弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号、9号、10号、11号に続いて、12号のご紹介です。
季刊哲学 ars combinatoria 12号 電子聖書〔ハイパーバイブル〕――テクストの新スペキエス:文化の相転移のために
哲学書房 1991年10月10日 本体1,900円 A5判並製294頁 ISBN4-88679-050-X C1010
目次:
【テクスト・神学・外部】
荒井献「プロローグとしてのエピローグ――マルコ福音書16章7-8節によせて」 pp.8-31
百瀬文晃「聖書と教義」 pp.32-47
青野太潮+大貫隆「聖書研究の現在――エクリチュール・神学・外部」 pp.52-74
川島貞雄「『聖書 新共同訳』(新約)の意義と問題点――エキュメニズムの果実」 pp.75-83
白柳誠一「古くて新しい聖書」 pp.48-51
【電子メディアと聖書】
Z・イエール「聖書とコンピュータ」 pp.209-214
近藤司朗「日本語版電子聖書の役割と展望――言葉の森のアリアドネー」 pp.215-221
黒崎政男「電子メディアと現代哲学」 pp.222-237
【テクスト・声エクリチュール】
柄谷行人「テクストとしての聖書」 pp.120-133
磯崎新「「声」と「ことば」――教会建築に何が起きたか」 pp.144-147
高橋悠治「ことば、文字、……」 pp.192-195
E・レヴィナス「弦と木――聖書のユダヤ的解釈について」合田正人訳 pp.134-143
【像と喩】
小此木啓吾「聖書とフロイト――鳥は風によって懐妊する」 pp.153-164
若桑みどり「預言者の図像とその肖像――システィナ礼拝堂の場合」 pp.84-116
【テクストのフィギュール】
トマス・アクィナス「ロマ書講解(第13章30-33節) コリント前書講解(第1章21-25節)」花井一典訳 pp.174-
ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程 第二章」長倉久子訳 pp.238-257
山内志朗「聖書と普遍論争――中世におけるフランチェスコ会」 pp.196-208
【デュナミスと思考】
養老孟司「聖心信仰――臨床哲学4」 pp.148-152
小林康夫「聖書の場所」 pp.118-119
小林昌廣「治癒力の伝道者たち――聖書と医学」 pp.165-173
岡部雄三「星の賢者と神の聖者――パラケルススの魔術論」 pp.258-278
小林龍生+中野幹隆「ハイパーバイブル――成立・構造・利用法」 pp.279-291
「『ハイパーバイブル』(floppy disk A)をご希望の方に」 pp.293-
「ハイパーバイブル申し込み書」 p.293
「契約書」 p.294
「編集後記」 p.292
編集後記:
●―テクストに内在する読者と、これに自らを投影して行く、歴史的に実在する読者と。この時読者は、いずれも聴者でもあった。たとえば、歴史という「地」からマルコ福音書というテクストがたち現われるあたり、声つまりパロールの内的直接性と、エクリチュールとは、未分の状態で、いまだあった。もとより読者と著者はテクストの担い手なのであった。二十世紀の半を過ぎて、エクリチュールの外部性を直截に言うことによってプロブレマティックの全容が明らかにある、時間軸上のこの二点を『聖書』が無ずぶのである。
●―テクストはあくことなく読解を挑発する。文化とはたとえば『聖書』に加えられたヘルメノイティークの堆積層の別名にほかならない。啓示と生、思考と行為を貫いてそれはあった。
●―ひるがえって『聖書』は、書物のメタファー、あるいは原=書物として、時代の先端をなすテクノロジーとそれが可能にしたメディアによって担われてきた。メディアは身体を貫いて精神を象る。一四五五年、グーテンベルクによってもたらされた最初の活字印刷本こそ、「四二行聖書」であった。この時以来五世紀、書物が思考の生理を律する。
●―そしていま「電子聖書」が創出される。書物の、とはつまり思考の形態転換の軌跡が鋭く折れる。テクストの新たなスペキエスの出現によって、いまや「書物」という身体(physics)から解き放たれ、あからさまに自らを露出する「情報」は、思考のモードを、どのように相転移させようとするのだろうか。
●―フロッピーディスクになった、『聖書=ハイパーテキスト』と双生児というべきこの雑誌は、ご寄稿いただいた方々はもとより、実に多くの方々のご協力のことに成った。編集部の不手際にとって今日まで刊行が遅れてしまったことを深くおわび申しあげる。財団法人日本聖書協会、Z・イエール神父、佐藤信弘(JICC)、安斎利洋(サピエンス)の方々にはわけてもお世話になった。西洋古典学を修め信篤い友人小林龍生(ジャストシステム)は、ほとんど共同編集者であった。とはいえ、責任の一切が哲学書房に帰すこと、いうまでもない。
●―なお、「電子聖書」の実験は日々新たな展開を見せており、多国語聖書を収めた「国際聖書」のCDROM化が日程に上っている。
●―次号は「神の存在(論的)証明」となる。(N)
補足1:欧文号数は「vol.V-1」。すなわち第5年次第1巻。「編集後記」には次号予告があるものの、この号が実質的な最終号となった。
補足2:目次末尾には次のような注記がある。「聖書からの引用は、原則として『聖書 新共同訳』に拠る。なお行論・文脈上、〈口語訳〉〈前田護郎訳〉ほかに拠る論文もある。また翻訳の場合は、原著者による引用を忠実に訳出した。」
補足3:117頁は日本キリスト教団出版局の「新共同訳 新約聖書注解」全2巻(高橋虔/B・シュナイダー監修、川島貞雄・橋本滋男・堀田雄康編集)の広告が掲載されている。
補足4:表紙表4は、磯崎新氏の展覧会「磯崎新建築展 1960/1990」(1991年9月~1992年7月、東京・水戸・群馬・梅田・北九州)の全面広告である。
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月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。
季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円)
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)
※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。
なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。
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『季刊哲学』12号=電子聖書
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