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注目新刊:ジェノスコのガタリ論、クリステヴァのボーヴォワール論、ほか

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『フェリックス・ガタリ――危機の世紀を予見した思想家』ギャリー・ジェノスコ著、杉村昌昭/松田正貴訳、法政大学出版局、2018年6月、本体3,500円、四六判上製348頁、ISBN978-4-588-01080-4
『ボーヴォワール』ジュリア・クリステヴァ著、栗脇永翔/中村彩訳、法政大学出版局、2018年5月、本体2,700円、四六判上製286頁、ISBN978-4-588-01079-8
『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』奥野克巳著、亜紀書房、2018年5月、本体1,800円、四六判並製352頁、ISBN978-4-7505-1532-8
『ソウル・ハンターズ――シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』レーン・ウィラースレフ著、奥野克巳/近藤祉秋/古川不可知訳、亜紀書房、2018年3月、本体3,200円、四六判上製384頁、ISBN978-4-7505-1541-0



★ジェノスコ『フェリックス・ガタリ』は『Félix Guattari: A Critical Introduction』(Pluto Press, 2009)の全訳。カナダのコミュニケーション理論・文化理論家ジェノスコ(Gary Genosko, 1959-)さんの著書が翻訳されるのは初めてのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。英語圏におけるガタリ(およびドゥルーズ/ガタリ)の研究者としても著名で、本書に遡る7年前には『Félix Guattari: An Aberrant Introduction』(Continuum Press, 2002)という著書も上梓されています。今回訳された著書についてジェノスコさん自身はこう述べています。「本書は批評的入門書であり、それぞれの章においてガタリの人生や思想のおもな特徴を中心に論じながら、彼の主要な政治-社会概念および実践について解説するものである。関係資料を数多く示しつつ、諸概念の解説を試みながら、それがいかに今日的意義を持つかを示す」(25頁)。



★また、ガタリを再読する意義については端的に次のように言明されています。「なぜいまガタリを読まなければならないのか。批判的な受容という文脈からは、次のような二重の理由があげられる。それは、共同で書いた著作のなかでガタリが寄与している部分を黙殺するような傾向を是正するためであり、藁人形論によってガタリの寄与をただ追い払おうとするような意見に与せず、ガタリ自身が書いたテクストを実際に読むためである。/この行き詰った状況を乗り越えることができれば、社会理論や政治理論のなかでいま行われている議論に対してガタリが何を提案しようとしていたのか、さらによく理解できるようになるだろう」(22頁)。


★本書の「結び」における、雑誌編集者としてのガタリの姿の描出は感動的です。「〔ガタリは〕異質混淆的な要素をひとつに集め、それを統一的な全体としてまとめることなく、それぞれまったく性質の異なった部分と部分のあいだに横断的な線を刻みこむ。/雑誌は、選択的でミクロ制度的なものであり、編集作業の動的編成によって生みだされる。それは、自らの計画を集団で実現し、新しい参照世界を創出し、芸術家のようなやり方で情動を生みだし、来たるべき読者や参加者に呼びかけるものである」(252~253頁)。ガタリ再評価の機運をもたらしてくれる実に啓発的な一書です。


★クリステヴァ『ボーヴォワール』は『Beauvoir présente』(Fayard, 2016)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻頭の「人類学的=人間学的革命」で著者ご本人は次のように本書を紹介しています。「本書に収められたテクストは、恒常的に危機に見舞われるグローバル化した世界という文脈のなかで、ボーヴォワールの著作と彼女が女性の闘いに与えた多大な影響にささげられた様々な催しの際に発表されたものである。ここで私が提示するのはこの哲学者の複雑な仕事の網羅的な研究ではないし、また私は実存主義の潮流における彼女に位置づけにこれまで非常に関心をもってきたとはいえ、ここで示すのはその位置づけの評価でもない。〔…〕ここにあるのは、ひとつの基礎的な体験=実験が私の中に呼び起こす個人的な読解や称賛あるいは批判のコメントである。その体験=実験の機微とそこに含まれる現代性は、私たちに呼びかけ私たちを不意にとらえることをまだやめてはいない。/〔本書は〕この作家の書いたものを、(いま一度)読むように誘うものである」(8頁)。


★また、こうも書いています。「シモーヌ・ド・ボーヴォワールというあまりに頻繁に不要に批判されあるいは過小評価されている先駆者に対して私が恩義を表明し、『女の天才』三部作を彼女に捧げているということ」(25頁)。『女の天才』三部作というのは『ハンナ・アーレント』(松葉祥一ほか訳、作品社、2006年)と『メラニー・クライン』(松葉祥一ほか訳、作品社、2012年)、そして未訳のコレット論(2002年)のことです。さらに、2008年に設立された「女性の自由のためのシモーヌ・ド・ボーヴォワール賞」に関わったことについては、本書に収められているインタヴュー「ヒトは女に生まれる、しかし私は女になる」でこう答えています。「ボーヴォワールの生誕100周年の際に、フェミニストたちのあいだで意見が一致せず、私が頼まれてパリでの国際シンポジウムを引き受けることになりました。私はそれを記念した後にも何か残るものを作りたいと思ったのです。彼女が促進したこの真の人類学的=人間学的革命が人びとを扇動し続けるために。特に、人間=男性〔homme〕における主体に対して無関心であり、また女性における主体に対してはさらに無関心であると思われる他の文化において、それを続けるためです」(136頁)。


★そしてその直前には「『第二の性』は刊行から60年が経ち、もう時代遅れであると考える女性もいます」という質問に対し、「彼女たちは誤っています。『第二の性』を読んでいないのです。まずは読まねばなりません。そして次に各人が自分の体験を探らねばなりません」(同)と答えています。ボーヴォワール『第二の性』(〈1〉「事実と神話」、〈2〉「体験」上下巻)は新潮文庫で訳書が出ていますが、残念ながら現在品切。再刊が待たれていると思われます。


★奥野克巳『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』は、ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」に密着し、そこでの見聞から考えたことを綴ったもの。マレーシア、インドネシア、ブルネイの三つの国から成るボルネオ島のうち、著者が訪れたのはマレーシアのサラワク州のブラガ川上流の居住地で、2006年から2017年までに通算600日を過ごしたそうです。帯文には探検家の関野吉晴さんの推薦文が記されています。曰く「この書を読み、生産、消費、効率至上主義の世界で疲弊した私は驚嘆し、覚醒し、生きることを根本から考えなおす契機を貰った」と。すでに本書は様々な反響を呼び起こしているようで、おそらくは2018年上半期を代表する話題書のひとつに数え挙げられるのではないかと思われます。


★たとえばこんな一節があります。「プナン語には、「貸す/借りる」という言葉がそもそもなかった〔…〕。プナンは肉であれ果物であれ帽子であれ時計であれ、何かものを欲する時には「ちょうだい」という言い回しを用いる。その時、そのものは、それを持たない相手に対して、惜しみなく分け与えられなければならない。寛大さはプナンにとって最大の美徳である」(191頁)。「そのようにして、ものは共同体内でぐるぐると循環し、場合によっては共同体の外部に流れていく。〔…〕プナンは、独占しようとする欲望を集合的に認めない。分け与えられたものは独り占めするのではなく、周囲にも分配するように方向づける。そうしたやり方が、プナンの共同体の中に広く浸透している。このような贈与交換の仕組みを、プナンはみなでつくり上げている。個人で独占所有するのではなく、みなで所有するという考え方とやり方こそが、プナンの共同体の中で取られなければならない個人の態度なのである」(192頁)。


★「共同体の中で最もみすぼらしいなりをした男こそが、そのグループのアド・ホックな(一時的な)リーダーなのである。なぜなら、彼は自らに贈与された財やお金を次から次へと周囲の人物に分け与えるため、自らは何も持たなくなってしまうからである。彼が人々から尊敬の的とされるのは、自らが贈与交換の通過点となり、ほとんど何も持たないからである。彼は、贈与されたものを、惜しみなく周囲にいる人々に与える。そして、尊敬を集めることによって、財やお金がますます彼のことに集まってくる。すると、彼は以前にもまして、ますます周囲に分け与えるのである。/プナン社会では、財やお金を蓄積し、私腹を肥やしたり、それらを自らのためだけに用立てたりしようとしない精神こそが尊ばれる。逆に言えば、財を独り占めしようとする精神性は蔑まれ、疎んじられる」(194~195頁)。「プナンはみな誰かの奴隷になることを嫌っている。アナキストのように」(195頁)。


★本書の土台となったのは、亜紀書房のウェブマガジン「あき地」の連載「熱帯のニーチェ」(2016年5月~2017年8月)で、全16回の記事を14章に圧縮し、書き下ろしの2章を加えて改稿したそうです。ニーチェと何が関係しているのかは本書の「おわりに――熱帯のニーチェたち」に記されています。なお、本書の刊行を記念して以下のトークイベントが予定されています。


◎奥野克巳×宮台真司 対談「人間を超えて、社会学を超えて」



日時:2018年07月12日(木) 19:00~21:00
会場:代官山蔦屋書店1号館 2階 イベントスペース
定員:70名
問い合わせ:電話03-3770-2525


内容:森の中で暮らしを立てる狩猟採集民とまじわって、「人間を超えた人類学」を模索する奥野さん。かたや、宮台さんは「社会学の終わり」を構想されています。閉塞感たれ込める今の社会に風穴をあけるには、どうすればいいのか。多自然主義やパースペクティヴィズムをめぐって、興味深い話が展開されること必至です。終了後はお二人のサイン会も行います。奮ってご参加ください。


★なお、奥野さんは同じく亜紀書房から3月に、国立デンマーク博物館館長で人類学者のレーン・ウィラースレフ(Rane Willerslev, 1971-)さんの2007年の著書『ソウル・ハンターズ』の共訳書を上梓されています。訳者解説では本書に対する評価を次のようにまとめておられます。


★「本書は、2000年代になって、ヴィヴェイロス・デ・カストロやフィリップ・デスコーラらによってはじめられた、いわゆる人類学の「存在論的転回」における重要著作のひとつに位置づけられる。存在論的転回とは、文化的存在としての人間を取り上げて、異文化の中にその多様なあり方を探ってきた文化相対主義/多文化主義を突破して、人間を取り巻く存在を人間同様の存在者と捉える(非西洋の人々の)「存在」をめぐる思考と実践を人類学の主題として切り拓いてきた知の運動である。ウィラースレフは「パースペクティヴィズム」という、ヴィヴェイロス・デ・カストロによって提唱された課題に挑み、それを抽象的な次元ではなく、自らも狩猟者として参与した経験と具体的な民族誌事例を用いながら、狩猟活動における獲物との実践的な関わりの中で、より精緻なものとして鍛え上げていった」(359頁)。このほかにも2点の評価が説明されていますが、どちらも人文書における書棚づくりのヒントになるはずです。


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★ちくま学芸文庫の6月8日発売の新刊は6点。


『20世紀の歴史――両極端の時代(上)』エリック・ホブズボーム著、大井由紀訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,700円、576頁、ISBN978-4-480-09866-5
『古代ローマ旅行ガイド――一日5デナリで行く』フィリップ・マティザック著、安原和見訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,200円、288頁、ISBN978-4-480-09871-9
『ナショナリズムとは何か』アントニー・D・スミス著、庄司信訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09873-3
『バルトーク音楽論選』ベーラ・バルトーク著、伊東信宏/太田峰夫訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,200円、288頁、ISBN978-4-480-09839-9
『フランシス・ベイコン・インタヴュー』デイヴィッド・シルヴェスター著、小林等訳、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,300円、320頁、ISBN978-4-480-09854-2
『博徒の幕末維新』高橋敏著、ちくま学芸文庫、2018年6月、本体1,000円、256頁、ISBN978-4-480-09874-0



★ホブズボーム『20世紀の歴史――両極端の時代(上)』は、『The Age of Extremes』(Michael Joseph/Vintage Books, 1994)の新訳です。上巻には「序文と謝辞」、「20世紀を俯瞰する」、第Ⅰ部「破滅の時代」第1~7章と第Ⅱ部「黄金時代」第8~9章を収録。下巻は来月9日に発売予定です。同書は『20世紀の歴史――極端な時代』上下巻として、河合秀和さんによる訳書が三省堂から1996年に刊行されていましたが現在絶版。「自身の生涯と重ねながら著した20世紀史の傑作」(文庫版カヴァー紹介文より)であるだけに文庫で新訳が読めるようになるのは実に素晴らしいことです。なお、本書の類書でみすず書房さんより1981~1982年に刊行された『資本の時代 1848-1875』全2巻の新装版が同版元より7月9日に発売予定であるとのことです。


★マティザック『古代ローマ旅行ガイド』は『Ancient Rome on 5 Denarii a Day』(Thames & Hudson, 2007)の訳書。西暦200年頃(2000年ではありません)のローマをめぐる旅行ガイドで、交通から宿泊、食事、買物、観光名所まで、図版を多数掲載しつつ丁寧に紹介してくれます。巻末の「役に立つラテン語会話」では、ラテン語原文、訳文、カタカナによるラテン語文の音写がテーマごとに(酒場で、デートで、市場で、等々)収められていて、洒落が効いています。帯文に「驚愕のタイム・トラベル!」とあるようにこの一冊で空想旅行を堪能できる、親しみやすい歴史書となっています。


★スミス『ナショナリズムとは何か』は『Nationalism: Theory, Ideology, History』(Polity Press, 2001, 2nd edition, 2010)の全訳。概念、イデオロギー、パラダイム、理論、歴史、将来展望の全6章。序論で著者自身が述べている通り本書は「ナショナリズムの問題に馴染みの薄い読者や学生のみなさんに、ナショナリズムという概念についての入門書を提供する」もの。巻末には参考文献だけでなく、章ごとに纏められた読書案内も付されています。アントニー・D・スミス(Anthony David Stephen Smith, 1939-2016)はイギリスの歴史社会学者で、ナショナリズム研究の第一人者として著名。既訳書には『20世紀のナショナリズム』(巣山靖司監訳、法律文化社、1995年)、『ナショナリズムの生命力』(高柳先男訳、晶文社、1998年)、『ネイションとエスニシティ――歴史社会学的考察』(巣山靖司ほか訳、名古屋大学出版会、1999年)、『選ばれた民――ナショナル・アイデンティティ、宗教、歴史』(一条都子訳、青木書店、2007年)があります。


★ちなみに今月のちくま新書の新刊では、原田実さんによる『オカルト化する日本の教育――江戸しぐさと親学にひそむナショナリズム』という本が発売されているので、併読するのもいいかもしれません。



★『バルトーク音楽論選』は訳者解題に曰く「バルトークが書いたさまざまな文章を集め、代表的なものを訳出したもの」で、文庫オリジナル編集により、15篇を収録。類書には岩城肇編訳『バルトークの世界:自伝・民俗音楽・現代音楽論』(講談社、1976年)とその改題改訂版『バルトーク音楽論集』御茶の水書房、1988年)があり、これらはハンガリー語で1967年に出版された論集を底本としているとのことですが、今回の新たな選集ではバルトーク自身が書いた原文が独仏英などの言語である場合はそれぞれの言語から翻訳したとのことです。


★シルヴェスター『フランシス・ベイコン・インタヴュー』は、『肉への慈悲――フランシス・ベイコン・インタヴュー』(筑摩書房、1996年)の改訳改題文庫化です。ベイコンの絵画を多数掲載。再刊にあたり、「文庫版訳者あとがき」と、保坂健二郎さんによる解説が新たに付されています。インタヴュワーのデイヴィッド・シルヴェスター(David Sylvester, 1924-2001)はイギリス出身の美術評論家でありキュレーター。彼はベイコンの死後に『回想フランシス・ベイコン』(五十嵐賢一訳、書肆半日閑発行、三元社発売、2010年)という著書を上梓しています。今月22日にはみすず書房から著書『ジャコメッティ 彫刻と絵画』(武田昭彦訳)が発売予定となっています。



★高橋敏『博徒の幕末維新』は2004年にちくま新書として刊行されたものの文庫化。文庫化にあたり最小限の補正が加えられ、巻末に文庫版あとがきと鹿島茂さんによる解説「アウトローから見た全く別の歴史」が新たに収められています。「正史の檜舞台から抹殺排除されたアウトローの稗史の明治維新に光があてられても良いのではないのか。本書がその一助となればと思う」と文庫版あとがきで高橋さんはお書きになっておられます。鹿島さんは本書を「次郎長の最大のライバルだった黒駒勝蔵を最終的な射程におさめながら、竹居安五郎、勢力富五郎、武州石原村幸次郎、国定忠治らの「活躍」を歴史学のふるいにかけようとする試み」と紹介しておられます。


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★このほかここしばらくの新刊では以下の書目に注目しました。


『ジークムント・フロイト伝――同時代のフロイト、現代のフロイト』エリザベト・ルディネスコ著、藤野邦夫訳、講談社、2018年5月、本体6,800円、A5判上製600頁、ISBN978-4-06-219988-9
『ロラン・バルトによるロラン・バルト』ロラン・バルト著、石川美子訳、みすず書房、2018年5月、本体4,800円、四六判上製344頁、ISBN978-4-622-08691-8
『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ――文豪の名言対決』頭木弘樹編、草思社文庫、2018年6月、本体800円、304頁、ISBN978-4-7942-2336-4



★ルディネスコ『ジークムント・フロイト伝』は、同著者による『ジャック・ラカン伝』(河出書房新社、2001年)をお訳しになった藤野邦夫(ふじの・くにお:1935-)さんによる労作で、『Sigmund Freud en son temps et dans le nôtre』(Seuil, 2014;『同時代と現代のジークムント・フロイト』)の全訳です。目次は書名のリンク先でご確認いただけます。「フロイトは無意識のなかで発見したことが、現実に人間たちにおこることをつねに先どりすると考えた。わたしはこの命題を逆転させ、フロイトが発見したと考えたことは、じっさいにはある社会、ある家庭環境、ある政治的状況の結果にほかならなかったことを示す方を選んだ」(10~11頁)。帯文には「(フロイトの生涯の)脱神話化を実現した」と謳われています。品切のラカン伝はそろそろどこかで文庫化されてほしいところです。




★『ロラン・バルトによるロラン・バルト』は『Roland Barthes』(Seuil, 1975)の新訳。初訳は佐藤信夫訳『彼自身によるロラン・バルト』(みすず書房、1978年)で、断章と写真による自伝的作品として有名です。こんな言葉があります。「美学とは、その形式が原因と目的から離れて、充分な価値をもつ体系を作り上げてゆくさまを見るという技術であるから、これほど政治に逆らうものがあるだろうか。さて、彼は美学的な反応をするこをとやめられなかった」(256頁、「悪しき政治的主体」より)。彼というのはもちろん彼自身、バルトのことです。「こういうわけで彼は、形式や言葉づかいや反復を〈見る〉という倒錯的な傾向のせいで、すこしずつ〈悪しき政治的主体〉になっていったのである」(258頁、同)。本書に対するバルト自身による書評「バルトの三乗」は『ロラン・バルト著作集(9)ロマネスクの誘惑』(みすず書房、2006年)で読むことができます。



★『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』は、『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』を改題し大幅に加筆改訂したもの。互いを意識して書いたのかと思うくらい、対比が鮮やかな二人の文豪の名言の数々は、どちらかが間違っているというものではなく、同じような意見を言っていたり、希望と絶望が立場を逆転させたりすることもあります。15の対話の主題と各57編の言葉という構成は親本と変わりません。それぞれの言葉に頭木さんによるコメントが付されていて、見開きで名言とコメントを読み切れるようになっています。巻末の引用・参考文献も丁寧で、書店さんでのコーナーづくりにも応用できそうです。


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