弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号、9号に続いて、10号のご紹介です。
季刊哲学 ars combinatoria 10号 唯脳論と無脳論――ニューロ=メタ=フィジクス
哲学書房 1990年3月15日 本体1,900円 A5判並製174頁 ISBN4-88679-039-9 C1010
目次:
【本邦初訳原典】
ライプニッツ「実在的現象を想像的現象から区別する方法について」伊豆蔵好美訳 pp.30-37
バークリ「哲学的評註」一ノ瀬正樹訳 pp.38-61
【自我と時間】
大森荘蔵「自我と時間の双生」 pp.8-20
小林康夫「時間・身体・脳」 pp.114-120
黒崎政男「脳の解明は、何を解明するか――人間の諸能力と脳内過程」 pp.121-126
岡本賢吾「コギトと視点――デカルトによる省察と、そのライプニッツ的な展開をめぐる一考察」 pp.154-165
松原仁「人工知能における「頭の内と外」――フレーム問題を例として」 pp.21-29
【構造と情報】
柴谷篤弘「唯脳論・構造主義生物学・神学――滝沢克己再訪」 p.74-84
養老孟司+中村桂子「唯心論と情報二元論」 pp.62-73
小林昌宏「認識としての解剖学――三木成夫と養老孟司」 pp.98-107
布施英利「二重の脳化――テクノロジーとアート」 pp.108-113
【精神の歴程】
ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程――第一章」長倉久子訳 pp.127-151
井辻朱美「指環のジン――風街物語外伝」 p.166-170
「脳の中世」 p.87-97
「既刊目次」 pp.172-173
編集後記:
●―現〔あらわ〕るがままのものensと真verumとは相即的であったエンスが知性と合一するときに示す相貌ratioが真なのである。認識とはこの合致の結果にほかならない。トマスにあってはこうして、エンスから真への移行のアプリオリが語られる。
●―現るがままのもの、とは世界のことである。世界として知覚され、世界として思考されて、世界は現る。一方、知覚や思考や記憶や意識は脳の働きである。すると世界もまた脳の産物であるというべきなのだろうか?(大森荘蔵はかつてこれを脳産教理と名づけ、この脳産教理を論拠にして無脳論の可能性を示した。視覚風景の分岐から脳産教理を衝いた氏は、いま、同じその分岐から「自我と時間の双生」の場に到り、客観的世界と主観との分画の形成を説く地平をひらいた。
●―考えるとは脳の状態である。cogito ergo sumとは、〈私が考えている〉と言語で表現される状態cogitoがあって、それは〈私が存在する〉と言語で表現される状態sumなのである、と養老孟司『唯脳論』は解す。デカルトにとってその時、神の存在も明証的であった。
●―アウグスティヌスが、脳室に精神過程が局在することをみとめ、しだいに、三つの脳室の内に、共通感覚と理性と記憶とは存在することになる。スコラの、神学の時代にも脳(をめぐる思考)はあった。そしていま、コンピュータという構造体として延長を続ける脳、世界を脳化して自らに再参入する脳、神を脳内の現実として生成させる脳は、ありとある思考の、避けて通ることのできない、いわば思考のhybrid causationの特異点をなしているのである。(N)
補足1:欧文号数は「vol.IV-1」。すなわち第4年次第1巻。
補足2:81頁には「季刊思潮」の全面広告が前号に続き掲載されており、第1号から第8号までの既刊が紹介されていると同時に、終刊イヴェント「「終わり」をめぐって――講演+シンポジウム」が告知されている。日時は1990年3月28日18:30~21:00、場所は新宿・紀伊國屋ホール、入場料は1,200円で、予約および問い合わせ先は紀伊國屋ホール事業部と記載されている。出席者は蓮実重彦、三浦雅士、浅田彰、柄谷行人の四氏。
補足3:図版頁「脳の中世」には、中世の写本や、ヨハネス・ケタム『医学小論』(1419年)、アルベルトゥス・マグヌス『小哲学』(1490年、1493年、1506年)、アリストテレス『霊魂論』(1494年版)、ロバート・フラッド『両宇宙誌』(1617年)、ヴェサリウス『ファブリカ』(1543年)、現代の解剖図や顕微鏡写真などが掲載されている。
補足4:171頁では哲学書房のシリーズ、サム・モーガンスターン編『音楽のことば――作曲家が書き遺した文章』全9巻(日本語版監修=海老澤敏、監訳=近藤譲)が紹介されている。当時既刊は第2巻「モーツァルト、ベートーヴェンほか」(飯野敏子・下迫真理訳、1990年2月刊)のみだった。その後、第7巻「マーラー、ドビュッシーほか」(岩佐鉄男・白石美雪・長木誠司訳、1990年4月)、第3巻「シューマン、ショパンほか」(飯野敏子・下迫真理・高松晃子訳、1900年5月)が刊行され、途絶した。未刊に終わったのは第1巻「テレマン、クープランほか」、第4巻「リスト、ヴァーグナーほか」、第5巻「スメタナ、ブラームスほか」、第6巻「チャイコフスキー、ドヴォルジャークほか」、第8巻「サティ、ラヴェルほか」、第9巻「バルトーク、プロコフィエフほか」。
補足5:表紙表4には当号に掲載されたバークリの「哲学的評註」からの一節が掲出されている。
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月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。
季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円)
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)
※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。
なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。
小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。
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季刊哲学 ars combinatoria 10号 唯脳論と無脳論――ニューロ=メタ=フィジクス
哲学書房 1990年3月15日 本体1,900円 A5判並製174頁 ISBN4-88679-039-9 C1010
目次:
【本邦初訳原典】
ライプニッツ「実在的現象を想像的現象から区別する方法について」伊豆蔵好美訳 pp.30-37
バークリ「哲学的評註」一ノ瀬正樹訳 pp.38-61
【自我と時間】
大森荘蔵「自我と時間の双生」 pp.8-20
小林康夫「時間・身体・脳」 pp.114-120
黒崎政男「脳の解明は、何を解明するか――人間の諸能力と脳内過程」 pp.121-126
岡本賢吾「コギトと視点――デカルトによる省察と、そのライプニッツ的な展開をめぐる一考察」 pp.154-165
松原仁「人工知能における「頭の内と外」――フレーム問題を例として」 pp.21-29
【構造と情報】
柴谷篤弘「唯脳論・構造主義生物学・神学――滝沢克己再訪」 p.74-84
養老孟司+中村桂子「唯心論と情報二元論」 pp.62-73
小林昌宏「認識としての解剖学――三木成夫と養老孟司」 pp.98-107
布施英利「二重の脳化――テクノロジーとアート」 pp.108-113
【精神の歴程】
ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程――第一章」長倉久子訳 pp.127-151
井辻朱美「指環のジン――風街物語外伝」 p.166-170
「脳の中世」 p.87-97
「既刊目次」 pp.172-173
編集後記:
●―現〔あらわ〕るがままのものensと真verumとは相即的であったエンスが知性と合一するときに示す相貌ratioが真なのである。認識とはこの合致の結果にほかならない。トマスにあってはこうして、エンスから真への移行のアプリオリが語られる。
●―現るがままのもの、とは世界のことである。世界として知覚され、世界として思考されて、世界は現る。一方、知覚や思考や記憶や意識は脳の働きである。すると世界もまた脳の産物であるというべきなのだろうか?(大森荘蔵はかつてこれを脳産教理と名づけ、この脳産教理を論拠にして無脳論の可能性を示した。視覚風景の分岐から脳産教理を衝いた氏は、いま、同じその分岐から「自我と時間の双生」の場に到り、客観的世界と主観との分画の形成を説く地平をひらいた。
●―考えるとは脳の状態である。cogito ergo sumとは、〈私が考えている〉と言語で表現される状態cogitoがあって、それは〈私が存在する〉と言語で表現される状態sumなのである、と養老孟司『唯脳論』は解す。デカルトにとってその時、神の存在も明証的であった。
●―アウグスティヌスが、脳室に精神過程が局在することをみとめ、しだいに、三つの脳室の内に、共通感覚と理性と記憶とは存在することになる。スコラの、神学の時代にも脳(をめぐる思考)はあった。そしていま、コンピュータという構造体として延長を続ける脳、世界を脳化して自らに再参入する脳、神を脳内の現実として生成させる脳は、ありとある思考の、避けて通ることのできない、いわば思考のhybrid causationの特異点をなしているのである。(N)
補足1:欧文号数は「vol.IV-1」。すなわち第4年次第1巻。
補足2:81頁には「季刊思潮」の全面広告が前号に続き掲載されており、第1号から第8号までの既刊が紹介されていると同時に、終刊イヴェント「「終わり」をめぐって――講演+シンポジウム」が告知されている。日時は1990年3月28日18:30~21:00、場所は新宿・紀伊國屋ホール、入場料は1,200円で、予約および問い合わせ先は紀伊國屋ホール事業部と記載されている。出席者は蓮実重彦、三浦雅士、浅田彰、柄谷行人の四氏。
補足3:図版頁「脳の中世」には、中世の写本や、ヨハネス・ケタム『医学小論』(1419年)、アルベルトゥス・マグヌス『小哲学』(1490年、1493年、1506年)、アリストテレス『霊魂論』(1494年版)、ロバート・フラッド『両宇宙誌』(1617年)、ヴェサリウス『ファブリカ』(1543年)、現代の解剖図や顕微鏡写真などが掲載されている。
補足4:171頁では哲学書房のシリーズ、サム・モーガンスターン編『音楽のことば――作曲家が書き遺した文章』全9巻(日本語版監修=海老澤敏、監訳=近藤譲)が紹介されている。当時既刊は第2巻「モーツァルト、ベートーヴェンほか」(飯野敏子・下迫真理訳、1990年2月刊)のみだった。その後、第7巻「マーラー、ドビュッシーほか」(岩佐鉄男・白石美雪・長木誠司訳、1990年4月)、第3巻「シューマン、ショパンほか」(飯野敏子・下迫真理・高松晃子訳、1900年5月)が刊行され、途絶した。未刊に終わったのは第1巻「テレマン、クープランほか」、第4巻「リスト、ヴァーグナーほか」、第5巻「スメタナ、ブラームスほか」、第6巻「チャイコフスキー、ドヴォルジャークほか」、第8巻「サティ、ラヴェルほか」、第9巻「バルトーク、プロコフィエフほか」。
補足5:表紙表4には当号に掲載されたバークリの「哲学的評註」からの一節が掲出されている。
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月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。
季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円)
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)
※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。
なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。
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