『わが人生の幽霊たち──うつ病、憑在論、失われた未来』マーク・フィッシャー著、五井健太郎訳、ele-king books:Pヴァイン、2019年1月、本体2,900円、四六判並製384頁、ISBN978-4-909483-18-8
『ニュー・ダーク・エイジ――テクノロジーと未来についての10の考察』ジェームズ・ブライドル著、久保田晃弘監訳、栗原百代訳、2018年12月、本体2,600円、四六判並製333+x頁、ISBN978-4-7571-4355-5
★『わが人生の幽霊たち』は『Ghosts of My Life: Writings on Depression, Hauntology and Lost Futures』(Zero Books, 2014)の訳書で、英国の文化批評家マーク・フィッシャー(Mark Fisher, 1968-2017)の『資本主義リアリズム』(セバスチャン・ブロイ/河南瑠莉訳、堀之内出版、2018年2月;Capitalist Realism: Is There No Alternative?, Zero Books, 2009)に続く2点目の単独著です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。原著版元のZero Booksは、フィッシャーが小説家のタリク・ゴダードと2009年に共同設立したレーベル。フィッシャーのほか、グレアム・ハーマンやユージン・サッカーなどの著書も刊行しています。
★音楽ライターの髙橋勇人(たかはし・はやと:1990-)さんによる巻末解説「開かれた「外部」へ向かう幽霊たち──マーク・フィッシャーの思想とそれが目指したもの」によれば、本書は「2005年から刊行年の2014年という9年の長いスパンで執筆された、『k-punk』〔フィッシャーのブログ〕の投稿、エッセイや音楽作品のライナーノーツ、インタヴュー記事といった質の異なる文章を副題の三つのキーワード〔うつ病、憑在論、失われた未来〕をもとに編纂したものだ。政治・経済システムを通して、新自由主義化した資本主義以外の選択肢などないと人々に思いこませ、社会の閉塞的硬直状態を作り出す資本主義リアリズムという概念を描いた『資本主義リアリズム』がフィッシャーの政治・社会思想を写したものであるならば、『わが人生の幽霊たち』はその文化論編として読むことができるだろう」(374頁)。
★フィッシャーは巻頭のエッセイ「「緩やかな未来の消去」」でこう書いています。「ここ最近の数年間のなかで、日常生活は加速しているが、文化は減速しているのである。/こうした時間的な病理の原因がどのようなものであるにせよ、その病理を逃れえているような西洋の文化領域はあきらかに、どこにも存在していない。かつて未来を描いて見せた者たちの砦だったエレクトロニック・ミュージックも、もはやいまでは、形式的なノスタルジーを逃れえてはいない。音楽文化は、さまざまなかたちでポスト・フォーディズム的な資本主義下における文化の運命の範例となるものである。形式のレヴェルにおいては、音楽はパスティシュや反復に閉じこめられている。だがその下部構造は、大規模かつ予期できない変化の対象でありつづけている。消費の古いパラディグムである小売と取次は崩壊していき、ダウンロード化とともに、物理的な対象は影を潜め、レコード・ショップは閉店し、ジャケットのアートは消えていく。/憑在論という概念は、こうしたことのすべてと、いったいどのような関係をもつといえるのだろうか」(36~37頁)。ここからフィッシャーはデリダの憑在論(『マルクスの亡霊たち』藤原書店、2007年)を援用して議論を進めていきます。
★「取り憑くこととはつまり、失敗した喪なのだと考えることができる。それは霊を手放さないことであり――けっきょくは同じことだが――幽霊がわれわれに見切りをつけるのを拒むことである。亡霊は、われわれが、資本主義リアリズムに統治された世界のなかで見つかる平凡な満足のなかで生きていくのを許さないだろうし、そうした平凡な満足で妥協するのを許さないだろう」(45頁)。「この本は、私の人生の幽霊たちについてのものであり、したがって必然として以下に、個人的な次元を含んでいる。〔…〕誰にとってであれ、じぶんじしんであること(さらにいえば、じぶんじしんを売りこむことを強いられること)ほど惨めなことはない。文化や、文化にたいする分析が価値をもつのは、それがじぶんじしんからの逃走を可能にするかぎりでのことなのだ。/以上のような見通しは、それほど簡単に手に入ったものではない。鬱は私の人生を犬のようにつけまわしてきたもっとも悪意ある亡霊である――この場合鬱とは、憑在論的メランコリーの叙情的で(そして集団的な)荒廃とは区別される、健康状態におけるより荒涼とした独我論のことである」(53~54頁)。
★続きはこうです。「2003年にブログをはじめたとき、私はいまだそうした鬱状態のなかにあり、当時の私にとって日常の生活はほとんどたえがたいものだった。そのときに書かれたもののいくつかは部分的に、そうした状態になんとか折りあいをつけようとしたものであり、(いまのところ成功している)私の鬱からの逃走が、否定性にたいしてなんらかのかたちで具体的なかたちを与えることと同期していることは偶然ではない。問題は(たんに)私にあったのではなく、私をとりまく文化にあったのだ。私にとってはっきりしているのは、おおまかにいって2003年から現在にいたるまでの時期はいまや、1950年代以来の(ポピュラー)文化のなかで、最悪の時代だと見なされることになるだろうということだ。それもはるか先の未来にではなく、もうすぐにそう見なされることになるだろう。だが文化が荒廃していたということは、異なる可能性の痕跡が存在していなかったということではない。『わが人生の幽霊たち』は、そうした痕跡のいくつかと格闘するひとつの試みである」(54頁)。
★ちなみにPヴァインの「ele-king books」では昨秋、トルコ生まれで米国で教鞭を執るテクノ・ソシオロジスト、ゼイナップ・トゥフェックチー(Zeynep Tufekci, 1970年代生)の著書『ツイッターと催涙ガス――ネット時代の政治運動における強さと脆さ』(毛利嘉孝監修、中林敦子訳、ele-king books:Pヴァイン、2018年10月)を刊行しており、人文系の読者にとっても見逃せないコンテンツを発信しています。Pヴァインの書籍の発売元は日販IPS。主に輸出卸売事業で有名でしたが、出版流通代行事業もやっています。さらには編プロからの出版企画を随時募集しており、自社発行商品を拡大しているとのことです。非常に興味深いです。
★『ニュー・ダーク・エイジ』は『New Dark Age: Technology and the End of the Future』(Verso, 2018)の訳書。著者のジェームズ・ブライドル (James Bridle, 1980-)は英国のアーティストで「新しい美学」の中心的論者。本書は初の単独著です。Chasm:裂け目、Computation:計算、Climate:気候、Calculation:予測、Complexity:複雑性、Cognition:認知、Complicity:共謀、Conspiracy:陰謀、Concurrency;並列、Cloud:雲、といった10のキーワードが章題となっています。
★ニュー・ダーク・エイジ、新たなる暗黒時代とは何か。ブライドルはこう述べています。「今日、ふと気づくと私たちは、巨大な知の倉庫とつながってはいるが、考えることを学べてはいない。それどころか、その反対になっているというのが正しい。世界の蒙を啓こうと意図したことが、実際には世界を暗黒へと導いている。インターネットで入手できる、あり余るほどの情報と多数の世界観は、首尾一貫したリアリティを生み出せず、原理主義者の簡素な語りの主張と、陰謀論と、ポスト事実の政治とに引き裂かれている。この矛盾こそが、新たなる暗黒時代という着想の根源だ。すなわち、知に与えられてきた価値が、あり余るほどの利益を生む商品によって破壊され、世界を理解する新しい方法を探すために自分自身の周りを見回す、そんな時代である」(14~15頁)。
★「私が暗黒と書くのは文字どおりの意味ではなく、暗黒時代として一般的に考えられている知の不在や閉塞を表しているのでもない。ニヒリズムや絶望の表現でもない。むしろそれは現在の危機の性質と好機を表わしている。私たちの目の前にあるものがはっきりと見えないこと、主体性と正当さをもって、世界で意味深く行動できないこと――そして、別の光による新しい理解の方法を探し求めることのために、この暗黒を認めること」(15~16頁)。
★「本書で提示する主張は、テクノロジーの影響が気候変動のように世界中に広がっており、私たちの生活のあらゆる分野に、すでに変化をもたらしていることである。こうした影響は大惨事になりうるし、私たち自身が開発してきた激動のネットワークで結ばれた産物を、私たちが理解できていないことに起因する。そうしたテクノロジーは、私たちが愚かにも、ものごとの自然の秩序だと思うようになったものを覆し、私たちの世界観のラディカルな再考を要求している。だがもう一つの主張は、すべてが失われたわけではないということだ。実際に新しいやり方で世界を考えられるのなら、世界を再考し、理解し、そのなかで異なった生き方ができる」(20頁)。
★「新たなる暗黒時代について書くのは、ネットワークにつながれた希望をにじませられるにしても、楽しいことではない。それはむしろ、言わずにおきたいことを言い、考えないでいたいことを考えることを要求する。そうすると胸にぽっかり穴が開いたような気持ちになり、ある種の絶望感に襲われることが多い。それでもそうしなければ、世界をそういうものとして理解できず、ファンタジーと抽象概念のなかに生きていくしかないだろう。〔…〕現状の緊急性を深い脆弱さについて〔…〕考えることをやめてはならない。私たちは、いまや互いに失敗することができないのだ」(21頁)。
★ブライドルとフィッシャーは年齢が一回り違いますが、それぞれの立場で現代世界の残酷さや暗さと真摯に向き合おうとしています。この、暗黒への直面と対峙は現代の知性の条件であり、まさにこの薄暮のなかでミネルヴァのふくろうは飛び立とうとしているかに見えます。
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★まもなく発売となるちくま学芸文庫の2月新刊は以下の6点です。
『マネの絵画』ミシェル・フーコー著、阿部崇訳、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,400円、文庫判並製368頁、ISBN978-4-480-09907-5
『デカルト入門講義』冨田恭彦著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,200円、文庫判並製336頁、ISBN978-4-480-09906-8
『倫理学入門』宇都宮芳明著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,200円、文庫判並製304頁、ISBN978-4-480-09904-4
『資治通鑑』司馬光著、田中謙二編訳、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,600円、文庫判並製624頁、ISBN978-4-480-09905-1
『ほとけの姿』西村公朝著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,100円、文庫判並製240頁、ISBN978-4-480-09909-9
『古文読解のための文法』佐伯梅友著、ちくま学芸文庫、2019年2月、本体1,500円、文庫判並製528頁、ISBN978-4-480-09901-3
★『マネの絵画』は筑摩書房より2006年に刊行された単行本の文庫化。新たに「文庫版訳者あとがき」が付されています。「再版に際して、以前の拙訳を見直し、問題のある箇所や読みにくい箇所などを改め〔…〕本文中で引用されている文献の邦訳の引用については〔…〕新しい訳が刊行されているフーコーの著作についてのみ、新しい邦訳に差し替え」たとのことです。
★『デカルト入門講義』はちくま学芸文庫のための書き下ろし。「デカルトが、科学者・数学者としての仕事と並行して試みたのが、諸学の基礎を与える新たな「第一哲学」(別名「形而上学」)の確立でした。〔…〕デカルトの第一哲学を最も詳しく述べた彼の著書が、1641年に出版された『第一哲学についての省察』です。本書は、これを基本テクストとし、彼の第一哲学のロジックをできるだけわかりやすくお話ししようとするものです」(「はじめに」より)。目次は以下の通り。
はじめに
第1章 デカルトの生涯――1596年~1650年
第2章 『省察』を読む(Ⅰ)――第一省察~第三省察
第3章 『省察』を読む(Ⅱ)――第四省察~第六省察
第4章 形而上学を支える自然学――物体の本性と観念の論理
第5章 デカルトの「循環」?――「自然の光」だけを頼りとして
第6章 主観主義の伝統と分析哲学の起点――デカルト哲学の射程
あとがき
★『倫理学入門』は放送大学教育振興会より1997年に刊行されたテキストの文庫化。著者は2007年に逝去。三重野清顕さんによる解説「人「間」の倫理学へむけて」が新たに加えられています。「「入門」と銘打たれているものの〔…〕本書の内容は、著者が追求しつづけた「相互主体性の哲学」の円熟期における体系的展開であり、その哲学的内実はきわめて高度なものだと言える。その一方で本書は、「入門」の名にふさわしく、倫理学史上のさまざまな学説を整理、配置したうえで、それらの要点を明瞭に叙述している」(283頁)と三重野さんは評価しておられます。
★『資治通鑑』は朝日新聞社より1974年に刊行された単行本の文庫化。カヴァー裏紹介文によれば、294巻のなかから後漢の「党錮の禁」、南北朝時代の「侯景の乱」、唐の「安史(安禄山)の乱」を綴った巻を収録。編訳者は2002年に亡くなっておられ、文庫化にあたって新たに付け加えられた文章はないようです。
★『ほとけの姿』は毎日新聞社より1990年に刊行された単行本の文庫化。巻末特記によれば「著者が遺した朱入本を元に、加筆・修正を施した」とあります。本書はいわば改訂版であり、著者が2000年に遺した「はじめに」と「あとがき」が加わり、著者のご息女の大成栄子さんが「『ほとけの姿』改訂版によせて」という一文をお書きになっています。なお、今年6月~7月に、吹田市立博物館にて企画展「西村公朝流 仏像のつくりかた(仮)」が開催予定だそうです。
★『古文読解のための文法』は三省堂より1995年に刊行された単行本の文庫化。巻末の特記によれば「明らかな誤りは適宜訂正した」とのこと。著者は94年没。新たに付された解説「古典文を「文法的に読む」ために」は小田勝さんによるもの。本書を「佐伯文法の最終形として、「かぞえ年90歳の記念のように世に出」(後記)されたものである。佐伯文法の到達点を示す充実した内容を、著者一流の気負いのない平易な語り口で読みもの風に仕上げており、まさに奇跡のような古典文法書となっている」(490頁)と評しておられます。
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★最後に、最近出会った1月~2月の新刊について、版元さんごとに列記します。
『歴史という教養』片山杜秀著、河出新書、2019年1月、本体800円、新書判並製232頁、ISBN978-4-309-63103-5
『他力の哲学――赦し・ほどこし・往生』守中高明著、河出書房新社、2019年2月、本体2,600円、46変形判上製256頁、ISBN978-4-309-24900-1
★河出書房新社さんの、1月の新書新刊とまもなく発売となる2月単行本新刊です。『歴史という教養』は河出新書の第3弾。「歴史を真の教養にするための試行錯誤の道」(まえがきより)をめぐる書き下ろしです。主要目次を列記しておきますが詳細目次はさらに興味深いので、ぜひ店頭で現物をご確認ください。
まえがき
序章 「歴史」が足りない人は野蛮である
第一章 「温故知新主義」のすすめ
第二章 「歴史好き」にご用心
第三章 歴史が、ない
第四章 ニヒリズムがやってくる
第五章 歴史と付き合うための六つのヒント
第六章 これだけは知っておきたい五つの「史観」パターン
終章 教養としての「温故知新」
あとがき
★『他力の哲学』は今週発売予定。帯文に曰く「法然、親鸞、一遍における熾烈な信仰の生成を、生/死を超える万人救済の教えとして徹底的に問い直し、〈他力〉の思考と実践をその現代性を鳴り響かせつつ甦えらせる――詩人思想家がその生のすべてを賭けた「廻心」の書」。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。「本書は、私の「廻心(えしん)」の記録である。〔…〕宗教的「信」のまったき転回を指す、あの廻心である。/私は浄土宗の寺に生まれ育った。〔…そして24歳の折に〕正式に僧侶の身となった。しかし、私のアイデンティティはなかば宗教者でありなかば人文学研究者であるという、半端なものであった。実際、私の日常は、一方で毎朝本堂で勤行をし、土曜日・日曜日には檀信徒各位の求めに応じて法要を営み、他方で日々デリダやドゥルーズの著作を読み、機会があればみずから翻訳し、そしてその思考をめぐって著書や論考を書くという、二極に引き裂かれたものだった。/その引き裂かれた心に転回が起きた。〔…〕数年前のある日〔以下略〕」(「あとがき」より、240~241頁)。あとはぜひ本書現物をご確認ください。
『デリダ 歴史の思考』亀井大輔著、法政大学出版局、2019年1月、本体3,600円、A5判上製276頁、ISBN978-4-588-15101-9
『支配と抵抗の映像文化――西洋中心主義と他者を考える』エラ・ショハット/ロバート・スタム著、早尾貴紀監訳、内田(蓼沼)理絵子/片岡恵美訳、法政大学出版局、2019年1月、本体5,900円、A5判上製544頁、ISBN978-4-588-60357-0
★法政大学出版局さんの1月新刊より2点。2点とも目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。『デリダ 歴史の思考』は2005年から2018年にかけて各媒体で発表されてきた論文を改稿し再編し、書き下ろしを加えて一冊としたもの。「本書で私なりに明らかにしようとしたのもやはり、まぎれもなく「歴史と言語の思想家」としてのデリダだった」(249頁)と「あとがき」にあります。
★『支配と抵抗の映像文化』は『Unthinking Eurocentrism: Multiculturalism and the Media』(Routledge, 1994)の全訳。「ヨーロッパ中心主義は、非西洋を庇護したり悪魔化までしながら、西洋の歴史の都合の悪い面を削除したのである。自分たち西洋には、科学、進歩、人間性といった崇高な偉業を表す言葉を用い、非西洋のことは、事実だろうが想像だろうが、欠陥を示す言葉で表現するのだ。/本書はヨーロッパ中心主義に反対する研究書として、その規範の普遍化を批判する」(序章、3頁)。著者のショハット(Ella Shohat, 1959-)はイラク出身のアラブ系ユダヤ人で、米国で教鞭を執っています。スタム(Robert Stam, 1941-)はニューヨーク大学におけるショハットの同僚で、映画学教授。単独著の既訳に『転倒させる快楽――バフチン,文化批評,映画』(浅野敏夫訳、法政大学出版局、2002年)があります。
『きらめくリボン』長田真作著、共和国、2019年1月、本体1,600円、B5変型判上製32頁、ISBN978-4-907986-50-6
『いてつくボタン』長田真作著、共和国、2019年1月、本体1,600円、B5変型判上製32頁、ISBN978-4-907986-51-3
★共和国さんの1月新刊2点は長田真作さんによるモノクロ絵本です。昨年上梓された『すてきなロウソク』に続く2点で、「アカルイセカイ」3部作完結となります。モノクロと言っても全頁にUV加工が施されており、透明の様々なかたちの模様が光を優しく反射してとても美しいです。3部作の物語世界は明るい世界にも暗さがあるというよりは、暗い世界にも明るさが灯っているという印象です。
『死とは何か――1300年から現代まで(上)』ミシェル・ヴォヴェル著、立川孝一/瓜生洋一訳、藤原書店、2019年1月、本体6,800円、A5判上製592頁、ISBN978-4-86578-207-3
『地域の医療はどう変わるか――日仏比較の視点から』フィリップ・モッセ著、原山哲/山下りえ子訳、藤原書店、2019年1月、本体2,800円、四六上製176頁、ISBN978-4-86578-208-0
『「雪風」に乗った少年――十五歳で出征した「海軍特別年少兵」』西崎信夫著、小川万海子編、藤原書店、2019年1月、本体2,700円、四六上製328頁、ISBN978-4-86578-209-7
『あそぶ 12歳の生命誌――中村桂子コレクション・いのち愛づる生命誌(Ⅴ)』中村桂子著、養老孟司解説、藤原書店、2019年1月、本体2.200円、四六変上製296頁、ISBN978-4-86578-197-7
★藤原書店さんの1月新刊から4点。特に注目したいのは、フランスの歴史家ミシェル・ヴォヴェル(Michel Vovelle, 1933-2018)の主著『死と西欧――1300年から現代まで』(La Mort et l'Occident de 1300 à nos jours, Paris, Gallimard, 1983)の訳書が『死とは何か』として上下巻で刊行開始となったことです(下巻は今月発売予定)。全七部のうち上巻では第四部「バロック時代の盛大な葬儀(一五八〇~一七三〇年)」までを収録。巻頭には2014年に執筆された「日本の読者へ」が置かれています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。藤原書店さんでは今月、本書の下巻のほかに、アンドレ=ジョルジュ・オードリクール(André-Georges Haudricourt, 1911-1996;オドリクールとも)の『作ること 使うこと――生活技術の歴史・民族学的研究』をご出版になるそうで、とても楽しみです。
『経済学者の勉強術――いかに読み、いかに書くか』根井雅弘著、人文書院、2019年1月、本体1,800円、4-6判並製240頁、ISBN978-4-409-24123-3
『乳母の文化史―― 一九世紀イギリス社会に関する一考察』中田元子著、人文書院、2019年1月、本体2,800円、4-6判上製280頁、ISBN978-4-409-14067-3
『シベリア抑留者への鎮魂歌』富田武著、人文書院、2019年2月、本体3,000円、4-6判上製212頁、ISBN978-4-409-52075-8
『つながりからみた自殺予防』太刀川弘和著、人文書院、2019年2月、本体2,800円、4-6判並製260頁、ISBN978-4-409-34053-0
★人文書院さんの1~2月新刊から4点。『経済学者の勉強術』『乳母の文化史』は発売済で、『シベリア抑留者への鎮魂歌』『つながりからみた自殺予防』は2月20日頃発売とのことです。特に注目したいのは近刊の『シベリア抑留者への鎮魂歌』。2015年から2018年までに各媒体で発表された論考に2篇(序章「シベリア出兵とシベリア抑留」、第四章「四國五郎――抑留体験とヒロシマ」)の書き下ろしを加えたもので、「拙著『シベリア抑留者たちの戦後』(人文書院、2013年)、『シベリア抑留』(中公新書、2016年)のような体系性はない」が、「個別次章の分析という点で概説的な本には収まりきらない内容の論文を収録」してあるとのことです。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。
『ドイツ国防軍砂漠・ステップ戦必携教本――ドイツ国防軍陸軍総司令部』大木毅編訳解説、作品社、2019年1月、本体4,600円、A5判上製336頁、ISBN978-4-86182-733-4
★最後に作品社さんの1月新刊より1点。『ドイツ国防軍砂漠・ステップ戦必携教本』は帯文によれば、1942年に発行された、砂漠とステップにおける戦闘に関するマニュアルで、こんにちの中東で作戦遂行する各国の軍隊でも参照されている第一級の史料とのことです。「本教本の内容は、砂漠・ステップの地勢にはじまり、部隊の編制や武装、訓練、位置標定、捜索や見張、行軍や宿営の要領、衛生、家畜の扱いなど、多岐にわたる」と編訳者は巻末解説で説明されています。特に注目すべきは「さまざまな障害への対処方法が確認されていることだろう」と。
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