『何ものにも縛られないための政治学――権力の脱構成』栗原康著、角川書店、2018年7月、本体1,800円、四六判並製368頁、ISBN978-4-04-106125-1
『感性は感動しない――美術の見方、批評の作法』椹木野衣著、世界思想社:教養みらい選書、2018年7月、本体1,700円、4-6判並製208頁、ISBN978-4-7907-1713-3
『漢文研究法――中国学入門講義』狩野直喜著、狩野直禎校訂、平凡社:東洋文庫、2018年7月、本体2,900円、B6変判上製函入240頁、ISBN978-4-582-80890-2
★栗原康『何ものにも縛られないための政治学』はまもなく発売(20日頃)。栗原さんは先週、映画のノベライズである『菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』をタバブックスより上梓したばかりで、来月上旬には『狂い咲け、フリーダム――アナキズム・アンソロジー』をちくま文庫より発売予定でもあります。本作ではいきなり猿の自慰行為の話から始まります。続く第一章は著名な友人の異様な言動の紹介から。栗原節は健在という以上に進化しています。どんどん自由度を増し、リズムはますます小気味よく刻まれ、思考は猛烈に速く継起するようでいて、ちゃんと歌は聞こえています。
★「若者の未来のためだか、日本の未来のためだかしらないが、そんなもののために、わたしたちはいまやれること、いまやりたいとおもったことを犠牲にさせられてしまう。時間の奴隷になるのである。これが政治だ、動員だ。デモにいけばいくほど、ひとがたんなる数になってしまう。イヤだね」(34頁)。このあと富山での破天荒なデモ行進の話で盛り上がり、そこから社会契約の批判へと向かいます。クロポトキン、サーリンズ、グレーバーが召喚されますが、理論臭い話ではありません。社会契約の裏に隠された奴隷制なんてうんざりだ、という話。これが第一章です。
★著者自身による本書の主要ポイントの説明は以下の通りです。「いまの権力をぶちこわすためにっていって、その目的のために、ひとを動員しはじめたら、かならずあたらしい権力が構成されてしまう。あたらしい支配がうまれてしまう。だったら、あらゆる動員を拒否するしかない、権力の脱構成だってね。じゃあ、どうしたらいいか? 本書では、三つのやりかたを紹介してきた。(一)国家の廃絶:破壊とは創造の情熱である。(二)パルチザン:国家とは非対称なたたかいをしよう。(三)戦闘的退却主義:パルチザンシップを生きろ」(354~355頁)。しかし本書の本当の味わいは章ごとのディテールにあります。時代の閉塞感を突き抜けて、この世界の未聞の外側である混沌へと躍り出ていくさまは、『菊とギロチン』で主人公たちが目指したものでもあるように思えます。
★「あらゆる権力から離脱せよ。神と世界から離脱せよ。そして、さらにそのさきまで離脱してゆけ。目のまえには、カオス、カオス、カオス。そしてさらなるカオスだ、カオスしかねえ」(344頁)。「目的、動員、クソくらえ。あらゆる支配にファックユー。自由なんかぶっとばせ。アナキズムにもしばられるな。自発性だけで暴走しようぜ。がまんができない。さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」(354頁)。本書の最後には再び「さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」が繰り返されます(361頁)。見事に次の新刊、ちくま文庫へと繋がっています。
★椹木野衣『感性は感動しない』はシリーズ「教養みらい選書」の第3弾。「絵の見方、味わい方」「本の読み方、批評の書き方」「批評の根となる記憶と生活」の三部構成。ごく平易な言葉で書かれており、椹木さんの著書の中でもっとも取っつきやすい本になっているという印象があります。表題作「感性は感動しない」はもともと『世界思想』第39号「特集=感性について」(2012年春号)に寄稿されたもので、日本全国の国公私立大学25校の入試問題に使われたという話題作。「新潮45」の特集企画で、受験生と同じ条件で椹木さん自身が問題を解いたところ、半分しか正解できなかったという逸話つきの名編です。
★「私がこの本を通じて伝えたいことは、煎じつめて言えば、あなたにとっての世界が、まだ手つかずの未知の可能性の状態としてここにある、ということの神秘なのです。それを発見することができるのはあなただけだ、ということでもあります。絵を見たり文を書いたりすることは、ものを食べたり空気を吸ったりするのと違って、しなければそれで済んでしまうことです。しかし同時に、人生にとって無駄とも思えるそういう領域のなかに、私の言う神秘はひっそりと隠れていて、いつかしっかりと見つけられるのを待っているのです。/さあ、これからこの本を通じて、世界への新しい扉を開いてみて下さい。世界の入り口へと通じる扉は、実は一枚ではありません。その先にある隠し扉こそが、本当の扉なのです」(はじめに、v頁)。
★「感性など、みがこうとしないことだ。いま書いたとおり、感性とは「あなたがあなたであること」以外に根拠を置きようのないなにものかだ」(「感性は感動しない」7頁)。「本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、そのことに気づかない。気づこうとしない」(同9頁)。本書は様々な気付きを与えてくれる本ですが、その中には次のような言葉もあります。
★「いま私たちが使っている携帯やスマホのようなモバイルフォンの原型は、もともと軍事用の連絡装置で、戦場で一刻も早く情報を共有するため、とくに湾岸戦争のときに広く投入され、実践でその精度が高められたものなのです。そんな代物を日常で使うというのは、日常を準戦時下の心理に置くことになります。LINEなどのやりとりですぐに返事がこないと言って一喜一憂するのは、言ってみれば兵士の心理なのです。ただし作戦には終了がありますが、日常に終わりはありません。そんな兵士の心理を終わりなく続けていたら、やがて疲れ果て、心身のバランスを失調してしまってもまったく不思議ではありません」(116頁)。
★携帯電話以前の時代を自分なりに思い出してみると、手紙のやりとりは一ヶ月に一往復がせいぜいだった気がしますが、それなりに時候の挨拶から前段、本文から末筆まで分量がありました。Eメールでは当日中に返信しないと遅くなって文章も簡潔になり、LINEになるともっと早く短くなっていると思います。この即時性と短文化が何かしらの影響を思考や感性に与えているとしても不思議ではないのかもしれません。ちなみに、本書の刊行を記念して来週、以下のトークイベントが行なわれます。
◎椹木野衣×伊藤ガビン「ゆる硬トーク アート人生リミックス祭り」
日時:2018年7月23日(月)20:00~
場所:本屋B&B(下北沢)
料金:前売1,500円+1 drink order|当日店頭2,000円+1 drink order
内容:会田誠、村上隆ら現在のアート界を牽引する才能をいち早く見抜き、発掘してきた美術批評家・椹木野衣さん。初のエッセイ集『感性は感動しない』(世界思想社)で、絵の見方と批評の作法を伝授し、批評の根となる人生を描いています。大学時代にプロのレッスンを受けていたほど音楽にのめり込んでいたことも明かされています。本屋B&Bでは、本書の刊行を記念したトークイベントを開催します。お相手は、伊藤ガビンさん。世界初の音ゲー(音に合わせて遊ぶゲーム)「パラッパラッパー」やドラえもん全巻レビューなど、斬新な発想で人を驚かせる企画をかたちにし続けています。「コップのフチ子」のタナカカツキさんのDVDや展覧会のプロデュースも。硬派な美術批評家と脱臼系クリエイターという異色の組み合わせですが、90年代にクラブカルチャーマガジン『REMIX』の発行元株式会社アウトバーンをともに立ち上げ、伝説のクラブ芝浦ゴールドで夜な夜な朝まで踊りあかした仲。作品の本質の見抜き方から創作者としての生き方まで、縦横無尽に語り尽くす夜祭りトークショー。ぜひ現場でこの一瞬を全身で感じてください。
★狩野直喜『漢文研究法』は東洋文庫第890番。帯文はこうです。「内藤湖南と並ぶ京大東洋学の創始者、狩野直喜。本書は彼がほぼ百年前におこなった一般向け講義を嫡孫が書物にしたもの。文学・史学・哲学・地理等を総合する、不朽の中国学入門書」。表題作である「漢文研究法」全5講、さらに「経史子概要」「漢文釈例」、そして狩野直禎による解説が収められています。凡例や目次を参照すると、本書はみすず書房より1979年に刊行された単行本の翻刻であり、旧字体を新字体にあらため、古勝隆一さんによる補注と巻末解題「『漢文研究法』を読む」が加えられています。副題は編集部の判断で新たに付したもの。東洋文庫の次回配本は8月、『周作人読書雑記4』とのことです。
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★また、ここ二か月ほどでは以下の書目に注目しました。
『パイデイア――ギリシアにおける人間形成(上)』W・イェーガー著、曽田長人訳、知泉書館:知泉学術叢書、2018年7月、本体6,500円、新書判上製864頁、ISBN978-4-86285-276-2
『パイドロス』プラトン著、脇條靖弘訳、京都大学学術出版会:西洋古典叢書、2018年7月、本体3,200円、四六変上製288頁、ISBN978-4-8140-01712
『模倣と他者性――感覚における特有の歴史』マイケル・タウシグ著、井村俊義訳、水声社:人類学の転回、本体4,000円、四六判上製412頁、ISBN978-4-8010-0349-1
『変成譜――中世神仏習合の世界』山本ひろ子著、講談社学術文庫、2018年7月、本体1,460円、464頁、ISBN978-4-06-512461-1
『科学者と世界平和』アルバート・アインシュタイン著、井上健訳、佐藤優/筒井泉解説、講談社学術文庫、2018年7月、本体680円、160頁、ISBN978-4-06-512434-5
『仕事としての学問 仕事としての政治』マックス・ウェーバー著、野口雅弘訳、講談社学術文庫、2018年7月、本体880円、232頁、ISBN978-4-06-512219-8
『社会学的方法の規準』エミール・デュルケーム著、菊谷和宏訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体950円、264頁、ISBN978-4-06-511846-7
『意識と自己』アントニオ・ダマシオ著、田中三彦訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体1,480円、448頁、ISBN978-4-06-512072-9
★イェーガー『パイデイア』上巻は、同書全3部のうち、第Ⅰ部「初期のギリシア」と第Ⅱ部「アッティカ精神の絶頂と危機」を収録(原著初版は1934年)。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。巻末の訳者解説によれば、第Ⅲ部は続刊予定の下巻で全訳されるとのこと。底本はドイツ語の合本版(1973年)の写真製版による復刻版(1989年)。「本書の題名である「パイデイア」とは、元来、子供の教育、後には教育一般、教養、文化などを意味するに至った古代ギリシア語である。この言葉は前4世紀のプラトン、イソクラテス、特にヘレニズム、ローマ帝政期の著作において重要な役割を果たすに至った。イェーガーは『パイデイア』において、この概念が人口に膾炙する時代よりもはるか前の時代に遡り、古代ギリシアにおける教育の精神史的な展開を、主に市場や哲学、国家や共同体とのかかわりに注目することによって明らかにしている。同書の考察の範囲は、時代的にはホメロスからデモステネスに至るほぼ数百年、ジャンル的には文学、哲学、歴史、宗教、医学、政治、法学、経済その他の領域まで及ぶ」(解説、715頁)。名のみ高く一般読者には手の届かなかった古典的大冊がついに日本語で読めるようになったのは、2018年の人文書における壮挙の一つと言えるのではないでしょうか。
★なお関連書としては、イェーガー自身の死去の前年である1960年のハーバード大学での講演録である『初期キリスト教とパイデイア』(野町啓訳、筑摩書房:筑摩叢書、1964年、絶版)があります。同書の訳者あとがきによればこの本は「序文からの明らかなように、より膨大な形でまとめられ、大著『パイデイア』の最終巻となるべきはずのものであり、そのひな形の役をはたすべきものであった」とのことです。イェーガーの序文は、自身の年齢による限界を自覚しつつも、なおも一歩進み、研究の燈火を掲げようとする意志を示しており、感動的ですらあります。
★プラトン『パイドロス』は、先月発売されたプルタルコス『モラリア4』に続く「西洋古典叢書2018」全6巻の第2回配本。同叢書でのプラトン新訳はこれで5点目。「恋(エロース)の賛否を手掛かりに、魂不死説・魂三区分説・想起説などプラトンの主要思想の宇宙的規模での展開を通じて、最終的に「本当の弁論術」とは何がが探求される。著者の作品内で初めて、自己運動者としての魂という後期に受け継がれる考えが提示される一方、中期の特徴をなすイデア論が積極的に表明される最後の作品という点でも興味深い位置を占めている」(カバー表4紹介文より)。付属する「月報134」には早瀬篤さんによる「学問の誕生を告知する『パイドロス』」と、連載「西洋古典雑録集(8)』(國方栄二さん担当)が収録。次回配本はクイントス・スミュルナイオス『ホメロス後日譚』とのことです。
★タウシグ『模倣と他者性』は、叢書「人類学の転回」の最新刊。『Mimesis and Alterity: A Particular History of the Senses』(Routledge, 1993)の全訳。オーストラリア生まれで、現在、コロンビア大学教授をつとめる文化人類学者タウシグ(Michael Taussig, 1940-)の著書の翻訳は、同叢書の既刊『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(金子遊ほか訳、水声社、2016年)に続くもの。「文化相対主義はここでは選択肢でないのは明らかである(「彼らの信じたいものを信じさせておきなさい、そして私たちは自分が信じたいものを信じよう」)。なぜなら、さまざまな反応はお互いに深く関係し合っているからである。すなわち、それぞれの反応は、それら「自身の文化的コンテクスト」と私たちがかつて呼んでいたものと「関係している」以上に、お互いに「関係しているからである」(350~351頁)。「技術的に複製されたイメージでできた世界のスクリーンに映る粉々に砕け散った他者性が放つ次々と流れ去ってゆくわずかな兆候以外に、もはや「コンテクスト」が存在しない〔…〕。この世界では、引用された発言や残像のようなわずかな兆候こそが、行為が存在する場所である」(351頁)。「境界線は溶解し、かつて分断されていた土地土地を覆うように拡大し、すべての土地は境界地帯となる」(同)。
★「私が提案してきたように、もし模倣を、文化が第二の自然を作り出すために使う自然なのだと考えることが有効なのであれば、いまの現状は、この名高い第二の自然は沈没しかかり、非常に不安定である。自然と文化のあいだ、本質主義と構築主義のあいだで右往左往しつつも――あらゆる場所で今日証明されているように、民族的な政治意識の高まりから人工的に作られたものの楽しみに至るまで、次々に新しいアイデンティティーが紡がれて実体となっている――模倣の能力は劇的に新しい可能性のすぐそばにいることに気づかされる」(356頁)。四半世紀前の本ですが、現代人の置かれている状況を考える上で、ベンヤミンを再読する上でも示唆的な内容ではないかと感じます。
★講談社学術文庫の7月新刊より3点。山本ひろ子『変成譜』は春秋社より1993年に刊行された単行本の文庫化。あとがきによれば「「一部直しを入れ、読みやすくし」、「誤記・遺漏が細やかに訂正され、付録の「大神楽次第対照表」の一部も整理・修正」したとのことで、著者は「ただの復刊ではなく、よみがえったといえる」と述懐されています。なお、来年度に春秋社より摩多羅神についての単著を上梓されるそうで、「その最終章は、『変成譜』第二章「大神楽「浄土入り」」の続編、展開版」だとのことです。
★アインシュタイン『科学者と世界平和』は巻末の特記によれば「『世界の名著』66(湯川秀樹・井上健責任編集、中央公論社、1970年)所収の「科学者と世界平和」「物理学と実在」を底本としています。講談社学術文庫に収録するにあたり、新たに佐藤優「アインシュタイン『公開書簡』解説」、筒井泉「『物理学と実在』解説」を付加しました」とのこと「科学者と世界平和」は、国連総会へのアインシュタインの公開状、アインシュタインに対するソ連の科学者たち4名(ヴァヴィロフ、フルムキン、ヨッフェ、セミィヨノフ)による公開状、そしてそれに対するアインシュタインの返事、の3篇から成ります。帯には「〈文明最大の問題についての対話〉シリーズ第二弾」とあります。一昨年に同文庫から発売されたアインシュタインとフロイトの往復書簡『ひとはなぜ戦争をするのか』が第一弾ということだろうと思います。
★ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』は文庫オリジナルの新訳。高名な講演であるこの二篇が一冊にまとめられるのは文庫としては初めてです。コミック版ではイースト・プレスの文庫シリーズ「まんがで読破」で『職業としての学問・政治』として2013年に発売され、近年での単行本新訳では中山元訳『職業としての政治 職業としての学問』が日経BP社の日経BPクラシックスの1冊として2009年に発売されていました。定番である岩波文庫では別々の本として刊行されています。今回の新訳本の訳者あとがきによれば「2019年は「仕事としての政治」の講演から100年にあたり、2020年はマックス・ウェーバー没後100年ということになる」とあります。
★最後に講談社学術文庫の6月新刊より2点。デュルケーム『社会学的方法の規準』は学術文庫のための新訳。原著は1895年刊、底本はPUFのカドリージュ叢書第14版(2013年)ですが、フランソワ・デュベの序文が訳出されていません。既訳文庫には宮島喬訳(岩波文庫、1978年)があります。基準ではなく規準(règles)であることに注意。ダマシオ『意識と自己』は、『無意識の脳――自己意識の脳』(講談社、2003年)の文庫化。原著は『The Feeling of What Happens: Bodyh and Emotion in the Making of Consciousness』(Harcourt Brace & Company, 1999)。訳文を見直したことが巻末の訳者解説に記されています。両書とも目次は書名のリンク先でご確認いただけます。
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『感性は感動しない――美術の見方、批評の作法』椹木野衣著、世界思想社:教養みらい選書、2018年7月、本体1,700円、4-6判並製208頁、ISBN978-4-7907-1713-3
『漢文研究法――中国学入門講義』狩野直喜著、狩野直禎校訂、平凡社:東洋文庫、2018年7月、本体2,900円、B6変判上製函入240頁、ISBN978-4-582-80890-2
★栗原康『何ものにも縛られないための政治学』はまもなく発売(20日頃)。栗原さんは先週、映画のノベライズである『菊とギロチン――やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』をタバブックスより上梓したばかりで、来月上旬には『狂い咲け、フリーダム――アナキズム・アンソロジー』をちくま文庫より発売予定でもあります。本作ではいきなり猿の自慰行為の話から始まります。続く第一章は著名な友人の異様な言動の紹介から。栗原節は健在という以上に進化しています。どんどん自由度を増し、リズムはますます小気味よく刻まれ、思考は猛烈に速く継起するようでいて、ちゃんと歌は聞こえています。
★「若者の未来のためだか、日本の未来のためだかしらないが、そんなもののために、わたしたちはいまやれること、いまやりたいとおもったことを犠牲にさせられてしまう。時間の奴隷になるのである。これが政治だ、動員だ。デモにいけばいくほど、ひとがたんなる数になってしまう。イヤだね」(34頁)。このあと富山での破天荒なデモ行進の話で盛り上がり、そこから社会契約の批判へと向かいます。クロポトキン、サーリンズ、グレーバーが召喚されますが、理論臭い話ではありません。社会契約の裏に隠された奴隷制なんてうんざりだ、という話。これが第一章です。
★著者自身による本書の主要ポイントの説明は以下の通りです。「いまの権力をぶちこわすためにっていって、その目的のために、ひとを動員しはじめたら、かならずあたらしい権力が構成されてしまう。あたらしい支配がうまれてしまう。だったら、あらゆる動員を拒否するしかない、権力の脱構成だってね。じゃあ、どうしたらいいか? 本書では、三つのやりかたを紹介してきた。(一)国家の廃絶:破壊とは創造の情熱である。(二)パルチザン:国家とは非対称なたたかいをしよう。(三)戦闘的退却主義:パルチザンシップを生きろ」(354~355頁)。しかし本書の本当の味わいは章ごとのディテールにあります。時代の閉塞感を突き抜けて、この世界の未聞の外側である混沌へと躍り出ていくさまは、『菊とギロチン』で主人公たちが目指したものでもあるように思えます。
★「あらゆる権力から離脱せよ。神と世界から離脱せよ。そして、さらにそのさきまで離脱してゆけ。目のまえには、カオス、カオス、カオス。そしてさらなるカオスだ、カオスしかねえ」(344頁)。「目的、動員、クソくらえ。あらゆる支配にファックユー。自由なんかぶっとばせ。アナキズムにもしばられるな。自発性だけで暴走しようぜ。がまんができない。さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」(354頁)。本書の最後には再び「さけべ、アナーキー! 狂い咲け、フリーダム!」が繰り返されます(361頁)。見事に次の新刊、ちくま文庫へと繋がっています。
★椹木野衣『感性は感動しない』はシリーズ「教養みらい選書」の第3弾。「絵の見方、味わい方」「本の読み方、批評の書き方」「批評の根となる記憶と生活」の三部構成。ごく平易な言葉で書かれており、椹木さんの著書の中でもっとも取っつきやすい本になっているという印象があります。表題作「感性は感動しない」はもともと『世界思想』第39号「特集=感性について」(2012年春号)に寄稿されたもので、日本全国の国公私立大学25校の入試問題に使われたという話題作。「新潮45」の特集企画で、受験生と同じ条件で椹木さん自身が問題を解いたところ、半分しか正解できなかったという逸話つきの名編です。
★「私がこの本を通じて伝えたいことは、煎じつめて言えば、あなたにとっての世界が、まだ手つかずの未知の可能性の状態としてここにある、ということの神秘なのです。それを発見することができるのはあなただけだ、ということでもあります。絵を見たり文を書いたりすることは、ものを食べたり空気を吸ったりするのと違って、しなければそれで済んでしまうことです。しかし同時に、人生にとって無駄とも思えるそういう領域のなかに、私の言う神秘はひっそりと隠れていて、いつかしっかりと見つけられるのを待っているのです。/さあ、これからこの本を通じて、世界への新しい扉を開いてみて下さい。世界の入り口へと通じる扉は、実は一枚ではありません。その先にある隠し扉こそが、本当の扉なのです」(はじめに、v頁)。
★「感性など、みがこうとしないことだ。いま書いたとおり、感性とは「あなたがあなたであること」以外に根拠を置きようのないなにものかだ」(「感性は感動しない」7頁)。「本当は、感性を通じて自分の心のなかを覗き込んでいるだけなのに、そのことに気づかない。気づこうとしない」(同9頁)。本書は様々な気付きを与えてくれる本ですが、その中には次のような言葉もあります。
★「いま私たちが使っている携帯やスマホのようなモバイルフォンの原型は、もともと軍事用の連絡装置で、戦場で一刻も早く情報を共有するため、とくに湾岸戦争のときに広く投入され、実践でその精度が高められたものなのです。そんな代物を日常で使うというのは、日常を準戦時下の心理に置くことになります。LINEなどのやりとりですぐに返事がこないと言って一喜一憂するのは、言ってみれば兵士の心理なのです。ただし作戦には終了がありますが、日常に終わりはありません。そんな兵士の心理を終わりなく続けていたら、やがて疲れ果て、心身のバランスを失調してしまってもまったく不思議ではありません」(116頁)。
★携帯電話以前の時代を自分なりに思い出してみると、手紙のやりとりは一ヶ月に一往復がせいぜいだった気がしますが、それなりに時候の挨拶から前段、本文から末筆まで分量がありました。Eメールでは当日中に返信しないと遅くなって文章も簡潔になり、LINEになるともっと早く短くなっていると思います。この即時性と短文化が何かしらの影響を思考や感性に与えているとしても不思議ではないのかもしれません。ちなみに、本書の刊行を記念して来週、以下のトークイベントが行なわれます。
◎椹木野衣×伊藤ガビン「ゆる硬トーク アート人生リミックス祭り」
日時:2018年7月23日(月)20:00~
場所:本屋B&B(下北沢)
料金:前売1,500円+1 drink order|当日店頭2,000円+1 drink order
内容:会田誠、村上隆ら現在のアート界を牽引する才能をいち早く見抜き、発掘してきた美術批評家・椹木野衣さん。初のエッセイ集『感性は感動しない』(世界思想社)で、絵の見方と批評の作法を伝授し、批評の根となる人生を描いています。大学時代にプロのレッスンを受けていたほど音楽にのめり込んでいたことも明かされています。本屋B&Bでは、本書の刊行を記念したトークイベントを開催します。お相手は、伊藤ガビンさん。世界初の音ゲー(音に合わせて遊ぶゲーム)「パラッパラッパー」やドラえもん全巻レビューなど、斬新な発想で人を驚かせる企画をかたちにし続けています。「コップのフチ子」のタナカカツキさんのDVDや展覧会のプロデュースも。硬派な美術批評家と脱臼系クリエイターという異色の組み合わせですが、90年代にクラブカルチャーマガジン『REMIX』の発行元株式会社アウトバーンをともに立ち上げ、伝説のクラブ芝浦ゴールドで夜な夜な朝まで踊りあかした仲。作品の本質の見抜き方から創作者としての生き方まで、縦横無尽に語り尽くす夜祭りトークショー。ぜひ現場でこの一瞬を全身で感じてください。
★狩野直喜『漢文研究法』は東洋文庫第890番。帯文はこうです。「内藤湖南と並ぶ京大東洋学の創始者、狩野直喜。本書は彼がほぼ百年前におこなった一般向け講義を嫡孫が書物にしたもの。文学・史学・哲学・地理等を総合する、不朽の中国学入門書」。表題作である「漢文研究法」全5講、さらに「経史子概要」「漢文釈例」、そして狩野直禎による解説が収められています。凡例や目次を参照すると、本書はみすず書房より1979年に刊行された単行本の翻刻であり、旧字体を新字体にあらため、古勝隆一さんによる補注と巻末解題「『漢文研究法』を読む」が加えられています。副題は編集部の判断で新たに付したもの。東洋文庫の次回配本は8月、『周作人読書雑記4』とのことです。
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★また、ここ二か月ほどでは以下の書目に注目しました。
『パイデイア――ギリシアにおける人間形成(上)』W・イェーガー著、曽田長人訳、知泉書館:知泉学術叢書、2018年7月、本体6,500円、新書判上製864頁、ISBN978-4-86285-276-2
『パイドロス』プラトン著、脇條靖弘訳、京都大学学術出版会:西洋古典叢書、2018年7月、本体3,200円、四六変上製288頁、ISBN978-4-8140-01712
『模倣と他者性――感覚における特有の歴史』マイケル・タウシグ著、井村俊義訳、水声社:人類学の転回、本体4,000円、四六判上製412頁、ISBN978-4-8010-0349-1
『変成譜――中世神仏習合の世界』山本ひろ子著、講談社学術文庫、2018年7月、本体1,460円、464頁、ISBN978-4-06-512461-1
『科学者と世界平和』アルバート・アインシュタイン著、井上健訳、佐藤優/筒井泉解説、講談社学術文庫、2018年7月、本体680円、160頁、ISBN978-4-06-512434-5
『仕事としての学問 仕事としての政治』マックス・ウェーバー著、野口雅弘訳、講談社学術文庫、2018年7月、本体880円、232頁、ISBN978-4-06-512219-8
『社会学的方法の規準』エミール・デュルケーム著、菊谷和宏訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体950円、264頁、ISBN978-4-06-511846-7
『意識と自己』アントニオ・ダマシオ著、田中三彦訳、講談社学術文庫、2018年6月、本体1,480円、448頁、ISBN978-4-06-512072-9
★イェーガー『パイデイア』上巻は、同書全3部のうち、第Ⅰ部「初期のギリシア」と第Ⅱ部「アッティカ精神の絶頂と危機」を収録(原著初版は1934年)。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。巻末の訳者解説によれば、第Ⅲ部は続刊予定の下巻で全訳されるとのこと。底本はドイツ語の合本版(1973年)の写真製版による復刻版(1989年)。「本書の題名である「パイデイア」とは、元来、子供の教育、後には教育一般、教養、文化などを意味するに至った古代ギリシア語である。この言葉は前4世紀のプラトン、イソクラテス、特にヘレニズム、ローマ帝政期の著作において重要な役割を果たすに至った。イェーガーは『パイデイア』において、この概念が人口に膾炙する時代よりもはるか前の時代に遡り、古代ギリシアにおける教育の精神史的な展開を、主に市場や哲学、国家や共同体とのかかわりに注目することによって明らかにしている。同書の考察の範囲は、時代的にはホメロスからデモステネスに至るほぼ数百年、ジャンル的には文学、哲学、歴史、宗教、医学、政治、法学、経済その他の領域まで及ぶ」(解説、715頁)。名のみ高く一般読者には手の届かなかった古典的大冊がついに日本語で読めるようになったのは、2018年の人文書における壮挙の一つと言えるのではないでしょうか。
★なお関連書としては、イェーガー自身の死去の前年である1960年のハーバード大学での講演録である『初期キリスト教とパイデイア』(野町啓訳、筑摩書房:筑摩叢書、1964年、絶版)があります。同書の訳者あとがきによればこの本は「序文からの明らかなように、より膨大な形でまとめられ、大著『パイデイア』の最終巻となるべきはずのものであり、そのひな形の役をはたすべきものであった」とのことです。イェーガーの序文は、自身の年齢による限界を自覚しつつも、なおも一歩進み、研究の燈火を掲げようとする意志を示しており、感動的ですらあります。
★プラトン『パイドロス』は、先月発売されたプルタルコス『モラリア4』に続く「西洋古典叢書2018」全6巻の第2回配本。同叢書でのプラトン新訳はこれで5点目。「恋(エロース)の賛否を手掛かりに、魂不死説・魂三区分説・想起説などプラトンの主要思想の宇宙的規模での展開を通じて、最終的に「本当の弁論術」とは何がが探求される。著者の作品内で初めて、自己運動者としての魂という後期に受け継がれる考えが提示される一方、中期の特徴をなすイデア論が積極的に表明される最後の作品という点でも興味深い位置を占めている」(カバー表4紹介文より)。付属する「月報134」には早瀬篤さんによる「学問の誕生を告知する『パイドロス』」と、連載「西洋古典雑録集(8)』(國方栄二さん担当)が収録。次回配本はクイントス・スミュルナイオス『ホメロス後日譚』とのことです。
★タウシグ『模倣と他者性』は、叢書「人類学の転回」の最新刊。『Mimesis and Alterity: A Particular History of the Senses』(Routledge, 1993)の全訳。オーストラリア生まれで、現在、コロンビア大学教授をつとめる文化人類学者タウシグ(Michael Taussig, 1940-)の著書の翻訳は、同叢書の既刊『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(金子遊ほか訳、水声社、2016年)に続くもの。「文化相対主義はここでは選択肢でないのは明らかである(「彼らの信じたいものを信じさせておきなさい、そして私たちは自分が信じたいものを信じよう」)。なぜなら、さまざまな反応はお互いに深く関係し合っているからである。すなわち、それぞれの反応は、それら「自身の文化的コンテクスト」と私たちがかつて呼んでいたものと「関係している」以上に、お互いに「関係しているからである」(350~351頁)。「技術的に複製されたイメージでできた世界のスクリーンに映る粉々に砕け散った他者性が放つ次々と流れ去ってゆくわずかな兆候以外に、もはや「コンテクスト」が存在しない〔…〕。この世界では、引用された発言や残像のようなわずかな兆候こそが、行為が存在する場所である」(351頁)。「境界線は溶解し、かつて分断されていた土地土地を覆うように拡大し、すべての土地は境界地帯となる」(同)。
★「私が提案してきたように、もし模倣を、文化が第二の自然を作り出すために使う自然なのだと考えることが有効なのであれば、いまの現状は、この名高い第二の自然は沈没しかかり、非常に不安定である。自然と文化のあいだ、本質主義と構築主義のあいだで右往左往しつつも――あらゆる場所で今日証明されているように、民族的な政治意識の高まりから人工的に作られたものの楽しみに至るまで、次々に新しいアイデンティティーが紡がれて実体となっている――模倣の能力は劇的に新しい可能性のすぐそばにいることに気づかされる」(356頁)。四半世紀前の本ですが、現代人の置かれている状況を考える上で、ベンヤミンを再読する上でも示唆的な内容ではないかと感じます。
★講談社学術文庫の7月新刊より3点。山本ひろ子『変成譜』は春秋社より1993年に刊行された単行本の文庫化。あとがきによれば「「一部直しを入れ、読みやすくし」、「誤記・遺漏が細やかに訂正され、付録の「大神楽次第対照表」の一部も整理・修正」したとのことで、著者は「ただの復刊ではなく、よみがえったといえる」と述懐されています。なお、来年度に春秋社より摩多羅神についての単著を上梓されるそうで、「その最終章は、『変成譜』第二章「大神楽「浄土入り」」の続編、展開版」だとのことです。
★アインシュタイン『科学者と世界平和』は巻末の特記によれば「『世界の名著』66(湯川秀樹・井上健責任編集、中央公論社、1970年)所収の「科学者と世界平和」「物理学と実在」を底本としています。講談社学術文庫に収録するにあたり、新たに佐藤優「アインシュタイン『公開書簡』解説」、筒井泉「『物理学と実在』解説」を付加しました」とのこと「科学者と世界平和」は、国連総会へのアインシュタインの公開状、アインシュタインに対するソ連の科学者たち4名(ヴァヴィロフ、フルムキン、ヨッフェ、セミィヨノフ)による公開状、そしてそれに対するアインシュタインの返事、の3篇から成ります。帯には「〈文明最大の問題についての対話〉シリーズ第二弾」とあります。一昨年に同文庫から発売されたアインシュタインとフロイトの往復書簡『ひとはなぜ戦争をするのか』が第一弾ということだろうと思います。
★ウェーバー『仕事としての学問 仕事としての政治』は文庫オリジナルの新訳。高名な講演であるこの二篇が一冊にまとめられるのは文庫としては初めてです。コミック版ではイースト・プレスの文庫シリーズ「まんがで読破」で『職業としての学問・政治』として2013年に発売され、近年での単行本新訳では中山元訳『職業としての政治 職業としての学問』が日経BP社の日経BPクラシックスの1冊として2009年に発売されていました。定番である岩波文庫では別々の本として刊行されています。今回の新訳本の訳者あとがきによれば「2019年は「仕事としての政治」の講演から100年にあたり、2020年はマックス・ウェーバー没後100年ということになる」とあります。
★最後に講談社学術文庫の6月新刊より2点。デュルケーム『社会学的方法の規準』は学術文庫のための新訳。原著は1895年刊、底本はPUFのカドリージュ叢書第14版(2013年)ですが、フランソワ・デュベの序文が訳出されていません。既訳文庫には宮島喬訳(岩波文庫、1978年)があります。基準ではなく規準(règles)であることに注意。ダマシオ『意識と自己』は、『無意識の脳――自己意識の脳』(講談社、2003年)の文庫化。原著は『The Feeling of What Happens: Bodyh and Emotion in the Making of Consciousness』(Harcourt Brace & Company, 1999)。訳文を見直したことが巻末の訳者解説に記されています。両書とも目次は書名のリンク先でご確認いただけます。
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