『奇想版 精神医学事典』春日武彦著、河出文庫、2021年8月、本体1,520円、文庫判640頁、ISBN978-4-309-41834-6
★『奇想版 精神医学事典』は『私家版 精神医学事典』(河出書房新社、2018年)の改題文庫化。著者による「文庫版あとがき」と、歌人の穂村弘さんによる解説「言葉のびっくり箱」が加えられています。「神」から「言葉」まで、原稿完成に十年近くを要したという429項目のコラムから構成されており、隣り合う項目は連想で繋がっています。巻末の「言葉」は巻頭の「神」に送り返されるループ構造となっています。しかしこれは丸い円環というよりは、どこまでも続く、なめらかに歪んだ迷路のようです。帯文に曰く「博覧強記の精神科医による、世紀の奇書」と。著者は「小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』(河出文庫)や武田泰淳『富士』(中公文庫)などの分厚い作品と一緒に本棚に並べると絶景になるのではあるまいか」と記しています。
★著者は巻頭の「序」で「冒頭から順番に読んでいくのが、本書の正しい楽しみ方である」とお書きになっていますが、その処方箋に従うも従わないも自由で、適当に開いた頁を読むのも良いですし、巻末の索引で気になる項目を読んでも良いでしょう。ただし、項目は前後の項へとついつい視線が滑り落ちるように作られています。断片集というよりは、切り刻まれても動き続けるような、蛸のような何物かです。索引でもっとも多く拾われている言葉は「統合失調症」。「医学的記述もガラクタめいた知識も新聞の三面記事も一緒に並べられている本書は、おそらくキッチュな小宇宙と映るのではないか。でも人の頭の中は、そのように猥雑でいかがわしいものではなかっただろうか」(序、4頁)。本書は、連想力が強いために一つの話の筋を行儀よく追い続けることが困難な、言語感応型の読者(困難とは言っても決して否定的ではなく積極的な意味です)にとっても、親しみやすいかもしれません。
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『読者はどこにいるのか――読者論入門』石原千秋著、河出文庫、2021年7月、本体950円、文庫判280頁、ISBN978-4-309-41829-2
『日本史の法則』本郷和人著、河出新書、2021年7月、本体850円、新書判272頁、ISBN978-4-309-63137-0
『挑発する少女小説』斎藤美奈子著、河出新書、2021年6月、本体860円、新書判276頁、ISBN978-4-309-63134-9
『新装版 幻想の重量──葛原妙子の戦後短歌』川野里子著、書肆侃侃房、2021年8月、本体2,500円、四六判上製392頁、ISBN978-4-86385-476-5
『ねむらない樹 vol.7』書肆侃侃房、2021年8月、本体1,500円、A5判並製240頁、A5判並製240頁、ISBN978-4-86385-474-1
★最後に、まもなく発売となるちくま学芸文庫の8月新刊を列記します。
『キリスト教の幼年期』エチエンヌ・トロクメ著、加藤隆訳、ちくま学芸文庫、2021年8月、本体1,300円、文庫判352頁、ISBN978-4-480-51044-0
『ハプスブルク帝国1809-1918――オーストリア帝国とオーストリア=ハンガリーの歴史』A・J・P・テイラー著、倉田稔訳、ちくま学芸文庫、2021年8月、本体1,600円、文庫判560頁、ISBN978-4-480-51062-4
『モダニティと自己アイデンティティ――後期近代における自己と社会』アンソニー・ギデンズ著、秋吉美都/安藤太郎/筒井淳也訳、ちくま学芸文庫、2021年8月、本体1,500円、文庫判496頁、ISBN978-4-480-51063-1
『消費社会の誕生――近世イギリスの新規プロジェクト』ジョオン・サースク著、三好洋子訳、ちくま学芸文庫、2021年8月、本体1,400円、文庫判384頁、ISBN978-4-480-51065-5
『ロバート・オッペンハイマー ――愚者としての科学者』藤永茂著、ちくま学芸文庫、2021年8月、本体1,400円、文庫判448頁、ISBN978-4-480-51071-6
★それぞれの親本と、追加された文章などについて列記しておきます。『キリスト教の幼年期』は、『L'enfance du christianisme』(Noêsis, 1997)の全訳である『キリスト教の揺籃期』(新教出版社、1998年)を改題文庫化したもの。巻末に「ちくま学芸文庫版への訳者あとがき」が加えられています。それによれば「文庫版として刊行するにあたって、訳文の全体を見直し、固有名詞の日本語表記などの訂正を少なからず行なった」とのことです。著者のトロクメ(Étienne Trocmé, 1924-2002)はフランスのキリスト教史家で、新約聖書学者。訳書は多数ありますが、文庫化されるのは本書が初めてです。
★『ハプスブルク帝国1809-1918』は、筑摩書房より1987年に刊行された単行本の文庫化。「文庫版への訳者あとがき」と、神戸大学名誉教授・大津留厚さんによる文庫版解説「心優しきトラブルメーカー」が加えられています。前者によれば「本文庫では多くの小さな改善をしたが、それらは編集部天野裕子さんのご努力によるものである」とのことです。原著は『The Habsburg Monarchy 1809-1918: A History of the Austrian Empire and Austria-Hungary』(Penguin Books, 1948)。著者のアラン・ジョン・パーシヴァル・テイラー(Alan John Percivale Taylor, 1906-1990)は英国の高名な歴史家で、訳書多数。文庫化は『第二次世界大戦の起源』(吉田輝夫訳、講談社学術文庫、2011年)に続く2冊目です。
★『モダニティと自己アイデンティティ』は、ハーベスト社より2005年に刊行された単行本の文庫化。『Modernity and Self-Identity: Self and Society in the Late Modern Age』(Polity Press, 1991)の全訳です。共訳者の秋吉美都さんによる文庫版解題「三十年後の答え合わせ」と、同じく共訳者の筒井淳也さんによる「文庫版訳者あとがき」が加えられています。後者によれば、「再刊に際して、訳文は部分的に見直しを行なった」とのことです。著者のギデンズ(Anthony Giddens, 1938-)は言うまでもなく英国の高名な社会学者。訳書は多数ありますが、文庫化されるのは本書が初めてです。
★『消費社会の誕生――近世イギリスの新規プロジェクト』は『消費社会の誕生――近世イギリスの新企業』(東京大学出版会、1984年)の改題文庫化。巻末に東京大学准教授・山本浩司さんによる解説「新規事業プロジェクトからみえる近世と現代」が加わっています。訳者は3年前に逝去されており、改訳版というわけではないようですが、凡例には「文庫化に際し本書のキーワードであるproject, projectorの訳語を、今日のイギリス史研究の研究成果にもとづき、前者を適宜「起業」「新規事業」等に、後者を「起業家」に変更した」とのことです。原著は『Economic Policy and Projects: The Development of a Consumer Society in Early Modern England』(The Clarendon Press, 1978)。著者のジョオン・サースク(Joan Thirsk, 1922-2013)は英国の経済・社会史家。論文の日本語は複数ありますが、訳書は本書のみです。
★『ロバート・オッペンハイマー』は、Math&Scienceシリーズの1冊。朝日新聞社より1996年に刊行された単行本の文庫化です。著者による「文庫版あとがき」が加えられています。加筆修正の有無については言及されていません。著者の藤永茂(ふじなが・しげる, 1926-)さんは物理化学者。カナダのアルバータ大学名誉教授。コンラッド『闇の奥』の新訳を手掛けられたことでも知られています(三交社、2006年)。著書の文庫化は今回が初めてです。
★『奇想版 精神医学事典』は『私家版 精神医学事典』(河出書房新社、2018年)の改題文庫化。著者による「文庫版あとがき」と、歌人の穂村弘さんによる解説「言葉のびっくり箱」が加えられています。「神」から「言葉」まで、原稿完成に十年近くを要したという429項目のコラムから構成されており、隣り合う項目は連想で繋がっています。巻末の「言葉」は巻頭の「神」に送り返されるループ構造となっています。しかしこれは丸い円環というよりは、どこまでも続く、なめらかに歪んだ迷路のようです。帯文に曰く「博覧強記の精神科医による、世紀の奇書」と。著者は「小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』(河出文庫)や武田泰淳『富士』(中公文庫)などの分厚い作品と一緒に本棚に並べると絶景になるのではあるまいか」と記しています。
★著者は巻頭の「序」で「冒頭から順番に読んでいくのが、本書の正しい楽しみ方である」とお書きになっていますが、その処方箋に従うも従わないも自由で、適当に開いた頁を読むのも良いですし、巻末の索引で気になる項目を読んでも良いでしょう。ただし、項目は前後の項へとついつい視線が滑り落ちるように作られています。断片集というよりは、切り刻まれても動き続けるような、蛸のような何物かです。索引でもっとも多く拾われている言葉は「統合失調症」。「医学的記述もガラクタめいた知識も新聞の三面記事も一緒に並べられている本書は、おそらくキッチュな小宇宙と映るのではないか。でも人の頭の中は、そのように猥雑でいかがわしいものではなかっただろうか」(序、4頁)。本書は、連想力が強いために一つの話の筋を行儀よく追い続けることが困難な、言語感応型の読者(困難とは言っても決して否定的ではなく積極的な意味です)にとっても、親しみやすいかもしれません。
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『読者はどこにいるのか――読者論入門』石原千秋著、河出文庫、2021年7月、本体950円、文庫判280頁、ISBN978-4-309-41829-2
『日本史の法則』本郷和人著、河出新書、2021年7月、本体850円、新書判272頁、ISBN978-4-309-63137-0
『挑発する少女小説』斎藤美奈子著、河出新書、2021年6月、本体860円、新書判276頁、ISBN978-4-309-63134-9
『新装版 幻想の重量──葛原妙子の戦後短歌』川野里子著、書肆侃侃房、2021年8月、本体2,500円、四六判上製392頁、ISBN978-4-86385-476-5
『ねむらない樹 vol.7』書肆侃侃房、2021年8月、本体1,500円、A5判並製240頁、A5判並製240頁、ISBN978-4-86385-474-1
★最後に、まもなく発売となるちくま学芸文庫の8月新刊を列記します。
『キリスト教の幼年期』エチエンヌ・トロクメ著、加藤隆訳、ちくま学芸文庫、2021年8月、本体1,300円、文庫判352頁、ISBN978-4-480-51044-0
『ハプスブルク帝国1809-1918――オーストリア帝国とオーストリア=ハンガリーの歴史』A・J・P・テイラー著、倉田稔訳、ちくま学芸文庫、2021年8月、本体1,600円、文庫判560頁、ISBN978-4-480-51062-4
『モダニティと自己アイデンティティ――後期近代における自己と社会』アンソニー・ギデンズ著、秋吉美都/安藤太郎/筒井淳也訳、ちくま学芸文庫、2021年8月、本体1,500円、文庫判496頁、ISBN978-4-480-51063-1
『消費社会の誕生――近世イギリスの新規プロジェクト』ジョオン・サースク著、三好洋子訳、ちくま学芸文庫、2021年8月、本体1,400円、文庫判384頁、ISBN978-4-480-51065-5
『ロバート・オッペンハイマー ――愚者としての科学者』藤永茂著、ちくま学芸文庫、2021年8月、本体1,400円、文庫判448頁、ISBN978-4-480-51071-6
★それぞれの親本と、追加された文章などについて列記しておきます。『キリスト教の幼年期』は、『L'enfance du christianisme』(Noêsis, 1997)の全訳である『キリスト教の揺籃期』(新教出版社、1998年)を改題文庫化したもの。巻末に「ちくま学芸文庫版への訳者あとがき」が加えられています。それによれば「文庫版として刊行するにあたって、訳文の全体を見直し、固有名詞の日本語表記などの訂正を少なからず行なった」とのことです。著者のトロクメ(Étienne Trocmé, 1924-2002)はフランスのキリスト教史家で、新約聖書学者。訳書は多数ありますが、文庫化されるのは本書が初めてです。
★『ハプスブルク帝国1809-1918』は、筑摩書房より1987年に刊行された単行本の文庫化。「文庫版への訳者あとがき」と、神戸大学名誉教授・大津留厚さんによる文庫版解説「心優しきトラブルメーカー」が加えられています。前者によれば「本文庫では多くの小さな改善をしたが、それらは編集部天野裕子さんのご努力によるものである」とのことです。原著は『The Habsburg Monarchy 1809-1918: A History of the Austrian Empire and Austria-Hungary』(Penguin Books, 1948)。著者のアラン・ジョン・パーシヴァル・テイラー(Alan John Percivale Taylor, 1906-1990)は英国の高名な歴史家で、訳書多数。文庫化は『第二次世界大戦の起源』(吉田輝夫訳、講談社学術文庫、2011年)に続く2冊目です。
★『モダニティと自己アイデンティティ』は、ハーベスト社より2005年に刊行された単行本の文庫化。『Modernity and Self-Identity: Self and Society in the Late Modern Age』(Polity Press, 1991)の全訳です。共訳者の秋吉美都さんによる文庫版解題「三十年後の答え合わせ」と、同じく共訳者の筒井淳也さんによる「文庫版訳者あとがき」が加えられています。後者によれば、「再刊に際して、訳文は部分的に見直しを行なった」とのことです。著者のギデンズ(Anthony Giddens, 1938-)は言うまでもなく英国の高名な社会学者。訳書は多数ありますが、文庫化されるのは本書が初めてです。
★『消費社会の誕生――近世イギリスの新規プロジェクト』は『消費社会の誕生――近世イギリスの新企業』(東京大学出版会、1984年)の改題文庫化。巻末に東京大学准教授・山本浩司さんによる解説「新規事業プロジェクトからみえる近世と現代」が加わっています。訳者は3年前に逝去されており、改訳版というわけではないようですが、凡例には「文庫化に際し本書のキーワードであるproject, projectorの訳語を、今日のイギリス史研究の研究成果にもとづき、前者を適宜「起業」「新規事業」等に、後者を「起業家」に変更した」とのことです。原著は『Economic Policy and Projects: The Development of a Consumer Society in Early Modern England』(The Clarendon Press, 1978)。著者のジョオン・サースク(Joan Thirsk, 1922-2013)は英国の経済・社会史家。論文の日本語は複数ありますが、訳書は本書のみです。
★『ロバート・オッペンハイマー』は、Math&Scienceシリーズの1冊。朝日新聞社より1996年に刊行された単行本の文庫化です。著者による「文庫版あとがき」が加えられています。加筆修正の有無については言及されていません。著者の藤永茂(ふじなが・しげる, 1926-)さんは物理化学者。カナダのアルバータ大学名誉教授。コンラッド『闇の奥』の新訳を手掛けられたことでも知られています(三交社、2006年)。著書の文庫化は今回が初めてです。