★先週書いた通り今月は、あと数日で終売となる「創文社」さんの既刊書を買い込んだため、新刊の購入は控えています。その中で以前発注していたとある本がようやく届いたので、35年以上前の既刊書ですがご紹介したいと思います。その本は、『生まれてきたことが苦しいあなたに――最強のペシミスト・シオランの思想』(星海社新書、2019年12月)の著者、大谷崇さんによるブックツリー「人間はずっと人生を嫌ってきた――古今東西のペシミズム」で紹介されていた一冊です。私が仲介役(ブックキュレーター)をつとめる「哲学読書室」ではこれまで66本のブックツリーがアップロードされてきましたが、超速攻で購入したのはこの本が初めてです。
人間怪物論――人間脱走の哲学の素描
ウルリヒ・ホルストマン著 加藤二郎訳
法政大学出版局 1984年11月 本体2,000円 四六判上製206頁 ISBN978-4-588-00146-8
帯文より:真のエデンの園――それは悉皆無の砂漠だ。歴史の目的――それは風化する廃墟の野面だ。意味――それは頭蓋冠下の眼窩を吹き抜けてさらさらと流れる砂である。(本書3頁より)
★『人間怪物論』は『Das Untier. Konturen einer Philosophie der Menschenflucht』(Medusa-Verlag, 1983)の訳書。ドイツの文学研究者で作家のウルリヒ・ホルストマン(Ulrich Horstmann, 1949-)の著書の中でももっとも有名な一冊です。作品多数で近年ではベルリンのJ. G. Hoof Verlagから著作集も出ています。1974年にエドガー・アラン・ポーについての博士論文をものしており、英米文学の翻訳書を手掛けています。1988年にはクライスト賞を受賞。
★原書刊行の翌年に刊行された訳書『人間怪物論』は、当時一橋大学教授だったドイツ文学研究者の加藤二郎(かとう・じろう、1925-2015)さんがお訳しになりました。加藤さんはローベルト・ムージル『特性のない男』のほか、ゴーロ・マン、イェーシュ・ジュラ、ヴォルフガング・シベルブシュなどの著書を翻訳されています。『人間怪物論』は刊行から36年が経とうとしていますが、法政大学出版局さんが今なお初版本を大切に売り続けられています。hontoの単品頁ではジュンク堂や丸善の各支店に1冊も置いていない状況で、発送可能日は7~21日でしたが、大谷さんのブックツリー公開以来、少し動きがあったようで今では発送可能日1~3日となっています。
★この本が絶版にされずに残されてきたことには個人的に感謝しかありません。私たちがふだん新刊書店で目にするような本は、よほどの大型店でない限り、ここ数年間で発売になった本が中心であり、『人間怪物論』のような古い本は店頭では見かけることがありません。ただ、端的に言えば、ポストヒューマンや反出生主義や暗黒啓蒙に注目が集まる昨今では必ずや再発見され再評価されるだろう、まさに「怪物(ダス・ウンティア)」的な一書です。どこの本屋にでもあるようなベストセラーを並べることにうんざりされていて、まずはご自身で購入して読んでみることを心がけておられる探求心旺盛な書店員さんには特にお薦めしたい、まさに「掘り出しもの」です。
★本書の出だしはこうです。「黙示録の実現が目前に迫っている。われら怪物はとうの昔にそれを知っており、われらは皆それを知っているのだ。党派間の口論の背後に、軍拡と軍縮の論争の背後に、平和への意志と永遠の停戦状態の表構えの背後に、ひそかなる合意が、無音の大賛同がある――われらはわれらとわれらの同類のものたちとに決着をつけねばならない――それもできるだけ早く、しかも徹底的に、容赦なく、遠慮会釈なく、そして生残者皆無で、と。/もし大破局への、没落への、足跡の抹消への希望がなければ、怪物が「世界史」と名づけるものになんの取柄があるというのか」(1頁)。
★「この書は論難の書ともなり、人道的というアルキメデスの点から身を解き放ち、もたもたしながら人間のことを最後まで考えるのではなく、全く根本的に人間の最後を考える新しい哲学の弁明の書になるのである。当座は奇異と思われようが、それにもかかわらず一種のトロヤの馬として、昔から常に怪物の頭に内在していたこの思考形態の特徴でもあり柱でもあるものは、今後われわれが人間離脱的見方(Anthropofugale Perspective)と名づけようと思うもの、つまり考えの上で人間から脱走する視角である。これは怪物が自分と自分の歴史に対して距離を保つことであり、不偏不党の傍観であり、考察者自身が属している種族に対する、見かけは万国共有のあの同情の掟の放棄であり、情念的結びつきを断ち切ることである」(4頁)。
★「それゆえ、われわれが取るべき真の選択はこういうことだ。無気力な瞑想か、それとも効果のない活動主義かの選択ではなく、あとに生き残る貝、地衣、ハエ、ネズミには同情も慈悲もなしにする、仮借なき人間種族だけの自殺、つまり、場合によっては精々ほんの数十年間の時間稼ぎしかさせてくれない自殺か、それとも目前の人間種族の目的を踏み越えて――生きとし生けるものたちによって異口同音に発せられる定言的な〈否〉の連帯に向けて――三歩、四歩踏み出すことをわれわれに要求する責任のある全破壊主義〔アンニヒリズム〕か、そのいずれかの選択である」(150~151頁)。
★加藤さんは巻末の「訳者寸評」で本書を次のように評しておられます。「著者の情熱のすごさは、以上のことを絶対に逆説的に述べているのではなく、また逆説的にとらえることを読者に禁じ、正面切って論じているところである。著者は自説を固める上で、むろん反ヒューマニズムの立場に立ち、つまり人間中心主義的ではなく、彼のいう人間離脱思考の視角から、ヴォルテール、ドルバック、ショーペンハウアー、クラーゲス、フロイト、フーコー、アンダース、シオランなどを引き合いに出して、これらの思想家の自己検閲の中途半端さを暴露しつつ、自説を展開してゆく。これは、反ヒューマニズムの立場に立っての西洋哲学の再構成の試みともいえるが、その勢いのよさには、ニーチェのいう「強さのペシミズム」というものが、翻訳しながら常に感じられた」(196頁)。
★法政大学出版局さんのおかげで本書が35年以上経た今も新本で読めるということに、同業者としても深い感銘を覚えます。ここまで長く初版本を管理した場合、保管費ばかりがかさんで、本が売れてもほとんど儲けにはならないからです。それを承知で在庫することの大変さ。この本がたったの税別2000円とは! 本書は今こそ読み直されるべき本ですが、消費されて終わりにできるほど軽い本ではありません。店頭に置けば直ちに売れるような軽薄な(失礼!)本のひとつではなく、売り手の力量が問われる本です。歴史の堆積層にこうして埋もれていた書目を新本のまま再発見できるのは何より嬉しいことではないでしょうか。
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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『弁証法、戦争、解読――前期デリダ思想の展開史』松田智裕著、法政大学出版局、2020年3月、本体3,600円、A5判上製326頁、ISBN978-4-588-15106-4
『言語伝承と無意識――精神分析としての民俗学』岡安裕介著、洛北出版、2020年4月、本体3,200円、四六判上製396頁、ISBN978-4-903127-29-3
『荻生徂徠全詩1』荒井健/田口一郎訳注、東洋文庫、2020年3月、本体3,800円、B6変判上製448頁、ISBN978-4-582-80900-8
『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』李龍徳著、河出書房新社、2020年3月、本体2,300円、46変形判上製384頁、ISBN978-4-309-02871-2
★『弁証法、戦争、解読』はまもなく発売。2019年度に立命館大学大学院文学研究科に提出された博士論文を大幅に改稿して書籍化したもの。「本書の目的は、「戦争(guerre)」という主題を軸として、デリダが「解読」の思想を展開した過程を明らかにすることである。そのために、「前期思想」に焦点を絞り、この時期の彼の思想の歩みを「展開史」という観点から描き出すことを試みる」(4頁)。「本書が着目するのは「哲学者」としてのデリダではない。「解釈者」としてのデリダである」(28頁)。「デリダにとって哲学という営みは注釈や読解と不可分な関係にある」(29頁)。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。著者の松田智裕(まつだ・ともひろ:1986-)さんは現在、立命館大学文学部初任研究員。本書が初めての単独著となります。
★『言語伝承と無意識』はまもなく発売。京都大学に提出された博士論文「日本という言語空間における無意識のディスクール」に2017年と2018年に発表した論考2本を加えて大幅な加筆修正を施し、さらに書き下ろしの第5章、結論を付して一冊としたもの。「本書の目的はクロード・レヴィ=ストロースからジャック・ラカンへと続く構造論的方法を用いて、現代における日本文化の特性を解き明かすことにある。具体的には、日本文化の諸側面に通底する「構造」を、無意識における「パロール」の交換法則として提示し、西欧一神教文化のそれとの比較により、その構造的差異を明らかにすることである」(14頁)。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。著者の岡安裕介(おかやす・ゆうすけ:1976-)さんは現在、京都大学の人文科学研究所ならびに国際高等教育院の非常勤講師。専門は精神分析、民俗学。本書が初めての単独著です。
★『荻生徂徠全詩1』は東洋文庫の第900巻。全4巻のうちの第1回配本です。帯文に曰く「古文辞の学を唱えた徂徠は多くの漢詩を書いた。難解をもって敬して遠ざけられてきた全作品を江戸時代以来、初めて丹念に読み説く訳注。典拠が集積し、彫琢を極めたその魅力」。第1巻には巻一(風雅一首、擬古楽府十四首、四言古詩一首、五言古詩十首、七言古詩三十一首)・巻二(五言律詩百二十四首、五言俳律十種)を収録。原文(漢文)、訓読、語釈、現代語訳で構成。東洋文庫次回配本は5月、『太平記秘伝理尽鈔5』を発売予定。
★『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』は季刊「文藝」誌の2018年秋季号から2019年秋季号にかけて連載された小説の単行本化。あからさまな排外主義政策を推し進める政権の誕生後の日本で起こるヘイトクライムの数々と、韓国へと帰国した人々のサバイバルを描いています。日本に留まる主人公たちが決行するある「計画」の暗さにどう向き合うべきでしょうか。本作には柳美里、梁石日、真藤順丈の各氏から賛辞が寄せられています。「web河出」では第1章「柏木太一 大阪府大阪市生野区 三月三十日」の全文が無料公開中。著者の李龍徳(イ・ヨンドク:1976-)さんは埼玉県生まれの在日韓国人三世の作家。早稲田大学第一文学部卒。