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ブックツリー「哲学読書室」に、市田良彦さん、森茂起さん、荒木優太さんの選書リストが追加されました

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オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、以下の3本が新たに追加されました。
フランソワ・マトゥロン『もはや書けなかった男』(航思社、2018年4月)の訳者、市田良彦さんによるコメント付き選書リスト「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する」。『フェレンツィの時代――精神分析を駆け抜けた生涯』(人文書院、2018年4月)の著者、森茂起さんによるコメント付き選書リスト「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体」。『仮説的偶然文学論』(月曜社、2018年5月)の著者、荒木優太さんによるコメント付き選書リスト「「偶然」にかけられた魔術を解く 」。

以下のリンク先一覧からご覧になれます。

◎哲学読書室1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる」
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!」
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える」
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想」
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている」
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために」
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える」
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?」
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す」
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について」
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも」
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在」
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流」
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ」
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書」
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する」
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ」
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!」
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える」
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために」
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流」
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える」
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る」

27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う」
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する」

29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体」

30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く」


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保管:2017年3月~6月の既刊情報

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◎2017年6月2日発売:荒木経惟『私情写真論』本体1,500円
◎2017年5月30日発売:ソシュール『伝説・神話研究』本体3,400円、シリーズ・古典転生第15回配本。
 互盛央氏書評「ソシュールとは何者だったのか?:私たち自身に突きつけられた問題――「歴史と伝説」」(「週刊読書人」2017年8月18日号)
 千野帽子氏書評「伝承に象徴の意図は存在しない――ストーリーの大筋から逸脱した無意味そうな細部に〈歴史的事実〉の痕跡を見ようとする」(「図書新聞」2017年12月02日号)
◎2017年5月15日発売:金澤忠信『ソシュールの政治的言説』本体3,000円、シリーズ・古典転生第14回配本。
 加賀野井秀一氏書評「〈一般言語学〉から遠く離れて」(「フランス」2017年9月号)
◎2017年5月12日発売:『鉄砲百合の射程距離』内田美紗[句]、森山大道[写真]、大竹昭子[編]、本体2,500円
◎2017年4月17日発売:『表象11:ポスト精神分析的主体の表象』本体2,000円。

◎2017年3月30日発売:上野俊哉『[増補新版]アーバン・トライバル・スタディーズ』本体3,000円。

6月末刊行予定:岡田温司『アガンベンの身振り』、シリーズ〈哲学への扉〉第2弾

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2018年6月27日取次搬入予定 *人文/哲学思想


アガンベンの身振り
岡田温司著
月曜社 2018年6月 本体:1,500円 B6変型判[180mm×114mm×12mm]並製176頁 ISBN 978-4-86503-058-7


アマゾン・ジャパンにて予約受付中


国境を越えて活躍するイタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンとは何者か。20年にわたる〈ホモ・サケル〉計画が完結し――正確に言えば〈放棄〉され――、近年には初の自伝『書斎の自画像』が出版された。これらを機に、〈ホモ・サケル〉全4巻9分冊とはいったい何だったのかをあらためて振り返り、その他の著作も再読することによって、自伝におけるアガンベンの告白「わたしはエピゴーネンである」の真意を探るとともに、ドイツの哲学者(ハイデガー、ベンヤミン)やフランスの哲学者(フーコー、ドゥルーズ、デリダ)たちとの、屈折した特異な関係にも迫る。新シリーズ〈哲学への扉〉第2弾!


目次:
「ホモ・サケル」計画とは何か?
アガンベンはハイデガーをどのように読んでいるのか?
 はじめに
 1.「現存在」と「声」
 2.「芸術作品の根源」と「リズム」
 3.「存在の考古学」あるいは「様態論的存在論」
 4.人間/動物の彼岸へ――「無為」と「放下」
アガンベンの身振り――ハイデガーとベンヤミンのあいだで
 インファンティアと「言語活動の経験/実験」
 言語と政治の閾で――1980年代のアガンベン
 言語、暴力、共同体――ベンヤミンとハイデガーの出会いとすれ違い
 「~でないもののように(ホース・メー)」と「今の時Jetzt-Zeit」
 人類学機械とその停止]
アガンベンとフランス現代思想
 はじめに
 「グラマトロジー」批判
 「決定不可能性」をめぐって
 「潜勢力」と「内在性」
 「生政治」と「生権力」
 「統治性」と「オイコノミア」
 おわりに
「人間とは映画を見に行く動物のことである」――アガンベンと映画
跋文
アガンベンの著作


岡田温司(おかだ・あつし:1954-)京都大学大学院教授。専門は西洋美術史。近年の著書に『アガンベン読解』(平凡社、2011年)、『イタリアン・セオリー』(中公叢書、2014年)、『イメージの根源へ――思考のイメージ論的転回』(人文書院、2014年)、『映画は絵画のように――静止・運動・時間』(岩波書店、2015年)、『天使とは何か――キューピッド、キリスト、悪魔』(中公新書、2016年)、『映画とキリスト』(みすず書房、2017年)など。


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注目新刊:ジェノスコのガタリ論、クリステヴァのボーヴォワール論、ほか

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『フェリックス・ガタリ――危機の世紀を予見した思想家』ギャリー・ジェノスコ著、杉村昌昭/松田正貴訳、法政大学出版局、2018年6月、本体3,500円、四六判上製348頁、ISBN978-4-588-01080-4
『ボーヴォワール』ジュリア・クリステヴァ著、栗脇永翔/中村彩訳、法政大学出版局、2018年5月、本体2,700円、四六判上製286頁、ISBN978-4-588-01079-8
『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』奥野克巳著、亜紀書房、2018年5月、本体1,800円、四六判並製352頁、ISBN978-4-7505-1532-8
『ソウル・ハンターズ――シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』レーン・ウィラースレフ著、奥野克巳/近藤祉秋/古川不可知訳、亜紀書房、2018年3月、本体3,200円、四六判上製384頁、ISBN978-4-7505-1541-0



★ジェノスコ『フェリックス・ガタリ』は『Félix Guattari: A Critical Introduction』(Pluto Press, 2009)の全訳。カナダのコミュニケーション理論・文化理論家ジェノスコ(Gary Genosko, 1959-)さんの著書が翻訳されるのは初めてのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。英語圏におけるガタリ(およびドゥルーズ/ガタリ)の研究者としても著名で、本書に遡る7年前には『Félix Guattari: An Aberrant Introduction』(Continuum Press, 2002)という著書も上梓されています。今回訳された著書についてジェノスコさん自身はこう述べています。「本書は批評的入門書であり、それぞれの章においてガタリの人生や思想のおもな特徴を中心に論じながら、彼の主要な政治-社会概念および実践について解説するものである。関係資料を数多く示しつつ、諸概念の解説を試みながら、それがいかに今日的意義を持つかを示す」(25頁)。



★また、ガタリを再読する意義については端的に次のように言明されています。「なぜいまガタリを読まなければならないのか。批判的な受容という文脈からは、次のような二重の理由があげられる。それは、共同で書いた著作のなかでガタリが寄与している部分を黙殺するような傾向を是正するためであり、藁人形論によってガタリの寄与をただ追い払おうとするような意見に与せず、ガタリ自身が書いたテクストを実際に読むためである。/この行き詰った状況を乗り越えることができれば、社会理論や政治理論のなかでいま行われている議論に対してガタリが何を提案しようとしていたのか、さらによく理解できるようになるだろう」(22頁)。


★本書の「結び」における、雑誌編集者としてのガタリの姿の描出は感動的です。「〔ガタリは〕異質混淆的な要素をひとつに集め、それを統一的な全体としてまとめることなく、それぞれまったく性質の異なった部分と部分のあいだに横断的な線を刻みこむ。/雑誌は、選択的でミクロ制度的なものであり、編集作業の動的編成によって生みだされる。それは、自らの計画を集団で実現し、新しい参照世界を創出し、芸術家のようなやり方で情動を生みだし、来たるべき読者や参加者に呼びかけるものである」(252~253頁)。ガタリ再評価の機運をもたらしてくれる実に啓発的な一書です。


★クリステヴァ『ボーヴォワール』は『Beauvoir présente』(Fayard, 2016)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭の「人類学的=人間学的革命」で著者ご本人は次のように本書を紹介しています。「本書に収められたテクストは、恒常的に危機に見舞われるグローバル化した世界という文脈のなかで、ボーヴォワールの著作と彼女が女性の闘いに与えた多大な影響にささげられた様々な催しの際に発表されたものである。ここで私が提示するのはこの哲学者の複雑な仕事の網羅的な研究ではないし、また私は実存主義の潮流における彼女に位置づけにこれまで非常に関心をもってきたとはいえ、ここで示すのはその位置づけの評価でもない。〔…〕ここにあるのは、ひとつの基礎的な体験=実験が私の中に呼び起こす個人的な読解や称賛あるいは批判のコメントである。その体験=実験の機微とそこに含まれる現代性は、私たちに呼びかけ私たちを不意にとらえることをまだやめてはいない。/〔本書は〕この作家の書いたものを、(いま一度)読むように誘うものである」(8頁)。


★また、こうも書いています。「シモーヌ・ド・ボーヴォワールというあまりに頻繁に不要に批判されあるいは過小評価されている先駆者に対して私が恩義を表明し、『女の天才』三部作を彼女に捧げているということ」(25頁)。『女の天才』三部作というのは『ハンナ・アーレント』(松葉祥一ほか訳、作品社、2006年)と『メラニー・クライン』(松葉祥一ほか訳、作品社、2012年)、そして未訳のコレット論(2002年)のことです。さらに、2008年に設立された「女性の自由のためのシモーヌ・ド・ボーヴォワール賞」に関わったことについては、本書に収められているインタヴュー「ヒトは女に生まれる、しかし私は女になる」でこう答えています。「ボーヴォワールの生誕100周年の際に、フェミニストたちのあいだで意見が一致せず、私が頼まれてパリでの国際シンポジウムを引き受けることになりました。私はそれを記念した後にも何か残るものを作りたいと思ったのです。彼女が促進したこの真の人類学的=人間学的革命が人びとを扇動し続けるために。特に、人間=男性〔homme〕における主体に対して無関心であり、また女性における主体に対してはさらに無関心であると思われる他の文化において、それを続けるためです」(136頁)。


★そしてその直前には「『第二の性』は刊行から60年が経ち、もう時代遅れであると考える女性もいます」という質問に対し、「彼女たちは誤っています。『第二の性』を読んでいないのです。まずは読まねばなりません。そして次に各人が自分の体験を探らねばなりません」(同)と答えています。ボーヴォワール『第二の性』(〈1〉「事実と神話」、〈2〉「体験」上下巻)は新潮文庫で訳書が出ていますが、残念ながら現在品切。再刊が待たれていると思われます。


★奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』は、ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」に密着し、そこでの見聞から考えたことを綴ったもの。マレーシア、インドネシア、ブルネイの三つの国から成るボルネオ島のうち、著者が訪れたのはマレーシアのサラワク州のブラガ川上流の居住地で、2006年から2017年までに通算600日を過ごしたそうです。帯文には探検家の関野吉晴さんの推薦文が記されています。曰く「この書を読み、生産、消費、効率至上主義の世界で疲弊した私は驚嘆し、覚醒し、生きることを根本から考えなおす契機を貰った」と。すでに本書は様々な反響を呼び起こしているようで、おそらくは2018年上半期を代表する話題書のひとつに数え挙げられるのではないかと思われます。


★たとえばこんな一節があります。「プナン語には、「貸す/借りる」という言葉がそもそもなかった〔…〕。プナンは肉であれ果物であれ帽子であれ時計であれ、何かものを欲する時には「ちょうだい」という言い回しを用いる。その時、そのものは、それを持たない相手に対して、惜しみなく分け与えられなければならない。寛大さはプナンにとって最大の美徳である」(191頁)。「そのようにして、ものは共同体内でぐるぐると循環し、場合によっては共同体の外部に流れていく。〔…〕プナンは、独占しようとする欲望を集合的に認めない。分け与えられたものは独り占めするのではなく、周囲にも分配するように方向づける。そうしたやり方が、プナンの共同体の中に広く浸透している。このような贈与交換の仕組みを、プナンはみなでつくり上げている。個人で独占所有するのではなく、みなで所有するという考え方とやり方こそが、プナンの共同体の中で取られなければならない個人の態度なのである」(192頁)。


★「共同体の中で最もみすぼらしいなりをした男こそが、そのグループのアド・ホックな(一時的な)リーダーなのである。なぜなら、彼は自らに贈与された財やお金を次から次へと周囲の人物に分け与えるため、自らは何も持たなくなってしまうからである。彼が人々から尊敬の的とされるのは、自らが贈与交換の通過点となり、ほとんど何も持たないからである。彼は、贈与されたものを、惜しみなく周囲にいる人々に与える。そして、尊敬を集めることによって、財やお金がますます彼のことに集まってくる。すると、彼は以前にもまして、ますます周囲に分け与えるのである。/プナン社会では、財やお金を蓄積し、私腹を肥やしたり、それらを自らのためだけに用立てたりしようとしない精神こそが尊ばれる。逆に言えば、財を独り占めしようとする精神性は蔑まれ、疎んじられる」(194~195頁)。「プナンはみな誰かの奴隷になることを嫌っている。アナキストのように」(195頁)。


★本書の土台となったのは、亜紀書房のウェブマガジン「あき地」の連載「熱帯のニーチェ」(2016年5月~2017年8月)で、全16回の記事を14章に圧縮し、書き下ろしの2章を加えて改稿したそうです。ニーチェと何が関係しているのかは本書の「おわりに――熱帯のニーチェたち」に記されています。なお、本書の刊行を記念して以下のトークイベントが予定されています。


◎奥野克巳×宮台真司 対談「人間を超えて、社会学を超えて」



日時:2018年07月12日(木) 19:00~21:00
会場:代官山蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース
定員:70名
問い合わせ:電話03-3770-2525


内容:森の中で暮らしを立てる狩猟採集民とまじわって、「人間を超えた人類学」を模索する奥野さん。かたや、宮台さんは「社会学の終わり」を構想されています。閉塞感たれ込める今の社会に風穴をあけるには、どうすればいいのか。多自然主義やパースペクティヴィズムをめぐって、興味深い話が展開されること必至です。終了後はお二人のサイン会も行います。奮ってご参加ください。


★なお、奥野さんは同じく亜紀書房から3月に、国立デンマーク博物館館長で人類学者のレーン・ウィラースレフ(Rane Willerslev, 1971-)さんの2007年の著書『ソウル・ハンターズ』の共訳書を上梓されています。訳者解説では本書に対する評価を次のようにまとめておられます。


★「本書は、2000年代になって、ヴィヴェイロス・デ・カストロやフィリップ・デスコーラらによってはじめられた、いわゆる人類学の「存在論的転回」における重要著作のひとつに位置づけられる。存在論的転回とは、文化的存在としての人間を取り上げて、異文化の中にその多様なあり方を探ってきた文化相対主義/多文化主義を突破して、人間を取り巻く存在を人間同様の存在者と捉える(非西洋の人々の)「存在」をめぐる思考と実践を人類学の主題として切り拓いてきた知の運動である。ウィラースレフは「パースペクティヴィズム」という、ヴィヴェイロス・デ・カストロによって提唱された課題に挑み、それを抽象的な次元ではなく、自らも狩猟者として参与した経験と具体的な民族誌事例を用いながら、狩猟活動における獲物との実践的な関わりの中で、より精緻なものとして鍛え上げていった」(359頁)。このほかにも2点の評価が説明されていますが、どちらも人文書における書棚づくりのヒントになるはずです。


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★ちくま学芸文庫の6月8日発売の新刊は6点。


『20世紀の歴史――両極端の時代(上)』エリック・ホブズボーム著、大井由紀訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,700円、576頁、ISBN978-4-480-09866-5
『古代ローマ旅行ガイド――一日5デナリで行く』フィリップ・マティザック著、安原和見訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,200円、288頁、ISBN978-4-480-09871-9
『ナショナリズムとは何か』アントニー・D・スミス著、庄司信訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09873-3
『バルトーク音楽論選』ベーラ・バルトーク著、伊東信宏/太田峰夫訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,200円、288頁、ISBN978-4-480-09839-9
『フランシス・ベイコン・インタヴュー』デイヴィッド・シルヴェスター著、小林等訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,300円、320頁、ISBN978-4-480-09854-2
『博徒の幕末維新』高橋敏著、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,000円、256頁、ISBN978-4-480-09874-0



★ホブズボーム『20世紀の歴史――両極端の時代(上)』は、『The Age of Extremes』(Michael Joseph/Vintage Books, 1994)の新訳です。上巻には「序文と謝辞」、「20世紀を俯瞰する」、第Ⅰ部「破滅の時代」第1~7章と第Ⅱ部「黄金時代」第8~9章を収録。下巻は来月9日に発売予定です。同書は『20世紀の歴史――極端な時代』上下巻として、河合秀和さんによる訳書が三省堂から1996年に刊行されていましたが現在絶版。「自身の生涯と重ねながら著した20世紀史の傑作」(文庫版カヴァー紹介文より)であるだけに文庫で新訳が読めるようになるのは実に素晴らしいことです。なお、本書の類書でみすず書房さんより1981~1982年に刊行された『資本の時代 1848-1875』全2巻の新装版が同版元より7月9日に発売予定であるとのことです。


★マティザック『古代ローマ旅行ガイド』は『Ancient Rome on 5 Denarii a Day』(Thames & Hudson, 2007)の訳書。西暦200年頃(2000年ではありません)のローマをめぐる旅行ガイドで、交通から宿泊、食事、買物、観光名所まで、図版を多数掲載しつつ丁寧に紹介してくれます。巻末の「役に立つラテン語会話」では、ラテン語原文、訳文、カタカナによるラテン語文の音写がテーマごとに(酒場で、デートで、市場で、等々)収められていて、洒落が効いています。帯文に「驚愕のタイム・トラベル!」とあるようにこの一冊で空想旅行を堪能できる、親しみやすい歴史書となっています。


★スミス『ナショナリズムとは何か』は『Nationalism: Theory, Ideology, History』(Polity Press, 2001, 2nd edition, 2010)の全訳。概念、イデオロギー、パラダイム、理論、歴史、将来展望の全6章。序論で著者自身が述べている通り本書は「ナショナリズムの問題に馴染みの薄い読者や学生のみなさんに、ナショナリズムという概念についての入門書を提供する」もの。巻末には参考文献だけでなく、章ごとに纏められた読書案内も付されています。アントニー・D・スミス(Anthony David Stephen Smith, 1939-2016)はイギリスの歴史社会学者で、ナショナリズム研究の第一人者として著名。既訳書には『20世紀のナショナリズム』(巣山靖司監訳、法律文化社、1995年)、『ナショナリズムの生命力』(高柳先男訳、晶文社、1998年)、『ネイションとエスニシティ――歴史社会学的考察』(巣山靖司ほか訳、名古屋大学出版会、1999年)、『選ばれた民――ナショナル・アイデンティティ、宗教、歴史』(一条都子訳、青木書店、2007年)があります。


★ちなみに今月のちくま新書の新刊では、原田実さんによる『オカルト化する日本の教育――江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム』という本が発売されているので、併読するのもいいかもしれません。



★『バルトーク音楽論選』は訳者解題に曰く「バルトークが書いたさまざまな文章を集め、代表的なものを訳出したもの」で、文庫オリジナル編集により、15篇を収録。類書には岩城肇編訳『バルトークの世界:自伝・民俗音楽・現代音楽論』(講談社、1976年)とその改題改訂版『バルトーク音楽論集』御茶の水書房、1988年)があり、これらはハンガリー語で1967年に出版された論集を底本としているとのことですが、今回の新たな選集ではバルトーク自身が書いた原文が独仏英などの言語である場合はそれぞれの言語から翻訳したとのことです。


★シルヴェスター『フランシス・ベイコン・インタヴュー』は、『肉への慈悲――フランシス・ベイコン・インタヴュー』(筑摩書房、1996年)の改訳改題文庫化です。ベイコンの絵画を多数掲載。再刊にあたり、「文庫版訳者あとがき」と、保坂健二郎さんによる解説が新たに付されています。インタヴュワーのデイヴィッド・シルヴェスター(David Sylvester, 1924-2001)はイギリス出身の美術評論家でありキュレーター。彼はベイコンの死後に『回想フランシス・ベイコン』(五十嵐賢一訳、書肆半日閑発行、三元社発売、2010年)という著書を上梓しています。今月22日にはみすず書房から著書『ジャコメッティ 彫刻と絵画』(武田昭彦訳)が発売予定となっています。



★高橋敏『博徒の幕末維新』は2004年にちくま新書として刊行されたものの文庫化。文庫化にあたり最小限の補正が加えられ、巻末に文庫版あとがきと鹿島茂さんによる解説「アウトローから見た全く別の歴史」が新たに収められています。「正史の檜舞台から抹殺排除されたアウトローの稗史の明治維新に光があてられても良いのではないのか。本書がその一助となればと思う」と文庫版あとがきで高橋さんはお書きになっておられます。鹿島さんは本書を「次郎長の最大のライバルだった黒駒勝蔵を最終的な射程におさめながら、竹居安五郎、勢力富五郎、武州石原村幸次郎、国定忠治らの「活躍」を歴史学のふるいにかけようとする試み」と紹介しておられます。


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★このほかここしばらくの新刊では以下の書目に注目しました。


『ジークムント・フロイト伝――同時代のフロイト、現代のフロイト』エリザベト・ルディネスコ著、藤野邦夫訳、講談社、2018年5月、本体6,800円、A5判上製600頁、ISBN978-4-06-219988-9
『ロラン・バルトによるロラン・バルト』ロラン・バルト著、石川美子訳、みすず書房、2018年5月、本体4,800円、四六判上製344頁、ISBN978-4-622-08691-8
『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ――文豪の名言対決』頭木弘樹編、草思社文庫、2018年6月、本体800円、304頁、ISBN978-4-7942-2336-4



★ルディネスコ『ジークムント・フロイト伝』は、同著者による『ジャック・ラカン伝』(河出書房新社、2001年)をお訳しになった藤野邦夫(ふじの・くにお:1935-)さんによる労作で、『Sigmund Freud en son temps et dans le nôtre』(Seuil, 2014;『同時代と現代のジークムント・フロイト』)の全訳です。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。「フロイトは無意識のなかで発見したことが、現実に人間たちにおこることをつねに先どりすると考えた。わたしはこの命題を逆転させ、フロイトが発見したと考えたことは、じっさいにはある社会、ある家庭環境、ある政治的状況の結果にほかならなかったことを示す方を選んだ」(10~11頁)。帯文には「(フロイトの生涯の)脱神話化を実現した」と謳われています。品切のラカン伝はそろそろどこかで文庫化されてほしいところです。




★『ロラン・バルトによるロラン・バルト』は『Roland Barthes』(Seuil, 1975)の新訳。初訳は佐藤信夫訳『彼自身によるロラン・バルト』(みすず書房、1978年)で、断章と写真による自伝的作品として有名です。こんな言葉があります。「美学とは、その形式が原因と目的から離れて、充分な価値をもつ体系を作り上げてゆくさまを見るという技術であるから、これほど政治に逆らうものがあるだろうか。さて、彼は美学的な反応をするこをとやめられなかった」(256頁、「悪しき政治的主体」より)。彼というのはもちろん彼自身、バルトのことです。「こういうわけで彼は、形式や言葉づかいや反復を〈見る〉という倒錯的な傾向のせいで、すこしずつ〈悪しき政治的主体〉になっていったのである」(258頁、同)。本書に対するバルト自身による書評「バルトの三乗」は『ロラン・バルト著作集(9)ロマネスクの誘惑』(みすず書房、2006年)で読むことができます。



★『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』は、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』を改題し大幅に加筆改訂したもの。互いを意識して書いたのかと思うくらい、対比が鮮やかな二人の文豪の名言の数々は、どちらかが間違っているというものではなく、同じような意見を言っていたり、希望と絶望が立場を逆転させたりすることもあります。15の対話の主題と各57編の言葉という構成は親本と変わりません。それぞれの言葉に頭木さんによるコメントが付されていて、見開きで名言とコメントを読み切れるようになっています。巻末の引用・参考文献も丁寧で、書店さんでのコーナーづくりにも応用できそうです。


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荒木優太『仮説的偶然文学論』出版記念イベント情報2本

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先月発売いたしました、荒木優太『仮説的偶然文学論』の出版記念イベントの情報をまとめます。話をじっくり聞きたい方は吉川さんとのB&Bでの対談を、荒木さんご本人とお話をしたい方は代官山蔦屋での人文カフェをお薦めします。


◎荒木優太×吉川浩満「クリナメンズ作戦会議」


日時:2018年7月7日(土)19:00~21:00 (18:30開場)
場所:本屋B&B(世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F)
料金:前売1,500yen + 1 drink order / 当日店頭2,000yen + 1 drink order


内容:古代ギリシャの原子論者は、物体をつくる最小単位の原子(アトム)が雨みたいに上から下へと同じ速度で垂直落下していたはずだ、と考えた。けれども、それじゃ原子は他の原子と出会えずに物体になれない。そこで、エピクロスという人は、落下する原子自体のなかに必然のコースから外れて傾く力、すなわちクリナメンがあるといって古い仮説を修正した。正規ルートから逸脱するからこそ偶然の出会いがある。人生だって同じ。博打上等。レールに乗った将来なんて糞くらえ、盗んだバイクで走り出せ。が、とはいえ、道を踏み外すのは恐ろしい。できればみんな傾奇者クリナメンズになんかなりたくない。魅惑的でありながら恐ろしくもある偶然の傾きを的確にウェルカムするにはどうしたらいいのか?『理不尽な進化――遺伝子と運のあいだ』(朝日出版社)にて進化を司る「偶発性」の容赦なさと、それに避けがたくくっついている人間の形而上学的感覚をえぐりだし、Twitterアカウントその名も@clnmnをもつ稀代の論客・吉川浩満さん。そんな吉川さんに、学界の傾奇者こと荒木優太さんが新刊『仮説的偶然文学論』(月曜社)を片手に立ち向かいます! 傾いて偏ってるヤツも傾いて偏ってないヤツも、乞うご期待。


◎第4回代官山人文カフェ:荒木優太「人生を左右しない偶然について考えよう」


日時:2018年7月20日(金)19:00~
場所:代官山蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース
問い合わせ先:電話03-3770-2525
料金:コーヒー1杯付イベント参加券(1,000円/税込)をご予約頂いた先着50名様に参加券をお渡しいたします。


内容:「代官山人文カフェ」人文書の様々なテーマについてコーヒーを片手に語り合い、いっしょに考える。話を聴いて新たな視点を得たり、思考を深める。第4回テーマは「人生を左右しない偶然について考えよう」。偶然の出会いや事故によって人生は劇的に変わる...のですが、それ以上に私たちの日常は何気ない偶然の連続でできあがってもいます。今朝の電車が少し遅れたのも偶然、昼間訪れたコンビニのバイトがいつもと違う青年に変わっていたのも偶然、いまあなたがこの文章を読んでいるのもきっと偶然。偶然偶然、偶然ばっかり。それになのに私たちは、ある偶然を「運命だ!」「奇跡だ!」と騒ぎ立てる一方で、そうではない偶然はまるで当たり前のことのように無視してすごします。この区別のメカニズムを、荒木優太さんは最新著『仮説的偶然文学論』のなかで「偶然のフィルタリング」と呼んでいます。そもそも偶然を表象するということはどういうことなのでしょう? ちょっと印象に残ってる偶然エピソードを胸に、ぜひお立ち寄りください。


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注目新刊:戦慄のオニール『数学破壊兵器』の訳書がインターシフトより、ほか

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『自然―HAPAX9』夜光社、2018年6月、本体1,100円、四六判変形156頁、ISBN978-4-906944-14-9
『サラム ひと』崔真碩著、民衆詩叢書1:夜光社、2018年6月、1,100円、四六判変形122頁、ISBN978-4-906944-15-6
『子午線:原理・形態・批評6』書肆子午線、2018年6月、本体2,400円、B5変形判324頁、ISBN978-4-908568-13-8
『チビクロ――松本圭二セレクション第9巻(エッセイ&批評)』松本圭二著、航思社、2018年6月、本体3,400円、四六判上製368頁、ISBN978-4-906738-33-5
『今宵はなんという夢見る夜――金子光晴と森三千代』柏倉康夫著、左右社、2018年6月、本体4,200円、四六判並製416頁、ISBN978-4-86528-201-6
『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール著、久保尚子訳、インターシフト発行、合同出版発売、本体1,850円、四六判並製336頁、ISBN978-4-7726-9560-2
『哲学者190人の死にかた』サイモン・クリッチリー著、杉本隆久/國領佳樹訳、河出書房新社、2018年6月、本体2,400円、46判奈美氏江376頁、ISBN978-4-309-24870-7
『周作人読書雑記3』周作人著、中島長文訳注、東洋文庫889:平凡社、2018年6月、本体3,300円、B6変判上製函入442頁、ISBN978-4-582-80889-6
『近世金沢の銀座商人――魚問屋、のこぎり商い、薬種業、そして銀座役』中野節子著、平凡社選書234:平凡社、2018年6月、本体2,800円、4-6判上製240頁、ISBN978-4-582-84234-0
『有職装束大全』八條忠基著、平凡社、2018年6月、本体6,800円、B5判上製320頁、ISBN978-4-582-12432-3



★夜光社さんの6月新刊2点。『HAPAX6』は「自然」がテーマ。高祖岩三郎さん、白石嘉治さん、森元斎さんらによる10篇のテクストを掲載。収録作の一覧は版元ウェブサイトでご覧いただけます。HAPAX bisによる「二月某日の疲れをもよおさせる議論」はあたかも同誌の編集会議や勉強会を覗くような印象があって非常に興味深いです。ダニエル・コルソン(Daniel Colson, 1944-)による『アナキズム哲学小辞典――プルードンからドゥルーズまで』(Petit lexique philosophique de l'anarchisme. De Proudhon à Deleuze, Le Livre de Poche / Librairie Générale Française, 2001)から、「外の力能」という項目が全訳されていますが、同辞典はいずれ夜光社さんから全訳が出るとのことです。


★『サラム ひと』は、夜光社さんの新シリーズ「民衆詩叢書」の第一弾。広島大学大学院総合科学研究科の准教授にして文学者の崔真碩(ちぇ・じんそく:1973-)さんが2015年から2016年にかけて各誌で発表してきた詩と散文9篇に加筆修正を施し、3篇の新作とともに一冊としたもの。行友太郎さんによる解説「崔真碩同志の思想」が巻末に付されています。書名にもなっている「サラム ひと」の「サラム」とは「朝鮮語で人の意」(18頁)。崔さんは「私がこの名前に込めているのは、朝鮮人と日本人の共生だ。朝鮮と日本は共に在る、運命共同体。共生のための名前。祈りとしての〈サラム ひと〉」(80頁)と書いています。


★なお、夜光社さんでは今月、『共犯者たち』上映シンポ実行委員会発行の『政治権力VSメディア――映画『共犯者たち』の世界』と、アジア女性資料センター発行の『女たちの21世紀 no.94 特集 生活から問う改憲と天皇制』も発売されるとのことです。どちらの概要も、ツバメ出版流通さんのウェブサイトで公開されているPDFにて確認することができます。


★『子午線:原理・形態・批評6』は、前号より約1年半ぶりの最新号。究極Q太郎さんへのロング・インタヴュー「政治性と主観性/運動することと詩を書くこと」、稲川方人さん、松本圭二さん、森本孝徳さんの三氏による連続討議「現代詩の「墓標」」の第一回となる「60年代詩」、さらに詩人にして校正者の安里미겔(あさと・ミゲル:1969-)さんによる作品三作、大杉重男さんら4氏による批評4篇、藤本哲明さんら3氏による詩3篇などが掲載されています。究極さんと安里さんの二人の磁場が強烈です。書店員の皆さんはご存知かと思いますが、『子午線』はツバメ出版流通さんで扱われています。


★『チビクロ』は航思社さんの「松本圭二セレクション」の最終回配本となる第9巻。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「詩/文学」「詩/映画」「映画/フィルム」の三章立てで、帯文に曰く「大岡信、稲川方人、岡田隆彦、絓秀実、渡部直己、イーストウッド、ヴェンダース、ゴダールを相手に、何をどのように論じたのか。著者30歳から書きつづってきたエッセイ&批評の集大成」と。付属する栞には、山本均「資本主義とオルタナティヴ」、坂口一直「松本圭二の思い出」、そして著者解題が掲載されています。どの巻もそうでしたが、栞の妙味には抗いがたいものがあります。


★柏倉康夫『今宵はなんという夢見る夜』は、詩人の金子光晴(1895-1975)さんと作家の森三千代(1901-1977)さんのそれぞれの作品を読み解くとともに、約4年間の海外放浪を含む、二人が過ごした日々を鮮やかに描いた評伝です。書名は森さんの『インドシナ詩集』所収の作品「星座」からの引用。著者の柏倉さんは「まえがき」でこう書いておられます。「彼ら二人の心のうちで繰り広げられた愛と嫉妬の劇は、金子光晴という希有の詩人の形成を解く鍵でもある」。「〔森の作品を〕合わせ鏡として参照することにより、金子の「自伝」が含む虚構の部分を照らしだすことができる」。


★オニール『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』はまもなく発売。『Weapons of Math Destruction: How Big Data Increases Inequality and Threatens Democracy』(Crown, 2016)の訳書です。数々の海外メディアで年間ベストブックに選ばれており、新井紀子さん(『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』)や、ユヴァル・ノア・ハラリさん(『サピエンス全史』)も絶賛されている問題作。版元ウェブサイトで目次と「はじめに」「解説」のPDFが公開されています。「はじめに」で著者は次のように述べています。少し長いですが、重要なので引用してご紹介します。


★「そう、ビックデータ経済の到来である。これにより、目覚ましい経済発展が見込まれた。コンピュータープログラムを使えば、ほんの1、2秒のあいだに数千件もの履歴書やローン申込書を処理し、分類し、有望な順に並べた候補者リストを作成することができる。時間の節約になるだけでなく、公正で客観的な資料としてリストを売ることもできる。偏見をもつ人間が大量の書類に目を通すのではなく、ただの機械が血の通わない数字を淡々と処理するのだから。2010年ごろには、人事部門での数学の存在感はこれまでになく高まり、大きな期待をもって迎え入れられた。/でも、私には弱点が見えていた。数学の力で動くアプリケーションがデータ経済を動かすといっても、そのアプリケーションは、人間の選択のうえに築き上げられている。そして人間は過ちを犯す生き物だ。モデルを作成する際、作り手は、最善の意図を込め、良かれと思って選択を重ねたかもしれない。それでもやはり、作り手の先入観、誤解、バイアス(偏見)はソフトウェアのコードに入り込むものだ。そうやって作られたソフトウェアシステムで、私たちの生活は管理されつつある。神々と同じで、こうした数理モデルは実体が見えにくい。どのような仕組みで動いているのかは、この分野の最高指導者に相当する人々――数学者やコンピューターサイエンティスト――にしかわからない。モデルによって審判が下されれば、たとえそれが誤りであろうと有害であろうと、私たちは抵抗することも抗議することもできない。しかも、そのような審判には、貧しい者や社会で虐げられている者を罰し、豊かな者をより豊かにするような傾向がある。/私は、そのような有害なモデルを「数学破壊兵器(Weapons of Math Destruction:WMD)」と呼ぶことにした」(8~9頁)。


★「本書で論じる数学破壊兵器の多くは〔…〕フィードバックがないまま〔誤りから学習することなく〕有害な分析を続けている。自分勝手に「事実」を規定し、その事実を利用して、自分の出した結果を正当化する。このようなたぐいのモデルは自己永続的であり、きわめて破壊的だ。そして、そのようなモデルが世間にはあふれている」(14~15頁)。「スコアによって現実が作られていくのだ」(15頁)。「AI・ビッグデータには、大勢の熱烈な支持者がいる。だが、私は違う。本書では、世間の流れに逆らい、数学破壊兵器によって生じた損害や数学破壊兵器によって延々と生み出される不正行為に注目し、鋭く切り込んでいく。大学への進学、お金の借り入れ、刑務所行きの判決、職探しや昇進など、人生の重要な瞬間に有害な影響を受けた人々の事例を数多く見ていくことになる。あらゆる生活領域で、独裁的に罰を振りかざす「秘密のモデル」による支配が進みつつあることに、あなたも気づくだろう。/それでは、AI・ビッグデータの暗黒面を覗いてみよう」(24~25頁)。怖いです。




★クリッチリー『哲学者190人の死にかた』は、2009年に河出書房新社さんが刊行した『哲学者たちの死に方』を一部改訂し、改題新装したもの。原書は『The Book of Dead Philosophers』(Granta Books, 2008)すなわち『死せる哲学者たちの書』。ギリシア・ローマの古典時代から、中世、ルネサンス、近世、近代、20世紀に至るまで数多くの哲学者や、中国古典、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、そして科学者や文学者を含む思想家を数多く取り上げており、ユニークな列伝となっています。


★平凡社さんの今月新刊より3点。『周作人読書雑記3』は全5巻のうちの第3巻。性・女性、子ども・童話、日本文学、西洋文学、言語、の分類で84篇を収録。童話では『アンデルセン童話集』『ワイルド童話集』『不思議の国のアリス』など、日本文学では小林一茶『おらが春』、中勘助『銀の匙』など、西洋文学では『イソップ寓話』や『クォ・ヴァディス』など。


★中野節子『近世金沢の銀座商人』は近世前期の金沢城下の商人・福久屋(石黒氏)について、90年代に発見された石黒家伝来の覚書や日記といった文書群を読み解き、商売やその成長、奉公人、交友関係、銀座役(銀の秤量・封包〔ふうづつみ〕・両替・為替を監督する町役人)としての立場、藩権力との関係、などを丹念に描出したもの。「藩が権力を維持したのは結局は経済の根幹を握っていた商人たちがいたからであった。〔…〕福久屋はいわばそれら商人の代表であった。しかし、商人たちは藩権力に近寄りすぎるとまま危機を招くことになる。その一つの例を福久屋の事例が物語っているのである」(234頁)。


★八條忠基『有職装束大全』は、奈良・平安時代以降、朝廷や公家社会、武家の儀式などで用いられ、こんにちでも皇室行事や神社の祭式などで着用されている衣装「有職装束(ゆうそくしょうぞく)」の数々を、カラー写真で着用例を紹介し、史料にもとづいて装束の歴史と種類、構成具、色彩と文様を解説したもの。特に、位階に応じた当色(とうじき)や、禁色(きんじき)と忌色(いみじき)、季節に応じた重ね色目(いろめ)や女房装束の襲色目(かさねいろめ)、織色目や文様などの美しい資料は、デザインの参考になり、興味深いです。


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リレー講義「文化を職業にする」@明星大学

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先週土曜日(2018年6月16日)は、明星大学日野キャンパスにお邪魔し、人文学部共通科目「自己と社会Ⅱ:文化を職業にする」というリレー講義で発表させていただきました。今年はテーマを「出版社とは:仕事、現在、未来」と題し、出版社の編集の仕事、営業の仕事、さらに出版界の変化(出版社・取次・書店)についてお話ししました。ご清聴いただきありがとうございました。担当教官の小林一岳先生に深謝申し上げます。受講された皆さんから頂戴したご質問に対し、ひとつひとつ回答を書きましたので、いずれ皆さんのお手元に配付されることと思います。また皆さんとお目に掛かってお話をする機会があれば幸いです。


◎「文化を職業にする」@明星大学
2012年6月16日「文化を職業にする」
2013年6月15日「独立系出版社の仕事」
2014年6月07日「変貌する出版界と独立系出版社の仕事」
2015年6月13日「独立系出版社の挑戦」
2016年6月11日「出版界の現在と独立系出版社」
2017年6月17日「出版社の仕事と出版界の現在」
2018年6月16日「出版社とは:仕事、現在、未来」


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なお、同大学では資料図書館の貴重書コレクション展「コペルニクスとガリレオ ―近代天文学の夜明け」が9月29日まで開催中で、じっくり見学してきました。事前予約制で学外でも入場無料。コペルニクス、ガリレオ、ケプラー、ニュートンなどの典籍が公開されています。動画資料「ガリレオ裁判」も必見でした。お土産に、コペルニクスとガリレオの肖像と名言が印刷されている紙製のブックカバーや、ガリレオの栞などが配布されています。これはなかなか素敵でした。


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リレー講義「世界と出版文化」@東京外国語大学

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本日(2018年6月20日)は、東京外国語大学府中キャンパスにお邪魔し、同大学出版会さんご企画のリレー講義「世界と出版文化」にて、「越境を企画する――汎編集論的転回と出版界の現在」と題して発表させていただきました。出版社の仕事や業界三者(出版社・取次・書店)の現状と最新動向、さらに、モノとしての書物の肉体性に私がこだわりたい理由や、私自身の就活・転職・独立の体験談などもお話しいたしました。熱心な御清聴、まことにありがとうございました。聴講生の皆さんのレスポンスシートはすべて拝読させていただきました。多数ご質問をいただいたので、ただいま回答を準備中です。近日中にお渡しできるようにしたいと思います。またどこかで皆さんとお目に掛かれることを楽しみにしております。


2010年7月07日「出版社のつくりかた――月曜社の10年」
2011年6月15日「人文書出版における編集の役割」
2012年6月06日「人文書出版における編集の役割」
2013年5月15日「知の編集――現代の思想空間をめぐって」
2014年7月09日「編集とは何か」
2015年6月06日「編集とは何か――その一時代の終わりと始まり」
2016年5月25日「編集と独立」
2017年4月19日「人文系零細出版社の理想と現実」
2018年6月20日「越境を企画する――汎編集論的転回と出版界の現在」


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注目新刊:ポムゼル『ゲッベルスと私』、『ライプニッツ著作集』第Ⅱ期完結、ほか

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a0018105_01100211.jpg『ゲッベルスと私――ナチ宣伝相秘書の独白』ブルンヒルデ・ポムゼル/トーレ・D・ハンゼン著、石田勇治監修、森内薫/赤坂桃子訳、紀伊國屋書店、2018年6月、本体1,900円、B6判上製268頁、ISBN978-4-314-01160-0
『腸と脳――体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するか』エムラン・メイヤー著、高橋洋訳、紀伊國屋書店、2018年6月、本体2,200円、B6判上製328頁、ISBN978-4-314-01157-0
『塗りつぶされた町――ヴィクトリア期英国のスラムに生きる』サラ・ワイズ著、栗原泉訳、紀伊國屋書店、2018年6月、本体2,700円、B6判上製464頁、ISBN978-4-314-01161-7
『ライプニッツ著作集 第Ⅱ期[3]技術・医学・社会システム――豊饒な社会の実現に向けて』G・W・ライプニッツ著、酒井潔/佐々木能章監修、佐々木能章ほか訳、工作舎、2018年6月、本体9,000円、A5判上製528頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-494-1
『ミクロログス(音楽小論) 全訳と解説』グイド・ダレッツォ著、中世ルネサンス音楽史研究会訳、春秋社、2018年6月、本体4,800円、A5判上製312頁、ISBN978-4-393-93213-1
『寛容についての手紙』ジョン・ロック著、加藤節/李静和訳、岩波文庫、2018年6月、本体660円、192頁、ISBN978-4-00-340078-4
『第七の十字架(上)』アンナ・ゼーガース著、山下肇/新村浩訳、岩波文庫、2018年6月、本体920円、336頁、ISBN978-4-00-324731-0
『エコラリアス――言語の忘却について』ダニエル・ヘラー=ローゼン著、関口涼子訳、みすず書房、2018年6月、本体4,600円、四六判上製336頁、ISBN978-4-622-08709-0
『リヒテンベルクの雑記帳』ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク著、宮田眞治訳、作品社、2018年5月、本体4,800円、四六判上製668頁、ISBN978-4-86182-690-0



★今月の紀伊國屋書店さんの新刊3点はいずれも粒揃い。『ゲッベルスと私』は、ナチスの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルス(1897-1945)の秘書を務めた女性、ブルンヒルデ・ポムゼル(Brunhilde Pomsel, 1911-2017)へのインタヴューを収録した『Ein Deutsches Leben : Was uns die Geschichte von Goebbels' Sekretärin für die Gegenwart lehrt mit Brunhilde Pomsel』(Europa-Verlag, 2017)の訳書。インタヴュワーは4人の映画監督で、まえがきと解説を政治学者、社会学者、経済ジャーナリストなどの肩書をもつ専門家ハンゼンが書いています。現在、同名のドキュメンタリー映画が岩波ホールなどで今月津16日より順次公開中。逝去する約3年前の103歳の折、彼女は70年近く前の暗い時代について語りました。帯文には「その発言は、ハンナ・アーレントのいう“悪の凡庸さ”を想起させる」とあります。





★彼女は敗戦になるまでユダヤ人の虐殺を知らず、彼女自身、ユダヤ人に対する嫌悪もなく、交際していたユダヤ人男性との間には子供が生まれるはずでした(悲しい出来事の後、彼女は終生独身を貫きます)。彼女は自分の愚かさを認めつつ、政治に無関心のままナチスのもとで働くことになったこと、ヒトラー就任直後は「ただただ新しい希望に満ちていた」こと、「最初のころはすべてが順調で、みんなのお給料が上がった」こと、「宣伝省はとても良い職場」で「すべてが快適で居心地がよく、身なりの良い人ばかりで、みんな親切だった」こと、「少しだけエリートになった気分」だったこと、ゲッベルスが「卓越した役者」だったこと、彼の自殺後は「すべてが終わった」と思ったこと、それでも自殺しようとはならなかったこと、ソ連兵による抑留後に虐殺の事実を知って愕然としたものの、自分は直接は関与しておらず「私個人の罪では断じてない」と感じたこと、等々が赤裸々に語られます。たちまち付箋だらけになるほど、強く惹き込まれる問題作です。かつてアイヒマン裁判を扱ったブローマン/シヴァンの『不服従を讃えて』(産業図書、2000年)を読んだ時の戦慄が甦りました。アイヒマンもそうでしたが、ポムゼルも勤勉な人物でした。


★「もし仮に私が宣伝省にいなくても、歴史の歯車はおそらく同じように回っていたわ。あれは、私一人が左右できるようなことではまったくなかったのだから」(163頁)。「ナチスが権力を握ったあとでは、国中がまるでガラスのドームに閉じ込められたようだった。私たち自身がみな、巨大な強制収容所の中にいたのよ。ヒトラーが権力を手にしたあとでは、すべてがもう遅かった。そして人々はみな、それぞれ乗り越えなければならないものごとを抱えており、ユダヤ人の迫害だけを考えているわけにはいかなかった。ほかにもたくさんの問題があった。〔…〕だからといってすべてが許されるわけではないけれど」(172頁)。


★彼女が語ったことの中でもっとも説得的であるがゆえに恐ろしい言葉があります。「悪は存在するわ。悪魔は存在する。神は存在しない。だけど悪魔は存在する。正義なんて存在しない。正義なんてものはないわ」(146頁)。これは章ごとの扉に引用されている発言のひとつなのですが、この言葉だけが本文中には見当たりません。しかし映画においては確かに収められているそうで、版元さんの情報によれば本書149頁の第2段落(「私は抑留を解かれたあとで初めて…」)の後に150頁最終行からの段落(「強制収容所が存在することは…」)が続き、その後にガス室の映像が流れて「悪は存在するわ。何と言えばいいのか分からないけれど。神は存在しない。だけど悪魔は…」と続くとのことです。あまりにショッキングな証言のために、書籍版の本文からは削除され、かろうじて扉にのみ残されたのでしょうか。なお、映画と書籍は別々に再構成されており、まったく同一の内容というわけではないとも聞いています。


★正義をめぐってはこんな発言もあります。「正義なんて存在しない〔…〕司法にだって、正義は存在しない。第一に、あらゆるものごとについての意見は変化する。それも、つねに変化するものだわ」(175頁)。百年以上生きたことの重みがここに表れている気がします。ちなみに今月の岩波文庫ではアンナ・ゼーガースの『第七の十字架〔Das siebte Kreuz〕』上巻が発売されています。ナチスの強制収容所から脱走した七人をめぐる物語で、亡命先のフランスで執筆され、1942年にアメリカで縮約版が刊行され、その後ドイツでも刊行されました。親本は1952年、筑摩書房より刊行。巻末の編集付記によれば「文庫収録にあたり、山下肇氏子息の山下萬里氏の協力を得、訳語・訳文・表記の現代化の観点から若干の調整と、注記の追加等を行なった」とのことです。


★紀伊國屋書店さんの今月新刊はほかに2点あります。『腸と脳』はドイツ出身の胃腸病理学者で現在はカリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授を務める研究者による話題書『The Mind-Gut Connection: How the Hidden Conversation Within Our Bodies Impacts Our Mood, Our Choices, and Our Overall Health』(Harper Wave, 2016)の全訳です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者あとがきによれば本書の際立った特徴は、腸と腸内のマイクロバイオータと脳・心・情動の関係に大きな比重が置かれている点で、「過敏性腸症候群(IBS)、うつ病、不安障害、自閉症、さらにはパーキンソン病をはじめとする神経変性疾患などの脳や心の病気に、腸やマイクロバイオータの異常が関連しうることが詳述されており、そこに心身の疾病に対する新たな視点を読み取ることができる」とのことです。福土審『内臓感覚――脳と腸の不思議な関係』(NHKブックス、2007年)をその昔興味深く読んだ方は本書でその知見を新たにされるかと思います。


★もう一点、『塗りつぶされた町』は『The Blackest Streets: The Life and Death of a Victorian Slum』(Vintage Books, 2009)の翻訳。19世紀末のロンドンの一角に存在したスラム街「ニコル」の誕生と消滅をつぶさに描いたユニークな歴史書。東京ドームの1.3倍ほどの地域に集合住宅と作業場と家畜小屋がひしめき、そこに6000人ほどが住んでいたといいます。住民の8割は子供だったそうで、貧しい人々を「救う」ために活動した聖職者や篤志家、革命家、さらには同地区で暮らした犯罪者や在野の統計学者など、様々な人物が登場します。「社会ののけ者の最下層を生みだしたとして、福祉国家を指弾する専門家は多い。だが、ちょっと待って欲しい。19世紀におびただしい数の貧困者が生まれたのは、人びとがなんの手助けも得られず、独力で何とかやっていくしかない状態に置かれたからにほかならない。この歴史的事実に目を向けてほしい。本書がそのきっかけとなってくれれば幸いである」(404頁)と著者は書いています。著者ワイズはカリフォルニア大学ロンドン研究センターで19世紀英国の社会史を講じているそうです。


★『ライプニッツ著作集 第Ⅱ期[3]技術・医学・社会システム』は著作集第Ⅱ期の完結編となる第3巻。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。様々な同時代の思想家と交流した知識人であり、広範囲な学問領域を開拓した先進的理論家で、さらに宮廷顧問官として社会貢献にも邁進したライプニッツ(1646-1716)の、実践家としての信念がよく表れている一冊ではないかと思います。個人的には第3部「社会システム」に収められている「図書館改革案」(山根雄一郎訳解説)と「図書館計画」(上野ふき訳解説)に惹かれます。後者はさらに「ヴォルフェンビュッテル公爵殿下への図書館運営の提言」と「ライプニッツの図書館配列案――諸学の分類に従ってより広くより集約的に配置されるべき」から成り、分類の中には「図書館学」もあって、「図書館に関する文書、普遍的な宝庫のために」と特記されています。2期全13巻完結にあたり、巻末の総解説「《実践を伴う理論》の真骨頂」で佐々木能章さんは次のように書かれています。「『ライプニッツ著作集』全13巻はライプニッツの業績を広くカバーするものとなった。もちろんライプニッツが書き残したもののすべてからすれば、これでもまだ一部でしかないのだが、多岐にわたる業績を見渡すことは十分に可能であろう」。このままずっと翻訳が続いていずれ第Ⅲ期が始まることをつい夢見てしまうのは私だけでしょうか。なお第3巻の特別付録として「『ライプニッツ著作集』第Ⅰ期・第Ⅱ期収載全著作・書簡年譜」が付属しています。


★ここ最近、『ライプニッツ著作集』だけでなく古典ものの翻訳が充実しています。ライプニッツの同時代人ロック(1632-1704)の『寛容についての手紙』は、1689年に刊行されたラテン語版テキストをウィリアム・ポップルが英訳して序言を付し同年に出版した『A Letter Concerning Toleration』の全訳。凡例によれば、1689年の初版を底本としつつ、1690年に刊行された第二版での修正を加味したとのことです。訳者お二人によるあとがきには「両名が『手紙』を翻訳した意図のなかには、野沢先生も心を痛めておられた現代世界を覆う不寛容な状況へのささやかな抵抗の意志を示すことも含まれている」と記されています。『ピエール・ベール著作集』の個人全訳で著名な野沢協さんとお二人との交流をきっかけに生まれたのが今回の訳書なのだそうです。『手紙』の既訳には、生松敬三訳(ポップル訳からの翻訳;『世界の名著27』所収、1968年)、平野耿訳(ラテン語版からの翻訳;朝日出版社、1971年)、野沢協訳(フランス語訳からの翻訳、『ピエール・ベール関連資料集 補巻』所収、2015年)があります。


★18世紀ドイツのゲッティンゲン大学実験自然学教授リヒテンベルク(1742-1799)が20代から50代まで35年にわたって書き残してきたノート群から抜粋し翻訳した『リヒテンベルクの雑記帳』が先月刊行されました。底本は1980年と1991年に刊行されたプロミース版2巻本。「リヒテンベルクが取り上げた分野や主題をできるだけ網羅することを目指し」たものとのことで600頁以上ある大冊ですが「これでも全体に比すればわずかなもの」だそうです。「アフォリズム文学の嚆矢」(帯文より)として知られているのは周知の通り。カネッティが「世界文学におけるもっとも豊かな書物」と呼んだように、論及される主題は実に多種多様です。例えば飲酒については、ワインをグラスに5、6杯飲めば「目に力を与え、魂を心地よく満たすにはこれ以上のものはない」(B159、356~357頁)と述べ、人生の憂鬱な隘路に新しい展望を拓いて心を解放する、その効用を記しています。よりコンパクトな抜粋本としては池内紀編訳『リヒテンベルク先生の控え帖』(平凡社ライブラリー、1996年)がありましたが、現在は品切。


★『ミクロログス(音楽小論)』は「ドレミの始祖」として知られる11世紀イタリアのグイド・ダレッツォ(アレッツォのグイド)の主著で中世ヨーロッパの音楽理論書として高名な論考の全訳。関連文書3篇の翻訳(「韻文規則」「アンティフォナリウム序文」「未知の聖歌に関するミカエルへの書簡」)に加え、7本の解説論文を併載しており、充実しています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。少年たちに聖歌を教えることを目的とした『ミクロログス』は難解な理論的説明を避け、「歌い手たちに役立つと信じるいくつかの事柄を可能な限り簡潔に述べ〔…〕歌唱にあまり役立たず、議論されてもいても理解できないような音楽[の問題]については言及しない」(7頁)という立場を取っています。佐野隆さんによる解題では本書を「包括的な音楽実践の手引書としては最初期の著作であり、その実用性、有用性のため後の時代に大きな影響を与えることになる」と説明されています(97頁)。


★『エコラリアス』はアガンベンの英訳者として名高いヘラー=ローゼン(Daniel heller-Roazen, 1974-)の2冊目の著書(2005年)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。伊藤達也さんによる巻末解説「ダニエル・ヘラー=ローゼンとは何者か?」での説明の文言を借りると、エコラリアスとは「エコー(反響)とラリア(話)」の複数形で「反響言語」を意味し、「本書では喃語反復、他者の言葉の繰り返し、死語の残存など、かなり広い意味で用いられ」ています。伊藤さんはこうも評しておられます。「本書を構成する21の章は、医学、文学、言語学、哲学、宗教学など様々なテキストの読みを通じて、一つの大きな寓話を幾重にも変奏する。その寓話とは、言語を忘却することで人は言語を獲得し、そのようにして獲得された言語は他の言語の痕跡を谺として残存させるというものである。〔…〕哲学者ヘラー=ローゼンは言語学についても極めて正確な知識を持っており〔…〕彼は明らかに新しい時代の哲学者、書き手だ」(261頁)。


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『吉本隆明全集16[1977-1979]』晶文社、2018年7月、本体6,500円、A5判変型上製582頁、ISBN978-4-7949-7116-6
『市場のことば、本の声』宇田智子著、晶文社、2018年6月、本体1,600円、四六判上製240頁、ISBN978-4-7949-7024-4
『これからの本屋読本』内沼晋太郎著、NHK出版、2018年5月、本体1,600円、四六変型判並製320頁、ISBN978-4-14-081741-4



★『吉本隆明全集16[1977-1979]』はまもなく発売(7月3日発売予定)。全38巻別巻1のうちの第17回配本で、帯文に曰く「100名にも及ぶ詩人の分析から“戦後の感性”の源泉を明らかにした『戦後詩史論』。夭逝や自死を余儀なくされた詩人たちに忍び寄る“季節の病像”を捉えた『吉本隆明歳時記』を収録」と。この2作のほかに、単行本未収録2篇を含む、同時期の詩や評論、エッセイなどが併載されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。『吉本隆明歳時記』は四季に分かれ、中原中也、梶井基次郎、堀辰雄、立原道造、嘉村礒多、葛西善蔵、正宗白鳥、牧野信一、宮沢賢治、長塚節、などを取り上げます。同時期発表のエッセイでは、昼となく夜となく不躾かつ脅迫的な電話を自宅に掛けてくる見知らぬ男の話「狂人」や、「本を読むことは悪いことをすることとよく似ていた」と書いて少年の頃の記憶をたどる「本を読まなかった」、小学生高学年の折に塾通いを強いられたことによって遊び友達の輪から離れた体験を「現在もわたしを規定している」と明かした「別れ」など、著者の日常生活を垣間見る短文の好篇が興味を惹きます。付属する「月報17」は、長谷川宏「思考の楽しさ」、荒川洋治「詩の時代」、ハルノ宵子「銀河飛行船の夜」を掲載。ハルノさんの寄稿は家族の特異体質について書いたもの。「話半分で読み飛ばしていただいて構わないが、うちの家族は全員“スピリチュアル”な人々だった。〔…〕現代的な表現をするなら、一種の“高機能自閉症”だ」。「論理とスピリチュアルは、決して相反するものではない」とも書いておられます。次回配本は9月下旬予定、第17巻とのことです。


★晶文社さんの今月新刊では、宇田智子さんのエッセイ集『市場のことば、本の声』が素晴らしいです。直近の約5年間に各誌で発表されてきたものに加筆修正を施し一冊にまとめたもの。帯文に「気鋭のエッセイスト」とあって、ついにこうした冠がと感慨深くなるのは新刊書店員時代の宇田さんのことを思い出すからですが、彼女の味わい深い文章はまさにエッセイスト、今や作家のそれだと感じます。特に、文章の終わり方、閉じ方(綴じ方)を心得ているという点がそう感じさせる理由なのかもしれないと思います。微妙に開いたままにして、読み手にその後を想像して味わう自由を渡してくれる、そういうやさしさを感じます。宇田さんと同じ1980年生まれの内沼晋太郎さんも今月、『これからの本屋読本』というこれまでの総決算となるような著書を上梓されています。一軒家の本屋の屋根に見えるような斜めに裁断された造本が面白いです。内沼さんの魅力はご自身が蓄積してきたノウハウを広く共有することに何のためらいもないところで、そうした「オープンソース」ぶりがこれから書店を新たに立ち上げようとしている多くの人々への知恵と励ましになってきたのだと思います。このお二人がいるだけで救われているものが確実にある、と感じます。


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本日取次搬入:岡田温司『アガンベンの身振り』、シリーズ「哲学への扉」第二弾

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シリーズ「哲学への扉」第二弾となる、岡田温司さんの『アガンベンの身振り』は、日販、トーハン、大阪屋栗田、ともに本日6月26日搬入です。書店さんには明日以降、順次配本となります。店頭発売開始は今週後半以降かと思われます。取扱書店については、当ブログコメント欄、Eメール、電話、FAX、ツイッター等でお問い合わせください。地域を限定していただければお答えします。

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ブックフェア&イベント@紀伊國屋書店新宿本店:ファム・コン・ティエン『深淵の沈黙』

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弊社刊『ブランショ政治論集』や『間章著作集(Ⅰ)時代の未明から来たるべきものへ』を出品させていただいているブックフェアをご紹介します。

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◎ブックフェア「いまだ夜深き時代、『深淵の沈黙』を読む」野平宗弘選


会期:2018年6月13日(水)~7月上旬
場所:紀伊國屋書店新宿本店【3階人文】I-28棚
内容:戦争時代の反抗者、ファム・コン・ティエンの初邦訳であり、そして年間ベスト級の衝撃作『深淵の沈黙』。訳者の野平宗弘さんによる選書フェアで、野平さん執筆の1万字におよぶ解説冊子も無料配布。


◎トークイベント「「ベトナムのランボオ」ファム・コン・ティエンの破壊思想と叛逆の人生」野平宗弘さん×真島一郞さん



日時:2018年7月5日(木)19:00開演
会場:紀伊國屋書店新宿本店9階イベントスペース
料金:500円
受付:先着50名様、電話予約受付03-3354-0131(新宿本店代表番号:10:00~21:00)


内容:1960年代のベトナム戦争のさなか、南ベトナムの文壇に現れて以降、過激な言動、ハチャメチャな生き方で話題をさらい、良識ある大人たちからは煙たがられたものの、悩める若者の代弁者として圧倒的な支持を受けていた、詩人にして思想家のファム・コン・ティエン。ヘンリー・ミラーからは早熟のフランス詩人A.ランボオの生まれ変わりとも評された、その生き方、言動、思想は、時代が変わっても、異なる地域においてであっても、鋭敏な若者たちの感性を挑発し続けてやむことはない。本トークイベントでは、社会人類学者の真島一郞さんと、『深淵の沈黙』(1967年刊)の世界初の訳書を上梓した野平宗弘さんの二氏が登壇し、「世界の夜」の時代にあってなお己を貫き生きたティエンの人生と、本書で展開された思想を中心に紹介しながら、今なお失せないその魅力と思想的可能性に迫る。講演終了後、サイン会を行います。書籍は会場で販売いたします。


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注目新刊:メイヤスー『亡霊のジレンマ』、マラブー『明日の前に』、ほか

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『亡霊のジレンマ――思弁的唯物論の展開』カンタン・メイヤスー著、千葉雅也序、岡嶋隆佑/熊谷謙介/黒木萬代/神保夏子訳、青土社、2018年6月、本体2,200円、四六判並製265頁、ISBN978-4-7917-7084-7
『明日の前に――後成説と合理性』カトリーヌ・マラブー著、平野徹訳、人文書院、2018年6月、本体3,800円、4-6判並製370頁、ISBN978-4-409-03098-1
『未来を読む――AIと格差は世界を滅ぼすか』大野和基編、PHP新書、2018年6月、本体880円、264頁、ISBN978-4-569-84106-9



★メイヤスー『亡霊のジレンマ』は、『有限性の後で』(千葉雅也ほか訳、人文書院、2016年)に続くメイヤスー(Quentin Meillassoux, 1967-)の訳書第2弾。「現代思想」誌に訳載されてきたインタヴューと論文の計4本に、2本の講演録を加え、千葉雅也さんによる序文「メイヤスーの方法――存在と倫理と文学をまたいで」を配した、日本語版独自編集となる一冊です。千葉さんは本書を「『有限性の後で』の理解を補うと共に、『有限性の後で』には表れていないメイヤスー哲学のさらなる広がり――存在論、倫理、文学にまたがる――に触れることができる論集である」と説明されています。帯文はこうです。「来たるべき神と全人類の復活を謳う表題作から、議論を呼んだマラルメ論、SF論まで。『有限性の後で』では表れなかった、メイヤスー哲学のもう一つの相貌」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。


★またメイヤスーの思想を千葉さんは次のように端的に紹介されています。「メイヤスーの仕事は、ひとつの新たなる「差異の哲学」、ポスト・ポスト構造主義の「差異の哲学」である。その新しさの核をなすのが、偶然性概念なのだ。ポスト構造主義においても重要であった偶然性概念を、改めてラディカライズするところにメイヤスーの独自性がある。この世界の(法則系の)、純然たる偶然性――いかなる人間的な意味とも無関係な「ただこのようである」こと。そこから、「差異の哲学」の別面である「変化の哲学」――とくにドゥルーズ(&ガタリ)に見られたような――に、大胆な刷新が引き起こされる。すなわち、この世界全体の、まったく偶然的な変化可能性、および変化しない可能性である。このように、メイヤスーの哲学は、ポスト構造主義から引き継がれたテーマ、キーワードを、人間的意味を徹底的に無化する方向へとラディカライズしているのである」(9頁)。


★表題作となる「亡霊のジレンマ」は、「クリティーク」誌の2006年704-705号に掲載された「来るべき喪、来るべき神」の翻訳。思い切って簡潔な言葉に言い換えると、死者を弔う際に、人が神を信じるかそれとも信じないかによって、異なる挫折や絶望が生じる問題を、メイヤスーは「亡霊のジレンマ」と呼んでいます。そしてそのジレンマの解消を「神はまだ存在しない」という言明のうちに形式化しようと試みています。「無神論と宗教という二重の行き詰まりから抜け出すような生者と死者のつながりを、いかに思考すべきか」(82頁)とメイヤスーは問い、「ジレンマを解消することは、死者の復活可能性――解消のための宗教的条件――と、神が現実存在しないこと――解消のための無神論的条件――とを結びつける言明を思考可能なものとすることに帰着する」(83頁)と述べます。


★そして、宗教的な神は存在しないものの、潜在的状態に留まっている「来るべき神の可能性」があり、「現世の惨事と無縁のこの来るべき神であれば、死とは別のものを亡霊たちにもたらしうる」(84頁)というのです。こうした「無神論とも神学とも手を切った、思考の本源的体制」(92頁)へと向かうメイヤスーの挑戦は、彼自身の著書『数とセイレーン――『賽の一振り』解読』(2011年、未訳)を解説した講演録「『賽の一振り』あるいは仮定の唯物論的神格化」でも明白に表れています。「実際、マラルメはある種のやり方で、現代性の勝利を確かなものにすることができた人物でした。〔…〕『賽の一振り』によって、詩の神格化が起こり、新しい信仰が誕生したのです」(208頁)。「それは大仰なものも超越的なものもない、神的なものの再発明であり、〔…〕このような唯物論的な身ぶりを反復し、エピクロスとマラルメとは別のしかたで二次的な神々を再発明する最も有効な方法――、ここに、自らの内在的な力能に返された哲学の務めがあるのだと、私は思います」(209頁)。


★『有限性の後で』の難解さに挫折した読者も、『亡霊のジレンマ』のうちには何かしら、読解の手掛かりを得ることができるのではないかと思います。千葉さんは「本書のいずれの章においても、メイヤスーの真剣なる遊び心が炸裂している」と評しておられます。青土社さんでは今月下旬、千葉さんの対談集『思弁的実在論と現代について』を発売予定なので、そこでもさらに理解を深めることができるようになるでしょう。思弁的実在論やその周辺をめぐる参考文献として以下も掲出しておきます。



『現代思想 2014年1月号 特集=現代思想の転回2014――ポスト・ポスト構造主義へ』青土社、2013年12月
『現代思想 2015年1月号 特集=現代思想の新展開2015――思弁的実在論と新しい唯物論』青土社、2014年12月
『現代思想 2015年6月号 特集=新しい唯物論』青土社、2015年5月
『現代思想 2015年9月号 特集=絶滅――人間不在の世界』青土社、2015年9月
『現代思想 2016年1月号 特集=ポスト現代思想』青土社、2015年12月
『現代思想 2017年12月号 人新世――地質年代が示す人類と地球の未来』青土社、2017年11月
『現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』青土社、2017年12月
『モノたちの宇宙――思弁的実在論とは何か』スティーヴン・シャヴィロ著、上野俊哉訳、河出書房新社、2016年6月
『四方対象――オブジェクト指向存在論入門』グレアム・ハーマン著、岡嶋隆佑ほか訳、人文書院、2017年9月
『複数性のエコロジー――人間ならざるものの環境哲学』篠原雅武著、以文社、2016年12月
『現代思想の転換2017――知のエッジをめぐる五つの対話』篠原雅武編、人文書院、2017年1月
『人新世の哲学――思弁的実在論以後の「人間の条件」』篠原雅武著、人文書院、2018年1月


★また、先週発売された『現代思想』2018年7月号「特集:性暴力=セクハラ――フェミニズムとMeToo」はタイムリーで必読。編集後記に次のような特記があるのは異例だと思います。「本特集内には随所で性暴力・セクハラに関する経験等の表現がなされます。無理をせず、ぜひ体調を優先してお読みください」。



★マラブー『明日の前に』はまもなく発売(7月3日以降)。原書は『Avant demain. Épigenèse et rationalité』(P.U.F., 2014)です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。マラブー(Catherine Malabou, 1959-)の単独著の翻訳は、『わたしたちの脳をどうするか――ニューロサイエンスとグローバル資本主義』(桑田光平/増田文一朗訳、春秋社、2005年6月、品切)、『ヘーゲルの未来――可塑性・時間性・弁証法』(西山雄二訳、未來社、2005年7月)、『新たなる傷つきし者――フロイトから神経学へ 現代の心的外傷を考える』(平野徹訳、河出書房新社、2016年7月)に続いて4点目になります。帯文にはこうあります、「カント以降の哲学を相関主義として剔抉し、哲学の〈明日〉へ向かったメイヤスーに対し、現代生物学の知見を参照しつつカント哲学の読み直しを試みた注目作」。


★マラブーは巻頭の「はじめに」でこう書いています。「現在の大陸哲学において、カントと絶縁しようとする動きが進行している。「思弁的実在論」の名のもと、世界や思考、時間に対する新たなアプローチが登場し、『純粋理性批判』以降、不動であると信じられてきた数多の基本的前提が疑問視されるようになっている。すなわち認識の有限性、現実的所与、主体と対象との根源的関係としてのアプリオリな総合、自然や思考の諸法則にあるとされ、必然性と普遍性を保証するとされる構造的道具立てのすべて、一口にいうなら、超越的なものが疑問視されているのである。〈超越的なものの放棄〉が、ポスト批判哲学的な新思想の合言葉となる」(7頁)。


★「超越論的なものを放棄しようとするくわだては、じつはかなり以前からあった。このくわだては、ヘーゲルにはじまり、形而上学の破壊、脱構築まで、連綿とつづけられてきた。ヘーゲルからハイデガーまで、ハイデガーからデリダそしてフーコーまで、その堅牢性、永続性、思考の必須条件と称されるその性格をめぐって、超越論的なものは問題視されてきた。ハイデガーのように時間をもちこむ、あるいはフーコーのように歴史をもちこむといったこころみは、すでに超越的なものを追い払おうとする身ぶりだったのである。だがこれは哲学だけの話ではない。神経生物学は1980年代半ばにめざましい発展を遂げ、その成果が最近ようやく知られるようになってきたのだが、そこでは分析哲学の伝統にのみかかわるとはいいがたい一連の問いの析出・解明がすすめられ、結果として、すべての超越論的理念が目だたぬかたちで崩されつつある。近年の脳機能をめぐる種々の発見から、思考法則の前提とされる普遍性を疑問視する動きが独自のかたちで出てきているのである」(7~8頁)。


★「では、形而上学の脱構築よりも、そして認知論よりも根源的であろうとする思弁的実在論を、どう位置づけるべきなのか。一連の大転換のなかでカント哲学は、そして哲学それ自体は、どうなるのか。/哲学の近年の情景を俯瞰しながら、こうした問いへの答えをつくりあげることは、私には重要だと思われた。この情景を彩ることになる主たるカント読解は、時間、思考と脳の関係、世界の偶然性という三つの問いにかかわっている」(8頁)。マラブーはカントの『純粋理性批判』や生物学が言うところの「後成説」を援用し、最初から完成して存在していたものとして超越論的なものを捉えるのではなく「発生・発展し、変化し、進化する」ものとして再起動させます。「『ヘーゲルの未来』の後で、〈カントの未来〉を書く時がやってきたのである」(9頁)。メイヤスーの『有限性の後で』に対する賛否は、本書の第十一章「〈一致〉はない」と第十二章「袋小路のなかで」に詳しく、本書の見どころの一つになっています。


★『未来を読む』は、ジャレド・ダイアモンド、ユヴァル・ノア・ハラリ、リンダ・グラットン、ダニエル・コーエン、ニック・ボストロム、ウィリアム・J・ペリー、ネル・アーヴィン・ペインター、ジョーン・C・ウィリアムズの8氏への大野和基さんによるインタヴューを一冊にまとめたもの。PHP研究所の月刊誌『Voice』とウェブメディア「NewsPicks」に掲載されたインタヴューの完全版で、ダイアモンドとペリーの両氏については追加取材が行なわれたとのことです。8氏についてはそれぞれ訳書がありいずれも話題となりましたが、大著が多いので、本書はより簡便に世界的な知性に近づける手頃な一冊と言えます。


★8氏のうち、ユヴァル・ノア・ハラリは『ホモ・デウス』2巻本が河出書房新社より9月に発売予定ということで、充分に時間がありますから、8氏の書籍を集めたコーナーなどを店頭で作りやすいかもしれません。さらに硬めの本を含めてコーナーを拡張したい場合は、思弁的実在論とその対抗者の本、つまりメイヤスーやマラブー、さらに先月来日したマルクス・ガブリエルの以下の関連書を集めると人文書の昨今の成果の一端が見えてくるのではないかと思われます。



『神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性』マルクス・ガブリエル/スラヴォイ・ジジェク著、大河内泰樹/斎藤幸平監修、飯泉佑介ほか訳、堀之内出版、2015年11月
『なぜ世界は存在しないのか』マルクス・ガブリエル著、清水一浩訳、講談社選書メチエ、2018年1月
『欲望の資本主義2』丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班著、東洋経済新報社、2018年4月
「入門マルクス・ガブリエル――マルクス・ガブリエル来日インタビュー」聞き手・解説=浅沼光樹、『週刊読書人』2018年6月29日号



★例えばメイヤスー、マラブー、ハラリ、ボストロム、ガブリエル、この5氏がそれぞれ〈自然・人間・神〉をどう捉えているのかを見ることは、彼らの影響を受けざるをえない若い世代がいずれ10年後、20年後に「(来たるべき)現代人」としてどのような思想的立場を取るのかを占う上で重要です。5氏の思想もまた、彼らに先行する欧米思想への必然的応答として形成されているからです。人間は自身が思っている以上に時代に縛られるものであり、良かれ悪しかれ時代とともに生き、時代とともに死ぬほかはありません。そうやって時代の制約を被りつつ、未来を切り拓くための礎となり、次代を呪縛する呪いともなるわけです。後に来る世代は祝福とともに呪いをも受け取らざるをえないのです。


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★このほか、最近以下の書目との出会いがありました。


『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』今村純子編訳、河出文庫、2018年7月、本体1,300円、480頁、ISBN978-4-309-46474-9
『アメリカ民主主義の衰退とニーチェ思想――ツァラトゥストラの経済的帰結』山田由美子著、人文書院、2018年6月、本体3,800円、4-6判上製454頁、ISBN978-4-409-04110-9
『真実について』ハリー・G・フランクファート著、山形浩生訳解説、亜紀書房、2018年6月、本体1,400円、四六判変型上製144頁、ISBN978-4-7505-1551-9
『[新版]黙って野たれ死ぬな』船本洲治著、共和国、2018年6月、本体2,800円、四六判並製376頁、ISBN978-4-907986-46-9
『戦闘戦史――最前線の戦術と指揮官の決断』樋口隆晴著、作品社、2018年6月、本体2,800円、A5判並製320頁、ISBN978-4-86182-693-1



★『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』はまもなく発売。文庫で読めるシモーヌ・ヴェイユの著作はちくま学芸文庫や岩波文庫から発売されていますが、独自編集の論集というのは今回が初めてです。目次は以下の通り。


まえがき(今村純子)
『グリム童話』における六羽の白鳥の物語
美と善
工場生活の経験
『イーリアス』、あるいは力の詩篇
奴隷的でない労働の第一条件
神への愛と不幸
人格と聖なるもの
解題(今村純子)
あとがき(今村純子)
主要文献一覧
シモーヌ・ヴェイユ略年譜
事項索引
人名・神名索引


★特筆しておきたいのは最初の2篇です。「『グリム童話』における六羽の白鳥の物語」はシモーヌが16歳のおりにアランに提出したもので、彼女の公刊された論考の中で最初のものだそうです。続く「美と善」は17歳になったばかりの彼女がやはりアランに提出したもの。この2篇の後は中期から晩年(と言ってもシモーヌの生涯はたったの34年間なのですが)に至るテクストが収められています。「本書は、シモーヌ・ヴェイユの「この世界へのひっかき傷」と思われる表現が十全にあらわれ出ている七篇の論考を翻訳・収録している」と今村さんはまえがきで書いておられます。工場労働を経験した彼女が1941年に書いた「奴隷的でない労働の第一条件」は今なお胸に刺さります。彼女はこう記しています。「一日の空間内でぐるぐる回る。そこで労働と休息とのあいだを、いっぽうの壁からもういっぽうの壁へと打ち返されるボールのように、行ったり来たりする。食べる必要のためだけに働く。だが食べるのは働き続けるためである。そしてまた食べるために働く」(203頁)。シモーヌはこのあとマルクス主義の労働観や宗教観、革命観に対する鋭い批判を展開しています。「それぞれの社会的役割が有している超自然的な使命」(224頁)という彼女の観点を掘り下げることは現代人にとっても大きな意味を持っているように感じます。


★なお河出書房新社さんのウェブサイトでは今村さん訳によるヴェイユの『神を待ちのぞむ』が続巻予定であることが確認できます。文庫ではなく単行本のようです。



★山田由美子『アメリカ民主主義の衰退とニーチェ思想』はあとがきの言葉を借りると「アメリカ民主主義衰退の原因を、政治・経済・文化におけるニーチェ思想の観点から究明する」もの。「結論から言うと、ニューライトは、元来非民主的・非理性的なニーチェに論拠を求めて成功し、ニューレフトは、元来非民主的・非理性的なニーチェに論拠を求めたために道を踏み誤った」(436頁)と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書は、アメリカの作家ソール・ベロー(Saul Bellow, 1915-2005)の最晩年作『ラヴェルスタイン』への言及から始まります。ベローは自身が「まえがき」を寄せもした大ベストセラー『アメリカン・マインドの終焉』(菅野盾樹訳、みすず書房、1988年;新装版2016年)の著者で保守派のアイコンたるアラン・ブルーム(Allan Bloom, 1930-1992)の同性愛について、『ラヴェルスタイン』で暴露しました。ブルームの親友だったベローにとってこの作品の動機と意義がどこにあったのか、ベローの書簡から読み解くところから始まる本書は、活き活きとした筆致で現代アメリカ史の一側面を描き出しています。ちなみに『ラヴェルスタイン』は今春訳書が刊行されたばかりです(鈴木元子訳、彩流社、2018年4月)。


★フランクファート『真実について』は『On Truth』(Knopf, 2006)の訳書で、原著が前年の2005年に刊行された『ウンコな議論〔On Bullshit〕』(山形浩生訳、筑摩書房、2006年;ちくま学芸文庫、2016年)の続編。著者フランクファート(Harry Gordon Frankfurt, 1929-)はプリンストン大学名誉教授であり道徳哲学が専門。近年の著書『On Inequality』(Princeton University Press, 2015)も山形さんの訳で『不平等論――格差は悪なのか?』(筑摩書房、2016年)として刊行されています。内容の真偽よりも相手の意見や態度に及ぼす「効果」を狙ったウンコな議論が嘘よりも悪質であることついて前著で論証した著者は、『真実について』では「なぜ真実への無関心がいけないことなのか」(9頁)、「真実の価値と重要性」(13頁)について説明しています。「私たちが実行することすべて、したがって人生すべての成功と失敗は、私たちが真実に導かれているか、それとも無知のままや偽情報に基づいて先に進むかで決まる。それはまた、その真実をどう使うかにも決定的に左右される。でも真実なしには、出発する前から命運は尽きている」(30頁)。当局による代替事実やSNSにおけるデマが猛威を振るうポスト真実の時代にひもとくべき一冊です。




★船本洲治『[新版]黙って野たれ死ぬな』は、親本の『黙って野たれ死ぬな――船本洲治遺稿集』(れんが書房新社、1985年)に収録された文章を「現在の視点から再検証・再編集し、新たに発見された論考やエッセイ、写真などを加えたもの」(版元プレスリリースより)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。序「船本洲治、解放の思想と実践」を原口剛さんがお書きになり、解説「船本洲治とともに半世紀を生きて」を中山幸雄さんが寄せておられます。上山純二さんによる「編集後記」によれば、新版では遺稿の配列をテーマ別から時系列とし、誤って船本作とされたものなど3篇が削除され、新たに「山谷解放委に反論する」を加え、さたに誤字誤記は訂正したとのことです。時系列というのは中山さんの解説では、船本洲治(ふなもと・しゅうじ:1945-1975)が駆け抜けた次の3期に区分されるとのことです。1)東京・山谷期:1968年9月~72年1月、2)大阪・釜ヶ崎期:1972年2月~73年4月、3)潜行期:1973年4月~75年6月。


★樋口隆晴『戦闘戦史』は「歴史・戦史雑誌である『歴史群像』誌(学習研究社~学研プラス)の2010年10月号より2015年10月号まで、不定期に連載した記事のうち、読者にとって身近であると思われる日本陸軍の戦いを中心にピックアップし、加筆訂正したうえで新たに1章(11章「金井塚大隊の帰還」を書き下ろしたもの」(あとがきより)。目次詳細は書名のリンク先でご覧になれます。著者は本書の工夫と意義について次のように述べています。「戦場を追体験できるように、地形や天候、舞台の状況、指揮官の精神状態などを、史・資料に沿い、できうるかぎり、細かくわかりやすく描写した」(5頁)。「現在のようにそれぞれの職業が専門性を増し、そうした専門性に基づく行動が、しばしば状況に合致しないといわれるなかで、瞬時の決断をもとめられる多くの社会人に、なんらかのものごとを考えるきっかけとならないだろうか」(6頁)。


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「週刊読書人」にナンシー『ミューズたち』の書評

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「週刊読書人」2018年6月29日号に、弊社4月刊、J-L・ナンシー『ミューズたち』の書評「「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性――複数の読者に開かれた書 新たなナンシー像を伝える」が掲載されました。評者は渡名喜庸哲さんです。渡名喜さん、ありがとうございます!


「本書の眼目は、いわば「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性についての省察にあるということができる。/ただし、いっそう興味深いのは、この問題を考えるために、ナンシーが、みずからの哲学的な道具立てのすべてを動員して考察を展開していることだ。〔…〕本書は「芸術の終焉」についてのナンシーの論として読めるばかりか、「芸術の終焉」を緒にしたナンシー哲学への導入としても読めるだろう。〔…〕とくに洞窟壁画については、いみじくも九〇年代にフランスで発見された二つの洞窟壁画とナンシーを結びつけて論じる巻末の暮沢剛巳氏による日本語版解説が参考になる。/ナンシーの芸術論としては、すでに『イメージの奥底で』(西山達也・大道寺玲央訳、以文社、二〇〇六年)が読めるが、それに先立つ時期のナンシーの芸術観をまとまって示す本訳書の公刊により、哲学・神学・政治・科学・芸術と幅広い視座で考察を続けるナンシーの思想が、いっそう有機的に理解できることになった。『私に触れるな ノリ・メ・タンゲレ』(荻野厚志訳、未來社、二〇〇六年)に続き、新たなナンシー像を日本の読者に伝えてくれた訳者の功績を讃えたい。難解で知られる哲学者だけに、内容的には難しい箇所がないわけではないが、現代において「芸術」の「根拠」についての根本的な考察を試みる本書は、哲学や美学を専門とする読者ばかりでなく、「芸術」とはいかなるものかを考える複数の読者に開かれているだろう」。


なお同日号の1面と2面には、マルクス・ガブリエル来日インタビュー「入門マルクス・ガブリエル」(聞き手・解説=浅沼光樹)が掲載されており、必読かと思います。


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ブックフェア「『エコラリアス』刊行記念フェア」@東京堂書店神田神保町店

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ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス』(関口涼子訳、みすず書房、2018年6月)の刊行記念ブックフェアが東京堂書店神田神保町店の3F哲学思想書コーナーで来月(2018年8月)末まで開催中です。弊社本ではアガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』、同『思考の潜勢力』、星野太『崇高の修辞学』、岡田温司『アガンベンの身振り』が並んでいます。店頭ではみすず書房さんが制作された冊子「ダニエル・ヘラー=ローゼンとは何者か?――『エコラリアス』読書案内&ブックリスト」が無料配布されています。同冊子には、星野太さんが「新たな文献学――アガンベンとヘラー=ローゼン」という文章を寄稿しておられます。星野太さんは同フェアの選書協力にも尽力されたと伺っています。
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注目新刊:ぷねうま舎版『死海文書』全12巻刊行開始、ほか

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a0018105_01450522.jpg『死海文書 Ⅷ 詩篇』勝村弘也/上村静訳、ぷねうま舎、2018年6月、本体3,600円、A5判上製30+245+4頁、ISBN978-4-906791-82-8
『訳注 秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』松長有慶著、春秋社、2018年7月、本体3,500円、四六判上製336頁、ISBN978-4-393-11346-2
『処女崇拝の系譜』アラン・コルバン著、山田登世子/小倉孝誠訳、藤原書店、2018年6月、本体2,200円、四六変上製224頁、ISBN978-4-86578-177-9
『菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』栗原康著、瀬々敬久・相澤虎之助原作、タバブックス、本体2,200円、四六判並製432頁、ISBN978-4-907053-25-3
『NO BOOK NO LIFE Editor's Selection――編集者22人が本気で選んだ166冊の本』雷鳥社、2018年6月、本体1,500円、四六判並製256頁、ISBN978-4-8441-3737-5
『文藝 2018年秋季号』河出書房新社、2018年7月、本体1,300円、A5判上製662頁、ISBN978-4-309-97949-6



★『死海文書 Ⅷ 詩篇』は全12巻中の第1回配本。「感謝の詩篇」勝村弘也訳、「バルキ・ナフシ」上村静訳、「外典詩篇」勝村弘也訳、「外典哀歌」勝村弘也訳、「神の諸々の業と共同の告白」上村静訳、を収録。帯文に曰く「最新の校訂・解読を踏まえた、原典からの初めての日本語訳」と。『死海文書』は1940年代後半から1950年代かけて死海北西岸の11の洞窟から発見された羊皮紙およびパピルスの文書群で、ユダヤ教の一派「エッセネ派」と見なされるクムラン教団が伝え、書写したという説が広く支持されています。昨年(2017年)には文書が盗掘されたらしい痕跡を残す12番目の洞穴が発見されたといいます。


★写本は大まかに分類して、ヘブライ語聖書関連、外典・偽典の原語版および未知の古代ユダヤ文献、クムラン教団独自の文書などがあり、古代ユダヤ教のみならず原始キリスト教との関連においても第一級の史料であり、最古の聖書写本を含んでいることは周知の通りです(ただし、初代キリスト教会とクムラン教団との間に直接的な接触があった形跡はないというのが定説)。800余りの文書のうち200本強が聖書写本と同定されており、ぷねうま舎版『死海文書』では「聖書写本以外の約600文書のうち、或る程度意味を成す分量の文章が残っているものすべてを訳出する。また、『ダマスコ文書』についてはカイロ・ゲニザから発見されたものを、さらにクムラン文書と関連のあるいくつかのマサダ出土の写本についても必要に応じて訳出した」、と巻頭の「序にかえて 死海文書とは何か」に記されています。


★『死海文書』は今なお執拗に再生産され続ける陰謀論系の言説やフィクションの影響で学術研究外からの関心も高いため、興味本位で購入される読者もいるかもしれませんが、それはそれで構わないと思います。失われてしまった宗教遺産の異形性もさることながら、ところどころ読解不能な文書の数々に、読む者の想像力を掻き立てる側面があるのは否定しようがなく、教文館版『聖書外典偽典』シリーズや岩波書店版『ナグ・ハマディ文書』シリーズ、さらには『マリアの福音書』『ユダの福音書』『グノーシスの神話』『ヘルメス文書』などとともに、今後も様々な分野のクリエイターにとって霊感の源泉となることが予想できます。


★松長有慶『訳注 秘蔵宝鑰』は凡例によれば「内容について広く江湖の理解を得るために、もとになる漢文を、まず「現代的な表現」に改めて提示し、ついで「読み下し文」を加え、さらに原文中の難解な用語を解説する「用語釈」を付す三段の構成からなる。ただし必要に応じて、「要旨」、「解説」などを付け加えた」と。本書における「現代的な表現」での再提示というのは単純な現代語訳に留まるものではなく、たとえば序の13句中の有名な「生れ生れ生れ生れて、生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終りに冥し」と読み下されている箇所(「生生生生暗生始 死死死死冥死終」)は、「生から死へと幾度か、輪廻転生を繰り返し、見極めつかぬ漆黒の、始終なき旅を続ける」という風に記述されています。その解釈の根拠については直後の解説に詳しいですが、まさに「現代人が抵抗なく読み得る現代表現」(あとがき)となっていると感じます。「画期的な現代語訳」と帯文が謳っている通りです。


★コルバン『処女崇拝の系譜』は『Les filles de rêve』(Fayard, 2014)の全訳。原題は「夢の乙女たち」とでも訳せそうですが、『処女崇拝の系譜』というのは一昨年お亡くなりになった訳者の山田さんのご発案とのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。序でコルバンはおおよそこう述べています。見かけたりすれ違ったりしただけの魅惑的な乙女たちが男たちの「感傷的な追憶のうちに刻みこまれ」、現実の恋人や妻の印象を凌駕するようなイメージまで膨らむことがある、と。「このような夢の乙女の姿は、読書したり、絵画や彫刻を見たり、演劇やオペラに通ったりして培われたモデルからきている。これらのモデルへの憧れは、心身ともにステレオタイプ化した肖像となって表れ、またその感受性のありかたにも表れており、それ以上に、床を共にする女たちのところでは決して見出せないような決定的な美質に表れている。本書の目的はまさにここにあるのだ。すなわり、直接に性欲にうったえることなく恋心をかきたてるように導いた一連の紙上の乙女たちを選び出して、その姿を描き出すことである。/精神に占めるその存在感の大きさの順に、こうして選ばれた乙女たちを検討してゆきたい」(12頁)。


★またこうも書いています。「今日、彼女たちのおよぼした影響力を良く理解するのは難しいと思うので、夢の乙女たちの本質的な特性について詳述しなければならない。つまり私が語りたいのは、処女性のことである。残念ながら、かくも長い世紀にわたって重大であったこの概念について書かれた、新しい決定的な歴史は存在しない。そもそもからして、男たちの精神にあって、夢の乙女は処女であり、無傷で、護られているのだ。「すべての時代、すべての国の人びとは、処女性について素晴らしいという思いを抱いている」。フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンは1802年に書いている」(13~14頁)。小倉さんによる訳者解説によえば「コルバンのいう「夢の女」とは、美、慎ましさ、やさしさ、美徳、純潔をすべて備えた女であり、男たち、とりわけ青年たちが理想化し、時として天使のような相貌を付与してしまう女のことである。彼女にはしばしば男を寄せつけないような凛とした佇まいが漂い、その身体は男の欲望から隔離されているかのように守られている。聖母マリアがそうだったと言われるように、永遠の処女性を保持している女――それが「夢の女」ということになる。/西洋の歴史において、そのような女はいつ頃、どこにいたのか? 現実には、生身の人間としてはどこにも存在しなかったが、男たちの想像力――あるいは妄想――のなかでは古代から常に存在してきた」(193頁)。


★「古代神話に登場する月の女神アルテミス(ディアーナ)から、中世イタリアのダンテとペトラルカ、17世紀のシェイクスピア、18世紀のリチャードソンとゲーテ、19世紀のシャトーブリアンとネルヴァルを経て、20世紀のアラン=フルニエまで、時代と国(したがって言語)の多様性に配慮しながら、19人の「夢の女」たちの姿を描き出す」(194頁)。なお、同解説によれば、本書の原稿が版元に手渡されたのは、山田さんの逝去のわずか二日前だったそうです。小倉さんが「校正刷りに目を通し、若干の加筆修正を施し、訳注を追加した」とのこと。女性の性の商品化がしばしば問われるこんにちですが、コルバンが辿った崇拝の系譜は単純に商品化の歴史と同一視するわけにはいかないと思われます。異性の理想像を神聖化することにおいては、女性にとっての男性像というものも一方であるわけで、人文書だけでなく文学、コミック、アニメ、映画、写真集まで話題を広げると、男女の理想像をめぐる興味深いコーナーやフェアができそうです。


★なお、藤原書店さんの直近の注目情報が二つあります。ひとつは藤原良雄社長が今般、アカデミー・フランセーズより「2018年フランス語フランス文学顕揚賞(Prix du Rayonnement de la langue et de la littérature françaises)」を授与されるということ。もうひとつは9月に新雑誌『兜太 TOTA』が創刊されることです。新雑誌第1号の特集名は「金子兜太とは何者か」。筑紫磐井さんが編集長で、編集委員は、井口時男・伊東乾・坂本宮尾・中嶋鬼谷・橋本榮治・横澤放川・黒田杏子の各氏。黒田さんが(編集主幹)をおつとめになるとのことです。菊大判並製240頁、定価1,944円。寄稿予定者は誌名のリンク先でご確認いただけます。『環』(第Ⅰ期:2000年4月~2015年5月)の後に創刊される新雑誌であるだけに、どんな誌面になるのか、注目したいです。



★栗原康『菊とギロチン』はまもなく発売(7月11日頃)。瀬々敬久監督の映画作品「菊とギロチン」(7月7日よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開中)を、気鋭の政治学者・栗原康さんが評伝的小説として書き上げたもの。「菊とギロチン」の内容は同映画の公式サイトの解説によれば「物語の舞台は、大正末期、関東大震災直後の日本。混沌とした社会情勢の中、急速に不寛容な社会へとむかう時代。登場するのは、かつて実際に日本全国で興行されていた「女相撲」の一座と、実在したアナキスト・グループ「ギロチン社」の青年たち。女だという理由だけで困難な人生を生きざるを得なかった当時の女たちにとって、「強くなりたい」という願いを叶えられる唯一の場所だった女相撲の一座。様々な過去を背負った彼女たちが、少し頼りないが「社会を変えたい、弱い者も生きられる世の中にしたい」という大きな夢だけは持っている若者たちと運命的に出会う。立場は違えど、彼らの願いは「自由な世界に生きること」。次第に心を通わせていく彼らは、同じ夢を見て、それぞれの闘いに挑む――」というもの。





★栗原さんの本はその小説化ですが、版元ウェブサイトに掲載された原作者の瀬々監督のコメントが本書の輝きをもっとも端的に表現していると思います。曰く「脚本の書き直しをやっている時、栗原康さんの著作の数々を心震わせて読んだ。現代をアナキズム的生き方で切り拓こうとする彼の態度に勇気づけられたのだ。そして幸運にも遊撃的著作を書いてもらえることとなる。今回も栗原さんの文章は独特のいわば講談調とも呼ぶべき檄文で、映画『菊とギロチン』が見事なほどに栗原流の血沸き肉躍る菊ギロに読み替えられている。ノベライズとかそんな生易しいものではない。化学変化極まり爆破寸前の爆弾であり、脳天へズドーン小説なのだ。それに感化されてか、自分も思わず戦後史総ざらいの「その後の菊とギロチン」を書いてしまった。乞うご期待!」と。目次詳細や栗原さん自身のコメントは書名のリンク先をご覧ください。


★栗原さんの『菊とギロチン』の出だしはこうです。「人生はクソである。人糞じゃない、犬の糞だ。水洗便所できれいさっぱりとながされることなんてなく、道端にコロッコロしていて、ただただ侮蔑の目でみられるようなあのクソである。この物語は、そんなクソたちによる、クソたちのための、クソったれの人生だ。コロッコロしようぜ、クソくらえ。さあ、はじめよう」(13頁)。予告編にもある東出昌大さんが演じるギロチン社の中濱鐵が語る熱い言葉のくだりは小説ではこうです。「十勝川が腰をゆらしながら、中浜のまわりをまわりはじめた。ウヒョオ、エロいね! 気分上々の中浜は、十勝川にむかって自分の夢をかたりはじめた。「オレの夢はな、満州にいって自分たちだけの国をつくる。そこじゃなにもかも平等で、食うのも平等、はたらくのも平等、貧乏人もカネもちもいない。共存共栄の理想郷だ。」それをきいた十勝川は、わらいながらこういった。「ホントにできるのかい、そんな国。」そんなふたりを古田がジッとみつめている」(229頁)。


★また、予告編につながる別の場面。「花菊がちかづいてきて、こういった。「たいへんなんだよ・・・、十勝川が兵隊みたいな男たちにつれていかれて!」「ナニぃー!」中浜がおどろきの声をあげた。「しばられて、たたかれて・・・、血だらけで・・・。」そういって、花菊は涙をながした。それをきいて、中浜はもういてもたってもいられない。「どこだ! 花菊、つれていけ!」花菊がはしりだす。中浜がついていくが、古田がピクリともうごかない。それに気づいて、花菊が心配そうにたちどまった。てめえ、なにやってんだよと、中浜が檄をとばす。「大さん、いくぞぉ!」それでも古田は微動だにしない。「ダメだよ。オレみたいな男は、なにをやったってダメなんだ!」それをきいて、マジギレした中浜。きょうはじめて、本気でどなった。「バッカヤロォォー! 女ひとり、たすけられねえで、なにが革命だァ!」(267~268頁)。


★なお、映画公開と本書の刊行を記念して、以下の通りイベントが開催されます。


◎栗原康×瀬々敬久×小木戸利光「女相撲とアナキスト――社会に風穴を!」


日時:2018年7月15日(日)19:00~21:00 (18:30開場)
会場:本屋B&B(下北沢)
内容:著者の栗原康さん、瀬々敬久監督、大杉栄役の小木戸利光さんが激論!『菊とギロチン』を自主企画として三十年温め続け、ようやく公開まで漕ぎつけた瀬々敬久監督。本作を元にいまだかつていない破壊的評伝小説をかきあげた栗原康さん。映画の中で大杉栄を演じ観客に鮮烈なイメージを与えた小木戸利光さん。それぞれの立場から“菊ギロ”への思いを語っていただきます。震災、国粋主義、貧困、格差など、現代との共通性も感じられる『菊とギロチン』。観るならいましかねえ、読むならいましかねえ。トークイベント、来るならいましかねえ!


★『NO BOOK NO LIFE Editor's Selection』は、2014年に刊行された全国の書店員さんによるブックガイド『NO BOOK NO LIFE――全国の本屋さんが選んだ!僕たちに幸せをくれた307冊の本』の姉妹編で、今度は20社22名(フリーランス含む)の編集者が15のテーマごとに合計166冊を選んで紹介してくれます。さらに「編集者へのQ&A」として15本のコラムも散りばめられています。15のテーマとQ&Aの詳細については、書名のリンク先の「立ち読み」からご確認いただけます。選書テーマは、本の企画性やタイトル、装丁、取材力、独自性、刊行のタイミングなど様々な切り口があって、おそらく書店さんや読者にとって興味深いだけでなく、同業者もしくは出版社を目指す方にとっても参考になる一冊です。



★版元さんのウェブサイトには寄稿者22名の詳細がないようなので、以下に列記しておきます。敬称略にて失礼します。滑川弘樹(多聞堂)、奥川健太郎(三省堂)、三上丈晴(学研プラス)、小林みずほ(KADOKAWA)、天野潤平(ポプラ社)、小塩孝之(洋泉社)、川﨑優子(廣済堂出版)、石毛力哉(原書房)、宮崎博之(淡交社)、木瀬貴吉(ころから)、北島彩(地球丸)、小林えみ(堀之内出版)、古川聡彦(猿江商會)、出口富士子(ビーンズワークス)、安永則子(小さい書房)、鈴木収春(クラーケン)、中岡祐介(三輪舎)、成田希(星羊社)、㓛刀匠(立東舎)、中村徹(雷鳥社)、望月竜馬(雷鳥社)、谷口香織(フリーランス)。


★ブックガイドといえば、角川ソフィア文庫で5月に発売された松岡正剛さんの『千夜千冊エディション 本から本へ』『千夜千冊エディション デザイン知』が6月にははやばやと再版されています。取り上げられている本の書目は書名のリンク先に掲出されていますが、一部正確ではないので、「試し読みをする」の方をご確認いただいた方がいいです。個人的にツボだったのは、『本から本へ』では小川道明『棚の思想』(影書房、1990年)、『デザイン知』ではルネ・ユイグ『かたちと力』(潮出版社、1988年)です。


★松岡さんはリブロ黄金期の社長・小川道明さんの『棚の思想』をめぐって、こうコメントされています。「おもしろい書店というものは、さまざまな棚組みやフェアや組み替えに躍起になってとりくんでいるものだ。もしも、行きつけの書店にそういう雰囲気がないようなら、そういう書店にはいかない方がいい。〔…しかし…〕、ネット書店に頼っていたのでは感覚に磨きはかからない。ぜひとも本屋遊びをし、「棚の思想」を嗅ぎ分けたい」(217頁)。『棚の思想』は出版業界をめぐる小川さんのエッセイをまとめたもので、松岡さんの著書のように本の情報に満ちた編集哲学が開陳されているわけではありませんが、リブロの歴史を知る上では、田口久美子『書店風雲録』(ちくま文庫、2007年)、今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』(論創社、2010年)、中村文孝『リブロが本屋であったころ』(論創社、2011年)、辻山良雄『本屋、はじめました』(苦楽堂、2017年)などとともに必読文献と言えます。


★ユイグ『かたちと力』については松岡さんは「それにしても、こういう本、やっぱりぼくとスタッフで作ってみたかった」(51頁)と嘆息されています。テーマもヴィジュアルもすぐれているこの名著は古書価がさがりようがない素晴らしい本で、大げさに言えば本書が書斎にあるかどうかで蔵書世界が変容してしまう類の本です。長い間品切になっているのは出版文化にとって損失ですらあります。なお「千夜千冊エディション」は帯表4の情報によれば、今後、『文明の奥と底』『情報生命』『少年の憂鬱』『面影の日本』などが刊行予定となっています。


★『文藝 2018年秋季号』ではやはり、山本貴光さんの文芸時評「季評 文態百版」(第2回:2018年3月~5月)に注目。「膨大なデータを分類・整理して、活用できる状態にすること。とりわけ、文芸の歴史のなかに現在の状況を定期的に測定し、位置づけるという作業が必要だ〔…〕。まずは事実としてどのような作品がどこにあるか、それはどのようなものかということを見てとりやすくするのがよいだろう。肝心なことは、そうした膨大な材料を、人間の身の丈で把握しやすく表現し、操作しやすくすることだ。/いま私は無理を言っているかもしれない。だが、できる範囲でいいから、この場で観測を続け、少しずつ足場を広げながら、誰もが使える文芸のマップをつくりたいと念じている」(494頁)。こうした構想は研究者のみならず、出版社や書店、図書館にとっても有益なはずで、やめようにもやめられない重大な作業領域に山本さんは足を踏み入れられたのではないかという印象があります。


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★まもなく発売(7月9日)となる、ちくま学芸文庫の7月新刊に注目。



『20世紀の歴史――両極端の時代(下)』エリック・ホブズボーム著、大井由紀訳、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,900円、672頁、ISBN978-4-480-09867-2
『古代の鉄と神々』真弓常忠著、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,100円、272頁、ISBN978-4-480-09870-2
『餓死(うえじに)した英霊たち』藤原彰著、ちくま学芸文庫、2018年7月、本体1,100円、288頁、ISBN978-4-480-09875-7
『隊商都市』ミカエル・ロストフツェフ著、青柳正規訳、ちくま学芸文庫、本体1,200円、352頁、ISBN978-4-480-09878-8


★ホブズボーム『20世紀の歴史(下)』は文庫オリジナルの新訳版の完結篇。下巻は第Ⅱ部「黄金時代」の続きで第10章「社会革命――1945-90年」からはじまり、最終章となる第Ⅲ部「地滑り」第19章「新しいミレニアムに向けて」まで。巻末に読書案内、参考文献、索引など。ホブズボームは本書の最終章で私たちが生きる21世紀についてこう書いています。「新しい千年紀、人類の運命は公的な権能が復活できるか否かにかかっている」(576頁)。「歴史とは、他の多くの重要なことにもまして、人類の罪と愚行の記録である」(588頁)。「われわれが生きている世界は、著しい影響力をここ二、三世紀奮ってきた資本主義の発展というきわめて大きな経済的・科学技術的変化によって捕らえられ、根を奪われ、形が変わった世界である。それが永遠に続かないことはわかっている。少なくとも、そう思うのが合理的である。〔…〕いま、科学技術を用いる経済が生み出す力はあまりにも大きく、環境、つまり人間の生活を物質的に支えている基盤を破壊している。人間が住む社会の構造そのものが、資本主義経済を支える社会的基盤も含め、人類が過去から継承したものが蝕まれていくなかで、壊されようとしている。〔…〕そのような世界は、変わらねばならない」(589~590頁)。「もし人類に未来が与えられるとすれば、それは過去や現在を延長して可能になるのではない。そのつもりで第三千年紀を築こうとすれば、失敗するほかない。そしてその失敗の代償は、つまり、社会を変えることができなかった時に残るのは、暗闇である」(590頁)。


★真弓常忠『古代の鉄と神々』は、同名の親本(学生社、1985年;増補第三版、2012年)の文庫化。「『片葉の葦に生まれる鉄』の発見」は削除され、文庫版あとがきと上垣外憲一さんによる解説が付されています。上垣外さんは本書の論点の核心について次のように書いておられます。「日本の弥生時代には褐鉄鉱を原料とする「弥生製鉄」が存在したこと、そしてそれは、日本の地方の古い神社の祭祀から証明できるということである」。「本書の最初の刊行(昭和60年)が、五斗長垣内遺跡の発見(平成13年:2001年)にはるかに先行するものであることは、本書の先進性を物語って余りある。考古学が、真弓先生の祭祀学を後追いしているのである」。著者は宮司であると同時に大学教授も務めた研究者。初版に付された「はしがき」で著者はこう書いていました。「21世紀に向かって新しい文化の形成のために発想の転換が求められているとき、もっとも古く、もっとも保守的とみなされている神道の学問にたずさわるものよりする、新たな問題の提起であり、古代史研究における従来の方法とは異なったあらたな視点の提供である。いうならば闇に閉ざされた古代の謎を解くため、ここに一灯を掲げて博雅の万灯を待とうとするにほかならない」(7~8頁)。


★藤原彰『餓死した英霊たち』は2001年に青木書店より刊行された単行本の文庫化。巻末の特記によれば「文庫化に際しては、明らかな誤記を訂正した。そのほか、文脈を明らかにするために編集部による補注を施した箇所がある」とのことです。本書の目的については著者が巻頭の「はじめに」でこう述べています。「この戦争〔第二次世界大戦〕で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行為による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、餓死地獄の中での野垂れ死にだったのである。〔…〕戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦争の全体にわたって発生したことが、この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質を見ることができる。悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と特質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。そのことを死者に代わって告発したい。それが本書の目的である」(9~10頁)。一ノ瀬俊也さんは解説で次のように述べておられます。本書が明らかにしたのは「1937年に始まった日中戦争、41年に始まって45年まで続いた太平洋戦争の日本側戦死者230万人のうち、実に140万人の死因が文字通りの餓死と、栄養失調による戦病死、いわば広義の餓死の合数であったこと」であり、「2001年の刊行時、この数字は衝撃をもって社会に受け止められた。そして今日に至るまで、先の戦争の惨禍を語る際にはよく引用されている」と。軍人だった著者が敗戦後に研究者となり、晩年に執筆したのが本書でした。「本書を読む者は、戦争に対する著者の深い疑問と怒りが、いっけん淡々とした叙述の背後から立ち上ってくるのを感じ取るだろう」と一ノ瀬さんは評しておられます。また一ノ瀬さんは、かの戦争における飢えと病死の苦しみについての理解を深めるために、著者自身の遺著『中国戦線従軍記』(大月書店、2002年)の併読を薦められています。



★ロストフツェフ『隊商都市』は、1978年に新潮選書の一冊として刊行されたものの文庫化。1931年に刊行されたロシア語版から英訳された1932年の『Caravan Cities』の全訳ですが、底本となる英訳版は、著者自身による部分的書き直しや加筆を反映しているとのことです。文庫版訳者あとがきと、前田耕作さんによる文庫版解説「『隊商都市』多声と深さの復権」が新たに付されています。著者は「序」で「本書は1928年に書いた一連の紀行文を纏めたものである」と書いています。目次を列記しておくと、第一章「隊商貿易とその歴史」、第二章「ペトラ」、第三章「ジェラシュ」、第四章「パルミュラとドゥラ」、第五章「パルミュラの遺跡」、第六章「ドゥラの遺跡」。巻頭には訳者の青柳正規さんによる「隊商都市随想」が置かれています。「メソポタミア、エジプト、ギリシア、地中海、文明揺籃の地に囲まれキャラバン交易で反映した古代オリエント都市の遺跡に立ち、往時の繁栄に思いを馳せた紀行」(カバー表4紹介文)。


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「週刊金曜日」に荒木優太『仮説的偶然文学論』の書評

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「週刊金曜日」2018年7月6日号(1191号)の「きんようぶんか」欄に、弊社5月刊、荒木優太『仮説的偶然文学論』の書評「偶然のもたらす妙なる僥倖」が掲載されました。評者は批評家の高原到さんです。「一見雑多な〈触れ‐合い〉のさなかに著者が見出すのは、外部へと開かれた境界的な場所において、断片化された接触にときめく感性の、はかないが確かな煌めきだ。〔…〕寺田〔寅彦〕の称揚する「偶然」が、日本の風土というナショナリスティックな観念によって制御されていると論証する第九章では、テクストの「必然」を見透かす批評家の眼力に思わずうならされてしまう」と評していただきました。



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先週土曜日は、下北沢の本屋B&Bで荒木さんと吉川浩満さんによるトークセッション「クリナメンズ作戦会議」でした。皆様のご来場、ありがとうございました。お二人によって以下のような議論が提示されました。「偶然の出来事を運命だと認識させる装置として、古くは宗教があり、現代ではベネディクト・アンダーソンが指摘するようにナショナリズムがあるが、ジョン・ロールズは「愛」を強調する。しかし果たして愛は偶然を偶然のままにしておけるのだろうか(『仮説的偶然文学論』では中河与一の恋愛至上主義に論及)。偶然と運命を縫合してしまうのではなく、切開してその間に様々なグラデーションとスペクトルがあることを注意深く観察すべきではないか」(趣意)。会場からの質問では多宇宙論との関係性について問う声もあり、非常に興味深い一時でした。

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なお、来週の金曜日には代官山蔦屋書店で荒木さんと来場者が自由に語らうことのできる「人文カフェ」が開催されます。


◎第4回代官山人文カフェ:荒木優太「人生を左右しない偶然について考えよう」



日時:2018年7月20日(金)19:00~
場所:代官山蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース
問い合わせ先:電話03-3770-2525
料金:コーヒー1杯付イベント参加券(1,000円/税込)をご予約頂いた先着50名様に参加券をお渡しいたします。


内容:「代官山人文カフェ」人文書の様々なテーマについてコーヒーを片手に語り合い、いっしょに考える。話を聴いて新たな視点を得たり、思考を深める。第4回テーマは「人生を左右しない偶然について考えよう」。偶然の出会いや事故によって人生は劇的に変わる...のですが、それ以上に私たちの日常は何気ない偶然の連続でできあがってもいます。今朝の電車が少し遅れたのも偶然、昼間訪れたコンビニのバイトがいつもと違う青年に変わっていたのも偶然、いまあなたがこの文章を読んでいるのもきっと偶然。偶然偶然、偶然ばっかり。それになのに私たちは、ある偶然を「運命だ!」「奇跡だ!」と騒ぎ立てる一方で、そうではない偶然はまるで当たり前のことのように無視してすごします。この区別のメカニズムを、荒木優太さんは最新著『仮説的偶然文学論』のなかで「偶然のフィルタリング」と呼んでいます。そもそも偶然を表象するということはどういうことなのでしょう? ちょっと印象に残ってる偶然エピソードを胸に、ぜひお立ち寄りください。


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フェア棚「じんぶんや 川越」が紀伊國屋書店川越店に誕生

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2004年9月に紀伊國屋書店新宿本店で始まった「じんぶんや」というフェア棚の第1回に私も参加させていただいたことがありましたが、今般、堂書店の川越店人文書棚のリニューアルに伴い「じんぶんや 川越」が誕生したとのことです。その記念すべき第1回が開催中。弊社の本はフェアではおいていませんが、ご紹介します。


◎じんぶんや川越「ポスト・サブカル焼け跡派――T.V.O.D.が選ぶサブカル戦後史入門」


期間:2018年7月4日(水)~9月30日(日)
場所:紀伊國屋書店川越店2階人文書コーナー


概要:本フェアでは、T.V.O.D.のお二人に1970年代から2010年代(現代)までのサブカルチャーの変遷を解説していただきます。現在語られる「サブカル」は一体、どういう文脈を持つのか? そして、サブカルチャーの未来とは? T.V.O.D.による、約70冊の選書を通したサブカル戦後史入門講義の開講! 1万字におよぶ解説冊子も配布中。


T.V.O.D.(てぃーゔぃーおーでぃー):コメカ+パンスのテキストユニット。2017年、政治とサブカルチャーをごちゃまぜに語る場を作ろうと結成、ブログ「T.V.O.D.」 を開設する。現在は、北尾修一氏主宰の出版社「百万年書房」サイト内で「ポスト・サブカル焼け跡派」連載中。ほか、タブロイド・ジン「Making-Love Club」にも寄稿。5月にWWW/GALLERY X BY PARCOで開催された「THE M/ALL」では精神科医・香山リカさんと鼎談を行う。


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「図書新聞」にメニングハウス『生のなかば』の書評

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「図書新聞」(2018年7月21日付)に弊社1月刊、ヴィンフリート・メニングハウス『生のなかば――ヘルダーリン詩学にまつわる試論』(竹峰義和訳)の書評「すぐれた教師による「精読」の集中講義――ヘルダーリン詩学全体、そして同時代の思想へと開かれた一書」が掲載されました。評者は大谷大学文学部准教授の廣川智貴さんです。


「わずか14行の詩におよそ200頁の紙幅が費やされる。〔…〕メニングハウスは、韻律分析というきわめてオーソドックスな手法でテクストを分析し、隠された構造をあきらかにしようとする。さながら推理小説のような分析から見えてくるのは、ヘルダーリンの意外な一面である。〔…〕博識な著者に手引きされる読者は、きっと創作の現場に居合わせるような興奮を覚えるにちがいない」と評していただきました。


同書は「叢書・エクリチュールの冒険」の第10弾ですが、第11弾は8月刊、ステファヌ・マラルメ『詩集』柏倉康夫訳、となります。まもなく当ブログにて近刊告知を開始します。


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注目新刊:ついに刊行、イェーガー『パイデイア』、まず第Ⅰ~Ⅱ部収録の上巻から、ほか

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a0018105_00471094.jpg『何ものにも縛られないための政治学――権力の脱構成』栗原康著、角川書店、2018年7月、本体1,800円、四六判並製368頁、ISBN978-4-04-106125-1
『感性は感動しない――美術の見方、批評の作法』椹木野衣著、世界思想社:教養みらい選書、2018年7月、本体1,700円、4-6判並製208頁、ISBN978-4-7907-1713-3
『漢文研究法――中国学入門講義』狩野直喜著、狩野直禎校訂、平凡社:東洋文庫、2018年7月、本体2,900円、B6変判上製函入240頁、ISBN978-4-582-80890-2



★栗原康『何ものにも縛られないための政治学』はまもなく発売(20日頃)。栗原さんは先週、映画のノベライズである『菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』をタバブックスより上梓したばかりで、来月上旬には『狂い咲け、フリーダム――アナキズム・アンソロジー』をちくま文庫より発売予定でもあります。本作ではいきなり猿の自慰行為の話から始まります。続く第一章は著名な友人の異様な言動の紹介から。栗原節は健在という以上に進化しています。どんどん自由度を増し、リズムはますます小気味よく刻まれ、思考は猛烈に速く継起するようでいて、ちゃんと歌は聞こえています。


★「若者の未来のためだか、日本の未来のためだかしらないが、そんなもののために、わたしたちはいまやれること、いまやりたいとおもったことを犠牲にさせられてしまう。時間の奴隷になるのである。これが政治だ、動員だ。デモにいけばいくほど、ひとがたんなる数になってしまう。イヤだね」(34頁)。このあと富山での破天荒なデモ行進の話で盛り上がり、そこから社会契約の批判へと向かいます。クロポトキン、サーリンズ、グレーバーが召喚されますが、理論臭い話ではありません。社会契約の裏に隠された奴隷制なんてうんざりだ、という話。これが第一章です。


★著者自身による本書の主要ポイントの説明は以下の通りです。「いまの権力をぶちこわすためにっていって、その目的のために、ひとを動員しはじめたら、かならずあたらしい権力が構成されてしまう。あたらしい支配がうまれてしまう。だったら、あらゆる動員を拒否するしかない、権力の脱構成だってね。じゃあ、どうしたらいいか? 本書では、三つのやりかたを紹介してきた。(一)国家の廃絶:破壊とは創造の情熱である。(二)パルチザン:国家とは非対称なたたかいをしよう。(三)戦闘的退却主義:パルチザンシップを生きろ」(354~355頁)。しかし本書の本当の味わいは章ごとのディテールにあります。時代の閉塞感を突き抜けて、この世界の未聞の外側である混沌へと躍り出ていくさまは、『菊とギロチン』で主人公たちが目指したものでもあるように思えます。


★「あらゆる権力から離脱せよ。神と世界から離脱せよ。そして、さらにそのさきまで離脱してゆけ。目のまえには、カオス、カオス、カオス。そしてさらなるカオスだ、カオスしかねえ」(344頁)。「目的、動員、クソくらえ。あらゆる支配にファックユー。自由なんかぶっとばせ。アナキズムにもしばられるな。自発性だけで暴走しようぜ。がまんができない。さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」(354頁)。本書の最後には再び「さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」が繰り返されます(361頁)。見事に次の新刊、ちくま文庫へと繋がっています。


★椹木野衣『感性は感動しない』はシリーズ「教養みらい選書」の第3弾。「絵の見方、味わい方」「本の読み方、批評の書き方」「批評の根となる記憶と生活」の三部構成。ごく平易な言葉で書かれており、椹木さんの著書の中でもっとも取っつきやすい本になっているという印象があります。表題作「感性は感動しない」はもともと『世界思想』第39号「特集=感性について」(2012年春号)に寄稿されたもので、日本全国の国公私立大学25校の入試問題に使われたという話題作。「新潮45」の特集企画で、受験生と同じ条件で椹木さん自身が問題を解いたところ、半分しか正解できなかったという逸話つきの名編です。


★「私がこの本を通じて伝えたいことは、煎じつめて言えば、あなたにとっての世界が、まだ手つかずの未知の可能性の状態としてここにある、ということの神秘なのです。それを発見することができるのはあなただけだ、ということでもあります。絵を見たり文を書いたりすることは、ものを食べたり空気を吸ったりするのと違って、しなければそれで済んでしまうことです。しかし同時に、人生にとって無駄とも思えるそういう領域のなかに、私の言う神秘はひっそりと隠れていて、いつかしっかりと見つけられるのを待っているのです。/さあ、これからこの本を通じて、世界への新しい扉を開いてみて下さい。世界の入り口へと通じる扉は、実は一枚ではありません。その先にある隠し扉こそが、本当の扉なのです」(はじめに、v頁)。


★「感性など、みがこうとしないことだ。いま書いたとおり、感性とは「あなたがあなたであること」以外に根拠を置きようのないなにものかだ」(「感性は感動しない」7頁)。「本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、そのことに気づかない。気づこうとしない」(同9頁)。本書は様々な気付きを与えてくれる本ですが、その中には次のような言葉もあります。


★「いま私たちが使っている携帯やスマホのようなモバイルフォンの原型は、もともと軍事用の連絡装置で、戦場で一刻も早く情報を共有するため、とくに湾岸戦争のときに広く投入され、実践でその精度が高められたものなのです。そんな代物を日常で使うというのは、日常を準戦時下の心理に置くことになります。LINEなどのやりとりですぐに返事がこないと言って一喜一憂するのは、言ってみれば兵士の心理なのです。ただし作戦には終了がありますが、日常に終わりはありません。そんな兵士の心理を終わりなく続けていたら、やがて疲れ果て、心身のバランスを失調してしまってもまったく不思議ではありません」(116頁)。


★携帯電話以前の時代を自分なりに思い出してみると、手紙のやりとりは一ヶ月に一往復がせいぜいだった気がしますが、それなりに時候の挨拶から前段、本文から末筆まで分量がありました。Eメールでは当日中に返信しないと遅くなって文章も簡潔になり、LINEになるともっと早く短くなっていると思います。この即時性と短文化が何かしらの影響を思考や感性に与えているとしても不思議ではないのかもしれません。ちなみに、本書の刊行を記念して来週、以下のトークイベントが行なわれます。


◎椹木野衣×伊藤ガビン「ゆる硬トーク アート人生リミックス祭り」



日時:2018年7月23日(月)20:00~
場所:本屋B&B(下北沢)
料金:前売1,500円+1 drink order|当日店頭2,000円+1 drink order


内容:会田誠、村上隆ら現在のアート界を牽引する才能をいち早く見抜き、発掘してきた美術批評家・椹木野衣さん。初のエッセイ集『感性は感動しない』(世界思想社)で、絵の見方と批評の作法を伝授し、批評の根となる人生を描いています。大学時代にプロのレッスンを受けていたほど音楽にのめり込んでいたことも明かされています。本屋B&Bでは、本書の刊行を記念したトークイベントを開催します。お相手は、伊藤ガビンさん。世界初の音ゲー(音に合わせて遊ぶゲーム)「パラッパラッパー」やドラえもん全巻レビューなど、斬新な発想で人を驚かせる企画をかたちにし続けています。「コップのフチ子」のタナカカツキさんのDVDや展覧会のプロデュースも。硬派な美術批評家と脱臼系クリエイターという異色の組み合わせですが、90年代にクラブカルチャーマガジン『REMIX』の発行元株式会社アウトバーンをともに立ち上げ、伝説のクラブ芝浦ゴールドで夜な夜な朝まで踊りあかした仲。作品の本質の見抜き方から創作者としての生き方まで、縦横無尽に語り尽くす夜祭りトークショー。ぜひ現場でこの一瞬を全身で感じてください。


★狩野直喜『漢文研究法』は東洋文庫第890番。帯文はこうです。「内藤湖南と並ぶ京大東洋学の創始者、狩野直喜。本書は彼がほぼ百年前におこなった一般向け講義を嫡孫が書物にしたもの。文学・史学・哲学・地理等を総合する、不朽の中国学入門書」。表題作である「漢文研究法」全5講、さらに「経史子概要」「漢文釈例」、そして狩野直禎による解説が収められています。凡例や目次を参照すると、本書はみすず書房より1979年に刊行された単行本の翻刻であり、旧字体を新字体にあらため、古勝隆一さんによる補注と巻末解題「『漢文研究法』を読む」が加えられています。副題は編集部の判断で新たに付したもの。東洋文庫の次回配本は8月、『周作人読書雑記4』とのことです。


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★また、ここ二か月ほどでは以下の書目に注目しました。


『パイデイア――ギリシアにおける人間形成(上)』W・イェーガー著、曽田長人訳、知泉書館:知泉学術叢書、2018年7月、本体6,500円、新書判上製864頁、ISBN978-4-86285-276-2
『パイドロス』プラトン著、脇條靖弘訳、京都大学学術出版会:西洋古典叢書、2018年7月、本体3,200円、四六変上製288頁、ISBN978-4-8140-01712
『模倣と他者性――感覚における特有の歴史』マイケル・タウシグ著、井村俊義訳、水声社:人類学の転回、本体4,000円、四六判上製412頁、ISBN978-4-8010-0349-1
『変成譜――中世神仏習合の世界』山本ひろ子著、講談社学術文庫、2018年7月、本体1,460円、464頁、ISBN978-4-06-512461-1
『科学者と世界平和』アルバート・アインシュタイン著、井上健訳、佐藤優/筒井泉解説、講談社学術文庫、2018年7月、本体680円、160頁、ISBN978-4-06-512434-5
『仕事としての学問 仕事としての政治』マックス・ウェーバー著、野口雅弘訳、講談社学術文庫、2018年7月、本体880円、232頁、ISBN978-4-06-512219-8
『社会学的方法の規準』エミール・デュルケーム著、菊谷和宏訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体950円、264頁、ISBN978-4-06-511846-7
『意識と自己』アントニオ・ダマシオ著、田中三彦訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体1,480円、448頁、ISBN978-4-06-512072-9



★イェーガー『パイデイア』上巻は、同書全3部のうち、第Ⅰ部「初期のギリシア」と第Ⅱ部「アッティカ精神の絶頂と危機」を収録(原著初版は1934年)。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。巻末の訳者解説によれば、第Ⅲ部は続刊予定の下巻で全訳されるとのこと。底本はドイツ語の合本版(1973年)の写真製版による復刻版(1989年)。「本書の題名である「パイデイア」とは、元来、子供の教育、後には教育一般、教養、文化などを意味するに至った古代ギリシア語である。この言葉は前4世紀のプラトン、イソクラテス、特にヘレニズム、ローマ帝政期の著作において重要な役割を果たすに至った。イェーガーは『パイデイア』において、この概念が人口に膾炙する時代よりもはるか前の時代に遡り、古代ギリシアにおける教育の精神史的な展開を、主に市場や哲学、国家や共同体とのかかわりに注目することによって明らかにしている。同書の考察の範囲は、時代的にはホメロスからデモステネスに至るほぼ数百年、ジャンル的には文学、哲学、歴史、宗教、医学、政治、法学、経済その他の領域まで及ぶ」(解説、715頁)。名のみ高く一般読者には手の届かなかった古典的大冊がついに日本語で読めるようになったのは、2018年の人文書における壮挙の一つと言えるのではないでしょうか。


★なお関連書としては、イェーガー自身の死去の前年である1960年のハーバード大学での講演録である『初期キリスト教とパイデイア』(野町啓訳、筑摩書房:筑摩叢書、1964年、絶版)があります。同書の訳者あとがきによればこの本は「序文からの明らかなように、より膨大な形でまとめられ、大著『パイデイア』の最終巻となるべきはずのものであり、そのひな形の役をはたすべきものであった」とのことです。イェーガーの序文は、自身の年齢による限界を自覚しつつも、なおも一歩進み、研究の燈火を掲げようとする意志を示しており、感動的ですらあります。


★プラトン『パイドロス』は、先月発売されたプルタルコス『モラリア4』に続く「西洋古典叢書2018」全6巻の第2回配本。同叢書でのプラトン新訳はこれで5点目。「恋(エロース)の賛否を手掛かりに、魂不死説・魂三区分説・想起説などプラトンの主要思想の宇宙的規模での展開を通じて、最終的に「本当の弁論術」とは何がが探求される。著者の作品内で初めて、自己運動者としての魂という後期に受け継がれる考えが提示される一方、中期の特徴をなすイデア論が積極的に表明される最後の作品という点でも興味深い位置を占めている」(カバー表4紹介文より)。付属する「月報134」には早瀬篤さんによる「学問の誕生を告知する『パイドロス』」と、連載「西洋古典雑録集(8)』(國方栄二さん担当)が収録。次回配本はクイントス・スミュルナイオス『ホメロス後日譚』とのことです。


★タウシグ『模倣と他者性』は、叢書「人類学の転回」の最新刊。『Mimesis and Alterity: A Particular History of the Senses』(Routledge, 1993)の全訳。オーストラリア生まれで、現在、コロンビア大学教授をつとめる文化人類学者タウシグ(Michael Taussig, 1940-)の著書の翻訳は、同叢書の既刊『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(金子遊ほか訳、水声社、2016年)に続くもの。「文化相対主義はここでは選択肢でないのは明らかである(「彼らの信じたいものを信じさせておきなさい、そして私たちは自分が信じたいものを信じよう」)。なぜなら、さまざまな反応はお互いに深く関係し合っているからである。すなわち、それぞれの反応は、それら「自身の文化的コンテクスト」と私たちがかつて呼んでいたものと「関係している」以上に、お互いに「関係しているからである」(350~351頁)。「技術的に複製されたイメージでできた世界のスクリーンに映る粉々に砕け散った他者性が放つ次々と流れ去ってゆくわずかな兆候以外に、もはや「コンテクスト」が存在しない〔…〕。この世界では、引用された発言や残像のようなわずかな兆候こそが、行為が存在する場所である」(351頁)。「境界線は溶解し、かつて分断されていた土地土地を覆うように拡大し、すべての土地は境界地帯となる」(同)。



★「私が提案してきたように、もし模倣を、文化が第二の自然を作り出すために使う自然なのだと考えることが有効なのであれば、いまの現状は、この名高い第二の自然は沈没しかかり、非常に不安定である。自然と文化のあいだ、本質主義と構築主義のあいだで右往左往しつつも――あらゆる場所で今日証明されているように、民族的な政治意識の高まりから人工的に作られたものの楽しみに至るまで、次々に新しいアイデンティティーが紡がれて実体となっている――模倣の能力は劇的に新しい可能性のすぐそばにいることに気づかされる」(356頁)。四半世紀前の本ですが、現代人の置かれている状況を考える上で、ベンヤミンを再読する上でも示唆的な内容ではないかと感じます。


★講談社学術文庫の7月新刊より3点。山本ひろ子『変成譜』は春秋社より1993年に刊行された単行本の文庫化。あとがきによれば「「一部直しを入れ、読みやすくし」、「誤記・遺漏が細やかに訂正され、付録の「大神楽次第対照表」の一部も整理・修正」したとのことで、著者は「ただの復刊ではなく、よみがえったといえる」と述懐されています。なお、来年度に春秋社より摩多羅神についての単著を上梓されるそうで、「その最終章は、『変成譜』第二章「大神楽「浄土入り」」の続編、展開版」だとのことです。


★アインシュタイン『科学者と世界平和』は巻末の特記によれば「『世界の名著』66(湯川秀樹・井上健責任編集、中央公論社、1970年)所収の「科学者と世界平和」「物理学と実在」を底本としています。講談社学術文庫に収録するにあたり、新たに佐藤優「アインシュタイン『公開書簡』解説」、筒井泉「『物理学と実在』解説」を付加しました」とのこと「科学者と世界平和」は、国連総会へのアインシュタインの公開状、アインシュタインに対するソ連の科学者たち4名(ヴァヴィロフ、フルムキン、ヨッフェ、セミィヨノフ)による公開状、そしてそれに対するアインシュタインの返事、の3篇から成ります。帯には「〈文明最大の問題についての対話〉シリーズ第二弾」とあります。一昨年に同文庫から発売されたアインシュタインとフロイトの往復書簡『ひとはなぜ戦争をするのか』が第一弾ということだろうと思います。



★ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』は文庫オリジナルの新訳。高名な講演であるこの二篇が一冊にまとめられるのは文庫としては初めてです。コミック版ではイースト・プレスの文庫シリーズ「まんがで読破」で『職業としての学問・政治』として2013年に発売され、近年での単行本新訳では中山元訳『職業としての政治 職業としての学問』が日経BP社の日経BPクラシックスの1冊として2009年に発売されていました。定番である岩波文庫では別々の本として刊行されています。今回の新訳本の訳者あとがきによれば「2019年は「仕事としての政治」の講演から100年にあたり、2020年はマックス・ウェーバー没後100年ということになる」とあります。


★最後に講談社学術文庫の6月新刊より2点。デュルケーム『社会学的方法の規準』は学術文庫のための新訳。原著は1895年刊、底本はPUFのカドリージュ叢書第14版(2013年)ですが、フランソワ・デュベの序文が訳出されていません。既訳文庫には宮島喬訳(岩波文庫、1978年)があります。基準ではなく規準(règles)であることに注意。ダマシオ『意識と自己』は、『無意識の脳――自己意識の脳』(講談社、2003年)の文庫化。原著は『The Feeling of What Happens: Bodyh and Emotion in the Making of Consciousness』(Harcourt Brace & Company, 1999)。訳文を見直したことが巻末の訳者解説に記されています。両書とも目次は書名のリンク先でご確認いただけます。


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8月上旬発売予定新刊:マラルメ『詩集』柏倉康夫訳

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2018年8月10日取次搬入予定 *外国文学・フランス詩

詩集
ステファヌ・マラルメ著 柏倉康夫訳
月曜社 2018年8月 本体:2,200円 B6変型判並製176頁 ISBN: 978-4-86503-056-3

アマゾン・ジャパンにて予約受付中

ステファヌ・マラルメの死の一年後に刊行された『詩集』(エドモン・ドゥマン書店、1899年刊)収録の全49篇の詩と、マラルメ自身による書誌解題の新訳。「ユリイカ」誌連載、青土社電子版、限定私家版を経て、最新改訂普及版がここに成る。『詩集』の初版本や石版刷、組見本、マラルメの肖像、名刺や封筒に書かれた四行詩など、訳者秘蔵品を含む貴重な写真8点を併載。多年に及ぶ研究の画期を為す「理解可能なマラルメ」の提示。【叢書・エクリチュールの冒険:第11回配本】
ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842-1898):19世紀のフランス象徴詩を代表する詩人。若くしてボードレールとエドガー・アラン・ポーに魅せられて詩作をはじめ、地方の高等中学校の英語教師をしながら創作に没頭するが、「詩とは何か」という根源的な問いに苦しみ、精神的・肉体的な危機に見舞われた。1871年パリに出て以後は交友関係も広がり、「牧神の午後」や「エロディアード」など代表作となる絶唱を生み出した。ローマ通りのアパルトマンの食堂兼サロンに、毎週火曜日に内外の文学者、画家、音楽家たちが集うようになり、マラルメの談話は彼らに多大な感銘を与えた。その芸術論は今日なお広い分野で影響を及ぼしている。
柏倉康夫(かしわくら・やすお、1939-):東京大学文学部フランス文学科卒業。NHKパリ特派員、解説主幹の後、京都大学文学研究科教授を経て、放送大学教授、副学長、図書館長、現在同大学名誉教授。京都大学博士(文学)。フランス国家功労勲章叙勲。ジャーナリズムでの仕事のかたわら、原典批判に基づくマラルメ研究を続けてきた。マラルメに関する著訳書に、『マラルメ探し』、『生成するマラルメ』(以上、青土社)、『マラルメの火曜会』(丸善出版)、ネクトゥ編『牧神の午後~マラルメ、ドビュッシー、ニジンスキー~』(平凡社)、J・L・ステンメッツ『マラルメ伝』(共訳、筑摩書房)、『マラルメの「大鴉」』(臨川書店)、モレル編『S・マラルメ:賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう』、G・ミラン『マラルメの火曜会~神話と現実~』(以上、行路社)など。
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