★まもなく発売となる注目新刊3点を列記します。
『HAPAX 14 気象』夜光社、2021年11月、本体1,400円、四六判変形152頁、ISBN978-4-906944-22-4
『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』マーク・ボイル著、吉田奈緒子訳、紀伊國屋書店、2021年11月、本体1,900円、46判並製364頁、ISBN978-4-314-01187-7
『復讐の女/招かれた女たち』シルビナ・オカンポ著、寺尾隆吉訳、幻戯書房、2021年11月、本体4,800円、四六変形判ソフト上製512頁、ISBN978-4-86488-238-5
★『HAPAX 14』は「気象」特集号。表紙は空を写した写真が使われており、次の文言が記載されています。「パンデミックとそれを含む気候変動は、われわれの政治が「大地」と決別して「大気」から始めるべきことを告知している。気象は新たな生を開き、コミュニズムを放つだろう」。以下の7本が収録されています。
守中高明|インタビュー 念仏とは〈風-になること〉である――なぜ、他力=浄土の哲学なのか|聞き手=HAPAX
サブ・コーソ|放射能、パンデミック、蜂起|五井健太郎訳
彫真悟&阿弥田U子 from 神佛共謀社|霊の労働
鼠研究会|気象的コミュニズムのために――谷川雁、石牟礼道子、中平卓馬をめぐって
M・E・オブライエン|ジャンキー・コミュニズム|R/K訳
イドリス・ロビンソン|それはどのように為されねばならないかもしれないか|高祖岩三郎訳
エイドリアン・ウォーレベン|武器と倫理|高祖岩三郎訳
★オブライエンの論考「ジャンキー・コミュニズム」は雑誌『コミューン(Commune)』第3号(2019年)に掲載されたものの翻訳。「労働の尊厳が社会主義の基盤にあるとすれば、安定した雇用にありつけないジャンキーたちは、革命的プロジェクトのなかに居場所を持たない」(104頁)。「わたしたちの革命的政治は、自分たちの内側にある、ひどく破壊された数多の部分を抱きとめなければならない。その傷んだ部分からもっとも熱烈な革命的可能性を現れる。すべてを心から迎え入れるとともに、わたしたちがなんであれ――変人やクソッタレ、オカマやトラニー、荒くれ者や惨めな落ちぶれ者、中毒者やイカれた奴らであれ――そのすべてを引き寄せるコミュニズムの政治が必要だ。必要なのは、ジャンキー・コミュニズムである」(111頁)。
★『コミューン』誌や、新しいクイア・コミュニスト誌『ピンコ(Pinko)』での著者紹介によれば、ミシェル・エスター・オブライエンは、ブルックリン在住の母親、作家、教師。彼女はニューヨーク大学ギャラティン校でクィア研究を教え、ニューヨーク市のトランスジェンダー・オーラル・ヒストリー・プロジェクトのコーディネーターを務めている、とのことです。
★『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』は、『The Way Home: Tales from a Life Without Technology』(Oneworld Publications, 2019)の訳書。マーク・ボイル(Mark Boyle, 1979-)は、英国の自由経済運動の活動家で作家。『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(吉田奈緒子訳、紀伊國屋書店、2011年)、『銭経済宣言――お金を使わずに生きる方法』(吉田奈緒子訳、紀伊國屋書店、2017年)、『モロトフ・カクテルをガンディーと――平和主義者のための暴力論』(吉田奈緒子訳、ころから、2020年6月)に続く4冊目の翻訳となります。
★帯文に曰く「三年間お金なしで暮らした著者が、今度は電気や化石燃料で動く文明の利器を一切使わずに、仲間と建てた小屋で自給自足の生活をすることにした。火をおこし、泉の水を汲み、人糞堆肥で野菜を育て、鹿を解体して命を丸ごと自分の中にとりこむ。地域の生態系と調和した贈与経済の中で暮らす一年を、詩情豊かに綴る」と。本書冒頭にはこう書かれています。「この本で呼びかけたいのは、読者それぞれが自分の周囲の風景にどっぷり身をひたし、風景との密接な関係性をはぐくみ、生きるよりどころとすることである。みずからの住まう土地に居場所を見いだすことである。これは相当の大仕事といえよう。農民詩人パトリック・キャヴァナも随筆「教区と宇宙」でこう述べた。「一区画の耕地、地所でさえ、十分に知りつくすに一生涯を要する」」(11頁)。
★「人間が本当に必要とするものは、いたってシンプルだ〔…〕。新鮮な空気、清浄な水、ごまかしのない食べ物、仲間。手入れするだけで動く自立共生的〔コンヴィヴィアル〕な道具を使い、自分の手で割った薪と、そこから得られる暖かさ。ぜいたくも、ガラクタも、不必要なまわりくどさもない。何かを買う必要も、虚飾もなければ、請求書もなし。物事をややこしくする中間業者をとおさずに、ただ、ありのままの生と直接かかわりあうのみ。/シンプルだが、複雑だ」(337頁)。シンプルに見えるけれどもすべてに細部があり、その細部の複雑さは容易には知り尽くすことのできない豊かさでもある。そうしたことを私たちは日々見過ごすほど忙しく生きているのかもしれません。
★『復讐の女/招かれた女たち』は、「ルリユール叢書」第19回配本(27冊目)となる最新刊。帯文に曰く「ボルヘスやビオイ・カサーレスに高く評価され、「アルゼンチン文学の秘宝」とも称された短編小説の名手シルビナ・オカンポは、日常生活に隠された不思議から奇想天外な物語を引き出した。幻想的リアリズムの頂点をなす怪奇短編集『復讐の女』〔1959年〕と『招かれた女たち』〔1961年〕の全78篇を収録。本邦初訳」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。シルビナ・オカンポ(Silvina Ocampo, 1903–1993)はアルゼンチンの作家。ビオイ・カサーレスの妻であり、詩集や短編集の発表を続け、1954年にブエノスアイレス市文学賞を受賞しています。日本語訳は本書が初めてです。
★このほか、注目の既刊書を3点列記します。
『性と頓挫する絶対――弁証法的唯物論のトポロジー』スラヴォイ・ジジェク著、中山徹/鈴木英明訳、青土社、2021年10月、本体4,600円、四六判上製621+vi頁、ISBN978-4-7917-7424-1
『セックス――強度と発生』サドッホ(後藤浩子/澤野雅樹/矢作征男)著、法政大学出版局、2021年10月、本体3,800円、四六判上製382頁、ISBN978-4-588-13032-8
『飲みの技法』V.Obsopoeus著、原澤隆三郎訳、きんざい、2021年10月、四六判上製260頁、ISBN978-4-322-13988-4
★『性と頓挫する絶対』は、『Sex and the Failed Absolute』(Bloomsbury, 2019)の全訳。帯文に曰く「カント、ヘーゲル、ラカンを鍵に、現代における「性」を探究し、存在論と観念論の交差点で「弁証法的唯物論」に新たな可能性を見出す」と。巻頭の序論「弁証法的唯物論の向き付け不可能な空間」でジジェクはこう書きます。「本書のタイトルは、以下のような、ひと続きになった二つの平凡な解釈を引き寄せる。(1)宗教あるいは〈絶対的なもの〉への信仰がついえたとき、放逸な快楽主義がそれに代わるある種の〈絶対的なもの〉へ向かう道として出てくる(マルキ・ド・サドの場合のように)。(2)だが、セクシュアリティは本質的に首尾一貫しないものであるため、それを新たな〈絶対的なもの〉に祭り上げることは必ず失敗する」(9~10頁)。
★また、こうも述べています。「わたしは本書の多くの部分で、過去の著作を書き換え再利用している。これには明確な理由がある。本書はわたしの仕事全体の基本的な存在論的枠組みを提示する試みなのである。わたしはこれまで以上に、ひとつの哲学システム、すなわち、現実、自由、等々をめぐる「大」問題への答えを提示するところまで行くつもりである」(24頁)。本書は4つの定理と系、そして15項目の例証で構成されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。
★『セックス』は、法政大学経済学部教授・後藤浩子(ごとう・ひろこ, 1960-)氏、明治学院大学社会学部教授・澤野雅樹(さわの・まさき, 1960-)氏、関東学院大学非常勤講師・矢作征男(やはぎ・まさお, 1966-)氏の3氏によるユニット「サドッホ」による初の著書。2007年から主に岩波書店の月刊誌『思想』において発表されてきた諸論考に書き下ろしとなる序「サドッホ、それは祭壇の贄か、さもなければ中性子星に糞を垂れる夢である」を加えて1冊としたもの。「人間などさっさと終わらせてしまおう。そう呟きながら、立ち上がったのはフリードリヒ・ニーチェが描いた賢者だった、「人間など猿と超人の架け橋でしかない」。つまりツァラトゥストラは終わりを夢見る人なのである」(5頁)。「要はぶっちぎりで「人間」の境界を超え出てみようということだ。〔…〕ただ、思考がもたらす快楽のトルネードだけが、人間の縁取りを解体し、極微の世界から時間の果てまで自在に行き来する運動をしてのける」(22頁)。
★「記号を受け取ることで、情欲は感覚・意味・方向という三重の《sens》から気儘に変異する流れを形成し、その変異がときに倒錯と呼ばれる。19世紀の変質者は、正則からの病的変質という意味を付与されていたが、新たな変質者は欲望を積極的に変異させ、情欲をそれ自身から離陸させ、未知の展開たらんとするだろう。なにしろ力がどう展開されるかは誰にもわからないのだ。それゆえ諸力は社会体の看守の目を盗んで、あらゆる倒錯に開かれてゆく」(318頁)。帯文には「人の臨界を超える世界の眺望を切り拓く」とあります。一見してごく凡庸な書名に見えますが、その本性は「大胆不敵でユニークな哲学書」(帯文より)です。
★『飲みの技法』は、宗教改革時代のドイツの人文主義者でルターの翻訳者であったウィンケンティウス・オプソポイウスがドイツで出版し、カトリック教会より禁書とされたことがある『De Arte Bibendi』(1536年)の訳書です。底本には1537年に増訂された第2版が使用されています。帯文に曰く「ラテン語韻文で綴られたルネサンス期ドイツの奇書を翻訳、見開きで語釈付き原文も収録」と。「本書は、三巻よりなる。巻一「飲みの技法」は、家飲み、外飲み、酒宴、と三つに場合を分けて、それぞれへの考察を加えている。巻二「肖像と罪悪」は、実在しないアペレスの絵画による比喩を用いて、酩酊とそれに伴う酒害全般についての示唆を与える。巻三「無敵の戦列」は、巻二までの節制を中心とする立論を一転させ、酒の試合で如何に勝利するかを述べる。因みに、原書には巻名も小見出しも存在しないので、これらは訳者によるものである」(「はじめに」より)。なお、本書はオウィディウスの『愛の技術』『愛の治療』に発想を得たと見られる、とのことです。