★ちくま学芸文庫の4月新刊5点を列記します。
『日常生活における自己呈示』アーヴィング・ゴフマン[著]、中河伸俊/小島奈名子[訳]、ちくま学芸文庫、2023年4月、本体1,500円、文庫判464頁、ISBN978-4-480-51176-8
『階級とは何か』スティーヴン・エジェル[著]、橋本健二[訳]、ちくま学芸文庫、2023年4月、本体1,200円、文庫判288頁、ISBN978-4-480-51172-0
『ペルシャの神話』岡田恵美子[著]、ちくま学芸文庫、2023年4月、本体1,000円、文庫判272頁、ISBN978-4-480-51179-9
『民藝図鑑 第一巻』柳宗悦[監修]、ちくま学芸文庫、2023年4月、本体1,400円、文庫判400頁、ISBN978-4-480-51175-1
『微分と積分――その思想と方法』遠山啓[著]、ちくま学芸文庫、2023年4月、本体1,300円、文庫判384頁、ISBN978-4-480-51181-2
★『日常生活における自己呈示』は、カナダの社会学者ゴフマン(Erving Goffman, 1922-1982)の第一作にして代表作である『The Presentation of Self in Everyday Life』(初版1956年;改訂版1959年;石黒毅訳『行為と演技――日常生活における自己呈示』誠信書房、1974年)の新訳。文庫オリジナルの訳し下ろしです。ゴフマン(ゴッフマンとも)の著書の文庫化は今回が初めて。
★『階級とは何か』は、イギリスの社会学者エジェル(Stephen Edgell, 1942-)の『Class』(Routledge, 1993;青木書店、2002年)の文庫化。『ペルシャの神話』は、筑摩書房版「世界の神話」シリーズで1982年に刊行されたものの文庫化。巻末解説として沓掛良彦さんによる「ペルシャ神話の多彩な世界」が加えられています。『民藝図鑑 第一巻』は、「日本民藝館の初めての総合的な蔵品図録」の第1巻として1960年に宝文館出版より刊行されたものの文庫化。全3巻予定。巻末解説は白土慎太郎さんによる「『民藝図鑑』と柳宗悦」。
★『微分と積分』はMath&Scienceシリーズの1冊で、1970年に日本評論社より刊行されたものの文庫化。文庫化にあたり若干の修正を施した、とのこと。巻末に加えられたのは2篇、荒井仁之さんによる解説「『微分と積分』の魅力」と、亀井哲治郎さんによるエッセイ「西日のあたる階段教室――遠山啓さんの思い出」。
★次に、ここ約半年間で未紹介だった注目の文庫既刊書をまとめて並べてみます。
『日本一の幽霊物件――三茶のポルターガイスト』横澤丈二[著]、幻冬舎文庫、2023年3月、本体630円、文庫判240頁、ISBN978-4-344-43280-2
『アンソロジー 死神』東雅夫[編]、角川ソフィア文庫、2023年3月、本体1,040円、文庫判272頁、ISBN978-4-04-400724-9
『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』斎藤幸平[著]、角川ソフィア文庫、2022年10月、本体1,400円、文庫判432頁、ISBN978-4-04-111849-8
『21世紀の啓蒙――理性、科学、ヒューマニズム、進歩(上)』スティーブン・ピンカー[著]、橘明美/坂田雪子[訳]、草思社文庫、2023年2月、本体1,600円、文庫判560頁、ISBN978-4-7942-2630-3
『21世紀の啓蒙――理性、科学、ヒューマニズム、進歩(下)』スティーブン・ピンカー[著]、橘明美/坂田雪子[訳]、草思社文庫、2023年2月、本体1,600円、文庫判640頁、ISBN978-4-7942-2631-0
『現代語訳 南海寄帰内法伝――七世紀インド仏教僧伽の日常生活』義浄[撰]、宮林昭彦/加藤栄司[訳]、法蔵館文庫、2022年11月、本体2,500円、文庫判784頁、ISBN978-4-8318-2643-5
『独裁体制から民主主義へ――権力に対抗するための教科書』ジーン・シャープ[著]、瀧口範子[訳]、ちくま学芸文庫、2012年8月;7刷2023年1月、本体950円、文庫判176頁、ISBN978-4-480-09476-6
★一種の奇書として特記しておきたいのは、『日本一の幽霊物件』。心霊系動画で昨今大きな注目を集め、現在公開中の映画『三茶のポルターガイスト』(後藤剛監督、82分、2022年)で取り上げられた現場としても有名な、三軒茶屋駅前の三元ビルに入居している芸能事務所「ヨコザワ・プロダクション」のスタジオをめぐり、30年にわたり起きた様々な怪異を綴ったもの。代表取締役社長の横澤丈二(よこざわ・じょうじ, 1964-)さんの半生記ともなっており、霊体、宇宙人、異次元をめぐるハイブリッドな記録として読むことができます。『エクソシスト』で著名な作家、ウィリアム・ピーター・ブラッティとの交流についても記されています。まだ語られていない行間があり、この一冊だけでは終わらない予感がします。編集担当および巻末対談の相手は、異彩の編集者でユーチューバーの、角由紀子(すみ・ゆきこ, 1982-)さん。
★続いて、河出文庫から。
『決定版 第二の性(Ⅰ)事実と神話』シモーヌ・ド・ボーヴォワール[著]、『第二の性』を原文で読み直す会[訳]、河出文庫、2023年3月、本体1,350円、文庫568頁、ISBN978-4-309-46779-5
『決定版 第二の性(Ⅱ)体験(上)』シモーヌ・ド・ボーヴォワール[著]、『第二の性』を原文で読み直す会[訳]、河出文庫、2023年4月、本体1,200円、文庫判488頁、ISBN978-4-309-46780-1
『決定版 第二の性(Ⅱ)体験(下)』シモーヌ・ド・ボーヴォワール[著]、『第二の性』を原文で読み直す会[訳]、河出文庫、2023年4月、本体1,200円、文庫判520頁、ISBN978-4-309-46781-8
『ドラキュラドラキュラ――吸血鬼小説集』種村季弘[編]、河出文庫、2023年2月、本体880円、文庫判256頁、ISBN978-4-309-46776-4
★特記しておきたいのは『第二の性』全3巻。言わずと知れたフランスの思想家ボーヴォワール(Simone de Beauvoir, 1908-1986)の代表作『Le Deuxième Sexe』(原著1949年;生島遼一訳、全5巻、新潮文庫、1953~1955年;『第二の性』を原文で読み直す会訳、全3巻、新潮文庫、2001年)の再文庫化です。既訳書がしばらく入手困難だったため、再発売が待望されていました。復刊にあたり、加筆修正されており、決定版と見て良いかと思われます。第Ⅰ部の巻末に井上たか子さんによる「復刊によせて 訳者あとがき――一人の読者として」が加えられ、第Ⅱ部下巻の巻末には、木村信子さんによる「訳者あとがき――『第二の性』読解の一助として」と、横田祐美子さんによる解説「フェミニスト哲学をもう一度、ここからはじめるために」が付されています。
★次に、講談社学術文庫と講談社文芸文庫から。
『人間の条件』ハンナ・アレント[著]、牧野雅彦[訳]、講談社学術文庫、2023年3月、本体2,000円、A6判632頁、ISBN978-4-06-531427-2
『宗教哲学講義』G・W・F・ヘーゲル[著]、山﨑純[訳]、2023年1月、本体2,190円、A6判728頁、ISBN978-4-06-530302-3
『畠中尚志全文集』畠中尚志[著]、畠中美菜子[回想]、國分功一郎[解説]、講談社学術文庫、2022年12月、本体1,360円、A6判360頁、ISBN978-4-06-530228-6
『三つの物語/十一月』ギュスターヴ・フローベール[著]、蓮實重彦[訳]、講談社文芸文庫、2023年2月、本体2,200円、A6判352頁、ISBN978-4-06-529421-5
★特記したいのは、『人間の条件』。これまた言わずと知れた、ドイツ出身の米国の政治思想家アレント(アーレントとも;Hannah Arendt, 1906-1975)の代表作『The Human Condition』(原著1958年;志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年)の新訳です。アーレント自身によるドイツ語版『Vita activa oder vom tätigen Leben』(原著1960年;森一郎訳『活動的生』みすず書房、2015年)もありますが、英語版の志水さんによる初訳が1973年であり、新訳が俟たれていました。牧野雅彦さんは今回の新訳とほぼ同時に読解書『精読 アレント『人間の条件』』(講談社選書メチエ)を上梓されており、昨秋には講談社現代新書のレーベル内レーベル「現代新書100」のシリーズ「今を生きる思想」で、『ハンナ・アレント――全体主義という悪夢』という一書も書かれています。併読をお薦めします。
★続いて、光文社古典新訳文庫と光文社未来ライブラリーから。
『転落』アルベール・カミュ[著]、前山悠[訳]、光文社古典新訳文庫、2023年3月、本体900円、文庫判240頁、ISBN978-4-334-75477-8
『同調者』アルベルト・モラヴィア[著]、関口英子[訳]、光文社古典新訳文庫、2023年1月、本体1,460円、文庫判616頁、ISBN978-4-334-75473-0
『郵便局』チャールズ・ブコウスキー[著]、都甲幸治[訳]、光文社古典新訳文庫、2022年12月、本体1,000円、文庫判328頁、ISBN978-4-334-75472-3
『三つの物語』ギュスターヴ・フローベール[著]、谷口亜沙子[訳]、光文社古典新訳文庫、2018年10月、本体900円、文庫判286頁、ISBN978-4-334-75385-6
『ネットワーク科学が解明した成功者の法則』アルバート=ラズロ・バラバシ[著]、江口泰子[訳]、光文社未来ライブラリー、2023年2月、本体1,1202円、ISBN978-4-334-77066-2
★特記したいのは『郵便局』。またまた言わずと知れた、ドイツ生まれの米国の作家ブコウスキー(Henry Charles Bukowski, 1920-1994)の長編小説デビュー作『Post Office』(原著1971年;坂口緑訳『ポスト・オフィス』幻冬舎アウトロー文庫、1999年)の新訳です。既訳書は長らく品切でしたが、都甲さんの新訳により傑作が鮮やかに蘇りました。劣悪な労働環境で働き、酒と競馬に明け暮れるダメな香りのする男の生きざまが赤裸々に描かれ、胸に刺さります。当時の郵便局はまるで現代の某通販会社の倉庫と配送の現場のような忙しさです。ブラックな仕事と上司にうんざりしながら日々格闘しているすべての男性にお薦めできます。自伝的小説の分野では個人的にはセリーヌの『なしくずしの死』(原著1936年;高坂和彦訳、上下巻、河出文庫、2002年)と並んで、人生でもっとも引き込まれた作品です。
★続いて、平凡社ライブラリーより。
『新版 ヌアー族――ナイル系一民族の生業形態と政治制度の調査記録』E・E・エヴァンズ・プリチャード[著]、向井元子[訳]、平凡社ライブラリー、2023年3月、本体2,000円、B6変型判480頁、ISBN978-4-582-76942-5
『チェコSF短編小説集(2)カレル・チャペック賞の作家たち』ヤロスラフ・オルシャ・jr./ズデニェク・ランパス[編]、平野清美[訳]、平凡社ライブラリー、2023年2月、本体1,900円、B6変型判512頁、ISBN978-4-582-76939-5
『訓民正音』趙義成[訳注]、平凡社ライブラリー、2023年2月、本体1,700円、B6変型判304頁、ISBN978-4-582-76940-1
『本が語ってくれること』吉田健一[著]、平凡社ライブラリー、2022年11月、本体1,600円、B6変型判288頁、ISBN978-4-582-76936-4
★特記したいのは、『新版 ヌアー族』。英国の社会人類学者エヴァンズ=プリチャード(Sir Edward Evan Evans-Pritchard, 1902-1973)の代表作『The Nuer』(原著1940年;向井元子訳『ヌアー族』平凡社ライブラリー、1997年)の再刊。同ライブラリーでは同じ著者の『ヌアー族の宗教』(上下巻、向井元子訳、平凡社ライブラリー、1995年)も刊行していましたが、現在は品切。こちらの再刊も期待したいところです。
★最後に、岩波文庫および岩波現代文庫から。
『開かれた社会とその敵――プラトンの呪縛(上)』カール・ポパー[著]、小河原誠[訳]、岩波文庫、2023年2月、本体1,370円、文庫判514頁、ISBN978-4-00-386025-0
『アインシュタイン 一般相対性理論』小玉英雄[編訳・解説]、岩波文庫、2023年1月、本体720円、文庫判236頁、ISBN978-4-00-339343-7
『人間の知的能力に関する試論(上)』トマス・リード[著]、戸田剛文[訳]、岩波文庫、2022年12月、本体1,500円、文庫判632頁、ISBN978-4-00-386023-6
『ヒポクラテス医学論集』國方栄二[編訳]、岩波文庫、2022年12月、本体1,010円、文庫判372頁、ISBN978-4-00-339012-2
『サラゴサ手稿(中)』ヤン・ポトツキ[作]、畑浩一郎[訳]、岩波文庫、2022年11月、本体1,070円、文庫判448頁、ISBN978-4-00-375134-3
『サラゴサ手稿(下)』ヤン・ポトツキ[作]、畑浩一郎[訳]、岩波文庫、2023年1月、本体1,070円、文庫判464頁、ISBN978-4-00-375135-0
『ギリシア芸術模倣論』ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン[著]、田邊玲子[訳]、岩波文庫、2022年10月、本体1,400円、文庫判480頁、ISBN978-4-00-335861-0
『万民の法』ジョン・ロールズ[著]、中山竜一[訳]、岩波現代文庫、2022年10月、本体1,620円、A6判418頁、ISBN978-4-00-600454-5
★こうやって列記すると、いかに岩波文庫が素晴らしいかを痛感します。ただし、近所(都下とはいえ自宅より徒歩30分圏内の設定)では買えず、最寄駅から終点駅まで電車に乗って大型書店まで行かないといけないので、コロナ流行以後は、発売直後に入手できることはめったになくなっています。人気商品だと大型書店や通販店でも一時的に品切になることもあり、不便さを感じることもしばしば。買切商品なので仕方ないです。
★愚痴はさておき、特記したいのは、ポーランドの作家ポトツキ(Count Jan Potocki, 1761-1815)の怪作『サラゴサ手稿』の完結と、オーストリア出身の英国の哲学者ポパー(Sir Karl Raimund Popper, 1902-1994)の代表作『開かれた社会とその敵』の新訳刊行開始です。後者はポパー自身が監修したドイツ語版『Die offene Gesellschaft und ihre Feinde』の「事実上の最終確定版」だという2003年第8版からの全面新訳で全4巻予定。『開かれた社会とその敵』は、英語版『The Open Society and Its Enemies』(全2巻、初版1945年、第5版1966年)の既訳書2点のうち、内田詔夫/小河原誠訳(全2巻、未來社、1980年)が現在も入手可能ですが、主著の文庫化でいっそう注目度が増しそうです。なおポパーの文庫本には、『果てしなき探求――知的自伝』(上下巻、森博訳、岩波現代文庫、2004年)や『確定性の世界』(田島裕訳、信山文庫、1998年)がありますが、前者は品切。同じ岩波書店の本ですし、この機会に復刊されても良い気がします。
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【雑記7】
今回はすでに長いエントリーになってしまったため、「文庫」本について一言。文庫本は「廉価で恒常的かつ広範に供給されるもの」としての使命がかつてあったと思います。しかし恒常的供給が叶わない書目もあり、そうした文庫本は単行本よりも古書価が高くなることがしばしばあります。単行本が文庫化される場合、その文庫本が決定版となるわけですが、高くなるのは「決定版」であるからという以上に、コレクター向けになるからでしょう。まさに真逆というか、本末転倒のなりゆきです。昨今では用紙の継続的値上がりと本自体の売上減少により、単行本は徐々に高くなり、文庫本も1000円以下では供給しにくくなっています。文庫を数冊買って5000円以上になることはもう珍しくありません。
「文庫になるまで買うのを待とう」という読者の声を折々に聞くことがあります。しかし単行本が文庫になるのは一部の人気作です。学術書が教養文庫として再刊されるのはもっと稀です。翻訳ものでも、大手出版社ではすでに他社文庫で実績のある書目を選んで別の訳者による既訳単行本や新訳を文庫化することがあり、文庫化実績のない(もしくは少ない)作品は等閑視されがちではあります。本当はもっと違う、他社では読めない書目を出してほしい、という欲求も市場には存在するはずです。
文庫は取次経由での流通形態としては、版元から取次への卸正味が数パーセント低くなります。また、毎月の刊行点数についてもそれなりのボリュームが求められます。書店での文庫売場には広さに限界があり、すべての文庫新刊を網羅的に置ける書店は少数です。こうした現実が文庫への参入障壁を高めています。モノとして作れるか作れないかで言えば、小零細版元にも文庫本は作れます。小零細が文庫に参入できるならば、文庫は単行本と同様に、いっそう多様化するでしょう。しかしもともとは薄利多売でやっていくための商材なので、多売できない現代では大手も文庫レーベルを維持するのはたいへんです。いわんや、小零細の個性的書目にとって薄利多売は困難ですから、文庫参入はしょせん無理だ、ということになります。
とはいえ、大手版元との差別化が明確であれば、小零細版元も文庫に参入していいし、文庫の再活性化のために取次は、上記のような参入障壁をとっぱらう努力をするべきだ、と私は思っています。前例のない改革を進める新世代の取次人が登場することを祈らずにはいられません。さもなければ、小零細版元が文庫本に挑戦する場合は、取次や書店をすっとばして直接読者への販売を志向することになるでしょう。それはそれで挑戦しがいのあることかもしれませんが。
学術書にも携帯しうる手軽さはあっていいはずです。いや、それだったら電子書籍でいい、という方もいらっしゃるかと思いますが、スマホやタブレットの多機能ぶりが邪魔になる場合もあるはずです。紙の本に意識を集中させる時、携帯端末に向き合っている際とは違う時間の流れを体験できる、というのが私の実感です。時間貧乏な現代人にこそ、紙の本でオフラインの時間を作ることは、デジタルデトックスの実践になるでしょう。懐古趣味で言うのではなく、電車内の誰もがスマホをいじる現在から、紙の本に向き合う人が再び増えていく未来に、文庫本は貢献しうる。そういう流れをどう作るか、出版人は本を作るだけでなく本を読む実践の現場へと降りていき、柔軟に関わっていく必要があると思っています。それが新しい時代の「営業」のかたちでしょう。
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