ジャック・デリダ講義録 獣と主権者Ⅱ
ジャック・デリダ著 西山雄二・亀井大輔・荒金直人・佐藤嘉幸訳
白水社 2016年6月 本体6,800円 A5判上製430頁 ISBN978-4-560-09802-8
帯文より:世界は存在せず、ただ島々だけが存在する。生き埋めにされるという幻像(ファンタスム)から『ロビンソン・クルーソー』を読み解き、土葬と火葬という「喪の作業」の二項対立を考察し、ハイデガーとともに、動物と人間が共住する世界の「支配(ヴァルテン)」を問う! 最終講義を収録した、著者晩年の脱構築的思索の白眉。
★まもなく発売。原書はガリレから2010年に刊行された、Séminaire La bête et le souverain Volume II (2002-2003)です。『獣と主権者Ⅰ』(西山雄二・郷原佳以・亀井大輔・佐藤朋子訳、白水社、2014年11月)に続く同講義の完結編で、デリダの生前最後の講義です。目次は書名のリンク先でご覧いただけます。訳者の西山さんは巻末の解説でこう述べておられます。「訳者のうち、西山と佐藤は留学中、本セミネールに出席し、デリダ自身の肉声で講義を聴いた。第一日目、デリダは「私はひとりだ」とおもむろにつぶやいて授業を始めた。大教室を埋め尽くす聴衆は一気に彼の演劇的な語り口に飲み込まれ、『ロビンソン・クルーソー』とハイデガー講義『形而上学の根本諸概念』の読解というスリリングな知的冒険に魅了された」(373頁)。なお、本訳書では、デフォー『ロビンソン・クルーソー』は平井正穂訳(上下巻、岩波文庫、1966~1971年)が、そしてハイデガー『形而上学の根本諸概念』は創文社版『ハイデッガー全集』第29/30巻(川原栄峰+セヴェリン・ミュラー訳、1998年)が参照されています。
★講義冒頭で「私はひとりだ」と発語したあと、デリダは言葉を重ねつつこうも述べます。「この世界でひとり。つまり、孤独が話題になるとき、問われているのはつねに世界のことです。そして、世界と孤独との関係が私たちの本年度の主題となるでしょう。〔・・・〕けれども、私は退屈するのではないでしょうか。〔・・・〕とりわけ、ハイデガーが1929~30年の講義で論じたSichlangweilen〔退屈すること〕はおそらく、本年度のセミネールの核心となるでしょう。〔・・・〕ロビンソン・クルーソーは退屈したでしょうか。実際、この男性はひとりでした。〔・・・〕ロビンソンはいわば島のなかの島のようでした」(9-20頁)。全10回の講義に記された議論は濃密で多岐にわたり、要約は困難ですが、冒頭で言われた世界と孤独の問題については最後の講義である第10回(2003年3月26日)にも回帰します。イラク戦争勃発直後の講義であり、デリダの死去(2004年10月8日)の前年にあたります。
★「おそらく、世界のなかにあまりにも多くの世界が存在するのでしょう。しかし、ひとつの世界が存在すると誰が私たちに保証できるのでしょうか。おそらく、世界は存在しないのでしょう。〔・・・〕私たちが生きている諸世界は、〔・・・〕怪物性に至るまでに異なっている〔・・・〕。群島のあいだの深淵、めまいがするほど翻訳不可能なもの、それらの怪物性に至るまでに異なっている〔・・・〕。私たちがこれほど語っている孤独そのものは、もはや、同一世界の複数者の孤独、共-住可能な唯一の同じ世界において依然として分有可能な孤独でさえなく、諸世界の孤独であり、世界は存在しない、ひとつの世界さえ、唯一の同じ世界さえ存在しない、ひとつのものである世界は存在しない、つまり世界一般、ひとつの世界、ひとつのものである世界は存在しない、という否みがたい事実」(332頁)。
★「もし私たちが他者を、君を担わねばならない〔ツェラン「外へと-」、『息の転換』所収〕と考えるのなら、〔・・・〕二つのことしか問題にはなりえません。二つのことのうち、一方あるいは他方です。/一、〔・・・〕世界の外、すなわち私たちが少なくとも、世界は、共通の世界はもはや存在しない、という知識を幻像なく分有する場へと他者を運ぶこと。〔・・・〕二、あるいは、第二の仮説。世界が存在しないような場所で、世界がここにもあそこにも存在せず、遠くに、向こうに無限に離れているということ。君と共に、君を支えながら私がなさねばならないことは、まさにひとつの世界がある、ただひとつの世界がある、さもなければひとつの公正な世界があるようにすることだ、ということ。あるいは、あたかもたったひとつの世界しか存在しないかのようにし、〔・・・〕君に対して、〔・・・〕私が世界を世界へと到来させるかのようにすること――あたかも現在そこに存在しない場所に世界が存在するかのように。この「かのように」の贈与あるいは贈り物を詩的に生起させること、そのことだけが、〔・・・〕不可能な旅の有限な時間のなかで、私が生きられるようにし、君を生きさせ、あるいは君を生きるがままにさせ、楽しみ、あるいは君を楽しませ、君を楽しむがままにさせうる、ということ」(334-335頁)。
★デリダの言葉は難解で、はっきりした結論を聴きたい方にとっては何ともモヤモヤした感じがするかもしれませんが、分かり切った自明な真理への到達を偽装することよりも、問い続けること、折り畳まれて今にも摩滅しそうな問いの地平を丁寧に拡げ直し、私たちが生きていく場所を見出そうと努力することをデリダは選んでいるのではないかと感じます。デリダは講義の最後に「死の能力」について問うことがまだ手つかずである、と述べます。デリダなき今、その問いは読者である私たちが引き継がねばなりません。
★なお、白水社さんではデリダ講義録の続巻として、『獣と主権者』全2巻に続き、そのちょうど前期である1999~2001年のテーマである『死刑――責任の問い』(2巻本、原著2012/2015年刊)を刊行されるご予定。
★また、白水社さんでは今月「書物復権2016」で、居安正さん訳によるジンメルの著書、『貨幣の哲学[新訳版]』『社会学――社会化の諸形式についての研究』(上下巻)や、サミュエル・ベケット『事の次第』(片山昇訳)など、重要書が復刊されています。また、来月下旬の新刊では『コーネル・ウェストが語るブラック・アメリカ』(クリスタ・ブッシェンドルフ編、秋元由紀訳、白水社、2016年7月、ISBN9784560092491)が予告されています。版元紹介文に曰く「常にくすぶり続ける「人種問題」の根源に迫るため、今もっとも注目される論客が6人の賢人に託して語り尽くした刺激的なアメリカ論」と。昨秋出版された『Black Prophetic Fire』(Beacon Press, 2014)が原書だとすると、6人の賢人というのは、フレデリック・ダグラス、W・E・B・デュボイス、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、エラ・ベイカー、マルコム・X、アイダ・B・ウェルズとなります。結論部では「オバマの時代」についても言及されています。本書を軸に黒人思想家・活動家をしっかりフォローすれば書棚で人種の多様性を表現することも可能になるのではないかと思います。
★『獣と主権者Ⅱ』に先立って、今月にはデリダの次の二冊が刊行されました。また、先月下旬には入門書も発売されています。
『精神分析のとまどい――至高の残酷さの彼方の不可能なもの』ジャック・デリダ著、西宮かおり訳、岩波書店、2016年5月、本体2,200円、四六判上製192頁、ISBN978-4-00-061129-9
『他の岬――ヨーロッパと民主主義【新装版】』ジャック・デリダ著、高橋哲哉・鵜飼哲訳、國分功一郎解説、みすず書房、2016年5月、本体2,800円、四六判上製144頁、ISBN978-4-622-07999-6
『〈ジャック・デリダ〉入門講義』仲正昌樹著、作品社、2016年4月、本体2,000円、46判並製448頁、ISBN978-4-86182-578-1
★『精神分析のとまどい』は、États d'âme de la psychanalyse: L'impossible au-delà d'une certaine cruauté (Galilée ,2000)の翻訳。帯文はこうです。「精神分析は欲動の経済論を越えて「残酷さの彼方」を思考することにより、主権の横暴が露わになる戦争や死刑に対抗する言説を紡ぎだすべきではないか。精神分析の衰退を背景として開催された会議〔2000年〕における真摯で率直な提言」。巻末には立木康介さんによる解説「精神分析とデリダ――コンフロンタシオンから三部会へ」(153-173頁)が併載されています。デリダの導きの糸となるのはアインシュタインとフロイトの往復書簡ですが、タイミングの良いことに、6月11日発売の講談社学術文庫の新刊『ひとはなぜ戦争をするのか』(浅見昇吾訳、養老孟司解説、斎藤環解説;親本は『ヒトはなぜ戦争をするのか?』花風社、2000年)として文庫化されます。フロイトの手紙については『人はなぜ戦争をするのか』(中山元訳、光文社古典新訳文庫、2008年)などでも読むことができます。前出の『獣と主権者』の講義原稿と本書『精神分析のとまどい』の発表原稿の執筆年が近いこともあって、問題の連続性を両書のうちに見出せるような気がします。
★ちなみに岩波書店のウェブサイトでは今月から近藤ようこさんによる夏目漱石「夢十夜」の連載が始まっています。これは必見。漱石没後百年記念だそうです。また、同版元の来月新刊には、6月上旬発売の単行本で井波律子訳『完訳論語』、6月中旬発売の岩波少年文庫でディーノ・ブッツァーティ『古森のひみつ』(川端則子訳)などが見えます。
★『他の岬[新装版]』は1993年の同書の再刊ですが(原著はL’Autre cap suivi de La Démocratie ajournée, Minuit, 1991)、 巻末に新たに國分功一郎さんによる解説「二重の義務」(122-132頁)が加えられており、デリダ再読の意義を示しています。デリダはこう書きました。「ヨーロッパは突出部――地理的及び歴史的な前衛――をもって自任している。それは突出部として前進して=突き出していくのであり、他者に対して突出する=言い寄る=先行投資するのをやめてしまうことはないだろう。引き入れ、誘惑し、産出し、指揮し、おのれを増殖させ、養い=耕し、愛したり犯したりし、犯すことを愛し、植民地化し、おのれ自身を植民地化するために」(38-39頁)。ヨーロッパの落日を迎えつつあるようにも見えるこんにち、本書は新たな読解を誘うように思います。
★「理念的資本としての文化的資本を危機にさらすのは、次のような人間たちの消失である。すなわち、「失われた美徳、読むすべを知っていた」人間たち、「聞くすべ、耳を傾けるすべさえ知っていた」人間たち、「見るすべ」を、「くりかえし読み」「くりかえし聞き」「くりかえし見る」「すべを知っていた」人間たち――一言で言うなら、反復と記憶の能力をもち、応答する準備のできた人間たち、初めて聞いたり、見たり、読んだり、知ったりしたことの前で応答し、それらについて応答し=責任を負い、それらに対して応答する準備のできた人間たちの」(54-55頁)。ここでデリダが参照しているのは、第二次世界大戦開戦直前のポール・ヴァレリーのテクスト「精神の自由」(1939年)です。『精神の危機 他15篇』(恒川邦夫訳、岩波文庫、2010年)などで読むことができます。繰り返し読んで記憶するという習慣から離れつつある現代人にとって待ち受けているのは、その習慣によって避けられたかもしれない「過ちを繰り返すこと」の危険です。
★『〈ジャック・デリダ〉入門講義』は、2014年11月8日から2015年5月9日にかけて連合設計社市谷建築事務所で行われた全7回の連続講義に大幅に加筆したもの。『精神について』(平凡社ライブラリー、2010年新版)と、『死を与える』(ちくま学芸文庫、2004年、品切)の読解を中心とした講義にそれぞれ3回ずつ割かれ、最終講では『声と現象』(ちくま学芸文庫、2005年)が扱われます。仲正さんは「はじめに」でこう書かれています。「デリダの文章は、慣れていない読者には、何が主題なのかさえ分かりにくいが、デリダが脱構築の対象として言及している元のテクストに直接当たって、デリダが拘っている語句や表現をよくよく吟味していくと、徐々にデリダの問題意識が見えてくる。元のテクストというのがプラトン、ヘーゲル、フッサール、フロイト、バタイユ、ハイデガー、アルトー、レヴィナスなど、それ自体が結構難解で、他の思想家のテクストと間テクスト的に複雑に繋がっているので、予備作業にかなりの労力が必要だが、その分、分かってくると爽快感がある。デリダが奇妙な文体を駆使するのは、単に、難解さを演出してマニアックな読者を惹きつけるためではなく、哲学的にきちんとした理由があることが見えてくる。〔・・・〕デリダは、際限のない解釈の連鎖へと誘う著者である」(5頁)。
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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『未来のために何をなすべきか?――積極的社会建設宣言』ジャック・アタリ+積極的社会フォーラム著、的場昭弘訳、作品社、2016年5月、本体1,400円、46判並製160頁、ISBN978-4-86182-581-1
『イン・アメリカ』スーザン・ソンタグ著、木幡和枝訳、河出書房新社、2016年5月、本体4,200円、46判上製488頁、ISBN978-4-309-20705-6
★アタリ『未来のために何をなすべきか?』は発売済。原書は、Manifeste pour une société positive (Mille et une nuits, 2014)です。附録として、『神奈川大学評論』創刊80年記念号「人類への希望のメッセージ――世界からの提言」(2015年3月号)にアタリが寄稿した「未来の世代のために尽くすことこそ、継続的、均衡成長のための鍵である」が収録されています。本書の序文にはこうあります。「本書は、愛他主義(もちろんこれはエゴイズムの知的な形態でもあるのだが)への呼びかけである。本書の意味は、人間、国家、集団、企業それぞれに目を見開いてもらい、今日の社会を変革し、明日の地球全体の未来について考えてもらうことである。次の世代の利益を確保するためには、あれやこれやの現場で働く、すべての個人、あるいはすべての単位たる組織が、積極的でなければならないのである。〔・・・〕まさに、いまこそ行動に移すべき時なのだ。/次の世代の生活を準備し、さらにそれを実現するための協同、信頼、弾力性という基準を評価するためには、「積極的経済」というものが存在しなければならない。積極的経済という概念のなかで貢献しえるのは、人びとすべてである。〔・・・〕積極的経済の運動において中心となるのは、教育、健康、移動、エコロジー、金融、民主的ガバナンス、イノベーションなど、社会をそれぞれ構成する概念、そして全体として生きているそれぞれの単位でなければならない」(18-20頁)。
★序文に先立ち、巻頭には「積極的な社会をつくりだすための17の提言・活動計画」が掲げられていて、国家、地域、企業の三次元に分けた提言が目を惹きます。特に興味深いのは企業レベルに振り分けられている提言のいつくかで、たとえば「株主の投票権を、その株をどれくらい長く保持しているかという持続性によって増やすこと」ですとか、「「積極的免税ゾーン」というものを創設し、企業が法人税を支払うことなく、そこに進出し、取引を拡大できるようにすること」など、ハゲタカファンドやタックスヘイブンの問題を考える上でユニークな論点が提起されています。また、巻末の訳者解説では、アタリが2012年にオランド大統領に提出した報告書の概要が紹介されており、積極的経済を実現するための45の要求事項についても列記されています。この報告書は本書誕生の淵源となっています。訳者の的場さんは積極的経済の意義についてこう説明しておられます。「それは自分自身の分相応の限界からの解放である。さらにそうさせない世論や規制からの解放である。積極的経済とはそうしたものから解放されるという積極性を意味するし、まさに愛他主義とはそうした解放を意味する」(150頁)。
★ソンタグ『イン・アメリカ』は発売済。原書は、In America (Farrar, Straus & Giroux, 1999)です。帯文にはこうあります。「ポーランド移民がシェイクスピア劇を通じてスターになるまで。史実をもとにソンタグが描く、大長編ロマン。全米図書賞受賞作」。本書冒頭にはこう書かれています。「『イン・アメリカ』の物語はポーランドでもっとも高名だった女優ヘレナ・モジェイェフスカが1876年、夫のカロル・フワボフスキ伯爵、15歳の息子ルドルフ、若きジャーナリストで後に『クォ・ワディス』などの作品をものして作家となるヘンルィク・シェンキェーヴィチ、それに数人の友人たちと共にアメリカを目指して国を出たことに触発されて書かれた――一行はカリフォルニア州アナハイムにしばらく滞在しているが、その後モジェイェフスカはヘレナ・モジェスカの名でアメリカの舞台劇の世界で活躍し、大成功を収める。/こうしたことに触発されて書いた……それ以上でもそれ以下でもない」(3頁)。訳者あとがきはなし。木幡さんは長らく、精力的にソンタグの翻訳を継続されており、その恩恵には大きなものがあることは言うまでもありません。
『心に刺青をするように』吉増剛造著、藤原書店、2016年5月、本体4,200円、A5変上製308頁、ISBN978-4-86578-069-7
『ジェイン・ジェイコブズの世界 1916-2006(別冊『環』22)』塩沢由典・玉川英則・中村仁・細谷祐二・宮崎洋司・山本俊哉編、藤原書店、2016年5月、本体3,600円、菊大判並製352頁、ISBN978-4-86578-074-1
★吉増剛造『心に刺青をするように』は発売済。藤原書店さんのPR誌『機』で2001年2月から2008年1月まで連載された「triple ∞ vision」全80篇の単行本化です。まえがき「書物モマタ夢ヲミル」とあとがきが書き下ろされています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文に曰く「前衛吉増詩人が、〈言葉―イメージ―音〉の錯綜するさまざまな聲を全身で受けとめ、新しい詩的世界に果敢に挑戦!」と。様々な作家やアーティスト、思想家の視線と交錯していく本書には、諸分野を縫うように走っていく詩人の針と糸の繊細な動きが見て取れます。造本は個性的で、カヴァーと帯の上からもう一枚半透明のカヴァーが掛けられており、本文と写真はセピア系のインクで刷られています。なお、吉増剛造さんはまもなく、『怪物君』(みすず書房、2016年6月、本体4,200円、B5変型判160頁、ISBN978-4-622-07986-6)という新刊も上梓されます。版元紹介文によれば「大震災からの五年、渾身の力を込めて書き続けられた一連の詩」と。
★『ジェイン・ジェイコブズの世界』は発売済。帯文に曰く「都市・コミュニティ・起業を考える上で必読の一冊。「都市思想の変革者」の全体像に多角的視点から迫る! 人口減少による社会再編に直面する今、都市とコミュニティの活性化と発展の原理を明らかにしたジェイコブズに何を学ぶか? 生誕100年・没10年記念出版」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「ジェイコブズを読む」「都市空間とコミュニティ」「都市のイノベーション、そして国家」「ジェイコブズの先へ」の四部構成で30余編もの論考が読めるほか、巻末にはジェイコブズ略年譜(1916-2006)や著書一覧が配されています。ラング+ウンシュ『常識の天才ジェイン・ジェイコブズ――『死と生』まちづくり物語』(玉川英則・玉川良重訳、鹿島出版会、2012年)とともにひもときたい一冊です。なお、筑摩書房の「ちくま大学」ではこの半年間、「生誕百年 ジェイン・ジェイコブズの思想と行動」という連続講座が開かれてきたことも特記しておきたいと思います。
★藤原書店さんでは来月、エマニュエル・トッドの大著、『家族システムの起源(Ⅰ)ユーラシア』(2分冊)が刊行予定とのことです。「「人類の歴史」像を覆す! 人類学者エマニュエル・トッドの集大成!」と版元サイトで予告されています。
『現代思想 2016年6月臨時増刊号 微生物の世界――発酵食・エコロジー・腸内細菌…』青土社、2016年5月、本体1,300円、A5判並製198頁、ISBN978-4-7917-1322-6
『現代思想 2016年6月号 日本の物理学者たち』青土社、2016年5月、本体1,300円、A5判並製230頁、ISBN978-4-7917-1323-3
★『現代思想』6月号と同月臨時増刊号は発売済。通常号は物理学、臨時増刊号は微生物、いずれも理系メインの内容で、『現代思想』誌が渉猟する領域の幅広さが示されているとともに、栗原編集長時代の飽くなき挑戦の広がりを感じさせます。それぞれの収録論文は、誌名のリンク先でご確認いただけます。まず通常号ですが、いずれも興味深い内容のエッセイや論考、インタヴューが揃っていて、個人的には数学者の津田一郎さんの寄稿「カオス理論から見た心脳研究の私的遍歴」が読めるのが嬉しいです。周知の通り津田さんは昨年末、『心はすべて数学である』(文藝春秋、2015年12月)というたいへん魅力的な新著を上梓されており、文理の別を問わない広い関心を集めておられます。
★臨時増刊号では、渡邉格・渡邉麻里子さんへのインタヴュー『田舎のパン屋が描く、〈生活〉のかたち』や、川邉雄さんの寄稿『酵母と暮らすパン焼き生活』といったパン屋・パン職人の方々の声が掲載されていることに注目したいです。お三方は『Spectator』誌第35号「特集=発酵のひみつ」(エディトリアル・デパートメント発行、幻冬舎発売、2016年1月、本体952円、B5変形190頁、ISBN978-4-344-95294-2)にも登場されていますし、渡邉格さんの著書『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社、2013年)はビジネス書として以上に一冊の思想書として注目できます。また、川邉さんはグラフィック・デザイナーとしても知られていますが、近著では『認知資本主義――21世紀のポリティカル・エコノミー』(山本泰三編、ナカニシヤ出版、2016年4月)にも寄稿されています。『Spectator』『現代思想』の両誌や関連書が併売されれば、新たな読者層が開拓できるかもしれません。
★『現代思想』7月号は6月下旬発売予定、「特集=報道の未来」とのことです。
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注目新刊:デリダ『獣と主権者II』『精神分析のとまどい』『他の岬 新装版』、ほか
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