『諸世界の戦争――平和はいかが?』ブリュノ・ラトゥール著、工藤晋訳、近藤和敬解題、以文社、2020年10月、本体2,200円、四六判上製136頁、ISBN978-4-7531-0359-1
『ザ・ブルーハーツ――ドブネズミの伝説』陣野俊史著、河出書房新社、2020年10月、本体2,000円、46判並製250頁、ISBN978-4-309-29094-2
『TOPICA PICTUS とぴか ぴくたす』岡﨑乾二郎著、ぱくきょんみ/中村麗寄稿、urizen発行、ナナロク社発売、2020年10月、本体4,000円、A4判上製124頁、ISBN978-4-904292-96-9
『記憶のデザイン』山本貴光著、筑摩選書、2020年10月、本体1,500円、四六判並製224頁、ISBN978-4-480-01717-8
『活動写真弁史――映画に魂を吹き込む人びと』片岡一郎著、共和国、2020年10月、本体6,600円、菊変型判上製576頁、ISBN978-4-907986-64-3
『和室学――世界で日本にしかない空間』松村秀一/服部岑生編、平凡社、2020年10月、本体3,400円、A5判並製366頁、ISBN978-4-582-54468-8
『ソ連軍〈作戦術〉――縦深会戦の追求』デイヴィッド・M・グランツ著、梅田宗法訳、作品社、2020年10月、本体3,800円、A5判上製384頁、ISBN978-4-86182-825-6
★『諸世界の戦争』は『War of the Worlds: What about Peace?』(Prickly Paradigm Press, 2002)の全訳。2008年8月にスリジー・ラ・サルで開催されたシンポジウム「諸文化の戦争と平和」で発表された仏語原稿を増補改訂して英語版が出版されたといいます。日本語版では、仏語版に付された注が原注として採用されています。ラトゥールは米国同時多発テロ事件を受けて「戦争のただなかにいることを自覚するとき、私たちは、多くの人々がよりいっそう平和な未来を想い描きあらゆる国民があいまいな近代主義的理想に収れんする、という自己満足から引きずり出されるのかもしれない。いや結局のところ、西洋人は全地球を近代化することなどできないのかもしれない」(7頁)ときっぱり書きます。
★続けてラトゥールはこう言います。「それは、西洋人が自分たちの文明という狭い領域に永遠に幽閉され、万人の万人に対する闘争のなかであらゆる他者に脅かされるという意味ではない。彼らは全世界を統一し、容認されたひとつの共通世界をつくるための確実な原理を所持していると性急に思い込んでいたということを意味するのだ。すでに存在している平和な同盟が粉々に破壊されたというわけではない。私たちはただ、同盟はつくられなければならないということを想起させられているのだ。それは単純に遵守されるものではない。統一とは自明であるどころか、戦って勝ち取られる未来の可能性以上のものではない。それは外交努力の最終結果であって、議論の余地のない出発点ではありえない」(7~8頁)。
★「あたかも戦争などまるで存在せず、ただ西洋的な自然な〈理性〉を平和的に拡張するために警察力を使ってあまたあの〈悪の帝国〉と戦い、それらを封じ込め、転向させようとしているだけであるかのように振る舞うとしたら、それは最悪の方向である。自分たちが近代的だといまだに信じている人々は往々にしてそうした過ちを犯す。〔…〕必要とされるのは、私たちがずっと戦ってきたあの古くからの戦争についての新しい認識なのである――新しい交渉と新しい平和のために」(9頁)。
★工藤さんは訳者あとがきでこう解説されています。「現代の状況に直面して、西洋近代推進主義者はいかなる行動をとるべきか。ラトゥールの提案は「やりなおし」である。すなわち、自らが行なってきた近代化、植民地化という暴力の始原まで時間を遡り、その地点から他者との交渉をやり直すこと。その再交渉の過程をラトゥールは「戦争」と呼ぶ」(91頁)。本書を読む読者は、従来の戦争観と平和観を根本的に転回させる機会を得ることになるはずです。
★もう一度ラトゥール自身の言葉を引きます。「いまこそ彼ら〔近代主義者〕に救いの手を差しのべ、如才なく彼らを交渉テーブルにつかせるときである。実際、諸世界の戦争が存在することを彼らに認識させ、彼らがそれに命を賭ける価値があると考えたもの――普遍性――と彼らが本当に気遣うべきもの――普遍性の構成――とを注意深く区別するように彼らに促すことが重要なのである。争う両者は相変わらず自分たちが何のために戦っているのかを知らない。外交官の仕事は、争う者たちに発見を手助けをすることである」(82頁)。
★『ザ・ブルーハーツ』は書き下ろし。はじめにとあとがきを除き、全8章で構成。「ブルーハーツができてから解散するまでの時間の流れに沿ってゆく。そのとき、時代背景の説明も最低限、入れてみよう。そして、この本の最大のポイントは歌詞の分析にある。立ち止まって考えたい。歌詞については当該の作品全篇を引用することにする」(13頁)。第1章「「1985」に始まる」で陣野さんはこう書きます。「ブルーハーツとは、出発点からしてすでに、戦争のこと、原爆のことを歌うバンドだった。「社会派」でも「反原発」でもなく、そういうバンドだったのだ。いいも悪いもない。流行も廃りもない」(27頁)。著者のありったけの熱量を注いだように感じるこの本は、行を目で追うだけで熱いですが、引用される曲を聴きながら読むともっと素晴らしいです。
★『TOPICA PICTUS とぴか ぴくたす』は、岡﨑乾二郎さんによる色彩鮮やかな最新作138点を収録した画集。岡﨑さんは2020年3月から6月にかけてアトリエで150点強の作品を制作されたそうです。それらの一部が、先月より豊田市美術館で、今月から東京国立近代美術館などで順次公開されています。この画集では、岡﨑さんによるイントロダクション、キュレーターの中村麗さんと詩人のぱくきょんみさんによるエッセイが各1篇ずつ収められています。岡﨑さんはこう書いておられます。「2020年の2月の終わりから、アトリエに籠り、いままでになく集中し作品を仕上げることができた。どこにも行くことができないという条件は、かえって絵を通してどこにでも行けるという確信を強めてくれた。正確にいえば、絵はそのつど異なる、固有の場所を引き寄せ、そこを探索しつくすことを可能にもする」(7頁)。
★『記憶のデザイン』は書き下ろし。「この本で考えてみたいのは、膨大な情報を扱えるようになった現在の情報環境と、それを使う人間の、とりわけ記憶とのあいだに、よりよい関係を結ぶような仕組みをつくれないか、という課題である」(19頁)。80年代前半からコンピュータを使ってきたという山本さんは「コンピュータとインターネットによって実現され、日々更新されつつある情報環境は、どうも人間の身の丈に合っていないのではないか」(18頁)という疑問を抱いてきたといいます。なるほどそうした思いは私たち一般人も直感的に抱いているものではないでしょうか。山本さんが構想する壮大かつ身近な「知識OS」開発への序曲として本書に注目したいです。
★『活動写真弁史』は、自らも活動写真弁士として国際的に活躍する片岡一郎(かたおか・いちろう、1977-)さんによる書き下ろしの大作。全十章で、巻末には38名の弁士の「小伝」が添えられています。解説は映画監督の周防正行さん。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「世界のあちこちで映画に音声を付けようと試行錯誤は当初から行われていた。幾多の音を巡る試みのなかで日本は独自の方法を発達させた。それこそ物言わぬ映像を、生身の演者が音声化する技芸、「活動写真弁士」だ。〔…〕活動写真時代の映画館は、弁士が語り、楽士が音楽を奏で、観客が拍手や声援を送る、無声映画であるがゆえに音声に満ちたライブ感あふれる場であった」(16頁)。
★『和室学』は日本建築学会の11名のベテラン研究者による和室論。本論集の定義によれば和室とは「日本の中で独自に成立し展開した部屋で、椅子等ではなく床に座る〈床座〉に対応し、畳の敷き詰められた部屋」のこと。近年、日本の住宅から姿を消しつつある和室をめぐる、文化と思想、歴史と変遷、現在と未来を考えるための貴重な論集となっています。畳が日本独自のもので「その寸法と敷き詰めというあり方が、日本の建築のつくり方の独自性に繋がっている」(8頁)ことが指摘されています。
★『ソ連軍〈作戦術〉』は『Soviet Military Operational Art: In Pursuit of Deep Battle』(Frank Cass Publishers, 1991)の完訳書。訳者後書きの文言を借りると「まだ日本ではなじみの薄い作戦術(Operational Art)を中心に、戦略と戦術を含めたソ連軍の部隊運用思想について、その発生からソ連崩壊の直前まで網羅的に取り扱った、浩瀚な研究書」。著者のグランツ(David M. Glantz, 1942-)は、ベトナム戦争への従軍経験がある、米国の軍事史家。本書が初訳です。
『ザ・ブルーハーツ――ドブネズミの伝説』陣野俊史著、河出書房新社、2020年10月、本体2,000円、46判並製250頁、ISBN978-4-309-29094-2
『TOPICA PICTUS とぴか ぴくたす』岡﨑乾二郎著、ぱくきょんみ/中村麗寄稿、urizen発行、ナナロク社発売、2020年10月、本体4,000円、A4判上製124頁、ISBN978-4-904292-96-9
『記憶のデザイン』山本貴光著、筑摩選書、2020年10月、本体1,500円、四六判並製224頁、ISBN978-4-480-01717-8
『活動写真弁史――映画に魂を吹き込む人びと』片岡一郎著、共和国、2020年10月、本体6,600円、菊変型判上製576頁、ISBN978-4-907986-64-3
『和室学――世界で日本にしかない空間』松村秀一/服部岑生編、平凡社、2020年10月、本体3,400円、A5判並製366頁、ISBN978-4-582-54468-8
『ソ連軍〈作戦術〉――縦深会戦の追求』デイヴィッド・M・グランツ著、梅田宗法訳、作品社、2020年10月、本体3,800円、A5判上製384頁、ISBN978-4-86182-825-6
★『諸世界の戦争』は『War of the Worlds: What about Peace?』(Prickly Paradigm Press, 2002)の全訳。2008年8月にスリジー・ラ・サルで開催されたシンポジウム「諸文化の戦争と平和」で発表された仏語原稿を増補改訂して英語版が出版されたといいます。日本語版では、仏語版に付された注が原注として採用されています。ラトゥールは米国同時多発テロ事件を受けて「戦争のただなかにいることを自覚するとき、私たちは、多くの人々がよりいっそう平和な未来を想い描きあらゆる国民があいまいな近代主義的理想に収れんする、という自己満足から引きずり出されるのかもしれない。いや結局のところ、西洋人は全地球を近代化することなどできないのかもしれない」(7頁)ときっぱり書きます。
★続けてラトゥールはこう言います。「それは、西洋人が自分たちの文明という狭い領域に永遠に幽閉され、万人の万人に対する闘争のなかであらゆる他者に脅かされるという意味ではない。彼らは全世界を統一し、容認されたひとつの共通世界をつくるための確実な原理を所持していると性急に思い込んでいたということを意味するのだ。すでに存在している平和な同盟が粉々に破壊されたというわけではない。私たちはただ、同盟はつくられなければならないということを想起させられているのだ。それは単純に遵守されるものではない。統一とは自明であるどころか、戦って勝ち取られる未来の可能性以上のものではない。それは外交努力の最終結果であって、議論の余地のない出発点ではありえない」(7~8頁)。
★「あたかも戦争などまるで存在せず、ただ西洋的な自然な〈理性〉を平和的に拡張するために警察力を使ってあまたあの〈悪の帝国〉と戦い、それらを封じ込め、転向させようとしているだけであるかのように振る舞うとしたら、それは最悪の方向である。自分たちが近代的だといまだに信じている人々は往々にしてそうした過ちを犯す。〔…〕必要とされるのは、私たちがずっと戦ってきたあの古くからの戦争についての新しい認識なのである――新しい交渉と新しい平和のために」(9頁)。
★工藤さんは訳者あとがきでこう解説されています。「現代の状況に直面して、西洋近代推進主義者はいかなる行動をとるべきか。ラトゥールの提案は「やりなおし」である。すなわち、自らが行なってきた近代化、植民地化という暴力の始原まで時間を遡り、その地点から他者との交渉をやり直すこと。その再交渉の過程をラトゥールは「戦争」と呼ぶ」(91頁)。本書を読む読者は、従来の戦争観と平和観を根本的に転回させる機会を得ることになるはずです。
★もう一度ラトゥール自身の言葉を引きます。「いまこそ彼ら〔近代主義者〕に救いの手を差しのべ、如才なく彼らを交渉テーブルにつかせるときである。実際、諸世界の戦争が存在することを彼らに認識させ、彼らがそれに命を賭ける価値があると考えたもの――普遍性――と彼らが本当に気遣うべきもの――普遍性の構成――とを注意深く区別するように彼らに促すことが重要なのである。争う両者は相変わらず自分たちが何のために戦っているのかを知らない。外交官の仕事は、争う者たちに発見を手助けをすることである」(82頁)。
★『ザ・ブルーハーツ』は書き下ろし。はじめにとあとがきを除き、全8章で構成。「ブルーハーツができてから解散するまでの時間の流れに沿ってゆく。そのとき、時代背景の説明も最低限、入れてみよう。そして、この本の最大のポイントは歌詞の分析にある。立ち止まって考えたい。歌詞については当該の作品全篇を引用することにする」(13頁)。第1章「「1985」に始まる」で陣野さんはこう書きます。「ブルーハーツとは、出発点からしてすでに、戦争のこと、原爆のことを歌うバンドだった。「社会派」でも「反原発」でもなく、そういうバンドだったのだ。いいも悪いもない。流行も廃りもない」(27頁)。著者のありったけの熱量を注いだように感じるこの本は、行を目で追うだけで熱いですが、引用される曲を聴きながら読むともっと素晴らしいです。
★『TOPICA PICTUS とぴか ぴくたす』は、岡﨑乾二郎さんによる色彩鮮やかな最新作138点を収録した画集。岡﨑さんは2020年3月から6月にかけてアトリエで150点強の作品を制作されたそうです。それらの一部が、先月より豊田市美術館で、今月から東京国立近代美術館などで順次公開されています。この画集では、岡﨑さんによるイントロダクション、キュレーターの中村麗さんと詩人のぱくきょんみさんによるエッセイが各1篇ずつ収められています。岡﨑さんはこう書いておられます。「2020年の2月の終わりから、アトリエに籠り、いままでになく集中し作品を仕上げることができた。どこにも行くことができないという条件は、かえって絵を通してどこにでも行けるという確信を強めてくれた。正確にいえば、絵はそのつど異なる、固有の場所を引き寄せ、そこを探索しつくすことを可能にもする」(7頁)。
★『記憶のデザイン』は書き下ろし。「この本で考えてみたいのは、膨大な情報を扱えるようになった現在の情報環境と、それを使う人間の、とりわけ記憶とのあいだに、よりよい関係を結ぶような仕組みをつくれないか、という課題である」(19頁)。80年代前半からコンピュータを使ってきたという山本さんは「コンピュータとインターネットによって実現され、日々更新されつつある情報環境は、どうも人間の身の丈に合っていないのではないか」(18頁)という疑問を抱いてきたといいます。なるほどそうした思いは私たち一般人も直感的に抱いているものではないでしょうか。山本さんが構想する壮大かつ身近な「知識OS」開発への序曲として本書に注目したいです。
★『活動写真弁史』は、自らも活動写真弁士として国際的に活躍する片岡一郎(かたおか・いちろう、1977-)さんによる書き下ろしの大作。全十章で、巻末には38名の弁士の「小伝」が添えられています。解説は映画監督の周防正行さん。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「世界のあちこちで映画に音声を付けようと試行錯誤は当初から行われていた。幾多の音を巡る試みのなかで日本は独自の方法を発達させた。それこそ物言わぬ映像を、生身の演者が音声化する技芸、「活動写真弁士」だ。〔…〕活動写真時代の映画館は、弁士が語り、楽士が音楽を奏で、観客が拍手や声援を送る、無声映画であるがゆえに音声に満ちたライブ感あふれる場であった」(16頁)。
★『和室学』は日本建築学会の11名のベテラン研究者による和室論。本論集の定義によれば和室とは「日本の中で独自に成立し展開した部屋で、椅子等ではなく床に座る〈床座〉に対応し、畳の敷き詰められた部屋」のこと。近年、日本の住宅から姿を消しつつある和室をめぐる、文化と思想、歴史と変遷、現在と未来を考えるための貴重な論集となっています。畳が日本独自のもので「その寸法と敷き詰めというあり方が、日本の建築のつくり方の独自性に繋がっている」(8頁)ことが指摘されています。
★『ソ連軍〈作戦術〉』は『Soviet Military Operational Art: In Pursuit of Deep Battle』(Frank Cass Publishers, 1991)の完訳書。訳者後書きの文言を借りると「まだ日本ではなじみの薄い作戦術(Operational Art)を中心に、戦略と戦術を含めたソ連軍の部隊運用思想について、その発生からソ連崩壊の直前まで網羅的に取り扱った、浩瀚な研究書」。著者のグランツ(David M. Glantz, 1942-)は、ベトナム戦争への従軍経験がある、米国の軍事史家。本書が初訳です。