饗宴 訳と詳解
プラトン著 山本巍訳・解説
東京大学出版会 2016年6月 本体6,500円 A5判上製448頁 ISBN978-4-13-010129-5
帯文より:エロスの賛美を七人で競った物語――この作品だけが、特定個人との対話でないのはなぜか。過去の語りが二重化されているのはどうしてか。書かれなかった未知を読み解く.ギリシア語のテクストに徹底的に分け入り、正確な訳と詳細な註で、古典の新たな魅力を甦らせる。
★発売済。凡例によれば底本は、ジョン・バーネット校訂版『プラトン全集』第2巻(Oxford Classical Texts, 1964)所収のテクストであり、底本と異なる読みについては訳註で示されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳と詳解の二部構成で、後者の分量の方が多いです。『饗宴』(シュンポシオン)の既訳は色々ありますから、高額な訳解書を手に取る読者は限られているのかもしれませんが、本書の肝が訳者の精緻な読解にあることは明らかです。
★訳者は言います。「『饗宴』全篇は、テキスト外の著者プラトンの視点(裏脈絡)とテキスト内の語り手アポロドロスの視点(表脈絡)は違ったレベルにあって、二重化されている。同じ文や語でも異なった意味関連を担いうるのである」(175頁)。また、まえがきではこう述べておられます。「全篇に張られた裏脈絡が湛える沈黙といい、余白というテキストの外部といい、それは読者であるわれわれ自身が著者プラトンと自由の内に対話するために開けた空間である。事の真実と明瞭な理解を求めて、われわれは「テキストとともに、テキストを超えて」問わなければならない。プラトンを読むとは、なぜプラトンはそう書いているのか、書かざるを得なかったのか、と言葉の襞にも分け入り、表裏皮膜の間に絶えず問う問いの反復の道である。「プラトンよ、語れ」と問いの現場にプラトンを呼び出すことになる。対話は自他の間に適切な距離という「間」が必要だからである。そうしてこそ読者は書かれた文字を通して、書かれていない、それだけ未知のことを著者に対して自分の責任で問いかけながら読むことになる」(vi頁)。
★ソクラテスの人物像については訳者は次のように書いています。「ソクラテスは社会的地位に関心を置かなかったように、世の勝ち組・負け組がおよそ問題にならなかった。〔・・・〕人が自分の能力でどれほど偉大なことを達成し成功したか、人々に対してどれほど影響力を行使できるか、どんな威信と財力をもっているかということも、気にならなかった。〔・・・〕ソクラテスはアテネ社会では余剰であり、哲学が披く空無という余暇に生きていた。人の世の力を軽々と無視したのである。そんなことをすれば、人の世は殺す力があるぞ、と恫喝しても(『弁明』29D)、である。そういう危険をよく理解していたので、ソクラテスはロマンチックな夢想家ではなかった。むしろリアリストなのである」(366頁)。この続きも非常に印象的な解説が続きます。「正直であろう」とする生き方の徹底、「自分の持ち物に跨って思い上が」るのではない生き方、分かったふりで通り過ぎるのではなく、他者と物事への真剣なコミットメントを求める生き方というのは、時代がどんなに移り変わっても変わらない価値を有しているのではないかと感じます。それは宴席で友人たちが寝落ちするまで延々と酒を酌み交わし議論する『饗宴』でのソクラテスのタフさと表裏一体の価値です。
★『饗宴』と並んで高名な作品『弁明』も、数か月前に新訳が刊行されているのは周知の通りです。専門書が充実している大型書店でないと置かれておらず、ネット書店でもなかなか購入しづらい本ですが、ご紹介しておきます。
プラトン『ソクラテスの弁明』注解
金子佳司編著
ピナケス出版 2016年2月 本体8,200円 A5判並製276頁 ISBN978-4-903505-16-9
★本書の構成は以下の通り。はじめに/本文(希和対訳)/注釈/解説/文献表/語彙(小事典)/あとがき。『饗宴』以上の高額本ですが、それは本書が極小ロット印刷・オンデマンド印刷の専門会社である「デジタル・オンデマンド出版センター」による印刷製本であることと関係しているのかもしれません。それにしても、あとがきによれば約10年を掛けて練り上げられた成果なのですから(山本さん訳『饗宴』は3年半とのこと)、その年月から考えれば1万円以下というのは法外に安い値段だとも言えます。編著者の金子佳司(かねこ・けいじ:1955-)さんは現在、日本大学非常勤講師、明治学院大学言語文化研究所研究員、法政大学大学院兼任講師でいらっしゃいます。
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★このほか、次の新刊に注目しています。いずれも発売済。
『カンディード』ヴォルテール著、堀茂樹訳、晶文社、2016年6月、本体1,800円、四六判上製256頁、ISBN978-4-7949-6927-9
『ポケットマスターピース09 E・A・ポー』エドガー・アラン・ポー著、鴻巣友季子+桜庭一樹編、池末陽子編集協力、丸谷才一+日夏耿之介+巽孝之+中里友香訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2016年6月、本体1,300円、832頁、ISBN978-4-08-761042-0
『シェイクスピアの生ける芸術』ロザリー・L・コリー著、正岡和恵訳、白水社、2016年6月、本体8,800円、4-6判上製644頁、ISBN978-4-560-08307-9
『完訳 論語』井波律子訳、岩波書店、2016年6月、本体2,800円、四六判上製672頁、ISBN978-4-00-061116-9
★堀茂樹訳『カンディード』の底本は、ロラン・バルトのあとがきが付されたガリマールの「フォリオ・クラシック」1992年版『カンディードとその他のコント』所収のテクストです。バルトはこの新訳書では併載されてはいませんが、バルトのヴォルテール論をお読みになりたい方は、『批評をめぐる試み/エッセ・クリティック』の「最後の幸福な作家(Le dernier des écrivains heureux)」(みすず書房/晶文社)をご覧ください。『カンディード』の末尾でヴォルテールは主人公の恩師パングロスにこう言わせています。「この世界は、およそあり得べきすべての世界のうちで最善の世界である。ここではすべての事件がつながっておる。なんとなればそもそも、考えてみたまえ、もしきみがキュネゴンド姫に恋したがゆえに尻を蹴飛ばされて美しい城館から追い出されなかったら、もしきみが宗教裁判にかけられなかったら、もしきみがアメリカ大陸を歩きまわっていなかったら、もしきみが男爵に剣で一突きお見舞いしていなかったら、もしきみがあの美し国エルドラドでもらい受けた羊たちを全部失っていなかったら、きみは今ここで、砂糖漬けのレモンやピスタチオを食してはいないであろうよ」(233~234頁)。試練続きの人生にも意味があるのだとしたら、ヴォルテールのこの言葉ほど人を励まし、慰めるものもないでしょう。
★『ポケットマスターピース09 E・A・ポー』の収録作品は以下の通り。桜庭一樹さんによる翻案2作も収録しているところがミソ。こうした古典の翻案ものをカップリングする試みはもっと増えてもいい気がします。
詩選集
大鴉|中里友香訳
アナベル・リイ|日夏耿之介訳
黄金郷|日夏耿之介訳
モルグ街の殺人|丸谷才一訳
マリー・ロジェの謎――『モルグ街の殺人』の続編|丸谷才一訳
盗まれた手紙|丸谷才一訳
黄金虫|丸谷才一訳
お前が犯人だ〔You are the woman〕――ある人のエドガーへの告白|桜庭一樹翻案
メルツェルさんのチェス人形――アドガーによる“物理的からくり〔モーダス・オペランディ〕”の考案|桜庭一樹翻案
アッシャー家の崩壊|鴻巣友季子訳
黒猫|鴻巣友季子訳
早まった埋葬|鴻巣友季子訳
ウィリアム・ウィルソン|鴻巣友季子訳
アモンティリャードの酒樽|鴻巣友季子訳
告げ口心臓|中里友香訳
影――ある寓話|池末陽子訳
鐘楼の悪魔|池末陽子訳
鋸山奇譚|池末陽子訳
燈台|鴻巣友季子訳
アーサー・ゴードン・ピムの冒険|巽孝之訳
解説|鴻巣友季子
作品解題|池末陽子
E・A・ポー著作目録|池末陽子
E・A・ポー主要文献案内|池末陽子
E・A・ポー年譜|池末陽子/森本光
★コリー『シェイクスピアの生ける芸術』は「高山宏セレクション〈異貌の人文学〉」の最新刊。シェイクスピア没後四百年記念出版で、帯には高山さんの次のようなコメントが掲載されています。「ジャンルの生成を通して文学の世界を根本から眺め直した本として、ノースロップ・フライ『批評の解剖』、ミハイル・バフチンの伝説的なラブレー論と並び称されたロザリー・コリーのシェイクスピア論の名著を江湖の読書子に贈る。批評が途方もない博識を綿密な読解と、遊び心にも富むエレガントな言葉で表現できた二十世紀人文批評黄金時代の最後を飾る一書として堪能されよ。既に本邦翻訳史に金字塔をうちたてたコリーの画期書『パラドクシア・エピデミカ』のこの姉妹篇ほど、シェイクスピア没後四百年記念の年に読者諸賢の机上にふさわしいものはないと思ってきた。夢はたせた!」。原書は、Shakespeare’s Living Art (Princeton University Press, 1974)です。訳者あとがきによれば本書翻訳のきっかけを作ったのは故・二宮隆洋(1951-2012)さんだそうです。二宮さんがお亡くなりになられてからもう何年も経ちますが、私たちは新刊のあとがきでもう何回、二宮さんのお名前を認めたことでしょう。ロザリー・L・コリー(Rosalie L. Colie, 1924-1972)は米国の比較文学者。単独著の既訳には『パラドクシア・エピデミカ』(原著1966年;高山宏訳、白水社、2011年)があります。
★「高山宏セレクション〈異貌の人文学〉」の続刊予定には、エルネスト・グラッシ『形象の力』原研二訳、アンガス・フレッチャー『アレゴリー』伊藤誓訳、ウィリアム・マガイアー『ボーリンゲン』高山宏訳、が挙がっています。必読書が今後も続きます。
★井波律子訳『完訳 論語』は、原文・訓読・語注・現代語訳・解説で構成され。巻末には人名索引・語注索引・語句索引・主要参考文献・孔子関連年表・孔子関連地図を配しています。『論語入門』(岩波新書、2012年)では1/3にあたる146条が扱われていましたが、今回の完訳で全編を味わえることになります。いずれ文庫化されるでしょうけれども、単行本はレイアウトが工夫されているので、読みやすさから言えば単行本版を購入しておいて損はないと思います。『論語』は様々な既刊が出ていますけれども、幾度となく親しむ機会が生まれているのは素晴らしいことです。年齢によって読み方や理解力が変わっていくのを感じます。
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★また、最近では以下の新刊との出会いがありました。
『耕す人』公文健太郎写真、平凡社、2016年7月、本体5,200円、B5横変型判上製144頁、ISBN978-4-582-27825-5
『[決定版]ナチスのキッチン――「食べること」の環境史』藤原辰史著、共和国、2016年7月、本体2,700円、菊変型判並製480頁、ISBN978-4-907986-32-2
『まちづくりの哲学――都市計画が語らなかった「場所」と「世界」』代官山ステキなまちづくり協議会企画・編集、蓑原敬+宮台真司著、ミネルヴァ書房、2016年6月、本体2,400円、4-6判並製436頁、ISBN978-4-623-07590-4
『保守主義とは何か――反フランス革命から現代日本まで』宇野重規著、中公新書、2016年6月、本体800円、232頁、ISBN978-4-12-102378-0
『ぺリー来航――日本・琉球をゆるがした412日間』西川武臣著、中公文庫、2016年6月、本体760円、194頁、ISBN978-4-12-102380-3
『シェイクスピア――人生劇場の達人』河合祥一郎著、中公文庫、2016年6月、本体820円、256頁、ISBN978-4-12-102382-7
★公文健太郎『耕す人』はまもなく発売。公文健太郎(くもん・けんたろう:1981-)さんはこれまでにネパールに取材した写真集や写真絵本、フォトエッセイなど5点を上梓されています。今回の新刊の題材は「日本の農」。北海道、青森、岩手、山形、秋田、福島、茨城、栃木、埼玉、千葉、静岡、長野、岐阜、福井、奈良、和歌山、広島、鳥取、島根、高知、徳島、佐賀、長崎、宮崎、鹿児島、沖縄に取材。どの写真も農村と農家の何気ない風景を切り取ったものですが、いずれも惹き込まれるような美しさを湛えており、写真家の目と技の確かさを感じます。「日本の風景」は「農業の風景」なのだと気付かされた、と公文さんはあとがきに書いています。巻末のエッセイ「旅はつづく」写真家の広川泰士さんによる特別寄稿。
★藤原辰史『[決定版]ナチスのキッチン』は発売済。2012年に水声社から刊行され、河合隼雄学芸賞第1回(2013年度)を受賞した、著者の代表作の新版です。刊行にあたり「旧版にみられた誤字や脱字、表現の一部を訂し、新たなあとがきを付した」とのことです。新たなあとがきというのは「針のむしろの記――新版のあとがきにかえて」(431~449頁)のこと。版元さんのコメントによればこれは「旧版刊行後にさまざまなメディアに掲載された本書への批評に著者みずからが応えた」もの。造本を一新し、値段(本体価格)は4000円から2700円になりました。ユニークなナチス研究として広く読まれてきた本書は旧版では4年間に5回増刷されたとのことです。
★蓑原敬+宮台真司『まちづくりの哲学』は発売済。都市計画の専門家と社会学者による濃密な対談です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書の企画編集者であり「まえがき」を寄せておられる野口浩平さん(代官山ステキなまちづくり協議会)を司会に、今月末、著者お二人の対談およびサイン会が以下の通り行われるとのことです。
◎トークイベント「代官山から発信するまちづくりの希望とは」(『まちづくりの哲学――都市計画が語らなかった「場所」と「世界」』(ミネルヴァ書房)刊行記念)
日時:2016年7月28日(木)19時~21時
場所:代官山蔦屋書店 1号館2階イベントスペース
定員:70名様
内容:従来の都市工学の枠組みを超えた幅広い知見をもつ蓑原敬先生と、社会学者の宮台真司先生が、代官山のまちづくりを中心に、「まち」と我々の幸福について語ります。
参加方法:代官山蔦屋書店にて、『まちづくりの哲学』をご予約・ご購入頂いたお客様にイベントの参加整理券をお渡しいたします。申込は店頭(2号館1階建築フロア)、電話03-3770-2525(建築フロア)、オンラインストアなどで受付。
注意事項:参加券1枚でお一人様にご参加いただけます。イベント会場はイベント開始の15分前からで入場可能です。当日の座席は、先着順でお座りいただきます。参加券の再発行・キャンセル・払い戻しはお受けできませんのでご了承くださいませ。止むを得ずイベントが中止、内容変更になる場合があります。
★中公新書の新刊3点はいずれも発売済。それぞれのカバーソデ紹介文は書名のリンク先でご確認いただけます。3点とも時宜を得た出版で目を惹きます。『保守主義とは何か』は日本の現代政治を見直す上で基本となる「保守」概念を教え、『ペリー来航』は困難のただなかにある日米関係の淵源を考えるヒントを与え、『シェイクスピア』は劇作家の没後400年にあたってなおも衰えぬその魅力を紹介してくれます。以下に、3点の主要目次を列記します。
『保守主義とは何か』はじめに/序章:変質する保守主義――進歩主義の衰退のなかで/第1章:フランス革命と闘う/第2章:社会主義と闘う/第3章:「大きな政府」と闘う/第4章:日本の保守主義/終章:21世紀の保守主義/あとがき/参考文献。
『ぺリー来航』はじめに/第1章:19世紀のアメリカと日本/第2章:ペリー艦隊、琉球へ/第3章:ペリー上陸――浦賀奉行と防衛体制/第4章:再来から日米和親条約締結へ/第5章:高まる人びとの好奇心――西洋との遭遇/第6章:広がるペリー情報――触書・黒船絵巻・瓦版/第7章:条約締結後の日本/おわりに/ペリー来航関連略年表。
『シェイクスピア』まえがき/第1章:失踪の末、詩人・劇作家として現れる/第2章:宮内大臣一座時代/第3章:国王一座時代と晩年/第4章:シェイクスピア・マジック/第5章:喜劇――道化的な矛盾の世界/第6章:悲劇――歩く影法師の世界/第7章:シェイクスピアの哲学――心の目で見る/あとがき/シェイクスピア関連年表/参考文献。
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注目新刊:プラトン『饗宴 訳と詳解』東大出版会、ほか
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