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注目新刊:ついに刊行、バトラー『問題=物質となる身体』以文社、ほか

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★まず、最近出会いがあった新刊を列記します。


『問題=物質となる身体──「セックス」の言説的境界について』ジュディス・バトラー著、佐藤嘉幸監訳、竹村和子/越智博美訳、以文社、2021年5月、本体4,200円、A5判上製448頁、ISBN978-4-7531-0362-1
『オリンピック 反対する側の論理――東京・パリ・ロスをつなぐ世界の反対運動』ジュールズ・ボイコフ著、井谷聡子/鵜飼哲/小笠原博毅監訳、作品社、2021年5月、本体2,700円、46判並製292頁、ISBN978-4-86182-846-1



★『問題=物質〔マター〕となる身体』は、バトラーの代表作のひとつ『Bodies That Matter: On the Discursive Limits of "Sex"』(Routledge, 1993)の待望の全訳。2011年に逝去された竹村和子さんの翻訳を引き継いで完成したもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者解説「すべての理論はマイノリティ性へと生成変化しなければならない」は監訳者の佐藤さんがお書きになっています。「日本語版への序文」でバトラー自身も、竹村さんの「偉業の継続を可能にされたことをとても光栄に思います。〔…本書は〕また竹村和子さんの仕事への一種の遺言であり、理論的作業であると同時に喪の作業であると言えるかもしれません」(vii頁)と書いておられます。


★バトラーは同序文でこうも書いています。「本書は『ジェンダー・トラブル』〔原著1990年;訳書:竹村和子訳、青土社、1999年、新装版2018年〕を引き継ぐものです。本書は『ジェンダー・トラブル』の余波の余波の中で、また『ジェンダー・トラブル』に対してなされたいくつかの批判に応えるために書かれました。今日でさえ多くの人々が、『ジェンダー・トラブル』は「セックス」が文化的に構築されていると証明しており、身体の物質性を否定している、あるいは否認してさえいる、と気を揉んでいます。これらは私の意図ではありませんでした。そこで私は『問題=物質〔マター〕となる身体』で身体の物質性をどのように考えるか、と問うことにしました」(viii頁)。


★さらに原著序文ではこう述べています。「身体を「性〔セックス〕化されたもの」として物質化する制約とは何なのだろうか。また私たちは、文化的理解可能性の反復的で暴力的な領域確定としての、セックスの、より一般的には身体の「物質〔マター〕」をいかに理解すべきだろうか。/そのときこのテクストは、混乱をもたらした『ジェンダー・トラブル』のある部分を再考するものとして、また、性的で政治的な問題〔マター〕の練り上げにおける異性愛ヘゲモニーの働きをさらに思考する努力として提示される」(xviii頁)。


★『オリンピック 反対する側の論理』は、元サッカー選手で、アメリカのパシフィック大学政治学教授、オリンピック研究の第一人者と聞くボイコフ(Jules Boykoff, 1970-)の近著『NOlympians: Inside the Fight Against Capitalist Mega-Sports in Los Angeles, Tokyo and Beyond』(Fernwood Publishing, 2020)の訳書。単独著としては『オリンピック秘史――120年の覇権と利権』(中島由華訳、早川書房、2018年)に続く第2弾です。日本語版への序文「いま世界中でオリンピック反対が燃え上がっている」と、補章「反オリンピックの国際連帯」が付されています。補章では、著者と監訳者3氏の寄稿のほか、2019年7月27日付の「反五輪国際共同連帯声明」が収められています。


★「日本語版への序文」でボイコフは以下のように鋭く切り込んでいます。「オリンピックのスペクタクルは強力な薬物である。2020年3月、コロナウイルスについてのさまざまな心配が世界中の人々の頭から離れなくなり、東京2020オリンピックは延期もしくはキャンセルすべきだという声が高まるさなかにあっても、国際オリンピック委員会(IOC)は五輪の開催に固執した」(5頁)。「歴史が何かの指針であるならば、東京大会は――コロナウイルスの時代に開催できたとして――ほぼ間違いなく、オリンピック運動への批判にさらなる力を与えるだけのこととなるであろう」(18頁)。ごく最近の報道で、IOCのコーツ副会長が緊急事態宣言下でも開催すると言い、バッハ会長は「夢を実現するために、誰もがいくらかの犠牲を払わなければならない」と発言。ほとんど戦時下の大本営発表にも似ている状況で、ボイコフの予見はすでに半ば現実化しています。本書を通じて反対派の議論への理解を深めたいところです。


★続いて、まもなく発売となる注目新刊を列記します。


『生誕の災厄 新装版』E・M・シオラン著、出口裕弘訳、紀伊國屋書店、2021年5月、本体2,500円、46判上製336頁、ISBN978-4-314-01181-5
『バレット博士の脳科学教室7 1/2章』リサ・フェルドマン・バレット著、高橋洋訳、紀伊國屋書店、2021年5月、本体1,800円、46判上製200頁、ISBN978-4-314-01183-9

『ニルス・リューネ』イェンス・ピータ・ヤコブセン著、奥山裕介訳、幻戯書房、2021年5月、本体3,600円、四六変形判上製360頁、ISBN978-4-86488-220-0

『ヘンリヒ・シュティリング自伝ーー真実の物語』ユング゠シュティリング著、牧原豊樹訳、幻戯書房、2021年5月、本体5,000円、四六変形判上製528頁、ISBN978-4-86488-221-7



★『生誕の災厄 新装版』は、ルーマニアの作家で主にフランスで活躍したシオラン((Emil Cioran, 1911-1995)によるアフォリズム集『De l'inconvénient d'être né』(Gallimard, 1973)の訳書、出口裕弘訳(紀伊國屋書店、1976年)の新装版。訳者がすでに逝去されているため訳文が変わっていないとはいえ、全面新組なので、実質的な新版と見なして良いでしょう。なお、同時期に刊行されるシオランの『涙と聖者 新装版』と昨年の「書物復権」で刊行された『絶望のきわみで 新装版』は新組ではなく、そとまわりに変更のみだそうです。


★水戸部功さんのクールな装丁でよみがえった『生誕の災厄』ですが、原題は『生まれたことの不都合について』で、原著刊行から約半世紀を経た今も、現代人の生きづらさにぴったりと寄り添ってくれます。本書はこう始まります。「午前三時だ。私はいまのこの一秒を聴きとり、つぎにまた別の一秒を聴きとり、毎分のバランスシートを作製する。/どうしてこんな始末になったのだ?――生まれてきたからだ。/ある特殊な様相をした不眠の夜こそが、生誕をめぐる争論に火をつけるのである」(4頁)。この不穏な書物の最後の方にはこんな言葉もあります。「出生しないということは、議論の余地なく、ありうべき最善の様式だ。不幸にしてそれは、誰の手にも届かぬところにある」(319頁)。反出生主義という言葉が近年注目されるようになる前から、シオランはすでに書いていたわけです。


★「生誕と鉄鎖とは同義語である。この世に出てくるとは、手錠をかけられることだ」。「未来への恐怖は、つねに、この恐怖を味わいたいという欲望の上に接ぎ木されている」。「「一切は幻影にすぎない」と言いきるのは、幻影の前に香を焚くことであり、幻影に高度の、いや最高度の実在性を認めることである」(318~319頁)。シオランはすでに現代に回帰しているわけですから、もっと売れても不思議ではありません。例えば、第3巻を除いて入手が困難となっている国文社版『E・M・シオラン選集』全5巻は然るべき文庫レーベルが引き取っても良いのではないかと思います。


★『バレット博士の脳科学教室7 1/2章』は、『Seven and a Half Lessons About the Brain』(Houghton Mifflin Harcourt, 2020)の全訳。著者のバレット(Lisa Feldman Barrett, 1963-)は、アメリカの脳科学者で、ノースイースタン大学心理学部特別教授、ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院研究員、ハーバード大学「法・脳・行動研究センター」CSO(最高科学責任者)などを務めています。既訳書には『情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』(高橋洋訳、紀伊國屋書店、2019年)があります。


★今回の新刊ですが、帯文には神経科学者のヘレン・メイバーグのこんな推薦文が載っています。「脳を持っている人、必読」。いささか滑稽にも思えるこの惹句はしかし、本書を読み進めるうちに説得力が増していきます。「脳は〈予測〉を発し、外界と身体から入ってくる感覚データと比べることでチェックしている。〔…〕脳が的確な予測を発すれば、ニューロンは入ってくる感覚データと整合するパターンですでに発火していることになる。〔…〕要するに、その瞬間における視覚、聴覚、嗅覚、味覚や体内の感覚は、頭蓋の内部で完全に組み立てられるのだ。こうして脳は、〈予測〉によって次の行動の準備を効率よく整えているのである」(99~100頁)。「脳は自分が気づく前に行動を開始するよう配線されている」(101頁)。


★「要するに、脳のもっとも重要な仕事は考えることではなく、恐ろしく複雑化した、もとは小さな生物の身体を運用することにある」(21頁)。「〔考える、感じる、想像する、理解する等々〕それらの心的能力はすべて、健康な生活を営むために身体予算を管理するという重要な任務を遂行した結果によって得られたものである。〔…〕例えば夜遅くまで働いて急ぎの仕事を仕上げようとコーヒーを飲むとき、脳は短期的な目的のために身体予算を調整している」(同)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。そこに書かれた7つの教えによって、本書を読む人はあるいは生き方すら変わるかもしれません。




★〈ルリユール叢書〉第14回配本は2点。『ニルス・リューネ』は、デンマークの詩人ヤコブセン(Jens Peter Jacobsen, 1847–1885)による2作目の長篇小説『Niels Lyhne』(1880年)の新訳。帯文に曰く「生の豊穣と頽落、夢想の萌芽、成熟から破綻までを絢爛なアラベスクとして描きだした、世紀末デカダンスに先駆ける〈幻滅小説〉」。既訳には山室静訳(『死と愛――《ニイルス・リイネ》』角川文庫、1951年;「ニイルス・リイネ(死と愛)」『ヤコブセン全集』全1巻所収、青娥書房、1975年)があり、日本では古くから親しまれてきました。


★もう1点『ヘンリヒ・シュティリング自伝』は、ドイツの作家ユング゠シュティリング(Jung-Stilling, 1740–1817)による連作小説、第一部『ヘンリヒ・シュティリングの少年時代』1777年、第二部『~青年時代』1778年、第三部『~遍歴時代』1778年、第四部『~家庭生活』1789年、の4作を1968年のレクラム文庫版から訳出したもの。第四部『~家庭生活』の後半はレクラム文庫版には収められていないため、訳出は見送られています。連作はその後、『~教授時代』1804年まで出版された後、1806年に『~生涯』として合本され、作家の死去後、断片集『老年時代』1817年が刊行されています。ニーチェが「ドイツ散文の至宝」と称揚した名作の、待望の初訳となります。


★なおニーチェが「至宝」に数えたのは、エッカーマン『ゲーテとの対話』(山下肇訳、岩波文庫全3巻)、リヒテンベルク『箴言集』(宮田眞治訳、『リヒテンベルクの雑記帳』作品社)、シュティフター『晩夏』(藤村宏訳、ちくま文庫上下巻)、ケラー『ゼルトヴィーラの人々』(石渡均ほか訳、『ケラー作品集』第1巻および第2巻所収、松籟社)、そして上記『ヘンリヒ・シュティリングの少年時代』の5点です。


★『ヘンリヒ・シュティリング自伝』の巻末には〈ルリユール叢書〉の既刊書21点の案内のほか、見開き2頁にわたる続刊予定47点(!)が掲出されています。まさに同叢書が謳う「全集として閉じることのない世界文学叢書」の新たな山脈を垣間見た思いです。すでに21点が刊行されただけでも称讃に値するのですが、続く47点の壮大な計画に驚嘆を禁じえません。




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