『無垢の歌』ウィリアム ・ブレイク著、池澤夏樹/池澤春菜訳、毎日新聞出版、2021年3月、本体1,600円、四六変型判上製112頁、ISBN978-4-620-32666-5
★英国の詩人であり画家のブレイク(William Blake, 1758-1827)の高名な詩集『The Songs of Innocence』(1789年)の新たな全訳。帯文に曰く「父娘がおくる初の共訳詩集」。巻末特記によれば、各詩篇の訳を池澤春奈(いけざわ・はるな, 1975-)さんが担当し、解説コメントを池澤夏樹さんが担当。さらに併録されている別の詩集『経験の歌』(1794年に『無垢の歌』とのカップリングで出版)より3篇の詩が夏樹さんによって訳され、解説コメントを付されています。3篇というのは、「小さな放浪者(The Little Vagabond)」「学校に行く子(The School Boy)」「昔の詩人の歌(The Voice of the Ancient Bard)」。「学校に行く子」を夏樹さんが「これはつまり登校拒否の詩だ」と読んでいるのは興味深いです。
★竹内てるよの詩文集『静かなる夜明け』(月曜社、2003年)をかつて編んだ者としては、てるよさんの代表作「頬」はひょっとしてブレイクの「ゆりかごの歌」を踏まえたものだったろうかと直感的に想像しましたが、これは関係性をすぐには追いきれません。赤ん坊の寝顔に涙する母親の形象というのは普遍的なものかもしれないとも思います。「おやすみおやすみ、幸せにお眠り/お前を見て、母は鳴くけれど【1行アキ】可愛い我が子よ、その顔に/聖なるお姿を私は見る【中略】幼子の微笑みは、あの方の微笑み/天と地に平和をもたらす」(池澤春奈訳、49~50頁)。「生れて何もしらぬ吾子の頬に/母よ 絶望の涙をおとすな【1行アキ】その頬は赤く小さく 今はただ一つのはたんきやう〔巴旦杏〕にすぎなくとも/いつ人類のための戦いに燃えないと云ふことがあらう」(竹内てるよ「頬」、『静かなる愛』、第一書房、1940年、9頁)。
★まもなく発売となるちくま学芸文庫の3月新刊は6点です。
『リベラリズムとは何か』マイケル・フリーデン著、山岡龍一監訳、森達也/寺尾範野訳、ちくま学芸文庫、21年3月、本体1,100円、文庫判272頁、ISBN978-4-480-51040-2
『近代日本思想選 三木清』三木清著、森一郎編、ちくま学芸文庫、21年3月、本体1,700円、文庫判624頁、ISBN978-4-480-51038-9
『日常的実践のポイエティーク』ミシェル・ド・セルトー著、山田登世子訳、ちくま学芸文庫、本体1,700円、文庫判560頁、ISBN978-4-480-51036-5
『風水――中国哲学のランドスケープ』エルネスト・アイテル著、中野美代子/中島健訳、ちくま学芸文庫、2021年3月、本体1,000円、文庫判224頁、ISBN978-4-480-51028-0
『三八式歩兵銃――日本陸軍の七十五年』加登川幸太郎著、ちくま学芸文庫、21年3月、本体1,900円、文庫判752頁、ISBN978-4-480-51039-6
『重力と力学的世界(下)』山本義隆著、ちくま学芸文庫、 文庫判 336頁 刊行 03/10 ISBN 9784480510341 JANコード 9784480510341
★文庫オリジナルは2点。まず1点目の、英国の政治思想家フリーデン(Michael Freeden, 1944-)による『リベラリズムとは何か』は、岩波書店などで多くが訳されてきた、オックスフォード大学出版の有名シリーズ「Very Short Introductions」より2015年に刊行された『Liberalism』の訳書。著者自身による「日本語版への序文」が新たに加わっています。曰く「この本は、リベラリズムによって豊かにかつ持続的・発展的に結びつけられてきた、次のような多くの要素を探究するものである。立憲的秩序と人権の尊重、個人の成長と創造性の保証、他者との結びつきのなかでの自由の追求、善き生をすべての人に対して平等かつ公平なかたちで守ること、人の多様性に価値をおくこと、個人的な空間を確立しつつ同時に、共同で助け合う仕組みを、相互利益を生む仕方で構築すること」(8頁)。「リベラルとは何よりも、気前の良さ、オープンさ、寛容さ、自己批判、そしてヒューマニズムを、世界レベルにおいて文明化された人々とは何かをあらわす社会的・文化的指標とみなす人のことである」(同)。なおフリーデンの著書の既訳には『権利』(玉木秀敏/平井亮輔訳、昭和堂、1992年)があります。
★もう1点はシリーズ「近代日本思想選」の第3弾。既刊には小林敏明編『西田幾多郎』2020年4月刊、田中久文編『九鬼周造』2020年8月刊、がありました。第3弾の編者は東北大学教授の森一郎(もり・いちろう, 1962-)さん。哲学がご専門です。『三木清』は4部構成で19篇を収録。第Ⅰ部「ハイデッガーからパスカル、マルクスへ」に4篇、第Ⅱ部「歴史哲学、アリストテレスと西田」に4篇、第Ⅲ部「哲学的人間学、制作と技術」に4篇、第Ⅳ部「哲学と政治、もしくは行為的直観のゆくえ」に7篇を収め、関連論考として、三木に言及した5氏(戸坂潤、林達夫、波多野精一、谷川徹三、中井正一)によるテクストを併載しています。巻末に森さんによる解説「活動的哲学者の軌跡」と、三木清年譜が配されています。
★既刊書の文庫化は4点。セルトー『日常的実践のポイエティーク』は国文社より1987年に刊行されたものの文庫化。原著『日常性の発明(1)行為の技法』は1980年刊。文庫化にあたり、巻末に新たに渡辺優さんによる文庫版解説「日常的実践という大会の浜辺を歩く者」が付されており、本書は「カルチュラル・スタディーズの古典的名著」と評価されています。セルトー(Michel de Certeau, 1925-1986)はフランスの歴史家。複数の訳書がありますが、本書と同じく山田登世子(やまだ・とよこ, 1946-2016)さんが本書親本の3年後に訳出された『文化の政治学』(原著『La Culture au pluriel』U.G.E.,1974; 訳書、岩波書店、1990年)は99年に再刊後品切が続いていますから、岩波現代文庫あたりでそろそろ再刊されても良い気がします。なお『日常性の発明(2)住むこと、料理すること』はセルトーの死後出版で、リュス・ジアールとピエール・マヨールが共著者として加わり、90年に刊行され、現在では改訂版が94年に刊行されています。こちらは未訳。
★アイテル『風水』は99年に青土社から刊行された単行本の文庫化。原著『Feng-shui』は1873年刊で、アイテル(Ernst Johann Eitel, 1838-1908)はドイツ生まれの英国の伝道師。香港で官僚として働き、中国文化にも通じていたようです。文庫版解説として、三浦國雄さんによる「「賢い母親」と「愚かな娘」」が加わっています。不思議なタイトルですが、三浦さん曰く「中野氏〔訳者の中野美代子氏〕が解説中で述べている本書を訳出した三つの意義を基軸に論を進めて読者の理解を助けたい」と。
★加登川幸太郎『三八式歩兵銃』は1975年に白金書房より刊行された単行本の文庫化。700頁を超える大著です。文庫版解説として、一ノ瀬俊也さんによる「兵たちへの鎮魂の賦」が加えられています。「本書における昭和陸軍史は、国力を無視した作戦優先思想の跋扈、その結果としての日中戦争の泥沼化、無謀な対米英戦争への突入、無残な敗戦という負の歴史として描かれる。本書の隅々に、著者の実体験が織り込まれていることがその記述に説得力を与えている」。著者の加登川幸太郎(かとがわ・こうたろう, 1909-1997)は終戦時、陸軍中佐。戦後はGHQ戦史課や日本テレビに勤務されていたそうです。
★山本義隆『重力と力学的世界(下)』は先月刊行された上巻と併せて完結。下巻では第10章「地球の形状と運動」から第15章「ケルヴィン卿の悲劇」までを収録し、巻末には著者自身による長めの「文庫版へのあとがき」が加わっています。そこでの言及によれば、山本さんはみすず書房より『リニア中央新幹線をめぐって』という本を刊行予定であるとのことです。
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『人類とイノベーション――世界は「自由」と「失敗」で進化する』マット・リドレー著、大田直子訳、NewsPicksパブリッシング、2021年3月、本体2,600円、46判上製464頁、ISBN978-4-910063-15-7
『ヒップホップ・アナムネーシス――ラップ・ミュージックの救済』山下壮起/二木信編、新教出版社、21年2月、本体2,500円、A5変型判264頁、ISBN978-4-400-31092-1
『クリティカル・ワード メディア論――理論と歴史から〈いま〉が学べる』門林岳史/増田展大編、フィルムアート社、2021年2月、本体2,200円、四六判並製296頁、ISBN978-4-8459-2006-8
『言葉と衣服』蘆田裕史著、アダチプレス、2021年2月、本体1,800円、四六変型判上製182頁、ISBN978-4-908251-13-9
『麻薬と人間 100年の物語』ヨハン・ハリ著、福井昌子訳、作品社、2021年1月、本体3,600円、46判上製504頁、ISBN978-4-86182-792-1
★リドレー『人類とイノベーション』は『How Innovation Works: And Why It Flourishes in Freedom』(Harper, 2020)の訳書。前半ではエネルギー、公衆衛生、輸送、食料、ローテク、通信とコンピュータ、といった各分野におけるイノベーションを豊富な実例とともに分析し、後半では先史時代から現代までの長い歴史からイノベーションの法則性を抽出しようと試みます。業界人は「アマゾンを成長させた「失敗マネジメント」」(370~371頁)などから読み始めてもいいと思います。「ベゾズは繰り返し何度も、アマゾンの同僚たちがくだらないと考えるアイデアを通そうと、彼らと争うことになった。〔…〕ベゾズの経営スタイルは、彼の望みとして、マイクロソフトなどの大企業ですぐにイノベーションを抑えてしまう因習的な中間管理職の自己満足を避けるように、とくに考えられていた。〔…〕オンライン小売業よりもっと大きなビジネスの発見へと導いた」。
★『ヒップホップ・アナムネーシス』は、帯文に曰く「かつてないヒップホップ・アンソロジー」。内容構成(ヴィジュアル/テクスト)も造本設計も、すべてが関係者たちの喜びとこだわりを感じさせ、ゾクゾクさせる出色の新刊です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。新教出版社の懐は深い。
★『メディア論』は、入門シリーズ「クリティカル・ワード」の最新刊。帯文に曰く「メディアの織りなす世界を読み解く35のキーワード。ゲーム、ソフトウェア、モバイルから、資本、ジェンダー、観光、軍事まで」と。出版メディア、物流メディアという項目も。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。
★『言葉と衣服』は、京都精華大学ポピュラーカルチャー学部准教授で、ご専門がファッション論の蘆田裕史(あしだ・ひろし, 1978-)さんの初の単独著。ファッション批評序説とも言うべき一冊。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。版元さんのこの分野にかける情熱を感じます。
★ハリ『麻薬と人間』は『Chasing the Scream: The First and Last Days of the War on Drugs』(Bloomsbury, 2015)の全訳。日本語版の補章として「日本の「麻薬戦争」と“麻薬神話”」が加えられています。著者のハリ(Johann Hari, 1979-)はスコットランド生まれのやり手ジャーナリスト。