「週刊読書人」2018年6月29日号に、弊社4月刊、J-L・ナンシー『ミューズたち』の書評「「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性――複数の読者に開かれた書 新たなナンシー像を伝える」が掲載されました。評者は渡名喜庸哲さんです。渡名喜さん、ありがとうございます!
「本書の眼目は、いわば「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性についての省察にあるということができる。/ただし、いっそう興味深いのは、この問題を考えるために、ナンシーが、みずからの哲学的な道具立てのすべてを動員して考察を展開していることだ。〔…〕本書は「芸術の終焉」についてのナンシーの論として読めるばかりか、「芸術の終焉」を緒にしたナンシー哲学への導入としても読めるだろう。〔…〕とくに洞窟壁画については、いみじくも九〇年代にフランスで発見された二つの洞窟壁画とナンシーを結びつけて論じる巻末の暮沢剛巳氏による日本語版解説が参考になる。/ナンシーの芸術論としては、すでに『イメージの奥底で』(西山達也・大道寺玲央訳、以文社、二〇〇六年)が読めるが、それに先立つ時期のナンシーの芸術観をまとまって示す本訳書の公刊により、哲学・神学・政治・科学・芸術と幅広い視座で考察を続けるナンシーの思想が、いっそう有機的に理解できることになった。『私に触れるな ノリ・メ・タンゲレ』(荻野厚志訳、未來社、二〇〇六年)に続き、新たなナンシー像を日本の読者に伝えてくれた訳者の功績を讃えたい。難解で知られる哲学者だけに、内容的には難しい箇所がないわけではないが、現代において「芸術」の「根拠」についての根本的な考察を試みる本書は、哲学や美学を専門とする読者ばかりでなく、「芸術」とはいかなるものかを考える複数の読者に開かれているだろう」。
なお同日号の1面と2面には、マルクス・ガブリエル来日インタビュー「入門マルクス・ガブリエル」(聞き手・解説=浅沼光樹)が掲載されており、必読かと思います。
+++
「本書の眼目は、いわば「芸術の終焉」の後の「(諸)芸術」の可能性についての省察にあるということができる。/ただし、いっそう興味深いのは、この問題を考えるために、ナンシーが、みずからの哲学的な道具立てのすべてを動員して考察を展開していることだ。〔…〕本書は「芸術の終焉」についてのナンシーの論として読めるばかりか、「芸術の終焉」を緒にしたナンシー哲学への導入としても読めるだろう。〔…〕とくに洞窟壁画については、いみじくも九〇年代にフランスで発見された二つの洞窟壁画とナンシーを結びつけて論じる巻末の暮沢剛巳氏による日本語版解説が参考になる。/ナンシーの芸術論としては、すでに『イメージの奥底で』(西山達也・大道寺玲央訳、以文社、二〇〇六年)が読めるが、それに先立つ時期のナンシーの芸術観をまとまって示す本訳書の公刊により、哲学・神学・政治・科学・芸術と幅広い視座で考察を続けるナンシーの思想が、いっそう有機的に理解できることになった。『私に触れるな ノリ・メ・タンゲレ』(荻野厚志訳、未來社、二〇〇六年)に続き、新たなナンシー像を日本の読者に伝えてくれた訳者の功績を讃えたい。難解で知られる哲学者だけに、内容的には難しい箇所がないわけではないが、現代において「芸術」の「根拠」についての根本的な考察を試みる本書は、哲学や美学を専門とする読者ばかりでなく、「芸術」とはいかなるものかを考える複数の読者に開かれているだろう」。
なお同日号の1面と2面には、マルクス・ガブリエル来日インタビュー「入門マルクス・ガブリエル」(聞き手・解説=浅沼光樹)が掲載されており、必読かと思います。
+++