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幻戯書房の新シリーズ「ルリユール叢書」刊行開始、ほか

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『アベル・サンチェス』ミゲル・デ・ウナムーノ著、富田広樹訳、幻戯書房、2019年6月、本体3,000円、四六変上製264頁、ISBN978-4-86488-171-5
『フェリシア、私の愚行録』ネルシア著、福井寧訳、幻戯書房、2019年6月、本体3,600円、四六変上製496頁、ISBN978-4-86488-172-2


★幻戯書房の世界文学シリーズ「ルリユール叢書」の第1回配本2点が発売となりました。「幻戯書房NEWS」ブログでも公開されている「発刊の言」には「〈ルリユール叢書〉は、どこかの書棚でよき隣人として一所に集う──私たち人間が希望しながらも容易に実現しえない、異文化・異言語・異人同士が寛容と友愛で結びあうユートピアのような──〈文芸の共和国〉を目指します」と謳われています。刊行予定のラインナップは戦後の各社の世界文学シリーズのどれにも似ていません。新しい景色、こうした驚きこそを待っていた読者もいらっしゃるのではないでしょうか。古典の新訳も素晴らしいですが、未訳に留まっている作品も膨大にあります。未知のものに挑戦する姿勢を出版人は失ってはならないと感じるだけに、今回のシリーズには(新訳を含みますが)非常に意欲的なものを感じます。46判より左右が短いスマートな判型、色鮮やかな表紙、カバー、オビで、天地が短かめのカバーの上部に、表紙へ箔押しされた叢書名とシンボルマークが覗くのも美しいです。書斎に加えたくなるコレクションとなるはずです。


★『アベル・サンチェス』は『Abel Sánchez』(segunda edición, Madrid: Renacimiento, 1928)の全訳。ミゲル・デ・ウナムーノ(Miguel de Unamuno y Jugo, 1864-1936)はスペイン出身の思想家であり作家。訳書には『ウナムーノ著作集』全5巻(法政大学出版局、1972~1975年)のほか、複数の日本語訳がありますが、今回刊行された本作は以下の帯文にある通り初訳です。「20世紀スペインを代表する情熱の哲学者が現代に甦らせたカインとアベルの物語。魂の闇の臨床記録。本邦初訳」。「そうです、私は人間の自由を信じないのです。そして自由を信じないものは自由ではありません。そう、私はそうではないのです! 自由であるとは、自由であると信じることだ!」(98頁)。


★『フェリシア、私の愚行録』は『Félicia ou Mes Fredaines, orné de figures en taille-douce』(Paris: Cazin, 1782)の訳書。ネルシア(André-Robert Andréa de Nerciat, 1739-1800)はフランスの小説家。前世紀にアポリネールによりフランス国立図書館の名高い禁書保管庫「地獄〔ランフェール〕」から再発見されたのが本作で、禁書時代にはかの文豪スタンダールが夢中になったと言います。ネルシアの作品が日本語訳されるのは初めて。帯文はこうです。「好事家泣かせの放蕩三昧!!  不道徳の廉で禁書となった、ほしいままにする少女の、18世紀フランスの痛快無比な〈反恋愛〉リベルタン小説。本邦初訳」。「心は冷え切っていたものの官能はそうではなく、はけ口が必要だったのです。肉体は絶対に自分の権利を諦めないものなのですね。/これが真実なんです。この真実の前では私の人間としての自尊心も形なしで、辛い犠牲を強いられたのです」(366頁)。

★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。


『vanitas No. 006』蘆田裕史/水野大二郎責任編集、アダチプレス、2019年6月、本体1,800円、四六判変型256頁、ISBN978-4-908251-11-5
『現代思想2019年7月号 特集=考現学とはなにか――今和次郎から路上観察学、そして〈暮らし〉の時代へ』青土社、2019年6月、本体1,400円、A5判並製230頁、ISBN978-4-7917-1383-7
『民主主義は不可能なのか?――コモンセンスが崩壊した世界で』宮台真司/苅部直/渡辺靖著、週刊読書人、2019年7月、本体2,400円、四六判並製394+xviii頁、ISBN978-4-924671-39-3
『福島原発集団訴訟の判決を巡って――民衆の視座から』前田朗/黒澤知弘/小出裕章/崎山比早子/村田弘/佐藤嘉幸著、読書人ブックレット、2019年7月、本体1,000円、A5判並製112頁、ISBN978-4-924671-40-9
『中村桂子コレクション(1)ひらく――生命科学から生命誌へ』中村桂子著、鷲谷いづみ解説、藤原書店、2019年6月、本体2,600円、四六変上製288頁、ISBN978-4-86578-226-4
『書物のエスプリ』山田登世子著、藤原書店、2019年6月、本体2,800円、四六変上製328頁、ISBN978-4-86578-229-5
『金時鐘コレクション(IV)「猪飼野」を生きるひとびと――『猪飼野詩集』ほか未刊詩篇、エッセイ』金時鐘著、冨山一郎解説、藤原書店、2019年6月、本体4,800円、四六変上製440頁、ISBN978-4-86578-214-1
『対ロ交渉学――歴史・比較・展望』木村汎著、藤原書店、2019年6月、本体4,800円、A5上製672頁、ISBN978-4-86578-228-8



★『vanitas No. 006』の特集は「ファッションの教育・研究・批評」。蘆田裕史さんと水野大二郎さんによる責任編集。水野さんによる「introduction」は誌名のリンク先でお読みいただけます。曰く「近年「デザイン」の複雑化が盛んに議論されるにつれ、ファッション産業の周縁から新たな批評空間や研究的実践、実験的教育の萌芽が散見されるようになりました。今号の特集は、この萌芽を多様な側面から明らかにしていくことを目的に新井茂晃氏、井上雅人氏、Cecilia Raspanti氏、Dehlia Hannah氏へのインタビュー、そして現在ファッション産業に携わる方々との匿名座談会を行いました。さらに、本号の特集としてブックガイドを作成しました。ファッション史からウェアラブルテクノロジーまで、書籍、論文問わず幅広く参考となるテクストを選定しています。また、定例である論文とエッセイでは、藤嶋陽子氏、鹿野祐嗣氏、難波優輝氏、川崎和也氏、糸数かれん氏、安齋詩歩子氏、および本誌編集部・太田知也のテクストを掲載し、引き続き多角的にファッション批評の基盤構築を試みました」。


★『現代思想2019年7月号』の特集は「考現学とはなにか」。藤森照信さんと中谷礼仁さんによる討議「あたかも数千年後のまなざしで――考現学と〈モノ〉への問い」を皮切りに、18本の論考を収録。目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。版元紹介文に曰く「モノへのまなざしが描き出す〈暮らし〉の思想。道行くひとの靴や軒先のランプ、ハリガミからカケ茶碗まで……さまざまな〈モノ〉へのまなざしを通じて私たちの日常生活のかたちを描き出す、考現学という営み。今和次郎にはじまり現在へといたる多様な実践の系譜から、その尽きせぬ深さとひろがりをさぐり、アクチュアルな思想としての可能性を浮き彫りにする」とあります。次号(8月号)の特集は「アインシュタイン」と予告されています。


★読書人さんからまもなく発売予定の7月新刊が2点あります。まず『民主主義は不可能なのか?』は、2009年から2018年にかけて「週刊読書人」の年末回顧特集号に掲載された鼎談10本をまとめたもの。巻末の「「あとがき」にかえて」は今年3月に収録された11番目の対談です。「まえがき」で苅部さんはこう述べておられます。「本書の題名にした「民主主義は不可能なのか?」は、とりあげた多くの問題のなかでも、特に継続しながら話したものを拾っている。これも当初からかんがえていたわけではないが、多くの場合、鼎談がこの主題に収斂していったのは、やはり現代の日本と世界が抱えている根本的な問題のありかを示しているのだろう」(10頁)。平成の最後の10年間を振り返るうえで重要な参照項となるのではないかと思われます。なお、注は来月に初めての評論集『「差別はいけない」とみんないうけれど。』を平凡社から上梓する批評家の綿野恵太さんが担当されたとのことです。


★次に『福島原発集団訴訟の判決を巡って』は、2019年4月20日に新横浜の「スペース・オルタ」で開催されたシンポジウム「福島原発集団訴訟の判決を巡って――民衆の視座から」の記録。目次は以下の通りです。


まえがき|前田朗
1 判決の法的問題点|黒澤知弘
2 巨大な危険を内包した原発、それを安全だと言った嘘|小出裕章
3 しきい値なし直線(LNT)モデルを社会通念に!|崎山比早子
4 原発訴訟をめぐって――民衆法廷を|村田弘
5 なぜ原発裁判で否認が続くのか|佐藤嘉幸
6 質疑応答
あとがき|佐藤嘉幸
巻末史料1 原子力発電所を問う民衆法廷 第一~九回法廷での決定と勧告(主文抜粋)
巻末史料2 原子力発電所を問う民衆法廷・判決(主文要約、第十回東京最終法廷)


★藤原書店さんの6月新刊は4点。『中村桂子コレクション(1)ひらく』は「中村桂子コレクション――いのち愛づる生命誌」全8巻の第2回配本。第Ⅰ部「生命科学から生命誌へ」は1998年から2002年のあいだに各媒体に発表された短文9本を初めてまとめたもの。第Ⅱ部「生命誌の扉をひらく」は1990年に哲学書房より刊行された単行本の再録。本書全体への「はじめに」と「あとがき」は今回新たに加えられたもの。巻末解説「生きものの知恵に学ぶ」は鷲谷いづみさんによるもの。投げ込みの「月報1」には末盛千枝子、藤森照信、毛利衛、梶田真章、の4氏が寄稿しておられます。次回配本は第4巻「はぐくむ――生命誌と子どもたち」の予定。


★『書物のエスプリ』は山田登世子さんの単行本未収録論考集の最終となる第4弾。巻末の山田鋭夫さんによる「編集後記」によれば「書物をめぐるエッセイおよび書評を中心とするもの」であり、帯文では「古典から新刊まで様々な本を切り口に、水、ブランド、モード、エロスなど著者ならではのテーマを横断的に語る「エッセイ篇」と、四半世紀にわたり各紙誌に寄せた約120本を集めた「書評篇」」と説明されています。エッセイ篇は「活字逍遥」、書評篇は「書物に抱かれて」と題されています。山田さんの「編集後記」には「収録にあたり、明らかな誤字や誤記は訂正し、固有名詞の表記は極力統一した。また用字もできるだけ統一した」とも特記されています。


★『金時鐘コレクション(IV)「猪飼野」を生きるひとびと』は同コレクション全12巻の第5回配本。帯文に曰く「1973年2月1日を期してなくなった、日本最大の在日朝鮮人の集住地、大阪「猪飼野」に暮らす人々を描いた連作『猪飼野詩集』(1978年)ほか。作品の背景をつぶさに語る著者インタビューを収録」と。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。冨山一郎さんによる解説「暴力的状況で確保される言葉の在処――『猪飼野詩集』を読む」、浅見洋子さんによる解題「猪飼野詩集、細見和之さんによる解題補遺「「猪飼野」を生きるひとびと」が付され、投げ込みの「月報5」には、登尾明彦、藤石貴代、丁章、呉世宗、の4氏が寄稿されています。次回配本は第10巻「真の連帯への問いかけ――「朝鮮人の人間としての復元」ほか:講演集Ⅰ」の予定。


★『対ロ交渉学』はロシア研究に長年携わってきた木村汎(きむら・ひろし:1936-)さんの最新著。3部構成の大著で、第Ⅰ部「交渉の一般理論――米欧諸国での発展」では国際社会における外交交渉の基礎を扱い、第Ⅱ部「ロシア式交渉――なぜ、特異なのか」ではロシア式の外交交渉の特徴を分析。第Ⅲ部「日本式交渉――なぜ、ユニークなのか」ではロシア式交渉法に対する日本側の対抗法について論じています。大阪で今月行われた「G20」への参加のために訪日する直前に、プーチン大統領は英紙「フィナンシャル・タイムズ」のインタビューに対し「自由主義は廃れた」、さらには「現在は(国際的な)秩序が全くないように見える」などと述べたことがニュースになりましたが(例えば日経新聞2019年6月28日記事「プーチン氏「自由主義は廃れた」 FTインタビュー」)、日ロ関係やプーチンの思考回路には無関心ではいられない状況が続いており、関連書も含めて読者の注目を浴びそうです。木村さんは藤原書店より『プーチン――人間的考察』『プーチン――内政的考察』『プーチン――外交的考察』という3部作を2015年から2018年にかけて上梓されています。



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月曜社8月新刊:新井俊春『名人農家が教える有機栽培の技術』

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2019年8月6日取次搬入予定 *農業

名人農家が教える有機栽培の技術
新井俊春:著 本田進一郎:編
月曜社 2019年8月 本体2,700円、46判[天地188mm×左右130mm×束16mm]並製304頁、ISBN:978-4-86503-078-5 C2016 重量:350g


アマゾン・ジャパンにて予約受付中

内容:いまままでにない詳細で実践的な有機栽培の文献。講座・講演などに引っ張りだこの篤農家の著者による、有機農業をめざす人たちの必読本、待望の刊行![巻頭カラー写真16頁76点、本文白黒写真約200点、図38点、表49点]


【主要目次】1章:有機農業への転換、2章:堆肥づくり、3章:土と作物、4章:土壌診断と生育診断、5章:トマトの栽培、6章:トマトの病害虫対策、7章:ニガウリの栽培、8章:葉菜類の栽培、9章:野菜の病害虫対策、10章: 野菜の品質保持、11章:施設、資材、機械、道具


著者:新井俊春(あらい・としはる:1955-)群馬県甘楽町の有機農家。農家に生まれ、30代のころから有機農業に取り組む。施設トマト、葉菜類などを栽培し、高い有機栽培の生産技術を有する。甘楽町有機農業研究会の代表をつとめ、若い農業者の指導もおこなっている。甘楽町有機農業研究会として、2010年日本農業賞特別部門優秀賞。2014年全国環境保全型農業推進コンクール最優秀賞。


編者:本田進一郎(ほんだ・しんいちろう)「別冊現代農業」、「農家が教えるシリーズ」(農文協)など、ロングセラーの農業書を多数執筆、編集。

注目新刊:筧菜奈子『日本の文様解剖図鑑』エクスナレッジ

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筧菜奈子さん(著者:『ジャクソン・ポロック研究』)
先月、エクスナレッジさんより新刊、『日本の文様解剖図鑑』を上梓されました。「日本独自の文様はいつ生まれ、どのような時に使われてきたのでしょうか。/本書ではこうした問いに答えるべく、まず日本の文様の歴史をマンガで振り返ります。続く第一部〔「わかると楽しい日本の文様77種」〕では、一つひとつの文様がもつ意味や、使用例を紹介すると同時に、文様のつくりや構成を解説します。/第二部〔「日本全国文様探し」〕では、実際に文様が見られる国内の場所に出かけていきます。〔…〕まだまだたくさんの建築や食べものに文様があしらわれていることがわかるでしょう」(はじめにより)。筧さんの著書と訳書を以下に列記します。


◆単独著
2016年02月『めくるめく現代アート――イラストで楽しむ世界の作家とキーワード』(文・絵)、フィルムアート社
2019年03月『ジャクソン・ポロック研究――その作品における形象と装飾性』(著)、月曜社
2019年06月『日本の文様解剖図鑑』(文・絵)、エクスナレッジ


◆訳書
2017年10月『みつけて!アートたんてい――よくみて、さがして、まなぼう!』(ブルック・ディジョヴァンニ・エヴァンス著、単独訳)、東京書籍
2018年09月『ライフ・オブ・ラインズ――線の生態人類学』(ティム・インゴルド著、共訳)、フィルムアート社
2019年06月『ART SINCE 1900――図鑑1900年以後の芸術』(ハル・フォスター/ロザリンド・E・クラウス/イヴ‐アラン・ボワ/ベンジャミン・H・D・ブークロー/デイヴィッド・ジョーズリット著、共訳)、東京書籍


注目新刊:マキシム・クロンブ『ゾンビの小哲学』人文書院、ほか

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★まず最初にまもなく発売となるちくま学芸文庫7月新刊3点をご紹介します。


『世界の根源――先史絵画・神話・記号』アンドレ・ルロワ=グーラン著、蔵持不三也訳、ちくま学芸文庫、2019年7月、本体1,500円、文庫判448頁、ISBN 978-4-480-09931-0
『日本大空襲――本土制空基地隊員の日記』原田良次著、ちくま学芸文庫、2019年7月、本体1,500円、文庫判448頁、ISBN978-4-480-09933-4
『微分積分学』吉田洋一著、ちくま学芸文庫、2019年7月、本体1,700円、文庫判688頁、ISBN978-4-480-09925-9


★『世界の根源』は、1985年に言叢社より刊行された単行本の文庫化。原著は『Les racines du monde』(Belfond, 1982)です。今回新たに付された「文庫版訳者あとがき」によれば、「1982年に原書が出てから40年以上たっている。それゆえ、文庫版では以後のトピックスを含めて訳註を加筆し、あわせて言叢社版の表記を若干手直しした。また、欄外の短い訳註も本書では巻末に配した」とのことです。「一連の厄介な編集作業とテクストのチェックにあたってくれた、筑摩書房の」云々とありますので、本文の訳にも手が入っているのではないかと想像できます。ルロワ=グーラン(André Leroi-Gourhan, 1911-1986)はフランスの先史学者。学芸文庫ではすでに2012年に荒木亨訳『身ぶりと言葉』が文庫化されています。『世界の根源』の訳者の蔵持さんは1985年に同著者の『先史時代の宗教と芸術』を日本エディタースクール出版部より上梓されておられます。同書もすでに絶版なので、文庫化を期待したいです。


★『日本大空襲』は、中公新書の上下巻(1973年6月~7月)を合本した文庫化したもの。著者は2009年に死去されており、文庫版解説は一橋大学特任教授の吉田裕さんがお書きになっておられます。著者は陸軍第十飛行師団飛行第53戦隊在隊中の松戸飛行場で、持っていた文庫本の余白へ日々の体験を1944年11月から敗戦に至るまでの間に書き留め、戦後に調査したことを加筆して本書をまとめられました。「日本本土防空戦に関する貴重な記録である」と吉田さんは評価されています。吉田さんは本書について、「戦争体験を日々、記録するという面で、著者がすぐれた資質を持っていたこと」、「どのような状況の下でも自分を見失わず、軍務に励みながらも兵士としてよりも人間として生きることを重視する姿勢で一貫していること」の2点を重要だと指摘されています。


★昭和20年(1945年)2月21日の日記にこんな記述があります。「われわれはいま精神力のみで戦意を高揚するあまり、とかく人命の軽視に慣れすぎている。敵はいま、人名の濫費をつつしむ反面、われはその濫費におぼれ、しかもそれを「勇気」という言葉に置き換えようとしている。「死ぬこと」はすなわち「勝つこと」であろうか。むかしの日本の武人は“ただいつでも死ぬ用意のあること”を心がけていたにすぎない。いまの軍人たちは、たとえ全滅しても、日本は負けないと思いこんでいる。夜この国の暗澹たる未来を想い、胸に果てしない憂愁がたかまった」(194頁)。この言葉が遠い日の克服された過去だと思えないのは、平時の今においてすら人命が軽視され、労働と統制の中でその濫費が行なわれているからではないか、と自問せざるをえません。


★『微分積分学』は、1995年に培風館から刊行され、1967年に改訂版が出た単行本の文庫化。「まえがき」によれば本書は「大学初年級向きの読みやすくわかりやすい参考書または教科書を提供する意図をもって書かれた。〔…〕この本では高等学校で学んだことの復習を兼ねて、微分積分学をそのはじめのところから、もう一度ていねいに厳密な形で説明を与えることにした」。巻末には赤攝也さんによる「文庫版によせて」という短文が付されています。曰く「本書は、微分積分学のすみずみまで配慮して書かれた格調高い名著である」。帯文には「理工系大学の微分積分学の決定版」と謳われています。主要の章立ては以下の通り。「微分法」「微分法の公式」「平均値の定理」「積分法」「指数関数と対数関数」「三角関数と逆三角関数」「不定積分の計算法」「高階微分係数」「関数の極限値」「数列と級数」「偏微分法」「重積分」。付録として「微分方程式の解法」が付されています。


★最近では以下の新刊との出会いがありました。


『ゾンビの小哲学――ゾンビを通した現代社会論の白眉』マキシム・クロンブ著、武田宙也/福田安佐子訳、人文書院、2019年7月、本体2,400円、4-6判上製200頁、ISBN978-4-409-03103-2
『敗北と憶想――戦後日本と〈瑕疵存在の史的唯物論〉』長原豊著、航思社、2019年7月、本体4,200円、四六判上製432頁、ISBN978-4-906738-39-7
『ドイツ国防軍冬季戦必携教本』ドイツ国防軍陸軍総司令部著、大木毅編訳解説、作品社、2019年7月、本体4,600円、A5判上製368頁、ISBN978-4-86182-748-8
『文藝 2019年秋季号』河出書房新社、2019年7月、本体1,380円、A5判並製568頁、ISBN978-4-309-97977-9



★『ゾンビの小哲学』はまもなく発売。『Petite philosophie du zombie』(PUF, 2012)の全訳です。著者のクロンブ(Maxime Coulombe, 1978-)はカナダのラヴァル大学で現代美術と芸術理論を講じているという社会学者・美術史家。本書が初めての訳書になります。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「現在のゾンビの人気――それが天恵〔マナ〕であれ流行〔モード〕であれ――はすでに、否が応でも注目せざるをえないものとなっている。/イメージはときとして、時代の現像液として機能することがある。イメージに照らし合わせて読むことによって、イメージからなる酸性の溶液に浸すことによって、時代はコントラストや明瞭さを増すことになるのだ。本書の意図は単純なものである。それはゾンビをウェルギリウスにすること、つまりわれわれ西洋社会を眺めるためのガイドにすることである」(13頁)。「ゾンビは人間のカリカチュアなのだ」(14頁)。



★「それは人間の条件の限界を、つまり意識や死や文明といったものの限界をあらわしているのだ。ゾンビは、これらの限界にまつわる最も現代的な懸念のいくつかを生き生きとしたものにする」(15頁)。「ゾンビとは、この世によみがえることによって、現代における大きなるタブーのうちのうちの一つ――おそらくその最大のもの――へと目を向けるようわれわれを強いるものだ〔…〕。そのタブーとは死である」(同頁)。「本書の目的は、これらの〔ゾンビをめぐる〕メタファーを集め、解釈し、われわれの文化と結びつけることにある」(21頁)。「分身の形象、抑圧されたものの形象、そしてアポカリプスの形象。われわれの風変わりなガイドがわれわれに提案するのは、この三つの停留所である。それによってわれわれは、現代という緻密な織物の中心へと、現代の主体性という身分の内奥へと入り込むことができるようになる」(同頁)。


★周知の通り近年「ゾンビ」をテーマにした小説や映画以外の本が増えています。ダニエル・ドレズナー『ゾンビ襲来――国際政治理論で、その日に備える』(白水社、2012年10月)、フランク・スウェイン『ゾンビの科学――よみがえりとマインドコントロールの探究』(インターシフト、2015年7月)、ヴァースタイネン/ヴォイテック『ゾンビでわかる神経科学』(太田出版、2016年7月)、ロジャー・ラックハースト『ゾンビ最強完全ガイド』(エクスナレッジ、2017年3月)、藤田直哉『新世紀ゾンビ論――ゾンビとは、あなたであり、わたしである』(筑摩書房、2017年3月)、岡本健『ゾンビ学』(人文書院、2017年4月)、伊藤慎吾/中村正明『〈生ける屍〉の表象文化史――死霊・骸骨・ゾンビ』(青土社、2019年4月)、西山智則『ゾンビの帝国――アナトミー・オブ・ザ・デッド』(小鳥遊書房、2019年6月)などがあり、より「実用」的には、ゾンビになった際の指南書である、ジョン・オースティン『ゾンビの作法――もしもゾンビになったら』(太田出版、2011年9月)や、ゾンビの襲撃から生き延びるための、マックス・ブルックス『ゾンビサバイバルガイド』(エンターブレイン、2013年8月)などがあります。もはや映画やSFコーナーに留めておくことはできないので、人文書でもきちんとコーナーを作る必要があります。まだの書店さんは今回の新刊『ゾンビの小哲学』をきっかけにコーナーをお作りになると良いと思われます。来月のインプレスの新刊では『超進化版ゾンビのトリセツ』という書目が8日発売と予告されています。



★『敗北と憶想』はまもなく発売。1997年から2017年にかけて各媒体で発表されてきた13本の論考に、書き下ろしの「はじめに」を加えて1冊としたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。マルクス、ニーチェ、ドゥルーズ、小林秀雄、埴谷雄高、三島由紀夫、萩原朔太郎、吉本隆明、丸山眞男、谷川雁、藤田省三、黒田喜夫、といった書き手たちが論及されます。「本書が長きにわたって求めに応じて書き溜められた文章(あるいはほぼ文書)の蒐積でありながら、しかし、憶想〔アインゲデンケン〕に戦略的に導かれたいくつかの自己編集-内面化〔エアインネルング〕を施したからである。ぼくが元気であれば、本書に続く一冊(『資本主義の層序学――資本の歴史叙述』)をもって、ぼくは「とまる」だろう」(「謝辞と初出」419頁)。「本書では、この国におけるさまざまな敗北とさまざまな文体を用いたその想起-憶想によるさまざまな修復-投企(とその失敗)が、まさに憶想される」(「はじめに」24頁)。


★『ドイツ国防軍冬季戦必携教本』は発売済。「1942年9月1日に発行された厳寒期の戦闘に関するマニュアル」だという『Taschenbuch für den Winterkrieg』の訳書です。「これは、1941年から42年にかけての、ソ連侵攻「バルバロッサ」作戦の挫折から、過酷な厳寒期(その冬は異常気象で、記録的な極寒であった)に、ドイツ国防軍が得た苦い経験をもとにまとめられたものである。すなわち、独ソ戦の過酷な環境をかいまみせてくれる貴重な歴史資料であると同時に、雪中に軍隊がいかに行動をするか、ひいては冬季のサバイバルとはいかなるものかを示す「実用書」であり、第一級の史料である」(帯文より)。主要項目は以下の通り。「冬季事情」「冬季戦準備」「泥濘期」「冬季の戦闘方法」「行軍、野営、宿営」「長期宿営」「冬季の陣地構築」「冬季の偽装」「防寒・防雪」「自動車業務」「移動・輸送手段」「冬季教育用資料」。付録は全部で14篇あり、その中には「冬めがねの組み立て」や「飯盒によるパン焼き」「サウナ構築」などがあります。


★『文藝 2019年秋季号』は発売済。特集は「韓国・フェミニズム・日本」です。斎藤真理子さんと鴻巣友季子さんの対談「世界文学のなかの隣人~祈りを共にするための「私たち文学」」をはじめ、10篇の短篇、3本のエッセイ、2篇の論考などを収録。目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。特別掲載は論考と対談。安藤礼二さんの論考は「神秘と抽象――鈴木大拙と南方熊楠」。先ごろ『モロイ』の新訳を上梓された宇野邦一が保坂和志を相手に「新たなるベケットと小説の未来」と題した対談を行なわれています。李龍徳さんの連載「あなたが私を竹槍で突き殺す前に」は最終回。磯部涼さんによる新連載「移民とラップ」が始まっています。書評欄では河出さんより来週発売予定の新刊『ルネ・シャール詩集――評伝を添えて』(野村喜和夫訳)などが取り上げられています。



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「美術手帖」にクラウス『視覚的無意識』の書評

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「美術手帖」2019年8月号の「BOOK」欄に弊社3月刊、ロザリンド・E・クラウス『視覚的無意識』の書評「モダニズムの視覚と欲望とは」が掲載されました。評者は美術批評家の沢山遼さんです。「本書は、反視覚の書ではない。それはあくまで、モダニズムの視覚の下部組織、見えない地を明らかにしようとする、支持体の理論なのである。クラウスが近年の批評で頻用する「技術的支持体」のアイデアは、本書によって先駆的に示されていたとすら言えよう」と評していただきました。ありがとうございます。なお、『視覚的無意識』は7月下旬に2刷出来予定です。

注目新刊:ヴェイユ『工場日記』、『ルネ・シャール詩集』、ほか

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『中世思想原典集成 精選5 大学の世紀1』上智大学中世思想研究所編訳監修、平凡社ライブラリー、2019年7月、本体2,400円、B6変判並製592頁、ISBN978-4-582-76883-1
『存在と時間6』ハイデガー著、中山元訳、光文社古典新訳文庫、2019年7月、本体1,320円、ISBN978-4-334-75406-8
『箴言集』ラ・ロシュフコー著、武藤剛史訳、講談社学術文庫、2019年7月、本体1,080円、A6判264頁、ISBN978-4-06-516593-5
『工場日記』シモーヌ・ヴェイユ著、冨原眞弓訳、みすず書房、2019年7月、本体4,200円、四六判上製264頁、ISBN978-4-622-08817-2



★『中世思想原典集成 精選5 大学の世紀1』は、『中世思想原典集成』第12巻「フランシスコ会学派」と第13巻「盛期スコラ学」より11篇を精選。オーセールのギヨーム、総長フィリップス、フィオーレのヨアキム、アッシジのフランチェスコ(2篇)、ヘールズのアレクサンデル、パドヴァのアントニウス、ボナヴェントゥラ、ロバート・グロステスト、ロジャー・ベイコン、ペトルス・ヨハニス・オリヴィ。収録作はhontoの単品頁などで確認できます。佐藤直子さんによる巻頭解説と、岡本源太さんによる巻末エッセイ「ラテン語の野蛮――中世思想への逆説的賛辞」が新たに収められています。



★『存在と時間6』は全8巻中の第6巻。第一部第二篇第四五節「現存在の予備的な基礎分析の成果、ならびにこの存在者の根源的な実存論的解釈の課題」から第二篇第二章第六〇節「良心のうちに〈証し〉される本来的な存在可能の実存論的な構造」までを収録。後半は中山元さんによる長編解説の第6回。「この章〔第二章「本来的な存在可能を現存在にふさわしい形で証すこと、決意性」〕では、良心の呼び掛けに応じて、本来的な存在可能に直面しようとする現存在の「決意性」と決断の意味が強調されている。この決意性の概念は、カントの道徳論を受け継いだものとして重要なものであり、この解説においては、この概念とハイデガーの政治的な行動との関係性についても検討しておいた。この部分は訳者の見解が強く出ているところであり、本文の読解とは別のものとして読んでいただければ幸いである」と訳者あとがきに特記されています。


★『箴言集』は文庫オリジナルの新訳。底本は1992年に刊行されたジャック・トリュシェによる校訂版。現在も入手可能な紙媒体の既訳文庫には、二宮フサ訳『ラ・ロシュフコー箴言集』(岩波文庫、1989年)があります。「われわれの美徳とは、偽装された悪徳にほかならない」との帯文は、本書のエピグラフ(17頁)から採られたものです。正確には、美徳とは、と、偽装された、の間に「たいていの場合、」という言葉が入ります。帯文はこう続きます。「新訳で玩味する、人間本性を撃ち抜く珠玉のことば」。「撃ち抜く」というのは非常に的確な表現です。本書の読書はまさに痛みを伴います。17世紀の科学と技術が過去のものとなっても、17世紀の優れた人間観察は21世紀の今もなお有効です。人間は過ちを繰り返す動物であるという真実こそは、人文学の有用性を立証しています。人文学の本質は知識の独占ではなく、知恵の共有を目指すものです。「自分ひとりだけ賢者であろうとするのは、狂愚以外の何ものでもない」(C’est une grande folie de vouloir être sage tout seul.「道徳的考察」231番、58頁)。 



★『工場日記』は『シモーヌ・ヴェイユ選集(Ⅱ)中期論集:労働・革命』(みすず書房、2012年)に所収のテクストを単行本化したもの。訳者の冨原さんによる「工場の火花に照らされて――『工場日記』をめぐる追加考察」によれば、「単行本化するにあたって、原典の手稿をあらためて検討し、各テクストの位置を訳者の責任で確定し、当時の向上でおこなわれていた作業の具体的な内容・手順・機械や道具の名称等を徹底的に見直した。それらの変更にあわせて訳文にもかなり手を加えた。読みやすさを優先し、訳注は必要最小限にとどめたので、より詳しい訳注・出典等の詳細は『選集Ⅱ』を参照されたい」とのことです。この冨原さんの「考察」は『選集Ⅱ』所収の解説に加筆・修正を加えたもの。今回の単行本版では解説は冨原さんをサポートされてきた佐藤紀子さんが執筆されています。肉体的にも精神的にも過酷な日々を綴ったこの日記はこれからも読み継がれていくことでしょう。ちなみに同書の入手しやすい既訳には田辺保訳『工場日記』(ちくま学芸文庫、2014年)があります。


★「この生において、苦しむ人びとは嘆くこともできない。他人に理解されぬだけではない。苦しんでいない人びとからは嘲られるかもしれず、苦しんでいるが、自分の苦しみだけであっぷあっぷの人びとからは、めんどうくさいやつだと思われる。稀なる例外をのぞき、いたるところで職制からは、あいも変わらぬ無情な仕打ちをあびる」(101頁)。「社会によって捏造された個人の尊厳なるものの感覚、そんなものはこっぱ微塵にうち砕かれた。これとは異なる尊厳を鍛えあげねばならない(とはいえ疲労困憊のあまり、自分にもまっとうな思考能力があるという意識すら消えうせる!)。このもうひとつの尊厳を守りぬくよう努めねばならない。/そのとき自分にも自分ならではの重要さがあると気づく。/ものの数にも入らない人びとの階級――いかなる状況にあっても――だれの眼にとっても……、そしてかつてついぞ数に入った例〔ためし〕もなければ、なにが起ころうとも、(『インターナショナル』の第1節最終行〔「われらは無だが、すべてになろう!」〕にもかかわらず)今後もまず数に入ることのない、そういう人びとの階級」(156~157頁)。


★最近では以下の新刊との出会いがありました。


『ルネ・シャール詩集――評伝を添えて』ルネ・シャール著、野村喜和夫訳、河出書房新社、2019年7月、本体2,900円、46判上製280頁、ISBN978-4-309-20774-2
『わたしたちを救う経済学──破綻したからこそ見える世界の真実』ヤニス・ヴァルファキス著、中野真紀子監訳、小島舞/村松恭平訳、eleking books:Pヴァイン、2019年7月、本体3,130円、ISBN978-4-909483-34-8
『画商のこぼれ話』種田ひろみ著、作品社、2019年7月、本体1,200円、46判上製152頁、ISBN978-4-86182-747-1
『斎藤茂吉――声調にみる伝統と近代』田中教子著、作品社、2019年6月、本体2,500円、46判上製248頁、ISBN978-4-86182-740-2



★『ルネ・シャール詩集』はまもなく発売。「20世紀フランス語圏を代表する詩人のひとり、ルネ・シャールの膨大ともいえる詩業から、代表的な40余篇を選び、訳出したものである。底本にはガリマール社〈プレイヤード叢書〉判『ルネ・シャール全集』(1983年)およびその改訂版(1995年)を使用し、詩の配列もほぼ同書に従った」と訳者あとがきにあります。訳者による90頁もの「評伝ルネ・シャール」が圧巻です。巻末には略年譜が添えられています。訳者あとがきには、某社でシャール全集の計画あり、とも書かれていて、目を瞠りました。


★「名状しがたいこの生/それは つまるところきみが結びつくことをうべなったただひとつのもの/けれども 人々や事物によって日々きみには拒まれてきたもの/かろうじてきみは あちこちで その痩せこけた断片を手に入れる」(「ともにあること」33頁)。「人間は、想像できないようなことを行なうことができる。その頭は不合理という名の銀河に筋を刻む」(「眠りの神の手帖(抄)」227番、87頁)。「殉教者たちは誰のために働くのか。偉大さは、やむにやまれぬ出発をするかどうかにかかっている。模範となる人々は、蒸気と風でできている」(同228番、同頁)。


★「パンをめぐりながら、人を寄せつけないこと、美しい夜明けでありつづけること」(「蛇の健康を祝して」Ⅱ、97頁)。「知識、百もの通路をもつ知識が、それでもなお秘密のままにしておきたいものをこそ生み出せ」(同Ⅵ、98頁)。「昇る太陽の精神状態は、残酷な昼の光や夜の闇の思い出にもかかわらず、歓喜そのものである。血こごりの色が、あけぼのの赤らみとなる」(「朝早い人たちの紅潮」Ⅰ、117頁)。「個人的な冒険、惜しみなく果たされる冒険、われわれのあけぼのの共同体」(同Ⅻ、121頁)。「詩の中心には、ひとりの反対者がきみを待っている。それがきみの主人だ。彼に対して誠実にたたかえ」(「痙攣した晴朗さのために(抄)」130頁)。抵抗の人、シャール。そして夜明けの、黎明の、暁の共同体。


★『わたしたちを救う経済学』はまもなく発売。『And the Weak Suffer What They Must?: Europe's Crisis and America's Economic Future』(Bold Type Books, 2016)の訳書。原題は「弱者は耐えるのみ?――西欧の危機とアメリカ経済の未来」です。目次は書名のリンク先をご覧ください。巻頭の序章で著者はこう書いています。「要約すると、本書は、現在の欧州の危機の原因を、グローバル資本主義を規制しようとするアメリカの試みとの歴史的なつながりの中で説明し、そしてユーロ危機はアメリカにとっても非常に重要であり、無視することはもちとん欧州人に対処をまかせておくこともできないと警告する。実際ユーロ危機は、最後の章で論じたように、米国にとっても重くのしかかっており、それによってすべての人の未来を脅かしている」(20頁)。


★また、松尾匡さんの巻末解説によれば「本書は、ちょうど著者ヴァルファキスが財務相になったときに完成された。だから、なぜギリシャが巨額の債務を負わされ、その国民が不況と社会サービス削減に一方的に痛めつけられなければなかなかったのか、著者たちがひとびとから選ばれ、困難な交渉に立ち向かうことになった背景に至る長い歴史が描かれている。その意味で、『黒い匣』(明石書店、2019年4月)の方は、本書の後日談となっていると言える」と。



★ヴァルファキスは「ユーロ圏の中で、最初に破産した国がギリシャだった理由は単純だった」(261頁)と書いています。「ドイツやフランスの銀行からの貸し付けのおかげで快適な生活を送っていた裕福なギリシャ人はさらに豊かになった一方、ますます多くの貧しいギリシャ人が貧困から抜け出せなくなっていたのだ。好景気にもかかわらず!」(262頁)。「ギリシャの公的債務は巨額だったものの、国民所得の増加ベースの方がずっと速かったことで、まだ持ちこたえられると思われた。ところが、2008年に信用危機が世界に広がったとき、この幻想を崩壊させるふたつの出来事が同時に起こった」(263頁)。対岸の火事どころではない現代史を実感するための必読書です。ヴァルファキスの言う「ミノタウロス」、そのアジェンダに組み込まれているのは、日本も例外ではないからです。





★作品社さんの新刊2点は発売済。『画商のこぼれ話』は銀座の画廊「おいだ美術」の種田ひろみ社長の初のエッセイ集。「アートの森は外から見ているほど、華やかで楽しい場所ではありません」(はじめに、8頁)と明かす社長が見聞してきた「美術品やその売買にまつわる、面白く興味深い話」(同頁)の数々を読むことができます。特に、骨董品でしくじる人々や、贋作を巧妙に売りつける人々の話は、他人事として済ませておきたいほど怖いです。その辺をさらっと嫌味のない筆致で描いておられるのが本書の美点です。「いい画商となるためには、絵画のことに精通しているだけではなく、彫刻、陶芸、演劇、音楽、文学、歴史などといったさまざまな芸術、美しいもの、心に感動を与えるもの全てについて、一通りの知識と興味を持つことが必要だ」(104頁)との先輩画商の言葉が紹介されていますが、これは出版人の心構えにも通じるものがあると感じます。



★もう1点、『斎藤茂吉』は、同志社女子大学に提出された博士論文「斎藤茂吉の万葉集評価語彙と物理学など――その作歌への応用」に加筆修正を施したもの。「今も衰えることのない茂吉短歌の魅力。彼のこだわった声調とは、いったいどのようなものであったのか。それは、ただ直観にまかせたものばかりではあるまい。万葉集研究の場で繰り返された「ゆらぎ」「屈折」「波動」「圧搾」「顫動」などの物理学の用語を手掛かりに、茂吉の思考に迫ってみたい」(はじめに、7頁)。著者の田中さんは歌人。あとがきによれば、本書第Ⅱ章「声調の「屈折」とは何か」は、前著『覚醒の暗指――現代短歌の創造的再生のために』(ながらみ書房、2018年)と内容がやや重なる部分があるとのことで、「茂吉の「屈折論」は筆者が勉学の初期から取り組む主要なテーマであり、これからも考察を続けるつもりである。本書は、その過程のものと見ていただければ幸いである」とお書きになっておられます。


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月曜社8月新刊:久保明教『ブルーノ・ラトゥールの取説』

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2018年8月7日取次搬入予定 *人文/現代思想

ブルーノ・ラトゥールの取説(トリセツ)
久保明教[著]
月曜社 本体:1,800円 46判並製272頁 ISBN: 978-4-86503-079-2 C0010


最注目を浴びる思想家をめぐる初めての概説書!
アマゾン・ジャパンで予約受付中

科学やテクノロジーの考察から出発し、文化人類学、哲学、社会学、地理学、現代アート等に広範な影響を与えてきたフランスの哲学者ブルーノ・ラトゥール。近代的諸前提を絶えず相対化するがゆえに捉えがたいラトゥールの議論を、非還元主義からアクターネットワーク論、存在様態論へと至る一貫した知的探求として捉え直し、「テクノロジーとは何か」、「科学とは何か」、「社会とは何か」、「近代とは何か」、「私たちとは何か」という五つの問いを通じて、モダニズムとポストモダニズムの限界を乗り越えるノンモダニズムの思考を提示する。【シリーズ〈哲学への扉〉、第3回配本】


目次
序論
 対応説を超えて
 真面目すぎてはいけない
 取り扱い上の注意
第一章 テクノロジーとは何か
 社会の外側
 科学知識の社会学
 解釈の柔軟性
 アクターネットワーク
 非還元の原理
 仲介と媒介
 テクノロジーへの生成
 還元の倫理
第二章 科学とは何か
 同時否定
 事実らしさ
 ネットワークの長短
 インターナルとエクスターナル
 循環する指示
 制作される実在
 対応説の棄却
第三章 社会とは何か
 領域と関係
 二つの社会学
 構築とは何か
 意味作用
 非人間と権力
 アクターから学ぶ
 社会を変える
第四章 近代とは何か
 翻訳と純化
 実験共同体
 知識の政体
 二種の代理
 ノンモダニズム
 存在の諸様態
第五章 私たちとは何か
 三つの発想
 非還元主義的デトックス
 噛み合わないまま話し続ける
 汎構築主義の受動性
あとがき


久保明教(くぼ・あきのり)1978年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科単位習得退学。博士(人間科学)。一橋大学社会学研究科准教授。科学技術と社会の関係について文化/社会人類学の観点から研究を行う。主な著書に、『機械カニバリズム――人間なきあとの人類学へ』(講談社選書メチエ、2018年)、『ロボットの人類学――二〇世紀日本の機械と人間』(世界思想社、2015年)、『現実批判の人類学――新世代のエスノグラフィへ』(世界思想社、分担執筆、2011年)など。


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ブックツリー「哲学読書室」に筧菜奈子さんと西山雄二さんの選書リストが追加されました

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オンライン書店「honto」のブックツリー「哲学読書室」に、2本のブックツリーが追加されました。『ジャクソン・ポロック研究』(月曜社、2019年3月)の著者、筧菜奈子さんによるコメント付き選書リスト「抽象絵画を理解するためにうってつけの5冊」。そして、マルク・アリザール『犬たち』(法政大学出版局、2019年5月)とフロランス・ビュルガ『猫たち』の共訳者、西山雄二さんによるコメント付き選書リスト「フランスにおける動物論の展開」。以下のリンク先一覧からご覧になれます。


◎哲学読書室
1)星野太(ほしの・ふとし:1983-)さん選書「崇高が分かれば西洋が分かる」

2)國分功一郎(こくぶん・こういちろう:1974-)さん選書「意志について考える。そこから中動態の哲学へ!」
3)近藤和敬(こんどう・かずのり:1979-)さん選書「20世紀フランスの哲学地図を書き換える」
4)上尾真道(うえお・まさみち:1979-)さん選書「心のケアを問う哲学。精神医療とフランス現代思想」
5)篠原雅武(しのはら・まさたけ:1975-)さん選書「じつは私たちは、様々な人と会話しながら考えている」
6)渡辺洋平(わたなべ・ようへい:1985-)さん選書「今、哲学を(再)開始するために」
7)西兼志(にし・けんじ:1972-)さん選書「〈アイドル〉を通してメディア文化を考える」
8)岡本健(おかもと・たけし:1983-)さん選書「ゾンビを/で哲学してみる!?」
9)金澤忠信(かなざわ・ただのぶ:1970-)さん選書「19世紀末の歴史的文脈のなかでソシュールを読み直す」
10)藤井俊之(ふじい・としゆき:1979-)さん選書「ナルシシズムの時代に自らを省みることの困難について」
11)吉松覚(よしまつ・さとる:1987-)さん選書「ラディカル無神論をめぐる思想的布置」
12)高桑和巳(たかくわ・かずみ:1972-)さん選書「死刑を考えなおす、何度でも」
13)杉田俊介(すぎた・しゅんすけ:1975-)さん選書「運命論から『ジョジョの奇妙な冒険』を読む」
14)河野真太郎(こうの・しんたろう:1974-)さん選書「労働のいまと〈戦闘美少女〉の現在」
15)岡嶋隆佑(おかじま・りゅうすけ:1987-)さん選書「「実在」とは何か:21世紀哲学の諸潮流」
16)吉田奈緒子(よしだ・なおこ:1968-)さん選書「お金に人生を明け渡したくない人へ」
17)明石健五(あかし・けんご:1965-)さん選書「今を生きのびるための読書」
18)相澤真一(あいざわ・しんいち:1979-)さん/磯直樹(いそ・なおき:1979-)さん選書「現代イギリスの文化と不平等を明視する」
19)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん/洪貴義(ほん・きうい:1965-)さん選書「反時代的〈人文学〉のススメ」
20)権安理(ごん・あんり:1971-)さん選書「そしてもう一度、公共(性)を考える!」
21)河南瑠莉(かわなみ・るり:1990-)さん選書「後期資本主義時代の文化を知る。欲望がクリエイティビティを吞みこむとき」
22)百木漠(ももき・ばく:1982-)さん選書「アーレントとマルクスから「労働と全体主義」を考える」
23)津崎良典(つざき・よしのり:1977-)さん選書「哲学書の修辞学のために」
24)堀千晶(ほり・ちあき:1981-)さん選書「批判・暴力・臨床:ドゥルーズから「古典」への漂流」
25)坂本尚志(さかもと・たかし:1976-)さん選書「フランスの哲学教育から教養の今と未来を考える」
26)奥野克巳(おくの・かつみ:1962-)さん選書「文化相対主義を考え直すために多自然主義を知る」

27)藤野寛(ふじの・ひろし:1956-)さん選書「友情という承認の形――アリストテレスと21世紀が出会う」
28)市田良彦(いちだ・よしひこ : 1957-)さん選書「壊れた脳が歪んだ身体を哲学する」

29)森茂起(もりしげゆき:1955-)さん選書「精神分析の辺域への旅:トラウマ・解離・生命・身体」

30)荒木優太(あらき・ゆうた:1987-)さん選書「「偶然」にかけられた魔術を解く」
31)小倉拓也(おぐら・たくや:1985-)さん選書「大文字の「生」ではなく、「人生」の哲学のための五冊」
32)渡名喜庸哲(となき・ようてつ:1980-)さん選書「『ドローンの哲学』からさらに思考を広げるために」
33)真柴隆弘(ましば・たかひろ:1963-)さん選書「AIの危うさと不可能性について考察する5冊」
34)福尾匠(ふくお・たくみ:1992-)さん選書「眼は拘束された光である──ドゥルーズ『シネマ』に反射する5冊」
35)的場昭弘(まとば・あきひろ:1952-)さん選書「マルクス生誕200年:ソ連、中国の呪縛から離れたマルクスを読む。」
36)小林えみ(こばやし・えみ:1978-)さん選書「『nyx』5号をより楽しく読むための5冊」
37)小林浩(こばやし・ひろし:1968-)選書「書架(もしくは頭蓋)の暗闇に巣食うものたち」
38)鈴木智之(すずき・ともゆき:1962-)さん選書「記憶と歴史――過去とのつながりを考えるための5冊」
39)山井敏章(やまい・としあき:1954-)さん選書「資本主義史研究の新たなジンテーゼ?」
40)伊藤嘉高(いとう・ひろたか:1980-)さん選書「なぜ、いま、アクターネットワーク理論なのか」
41)早尾貴紀(はやお・たかのり:1973-)さん選書「映画論で見る表象の権力と対抗文化」
42)門林岳史(かどばやし・たけし:1974-)さん選書「ポストヒューマンに抗して──状況に置かれた知」
43)松山洋平(まつやま・ようへい:1984-)さん選書「イスラムがもっと「わからなく」なる、ナマモノ5選」
44)森田裕之(もりた・ひろゆき:1967-)さん選書「ドゥルーズ『差異と反復』へ、そしてその先へ」
45)久保田晃弘 (くぼた・あきひろ:1960-)さん選書「新たなる思考のためのメタファーはどこにあるのか?」
46)亀井大輔(かめい・だいすけ:1973-)さん選書「「歴史の思考」へと誘う5冊」
47)須藤温子(すとう・はるこ:1972-)さん選書「やわらかな思考、奇想の知へようこそ!」
48)斎藤幸平(さいとう・こうへい:1987-)さん選書「マルクスと環境危機とエコ社会主義」
49)木澤佐登志(きざわ・さとし:1988-)さん選書「いまさら〈近代〉について考えるための5冊」
50)筧菜奈子(かけい・ななこ:1986-)さん選書「抽象絵画を理解するにうってつけの5冊」

51)西山雄二(にしやま・ゆうじ:1971-)さん選書「フランスにおける動物論の展開」


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注目新刊:植村邦彦『隠された奴隷制』集英社新書、ほか

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★今月の新書、文庫から注目書を何点か列記します。


『隠された奴隷制』植村邦彦著、集英社新書、2019年7月、本体880円、新書判268頁、ISBN978-4-08-721083-5
『プリンシピア――自然哲学の数学的原理 第Ⅱ編 抵抗を及ぼす媒質内での物体の運動』アイザック・ニュートン著、中野猿人訳、ブルーバックス、2019年7月、本体1,500円、新書判384頁、ISBN978-4-06-516656-7
『ユグルタ戦争 カティリーナの陰謀』サルスティウス著、栗田伸子訳、岩波文庫、2019年7月、本体1,070円、文庫判432頁、ISBN978-4-00-334991-5



★『隠された奴隷制』は2019年下半期でもっとも重要な新書新刊となるだろう一冊。帯文はこうです。「ロック、モンテスキュー、ルソー、ヘーゲル、ヴォルテール、スミス、ヘーゲル・・・近代350年を辿り、マルクスが遺した謎のキーワードで資本主義を読みとく」。謎のキーワードというのは書名にある「隠された奴隷制(die verhüllte Sklaverei)」のこと。マルクス『資本論』第一巻の終わり近く、「いわゆる本源的蓄積」を論じた章に出てくる言葉です(岡崎次郎訳、『マルクス=エンゲルス全集』第23巻第2分冊、大月書店、1965年、991頁)。巻頭の「はじめに――「奴隷制」と資本主義」には次のように書かれています。「私たちは今、資本主義社会に生きている。その日々の暮らしの中で「奴隷制」という言葉に出会う機会はまずない。しかし、実は「奴隷制」と資本主義には密接な関係があることを、あなたはまだ知らない」(3頁)。「資本主義は奴隷制を前提とする。そして資本主義は奴隷制を必要とする」(7頁)。「「隠された奴隷制」という言葉の謎を解くために、近代の奴隷制の歴史を振り返り、そして奴隷制をめぐる言説の歴史をたどり直してみること、そして資本主義と奴隷制との切っても切れない関係をあぶり出すこと、それがこの本の課題である」(8頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。


★『プリンシピア 第Ⅱ編』は、第Ⅱ編「抵抗を及ぼす媒質内での物体の運動」の第Ⅰ章「速度に比例して抵抗を受ける物体の運動」から第Ⅸ章「流体の円運動」までを収録。底本は第3版からの英訳(モット訳、カジョリ改訂)で、ラテン語原著初版と比較参照のうえ訳出。第Ⅲ編「世界体系」は8月下旬発売予定。


★『ユグルタ戦争 カティリーナの陰謀』は書名にある二篇を収録。訳者解説の文言を借りると「ローマ共和政末期の異才の歴史家、ガイウス=サルスティウス=クリスプス(前86年頃~前35年頃)が著した歴史書のうち完全な形で現存する二篇、『ユグルタ戦争』と『カティリーナの陰謀』である」。底本はトイプナー文庫のKurfessによる1957年校訂版で、「オックスフォード版(Reynolds, 1991)を随時参照し、両者の読みが大きく異なる場合には訳注で説明を加えた」とのことです。なお、『カティリーナの陰謀』については、既訳があります。渡辺隆三訳『カチリナ戦記』(津軽書房、1972年)、合阪學/鷲田睦朗訳註解『カティリーナの陰謀』(大阪大学出版会、2008年)。今回の新訳では後者を参考としたそうです。


★また、最近では以下の新刊との出会いがありました。


『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[2]数学論・数学』G・W・ライプニッツ著、原亨吉/佐々木力/三浦伸夫/馬場郁/斎藤憲/安藤正人/倉田隆訳、工作舎、2019年7月(初刷1997年4月)、本体1,2000円、A5判上製400頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-510-8
『聖杯の探索』天沢退二郎訳、人文書院、2019年7月(初刷1994年10月)、本体5,500円、4-6判上製464頁、ISBN978-4-409-13018-6
『印象派と日本人――「日の出」は世界を照らしたか』島田紀夫著、平凡社、2019年7月、本体4,200円、A5判上製224頁、ISBN978-4-582-20648-7



★『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[2]数学論・数学』は第6回配本。全10巻なので、いよいよ折り返したことになります。帯文に曰く「微積分学創始のドキュメント、普遍数学から発見術へ」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ガロア、ホイヘンス、オルデンバーグ、ニュートンへの手紙を含みます。個人的に興味深いのはオルデンバーグとのやりとりです。馬場郁さんの解説によれば、二人の文通は1670年にライプニッツから始められたとのこと。オルデンバーグは数学者のジョン・コリンズやニュートンらを巻き込んで文通を重ねます。「一連の手紙は形式上個人の間で交わされていても、私的な通信ではなく研究成果の公表という性格を持っていた。ライプニッツからオルデンバーグへの手紙はすべて王立協会のものとして保管された」(231頁)。オルデンバーグは王立協会(The Royal Society)の初代事務総長で、協会の紀要「フィロソフィカル・トランザクションズ」の編集者です。


★もう少し詳しく言及しておきます。ヘンリー・オルデンバーグ(Henry Oldenburg, c1617-1677)はドイツ生まれの亡命外交官でした。「現存する世界最古の科学者の学会であるロンドン王立協会に神経を張り巡らせた男、ロンドンの中心に全西欧に科学情報のネットワークを初めて作り上げた男、現在もつづく世界最古の科学雑誌を創刊した男」であり、「近代西欧文明の二つの特質、科学と情報の両面のインフラを練り上げ、イギリスを世界に冠たる近代国家に押し上げた男、要するに17世紀科学・情報革命の総合演出者、といってもさしつかえあるまい」と、金子務さんは著書『オルデンバーグ』(中公叢書、2005年、8頁、品切)で紹介しています。オルデンバーグはいわば「懸け橋」であり「結節点」でした。現代に生きる編集者にとっては歴史的な巨星でありモデルです。


★『聖杯の探索』は25年ぶりの重版。作者不詳の中世フランス語散文物語で、アーサー王物語として名高い「円卓の騎士たちの至高の冒険と幻夢の数々。全編にみなぎる血とエロスと聖性のドラマ」(帯文より)を描いた古典です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。重版に際し特に訂正等は加えられていないようです。「およそ1180年代初めにクレティアン・ド・トロワがフランス語で書いた長篇韻文物語『聖杯の物語』を出発点とする“聖杯物語群”は、それからわずか50年ほどの間に、質量とも圧倒的な作品群として成立し、さらに数百年の間、中世ヨーロッパ各国にまたがって展開した。ここに訳出した仏語散文『聖杯の探索』は、1220年代にフランスで書かれた“大伽藍的”連作集成の、核心に位置している」(解説、442頁)。凡例によれば底本は「A・ポーフィレ編注の校訂本(1949年)に収められた本文」とのこと。ただし諸写本などを参照してポーフィレ本と異なる読みを採ったところがある、とも注記されています。


★『印象派と日本人』は「はじめに」によれば「本書の構成は三部からなる。Ⅰ部「バルビゾン派」は印象派の直接の先駆者であるバルビゾン派を概観する。筆者はかつて山梨県立美術館に奉職していたが、その折に開催したバルビゾン派とミレーの展覧会が拙著を書くのに役立った。Ⅰ部とⅡ部のあいだの「インテツメッツォ(間奏曲)」は風景がをめぐりバルビゾン派から印象派に継承された経緯を略述する。Ⅱ部「印象派」は、最初に印象派グループの主要メンバーとその画風の特徴を抽出する。ついで印象派グループの形成と彼らが中心になって開いた八回のグループ展を確認する。最後に八回のグループ展から各一名の画家の作品を選んで鑑賞する。Ⅲ部「印象派と日本」は、印象派と日本の関係を、画家・鑑賞者(批評家)・雑誌(主に『白樺』)などを介して跡付け、最後に日本における印象派に関わるコレクションと美術館を述べる。/「補論」として、「第二次世界大戦以後の日本におけるバルビゾン派と印象派関連の展覧会」を加えた。これらの展覧会によって、私たちは日本にいながらにしてバルビゾン派や印象派の作品を鑑賞することができたからである」(11頁)。


★最後に、ここしばらく言及できていなかった注目既刊書を列記します。


『時間観念の歴史――コレージュ・ド・フランス講義 1902-1903年度』アンリ・ベルクソン著、藤田尚志/平井靖史/岡嶋隆佑/木山裕登訳、書肆心水、2019年6月、本体3,600円、A5判並製352頁、ISBN978-4-906917-92-1
『欲望の資本主義(3)偽りの個人主義を越えて』丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班著、東洋経済新報社、2019年6月、本体1,500円、四六判並製240頁、ISBN978-4-492-37123-7
『ホホホ座の反省文』山下賢二/松本伸哉著、ミシマ社、2019年6月、本体1,800円、四六判並製208頁、ISBN978-4-909394-22-4
『ヒエログリフ集』ホラポッロ著、伊藤博明訳、ありな書房、2019年3月、本体3,800円、A5判上製232頁、ISBN978-4-7566-1965-5



★『時間観念の歴史』は『Histoire de l'idée de temps. Cours au Collège de France 1902 -1903』(PUF, 2016)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「本講義の主題は「時間観念の歴史」である。つまり時間の観点から紡がれた哲学史である。なぜ時間なのか。それは、ベルクソンという哲学者が「哲学のアポリアは時間を適切に扱うことによって解説される」と考えているからである。それゆえ、哲学的問題に取り組んだ哲学者の数だけ、時間への取組が見いだせる。そして、それは当の哲学者の思考の核をかたどるものだ」(平井靖史「訳者解説」410頁)。「もちろん、持続の多元論者、ベルクソンである。彼は決して安易に脚色された、単線的な歴史を描こうとはしない。一人一人が見せる手腕に寄り添ってその固有の魅力を引き出しつつ、それら多くの思考の線それぞれが、時間という巨大な問題のどこをどのように掘り進んでいるのかを丁寧に描き出してみせる。こうして繰り広げられる時間の哲学史絵巻は、思索の個性で豊かに彩られていて、通り一遍の哲学史を頭に入れたつもりの哲学マニアにもきっと新鮮な驚きと知の歓びを思い出させてくれることだろう」(410~411頁)。


★ちなみにハイデガーの『存在と時間』の前段となる、1925年の講義「時間概念の歴史への序説」は創文社版『ハイデッガー全集』第20巻として1988年に刊行されています。創文社の廃業は来年予定。お持ちでない方は今のうちにコツコツと買い揃えた方がいいかもしれません。


★『欲望の資本主義(3)』はNHKの経済教養番組の書籍化第三弾。今回は起業家スコット・ギャロウェイ、数学者チャールズ・ホスキンソン、経済学者ジャン・ティロール、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ、哲学者マルクス・ガブリエルの四氏へのインタビュー。第一弾は2017年刊で、経済学者のジョセフ・スティグリッツやトーマス・セドラチェク、投資家スコット・スタンフォードが登場。第二弾は2018年刊で、ダニエル・コーエン、ガブリエル、セドラチェクが登場。NHKプロデューサーの丸山俊一(まるやま・しゅんいち:1962-)さんが関わっている類書では『欲望の民主主義――分断を越える哲学』(幻冬舎新書、2018年)があります。この本ではヤシャ・モンク、ジョナサン・ハイト、シンシア・フルーリー、マルセル・ゴーシェ、ジャン=ピエール・ルゴフ、マルクス・ガブリエルが登場。


★『ホホホ座の反省文』は、本屋や物販もやる編集企画集団ホホホ座の山下座長と松本顧問による活動記録。「ひたひたと忍び寄る、「暮らし・生活系」の足音に、お店の存続をかけて歩調を合わせながらも、時として、その道に、バラバラと画鋲をまき散らしあくなることもあります。それは、常に人生の脇道に追いやられていた、サブカル者としての怨念と、燃えカスのようなプライドがもたらす、屈折した感情なのかもしれません」(66頁)。実に素敵です。「僕らは、「暮らし・生活系」の流れの中にあっても、ものごとを切り取る、視線としての「サブカル」っぽさを消し去ることは、この先もできないでしょう。それをどのようにしてお店づくりに反映させるのか? 日々、実験を繰り返しています」(69頁)。ほぼ同世代ということもあるのか、お二人の考え方や姿勢に共感を覚えます。勇気を分けてもらえる本。


★『ヒエログリフ集』は「エンブレム原点叢書」の第3弾。底本は本文が1996年のイタリア語対訳版(Rizzoli)、図版は1551年のジャン・メルシエ版から採ったとのことです(第1部「いかに魂を示すのか」の図版のみ、1543年のフランス語版から採用)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。例えば「いかに未来の出来事を表すのか」では中空に浮かぶ耳が描かれます(98頁)。二羽のカラスは結婚を表し(19頁)、ウサギは開放を示し(40頁)、鼠は崩壊を示します(64頁)。中空に浮かぶワニの二つの眼は「日の出」を表し(81頁)、二羽のウズラは同性愛を表します(149頁)。宙に浮かぶ手は「製作することを好む者」を表します(167頁)。現代人の感覚とは異なりますが、他人と違う符牒を持ちたい方には多いに参考になる図版集です。


★同叢書の既刊書はいずれも伊藤博明さん訳で、2000年にアンドレア・アルチャーティ『エンブレム集』が、2009年にオットー・ウェニウス/ダニエル・ヘインシウス『愛のエンブレム集』が刊行されています。これらは「エンブレム研究叢書」と併せ、「叢書エンブレマティカ」を構成します。続刊にはクロード・パラダン『英雄的ドゥヴィーズ集』や、パオロ・ジョーヴィオ『愛と闘いのインプレーサ』が予定されています。


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「週刊読書人」に筧菜奈子『ジャクソン・ポロック研究』の書評が掲載

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弊社3月刊、筧菜奈子『ジャクソン・ポロック研究』に対する黒岩恭介さんによる書評「整理された良質の研究書――ポロックの様式展開を考える上で、重要な問題提起を含む」が、「週刊読書人」2019年7月19日号に掲載され、ウェブでも公開開始となりました。

注目新刊:バーマン『世界の再魔術化』新版として再刊、ほか

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『デカルトからベイトソンへ――世界の再魔術化』モリス・バーマン著、柴田元幸訳、文藝春秋、2019年7月、本体3,800円、A5判並製456頁、ISBN978-4-16-391021-5
『真昼の盗人のように――ポストヒューマニティ時代の権力』スラヴォイ・ジジェク著、中山徹訳、青土社、2019年7月、本体2,600円、四六判並製375+iii頁、ISBN978-4-7917-7183-7
『ロジェ・カイヨワ『戦争論』――内なる禍々しきもの』西谷修著、NHKテキスト、2019年8月、A5判並製133頁、ISBN978-4-14-223101-7
『戦争の記憶――コロンビア大学特別講義:学生との対話』キャロル・グラック著、講談社現代新書、2019年7月、本体840円、新書判200頁、ISBN978-4-06-515430-4
『人口論』マルサス著、永井義雄訳、中公文庫、2019年7月、本体900円、文庫判296頁、ISBN978-4-12-206762-2
『小林秀雄 江藤淳 全対話 小林秀雄/江藤淳著、中公文庫、2019年7月、本体840円、文庫判256頁、ISBN978-4-12-206753-0


★『デカルトからベイトソンへ』は国文社より1989年に刊行されたものの再刊です。原著『Reenchantment of the World』は1981年刊。「新版のための訳者あとがき(のようなもの)」によれば、「復刊にあたって訳文に若干手を入れた。大きな変更はないが、「~のである」「~なのだ」ふうの断定的口調を全体に少し和らげた。注に挙げられた書物のうち、その後邦訳が刊行された書物については情報を追加した」とのことです。あらたに巻末に、ドミニク・チェンさんによる「精神のプロクロニズムと情感の演算規則〔アルゴリズム〕」が付されています。目次は以下の通りです。


紹介|佐藤良明
謝辞
序章 近代のランドスケープ
第1章 近代の科学意識の誕生
第2章 近代初期ヨーロッパの意識と社会
第3章 世界の魔法が解けていく(1)
第4章 世界の魔法が解けていく(2)
第5章 未来の形而上学へ向けて
第6章 エロスふたたび
第7章 明日の形而上学(1)
第8章 明日の形而上学(2)
第9章 意識の政治学
原注
用語解説
訳者あとがき|柴田元幸
新版のための訳者あとがき(のようなもの)|柴田元幸
復刊に寄せて 精神のプロクロニズムと情感の演算規則|ドミニク・チェン
索引


★「今日、どうすればふたたび精神と社会の安定を取り戻せるのか。その答えはかなり漠然としたものにならざるをえない。いずれにせよ、科学的世界観は、その本質からして必然的に、世界を生の魔法から解き醒ますものであったのであり、したがって近代という時代は、発生当時から大きな不安を内在させていたのであって、数世紀以上その安定を維持することは、もともときわめて困難だった。これは本書の大前提のひとつである。人間の歴史の99%以上にわたって、世界は魔法にかかっていた。人間は自らをその世界の欠かせない一部として見ていたのだ。わずか400年余りで、こうした認識がすっかり覆され、その結果、人間的経験の連続性、人間精神の全体性が破壊されてしまったのである。そればかりか、地球そのものがいまや破壊の一歩手前まで来てしまった。ふたたび魔法を蘇らせることにしか、世界の再生はないように感じられる」(23~24頁)。


★「ここに近代のディレンマの核がある。我々はもういまや錬金術やアニミズムには戻れない。だがもう一方の道はと言えば、原子炉とコンピューターと遺伝子工学がすべてを牛耳る、陰惨な、すべてが管理された、科学至上主義の世界である。その世界はもうほとんど実現しかけている。そんな世界に吸い込まれつつある我々が、何とか種としての生存を保とうとするなら、何らかの形での全体論的意識――すなわち「参加する意識」――を育み、その新しい意識によって社会・政治形態を新しく組み直していかねばならない」(24頁)。「ロバート・ハイルブローナーが思い描いたように、200年後の人びとは、ウォール街やヒューストンのコンピューター・センターを消滅した文明の興味深い遺跡として訪れるのかもしれない。だがそれまでに、何が本当にリアルなのかということの認識が劇的に変革されていなくてはならない」(同)。


★帯文には落合陽一さんによる推薦文が印刷されています。「読了後、20代の僕の認識は決定的に変容した。その熱量はセカイへのシニカルな嘲笑を乗り越えさせ、『魔法の世紀』と『デジタルネイチャー』を僕に書かせた。計算機の魔術性を突破し、主体性を回復するための必読書」。


★『真昼の盗人のように』は『Like a Thief in Broad Daylight: Power in the Era of Post-Human Capitalism』(Allen Lane, 2018)の全訳。訳者の中山さんは本書を『絶望する勇気――-グローバル資本主義・原理主義・ポピュリズム』(中山徹/鈴木英明訳、青土社、2018年)の続篇としての側面をもっている、と「訳者あとがき」で指摘しています。目次詳細は書名のリンク先でご覧いただけます。「われわれの文明を文明化するためには根本的な社会変革――革命――が必要であるという結論は、避けられない。新たな戦争が新たな革命をもたらすという希望をもつ余裕は、われわれにはない。新たな戦争が起これば、それは革命ではなく、おそらくそれ以上に、既存の文明の終わりを意味するからだ。そのとき生き残るのは(いれば、のはなしだが)、小さな権威主義者たちの集団だけであろう。しかしながら、この文明を文明化するプロセスをさまたげる主な障害は、宗教セクトによる原理主義的暴力ではなく、むしろ、それとはいっけん対立するもの、シニカルな無関心である」(331頁)。





★なおジジェクとラクラウ、ジュディス・バトラーらの共著『偶発性・ヘゲモニー・普遍性――新しい対抗政治への対話』(竹村和子/村山敏勝訳、青土社、2019年7月)が今月新装版として復刊されています。この新装版には新たに山本圭さんの解説が付されていると聞き及んでいます。


★『ロジェ・カイヨワ『戦争論』』は8月にEテレで放送される「100分de名著」のテキスト。カイヨワの『戦争論――われわれの内にひそむ女神ベローナ』(秋枝茂夫訳、法政大学出版局、1974年;新装版、2013年)を題材に、全4回で構成されます。以下に目次を掲げます。


はじめに 人間にとって戦争とは何か
第1回 近代的戦争の誕生(8月5日放送、7日再放送)
第2回 戦争の新たな次元「全体戦争」(12日放送、14日再放送)
第3回 内的体験としての戦争(19日放送、21日再放送)
第4回 戦争への傾きとストッパー(26日放送、28日再放送)


★「「人権」の理念こそが、戦争の苦悶と悲嘆の中から「女神ベローナ」が生み出したもう一つの「聖なるもの」だといってもいいでしょう。この「人権」を、わたしたち自身のものとして、すべての人びとのものとして、粘り強く現実化していくことが、たとえそれがハイテク化された世界の中では愚鈍なふるまいに見えるとしても、避けがたく露わな「戦争への傾き」に対する最も基本的な「堰き止め」になるのではないでしょうか。だからこそ、いまわたしたちが『戦争論』を読む意味もあるのです」(132頁)。


★『戦争の記憶』は、2017年11月から2018年2月にかけて、ニューヨークのコロンビア大学にて全4回で行なわれた、学生との対話の記録です。『ニューズウィーク日本版』に全4回の特集「コロンビア大学特別講義」として掲載されたもの(第1回「戦争の物語」2017年12月12日号;第2回「戦争の記憶」2018年3月20日号;第3回「「慰安婦」の記憶」2018年3月27日号;第4回「歴史への責任」2018年4月3日号)をまとめたもので、「はじめに」と「おわりに」や3本のコラム(「パールハーバー」「慰安婦が世界にもたらしたもの」「原爆~その原因と結果」)が併載されています。関連する記事は『ニューズウィーク日本版』のウェブサイトで読むことができます。著者は「はじめに」でこう書いています。「過去の戦争についてのそれぞれの国民の物語がぶつかり合い、現在において政治的かつ感情的な敵対心が生まれている。こうした「記憶の政治」にうまく対応するための一つの方法は、他国の「記憶」を尊重しつつ、それぞれの記憶に「歴史」をもっと加えていくことだ」(4頁)。


★またこうも述べています。「私たちは戦争の記憶について意見を交換し合い、自分だけの見方にともなう限界や、複数の見方に触れることで得られる利点について、お互いから学び合った。全4回を通じて、学生たちは過去(歴史)についてより多くの知識を得ることや、多様な見方(記憶)を尊重すること、そして過去と未来の両方(歴史と記憶の両方)に責任を持つことの必要性を語っていた。/学生たちが対話を通して明らかにしたように、私たちに変える責任があるのは過去ではない。未来なのだ」(8頁)。


★中公文庫7月新刊より2点。『人口論』は1973年9月刊の文庫の改版(新組)で、中公文庫プレミアム「知の回廊」の最新刊。巻末の「編集部付記」によれば、「訳注のうち、地名の表記については、編集部の判断で新たな情報に改めた箇所がある」とのことです。改版にあたり、新たに藤原辰史さんによる解説「人間の不完全性」が付されています。「制御できない欲望を抱え込み、欲望の広がりを認め、疲労と共存する人間の不完全性と、人間が掘り起こせる自然の力の限界を前提にしつつ、それでも貧困が少なくなり、市場からはじかれた人間の生存を共同でフォローできる社会を構想することは難しいだろうか。/感嘆であれば、今頃世界はこんなに暗くはなかっただろう。だが、不可能であれば、今頃世界はもっと暗かったに違いない。計画と放任のあいだ。自然と人工のあいだ。理想と現実のあいだ。『人口論』が図式化したこの二項対立は現代社会でも生きている」(290~291頁)と藤原さんは本書の意義を認めておられます。なお、藤原さんは先月二冊の新刊を上梓されています。一冊は自著『分解の哲学――腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社)であり、話題書となっています。もう一冊は編書で『歴史書の愉悦』(ナカシニヤ出版)です。


★『小林秀雄 江藤淳 全対話』は文庫オリジナル編集で、2氏の全対談5篇が発表年代順に並び、関連作品が併録したたもの。目次は以下の通り。



美について
孤独を競う才能
歴史と文学
歴史について
伝統回復あせる(江藤淳)
三島君のこと(小林秀雄)
『本居宣長』をめぐって
小林秀雄氏の『本居宣長』(江藤淳)

第九回新潮社文学賞選後感(小林秀雄)
江藤淳「漱石とその時代」(小林秀雄)
言葉と小林秀雄(江藤淳)
絶対的少数派(江藤淳)
解説 三島由紀夫氏の死をめぐる小林秀雄と江藤淳(平山周吉)


★1970年11月26日の日経新聞に掲載さっれた江藤さんの談話「伝統回復あせる」より引きます。「もとより国外に出て戦争を始めるというわけにはいかない。イラ立ちは必然的に、同胞のなかに敵を探す行動に移る。「仲間のうちで悪いヤツは誰なのだ!」――その問いがイラ立ちをまぎらせる逃げ道となる。/私たちは戦争中の戦後の極度の食糧欠乏に耐えてきた。占領軍がパンパンを小わきに街を闊歩する屈辱にも耐えてきた。しかし、目に見えぬこのイラ立ちには、耐えられないというのだろうか。/私は、現在の「日本人が日本の運命をしっかり握れぬ時代」はなお続くと考えている。待ちきれぬ人はまだ今後も形を変えて過激な行動に出ることだろう。待ちきれずに異常な行動に走るのは、一言でいえば「普通の日本人との連帯」を信じきれなくなった悲しい人たちである」(167頁)。この評言より半世紀経とうという今でも、現代人はその分析内容に立ち帰る必要があるように思われます。


★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。


『ヒップホップ・レザレクション――ラップ・ミュージックとキリスト教』山下壮起著、新教出版社、2019年7月、本体3,200円、A5判変型264頁、ISBN978-4-400-31090-7
『「差別はいけない」とみんないうけれど。』綿野恵太著、平凡社、2019年7月、本体2,200円、4-6判並製320頁、ISBN978-4-582-82489-6
『心の病気ってなんだろう?』松本卓也著、平凡社、2019年7月、本体1,400円、4-6判並製288頁、ISBN978-4-582-83809-1
『世界戦争の世紀――20世紀知識人群像』桜井哲夫著、平凡社、2019年7月、本体6,400円、A5判上製848頁、ISBN978-4-582-70361-0
『移動する民――「国境」に満ちた世界で』ミシェル・アジエ著、吉田裕訳、藤原書店、2019年7月、本体2,200円、四六変型上製168頁、ISBN978-4-86578-232-5
『詩情のスケッチ――批評の即興』新保祐司著、藤原書店、2019年7月、本体2,500円、四六判上製288頁、ISBN978-4-86578-233-2
『ヒロシマの『河』――劇作家・土屋清の青春群像劇』土屋時子・八木良広編、藤原書店、2019年7月、本体3,200円、A5判並製360+カラー口絵12頁、ISBN978-4-86578-231-8
『後藤新平と五人の実業家――渋沢栄一・益田孝・安田善次郎・大倉喜八郎・浅野総一郎』後藤新平研究会編著、藤原書店、2019年7月、本体2,700円、A判5並製240頁、ISBN978-4-86578-236-3



★『ヒップホップ・レザレクション』は帯文に曰く「異色の歴史神学にしてヒップホップ研究の新たなクラシック」と。序章には「本書の目的はヒップホップをアフリカ系アメリカ人の宗教的伝統に位置づけることをとおして、ヒッポホップがアフリカ系アメリカ人のヒップホップ世代に対して果たす救済的機能を明らかにすることである」(2頁)。「ヒップホップが示すのは、ヒップホップ世代の若者は協会やキリスト教といった宗教に批判的であるだけでなく、新しい宗教性を構築しているということである。そのような、いっけん宗教とは無縁に見えるヒップホップの宗教性が示す、インナーシティに生きる人々の生の豊かさを、本書をとおして感じ取っていただけると幸いである」(12~13頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。印象的な造本設計は宗利淳一さんによるもの。


★平凡社さんの7月新刊より3点。『「差別はいけない」とみんないうけれど。』は批評家・綿野恵太(わたの・けいた:1988-)さんの単独著第一作。「セクハラやヘイトスピーチが跡を絶たないのは、「差別はいけない」と叫ぶだけでは解決できない問題がその背景にあるからである。本書は、彼/彼女らの反発を手がかりにして、差別が生じる政治的・経済的・社会的な背景に迫っていきたい」(8頁)。「本書は、みんなが差別を批判できる時代は望ましいという立場をとるが、スケープゴートというかたちで、差別批判が「炎上」として消費されることには抵抗したい、本書はその抵抗のための手がかりになりたい、と考えている」(17頁)。「経済と差別というふたつの領域で平等を求める闘いをすべきだ」(314頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。同書は発売と同時に重版が決まったそうです。同書の書評をご執筆予定の千葉雅也さんは「『「差別はいけない」とみんないうけれど。』は、『欲望会議』と一緒に読んで欲しい本」とツイートされています。



★『心の病気ってなんだろう?』はシリーズ「中学生の質問箱」の第12弾。「はじめに」に曰く「この本では、最初に心の病気について全般的なことを話したあとで、心の病気をひとつひとつとりあげて、心の病気を「わかる」ための手がかりを提供したいと思います」(7頁)。「心の病気ってどういうもの?」「心の病気の人はどんなふうに困っているの?」「心の病気でもくらしやすい社会ってつくれるの?」の3章立て。ご自身の診察された経験だけでなく、ヤスパース、クルト・シュナイダー、テレンバッハ、フロイト、ラカン、中井久夫、木村敏、信田さよ子さんらの臨床も参照しているとのことです。「「心の病気というのはそもそも回復しやすい(直りやすい)ものだ」と考えることが必要です」(273頁)。「「回復する」ということは、前の状態とは違う形の生き方を手に入れられるようになることです」(274頁)。


★『世界戦争の世紀』は「二つの世界戦争という政治現象を柱にしつつ、その流れのなかに翻弄され続けたヨーロッパ知識人の思想と行動をからめながら、二十世紀の歴史と思想を跡づけようとする」試み(24頁)。「第一次世界大戦と精神の危機」「戦間期の政治運動と知識人たち」「収容所と亡命の時代」の三部構成。『戦争の世紀』(1999年)とその2つの続編『戦間期の思想家たち』(2004年)、『占領下パリの思想家たち』(2007年)を基盤にした新規の書き下ろしである、と「あとがき」にあります。A5判で800頁を超える大冊です。


★本書に登場する人物たちが帯に列記されているので、転記しておきます。複数出てくる同姓は索引を参照しカッコ内に名を補足します。「アラゴン、アーレント、アロン、ウィルソン(ウッドロー/エドマンド)、ヴェイユ(アンドレ/アントワーヌ/シモーヌ:1909-43/シモーヌ:1927-2015、ベルナール)、エリュアール(ガラ/ポール)、カミュ、ガリマール(ガストン/ミシェル)、カンギレム、ケインズ、ゲッベルス、サルトル、サン=テグジュペリ(アントワーヌ・ド/コンスエロ)、ジッド(アンドレ/シャルル)、ジノヴィエフ、スヴァーリン、スターリン、ダラディエ、チャーチル、デア、デリダ、ド・ゴール、ド・マン(アンリ/ポール)、ドリュ=ラ=ロシェル、トロツキー、ニザン、ハイデガー(エルフリーデ/マルティン)、バタイユ(ジョルジュ/ロランス)、ヒトラー、フーコー、フリードマン、ブルトン(アンドレ/ジャクリーヌ)、ブルム、フロイト(アンナ/エヴァ/オリヴァー/ジグムント)、ブロック、ペタン、ホー・チ・ミン、ボーヴォワール、マルロー(クララ/アンドレ/ロラン=フェルナン=ジョルジュ)、ムッソリーニ、モース、ユンガー、ラヴァル、ルフェーヴル(アンリ/レイモン)、ル=ロワ=ラデュリ、レヴィ=ストロース(クロード/レイモン)、レーニン、レリス、ロスメル。


★藤原書店さんの7月新刊より4冊。まず『移動する民』は、『Les migrants et nous : comprendre Babel』(Paris : CNRS, 2016)の全訳に、日本語版のために寄せられた論文「ヨーロッパにおける歓待とコスモポリット性、その今日と明日」を加えた一冊。原注によれば、追加テクストは、2018年9月26日にマルセイユのヨーロッパ・地中海文明博物館でなされた講演を元にしたものであり、著書『到来する外国人』(未訳、2018年)で展開された議論の一部を再収録しているとのこと。著者のミシェル・アジェ(Michel Agier, 1953-)は民族学者・人類学者。パリの社会科学高等研究院EHESSの研究指導教授。


★「彼ら〔移動民〕が明らかにする事実、私たちは地域的つまり国家的という活動領域を越え出る世界の中にいるという事実は、必然的に、強く実感され、痛みを伴い、危険をはらむ経験となる。しかし、この事実は、同じくらいに、自分自身の住み処にいつことから遠く離れた未来に向けての、つまり事実上の複層をなす地域性の中で構築される未来に向けての、期待と希望と企てに満ちてもいる。それは実践的なコスモポリティスムであって、世界に関するこの経験の現実性を証明するためにグローバル主義者の言説を必要としない。それはすでに事実の常態にある。つまり私たちは現実に、数々の境界に満ちた世界の中に存在しており、そして自分の日々の生活を組織することのうちで、また社会の中での自分の位置を決めることのうちで、世界との関係を整えなければならない」(114~115頁)。


★『詩情のスケッチ』は文芸批評家の新保祐司(しんぽ・ゆうじ:1953-)さんの評論集。「見るべき程の事は見つ――平知盛」「北の国のスケッチ」「楽興の詩情」の3部構成。あとがきによれば、第Ⅰ部は隔月刊誌「表現者」での連載「終末時計の針の下に」(平成19~22年、全17回)を改題したもので、第Ⅱ部は隔月刊誌「北の発言」での連載「北の国のスケッチ」(平成15~17年)の「大半」を収めたものとのこと。第Ⅲ部は月刊誌「音楽現代」に折々に掲載された批評文(平成5~20年)をまとめたもの。冒頭の「序」は書き下ろしです。その序で著者はこう書いています。「私が、水平化の世界に生きつつ、いつも願っていたものは、「上よりの垂直線」を招来することに他ならなかった。そこに「見るべき程の事」は、「不意の出現」をし、そこから詩情が生まれるからだ。そして、人間に出来ることは、それをスケッチすることだけである」(16頁)。


★『ヒロシマの『河』』は「昭和5年に生まれ、戦争と政治に翻弄され十代の青春期を九州で暮らし、昭和30年から亡くなる昭和62年まで、広島の地で「演劇」に人生をかけた「土屋清」の生き方と、半世紀以上経っても色あせずに残っている名作『河』の軌跡を追うものである」(「まえがき」より)。「土屋清とはどのような人物か」「『河』とはなにか」「土屋清の語り部たち――『河』を再生・生成すること」「『河』上演台本(2017年)」の4部構成。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「『河』は、原爆投下後の廃墟から奇跡的な復興を遂げた広島の、「炎の時代」を描いた物語であり、「原爆詩人」峠三吉(1917-1953)がその仲間と共に、理想とする社会の実現に向けて葛藤しながら、時代を駆け抜けていった「青春群像劇」」(同前)。


★『後藤新平と五人の実業家』は副題にも記載されている5人、渋沢栄一・益田孝・安田善次郎・大倉喜八郎・浅野総一郎が「後藤新平としばしば協力・支援・理想を共にしている。だが過去において、これら実業家と後藤新平との関係をとりまとめた学界内外での研究は、見当たらない」(6頁)ことから編まれたもの、「本書はこの点に焦点をおいて調査した結果の修正である。最初の試みとして各実業家の出生から経歴と企業活動をひととおり記し、そのなかで後藤新平とのかかわりも考察することとしている」(由井常彦「序にかえて」6頁)。「後藤が、最晩年に遺した言葉に、「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」「一に人、二に人、三に人」とある。〔…〕この社会を作るのは人。肌の色も、言葉も生活習慣・・・も違う人びとが、お互い認め合い敬愛して生きていく道はないものか」(藤原良雄「あとがき」175頁)。


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重版出来:ロザリンド・E・クラウス『視覚的無意識』2刷

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ロザリンド・E・クラウス『視覚的無意識』の2刷が7月26日(金)にできあがりました。皆様のご購読に深謝申し上げます。

注目新刊:ドゥンス・スコトゥス『存在の一義性』八木雄二訳注、ほか

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『存在の一義性――ヨーロッパ中世の形而上学』ドゥンス・スコトゥス著、八木雄二訳註、知泉書館、2019年7月、本体7,000円、新書判上製816頁、ISBN978-4-86285-297-7
『語源から哲学がわかる事典』山口裕之著、日本実業出版社、2019年7月、本体1,700円、A5変形判並製284頁、ISBN978-4-534-05707-5
『稲生物怪録』東雅夫編、京極夏彦訳、角川ソフィア文庫、2019年7月、本体880円、文庫判272頁、ISBN978-4-04-400497-2
『サンスクリット版全訳 維摩経 現代語訳』植木雅俊訳、角川ソフィア文庫、2019年7月、本体1,160円、文庫判400頁、ISBN978-4-04-400487-3



★『存在の一義性』は知泉学術叢書の第9弾。中世の神学者ドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus, 1266?-1308)による未完の主著『命題集註解』のうち、「存在の一義性(Univocatio entis)」をめぐる第1巻第3区分第Ⅰ部「神の認識可能性」の第一問題から第四問題まで、また第1巻第8区分第Ⅰ部「神の単純性」の第一問題から第三問題までの、日本語訳と訳者解説を一冊としたもの。本文中では太字が訳文で、訳文の段落ごとに続く細字が訳者による解説です。巻末には訳者解題「スコトゥスにおける「存在の一義性」」と索引が付されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。現代思想にまで少なからぬ影響力を及ぼしているスコトゥスの探究をめぐり、八木さんによる詳しい訳解によってその意義が現代の読者にも改めて開示されることになりました。


★周知の通り『命題集註解』の既訳(抄訳)には、花井一典/山内志朗訳『存在の一義性――定本ペトルス・ロンバルドゥス命題註解』(第一巻第三篇第一部「神の認識可能性」第一問から第三問までと、第一巻第八篇第一部「神の単純性」第一問と第二問;中世哲学叢書1:哲学書房、1989年)や、八木雄二訳「命題集註解(オルディナティオ)第1巻」(第一巻第三区分第一部「神の認識可能性について」第四問;『中世思想原典集成(18)後期スコラ学』所収、平凡社、1998年)、渋谷克美訳「命題集註解(オルディナティオ)第2巻」(第二巻第三区分第一部「個体化の原理について」第一問から第六問まで;『中世思想原典集成(18)後期スコラ学』所収、平凡社、1998年)があります。また、筑波大学哲学研究会による「筑波哲学」第27号(2019年3月)には、『「命題集」註解(オルディナティオ)』第2巻第3区分第1部第7問題の試訳が本間裕之さんと石田隆太さんの共訳で掲載されています。



★『語源から哲学がわかる事典』は、語源と英語訳で西洋哲学のキーワードを学ぶ入門書。「本当の初心者にお勧めできる入門書になかなかめぐり会えなかった。そこで、それなら自分で書いてしまおうと思って書いたのが、この本である」(「はじめに」より)。主要目次は書名のリンク先でご覧いただけます。終章の後に続く「出典と余談、あるいはさらに詳しく知りたい人のための文献ガイド」の末尾付近にはこう書かれています。「知の体系が組み替えられたとき、新たな知の体系を持つ人にとって、旧世代の知は、間違っているというよりは、理解不能なものになるのである」(267頁)。「この本を読んで、他の知識体系を理解することの困難と面白さを知っていただき、「他文化を尊重する」とはどうすることなのかを考える手がかりにしていただくことができたなら、望外の喜びである」(同頁)。値段も本体1,700円とお得です。


★角川ソフィア文庫の7月新刊より2点。『稲生物怪録』は巻頭カラーで堀田家本「稲生物怪録絵巻」を収め、続いて京極夏彦さんによる現代語訳で「武太夫槌を得る――三次実録物語」、東雅夫さんによる現代語訳と註の「稲生物怪録」、同じく東さんによる「解説」を配し、巻末にはピーター・バナードさんによる英文の紹介文「An Account of the Ino Hauntings: A Brief Introduction」が掲載されています。京極さんの現代語訳は初出は1999年の「怪」誌春号。その後、東さんによるアンソロジー本に再掲載され、今回の文庫収録にあたり加筆修正が施されたとのことです。東さんの現代語訳や解説、バナードさんの英文テクストは書き下ろし。絵巻の素晴らしさは言うまでもありません。絵と言葉によって描かれた怪異の数々は夏の読書にぴったりです。


★『サンスクリット版全訳 維摩経 現代語訳』は、2011年に岩波書店から刊行された『梵漢和対照・現代語訳 維摩経』のうち、梵漢部分を除いて現代語訳を残し、膨大な注釈は仏教用語の解説と重大な校訂についての注記のみを残し、文庫化したもの。あとがきによれば、単行本版は「サンスクリット語と対照させて現代語訳したものであることから、日本語として理解できるぎりぎりの範囲内でサンスクリット語のニュアンスを残して訳した」が、それに対して今回の文庫版は「日本語らしい文章に努めて、相当に手を入れた」とのことです。植木さんは同じく岩波書店から親本が出ている『法華経』の文庫版を角川ソフィア文庫で昨夏上梓されています(『サンスクリット版縮訳 法華経 現代語訳』)。



★また最近では以下の新刊との出会いがありました。


『完全版 自由論――現在性の系譜学』酒井隆史著、河出文庫、2019年8月、本体1,800円、文庫判632頁、ISBN978-4-309-41704-2
『HAPAX 11 闘争の言説』HAPAX編、夜光社、2019年7月、本体1,500円、四六判変形204頁、ISBN978-4-906944-18-7
『カール・ポランニー伝』ギャレス・デイル著、若森みどり/若森章孝/太田仁樹訳、2019年7月、本体4,500円、4-6判上製536頁、ISBN978-4-582-82488-9
『ぱくりぱくられし』木皿泉著、紀伊國屋書店、2019年8月、本体1,400円、B6判並製244頁、ISBN978-4-314-01168-6
『幕末未完の革命――水戸藩の叛乱と内戦』長崎浩著、作品社、2019年7月、本体2,800円、四六判上製352頁、ISBN978-4-86182-763-1
『増補新版 モデルネの葛藤』仲正昌樹著、作品社、2019年7月、本体5,800円、A5判上製480頁、ISBN978-4-86182-756-3
『現代思想2019年8月号 特集=アインシュタイン――量子情報・重力波・ブラックホール…生誕140周年』青土社、2019年7月、本体1,400円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1384-4
『現代思想2019年8月臨時増刊号 総特集=万葉集を読む』青土社、2019年7月、本体2,200円、A5変型判並製278頁、ISBN978-4-7917-1385-1



★『完全版 自由論』はまもなく発売。2001年に青土社より刊行された単行本の文庫化。巻末特記によれば「文庫化にあたり加筆修正するとともに、補章を追加」したとあります。補章は4篇から成ります(460~587頁)。2001年「『自由論』韓国語版の序文」、補論1として2005年「鋳造と転調」、補論2として2011年「「しがみつく者たち」に」(初出では「しがみつくもののために」)、そして書き下ろしの「統治、内戦、真理――『自由論』への18年後の自注」です。巻末解説は、『不穏なるものたちの存在論』『無謀なるものたちの共同体』などの著書がある李珍景(イ・ジンギョン)さんが「人工知能資本主義時代の統治技術――酒井隆史『自由論』に寄せて」(影本剛訳)というテクストを寄稿しておられます。「文庫版あとがき」によれば、「目に余る表現、あきらかに誤訳であったところ、より適切な訳語をおもわれるものがあったところなどのほか、手直しは最小にとどめた」。「いま付け足したいことはおおよそ「統治、内戦、真理」〔509~587頁〕に括りだした」。


★『HAPAX 11 闘争の言説』は発売済。収録された14編は以下の通り。


釡ヶ崎の外の友人たちへ――新たな無産者たちの共生の試みのために|釡ヶ崎コミューン
釡ヶ崎センター占拠の二四日間とその後|釡ヶ崎コミューン
共に居ることの曖昧な厚み――京都大学当局による吉田寮退去通告に抗して|笠木丈
砕かれた「きずな」のために|霊長類同盟
イエローベスト・ダイアリー|ロナ・ロリマー
ジレ・ジョーヌについての覚え書き|白石嘉治
リスト|ベラ・ブラヴォ
『ギリシャ刑務所からの手記』のために|二人のギリシャのアナキスト
傷だらけのアナキズム|アリエル・イスラ+高祖岩三郎
コミューンは外部である――存在の闇と離脱の政治学|李珍景 インタビュー
都市のエレメントを破壊する――アナロギアと自然のアナキズム|村澤真保呂 インタビュー
日本イデオローグ批判|小泉義之
すべてを肯定に変える|彫真悟
日常と革命を短絡させるためのノート、あるいはわれわれは何と闘うのか、何を闘うのか|気象観測協会


★特筆したいのは、二つのインタビュー。李珍景さんと村澤真保呂さんのもの。それぞれの半生を振り返る私的な来歴を知ることができ、とても興味深いです。李さんの特定頁における特定文字のシール張りは、単純な事故によるものなのかもしれませんが、手張り作業の生々しい痕跡といい、思いがけない立体感を生み出しています。村澤さんの回想は折々に凄まじい部分があって惹き込まれます(とりわけ院生時代の「転移」のお話)。村澤さんの言葉から印象的なものを一つだけ抜き出してみます。


★「さっきの作田〔啓一〕さんの言葉に戻るけれど、ぼくを再出発させてくれた彼の言葉「きみがなくしたものは、世界がなくしたものじゃないかな」っていうのは、だいぶあとから気づいたんだけれど、じつは問いじゃなくて答えだったんですね。つまりわたしに起こっていることは世界に起こっていることだ、っていう大前提こそがうしなわれたものだったわけです。でも完全にうしなわれているわけではなくて、やっぱりどこかに残ってる。自分の苦しみは世界の苦しみだ、だから世界を苦しみから解放しなければならない、その情動がなくちゃ革命なんかおこらない。あるいは、世界はわたしをつうじてなにがおこっているかを伝えている。これこそ中井久夫さんのいう徴候的知であり、アニミズムやシャーマニズム、人文的知性の根底にある認識ですよね。統合失調症の妄想や幻覚についても、おなじことがいえるんですけれど」(148~149頁)。


★『カール・ポランニー伝』は『Karl Polanyi: A Life on the Left』(Columbia University Press, 2016)の全訳。「本書におけるポランニー像は、整然と体系的に統一された思想と理論を形成した社会科学者というよりも、「変貌自在で矛盾する諸側面から構成され」ている」(「訳者あとがき」より)。「本書の独創性は、市場社会の危機と時代の変化に立ち向かいながら人間の自由と民主主義を実現する新しい共同性を探究しつづけた、ポランニーの著作や政治的活動に見られるある種の「錯綜」と「一貫性のなさ(矛盾)」を浮き彫りにし、そのことによって、ポランニーの二重運動論や「埋め込み」命題のなかに「矛盾と緊張」が内在していることを鮮明にした点にある」(同)。二重運動というのは「市場経済の人間や自然に対する破壊的影響と、それに対抗する社会の自己防衛の対立」(同)のこと。また、埋め込み命題というのは、「社会的制約から切り離され自立して拡張運動を遂げてきた経済領域を「再び社会に埋め込む」ことの重要性」(同)のこと。著者のデイル(Gareth Dale)は、ロンドンのブルネル大学上級講師で、政治学と国際関係論を教えているとのことです。多数の著書がありますが、訳書は今回が初めて。目次を以下に列記しておきます。


謝辞
序文
第一章 東西のサロンで
第二章 戦争の十字架を背負って
第三章 赤いウィーンの勝利と悲劇
第四章 挑戦と応戦
第五章 大変動とその起源
第六章 「不正義と非人道的行為」
第七章 存在の不確かさ
エピローグ 社会主義の失われた世界
訳者解説
訳者あとがき
原註
索引(人名・事項)


★『ぱくりぱくられし』は、紀伊國屋書店のPR誌「scripta」で2012年から2019年にかけて連載された表題作と、「産経新聞」大阪本社版夕刊に2018年4月から9月にかけて週1回で連載された「嘘のない青い空」を一冊にまとめ、そこに「幻のデビュー作」である「け・へら・へら」のシナリオを加えたもの。「本書に出てくる本の引用はすべて弥生犬〔旦那さんの方。奥さんは縄文猫で、「ぱくりぱくられし」はこの二者が会話を交わしている体裁になっている〕が選んだものである。その選択は節操がなく、よく言えば偏見がなく多岐にわたっている。読み返してみると、脚本家としての、あるいは小説家としての木皿泉の源泉はここにあるのだなぁと改めて思う」と「あとがき」にあります。「今、苦しい思いをしているあなたへ。それは永遠には続かないから大丈夫。人はきっと変わることができるはず。この本で、私たちは、自分に向かって、世の中に向かって、そういうことを言いたかったのだと、このあとがきを書きながら今気づいた」(244頁)。


★作品社さんの7月新刊より2点。『幕末未完の革命』は「水戸の叛乱」と「水戸の内戦」の二部構成。『水戸市史』や『水戸藩史料』をひもとき、「政治思想の論評ではなく、歴史上の一ポリスの顛末を細部にわたって追跡するもの」(「あとがき」より)。「私の関心は〔…〕水戸藩という存在、危機に直面したポリスともいうべきこの集団の振舞い方に向けられている。/ことに安政の大獄の時期、多彩な人士による多様な言論を集めてこの反乱するポリスのビヘイビアを構成しようとした。加えて、藩の内部から言論を駆動する衝迫力として、郷村からの農民の蜂起を取り上げた。さらに、青年たちを走り出させた観念の起源を、会沢正志斎の水戸学に読もうとした。/その後の水戸の内戦は、こうして浮き彫りになる水戸の叛乱の不始末の結果である。そう見なして私は次に内戦における勝利者、門閥諸生派の信念と行動とを水戸のもう一つの過激派として追うことにした。革命と反革命、いずれにしても革命はその息子たちを喰らって進む」(「はじめに」より)。


★『増補新版 モデルネの葛藤』は、2001年に御茶の水書房より刊行された単行本に、3本の論考(1998年「〈絶対的自我〉の自己解体――フリードリッヒ・シュレーゲルのフィヒテ批判をめぐって」、2003年「フリードリッヒ・シュレーゲルの詩学における祖国的転回」、2006年「シェリングとマルクスを結ぶ「亡霊」たちの系譜」)を加筆訂正し、新たなあとがきを加えた増補版です。新たなあとがきでは、ドイツ・ロマン派の二面性(脱構築的ラディカルさと保守反動的な傾向)が言及されています。「問題は、近代合理主義を哲学的に超克しようとする試みが、不可避的に、新たな拠り所として、ナショナル・アイデンティティや民族としての歴史的連続性、幻想の中世のようなものに救いを求める傾向を助長し、自己に対する批判=批評性を失わせてしまうことになるのか、ということだ」(468頁)。「〔ドイツ・ロマン派は〕フランス革命とドイツ諸邦の敗戦、神聖ローマ帝国の解体という、ドイツ国民あるいは民族にとってのとてつもない危機の中で生まれてきたものである」(470頁)。


★青土社さんの月刊誌「現代思想」の最新号は、8月号と8月臨時増刊号の2点。前者は特集「アインシュタイン――量子情報・重力波・ブラックホール…生誕140周年」で後者は「万葉集を読む」。後者は通常号より天地が短く、左右が長い判型で存在感があります。内容紹介文や目次詳細は誌名のリンク先でご確認いただけます。来月末発売予定の通常号次号となる9月号の特集は「倫理学の論点23」。これは店頭のフェアに向いている内容ではないでしょうか。



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取次搬入日確定:月曜社8月刊2点『名人農家が教える有機栽培の技術』『ブルーノ・ラトゥールの取説』

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月曜社8月新刊2点、新井俊春『名人農家が教える有機栽培の技術』と、久保明教『ブルーノ・ラトゥールの取説』の新刊配本分の取次搬入日が確定いたしました。日販、トーハン、大阪屋栗田、ともに8月7日(水)です。弊社ではパターン配本は行っておらず、店頭分として事前にご発注いただいた書店様にお送りしています。なお、受注締切後の店頭注文分や、客注の出荷は8月8日(木)より開始となります。8月10日から15日まで物流関係各社が休業していますので、新刊配本分の着店はおおよそ9日以降から順次で、お盆を挟んで19日の週の後半になる場合もあるかと思われます。締切後の店頭注文分と客注分の着店はお盆明けの20日以後順次となるのではないかと見込んでおります。どうぞよろしくお願いいたします。
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注目新刊:斎藤幸平氏によるハート、ガブリエル、メイソンへのインタヴュー集『未来への大分岐』、ほか

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『未来への大分岐――資本主義の終わりか、人間の終焉か?』マイケル・ハート/マルクス・ガブリエル/ポール・メイソン著、斎藤幸平編、集英社新書、2019年8月、本体980円、新書判352頁、ISBN978-4-08-721088-0
『国家活動の限界』ヴィルヘルム・フォン・フンボルト著、西村稔編訳、京都大学学術出版会、2019年8月、本体5,800円、四六上製696頁、ISBN978-4-8140-0237-5



★『未来への大分岐』は、デビュー作である著書『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』(堀之内出版、2019年4月)が話題の斎藤幸平さんによる、知的刺激に満ちたインタヴュー集。全面帯ではマルクス・ガブリエルの名前と写真が一番大きく掲げられていますが、インタヴューは、マイケル・ハート、マルクス・ガブリエル、ポール・メイソン、の順で掲載されています。斎藤さんは各氏の発言を尊重しつつ補足するとともに折々に鋭い質問を投げかけており、全体としてたいへん明快な内容になっています。「最悪の事態を避けるためには、資本主義そのものに挑まなければならない危機的段階にきているのではないか。それが本書の問題提起である」(「はじめに」より)。経済の危機、政治の危機、文化の危機、報道の危機、環境の危機、等々、様々な問題が地球規模で噴出している現在、本書の論点と主張には胸に響くものがあります。新書大賞の上位にランクインすることが予想されます。



★「現実が絶望的なものになり、残された時間がわずかになればなるほど、国家権力や最新技術を使い、上からの「効率的な」改革を求めたくなる。だが、この危機的な状況をつくっているのにもっとも積極的に荷担しているのが、国家権力であり、資本であり、最新技術である事実を忘れてはならない。/だとすれば、残された解放への道は、ポストキャピタリズムに向けた、人々の下からの集合的な力しかない。「社会運動・市民運動が大事」という左派の念仏が人々の心に届かなくなって久しい。けれども、大分岐の時代においてこそ、ニヒリズムを捨てて、民主的な決定を行う集団的能力を育む必要があるのである」(「おわりに」より)。ガブリエルも素晴らしいのですが、本書の眼目はむしろ、ハートとメイソンという異なるタイプのマルクス系左派と斎藤さんとのやりとりにあります。マルクスに対して食わず嫌いになっている読者にも薦めたい一冊です。


★『国家活動の限界』は、「近代社会思想コレクション」の第26弾。『Ideen zu einem Versuch, die Grenzen der Wirksamkeit des Staats zu bestimmen』(『国家活動の限界を確定する試みのための思想』1792年)の全訳を第一部とし、第二部には関連テクスト4篇「国家体制についての理念――新フランス憲法を契機にして」、「ゲンツ宛フンボルト書簡」2通、「フォルスター宛フンボルト書簡」を収めています。続く第三部は「官僚制・国家試験・大学」と題して、「高等試験委員会の組織に関する鑑定書」「ベルリン大学設立の提議」「宗教・公教育局報告」「ベルリンの高等学問施設の内面的および外面的編制について」の4篇を収録し、第四部「参考資料 ドイツ憲法論」では1813年の「ドイツ憲法論」のほか、7篇の関連テクストを併録しています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。帯文ではヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Friedrich Wilhelm Christian Karl Ferdinand Freiherr von Humboldt, 1767-1835)はこう紹介されています。「J.S.ミルが激賞した「教養」思想家、ベルリン大学創設に賭けた官僚、そして、ドイツ統一を目指した国政家」と。


★「人間の真の目的とは、自分の諸能力を最も均斉のとれた最高の形で一個の全体へと陶冶することにある。この陶冶のためには自由が第一の必須条件である。とはいえ、人間の諸能力が発展するためには、自由のほかにもなお、それと緊密に結びついているけれども、それとは別種のもの、すなわち状況の多様性が必要である。どれほど自由闊達で独立不羈の人であっても、画一的な状態に置かれると、みずからの陶冶を完成しにくくなる」(12頁)。「どんな人間を相手にするにせよ、一人の人間であるという権利を認めないような思想には、それだけですでにいささか人間性を貶めるようなところがある。何人も、もっと高い段階に進むことができないほど低い文化段階にいるわけではない」(92頁)。


★なおヴィルヘルム・フォン・フンボルトの著作の既訳書には80年代以降では、『言語と精神――カヴィ語研究序説』(亀山健吉訳、法政大学出版局、1984年)や、『人間形成と言語』(クレメンス・メンツェ編、クラウス・ルーメル/小笠原道雄/江島正子訳、以文社、1989年)、『双数について』(村岡晋一訳、新書館、2006年)などがあります。


★続いて、ちくま学芸文庫の8月新刊4点5冊を列記します。


『交易の世界史――シュメールから現代まで(上)』ウィリアム・バーンスタイン著、鬼澤忍 訳、ちくま学芸文庫、2019年8月、本体1,400円、文庫判384頁、ISBN978-4-480-09936-5
『交易の世界史――シュメールから現代まで(下)』ウィリアム・バーンスタイン著、鬼澤忍訳、ちくま学芸文庫、2019年8月、本体1,400円、文庫判400頁、ISBN978-4-480-09937-2
『古代アテネ旅行ガイド―― 一日5ドラクマで行く』フィリップ・マティザック著、安原和見訳、ちくま学芸文庫、2019年8月、本体1,200円、文庫判256頁、ISBN978-4-480-09939-6
『賤民とは何か』喜田貞吉著、ちくま学芸文庫、2019年8月、本体1,100円、文庫判240頁、ISBN:978-4-480-09934-1
『現代語訳 藤氏家伝』沖森卓也/佐藤信/矢嶋泉訳、ちくま学芸文庫、2019年8月、本体950円、文庫判144頁、ISBN978-4-480-09944-0



★『交易の世界史』上下巻は、2010年に日本経済新聞出版社より刊行された『華麗なる交易――貿易は世界をどう変えたか』の改題分冊文庫化。原書は『A Splendid Exchange: How Trade Shaped the World』(Atlantic Books, 2008)です。グローバリゼーションの起源から現在まで、古代から現代までを通覧する歴史書。下巻に収められた訳者あとがきは日付の新しいものになっていますが、訳文の改変等についての特記はありません。


★『古代アテネ旅行ガイド』は、文庫オリジナル。昨夏に同文庫で刊行された『古代ローマ旅行ガイド―― 一日5デナリで行く』(安原和見訳)の姉妹編です。タイムマシンに乗った気分で古代アテネの風物と文化を堪能することができる一冊。「そうだ、ソクラテスに会いに行こう。競技会を観戦→喜劇で大笑い→饗宴でワイン」という帯文が愉快です。図版多数。



★『賤民とは何か』は、2008年に河出書房新社より刊行された単行本の文庫化。巻末特記によれば、「文庫化に祭司、漢字の表記を改め、ルビ、送り仮名を補った。文章は著者が存命でないことと、執筆時の時代状況の観点から、そのままとした」。巻末には塩見鮮一郎さんによる解説「喜田貞吉――頑固者の賤民研究」が付されています。著者の喜田貞吉(きだ・さだきち:1871-1939)は歴史学者。青空文庫で多数の著作を読めますが、紙媒体の文庫版では今年5月に河出文庫より『被差別部落とは何か』が発売されています。



★『現代語訳 藤氏家伝』は文庫オリジナル。鎌足とその息子の貞慧、不比等の長男・武智麻呂、という三人の藤原氏の事績を伝える家史(奈良時代後半成立)です。「律令国家の形成期を理解するための重要伝記」と帯文にあります。現代語訳と原文に加え、佐藤信さんによる「解説」が巻末に付されています。


★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。


『街灯りとしての本屋――11書店に聞く、お店のはじめ方・つづけ方』田中佳祐著、竹田信弥構成、雷鳥社、2019年7月、本体1,600円、A5判並製160頁、ISBN978-4-8441-3758-0
『マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界──人とその作品、継承者たち』山本博之編著、英明企画編集、2019年7月、本体2,500円、A5判並製480頁、ISBN978-4-909151-21-6
『ねむらない樹 vol.3』書肆侃侃房、2019年8月、本体1,300円、A5判並製176頁、ISBN978-4-86385-370-6



★『街灯りとしての本屋』は11軒の素敵な書店を紹介する本。えほんやなずな(茨城・つくば)、クラリスブックス(東京・下北沢)、敷島書房(山梨・甲斐)、書肆スーベニア(東京・向島)、せんぱくBOOKBASE(千葉・松戸)、ひなた文庫(熊本・阿蘇)、双子のライオン堂(東京・赤坂)、Cat's Meow Books(東京・世田谷)、H.A.Bookstore(東京・蔵前)、Readin' Writin'(東京・田原町)、SUNNY BOY BOOKS(東京・学芸大学)。仲俣暁生さん、山本貴光さん、松井祐輔さん、田中圭祐さん(本書著者)、竹田信弥さん(本書構成)らによるコラムを併載。第二章「本屋の始め方」では「本屋を始めたい人のためのQ&A」や参考文献などが掲載されています。カラー写真多数。書店の間取り図もあり。編集後記によればすでに第2弾の企画もあるとのことです。


★『マレーシア映画の母 ヤスミン・アフマドの世界』は英明企画編集さんのシリーズ「混成アジア映画の海」の第1弾。マレーシアの映画監督ヤスミン・アフマド(Yasmin Ahmad, 1958-2009)の諸作品を様々な角度から読み解く論文集です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。編者の山本さんは巻頭の「はじめに」でこう書いています。「ヤスミン作品を観ると、混成的なアジア世界を舞台に瑞々しい感性を持つ若本たちが織り成す切ない物語に心が打たれる。〔…〕ヤスミンは、映画を通じて「もう一つのマレーシア」を美しく描くことで、現実のマレーシア社会における心の救済を物語に託した」。なお、渋谷のシアター・イメージフォーラムでは8月23日(金)まで没後10周年記念「ヤスミン・アフマド特集」が上映されています。


★『ねむらない樹 vol.3』は第一特集が「映画と短歌」、第二特集「短歌の言葉と出会ったとき」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。木下龍也さんと町屋良平さんの対談「映画だからできること 短歌と小説にしかできないこと」で、ホラー映画ばかり見るという木下さんは『ノーカントリー』が好きで20回は見ていると町屋さんに話しながら、殺し屋シガーの「不気味さがたまらない。ああいう歌人になりたいですね」と仰っています。町屋さんは「どういう歌人なんでしょうか(笑)」と返します。話の続きは14頁で読むことができます。


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保管:2018年6月~2018年8月既刊情報

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岡田さんの『アガンベンの身振り』で予告されていた、アガンベンの自伝的エッセイ『書斎の自画像』は数か月以内に刊行できそうです。


◎2018年8月20日発売:エドワード・ブルワー=リットン『来るべき種族』本体2,400円、叢書・エクリチュールの冒険第12回配本。
 冬木糸一氏短評(「SFマガジン」2018年12月号「OVERSEAS」欄)
 宇佐和通氏特集記事「地底世界の奇書『来るべき種族』解読:ナチス・ドイツを動かしたヴリル伝説の聖典」(月刊「ムー」誌2019年1月号)
◎2018年8月16日発売:ステファヌ・マラルメ『詩集』本体2,200円、叢書・エクリチュールの冒険第11回配本。
 岡山茂氏書評「ジャーナリズムへと戻る回路――長年のマラルメ研究に一つの区切り」(「図書新聞」2018年12月8日号)
 立花史氏書評「「理解可能なマラルメ」を追求――一般読者に親しみやすい現代語訳を」(「週刊読書人」2018年10月12日号)
◎2018年6月27日発売:岡田温司『アガンベンの身振り』本体1,500円、哲学への扉第2回配本。
 岡本源太氏書評「「エピゴーネンの流儀」とは何か――哲学者の思考に寄り添いながら、ともに思索を紡ぐ」(「週刊読書人」2018年9月14日号)



9月新刊案内:山下純照 ・西洋比較演劇研究会編『西洋演劇論アンソロジー』

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2019年9月11日取次搬入予定 *芸術/演劇


西洋演劇論アンソロジー
山下純照 ・西洋比較演劇研究会編
月曜社 2019年9月 本体価格3,600円 46判(天地190mm×左右130mm×束30mm)ソフトカバー装608頁 ISBN:978-4-86503-082-2 C0074


★アマゾン・ジャパンで予約受付中


内容:ギリシア悲劇から20世紀のパフォーマンス・スタディーズまで、西洋演劇の歴史を形作る70人の思想家、劇作家、演出家たちの演劇論のエッセンスを、解説と原典抄訳で構成。演劇史を証言する貴重なドキュメントを集めた一大アーカイヴの誕生!


古代:プラトン/アリストテレス/ホラティウス/クインティリアヌス


16〜17世紀:ルドヴィーコ・カステルヴェトロ/ロペ・デ・ベガ/シェイクスピア/ベン・ジョンソン/ジャン・シャプラン/ドービニャック師/ピエール・コルネイユ/モリエール/ジョン・ドライデン/ボワロー


18世紀:ルイージ・リッコボーニ/ヴォルテール/フランチェスコ・リッコボーニ/ルソー/ディドロ/ギャリック/オリヴァー・ゴールドスミス/ノヴェール/レッシング/ゲーテ/シラー


19世紀:タルマ/クライスト/コールリッジ/チャールズ・ラム/ウィリアム・ハズリット/ヘーゲル/ユゴー/ワーグナー/ゾラ/サラ・ベルナール/ウィリアム・アーチャー/アンドレ・アントワーヌ/オットー・ブラーム

20世紀:アドルフ・アッピア/スタニスラフスキー/ゲオルク・フックス/マックス・ラインハルト/ホフマンスタール/ゴードン・クレイグ/マリネッティ/ピランデッロ/メイエルホリド/ニコライ・エヴレイノフ/タイーロフ/ブレヒト/インドジフ・ホンズル/ロルカ/アルトー/チェーホフ/ピスカートア/デュレンマット/ソンディ/ジャン・ジュネ/ロラン・バルト/マーティン・エスリン/エイベル/スーザン・ソンタグ/ミハイル・バフチン/グロトフスキ/ピーター・ブルック/ジャン・ヴィラール/ドルト/ボアール/シェクナー/バルバ


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9月新刊案内:『森山大道写真集成(2)狩人』

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2019年9月12日取次搬入予定 *写真/芸術


森山大道写真集成②【第3回配本】
狩人
写真:森山大道 デザイン:町口覚
月曜社 2019年9月 本体価格5,000円 A4判変型[天地308mm×左右228mm×束15.5mm]上製角背128頁 ISBN:978-4-86503-083-9 C0072 重量: 950g


★アマゾン・ジャパンにて予約受付中


内容:「三沢の犬」「何かへの旅」「国道シリーズ」など、森山の代表的なイメージ群を収めた1972年作品(中央公論社1972年、講談社、2011年)。「路上(On The Road)の記録でもある『狩人』は、いまのぼくの写真へと引き継がれた重要なポイントとなっている」(森山大道)。


シリーズ「森山大道写真集成」の特徴・・・印刷と装いを一新した決定版。初期の名作を初版当時の画像サイズのまま再現し、トリプルトーンの印刷で新生させる決定版シリーズ。写真家自身による当時の回想、撮影にまつわるエピソード、撮影場所など、貴重なコメントを付して、資料的な側面も充実。


既刊:
第1回配本:①にっぽん劇場写真帖(室町書房、1968年;フォトミュゼ/新潮社、1995年;講談社、2011年;月曜社、2018年12月)本体6,000円
第2回配本:④光と影(冬樹社、1982年;講談社、2009年;月曜社、2019年5月)本体6,000円


続刊予定:
第4回配本:③ 写真よさようなら(写真評論社、1972年;パワーショベル、2006年;講談社、2012年;月曜社、2019年冬予定)
第5回配本:⑤ 未刊行作品集(1964-1976年撮影、2020年春予定)


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注目新刊:江川隆男『すべてはつねに別のものである』河出書房新社、ほか

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★江川隆男さん(訳書:ブレイエ『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』)
『アンチ・モラリア』(河出書房新社、2014年)に「つながるような論文、またこの書物の成果を部分的により展開した論文を集めたもの」(あとがきより)だという『すべてはつねに別のものである――〈身体ー戦争機械〉論』を河出書房新社さんより上梓されました。書名は、アントナン・アルトーのテクスト「なぜ私は病気なのか」(1947年;『アルトー後期集成Ⅲ』所収、河出書房新社、2007年)の末尾の2行「何も決定的ではない、/すべてはつねに別のものである」から採られているとのことです。


すべてはつねに別のものである――〈身体ー戦争機械〉論
江川隆男著
河出書房新社 2019年8月 本体2,900円 46判上製264頁 ISBN978-4-309-24921-6


目次:
序文
Ⅰ 現前と外部性――非-論理の革命的思考について(書き下ろし)
 序論――〈非-論理〉の唯物論はいかにして可能か
 [Ⅰ:問題提起] 発生する変形的諸要素
  ――どのように言語から媒介的特性を除去することができるか
 [Ⅱ:問題構成] 図表論的総合
  ――いかにして言語から言表作用を抽出することができるか
 [Ⅲ:問題実現] 観念の非-言語的力能
  ――身体の一属性として言表を作用させること
 結論に代えて――革命機械としての哲学
Ⅱ 哲学あるいは革命
 ニーチェの批判哲学――時間零度のエクリチュール(2008年)
 機械論〔マニシスム〕は何故そう呼ばれるのか
  ――フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(2010年)
 脱領土性並行論について――ガタリと哲学(2012年)
 〈脱-様相〉のアナーキズムについて(2015年)
 脱-様相と無-様相――様相中心主義批判(2015年)
 ディアグラムと身体
  ――図表論的〔ディアグラマティク〕思考の系譜について(2015年)
 破壊目的あるいは減算中継――能動的ニヒリズム宣言について(2016年)
 最小の三角回路について――哲学あるいは革命(2017年)
 論理学を消尽すること――ニーチェにおける〈矛盾-命令〉の彼岸(2018年)
 〈身体-戦争機械〉論について――実践から戦略へ(2019年)
あとがき


帯文より:スピノザとドゥルーズ=ガタリをつきぬける孤高の哲学者によるおそるべき触発。無-媒介、非-存在、非-論理、無-様相としての〈来るべき民衆〉を生成させる絶対的な〈外〉の哲学。


推薦文:次世代の哲学者から圧倒的支持! 近藤和敬氏「スピノザに導かれて進む内在主義の荒涼たる極北」。平尾昌宏氏「この明晰な狂人の言葉なき歌を作動させよ!」。堀千晶氏「自由意志を焼き尽くす《無調》の戦争機械=哲学」。小林卓也氏「乱流する〈反-思考〉がすべてを破壊し変形する」。


あとがきより:「『アンチ・モラリア』の出版前に書いた三論文と出版後に書いた七論文を選定し、それらを「第Ⅱ部」に纏め、また「第Ⅰ部」には書き下ろしのかなり長い論文を入れた。〔…〕第Ⅱ部の既発表の諸論文に関して言うと、若干の文字の修正以外、ほぼ手を加えていない。というのも、そられは、つねに完全性のなかで発表されたものだからである。〔…〕第Ⅰ部の「厳然と外部性」について言うと、このテーマは、ほぼ15年前から少しずつ考え続けてきたものである。この問題の部分がこうした著作において実現できたことを喜びに思っている」。


本文より:「哲学は、今日の人文科学と称されるものの一分野に絶対に収まる思考ではない。哲学は、一つの科学でも学問でもない。哲学は、同じ意味において絶対に形而上学ではない。哲学は、つねに価値転換と意味変形を使命としたむしろ〈反-思考〉それ自体である。その限り哲学は、つねに革命的思考を、すなわち非-加速的な系譜学的逆行を選択するであろう。哲学は、たしかに概念の形成を使命とするが、それ以上に概念を武器にするのである。哲学は、絶えず〈来るべき民衆〉が万民に放つ矢である」(「現前と外部性」86頁)。


★柏倉康夫さん(訳書:マラルメ『詩集』)
限定120部(番号入)の私家版として、アルベール・カミュ『結婚』の訳書を上梓されました。底本は1950年のガリマール版。「窪田啓作、高畠正明両氏の既訳があるが、あえて自分なりの翻訳をこころみた」(訳者あとがき)とのことです。フランス図書さんで販売されています。



結婚
アルベール・カミュ著 柏倉康夫訳
柏倉康夫発行 上野印刷所印刷 2019円7月 頒価本体1,000円 A5判並製90頁 ISBNなし


★川合全弘さん(訳書:ユンガー『追悼の政治』『労働者』『ユンガー政治評論選』)
京都産業大学法学会の紀要「産大法学」で、昨年から今年にかけて連載されていた論考「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学」が全3回で完結しました。岩畔豪雄(いわくろ・ひでお:1897-1970)は昭和期の陸軍少将で評論家。著書に『世紀の進軍シンガポール総攻撃――近衛歩兵第五連隊電撃戦記』(潮書房、1956年;光人社NF文庫、2000年)、『戦争史論』(恒星社厚生閣、1967年)、『科学時代から人間の時代へ』(理想社、1970年)、『昭和陸軍 謀略秘史』(日本経済新聞出版社、2015年)などがあります。川合さんの論考では、京都産業大学史の文脈の中で岩畔豪雄の事績を掘り起こしつつ、京産大への岩畔の寄与、とりわけ世界問題研究所の創設と、同所長在職中に書かれた二冊の大著『戦争史論』『科学時代から人間の時代へ』とを、「敗戦国日本の軍人による大戦省察の持続的努力の優れた成果として見直すこと」(上篇「はじめに」より)が試みられています。下篇では「岩畔の戦争概念を、近代兵学史上の三人の先行者、すなわちクラウゼヴィッツ、ルーデンドルフ、石原莞爾の戦争概念と比較することによって、それ独自の意義を解明」(下篇3頁)することも試みられています。


「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学(上)」(「産大法学」第50巻第1・2号所収、京都産業大学法学会、2018年1月)
「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学(中)」(「産大法学」第51巻第1号所収、京都産業大学法学会、2018年4月)
「一軍人の戦後――岩畔豪雄と京都産業大学(下)」(「産大法学」第53巻第2号所収、京都産業大学法学会、2019年7月)


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注目新刊:千葉雅也「デッドライン」(『新潮』9月号)、ほか

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★同じ時期に刊行された新刊書籍どうしには、偶然とも必然とも言いがたい響き合いが生じるときがあります。それは隠された鍵であり、もともと著者が外部へと向けて風穴を開けていることの証左でもあれば、読者側が磁場を作動させてしまう場合もあります。今回の場合、千葉雅也さん、中沢新一さん、サミュエル・ベケットのテクストに、互いを引き寄せ合う何かを感じました。


「デッドライン」千葉雅也著、『新潮』2019年9月号所収、新潮社、2019年8月(本体907円、A5判並製396頁、雑誌04901-09)、7~77頁
『レンマ学』中沢新一著、講談社、2019年8月、本体2,700円、四六変型判上製482頁、ISBN978-4-06-517098-4
『マロウン死す』サミュエル・ベケット著、宇野邦一訳、河出書房新社、2019年8月、本体2,700円、46判上製212頁、ISBN978-4-309-20779-7



★千葉雅也さんの初めての小説作品「デッドライン」が文芸誌「新潮」2019年9月号に掲載されています。目次に記載されている紹介文は以下の通りです。「線上で僕は悩む。動物になることと女性になることとの間で。哲学者から小説家への鮮やかな生成変化。21世紀の『仮面の告白』、誕生!【230枚】」。作品名のリンク先で最初の一部を立ち読みすることができます。とても第一作とは思えないほどの見事な、魅力的な作品です。デビュー作『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社、2013年;河出文庫、2017年)の前日譚として読むことができます。この作品の魅力と仕掛けは、おそらく千葉さんの人生の振り幅の分だけ存在しており、既刊書で表出されてきた様々な側面は今回の小説と見事に連環しているように思われます。この作品は時間軸に沿って展開するというよりは、過去と現在と未来が折りたたまれた水晶を覗き込むような印象を読者に与えます。60頁から61頁に掛けては、主人公の僕が語る物語の海面がめくれ上がるようにして友人知子が主語として浮上する場面があります。この何気ない特別さ。本作が三島由紀夫にとっての『仮面の告白』に似た意義を帯びるとすれば、千葉さんにとって「デッドライン」はひとつの「生の回復術」たりうるでしょうか。第二作が今から待望されるのも当然だろうと感じる快作です。



★「いま僕の円環はほどけ、僕は振動する線になって伸びていく。上昇し下降し、ある高さに留まり、途切れては再開する。/僕はときに向こうへと飛び越えそうになりながらも、線の手前でただ自転していた。そのバランスが崩れた。それが崩れた先でできることは何か。それは今度は、僕自身が線と一致することだ。外から与えられた線に対して程よい距離を測り続けるのではなく。泳ぎを楽しむ魚のすばやいカーブのような線になる。/僕は線になる。/自分自身が、自分のデッドラインになるのだ」(77頁)。音楽的という以上にこれは音楽なのでしょう。


★『レンマ学』はあとがきによれば、「『チベットのモーツァルト』に始まる三十年以上も続けられてきた私の探究のたどりついたひとつの山頂を示している」もので、「『レンマ学』の第一部をなす」、いわば到達であると同時に始まりでもある一書です。「その間に続けられたさまざまな訓練、読書、旅、問題の所在場所の位置測定、登頂ルートの検討と決定、装備の点検などをへて、私は一人でベースキャンプを出て山頂に向かった。しかしヒマラヤ地帯を歩いた経験からよく知っているのだが、山頂と思ってたどり着いてみると、そのむこうにはさらに巨大な山塊が聳えているのである。本書がたどりついた山頂なども、もっと巨大な山塊の小さな前山にすぎないのであろう。この「あとがき」を書いていても、私には自分の前にくっきりとその姿をあらわしているその「類推の山」(ドーマル)が見えている。この山は知的世界のグーグル地図にもまだ載っていない。しかもその山は想像以上に遠くにある」(457頁)。「とりとめもないほどに多様に思われたさまざまな助走路が、この道のまわりに集合して意味ありげな枝道として互いに結び合うようになった。私は日本人による創造を待っている新しい知的体系というものを探し求め続けてきたが、それに確実に手を掛けたという実感をこの時〔2016年度の南方熊楠賞授賞式講演の準備中〕持つことができた」(458頁)。


★「対称性が働きだすと、ロゴス的知性のつくりだしている「全順序」の構造は壊れてしまう。意識的思考にとってきわめて重要な時間における順序構造が壊れると、過去、現在、未来という時間の線形秩序が壊れてしまう〔…〕。無意識がむき出しの状態で意識を働きを圧倒しだすと、空間の中の点の順序も失われてくる。そうなると空間性じたいが失われていく。運動は時間の中で起こる空間的な場所の置き換えであるから、空間と時間が対称性無意識の働きによって失われると、運動そのものも消えていくことになる」(174頁)。


★『マロウン死す』(原著1951年刊)は、『モロイ』(こちらも原著1951年刊)に続く、ベケット没後30年個人訳三部作小説の第2弾。帯文に曰く「黒いユーモア、根深いペシミズム、そして小鳥の歌のような祈り――「小説三部作」の2作め」。投げ込み栞には、高橋悠治さんによる「声は色褪せ」と、金氏徹平さんによる「風のない夜は、私にとってまた別の風」、の2篇を収めています。宇野さんは訳者あとがきで次のように述べています。「『モロイ』に続けて書かれる『マロウン死す』で、物語を位置づける時空の観念は、もっと不連続で、しばしば唐突に切断される。基底の時間は、話者が自分の死に挑む時間に設定されている。その話者はおよそ三万日生きたとか、年齢は九十あるいは四、五十代であるとも、いい加減に書かれる。時間の観念などないに等しいが、死または終わりの観念ならば確かにある。しかし死はもちろん体験しえない出来事である(それなら生は体験しうるのか?という問いが当然わきあがってくる)。語り手の思考は、体験しえない死をめぐり、死の前のそのまた前の時間のなかにあるしかない。〔…〕〈臨死〉の時間を引き延ばし、加工し、仮構することができるのはベケットの言葉、語り手に託された思考だけである」(198頁)。


★ベケットは末尾付近でこう書いています。「この陰鬱な体たちの絡みあい、それが彼らだ。闇のなかでもはや彼らはひとつのかたまりにすぎない。黙ったまま、ほとんど見えない。たぶんたがいにしがみついている、頭はケープのなかで何も見えない。彼らは湾の遠くにいる、レミュエルはもう漕ぐのをやめ、オールは水のなかを滑っていくだけだ。夜は不条理にちりばめられ」(191頁)。この場面の、死の影をまとった暗さと、千葉さんの「デッドライン」の冒頭と末尾で描かれる、男たちの活力に満ち溢れた肉体と動きを包む闇の暗さとの、対比あるいは表裏一体。


★このほか、以下の新刊と既刊に注目しました。ヴァシェ、ペソア、レーヴィは、彼らが実存主義と分類されることはないかもしれませんが、生の苦悩と死を見つめた思索者であり書き手として、広い意味で20世紀の実存思想の星座を輝かせる、不可欠の存在ではないかと感じます。


『戦時の手紙――ジャック・ヴァシェ大全』ジャック・ヴァシェ著、原智広訳、河出書房新社、2019年8月、本体3,400円、46判上製248頁、ISBN978-4-309-20778-0
『不安の書【増補版】』フェルナンド・ペソア著、高橋都彦訳、彩流社、2019年8月、本体5,200円、四六判上製688頁、ISBN978-4-7791-2604-8
『プリーモ・レーヴィ全詩集――予期せぬ時に』プリーモ・レーヴィ著、竹山博英訳、岩波書店、 2019年7月、本体2,800円、四六判上製272頁、ISBN978-4-00-061353-8
『ラカン――反哲学3 セミネール 1994-1995』アラン・バディウ著、ヴェロニク・ピノー校訂、原和之訳、法政大学出版局、2019年8月、本体3,600円、四六判上製356頁、ISBN978-4-588-01100-9



★『戦時の手紙』はまもなく発売。既訳には『戦場からの手紙』(神戸仁彦訳、ゴルゴオン社、1972年;夢魔社発行、牧神社発売、1974年;村松書館、1975年)などがありましたが、久しぶりの新訳です。帯文はこうです。「シュルレアリスム誕生の霊媒者にして永遠の反抗者、23歳で自殺した伝説の詩人ジャック・ヴァシェ、100年目に降臨」。100年目というのはヴァシェ(Jacques Vaché, 1895-1919)の没年から数えてです。ヴァシェの手紙は今回初めての「ほぼ全訳」とのこと。目次は以下の通り。


はじめに|原智広
戦時の手紙 1915-1918
 ジャンヌ・デリアンの証言|ジャンヌ・デリアン
 アンドレ・ブルトンの証言|アンドレ・ブルトン
 手紙|ジャック・ヴァシェ
 小説「血濡れの象徴」|ジャック・ヴァシェ
 詩「蒼白なアセチレン」|ジャック・ヴァシェ
自殺に関するアンケート|「シュルレアリスム革命」誌2号、1925年、バンジャマン・ペレ/ピエール・ナヴィル編集
ジャック・ヴァシェの召喚|原智広
ジャック・ヴァシェ年譜
ジャック・ヴァシェに関する書籍
あとがき|原智広


★「自殺に関するアンケート」(141~191頁)は初訳です。問いはこうでした。「自殺はひとつの解決であるか?」。回答者は以下の通り。フランシス・ジャム、ジョゼフ・フロリアン、ピエール・ルヴェルディ、レオン・ピエール=クイント、アンドレ・ルベー、モーリス・ダヴィド、フェルディナンド・ディヴォワール、M・J・ポトー教授、ゴロディシュ博士、ギヨ・ド・セ、ジョルジュ・フレスト、レオン・ウェルト、ルイ・ド・リュシー、ルイ・バストール、ジョルジュ=ミシェル、ポール・ブラッシュ、ピエール・ド・マソ、ジョルジュ・デュヴォー、L・P、クロード・ジョンキエール、ポール・レシュ、フロリアン=パルマンティエ、フェルナンド・グレーグ、ミシェル・コルデー、ミシェル・アルノー、ボニオ博士、レオン・バランジェ、ジョルジュ・ポルティ、マルセル・ジュアンドー、ジャン・ポーラン、モーリス・ド・フルーリー博士、ポール・ルセーヌ教授、クレマン・ヴォーテル、ジャック・ヴァシェ、エ・ラッブ、バンジャマン・コンスタン、ジェローム・カルタン、セナンクール・オーベルマン、フィリップ・カザノヴァ、イヴ・グジャン、アンドレ・ビアーヌ、マキシム・アレクサンドル、アンドレ・ブルトン、アントナン・アルトー、ヴィクトール・マルグリット、ジョルジュ・ベシエール、ピエール・ナヴィル、ルネ・クルヴェル、M・E・テスト氏、アルノルト・バーグレイ、マルセル・ノル。アルトーの回答の出だしが印象的です。「いいえ、自殺は未だひとつの仮説にすぎない」(169頁)。


★ヴァシェは手紙でこう書いています。「薄汚い泥のような国家の統治は絶対的で、誰も反論を許さない。腐ったマヨネーズのような臭い、肢体から大量の腐った液体が滲み出る。少しでも耳を傾ければ、あなたたちの水面下では意味空疎な歌声が響き渡る、なんてひどい有様だ! どいつもこいつも綺麗ごとを歌っている。人々は瓦礫の中で片輪になりもがいている! 住居は粉々に潰され、人々は殺され、衰退している。これが進歩だって? 生活を改善するって? 火事の最中で火傷を負い、ひりひりする感じだ。見ろよ、こいつが「革命」ってやつさ! 実に見事なものだ。黙示録の契りの中で、よりよい都合がよりよい状況を生み出す、戦争という神像を崇めるものどもに天罰を下すために遣わされた仲介者が、あなたたちのおつむの中に湧いてくる、創世記に交わされた業という名の契りだ」(75頁)。訳者の原智広(はら・ともひろ:1985-)さんによる「ジャック・ヴァシェの召喚」はいわゆる訳者解説ではなく、ヴァシェの憑依によって成ったと言うべきテクストです。


★『不安の書【増補版】』は、2007年の新思索社版『不安の書』に、同書の底本であるクワドロス版(1986年)と重複していないピサロ校訂版(2010年)の断章6篇を選んで訳出し、増補分(621~633頁)として加え、合計466篇の断章を提示するもの。新思索社版は版元の廃業のため入手不可能になっていたので、今回の再刊は驚きであるとともに喜ばしいものとなりました。同書の抄訳版には、澤田直さん訳による『不穏の書、断章』(思潮社、2000年;新編、平凡社ライブラリー、2013年)があります。澤田さんは同書に添えた「止みがたき敗北への意志――ベルナルド・ソアレス著『不穏の書』解題」で、「ソアレスの反デカルト的言辞には、実存主義の背景にある世界への不安を先取りするものも見え隠れする」と指摘しておられます。


★「世界は感じない人間のものだ。実用的な人間になるための本質的な条件は感性に欠けていることだ。生活を実践する上で大切な資質は行動に導く資質、つまり意志だ。ところが、行動を妨げるものがふたつある。感性と、結局は感性をともなった思考に過ぎない分析的な思考だ。あらゆる行動はその性質上、外界に対する個性の投影であり、外界は大きく主要な部分が人間によって構成されているので、その個性の投影は、行動の仕方次第では、他人の進む道を横切ったりさえぎったり、他人を傷つけたり踏みつけたりすることになる。/したがって、行動するには、われわれは他人の個性、彼らの苦悩や喜びを容易に想像できないでいることが必要になる。共感する者は立ち止まってしまう。行動家は外界をもっぱら動かない物質――彼が踏みつけたり、道から取り除いたりする石のように、それ自身動かないものであれ、あるいは石のように取り除かれるか踏みつけられるかして抵抗するすべもないまま、石と同様に動かない人間であれ――そうした物質から構成されていると見なす。/実用的な人間の最高の例は、最高の行動集中力を持ち、しかもそれを最高に重要視するので、戦略家だ。人生はすべて戦争であり、したがって、戦闘は人生の総合だ」(断章103より、188~189頁)。


★私はペソアの中に、現代人の苦悩を見る思いがします。また、自分が考えてきたこと、書き記したこと、経験したことの原型と変奏を見出します。ペソアは現代人の隣人であり続け、『不安の書』はこれからも人々の共感のもとに読み継がれるに違いありません。おそらく本書は外国文学の棚に置かれるのでしょうけれども、カフカのアフォリズムやシオランの著書などと併せて、ペソアの思索は人文書の哲学思想棚においても、その一角を占めるにふさわしい深度を持っていると感じます。


★『プリーモ・レーヴィ全詩集』の原書である、生前最後の詩集『予期せぬ時に』は、まず1984年にガルツァンティ社から刊行され、1990年に同社から増補版が刊行されています。訳書ではこの増補版の全訳に加え、エイナウディ社版『プリーモ・レーヴィ全集』(1997年、2016年)に収められた、新たに見つかった詩3篇も併せて収録している、いわば特別版です。


★1984年10月29日の作品「ある谷」から印象的な前半部を引用します(137~138頁)。


私だけが知っているある谷がある。
そこには簡単にたどり着けない、
入り口に絶壁があり、
灌木が生い茂り、隠された徒渉場があり、流れは急で、
道は見分けがたい踏み跡になっている。
多くの地図にはその場所が出ていない。
そこに続く道は私一人で見つけた。
何年も費やし、
よくあるように、何度も間違えたが、
むだな時間にはならなかった。
私の前にだれが来たのか分からない、
一人か、何人か、あるいはだれも来なかったのか。
この問いは重要ではない。
岩の表面にしるしがある、
そのいくつかは美しいが、みな謎に包まれている、


★レーヴィ(Primo Michele Levi, 1919-1987)は、『予期せぬ時に』が刊行された1984年10月当時、評論家のアントニオ・アウディーノによるインタヴューに応えてこう発言しているそうです。「詩とは限界にまで凝縮された言語であり、意味論的に豊かで、わずかな言葉が多くの意味を持つ。〔…〕私は散文で書くものには、そのあらゆる言葉に責任を持てるが、詩ではそうできない。ある種の言い方をするなら、私は詩を興奮状態で書くと明言できるだろう」(訳者解説の引用より、214~215頁)。1981年には別の評論家ジュゼッペ・グラッサーノに答えて「私は詩をある方法に則って書くことはできない……それはまったく制御できない現象だ」(同、215頁)とも。ちなみに訳者解説では、レーヴィによるツェラン評にも言及されています。レーヴィはツェランに対し、こう書いているといいます。「意味不明な不完全な言語で、死にかけている、孤立した人が発するものだ。我々が死ぬ時はみながそうであるように。だが我々生者は孤立していないので、あたかも孤立しているように書くべきではない。我々は生きている限り責任を負っている。我々は書く言葉の一つ一つに責任を持つべきで、その言葉がきちんと目標に届くようにすべきなのだ」(レーヴィ「分かりにくく書くこと」)。


★竹山さんは次のように指摘します。「レーヴィはこうして詩の内容が読者に伝わるような書き方を理想として、詩作を進めたわけだが、実際に彼の詩がすべての人に分かりやすいかと言えば、必ずしもそうではない。彼は散文で使う言葉には責任を持てるが、詩ではそうできないと言っている。それは詩が理性で制御できないものを含んでいて、そうしたものは比喩や寓意を使って表現せざるを得ないからだ。この詩集では理性の人であるレーヴィが半分に裂かれ、制御できないもう一人の自分と向き合うさまを読むことができる」(218~219頁)。興味深いことに、レーヴィの詩はツェランより遥かに理解しにくいものとなっているように感じます。上記に引用した部分はまだ想い浮かべやすい方ですが、後半部まで読むと、前半部で示されたように感じたレーヴィの内面世界が結局のところ何を象徴しているのか、はっきりとは分からなくなります。それはレーヴィの意に反して極めて暗号的です。


★『ラカン』はバディウの講義録『Le Séminaire - Lacan : L'antiphilosophie 3 : 1994-1995』(Fayard, 2013)の全訳。書名にある通り、1994年から1995年にかけて、ラカンを講じた全9講の記録です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。バディウは巻頭の序文でこう書いています。「前世紀の50年代末以降、ラカンは私の知的道程の、必要不可欠でもあれば近づき難くもある道連れだった」(1頁)。そして第Ⅰ講冒頭ではこう宣言しています。「今年は、現代の反哲学について一昨年はじめた一連の講義の仕上げをしたいと思います。われわれは現代の反哲学を創始するニーチェの立場からはじめ、昨年はウィトゲンシュタインの立場を検討しました。そしてラカンで締めくくりということになります」(7頁)。講義の第一の課題は「どのような意味でラカンが反哲学者なのかを立証すること」であり、第二の課題は「ラカンが反哲学者というだけでなく、現代の反哲学の締め括りであると考えられうるのはなぜなのか、その理由を明らかにすること」だと表明されています。


★より大きな構想ではラカン論は次のようなバディウ自身の見取り図の中にあります。「1994~1995年度の〈セミネール〉は、最も著名な反哲学者をまさに取り上げた四部作に組み込まれている。この四部作を締めくくったのが反哲学の根本的な伝道者、すなわち聖パウロ〔『聖パウロ――普遍主義の基礎』河出書房新社、2004年〕であったのに対し、まず取り上げられたのは現代の反哲学者たち、つまりニーチェ(1992~1993年度)、ウィトゲンシュタイン(1993~1994年度)そしてラカンであり、これらの三人は古典的反哲学者の三人組、パスカル、ルソーそしてキルケゴールに対置されていた。この三人組については、おそらくいつかセミネールを行なうことになるだろう。彼らは十分それに値するし、そもそもすでに私の著作のなかで頻繁に召喚されている」(3頁)。訳者あとがきによれば、「ファイヤール社からはこの50年にわたるセミネールのうち、1983年から2013年までが順次刊行される予定であり、ラカンを取り上げた1994~1995年のセミネールは、その嚆矢として2013年に刊行されたものである」とのことです。なお、本書ではセミネール一覧も掲載されています。


★本書は、ラカンにとってのマルクスについて論及される第Ⅴ講、ジャン=クロード・ミルネールとのやり取りから成る第Ⅸ講、など、興味深い内容ばかりで、今まで日本語で読むことのできたラカン論の中でもっとも異色かつ明晰な切り口になっているように思われます。


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