★まず、まもなく発売となる注目新刊をご紹介します。
『生の館』マリオ・プラーツ著、上村忠男監訳、中山エツコ訳、みすず書房、2020年12月、本体8,800円、四六判上製672頁、ISBN978-4-622-08967-4
『ノスタルジー ――我が家にいるとはどういうことか? オデュッセウス、アエネアス、アーレント』バルバラ・カッサン著、馬場智一訳、花伝社、2020年12月、本体1,800円、四六判並製200頁、ISBN978-4-7634-0950-8
★『生の館』は、イタリアの文学研究家マリオ・プラーツ(Mario Praz, 1896-1982)の自伝的著作『La casa del vida』(Mondadori, 1958)の全訳。自宅の「玄関ホールからブドワールにいたる七つの部屋をもとにして、記憶を蘇らせていく手法は〔…〕「記憶術」の伝統をも想起させる」と訳者あとがきにあります。同書は原書では1979年に3つのテクストが追補された増補新版が出ていますが、そのうちの2つ(「亡き街路のためのパヴァーヌ」「パラッツォ・プリーモリ」)は『ローマ百景Ⅱ』(原著1977年;ありな書房、2006年)で読むことができます。「二十年後」のみ未訳。深緑の地に金箔が映えるカヴァーが印象的な大冊です。「もはや冷たく遥かになった、わたしこそが骨董品中の骨董品」(635頁)。カラー写真で収録された各部屋のなんと美しいことか!
★『ノスタルジー』は、フランスの文献学者で哲学者のバルバラ・カッサン(Barbara Cassin, 1947-)の著書『La nostalgie : Quand donc est-on chez soi ? Ulysse, Énée, Arendt』(Autrement, 2013)の訳書。カッサンの単独著の訳書が刊行されるのは今回が初めてです。帯文に曰く「移民・難民・避難民、コロナ禍による世界喪失の世紀に、古代と20世紀の経験から光を当てる「ノスタルジー」と「故郷」の哲学 」と。ユダヤ系に出自を持つ彼女はこう書きます。「根を持つことよりも、私は余所を、閉じることのない世界を、自分とは違いつつ自分のような、互いに異なり「似た者たち」であふれた世界を耕すだろう」(125~126頁)。目次は書名のリンク先で公開されています。巻末には訳者による詳しい著者紹介と著作リストがあります。
★続いて、最近出会った新刊を列記します。
『ゲンロン戦記――「知の観客」をつくる』東浩紀著、中公新書ラクレ、2020年12月、本体860円、新書判280頁、ISBN978-4-12-150709-9
『まだ見ぬ映画言語に向けて』吉田喜重/舩橋淳著、作品社、2020年12月、本体3,600円、四六判上製460頁、ISBN978-4-86182-832-4
『アナキズムの歴史――支配に抗する思想と運動』ルース・キンナ著、米山裕子訳、河出書房新社、2020年12月、本体4,800円、46判上製424頁、ISBN978-4-309-24980-3
『その虐殺は皆で見なかったことにした――トルコ南東部ジズレ地下、黙認された惨劇』舟越美夏著、河出書房新社、2020年12月、本体2,400円、46判並製264頁、ISBN978-4-309-22813-6
『チッソは私であった――水俣病の思想』緒方正人著、河出文庫、2020年12月、本体1,100円、文庫判264頁、ISBN978-4-309-41784-4
★『ゲンロン戦記』は、批評家の東浩紀(あずま・ひろき, 1971-)さんが2010年、38歳の折に創業した株式会社ゲンロンの10年間の奮闘を、『ルポ 百田尚樹現象』(小学館、2020年6月)が話題を呼んでいるノンフィクション・ライターの石戸諭(いしど・さとる, 1984-)さんを聞き手に語ったもの。巻末に年表あり。一書き手であると同時に一出版人でもある著者の稀有な挑戦の記録であり、数々の失敗の赤裸々な告白には圧倒されます。東さんが「生きた」生身の道のりは同時代人のビジネスパーソンの胸に響くものがあるのではないでしょうか。多かれ少なかれ、読者もまた困難な社会状況を共有してきた者だからでしょう。
★「ぼくは「ぼくみたいじゃないやつ」と一緒に行動することによって、はじめてゲンロンを強くすることができるし、多様で開かれた場にすることができるのです。/この気づきは、〔…〕ぼくがずっと抱えてきた「ホモソーシャル性」からの決別ともいうことができます。/ホモソーシャルな人間関係が問題視されるのは、要は、自分たちの思考や欲望の等質性に無自覚に依存するあまり、他者を排除してしまうからです」(224頁)。胸に刻みたい言葉です。
★『まだ見ぬ映画言語に向けて』は、年齢差41歳の映画監督2氏が、2014年7月から2015年1月にかけて7回にわたって御茶ノ水のブックカフェ「エスパス・ビブリオ」で行なったイベントでの対談を1冊にまとめたもの。イベントの発案者である舩橋さんによる「まえがき」によれば、書籍化するにあたり「対談をベースにさらにメールでやりとりし、文章を大幅に追記」したとのことです。お二人の映画人生を振り返る内容ともなっており、読み応えがあります。
★「船橋――今まで吉田さんとお話しし、僕がひしひしと感じているのは、映画監督とはアーティストとして、自分を内省的に掘り下げ、それを作品に落とし込んでいかなければならないということです。そのときに求められるのは、ある種の強い覚悟」(298頁)。「吉田――私は夢を見ます。それも映画を演出している夢です。夢を見ながら、私はカメラ・ポジションを探している。夢の中に現れている空間が気に入らなければ、別の空間を探している。夢の中に現れる登場人物のセリフにしても、夢の中で吟味している自分を感じる。それは私自身がどのように否定しても、私は映画監督でしかあり得ないことを示していたのです」(330頁)。
★河出書房新社さんの12月新刊より3点。『アナキズムの歴史』は、英国の政治哲学者ルース・キンナ(Ruth Ellen Kinna, 1961-)の『The Government of No One: The Theory and Practice of Anarchism』(Penguin Books, 2019)の全訳。ロンドン大学ゴールドスミス校教授のカール・レヴィ(Carl Levy, 1951-)は本書を「アナキズムをめぐる21世紀の標準的解説書」と高く評価しています。巻末には100名を超えるアナキスト人名録を収録(278~370頁)。訳者あとがきで米山さんが「anarchism」の訳語として「無政府主義」より「無支配主義」の方が適切だと述べておられるのが印象的です。アナキズムのシンボルである黒を基調とした、水戸部功さんによるソリッドな装丁が存在感を放っています。
★『その虐殺は皆で見なかったことにした』は、共同通信社の記者を長らく務めたジャーナリスト(1989~2019年)でノンフィクション作家の舟越美夏(ふなこし・みか)さんの最新著。2016年にトルコ南東部の町ジズレ(Cizre)でクルド人数百名がトルコ軍によって「対テロ作戦」の名のもとに2か月間にわたり包囲され複数の地下室に何週間も閉じ込められた末に虐殺(massacre)されました。本書はその事件をめぐる取材と、国際社会がなぜ黙認したのかに迫る力作です。クルド人(Kurds)は「国を持たない最大の民族」と呼ばれ、「推定人口は約3,500万人。中東では、アラブ、イラン、トルコの各民族に次ぎ4番目に大きな民族だが、居住地域が国境によって分断されてしまったために、現在は主にトルコ、シリア、イラン、イラク、アルメニアのそれぞれの国で「少数民族」として暮らしている」(15~16頁)と言います。3つの単語でYouTubeを検索するといくつかニュース映像が出てきますが閲覧注意です。
★『チッソは私であった』は、漁師の緒方正人(おがた・まさと, 1953-)さんが葦書房より2001年に上梓した単行本の文庫化。文庫化にあたり、石牟礼道子さんによる著者評「常世の船」と、米本浩二さんによる文庫版解説「不知火海の聖痕」、そして実川悠太さんによる略年譜「緒方正人と水俣病事件」が加えられています。親本の巻末にあった、緒方さんと栗原彬(くりはら・あきら, 1936-)さんによる対談「祈りの語り」も漏れなく再録されています。
★「栗原――患者さんたちが最初に言ったことは〔…〕「人間として詫びろ」ということでしたよね」「緒方――ええ〔…〕ところが連中はそれができない。俺は“なんだこりゃ、俺たちよりガラクタじゃないか”と思ったですね、どっかで」「栗原――哀れになってくる」「緒方――そうなんですよ。魂とか精神的な意味では、救われなきゃいかんのは向こう側じゃないか、という気さえしますね。いまもそう思います。被害民のほうがはるかに精神性があったというか、人間の魂をもっとったという気がするんですよ」(185~186頁)。親本は古書価が高くなっていたところだったので、再刊には感謝しかないです。