★まずは先月までの注目既刊書を列記します。
『ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念(上)』ジャック=アラン・ミレール編、小出浩之/新宮一成/鈴木國文/小川豊昭訳、岩波文庫、2020年8月、本体780円、文庫判258頁、ISBN978-4-00-386016-8
『シンボルの哲学――理性、祭礼、芸術のシンボル試論』S・K・ランガー著、塚本明子訳、岩波文庫、2020年8月、本体1,440円、文庫判614頁、ISBN978-4-00-386015-1
『フランス革命についての省察』エドマンド・バーク著、二木麻里 訳、光文社古典新訳文庫、2020年8月、本体1,480円、文庫判630頁、ISBN978-4-334-75430-3
『新装版 シェリング著作集 1a巻 自我哲学』高山守編、文屋秋栄、2020年4月、本体5,000円、A5判上製262頁、ISBN978-4-906806-08-9
『ルネ・シャール全集』ルネ・シャール著、吉本素子訳、青土社、2020年5月、本体12,000円、A5判上製函960頁、ISBN978-4-7917-7263-6
★岩波文庫の8月新刊から2点。『精神分析の四基本概念』は、ラカンの「セミネール」シリーズの第11巻で1964年の講義を収録したもの。国際精神分析家協会から「破門」されて講義の場を失ったラカンが、レヴィ=ストロースやフェルナン・ブローデルらの助けにより、テーマを「父の諸名」から「精神分析の四基本概念」に変更して再開することとなった、節目となる講義です。四基本概念というのは無意識、反復、転移、欲動の4つ。上巻では9回分の講義が収められています。
★親本は2000年刊の全1巻でしたが、文庫化にあたり改訳のうえ、上下2巻で刊行されます。翻訳改訂協力者として目次裏にクレジットされているのは、菅原誠一、深尾琢、古橋忠晃の3氏。セミネールでは初の文庫化で、ラカンの文庫化としても講談社学術文庫の2点、『二人であることの病い』2011年、『テレヴィジオン』2016年に継ぐ、貴重な3点目。なぜ全1巻にしてくれないのか、という本音はさておき、値段を抑えることによって購読者層を増やす戦略が功を奏したのか、私が購入した某大型書店では確か直近のベストセラー第6位に食い込む快挙でした。おそらくすべてのセミネール既刊を文庫化するのはなかなか困難なのかもしれませんが、10月発売だという下巻で予告されている「文庫版 訳者覚え書き」で文庫化の経緯と今後の計画が明かされるのかどうか、注視したいと思います。
★『シンボルの哲学』はアメリカの哲学者スザンヌ・ランガー(Susanne Katherina (Knauth) Langer, 1895–1985)の初期の主著『新しい基調の哲学』(Philosophy in a New Key: A Study in the Symbolism of Reason, Rite, and Art, Harvard University Press, 1942/1951/1957)の新訳。底本は57年の第3版。「アメリカにおける記号論の礎を築き、これを芸術の哲学に発展させた古典的名著」(カバー紹介文より)。師匠のホワイトヘッドに捧げられた一書です。
★ランガーの訳書には本書の旧訳(矢野萬里/池上保太/貴志謙二/近藤洋逸訳、岩波現代叢書、1960年;新装版、1981年)のほかに、『芸術とは何か』(『Problems of Art: Ten Philosophical Lectures』1957年;池上保太/矢野萬里訳、岩波新書、1967年)、『感情と形式――続「シンボルの哲学」』(『Feeling and form: a theory of art developed from philosophy in a new key』1953年;大久保直幹ほか訳、太陽社、初版第1巻1970年/初版第2巻1971年;合本再版、1987年;第3版、1999年)、『哲学的素描』(『Philosophical Sketches』1962年;塚本利明/星野徹訳、法政大学出版局、1974年)などがありますが、いずれも品切。特に『感情と形式』は古書価が高く品薄なので、ぜひともこちらも文庫になって欲しいですね。
★『フランス革命についての省察』は、18世紀英国の政治思想家エドマンド・バーク(Edmund Burke, 1729-1797)の主著『Reflections on the Revolution in France』(1790年)の新訳。フランス革命を痛烈に批判した古典で、これまでに幾度となく訳されており、現在でも水田洋訳(「フランス革命についての省察」、『世界の名著34』所収、中央公論社、1969年;『世界の名著41』所収、中公バックス、1980年;『フランス革命についての省察ほか』所収、全2巻、中公クラシックス、2002年)、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』みすず書房、1978年;新装版1997年)、中野好之訳(上下巻、岩波文庫、2000年)、佐藤健志編訳(抄訳、『[新訳]フランス革命の省察――「保守主義の父」かく語りき』PHP新書、2011年)などが入手可能です。そんななか、全1巻で新たな全訳が出たのはありがたいです。
★「フランスで起きたことはイングランドの実例に学んだのだと、そちらの人びとはときどき語っているそうですね。しかし断言させていただきますが、フランスで起きているできごとのうち、ほぼいかなるものもイングランドの民の習慣や多数意見から生まれたものではありません。できごとのなかでなされた行為も、その精神も異なります。またわたしたちはそこから学ぶつもりもありませんし、逆にみなさんに教示したこともいっさいないと言い添えておきたいと思います」(192頁)。「わたしたちは宗教こそが市民社会の基礎であり、あらゆる善の源泉であり、あらゆる慰めの源泉だと知っています。さらにさいわいなことに、心のなかでもそう感じているのです」(196頁)。「わたしたちが知っているのは、人間はその根本において宗教的動物だということ、無神論はわたしたちの理性にもとるだけではなく、本能にももとるということ、したがって無神論は長くその優位を維持できるものではないということです。わたしたちはこの知識を誇りに思っています」(197頁)。「国家と結びついた宗教、そして国家への義務と結びついた宗教は、自由な市民としてはるかに重要な意味を持ちます」(201頁)。現代の日本の政治を分析する上でも示唆を得られる古典ではないか、と感じます。
★最後の2点はコロナ禍の最中の新刊ということもあり、簡単に入手できなかったり懐が寂しかったりで、ようやく言及できるものです。
★『新装版 シェリング著作集 1a巻 自我哲学』は、新装版とは謳われているものの、燈影舎版では刊行されなかった新しいパートです。「哲学の原理としての自我について(1795年)」田村恭一訳、「独断主義と批判主義に関する哲学的書簡(1795-1796年)」古川周賢訳、の2篇を収録。新装版著作集は全6巻11分冊を予定し、今のところ4分冊を刊行。シェリングが、かのマルクス・ガブリエルによって近年再評価されているのは周知の通りです。
★『ルネ・シャール全集』は、吉本素子さんによる翻訳『ルネ・シャール全詩集』(青土社、 1999年;新装版2002年)に続く、驚嘆すべき一冊。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。A5判2段組で1000頁近い大冊が美麗な化粧函に入っています。間違いなく書棚で存在感を放つ1冊です。このたびの『全集』は『全詩集』のいわば発展形で、詩作品以外の評論や戯曲なども訳出して加えたもの。すでに『全詩集』をお持ちの方もおられるかと思いますが、『全集』も買って損なしです。
★このほか最近では、まもなく発売となる以下の新刊との出会いがありました。
『精選 シーニュ』モーリス・メルロ=ポンティ著、廣瀬浩司編訳、ちくま学芸文庫、2020年9月、本体1,400円、文庫判384頁、ISBN978-4-480-51002-0
『朝鮮銀行――ある円通貨圏の興亡』多田井喜生著、ちくま学芸文庫、2020年9月、本体1,200円、文庫判288頁、ISBN978-4-480-51003-7
『明の太祖 朱元璋』檀上寛著、ちくま学芸文庫、2020年9月、本体1,200円、文庫判320頁、ISBN978-4-480-51005-1
『インドの数学――ゼロの発明』林隆夫著、ちくま学芸文庫、2020年9月、本体1,300円、文庫判368頁、ISBN978-4-480-51004-4
『現実界に向かって――ジャック=アラン・ミレール入門』ニコラ・フルリー著、松本卓也訳、人文書院、2020年9月、本体2,400円、4-6判並製220頁、ISBN978-4-409-34055-4
『美術手帖2020年10月号「ポスト資本主義とアート」』美術出版社、2020年9月、本体1,600円、A5判並製208頁+巻末別冊18頁、雑誌07611-10
『人のつながりと世界の行方――コロナ後の縁を考える』山田孝子編著、英明企画編集、2020年9月、本体1,000円、A5判並製192頁、ISBN978-4-909151-06-3
★ちくま学芸文庫の9月新刊は4点でまもなく発売。『精選 シーニュ』は論文集『Signes』(Gallimard, 1960)の抄訳。原著は長い「序」のほか11篇が収められており、全訳には『シーニュ』全2巻(竹内芳郎監訳、みすず書房、1969~1970年)がありますが、現在は品切。今回の新訳「精選」では、「序」「間接的言語と沈黙の声」「モースからレヴィ=ストロースへ」「哲学者とその影」「生成しつつあるベルクソン」「マキアヴェッリについての覚書」を収録。近年再評価著しい哲学者の、時宜を得た出版だと思います。
★『朝鮮銀行』は2002年にPHP新書の1冊として刊行されたものの文庫化。著者の多田井喜生(たたい・よしお:1939-2018)さんは財団法人日本総合研究所の元参与。巻末の文庫版解説「空気中より軍資金を作る」は作家の板谷敏彦さんがお書きになっています。曰く「本書は明治44(1911)年8月15日、日本による韓国併合の際に中央銀行として設立され日本の第二次世界大戦敗戦とともに終焉を迎えた朝鮮銀行の歴史である」。著者は本書に先行して、大著『朝鮮銀行史』(東洋経済新報社、1987年)の編纂実務に関わっています。
★『明の太祖 朱元璋』は、白帝社版『中国歴史人物選』第9巻の文庫化。後世に「聖賢と豪傑と盗賊の性格を兼ね備えていた」と評された、明の初代皇帝・朱元璋(しゅ・げんしょう:1328-1398)を考察しています。「文庫版あとがき」によれば、原著をチェックし直した修正版となっているとのことです。著者の檀上寛(だんじょう・ひろし:1950-)さんは京都女子大学名誉教授。ご専門は明代政治史。直近の著書に『陸海の交錯 明朝の興亡(シリーズ「中国の歴史」第4巻)』(岩波新書、2020年5月)があります。
★『インドの数学』はちくま学芸文庫のMath&Scienceシリーズの1冊。1993年に中公新書の1冊として刊行されたものの文庫化。帯文に曰く「古代から16世紀までを原典に則して概観」と。巻末の「文庫版あとがき」によれば、誤記誤植を修正し、27年間の研究の進展に照らして修正が必要と思われる箇所も修正し、文献リストを増補したとのことです。著者の林隆夫(はやし・たかお:1949-)さんは同志社大学名誉教授。ご専門は、数学史、科学史、インド学でいらっしゃいます。
★『現実界に向かって』はまもなく発売。『Le réel insensé - Introduction à la pensée de Jacques-Alain Miller』(Germania, 2010)の全訳。ラカンの娘婿であり継承者のミレール(Jacques-Alain Miller, 1944-)をめぐる「初めての入門書」であり「現代ラカン派の良質な見取り図となる一冊」(帯文より)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻末にはミレールの著作目録もありますが、翻訳がないことに改めて驚きます。著者のフルリー(Nicolas Floury, 1978-)はフランスの学者で、哲学と精神分析の関係を研究しているとのこと。先に紹介した『精神分析の四基本概念』の質疑応答でもミレールが印象的に登場しますので、ぜひ併読をお薦めしたいです。
★『美術手帖2020年10月号』は明日発売。特集は「コロナ禍に考える、ポスト資本主義とアート――作品は商品か? 制作は労働か? 社会は不変か?」。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。マルクス・ガブリエルへのインタヴュー「アートは資本主義よりも巨大なもの」(聞き手=かないみき)に始まり、レンゾ・マルテンス、丹羽良徳、アマリア・ウルマン、アイザック・ジュリアン、ヨアー・ナンゴ、といった各氏へのインタヴューが収められ、昨今思いがけない形で注目を浴びた白井聡さんも「マルクスからおさらいするアートと資本主義の関係」という一文と、白川昌生さんとの対話「「贈与」から考える美術と社会」というかたちで参加されています。
★『人のつながりと世界の行方』はまもなく発売。シリーズ「比較文化学への誘い」の第6弾です。帯文に曰く「血縁、地縁、信仰縁、職縁、嗜好縁など世界各地の「つながり」をめぐる諸相の比較からコロナ後の世界において安全かつ豊かに生きる方途を探る」と。山極寿一、藤本透子、小西賢吾、和崎聖日、山田孝子の各氏が論考を寄せ、彼らに小河久志、桑野萌、坂井紀公子の各氏が加わった座談会2篇「「つながり」の変容から考える日本の未来――AI時代にも変わらない共有・共感の必要性」「「つながり」を取り戻す比較文化力の可能性――ネットから離れて未知のフィールドへ」が収められています。