『ボウイ──その生と死に』サイモン・クリッチリー著、田中純訳、新曜社、2017年12月、本体2,000円、四六変形並製256頁、ISBN978-4-7885-1554-3
『猫はこうして地球を征服した――人の脳からインターネット、生態系まで』アビゲイル・タッカー著、インターシフト発行、合同出版発売、2018年1月、本体2,200円、46判並製272頁、ISBN978-4-7726-9558-9
『貧しい出版者――政治と文学と紙の屑』荒木優太著、フィルムアート社、2017年12月、本体2,800円、四六版上製312頁、ISBN978-4-8459-1705-1
『詩人調査 松本圭二セレクション第7巻(小説1)』松本圭二著、航思社、2017年12月、本体2,600円、四六判上製仮フランス装264頁、ISBN978-4-906738-31-1
『「砂漠の狐」回想録――アフリカ戦線1941~43』エルヴィン・ロンメル著、大木毅訳、作品社、2017年12月、本体3,400円、ISBN978-4-86182-673-3
『宗教改革から明日へ――近代・民族の誕生とプロテスタンティズム』ヨゼフ・ルクル・フロマートカ編著、平野清美訳、佐藤優監訳、2017年12月、本体4,800円、4-6判上製400頁、ISBN978-4-582-71718-1
『神の国とキリスト者の生――キリスト教入門』A・B・リッチュル著、深井智朗/加藤喜之訳、春秋社、2017年11月、本体4,000円、四六判上製344頁、ISBN978-4-393-32375-5
『人文死生学宣言――私の死の謎』渡辺恒夫/三浦俊彦/新山喜嗣編著、重久俊夫/蛭川立著、春秋社、2017年11月、本体2,500円、四六判上製256頁、ISBN978-4-393-33362-4
★『ボウイ』は『On Bowie』(Serpent's Tail, 2016)の全訳。著者はイギリスの哲学者であり現在はニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチでハンス・ヨナス記念教授を務めるサイモン・クリッチリー(Simon Critchley, 1960-)です。彼の単独著が翻訳されるのは、『ヨーロッパ大陸の哲学』(佐藤透訳、岩波書店、2004年;原著『Continental Philosophy』2001年)、『哲学者たちの死に方』(杉本隆久/国領佳樹訳、河出書房新社、2009年;原著『The Book of Dead Philosophers』2008年)に続いて3冊目。訳者あとがきによれば『ボウイ』の原書はまずOR Booksから2014年に『Bowie』として刊行され、2016年に増補改訂版が発売。今回の訳書では「著者からの指示にもとづき、最新の内容である前者〔すなわちSerpent's Tail版〕を底本とした」とのことです。ちなみにOR Booksの増補改訂版とSerpent's Tail版とは「若干の異同がある」そうです。坂本龍一さんによる帯文の一部や訳者あとがきの一部、そして目次は書名のリンク先でご確認いただけます。
★本書の冒頭でクリッチリーは「いささかまごつかせるような告白から始めさせてほしい。わたしの人生を通して、デヴィッド・ボウイ以上に大きな喜びを与えてくれた人物はいない」(8頁)と書いています。そして田中純さんによる訳者あとがきの書き出しは次の通りです。「「ボウイのアルバムのような書物を書きたい」と、ひそかに思い続けてきた。/著者クリッチリー氏はこの本で、わたしのそんなあこがれを達成している――しかもデヴィッド・ボウイそのひとを論じることによって」(237頁)。さらにクリッチリーは「日本語版へのメッセージ」でこうも書いています。「日本にはボウイのファンがとても大勢いることをわたしは知っている。わたしが心から願うのは、この書物の言葉がそのうち何人かと共鳴しうるものであること、そして、わたしにとって過去五十年間でもっとも重要なアーティストだった人物を正当に評価しうるものであることだ」(235頁)。クリッチリーの単独著の訳書の中でもっとも広範な読者を獲得するのではないかと想像できる本書は、哲学者の生がボウイの音楽と思想と幾度も絡み合うさまを語った、それ自体が「出会いの書」です。その美質は祖父江慎さんによる洒脱な造本にも表れていると思います。また個人的には、ツェランとボウイが「詩」において交錯するという96頁の記述に強い印象を抱きました。
★『猫はこうして地球を征服した』は『The Lion in the Living Room: How House Cats Tamed Us and Took Over the World』(Simon & Schuster, 2016)の全訳です。目次や「はじめに」は書名のリンク先でご覧になれます。また、ここでは記しませんが、本書の巻末には本書の注をダウンロードできるURLが記載されています。同書は2016年に『フォーブス』誌、『ライブラリー・ジャーナル』誌、『スミソニアン』誌などで年間ベスト・サイエンス・ブックスに選ばれており、すでに12か国で出版されているとのこと。「はじめに」にはこうあります。「イエネコの物語は生命をめぐる不思議の物語、驚くべき自然の継続力の物語でもある。それをよく知れば、私たちは自分中心の考えを改めるだけでなく、ついつい赤ちゃん扱いして守ろうとしてしまう生きものを、もっと冷静な目で見るチャンスを得られる。〔・・・〕本物の愛情には理解が必要だ」(19頁)。どの章もたいへん興味深いですが、特に第5章「ネコから人間の脳へ感染する」の諸節(ライオンに食べられたい/トキソプラズマの世界的権威/なぜ感染力が強いのか/人間の心を操る/統合失調症とのかかわり/古代エジプトのミイラにも)や、第8章「なぜインターネットで大人気なのか」は、ネコを飼って「いない」読者や、イヌ派の読者にとっても興味深く読めるものなのではないかと想像します。
★『貧しい出版者』は帯文に曰く「新進気鋭の在野研究者、荒木優太の処女作が大幅増補で堂々の復活!!」と。荒木さんのデビュー作『小林多喜二と埴谷雄高』(ブイツーソリューション、2013年)を第一部とし、新たな序文と論考群を加えたものです。第二部「貧しいテクスト論四篇」はデビュー作の補論となる関連論文を収め、第三部「自費出版録」では「自費出版が、どのような意図のもとで計画され、どれくらい売れたのかといったレポートを再録することで、実践した流通の試みを再現できるように」(「あとがきふたたび――改題由来」)したとのことです。目次詳細やためし読みは書名のリンク先をご覧ください。「テクストの運動が本来出会うはずもないような者たち、出会いたかったけれども出会えなかった人たちを当人も気づかないまま出会わせることがある。本書で考察してきた小林多喜二と埴谷雄高という耳慣れないこの対は、その奇跡的な場所に関する冒険的な読解の試みであった」(193頁)、とは第一部の結びの言葉です。前著『これからのエリック・ホッファーのために──在野研究者と生の心得』(東京書籍、2016年2月)から約一年、「元々もっていたコンセプトを体現する完成版にやっと到達した」というデビュー作の再刊は、文学研究や政治評論、出版論や作家論の枠にとらわれずに横断していく著者自身の戦い方をも示しています。
★「複数の副業に就きつつも、それでアートの部分を完全に無償にするのではなく、少額でも不定期でもいいから、文章を書き、それをカネで買ってもらう、そんな回路がもっと一般化すればいいと思っている」(261頁)。「もちろん、それはカネを得ることで飯を食うためではない。カネを得て、無償行為がはらみやすい倒錯的な論理とは別の筋道を通って文章を書くことだってできるのだと示したいからだ。そして、アートの内側には一般社会が地続きにあることを示すことで、不必要な神聖視や両者の遊離を和らげていきたいからだ。それはきっとアマチュア・クリエーターたちの(どんな方向であれ)成長に資する環境を整えるだろう。文学者も芸術家もサラリーマンの隣りにいる。駅前の本屋にだってプラトンがいるのだ」(262頁)。この視線、この熱こそ荒木さんの魅力ではないかと感じます。
★『詩人調査』は、航思社版「松本圭二セレクション」第7巻(小説1)です。「あるゴダール伝」(「すばる」2008年4月号)と「詩人調査」(「新潮」2010年3月号)を収録。「詩人調査」における宇宙公務員の質問(曰く「デジタルノイズのような声」172頁)がすべて、細かいバーコードのように印刷されているのがユニーク。バーコードの模様は様々でこれが全部「指定」だったらと仮定すると戦慄を覚えます。主人公の詩人、39歳男性の園部は質問にこう答えます。「だからわたしたちが、期せずして「地下活動」を志向してしまうのは、反社会ということではなく、おそらくは自然の摂理に近いのだと思います。考えるまでもなく、可能性はアンダーグラウンドにしかないわけです」(169~170頁)。「ただ、一つ言えることは、アンダーグラウンドにはアンダーグラウンドの栄光があるということです。その栄光は、しかし金にはなりません。ある種の実験的精神、革命的もしくは無政府主義的なラディカリズムが金になったのは、わたしが知るかぎり「クレヨンしんちゃん」だけです」(170~171頁)。主人公の語りに著者自身が姿が重なるような印象があります。内容紹介と付属する「栞」に収められた著者解題「ラブ&」での重要部分は書名のリンク先で読むことができます。著者解題にはかの「重力」誌についても証言あり。栞には金井美恵子さんによる「「奴隷の書き物」の書き方について」も収められています。
★『「砂漠の狐」回想録』は1950年に刊行された『Krieg ohne Hass(憎悪なき戦争)』の全訳。底本は同年刊の第二版とのことです。帯文に曰く「DAK(ドイツ・アフリカ軍団)の奮戦を、指揮官自ら描いた第一級の証言。ロンメルの遺稿ついに刊行!【ロンメル自らが撮影した戦場写真/原書オリジナル図版、全収録】」と。作品社さんでのロンメル(Erwin Johannes Eugen Rommel, 1891-1944)の訳書は一昨年夏の『歩兵は攻撃する』 (浜野喬士訳、作品社、2015年7月)に続く2点目です。ロンメル夫人(ルチー=マリア)による序文に始まり、第一章「最初のラウンド」、第二章「戦車の決闘」、第三章「一度きりのチャンス」、第四章「主導権の転換」、第五章「希望なき戦い」、第六章「一大退却行」、第七章「戦線崩壊」、第八章「闇来たりぬ(ある回顧)」、の全八章。大木毅さんによる訳者解説「狐の思考をたどる」が付されています。ロンメルは第三章でこう述懐しています。「大胆な解決こそ、最大の成功を約束してくれる。私は、そういう経験をした。作戦・戦術上の果敢さは、軍事的賭博と区別されねばならぬ。望む通りの成功が得られる可能性があるものこそ、大胆不敵な作戦というものだ。ただし、その際、失敗した場合に備えて、いかなる状況であろうとしのげるよう、多くのカードを手中に残しておくのである」(144頁)。
★『宗教改革から明日へ』は佐藤優さんによる「監訳者まえがき」の文言を借りると「チェコの傑出したプロテスタント神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(Josef Lukl Hromádka, 1889-1969)が中心となって、1956年に社会主義体制のチェコスロヴァキアで刊行された論文集だ。フロマートカの他に、アメデオ・モルナール(歴史神学者)、ヨゼフ・B・ソウチェク(新約聖書神学者)、ルジェック・ブロッシュ(組織神学者)、ボフスラフ・プロピーシル(実践神学者)というチェコを代表するプロテスタント神学者の優れた論攷が収録されている」。「絶望的な状況においてこそ、神の愛がリアリティをもって迫ってくるというチェコ宗教改革の思想は、21世紀の危機的状況でわれわれが生き残るための指針を示してくれる」ともお書きになっています。古くは日本では「ロマドカ」と表記されていたフロマートカを近年積極的に再評価されてきたのが他ならぬ佐藤優さんであることは周知の通りです。今回翻訳された論文集『Od reformace k zítřku』は、「ボヘミア宗教改革とその後のチェコ・プロテスタンティズムの歴史」(佐藤優「解題」より)を扱っており、フロマートカの「序文」と「宗教改革から明日へ」、モルナール「ボヘミア宗教改革の終末論的希望」、ソウチェク「より新しい聖書研究に照らした兄弟団の神学の主たる動機」、ブロッシュ「寛容令から今日へ」、プロピーシル「自由への奉仕」が収められ、巻末には聖書箇所索引が付されています。
★『神の国とキリスト者の生』は『Unterricht in der christlichen Religion』(Bonn: Marcus, 1875; 2.Aufl., 1881; 3. Aufl., 1886)の訳書。19世紀ドイツの神学者アルブレヒト・リッチュル(Albrecht Benjamin Ritschl, 1822-1889)の翻訳は、白水社の「現代キリスト教思想叢書」第1巻(1974年)所収の講演「キリスト者の完全性」および主著の抄訳「義認と和解」(どちらも森田雄三郎訳) 以来で、単独著としては初めてではないでしょうか。帯文はこうです。「神学をロマン主義から解き放ち、啓示の場所を人間の道徳性に求めて、神学を実証主義に耐えうる学問たらしめんとした近代神学の巨人」と。初版、第二版、第三版それぞれの序言に始まり、序論、第1部「神の国についての教え」(A:宗教的理念としての神の国、B:倫理の根本思想としての神の国)、第2部「キリストによる和解についての教え」、第3部「キリスト教徒の生活についての教え」、第4部「公的な礼拝についての教え」の4部構成で、読者の便宜のために、聖書参照箇所一覧、各版の異同を示した訳注、訳者の深井智朗さんによる解説「同時代への責任意識――アルブレヒト・リッチュルとその神学がめざしたもの」が付されています。カール・バルトが『十九世紀のプロテスタント神学』(上中下巻、『カール・バルト著作集』第11~13巻、新教出版社、1971-2007年)でリッチュルに言及した箇所において論じていたのは本書『神の国とキリスト者の生』だそうです。ちなみに、『説教の神学』(関田寛雄訳、日本基督教団出版局、1986年)や『現代神学の論理の転換――その場・理論・確証』(畑祐喜訳、新教出版社、1998年)などの訳書があるディートリヒ・リッチュル(Dietrich Ritschl, 1929-)は、アルブレヒトの孫です。
★『人文死生学宣言』は「人文死生学研究会」の活動成果であり、同会の世話人5名が執筆した論文集です。編者代表の渡辺恒夫さんによる「まえがき――人文死生学宣言」にはこう書かれています。「本書の著者たちは、〔・・・〕死を定められた当事者として自己の死を徹底的に思索しぬく場として、人文死生学研究会という会を設けるにいたった。人文死生学とは、元々、臨床死生学に対比させた名称であるが、自己の死を思索するために、現象学、分析哲学、論理学、宗教学など、人文学もしくは人文科学と称されている諸学の成果を、徹底的に活用しようという意図が込められている。本書はその最初の成果である」(iii頁)。入門篇「人文死生学への招待」と各論篇「死と他者の形而上学」の二部構成で、7本の論考と2本のコラム、そして付論、まえがき、あとがき、で構成されています。目次詳細はhonto掲載のものが一番親切ですが、「三浦による批判への応答」と記載されているのが付論で、三浦論文「一人称の死――渡辺、重久、新山への批判」に対する応答なのですが、これは渡辺さんだけでなく、重久さんや新山さんも書いておられます。
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