『知識・無知・ミステリー』エドガール・モラン[著]、杉村昌昭[訳]、叢書ウニベルシタス:法政大学出版局、2023年4月、本体3,000円、四六判上製224頁、ISBN978-4-588-01155-9
『祖国地球――人類はどこへ向かうのか〈新装版〉』エドガール・モラン/アンヌ・ブリジット・ケルン[著]、菊地昌実[訳]、叢書ウニベルシタス:法政大学出版局、2023年4月、本体2,700円、四六判上製240頁、ISBN978-4-588-14072-3 C1310 新装版2022年12月;初版1993年
『百歳の哲学者が語る人生のこと』エドガール・モラン[著]、澤田直[訳]、河出書房新社、2022年6月、本体2,200円、46判上製216頁、ISBN978-4-309-25447-0
★『知識・無知・ミステリー』はフランスの哲学者で社会学者のエドガール・モラン(Edgar Morin, 1921-)の著書『Connaissance, Ignorance, Mystère』(Fayard, 2017)の全訳。訳者あとがきによれば「本書の内容は、モランが『祖国地球』のテーマを二十年以上のちに引き継いで発展させたものと言うことができる。〔…〕本書は地球と人類の現在と未来を考えるうえで、きわめてアクチュアルな性格を有していると言えるだろう」とのこと。『祖国地球』(原著訳書ともに1993年刊)は昨年末新装復刊されています。その末尾には次のように書かれていました。
★「冒険は未知のままである。地球時代は花開くことなく、闇の中に沈むかもしれない。人類の最期の苦しみは詩と滅亡しかもたらさないのかもしれない。だが、最悪の事態もまだ確かではない。まだすべてが決まったわけではない。確実だとも、ありそうだとも言えないにしても、より良い未来への可能性は残されているのだ。/この仕事は大変であり、しかも不確かである。私たちは絶望からも、希望からも逃れるわけにはいかない。使命を引き受けることも、辞退することも、ともに不可能なのだ。私たちは「激しい忍耐」を身につけるしかない。私たちは決戦ではなく、緒戦の前夜にいるのだ」(『祖国地球』212~213頁)。
★『知識・無知・ミステリー』の末尾にはこうあります。「暗闇のなかでマッチをすって火をつけても、ほんの小さな空間しか照らし出さない。それは巨大な闇がわれわれを取り巻いていることを明かしてくれるのである。〔…〕未知のものや知りえないものは、知識が深まるごとに再び姿を現わす。/われわれはあらゆるものごとを説明することができる。しかしその説明はえてして説明不可能な前提に基づいている。〔…〕自明なものごとはそのなかに大きなミステリーを含んでいる」(193~194頁)。
★その前段ではこうも書いています。「ポストヒューマンという考えは現在の人間性を超えた人類のあり方を前提としている。〔…〕しかるべきポストヒューマン的メタモルフォーズにとってますます不可欠になっている倫理的・文化的・社会的メタモルフォーズがまだ漠然たる状態にとどまっているにもかかわらず、それが地球という宇宙船を前進される科学的・技術的・経済的な三重の原動力の無分別な圧力の下で始まったこと、これは悲劇的なことであると言わればならない。もっと悪いことには、科学的・技術的・経済的な発展に、倫理的・心理的・感情的な退行が随伴していることである。/ヒューマニズムが地球規模になり祖国地球に根を張って再生することが、あらゆる権力を有する新種の支配者の君臨を回避するために不可欠である。この新種の支配者は他の人間を従属させて、その犠牲の上に自分の生を延長する力を持っている」(186~187頁)。
★昨夏に刊行されたモランの回想録『百歳の哲学者が語る人生のこと』ではモランの考え方の背景にある人生経験を垣間見ることができますので、併読をお薦めします。同書の「信条告白〔クレド〕」の章では、モランはこう述べています。「最後に言いたいことは、善良であることはよいことだし、善を目指すことで気分はよくなる。複雑さを認識することで、さまざまな存在や状況や出来事の異なり矛盾し合う側面を知覚することができるし、それに気づくことで思いやりを持つようになる。私の最期の教訓、あらゆる経験の果実である教訓は、開かれた理性と人への思いやりがともに働く善循環のうちにある」(184~185頁)。
★次に、まもなく発売となるちくま学芸文庫の5月新刊5点を列記します。
『学ぶことは、とびこえること――自由のためのフェミニズム教育』ベル・フックス[著]、里見実[監訳]、堀田碧/朴和美/吉原令子[訳]、ちくま学芸文庫、2023年5月、本体1,300円、文庫判368頁、ISBN978-4-480-51170-6
『三島由紀夫 薔薇のバロキスム』谷川渥[著]、ちくま学芸文庫、2023年5月、本体1,100円、文庫判256頁、ISBN978-4-480-51180-5
『中国詩史』吉川幸次郎[著]、高橋和巳[編]、ちくま学芸文庫、2023年5月、本体1,900円、文庫判720頁、ISBN978-4-480-51182-9
『民藝図鑑 第二巻』柳宗悦[著]、ちくま学芸文庫、2023年5月、本体1,700円、文庫判464頁、ISBN978-4-480-51184-3
『ブルゴーニュ公国の大公たち』ジョゼフ・カルメット[著]、田辺保[訳]、ちくま学芸文庫、2023年5月、本体1,800円、文庫判688頁、ISBN978-4-480-51177-5
★『学ぶことは、とびこえること』は、米国のフェミニズム理論家ベル・フックス(bell hooks, 1952-2021)の著書『Teaching to Transgress: Education As the Practice of Freedom』(Routledge, 1994)の全訳書『とびこえよ、その囲いを――自由の実践としてのフェミニズム教育』里見実[監訳]、堀田碧/朴和美/吉原令子訳、新水社、2006年)の改題文庫化です。巻末には「新版訳者あとがき」と、立命館大学教授の坂下史子さんによる解説「ベル・フックスを学び直すこと――学問の自由とブラック・フェミニズムの実践」が加わっています。
★新版訳者あとがきにはこう綴られています。「新水社版の出版から十七年が経ち、若い世代による新たなフェミニズムや反差別運動のうねりが感じられるいま、そうしたより若い読者に届いてほしいという思いを込めて、訳文にも再考と改良を重ねつもりである」と。新水社さんから刊行されていたフックスの別の本『フェミニズムはみんなのもの――情熱の政治学』堀田碧訳、2000年)は、エトセトラブックスから2020年に再刊され、版を重ねているようです。他の出版社から刊行されたフックスの訳書にはほかにも品切本が複数あり、古書価は高騰しがちなので、再刊が望まれるところです。
★『三島由紀夫 薔薇のバロキスム』は、美学者の谷川渥(たにがわ・あつし, 1948-)さんの文庫オリジナル書き下ろし。三島の「独自の美意識をその死から逆照射する」(帯文より)もの。巻末特記によれば、本書の核となっているのは自著『Trafitto da una rosa』(GOG edizioni, 2022)とのことです。
★『中国詩史』は、中国文学研究の碩学、吉川幸次郎(よしかわ・こうじろう, 1904-1980)さんの同名著書(上下巻、筑摩叢書、1967年)の合本文庫化。文庫化にあたり、筑摩書房版『吉川幸次郎全集』(全20巻、1968~1970年)での校訂を参照して適宜修正が施されています。文庫版解説は、京都大学名誉教授の川合康三さんによる「「詩」として甦る中国古典詩」。
★『民藝図鑑 第二巻』は、宝文社出版より1961年に刊行されたものの文庫化。文庫化に際して新字新かなに改め、明らかな誤字脱字は訂正したとのことです。巻末解説は、美術史家の土田眞紀さんによる「朝鮮、沖縄と柳宗悦」。
★『ブルゴーニュ公国の大公たち』は、フランスの中世史家ジョゼフ・カルメット(Joseph Calmette, 1873-1952)の著書『Les Grands Ducs de Bourgogne』(Albin Michel, 1949)の全訳書(国書刊行会、2000年)の文庫化。訳者の仏文学者、田辺保(たなべ・たもつ, 1930-2008)さんはすでに逝去されています。巻末特記によれば、文庫化にあたり「明らかな誤りは適宜訂正し、図版は一部差し替えた。またルビを増やした」とのこと。巻末解説は、東大名誉教授の池上俊一さんがお書きになっています。
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『新装版 フロイト著作集第4巻 日常生活における精神病理学 他』S・フロイト[著]、生松敬三/懸田克躬/青木宏之/高橋義孝/池見酉次郎/吾郷晋浩[訳]、人文書院、2023年4月、本体6,500円、A5判上製488頁、ISBN978-4-409-34058-5
『文庫の読書』荒川洋治[著]、2023年4月、本体900円、文庫判320頁、ISBN978-4-12-207348-7
『たぬきの本――里山から街角まで』村田哲郎/中村沙絵/南宗明/上保利樹/萩野(文)賢一[著]、共和国、2023年4月、本体2,200円、菊変型判並製256頁、ISBN978-4-907986-30-8
『現代思想2023年5月臨時増刊号 総特集=鷲田清一 ――ふれる・まとう・きく』青土社、2023年4月、本体1,800円、A5判並製366頁、ISBN978-4-7917-1445-2
『現代思想2023年5月号 特集=フェムテックを考える――性・身体・技術の現在』青土社、2023年4月、本体1,600円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1446-9
『中村桂子コレクション――いのち愛づる生命誌(8)奏(かな)でる――生命誌研究館とは』中村桂子[著]、永田和宏[解説対談]、藤原書店、2023年4月、本体2,800円、四六変型判上製472頁+カラー口絵4頁、ISBN978-4-86578-385-8
『近代日本を作った一〇五人――高野長英から知里真志保まで』藤原書店編集部[編]、藤原書店、2023年4月、本体3,000円、四六変型判上製456頁、ISBN978-4-86578-386-5
『ブラームス・ヴァリエーション』新保祐司[著]、藤原書店、2023年4月、四六判上製336頁、ISBN978-4-86578-384-1
★特記したいのは『新装版 フロイト著作集』の刊行開始です。その始まりとなる第4巻は1970年の初版本を新組新装版で再刊したもの。人文書院さんの旧著作集は全11巻(1968~1984年)。新組新装版の巻末広告を参考にすると、旧版で品切になっている第4巻から第7巻までを順次再刊する予定だそうです。第4巻では「日常生活の精神病理学」1901年、「機知――その無意識との関係」1905年、「自己を語る」1925年、「ある微妙な失錯行為」1936年、の4篇を収録。人文書院版著作集以後の新訳としては、岩波書店版『フロイト全集』(全22巻2006~2012年、別巻2020年)がありますが、第5巻「夢解釈Ⅱ」と別巻を除き現在品切。うち、第7巻「〈1901年〉日常生活の精神病理学」(高田珠樹訳、2007年)は、岩波文庫に昨夏(2022年6月)編入されており、岩波版全集の主要作は順次文庫化されることになるのかもしれません。岩波書店の他の全集を例に見る限り、全集は全集として全巻復刊されることもありえますが、いつになるのかはわかりません。いっぽう、人文書院版著作集が、まだ在庫ありの旧版も残っているものの、品切書目を新装版に移行していくというのは、継続的な供給という理に適っています。旧訳とはいえ、おそらく需要がまだあるということなのでしょう。
★人文書院版新組新装版は、第4巻の巻末特記によれば「本文中に不適切な表現がありますが、時代背景や訳者の意図を尊重してそのまま刊行致しました。その他の点については、オリジナル(1970年)を尊重して最低限の訂正に止めました」とのことです。
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【雑記10】
出版取次大手のトーハンの近藤敏貴社長が、4月27日に行った「全国トーハン会代表者総会」で、出版社に対し取引条件の見直し交渉を開始する旨の発言を行ったことが業界専門紙で報じられた。「トーハン近藤社長、「流通コストが賄いきれていない出版社の取引条件を見直す」」(新文化、2023年4月28日付)、「トーハン 取引条件見直し視野に出版社と交渉へ 近藤社長「決意と覚悟を持って経営判断」」(文化通信、2023年4月28日付)などである。新文化の記事にはこうある。「出版社からの協力金を加えても出版流通コストは賄いきれず、「既存構造のなかで、出版流通は機能していない」とし、今後、コストに見合わない出版社の取引条件の見直しについて相談していく考えを伝えた」。
記事では「コストに見合わない出版社」と書いてあるが、大半の出版社がそうであろうことを考えると、令和五年度中にトーハンは取引出版社全社に対して交渉を開始するかもしれない。話す相手の順番を考えている余裕はないと見た方がいいだろう。ただし出版社も紙媒体の書籍や雑誌については余力を欠いており、条件見直しがどこまで進むかは不透明と言わざるをえない。丸紅グループ、講談社、小学館、集英社が昨春に共同で出資設立した「パブテックス」は、設立前は既存の取次にとって代わる物流会社であると目されていたが、設立後のサービス内容を見る限りでは、既存取次と敵対的な姿勢を見せてはいない。とはいえ、取次に任せっきりともならない独自の力となることを志向しているのは疑いえないだろう。
現在推進中のトーハンの「enContact」、日販の「BookEntry」は、業界三者を人的にではなくデジタルの力で結びつける新システムである。これらは一般社団法人日本出版インフラセンター(JPO)が運営している、書誌情報登録システム「JPO出版情報登録センター」(JPRO)と連動し、書店からの受注や出版社からの仕入の業務をオンライン上で完結させるものだ。待望された新システムではあり、情報を集中させることで業務の効率化と合理化が期待できる。ただし、文字通り「すべて」といえる出版社が参加しているものではないし、同様に文字通り「すべて」といえる書店が活用できる段階でもない。つまり、新システムに乗れる者と乗れない者の選別はすでに始まっている。
このような集中化のいっぽうで、先述のような取引条件交渉が開始されようとしている。これが意味するのは、〈出版社=取次=書店〉の三者から成る既成の出版業界は、今までになく緊密に協力しようと動いてはいるが、同時にその協力関係の限界にも直面しており、リセットの時が近づいている、ということだ。建前では三位一体でも本音では同床異夢だった過去は過ぎ去り、今は各自が別々に生き残りを模索しなければならなくなりつつある。たとえば出版社の場合、コロナ禍の教訓として、取次やリアル書店への依存度を下げざるをえず、電子書籍やデジタルコンテンツ開発に注力し、紙媒体については通販会社とのさらなる連携と顧客への直販の強化を目指すに至っている。おそらくは、誰もが自社本位でゲームチェンジに挑まなければならなくなってきた、というのが現実だろう。
急流のような変化のなかで、大手中心の変化に取り残されつつある人々もいる。出版社や書店が長期間にわたり人員削減を進めたことの一帰結として、ひとり出版社やひとり書店が増加している。こうした新勢力の大半は、既成の大取次との取引がない。大取次の側もひとり出版社やひとり書店には基本的に冷淡であり、関心を持って動いているようには見えない。大取次はカネとモノと情報を集約し集中させるかなめとして出版業界の中枢にありながら、その反面で一般読者にはあまりよく知られていない見えざる巨人であった。ここしばらく取次会社が本業の出版取次業では辛酸をなめ、その赤字は本業以外のビジネスの黒字と対照をなしている。疲弊しゆく巨人と、巨人との関係性に濃淡がありつつも増え続ける小さきものたち、零細企業がある。大きなものの衰亡の危機と小さなものの新勢力の勃興が同時に起きている。
このギャップが埋まることは果たしてあるのだろうか。取引条件は強者には有利に、弱者には不利に働くように設定されている。だから数値一律の平等が必要だ、というような単純な話ではないが、出版産業が文化の一翼をいやしくも担っているのならば、欲得ずくや力関係で過去の既得権益を引きずるのではなく、公平さと公正さから再スタートすることが求められるだろう。取次はあくまでも個別に、会社ごとに条件交渉を始めるだろうが、実はその手前で本当に必要だったのは、利害や垣根を超えた集団討議のはずだろう。代表者総会だけで済ませるのではなく、代表者ではない人々との交流が本当は定期的に必要だった。それはアリバイ作りのために政治家や自治体が行なう義務的ヒアリングではない。組織対組織でもなく、組織以前のスタートラインから個々人が結びつき、率直に語り合う機会。役職無関係に、ヴェテランも新人もともに話し合える場所。ほんもののデモクラシーが出版界に求められているのだ。心ある取次人に問いたい。代表者総会の高い壇上から話したり、一方通行の施策方針動画の配信に終始している場合なのか。土俵から降りて来い。社長や役員こそ、出版社や書店の現場へ本音を聞きに来い。現場の怒りと不満を聞くことなしに、本当の意味で新しい一歩を踏み出すことなど、できはしないではないか。現場の怒りと不満の中にこそ、出版業界が抱える構造的な欠陥の原因が透かし見える。個別の事情に還元しきれない根深い現実、身勝手な愚痴や不平に留まるものではない真実が、そこには横たわっているだろう。
「コストに見合わない出版社」などという表現で出版社に責任を負わせるようなことがもしもあるのだとしたら、取次は自らの業務改善をどこまで努力してきたのか、それこそ厳しく問い返されるだろう。取引条件交渉を一方的に押しつけて物別れにならぬよう、取次は今こそ「聞く耳」を持たねばならないだろう。
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