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『季刊哲学』9号=神秘主義

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弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号につづいては、9号ののご紹介です。「哲学」第8号=「可能世界――神の意志と真理」は品切。

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季刊哲学 ars combinatoria 9号 神秘主義――テクノロジーとカルト
哲学書房 1989年12月25日 本体1,900円 A5判並製198頁 ISBN4-88679-037-2 C1010

目次:
【観想と歴程】
アレクサンドリアのフィロン「アブラハムの魂の遍歴」野町啓訳 pp.28-39
偽ディオニシオス・アレオパギテース「神名論」熊田陽一郎訳 pp.40-59
ヨハネス・エリウゲナ「ヨハネ福音書序文説教」今義博訳 pp.60-75
クレルヴォーのベルナルドゥス「雅歌講話」山内志朗訳 pp.76-83
ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程」長倉久子訳 pp.108-
ベーメ「真の心理学」四日谷敬子訳 pp.128-161
ライプニッツ「真の神秘神学について」伊豆蔵好美訳 pp.162-168
【直観と自証】
中村元「神秘主義と直観的認識」 pp.84-93
上田閑照「キリスト教神秘主義における自証――エックハルトのドイツ語説教集の中の「私」」吉田喜久子訳 pp.8-27
【超越と時間】
近藤譲「超越への耳――神秘主義と神秘主義音楽」 pp.94-96
小林康夫「時間と神秘」 pp.98-102
【科学と神秘】
小林昌宏「遅れてきたアリストテレス――ウィリアム・ハーヴィー断章」 pp.177-186
【表象と実在】
笠井潔「『死霊』の神秘思想」 pp.174-176
いとうせいこう「テクノロジーとカルト」 pp.169-173
守中高明「治癒と反復――イジドール・デュカスによる『ポエジー』」 pp.187-195
「熾天使〔セラフィム〕と聖フランチェスコ」 pp.103-107
「既刊目次」

編集後記:
●―観想の雲の中で、神は見られる、とエリウゲナはいう。観想には甘美がともなう。それは魂が透かし見る、自由な直観であった。ボナヴェントゥラによれば、神の甘美を味わうことこそ、知 sapientia のそもそものあり方であったのである。そこには恍惚があった。
●―ひとは、蜜の甘さと自らを競うことはかなわず、百合の絢爛とも、太陽の輝きとも競うことあたわぬ。まして相そのものである神と愛を競うなどとは。れけども存在の全てをあげて愛するならば、その愛に欠けるところはない。それは全体なのだから。魂が言葉によって愛され、言葉が魂を圧倒するのだ、とベルナルドは説く。これらは、乾いているものと泉との関係にたとえられる。泉から清水を汲むこと。
●―ヨーロッパの思想を垂直につらぬいて、神秘主義の清冽な水脈はある。いま、ここにテキストを編んだ思想家は、それぞれが水源であり、あるいはこれを今日に導く水流を形づくっている(非ヨーロッパ世界で並行する問題系については、中村元論文ほかが、示唆を与えてくれる)。
●ところで、被造物は神と無に由来し、神とはすなわち自存性、つまり〈1〉であり、無はといえば、非存性つまり〈0〉であった。ライプニッツにとって、事物の本質は数のごときものであった。〈0〉と〈1〉あるいは情報という非時間、が世界をのみ込んだことと、中世の魅惑的な回帰とは、どこかで結ばれているのかもしれない。そして〈情報〉とわたり合って、スキエンツィアとテクネーとは、交錯して新しい局面をひらいた。もとより科学とは神の意志を観ることであり、神の理性の権限にほかならない〈法則〉を明らかにして、もって対象を支配することがテクノロジーであった。科学と神学とが、テクノロジーと神秘主義とが、今日ほど親しげに近しくあった時代が、かつてあっただろうか。
●―神は私にとって身体よりもずっと親しい。身体はそれ自体では実体でがばjy、流れ去る陰にすぎない(ライプニッツ)。情報と脳、脳と意識と世界、脳と身体をめぐって、次号の特集は「〈唯名論〉と〈無能論〉」となる。(N)

補足1:欧文号数は「vol.III-4」。すなわち第3年次第4巻。

補足2:97頁には「季刊思潮」の全面広告が前号に続き掲載されており、第1号から第7号までの既刊が紹介されている。また127頁には教文館「キリスト教神秘主義著作集」全17巻の全面広告が掲載されており、佐藤敏夫氏の「推薦のことば」、第1回配本9月10日刊行第6巻「エックハルトI」、「全17巻の内容」が紹介されている。

補足3:ボナヴェントゥラ「精神の神への歴程」は「南山神学」第5号(1982年)からの転載である旨が126頁末尾に「季刊哲学」編集部によって特記されている。また、「精神の神への歴程」の全体はラテン語-日本語対訳の形で、近くボナヴェントゥラ研究所〔東京ボナヴェントゥラ研究所→東京フランシスカン研究会→現・東京キリスト教神学研究所〕から出版される予定である、とも特記されているが、実際に刊行されたのは1993年2月、『ボナヴェントゥラ『魂の神への道程』註解』(長倉久子訳註、創文社)としてだった。担当編集者は小山光夫氏(現・知泉書館社長)。

補足4:103~107頁を飾る図版頁「熾天使〔セラフィム〕と聖フランチェスコ」では、ヤン・ファン・アイク「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(部分)、ジオット「聖痕を受ける聖フランチェスコ」、ジオット「焔の車の幻」、ジオット「泉の奇蹟」、ジオット「小鳥に説教する聖フランチェスコ」が掲載されている。

補足5:表紙表4はジオットの絵画「聖痕を受ける聖フランチェスコ」がカラーで掲載されている。また、絵の上部には当号に掲載されたボナヴェントゥラの「魂の神への歴程」からの一節が掲出されている。

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月曜社では哲学書房の「哲学」「ビオス」「羅独辞典」を直販にて読者の皆様にお分けいたしております。「季刊ビオス2号」以外はすべて、新本および美本はなく、返本在庫であることをあらかじめお断りいたします。「読めればいい」というお客様にのみお分けいたします。いずれも数に限りがございますことにご留意いただけたら幸いです。

季刊哲学0号=悪循環 (本体1,500円)
季刊哲学2号=ドゥンス・スコトゥス (本体1,900円)
季刊哲学4号=AIの哲学 (本体1,900円)
季刊哲学6号=生け捕りキーワード'89 (本体1,900円)
季刊哲学7号=アナロギアと神 (本体1,900円)
季刊哲学9号=神秘主義 (本体1,900円)
季刊哲学10号=唯脳論と無脳論 (本体1,900円)
季刊哲学11号=オッカム (本体1,900円)
季刊哲学12号=電子聖書 (本体2,816円)
季刊ビオス1号=生きているとはどういうことか (本体2,136円)
季刊ビオス2号=この私、とは何か (本体2,136円) 
羅独-独羅学術語彙辞典 (本体24,272円)

※哲学書房「目録」はこちら。
※「季刊哲学12号」には5.25インチのプロッピーディスクが付属していますが、四半世紀前の古いものであるうえ、動作確認も行っておりませんので、実際に使用できるかどうかは保証の限りではございません。また、同号にはフロッピー版「ハイパーバイブル」の申込書も付いていますが、現在は頒布終了しております。

なお、上記商品は取次経由での書店への出荷は行っておりません。ご注文は直接小社までお寄せ下さい。郵便振替にて書籍代と送料を「前金」で頂戴しております(郵便振替口座番号:00180-0-67966 口座名義:有限会社月曜社)。送料については小社にご確認下さい。後払いや着払いや代金引換は、現在取り扱っておりません。

小社のメールアドレス、電話番号、FAX番号、所在地はすべて小社ウェブサイトに記載してあります。

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