文学という出来事
テリー・イーグルトン著、大橋洋一訳
平凡社、2018年4月、本体3,600円、A5判上製352頁、ISBN978-4-582-74431-6
★イーグルトン『文学という出来事』は、『The Event of Literature』(Yale University Press, 2012)の全訳。目次は以下の通りです。
はじめに
第一章 実在論者と唯名論者
第二章 文学とは何か(一)
第三章 文学とは何か(二)
第四章 虚構の性質
第五章 ストラテジー
原注/訳注
訳者あとがき
作品名索引/人名索引
★「文学理論は、ここ二十年で、かなり流行遅れとなった」という一文で始まる巻頭の「はじめに」でイーグルトンは本書の執筆意図についてこう説明しています。「状況の異常さ〔…〕なにしろ大学では教員も学生も、文学とは虚構〔フィクション〕とか詩とか物語〔ナラティヴ〕などの言葉を習慣的に使いながら、それらが何を意味しているのかについて議論する準備も訓練もできていないのだから。文学理論家とは、こうした事態を、たとえ危険極まりないとは思わないとしても異常であると思う人びとである。〔…〕またさらに文学理論の流行が遠のいた結果、答えられぬまま宙づりになった重要な問いかけが数多くあり、本書は、そうした問いのいくつかに答えようとしている」(12頁)。
★イーグルトンのロングセラー『文学理論』(『文学とは何か――現代批評理論への招待』大橋洋一訳、岩波書店、1985年;新版、1997年;岩波文庫、上下巻、2014年;Literary Theory: An Introduction, Blackwell, 1983; Second edition, 1996; 25th Anniversary edition, 2008)と本書との関係について、大橋さんは訳者あとがきで次のように書かれています。「『文学とは何か』が、ヨーロッパ大陸系の文学理論を扱うものであるとすれば、本書『文学という出来事』は、英米の分析哲学に影響を受けているというか、分析哲学そのものでもある「文学哲学」について扱っている。英米系の分析哲学と大陸系の文学理論、この両者の橋渡し、あるいは有意義な遭遇の場、それが本書でもある」(330~331頁)。
★再びイーグルトン自身の「はじめに」に戻ると、彼は「ある意味で本書は文学理論に対する暗黙の批判であるともいえる。わたしの議論は、最終章を除くと、その多くが、文学理論ではなく、それとは似て非なる分野すなわち文学哲学を相手にしている」(10頁)と書いています。「文学理論がヨーロッパ地域からおおむね芽吹いたとしたら、文学哲学のほうは、その大部分が英米圏から誕生している。しかし最良の文学哲学にみられる厳密さや専門性は、一部の文学理論にみられる知的なゆるさとは好対照をなしているがゆえに、文学理論陣営ではなおざりにされてきた諸問題(たとえば虚構の性格をめぐるもの)に鋭く切り込むことができた」(同)。
★さらにこう続きます。「逆に文学理論とは対照的に文学哲学についてまわるのは、知的保守主義と臆病さであり、批判的眼識と大胆な想像力の、時として致命的な欠如である。一方の陣営が、フレーゲなど聞いたことがないかのようにふるまうとすれば、いま一方の陣営はフロイトなど聞いたことがないかのように行動する。〔…〕今日では、分析哲学と文化的・政治的な保守主義との間に奇妙な(そしてまったく不必要な)関係が存在するように見えるが、一昔前は分析哲学の主要な実践者の多くにそのような傾向はみられなかった」(10~11頁)。
★イーグルトンが言う「文学哲学」の原語は the philosophy of literature なのですが、この分野(文学哲学、ないし文学の哲学)はひょっとすると日本ではまだよく理解されていないかもしれません。まず概論としてはまさに本書の原著版元であるブラックウェルが標準的な読本を手掛けており、2004年に『The Philosophy of Literature: Contemporary and Classic Readings - An Anthology』を、2010年には『A Companion to the Philosophy of Literature』を出版しているので、そちらを踏まえておいても良いかもしれません。『文学という出来事』では英米語圏の哲学者、文学研究者、批評家などが登場し、よく言及される人物にはヴィトゲンシュタイン(1889-1951)、ケネス・バーク(1897-1993)、フレドリック・ジェイムソン(1934-)、スタンリー・フィッシュ(1938-)、ピーター・ラマルク(1948-)らがいます。本書には言及がない本ですが、ラマルクにはその名もずばり『文学の哲学』という著書があります。この本もブラックウェルより2009年に刊行されたものです。
★このほか、幾度となく言及される人物には、フランク・レイモンド・リーヴィス(1895-1978)、ジョン・L・オースティン(1911-1960)、モンロー・C・ビアズリー(1915-1985)、ポール・ド・マン(1919-1983)、ジョゼフ・マーゴリス(1924-)、エリック・ドナルド・ハーシュ(1928-)、リチャード・M・オーマン(1931-)、ジョン・M・エリス(1936-)、リチャード・ゲイル(1932-2015)、ジョン・サール(1932-)、ケンダル・ウォルトン(1939-)、チャールズ・アルティエリ(1942-)、クリストファー・ニュー(1942-)、ジョナサン・カラー(1944-)、グレゴリー・カリー(1950-)などがいます。これら複数の分野にまたがる学者をカヴァーするイーグルトンの視野の広さと奥行きを感じさせます。ちなみに文学哲学に隣接する分野を扱った読本として、『分析美学基本論文集』(勁草書房、2015年)があり、そこで扱われる研究者は部分的にですが『文学という出来事』と重なります。
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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『サルゴフリー 店は誰のものか――イランの商慣行と法の近代化』岩﨑葉子著、平凡社、2018年4月、本体4,800円、A5判上製272頁、ISBN978-4-582-82487-2
『ラモー 芸術家にして哲学者――ルソー・ダランベールとの「ブフォン論争」まで』村山則子著、作品社、2018年4月、本体4,200円、A5判上製376頁、ISBN978-4-86182-687-0
『マンシュタイン元帥自伝――一軍人の生涯より』エーリヒ・フォン・マンシュタイン著、大木毅訳、作品社、2018年4月、本体3,600円、46判上製560頁、ISBN978-4-86182-688-7
『昭和ノスタルジー解体――「懐かしさ」はどう作られたのか』高野光平著、晶文社、2018年4月、本体2,500円、四六判上製380頁、ISBN978-4-7949-6996-5
『進歩――人類の未来が明るい10の理由』ヨハン・ノルベリ著、山形浩生訳、晶文社、2018年4月、本体1,850円、四六判並製344頁、ISBN978-4-7949-6997-2
『日本の気配』武田砂鉄著、晶文社、2018年4月、本体1,600円、四六判並製296頁、ISBN978-4-7949-6994-1
★岩﨑葉子『サルゴフリー 店は誰のものか』は「サルゴフリーと呼ばれる権利の売買にまつわるイランの商慣行が、20世紀初頭から現在までのおよそ100年の間に、それをめぐる法律とともにどのような歴史的変遷を辿ったかを論じ」たもの(序章、10頁)。サルゴフリーとは借りた店舗で商売をする権利のこと。「イスラーム諸国における法の近代化とその今日的帰趨」(12頁)をめぐる興味深い事例であり、そこには「イスラーム法と西欧近代法との「不測の」軋轢とその克服」(10頁)の歴史があるとのことです。著者の岩﨑葉子(いわさき・ようこ:1966-)は日本貿易振興機構アジア経済研究所開発研究センターにお勤めで、近年の単独著に『「個人主義」大国イラン――群れない社会の社交的なひとびと』(平凡社新書、2015年)があります。
★村山則子『ラモー 芸術家にして哲学者』は『メーテルランクとドビュッシー――『ペレアスとメリザンド』テクスト分析から見たメリザンドの多義性』(作品社、2011年)、『ペローとラシーヌの「アルセスト論争」――キノー/リュリの「驚くべきものle merveilleux」の概念』(作品社、2014年)に続く、詩人で小説家でもある著者による重厚な研究書。18世紀フランスの作曲家にして音楽理論家の、ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683-1764)を論じたもの。第一部「芸術家ラモー」全六章と第二部「哲学者ラモー」全五章の二部構成。第一部ではラモーのオペラ作品を取り上げ、第二部では副題にあるように、ダランベールやルソーらと交わした論争を扱い、ラモー自身の音楽理論が考察されます。和声を重視したラモーの音楽理論の根本原理である「音響体 le principe sonore」概念が非常に興味深いです。
★『マンシュタイン元帥自伝』は1958年に刊行された『Aus einem Soldatenleben』の全訳。ドイツの「名将」フリッツ・エーリヒ・フォン・レヴィンスキー・ゲナント・フォン・マンシュタイン(1887-1973)の誕生から第二次世界大戦の開戦までを回顧したものです。訳者解説では本書を「単なる軍人の回想録を超えた、ドイツ近現代史への貴重な証言であり、さらには、マンシュタインという19世紀的教養人の思想と生涯を知る上で不可欠の資料といえる」と評しています。また同解説では、マンシュタイン自身による第二次世界大戦期の回想録(1955年に原著刊行)が『失われた勝利』(上下巻、本郷健訳、中央公論新社、1999年)として刊行されており、包括的な伝記としてマンゴウ・メルヴィン『ヒトラーの元帥 マンシュタイン』(上下巻、大木毅訳、白水社、2016年)があることも紹介されています。
★最後に晶文社さんの4月新刊より3点。目次詳細はいずれも書名のリンク先でご確認いただけます。まず、高野光平『昭和ノスタルジー解体』は「いわゆる「懐かしの昭和」を愛好する文化がいつ、どのように成立したのか」(序、11頁)をめぐる丁寧な考察。完成まで7年を要したという力作です。マンガ『三丁目の夕日』の連載が始まった1974年を起点に、おたく文化やサブカルも渉猟しています。レトロ、アナクロ、ノスタルジーの広大な領野に思いをはせる一冊です。
★スウェーデンの作家で歴史家のヨハン・ノルベリ(Johan Norberg, 1973-)による『進歩』は『Ten Reasons to Look Forward to the Future』(Oneworld, 2016)の全訳。「世の中、百年単位で観ればあらゆる面でよくなっている、ということ〔…〕を各種のデータやエピソードで補ってきちんと説明したもの」(訳者解説より)。「現在の世界に関する楽観論と、古典的な啓蒙主義思想の重要性を訴える数多くの本のはしりと言える」と訳者の山形さんは評価しておられます。
★武田砂鉄『日本の気配』はウェブサイト「晶文社スクラップブック」での連載や各種媒体で発表してきたエッセイを編み直し書き直したもの。「ムカつくものにムカつくと言うのを忘れたくない。個人が物申せば社会の輪郭はボヤけない。個人が帳尻を合わせようとすれば、力のある人たちに社会を握られる。今、力のある人たちに、自由気ままに社会を握らせすぎだと思う。この本には、そういう疑念を密封したつもりだ」(あとがきより)。〈時代の空気を読む感性〉に優れた編集者への批判とともに自身の振る舞いについて問いかける「左派が天皇陛下の言葉にすがる理由」(203~209頁)をはじめ、空気を読むことを強いる忖度だらけの現代の相互監視社会を拒絶する、一貫した強度が魅力です。
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