★最近購入した文庫新刊はいずれも「老境」ないし「成熟」というものと無縁ではない内容で、時を経て得た光景の、見た目の単純さとはうらはらの曰く言い難いニュアンスを感じさせます。
『古今和歌集全評釈(上)』片桐洋一注釈、講談社学術文庫、2019年2月、本体3,000円、1096頁、ISBN978-4-06-514740-5
『古今和歌集全評釈(中)』片桐洋一注釈、講談社学術文庫、2019年2月、本体2,950円、992頁、ISBN978-4-06-514741-2
『古今和歌集全評釈(下)』片桐洋一注釈、講談社学術文庫、2019年2月、本体2,900円、944頁、ISBN978-4-06-514742-9
『老年について 友情について』キケロー著、大西英文訳、講談社学術文庫、2019年2月、本体1,180円、320頁、ISBN978-4-06-514507-4
『いまこそ、希望を』サルトル/レヴィ著、海老坂武訳、光文社古典新訳文庫、2019年2月、本体860円、209頁、ISBN978-334-75395-5
『夢の本』ホルヘ・ルイス・ボルヘス著、堀内研二訳、河出文庫、2019年2月、本体1,200円、352頁、ISBN978-4-309-46485-5
『老境まんが』山田英生編、ちくま文庫、2019年2月、本体780円、384頁、ISBN:978-4-480-43581-1
★『古今和歌集全評釈』は1998年に講談社で刊行された単行本全3巻の文庫化です。「万物すべてが歌を歌う」(「真名序」第二節ノ一、上巻283頁)と説いた日本最初の勅撰和歌集を、一首ごとに原文、要旨、通釈、語釈、校異、他出、鑑賞と評論、注釈史・享受史などを加えて読者に提供する決定版。講談社学術文庫ではかつて久曽神昇さんによる全訳注書4巻本を1979年から1983年にかけて刊行していましたが、こちらは品切。今回の片桐版はそれぞれ1000頁近い大冊で、3巻揃えて買うと10000円近い最重量級の文庫本。講談社の気概を感じます。
★『老年について 友情について』は文庫オリジナルの新訳。「最晩年の著作のうち、最も人気のある二つの対話篇」(カバー裏紹介文より)を収録。入手しやすい既訳では「老年について」「友情について」はともに中務哲郎訳を岩波文庫で読むことができます。今回の新訳の底本はJ・G・F・パウエル編Oxford Classical Texts(2006年)版です。巻末解説はキケローの人となりの紹介にも頁を割いており、共和政ローマ末期における政治家にして哲学者の生きざまへの理解を助けてくれます。
★『いまこそ、希望を』はサルトルの最晩年のインタビュー(1980年)。元「毛沢東」派の秘書による「尋問調」が多くの関係者を怒らせた問題作です。訳者による解説ⅠとⅡは「朝日ジャーナル」初出時(「いま 希望とは」1980年4月)のもの。巻頭の「はじめに」と解説Ⅲ、年譜、訳者あとがきは文庫化において追加されたものです。サルトルが自省とともに語る最後の境地が文庫で読めるようになったのは非常に有益なことです。
★なお光文社古典新訳文庫の来月刊行予定では、アリストテレス『詩学』三浦洋訳、ジッド『ソヴィエト旅行紀』國分俊宏訳、などが予告されていて非常に楽しみです。
★『夢の本』は国書刊行会の「世界幻想文学大系」の第43巻(1983年、新装版1992年)を文庫化したもの。古今東西の文献から「夢」めぐる断片を集めたもので、ボルヘス自身の作品も含む113篇が編まれています。巻末解説は作家の谷崎由依さんによる「秩序と混沌」。帯文にも引かれた「夢は現実の影なんかではない。蔑ろにしていると、いつかきっと痛い目に遭う」という谷崎さんの言葉の重みが沁みる一冊。
★『老境まんが』は『ビブリオ漫画文庫』『貧乏まんが』に続く山田英生さん編のマンガアンソロジー。個人的には今回の新刊が一番味わい深く感じました。一編ずつをゆっくり読みたい本です。特にかの高名な、「ペコロスの母に会いに行く(抄)」はほのぼのとした空気感の中にも涙をこらえがたい名作で、自宅以外では絶対にひもとけません。
+++
★続いて最近の注目新刊を2点。
『左派ポピュリズムのために』シャンタル・ムフ著、山本圭/塩田潤訳、明石書店、2019年2月、本体本体2,400円、4-6判上製152頁、ISBN978-4-750-34772-1
『クルアーン――やさしい和訳』水谷周監訳著、杉本恭一郎訳補完、国書刊行会、2019年2月、本体2,700円、四六判並製644頁、ISBN978-4-336-06338-0
★『左派ポピュリズムのために』は『For a Left Populism』(Verso, 2018)の全訳。単独著としては4冊目の日本語訳となります。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。「左派ポピュリズムとは、新自由主義的なヘゲモニー編成のなかで、制度からこぼれ落ち、あるいは資本によるむき出しの暴力によって傷つけられた人々が、制度外の闘争から制度内へと政治的介入を行う戦略なのだ。この介入がめざすのは、権力の掌握ではない。そうではなく、国家の政治的、社会‐経済的役割の回復と深化、そしてそれらを実現するための民主的な国家運営こそが重要なのだ」(訳者解題、139頁)。同解題によれば、先だって同版元から刊行されたラクラウ『ポピュリズムの理性』が理論篇であるとすれば本書は実践篇であるとのことです。「〈少数者支配(オリガーキー)〉に立ち向かう」という帯文が力強いです。
★『クルアーン』は2014年に日亜対訳の新訳本が作品社から刊行されたばかりですが、今般また新たな新訳が上梓されました。「はじめに」によれば「本書の狙いは、タイトルの『クルアーン――やさしい和訳』にすべてが込められている。従来よく聞かれたことだが、頑張って読んでも分からないという強い訴えの声に背中を押された格好だ」とのこと。巻末資料は、「イスラーム信仰について」「各章見出し一覧」「繰り返し論法と同心円構造」「予言者一覧」「クルアーン関係年表」「参考文献」「索引」。値段も税込で3000円以内と求めやすい価格です。
+++
★また、最近では以下の2冊との出会いがありました。
『狂気――文明の中の系譜』アンドルー・スカル著、三谷武司訳、東洋書林、2019年2月、本体5,400円、A5判上製460頁、ISBN978-4-88721-826-0
『これからの本の話をしよう』萩野正昭著、晶文社、2019年2月、本体1,700円、四六判並製304頁、ISBN978-4-7949-7075-6
★『狂気』は『Madness in Civilization: A Cultural History of Insanity, from the Bible to Freud, from the Madhouse to Modern Medicine』(Thames & Hudson, 2015)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「狂気は芸術家、劇作家、小説家、作曲家、聖職者、それに医師や科学者の関心の中心を占め続けてきた〔…〕狂気は文明の外部に位置づけられるようなものではない。それは否応なくすでにして文明の一部なのである」(6頁)。「文明と狂気の関係を、複雑で多義的な両社の相互作用を〔…〕追究し解明」(7頁)する、と。古代から現代まで、文明の内部に狂気を位置づけ直す文化史。著者スカル(Andrew Scull, 1947-)は英国出身で米国カリフォルニア大学サンディエゴ校で教鞭を執っているとのことです。
★『これからの本の話をしよう』は日本におけるデジタル出版事業を牽引してきた株式会社ボイジャーの創業者で現在は取締役の萩野正昭(はぎの・まさあき:1946-)さんの四半世紀にわたる活動とこれからの展望をめぐる書き下ろし。第1章「メディアは私たちのもの」は萩野さんの現在の仕事と将来への課題について。第2章「なぜ出版、どうしてデジタル」は米国ボイジャーの創業者ボブ・スタインについて。第3章「本はどこに向かっていくのか」は「誰かに与えられるコンテンツから、自分が発信する道をどうやったら開いていけるのか」(17頁)を問うもの。第4章は鈴木一誌さんによるインタヴュー記事の再録(『d/SIGN』第18号、2010年)。出版人必読の一書。
+++