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注目新刊:アガンベン『私たちはどこにいるのか?』青土社、ほか

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『私たちはどこにいるのか?――政治としてのエピデミック』ジョルジョ・アガンベン著、高桑和巳訳、青土社、2021年2月、本体2,000円、46判並製244頁、ISBN978-4-7917-7361-9
『パンデミック以後――米中激突と日本の最終選択』エマニュエル・トッド著、大野博人/笠井哲也/高久潤聞き手、朝日新書、2021年2月、本体750円、新書判200頁、ISBN978-4-02-295115-1

『エピクテトス 人生談義(上)』國方栄二訳、岩波文庫、2020年12月、本体1,130円、文庫判442頁、ISBN978-4-00-336083-5

『エピクテトス 人生談義(下)』國方栄二訳、岩波文庫、2021年2月、本体1,260円、文庫 判504頁、ISBN978-4-00-336084-2

『パサージュ論(一)』ヴァルター・ベンヤミン著、今村仁司ほか訳、岩波文庫、2020年12月、本体1,200円、文庫判558頁、ISBN978-4-00-324633-7

『パサージュ論(二)』ヴァルター・ベンヤミン著、今村仁司ほか訳、岩波文庫、2021年2月、本体1,200円、文庫判536頁、ISBN978-4-00-324634-4

『美味礼讃(上)』ブリア=サヴァラン著、玉村豊男編訳・解説、中公文庫、2021年1月、本体900円、文庫判384頁、ISBN978-4-12-207018-9

『美味礼讃(下)』ブリア=サヴァラン著、玉村豊男編訳・解説、中公文庫、2021年1月、本体900円、文庫判384頁、ISBN978-4-12-207019-6



★『私たちはどこにいるのか?』は昨年7月に刊行された『A che punto siamo? L'epidemia come politica』(Quodlibet, 2020)の全訳に、著者自身の要請により「汚らわしい二つの用語」「緊急状態と例外状態」「恐怖とは何か」の3つの論考を追加して全19篇を収めたコンパクトな一書。翻訳者あとがきでの説明によれば、本書はCOVID-19の流行を契機としてアガンベンが2020年末以降、新聞や、本書の版元クォドリベットのウェブサイトなどに発表されてきた諸論考をおおむね発表順に収録したもの。時事的発言の集積でありながら、著者の政治哲学に深く根ざした示唆的な考察が並んでいます。「収録にあたって修正が加わっている細部もあるが、大幅な変更は施されていない」とのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。翻訳者あとがきの末尾には著者の「愛が廃止された」(11月6日付、クォドリベット)という詩が紹介されているのが印象的です。


★昨年4月30日付で発表された「一つの問い」から引きます。「一見したところ善意から、アイヒマンは倦まず繰り返していた。自分はカント的な道徳律だと自分の考えるものに従うべく、良心からあれをやったのだというのである。善を救うために善を放棄しなければならないと断言する規範など、自由を保護するために自由を放棄することを課す規範と同程度に偽のもの、同程度に矛盾したものである」(85~86頁)。続いて4月28日付の「真と偽について」から。「じつのところ、私たちがいま経験しているのは、前代未聞のしかたで施される各人の自由への小細工であるよりも前に、真理が偽造されるという巨大な操作なのである」(109~110頁)。


★『パンデミック以後』は2018年7月から2021年1月までに「朝日新聞」「web論座」「AERA」などに発表された6本のインタヴューに大幅な加筆修正をおこなって書籍化したもの。前半はコロナ以後、後半はコロナ以前のものです。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。


★2020年5月23日付の「朝日新聞」が初出の「新型コロナは「戦争」ではなく「失敗」」より引きます。「私は人口学者ですから、まず数字で考えます。戦争やテロと今回の感染症を比較してみましょう。テロは、死者の数自体が問題なのではありません。社会の根底的な価値を揺さぶることで衝撃を与えます。一方、戦争は死者数の多さ以上に、多くの若者が犠牲になることで社会の人口構成を変える。中長期的には大きな社会変動を引き起こします。今回のコロナはどちらでもありません。〔…〕そこまで深刻にとらえるべきではないと考えています。シニカルに言っているのではありません。データで考えてそうなのです」(111頁)。「新型コロナウイルスのパンデミックは歴史の流れを変えるのではない。すでに起きていたことを加速させ、その亀裂を露呈させると考えるべきです」(114~115頁)。  


★アガンベンにせよ、トッドにせよ、目の前に現れている様々な政治的施策を自明視することによって見えにくくなっているものに注意力を向けようとする努力を誰もが怠ってはならない、と警告しているように思えます。


★『エピクテトス 人生談義』上下巻は、岩波文庫では鹿野治助訳『エピクテートス 人生談義』上下巻(1958年)以来の新訳。凡例に曰く「本書は、歴史家アリアノスが哲学の師エピクテトスの言葉を書き記した『語録』『要録』および関連の断片、アリアノスの書簡一通を、『人生談義』の書名のもと収録したものである」。奴隷出身の哲学者エピクテトスが語る人生哲学は、悩み深き現代人の心にも響くものがあります。たとえば次のような一節。


★「他人が自然本性に反する状態にあるからといって、それが君の悪にならないようにしなければならない。なぜなら、君は他人とともに卑屈であったり不運であったりするのではなく、ともに幸福であるように生まれるついているからだ。だが、もし不運であるような人がいれば、自分自身の責任において不運なのだということを覚えておくことだ。というのは、神はすべての人が幸福であり、平安であるように作ったのであるから。この目的のために、神はそれに至る手がかりとして、あるものを各人に固有のものとして、あるものを他人に属するものとしてあたえられたのだ」(148頁、『語録』第3巻第24章「われわれの力が及ばないものに執着してはならないことについて」より)。この章題は鹿野訳では「われわれの権内にないものに執着してはならぬということについて」です。


★岩波文庫版『パサージュ論』全5巻は、岩波現代文庫版全5巻(2003年)の再刊。とはいえ凡例末尾の特記によれば「訳者が各巻2名ずつでドイツ語およびフランス語原文にあたり、訳文の全体を見直し、若干の修正を行なった。また各巻にそれぞれ新たに解説を付した他、ベンヤミンおよび各巻の主要人物の顔写真を掲載した」。なお、編纂者ロルフ・ティーデマンの長篇解説である付論「『パサージュ論』を読むために」が岩波現代文庫版第5巻の247~299頁に収められていましたが、今般の岩波文庫版では省略するそうです。なお、本文中にあるティーデマンの補足は残されています。なお、岩波現代文庫版第1巻の巻末にあった今村仁司さんの解説は、岩波文庫版では三島憲一さんの解説に代わっています。


★『美味礼讃』上下巻は2017年に新潮社より刊行された単行本の分冊文庫化。下巻の巻末の「編訳者あとがき」によれば、文庫化にあたり大幅に相補したもので、「単行本が原著全体の約3分の2を収録したものであるのに対し、今回の文庫判は全体の9割近くをカバーして」いるとのこと。さらに「謝辞」によれば、原著初版本を参照し、初版にしか掲載されていないという「読者に告ぐ」を訳出し、さらに初版を参照しながら全編の訳文を確認」した、とあります。玉村訳本では跋文(序)やアフォリズムは下巻の末尾に置かれ、友人との対話や伝記が省略され、その他本文でも削除された部分がありますが、本文中に折々に訳者の解説が挟み込まれています。「国民の盛衰はその食べかたのいかんによる」や「君が何を食べているか言ってみたまえ、君が何者か言い当ててみせよう」という有名な言葉はアフォリズムに登場します。


★本書はただのグルメ本ではなく、感覚、睡眠、夢、死、さらには「この世の終わり」についても語っています。原題は『味覚の生理学』(1826年)で、『美味礼讃』というのは実に巧みな訳題でしたが、改訳に改訳を重ねたロングセラーである既訳書、関根秀雄/戸部松実訳『美味礼讃』上下巻(岩波文庫、1967年)の下巻カバー紹介文では「人間哲学の書」と謳われています。岩波文庫版は原書の構成通りに訳出されているので、ともに購入すると良いかと思います。岩波文庫版は上巻が昨年11月に52刷、下巻が昨年2月に46刷に達しています。


★なお、玉村訳では跋(序)の末尾が4段落ほど省略されているのですが、関根戸部訳では次のような興味深い一節を読むことができます。「わたしは最後に重大な意見を書きつけます。重大なことだから最後に残しておいたのです。わたしが、わたしと単数に話したり書いたりするときは、読者とうちとけて話をしているのだと思ってください。そのときは試験なさろうと議論なさろうとお疑いになろうと、いやお笑いになってもかまいません。けれども私が厳然とわれわれと言いだすときは、教授しているのです。その時はぜひ承服なさらねばなりません。「わしは大予言者でござる/わしが口を開く時分には犬どもはほえるな!」(シェークスピア『ヴェニスの証人』)」(上巻、46~47頁)。西洋近代における主語の秘密の一側面を知る思いがします。


★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。


『アレ Vol.9 特集:「わかる、わかる?」――「伝」にまつわるエトセトラ』アレ★Club、2021年2月、本体1,500円、A5判並製360頁、ISDN278-4-572741-09-4
『ディズニーと動物――王国の魔法をとく』清水知子著、筑摩書房、2021年2月、本体1,700円、四六判並製336頁、ISBN978-4-480-01722-2

『現代民主主義――指導者論から熟議、ポピュリズムまで』山本圭著、中公新書、2021年2月、本体860円、新書判272頁、ISBN978-4-12-102631-6

『増補新版 イスラーム法とは何か?』中田考著、作品社、2021年2月、本体2,700円、46判上製320頁、ISBN978-4-86182-842-3



★『アレ Vol.9』では、特別インタビュー企画「災害とメディア」と題して、キットラー(Friedrich A. Kittler, 1943-2011)亡き後のドイツのメディア研究者3氏へのメールインタビューが実現しています。マンフレート・シュナイダー(Manfred Schneider, 1944-;『時空のゲヴァルト』三元社、2001年)の「新型コロナウィルスの教え」、ヨッヘン・ヘーリッシュ(Jchen Hoerisch, 1951-;『メディアの歴史』法政大学出版局、2017年)の「メディアの未来――偽の議論から事実の生産へ」、ジョシュア・メイロウィッツ(Joshua Meyrowitz, 1949-;『場所感の喪失』上巻、新曜社、2003年)の「我らZoomす、故に我ら在り」。いずれも必読です。誌名のリンク先に目次の画像が掲出されています。


★『ディズニーと動物』はあとがきに曰く「筑波大学での講義をもとに執筆したもの」で「ウォルト・ディズニーの時代を中心に文学、政治、科学、芸術がどのように遭遇し、映像化させてきたのか、その制作のプロセス、映像、イメージの(不)可能性についてメディア文化論」の一端を示したもの。「なぜディズニーはアニメーションという形式にこだわったのだろうか。アニメーションというメディアは現実に対して、また環境に対して、わたしたちの知覚や認識とどのような関係を結び、またその感性的変化はテクノロジーの進展とともに、ポストメディウム論的な世界のなかでどこに向かうことになったのだろうか。そして、ディズニーがスクリーンに描き出した物語は、人間と動物、人間と自然の関係性、つまりはその「あいだ」のエコロジーをめぐる認識の変容について、どのようなダイアローグの場として機能してきたのだろうか」(17~18頁)と問いかけています。目次は紀伊國屋書店などに掲出されています。


★『現代民主主義』はまえがきに曰く「民主主義はどのように語られ、理論化されてきたのだろうか。20世紀以降の政治思想史を手がかりに、この茫漠とした概念のしっぽを捕まえようというのが本書の目的である。〔…〕多彩な反射のプリズムのなかで民主主義を捉えなおし、21世紀の民主主義を描き出す試み」と。目次詳細が見当たらないため、以下に主要部分を転記しておきます。


まえがき
序章 民主主義の世紀
第1章 指導者と民主主義
 1 指導者不在の民主主義論
 2 マックス・ウェーバー
 3 カール・シュミット
 4 ハンス・ケルゼン
第2章 競争と多元主義
 1 ヨーゼフ・シュンペーター
 2 ロバート・ダール
第3章 参加民主主義
 1 傘下の時代
 2 キャロル・ペイトマン
 3 C・B・マクファーソン
 4 公共性の思想
第4章 熟議と闘技
 1 福祉国家の危機
 2 熟議民主主義
 3 闘技民主主義
第5章 現代思想のなかの民主主義
 1 ジャック・デリダ
 2 ジャック・ランシエール
 3 エルネスト・ラクラウ
終章 未来に手渡す遺産として
 1 熟議/闘技パラダイムのあとで
 2 民主主義の過去から未来
あとがき
主要参考文献


★『増補新版 イスラーム法とは何か?』は、2015年10月に作品社より刊行された単行本の増補新版。凡例によれば「旧版の本文については誤字脱字などを適宜訂正し、新たな論考「イスラーム法の未来」を増補したもの」と。「イスラーム法の基礎」「イスラーム神学と方角の交差」「イスラーム法学の要諦」の三部構成。「本書は、いわゆる「イスラーム法」についての表面的な情報を与えるのではなく、〔…〕イスラームの本質を示し、同時に日本文化についての反省的自己認識をもたらすことを目標としています」(5頁)。

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