないかと思われます。


★千葉さんとガブリエルさんの対談は、千葉さんが東浩紀さんと行った対談「モノに魂は宿るか──実在論の最前線」での『なぜ世界は存在しないのか』批判を踏まえてガブリエルに切り込んでおり、哲学者自身の応答を聞く良い機会となっています。千葉さんと東さんの対談は改稿のうえ、「実在論化する相対主義――マルクス・ガブリエルと思弁的実在論をめぐって」として「ゲンロンβ28」に前編が掲載されています。また、千葉さんは来月下旬に河出書房新社より新著『意味がない無意味』を上梓される予定ですし、ガブリエルさんの著書は洋書でも店頭で着実に売れていると聞いていますので(例えば『私は脳ではない(I am Not a Brain: Philosophy of Mind for the 21st Century)』や『意味の場(Fields of Sense: A New Realist Ontology )』など)、『nyx 第5号』はしばらく参照され続けるのではないでしょうか。


★次に創刊12周年だという光文社古典新訳文庫の9月新刊より2点。『未来のイヴ』(1886年)は今までに文庫では渡辺一夫訳(岩波文庫、1938年)や、斎藤磯雄訳(創元ライブラリ、1996年)で読むことができましたが、斎藤訳は『ヴィリエ・ド・リラダン全集』第2巻(東京創元社、1977年)が底本ですから、新訳というのはとても久しぶりのことです。巻末解説をお書きになった海老根龍介さんは本作について「時代に背を向けた、ときに鼻白むような反動的精神が、未来をも見とおすかのような広い射程を備えた鋭い批評精神と結びついているさまもまた、『未来のイヴ』を特徴づける両義性のひとつといえるだろう」と評価しておられます。なお、押井守監督作品『イノセンス』(2004年)の冒頭で『未来のイヴ』第5巻第16章での科白が引用されているのは周知の通りですが、これは渡辺訳(下巻157頁)でも斎藤訳(339頁)でもありません。今回の高橋訳では578頁で読むことができます。曰く「現代の〈神〉や〈希望〉がもはや科学的なものでしかないのであれば、どうして現代の〈愛〉が科学的になってはいけないのだろう〔…〕。いけないことはあるまい」。


★『方丈記』は、現代語訳と原典の間に訳者の書き下ろしエッセイ「移動の可能性と鴨長明」を挟み、さらに原典の後には付録として『新古今和歌集』所収の鴨長明の和歌10首と、『発心集』巻五の一三「貧男、差図を好む事(貧しい男、〔自宅の〕設計図を描くのが好きだった)」の現代語訳と原文を収めています。巻末には、鴨長明が記述した安元の大火や治承の竜巻などの災害地図や「方丈の庵」想像図などをまとめた図版集や、鴨長明年譜、そして訳者による解説とあとがきが付されています。元暦二年(1185年)の大地震の頃、作者は数え年で31歳。「地震こそは、あらゆる恐ろしいものの中でもとりわけ恐ろしいと実感した」(32頁)と書き、その惨状や3か月ほど続いた余震について言及しています。さらに「地震の当初は、人々はみんなこの世の虚しさを口にして、少しは心の濁りも薄くなったかと見えたが、月日が過ぎ、年数が経つと、もうだれもなにもいわなくなる」(32~33頁)とも書き記した晩年の鴨長明は、人間のさがを冷静に見つめていたように思います。800年以上経過しても人間の本質がおおよそ変わらなかったと言うべきか、『方丈記』のメッセージは現代人の心に今なお沁みてくるものです。


★「世界というものは、心の持ち方一つで変わる。もし、心が安らかな状態でないなら、象や馬や七つの宝があっても、なんの意味もないし、立派な宮殿や楼閣があっても、希望はない。いま、私は寂しい住まい、この一間だけの庵にいるけれど、自分ではここを気に入っている。都に出かけることがあって、そんなときは自分が落ちぶれたと恥じるとはいえ、帰宅し、ほっとして落ち着くと、他人が俗塵の中を走り回っていることが気の毒になる」(48頁)。非常に滑らかな現代語訳だと思います。蜂飼さんによる古典の現代語訳は『虫めづる姫君 堤中納言物語』(2015年)に続く2点目です。



★なお光文社古典新訳文庫では、11月に、サルトル最晩年の、ベニ・レヴィとの対談『いま、希望とは(L'espoir maintenant)』が海老坂武さんの訳で刊行される予定とのことです。かつて「朝日ジャーナル」に翻訳が掲載されたものの改訂版でしょうか。何かと問題視されたこともあった対談を、ようやく冷静に読める機会が訪れるのでしょう。


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★続いてまもなく発売となる新刊注目書を列記します。


『吉本隆明全集17[1976-1980]』吉本隆明著、晶文社、2018年9月、本体6,700円、A5判変型上製656頁、ISBN978-4-7949-7117-3
『脱近代宣言』落合陽一/清水高志/上妻世海著、水声社、本体2,000円、四六判並製304頁、ISBN978−4−8010−0350−7
『評伝 小室直樹(上)学問と酒と猫を愛した過激な天才』村上篤直著、ミネルヴァ書房、2018年9月、本体2,400円、4-6判上製762頁、ISBN978-4-623-08384-8
『評伝 小室直樹(下)現実はやがて私に追いつくであろう』村上篤直著、ミネルヴァ書房、2018年9月、本体2,400円、4-6判上製744頁、ISBN978-4-623-08385-5
『イエズス会の歴史(上)』ウィリアム・V・バンガート著、上智大学中世思想研究所 監修、中公文庫、2018年9月、本体1,500円、576頁、ISBN978-4-12-206643-4
『イエズス会の歴史(下)』ウィリアム・V・バンガート著、上智大学中世思想研究所 監修、2018年9月、本体1,500円、576頁、ISBN978-4-12-206644-1



★『吉本隆明全集17[1976-1980]』は第18回配本。『悲劇の解読』(筑摩書房、1979年)と『世界認識の方法』(中央公論社、1980年)を中心に、1980年に発表された詩、評論、講演、エッセイ、アンケート、推薦文、あとがき、等を収録しています。さらに、未発表だったミシェル・フーコー宛の書簡を初収録。『悲劇の解読』は作家論集。歴史の停滞と空虚さの只中で批評の持続を引き受けようとする、五十路を越えた批評家の境地を看取できる見事な名篇です。吉本と作家の生が交差する深度から発せられる、色褪せようのない痛烈な太宰論にはこう綴られています。「気がかりな読者だけは作品や作家の跡から見え隠れに尾行をつづけ、ついに行き倒れて朽ちてしまう姿を見とどけなければならない。かれにはみすみす死地の方へ歩んでゆく作品や作者を、こちら側におしとどめる能力はないが、他人事でない気がかりさえあれば、その死にざまを見とどけることだけはできる。文学の周辺にはそういう悲劇的な関係の仕方も、ときにあるのではないか。わたしは青年のある時期、太宰治の作品にそういう関係に仕方をしたことがあった」(17頁)。人間失格という人ならざるものの地平へと滑り落ち、孤独な暗い水際に座した太宰と、その目の前に佇む亡霊のような吉本の時を超えた対峙には、呪われた葬列へと読者を否応なく引きずり込む禍々しさを感じます。


★フーコーとの対談「世界認識の方法――マルクス主義をどう始末するか」を中心に編まれた『世界認識の方法』に対しては、付属する「月報18」に収められた竹田青嗣さんによる「新しい世代が受け継ぐべきもの」が、興味深い位置づけを与えています。竹田さんは昨今日本でも輸入され話題を呼んでいる、メイヤスー、ガブリエル、ハーマンらの哲学の意義を簡潔に解説しつつ、それに先立つフーコーと吉本の対決を「世界の普遍認識の可能性をめぐる認識論上の根本的対立」と捉え、さらに吉本の「思想家としての最大の業績」が何なのかについて銘記しておられます。詳しくは現物にてご確認下さい。次回配本は12月下旬発売予定、第18巻とのことです。


★『脱近代宣言』は、メディア・アーティストの落合陽一(おちあい・よういち:1989-)さん、哲学者の清水高志(しみず・たかし:1967-)さん、キュレーターの上妻世海(こうづま・せかい:1989-)さんの三氏による鼎談集。お三方にとっても初めての鼎談本となるようです。目次詳細は書名のリンク先でご覧になれます。落合さんは「はじめに」でこう書いています。「近代的な成長社会から成熟社会に臨んだ今、われわれはヒューマニズムの枠組みのなかの成長とは違った解釈を取りうるのではないだろうか。テクノロジーによるアプローチや、芸術的な美意識や価値の勃興に基づいたわれわれの文化的側面の再考は、平成の時代が終わろうとしている今、必要なことに思える」(12頁)。これまでは芸術書売場に置かれることが多かったはずの落合さんの本は本書の登場によって人文書売場まで越境してくることになるのかもしれません。


★脱近代を掲げる落合さんは例えば「人文系は、その〔=変革の〕速度を遅くするために働く、ダンパなので。本当にあれはよくないですね。なんとかしたいとは思っています」(131~132頁)と発言したりもします。ただし、こうした言質から彼を例えば加速主義者の枠組みで捉えるというのは単純すぎる割り切り方かもしれません。部分を切り取るような読み方は特に本書ではあまり有効ではないと思われます。新しい人類学や哲学――新実在論やオブジェクト指向哲学など――の動向へと参照項を開く清水さんと、「デジタルネイチャー」へと向かうアートとテクノロジーの可能性を追求する落合さん、そしてそれらを架橋する新しい批評とキュレーションの展望を与える上妻さんの、それぞれの議論のレイヤーが重なり合うさまを、読者は目撃することになります。論及されるのが仏教思想にせよ福沢諭吉にせよ、容赦なく侵犯していく本なので、各方面から様々なリアクションが生まれるだろうと想像します。


★『評伝 小室直樹』上下巻は書名が表す通り、高名な社会学者、小室直樹(こむろ・なおき:1932-2010)をめぐる大部の評伝です。ミネルヴァ書房さんの創業70周年記念出版だそうで、「橋爪大三郎編著『小室直樹の世界』から5年。もう一つの日本戦後史がここにある!「小室直樹博士著作目録/略年譜」の著者・村上篤直が、関係者の証言を元に、学問と酒と猫をこよなく愛した過激な天才の生涯に迫る」と宣伝しておられます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。オビやカバーソデには弟子である橋爪大三郎、副島隆彦、宮台真司、大澤真幸の各氏の推薦の言葉が並んでいます。著者の村上篤直(むらかみ・あつなお:1972-)さんは現役の弁護士。小室さんの弟子ではなく、生前に面識もなかったものの、人生の苦闘の中で小室さんの著書と出会い、ウェブサイト「小室直樹文献目録」を2000年に開設されています。村上さんは本書のはしがきで、小室さんのことを次のように端的に評しておられます。「内から湧き上がる情熱のままに、西洋近代文明の精華を学び尽くした天才。/練り上げられた方法論と研ぎ澄まされた霊感。/これによって洞察された過去・現在・未来の世界を、惜しげもなくわれわれの眼前に広げて見せてくれた」(iii頁)と。


★『イエズス会の歴史』上下巻は、原書房より2004年に刊行された書籍を改訳し、文献を追補して文庫化したもの。原書は1986年の『A History of the Society of Jesus』第2版です。上巻には、はしがき、第1章「創立者とその遺産」、第2章「地平の絶え間なき拡大(1556~1580年)」、第3章「急速な発展と新たな取り組み(1580~1615年)」、第4章「政治・文化の新たな覇権国家からの挑戦(1615~1687年)」と文献表Ⅰを収め、「イグナティウス・デ・ヨロラによるパリでの会の発足から17世紀後半まで、西洋諸国の歩みと深く関わる会の展開」(カバー裏紹介文より)を描いています。下巻では第5章「理性の時代との対峙(1687~1757年)」、第6章「追放、弾圧、復興(1757~1814年)」、第7章「新たな政治的・社会的環境と植民地世界への適応(1814~1914年)」、第8章「20世紀」、そしてクラウス・リーゼンフーバーさんによる追補「最近の発展(1985~2000年)」を収め、文献表Ⅱのほか新たに文献表Ⅲが加わっています。下巻では17世紀後半以降における教会と啓蒙主義の対立や、その後の展開を解説。文庫でイエズス会の通史が読めるようになるのは初めてのことです。


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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。


『維新と敗戦――学びなおし近代日本思想史』先崎彰容著、晶文社、2018年8月、本体2,000円、四六判上製316頁、ISBN978-4-7949-7053-4
『比較から世界文学へ』張隆溪(チャン・ロンシー)著、鈴木章能訳、水声社、2018年9月、本体4,000円、A5判上製261頁、ISBN978-4-8010-0360-6
『ロシア革命――ペトログラード1917年2月』和田春樹著、2018年9月、本体3,600円、46判上製584頁、ISBN978-4-86182-672-6
『男たちよ、ウエストが気になり始めたら、進化論に訊け!――男の健康と老化は、女とどう違うのか』リチャード・ブリビエスカス著、寺町朋子訳、インターシフト発行、合同出版発売、2018年9月、本体2,200円、四六判並製272頁、ISBN978-4-7726-9561-9
『デカルト』ロランス・ドヴィレール著、津崎良典訳、文庫クセジュ:白水社、2018年9月、本体1,200円、新書判220頁、ISBN978-4-560-51022-3
『確率微分方程式』渡辺信三著、ちくま学芸文庫Math&Science、2018年8月、本体1,200円、316頁、ISBN978-4-480-09882-5


★『維新と敗戦』は、産経新聞の二つの連載「『戦後日本』を診る」(2014年4月~2015年3月)および「『近代日本』を診る」(2015年4月~2016年3月)に加筆訂正した第Ⅰ部が全体の半分以上を占めます。福澤諭吉から高坂正堯まで23人の日本の思想家を取り上げ、彼等の言葉から現代を照射すべく試みておられます。第Ⅱ部は2011年から2018年にかけて各媒体に掲載された思想家論をまとめたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。東日本大震災の被災者の一人として著者はこう書いています。「あらゆる言葉が、「速すぎる」ように思えた。天災による激変に即応し、時宜にかなった説明が、すぐに手に入る状況はどうみても異常であった。新聞・出版をにぎわせる老若男女の知識人の手際のよさに、正直、戸惑ってしまったのである。/思想や文学を論じ生活の糧にする者には、もう少し謙虚さが求められるように思う。謙虚さとは、時代の変化に応じるよりは立ち止まり、言葉を発することに躊躇するというほどの意味である」(10頁)。第Ⅰ部では各思想家に3冊ずつ関連書が掲げられており、日本思想の棚を整理したい書店員さんにとって参考になるのではないかと思われます。なお以下のイベントが今週後半に予定されています。


◎先崎彰容×大澤聡「新・教養主義宣言――古い「ことば」こそ、新しい」



日時:2018年9月21日(金)19:00開演 18:45開場
会場:紀伊國屋書店新宿本店9階イベントスペース
料金:500円
受付:電話にてご予約を受付(先着50名様)。電話番号:03-3354-0131(紀伊國屋書店新宿本店代表番号/10:00~21:00)
内容:1990年代後半、大学に入学した先崎、大澤の二氏が目の当たりにした教養の崩壊。2018年の今、私たちは何を指針に、現代社会を評価すればよいのか。両氏の答えは「過去のことば」の復活。福澤諭吉から丸山真男まで、日本思想を読む醍醐味を、ぞんぶんに語り合う、本格派トークセッション。


★『比較から世界文学へ』は、英語圏で長らく活躍してきた比較文学研究者の張隆溪(チャン・ロンシー:Zhang Longxi, 1941-)による『From Comparison to World Literature』(SUNY Press, 2015)の全訳。『アレゴレシス――東洋と西洋の文学と文学理論の翻訳可能性』(鈴木章能/鳥飼真人訳、水声社、2016年)に続く、2冊目の訳書です。目次は書名のリンク先をご覧ください。序にはこう書かれています。「中国と西洋の文化的通約不可能性や根源的な差異を主張する意見について検証し、中国と西洋は通約可能であり、あらゆる面で違いがあるとしても、あらゆる困難を乗り越えて異文化を理解する必要があることを本書の目的として論じていく」(13頁)。「世界文学における「世界」という言葉を真摯に考えれば、そのような〔世界文学の首都がパリであると考えるような〕ヨーロッパ中心の視野の限界を超えて、世界には驚くべき豊かさと多様性があると我々が日頃認識しているとおりに世界を考える必要がある。だからこそ、世界文学の研究アプローチがもっている包括性、異なる観点や意見の融合、より広い新たな地平の可能性が重視されなければならない」(19頁)。これは他の人文学においても試みうる挑戦かもしれません。


★『ロシア革命』は帯文に曰く「和田ロシア史学のライフワーク、遂に完成」と。ロシア革命100年であった昨年に、50年前の論文「二月革命」(江口朴郎編『ロシア革命の研究』(中央公論社、1968年所収)を書き直し、新たな資料や研究、新たな構想を加えて執筆され、「二月革命からはじまり、一〇月革命、そして第三のレーニンの革命にいたる、三段階のロシア革命像に行きついた」(493頁)のが本書だそうで、「八〇歳となった私の生涯最後の一冊である」(494頁)と述懐されています。主要目次は以下の通り。


序章 世界戦争に抗する革命――ロシア革命・ペトログラード1917年2月
第1章 ロシア帝国と世界戦争
第2章 革命の序幕
第3章 首都ペトログラードの民衆
第4章 首都の民主党派
第5章 首都の革命
第6章 国会臨時委員会とソヴィエト
第7章 二つの革命――さまざまな路線
第8章 軍部と皇帝
第9章 臨時政府の成立と帝政の廃止
第10章 革命勝利の日々
あとがきにかえて 私は二月革命をどのように研究してきたか
ペトログラード市街地地図(1917年)
ロシア革命年表
参考文献一覧
出典一覧
人物解説・索引


★『男たちよ、ウエストが気になり始めたら、進化論に訊け!』は『How Men Age: What Evolution Reveals about Male Health and Mortality』(Princeton University Press, 2016)の訳書。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。リンク先では第1章「男の老化と進化」と巻末解説も試し読みができます。本書によれば「オスの老化には、メスの老化にはない特徴」があり、それは「オスとメスでは生殖や代謝の生物学的基盤が異なり、そこから生じる制約条件も異なるから」だと言います(11頁)。この前提を踏まえ、本書は男性の老化を進化論から説明してくれます。「前立腺がんや筋肉量の低下、体重管理の難しさなど、男性が年を取るにつれて直面するさまざまな健康問題についての有益な観点」(21頁)が提示され、さらには「高年齢男性における〔成長や生殖に関わる〕形質の進化が人類全体の進化にどんな影響を及ぼしてきたか」(22頁)についても解説されます。父親と独身の違いや、贅肉が付いたり、老いて変わっていくことの進化医学的な意味というのは、男性にとってだけでなく女性にとっても興味深い話ではないかと思います。


★『デカルト』は2013年に刊行された『René Descartes』の訳書。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ロランス・ドヴィレール(Laurence Devillairs, 1969-)は西洋近世哲学、とりわけデカルトが専門の研究者で、文庫クセジュではこの先、彼の『思想家たちの100の名言』(2015年刊)も来年翻訳出版予定だそうです。また、訳者の津崎良典さんは今年年頭に魅力的な啓発書『デカルトの憂鬱』を扶桑社から上梓されています。ドヴィレールの初訳本となる今回のデカルト論は「神の「無限な」という在り方に焦点をあてることで、デカルト哲学を構成する代表的な論点のすべて(自我論、存在論、認識論、道徳論、生理学と機械論を含む自然学など)をそれに関連づけ、目配りのきいた豊富なデカルトからの引用文とともに統一的な視座から再解釈する試み」(訳者あとがきより)です。「デカルト形而上学の重心が、私は在る、私は存在すると主張することよりも、無限なものの観念を知解することのほうにかかっている」(64頁)とする著者の切り口を、訳者は特異なものとして評価しておられます。本書の論点は著者の2004年に公刊された博士論文『デカルトと神の認識』(未訳)でも展開されているとのことです。


★『確率微分方程式』は、1975年に産業図書から刊行された書籍の文庫化。著者の師である伊藤清が確立した「伊藤積分」をふまえ、「マルチンゲール的手法に重点」(5頁)を置きつつ確率微分方程式を解説したもので、カバー裏紹介文の文言を借りると「自然界や社会における偶然性を伴う現象」の定式化や、「物理学・数理ファイナンスなど幅広い応用をもつ理論の基礎」をめぐる、基本的文献です。著者の弟子にあたる重川一郎さんによる解説が付されています。主要目次は以下の通り。


はじめに
記号その他
第1章 ブラウン運動
第2章 確率積分
第3章 確率積分の応用
第4章 確率微分方程式
付録Ⅰ 連続確率過程に関する基本定理
附録Ⅱ 連続時間マルチンゲールのまとめ
各章に対する補足と注意
文献
解説(重川一郎)
索引


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注目新刊:『現代思想』2018年10月臨時増刊号「総特集=マルクス・ガブリエル」

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a0018105_17040101.jpg★飯田賢穂さん(共訳:ルソー『化学教程』ウェブ連載中)
★宮﨑裕助さん(共訳:ド・マン『盲目と洞察』)
★清水一浩さん(共訳:ガルシア・デュットマン『友と敵』)
★岡本源太さん(著書:『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』)
『現代思想』2018年10月臨時増刊号「総特集=マルクス・ガブリエル――新しい実在論」や『nyx』第5号「小特集=マルクス・ガブリエル」に寄稿されています。それぞれの目次詳細は誌名のリンク先でご覧いただけます。

飯田賢穂さんは『nyx』第5号に、レポート「なぜ、哲学なのか? 発言する哲学、越境する哲学」を寄せておられます。これは明治大学文学部に今春新設された哲学専攻を記念して行われた同名のシンポジウムの様子を写真とともに報告したものです。 


宮﨑裕助さんは『現代思想』10月臨時増刊号で、大河内泰樹さんおよび斎藤幸平三との討議「多元化する世界の狭間で――マルクス・ガブリエルの哲学を検証する」に参加されています。


清水一浩さんは同号に掲載されたマウリツィオ・フェラーリスの論文「新しい実在論――ショート・イントロダクション」の翻訳を担当されています。


岡本源太さんは同号に論考「マルクス・ガブリエルと芸術の問題――絶対者のもとに休らう芸術作品」を寄せておられます。


なお『nyx』第5号ではガブリエルと千葉雅也さんの2018年の対談「「新実在論」「思弁的実在論」の動向をめぐって」と、京都大学での2018年来日講演「なぜ世界は存在しないのか――〈意味の場の存在論〉の〈無世界観〉」が掲載されています。


また『現代思想』の臨時増刊号では、ガブリエルの2016年のインタビュー2本:アーニャ・シュタインバウアー聞き手「『なぜ世界は存在しないのか』入門」、グレアム・ハーマン聞き手「『意味の場』刊行記念インタビュー、2018年の対談1本:野村泰紀×ガブリエル「宇宙×世界」、2017年の論文の翻訳1本:「意味、存在、超限」のほか、主要著作ガイドが掲載されています。第Ⅰ期:2006年『神話における人間――シェリングの『神話の哲学』における存在神論・人間学・自己意識の歴史に関する諸探求』、第Ⅱ期:2009年『古代における懐疑論と観念論』、第Ⅲ期:2011年『超越論的存在論――ドイツ観念論についての試論』、第Ⅳ期:2012~2013年『世界の認識――認識論入門』『なぜ世界は存在しないのか』、第Ⅴ期:2016年『意味と存在――実在論的存在論』『私は脳ではない――21世紀のための精神哲学』。


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「週刊読書人」に、岡田温司『アガンベンの身振り』の書評

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「週刊読書人」2018年9月14日号に、弊社6月刊、岡田温司『アガンベンの身振り』の書評記事「「エピゴーネンの流儀」とは何か――哲学者の思考に寄り添いながら、ともに思索を紡ぐ」が掲載されました。評者は岡本源太さんです。曰く「本書で注目されるアガンベンの「エピゴーネンの流儀」とは、「他者から出発してのみ生まれ、この依存関係を決して否定しない」ものだという。幼児期のわたしたちがはじめて言葉を習い覚えたとき、身近な人々の語る内容を理解するよりもまえに、その口調、声音、表情、身振り手振りをなぞって、いつしかそれを自分固有のものにした。エピゴーネンの身振りとは、言ってみればパラダイム――かたわらで示すもの――をなぞる身振りだ。身振りはしばしば自己のかたわらで手本を示してくれる他者の身振りをなぞる。そうして身振りは、自己を示すのみならず他者との関係を築き、自己と他者の境界をかぎりなく不分明にしながら特異性と共同性を同時に打ち立てる。アガンベンはそれを「生の形式」として繰り返し語ってきたのだった」と。

保管:2017年7月~10月季刊情報

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◎2017年10月16日発売:甲斐義明編訳『写真の理論』本体2,500円
◎2017年10月6日発売:森山大道『K』本体2,500円
◎2017年8月4日発売:ポール・ギルロイ『ユニオンジャックに黒はない』本体3,800円
 酒井隆史氏書評「不変と変化、この30年――レイシズムとナショナリズムの不可分な力関係」(「図書新聞」2017年11月4日号)
 石田昌隆氏書評(「ミュージックマガジン」2017年11月号「RANDOM ACCESS BOOK」欄)
 野田努氏書評(「ele-king」WEB版2017年10月4日付「Book Reviews」欄)
 無記名氏書評(「河北新報」10月1日付読書欄「新刊抄」)
◎2017年7月4発売:ジャコブ・ロゴザンスキー『我と肉』本体4,800円、シリーズ・古典転生第16回配本。
 廣瀬浩司氏書評「あらたな思考の出発点をうちたてる――現象学的身体論の刷新へと波及する潜在性」(「週刊読書人」2017年9月8日号)


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注目新刊:工作舎版『ライプニッツ著作集 第I期 新装版』刊行開始

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a0018105_20453036.jpg『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[8]前期哲学』G・W・ライプニッツ著、西谷裕作/竹田篤司/米山優/佐々木能章/酒井潔訳、工作舎、2018年9月、本体9,000円、A5判上製函入448頁+別丁8頁、ISBN978-4-87502-496-5



★今年6月に完結した『ライプニッツ著作集』第Ⅱ期全3巻に続き、第Ⅰ期全10巻が新装版で今月より順次刊行開始となっています。函入本がカバー装に変更され、さらに本文の紙色×刷色が、薄灰色×薄墨色から白色×墨色に変更されています。カバーのデザインは第Ⅱ期と同様ですが、新装版第Ⅰ期では金箔があしらわれており、目にも鮮やかです。新旧どちらのデザインも美しく、第Ⅰ期旧版をお持ちの方も新装版を久しぶりに買い揃えるのが吉かと思います。新装版全巻の特典予約として、旧版月報を冊子にまとめた「発見術への栞」がもらえるとのことです。第1回配本は第8巻「前期哲学」で『形而上学叙説』『アルノーとの往復書簡』などを収録。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。第2回以降の配本予定は以下の通りです。第Ⅰ期旧版と第Ⅱ期の書目も掲出しておきます。また、明日日中に紀伊國屋書店新宿本店にて行われる関連イベントの情報も記しておきます。イベント会場では旧版品切本の販売もあり、『ライプニッツ著作集』のいずれか1点をお買い求めになると特別に小冊子「発見術への栞」が進呈されると聞いています。


◎第Ⅰ期全10巻新装版(2018年9月~)
第1回配本2018年09月:第8巻前期哲学
第2回配本2018年11月:第4~5巻認識論(人間知性新論 上下巻)
第3回配本2019年01月:第10巻中国学・地質学・普遍学
第4回配本2019年03月:第6~7巻宗教哲学(弁神論 上下巻)
第5回配本2019年05月:第3巻数学・自然学
第6回配本2019年07月:第2巻数学論・数学
第7回配本2019年09月:第9巻後期哲学
第8回配本2019年11月:第1巻論理学


◎第Ⅰ期全10巻函入旧版(1988年11月~1999年3月)
[1]論理学(澤口昭聿訳、1988年11月、本体10,000円)
[2]数学論・数学(原亨吉ほか訳、1997年4月、本体12,000円)
[3]数学・自然学(原亨吉ほか訳、1999年3月、本体17,000円:函痛有)
[4]認識論:人間知性新論…上(谷川多佳子ほか訳、1993年8月、本体8,500円:品切)
[5]認識論:人間知性新論…下(谷川多佳子ほか訳、1995年7月、本体9,500円:函痛有)
[6]宗教哲学[弁神論…上](佐々木能章訳、1990年1月、本体8,253円)
[7]宗教哲学[弁神論…下](佐々木能章訳、1991年5月、本体8,200円:函痛有)
[8]前期哲学(西谷裕作ほか訳、1990年12月、本体9,000円:品切)
[9]後期哲学(西谷裕作ほか訳、1989年6月、本体9,500円)
[10]中国学・地質学・普遍学(山下正男ほか訳、1991年12月、本体8,500円:函痛有)


◎第Ⅱ期全3巻(2015年5月~2018年6月)
[1]哲学書簡――知の綺羅星たちとの交歓(山内志朗ほか訳、2015年5月、本体8,000円)
[2]法学・神学・歴史学――共通善を求めて(酒井潔ほか訳、2016年10月、本体8,000円)
[3]技術・医学・社会システム――豊饒な社会の実現にむけて(佐々木能章ほか訳、2018年6月、本体9,000円)


◎酒井潔×山本貴光「『ライプニッツ著作集』第II期完結&第I期新装復刊記念対談」



日時:2018年9月24日(月・祝)14:00開演 13:45開場
会場:紀伊國屋書店新宿本店 9階イベントスペース
料金:500円
予約:電話03-3354-0131 新宿本店代表(10:00~21:00)先着50名様


『ライプニッツ著作集』第II期の監修者にして、日本ライプニッツ協会会長の酒井潔さんと、ゲーム作家・文筆家として活躍がめざましい山本貴光さんのスペシャル対談。「実践を伴う理論(theoria cum praxi)」――ライプニッツは私たちに縁遠い天才か? 対談では、1)ライプニッツの書簡術、2)ライプニッツの文章作法、3)壮烈と工夫の仕事人ライプニッツ、4)ライプニッツの普遍学構想、5)ライプニッツ育成計画、等々、ライプニッツの精力的な活動ぶりに迫り、怠惰に流れがちな日常を打破するヒントを探る。


※対談終了後はサイン会を開催。『ライプニッツ著作集』第II期(全3巻)および、発売直後の第I期『第8巻 前期哲学 新装版』はもちろん、旧版第I期の在庫がある巻、酒井さんの著書、山本さんの著書も販売する予定。サインをいただく貴重な機会になると思います。
※『ライプニッツ著作集』第I期新装版全巻予約特典として、旧第I期の月報10巻分をまとめた100頁を超える小冊子「発見術への栞」を進呈。なお本イベントで『ライプニッツ著作集』(第Ⅱ期、新旧第Ⅰ期)をお買い上げの方に限り、この特典をプレゼントします。


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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。


『本を贈る』若松英輔/島田潤一郎/牟田都子/矢萩多聞/橋本亮二/笠井瑠美子/川人寧幸/藤原隆充/三田修平/久禮亮太著、三輪舎、2018年9月、本体1,800円、四六判上製304頁、ISBN978-4-9908116-3-1
『文学はおいしい。』小山鉄郎著、ハルノ宵子画、作品社、本体1,800円、46判上製212頁、ISBN978-4-86182-719-8
『古本的思考――講演敗者学』山口昌男著、晶文社、2018年9月、本体2,700円、四六判上製344頁、ISBN978-4-7949-7059-6
『四苦八苦の哲学――生老病死を考える』永江朗著、晶文社、2018年9月、本体1,700円、四六判並製292頁、ISBN978-4-7949-7055-8
『不妊、当事者の経験――日本におけるその変化20年』竹田恵子著、洛北出版、2018年9月、本体2,700円、四六判並製589頁、ISBN978-4-903127-27-9



★『本を贈る』は、批評家、編集者、校正者、装丁家、印刷業者、製本業者、版元営業マン、取次人、書店員、移動式本屋店主、といった本に携わる様々な関係者10名が書いたエッセイをまとめたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。この1冊で本を「贈る」職人たちの横顔を知ることができるので、本にかかわる仕事に関心がある方、ないし目指している方にお薦めできる新刊です。ちなみに本書の奥付の対向頁には本書の製作にかかわった印刷所と製本所のスタッフのお名前が細かい部門ごとに掲出されていて、紙媒体の書籍を作るという作業にいかに多くの人手がかかっているかが一目瞭然となっています。本の重みを感じることのできる本です。ほとんどの本ではこうした関係者の個人名は記載されていませんが、製作段階だけでもこれだけの人数がかかわり、さらに流通・販売段階においても多数の人々の手を借りていることを忘れたくないと思います。


★『文学はおいしい。』は、共同通信配信の新聞連載「文学を食べる」を改訂して書籍化したもの。カツ丼からネギ弁当まで、近代以降の日本文学における食の風景の歴史を、ハルノ宵子さんによる料理のカラーイラストとともに、見開き読み切りで紹介しています。読んでいるだけでお腹が空いてくる「おいしい本」で、夜中に開こうものなら「読む飯テロ」になる魅力的な一冊。取り上げられている100種類の料理と文学作品名のうち、書名のリンク先で主要な30種が掲出されています。内容から察して、作品社さんの公式twitterの「中の人」が担当者かと思いきや、カント、ヘーゲル、ハイデガー、アドルノなど数多くの訳書を手掛け、最近では熊野純彦さんの『本居宣長』を担当されたヴェテランのTさんでした。ちなみに1品目のカツ丼で取り上げられるのが吉本ばななさんの小説『キッチン』で、100品目のネギ弁当で言及されるのが吉本隆明さんのエッセイ「わたしが料理を作るとき」です。ほかならぬハルノさんの思い出話も紹介されているネギ弁当が何なのかについては、ぜひ書籍現物を店頭でご確認下さい。


★『古本的思考』はまもなく発売。単行本未収録の講演、インタヴュー、論考、紀行文など13篇を川村伸秀さんが3部構成にして編んだ一冊です。未公刊の講演録「近代日本における“知のネットワーク” の源流」(南部支部古書懇話会発足記念講話、1992年11月7日)と「吉野作造と街角のアカデミー」(吉野作造記念館主催講演、1997年3月16日)を含みます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。インタビュー「雑本から始まる長い旅」で山口さんはこう語っています。「古本屋はなんでもかんでも、もうゴミまで集めてくるみたいなものだけど、そこでは偶然性によってどんな本が集まってくるのか分からないんだから、とても仮説的なものだと言える」(296頁)。「その仮設性のなかから何を読むのか。〔…〕パラダイム・チェンジの可能性は、〔新刊よりも〕古本の持つ仮設性の側に遥かにあるんだって言える。〔…〕古本屋さんは、そういうものと最初に出会う現場にいる」(319頁)。「古本的というのはね、古本を通じて人脈を全部取り戻す、そういう過程を通じて枠組み〔パラダイム〕を作りながらまた古本を探し、探した古本のなかからまた新しい枠組みが出てくる、そういう関係そのものだよね」(同頁)。また「近代日本における“知のネットワーク” の源流」では、「古本のほうが遥かに進んだメディア」(257頁)だとも指摘されています。古本の楽しみは、過ぎ去った時代のタイムカプセルの解読にある、と山口さんは見ておられるようです。


★『四苦八苦の哲学』は、生老病死をめぐり、哲学者たちの考察に寄り添いつつ人生の四苦八苦に思いを寄せる一冊。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「ひとりで哲学の勉強をすること」と「四苦(生老病死)について考えること」をテーマに読み解かれるのは、プラトン『パイドン』、キェルケゴール『死に至る病』、ジャンケレヴィッチ『死』、スーザン・ソンタグ『隠喩としての病』、フーコー『臨床医学の誕生』、キケロー『老年について』、ボーヴォワール『老い』、ハイデガー『存在と時間』、九鬼周造『時間論』、レヴィナス『時間と他なるもの』、バタイユ『エロティシズム』など。本書ご執筆中に還暦をお迎えになったという永江さんは、法政大学文学部哲学かのご出身で、鷲田清一さんとの共著『哲学個人授業』(バジリコ、2008年;ちくま文庫、2011年)があります。


★『不妊、当事者の経験』は、臨床検査技師だった著者が働くかたわら大学で学んで執筆した博士論文と、不妊治療を受ける当事者たち60名への聞き取り調査等をもとにして、一般読者向けに全面的に改稿した長編力作。当事者たちが不妊治療に対して覚える躊躇と、その時代背景や変化、さらに当事者による躊躇への対処法と、不妊治療の未来が論及されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。漢字の随所に丁寧にフリガナが振られており、版元さんの手厚い配慮が感じられます。著者自身も当事者だった経験がおありだとのことです。ちなみに洛北出版さんでは、現代の日本人の妊娠経験を研究した、柘植あづみ/菅野摂子/石黒眞里『妊娠――あなたの妊娠と出生前検査の経験をおしえてください』という本を2009年に刊行されています。



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注目新刊:『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ』、ほか

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a0018105_01475656.jpg『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ――アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン/カルヴィン・トムキンズ著、中野勉訳、河出書房新社、2018年9月、本体2,100円、46変形判上製184頁、ISBN978-4-309-25606-1
『海の歴史』ジャック・アタリ著、林昌宏訳、プレジデント社、2018年9月、本体2,300円、四六判上製400頁、ISBN978-4-8334-2297-0
『自殺論』デュルケーム著、宮島喬訳、中公文庫、2018年9月、本体1,500円、文庫判712頁、ISBN978-4-12-206642-7
『機械カニバリズム――人間なきあとの人類学へ』久保明教著、講談社選書メチエ、2018年9月、本体1,650円、四六判並製224頁、ISBN978-4-06-513025-4
『ルイ・アルチュセール――行方不明者の哲学』市田良彦著、岩波新書、2018年9月、本体860円、新書判272頁、ISBN978-4-00-431738-8
『情報生産者になる』上野千鶴子著、ちくま新書、2018年9月、本体920円、新書判384頁、ISBN978-4-480-07167-5


★『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ』は、『Marcel Duchamp: The Afternoon Interviews』(Badlands Unlimited, 2013)の全訳。訳者あとがきによれば、1964年3月頃に収録されたと思しい「録音テープにして七時間ほどにも及ぶというこの対話は、以前からトムキンズのデュシャン伝(原書初版1996年〔『マルセル・デュシャン』木下哲夫訳、みすず書房、2003年〕)で随所に引用されていたとはいえ、その全容が明らかになるのは今回が初めて」だとのことです。デュシャンの語り口は砕けていて親しみやすく、今なお示唆的です。印象的な部分を抜き出します。


トムキンズ「「アートなんて簡単だ」という考え方が拡まってきていると思われますか?」
デュシャン「やるのがもっと簡単になったっていうんじゃあないんです。ただ、発表の場がむかしより増えている。アートをカネと交換するっていうのはあの当時はごく少数のアーティストにとってしか存在してなかった。1915年には、アーティストとして生きるというのは、カネ儲けを目指す提案としては存在していなかった――およそそんなじゃあなかった。現代では惨めな暮らしをしている人がむかしより多いけれども、それは絵画で生計を立てようとして、できないからです。競合がすごいんだ。」
トムキンズ「ですが、新しいアート活動がこれだけ起きているというのは、或る意味で健康なしるしなのでは?」
デュシャン「そういう面はある、社会という観点から考えるんならね。ただ、美学の観点からすればたいへん有害だと思います。わたしの意見では、こんなに生産が活発になっては、凡庸な結果しかでてこない。あんまり繊細な作品を仕上げる時間的余裕がない。生産のペースが猛烈に早くなってしまったんで、また別の種類の競争になるわけだ」(47~48頁)。


デュシャン「人がアートのことを、すごく宗教めいたレベルで喋々したりするときは、自分に対して心の中で、崇め奉るのに値するようなところなんざアートにはろくろくありゃあしないんだ、と説明しようとします。麻薬ですよ。〔…〕」(104頁)。


トムキンズ「〔…〕アートは魔術だと考えたいという立場でいらっしゃいますか?」
デュシャン「続ければ続けるほど、これぽっちも可能性がないという気がしてきます。〔…〕見物人とアーティストのあいだのちょっとしたゲーム。〔…〕だからその魔術の部分――そこのところは、わたしはもう信じていない。言うなれば、アートの不可知論者なんでしょうな、わたしは。お飾りもみんな、神秘主義のお飾りも、崇拝のお飾りもひっくるめて信じない。麻薬としては、たくさんの人たちにとってたいへん役に立つんです。鎮痛剤ですよ」(104~106頁)。


トムキンズ「アートでいっぱいの人生を過ごしてこられました、でもあまりアートを信じてはいらっしゃらないみたいですね。」
デュシャン「わたしはアートってものを信じない。アーティストってものを信じてます」(174頁)。


★本年2018年はデュシャンの没後50年であり、まもなく10月2日より12月9日まで、東京国立博物館で特別展「マルセル・デュシャンと日本美術」が催されます。本書の帯にはこの展覧会の100円割引券が付いています。



★『海の歴史』は『Histoires de la mer』(Fayard, 2017)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書の書き出しはこうです、「海には、富と未来のすべてが凝縮されている。海を破壊し始めた人類は、海によって滅びるだろう」(15頁)。「海と直接関係のない発展モデルも含め、人類が自分たちのモデルを根本的に変化させない限り、海は救われないだろう。/私は本書で「包括的な歴史」を記そうと試みる。それは時空を超える壮大な世界観の歴史書である。私はすでに海以外のテーマでそうした書物を著してきた(音楽、医学、教育、時間、所有、ノマディスム、ユートピア、イデオロギー、ユダヤ、近代性、愛、予測などについてである)」(21頁)。本書のまず最初の6章で、130億年前から西暦2017年までの海の歴史が概観されます。こうした壮大な視点はアタリならではのものです。続く各章で、漁業や海洋経済、海洋地政学、環境問題、自由の象徴としての海、などが論じられ、最終章となる第12章「海を救え」では、アタリの近年の訳書と同じように、個人から社会、そして国際レベルまでの具体的な対応策と政策が提示されます。また、人類を含む生物種の大量絶滅シナリオを予測した第11章「未来:海は死ぬのか?」では、現代人が広く共有すべき海洋環境問題の諸側面を簡潔に整理されています。海に囲まれた島国に住む日本人にとっても本書は重要でしょう。






★『自殺論』は中公文庫プレミアム「知の回廊」シリーズの最新刊。1985年に刊行された文庫版の改版です。巻末に新たに付された訳者による「新装版の刊行にあたって」によれば、「若干の訳の修正と、表記の変更」が施されているとのことです。また、旧版の巻末にあった原注や訳注は各章末に移設されています。帯文には内田樹さんの推薦文が記されています。曰く「社会学的知性とはどのようなものか。それを知るにはデュルケームとヴェーバーを読めばとりあえず十分だと思う。/知性が大胆であると同時に謙抑的であることのみごとな実例に出会うことができる」。シリーズの続刊予定は告知されていませんが、ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』、デカルト『方法序説・情念論』、マルサス『人口論』、ブルトン『超現実主義宣言』、ゲーテ『ファウスト』、キルケゴール『不安の概念』、ケレーニイ『ギリシアの神話』、ミシュレ『愛』、そして『ハディース』『ポポル・ヴフ』といったあたりが思い浮かびます。ニーチェ『悲劇の誕生』や、ホイジンガの『中世の秋』は中公クラシックスでも刊行しているので、文庫での再刊は難しいでしょうか。


★『機械カニバリズム』は『ロボットの人類学――二〇世紀日本の機械と人間』(世界思想社、2015年)に続く、久保明教(くぼ・あきのり:1978-:一橋大学大学院社会学研究科准教授)さんの単独著第二弾。「人類学者エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロは、南米における「カニバリズム(食人)」を「他者の視点から自らを捉え、自己を他者としてつくりあげるための営為」として描きだした。本書では、彼の議論を踏まえて、機械という他者の視点から自己を捉え自己を変化させていく営為を、「機械のカニバリズム」と呼び、その問題点と可能性を探っていく」(5頁)と「はじめに」に記されています。この「はじめに」や本書の目次詳細、第1章「現在のなかの未来」の冒頭部分は、書名のリンク先で立ち読みすることができます。「AIブーム、将棋ソフト開発、現代将棋の変容、SNS、生政治学、計算主義批判、モニタリング社会、さまざまなトピックが濁流のように連なっていく本書の記述は、私たちが自らを同一視している「人間」という形象から離脱する可能性とその困難を探る「人間なきあとの人類学」の構想へと向かう。〔…〕いったい私たちはいかなる存在であり、いかなる存在でありうるだろうか」(同頁)。目下大型書店チェーンの主要店を中心に人文書売場で新設されつつある「ポスト・ヒューマン」棚において欠かせない一冊です。


★『ルイ・アルチュセール』は『アルチュセール ある連結の哲学』(平凡社、2010年)以来となる市田さん入魂のアルチュセール論。「行方不明者の生涯」「偶然性唯物論とスピノザ――問題の「凝固」」「『資本論を読む』またはスピノザを読む」「構造から〈私〉と国家へ」「スピノザから遠く離れて」の五章立て。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。帯文には浅田彰さんの推薦文が載っています。曰く、「「哲学とは理論における階級闘争だ」とアルチュセールは喝破した。退屈な秀才どもの口先だけの哲学ごっこを忘れ、闘争を続行するために、まずはこのアルチュセール論を読まねばならない」。巻末の謝辞の筆頭にはアレクサンドル・マトゥロンの名前が挙がっています。マトゥロンの未訳のスピノザ論2点が「本書のアイデアの根幹」を支えているとのことです。ちなみに市田さんがアレクサンドルの息子であるフランソワ・マトゥロンの近著『もはや書けなかった男』(航思社、2018年4月)の原著および訳書の刊行に多大な貢献を果たしておられることは周知の通りです。



★『情報生産者になる』は帯文に曰く「知的生産の教科書」。「数々の人材を輩出した東大上野ゼミ、だれでもわかるメソッド公開」とあります。巻頭の「はじめに」にはこう書かれています。「わたしの大学での授業の目的は、いつも「情報生産者になる」ことでした」(10頁)。「情報の消費者には「通」から「野暮」までの幅があって、情報通で情報のクォリティにうるさい人を、情報ディレッタントと呼びます」(同頁)。「私は学生にはつねに、情報の消費者になるより、生産者になることを要求してきました。とりわけ、情報ディレッタントになるより、どんなにつたないものでもよい、他の誰のものでもないオリジナルな情報生産者になることを求めました」(11頁)。「何よりも情報生産者になることは、情報消費者になることよりも、何倍も楽しいし、やりがいも手応えもあります。いちど味わったらやみつきになる……それが研究という極道です」(同頁)。誤解を恐れずに比較して言えば、本書は過日発売された川崎昌平さんの『労働者のための漫画の描き方教室』(春秋社)のいわば研究者版と言えると思います。つまり「自分も書いてみよう」という挑戦への勇気をもらえる本なのです。ちなみに本書の終わり付近では、出版社に対する企画提案書類の「四点セット」が説明されています。これは本当に必要なものです。その割には実際には揃っていないことが多いだけに、多くの研究者さんに周知していただいた方がいいと感じました。


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★また、最近では以下の新刊との出会いがありました。


『アゲハチョウの世界――その進化と多様性』吉川寛/海野和男著、平凡社、2018年9月、本体3,400円、B5変型判並製152頁、ISBN978-4-582-54256-1
『スクリーンの裾をめくってみれば――誰も知らない日本映画の裏面史』木全公彦著、作品社、2018年9月、本体2,000円、四六判並製264頁、ISBN978-4-86182-716-7
『現代思想2018年10月号 特集=大学の不条理――力の構造』青土社、2018年9月、本体1,400円、A5判並製238頁、ISBN978-4-7917-1371-4
『現代思想2018年10月臨時増刊号 総特集=仏教を考える』青土社、2018年9月、本体2,600円、A5判並製422頁、ISBN978-4-7917-1372-1



★『アゲハチョウの世界』は、約150種のアゲハチョウを美麗なフルカラー写真とともに紹介。ウスバアゲハ亜科(ウスバアゲハ族、ホソオチョウ族)やアゲハチョウ亜科(ジャコウアゲハ族、アゲハチョウ俗、アオスジアゲハ族)などが、標本ではなく、自然の中で飛んでいたり羽を休めていたりする写真が収められており、図鑑とはまた違う趣きがあります。「世界のアゲハチョウと日本のアゲハチョウ」「生き残るための知恵」「種分化の仕組みを探る」の三章立て。序文に曰く「本書は世界の研究者のDNA研究と海野の美しい生態写真が縦糸と横糸になって紡ぎ出す、アゲハチョウが語るさまざまな物語です」。ごく一部ですが、幼虫や卵が登場するので、苦手な方はお気をつけください。


★『スクリーンの裾をめくってみれば』は、あとがきによればマーメイド・フィルム主宰のウェブサイト「映画の國」での連載コラム(2006年3月~2017年5月)の中から「戦後の日本映画の、主にピンク映画と呼ばれる独立系成人映画周辺の作品や実演について書いた文章をまとめたもの」。単行本化にあたり「初出の間違いを訂正し、加筆改稿」のうえ、書き下ろし一篇を加えたとのことです。「黒澤明のエロ映画?」「ピンク映画と実演――名古屋死闘篇」「日劇ミュージックホールと映画人」「野上正義の遺言」「三國連太郎『台風』顛末記」「テレビ・ディレクターが撮ったピンク映画」「長谷川和彦の幻のデビュー作」の全7章で、最後の「長谷川~」が書き下ろしです。なお連載コラムというのは「日本映画の玉(ギョク)」のことかと思います。



★『現代思想2018年10月号 特集=大学の不条理――力の構造』は巻頭に吉見俊哉さんへのインタヴュー「大学の不条理と未来――単線から複線へ」を置き、続いて4つのセクション――「ハラスメントの構造」「それぞれの不条理」「制度への問い」「人文学と芸術学の行方」――に14篇の論考と1篇の討議(谷口暁彦/ドミニク・チェン「学校内学校を作ることから始める――大学はひとつではない」)を収めています。初見基「日本大学事件の向こうに見えるもの」、大内裕和「奨学金問題の現状と今後の課題」、重田園江「政治と行政について――「官邸」と「官僚」」、岡﨑乾二郎「芸術教育とは何か?」、松浦寿夫「メディウムについて」など。次の11月号は「特集=「多動」の時代」。伊藤亜紗さんと貴戸理恵さんの討議のほか、グレーバーや松本卓也さんのテクストを収録予定とのことです。


★『現代思想2018年10月臨時増刊号 総特集=仏教を考える』は、碧海寿広/大谷栄一/近藤俊太郎/林淳、の4氏による討議「いまなぜ近代仏教なのか」のほか、6つのセクション――「仏教とは何か」「仏教の可能性を考える」「仏教・国家・民衆」「仏教と文学」「仏教と神々」「仏教と/の神秘思想」――に31篇の論考を収録。末木文美士「娯楽か信心か――釈迦伝を通して近世仏教を考える」、大澤真幸「法然、親鸞、そして聖霊へ」、彌永信美「生きている仏教――「生身の仏像」をめぐって」、鎌田東二「日本仏教と神仏習合文化――「日本と申す泥沼」に咲いた蓮の華」などが掲載されています。


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注目新刊:F・G・ユンガー『技術の完成』人文書院、ほか

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a0018105_03322095.jpg『技術の完成』フリードリヒ・ゲオルク・ユンガー著、今井敦/桐原隆弘/中島邦雄監訳、F・G・ユンガー研究会訳、人文書院、2018年10月、本体4,500円、4-6判上製340頁、ISBN978-4-409-03101-8
『その後の福島――原発事故後を生きる人々』吉田千亜著、人文書院、2018年10月、本体2,200円、4-6判並製256頁、ISBN978-4-409-24122-6
『増補 明治思想史――近代国家の創設から個の覚醒まで』松本三之介著、以文社、2018年10月、本体3,700円、四六判上製327+15頁、ISBN978-4-7531-0348-5

★ユンガー『技術の完成』はまもなく発売。ドイツの作家エルンスト・ユンガー(Ernst Jünger, 1895-1998)の3歳年下の弟であるフリードリヒ・ゲオルク・ユンガー(Friedlich Georg Jünger, 1898-1977)が1946年に上梓し、49年と53年に増補された『Die Perfektion der Technik』の本邦初訳本です。底本は53年版ですが、この版で『技術の完成』第二書としてカップリングされた『機械と財産』(初版は1949年)は訳出されていません。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書は、フリードリヒ・ゲオルクの日本語訳書としても初めてのものです。今井さんは「訳者解説1」で、本書をシュペングラー、クラーゲス、ニーキッシュ、そして兄エルンストなどの流れを汲んで書かれたものと位置づけ、「公刊前後からハイデガーやハイゼンベルクらの注目を浴び、特にハイデガーの技術論には少なからぬ影響を与えたと考えられる」と評しておられます。内容については本論の後に付された「内容概説」に端的に要約されており、まずここから読んでもいいかもしれません。その議論は古びていないどころか驚くほどの先見性をもって現代人に迫ってきます。「技術はユートピア主義者が考えるような牧歌的生活に行き着くのではなく、惑星規模で組織化された収奪として終る。搾取の原理は総動員へと、そして総力戦へと高まっていく。技術的進歩と戦争遂行」(第43章の要約、279頁)。兄エルンストの『労働者』(月曜社、2013年)とともに、ユンガー兄弟が透視したダークな未来像には戦慄を覚えるばかりです。



★吉田千亜『その後の福島』は発売済。『ルポ母子避難』(岩波新書、2016年)に続く単独著第2弾。福島の原発事故の被害者の肉声に寄り添った貴重なルポです。「政府の言う「復興の加速化」は「早期帰還」や「福島再生」とセットで使われることが多いが、実態としては原発事故の支援制度や賠償の終了も意味している。「復興」、すなわち政府の思い描く原発事故の収束への流れの中で、被害を受けた一人ひとりが翻弄され続けてきた」(7頁)と著者は指摘します。復興大臣が二代続けて「自立」や「本人の責任」と漏らして被害者を突き放す態度に出ていることの無残さと、ある中学生が著者に書き送った「私をみつけてくれてありがとうございます」という言葉の間にある、数えきれない現実の一端を本書は教えてくれます。「原発事故は、終わっていない」と結ぶ著者は、この繰り返されてきたかもしれない言葉に見かけ以上の真実の重みを与えています。


★なお人文書院さんでは先月、福永光司(ふくなが・みつじ:1918-2001)さんの著書3点を新装復刊されました。『道教と古代日本 新装版』(初版1987年)、『道教と日本文化 新装版』(初版1982年)、『「馬」の文化と「船」の文化――古代日本と中国文化 新装版』(初版1996年)です。いずれも日本古代と中国文化、とりわけ道教との密接な関係の軌跡を追った労作です。新たな読者との出会いのきっかけを作ろうとされる出版社の真摯な努力に深い感銘を覚えます。



★松本三之介『増補 明治思想史』はまもなく発売。1996年に新曜社から刊行された単行本の増補版です。帯文には「明治150年に贈る本格的な明治思想通史」とあります。補論として「夏目漱石の個人主義――思想の構造と特質」(242~301頁)が追加されています。これは本書の二つの立場――「近代天皇制国家の主要な特徴と考えられる政治的価値の優位という価値志向と、その克服へ向けての可能性を探る」こと(303頁)と「私的な個の領域が析出され自立化する可能性を探る」こと(304頁)――のうち、後者の主題に関連するものだと「増補版あとがき」では示されています。この補論は「自立と自由を主張した個」の、「内向きの自己中心主義ではなく、すべての個人の自立と自由を認める普遍性と社会に向って開かれた姿勢」としての「個の覚醒」の行方を探るものとして、当初構想されていたようです(309頁)。「漱石の個人主義の思想が、明治末期の自然主義文学などと同様に、文学の枠を超えて日本思想史、とくに社会思想史または政治思想史の視点からしても注目すべき多くの問題を提示していることは言うまでもないことであろう」(310頁)と松本さんは指摘されています。「国家とはつねに一定の距離を保ちつつ個人の自主自尊という自己本位の自由を保持する姿勢を貫くことができた」(301頁)と松本さんが評した漱石の個人主義に、現代人は何度でも学び直すことができるのではないかと感じます。


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★発売済の10月文庫新刊から注目書をいくつか取り上げます。


『世界史の哲学講義――ベルリン 1822/23年(上)』G・W・F・ヘーゲル著、伊坂青司訳、講談社学術文庫、2018年10月、本体1,490円、464頁、ISBN978-4-06-513336-1
『ソーシャル物理学――「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』アレックス・ペントランド著、小林啓倫訳、草思社文庫、2018年10月、本体1,200円、426頁、ISBN978-4-7942-2357-9
『中世の覚醒――アリストテレス再発見から知の革命へ』リチャード・E・ルーベンスタイン著、小沢千重子訳、ちくま学芸文庫、2018年10月、本体1,700円、592頁、ISBN978-4-480-09884-9
『戦争の起源――石器時代からアレクサンドロスにいたる戦争の古代史』アーサー・フェリル著、鈴木主税/石原正毅訳、ちくま学芸文庫、2018年10月、本体1,500円、448頁、ISBN978-4-480-09890-0
『つくられた卑弥呼――〈女〉の創出と国家』義江明子著、ちくま学芸文庫、2018年10月、本体1,000円、224頁、ISBN978-4-480-09891-7
『ミトラの密儀』フランツ・キュモン著、小川英雄訳、ちくま学芸文庫、2018年10月、本体1,200円、320頁、ISBN978-4-480-09892-4
『科学の社会史――ルネサンスから20世紀まで』古川安著、ちくま学芸文庫、2018年10月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09883-2



★ヘーゲル『世界史の哲学講義(上)』は、文庫オリジナル。『ヘーゲル講義筆記記録選集(12)世界史の哲学講義――ベルリン 1822/23年』(Felix Meiner, 1999)を底本とし、編者まえがきと本文を全訳したもので上下巻に分かれます。本文は、ベルリン大学で行われた講義の初年度を三名の聴講者の筆記録を元に再現したもので、帯文には「オリジナル「歴史哲学講義」ついに本邦初訳」と謳われています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。上巻には、序論「世界史の概念」と、本論「世界史の行程」の第一部「東洋世界」(中国、インド、ペルシア、エジプト)を収録。来月発売となる下巻では第二部「ギリシア世界」、第三部「ローマ世界」、第四部「ゲルマン世界」を収めます。


★ちなみに今月、講談社学術文庫ではピレンヌ『中世都市』も文庫化されていますが、私の利用する某チェーン店では配本なしで購入できませんでした。初版部数がヘーゲルより少ないということを意味するのかもしれません。後日別のお店で探そうと思います。


★ペントランド『ソーシャル物理学』は2015年に草思社より刊行された単行本の文庫化。原著は『Social Physics: How Good Ideas Spread-The Lessons from a New Science』(Penguin Press, 2014)です。目次詳細は、アマゾンやhontoなどのオンライン書店に掲出されています。社会物理学とは、「情報やアイデアの流れと人々の行動の間にある、確かな数理的関係性を記述する定量的な社会科学」である、と著者は説明しています(21頁)。カバー裏紹介文には「企業などの組織運営のあり方を根本から変え、都市計画や社会制度設計に大きなインパクトを与える“新しい科学”」とあります。ペントランド(Alex Paul "Sandy" Pentland, 1951-)はMIT教授。既訳書に『正直シグナル――非言語コミュニケーションの科学』(みすず書房、2013年)があります。


★ルーベンスタイン『中世の覚醒』は2008年に紀伊國屋書店から刊行された単行本の文庫化。原著は『Aristotle's Children: How Christians, Muslims, and Jews Rediscovered Ancient Wisdom and Illuminated the Dark Ages』(Harcourt, 2003; 2004年のペーパーバック版では副題のthe Dark Agesがthe Middle Agesに変更)です。「文庫版訳者あとがき」によれば文庫化にあたり「多くの修正を施した」とのことです。また、今回の文庫版では山本芳久さんによる解説「「信仰」と「理性」の「紛争解決」」が付されています。ルーベンスタイン(Richard E. Rubenstein, 1938-)は米国ジョージ・メイソン大学教授。既訳書に『殺す理由――なぜアメリカ人は戦争を選ぶのか』(紀伊國屋書店、2013年)があります。訳者は『中世の覚醒』と同じく小沢千重子さんです。


★フェリル『戦争の起源』は1988年に河出書房新社より刊行され、1999年に新装新版が出版された単行本の文庫化。原著は『The origins of war from the Stone Age to Alexander the Great』(Thames and Hudson, 1985)。「先史時代の戦争」「古代近東の戦争」「アッシリアとペルシア――鉄の時代」「古典期ギリシアの戦争」「軍事革命」「アレクサンドロス大王と近代戦の起源」の全6章。巻末に参考文献や索引があります。文庫化にあたり森谷公俊さんによる解説「古代軍事史の刷新――ギリシア中心主義を超えて」が付されています。フェリル(Arther Ferrill, 1938-)はワシントン大学教授。訳されているのは本作のみです。


★義江明子『つくられた卑弥呼』は2005年にちくま新書の一冊として刊行されたものの文庫化。「女が聖なる部分を担って、男は世俗の部分を担う」という平板な聖俗二元論を退け、「『魏志』倭人伝の中の卑弥呼以外の女性たちの状況、邪馬台国の男女と政治のありかた全般に視野を広げ」、「『魏志』倭人伝の記述だけを問題とするのではなく、文字資料が豊富になる七、八世紀ごろの資料から見えてくることを確かめ、そこからさかのぼって三世紀ごろの状況をとらえ直す」試みです(11頁)。新たに付された「文庫版あとがき」には「新書刊行後、学問研究の分野では、いくつか大きな進展があった」として「女性首長論の深化」や「女帝論の転換」などが説明されています。義江さん自身は本書以後の女帝研究を『日本古代女帝論』(塙書房、2017年3月)としてまとめておられます。



★キュモン『ミトラの密儀』は1993年に平凡社から刊行された単行本の文庫化。原著は1899年に初版が刊行された『Les mystères de Mithra』の第三版(1913年)です。訳者後書き」によれば第二版(1902年)と第三版では「かなり大幅な増補改訂が行なわれ」たとのことです。訳出にあたりさらに「英訳と独訳を参照し、両者に重要な変更や訂正が見出される場合はその点を考慮に入れた」とあります。文庫化にあたり、前田耕作さんが解説「甦るユーラシア文化融合の精神史」を寄せておられます。「本書を読み返し改めてフランツ・ヴァレリー・マリ・キュモンの複数文化が遭遇・交差する壮大な歴史を宗教史の視座から読み解く強靭な知性に圧倒され」たと述懐されています。ベルギーの考古学者キュモン(Franz-Valéry-Marie Cumont, 1868-1947)の既訳書にはもう一冊、同じ訳者による『古代ローマの来世観』(平凡社、1996年、品切)があります。


★古川安『科学の社会史』は1989年に南窓社から刊行され、2000年に増訂版が上梓された単行本の文庫化。Math & Scienceシリーズでの文庫化にあたり「若干の加筆・修正を施した」と書名の扉裏に特記されています。「文庫版あとがき」によれば、横組が縦組に変更されたものの本文は「ほぼ原形のまま」にしており、巻末注と索引は横組のままで、「本文中にあった人名の生没年は省き、初出外国人名の英文表記は人名索引に移動」させ、紙幅の関係で若干の図版の掲載を見送ったとのことです。帯文に曰く「約500年にわたる歴史を明快にまとめた定評ある入門書」とのこと。目次は以下の通りです。


増訂版まえがき
まえがき
序章 社会における科学
第1章 二つのルネサンスから近代科学へ
第2章 キリスト教文化における近代科学
第3章 大学と学会
第4章 自然探究と技術
第5章 啓蒙主義と科学
第6章 フランス革命と科学の制度化
第7章 ドイツ科学の勃興とその制度的基盤
第8章 科学の専門分化と職業化
第9章 産業革命とイギリス科学
第10章 アメリカ産業社会における科学
第11章 科学とナショナリズム
第12章 戦争と科学
終章 科学・技術批判の時代
文庫版あとがき

図版出典
人名索引
事項索引


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「週刊読書人」にマラルメ『詩集』への書評が掲載

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弊社刊ステファヌ・マラルメ『詩集』に対する、立花史さんによる書評「「理解可能なマラルメ」を追求――一般読者に親しみやすい現代語訳を」が「週刊読書人2018年10月12日号に掲載されました。全文を記事名のリンク先でお読みいただけます。

ブックツリー「哲学読書室」に

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オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、『カール・マルクス入門』(作品社、2018年8月)の著者、的場昭弘さんによるコメント付き選書リスト「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。」が追加されました。

以下のリンク先一覧からご覧になれます。

◎哲学読書室1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる」
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!」
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える」
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想」
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている」
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために」
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える」
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?」
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す」
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について」
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも」
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在」
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流」
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ」
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書」
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する」
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ」
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!」
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える」
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために」
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流」
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える」
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る」

27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う」
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する」

29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体」

30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く」
31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊」
32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために」
33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊」
34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊」
35)的場昭弘(まとば・あきひろ:1952-)さん選書「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。」


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新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる予定の本屋さん

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客注の電算短冊での発注のみで新規店舗の案内状が来ないという「一方的発注」がお得意の、蔦屋ブランド。島忠のフランチャイズによる「TSUTAYA BOOKSTORE新山下店(仮)」分と思しい日販帳合の電算客注短冊が届きました。いずれも「写真/日本の写真家」分野でのご発注。新規店舗の概要書や挨拶状は今回もなし。過去に幾度となく日販の営業担当には「これでは困る」と申し入れてきたものの、改善されず、半ば諦めています。



「流通ニュース」2018年8月29日付記事「島忠/TSUTAYAフランチャイズ加盟、横浜にブック&カフェ導入」によれば、「TSUTAYA BOOKSTORE新山下店(仮)」は今冬リニューアルされる「ホームズ新山下店」(神奈川県横浜市中区新山下2-12-34)内に、カフェ「「WIRED KITCHEN with フタバフルーツパーラー」を併設して開店予定。「コーヒーや食事と旬の果物をふんだんに使ったパフェ、サンドウィッチなどを楽しみながら、購入前の本をゆったりと読める」とのことで、購入前に飲食しながら座り読みすることを宣伝するという、出版社の心配をガン無視の手法は、まったく改めるおつもりはない様子。利用客の善意に全面的に頼るような大甘なやり方には限界を感じます。お付き合いしなければならない理由はないですし、実際のところこれは「客注」ではないので、今後こうした不躾すぎる一方的発注に応えるべきかどうかは考えものです。


また、日販からは「江別蔦屋書店」の発注短冊も届きました。これも概要書や挨拶状はなし。いずれも「客注」扱いで「海外文芸/海外小説」分野でのご発注。同店のウェブサイトによれば11月開店予定とのことです。ウェブサイトに掲出されている2018年9月21日時点でのニュースリリースでは、今夏開業予定でした。曰く「株式会社北海道TSUTAYA(本社:北海道札幌市、代表取締役社長・梅谷知宏)は、パッシブホーム株式会社(本社:北海道札幌市、代表取締役社長・川多弘也)と合弁会社であるアイビーデザイン株式会社を〔2017年7月18日に〕設立し、2018年夏に「江別 蔦屋書店」(企画・運営:アイビーデザイン株式会社、代表梅谷知宏)を開業いたします」と。


ショップガイドによれば、江別蔦屋書店は「"田園都市スローライフ"をコンセプトに〈食〉〈知〉〈暮らし〉の3棟からなるライフスタイル提案型の大型複合書店」であり、文具や雑貨も扱うと。併設されるのは、カフェ「スターバックスコーヒー」、輸入玩具店「ボーネルンド」、フラワーショップカフェ「Flower Space Gravel / caffe vanilla」、輸入食品店「カルディコーヒーファーム」、ベーカリー「ODD BAKERY」、インテリア雑貨店「METROCS札幌」のほか、飲食店としてイタリアンレストラン「アランチーノ」、カレー「clock」、ジェラート「円山ジェラート」、担々麺「175° DENO」、おはぎ「増田おはぎ」、点心「(オガコーポーレーションの新業態)」、おむすび「Hakodate Omusubi 函太郎」、お茶「USAGIYA」、ハンバーガー「BETWEEN THE BREAD」、燻製「ベーコン専門店 Une cled Oz (ウェ二クレード オズ)」と、確かに〈食〉に力を入れているようです。


新しいことに挑戦しようという姿勢は素晴らしいと思います。ただ、出版社への依頼の仕方がちょっと雑過ぎやしませんか。開店後の本の扱い方まで雑にならないかどうか、先が思いやられます。情報開示に慎重であるとしても、雑であっていい理由にはなりません。CCCとフランチャイジーは、もし今後も店舗を増やしたいなら、業態パッケージを売るだけでなく、書店員の育成やブックカフェの適切な利用ルールの周知に、遅まきながらでも力を入れるべきです。箱物行政じゃあるまいし、人間的次元における内実が伴わないままに店舗を増やしても未来は開かれないでしょう。


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注目新刊:エーベンシュタイン『死の美術大全』河出書房新社、ほか

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a0018105_01094673.jpg★まずはまもなく発売となる注目新刊2点。


『死の美術大全――8000年のメメント・モリ』ジョアンナ・エーベンシュタイン編著、北川玲訳、河出書房新社、2018年10月、本体6,000円、A4変形判上製368頁、ISBN978-4-309-25590-3
『ロールズを読む』井上彰編、ナカニシヤ出版、2018年10月、本体3,800円、A5判上製364頁、ISBN978-4-7795-1330-5



★エーベンシュタイン『死の美術大全』は、『Death: A Graveside Companion』(Thames & Hudson, 2017)の日本語版。死を題材にした古今東西の貴重な絵画や版画や写真や彫刻等々を1000点以上を掲載した大判のヴィジュアル大全で、美麗なカラー図版が満載です。「死の技術」「死を吟味する」「死を記憶する」「死の擬人化」「死を象徴化する」「娯楽としての死」「死後の世界」の全7章で、折々に挟み込まれている論考はすべて銅色で刷られています。なんという美しさ。なんという贅沢。大判の厚い本にもかかわらずたったの税別6000円というのですからすごいです。いくら中国で印刷されているからとはいえ、またいくらこれまで同社のリチャード・バーネットの『描かれた~』シリーズ(『描かれた病』『描かれた手術』『描かれた歯痛』)が好評だからとはいえ、やはり、この値段はお得です。とにかく最初から最後までほとんどガイコツまみれ。壮麗ですらあります。エーベンシュタインは「はじめに」でこう書いています。「死は美と対立するものではないと私たちの祖先が考え表現してきたさまざまな形に接することで、祖先が深く理解していた考えを再発見できるかもしれない――死を身近にとどめ、避けられないものだと受け入れることによって、心豊かで充実した人生を送ることができるという、逆説めいた考えを」(16頁)。


★ちなみに同書の編集担当者Yさんは、8月末に刊行されたドニー・アイカー『死に山――世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』を手掛けてもいます。『死に山』は売れ行き好調ですでに3刷に達したのだとか。それにしてもディアトロフ峠事件は同じく8月に刊行された松閣オルタさんの『オカルト・クロニクル』(洋泉社)でも「ロシア史上最も不可解な謎の事件」として大きく扱われていましたし、かつては映画化されたこともありました(「ディアトロフ・インシデント」2013年:映画作品としてはB級)。人気なのですね。



★『ロールズを読む』は、「ロールズ正義論の方法と射程」と「ロールズ正義論への様々なアプローチ」の2部構成で13本の論考を収録した論集です。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。編者の井上さんによる巻頭の「序」によれば、「本書は、ロールズ正義論にみられる規範理論と経験科学との接点を重視しつつ、ロールズが古典的主題と向き合うなかで、どのような思想を展開したのかについて明らかにするプロジェクトである」(iii頁)とのこと。また、「これまでのロールズ正義論に関する議論にはない側面」として以下の3つの特色を挙げておられます。曰く「『正義論』第三部の議論に注目して、ロールズ正義論の特徴や変遷を明らかにする論考」(宮本雅也、若松良樹、小泉義之の三氏の各論文)や、「否定的に評価されることが多かった後期ロールズの政治的リベラリズムに光を当てる論考」(宮本雅也、田中成明、齋藤純一の三氏の各論文)、「ロールズ正義論の応用局面に注目する論考」(木山幸輔、額賀淑郎、角崎洋平、井上彰の四氏の各論文)と。


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★続いて発売済新刊より注目書を列記します。


『〈新装版〉シェリング著作集 第4a巻 自由の哲学』藤田正勝編、文屋秋栄、2018年9月、本体4,000円、A5判上製306頁、ISBN978-4-906806-05-8
『〈新装版〉シェリング著作集 第4b巻 歴史の哲学』藤田正勝/山口和子編、文屋秋栄、2018年9月、本体4,000円、A5判上製258頁、ISBN978-4-906806-06-5
『ディアローグ デュラス/ゴダール全対話』福島勲訳、読書人、2018年10月、本体2,800円、四六判並製203+10頁、ISBN978-4-924671-34-8
『三文オペラ』ベルトルト・ブレヒト著、大岡淳訳、共和国、2018年10月、本体2,000円、菊変型判上製224頁、ISBN978-4-907986-49-0
『制作へ』上妻世海著、オーバーキャスト/ÉKRITS、2018年10月、本体3,200円、A5判変形並製320頁、ISBN978-4-909501-01-1
『詩の約束』四方田犬彦著、作品社、2018年10月、本体2,800円、46判上製332頁、ISBN978-4-86182-720-4
『北海道小清水 「オホーツクの村」ものがたり』竹田津実著、平凡社、2018年10月、本体1,700円、4-6判並製224頁、ISBN978-4-582-52736-0
『戦争と文明』トインビー著、山本新/山口光朔訳、中公クラシックス、2018年10月、本体2,400円、新書判288頁、ISBN978-4-12-160181-0
『不平等の再検討――潜在能力と自由』アマルティア・セン著、池本幸生/野上裕生/佐藤仁訳、岩波現代文庫、2018年10月、本体1,480円、432頁、ISBN978-4-00-600393-7
『中世都市――社会経済史的試論』アンリ・ピレンヌ著、佐々木克巳訳、講談社学術文庫、2018年10月、本体1,280円、368頁、ISBN978-4-06-513161-9



★『〈新装版〉シェリング著作集』は、京都の「燈影舎」から途中まで出版されていたものが、今般、同じく京都の人文書版元「文屋秋栄(ふみやしゅうえい)」から新装版として刊行し直されることになったものです。扱い取次が鍬谷書店のみのためか、書店の店頭で購入できたのはようやく最近になってからのことでした。文屋秋栄は2011年に設立。先月『〈新装版〉シェリング著作集』の第4a巻『自由の哲学』と第4b巻『歴史の哲学』を刊行するとともに、大橋良介さんの『京都「哲学の道」を歩く』も発売しています。おそらくISBNや国会図書館のデータから推定すると、同社の出版第1弾は2013年3月の写真集『久安寺四季のいろどり――関西花の寺第十二番』(國司禎相監修、ISBNの書名記号は00)で、続く出版物が今回の『〈新装版〉シェリング著作集』と大橋さんのご本だと思われます。前者の書名記号が第4a巻が05、第4b巻が06ということは、書名記号01から08は同著作集全5巻8冊に振られるのでしょう。大橋さんの単著は17番であり、少し間が空いているのが気になります。


★奥付前の特記によれば『〈新装版〉シェリング著作集』は、燈影舎版『シェリング著作集』(既刊:1b『自然哲学』2009年9月、3『同一哲学と芸術哲学』2006年3月、4a『自由の哲学』2011年4月、5b『啓示の哲学』2007年10月)の構想を受け継ぎ、既刊巻へは改訂を加え、未刊巻を新刊として発行するもの。第4a巻『自由の哲学』は2011年の燈影舎版を底本とし、新装版刊行にあたり加筆修正を行ったものであり、第4b巻『歴史の哲学』は燈影舎では刊行されていなかったので今回初めての発売となります。2点の目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。『自由の哲学』はシェリングの代表作『人間的自由の本質』を含むために燈影舎版ではいち早く品切になり、古書でも入手が困難になっていましたので、再スタートとなる第1回配本で再刊されるのは非常にありがたいですし、同時に未刊だった『歴史の哲学』(「諸世界時代 第一巻 過去」の第一草稿と第二草稿を収録)が発売されたのも嬉しいです。


★燈影舎版はかつて刊行当時にアマゾンでマケプレに高額出品されることが多く面倒だったのですが、文屋秋栄版は今のところ在庫はないようです。hontoでは普通に購入できますし、ジュンク堂や丸善の主要店舗で販売されています。たとえ今後マケプレに高額出品されても通常の値段でhontoや本屋さんから購入した方がいいです。


★デュラス/ゴダール『ディアローグ』は、『DIALOGUES. Introduction, notes et postface de Cyril Béghin』(Post-éditions, 2014)の全訳。20世紀フランスを代表する作家と映画監督が交わした、1979年、1980年、1987年の合計3回の対談に、編者のシリル・ベジャンが詳細な註を付し、補遺としてゴダールからデュラスに宛てられた手紙を収録した一冊です。巻末には人名索引と、二氏の作品名索引があります。帯には蓮實重彦さんによる推薦文が。「この真摯で滑稽な言葉のやりとりを読まずにおく理由など、存在するはずもない」と。実際にこの二人の対話には惹き込まれます。個人的に特に興味深かったのは、幾度となく浮かんでは沈むサルトルの影です。ベジャンが指摘する通り、デュラスにとってサルトルとの関係は複雑なのでしょう。また、ゴダールが『愛人』の映画化をデュラスに打診して失敗したことをめぐるエピソードにもある種の複雑さを感じました。字面だけでは想像しきれませんが、いささか騒々しいやりとりになる場面もあったと思われます。本書は好調に売れているそうです。おそらくは今後も長く参照されることになるのでしょう。



★ブレヒト『三文オペラ』は演出家であり劇作家、批評家の大岡淳(おおおか・じゅん:1970-)さんによる新訳。編集を担当された共和国の下平尾代表は、投げ込みの「共和国急使」第25号の「地上五階より」で「じつに流麗でわかりやすい。研究者ではこうはならなかっただろう、という魅力が本書にはあふれている」とお書きになっています。凡例によれば「劇中の歌詞は、すべてクルト・ヴァイルの作曲したメロディにあてはまるよう訳されている」とのことです。解説として、ブレヒト自身による「『三文オペラ』へのコメント」、平井玄さんによる「世界がブレヒトに近づく」、大熊ワタルさんによる「『三文オペラ』と二人のクルト・ヴァイル」が収録されています。なお、本書のカヴァーはリバーシブルになっていて、非常に楽しいです。今回の最新訳は「東京芸術祭2018」の『野外劇 三文オペラ』に採用されています。入手しやすい既訳書には、岩波文庫版(岩淵達治訳)と光文社古典新訳文庫(谷川道子訳)があります。本書と併せ三作を比べ読みするといっそう楽しめるかもしれません。


★『制作へ』は、キュレーターであり批評家の上妻世海(こうづま・せかい:1989-)さんの単独著第一弾。ここ2年間に各媒体で発表され、執筆された論考13本を収録。そのうち8本はウェブで閲覧することができますが、本書はモノとしての魅力的な肉体も有しており、購読不可避です。小口まで真っ赤な装丁と紺色で刷られた横組の本文のスタイリッシュさは書店の売場で異彩を放っています。帯には落合陽一さんと、文化人類学者の奥野克巳さんが推薦文を寄せておられ、それらは目次詳細や関連イベント情報と一緒に書名のリンク先でご確認いただけます。落合さんは上妻さんと哲学者の清水高志さんとの共著『脱近代宣言』を水声社から先般上梓したばかり。奥野さんは今春、亜紀書房より上梓された『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』が話題を呼んでいます。書店さんでは芸術書売場で置かれることが多いのだろうと思いますが、私は某書店の人文書売場で入手しました。実際にしばしば人文書、とりわけ哲学や批評への参照がなされているので、人文書売場で扱うのも妥当だと思います。おそらくは紀伊國屋じんぶん大賞でもランクインしてくるのではないでしょうか。


★四方田犬彦『詩の約束』は集英社の月刊文芸誌『すばる』の2016年10月号から2018年3月号まで連載された「死の約束」全18回をまとめたもの。巻末には、中国語版『四方田犬彦詩集』(台北、黒眼晴文化事業、2018年)の序文として執筆された「わが詩的註釈」が併録されています。「後書き」にはこう書かれています。「本書を執筆する契機となったのは、2015年になされたアドニス師との邂逅であった。わたしたちは台北の詩歌節に招かれ、親しく語り合った。彼はいった。詩とは言葉との約束なのだ。ひとつの発語を開かれたものにすることで、言葉全体を複数の筋目のあるものに変えていかなければならない。シリアの亡命詩人から与えられたこの公案を自分なりに受け止め、自分なりに読み解くことから、この書物は書き始められた」(330頁)。本書で言及されている詩や詩論の出典は巻末に「引用文献」としてまとめられています。


★『北海道小清水 「オホーツクの村」ものがたり』は、かの名作映画「キタキツネ物語」の企画・動物監督をつとめた獣医師であり、写真家・文筆家として活躍されている竹田津実(たけたづ・みのる:1937-)さんが、1978年から約40年にわたり参加してこられた「財団法人小清水自然と語る会」での自然保護運動の活動史を綴ったものです。同会が建設した自然豊かなサンクチュアリ「オホーツクの村」(網走駅からJR釧網線浜小清水駅下車、徒歩30分)をめぐる1975年から2014年までの記録であり、柔らかな筆致で村の自然やそれに関わる群像が紹介されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書には「原点 獣医と農民とキタキツネと」と題して、写真集『跳べ、キタキツネ』(1978年)の本文「キタキツネの里」と、自然雑誌「アニマ」創刊号(1973年4月)に著者が寄稿した「仔別れののち、F18は口ハッパで死んだ」が併載されています。F18は創刊号の表紙を飾った雌のキタキツネ。密猟者が仕掛けた口(くち)ハッパという、肉で包んだ爆薬の犠牲となって亡くなるまでの、著者との交流が綴られています。



★トインビー『戦争と文明』は1959年に社会思想社から刊行された単行本の文庫化。訳者序によれば、原著は1951年の『War and Civilization』で、『歴史の研究』から戦争にかんする部分を集めたもので、主要な部分は同書第4巻の「軍国主義の自殺性」と題する一章とのことです。再刊にあたり、三枝守隆さんによる解説「A・J・トインビーの「戦争の比較文明学」」が巻頭に付されています。三枝さんのご説明を引くと「文明が、自身を破壊する「戦争する文明」へと、どのようにして変化してきたか。これは本書のテーマである」(5頁)。再び訳者序に帰ると「トインビーの主眼点は、文明の「挫折」であって、戦争ではなかった。ところが、文明がなぜ「挫折」するかという問題を解明しようとすれば、どうしても挫折の原因の一つがミリタリズムだということを究明していかなければならなかった」(3頁)。それゆえ本書は「挫折論の範囲内での戦争論、あるいは挫折の原因の一つとしてのミリタリズム論である」(4頁)と。『歴史の研究』はかつて全25巻で全訳が刊行されていましたが、現在は新本では入手できません。


★セン『不平等の再検討』は1999年に岩波書店より刊行された単行本の文庫化。原著は『Inequality Reexamined』(Oxford University Press, 1992)です。共訳者の池本さんによる「現代日本の不平等についての議論とセンの不平等論――「現代文庫版訳者あとがき」にかえて」が新たに付されているほか、参考文献が改訂されています。巻末の特記によれば、この論考は単行本刊行後の動向を踏まえたもの。「本書はセンの不平等論や潜在能力アプローチの手軽な入門書として〔…〕広く読まれ、多くの人から「潜在能力とは何か」「それをどう応用すべきか」などについて質問をいただいてきた。ここでは〔…〕それらの質問に答えるために、1990年代の日本で交わされた不平等の議論に即して解説してみたい」(299頁)とあります。文庫本で読めるセンの著書には『経済学と倫理学』(ちくま学芸文庫、2016年12月)、『貧困と飢饉』(岩波現代文庫、2017年7月)、『グローバリゼーションと人間の安全保障』(ちくま学芸文庫、2017年9月)があります。


★ピレンヌ『中世都市』は1970年に創文社より刊行された単行本の文庫化。原書は1927年にブリュッセルで公刊された『Les villes du moyen âge. Essai d'histoire économique et sociale』。巻末の編集部による特記には、文庫化にあたり「いくつかの地名について現代の慣用表記に直し、漢字・送り仮名についても、若干の変更を加えました」とのことです。解説は大月康弘さんがお書きになっています。書き出しはこうです。「ピレンヌは今も生きている。本書を手にして改めてそう感じた。/なんとみずみずしく「中世都市」の来歴を描いてみせたことだろうか。「中世都市」誕生までの骨太にして明瞭なストーリー。都市誕生後の内部構造分析、そこに生きた人びとの息づかいまでが身近に感じられてくるというものではないだろうか」(328頁)。歴史学者として高名なピレンヌですが、著書が文庫化されるのは初めてのことです。


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注目新刊:アイゼンバーグ『ホワイト・トラッシュ』東洋書林、ほか

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a0018105_00594681.jpg★まず、まもなく発売となる紀伊國屋書店さんの注目新刊2点をご紹介します。


『人体はこうしてつくられる――ひとつの細胞から始まったわたしたち』ジェイミー・A・デイヴィス著、橘明美訳、紀伊國屋書店、2018年11月、本体2,500円、46判上製444頁、ISBN978-4-314-01164-8
『10億分の1を乗りこえた少年と科学者たち――世界初のパーソナルゲノム医療はこうして実現した』マーク・ジョンソン/キャスリーン・ギャラガー著、梶山あゆみ訳、井元清哉解説、紀伊國屋書店、2018年11月、本体1,800円、 46判並製324頁、ISBN978-4-314-01165-5



★デイヴィス『人体はこうしてつくられる』は、『Life Unfolding: How the human body creates itself』(Oxford University Press, 2014)の訳書です。帯文に曰く「直径0.1mmの細胞が、思考し言葉を操る生物になるまで――未解明領域の残る《ヒトの発生》という複雑な生命現象のプロセスを、一般読者へ向けてやさしく解説する」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書を驚きとともに読んだという訳者はこう紹介しています。「そもそも生物の発生は、わたしたちがふつうに思い描く「つくる」とはまったく異質の事象である。そこには詳細は設計図もなければ、現場監督もおらず、既存の機械や工具を使えるわけでもない。たった一つから始まって、最終的に兆の単位まで増えるヒト細胞のどれ一つとして、「人体の完成形はこうです」という全体像を知らないし、どこか外部から指示がくるわけでもない。では人体は、いったいどうやってつくられていくのだろうか?/それを専門外の読者にもわかるように教えてくれるのが本書」である、と(訳者あとがき、377頁)。著者自身もこう書いています。「あなたがあなた自身の始まりを知りたいなら、人が物を作るやり方から類推するのではなく、まったく違う世界へ足を踏み出さなければならない。〔…〕それはあなたがまだ足を踏み入れたことのない領域への旅であり、既成概念を捨て、新しい考え方を受け入れていく旅になる」(29頁)。


★ジョンソン/ギャラガー『10億分の1を乗りこえた少年と科学者たち』は、『One in a Billion: The Story of Nic Volker and the Dawn of Genomic Medicine』(Simon & Schuster、2016)の訳書。帯文はこうです。「2007年5月、ものを食べると腸に穴が開き、皮膚から便が漏れるという奇病を患った2歳の少年がウィスコンシン小児病院に運ばれる。“10億人にひとり”レベルの症例で診断名もつかない。このままでは命が持たないと思われた。万策つきた医師たちは2009年、最後の手段として臨床の場では世界に例のないゲノム解析により、原因遺伝子を突きとめるという大胆な試みに踏み切る」。すでに十分ドラマティックですが、本書の中身はさらにドラマに満ち溢れています。多大な費用を投じた少年のエクソーム解析の結果、X染色体の遺伝子変異による「XIAP欠損症」が奇病の正体だと分かります。約32億個の塩基対のうちたったひとつが間違っていたことに起因する難病だったわけでしたが、少年は骨髄移植によって健康を取り戻しました。その道のりには涙も枯れはてるような苦しみと困難が次々に少年とその家族に襲い掛かります。医師たちと学者たちの奔走と努力と協力によって、難病治療の突破口が開けたことは感動的ですらあります。DNA解析とゲノム医療の未来を強く感じさせる一冊です。


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★次に、発売済の新刊で最近出会った書目を列記します。


『日本人の自然観』鈴木貞美著、作品社、2018年10月、本体5,800円、四六判上製786頁、ISBN978-4-86182-722-8
『帝国日本の科学思想史』坂野徹/塚原東吾編著、勁草書房、2018年10月、本体7,000円、A5判上製448頁、ISBN978-4-326-10271-6



★鈴木貞美『日本人の自然観』は、帯文に曰く「日本人はいつから自然を愛したのか。科学史と人文史におる画期的大成」と。序章にはこう書かれています。「日本人の自然観を、今日、改めて問いなおそうとするのは、二〇世紀後期の科学=技術(=は区別と関連づけ)の発展が、洋の東西を問わず、古代から存続してきた「自然の恒久性」の観念を確実に破壊しつつあり、それに伴い、「日本人の自然観」についての見方にも大きな転換が見られるようになったからだ」(3頁)。「本書は、読者の関心により、どこから読んでもらってもよい。が、全体は、今日の科学史をはじめとする学術史の国際的展開を見渡し、また今日、要請されている学術の文・理統合的推進という課題にこたえるべく、「方法の発見」を意識して著してゆくつもりである」(28頁)。目次詳細は以下の通りです。


序章 今日、自然観を問う意味
第一章 自然観の現在
第二章 二〇世紀末、人文系の自然観
第三章 「日本人」と「自然」と
第四章 東西の科学および科学観
第五章 中国の自然観――道・儒・仏の変遷
第六章 古代神話とうたの自然観
第七章 中古の自然観
第八章 中世の自然観
第九章 江戸時代の自然観
第一〇章 日本近代の自然観
第一一章 「自然を愛する民族」説の由来
第一二章 寺田寅彦「日本人の自然観」
第一三章 敗戦後から今日へ
あとがき

事項索引
外国人名(含団体)・書名および作品名索引
日本人名・書名索引


★「生産力の向上にかけ、自然破壊を続けるか、それとも自然保護にまわるか、という選択の岐路に立たされたまま、長期的ヴィジョンを欠いたまま、そのときどきの契機に振りまわされてきた日本の政治と思想のジグザグ〔…〕文化ナショナリズムの動きと密接に関係する、日本人の自然観が、迷走に迷走を重ねているのも、無理はないように思えてくる、だが、そうであればこそ、学は、その立て直しをはなるべきだろう」(708頁)。カヴァーの装画に長谷川等伯の「松林図屏風」をあしらったその静かなたたずまいとは対照的な、熱のこもった論述に圧倒されます。「結局のところ、わたしの意識の底に潜んでいるのは、人間の生存権の問題なのだと思う」(あとがき、728頁)。そうしるす著者の感覚は読者にとっても共感できるものではないでしょうか。


★『帝国日本の科学思想史』は、勁草書房より刊行されてきた、金森修(かなもり・おさむ:1954-2016)さんの編書3点――『昭和前期の科学思想史』2011年、『昭和後期の科学思想史』2016年、『明治・大正期の科学思想史』2017年――の続編として構想されたものとのことです。あとがきにはこう説明されています。「晩年の金森さんが力を入れ、思い入れをもっていた「日本の科学思想史」シリーズの最終巻となるのが本書である。当初は本人が編者となって刊行することを構想していたが、病状の悪化を受け、16年春に企画は編者のふたりに委ねられることになった。編者に名はないが、本来なら本書もまた金森修編で刊行されていたはずの著作である」。8本の論考に、編者二氏による序章が付されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「本書ではとくに「日本」が拡大し帝国となった時代に、科学技術をどのように見てきたのか、そのための制度をいかに設計してきたのか、そしてそれをどのように運用してきたのかを検証する」(2頁)と序章にあります。


★さらに次の発売済新刊との出会いもありました。


『ホワイト・トラッシュ――アメリカ低層白人の四百年史』ナンシー・アイゼンバーグ著、渡辺将人監訳、富岡由美訳、東洋書林、2018年10月、本体4,800円、A5判上製480頁、ISBN978-4-88721-825-3
『西部劇論――その誕生から終焉まで』吉田広明著、作品社、2018年10月、本体4,600円、A5判上製512頁、ISBN978-4-86182-724-2
『G・H・ミード著作集成――プラグマティズム・社会・歴史』G・H・ミード著、植木豊編訳、作品社、2018年10月、本体4,600円、四六判上製756頁、ISBN978-4-86182-701-3
『マルセル・デュシャンとは何か』平芳幸浩著、河出書房新社、2018年10月、本体2,500円、46判並製304頁、ISBN978-4-309-25609-2



★アイゼンバーグ『ホワイト・トラッシュ』は『White Trash: The 400-Year Untold History of Class in America』(Viking, 2016)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。渡辺将人さんによる解説の言葉を借りると、ホワイト・トラッシュとは「アメリカの貧困層に属する下層の白人のことで〔…〕1850年代に本格的に定着したアメリカ英語」であり、本書はそれを主題として「アメリカの階級史を解剖する」もの。この国の建国史に精通した歴史家ならではの説得的な筆致で、アメリカにおいて「白人最下層の階級が常に存在してきた」ことが赤裸々に分析されています。平等を掲げた国民的自負によって抑圧され、否認されてきた主に南部やアパラチア地方の人々の、格差を伴なった長い長い歴史です。著者ナンシー・アイゼンバーグ(Nancy Isenberg, 1958-)はルイジアナ州立大学教授の歴史学者で、著書が日本語訳されるのは初めて。『思いやりのある子どもたち』(北大路書房、1995年)など発達心理学の訳書があるアリゾナ州立大学教授ナンシー・アイゼンバーグ(Nancy Eisenberg, 1950-)とは別人です。






★吉田広明『西部劇論』は、ハリウッド映画の西部劇670作品を紹介する書き下ろし長篇評論です。ジョン・フォードからクリント・イーストウッドまで、扱う登場人物は1000名以上。200点の参考図版を収録しています。巻末には、アメリカ初の西部劇とされる1903年の『大列車強盗』から1980年の『ロング・ライダーズ』までを個別に解説した「西部劇主要作品解説」や関連年表、作品名索引と人名索引を完備。全9章の章立てを以下に列記します。


第一章 初期西部劇――ブロンコ・ビリー/フォード/ウィスター/ハート
第二章 古典的西部劇――ウォーショー/ハサウェイ/フォード
第三章 西部劇を変えた男――ウィリアム・A・ウェルマン
第四章 フィルム・ノワール=西部劇――バザン/バーネット/ウォルシュ/マン/ブッシュ/ヨーダン
第五章 神話と化す西部劇――フォード/レイ
第六章 不透明と透明の葛藤――フォード/ベティカー/ホークス/ケネディ/デイヴス
第七章 西部劇の黄昏――ペキンパー/ペン/アルトマン/ヘルマン
第八章 オルタナティヴ西部劇――ポロンスキー/アルドリッチ/カウフマン/ミリアス/チミノ/ラヴェッチ=フランク/ベントン
第九章 西部劇に引導を渡した男――クリント・イーストウッド


★『G・H・ミード著作集成』は、9本の「既発表論文・草稿選」と、主著の講義録『精神・自我・社会』、講義草稿『現在というものの哲学』の3つの柱からなる主要論考集。2段組で本文だけでも700頁近い大冊ですが、分冊せずにまとめて1冊としたところがポイントです。人名索引と事項索引あり。編訳者の植木さんはこれまでに、デューイ『公衆とその諸問題』(ハーベスト社、2010年)や『プラグマティズム古典集成――パース、ジェイムズ、デューイ』(作品社、2014年)を上梓しておられます。今回の本の訳者解説「G・H・ミードの百年後――21世紀のミード像のために」ではこう綴っておられます。「21世紀ミード像というものがあるとすれば、それは20世紀ミード像の語彙と概念を突き抜けたところで描かれるものとなるだろう」(699頁)。なお、9本の「既発表論文・草稿選」の明細を以下に列記します。論文名(公刊年)で、このたび初めて翻訳されたものには※印を末尾に付します。なお、ミードの「国を志向する精神と国際社会を志向する精神」が触発を受けたところのウィリアム・ジェイムズの論文「戦争の道徳的等価物」(1910年)も本書では併せて訳出されています。


特定の意味を有するシンボルの行動主義的説明(1922年)
科学的方法と道徳科学(1923年)
自我の発生の社会的な方向付け(1925年)
知覚のパースペクティヴ理論(没後出版:1938年。執筆年代不詳)※
諸々のパースペクティヴの客観的実在性(1927年)
プラグマティズムの真理理論(1929年)
歴史と実験的方法(没後出版:1938年。執筆年代不詳)※
過去というものの性質(1929年)
国を志向する精神と国際社会を志向する精神(1929年)


★平芳幸浩『マルセル・デュシャンとは何か』は書き下ろし入門書。先ごろカルヴィン・トムキンズによるデュシャンへのインタヴュー本『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ』を手掛けたばかりの河出書房新社の編集者Yさんが担当されています。帯文に引かれた森村泰昌さんといとうせいこうさんの推薦文は書名のリンク先でご確認いただけます。著者の平芳幸浩(ひらよし・ゆきひろ:1967-)さんは『マルセル・デュシャンとアメリカ――戦後アメリカ美術の進展とデュシャン受容の変遷』(ナカニシヤ出版、2016年)を上梓されており、四半世紀にわたってデュシャンの研究を続けてこられた方です。今回の新著は「基本的に時間軸に沿いながら、重要な六つのトピックに分けて、その全貌を紹介しようとするもの」(9頁)。目次詳細を以下の掲出します。



はじめに
第1章 画家としてのデュシャン――遅れてきたキュビスト
第2章 レディメイドを発明する
第3章 「花嫁」と「独身者」の世界
第4章 「アート」ではない作品を作ることは可能か
第5章 アートとチェス――Iとmeのちょっとしたゲーム
第6章 美術館に投げ込まれる「遺作」――現代アートとデュシャン
マルセル・デュシャンをもっと知るために――日本語で読めるデュシャン関連書籍一覧
あとがき

図版一覧


★ミードは「I」と「me」の融合について語りますが(『精神・自我・社会』1934年、第四部「社会」第35章「社会活動における「I」と「me」の融合」487~495頁)、平芳さんはデュシャンの1920~40年代における「Iとmeのちょっとしたゲーム」(211頁)について言及しています。「相手の期待をはぐらかしたり、想定される反応の裏をかいたり、とデュシャンはアイロニカルなゲームを演じ続けたのである。〔…〕後年このようなアイロニカルな身振りをデュシャン自身は「Iとmeのちょっとしたゲーム」とも呼んだのであった。この「Iとmeのちょっとしたゲーム」つまり自己と自己像が演じる大局のような様相を、デュシャン自身が積極的に作り出していくのもまた1920年代のことであった」(210~211頁)。さらに後段ではデュシャンにおける「Iとmeの間のアンフラマンスな差異」(237頁)が解説されます。「アンフラマンスの例はどれも身体的であるがゆえに官能的である。〔…〕デュシャンが微細なズレや遅延を感じ取ろうとしたものたちは、それがまさしく人間の認知を越えている(当然下方に)がゆえに、身体的なある種の「ざわめき」のようなものとして立ち現れてくるのである」(同頁)。


★ミードの場合、Iとmeの融合は、宗教や愛国心における高揚感、チームワークにおける一体感などに見られるもので、「社会的状況における「I」と呼んできた行為作用自体は、全体を統一する源泉であるのに対して、「me」は、この作用行為の自己表現を可能にする社会的状況である」(494頁)と説明されます。「音楽においては、関連する情動的反応の点からみて、おそらく何等かの類の社会的状況がつねにある。音楽のもつ高揚感は、こうした情動的か前に対する関連性を有していると思われる。「I」と「me」の融合という考えは、こうした高揚感を説明する上で、非常に適切な土台となる。私が思うに、行動主義的心理学は、こうした美学理論の発展に絶好の機会となる。美的経験において反応が有する意味作用は、絵画批評家や建築批評家によってすでに強調されている」(同頁)。


★ミード(1863-1931)とデュシャン(1887-1968)がともに、社会や美的経験についてそれぞれの立場から思索を深めていたことには、何かしらの同時代性や、地理的経済的背景の相違があったと言えるでしょうか。一方は巨視的に一体感や高揚感に注目し、他方は微視的に差異=ズレと官能性に着目。思想史的探究が必要かもしれません。


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★最後にここ最近の雑誌の中からいくつか取り上げます。
『現代思想2018年11月号 特集=「多動」の時代――時短・ライフハック・ギグエコノミー』青土社、2018年10月、本体1,400円、A5判並製230頁、ISBN978-4-7917-1373-8
『文藝 2018年冬季号』河出書房新社、2018年10月、本体1,300円、A5判並製680頁、ISBN978-4-309-97957-1
『フィルカル Vol.3, No.2』ミュー、2018年9月、本体1,500円、A5判並製370頁、ISBN978-4-943995-20-3
『兜太 TOTA vol.1〈特集〉一九一九 私が俳句』藤原書店、2018年9月、本体1,200円、A5並製200頁、ISBN978-4-86578-190-8



★『現代思想2018年11月号 特集=「多動」の時代』は、伊藤亜紗さんと貴戸理恵さんの討議「動きすぎる体/動かない体の〈コミュニケーション〉――吃音と不登校の交差点」と、ドミニク・チェンさんと若林恵さんの討議「コンヴィヴィアリティを促す「共話」の力」をはじめ、松本卓也さんの「ADHDの精神病理についてのノート』や、スージー・ワイズマンによるデヴィッド・グレーバーへのインタビュー「ブルシット・ジョブの上昇」などが読めます。「ブルシット・ジョブ」(=クソどうでもいい仕事)というのは、グレーバーが今年上梓した最新著『Bullshit Jobs: A Theory』(Simon & Schuster, 2018)の題名でもあります。本作についてはすでに日本語でいくつかの紹介記事をネット上で読むことができますが、このインタヴューの解題においても酒井隆史さんが長い紹介文を寄せておられます。同書は岩波書店から訳書が刊行される予定のようです。ちなみに酒井さんはグレーバーの訳書『官僚制のユートピア』(以文社、2017年)でbullshit jobsを「クソしょうもない仕事」とお訳しになっておられます。


★『文藝 2018年冬季号』では第55回文藝賞の受賞作2篇が掲載。また「新発見 唐十郎幻の第一作」として小説「懶惰の燈篭」(42枚)とシナリオ「幽閉者は口をあけたまま沈んでいる」(64枚)が掲載。山本貴族光さんの連載「季評 文態百版」は第3回で2018年6月から8月を観察。同誌秋号に掲載され、今般単行本としても刊行された庄野さんの「ウラミズモ奴隷選挙」についても言及があります。庄野さんはTPP反対派であり、この小説もTPP批准後の某国とその某国より独立した女性だけの国が物語の舞台です。庄野さんは単行本の前書きでTPPを「恐怖のメガ自由貿易」であり、「民を奴隷にし、国土を植民地にする。国益を叩き売り、日本を汚染物質と病気まみれにさせていく。弱いものから死なせて「邪魔な人間」をがんがん殺していく。そして全ての金を外国に持ち去ってしまう。田畑も海も林も、山も森も、国民から強奪する、そうです! これこそがメガ自由貿易というもの。悪魔の最終兵器〔…〕人喰い条約」(9~10頁)であると糾弾しています。『ウラミズモ奴隷選挙』は小説ではありますが、人文書でナオミ・クラインやデヴィッド・グレーバーらと一緒に販売してもおかしくない気がしますし、フェミニズムの棚でも異彩を放つのではないかと想像します。現代日本の病根に迫る重要作です。



★『フィルカル Vol.3, No.2』は3月に発売された前号よりわずか12頁ほど総頁数が減ったもののそれでも例年以上に分厚くなりつつあり、誌面の充実と発展を実感させます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。小特集は「スポーツ」。翻訳ではルヴフ=ワルシャワ学派のカジミエシュ・トファルドフスキ(Kazimierz Twardowski, 1866-1938)のテクスト3篇が掲載されています。「ポーランド国民哲学についてのもうひとつの小論」(1911年)、「論理の共用について」(1920年)、「もっと哲学を!」(1935年)。中井杏奈(なかい・あんな:1985-)さんによる翻訳と懇切な解説による第1回掲載で、全2回を予定しているとのことです。なお、同号の発売を記念して、来月以下の通りイベントが行われます。


◎長門裕介×松本大輝トークセッション「スポーツの哲学へのいざない」



日時:2018年11月7日(水)19:00開場 19:30開演
場所:ジュンク堂書店池袋本店 4F 喫茶コーナー
料金:1,000円(ドリンク付き。当日、会場の4F喫茶受付でお支払いください)
予約:事前のご予約が必要です。ジュンク堂書店池袋本店1階サービスコーナーもしくは書店お電話(03-5956-6111)までお願いいたします。


内容:最新の哲学で文化を分析する雑誌『フィルカル』。その最新号では「スポーツ」を特集しています。それにちなみ、この刊行記念イベントではスポーツの哲学に、倫理学と美学の観点から迫ります。いい試合とは何か? フェアプレーとは? スポーツとアートの違いは? プレーの華麗さとは? そうした問いの哲学的な分析の入口へと、倫理学と美学の俊英が、漫画や実際の試合などの実例を通してご案内します。


★『兜太 TOTA vol.1〈特集〉一九一九 私が俳句』は今年2月に98歳でお亡くなりになった俳人、金子兜太さんの名前を誌名に掲げた雑誌の創刊号です。『存在者 金子兜太』(藤原書店、2017年)の執筆参加者により、金子さんの生前から企画され、金子さん自身の賛同も得ていたものとのこと。金子さんの最晩年の戦場体験語り部としての活動に寄り添ってきた黒田杏子さんが編集主幹をつとめておられます。その黒田さんの「創刊のことば」によれば、金子さんの「巨きな創作世界とその生き方を、皆さまとご一緒に学んでゆきたいと思います」と。巻頭には金子さんの最後の一句とともにこんな発言が引かれています。「なぜ戦争はなくならないのか。一言で答えさせて下さい。「物欲」の逞しさです。あらゆる欲のうちで最低最強の「欲」ですが、それだけにもっとも制御不可能、且つ付和雷同を生みやすい欲と見ています。そこに人間の暮しが、武力依存を募らせる因もある」(初出:『短歌』2017年8月号別冊付録「緊急寄稿 歌人・著名人に問う なぜ戦争はなくならないのか」)。なお、同じく9月には金子さんの俳誌「海程」の後継誌「海原」も創刊されています。


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注目新刊:千葉雅也『意味がない無意味』河出書房新社、ほか

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a0018105_22364770.jpg『意味がない無意味』千葉雅也著、河出書房新社、2018年10月、本体1,800円、46判上製 296頁、ISBN978-4-309-24892-9
『歴史からの黙示――アナキズムと革命(増補改訂新版)』千坂恭二著、松田政男/山本光久解説、航思社、2018年10月、本体3,600円、四六判上製384頁、ISBN978-4-906738-35-9
『酸っぱい葡萄――合理性の転覆について』ヤン・エルスター著、玉手慎太郎訳、勁草書房、2018年10月、本体4,000円、四六判上製404頁、ISBN978-4-326-19970-9
『社会的世界の制作――人間文明の構造』ジョン・R・サール著、三谷武司訳、勁草書房、2018年10月、本体3,900円、四六判上製360頁、ISBN978-4-326-15455-5


★千葉雅也『意味がない無意味』は2005年から2017年にかけて各媒体で発表されてきた23篇のテクストを改稿し、書き下ろしの「はじめに」と表題作論文を加えて1冊としたもの。帯文に「千葉雅也の哲学、十年間の全貌」とあります。「本書には、ドゥルーズ研究以外の、私の第一期における、自分自身に発する考察が示されている」(7頁)と千葉さんはお書きになっています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。論及される対象は哲学に留まらず、美術作品や小説、建築、音楽、さらにはギャル男、ストリート・ファッション、ツイッター、飲酒後のラーメン、ボディビル、プロレス、等々、多彩です。「2016年までを私の仕事の第一期として句切るならば、その間に私は、身体の哲学を作ろうとしてきたのだと思う。/〈意味がある無意味〉から〈意味がない無意味〉へ――それは思考から身体への転換だ。/考えすぎる人は何もできない。頭を空っぽにしなければ、行為できない」(12頁)。


★「考えすぎるというのは、無限の多義性に溺れることだ。ものごとを多面的に考えるほど、我々は行為に躊躇するだろう。多義性は、行為をストップさせる。反対に、行為は、身体によって実現される。無限に降り続く意味の雨を、身体が撥ね返すのである。身体で行為する。そのときに我々の頭は空っぽになる。行為の本質とは、「頭空っぽ性 airhead-ness」なのだ」(13頁)。「私が「思考停止」や「頭空っぽ性」といった概念をあえて肯定的に使用するのは、それこそが行為の条件だからである」(35頁)。「現実的な世界を生きるとは、潜在的に無限な多義性の思考から、有限な意味を身体によって非意味的に切り取ること――そして行為するということだ。行為の本質が、〈意味がない無意味〉なのである」(同頁)。


★「『動きすぎてはいけない』以来、次第にはっきりしてきたのは、私は、ドゥルーズにおいて必ずしも明確でなかった現実性の本質に考察を集中させているということだ。ドゥルーズは主著『差異と反復』で「潜在的なものの現実化」を論じた。そこでは、潜在性にプライオリティがあった――実在的なのは潜在性であり、現実性はそこから派生する次元である。これに対して、私は逆に、現実性の側にもうひとつの原理性を認められないかと考えるようになった」(36頁)。「ドゥルーズの構図を反転させる。ドゥルーズにおいては、潜在性の肯定が存在論の極致であり、〔…〕私はそれとは反対に、現実へと向かう。存在論のもうひとつの極致としての現実。ただたんなる現実、そうであるからそうだ、ということ」(同頁)。「ただたんなる現実、そうであるからそうだ、というトートロジーの閉域。意味がなく無意味な二度塗り。〔…〕まさにその自明性が、存在するということの過剰さ、存在の盛り上がりなのだとしたら」(37頁)。千葉さんの丁寧な整理と総括により、一見雑多に見える本書の「テクスト相互がリンクされていること」が浮かび上がります。


★千葉さんが出演する今月の二つのイベント情報についても記しておきます。


◎「勉強する、研究する――立岩真也と千葉雅也における「読み書きそろばん」」



登壇者:立岩真也/千葉雅也/小泉義之(司会)
日時:2018年11月11日(日) 14:00-17:00
会場:ステーションコンファレンス東京(サピアタワー)4F(JR東京駅日本橋口直結)
※会場人数制限があるため要予約です(予約方法は催事名のリンク先に記載)。
 ご予約期間:2018年11月2日(金)9:00~11月7日(水)13:00
※抽選の可能性があります。
※当日参加分を若干ご用意していますが、会場が満席になりましたらお断りすることになります。その場合は大変申し訳ございませんがご了承ください。


内容:研究するとは、読み、書き、計算すること。しかし、読んで書いて計算すれば、研究になるかと言われれば、そうでもない。しかし、研究用に、読んで書いて計算すれば足りるかと言われれば、そうでもない。では、読み書き計算の何が、研究かそうではないかを決める? そして、読み書き計算の先には何がある? ─── 第一線の研究者が何を行い、そして何者になったのか(なるのか)を験しに語ってみます。


◎「思弁的実在論と精神分析――現代の思想・病理・芸術をめぐって」



登壇者:千葉雅也/松本卓也
日時:2018年11月29日(木)16:30~18:00
場所:京都大学研究3号館1階共通155教室
※入場無料


内容:『意味がない無意味』刊行記念対談講演会。『勉強の哲学』について、さらには現代の思想(思弁的実在論ほか)や、病理(古典的「狂気」と自閉症スペクトラム)、芸術(創造性)の関係について対談形式で語り尽くす。科研費研究課題「精神分析理論をもとにした「狂気と創造性」の問いをめぐる包括的な思想史的研究」の一環として開催。


★千坂恭二『歴史からの黙示(増補改訂新版)』は、航思社さんのシリーズ「革命のアルケオロジー」の第7弾。凡例によれば『歴史からの黙示』(田畑書店、1973年)に「反アナキズム論序説」(『情況』1975年1-2月号)と『無政府主義』(黒党社、1970年)を増補したもの。「改訂にあたり、著者の監修のもと旧版の誤字脱字は可能なかぎり訂正し、若干の難解な表現を改めるとともに、新しい読者のために書誌情報などを追加した」とのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻末には2篇の解説、松田政男「“癖”に昂まった原理」と、山本光久「〈観念〉の力」が付されています。あとがきによれば、『無政府主義』は「1970年の反安保闘争の直後の20歳の時に書き、少部数の冊子として出したまま現物を紛失し、以来、長らく行方不明の状態にあった」という幻の書。著者の知人が「古書店で見つけ、数万円という大枚を投じて購入してくれたおかげで、再会し本書に収録出来たのだった」とあります。この幻の本については「「無政府主義」と「アナキズム」」と題された2015年7月10日付の日記で著者自身も言及しています。



★エルスター『酸っぱい葡萄』は『Sour Grapes: Studies in the Subversion of Rationality』(Cambridge University Press, 1983/2016)の全訳。ノルウェーに生まれ欧米で活躍してきた社会科学者のエルスター(Jon Elster, 1940-)の3冊目の訳書で、勁草書房さんのシリーズ「叢書・現代倫理学」の第4弾です。本書の原書より後に刊行された著書2点、『社会科学の道具箱』(原著、1989年;訳書、ハーベスト社、1997年)、『合理性を圧倒する感情』(原著、1999年;訳書、勁草書房、2008年)は既訳。「『酸っぱい葡萄』〔というタイトル〕は、〔…〕一つの選択の基礎となる選好は制約によって形づくられることがありうる、という考えを表現している」(v頁)と著者は書きます。それが本書が提起した概念「適応的選好形成」であり、「実行可能な選択肢が貧弱である場合に、そこからでも十分な満足を得られるように選好を切り詰めてしまうこと」(訳者解説、351頁)を指しています。貧しい選択肢しか選べない時に人間がそうした状況に適応しようとする傾向を持っているというのは、現代人が特に選挙において直面してきた現実ではないでしょうか。本書のアクチュアリティはこんにちいよいよ露わになってきたように思われます。


★サール『社会的世界の制作――人間文明の構造』は『Making the Social World: The Structure of Human Civilization』(Oxford University Press, 2010)の全訳です。序文冒頭には「本書で試みるのは、人間の社会的・制度的現実の基本的な性質とその存在のあり方――哲学用語でいうなら本質と存在論――の説明である。民族国家や貨幣、また会社やスキークラブや夏休みやカクテルパーティやアメフトの試合、これらが「存在する」と言われるとき、その「存在する」とはいったいどういうことなのか、それを考えたい。特に社会的現実の創出、構成、維持に際し、言語がはたす役割については、とりわけ厳密な説明を与えたいと思っている」(v頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書はサールの『社会的現実の構築〔The Construction of Social Reality〕』(The Free Press, 1995:未訳)の続編であり、訳者は「この社会的存在論を、サール哲学の集大成ないし終着点と見るのは決して無理な態度ではあるまい」と解説で評価されています。なおサールは今月、文庫でも新刊が発売予定なので、以下で触れておきます。


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★11月8日に発売となる、ちくま学芸文庫の11月新刊5点をご紹介します。


『MiND――心の哲学』ジョン・R・サール著、山本貴光/吉川浩満訳、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,500円、464頁、ISBN978-4-480-09885-6
『基礎づけるとは何か』ジル・ドゥルーズ著、國分功一郎/長門裕介/西川耕平編訳、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09887-0
『わたしの城下町――天守閣からみえる戦後の日本』木下直之著、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,400円、416頁、ISBN978-4-480-09893-1
『人身御供論』高木敏雄著、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,200円、304頁、ISBN 978-4-480-09896-2
『関数解析』宮寺功著、ちくま学芸文庫Math&Science、2018年11月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09889-4


★サール『MiND』は、朝日出版社から2006年に刊行された訳書の文庫化です。原書は『Mind: A Brief Introduction』(Oxford UNiversity Press, 2004)。訳者による「ちくま学芸文庫版への付記」によれば、「文庫化にあたり、訳文を見直し表現を改めた箇所がある。また、言及されている文献について気づいた限りで書誌を更新した」とのことです。第一章「心の哲学が抱える12の問題」にはこうあります。「本書の狙いは、読者に心の哲学を手ほどきすることだ。〔…〕本書は、心の哲学こそが現代哲学で最も重要なテーマであり、現在の標準的な見解――二元論、唯物論、行動主義、機能主義、計算主義、消去主義、随伴現象説――はすべて誤っているという確信のもとに書かれている」(21頁)。訳者二氏は、サールの平易な文体と「心の哲学」をめぐる包括的な見取り図、そしてサール自身の独自見解に触れつつ、本書を「40年に及ぶ著者の研鑽とキャリアによってはじめて可能になった名人芸」であり、「単なる教科書に留まらない魅力」を有するものと評価しています。


★ドゥルーズ『基礎づけるとは何か』は、國分功一郎さんの「解説」によれば「ドゥルーズの初期の講義、入手が難しかった論文を独自にセレクトした日本語版オリジナルの翻訳書」。目次を以下に列記します。


1 基礎づけるとは何か 1956-1957 ルイ=ル=グラン校講義
 第一章 自然と理性
 第二章 「基礎すなわち根拠の本質をなすもの」(ハイデガー)
 第三章 基礎と問い
 第四章 原理の基礎
 全体の結論
2 ルソー講義 1956-1960 ソルボンヌ
 自然状態についての二つの可能な考え方
 『新エロイーズ』について
 自然状態
 ルソーの著作の統一性
 社会契約
 ルソーにおける市民の法の観念
3 女性の記述――性別をもった他者の哲学のために
4 口にすることと輪郭
5 ザッヘル・マゾッホからマゾヒズムへ
 原註/訳註
 解題
解説


★「基礎づけるとは何か」は「ウェブ・ドゥルーズ」で公開されている、ピエール・ルフェーブルの筆記録の翻訳。「ルソー講義」はリヨン高等師範学校所蔵のタイプ原稿の翻訳。『女性の記述」は「ポエジー45」誌第28号(1945年10-11月号)掲載のテクストの翻訳。『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』(河出書房新社、2016年)に宇野邦一さんによる既訳「女性の叙述」あり。「口にすることと輪郭」は「ポエジー47」誌第36号(1946年12月号)掲載のテクストの翻訳。『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』に宇野邦一さんによる既訳「発言と輪郭」あり。「ザッヘル・マゾッホからマゾヒズムへ」は「アルギュマン」誌第5期第21号(1961年第1四半期号)掲載のテクストの翻訳で、初出は國分さんによる訳と解題で、みすず書房の月刊誌「みすず」2005年4月号に掲載。『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』では宇野邦一さんによる訳が収録されています。



★木下直之『わたしの城下町』は筑摩書房より2007年に刊行された単行本の文庫化。巻末には、文庫あとがき「この十二年間に「お城とお城のようなものの世界」で起った出来事について」が付されています。序「お濠端にて」では本書の主題が「近代日本におけるお城の変貌」であると説明されており、「お城のようなもの」というのが何であるかは序の次のくだりを読むと明らかです。「本書で尋ね歩くお城の大半は、戦争が終わったあとに、いわば平和のシンボルとして生まれてきたものである。〔…〕お城は、武威とは対極の何ものかを示す場所に変わった。それが何であるのかを、そして、敗戦後の日本人がお城に何を期待したのかを、これから考えてゆきたい」(15頁)。例えば序の末尾で言及されている浜松城は1958年に再建されたもの。ちなみに単行本版の版元紹介文は以下の通りでした。「戊辰戦争以降、攻防の要たるお城はその意味を失うかに見えた。が、どっこい死んだわけではない。新たな価値をにない、昭和・平成を生き続けている。ホンモノ、ニセモノ、現役、退役…、さまざまなお城から見えてくる日本の近・現代史」。



★高木敏雄『人身御供論』は宝文館出版より1973年に刊行された単行本の文庫化。再刊にあたって解説「ささげられる人体」を寄稿した山田仁史さんの協力のもと、初出や原典等と照合して明らかな誤りを修正したとのことです。「人身御供論」「人狼伝説の痕跡」「日本童話考」の三部構成。民俗学者の高木敏雄(たかぎ・としお:1876-1922)さんは柳田國男の同時代人であり、柳田とともに月刊誌『郷土研究』を創刊。筑摩書房さんでは『日本伝説集』(郷土研究社、1913年;宝文館出版、1973年;ちくま学芸文庫、2010年)に続く文庫化です。現在は品切ですが『童話の研究』(婦人文庫刊行会、1916年;講談社学術文庫、1977年)というのもありました。


★宮寺功『関数解析』は理工学社から1972年に初版が、1996年に第2版が刊行された単行本の文庫化。再刊にあたり、早稲田大学教育・総合科学学術院教授の新井仁之さんが解説をお書きになっておられます。帯文に曰く「定理・証明の丁寧な積み上げで初学者にも読みやすい名教科書」と。「Banach空間」「線形作用素」「線形汎関数」「共役空間」「線形作用素方程式」「ベクトル値関数」「線形作用素の半群」の全7章だて。親本の版元である理工学社は2013年に解散。国会図書館で検索すると、1940年代から同名の出版社の刊行物を確認できます。


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月曜社12月新刊予定:『森山大道写真集成(1)にっぽん劇場写真帖』

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月曜社新刊案内【2018年12月3日取次搬入予定:芸術/写真】


森山大道写真集成(1)【第1回配本】
にっぽん劇場写真帖


写真:森山大道 文:寺山修司 デザイン:町口覚
A4判変型[天地308mm×左右228mm×束24mm]上製角背232頁
本体価格6,000円 ISBN:978-4-86503-067-9 C0072 重量:1,220g


デビュー作にして、写真史を塗り替えた名作(室町書房、1968年;フォトミュゼ/新潮社、1995年;講談社、2011年)。印刷と装いを一新し、写真家自身がディレクションに加わった決定版。


アマゾンにて予約受付中

a0018105_15493216.jpga0018105_15520180.jpga0018105_15541723.jpga0018105_15545449.jpg◎シリーズ「森山大道写真集成」の特徴

初期の名作を初版当時の画像サイズのまま再現し、トリプルトーンの印刷で新生させる決定版シリーズ。写真家自身による当時の回想、撮影にまつわるエピソード、撮影場所など、貴重なコメントを付して、資料的な側面も充実。


◎続刊予定
2019年7月第3回配本予定:(2)『狩人』(1972年中央公論社刊;2011年講談社刊)
2019年9月第4回配本予定:(3)『写真よさようなら』(1972年写真評論社刊;2006年パワーショベル刊;2012年講談社刊)
2019年4月第2回配本予定:(4)『光と影』(1982年冬樹社刊;2009年講談社刊)
2019年10月第5回配本予定:(5)『未刊行作品集』(1964-1976年撮影)


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注目新刊:『ゲンロン9』第Ⅰ期終刊号、ほか

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a0018105_03575205.jpg★まずは雑誌から。『新潮』12月号は11月7日発売、『ゲンロン9』は11月8日一般発売開始、『中央公論』12月号は11月9日発売です。


『ゲンロン9』genron、2018年10月、本体2,400円、A5判並製382頁 ISBN978-4-907188-28-3
『新潮 2018年12月号』新潮社、2018年11月、本体861円、A5判並製308頁、雑誌04901-12
『中央公論 2018年12月号』中央公論新社、2018年11月、本体861円、A5判並製298頁、雑誌06101-12



★『ゲンロン9』は第Ⅰ期終刊号。2015年12月刊行の第1号から約3年、「第一期に展開した三つの特集を補う小特集を設け、第二期の企画につなげる討議や論考を収めた」と東さんの巻頭言にあります。小特集は「ロシア現代思想Ⅲ」「現代日本の批評Ⅳ」「ゲームの時代Ⅱ」の3本。目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。今回で最後になるかもしれない巻頭言は「愛について」と題されています。そこで東さんは第一期の手応えをありのまま吐露しておられます。「この三年で、〔株式会社〕ゲンロンと〔雑誌〕『ゲンロン』のまわりに集う人々の数は何倍にもなり、批評の意義を理解するコミュニティは確実に大きくなった。ゲンロンが発する言葉は、専門的な読者にとどまらず、弊社が運営するカフェやスクールを通して、さまざまな職業や背景をもつ人々のコミュニケーションの場へと循環するようにもなった。弊社の経営がまがりなりにも成立しているのは、そのようにして集まった多様な方々の支援があるからでもある。ぼくはそこに、批評の再生のたしかな手応えを感じている」(29頁)。



★「批評を再生するとは、ほんとうは批評の場そのものを再生することだ〔…〕。そしてその場は、批評家の専有物であってはならないし、特別の知識を要求するものであってもならない〔…〕」(同頁)。「批評の場の再生は、ふだんは批評のことなど考えたことのないすべてのひとにとっても、絶対に必要なことのはずなのだ」(31頁)。「批評の再生とは、けっして小むずかしくて理屈っぽい言葉が再生することではない。ディレッタントな知識競争が復活することでもない。文化が危機に陥ったときに、それに対する愛を他者に対してきちんと説明できる場を確保し、維持することである」(同頁)。東さんは『ゲンロン』第Ⅰ期の巻頭言で「批評とは何か」を繰り返し問い続けてきました。私なりに解釈すれば、東さんが巻頭言の執筆という実践によって示してきたところの「批評」には、「読者へと橋渡しをすること」と「立場を引き受けること」という2点に大きなポイントがあったように思います。巻頭言には自己言及的なしんどさがつきものだとはいえ、この二つのポイントを実装することは、現実にはさほど簡単ではありません。


★アカデミックな研究者の場合、常に「橋渡しと引受け」から免除されうるような、特権的な「学問の純粋性」という幻想へと誘引されうる危うさがあるように見えます。それに対し、東さんは拠って立つ「場」を自分自身で作ろうとしてきたがゆえに、原則的にいかなる特権性にも甘んじるわけにはいかなかったはずです。その状況へと自身を追い込み、市場の荒波の中で身銭を切ってブリッジたらんとしてきたことがゲンロンを少しずつ強くしなやかにしたのでしょうし、これからもアカデミズムの動静とは無関係に強くしなやかになりうるでしょう。「第二期では巻頭言は書かないことに決めた。あわせて、ひとつの号の全体を覆う特集も設定しないことに決めた」(32頁)。「かわりにぼくは、第二期では、自分自身の思考を表現するあるていど長いテクストを、毎号必ず寄せることを約束したいと思う」(33頁)。「第二期の『ゲンロン』は、〔…〕第一期とは大きく性格が異なるものになるだろう」(35頁)。こうした転換は軽々しく決断しうるものではないですから、来年4月に発売予定の『ゲンロン10』にはいっそう注目が集まるだろうと思います。


★なお、東浩紀さんは11月7日発売の『文學界』12月号(文藝春秋)の特集「書くことを「仕事」にする」でも、インタビュー「職業としての「批評」」(聞き手=入江哲朗、10~23頁)を寄せておられます。ここでは『ゲンロン』やゲンロン・カフェの活動、そして東さん自身の「批評」観が再説されていますが、『ゲンロン』の巻頭言とは違った補助線も引かれているため、第Ⅰ期を振り返る上で重要なインタビューとなっています。



★このインタビューから四つほど論点を抽出しておきます。まず『新潮45』問題について、東さんはこう述べています。「理念と経営上の合理的判断とのあいだに衝突が起こるとすれば、原因は会社を大きくしすぎていることにあるんじゃないでしょうか。だとすれば、理念を維持しうる適正規模に会社を戻せばいいのだと思います。〔…ゲンロンは雑誌としても会社としても〕来たる第二期も、いまのバランスを維持しながら地道にやっていこうと思っています」(20頁)。単なるビジネス拡張路線を取ろうとしているわけではない、というスタンスは、興味深いポイントではないでしょうか。


★次に、リアルタイムで瞬間ごとを消費するコミュニケーションではなく、他者と時間をかけて向き合うことを重視しておられるという点。ゆっくりのろのろやるということではなく、時間をかけ、間を取るという良い意味で「スロー」な試みです。さらに批評的実践のアウトプットは文章を書くことだけではない、という点。これは誰しもが「書く」ことを職業にできるわけではないことを考えると、たいへん重要です。出版社は従来、コンテンツを販売することにのみ特化しがちでした。カフェやスクールなどの実践を通じて東さんは、客を消費者ではなく、人の心を動かす表現者として自立させようとしてきたのでしょう。その表現のありようはそれぞれの能力に応じたものでいいわけで、「書く」ことに限定されるものではない、と。


★最後に、批評は危機において必要なもので一種の「健康保険」のようなものである、という点。『ゲンロン9』の巻頭言でも、「ゲンロンはセキュリティ企業に似ている。あるいは保険会社に似ている」(31頁)と表現されていましたが、これはただの譬えに留まるものではないとかもしれません。後段で取り上げる一田和樹さんの新著『フェイクニュース――新しい戦略的戦争兵器』(角川新書、2018年11月)で描出されているような世論操作が日本でもすでに始まっている状況下では、批評の眼力というものが国民レヴェルで試されることになるためです。


★月刊『新潮』12月号と月刊『中央公論』12月号では、「新潮45」問題に関係した特集がそれぞれ組まれています。『新潮』の特集「差別と想像力――「新潮45」問題から考える」では7本の寄稿を読むことができます。星野智幸「危機を好機に変えるために」、中村文則「回復に向けて」、桐野夏生「すべてが嫌だ」、千葉雅也「平成最後のクィア・セオリー」、柴崎友香「言葉のあいだの言葉」、村田沙耶香「「見えない世界」の外へ」、岸政彦「権威主義・排外主義としての財政均衡主義」。特集とは別に岸さんは同号で130枚の書き下ろし「図書室」も寄せておられます。『新潮』は11月号で、高橋源一郎さんのエッセイ「「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた」を緊急掲載し、編集長の矢野優さんが同号の「編集後記」で意見表明されたのは周知の通りです。



★『中央公論』は特集名を「炎上する言論――『新潮45』休刊が問うもの」と題し、武田徹「休刊誌でたどる「編集」の困難――分断された読者を、雑誌は「総合」しうるか」、千葉雅也「くだらない企画に内包されたLGBTと国家の大きな問題」、薬師寺克行「元『論座』編集長が語る論壇史」の3本を掲載しています。同誌編集長の穴井雄治さんは「編集後記」にこう綴っておられます。「自身の立場に固執するだけでは意味がないのは、言論も同じです。『新潮45』の休刊騒動には、冷静に対話することの難しさを感じます。「政治は可能性のアートである」というビスマルクにならい、「妥協のアート」を磨く必要もありそうです」。妥協というとネガティヴな響きを感じ取りがちですが、ここで言われているのは議論をいかに公的に開かれたものとするかという苦心の内実ではあるでしょう。これは東浩紀さんが『ゲンロン9』の共同討議「日本思想の一五〇年――知識人、文学、天皇」の冒頭で語ったことと繋がるように思います。「いま日本の政治的言説は、右/左、与党/野党、保守/リベラル、改憲/護憲、安倍政権支持/「反アベ」といった対立が先鋭化し、たがいに連動して身動きが取れない状況になっています。一五〇年の複雑な歴史を辿り、読者がそうした対立を逃れる視座を確保できてばと思っています」(『ゲンロン9』38頁)。


★『新潮』『中央公論』の両方に発言を寄せておられるのは千葉雅也さんお一人です。『新潮』では、千葉さん自身の一連のツイートをまとめたあとに、見開き2頁3段組でその真意を端的に明かしておられます。「心からお願いしたい。本稿を、敵か味方かの二分法で読まないでほしい」(141頁下段)。断片的にしか千葉さんの発言に触れてこなかった方の中には千葉さんの本心がどこにあるのかつかみかねた方もいらっしゃったかもしれませんが、本稿はずいぶん見通しの良いものになっています。「グローバル資本主義による脱コード化は、LGBTの差別を解消していく――しかし、だからよいと単純に言うことはできない。グローバル資本主義による脱コード化とは、異質なものごとを交換可能にしていくということである。ものごとの差異は、たんに計算可能な剰余価値の源泉として取り扱われるようになる」(同頁上段)。「リベラルの主張は、ひじょうにしばしば資本の論理と共犯関係にある。警戒せよ。そこでは差異は、新たなビジネスの動因に転化される。差異は計数化=脱-質化される」(同頁中段)。「ひとつの「人類共和国」になればいいのか? そういう理想論があることもわかっている。だが僕は、世界は統一されない、しかし、分断と戦争の世界になるのでもない、という第三の道を考えてみたいのである」(同頁下段)。この第三の道を千葉さんは「差異の哲学」として記述するべく、目下格闘されているのでしょう。「いま改めて、差異とは何かを考える必要がある」(同頁上段)。


★『中央公論』の方は千葉さんが聞き手に答えるかたちのもの。聞き手の署名はありませんからおそらく編集部によるものでしょう。ここでは千葉さんのツイートをまったく読んでいなくても論旨を理解できるようになっています。インタビューだけあって、『新潮』末尾のテクストよりかはやや毒を含むものとなっているものの、そこは字面だけを撫でるべきではありません。リー・エーデルマン(Lee Edelman, 1953-)の『No Future: Queer Theory and the Death Drive』(Duke University Press, 2004)が主張した、国家への強烈な批判者としてのクィアの定義を取り上げつつ、反社会型と包摂型の衝突について論及されています。


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★また、最近では以下の注目新刊がありました。


『フェイクニュース――新しい戦略的戦争兵器』一田和樹著、角川新書、2018年11月、本体840円、267頁、ISBN978-4-04-082244-0
『アニマル・ファーム』石ノ森章太郎著、ジョージ・オーウェル原作、ちくま文庫、2018年11月、288頁、ISBN978-4-480-43559-0
『生きる意味――人生にとっていちばん大切なこと』アルフレッド・アドラー著、長谷川早苗訳、興陽館、2018年11月、本体1,700円、四六判並製329頁、ISBN978-4-87723-232-0

★一田和樹『フェイクニュース』は、事実と異なる報道が「新しい戦略的戦争兵器」として意図的に運用されている実態について、国内外で起きていることをまとめた一冊です。著者は小説家で、近年では『ネットで破滅しないためのサバイバルガイド――サイバーセキュリティ読本【完全版】』(星海社新書、2017年5月)や、江添佳代子さんとの共著『犯罪「事前」捜査――知られざる米国警察当局の技術』(角川新書、2017年8月)などノンフィクションも手掛けられている、一田和樹(いちだ・かずき:1958-)さんです。日本で複数のサイバー関連企業の経営に携わられたのち、6年前からカナダに移住されておられます。最新作となる『フェイクニュース』の目次は以下の通りです。



はじめに
第一章 フェイクニュースが引き起こした約十三兆円の暴落
第二章 フェイクニュースとハイブリッド戦
第三章 世界四十八カ国でネット世論操作が進行中
第四章 アジアに拡がるネット世論操作――政権奪取からリンチまで
第五章 日本におけるネット世論操作のエコシステム
謝辞
おわりに
参考文献


★「はじめに」にはこうあります。「ハイブリッド戦とは兵器を用いた戦争ではなく、経済、文化、宗教、サイバー攻撃などあらゆる手段を駆使した、なんでもありの戦争を指す。この戦争に宣戦布告はなく、匿名性が高く、兵器を使った戦闘よりも重要度が高い」(6頁)。フェイクニュースは「情報が誤っているものだけでなく、ミスリードしようとしているもの、偏った解釈あるいは誤った解釈、偏った形での部分的な事実の開示など」(7頁)を指し、ネット世論操作は「ネットを通じて世論を誘導すること全般を指す」(同頁)。一番の見どころは第五章です。日本の現状に対する大胆な分析は、国内の書き手では容易に公言しえない側面を有しています。センセーショナルな内容を好む読者ではなく、ネット言論や政治家の図々しい発言に違和感を覚えている読者こそが読むべき本であるため、ネタバレは一切しないでおきます。「ネット世論操作はすでに産業化している。日本でも進行する民主主義の危機は「ハイブリッド戦への移行」を意味する」と帯文にはあります。ピンと来る方は本書の問題意識を各人で可能な限り掘り下げるべきです。「日本で起きていることをきちんと調査し、白日の下にさらし、これからなすべきことを考えなければならない時期にきている」(246頁)という指摘に強い共感を覚えます。


★『フェイクニュース』との併読をお薦めしたいのは9月に発売された、エドワード・ルトワック『日本4.0――国家戦略の新しいリアル』(奥山真司訳、文春文庫、本体800円、192頁、ISBN978-4-16-661182-9)です。特に第八章「地政学(ジオポリティックス)から地経学(ジオエコノミックス)へ」は『フェイクニュース』が言うところのハイブリッド戦へと至る戦略変化の背景を知る上で参考になります。ルトワックはこの章の元となる論文を1990年に書いているのです。本書は訳者の奥山さんが昨秋来日したルトワックに対して行った6回のインタヴューを中心に訳出したもの。ルトワックによる日本へのアドバイスは、アメリカの国益と日本の利害が重なっている絶妙な場所から語られているため、書かれてある通りの内容として受け取っていいであろう箇所と、裏読みを担保すべき箇所があることに、留意すべきかと思われます。第三章「自衛隊進化論」の扉裏に記載された梗概にはこうあります。「戦争で必要なのは、勝つためにはなんでもやるということだ。そして、「あらゆる手段」にはズルをすることも含まれる。目的は「勝つこと」であり、「ルールを守ること」ではないからだ」(52頁)。これはハイブリッド戦の特徴でもあります。



★現代人は『フェイクニュース』や『日本4.0』を通じて、世間でいうところの「戦後70年以上日本は戦争もなく平和だった」という認識の半分が間違いではなかったか、と気づくことになると思われます。戦争は戦後もかたちをかえてずっと続いてきたのではないか。自衛隊の合憲化が必要だとする改憲論が単純で滑稽なもののように聞こえるのは、世界戦争がとっくの昔に新たな段階へと突入してしまっていることがはっきりとは語られないからではないでしょうか。


★石ノ森章太郎『アニマル・ファーム』は、オーウェル『動物農場』の劇画化。小松左京原作の「くだんのはは」と、怪談牡丹燈籠を翻案しSF化した「カラーン・コローン」を併録しています。『アニマル・ファーム』は、農場主たちに虐げられた動物たちが決起し、人間を追い出して自治を得たものの、一部の動物のために楽園が新たな苦役と搾取の場に変貌していくさまを描いています。頭脳労働者を自称しつつ徐々に暴力的統治を強めて人間と結託し始める一部の動物たち。この諷刺が色あせることはないでしょう。理想社会の建設が欺瞞と貪欲と怠惰によって反転して醜悪な牢獄と化すその道筋は、人間がもっとも容易に繰り返しうる悪徳のひとつだからです。


★アドラー心理学の近年の爆発的なブームの中で、原典の新訳がここ数年で出始めています。桜田直美訳『生きるために大切なこと〔The Secience of Living, 1929〕』(方丈社、2016年)、そして今月、長谷川早苗訳『生きる意味〔Der Sinn des Lebens, 1933〕』が発売されました。これらに先行して2007年より2014年にかけて、アルテ版『アドラー・セレクション』が、ベストセラー『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社、2013年)の共著者である岸見一郎さんの翻訳で刊行されてきたのは、周知の通りです。『生きる意味』においてアドラーはこう語っています。「ひとが誤る原因を最初に証明したのは個人心理学です。どのように進化から外れて失敗するかを理解すれば、人間は道を正して共同体につながるでしょう。/人生のあらゆる問題は、わたしが指摘したとおり、協力する能力と準備を求めます。これは共同体感覚の明らかな印です。この状態には、勇気と幸福が含まれています。勇気と幸福は共同体感覚にしか見られないものです」(300頁)。


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注目新刊:ティモシー・モートン『自然なきエコロジー』以文社、ほか

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a0018105_03183645.jpg★まず、まもなく発売となる新刊4点をご紹介します。


『自然なきエコロジー――来たるべき環境哲学に向けて』ティモシー・モートン著、篠原雅武訳、以文社、2018年11月、本体4,600円、四六判上製464頁、ISBN978-4-7531-0350-8
『わたしの服の見つけかた――クレア・マッカーデルのファッション哲学』クレア・マッカーデル著、矢田明美子訳、アダチプレス、2018年11月、本体1,800円、四六判並製288+8頁、ISBN978-4-908251-09-2
『アナキズム――一丸となってバラバラに生きろ』栗原康著、岩波新書、2018年11月、本体860円、240頁、ISBN978-4-00-431745-6
『小林秀雄』大岡昇平著、中公文庫、2018年11月、本体900円、288頁、ISBN978-4-12-206656-4



★『自然なきエコロジー』は『Ecology without Nature』(Harvard University Press, 2007)の訳書。モートン(Timothy Morton, 1968-)の単著が訳されるのはこれが初めてです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。メイヤスー(1967-)『有限性の後で』(人文書院、2016年)、ハーマン(1968-)『四方対象――オブジェクト指向存在論入門』(人文書院、2017年)、ギャロウェイ(1974-)『プロトコル――脱中心化以後のコントロールはいかに作動するのか』(人文書院、2017年)、ガブリエル(1980-)『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ、2018年1月)などに続いて、ここしばらく日本に輸入されてきた哲学の新潮流を体感する上で欠かせない新刊です。本書は「あまりにも多くの人が大切であると考えている「自然」の観念そのものが、人間社会が「エコロジカル」な状態になるなら消えることになると論じて」います(4頁)。


★篠原さんは訳者あとがきで次のように本書の立場を説明しています。「モートンが本書でこころみたのは、エコロジーの概念から「自然」を取り除くことであり、それにより、エコロジーの概念を新しく作り直そうとすることである。/つまりエコロジーを、自然環境という客体的な対象としてとらえるのではなく、「とりまくもの」としてとらえること、人間にかぎらないさまざまな「もの」をとりまき存在させる「とりまくもの」として概念化することが主要課題である」(449頁)。モートンは第三章「自然な気エコロジーを想像する」でこう書いています。「要するに、環境は理論である。問いへの答えとしての理論ではなく、取扱説明書としての理論でもなく、問いとしての、疑問符としての理論であり、問いの中にあるもの、問うというまさにそのこととしての理論である」(338~339頁)。「私たちには心があり、そしてこの心が、それが作り出した歴史の中から自分を思考しようとする戦いにおいて、自然についての幻想を形成しているということを認めてきた。〔…〕自然のあったところに。私たちはいることになる。〔…〕エコロジーは、もしそれが何事かを意味するのだとしたら、自然がないということを意味する。私たちが自然を、イデオロギー的な理解関係に対抗しつつ前方および中心へと引っ張り出すときには、それは私たちがみずからを没入させることのできる世界であることをやめるだろう」(394頁)。


★「皮肉にも、徹底的に環境にやさしい思想について徹底的に考えることは、自然の観念を手放すことである。すなわち、私たちと彼ら、私たちとそれ、私たちと「彼方にあるもの」のあいだの美的な距離を維持するものとしての自然の観念を手放すことである。〔…〕人間ならざるものと一緒になろうとあせるあまり距離をも早急に棄て去ろうとするならば、距離についての私たちの偏見、概念に、つまりは「彼ら」についての概念にとらわれて終わることになるだろう。おそらくは、距離においてとどまるのは、人間ならざるものへとかかわるもっともたしかなやり方である」(396頁)。「到来することになる、絶対的に未知のことへと心を開いておくこと、これが究極の合理性である」(396~397頁)。「私たちはこの毒された地面を選択する。私たちは、この意味のない現実性と等しくなるだろう。エコロジーは自然なきものになるだろう。だがそれは、私たちがいない、というのではない」(397頁)。この結語にはまるでコミック版の『風の谷のナウシカ』の結末とだぶるような印象を覚えます。


★『わたしの服の見つけかた』は『What Shall I Wear?: The What, Where, When and How Much of Fashion』(Simon & Schuster, 1956)の訳書。著者のクレア・マッカーデル(Claire McCardell, 1905-1958)は1940~50年代のアメリカで活躍したファッションデザイナー。本書の目次や著者の似顔絵が表紙を飾った『TIME』誌の書影などは書名のリンク先でご覧いただけます。また、立ち読みもリンク先で可能です。「気まぐれで、おめでたくて、素晴らしくて、予測不可能なもの、それがファッションだと思っていてください。あなたらしく素敵になることが大切なのです。決してファッションの奴隷にならないように」(188頁)。これは「最新ファッションに身を包んでいないとだめ」と思い込んでいる人に対して書かれた言葉です。パーフェクトすぎてファッショナブルではないことや、人としての晴れやかさに欠けることに対してマッカーデルは「価値観がずれている」(同頁)とはっきり告げます。非常に興味深い本です。


★『アナキズム』は栗原さんにとって2016年3月の『村に火をつけ、白痴になれ――伊藤野枝伝』に続く、岩波書店で2冊目となる書き下ろし。『村に火をつけ』は岩波としては破格な本でしたが、今回の新刊も歴史ある岩波新書としては規格外です。少しはマジメに書くのだろうかと思いきや(本当は思ってなどいませんが)、まったくそんなことはありません。書き出しはこうです。「チャンチャンチャチャーン、チャンチャチャチャチャチャーーーン♪ チャーンチャーンチャチャーン、チャーチャチャチャチャチャーーーン♪」(3頁)。もはや言葉ですらなく、音楽が鳴り響きます。3年前に『現代暴力論――「あばれる力」を取り戻す』(角川新書、2015年)を上梓した栗原さんは、今度は「だれにもなんにも、国家にも資本にも、左翼にも右翼にもしばられない、そして自分自身にですら制御できない、得体のしれない力」(7頁)をめぐり、歴史と文献を紐解きつつ歌いまくります。「仕事も、自分の命も、革命の大義も、そんなもんはどうでもいい。ぜんぶかなぐり捨てちまって、いまこの場で遊びたい、おどりたい、うたいたい。そうさせてやまない力がある。だいじなのは、その力にふれることだ。だれにもなんにもしばられない力を手にするってことだ」(216~217頁)。本書『アナキズム』は音読していい本です。栗原さん自身が『大杉栄全集』を歌うように音読して味わったように。



★『小林秀雄』は、大岡昇平さんが書いた、7歳年上の友人である小林秀雄をめぐる批評や書評、エッセイ、追悼文や弔辞など22篇をまとめたもの。大岡=小林対談もさらに2篇(「現代文学とは何か」1951年、「文学の四十年」1965年)、併録しています。巻末には山城むつみさんによる解説「アランを補助線として」が収められています。帯文はこうです。「親交55年、批評家の詩と真実をつづった全文集」。言うまでもありませんが「詩と真実」というのはゲーテの自叙伝の書名です。「小林さんは、自分一人の道を歩いた人だった」(223頁)と1983年に大岡さんは語っています。この場合の「自分一人の道」とは社会からひきこもった隠遁者のそれではないでしょう。山城さんの解説の末尾には、どこに矛先が向いているのか分かる人には分かる一文があります。同時代の刻印とも言えます。


★続いて発売済の今月新刊で最近出会った書目を3点ほどご紹介します。


『非戦へ――物語平和論』藤井貞和著、編集室水平線、2018年11月、本体1,800円、四六判並製256頁、ISBN978-4-909291-03-5
『オウムと死刑』河出書房新社編集部編、河出書房新社、2018年11月、本体1,550円、A5判並製208頁、ISBN978-4-309-24886-8
『周作人読書雑記5』周作人著、中島長文訳注、東洋文庫:平凡社、2018年11月、本体3,300円、B6変判上製函入426頁、ISBN978-4-582-80892-6



★『非戦へ』は長崎の新しい出版社「編集室水平線」の書籍第3弾。詩人で日本文学研究者の藤井貞和(ふじい・さだかず:1942-)さんによる『湾岸戦争論――詩と現代』(河出書房新社、1994年)、『言葉と戦争』(大月書店、2007年)、『水素よ、炉心露出の詩――三月十一日のために』(大月書店、2013年)に続く「戦争論の完結編」(カバー表4紹介文より)です。主要目次は書名のリンク先をご覧ください。「〈戦争の起源〉〈戦争の本性〉――いわば未完の戦争学――への断片めく解決が、ようやく見えてきたという思いに駆られる」(61頁)と書く著者は、戦争学の始まりとして、虐殺・凌辱・略奪の「三点セット」が人類の初期からあった、という認識をしるします。本書には書き下ろしだけでなく1974年に発表した論考も収めていますが、著者にとって「戦争学」が長い間主題となっていたことを感じさせます。本書には「雨晴(あまはらし)」というPR誌の第1号が挟み込まれていました。「本は小さくて、遅いメディアです」と編集後記で西浩孝さんは書かれています。私もそう思います。


★『オウムと死刑』はオウム真理教の13人の死刑執行を受けて編まれたもの。目次詳細はhontoの単品頁で確認することができます。帯文にある「あの七月以降、僕たちはもう、全員オウムの信者だ」というのは、作家の古川日出男さんの寄稿文の題名であり、末尾に出てくる一文です。オウム真理教が省庁制を敷いて国家を模したことを受け、古川さんはこう書きます。「彼らが侵した罪の根幹は〔…〕「国家(なるもの)」が持ちうる罪なのではないか?〔…〕僕たちは結局、この死刑の大量執行を(おおむね)容認することで、オウム真理教になった」(9頁)。この後にその一文が続きます。死刑制度を、そしてオウムを考える上で不可欠となるだろう一冊です。



★『周作人読書雑記5』は東洋文庫の第892巻。全5巻の完結です。最終巻となる第5巻では、『五雑組』などを含む「筆記」と、『水滸伝』などを含む「旧小説」に分類される75篇を収めています。巻末には全5巻の書名索引と全437篇の総目次が付されています。訳者の中島さんは巻末に長編論考「言えば俗になるか」を記しています。対日協力に走った周作人の「抗日戦争以後の「不弁解」主義」にポイントを絞って考察したものです。東洋文庫の次回配本は来年1月刊、『大清律・刑律1』とのことです。


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★先月から今月にかけての新刊で注目している書目を掲げます。


『中世思想原典集成 精選1 ギリシア教父・ビザンティン思想』上智大学中世思想研究所 編訳監修、平凡社ライブラリー、2018年11月、本体2,400円、B6変判並製664頁、ISBN978-4-582-76874-9
『神とは何か――『24人の哲学者の書』』クルト・フラッシュ著、中山善樹訳、知泉書館、2018年10月、本体2,300円、4-6判上製188頁、ISBN978-4-86285-284-7
『神――スピノザをめぐる対話 第一版・第二版』J・G・ヘルダー著、吉田達訳、法政大学出版局、本体4,400円、四六判上製468頁、ISBN978-4-588-01087-3
『モムス――あるいは君主論』レオン・バッティスタ・アルベルティ著、福田晴虔訳、建築史塾あるきすと、2018年10月、本体1,500円、A5判並製304頁、ISBN978-4-9908068-1-1
『世界史の哲学講義――ベルリン 1822/23年(下)』G・W・F・ヘーゲル著、伊坂青司訳、講談社学術文庫、2018年11月、本体1,260円、344頁、ISBN978-4-06-513469-6
『新校訂 全訳注 葉隠(下)』菅野覚明/栗原剛/木澤景/菅原令子訳、講談社学術文庫、2018年11月、本体2,260円、744頁、ISBN978-4-06-513802-1
『全文現代語訳 浄土三部経』大角修訳解説、角川ソフィア文庫、2018年10月、本体1,080円、384頁、ISBN978-4-04-400420-0
『悪魔全書 復刻版』佐藤有文著、復刊ドットコム、2018年11月、本体3,700円、B6判上製192頁、ISBN978-4-8354-5616-4
『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』J・ウォーリー・ヒギンズ著、光文社新書、2018年10月、本体1,500円、456頁、ISBN978-4-334-04375-9
『退行の時代を生きる――人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』ジグムント・バウマン著、伊藤茂訳、青土社、2018年10月、本体2000円、46判並製214+vi頁、ISBN978-4-7917-7113-4



★『中世思想原典集成 精選1 ギリシア教父・ビザンティン思想』は、平凡社ライブラリー版『中世思想原典集成 精選』全7巻の、第1巻。目次詳細はhontoなどで公開されています。単行本版の第1巻「初期ギリシア教父」、第2巻「盛期ギリシア教父」、第3巻「後期ギリシア教父・ビザンティン思想」から16篇を再録(凡例には17篇と記載)し、新たに巻頭に佐藤直子さんによる「解説」が、そして収録作のそれぞれの冒頭には新たな「解題」が、さらに巻末には森元庸介さんによるエッセイ「解釈、ひとつの技術値、またその極端な帰結――ピエール・ルジャンドルに即して」が加えられています。訳文に修正が入っているのかどうかは凡例からは読み取れません。投げ込みの同シリーズ紹介カタログによれば今回の『精選』の各巻予定は以下の通り。隔月刊とのことです。単行本版全20巻は現在品切が多いですが、こちらはこちらで何とか絶版にならないでほしいですし、再刊して欲しいと切に願うばかりです。



1)ギリシア教父・ビザンティン思想
2)ラテン教父の系譜
3)ラテン中世の興隆1
4)ラテン中世の興隆2
5)大学の世紀1
6)大学の世紀2
7)中世後期の神秘思想


★『神とは何か』は、12世紀に成立したというラテン語の『24人の哲学の書』のフラッシュによるドイツ語訳と説明を中心に、『24人の哲学の書』をめぐるフラッシュの研究論文数本をまとめた『Was ist Gott?, Das Buch der 24 Philosophen』(Beck, 2011)を訳出したもの。神をめぐる24通りの定義と注釈に、フラッシュが説明と考察を加えています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。24の定義はエックハルト、クザーヌス、ブルーノ、ライプニッツらに影響を与えたとされており、簡潔ながら非常に暗示的で興味深いです。たとえば定義1はこうです。「神はモナドであり、そのモナドはモナドを生み出し、そのモナドを自分のうちへと反射する唯一の灼熱した息としてあるのである」(24頁)。このほかにも積極的な意味で不可解かつ神秘的な定義が続きます。時空を超えて人のイマジネーションを内なる彼方へと誘う一冊です。


★ヘルダー『神』は『Gott. Einige Gespraeche』の第一版(1789年)と増補改訂版である第二版(1800年)の全訳。底本はズプハン版全集第16巻(1887年)。スピノザ哲学をめぐるいわゆる「汎神論論争」における重要書で、「論争のさなか、スピノザ哲学への肯定的な評価をはじめて明確に語ったのがヘルダーの『神』である。この対話篇は汎神論論争の新たな段階の開始を告げるものであり、ヘーゲルやシェリングといったひとつ下の世代における肯定的なスピノザ評価の先駆と言ってよい」と訳者解説にあります。今春は論争の火種となったヤコービの『スピノザの学説に関する書簡』(田中光訳、知泉書館、2018年4月)が刊行されましたし、来月にはNHK(Eテレ)の著名なTV番組「100分de名著」で國分功一郎さんがスピノザの『エチカ』について講じられる予定と聞きます。『シェリング著作集』も文屋秋栄より刊行が再スタートしましたし、工作舎版『ライプニッツ著作集』第Ⅰ期の新装復刊が始まり、先述の通り『中世思想原典集成 精選』や『神とは何か』が発売開始となりました。名著をひもとく読書の秋(立冬は過ぎましたが)となりそうです。


★『モムス』は、初期ルネサンス期イタリアにおける人文主義者で建築家のアルベルティ(Leon Battista Alberti, 1404-1472)による長編諷刺譚『Momus fabula』のラテン語原典からの翻訳。訳者解題によれば「おそらく1440年半ばから書き始められ、1450年頃には一応できあがり、写本のかたちで当時の少数の知識層に読まれていたとみられる。アルベルティはかなり後までこれに手を加え続けていたようで、数種類の異稿がある。〔…〕生前には印刷刊行されることがなく、最初の刊行は1520年になってからのことである」とあります。本書は「主としてSarah Knight版(2003年)とMartelli版(2007年に依りながらRino Consolo版(1986年)とも照合しつつ進めたもの」であり、「「のちのマキァヴェッリの『君主論』やエラスムスの『痴愚神礼讃』、アリオストの『狂えるオルランド』、あるいはトマス・モアの『ユートピア』、ラブレーの『ガルガンチュア』などのルネサンス諷刺文学の先駆とすべきものである」と訳者の福田さんは評価しておられます。


★続いて文庫新刊を3点ほど。講談社学術文庫11月新刊のヘーゲル『世界史の哲学講義(下)』は、本論第二部「ギリシア世界」、第三部「ローマ世界」、第四部「ゲルマン世界」までを収録。巻末に訳者解説あり。全2巻完結です。『葉隠(下)』は聞書第八から第十一までを収録。巻末に木澤景さんによる「『葉隠』諸写本における天保本の位置――新たな分類説の試み」と、菅野覚明さんによる「あとがき」が配されています。全3巻完結。角川ソフィア文庫10月新刊の『全文現代語訳 浄土三部経』は、『阿弥陀仏と極楽浄土の物語――[全訳]浄土三部経』(勉誠出版、2013年)を大幅に加筆修正し、改題文庫化したもの。目次を以下に列記しておきます(参考までに親本の目次はこちら)。



はじめに くりかえされる言葉
本書の構成
第一部 阿弥陀経:極楽の荘厳
第二部 観無量寿経:阿弥陀仏と観音・勢至の観法
第三部 無量寿経 巻上:阿弥陀仏の四十八の本願
第四部 無量寿経 巻下:菩薩の戒めと励まし
日本の浄土教と文化
浄土教の小事典
おわりに 極楽浄土を信じられるか
参考・引用文献
索引


★最後に、ノスタルジーを掻き立てる2冊と、現代人が抱くノスタルジーを分析した社会学者バウマンの遺著について。『悪魔全書』は復刊ドットコムで初めての、講談社「ドラゴンブックス」からの復刻。初版は1974年刊。主な収録内容やサンプル画像は書名のリンク先をご確認ください。佐藤有文さんが手掛けた著書で復刊ドットコムより復刻されているのは、このほかに「ジャガーバックス」シリーズの『世界妖怪図鑑』と『日本妖怪図鑑』があります。子供向けの本としては今日なら諸事情で自己規制するほかない強烈な内容ですが、もちろん復刻版ではノーカットで、昭和をまざまざと思い出させてくれます。一方、『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』は帯文に曰く「元祖、カラー「撮り鉄」ヒギンズ氏がつぶさに記録した昭和30年代」。ただただ美しく懐かしい風景の数々に魅了されます。私自身まだ生まれていない時代の風景ですが、心惹かれるのは不思議です。タイムマシンに乗って見てきたかのような鮮やかな色彩のせいでしょうか。


★バウマン『退行の時代を生きる』は『Retrotopia』(Polity Press, 2017)の全訳。レトロトピアとは「未来=進歩のイメージを基にしているユートピアとは逆に未来への不安や恐怖心に根ざすものであり、ユートピア的な楽園に対する願望を過去に求めるものと言える」と訳者は説明しています。本書ではレトロトピアへと向かう四つの回帰が分析されます。ホッブズの言う「自然状態」(万人の万人に対する戦争)への回帰、排他的な同族主義への回帰、不平等や格差や分断への回帰、そして最後が子宮への回帰です。訳者によれば、子宮が意味するのは、閉ざされた自己への退行現象の極限としての「自らを脅かす他者が存在せず、自他の区別すらない完全な自己充足状態」です。バウマンはこれらの回帰への流れをせき止められるような特効薬は存在しないとしつつ、「人間の連帯を全人類のレベルにまで引き上げる」(196頁)という人類の課題について強調しています。切迫した戦慄が胸に押し寄せてくる、危機の書です。


★ただし、回帰願望とは別に、過去への親密な接近には別の効用もあるようです。バウマンが言う「人間の連帯を全人類のレベルにまで引き上げる」ことのヒントもまた、未来にではなく、歴史の中に隠されているように思います。なぜなら歴史とは単なる過去ではなく、今なお私が生き続けている繋がりであるからです。この繋がりのなかに分断や忘却もあります。この今の瞬間の中に過去も未来も折りたたまれています。ゆえに過去に学ぶことが未来を知ることにもつながるわけです。モートンが示した「絶対的に未知なこと」への開かれもまた、過去と距離感を保ちつつ学ぶことによっていっそうその因果からの離脱が図れるのだと言えるでしょうか。


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注目新刊:國分功一郎『100分 de 名著 スピノザ『エチカ』』、ほか

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a0018105_00111741.jpg★まずまもなく発売となる新刊の中から注目書をご紹介します。


『デリダと死刑を考える』高桑和巳編著、鵜飼哲/江島泰子/梅田孝太/増田一夫/郷原佳以/石塚伸一著、白水社、2018年11月、本体3,000円、4-6判並製256頁、ISBN978-4-560-09671-0
『アナザー・マルクス』マルチェロ・ムスト著、江原慶/結城剛志訳、堀之内出版、2018年11月、本体3,500円、四六判並製506頁、ISBN978-4-909237-37-8
『資本主義の歴史――起源・拡大・現在』ユルゲン・コッカ著、山井敏章訳、人文書院、2018年12月、本体2,200円、4-6判並製230頁、ISBN978-4-409-51080-3
『アートとは何か――芸術の存在論と目的論』アーサー・C・ダントー著、佐藤一進訳、人文書院、2018年11月、本体2,600円、4-6判並製240頁、ISBN978-4-409-10040-0
『帰還――父と息子を分かつ国』ヒシャーム・マタール著、金原瑞人/野沢佳織訳、人文書院、2018年11月、本体3,200円、4-6判上製312頁、ISBN978-4-409-13041-4
『昭和戦争史講義――ジブリ作品から歴史を学ぶ』一ノ瀬俊也著、人文書院、2018年11月、本体1,800円、4-6判並製242頁、ISBN978-4-409-52070-3


★『デリダと死刑を考える』は、2017年10月7日に慶應義塾大学日吉キャンパスで行われた同名シンポジウムの発表内容をもとにしつつ、新たに書き下ろされた論文集。デリダの講義録『死刑Ⅰ』(高桑和巳訳、白水社、2017年)をきっかけに編まれたものです。収録論考は6本。鵜飼哲「ギロチンの黄昏──デリダ死刑論におけるジュネとカミュ」、江島泰子「ヴィクトール・ユゴーの死刑廃止論、そしてバダンテール──デリダと考える」、梅田孝太「デリダの死刑論とニーチェ──有限性についての考察」、増田一夫「定言命法の裏帳簿──カントの死刑論を読むデリダ」、郷原佳以「ダイモーンを黙らせないために──デリダにおける「アリバイなき」死刑論の探求」、石塚伸一「デリダと死刑廃止運動──教祖の処刑の残虐性と異常性」。高桑さんはイントロとなる「はじめに」を書かれています。石塚論文ではオウムについて論及があります。つい先日発売となった論集『オウムと死刑』(河出書房新社、2018年11月)の重要な参照項になると思われます。



★ムスト『アナザー・マルクス』は、『Another Marx: Early Manuscripts to the International』(Bloomsbury, 2018)と『L'ultimo Marx: 1881-1883. Saggio di biografia intellettuale(The Last Marx, 1881-1883: An Intellectual Biography)』(Donzelli Editore, 2016)の二著を、著者による合本版原稿から訳出したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。マルチェロ・ムスト(Marcello Musto, 1976-)はイタリア生まれのマルクス研究者で、現在はトロントのヨーク大学准教授。単独著としては本書が初訳になります。『Another Marx』をめぐってはウォーラーステインやボブ・ジェソップ、ジョン・ベラミー・フォスターらが賞讃を寄せています(英語原文は本書の裏表紙に印刷され、訳文は書名のリンク先で公開中)。新しいマルクス=エンゲルス全集である新MEGA版の刊行によって刷新されつつあるマルクス像の諸側面に迫る本書は、マルクス研究の最先端から生まれた成果です。マルクス生誕200周年である2018年の掉尾を飾るにふさわしい新刊ではないでしょうか。



★人文書院さんの近日発売より4点に注目。コッカ『資本主義の歴史』は『Geschichte des Kapitalismus』の全訳。原著は初版が2013年にBeckより刊行されており、今回の底本となっている改訂版である第三版は2017年に刊行されています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。コッカ(Jürgen Heinz Kocka, 1941-)はドイツの歴史家で日本でもよく知られた碩学。帯文は次の通りです。「歴史学の大家による、厳密にして明晰、そして驚くほどコンパクトな資本主義通史。その起源から現代の金融資本主義に至る長大な歴史と、アダム・スミス、マルクス、ヴェーバーからシュンペーター、ポメランツに至る広範な分析理論までが一冊に凝縮。世界史的視野と、資本主義の本質に迫る深い考察が絡み合い、未来への展望をも示唆する名著。世界9か国で翻訳されたベストセラー。通史の決定版」。


★日本語版への序言でコッカはこう書いています。「資本主義をめぐる論争は、今日の世界の喫緊の諸問題――グローバル化、気候変動、貧困、社会的不平等、進歩の意味と進歩が人間にもたらすコスト――についての議論に扉を開きうる。近代、そしてそれがもたらすチャンスと危機を理解するには、資本主義の本質への洞察が不可欠である。資本主義の長期の歴史を知ることは、現在の資本主義を理解する助けとなる」(i頁)。


★「本書は、資本主義の諸定義、古代から現代にいたるその発展と批判のコンパクトな概観を提供する。そこで資本主義は、経済システム、あるいは、社会的・文化的・政治的諸条件ならびに諸帰結を伴う経済行為と理解されている。本書では、商人資本主義、農業資本主義、工業資本主義、金融資本主義というような資本主義のさまざまなタイプが区別される。資本主義は、イノベーションと成長の原動力として、しかしまた危機と搾取、疎外の源泉として議論される。資本主義における労働、市場と国家、企業家と企業、そしてここ数十年の間に進展した金融化などのテーマが論じられる。本書はまた、精神史・文化史のテーマとしての資本主義についても論じている。西洋における資本主義の展開が記述の前面に出てはいるが、しかし資本主義のグローバルな諸次元、グローバルな拡大も軽視されてはいない。とくに市場と国家の関係について、北米、ヨーロッパ、東アジアの状況の相違が明らかにされている」(ii-iii頁)。


★『アートとは何か』は美学・芸術論、歴史物語論、哲学といった幅広い分野で優れた業績を残したアメリカの学者ダントー(Arthur Coleman Danto, 1924-2013)の遺作『What Art Is』(Yale University Press, 2013)の全訳に、1984年の論考「The End of Art」の翻訳を併録したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。著書は80年代から翻訳されていますが、芸術論関連のものはようやく近年になって訳されてきています。「アートワールド」(原著1964年;邦訳2015年、『分析美学基本論文集』所収、勁草書房)、『ありふれたものの変容――芸術の哲学』(原著1981年;邦訳2017年、慶應義塾大学出版会)『芸術の終焉のあと――現代芸術と歴史の境界』(原著1997年;邦訳2017年、三元社)などがそれで、今回訳出された「アートの終焉」(原著1984年)もまた、翻訳が望まれていたものです。訳者は本書を、欧米を中心とする古今の著名な芸術作品の数々を引きつつ、きわめて簡潔かつ強力に、明快な回答を試みた一書として高く評価しています。


★『帰還』はイギリス在住の作家マタール(Hisham Matar, 1970-)の回想録『The Return: Fathers, Sons, and the Land in Between』(Random House, 2016)の翻訳。「マタールが故国リビアに「帰還」した旅の記録であると同時に、そこへ至るまでの家族の歴史と、彼自身の心の軌跡を綴った作品である。ノンフィクションでありながら、ときに抒情的に、ときにシニカルに、ときに激しい憤りをこめて語られるストーリーは、美しい情景描写やリアルな人物描写ともあいまって、まるで小説のようでもある」と訳者は説明しています。反体制運動のリーダーだった父の行方を追う苦い体験が綴られた本書は、オバマ前大統領やカズオ・イシグロらから賞讃され、ピューリッツァー賞の伝記部門を2017年に受賞したのをはじめ、多くの文学賞を獲得しています。


★一ノ瀬俊也『昭和戦争史講義』はジブリの映画作品を読み解きつつ昭和期の戦争史を理解しようという試み。「風立ちぬ」2013年、「紅の豚」1992年、「火垂るの墓」1988年などが取り上げられます。これらの映画はフィクションであるわけですが、「過去/事実としての昭和史を学ぶ上での手がかりとなりそうな描写が、物語の各所にたくさんある」(11頁)と著者は指摘します。これらの「「歴史ファンタジー」〔…〕の空白や背景を、近現代の歴史資料を用いながら埋めたり書き込んでいくこと〔…〕。なぜ戦争は起こり、その結果どうなったのかを物語の展開に添って考えることで、過去の歴史と作品世界の両方をより深く、広く理解できるようになりたい」(13頁)と。全15講のうち、最終講では、「となりのトトロ」「コクリコ坂から」「平成狸合戦ぽんぽこ」などを用いて「戦後の1950年代後半から60年代を通じて起こった高度経済成長についてもふれ」(10頁)ています。


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a0018105_00121894.jpg★続いてここ最近の注目新刊を列記します。

『100分 de 名著 スピノザ『エチカ』――「自由」に生きるとは何か』國分功一郎著、NHKテキスト:NHK出版、2018年12月、本体524円、A5判並製116頁、ISBN978-4-14-223093-8
『ウンベルト・エーコの世界文明講義』ウンベルト・エーコ著、和田忠彦監訳、石田聖子/小久保真理江/柴田瑞枝/高田和広/横田さやか訳、河出書房新社、2018年11月、本体4,600円、46変形判上製440頁、ISBN978-4-309-20752-0』
『国民論 他二篇』マルセル・モース著、森山工編訳、岩波文庫、2018年11月、本体900円、320頁、ISBN978-4-00-342282-3
『中世の秋』上下巻、ホイジンガ著、堀越孝一訳、中公文庫、2018年11月、本体各1,200円、464頁/480頁、ISBN978-4-12-206666-3
『随筆 本が崩れる』草森紳一著、中公文庫、2018年11月、本体880円、312頁、ISBN978-4-12-206657-1
『季刊iichiko 第140号:ラカンの剰余享楽/サントーム』文化科学高等研究院出版局、2018年10月、本体1,500円、A5判並製128頁、ISBN978-4-938710-39-2
『くるみ割り人形』E・T・A・ホフマン作、サンナ・アンヌッカ絵、小宮由訳、アノニマ・スタジオ:KTC中央出版、2018年10月、本体2,600円、菊判変型上製96頁、ISBN978-4-87758-788-8



★國分功一郎『100分 de 名著 スピノザ『エチカ』』はNHK Eテレで来月放送予定のテレビ番組「100分 de 名著」のテキストです。目次は以下の通り。


[はじめに]ありえたかもしれない、もうひとつの近代
第1回:善意(12月3日放送/5日再放送)
第2回:本質(12月10日放送/12日再放送)
第3回:自由(12月17日放送/19日再放送)
第4回:真理(12月24日放送/26日再放送)


★「はじめに」で國分さんはこう書かれています。「現代へとつながる制度や学問がおよそ出そろい、ある一定の方向性が選択されたのが十七世紀なのです。/スピノザはそのように転換点となった世紀を生きた哲学者です。ただ、彼はほかの哲学者たちとは少し違っています。スピノザは近代哲学の成果を十分に吸収しつつも、その後近代が向かっていった方向とは別の方向を向きながら思索していたからです。やや象徴的に、スピノザの哲学は、「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学であると言うことができます。/そのようにとらえる時、スピノザを読むことは、いま私たちが当たり前だと思っている物事や考え方が、決して当たり前ではないこと、別の在り方や考え方も充分にありうることを知る大きなきっかけとなるはずです」(5~6頁)。


★「スピノザを理解するには、考えを変えるのではなて、考え方を変える必要があるのです。そのことの意味を、全四回を通じて説明していきたいと思います。/番組とテキストは『エチカ』の主要な四つの概念を紹介する形で進めていきます。手元に『エチカ』があるとより分かりやすいかもしれませんが、必須ではありません。また哲学の前提知識も必要ありません」(7頁)。また、テキストの最後のまとめには次のような言葉があります。「スピノザは世の中の人がもっと自由に生きられるようにと願って『エチカ』を書いたのです」(115頁)。すでに準備済の書店さんもおいでになることと思いますが、来月はスピノザ周辺を中核とした「17世紀フェア」を店頭で行うにはもってこいのタイミングになると思います。


★『ウンベルト・エーコの世界文明講義』は『Sulle spalle dei giganti〔巨人の肩に乗って〕』(La Nave di Teseo, 2017)の翻訳。エーコが2001年から2015年にかけてイタリアの文化芸術祭「ミラネジアーナ・フェスティヴァル」において行ってきた講演・講義の記録です。美麗なカラー図版を100点以上収録。目次は以下の通りです。丸括弧内は発表年。


巨人の肩に乗って(2001年)
美しさ(2005年)
醜さ(2006年)
絶対と相対(2007年)
炎は美しい(2008年)
見えないもの:アンナ・カレーニナがベーカー街に住んでいたというのはなぜ偽りなのか(2009年)
パラドックスとアフォリズム(2010年)
間違いを言うこと、嘘をつくこと、偽造すること(2011年)
芸術における不完全のかたちについて(2012年)
秘密についてのいくらかの啓示(2013年)
陰謀(2015年)
聖なるものの表象(2009年?)


★東洋書林から刊行されているエーコの一連の編著書『美の歴史』原著2004年/邦訳2005年、『醜の歴史』原著2007年/邦訳2009年、『芸術の蒐集』原著2009年/邦訳2011年、『異世界の書』原著2013年/邦訳2015年、は、これらの講演と並行して上梓されており、関連性もあります。ちなみに河出文庫の今月新刊にはエーコの小説『ヌメロ・ゼロ』があります。



★モース『国民論 他二篇』は『贈与論』(吉田禎吾/江川純一訳、ちくま学芸文庫、2009年)、『贈与論 他二篇』(森山工訳、岩波文庫、2014年)に続く、文庫で読めるモースの著書の3点目。モースの社会主義思想家としての側面を示す3篇、「ボリシェヴィズムの社会学的評価」1924年、「国民論」1953~54年、「文明──要素と形態」1930年、を収録。いずれも本邦初訳で、日本語オリジナル編集です。「文明」はもともと1929年5月に行われたシンポジウムにおける口頭発表。訳者解説「国民の思想家としてのマルセル・モース」には本書編纂の意図が次のように明かされています。「民族学者・社会学者モースと、社会主義者であり、政治=社会論的な思想家でもあったモース。二人のモースはどのように交差していたのであろうか。本書は、第一次世界大戦後の欧州状況のなかでこの二人のモースが交差する、そのありようを示すと思われ、その観点から重要性を有すると考えられる論考を三篇選んだものである」。


★ホイジンガ『中世の秋』上下巻は、1976年刊行の文庫版上下巻の改版。中公文庫プレミアム「知の回廊」シリーズの最新刊。原著は1919年刊。帯文はこうです。「刊行から100年、流麗な筆致で語られる、ヨーロッパ中世に関する画期的研究書」。江藤淳さんの言葉が推薦文として帯裏に惹かれています。「歴史をある厳しい完了としてとらえること。しかもそれをささいな手がかりをたよりに内側からとらえること。それが『中世の秋』におけるホイジンガを支えた叡知である」。


★第一版緒言でホイジンガはこう書いています。「この書物は、十四、五世紀を、ルネサンスの告知とはみず、中世の終末とみようとする試みである。中世文化は、このとき、その生涯の最後の時を生き、あたかも思うがままに伸びひろがり終えた木のごとく、たわわに実をみのらせた。古い思考の諸形態がはびこり、生きた思想の核にのしかぶさり、これをつつむ、ここに、ひとつの豊かな文化が枯れしぼみ、死に硬直する――、これが、以下のページの主題である。この書物を書いていたとき、視線は、あたかも夕暮れの空の深みに吸い込まれているかのようであった。ただし、その空は血の色に赤く、どんよりと鉛色の雲が重苦しく、光はまがいでぎらぎらする」(9頁)。「あるうることなのだ。衰えゆくもの、すたれゆくもの、枯れゆくものにいつまでも目を奪われがちな人の著述には、ややもすれば濃すぎるほどに、死が、その影を落としている」(同頁)。


★巻末の編集付記によれば、上巻は同文庫23刷(2014年2月)を底本とし、中公クラシックス版第Ⅰ巻(2001年4月)を参照、下巻は同文庫18刷(2011年5月)を底本とし、中公クラシックス第Ⅱ巻(2001年5月)を参照したとのことです。旧版巻末の原注と訳注は各章末に移設されています。下巻巻末にはホイジンガの使用した各種年代記や日記など史料の紹介と、ホイジンガの誕生から逝去、没後数年までの年譜、参考文献、索引、訳者解説(旧版のまま)が収められています。来現1月には高橋英夫訳『ホモ・ルーデンス』の改版が同シリーズから発売予定とのことです。


★草森紳一『随筆 本が崩れる』は、文春新書の一冊として2005年に刊行されたものの文庫化で、加筆修正の入った二刷を底本としたとのこと。附録として新たに5篇「魔的なる奥野先生」「本棚は羞恥する」「白い書庫 顕と虚」「本の精霊」「本の行方」が増補されています。うずたかく積まれたり雪崩を起こしたりしている本の写真の数々は壮絶です。巻末解説は平山周吉さんによる、親愛の情に満ちた「六万二千冊の「蔵書にわれ困窮すの滑稽」」。


★『季刊iichiko』第140号は、特集「ラカンの剰余享楽/サントーム」。特集内の収録論考は以下の通り。新宮一成「剰余享楽のある風景――ヘーゲル、ラカン、マルクス」、上尾真道「サントームについて――ラカンとジョイスの出会いは何をもたらしたか」、河野一紀「ボロメオ的身体と他者たちとの紐帯」、山本哲士「「ではない」ことの存在:ラカン理論のsinthomeへ(1)」、岡田彩希子「生きることの空白と目覚め――ラカンの対象a概念と産出物としてのその運命」、古橋忠晃「ラカンの観点から見た、現代社会の病理の一つである「ひきこもり」について」、松本卓也「享楽社会とは何か?」。松本さんの論文は、ご自身の著書『人はみな妄想する』から『享楽社会論』への道のりを説明するとともに、フーコー、ドゥルーズ、ラカンの議論を援用し、享楽社会とは何かについてさらに掘り下げたもの。


★ホフマン『くるみ割り人形』は、フィンランドのアパレル企業「マリメッコ」のデザイナーをつとめるサンナ・アンヌッカの挿絵による絵本シリーズの第3弾。これまでに、アンデルセン『モミの木』が2013年に、同じくアンデルセンの『雪の女王』が2015年に刊行されています。原書は『The Nutcracker』(Hutchinson, 2017)です。アンヌッカのイラストはどれも美しいので、プレゼント向きでもあるでしょう。ディズニーランドの「イッツ・ア・スモールワールド」の世界観が好きな方はアンヌッカの絵本シリーズもきっと気に入るだろうと思います。

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★また最近では以下の新刊との出会いがありました。


『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[4]認識論:人間知性新論 上』G・W・ライプニッツ著、谷川多佳子/福島清紀/岡部英男訳、工作舎、2018年11月、本体8500円、A5判上製344頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-498-9
『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[5]認識論:人間知性新論 下』G・W・ライプニッツ著、谷川多佳子/福島清紀/岡部英男訳、工作舎、2018年11月、本体9500円、A5判上製392頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-499-6
『抽象の力――近代芸術の解析』岡﨑乾二郎著、亜紀書房、2018年11月、本体3,800円、A5判上製440頁、ISBN978-4-7505-1553-3
『アメリカ』橋爪大三郎/大澤真幸著、河出新書、2018年11月、本体920円、352頁、ISBN978-4-309-63101-1
『考える日本史』本郷和人著、河出新書、2018年11月、本体840円、256頁、ISBN978-4-309-63102-8
『歴史の中の感情――失われた名誉/創られた共感』ウーテ・フレーフェルト著、櫻井文子訳、東京外国語大学出版会、2018年11月、本体2,400円、四六判上製272頁、ISBN978-4-904575-69-7
『百人一首に絵はあったか――定家が目指した秀歌撰』寺島恒世著、ブックレット〈書物をひらく〉16:平凡社、2018年11月、本体1,000円、A5判並製96頁、ISBN978-4-582-36456-9
『歌枕の聖地――和歌の浦と玉津島』山本啓介著、ブックレット〈書物をひらく〉17:平凡社、2018年11月、A5判並製124頁、ISBN978-4-582-36457-6
『ドイツ装甲部隊史――1916-1945』ヴァルター・ネーリング著、大木毅訳、作品社、本体5,800円、A5判上製512頁、ISBN978-4-86182-723-5



★新装版『ライプニッツ著作集 第I期』全10巻の第2回配本は、第4巻と第5巻の『人間知性新論』上下巻です。同書はジョン・ロックの『人間知性論』への反駁として書かれた対話篇で、ロックの立場を代弁するフィラレートと、ライプニッツの思考を開陳するテオフィルが議論を交わします。第4巻(上巻)には序文、第1部「生得的概念について」、第2部「観念について」を収め、巻末には谷川多佳子さんによる解説小論「微小表象の示唆――『人間知性新論』瞥見」と、人物相関図である「17・18世紀西欧思想関係図」が配しています。第5巻(下巻)には第3部「言葉について」、第4部「認識について」を収め、巻末には福島清紀さんによる「『人間知性新論』再興への一視点」と、岡部英男さんによる「観念と記号論的認識」の2篇の解説小論を併載するとともに、事項索引と人名索引を完備しています。なお現在、代官山蔦屋書店の人文書売場では訳者の福島清紀(ふくしま・きよのり:1949-2016)さんの遺著『寛容とは何か』(工作舎、2018年4月)を中心としたブックフェア「寛容から多様性を考える」が開催されています。


★岡﨑乾二郎『抽象の力』は前著『ルネサンス 経験の条件』(筑摩書房、2001年;文春学藝ライブラリー、2014年)以来、実に17年ぶりとなる単独著です。表題作は、2017年4月から6月にかけて豊田市美術館で開催された特別展「岡﨑乾二郎の認識 ― 抽象の力 ― 現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」のカタログに掲載された論考を大幅に加筆修正したもの(第Ⅰ部「抽象の力 本論」)。続く第Ⅱ部「抽象の力 補論」には、書き下ろしの2篇(熊谷守一論、夏目漱石論)と内間安瑆論を含む全5篇を収め、第Ⅲ部「メタボリズム-自然弁証法」では白井晟一論3篇とイサム・ノグチ論を含む全5篇、第Ⅳ部「具体の批評」では美術評論家連盟による論集『美術批評と戦後美術』(ブリュッケ、2007年)に岡﨑さんが寄せた鋭利な論考「批評を招喚する」が加筆修正されて収められています。高階秀爾さんや浅田彰さんの推薦文は書名のリンク先でご覧いただけます。なお本書の続編がやはり「近代芸術の解析」という主題のもと、書き継がれていく予定だそうです。


★本書の刊行を記念して以下のトークイベントが予定されています。


◎岡﨑乾二郎『抽象の力(近代芸術の解析)』の解説と分析
日時:2018年12月1日(土)14:00–17:00(13:30開場、途中休憩あり)
会場:港まちポットラックビル 1F(愛知県名古屋市)
定員:80名(当日13:00から整理券を配布します)。


◎近代芸術はいかに展開したか?その根幹を把握する。
日時:2019年1月12日(土)14:00~15:30(13:30開場)
会場:青山ブックセンター本店大教室(東京都港区)
定員:110名(要予約)


★河出新書が約60年ぶりの再始動。第1回配本は橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対談本『アメリカ』と、テレビでよくお見かけする本郷和人さんの『考える日本史』。橋爪さんは日本がアメリカの本質を理解できていないと指摘します。対談ではキリスト教とプラグマティズムに焦点を絞って分析し、最後には人種差別、社会主義への嫌悪、そして日米関係にも切り込みます。本郷さんは編集部から出された8つのお題「信、血、恨、法、貧、戦、拠、、知」とご自身が提示した2つのお題「三、異」の合計10題をめぐって即興でお話しになっています。どちらも話し言葉に近いせいか読みやすいです。河出新書は不定期刊。続刊予定はプレスリリースの末尾で予告されています。



★フレーフェルト『歴史の中の感情』は『Emotions in History: Lost and Found』(Central European University Press, 2011)の翻訳。ブダペストの中央ヨーロッパ大学で2006年から毎年行われている、ナタリー・ゼーモン・デイヴィス記念講演の2009年における発表が本書のもととなっています。目次詳細は出版会のブログをご覧ください。フレーフェルト(Ute Frevert, 1954-)はドイツの歴史家。2008年、ベルリンのマックス・プランク人間発達研究所内に感情史研究センターを創設し、センター長を務めています。本書はそのセンターの最初期の成果でもあります。フレーフェルトの既訳には『ドイツ女性の社会史――200年の歩み』(若尾祐司ほか訳、晃洋書房、1900年)があるほか、直近では岩波書店の月刊誌『思想』2018年8月号(特集=感情の歴史学)において論文「屈辱の政治――近代史における恥と恥をかかせること」が翻訳されています。今回の新刊に解説「なぜ今、感情史なのか」を寄せておられる伊東剛史さんは『痛みと感情のイギリス史』(東京外国語大学出版会、2017年)という共編著を上梓されています。


★平凡社のブックレット「書物をひらく」の最新刊は2点同時発売。『百人一首に絵はあったか』は題名通り、現代人が競技かるたや坊主めくりなどで親しんでいるような歌仙絵を百人一首が成立当初から伴なっていたのかどうかに迫るもの。寺島さんの研究では絵が当初から存在した可能性が高いとのことです。『歌枕の聖地』は副題にある通り、和歌に長く詠まれてきた現・和歌山市の名所「和歌の浦と玉津島」の文学史をたどるもの。歴史的には地形の変化を経ながらも、上代、平安期、中世、戦国末期から近世まで、心の風景として詠み継がれたその歴史がひもとかれます。


★ネーリング『ドイツ装甲部隊史』は『Die Geschichte der deutschen Panzerwaffe. 1916–1945』(Propyläen-Verlag, 1969)のドイツ語原典からの初訳。類書は複数ありますが、装甲部隊の創設に尽力し第二次大戦の東部戦線において軍団長や司令官も務めたネーリング(Walther Nehring, 1892-1983)によるこの回想録は「本書を抜きにして戦車(パンツァー)を語れない不朽の古典」(帯文より)と目されているものです。第一部「新兵科線上に赴く」、第二部「第一次大戦後におけるドイツ装甲部隊の再建と組織――1926~1945年」、第三部「第二次世界大戦におけるドイツ装甲部隊――1939~1945年」の3部構成。職官表や命令書、報告書など、付録も充実。


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