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『季刊哲学』11号=オッカム

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弊社で好評直販中の、哲学書房さんの「哲学」「ビオス」「羅独辞典」について、1点ずつご紹介しております。「羅独辞典」「哲学」0号、2号、4号、6号、7号、9号、10号に続いて、11号のご紹介です。

季刊哲学 ars combinatoria 11号 オッカム――現代を闢ける
哲学書房 1990年6月30日 本体1,900円 A5判並製198頁 ISBN4-88679-040-2 C1010

目次:
【本邦初訳原典】
オッカムのウイリアム「神について知る可能性――明証認識と直覚/抽象認識(『自由党論集』第五巻より)」清水哲郎訳 pp.82-100
オッカムのウイリアム「概念について――『アリストテレス自然学問題集』第一問題―第六問題」渋谷克美訳 pp.102-125
ライプニッツ「オッカムの格率――M・ニゾリウス『似而非哲学者に抗する、哲学の真の原理』への序文より」山内志朗訳 pp.126-132
【形而上学へ】
稲垣良典+清水哲郎「認識の形而上学と論理学――オッカム、現代の源流としての」 pp.24-43

クラウス・リーゼンフーバー「神の全能と人間の自由――オッカム理解の試み」矢玉俊彦訳 pp.170-183
清水哲郎「元祖《オッカムの剃刀》――性能と使用法の分析」 pp.8-23
【薔薇と記号】
ウンベルト・エーコ「表意と表示――ボエティウスからオッカムへ」富松保文訳 pp.44-68
伊藤博明「世界の被造物はわれらを映す鏡――『薔薇の名前』とリールのアラヌス」 pp.142-156
【代表と形式】
G・プリースト+S・リード「オッカムの代表理論の形式化」金子洋介訳 pp.133-139
ヴィルヘルム・フォッセンクール「ウィリアム・オッカム――伝記的接近」加藤和哉訳 pp.69-76
【普遍と因果】
養老孟司「オッカムとダーウィン――スペキエスを切り落とす:臨床哲学5」 pp.184-189
丹生谷貴志「ディエゲネスの贋金――E・ブレイエ『ストア派における非物体の理論』の余白に:中世への途上6」 p.190-194
小林昌廣「病因論序説――医学的思考とは何か」 pp.157-169
「オッカム用語解説」 p.140-141
「オッカムのウイリアムの時代」 pp.80-81
「地図の上の〈オッカムの時代〉」 p.101
「既刊目次」 pp.196-197

編集後記:
●―ものとことばをへだてる深い淵に、七百年の時間に養われた思惟がじっと横たわり、その真上でオッカムとその時代が、今日と交感する。オッカムは今、あるいはその「哲学の存在論的な根本的前提は、ものと記号との根元的分離」」である(稲垣良典『抽象と直観』)と示され、あるいは「ものとその記号とを別々のものとして区別して把握することができないほどに、表裏一体である記号」を見出した(清水哲郎『オッカムの言語哲学』)と読まれる。
●―知性が、ものの「何であるか」を認識することにおいて、記号としての普遍が作り出される。知性の内にある記号としての普遍と、ものとが合一し一体となること、真理の経験。この経験を表わす言語の試みがトマスのスペキエスであった。
●―オッカムにおいては「存在する」とは、個別的なものやことが、ここで、いま(可感的で史料的な世界において)存在することであり、一方、複数のものを表示できる(一-多関係が可能な)ものと定義される「普遍」は、精神の内にある。精神の活動の領域とは、記号の領域である。オッカムは、普遍をめぐる思惟を、記号の体系としての精神の内部に限定する。また学知(scientia)の対象は命題の全体であり、命題は、事物や実体から合成されるのではなく、これらの事物を代示する(suppositio)する観念や概念にほかならない。論理学は諸観念を代示する諸観念にかかわる。
●―もの自体には向わず、ものと記号との関係を問うのでもなく、普遍をひたすら記号として究めようとする論理学者オッカムは、論理的必然性と経験的明証だけをよりどころとして、爾余をオッカムの剃刀で落す。ここに、もの(つまりは物理的世界)と記号(精神)との二元論がうちたてられる、と『抽象と直観』は言う。
●―この世紀のなかばから、思考の全光景を彩っていた修辞学と文法学が、『言葉と物』というモニュマンを残して足早に退いて、論理学がたちまちのうちにこれにとって代ろうとしているかに見える。そしてその背後には、近世のものであると思われていた認識の理論が〈現代への越境者〉オッカムによって準備されていたことが明らかになるにつえて、ものそれ自体、あるいは存在に向う中世の思惟の糸、形而上学が、にわかに豊かな光源としてたち現われるのである。自身は、時代の人として、ついに敬虔なフランシスコ会士であったオッカムの像と共に。
●―この号が成るにあたって、清水哲郎先生には格別にお世話になった。(N)

補足1:欧文号数は「vol.IV-2」。すなわち第4年次第2巻。

補足2:フォッセンクール「ウィリアム・オッカム――伝記的接近」の末尾には「この部分を含む本書の全体は、近く哲学書房から刊行予定である」と特記されているが、実際は出版されず、他社からも刊行されていない。

補足3:目次には明記されていないが78~79頁は図版項であり、解説が77頁に記載されている。図版は史料ではなくイラストである。

補足4:195頁では前号に続き、哲学書房のシリーズ、サム・モーガンスターン編『音楽のことば――作曲家が書き遺した文章』全9巻(日本語版監修=海老澤敏、監訳=近藤譲)が紹介されている。第2巻「モーツァルト、ベートーヴェンほか」(飯野敏子・下迫真理訳、1990年2月刊)、第3巻「シューマン、ショパンほか」(飯野敏子・下迫真理・高松晃子訳、1900年5月)、第7巻「マーラー、ドビュッシーほか」(岩佐鉄男・白石美雪・長木誠司訳、1990年4月)に既刊のしるしが付されているが、以後は続刊されなかった。

補足5:表紙表4には映画『薔薇の名前』の一シーンが掲出され、ショーン・コネリー扮するバスカヴィルのウィリアムが見える。併せて河島英昭訳『薔薇の名前』(東京創元社)からの一節が引かれている。


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