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注目新刊:ドゥギー『ピエタ ボードレール』未來社、ほか

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ピエタ ボードレール
ミシェル・ドゥギー著 鈴木和彦 訳
未來社 2016年4月 本体2,200円 四六判上製220頁 ISBN978-4-624-93265-7

帯文より:現代フランス最高の詩人で批評家のミシェル・ドゥギーが2012年のコレージュ・ド・フランスでのボードレール講義をもとに断章ふうに書き下ろした詩人論。フランス近代の代表的詩人であるボードレールが詩集『悪の華』で問うた詩の「観念の明晰さ」と「希望の力」という問題系を、デリダやバンヴェニストなどを参照しつつ現代世界の諸問題を前にした最新の詩学というかたちで応答した、詩的・哲学的論考。訳者による長篇インタビュー付き。

★発売済。シリーズ「ポイエーシス叢書」の第65弾です。ミシェル・ドゥギー(Michel Deguy, 1930-)はフランスの詩人であり哲学者。著書は40冊以上にのぼるそうですが、単独著の訳書は『尽き果てることなきものへ――喪をめぐる省察』(梅木達郎訳、松籟社、2000年)と『愛着――ミシェル・ドゥギー選集』(丸川誠司訳、書肆山田、2008年)の2点のみです。3冊目となる今回の新刊は、La Pietà Baudelaire (Belin, 2012)の訳書。ドゥギーによるボードレール論を集成したものです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻末には日本語版オリジナルで、訳者によるロング・インタヴュー「ミシェル・ドゥギー、詩を語る」(168—209頁)が併載されています。2015年7月18日にドゥギー宅で行われたものです。訳者の鈴木和彦(すずき・かずひこ:1986-)さんは現在、パリ第10大学博士課程に在籍。訳書にクリスチャン・ドゥメ『日本のうしろ姿』(水声社、2013年)があります。

★本書の意図についてドゥギーはこう述べています。「ボードレールがいまなおわたしたちの同時代人であるかのように、わたしたちのもとに、わたしたちのために、彼を巻き込み、連れてくることで、彼の定理とわたしたちの不安をすりあわせてみたい。ボードレールとわたしたちを隔てる六つの世代、〈未曾有の事態〉という底なしの区切りに分断されたふたつの時代(説明するまでもないが、二度の世界大戦が勃発し、ヨーロッパではユダヤ人絶滅計画が恐ろしいジェノサイドを生み、日本にはに初の原子爆弾が投下され、チェルノブイリと福島で原発が爆発し、人口順位が変動し、赤貧にあえぎ援助を必要とする膨大な人口によって汚れた地球の棄球化が進み、そして最後に(?)「デジタル革命」によって現実は画面のなかのイメージとなった……これだけのことがあってもなお、1850年から2012年までの世界が不変的かつ内在的に「同じ世界」であると、どうして信じられよう)……しかし、この区切りを越えて、ボードレールの作品は、わたしが詩学と呼ぶものは、わたしたちに語りかけてくる。言語のなかで、フランス語のなかで、はるかかなたからすぐそばから、わたしたちのもとへやってくる。どのようにして、何のためになるのか。いまなお、なぜボードレールなのか」(26-27頁)。

★詩についてはこう書かれています。「詩〔ポエジー〕の能力とは予言の力であり、その力は謎や寓話を生む。[・・・]「日常的」には関係のないふたつのものを近寄せる〔比較する〕ことで、読み解くべきひとつの形象(古い意味での「イメージ」)や「神託」を生む。[・・・]詩とはあるふたつのものを近寄せることで、そのふたつを近寄せる可能性をわたしたちの意志に与えてくれるものだ。詩はやって来るものを言うものであり、いかなる答えでもありはしない」(12-13頁)。また、こんな言葉もあります、「人間のさだめとは人と人の間に立つことであり、これは誰しもに共通の、根本的で決定的な経験である」(156頁)。「憐れみとは一方的なものではない」(158頁)。「憐れみとは超越の経験である。超越とは退路を断ち、ひとつのわたしたちに無限と虚無を背負わせる運動である。/人間とはみずからの超越に苦しむ存在である」(159頁)。「この時代にボードレールを移送〔トランスフェール〕しよう」(27頁))とするドゥギーの言葉は時としてやや難解ではありますが、訳者によるインタヴューが読解の良き導き手になってくれます。

★「ポイエーシス叢書」では先月、ドゥギーの訳書に先立って、小林康夫『オペラ戦後文化論(1)肉体の暗き運命1945-1970』が発売されています。これはPR誌「未来」の連載をまとめたもの。発売が前後していますが、こちらが第66弾です。第64弾であるホルヘ・センプルン『人間という仕事――フッサール、ブロック、オーウェルの抵抗のモラル』(小林康夫・大池惣太郎訳、2015年11月)までは帯が付属していましたが、『オペラ戦後文化論』以降は帯が付かないデザインに変更されており、ドゥギーの本も同様です。また、同叢書では来月(2016年6月)、佐々木力『反原子力の自然哲学』が刊行予定とのことで、たいへん楽しみです。


ドイツ的大学論
フリードリヒ・シュライアマハー著 深井智朗訳
未來社 2016年2月 本体2,200円 四六判並製208頁 ISBN978-4-624-93445-3

帯文より:プロイセンが、自国の精神復興政策として推進したベルリン大学の開設。フィヒテ、フンボルトらとともに創設に携わったシュライアマハーは、ナショナリズムの熱気のなかで大学の理念をどう構想したのか。ベルリン大学創設200年を経て再発見された大学近代化論の古典。

★『ドイツ的大学論』は発売済。シリーズ「転換期を読む」の第25弾です。Gelegentliche Gedanken über Universitäten in deutschem Sinn (1808)の翻訳で、巻末の訳者解題「ベルリン大学創設とシュライアマハーの『大学論』(1808年)」によれば初版本を底本とし、「全集における編集や校訂作業を参照しつつ行った」とのことです。「校訂版によって原著〔初版本〕の誤植を確認し、すべての文章を翻訳した」とも特記されています。既訳には「ドイツ的意味での大学についての随想」(梅根栄一訳、シュライエルマッヘル『国家権力と教育』所収、明治図書、1961年)があります。新訳では付録として「〔ベルリンに〕新たに設置される大学について」というテクストも訳出されていますが、これは既訳でも翻訳されています。

★帯文としても掲載されていますが、第4章「諸学部について」にはこんな言葉があります。「大学の本来的な方向性というのは、次第に支配的なものとなった国家の影響を、再び境界線の向こう側に押し戻し、それとは逆に、元来の姿、すなわち学者たちの共同体としての性格を取り戻すということにある」(93—94頁)。訳者あとがきによれば、「〔ベルリン大学創設に際して書かれた大学論では〕フィヒテの大学論が有名であるが、シュライアマハーの大学論は当時広く読まれ、さまざまな議論を巻き起こしたことで知られている」とのことです。フリードリヒ・シュライアマハー(Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher, 1768-1834)は、ドイツの神学者、哲学者で、近年の邦訳には『神学通論(1811年/1830年)』(加藤常昭・深井智朗訳、教文館、2009年)、『シュライエルマッハーのクリスマス』(松井睦訳、YOBEL新書、2010年)、『宗教について――宗教を軽蔑する教養人のための講話』(深井智朗訳、春秋社、2013年)、『キリスト教信仰』の弁証――『信仰論』に関するリュッケ宛ての二通の書簡』(安酸敏眞訳、知泉書館、2015年)があります。

★訳者の深井智朗(ふかい・ともあき:1964-)さんは金城学院大学人間科学部教授。ご専門はドイツ宗教思想史で、未來社の「転換期を読む」ではF・W・グラーフ+A・クリストファーセン編『精神の自己主張――ティリヒ = クローナー往復書簡1942-1964』(未來社、2014年)という共訳書を上梓されています。今回の『ドイツ的大学論』について、深井さんは訳者あとがきで「大学改革の必要性が主張され、特に文化系の学部の意義が問われ、学部の改組が急速に行われている今日、もう一度大学論の古典を読んでおくことは重要なのではないか」と問いかけられています。大学論の古典再読解の重要性は確かにこんにち高まっています。フィヒテの大学論は『フィヒテ全集』第22巻(晢書房、1998年)で読むことができます。半世紀ほど下ってはジョン・スチュアート・ミル『大学教育について』(竹内一誠訳、岩波文庫、2011年)がありますし、さらに20世紀に下ると、ヤスパース『大学の理念』(福井一光訳、理想社、1999年)、デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳、月曜社、2008年)、ビル・レディングズ『廃墟のなかの大学』(青木健・斎藤信平訳、法政大学出版局、2000年)なども重要ではないかと思います。青土社「現代思想」誌ではしばしば大学論が特集されていますし、手ごろな本では社会学者の吉見俊哉さんによる『大学とは何か』(岩波新書、2011年)、『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書、2016年2月)や、哲学者の室井尚さんによる『文系学部解体』(角川新書、2015年12月)などが良く読まれているようです。

★なお、シリーズ「転換期を読む」では今月、ラルフ・ウォルドー・エマソン『エマソン詩選』(小田敦子・武田雅子・野田明・藤田佳子訳)が発売予定となっています。エマソンはこのところ『自己信頼〔Self-Reliance〕』(1841年)というエッセイがたびたび新訳されていますが、詩作品の新訳が一冊にまとまるのはかなり久しぶりのことで、たいへん意外です。待ち望んでおられた読者も多いのではないでしょうか。

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★このほか、最近では以下の新刊との出会いがありました。

『メッカ巡礼記――旅の出会いに関する情報の備忘録(3)』イブン・ジュバイル著、家島彦一訳注、東洋文庫、2016年5月、本体3,300円、B6変判448頁、ISBN978-4-582-80871-1
『翻訳技法実践論――『星の王子さま』をどう訳したか』稲垣直樹著、平凡社、2016年5月、本体2,500円、4-6判上製320頁、ISBN978-4-582-83728-5
『人文会ニュース123号』人文会、2016年4月、非売品

★東洋文庫第871巻『メッカ巡礼記(3)』はまもなく発売。全3巻完結です。帯文に曰く「十字軍時代のイスラーム世界を西から東へ横断、地理、建築物から儀礼、文化までを緻密に記述した古典。第3巻はシリア、パレスチナを経て、地中海を西へ、グラナダに帰還するまで」。ヒジュラ暦580年第一ラビーウ月(西暦1184年6月12日以降)から581年ムハッラム月(1185年4月4日~5月初旬)までの記録です。巻末には参考文献、地名索引、人名索引のほか、イブン・ジュバイルの全旅程の地図が付されています。訳者あとがきでは、本書がイブン・バットゥータ『大旅行記』(全8巻、家島彦一訳、東洋文庫、1996—2002年)に与えた影響について率直な分析が綴られており、興味深いです。東洋文庫の次回配本は6月、『陳独秀文集(1)』です。

★『翻訳技法実践論』はまもなく発売。サン=テグジュペリの名作の新訳『星の王子さま』(稲垣直樹訳、平凡社ライブラリー、2006年1月)と、作品解釈を綴った『「星の王子さま」物語』(平凡社新書、2011年5月) に続き、その翻訳技法について詳しく解説した書き下ろしが本書です。帯文に曰く「翻訳の美徳と快楽は自虐的なまでの無私の徹底。その域に至るために必要な方法と技術とは何か。不特定多数を読者とする「出版訳」。それは学校で親しんだ「講読訳」とは根本的に異なる。したがって、いくら「講読訳」に習熟しても「出版訳」にはほとんど役立たない。この衝撃的でありながらも、実はよく囁かれる事実をまえに、長年教壇に立つ外国文学研究者として処方箋を伝授。翻訳談義めかした韜晦とは無縁の具体的な技術論」と。全九章だてで、「実践のための翻訳理論」「『細雪』『雪国』の英仏訳に見る翻訳の実践」「準備段階でなすべきこと」「翻訳技法を詳解する」の四章が半分以上を占め、あとの五章は「『星の王子さま』翻訳実践」と題されています。「入口の間口は広く、入りやすいが、入ったあとは周到なラビリンス」(309頁)であるという『星の王子さま』との格闘に圧倒されます。「1970年後半以降30年以上も「翻訳技術伝承」が滞っていた影響は甚大である。大学教授イコール翻訳の名人というのは遠い過去の話で、今や出版社はその人の翻訳能力をよほど見極めてからでないと、大学教授に文学作品の翻訳を依頼できなくなっている」(98頁)という厳しいご指摘は編集者の胸にも深く突き刺さるものです。

★『人文会ニュース123号』は非売品で、大型書店さんの店頭などで手に取ることができるほか、ウェブでPDFがダウンロードできます。書店さん向けの内容が中心ですが、一般読者にとっても興味深い記事が掲載されるので、要チェックです。123号には、木村草太「15分で読む 憲法と国家権力の三大失敗」、芝健太郎(フタバ図書)「書店現場から 商品部と店舗の経験から考える人文書販売について」、野口幸生「図書館レポート 北米研究図書館における電子化環境」、栗原一樹(「現代思想」編集長)「編集者が語るこの叢書・このシリーズ⑧ 非-現代思想のほうへ」が掲載されています。特に栗原さんの長文寄稿はなかなか珍しいもので、ここしばらくの「現代思想」誌の主要な特集号の意図を明かしておられます。必読です。


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