『書き取りシステム1800・1900』フリードリヒ・キットラー著、大宮勘一郎/石田雄一訳、インスクリプト、2021年5月、本体8,500円、A5判上製840頁、ISBN978-4-900997-88-2
★ドイツのメディア理論家のキットラー(Friedrich A. Kittler, 1943-2011)の教授資格審査論文をもとに書籍化された『Aufschreibesysteme 1800/1900』(Wilhelm Fink Verlag, 1985)の第3版(1995年)の全訳。帯文に曰く「「書くこと」のメディア論的系譜学」。キットラーの代表作のひとつですが、訳者解説によれば「激しく賛否が争われ」「物議をかもし」た本とのことです。
★「自意識としてはどこまでも能動的かつ主体的なものであると思われ、疑われることの少ない「読み書き」という行為の隠された「背後」こそが、まず問われることになる。この問いに晒されて顕わとなるものは、「書く私」「読む私」の自立や自負を打ち砕いてしまう。「読む-書く」というプロセス、「読み取り、書き取る」とは、主体なきプロセスであって、これを作動させるシステムが、〔…〕「書き取りシステム」と呼ばれる。「作者」や「読者」はこうしたプロセスを実行される「機能=関数」の名であり、そのことを覆い隠すように浮かび上がる数多の「読み書きの主体」たる「私」は幻想、とするのが言い過ぎであるとしても、システムが強いる幻想に導かれて構築されたもの、システムの現実的な基盤からすれば従属的なものだというのである」(「訳者解説」768頁)。
★キットラーはこう書いています。「「書き取りシステム」という語は、ある所与の文化において、有意味なデータをアドレス指定し送り、記録保存し、処理することを可能ならしめる諸技術と諸制度のネットワークを言い表すこともできる。それゆえ、書籍印刷といった技術や、それと連結した文学や大学といった制度は、歴史的に極めて強力な編成を形作るのであり、それはゲーテ時代のヨーロッパにおいて文芸学そのものを可能にする前提条件となった」(「あとがき」721頁)。
★「すべての図書館は書き取りシステムであるが、すべての書き取りシステムが書物だというわけではない。遅くとも第二次産業革命以降、情報の流れがオートメーション化されるようになると、言説だけを分析するのでは、権力と知の諸形式を論じつくしたことにはならない。現代を対象とした考古学は、技術的メディアによるデータの記録保存、伝達、計算を考慮しなければならない。まさに文芸学は、達成された技術水準を定式化し情報ネットワークの性能と限界を計測可能にする情報理論からのみ学ぶことができる。書字の独占が破砕した後、その働きを計算し直すことは可能かつ必要なのである」(同722頁)。
★底本である第三版は87年の修正第二版を経た全面改訂版。「第三版に施された変更は技術や制度に関する精緻化である」(727頁)と第三版あとがきに記されています。「現在における書く行為の空間を発掘して明るみにするという、いまだに時期尚早の助走として論じられた1900年の書き取りシステムには、1800年ほど手を加えていない」(同)。「1900年の書き取りシステムは、それが完結するとすれば、ペアノ、ヒルベルト、チューリングを抜きには記述することができなかったであろう。/2000年の書き取りシステムは、それゆえに別の歴史である」(728頁)。個人的な印象を述べると、2021年上半期でもっとも印象に残る新刊となりそうです。
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『悲劇の世界遺産――ダークツーリズムから見た世界』井出明著、文春新書、2021年5月、本体1100円、新書判224頁、ISBN978-4-16-661313-7
『宗教社会学――神、それは社会である』奥井智之著、東京大学出版会、2021年5月、本体2,800円、四六判上製320頁、ISBN978-4-13-053031-6
『伊藤整日記 3 1957-1958年』伊藤整著、伊藤礼編、平凡社、2021年5月、本体4,400円、A5判上製函入458頁、ISBN978-4-582-36533-7
★『悲劇の世界遺産』はまもなく発売。著者の井出明(いで・あきら, 1968-)さんは金沢大学准教授。「日本に「ダークツーリズム(災害や戦争の跡などの“悲劇の記憶”を巡る旅)」を広めた気鋭の観光学者」と著者紹介文にあります。本書はそのダークツーリズムの観点から世界遺産を紹介するもの。アウシュヴィッツ、軍艦島、マルタ、潜伏キリシタン関連遺産、原爆ドーム、カリブ海西インド諸島、など。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。
★『宗教社会学』は発売済。「本書は社会学の立場から、宗教事象全般について概括的な考察を試みたものである」(「おわりに」より)。宗教を「神を神として信奉する」自己言及的なシステムとしてとらえ、信仰、教団、儀礼、政治、経済、学問、芸術、スポーツ、セクシュアリティ、生と死、新興宗教、などを主題に論じておられます。著者の奥井智之(おくい・ともゆき, 1958-)さんは社会学者で亜細亜大学教授。宗教学者でもなく宗教社会学者でもない著者にとって本書は「冒険」だったと述懐されています。
★『伊藤整日記 3』は発売済。全8巻の第3回配本で、1957年から1958年の分を収録。チャタレイ裁判の有罪が確定し、罰金納付告知書まで転記されています。既刊書の重版部数や累計部数まで書き遺しているのも貴重です。既刊と比べて厚い本になったのは編者まえがきおよび凡例によれば、58年9月21日以降の日記原本が残っておらず、公刊された『伊藤整全集(22)ヨーロッパの旅とアメリカの生活』(新潮社、1973年)所収の日記により補ったため。編者曰く「著者が満足行くまでに十分に手入れをした文章であるために、日記としては読み物的になり、内容的にもふくれあがっているのです」。