★感染拡大の影響による外出自粛と二度にわたる緊急事態宣言の発令により、今まで通っていたリアル書店になかなか行けなくなりました。また、頼みの綱の通販サイトでは発送に時間がかかるようになり、書籍の購入はやや不便になりつつあります。新刊をベストなタイミングでご紹介することが困難になった分、ブログでの記事のあり方について見直しをしたいとここしばらく考えています。
★最初に昨年末までの注目新刊を列記します。
『性の歴史IV 肉の告白』ミシェル・フーコー著、フレデリック・グロ編、慎改康之訳、新潮社、2020年12月、本体4,300円、四六判上製574頁、ISBN978-4-10-506712-0
『リターンズ――二十一世紀に先住民になること』ジェイムズ・クリフォード著、星埜守之訳、みすず書房、2020年12月、本体5,400円、A5判上製408頁、ISBN978-4-622-08962-9
『見えない人間』上下巻、ラルフ・エリスン著、松本昇訳、白水Uブックス、2020年11月、本体2,400円/本体2,300円、新書判418頁/400頁、ISBN978-4-560-07231-8/978-4-560-07232-5
『パンオルトシア――世界会議の創設』J・A・コメニウス著、太田光一/相馬伸一訳、東信堂、2020年11月、本体6,400円、A5判上製528頁、ISBN978-4-7989-1659-0
★『肉の告白』は、フーコー晩年の主著『性の歴史』の第4巻で完結篇。原著はフーコーが逝去した84年に刊行された第3巻から34年を経た2018年にガリマールよりようやく刊行。「キリスト教教父の文献を丹念に分析し〔…〕現代に連なる「欲望の解釈学」の形成を解明」(帯文より)。編者のグロによる巻頭の緒言では当初の全5巻の計画とその後の全4巻への路線変更について説明があります。巻末の訳者解説でもさらにその補足があります。訳者の慎改さんは次のように述べています。
★「したがって本書は、異教世界とキリスト教世界との関係を新たなやりかたで問い直すという、もはや永遠に宙づりのままにとどまるしかないフーコーのこの最後の企図に関して、我々に多くの示唆を与えてくれるものとして現われるだろう。『肉の告白』によって、『性の歴史』がついに完結へと導かれるだけでなく、フーコーが死の直前に示していた針路が照らし出されるということ。一つの中断に終止符が打たれると同時に、もう一つの中断を志向するための手がかりが得られるということだ。フーコーを今日また新たなやり方で読み始める可能性が、ここに開かれるのである」(552頁)。
★なお編者グロ(Frédéric Gros, 1965-)の著作の既訳書には、『ミシェル・フーコー』(文庫クセジュ、1998年)、『フーコーと狂気』(法政大学出版局、2002年)、『創造と狂気――精神病理学的判断の歴史』(法政大学出版局、2014年)があります。また、訳者の慎改康之(しんかい・やすゆき、1966-)さんによるフーコー研究には『フーコーの言説』(筑摩選書、2019年1月)と『ミシェル・フーコー――自己から脱け出すための哲学』(岩波新書、2019年10月)があります。
★『リターンズ』は『Returns: Becoming Indigenous in the Twenty First Century』(Harvard University Press, 2013)の全訳。カバー表4紹介文に曰く「『文化の窮状』〔人文書院、2003年〕、『ルーツ』〔月曜社、2002年〕に続く『リターンズ』が探究しているのは「帰郷」――自らの「根」を回復し刷新する複数の道である。クリフォードは、先住民の存続と変成にかかわる複数の歴史に取り組みつつ、グローバル化しつつも均質化することのない現代世界のなかで、私たちがどこへ赴こうとしているのかを根本的に問いかけてくる」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。クリフォード(James Clifford, 1945-)は米国の文化史家。書店さんでの分類としては文化人類学に置かれていることが多いのではないかと思います。
★『見えない人間』は2004年に南雲堂フェニックスから刊行された2巻本の新書化。カバー表4紹介文に曰く「地下の穴ぐらに住み、不可視の存在となった黒人青年の遍歴を描いた20世紀アメリカ文学の名作」。米国の黒人作家エリスン(Ralph Waldo Ellison, 1914-1994)の代表作(原著1952年刊)で、日本でも戦後幾度となく橋本福夫訳が再刊されてきましたが、近年では橋本訳も今回新書化された松本訳も入手しづらくなっていただけに、今回の再刊は非常に重要です。Uブックスの「海外小説 永遠の本棚」枠に入ったのも納得。
★「「僕を見てください! 僕を見てくださいよ!」と声高に言った。「どこへ向かっても、誰かが僕のためだと言って、僕を犠牲にしたんです――ためになったのは彼らだけでした。今やわれわれは犠牲という古びたメリーゴーラウンドに乗りかけています。われわれはどの時点で止まればいいんですか? こんなのが新しい本当のブラザーフッド協会ですか? 協会は弱者を犠牲にする団体ですか? もしそうなら、われわれはいつ止まればいいんですか?」」(下巻284~285頁)。
★『パンオルトシア』は、「コメニウス セレクション」の第5回配本。コメニウスの遺稿『人間に関わる事柄の改善についての総合的熟議』全7作のうちの第6部「パンオルトシア 普遍的改革〔世界会議の提案〕」の全訳です。巻頭のはしがきによれば当該コレクションでの訳書刊行により『熟議』全体の半分以上が日本語で読めるようになったとのこと。共訳者の相馬さんによる巻頭解説には次のような評価が記されています。
★「パトチカが指摘するように、『熟議』には確かに空想的な面がある。しかし〔…〕矛盾に満ちた社会を観念的に批判するのでもなく、そこから逃避するのでもない。自身とそれをとりまく現実を冷静に分析しつつ、具体的な関係の改善から始めるというタフな生き方がコメニウスにはある。『パンオルトシア』は、そんなコメニウスが徹底した思考実験を試みた果実だったのではないだろうか」(xxii頁)。
★また、最近では以下の新刊・既刊との出会いがありました。
『蔓延する東京――都市底辺作品集』武田麟太郎著、共和国、2021年1月、本体3,500円、A5変型判並製400頁、ISBN978-4-907986-77-3
『うんこの博物学――糞尿から見る人類の文化と歴史』ミダス・デッケルス著、山本規雄訳、作品社、2020年11月、本体2,900円、46判上製403頁、ISBN978-4-86182-821-8
★『蔓延する東京』は小説家・武田麟太郎(たけだ・りんたろう、1904-1946)の「東京の底辺下層社会を描いた作品を中心に集めた1巻本選集」(版元紹介文より)で、共和国代表の下平尾さんが自ら書き下ろされた巻末の「作品解説にかえて」によれば、「かれが精力的に活動していた1929年から39年にかけての数多い著作のなかから、「東京」の「社会的底辺」とそこに生きる人びとをテーマとした短篇小説、ルポルタージュ、エッセイを撰び、発表年月順に収録した」もの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。テクストの選択といい、数々の図版といい、古書収集家としての一面もお持ちの下平尾さんの面目躍如たる一冊で、東京の古層への興味深い時間旅行を読者に約束してくれます。
★『うんこの博物学』はオランダの生物学者デッケルス(Midas Dekkers, 1946-)の2014年の著書『De kleine verlossing』を、英訳版『The Story of Shit』(Text Publishing Company, 2018)から全訳したもの。帯文に曰く「「人間の本質は“脳”ではなく“腸”である!」 古今東西のウンチクをユーモラスに語りながら人類とウンコの深い関係を描く! 秘蔵図版250点収載」と。下段に掲出した目次から想像いただけるように、ガチな本です。例えば第5章第2節「色と臭い」では、ソーセージとウンコの違いが大真面目に言及されるくだりがあります。なおデッケルスの既訳書には、『誕生の瞬間――このすばらしい奇跡』(こぐま社、1993年)、『愛しのペット――獣姦の博物誌』(工作舎、2000年)があります。
第1章 秘密の快感――今なお残るタブー
第2章 なぜ汚いと思うのか――排泄と洗浄の歴史
第3章 トイレと孤独の喜び
第4章 いかにウンコは作られるのか
第5章 すぐれたウンコとは
第6章 我慢と解放感
第7章 ブラウン・ゴールド――ウンコはいかに利用されてきたか
第8章 情報伝達手段としてのウンコ
第9章 おしっことおなら
第10章 快楽と想像の源としてのウンコ
訳者あとがき
参考文献