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ブックツリー「哲学読書室」に堀千晶さん、坂本尚志さん、奥野克巳さんの選書リストが追加されました

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オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、以下の三本が追加されました。リンク先にてご覧いただけます。
ジル・ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介――冷淡なものと残酷なもの』(河出文庫、2018年1月)の訳者、堀千晶さんによるコメント付き選書リスト「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流」『バカロレア幸福論――フランスの高校生に学ぶ哲学的思考のレッスン』(星海社新書、2018年2月)の著者、坂本尚志さんによるコメント付き選書リスト「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える」『Lexicon現代人類学』(以文社、2018年2月)の共編著者、奥野克巳さんによるコメント付き選書リスト「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る」
◎哲学読書室星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる」
國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!」
近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える」
上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想」
篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている」
渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために」
西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える」
岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?」
金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す」
藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について」
吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」
高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも」
杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」
河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在」
岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流」
吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ」
明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書」
相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する」
権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!」
河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」
百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える」
津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために」


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「週刊読書人」に『多様体1』の書評

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「週刊読書人」2018年4月13日号に『多様体1』の書評「現代日本の思想誌の最良の命脈を継承」が掲載されました。評者は新潟大学准教授の宮﨑裕助さんです。第1号の特集や連載についてだけでなく、弊社既刊書や編集担当にまで目配りしてご紹介下さいました。過分なお言葉を頂戴しましたが、今後いっそう励みたいと思っております。宮﨑先生、ありがとうございました。


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注目新刊:『思想』ボリス・グロイス特集号、『現代思想』現代思想の316冊特集号、など

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弊社出版物でお世話になっている著訳者の皆さんの最近のご活躍をご紹介します。


★星野太さん(著書:『崇高の修辞学』)
★加治屋健司さん(共訳:ボワ/クラウス『アンフォルム』)
岩波書店さんの月刊誌「思想」2018年第4号(特集「ボリス・グロイス――コンテンポラリー・アートと批評」)に、論文をお寄せになっています。星野さんの論文「〈生きている〉とはどういうことか――ボリス・グロイスにおける「生の哲学」」(72~86頁)は、はじめに、1:生の哲学、2:生を物語ること――ドキュメンテーション、3:生を導き入れること――インスタレーション、4:生を解放すること――セオリーとミュージアム、という全4節構成。一方、加治屋さんの論文「グロイスにおける芸術の制度と戦後日本美術」は(87~99頁)は、はじめに、一:グロイスの制度論、二:戦後日本美術をどう捉えるか、三:変化する現代日本の美術、四:二つのソーシャリー・エンゲージド・アート、おわりに、の全四節校正。


なお、星野さんはまもなく発売となる表象文化論学会の「表象12:展示空間のシアトリカリティ」において、ボリス・グロイスの論考「インスタレーションの政治学」(66~79頁)の共訳を担当されているとともに、特集冒頭のイントロダクション(14~17頁)や、共同討議「越境するパフォーマンス――美術館と劇場の狭間で」の司会を担当されています。ちなみに同号では星野さんの昨春の著書『崇高の修辞学』(月曜社、2017年)に対する谷川渥さんによる書評「修辞学的崇高の新しい地平」(244~247頁)も掲載されています。


★岡本源太さん(著書:『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』)
青土社さんの月刊誌「現代思想」の2018年4月号(特集「現代思想の316冊――ブックガイド2018」で、美学欄を担当され、「美学の今世紀」(134~140頁)というブックガイドを寄せておられます。一:感覚、自然――感性の脱人間化、二:身振り、関係性――美的文明での生存、三:言葉、イメージ――普遍性の構成、という立て分けの中で20点以上の書籍に言及されています。


★中山元さん(訳書:ブランショ『書物の不在』)
光文社古典新訳文庫の今月(2018年4月)新刊として、ハイデガー『存在と時間』(全8巻)の第4巻を上梓されました。帯文に曰く「現存在の「頽落」とはなにか? わたしたちの〈気分〉を哲学する画期的な思想」と。第一部第一篇第五章「内存在そのもの」の第28節「内存在を主題とした分析の課題」から第38節「頽落と被投性」までを訳出し、後半は長大な解説となっています。同文庫での『存在と時間』新訳の特徴は訳文と読解をドッキングさせた点にあり、全8巻というのは各社文庫版の中では最大規模になります。


★舞台芸術研究センター(発行:『舞台芸術』第一期全十巻)
京都造形芸術大学舞台芸術研究センターの機関誌『舞台芸術』の第四期第21号が刊行されました。特集は「アーカイヴを「批評」する――「記録」の創造的な活用のために」です。特集扉頁には「舞台芸術における「映像・音声記録(アーカイヴ)」の問題を考えること。それは、とりもなおさず、「映像・音声」というメディアを介して、「舞台芸術」というジャンルの本質を問うことに通じているのではないか。この特集は、ひとえにそうした観点から構想されている」等々と記載されています。目次は号数のリンク先でご確認いただけます。


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取次搬入日決定:『表象12:展示空間のシアトリカリティ』

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『表象12:展示空間のシアトリカリティ』(表象文化論学会発行、月曜社発売)の取次搬入日が決定しました。日販、大阪屋栗田、トーハン、いずれも4月23日(月)予定です。書店店頭には25日頃から順次並び始める予定です。どうぞよろしくお願いいたします。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。
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注目新刊:ヤコービ『スピノザの学説に関する書簡』知泉書館、ほか

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『スピノザの学説に関する書簡』F.H.ヤコービ著、田中光訳、知泉書館、2018年4月、本体7,000円、A5判上製496頁、ISBN978-4-86285-273-1
『自叙伝』マリア・ヴァルトルタ著、殿村直子訳、春秋社、2018年4月、本体5,000円、四六判上製581頁、ISBN978-4-393-21713-9
『議論して何になるのか――ナショナル・アイデンティティ、イスラエル、68年5月、コミュニズム』アラン・バディウ/アラン・フィンケルクロート著、的場寿光/杉浦順子訳、水声社、2018年4月、本体2,800円、四六判上製211頁、ISBN978-4-8010-0333-0



★ヤコービ『スピノザの学説に関する書簡』は初版が1785年に刊行された『Über die Lehre des Spinoza』の第三版(1819年刊のヤコービ著作集第四巻に収録)の翻訳で、凡例によれば「巻頭のケッペンの読者宛ての文と「メンデルスゾーンの非難に抗して」は割愛した」とあります。訳文は『モルフォロギア』に20年来掲載してきたものが元になっているとのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。周知の通り「汎神論論争(スピノザ論争)」のきっかけとなった高名な古典であり、ヤコービがユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn, 1729-1786)に対して送った書簡集が中心となっています。


★また巻末には、各版の異同情報を記した「『スピノザ書簡』第三版と第一版・第二版との異同について」、訳者による解説「ヤコービの生涯と著作」(363~426頁)や、ヤコービ年譜、文献表、索引(人名・事項・文献)と充実しています。


★巻頭の「日本語版への序言」はヤコービ研究の第一人者ビルギッド・ザントカウレン教授(ボーフム大学)が寄稿されたものです。彼女が「時代の影の実力者」(ix頁)と評した哲学者ヤコービ(Friedrich Heinrich Jacobi, 1743-1819)は「一人でスピノザを研究し、ゲーテの時代で一番スピノザを理解していた人」(訳者あとがき)で、当時カントの論敵として名高かったはずのメンデルスゾーンに対して、憶することなくスピノザ哲学への理解度について論難しています。二人の共通の友人にレッシングがいたわけですが、レッシングの死去によって論争がもたらされることになり、「ドイツの知識人は〔…〕根底から震撼させられ」たといいます(「日本語版への序文」viii頁)。


★ヤコービによるスピノザ理解は第Ⅰ部「スピノザの学説に関する書簡」内の「スピノザの学説に関して」でまとめられているテクストのうち、特に「六 スピノザの学説の第二の叙述」と「七 スピノザ主義に関する六つの命題」に端的に表れています。前者にはヤコービ自身が「この説明に私の精神の力すべてを傾け、その際いかなる苦労も忍耐も厭わないと固く決心し」た(155頁)と書いた44項目のテーゼが含まれています。訳者による「ヤコービの生涯と著作」で二度にわたり惹かれているテーゼ39が印象的です。以下に引用します。


★「すべての個物は互いを前提とし、また互いに関係しあっている。したがって、どの個物も残りすべての個物なしでは、またすべての他の個物もおのれ以外の個物なしでは存在することも、考えることもできない。すなわち、すべての個物は協力して一つの切り離すことのできない全体を形づくっている。〔…〕」(163頁)。また、「人間の拘束性と自由についての予備的命題」にはこうも書かれています。「私たちに知られているすべての個々の事物の存在の可能性は、他の事物との共存に支えられ、関係している。したがって私たちはそれ自体で存立している有限な存在者を思い描くことはできない」(47頁)。


★「ドイツ古典哲学にとっても、近代哲学全体にとっても一つの新しい時代」(「日本語版への序文」viii頁)への導入となった本書の翻訳をきっかけに、ヤコービが日本においても再発見されることになるのではないかと感じます。


★次にヴァルトルタ『自叙伝』は、彼女の著書『私に啓示された福音』などの訳書を刊行してきた天使館から当初は刊行予定だったもの。ヴァルトルタ(ワルトルタとも:Maria Valtorta, 1897-1961)はイタリアの霊視者であり見神家。イエス・キリストの生涯や聖母マリアの言葉を病床に寝たきりの状態で霊的に見聞きしたままに書き写した122冊のノート(1943~1951年)によって有名です。聴罪司祭の勧めによってその直前まで書いていたのがこの『自叙伝』(1943年)であり、ヴァルトルタが歩んできた苦難の半生が綴られています。目次は以下の通りです。



はじめに
第一章 育児放棄〔ネグレクト〕する母のもとで
第二章 父の悲しみ、寄宿学校にて
第三章 フィレンツェ、従姉と叔父
第四章 一九三〇年の夏
第五章 超霊的な至福
第六章 寝たきりの日々
第七章 父の死
編集者後記(エミリオ・ピザーニ)
訳者あとがき
写真


★巻末の写真は、著者の生涯を振り返るアルバムです。ヴァルトルタの著作はこれまでにあかし書房よりフェデリコ・バルバロ神父(Federico Barbaro, 1913-1996)によって抜粋訳が10冊出版されており、天使館から『私に啓示された福音』全10巻が全訳で刊行中ですが、『自叙伝』の翻訳は初めてです。ヴァルトルタはこう書きます。「私の人生にこんなにも悲しみがあり、希望がことごとく壊され、愛情面でことごとく失望させられ、孤独が日増しに大きくなって、完全に私を取り囲むのも、すべては神によって特別に意図されたものだったのです。神は木である私の葉を全部刈り込み、枝を全部切り取られますが、それは私が神の庭で大きくたくましく育つためだったのです。私の神は排他的な愛をお望みで、私を神だけのものと定められ、私が神だけに慰めを求めるしかなくなるように、私からすべてを取り上げられたのでした」(163頁)。血涙を絞るような本書での告白と、一切が(他宗教すらも)収斂していく中心としての神への愛は、122冊のノートへと結実するものの「蕾の徴〔しるし〕」(ピザーニ)として読むことができると思われます。


★続いて、バディウとフィンケルクロートの対談本『議論して何になるのか』は、『L'explication : Conversation avec Aude Lancelin』(Éditions Lignes, 2010)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者あとがきによれば、本書は「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌の文化・思想欄を担当するジャーナリストであるオード・ランスランの提案によって2009年12月17日と2010年2月16日に行われた、バディウとフィンケルクロートの討論を収録したもの。ランスランは序章で次のように綴っています。



★「バディウとフィンケルクロートは、時代のまさに要諦をなす、根本的に相反するふたつの視点である。このふたつの固有名は、今日コランスで激しく争うことが明確に定められた、知的な両氏族にとっての戦時名として響いている。2009年12月21日号の「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌上に掲載された対談に際して、彼らが初めて向かい合ったとき、両者ともに敵と対面するというこの単純な事実ゆえにもっとも熱狂的な仲間たちから激しく批判された。それでも彼らの仲間たちは出版された雑誌を目にするや、すぐさま胸を撫で下ろした。恐れていたハッピー・エンドが訪れることはない。緊張に満ち、火花散るような、時に激昂しさえもする雰囲気が誌面を貫いていたからだ。それは通常の討論とは明らかに異なるが、その後に含まれる、口語的な、ほとんど具体的な意味での、まさに「口論〔エクスプリカスィオン〕」であった」(10~11頁)。


★「バディウと私が現実と見なしていることが、同じではないということです。われわれは現実についての同じ思考を共有していません」(60頁)とフィンケルクロートが吐露しているような、二者の討論が生む隔たりは、そのまま読者の思考の幅を広げてくれる梃子になっているように感じます。フランス人の話だと切って捨てることのできない切迫性を日本の読者も実感できるのではないかと思われます。


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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。


『被抑圧者の教育学 50周年記念版』パウロ・フレイレ著、三砂ちづる訳、亜紀書房、2018年4月、本体2,600円、四六判上製408頁、ISBN978-4-7505-1545-8
『熊楠と猫』南方熊楠/杉山和也/志村真幸/岸本昌也/伊藤慎吾著、共和国、2018年4月、本体2,300円、A5変型判上製176頁、ISBN978-4-907986-36-0
『ねみみにみみず』東江一紀著、越前敏弥編、作品社、2018年4月、本体1,800円、46判並製258頁、ISBN978-4-86182-697-9
『エンジニアリング・デザインの教科書』別府俊幸著、平凡社、2018年4月、本体3,200円、A5判並製256頁、ISBN978-4-582-53225-8
『現代思想2018年5月臨時増刊号 総特集=石牟礼道子』青土社、2018年4月、本体1,500円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1363-9



★フレイレ『被抑圧者の教育学 50周年記念版』は、ポルトガル語版『Pedagogia do Oprimido』(Paz e Terra社、2005年刊、第46版)を翻訳した旧版『新訳 被抑圧者の教育学』(亜紀書房、2011年)に、先月(2018年3月)にBloomsbury Academicより刊行された50周年記念英訳版『Pedagogy of the Oppressed』で新たに追加された、ドナルド・ナセドによる「50周年記念版へのまえがき」と、アイラ・ショアによるあとがき「闘いはつづく」と、「同時代の学者たちへのインタヴュー」を訳出して併載したものです。インタヴューに登場する人々は以下の通り。マリナ・アパリシオ・バーベラン、ノーム・チョムスキー、グスタボ・E・フィッシュマン、ラモン・フレチャ、ロナルド・デービッド・グラス、バレリー・キンロック、ピーター・メイヨー、ピーター・マクラーレン、マーゴ・オカザワ・レイ、以上9名。80頁以上の増量にもかかわらず本体価格はわずか100円の値上げです。英語版からの旧々訳が1979年に刊行されて以来長らく読み継がれている名著であるだけに、今回の再刊は実に嬉しい知らせです。



★『熊楠と猫』は杉山和也さんによる「はじめに」によれば、「熊楠自筆の日記や書簡に見える熊楠と猫とのエピソードを紹介」し、熊楠が「猫を学術的な観点からはどのように捉えていたのか、ということについても詳しく解説」したもので、「熊楠自慢の猫の絵(自筆)を多数、紹介して」もいると言います。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。「猫と南方熊楠。自由で不思議な生き物と自由に不思議を究める人間の関係についての本なんて。読みたいに決まっているやんけざますじゃん。」という、町田康さんの帯文が素敵です。よく見ると帯文の町田さんの名前が、カバーの書名に次ぐ大きさで組まれていて、ものすごい誘引力を放っています。巻末には参考資料として年表「熊楠と猫のあゆみ」や「猫に関する〔熊楠の〕論考一覧」などもあって、共和国さんならではの、楽しみが満載されていると同時に資料価値の高い一冊となっています。


★東江一紀『ねみみにみみず』は、2014年に逝去した翻訳家が「多忙をきわめた翻訳作業の合間を縫って、数えきれないほどの達意のエッセイや雑文を書いた〔・・・〕それらのエッセイを一冊にまとめ」たもの(編者後記より)。目次は書名のリンク先でご覧になれます。「たとえあなたがなんだこりゃと思ったとしても、これは間違いなく本書の内容目次である」という注意書きがあるのが楽しいですね。編者の越前さん東江さんの文章を「軽妙洒脱」と評しておられますが、本書はまさにそのものが味わえる魅力的な本で、読者が読み終わる頃には東江さんのことがすっかり好きになってしまうことでしょう。書名の由来は越前さんの編者後記で明かされています。目次や奥付の後に配置されている東江さんの「名刺」の数々も洒落が効いていてついつい笑ってしまいます(何のことを言っているのかはぜひ店頭でご確認下さい)。編者さんと編集者さんの東江愛を感じる素敵な一書です。


★別府俊幸『エンジニアリング・デザインの教科書』は帯文に曰く「顧客価値を作り出せ! 未来のビジネスとモノづくりのために! 日本製品デザインのノウハウがここにある」と。本書は以下の8章から成ります。1.デザインとエンジニアリング、2.クライアント要求を説き明かす、3.デザインに必要な情報、4.デザイン案を考える、5.エンジニアリング・デザイン・プロセス、6.アイデアより設計情報へ、7.失敗に学ぶ、8.新しいデザインで未来を切り拓くために。別府さんは「おわりに」でこうまとめておられます。「日本的ユーザ指向アプローチは、製品に関連することだけに集約されているように感じます。〔…〕クライアントのニーズを、その根底まで掘り起こそうとの意識が薄いようです。これが製品の改善にばかり注力し、主体的にマーケットを変革させようとの発想につながらない要因だと感じます」(250頁)。またこうも書いておられます。「競争に苦戦しているのであれば、その理由を徹底的に分析すべきでしょう。想定できれば失敗は回避できるように、理由が明らかになれば、対応策を作ることはできるはずです」(251頁)。出版人も噛みしめるべき言葉であるように感じます。


★『現代思想2018年5月臨時増刊号 総特集=石牟礼道子』は、こたつに座って執筆する石牟礼さんの写真が目を惹く増刊号で、初期未発表作品6篇、「現代思想」「ユリイカ」両誌からの再録2篇をはじめ、加藤登紀子さんのインタヴュー、栗原彬さんと藤原辰史さんの討議、石内都さんによる写真と回想記、そして様々な書き手によるエッセイや論考が収められた読み応えのある特集となっています(他誌からの再録もあり、石牟礼さんと石内さんを引き合わせた伊藤比呂美さんのエッセイ「『不知火』の声」は『道標』誌第9号から)。附録として略年譜と主要著作一覧を掲載。渡辺京二さんによるエッセイ「誤解を解く」では『苦海浄土』と渡辺さんの関わりをめぐる風説について言及されています。「この際、このような推測を完全に一掃しておかねば、とんでもない悔いを残すことになる」として、たいへん興味深い打ち明け話を綴っておられます。


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本日より取次搬入開始:岡田聡/野内聡編『交域する哲学』

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岡田聡/野内聡編『交域する哲学』を本日より取次搬入開始いたしました。書店さんの店頭に並び始めるのは5月あたまあたりからでしょうか。同書の目次や扱っていただける書店さんの一覧はこちらをご覧ください。少部数出版につき、あらかじめ店頭在庫を電話などでご確認いただいてからご訪問いただくのが良さそうです。
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注目新刊:金子遊『混血列島論――ポスト民俗学の試み』フィルムアート社、ほか

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★佐藤真理恵さん(著書:『仮象のオリュンポス』)
月刊誌「ユリイカ」2018年5月号(特集:アーシュラ・K・ル=グウィンの世界)に、「見出された世界――アーシュラ・K・ル=グウィンにおける名・影・帰還」と題されたテクストを寄稿されています(155~161頁)。同号では『ゲド戦記』の訳者である清水眞砂子さんへのインタヴュー「アースシーを歩きつづけて」や、萩尾望都さん、白井弓子さんによるオマージュイラスト、さらに上橋菜穂子さんと荻原規子さんによる対談「「ゲド戦記」とわたしたち、あるいはファンタジーを継ぐということ」などを掲載し、盛りだくさんの内容です。



★鵜飼哲さん(共訳:ジュネ『公然たる敵』)
月刊誌「現代思想」2018年5月号(特集:パレスチナ‐イスラエル問題――暴力と分断の70年)で、臼杵陽さんとともに「ナクバは何を問いかけるのか」という討議を行われています(16~36頁)。同号では今年訳書が刊行されたハミッド・ダバシやイランパペの論考も掲載されており、さらに両者を論じた早尾貴紀さんによる「「ユダヤ人国家」イスラエルの歴史実在論とポスト・オリエンタリズムの課題――イラン・パペとハミッド・ダバシ」も併載されています。



★金子遊さん(編書:松本俊夫『逸脱の映像』)
フィルムアート社さんから3月下旬に単独著を刊行されました。目次詳細や試し読みは書名のリンク先で提供されています。金子さんは巻頭の「prologue 混血列島論」でこうお書きになっています。「わたしたちは谷川健一の思想に導かれて、ヤポネシアにさまざまな異質性と重層性をはらんだ、あるがままの「混血列島」を再発見する。ヤポネシアを育んできたユーラシア大陸や大河川の上流地域、朝鮮半島やインドシナ半島、ミクロネシアからフィリピンやインドネシアの島々にいたるまで、文化的にも遺伝子的にも祖先の記憶が感じられるという意味では、その圏域はわたしたちにとって、さらに広大な「マクロネシア」とでも呼ぶべきものを形成しているのだといえないか」(22頁)。


混血列島論――ポスト民俗学の試み
金子遊著
フィルムアート社 2018年3月 本体3,000円 四六版上製288頁 ISBN978-4-8459-1709-9
帯文より:わたしたちは混血している。サントリー学芸賞受賞の批評家が、文学、映像、フォークロア研究を交差させながら、太平洋の島嶼という視点で日本列島(ヤポネシア)に宿る文化の混淆性を掘り起こす、新たな民俗学。


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注目新刊:イーグルトン『文学という出来事』、村山則子『ラモー 芸術家にして哲学者』、ほか

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文学という出来事
テリー・イーグルトン著、大橋洋一訳
平凡社、2018年4月、本体3,600円、A5判上製352頁、ISBN978-4-582-74431-6



★イーグルトン『文学という出来事』は、『The Event of Literature』(Yale University Press, 2012)の全訳。目次は以下の通りです。


はじめに
第一章 実在論者と唯名論者
第二章 文学とは何か(一)
第三章 文学とは何か(二)
第四章 虚構の性質
第五章 ストラテジー
原注/訳注
訳者あとがき
作品名索引/人名索引


★「文学理論は、ここ二十年で、かなり流行遅れとなった」という一文で始まる巻頭の「はじめに」でイーグルトンは本書の執筆意図についてこう説明しています。「状況の異常さ〔…〕なにしろ大学では教員も学生も、文学とは虚構〔フィクション〕とか詩とか物語〔ナラティヴ〕などの言葉を習慣的に使いながら、それらが何を意味しているのかについて議論する準備も訓練もできていないのだから。文学理論家とは、こうした事態を、たとえ危険極まりないとは思わないとしても異常であると思う人びとである。〔…〕またさらに文学理論の流行が遠のいた結果、答えられぬまま宙づりになった重要な問いかけが数多くあり、本書は、そうした問いのいくつかに答えようとしている」(12頁)。


★イーグルトンのロングセラー『文学理論』(『文学とは何か――現代批評理論への招待』大橋洋一訳、岩波書店、1985年;新版、1997年;岩波文庫、上下巻、2014年;Literary Theory: An Introduction, Blackwell, 1983; Second edition, 1996; 25th Anniversary edition, 2008)と本書との関係について、大橋さんは訳者あとがきで次のように書かれています。「『文学とは何か』が、ヨーロッパ大陸系の文学理論を扱うものであるとすれば、本書『文学という出来事』は、英米の分析哲学に影響を受けているというか、分析哲学そのものでもある「文学哲学」について扱っている。英米系の分析哲学と大陸系の文学理論、この両者の橋渡し、あるいは有意義な遭遇の場、それが本書でもある」(330~331頁)。


★再びイーグルトン自身の「はじめに」に戻ると、彼は「ある意味で本書は文学理論に対する暗黙の批判であるともいえる。わたしの議論は、最終章を除くと、その多くが、文学理論ではなく、それとは似て非なる分野すなわち文学哲学を相手にしている」(10頁)と書いています。「文学理論がヨーロッパ地域からおおむね芽吹いたとしたら、文学哲学のほうは、その大部分が英米圏から誕生している。しかし最良の文学哲学にみられる厳密さや専門性は、一部の文学理論にみられる知的なゆるさとは好対照をなしているがゆえに、文学理論陣営ではなおざりにされてきた諸問題(たとえば虚構の性格をめぐるもの)に鋭く切り込むことができた」(同)。


★さらにこう続きます。「逆に文学理論とは対照的に文学哲学についてまわるのは、知的保守主義と臆病さであり、批判的眼識と大胆な想像力の、時として致命的な欠如である。一方の陣営が、フレーゲなど聞いたことがないかのようにふるまうとすれば、いま一方の陣営はフロイトなど聞いたことがないかのように行動する。〔…〕今日では、分析哲学と文化的・政治的な保守主義との間に奇妙な(そしてまったく不必要な)関係が存在するように見えるが、一昔前は分析哲学の主要な実践者の多くにそのような傾向はみられなかった」(10~11頁)。


★イーグルトンが言う「文学哲学」の原語は the philosophy of literature なのですが、この分野(文学哲学、ないし文学の哲学)はひょっとすると日本ではまだよく理解されていないかもしれません。まず概論としてはまさに本書の原著版元であるブラックウェルが標準的な読本を手掛けており、2004年に『The Philosophy of Literature: Contemporary and Classic Readings - An Anthology』を、2010年には『A Companion to the Philosophy of Literature』を出版しているので、そちらを踏まえておいても良いかもしれません。『文学という出来事』では英米語圏の哲学者、文学研究者、批評家などが登場し、よく言及される人物にはヴィトゲンシュタイン(1889-1951)、ケネス・バーク(1897-1993)、フレドリック・ジェイムソン(1934-)、スタンリー・フィッシュ(1938-)、ピーター・ラマルク(1948-)らがいます。本書には言及がない本ですが、ラマルクにはその名もずばり『文学の哲学』という著書があります。この本もブラックウェルより2009年に刊行されたものです。


★このほか、幾度となく言及される人物には、フランク・レイモンド・リーヴィス(1895-1978)、ジョン・L・オースティン(1911-1960)、モンロー・C・ビアズリー(1915-1985)、ポール・ド・マン(1919-1983)、ジョゼフ・マーゴリス(1924-)、エリック・ドナルド・ハーシュ(1928-)、リチャード・M・オーマン(1931-)、ジョン・M・エリス(1936-)、リチャード・ゲイル(1932-2015)、ジョン・サール(1932-)、ケンダル・ウォルトン(1939-)、チャールズ・アルティエリ(1942-)、クリストファー・ニュー(1942-)、ジョナサン・カラー(1944-)、グレゴリー・カリー(1950-)などがいます。これら複数の分野にまたがる学者をカヴァーするイーグルトンの視野の広さと奥行きを感じさせます。ちなみに文学哲学に隣接する分野を扱った読本として、『分析美学基本論文集』(勁草書房、2015年)があり、そこで扱われる研究者は部分的にですが『文学という出来事』と重なります。



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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。


『サルゴフリー 店は誰のものか――イランの商慣行と法の近代化』岩﨑葉子著、平凡社、2018年4月、本体4,800円、A5判上製272頁、ISBN978-4-582-82487-2
『ラモー 芸術家にして哲学者――ルソー・ダランベールとの「ブフォン論争」まで』村山則子著、作品社、2018年4月、本体4,200円、A5判上製376頁、ISBN978-4-86182-687-0
『マンシュタイン元帥自伝――一軍人の生涯より』エーリヒ・フォン・マンシュタイン著、大木毅訳、作品社、2018年4月、本体3,600円、46判上製560頁、ISBN978-4-86182-688-7
『昭和ノスタルジー解体――「懐かしさ」はどう作られたのか』高野光平著、晶文社、2018年4月、本体2,500円、四六判上製380頁、ISBN978-4-7949-6996-5
『進歩――人類の未来が明るい10の理由』ヨハン・ノルベリ著、山形浩生訳、晶文社、2018年4月、本体1,850円、四六判並製344頁、ISBN978-4-7949-6997-2
『日本の気配』武田砂鉄著、晶文社、2018年4月、本体1,600円、四六判並製296頁、ISBN978-4-7949-6994-1



★岩﨑葉子『サルゴフリー 店は誰のものか』は「サルゴフリーと呼ばれる権利の売買にまつわるイランの商慣行が、20世紀初頭から現在までのおよそ100年の間に、それをめぐる法律とともにどのような歴史的変遷を辿ったかを論じ」たもの(序章、10頁)。サルゴフリーとは借りた店舗で商売をする権利のこと。「イスラーム諸国における法の近代化とその今日的帰趨」(12頁)をめぐる興味深い事例であり、そこには「イスラーム法と西欧近代法との「不測の」軋轢とその克服」(10頁)の歴史があるとのことです。著者の岩﨑葉子(いわさき・ようこ:1966-)は日本貿易振興機構アジア経済研究所開発研究センターにお勤めで、近年の単独著に『「個人主義」大国イラン――群れない社会の社交的なひとびと』(平凡社新書、2015年)があります。



★村山則子『ラモー 芸術家にして哲学者』は『メーテルランクとドビュッシー――『ペレアスとメリザンド』テクスト分析から見たメリザンドの多義性』(作品社、2011年)、『ペローとラシーヌの「アルセスト論争」――キノー/リュリの「驚くべきものle merveilleux」の概念』(作品社、2014年)に続く、詩人で小説家でもある著者による重厚な研究書。18世紀フランスの作曲家にして音楽理論家の、ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683-1764)を論じたもの。第一部「芸術家ラモー」全六章と第二部「哲学者ラモー」全五章の二部構成。第一部ではラモーのオペラ作品を取り上げ、第二部では副題にあるように、ダランベールやルソーらと交わした論争を扱い、ラモー自身の音楽理論が考察されます。和声を重視したラモーの音楽理論の根本原理である「音響体 le principe sonore」概念が非常に興味深いです。


★『マンシュタイン元帥自伝』は1958年に刊行された『Aus einem Soldatenleben』の全訳。ドイツの「名将」フリッツ・エーリヒ・フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタイン(1887-1973)の誕生から第二次世界大戦の開戦までを回顧したものです。訳者解説では本書を「単なる軍人の回想録を超えた、ドイツ近現代史への貴重な証言であり、さらには、マンシュタインという19世紀的教養人の思想と生涯を知る上で不可欠の資料といえる」と評しています。また同解説では、マンシュタイン自身による第二次世界大戦期の回想録(1955年に原著刊行)が『失われた勝利』(上下巻、本郷健訳、中央公論新社、1999年)として刊行されており、包括的な伝記としてマンゴウ・メルヴィン『ヒトラーの元帥 マンシュタイン』(上下巻、大木毅訳、白水社、2016年)があることも紹介されています。


★最後に晶文社さんの4月新刊より3点。目次詳細はいずれも書名のリンク先でご確認いただけます。まず、高野光平『昭和ノスタルジー解体』は「いわゆる「懐かしの昭和」を愛好する文化がいつ、どのように成立したのか」(序、11頁)をめぐる丁寧な考察。完成まで7年を要したという力作です。マンガ『三丁目の夕日』の連載が始まった1974年を起点に、おたく文化やサブカルも渉猟しています。レトロ、アナクロ、ノスタルジーの広大な領野に思いをはせる一冊です。


★スウェーデンの作家で歴史家のヨハン・ノルベリ(Johan Norberg, 1973-)による『進歩』は『Ten Reasons to Look Forward to the Future』(Oneworld, 2016)の全訳。「世の中、百年単位で観ればあらゆる面でよくなっている、ということ〔…〕を各種のデータやエピソードで補ってきちんと説明したもの」(訳者解説より)。「現在の世界に関する楽観論と、古典的な啓蒙主義思想の重要性を訴える数多くの本のはしりと言える」と訳者の山形さんは評価しておられます。


★武田砂鉄『日本の気配』はウェブサイト「晶文社スクラップブック」での連載や各種媒体で発表してきたエッセイを編み直し書き直したもの。「ムカつくものにムカつくと言うのを忘れたくない。個人が物申せば社会の輪郭はボヤけない。個人が帳尻を合わせようとすれば、力のある人たちに社会を握られる。今、力のある人たちに、自由気ままに社会を握らせすぎだと思う。この本には、そういう疑念を密封したつもりだ」(あとがきより)。〈時代の空気を読む感性〉に優れた編集者への批判とともに自身の振る舞いについて問いかける「左派が天皇陛下の言葉にすがる理由」(203~209頁)をはじめ、空気を読むことを強いる忖度だらけの現代の相互監視社会を拒絶する、一貫した強度が魅力です。


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注目新刊:フランソワ・マトゥロン『もはや書けなかった男』航思社、ほか

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『もはや書けなかった男』フランソワ・マトゥロン著、市田良彦訳、航思社、2018年4月、本体2,200円、四六判並製200頁、ISBN978-4-906738-34-2
『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』三宅陽一郎著、BNN新社、2018年4月、本体2,500円、A5判並製384頁、ISBN978-4-8025-1080-6
『黄金の華の秘密 新装版』C・G・ユング/R・ヴィルヘルム著、湯浅泰雄/定方昭夫訳、人文書院、2018年4月、本体2,800円、4-6判上製338頁、ISBN978-4-409-33057-9
『フェレンツィの時代――精神分析を駆け抜けた生涯』森茂起著、人文書院、2018年4月、本体3,600円、4-6判上製240頁、ISBN978-4-409-34052-3
『グローバル資本主義の形成と現在――いかにアメリカは、世界的覇権を構築してきたか』レオ・パニッチ&サム・ギンディン著、長原豊監訳、芳賀健一/沖公祐訳、作品社、2018年4月、本体3,800円、46判上製600頁、ISBN978-4-86182-694-8
『友情の哲学――緩いつながりの思想』藤野寛著、作品社、2018年4月、本体1,800円、46判並製208頁、ISBN978-4-86182-692-4
『生物模倣――自然界に学ぶイノベーションの現場から』アミーナ・カーン著、松浦俊輔訳、作品社、2018年5月、本体2,600円、46判並製376頁、ISBN978-4-86182-691-7



★『もはや書けなかった男』はアルチュセールの死後出版の編纂・校訂者で『ミュルティテュード(マルチチュード)』誌の編集委員を務めた哲学者フランソワ・マトゥロン(François Matheron, 1955-)による著書の、初めての日本語訳。フランス語版『L’homme qui ne savait plus écrire』(Zones/La Découverte, 2018)は3月に刊行されており、その出版に尽力し「あとがき」も著した盟友である市田良彦さん(本書においては「戦いの同伴者ヨシ」)が日本語訳を手掛けておられます。2005年の11月、家族との団らん中に脳卒中で倒れたマトゥロンが、リハビリ訓練中の翌年9月に書くことを薦められ、とはいえ文字通りの執筆が困難なため、テープレコーダーに録音し、のちに音声入力ソフトを使用してできあがったのが本書だそうです。人の名前を忘れ、排泄を含めて自身のことがどんどんままならなくなる中での自画像であり、その合間にアルチュセールやスピノザをめぐる思索の軌跡が刻まれます。糞尿まみれの拷問のような日々には絶句するばかりです。


★壊れていく伴侶を日々支えることによって深く疲弊していくマトゥロン夫人キャロルとの関係がありのままに描かれている一方で、ひどい鬱状態のために2016年には「あの」サンタンヌ病院に搬送されたマトゥロンが、アルチュセールとの符合をめぐってヨシとやりとりをしたエピソード(「最初に読まれるべき訳者あとがき」)に厚い友情を感じます。また、本書巻末に収められたネグリからのメッセージにも友愛が溢れています。父親であるスピノザ学者アレクサンドル・マトゥロン(Alexandre Matheron, 1926-)が、息子に代わってアルチュセール本の校正を手伝ったというくだりにも胸を打たれました。アレクサンドルは息子が倒れた一年後に同じく脳卒中を患ったことがあるそうです。


★三宅陽一郎『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』は2016年に出版された西洋哲学篇の続編で、「人工知能の足元を支える哲学を探求する」という名目で行われた「人工知能のための哲学塾」の成果です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「東洋哲学篇は僕にとって未来にあたります。なぜなら、東洋哲学篇はこれから僕自身も進むべき人工知能の新しい方向を示した場であるからです。知能を作るためには、人類の持つあらゆる叡智を結集・結晶せねばなりません。西洋から発祥した人工知能の方向がやがて行き詰まりを迎えるときには、東洋の示す人工知能が新しい活路を示さねばなりません」と、三宅さんは「はじめに」でお書きになっています。荘子、井筒俊彦、道元、龍樹、鈴木大拙、等々がゲーム開発におけるキャラクターAIのために参照される様は非常に興味深く、科学・哲学・工学の交差点にあるという人工知能の議論への関心は、本書の登場によっていっそう高まるのではないかと予感します。


★続いて人文書院さんの新刊2点。『黄金の華の秘密』は1980年の初版刊行以来、版を重ねオンデマンドでもロングセラーを続けてきた古典の、新装再刊です。原著は1929年刊で、道教の文献『太乙金華宗旨』と『慧命経』のヴィルヘルムによるドイツ語訳に、ユングが長大な注解を添えたもの。ユングのマンダラ論、原型論、個性化論を理解するうえで欠かせない必読書です。長い年月を掛けてユングの著作の重版や新装版を刊行し続けておられる人文書院さんに敬意を表したいです。


★次に、森茂起『フェレンツィの時代』はハンガリーの精神分析家、フェレンツィ・シャーンドル(Ferenczi Sándor, 1873-1933)をめぐる、おそらく日本初の専門研究書です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書では幼少期から時系列的に出来事を追うのではなく「フェレンツィの生涯から日付を特定できるいくつかの瞬間を取り上げ、そこに至る過程を振り返る叙述を大幅に取り入れ」(あとがきより)、「ある特定の場所である時代のある瞬間を生きたフェレンツィの姿を描き出し」(同)ています。著者の森さんによるフェレンツィの訳書、『臨床日記』(みすず書房、2000年)も新装版が本書と同じく4月に発売されており、フェレンツィと往復書簡を交わしていたゲオルク・グロデックの著書『エスの本――ある女友達への精神分析の手紙』(岸田秀/山下公子訳、誠信書房、1991年)も、同月に講談社学術文庫の一冊として再刊されています。


★最後に作品社さんの新刊3点。まず、パニッチ&ギンディン『グローバル資本主義の形成と現在』は、『The Making of Global Capitalism: The Political Economy of American Empire』(Verso, 2012)の全訳。マルクスおよびマルクス主義をめぐる革新的な研究に対して毎年贈られるドイッチャー賞(the Deutscher Memorial Prize)を2013年に受賞しています。監訳者の長原さんによれば本書は、アメリカの帝国的発展こそがグローバル資本主義の形成過程にほかならないことを実証した同時代史の書であり、現状分析の書でもある、と紹介しておられます。また、サスキア・サッセンやナオミ・クライン、デヴィッド・ハーヴェイをはじめとする多くの識者から「偉大な一書」「必要不可欠な書」「すべての人びとが読むべき一書」等々という賛辞が寄せられています。アメリカとの付き合いに様々な困難と課題が付きまとう日本においても参考になる本ではないでしょうか。目次は以下の通りです。



まえがき
序文 方法論的視点
第Ⅰ部 新たなアメリカ帝国へのプレリュード
 第1章 アメリカ資本主義の遺伝子
 第2章 アメリカ国家の能力――第一次世界大戦からニューディールまで
第Ⅱ部 グローバル資本主義というプロジェクト
 第3章 新たなアメリカ帝国を計画する
 第4章 グローバル資本主義の船出
第Ⅲ部 グローバル資本主義への移行
 第5章 成功の矛盾
 第6章 危機を貫く構造的な力
第Ⅳ部 グローバル資本主義の実現
 第7章 帝国的力能の更新
 第8章 グローバル資本主義の統合
第Ⅴ部 グローバル資本主義の支配
 第9章 法の支配――グローバル化を統治する
 第10章 帝国の新たな挑戦――危機を管理する
第Ⅵ部 グローバル資本主義の21世紀
 第11章 自分の姿に似せた世界
 第12章 アメリカの危機、世界の危機
結論
[日本語版解説]忖度〔ぼうりょく〕を制度化する非公式帝国アメリカ――相対的脱領土〔グローバリゼーション〕化装置(長原豊)


★次に、藤野寛『友情の哲学』はこんにちもっとも困難であろう問いと向き合った好著。「本書では、理想主義にも冷笑主義にも陥ることなく友情について考えることが試みられる。そういう方向性を採るように促されるのは、友情をめぐる21世紀の現実によってである。より具体的に言えば、高齢化社会、セクシュアリティ、家族、ジェンダー、SNSをめぐる私たちの現実だ」(プロローグより)。アクセル・ホネットの承認論を導きの糸とし、アリストテレス、モンテーニュ、カント、ニーチェ、フーコーらの議論を振り返りつつ、アレクサンダー・ネハマス(Alexander Nehamas, 1946-)や、ヤノーシュ・ショービン(Janosch Schobin, 1981-)らの友情(Freundschaft)論も参照しつつ、平易な言葉で「友情の原理」(第Ⅰ部)と「変化の中の友情」(第Ⅱ部)が掘り下げられます。恋愛でも博愛でもない友情の中間的性格や緩さの再発見は、超高齢社会に突入して久しい日本の現状と未来を考える上で欠かせない視点ではないかと感じます。


★カーン『生物模倣』は明日5月7日取次搬入となる新刊で、『Adapt: How Humans Are Tapping into Nature's Secrets to Design and Build a Better Future』(St. Martin's Press, 2017)の翻訳。「ロサンゼルス・タイムズ」紙のサイエンスライターによる「生物に着想を得たデザイン(biologically inspired design)」をめぐる一冊。「本書では、生物学から学ぼうと集まり、私たちの技術開発能力の限界を超えようとしている様々な分野の科学者と出会う。極微の世界(光合成の化学)からきわめて大きな世界(生態系の原理)まで見て回る。そこで話を、材料科学、運動の力学、システムの基礎構造、持続可能性という四つのテーマに分けることにする。各章では、自然がどのように今の科学技術の上を行っているかを人々が調べるうちに、いくつかの新発見がなされ、またさらに現われようとしている分野を見ていく。本書全体で、そうした例やさらにその先を見て、自然の新機軸を人間の科学技術向上にあてはめることで、ものごとを大きくするのではなく、良くすることが可能になる様子を探る」(プロローグより)と。目次詳細は書名のリンク先でご覧になれます。


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ドイッチャー賞受賞作の訳書一覧

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イギリスのマルクス主義歴史学者アイザック・ドイッチャー(Isaac Deutscher, 1907-1967)とその伴侶タマラ(Tamara Deutscher, 1913-1990)を記念し、英語圏で出版されたマルクスおよびマルクス主義をめぐる革新的な研究に対して毎年贈られる「ドイッチャー賞(the Deutscher Memorial Prize)」の受賞作(1969-2017)の訳書をまとめてみました。記載のない年は訳書がないか受賞なしの場合です。研究者の名前だけ記載しているのは、受賞作が翻訳されていないものの、他の著作や編書の訳書がある場合です。2018年はマルクス生誕200周年ですので、ブックフェアやコーナーづくりのご参考になれば幸いです。


2015年
タマシ・クラウス


2013年
グローバル資本主義の形成と現在:いかにアメリカは、世界的覇権を構築してきたか
レオ・パニッチ/サム・ギンディン著、長原豊監訳、芳賀健一/沖公祐訳、作品社、2018年


2010年
資本の「謎」:世界金融恐慌と21世紀資本主義
デヴィッド・ハーヴェイ著、森田成也ほか訳、作品社、2012年


2009年

ベン・ファイン


2003年
近代国家体系の形成:ウェストファリアの神話
ベンノ・テシィケ著、君塚直隆訳、桜井書店、2008年


1999年
カール・マルクスの生涯
フランシス・ウィーン著、田口俊樹訳、朝日新聞社、2002年


1997年
ロビン・ブラックバーン


1996年
ドナルド・サスーン


1995年
20世紀の歴史:極端な時代(上下)
エリック・ホブズボーム著、河合秀和訳、三省堂、1996年


20世紀の歴史:両極端の時代(上)
エリック・ホブズボーム著、大井由紀訳、ちくま学芸文庫、2018年6月7日発売予定


1994年
市民社会の帝国 : 近代世界システムの解明
J・ローゼンバーグ著、渡辺雅男/渡辺景子訳、桜井書店、2008年


1993年
ハーヴェイ・J・ケイ


1992年
必要の理論
L・ドイヨル/I・ゴフ著、遠藤環/神島裕子訳、勁草書房、2014年


1991年
要塞都市LA
マイク・デイヴィス著、村山敏勝/日比野啓訳、青土社、2001年;増補新版2008年


1990年

A・J・メイア


1989年
美のイデオロギー
テリー・イーグルトン著、鈴木聡ほか訳、紀伊國屋書店、1996年


1988年
ボリス・カガルリツキー


1986年
エレン・メイクシンス・ウッド


1985年
所有と進歩:ブレナー論争
ロバート・ブレナー著、山家歩/田崎愼吾/沖公祐訳、日本経済評論社、2013年


1984年
失われた美学:マルクスとアヴァンギャルド
マーガレット・A・ローズ著、長田謙一ほか訳、法政大学出版局、1992年


1980年
現代資本主義の論理:対立抗争とインフレーション
ボブ・ローソン著、藤川昌弘ほか訳、新地書房、1983年


1979年
G・A・コーエン


1977年
S・S・プロウアー


1976年
社会化と政治体制:東欧社会主義のダイナミズム
W・ブルス著、大津定美訳、新評論、1982年


1975年
M・リーブマン


1974年
イスラームと資本主義
M・ロダンソン著、山内昶訳、岩波現代選書、1978年;岩波現代選書特装版、1998年


1972年
A・ギャンブル/P・ウォルトン


1970年
マルクスの疎外理論
I・メサーロシュ(イシュトヴァン・メーサロシュとも)著、三階徹/湯川新訳、啓隆閣、 1972年;再版1975年


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月曜社5月新刊:荒木優太『仮説的偶然文学論』

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◆月曜社2018年5月新刊:人文/文芸/思想・批評:5月14日受注締切/5月22日取次搬入予定


仮説的偶然文学論――〈触れ‐合うこと〉の主題系
荒木優太著
月曜社 2018年5月 本体:2,000円、B6変判[180mm×114mm×23mm]上製336頁 ISBN: 978-4-86503-059-4


アマゾン・ジャパンで予約受付中


なぜ「たまたま」や「ひょんなこと」や「奇跡」で小説を組み立ててはいけないのか。昭和10年代、中河与一の偶然文学論は近代文学伝統のリアリズムに対して果敢に挑戦した。本当にリアルなのは偶然の方なのだ。が、その偶然なるものは、どんな〈触れ‐合い〉を排除することで成り立っているのか。中河、国木田独歩、寺田寅彦、葉山嘉樹のテクストに宿るcontingencyを、〈遭遇 con-tact〉と〈伝染 con-tagion〉、つまりは〈触れ‐合うこと con-tangere〉の主題系として読み解く。偶然という言葉でもってなにかを語った気になってはいけない。新シリーズ〈哲学への扉〉創刊!


目次:
序 偶然を克服/導入せよ?
第一部 コンタクト
第一章 偶然性の時代
第二章 中河与一『愛恋無限』と日本的伝統
第三章 国木田独歩『鎌倉夫人』と主題〈場所性〉
第四章 国木田独歩『号外』と主題〈外部性〉
第五章 国木田独歩『第三者』と主題〈感性〉
第六章 国木田独歩の諸作と主題〈断片性〉
第二部 コンテイジョン
第七章 中河与一の初期小説と主題〈伝染性〉
第八章 寺田寅彦の確率論
第九章 寺田寅彦の風土論
第一〇章 葉山嘉樹文学の住環境と主題〈混合性〉
第一一章 葉山嘉樹の寄生虫
終章 偶然的他者との幅のある出会い方
あとがき
文献
索引


荒木優太(あらき・ゆうた:1987-):在野研究者。専門は有島武郎。明治大学文学部文学科日本文学専攻博士前期課程修了。ウェブを中心に大学の外での研究活動を展開している。2015年、「反偶然の共生空間――愛と正義のジョン・ロールズ」が第59回群像新人評論賞優秀作となる。著書に『これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得』(東京書籍、2016年)、『貧しい出版者――政治と文学と紙の屑』(フィルムアート社、2017年;『小林多喜二と埴谷雄高』ブイツーソリューション、2013年の増補改題版)。

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新規開店情報:月曜社の本を置いてくださる本屋さん

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2018年4月27日(金)オープン

フタバ図書ジ・アウトレット広島店:BOOK450坪、文具60坪、カフェ70坪、ゲーム50坪、セル50坪、カープグッズ他(レジ・バックヤード含め)120坪
広島県市佐伯区石内東4-1-1 THE OUTLETS HIROSHIMA 1F


日販帳合。弊社へのご注文は、芸術書の主要銘柄。株式会社フタバ図書の代表取締役社長、世良與志雄さんの挨拶状では「ライフスタイルを提案する「見つかる・育てる・感じる 広島エンタテイメント」をコンセプトに、書店を中心に文具・CD/DVD、ゲーム、タリーズ(カフェ)を併設し、今までにない本との出会いを楽しんでいただける洗練された品揃えで、より多くのお客様に喜んでいただく所存」とのことです。営業時間は10:00~20:00。


「THE OUTLETS HIROSHIMA(ジ・アウトレット・ヒロシマ)」のウェブサイト下の店舗ページにある紹介文「フタバ図書の新しいカタチ-ジアウトレット広島店-」では「フタバ図書が目指すのは書店の新しい形です。情報発信の最先端として人々の新たな発見・機会の場となり、地域・人・文化を育む、そんな存在であり続けたいと思っています。本を中心にCD、DVD、ゲーム、文具などさまざまなエンタテインメントを組み合わせつつ、タリーズコーヒーも併設し、くつろぎの空間もご提供いたします。コンセプトは「見つかる・育てる・感じる 広島エンタテインメント」。従来の形にとらわれない柔軟な発想で、「広島にフタバ図書がある意味」を感じていただける複合書店として進化を続けて参ります」とも書かれています。


入居先の複合施設「THE OUTLETS HIROSHIMA」は、日販広島支店の支店長、岡田充弘さんの挨拶状を参照すると、「本格アウトレット×エンターテインメント×地域との出会い」をコンセプトに国内外の人気のブランドショップが集積したアウトレットフロアと、瀬戸内・広島の食文化やライフスタイルを体感できる「食」や、シネマ・アクティビティーなど体感型の「遊び」のコンテンツが充実したフロアから成る、賑わいあふれる“地域創生型商業施設”だそうで、全国に先駆けた「THE OUTLETS」第1号店なのだとか。

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前回、当ブログで新規開店情報を発信したのは昨年9月でした。弊社のような小零細の専門書版元に開店分の発注があることはさほど多くはなく、新規店のオープンにも波があります。一方で、閉店情報は継続的に入ってきます。


09月24日:書原仙川店(トーハン帳合)
11月26日:旭屋書店イオン宮崎店(トーハン帳合)
02月20日:幸福書房南口〔代々木上原〕店(トーハン帳合)
02月28日:ブックファースト京都店(トーハン帳合)
02月28日:ジュンク堂書店梅田ヒルトンプラザ店(大阪屋栗田帳合)
03月21日:ジュンク堂書店松戸伊勢丹店(大阪屋栗田帳合)
03月31日:あおい書店川崎駅前店(トーハン帳合)
04月26日:山下書店渋谷南口店(トーハン帳合)
05月20日:新星堂カルチェ5柏店(日販帳合)※書籍売場のみ閉店、CD売場は継続。
06月25日:青山ブックセンター六本木店(日販帳合)


あおい書店川崎駅前店の閉店をめぐっては、「yamak's diary」2017年3月11日付エントリー「あおい書店 閉店とリアル大型書店の価値」を興味深く拝読しました。特に次のくだり。



「今リアル大型書店に将来性は全く期待されていません。もちろん自分もAmazonは利用しますし、電子書籍も買います。ただ自分にとってはリアル大型書店でしかない価値はいまだに大きい。/Web書店は買うものが明確に決まっているときはいいのですが、なんとなくその分野の本を調べたいときに一覧性が悪いです。物理的な書棚の背表紙の情報量に対し、ディスプレイの情報量は少なすぎる。〔…〕Amazon時代のリアル書店の方向性として、店主のセレクトショップ的な方向が注目されたりしています。でも自分はそれには全く興味ないですね。店主とのコミュニケーションにも全く興味がないです。/リアル大型書店には自分にとってはまだ大きな価値がある。ただその価値は多くの人にとってはなくなってきているのは事実だと思います。そこをなんとかする案が自分にあるかというと思いつかないです」。


リアル大型書店にはまだ大きな価値がある、という言葉に励まされる業界人は多いと思います。私も同感です(ちなみに私は「店主のセレクトショップ」も、店主さんのセンスが良ければ大好きです)。紙の本を作る出版社と、紙の本を売る書店が「あってもいい」と思って下さる方がいるならば、とても嬉しいですし、人の目を気にせずに本をゆっくり選べる大書店がまだ望まれているなら、なおさら業界人はそのことを意識すべきです。ブログ主さんが書いているように、「その価値は多くの人にとってはなくなってきている」かもしれないのですから。


書店さんの現在形は上記の新規店情報で見た通り「複合書店」です。もうしばらくは様々な複合形態が模索され続けるでしょうし、書店以外の小売店が書籍売場を新設する形態も引き続き追求されるだろうと思われます。そして「ポスト複合化」の鍵のひとつが、町の本屋さんの復活としての小規模セレクトショップにあることは間違いありません。昨今ではセレクトショップというと、VMD優先型の美的な複合店が思い浮かびますが、前述の「町の本屋さんの復活としての小規模セレクトショップ」というのはそれとは異なり、パターン配本に頼らず選書できる書店員さんがいて、地域に密着しつつ、書棚を手入れを怠らない小規模な本屋さんのことであって、チェーン店が展開しているような複合書店とは基本的に別物です。出版業界にとって大きな問題なのは、セレクト型の複合店にせよ大型店にせよ、人材不足が進行していることです。経験者をリストラして、より賃金の安い未経験者でも運営できるような店づくりが進んでいる現実がその背景にあります。結局のところ、書店というのは未経験者でもやれるような職種とは言い難く、人材を失えば運営はままなりません(このことは「書店」を「出版社」と置き換えても同様のことが言えます)。


最近では退職した書店経験者はますます業界外に移る傾向が強まっているように感じます。経験者を大切にしない業界はどんな職種であれ、衰退を避けられないだろうというのが私の意見です。出版業界にとって重要な課題は、経験者を大切にしうるほどの収益をいかに上げるかということです。今後、製造(出版社)と販売(書店)は利益分配をめぐっていっそう緊密に連携しなければならないでしょうし、それは相互の買収というかたちも当然含むことになるでしょう。そうした買収はすでに始まっています。


大型書店の衰退がどういった未来を招来するかについては語るべきことが多いのですが、いったんここで筆を擱きます。ここから先は昨年11月、第29回まで書いてその後中断ている「メモ」の続きを書くことになるからです。あれ以降、つまりここ半年間に、様々な出来事が業界を襲っており、注目すべき事案は多いです。しかし、今はそれを書き留めている時間すらもどかしいほどの変化が襲っています。出版業界の誰もが、自分がまず死なないようにその日を精一杯生きるしかないような、立ち止まって考えているいとますら許さないような、そうした切迫した危機のさなかにいるのではないでしょうか。私たちは崩壊過程に直面しています。そしてその崩壊の中から、新しい樹々を育てなければならないのです。これは絶望の態度でも単純な盲目でもありません。終末でも革命でもない、二者択一ではないいばらの道。


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紹介記事、イベント情報など

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「出版ニュース」2018年5月上旬号の「情報区」欄の「思想雑誌『多様体』創刊」(37頁)にて弊誌の内容を詳しくご紹介いただきました。ありがとうございます。



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★鵜飼哲さん(共訳:ジュネ『公然たる敵』)
★本橋哲也さん(共訳:スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)
ハミッド・ダバシ『ポスト・オリエンタリズム――テロに時代における知と権力』(早尾貴紀/本橋哲也/洪貴義/本山謙二訳、作品社、2017年12月)をめぐるトークイベントが以下の通り来月下旬に行われるとのことです。


◎鵜飼哲×本橋哲也×早尾貴紀「『ポスト・オリエンタリズム』を読み解く――サイード、スピヴァクとともに/を超えて、思想のゲリラ戦を!」


日時:2018年6月28日(木)18:30~
場所:三省堂書店神保町本店8階特設会場
下記いずれかの方に参加整理券を差し上げます。
A)対象書籍『ポスト・オリエンタリズム』を当店でお買い上げの方。
B)当日、会場にて参加料500円(税込)をお支払いの方。


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注目文庫新刊:2018年3月下旬~5月上旬

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『鶴見俊輔全漫画論1 漫画の読者として』松田哲夫編、ちくま学芸文庫、2018年5月、本体1,700円、656頁、ISBN978-4-480-09855-9
『鶴見俊輔全漫画論2 日本の漫画の指さすもの』松田哲夫編、ちくま学芸文庫、2018年5月、本体1,600円、624頁、ISBN978-4-480-09856-6
『増補 革命的な、あまりに革命的な――「1968年の革命」史論』絓秀実著、ちくま学芸文庫、2018年5月、本体1,500円、560頁、ISBN978-4-480-09864-1
『初学者のための 中国古典文献入門』坂出祥伸著、ちくま学芸文庫、2018年5月、本体1,200円、320頁、ISBN978-4-480-09869-6
『荒地/文化の定義のための覚書』T・S・エリオット著、深瀬基寛訳、中公文庫、2018年4月、本体1,000円、336頁、ISBN978-4-12-206578-9



★ちくま学芸文庫の5月新刊から4点。『鶴見俊輔全漫画論』は文庫オリジナル編集。解説者の福住廉さんによれば本書は鶴見さんの漫画論を網羅的に編纂した選集。「幼少の頃から漫画の熱心な読者だった鶴見は、戦後から晩年まで、同時代の漫画を盛んに論じた。〔…〕鶴見の人生には、つねに漫画が同伴しており、彼は漫画とともに思想を練り上げていたと言っても過言ではあるまい。/しかし鶴見俊輔の漫画論は、知の巨人としての知名度とは裏腹に、じつのところ正当に評価されてこなかったのではないか」(第1分冊、解説「反映論の彼方へ」645頁)。


★絓秀実『増補 革命的な、あまりに革命的な』は、2003年に作品社より刊行された親本を増補・改訂したもの。「文庫版あとがき」によれば「文庫化に際しては、やや長めの付論〔「戦後‐天皇‐民主主義をめぐる闘争――八・一五革命vs.一九六八年革命」(453~484頁)〕を書き下ろした。それは、現在の諸状勢にかんがみて六八年を再発見し、併せて、改めて六八年の視点から現在を論じた試みである」(517頁)と。解説「戦後民主主義の「革命的な」批判のために」は王寺賢太さんによるもの。同書について「2003年の刊行後、ただちに日本における「六八年」の運動史と理論・思想史に関する必読文献となった書物である。〔…〕このちくま学芸文庫版は、絓自身の最近の関心に基づく付論とともに、刊行後15年を経た今も古びることのない本書の今日的射程をよく伝える一冊となっている」(520頁)と評価しておられます。


★坂出祥伸『初学者のための 中国古典文献入門』は、2008年に集広舎(福岡)から刊行された『中国古典を読む はじめの一歩』の改題文庫化。「文庫版あとがき」によれば、誤植、脱字、錯字などの校正漏れを正し、「主として書名・人名などのむつかしい感じには読み仮名(ルビ)を付して、より多くの方々に読みやすいように心がけた」とのことです。


★T・S・エリオット『荒地/文化の定義のための覚書』は巻末の編集付記によれば、中央公論社版『エリオット全集』(改訂版、1971年)を底本として語句時に編集したもの。長編詩の代表作「荒地」(1922年)と、最晩年の評論「文化の定義のための覚書」(1948年)に、訳者の深瀬基寛さんによる講義録「エリオットの人と思想」(筑摩書房版『深瀬基寛集』第1巻、1967年所収)、さらに英文学者の阿部公彦さんによる解説「ほんとうのエリオットはどこに」が添えられています。エリオットは「文化の定義のための覚書」の第五章「文化と政治についての一つの覚書」でこう述べています。「山と積まれた印刷文字のなかで、最も深遠で最も独創的な作品が一般大衆の眼に触れ、彼等の注意をひく機会のないことはもちろん、そういうものを玩味するだけの資格をもつ相当多数の読者の注意を捉えることすらも稀であります。一時の流行もしくは時代の単なる情緒におもねるごとき思想の影響するところは遥かに大きいのであります」(204頁)。エリオットの直言は今なお示唆に富んでいると感じます。


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★ちょっとした事情によりコメントを付すのを中断せざるをえないのですが、ここ三ヶ月ほどでほかに注目してきた新刊には以下のものがありました。


『ヨハネの黙示録』小河陽訳、講談社学術文庫、2018年5月、本体920円、240頁、ISBN978-4-06-292496-2
『新校訂 全訳注 葉隠(中)』菅野覚明/栗原剛/木澤景/菅原令子訳、講談社学術文庫、2018年5月、本体2,450円、872頁、ISBN978-4-06-511642-5
『宇治拾遺物語(下)全訳注』高橋貢/増古和子著、講談社学術文庫、2018年4月、本体2,500円、880頁、ISBN978-4-06-292492-4
『エスの本――ある女友達への精神分析の手紙』ゲオルク・グロデック訳、岸田秀/山下公子訳、講談社学術文庫、2018年4月、本体1,580円、464頁、ISBN978-4-06-292495-5
『哲学の練習問題』河本英夫著、講談社学術文庫、2018年4月、本体1,050円、288頁、ISBN978-4-06-292480-1
『内省と遡行』柄谷行人著、講談社文芸文庫、2018年4月、本体1,700円、336頁、ISBN978-4-06-290374-5
『帳簿の世界史』ジェイコブ・ソール著、村井章子訳、文春文庫、2018年4月、本体880円、414頁、ISBN978-4-16-791060-0
『孤独な帝国 日本の一九二〇年代――ポール・クローデル外交書簡一九二一-二七』ポール・クローデル著、奈良道子訳、草思社文庫、2018年4月、本体1,500円、592頁、ISBN978-4-7942-2330-2
『ボルヘス怪奇譚集』ホルヘ・ルイス・ボルヘス/アドルフォ・ビオイ=カサーレス編、柳瀬尚紀訳、河出文庫、2018年4月、本体830円、188頁、ISBN978-4-309-46469-5
『ボートの三人男――もちろん犬も』ジェローム・K・ジェローム著、小山太一訳、光文社古典新訳文庫、2018年4月、本体880円、398頁、ISBN978-4-334-75374-0
『ヨゼフ・チャペック エッセイ集』飯島周編訳、平凡社ライブラリー、2018年4月、本体1,200円、280頁、ISBN978-4-582-76866-4
『ウンガレッティ全詩集』河島英昭訳、岩波文庫、2018年4月、本体1,260円、592頁、ISBN978-4-00-377006-1
『文選 詩篇(二)』川合康三/富永一登/釜谷武志/和田英信/浅見洋二/緑川英樹訳注、岩波文庫、2018年4月、本体1,020円、416頁、ISBN978-4-00-320452-8
『江戸川乱歩作品集 Ⅲ パノラマ島奇談・偉大なる夢 他』浜田雄介編、岩波文庫、2018年3月、本体1,000円、496頁、ISBN978-4-00-311816-0
『全品現代語訳 法華経』大角修訳・解説、角川ソフィア文庫、2018年3月、本体1,200円、480頁、ISBN978-4-04-400391-3


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注目新刊:ヴィーコ『新しい学』文庫化、水声社の新雑誌『午前四時のブルー』、バタイユの新訳『太陽肛門』

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★上村忠男さん(訳書:アガンベン『到来する共同体』、編訳書:パーチ『関係主義的現象学への道』、スパヴェンタほか『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』、共訳書:アガンベン『アウシュヴィッツの残りのもの』『涜神』、スピヴァク『ポストコロニアル理性批判』)

2007年から2008年にかけて法政大学出版局より全3巻で刊行された『新しい学』が全2巻で文庫化されました。まもなく発売。「中公文庫版への訳者あとがき」によれば、「文庫化にあたっては訳註を中心に補正を」施したとのことです。上巻には第1巻「原理の確立」と第2巻「詩的知恵」の第4部「詩的家政学」までを収録。下巻には第2巻第5部「詩的政治学」から第3巻「真のホメロスの発見」、第4巻「諸国民のたどる経過」、第5巻「諸国民が再興するなかで生じる人間にかんすることがらの反復」と「著作の結論」までを収録し、付録として「新しい学の応用法――ヴィーコ『新しい学』への招待」が併載され、巻末には訳者解説「大いなるバロックの森」が配されています。


新しい学(上・下)
ジャンバッティスタ・ヴィーコ著 上村忠男訳
中公文庫 2018年5月 各本体1,600円 文庫判各608頁 ISBN978-4-12-206591-8/206592-5

★星野太さん(著書:『崇高の修辞学』)
小林康夫さんの責任編集で今般、水声社さんから創刊された新雑誌「午前四時のブルー」の第1号(特集=謎、それは自分)に論文「アペイロンと海賊――『雲』をめぐる断章」を寄稿されています(63~72頁)。ブルガリアの哲学者ボヤン・マンチェフさん(1970-)の新著『雲』(2017年)と、彼が昨年11月に東京で行った講演「光、雲――哲学的海賊とアペイロンの発明」について論及されています。


小林さんによる編集人あとがき「庭、その誰?」によれば、鈴木宏社長に「第二期「風の薔薇」を復刊して、わたしに編集させてくれないかしら? と頼みこんでみた」とのことで、「言葉もコミュニケーションもすさまじいスピードで電子化され、この電子革命によって人類はまったく新しい文化の時代へと突入しつつあることは確かだし、雑誌は、そこでは最終的に絶滅危惧種であることは明白なのだが、だからこそ、終りつつあるメディアを触覚的にもう一度体験したいということかもしれない」とご自身の動機について綴っておられます。秋頃発売予定の次号特集は「夜、その明るさ」、もしくは「夜という光」と予告されています。


午前四時のブルー Ⅰ 謎、それは自分
小林康夫責任編集
水声社 2018年4月 本体1,500円 A5判並製128頁 ISBN978-4-8010-0341-5

★ジョルジュ・バタイユさん(著書:『マネ』)
1927年の小品「太陽肛門〔L'Anus Solaire〕」の酒井健さんによる新訳が景文館書店さんより出版されました。長篇の訳者解題「輝くテクストの前夜にさまよう―-愛欲の孤独と豊穣なるパロディ」が併載されています。景文館書店さんから発売となる、酒井さんによるバタイユ新訳本は『ヒロシマの人々の物語』『魔法使いの弟子』に続いて3点目です。


太陽肛門
ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳
景文館書店 2018年5月 本体520円 四六判ブックレット64頁 ISBN978-4-907105-07-5


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注目新刊:アスペイティア『ヴェネツィアの出版人』作品社、ほか

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『ヴェネツィアの出版人』ハビエル・アスペイティア著、八重樫克彦/八重樫由貴子訳、作品社、2018年5月、本体2,800円、四六判上製370頁、ISBN978-4-86182-700-6

『はじめての沖縄』岸政彦著、新曜社、2018年5月、本体1,300円、四六判並製240頁、ISBN978-4-7885-1562-8
『東大闘争の語り──社会運動の予示と戦略』小杉亮子著、新曜社、2018年5月、本体3,900円、A5判上製480頁、ISBN978-4-7885-1574-1
『天皇陵と近代――地域の中の大友皇子伝説』宮間純一著、平凡社、2018年5月、本体1,000円、A5判並製92頁、ISBN978-4-582-36451-4
『熊野と神楽――聖地の根源的力を求めて』鈴木正崇著、平凡社、2018年5月、本体1,000円、A5判並製116頁、ISBN978-4-582-36452-1
『神代文字の思想――ホツマ文献を読み解く』吉田唯著、平凡社、2018年5月、本体1,000円、A5判並製100頁、ISBN978-4-582-36453-8



★『ヴェネツィアの出版人』はスペインの作家にして編集者であるハビエル・アスペイティア(Javier Azpeitia, 1961-)による小説『El impresor de Venecia』(Tusquets Editores, 2016)の訳書。「グーテンベルクによる活版印刷発明後のルネサンス期、イタリック体を創出し、持ち運び可能な小型の書籍を開発し、初めて書籍にノンブルを付与した改革者。さらに自ら選定したギリシャ文学の古典を刊行して印刷文化を牽引した出版人、アルド・マヌツィオの生涯」(帯文より)を描いた長篇小説です。


★序章「何年ものち」で描かれている、アルドの妻マリアと息子パオロとの対話(27~28頁)が印象的です。パオロはアルドの伝記を執筆すべく母に父親のことを尋ね、マリアはためらいつつ答えようとします。


「言っても差支えのないことだけを書く。何でも思いのままに書ける時代ではなかったのよ、パオロ。いずれあなたにも理解できると思うけど」
「書けないようなことって、父さんは何を考えていたの?〔・・・〕」
「思いを表現することはいつの時代にも危険を伴う行為だった。思考が制限されたのではなく、表現が制限されたのよ。〔・・・〕思想の表現が制限されたのは今に始まったことではない。だけどキリスト教が文化の中心になって以来、人々は思ったことを書かなくなった。何世紀にもわたって敷かれた規制によって、数多くの思想の生命力が弱められて現在に至っている。〔・・・〕」
「ほかに父さんが出版したかったけど、できなかった本は何?」
「何の変哲もない一冊の本。広範にわたる完璧な対話が綴られ、タイトルも著者も偽った上で、一般的でない言語に翻訳されて生き延びたものよ」
「誰にも読まれぬように隠されたってこと?」
「誰にも破壊されぬようによ」


★巻末の訳者あとがきでは、本書刊行当時の2016年に行われたインタヴューでアスペイティアが次のように語っていたことが紹介されています。「文芸復興のルネサンス期に深く浸る中、印刷・出版を取り巻く当時の状況と今の状況に相似点が多いことに少なからず驚かされた」と。また別の機会には次のように語ったと言います。「技術と生産性を重視する職人と商人が印刷事業の実権を握り、菓子のごとく本を作っては売っていた時代に、アルドは絶えず文学的意義から良書を出版する方法を模索し、常軌を逸した試みをいくつも打ち出した。アリストテレスの全集をはじめとする、ギリシャ文学の原典にこだわったのもその一つだし、みずから出版物の選定をし、校正をしていたことも当時としては革新的だった」。今また「菓子のごとく本を作っては売って」いる時代にあって、アスペイティアが本書に込めたメッセージを私たちはどう受け取るべきでしょうか。


★『はじめての沖縄』は「よりみちパン!セ」シリーズ復刊第一弾として刊行された6点の内の1冊。ほかの5点は同シリーズの理論社版(2004~2010年)やイースト・プレス版(2011~2014年)で刊行されたものの決定版や増補新版、改訂新版で、『はじめての沖縄』のみ新曜社版で初めて刊行されるもの。2015年から2017年にかけて各紙誌などで発表されてきたテキストを中心に再構成し、大幅な加筆修正を施したもの。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。なお本書の刊行を記念し、以下の通り催事が続々と行われる予定だそうです。


「境界線を抱いて」(お相手:温又柔さん)5月27日(日)18時~、青山ブックセンター本店
「マジョリティとはだれか」(お相手:信田さよ子さん)6月9日(土)14時~、八重洲ブックセンター本店
「ほんとうの沖縄、ふつうの沖縄」(お相手:新城和博さん)6月17日(日)14時もしくは15時~、ジュンク堂書店那覇店
「刊行記念トーク」6月30日(土)13時~、心斎橋・スタンダードブックストア
「はじめての大阪」(お相手:柴﨑友香さん)7月21日(土)17時~、梅田蔦屋書店
「欲望すること/されることのキモさについて」(お相手:川上未映子さん)8月3日(金)19時~、新宿・紀伊國屋ホール


★『東大闘争の語り』は、あとがきによれば「2016年1月に東北大学大学院文学研究科に提出した博士論文「1960年代学生運動の形成と展開――生活史にもとづく参加者の政治的志向性の分析」に大幅に加筆修正を加えたもの」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「1960年代学生運動と現在のあいだに存在する断絶を踏まえつつ、1960年代学生運動に参加した当事者の動機・問題意識と運動の論理にかんする内在的分析を行い、その歴史的意義を明らかにする」(17頁)とのことです。


★平凡社さんのブックレット〈書物をひらく〉の第11巻、第12巻、第13巻が同時配本。『天皇陵と近代』は、「伝承を発掘し、大友皇子の墓(弘文天皇陵)が自分たちの地域にあることを検証・主張して、それを認めさせることに奔走した人びとの営為を追跡し、その歴史的事情、また、それがもたらした効果を探り当てる」(カバーソデ紹介文)もの。『熊野と神楽』は「各地に伝播した熊野信仰が神楽を生成して地域的展開を遂げた諸相を考察し、精緻の根源的力とは何であったかを探求するもの」(はじめに)。『神代文字の思想』は「ホツマ文献を筆頭とした神代文字文研研究を思想史研究の土俵にあげ」(あとがき)、神代文字が生み出された背景を探るもの。


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ブックツリー「哲学読書室」に、藤野寛さんの選書リストが追加されました

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オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、『友情の哲学』(作品社、2018年4月)の著者、藤野寛さんによるコメント付き選書リスト「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う」が追加されました。
◎哲学読書室1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる」
2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!」
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える」
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想」
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている」
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために」
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える」
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?」
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す」
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について」
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも」
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在」
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流」
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ」
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書」
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する」
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ」
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!」
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える」
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために」
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流」
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える」
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る」

27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う」


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注目新刊:『歩く、見る、待つ――ペドロ・コスタ映画論講義』ソリレス書店

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『ツァラトゥストラ』ニーチェ著、手塚富雄訳、中公文庫、2018年5月、本体1,500円、文庫判768頁、ISBN978-4-12-206593-2
『ヴィトゲンシュタイン 世界が変わる言葉 エッセンシャル版』ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著、白取春彦訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2018年5月、本体1,000円、文庫判224頁、ISBN978-4-7993-2269-7
『ヨーロッパ中世象徴史』ミシェル・パストゥロー著、篠田勝英訳、白水社、2018年5月、本体7,500円、A5判上製436頁、ISBN978-4-560-09639-0



★3点の再刊書に注目。新組新版、縮約版、復刊とさまざま。まず『ツァラトゥストラ』は読みにくい箇所もあった旧版を新組にして一新、巻末に三島由紀夫と訳者の対談「ニーチェと現代」(1966年の『世界の名著』第1回配本である第46巻「ニーチェ」に付属する月報に所載)が新たに加わっています。手塚訳はこの著作の揺るぎない名訳であり、これからも長く愛読されるに違いありません。帯表4での予告によれば中公文庫の「プレミアム」シリーズではパスカルの『パンセ』やデュルケームの『自殺論』の新版が続刊予定とのことです。


★『ヴィトゲンシュタイン 世界が変わる言葉 エッセンシャル版』は『超訳 ヴィトゲンシュタインの言葉』(2014年8月刊)の縮約文庫版。ヴィトゲンシュタインの文庫本では『論理哲学論考』『青色本』『講義』などがありますが、本書の場合はぜひ哲学を敬遠してきた読者に、とっかかりとしてお薦めしたい一冊。文庫判のハンディさがやはり良いです。


★『ヨーロッパ中世象徴史』は2008年刊で古書価がなかなか低くならないいわば「定番書」の復刊。今回の復刊本も早めに購入しておかないと遠からず品切になるであろう予感がします。原書は『Une histoire symbolique du Moyen Âge occidental』(Seuil, 2004)。パストゥロー(Michel Pastoureau, 1947-)はフランスの歴史家で中世や紋章学が専門。かのレヴィ=ストロースのはとこでもあります。本書以外にも長らく品切になっている書目はどんどん文庫化されると良いなと願うばかりです。


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★次に最近出会った新刊を列記します。


『歩く、見る、待つ――ペドロ・コスタ映画論講義』土田環編訳、ソリレス書店、2018年5月、本体1,800円、四六判並製184頁、ISBN978-4-9084350-0-3
『人形論』金森修著、平凡社、2018年5月、本体3,200円、A5判上製312頁、ISBN978-4-582-20646-3
『聴竹居――日本人の理想の住まい』松隈章著、古川泰造写真、平凡社、2018年5月、本体9,800円、B5変判上製264頁、ISBN978-4-582-54463-3
『プロパガンダの文学――日中戦争下の表現者たち』五味渕典嗣著、共和国、2018年5月、本体4,200円、四六判上製448頁、ISBN978-4-907986-45-2
『クルアーン入門』松山洋平編、作品社、2015年5月、本体2,700円、46判並製528頁、ISBN978-4-86182-699-3
『現代思想2018年6月臨時増刊号 総特集=明治維新の光と影――150年目の問い』青土社、2018年5月、本体1,300円、A5判並製198頁、ISBN978-4-7917-1365-3
『文藝別冊 追悼石牟礼道子――さよなら、不知火海の言魂』河出書房新社編集部編、河出書房新社、2018年5月、本体1,300円、A5判並製224頁、ISBN978-4-309-97941-0


★『歩く、見る、待つ』は副題にある通り、ポルトガルの映画監督ペドロ・コスタ(Pedro Costa, 1959-)による2004年、2010~2012年に行われた来日講義をまとめたもの。目次は以下の通りです。


序 私たちの糧となる言葉との出会い(諏訪敦彦)
講義Ⅰ(2010年7月28日、東京造形大学)
講義Ⅱ(2011年11月30日、東京造形大学)
講義Ⅲ(2012年12月5日、桑沢デザイン研究所)
講義Ⅳ(2004年3月12日~14日、映画美学校)
監督プロフィール&フィルモグラフィ
編者あとがき 言葉の切り開く像(土田環)


★講義Ⅰでの学生との質疑応答の中で監督はこう述べています。「映画を撮る時に、ドキュメンタリーであるのかフィクションであるのかを問うよりも、具体的にはどのように撮ればよいのかと考えてみることの方がより実り多いものになるのではないでしょうか。朝に目覚めて、身支度をする光景を撮影するとします。鏡を見ながら、顔を洗うか髭を剃ろうかとしていて、ふと目を足下に落とす。足が床に着いているという、ただそのことに初めて気づく。この一連の流れはフィクションでもドキュメンタリーでもありません。単に、誰も気づかず、これまで撮られたことのないことがらであるに過ぎません。しかし、そこには幾千、幾万もの物語が紡がれる可能性が秘められているのではないか。映画というメディアはとうの昔に死んでいると唱える人もいますが、私に言わせれば映画はまだまだ先史時代にあるようなものです。つまり、足が床に着いているその事実は、いまだに映画には撮られていない。そこには世界の歴史というものが、手垢のつかない状態で残されているのではないでしょうか。/こうした問いかけは、文学のなかでなされてきたことです。マルセル・プルーストの『失われたときを求めて』という作品は、先ほど私が言ったことを探求するものだったと思います。その試みを前にして、ブレッソンも小津もゴダールも、実際にはまだ映画が撮れていないのです。私は楽観的なのかもしれません。だからこそ、足を床に着けてみる。そのことによって開かれるいくつもの物語があることをもう少し考えてみたいのです」(26~27頁)。なんという繊細で力強い発言でしょうか。


★『人形論』は2016年に逝去された、科学哲学研究の第一人者・金森修さんの遺作。帯文に曰く「祓除の土偶や天児(あまがつ)から、ビスクドールやゴシックドール、さらには究極のフェティッシュであるラヴドール、果てはロボットやレプリカントまで、広汎豊穣な人形ワールドを〈人形三角錐〉という独自の概念枠で俯瞰」と。第一章「人形の〈三角錐〉」において金森さんはこう書いておられます。「人形史をごく大雑把に見渡した中で、多彩極まりない人形ワールドを概念的に横切る一種の基底のようなものが存在するという仮説が浮上してくる。それは呪術、愛玩、鑑賞という三つの概念である。〔…それらを〕三頂点とする〈人形三角形〉に三次元的な成分を組み込み、物質性という共通項を一つの頂点とする〈人形三角錐〉を作る」(48~49頁)。また、金森さんは本書について「一種の〈亜人論〉を構成する」(9頁)とも述べています。『ゴーレムの生命論』(平凡社新書、2010年)とともにこの分野の基礎文献となるだろう一冊で、巻末の、雑誌や洋書、映像資料を含む文献一覧をもとに本書を中心としたフェアや「人形棚」が構想できそうです。



★『聴竹居』は建築家の藤井厚二が京都・大山崎町の天王山の麓に1928年(昭和3年)、5回目となる自邸として建てた木造平屋建ての実験住宅「聴竹居(ちょうちくきょ)」を、180点の写真と図、詳細な実測図360点を添え日英併記で全貌を詳しく紹介した、重厚な大型本。3年前に「コロナ・ブックス」シリーズで発売された同名の公式ガイドブックに続く、いわば「コンプリートブック」です。重要文化財として昨年指定されたその美しさには圧倒されるばかりです。藤井による調度品や、聴竹居の後に手掛けた注文住宅「八木邸」についても紹介。4篇の解説――藤森照信「〈モダニズム〉の原点」、深澤直人「聴竹居――行為に相即する家」、堀部安嗣「聴竹居が伝えるもの」、松隈章「「聴竹居」の歩み」を併載。



★『プロパガンダの文学』は巻頭の「はじめに」によれば「日中戦争の同時代に戦争や戦場を主題としたテクストを取り上げ、戦時下における〈戦争の書きかた〉について論じるもの」(13頁)で、その目的は「日中戦争期の日本帝国の側から見た戦争・文学・プロパガンダの関係を問うことにある」(40頁)とのこと。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。著者の五味渕典嗣(ごみぶち・のりつぐ:1973-)さんは大妻女子大学文学部教授。ご専門は近現代日本語文学・文化研究です。本書のあとがきにおいて五味渕さんはこう綴っておられます。「着々と準備されつつある次なる戦争に向けて、反戦の論理をいかにアップデートさせていくかは喫緊の課題であろう」(442-443頁)。誰がこの言葉を笑い飛ばせるでしょうか。


★『クルアーン入門』は「クルアーンの定義と構成」「クルアーン解釈の前提」「クルアーン解釈の方法」「トピックから探るクルアーンの思想」の四部構成。「クルアーンはどのような構造を持つ聖典であり、どのように読まれ、解釈されるのか〔…〕読者がクルアーンをみずから読み解いていくための「ツール」を提供することを目指した」(まえがき、3頁)とあります。附録として「術語集」「固有名詞のアラビア語読みと標準日本語表記対応表」「クルアーンの章名日本語訳一覧」を収録。『日亜対訳 クルアーン』(2014年)を始め、イスラーム関連の書籍を続々と出版されている作品社さんならではの入門書となっています。


★『現代思想2018年6月臨時増刊号 総特集=明治維新の光と影』は副題にある通り明治維新150年を記念した総特集号。姜尚中さん、成田龍一さん、須田努さんによる討議「光と影/光は影――明治維新150年:重層化する歴史像」をはじめ、酒井直樹さんやキャロル・グラックへのインタヴュー、大澤真幸さんのエッセイなど、歴史を問い直し、現代人の立ち位置を見直す様々な視点が提出されています。「西郷どん」コーナーを作っている書店さんには併売をお薦めしたいです。


★『文藝別冊 追悼石牟礼道子』は石牟礼さんへの愛を感じる追悼号。赤坂真理さんの寄稿「石牟礼道子という謎に動かされたい」での言葉を借りれば、石牟礼さんの文学世界と読者との「もやい始め」ともなる一冊です。赤坂さんは石牟礼文学を宮澤賢治やジブリアニメの世界に近いものと指摘されています。志村ふくみさんは「あるとき、襤褸裂のような織物が突然荘厳され光の射す瞬間を石牟礼さんは描き切って下さった」と表現されています(「えにし まぼろしふかくして」11頁、初出「三田文學」2015年秋季号)。坂口恭平さんの「みっちんの歌」が印象的です。「みっちんは歌だ。だから、肉体そのものとなって、口を開き、体を振動させ、声帯を鳴らせば、いつでもみっちんが途端にあらわれでてくる。これからも死ぬまでずっと歌をうたっていこう、そうすれば何も消えることはなく、ささやかな風と同じように今もこの現実に漂い続けることができる」(34頁)。


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★最後に先月の新刊で言及できていなかった書目を列記します。


『アメリカのユートピア――二重権力と国民皆兵制』フレドリック・ジェイムソンほか著、スラヴォイ・ジジェク編、田尻芳樹/小澤央訳、書肆心水、2018年4月、本体3,500円、四六判上製384頁、ISBN978-4-906917-78-5
『戦争経済大国』斎藤貴男著、河出書房新社、2018年4月、本体1,800円、46判変形上製320頁、ISBN978-4-309-24857-8
『ブーレーズ/ケージ往復書簡 1949-1982』J=J・ナティエ/R・ピアンチコフスキ編、笠羽映子訳、みすず書房、2018年4月、本体6,200円、A5判上製336頁、ISBN978-4-622-08685-7
『ギリシア神話シンボル事典』ソニア・ダルトゥ著、武藤剛史訳、文庫クセジュ、2018年4月、本体1,200円、新書判172頁、ISBN978-4-560-51019-3
『早稲田文学 2018年初夏号』早稲田文学会発行、筑摩書房発売、2018年4月、本体1,900円、B5変判並製400頁、ISBN978-4-480-99314-4



★『アメリカのユートピア』は『An American Utopia: Dual Power and the Universal Army』(Verso, 2016)の訳書。100頁を超えるジェイムソンによる表題作論文を中心に、SF作家キム・スタンリー・ロビンソンによる短編小説や、ジョディ・ディーン、サロジ・ギリ、アゴン・ハムザ、柄谷行人、フランク・ルーダ、アルベルト・トスカーノ、キャシー・ウィークス、スラヴォイ・ジジェクらによるジェムソンへの応答論文が掲載されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ジジェクは序言でこう述べています。「ジェイムソンの『アメリカのユートピア』は、解放された社会に関する左翼のスタンダードな観念を根底的に問い直す。その際、社会の共産主義的な再編のモデルとして、とりわけ、国民皆兵制を唱え、羨望と敵意を共産主義社会の中心的問題として完全に認定し、仕事と快楽の分割を乗り越えるという夢を拒絶する。社会を変えるには、解放された社会に関する夢を変えることから始めるべきだという格言に従ったジェイムソンのテクストは、グローバル資本主義へのありうる、また想像可能なオルターナティヴに関する討論を引き起こす理想的な位置にある」(9頁)。


★訳者あとがきで田尻さんはジェイムソン論文についてこう解説しています。「本論文の核になる新しい視点は「二重権力」という概念である。公式の政府と並行して統治が成立するこの状態こそ、共産主義と社会民主主義の失効の中で資本主義を抜け出す第三の道なのだとジェイムソンは言う。二重権力が目指すのは、金融の国営化、公教育と医療の無料化をはじめとする伝統的な左翼の目標である。そして現代社会において二重権力の候補となりうるものとして労働組合、郵便局、専門職、宗教を否定した後に持ち出してくるのが軍隊なのだ。資金不足であるとはいえ、すでに軍隊は医療国営化に類するものを実現しているではないか。軍隊を再国営化することで様々な社会主義的施策を実現してゆくことができるのではないか。〔…〕つまるところ徴兵制再導入は、やはりユートピア的提案と言うほかないのであって、彼はそれを提案すること自体によって現代におけるユートピア的ヴィジョンを再活性化しようとしているのだ」(366~367頁)。第六章の柄谷さんの論文「日本のユートピア」では『憲法の無意識』(岩波新書、2016年)と共通する論点を見出すことができます。


★『戦争経済大国』は帯文に曰く「構想10年、この国最大のタブーを暴き、これまでの戦後論を塗り替える画期的労作」と。巻頭の「「平和憲法」の陰で――はしがきに代えて」で斎藤さんは次のように書いておられます。「本書の眼目は、そもそも過去の高度経済成長自体が、甚だしい無理の産物であった実態を審らかにすることにある。/甚だしい無理とは「戦争」だった。戦後の日本経済は、平和憲法を前面に掲げながら、その実、常にアメリカの戦争に加担することから得られた果実によって成長してきたと言って過言でない。復興の足掛かりは朝鮮戦争による直接特需だったし、それが一過性に終らなかったのは、ベトナム戦争に伴う間接特需、および列島を挙げて米軍の兵站基地あるいは最前線基地に提供した見返りとしての、北米市場の開放のためであった」(6頁)。「一応は反戦を掲げてはいた労働組合や市民運動が間接特需の恩恵をよくよく承知していたせいもあったのか、私の実感では、この点、高度経済成長以降の日本社会にとっては、きわめて大きなタブーであり続けてきたのではないか」(同)。


★さらにこうも書かれています。「直接の戦闘行為に手を染めたか染めなかったかの間には、もちろん天と地ほどの差がありはする。ではあるにせよ、他国の人々の不幸に乗じて儲けたことには変わりがないではないか。/私たちが今なすべきことは、危機的状況への対処だけでなく、戦後の高度成長時代を改めて掘り下げ、もっと言えば批判的に検証して、せめて教訓にしていくことだと考える」(7頁)。あとがきではすでに本書の続編が構想されていることが明かされています。その続編では湾岸戦争から現在にいたる、戦争と日本経済の関連が分析されるようです。


★『ブーレーズ/ケージ往復書簡』は『Pierre Boulez – John Cage, Correspondance et documents』(Paul Sacher Stiftung, 2002)で、1990年に刊行されたものの改訂新版の翻訳です。全部で50通収められた手紙は中盤以降では両者ともに母国語でのみ書くようになっており、訳者のご苦労が偲ばれます。カヴァー表4の紹介文に曰く「現代音楽の最前線や二人の交友、共感、距離感、決裂にいたる様子が、ここに初めて明らかになる」と。巻頭には改訂新版の責任者であるロベール・ピアンチコフスキによる「前置き」とそれに続く論考が置かれ、巻末には初版の共編者であるナティエの論文と登場人物を簡潔に紹介する人名録が配されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。



★『ギリシア神話シンボル事典』は『Lexique des symboles de la mythologie grecque』(PUF, 2017)の訳書。カヴァー表4の紹介文に曰く「多神教、神人同形論といったギリシア神話の世界観の理解を助ける145のシンボルを集めて解説」したもの。基本的に読む辞典であり、図版がないのは、同シリーズのミシェル・フイエ『キリスト教シンボル事典』(文庫クセジュ、2006年;原著2004年)と同様ですが、その分コンパクトにまとまっています。両書とも、武藤剛史さんがお訳しになっています。
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★『早稲田文学 2018年初夏号』の特集は「戦時下上海の日本語総合雑誌『大陸』再発見」。編集協力は秦剛(しん・ごう:1968-)さんと大塚英志さん。特に大塚さんの論考「可東みの助の運命――戦時下の編集的人間とその生き方」が興味深いです。「戦時下の「宣伝戦」に於いて実は最も新しいメディア技術は「編集」であった〔…〕。「国家報道」すなわち戦時下のプロパガンダという禁断の技術の実践を標榜した報道技術研究会が「宣伝」の理論化を戦時下に進め、戦後の宣伝技術の出発点となった〔…〕。「編集」とは多メディア間の総合芸術と主張され〔…〕プロパガンダのために多メディア間で感覚的素材を「時間的・空間的に配置・構成・綜合」する技術が「編集」である。そういう「編集論」がみの助とそう遠くない人々の間で語られていたことは注意していい」(235~236頁)。上記引用からは省略したものの、ここではかの報研(報道技術研究会:1940-1945)編による唯一の理論書『宣伝技術』(生活社、1943年)所収の一章、大久保和雄による「編集技術」の一節が引かれており、社会工学と編集技術の原理的な交差が目を惹きます。ちなみに川本健二さんの論文「対外宣伝グラフ雑誌『FRONT』における「立体性」――日本の戦時下における報道写真と構成主義の一つの展開として」(『表現文化研究』第10巻第2号、神戸大学表現文化研究会、2011年)によれば「大久保和雄は、原弘らと同様、東京府立工芸学校印刷科を卒業して日本宣伝協会などに勤務し、報道についての研究をしていた」(154頁)とあります。



★同誌で連載開始となった、ジャン・リカルドゥー「新訳・評注 言葉と小説」(芳川泰久訳、渡部直己評注)は第1回「エクリチュールと小説――変化する現実、現実の変異体〔ヴァリアント〕」を掲載(303~338頁)。上段に訳文、下段に評注、見開左端に訳注が配置されています。原典は『Problèmes du Nouveau roman』(Seuil, 1967)で、やはり紀伊國屋書店「現代文芸評論叢書」で1969年に刊行された野村英夫訳『言葉と小説――ヌーヴォー・ロマンの諸問題』の新訳です。


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注目新刊:土田知則『ポール・ド・マンの戦争』は若きド・マンによる記事12篇を併録

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★ポール・ド・マンさん(著書:『盲目と洞察』)
ベルギー時代のド・マンの反ユダヤ的言説をめぐって考察された土田知則さんの最新著『ポール・ド・マンの戦争』(彩流社、2018年5月、本体1,800円、四六判並製228頁、ISBN978-4-7791-7103-1)において、ドイツ占領下時代のベルギーで執筆されたド・マン自身の新聞記事12篇が訳出されています。


「現代文学におけるユダヤ人」1941年3月4日「ル・ソワール」紙
「シャルル・ペギー」1941年5月6日「ル・ソワール」紙
「批評の現代性について」1941年12月2日「ル・ソワール」紙
「ドイツ現代文学への手引」1942年3月2日「ル・ソワール」紙
「フランス文学の現代的諸傾向」1942年5月17-18日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「ヨーロッパという概念の内実」1942年5月31日-6月1日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「批評と文学史」1942年6月7-8日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「フランス詩の現代的諸傾向」1942年7月6-7日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「文学と社会学」1942年9月27-28日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「戦争をどう考えるか?」1939年1月4日「ジュディ」紙
「イギリスの現代小説」1940年1月「カイエ・デュ・リーブル・エグザマン」誌
「出版社の仕事」1942年10月「ビブリオグラフィ・ドゥシェンヌ」誌


最後の「出版社の仕事〔Le métier d'éditeur〕」について、土田さんは「編集者ド・マンの姿を生き生きと彷彿させる興味深い一篇である。ド・マンは十代の頃から編集者として豊富な経験を積んでいる。つまり、この道ではプロ中のプロなのだ」と紹介しておられます。ド・マンは出版社の仕事の「おそらく最も重要な部分」として「探索=発掘」だと述べ(186頁)、次のように表明しています。「こうした仕事に当たるには、有り余るほどの見識や機転や批判=批評精神が、そしてまたしても、豊富な直感が要求されるのです」(186~187頁)。


さらにはこう結んでいます。「つまり、出版社・出版者は一種の仲介役に見えますが、真摯な創造的使命を担っています。該博な知識は言うに及ばず、天賦の才能を自然に備えていなければなりません。決して型通りの行動に身を委ねることはできないでしょう。一つ一つの新作、企画された一つ一つの叢書には独創的なアイデアが要求されます。出版に携わる者は刷新・考案・創造の人生を送らなければならないのです。出版社・出版者の仕事が極めて困難である――招かれる者〔競争者〕は多いが、選ばれる者〔成功者〕は少ない〔マタイ福音書22・14〕――のはこうした事情によります。ですが、その可能性やすばらしさをすっかり理解している人にとって、この仕事は抗し難いほど魅力的でもあるのです」(187頁)。当時ド・マンは数え年で23歳。だいぶハードルの高いことを仰っておられますが、あるべき姿としては否定できません。


なお本書は彩流社さんのシリーズ「フィギュール彩」の101番。ひとつ手前の100番は4月刊行、高山宏さんと巽孝之さんの『マニエリスム談義――驚異の大陸をめぐる超英米文学史』でこちらもまためくるめく一冊。先週末25日に東京堂書店神田神保町店で土田さんと巽さんのトークセッション「ポスト・トゥルースの現在を生き抜く批評理論」が行なわれましたが、これは活字化されてほしいなと願うばかりです。ちなみに巽さんの『盗まれた廃墟――ポール・ド・マンのアメリカ』も「フィギュール彩」の一冊であることは周知の通りです。


★清水一浩さん(共訳:デュットマン『友愛と敵対』)
青土社さんの月刊誌「現代思想」2018年6月号「特集=公文書とリアル」において、マウリツィオ・フェラーリスさんの論文「資本からドキュメディアリティへ」(145-164頁)の翻訳を手掛けられています。訳者附記で清水さんは本稿を次のように紹介しておられます。「著者の提唱するドキュメディアリティ概念をスケッチすべく、資本/工業/労働の時代およびスペクタクル/メディア/コミュニケーションの時代との関係を明快に図式化」と。



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★筑摩書房さんのPR誌「ちくま」2018年6月号(No.567)で絓秀実さんがご自身の著作『増補 革命的な、あまりに革命的な』(ちくま学芸文庫、2015年5月)をめぐって「一九六八年の「狂気」」という文章を寄せておられ、そこで編集者・中野幹隆さんに言及され、弊社刊『多様体』第1号に掲載された檜垣立哉さんの論考「後期資本主義期のなかの哲学【1】中野幹隆とその時代(1)」にも触れて下さっています。そして、中野さんが編集された「パイデイア」のフーコー特集号の編集後記(1972年)について次のように書かれています。「誤解を恐れずに言えば、それは、理解をしりぞける「狂気」のようなものであり、それなくしては、日本に「68年の思想」が導入されることもなかっただろうということだ」。


本稿の締めくくりはこうです。「15年前に出した拙著『革命的な、あまりに革命的な』を読み返しながら、私はそれが、中野幹隆という編集者の仕事に負っているところが少なくないことに気づいて、ふと嘆息することがあった。だが、私は中野の「狂気」を、どのくらい分有していたのだろうか」。別の箇所では絓さんは親しみを込めて、「ややクレイジーな、文脈無視の中野のキャラクター」と回想されています。中野さんの卓抜な編集センスについて「狂気」と端的に分析されておられることに強い感銘を覚えました。


私のような後進の者にとって、中野さんの「文脈無視」はコンテクストを新たに作り直す編集技法の核そのものと映っていたのですが、そうした美しい整理では中野さんの「狂気」までにはたどり着けないのでした。自分の年齢と同じ、半世紀前の「狂気」を理解しようとすることは容易ではありませんが、編集と狂気という主題について――それは「編集狂」の話ではなくむしろ「狂編集」に近いです――思索を深めていきたいと感じました。


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注目新刊:『ゲンロン8』『未明02』『窮理 第9号』ほか

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『ゲンロン8 特集:ゲームの時代』ゲンロン、2018年5月、本体2,400円、A5判並製342頁、ISBN978-4-907188-25-2
『未明 02』未明編集室編、イニュイック発行、2018年5月、本体2,700円、A5判変型上製500頁、ISBN978-4-9909902-1-3
『窮理 第9号』窮理舎、2018年3月、本体650円、A5判並製64頁、ISBN 978-4-908941-06-1
『文学部唯野教授・最終講義 誰にもわかるハイデガー』筒井康隆著、河出書房新社、2018年5月、本体1,200円、46変形判上製140頁、ISBN978-4-309-24865-3
『東方教会の精髄 人間の神化論攷――聖なるヘシュカストたちのための弁護』G・パラマス著、大森正樹訳、知泉書館:知泉学術叢書、2018年5月、本体6,200円、新書判上製576頁、ISBN978-4-86285-275-5
『数と易の中国思想史――術数学とは何か』川原秀城著、勉誠出版、2018年5月、本体7,000円、A5判上製256頁、ISBN978-4-585-21045-0
『平等主義基本論文集』ジョン・ロールズ/リチャード・アーネソン/エリザベス・アンダーソン/デレク・パーフィット/ロジャー・クリスプ著、広瀬巌編・監訳、勁草書房、2018年5月、本体3,200円、四六判上製260頁、ISBN978-4-326-15453-1
『依存的な理性的動物――ヒトにはなぜ徳が必要か』アラスデア・マッキンタイア著、 高島 和哉訳、法政大学出版局、2018年5月、本体3,300円、四六判上製288頁、ISBN978-4-588-01076-7
『アルペイオスの流れ――旅路の果てに〈改訳〉』ロジェ・カイヨワ著、金井裕訳、法政大学出版局、2018年4月、本体3,400円、四六判上製234頁、ISBN978-4-588-01078-1



★『ゲンロン8 特集:ゲームの時代』は書店での一般発売開始が6月7日(木)からの予定。版元ウェブサイトでの紹介文によれば、「ゲームという新しい技術あるいはメディアは、いかに21世紀を生きるわたしたちの生と認識を規定しているのか。 その連関を探る、ゲンロン史上最大の大型特集!」と。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。東浩紀さんによる巻頭言「二一世紀の『侍女たち』を探して」には次のように書かれています。


★「フーコーが行なったのは〔…〕ベラスケスが『侍女たち』に潜ませたある仕掛けが、画家本人も意識しないままに同時代人の世界観や学問観を反映してしまう、その連動を明らかにすることでヨーロッパの思想史全体に対して新しい視点をもちこむという試みだった。〔…〕このようにしてはじめてフーコーは、芸術と政治を、同じ表象史の表裏として統合する枠組みを手に入れることができたのである。そこでは作品の分析は矛盾なく歴史につながり、テクストの解釈は矛盾なくメディアの研究につながり、批評は矛盾なく社会学につながることになる。/ぼくは20年前、表象文化論からこのような理想を受け取った。その理想はいまもぼくのなかに生きている。/だからぼくは、いつも第二の『侍女たち』を探している。作品を分析することが、そのまま時代を分析することに、とりわけ同時代人の思想や世界観を分析することにつながる特異点を探している」(9頁)。


★「ぼくは批評家や哲学者を名乗ることが多いが〔…〕けっして純粋な批評家や哲学者ではない。あくまでも、表象文化論出身の批評家であり、哲学者である。/ぼくは繰り返し、その原点に立ち戻っている。〔…〕ぼくは哲学と社会学のあいだで引き裂かれている。だからぼくはときおり両者をつなごうと試みている。そしてそのときは必ず表象の問題に取り組んでいる」(10頁)。「ぼくはまだ、ぼくたちの時代の新しい政治と新しい実存をともに可能にするはずの新しいエピステーメーについて、説得力のある議論を提案できていない。/だからぼくは、今号でゲームについて考えることにした。ゲームの分析を通じて、もういちど新しいエピステーメーの分析に挑戦することにした。政治のゲーム化と実存のゲーム化をともに引き起こしている、ぼくたちの時代の新しい記号の条件について考えることにした。〔…〕そのアプローチは、哲学のものでも社会学のものでもない。表象文化論のものである。/けれどその学問の方法はいまだ確立していない。だから理解されない。〔…〕しかし、だからこそ、今号の野望は、いままでの号のなかでもっとも大きく深い」(10~11頁)。


★なおゲンロンさんでは7月以降に単行本シリーズ「ゲンロン叢書」の刊行を開始するとのことです。第1弾は第8号に広告が出ており、いわき市のアクティヴィスト小松理虔(こまつ・りけん:1979-)さんの『新復興論』になるそうです。『ゲンロンβ』での好評連載に大幅加筆を施したもの。広告では同シリーズについて「ゲンロンが送り出す、いまもっともアクチュアルでもっとも反時代的な新時代の人文書シリーズ」と紹介されており、何人かの著者の名前が挙がっています。これは楽しみです。また9月刊行予定の「ゲンロン」誌第9号は第1期最終号として「第1期のあらゆる伏線を回収し、第2紀の飛躍を準備する人文知の本当の再起動」と次号予告に謳われています。


★「ポエジィとアートを連絡する叢書」を謳う『未明』は2017年3月に創刊。先月発売となった02号は、01号にも増して、美しい造本に美しいレイアウト、美しい装画や写真の数々に美しい言葉たちが心地よい、買って損はない一冊。とにかく現物の中身を実見することを強くお薦めします。その意味ではリアル書店にとって実にありがたい存在だと思います。一方、『窮理』は「物理系の科学者が中心になって書いた随筆や評論、歴史譚などを集めた、読み物を主とした雑誌」で2015年7月に創刊。スリムな飾らないたたずまいが手に取りやすい、良質な科学読物です。最新号は今年3月に発売された第9号。電子版もありますが、紙媒体は部数限定のため、取扱書店でぜひご覧になって下さい。



★『文学部唯野教授・最終講義 誰にもわかるハイデガー』は奥付前の特記によれば、1990年5月14日に池袋西武スタジオ200において行なわれた筒井さんの講演「誰にもわかるハイデガー」を録音した「新潮カセット」(1990年10月刊)の内容をもとにして書籍として再構成したもの。第一講が「なぜハイデガーか」「「現存在」ってどんな存在?」「実存とは人間の可能性のこと」の全三節で、第二講は「死を忘れるための空談(おしゃべり)」「「時間」とは何か?」「現代に生きるハイデガー」の全三節。解説として、大澤真幸さんによる「「誰にもわかるハイデガー」への、わかる人にだけわかる補遺」が付されています。


★この講義のそもそものきっかけであるメタフィクション『文学部只野教授』(1990年、岩波書店;2000年、岩波現代文庫)は、講義スタイルで印象批評からポスト構造主義までの文学理論を軽妙かつ簡潔に解説しつつ、一方で大学の学内政治と人間模様をユーモアと皮肉たっぷりに描いた問題作で、岩波現代文庫は昨年末で23刷を数えるロングセラーとなっています。その後、『文学部只野教授のサブ・テキスト』(文藝春秋、1990年;文春文庫、1993年、品切)や、『文学部唯野教授の女性問答』(中央公論社、1992年;中公文庫、1997年、品切)などのスピンオフを生み出したことは周知の通りです。


★『誰にもわかるハイデガー』は筒井さんのパートはかれこれ30年近く前になる講演にもかかわらず、帯文にある通りハイデガーの主著『存在と時間』の「超入門」となっており、その平易さたるや大澤さんをして「これ以上わかりやすく解説することは不可能だ」(95頁)と書かしめています。確かに、大げさな表現になることを承知のうえで言うなら、今なお空前絶後ではあります。作家のセンスをもってすれば、ここまでできるのだと感動するばかりです。『文学部只野教授のサブ・テキスト』に収録されている大橋洋一さんとの対談で筒井さんはこんなことを発言されていました。「結局、現存在というのは人間のことだし、どんどんやさしく書いていって、終いには童話にしてしまって、たとえば「ハイデガー坊や」なんてタイトルで、「人間はなぜ死ぬのだろう。人間は自分が死ぬことを知っていながら生きているんだなあ」とか、もちろんその調子で書いていったら、膨大なものになってしまうけど、できないことではないと思ったんですね。/これは面白いなと思って、小説を書いた後なんですけれども、小説〔『文学部只野教授』第五講「解釈学」〕よりももう少しやさしくして、もう少し詳しく、講演でやっているんですよ。〔…〕これは面白いですよ」(82~83頁)。


★ちなみに筒井さん自身は講義の最後でこう発言されています。「しかしながら今日、私がこれをお話ししたことでけっして、何度も申しますけれども、マスターしたとは思われないで、このもとの本をもう一度読んでいただきたい。そしてハイデガーをもっと深く理解していただきたいと思います」(92頁)。近年の『存在と時間』新訳ブームよりはるか昔に発表された講義録が今なお新鮮なのは、ハイデガー哲学が古びないことの証左でもあります。創文社版『ハイデガー全集』は同社が2年後に解散することによって未完結のまま途絶する危機に見舞われていますが、翻訳自体は今後も続いてほしいです。


★『東方教会の精髄 人間の神化論攷』は「知泉学術叢書」の第2弾。東ローマ帝国(ビザンティン帝国)後期におけるテサロニケの大主教グレゴリオス・パラマス(c.1296-1359)の主著『聖なるヘシュカストたちのための弁護』三部作の全訳です。解説に曰く「パラマスが弁護した「ヘシュカスム」とは、祈りの実践体系ともいうべきもので、一種の霊的運動でもある。〔…〕一心に祈りの中に深く入り込んで、雑念を払って神にのみ心・注意を向けるので、静寂(ヘーシュキア)を重要視するところから、ヘシュカスムという名称がつくことになったとされる」(491~492頁)。西方イタリア出身のバルラアムがこのヘシュカスムを異端視し告訴したことに対する反論が本書の内容です。「看過されてきた東方教会の霊性や神学や哲学的思想の精髄や伝統ともいうべきもの、またそのような領域にかかわる西方的理解と東方的理解の相克の場に出合う」ことにより、読者は「これまで閉ざされてきた世界の開陳に遭遇することになるだろう」と訳者は説明しておられます。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。


★川原秀城『数と易の中国思想史』は、中国の数術である暦算(主に天文学や数学)や占術などの術数学の研究書。巻頭の「前言」に曰く特に注力したのは、「暦算や占術の個々の技法・理論を逐一分析し、暦算と占術の不可分な関係を包括的に論じながら」、邵雍『皇極経世書』など、『四庫全書総目提要』の術数類数学属に注目して重点的に分析したこと、とあります。カヴァー紹介文に曰く「「数」により世界を理解する術数学の諸相を総体的に捉えることで、中国思想史の基底をなす学問の体系を明らかにする」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。


★『平等主義基本論文集』は、『平等主義の哲学――ロールズから健康の分配まで』(齊藤拓訳、勁草書房、2016年8月)の著者である、カナダ・マギル大学准教授・広瀬巌(ひろせ・いわお:1970-)さんの編・監訳によるアンソロジー集。分配的正義に関する最重要論文を一冊にまとめたもの。格差原理(difference principle;ロールズ)、運平等主義(luck egalitarianism;アーネソン)、民主的平等(democratic equality;アンダーソン)、優先主義(prioritarianism;パーフィット)、十分主義(sufficientarianism;クリスプ)といった「平等」を議論する上で代表的な論文を収録、と。この5つの主張は廣瀬さんの『平等主義の哲学』で概説されていたものです。



★収録先は以下の通り。ジョン・ロールズ「アレクサンダーとマスグレイヴへの返答」(原著1974年;石田京子訳)、リチャード・アーネソン「平等と厚生機会の平等」(原著1989年;米村幸太郎訳)、エリザベス・アンダーソン「平等の要点とは何か(抄訳)」(原著1999年;森悠一郎訳)、デレク・パーフィット「平等か優先か」(原著2000年;堀田義太郎訳)、ロジャー・クリスプ「平等・優先性・同情」(原著2003年;保田幸子訳)。編者あとがきによれば、これらに以下の2篇の併読が進められています。ロナルド・ドゥウォーキン「資源の平等」(『平等とは何か』第2章、木鐸社、2002年)、トマス・ネーゲル「平等」(『コウモリであるとはどのようなことか』第8章、勁草書房、1989年)。


★『依存的な理性的動物』は、『美徳なき時代』(篠崎榮訳、みすず書房、1993年)以来となる、アメリカの哲学者マッキンタイア(Alasdair MacIntyre, 1929-)の著書の、久しぶりの訳書。原書は『Dependent Rational Animals: Why Human Beings Need the Virtues』(Open Court, 1999)です。序文によれば本書は「1997年にアメリカ哲学協会の太平洋部門会議において3回にわたっておこなわれたケーラス講座の内容に加筆修正を施したもの」で、二つの主要な問いをめぐる思索が綴られています。それらの問いとは、「ヒトとヒト以外の知的な動物の種のメンバーが共通に備えている特徴に注意を払い、それらを理解することは私たちにとってなぜ重要なことなのか」。そして「人間の傷つきやすさ〔ヴァルネラビリティ〕と障碍〔ディサビリティ:能力の阻害〕に注目することは、道徳哲学者たちにとってなぜ重要なのか」というものです。「本書は、『美徳なき時代』や『誰の正義? どの合理性?』〔1988年〕や『道徳的探究の競合する三形態』〔1990年〕における私の初期の探究のいくつかの継続であるばかりでなく、それらの修正でもある」(iv頁)。目次詳細は書名のリンク先をご参照ください。


★訳者解説では著者の主張を次のように端的にまとめています。「私たちヒトが幸福な人生を送るうえで、自立した合理的行為者であることが重要な意義をもつとはいえ、そのような存在へと私たちが成長するうえで、またそういう存在であり続けるうえで、私たちは根源的かつ持続的なしかたで特定の他者たちに依存せざるをえない(つまり、彼らからさまざまな施しを受ける必要がある)。それゆえ、そのような特定の他者たちとの間の互酬的な関係性のネットワークとしてのコミュニティへの参加が、私たちには不可欠であり、翻って、そのようなコミュニティの維持と繁栄のためには、私たち一人ひとりが、自立した合理的行為者としての諸徳と、他者への依存の承認にかかわる諸徳の双方を身につけ発揮することが求められる。また、同じコミュニティのメンバーは――深刻な障碍を抱えているために合理的行為者として自立できないメンバーも含めて――お互いがお互いにとって、彼らの共通善と彼や彼女の個人的な善の双方について大事なことを伝えあい教えあう潜在的な可能性を有する存在であって、そのような存在としてつねに敬意をもって遇される必要がある」(250頁)。


★そして本書を次のように評価されています。「〈どのような思想や哲学にもとづき、どのようなコミュニティを創造すべきか〉という問題〔…〕本書は、この問題をさらに深く掘り下げて考えようとするすべての人々に有益な示唆を与えてくれるであろう」(253頁)。

★カイヨワ『アルペイオスの流れ――旅路の果てに〈改訳〉』は、金井裕さんによる訳書『旅路の果てに――アルペイオスの流れ』(法政大学出版局、1982年)の、カイヨワ没後40年記念改訳版。原書は『Le Fleuve Alphée』(Gallimard, 1978)です。 カイヨワの思想的自伝(訳者あとがき)であり、プルースト賞やヴェイヨン財団のヨーロッパ・エッセイ賞を受賞しています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。第Ⅰ部第七章「石についての要約」では、ラブラドル長石とモルフォ蝶の翅の偏光による青色に、カイヨワの言う「対角線の科学」の一例を見たくだりが書かれていて、その何たるかが端的に表現されています。「私の考えでは、対角線の科学は、類似してはいるが自然のなかに分散していて、当該の個々の学問からは無視されている現象を組織的に照合することで成り立つはずであった。事実、こういう現象は個々ばらばらに取り上げられれば、学問の内部でわずかな関心しかよばない珍奇なものにすぎない」。「偏光色の現象は私に擬態と仮面に関する〈斜めの〉研究を推し進め、さらに後年には、反対称に関する調査を始めるように促したのである」(136~137頁)。カイヨワ再読・再発見のきっかけとするにふさわしい一冊です。


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