『未完の資本主義――テクノロジーが変える経済の形と未来』ポール・クルーグマン/トーマス・フリードマン/トーマス・セドラチェク/タイラー・コーエン/ルトガー・ブレグマン/ヴィクター・マイヤー=ショーンベルガー著、大野和基編、PHP新書、2019年9月、本体900円、新書判並製208頁、ISBN978-4-569-84372-8
『アイデア No.387 2019年10月号』誠文堂新光社、2019年9月、本体2,829円、A4変型判並製200頁、ISSN0019-1299
『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著、冨永星訳、NHK出版、2019年8月、本体2,000円、四六判上製240頁、ISBN978-4-14-081790-2
★『未完の資本主義』は『知の最先端』(PHP新書、2013年)や『未来を読む――AIと格差は世界を滅ぼすか』(PHP新書、2018年)など、著名知識人への数々のインタビューで知られる大野和基さんによる最新対話集。ソデ紹介文に曰く「本書は、「テクノロジーは資本主義をどう変えるか」「我々は資本主義をどう『修正』するべきか」について、国際ジャーナリスト・大野和基氏が、世界の「知の巨人」7人に訊ねた論考集である。経済学、歴史学、人類学……多彩な視座から未来を見通し、「未完」のその先の姿を考える、知的興奮に満ちた1冊」。大野さんによる「プロローグ」には本書の問題意識についてこう述べておられます。「「資本主義の終焉」といわれるが、資本主義は未完であるがゆえに、より善い姿に「進化」することもできるのではないか」。
★特に注目しておきたいのは、グレーバーの言う「BS職(Bullshit jobs:どうでもいい仕事)の5分類」と、ブレグマンの言う「ベーシック・インカム+1日3時間労働」です。前者の5分類は、太鼓持ち、用心棒、落穂拾い、社内官僚、仕事製造人、です(87~90頁)。ネタバレは控えるとして、グレーバーはこう意見を述べています。「我々は、仕事に大切なものは何なのか、考え直すべきなのかもしれません。仕事は苦しいものだ、苦しみは真の大人の勲章だ、責任感のある人間になろう――。現代の労働観は、あまりにもねじれてしまっています。〔…〕あまりにもねじれた人生観であり、そんな考えを続けていたら、自分の体、ひいては社会も壊れてしまいます」(95頁)。グレーバーの『Bullshit Jobs: A Theory』(Simon & Schuster, 2018)は岩波書店から刊行予定と聞いています。
★ブレグマンはこう言います。「私が提案しているのは、我々は働く時間を短くすべきだということです。ベーシックインカムは、人々に豊かな選択肢を与えるという意味で、不可欠なのです。〔…〕そもそも、ベーシックインカムという呼び名自体が最適ではないかもしれません。社会配当金という呼称もあります。これは、ベーシックインカムが手助けではなく人権なんだということを示しています。〔…〕私たちは基本的に、祖先がつくりだした遺産の恩恵を受けて生活しており、ベーシックインカムや社会配当は、それを認めているだけです」(164~165頁)。「多くの人は、ベーシックインカムを導入する財源はないと懸念しています。しかし私はむしろ、ベーシックインカムを導入しなければ先進国は経済的に立ち行かなくなると考えています。/私たちは現在、貧困が存在するゆえの費用を莫大に負担しています。高い医療費や学校の中途退学率、犯罪の増加などがその例です。人間の潜在能力のとんでもない無駄遣いだと思います」(165~166頁)。詳しくは本書と、ブレグマンの著書『隷属なき道――AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』(野中香方子訳、文藝春秋、2017年)をご参照ください。
★斎藤幸平さんによるインタビュー集『未来への大分岐』(集英社新書、2019年8月)や、吉成真由美さんによるインタビュー集『知の逆転』(NHK出版新書、2012年)、『知の英断』(NHK出版新書、2014年)、『人類の未来』(NHK出版新書、2017年)など、近年、大野さんのインタビューのほかにも様々な知識人へのインタビュー集が手頃な新書で刊行されているのは周知の通りです。これらはぜひ併売されてほしい書目です。
★『アイデア No.387 2019年10月号』の特集は「現代日本のブックデザイン史1996-2010」。巻頭言から引きます。「1996年を境に縮小を続ける日本の出版産業は、昨年時点ですでに最盛期の2分の1を割り込む経済規模にまで到達した。〔…〕もはやシーン全体を俯瞰して捉えることは困難であるものの、本特集ではその断片を見せるべく、〔…〕1996年から現在に至るブックデザインをスタイル別に並置してみることにした」。目次詳細は誌名のリンク先をご覧ください。本号の企画編集担当のお一人、長田年伸さんは「出版の本義へ」(110頁)でこう述べています。「歴史は事後的に振り返ることでしかその成否を判断できない。いまを生きるわれわれにできるのは個々の細い糸を撚り合わせ後世につなぐことしかないのだから、と本書を編んだ」。また長田さんは川名潤さんや水戸部功さん、加藤賢策さんとの座談会「ブックデザインはブックデザインでしかない」でこう述べておられます。「ここで記述した歴史は「the history」ではなくて「a history」です」(108頁)。
★長田さんはさらに序文で「管見の限りでは、現代日本のブックデザインを総覧した書籍や図録の類は1995年までで記述が止まっている」(8頁)とも書いておられます。実はこの歴史記述の不在は、デザインの現場だけに留まりません。出版業界の各種団体の公式文書はここ10年以上の途絶しています。出版社の団体がまとめたものでは『日本雑誌協会 日本書籍出版協会 50年史』が2007年11月発行。書店では『日書連五十五年史』は2001年7月発行。取次では『日本出版取次協会五十年史』は2001年9月発行。拙論「再販制再論」(『ユリイカ2019年6月臨時増刊号 総特集=書店の未来』2019年5月)の準備で様々な資料に目を通しましたが、各種団体ともに「予算が計上されておらず、最新版刊行の予定はない」との回答でした。
★歴史記述の衰退と改竄と抹消はポストトゥルース時代における負の特性であり、社会工学としての悪辣な編集技術の台頭と並行関係にあります。編集は人心や感官に働きかけるサイキックなテクノロジーとして、すでに自覚され運用され始めています。情報戦や諜報戦、広報戦の危険な領域へマスコミや出版界が長い間入り込んでいることが、改めて注目されているわけです。1996年以後のブックデザインを考える際にもう一度考慮しなければならないものがあるとしたら、それはプロパガンダ(ナショナリズムであれ、排外主義であれ、ポピュリズムであれ、流行であれ、娯楽であれ)なのだろうと思います。
★『時間は存在しない』は『L'ordine del tempo』(Adelphi, 2017)の全訳。原題は「時間の順序」ですが、邦題をあえて「時間は存在しない」としたところに本書の成功の鍵があるように思われます。ロヴェッリ(Carlo Rovelli, 1956-)はイタリアの理論物理学者で現在はフランスで活躍しています。既訳書には『世の中ががらりと変わって見える物理の本』(関口英子訳、河出書房新社、2015年;Sette brevi lezioni di fisica, Adelphi, 2014)と、『すごい物理学講義』(栗原俊秀訳、河出書房新社、2017年;La realtà non è come ci appare - La struttura elementare delle cose, Raffaello Cortina Editore, 2014)があります。
★「この本は長短三つのパートからなっている。第一部〔「時間の崩壊」〕では現代物理学が時間について知り得たことを手短かに紹介する。〔…〕わたしたちの知識が増えたことにより、時間の概念は徐々に崩壊していった。わたしたちが「時間」と読んでいるものは、さまざまな層や構造の複雑な集合体なのだ。そのうえさらに深く調べていくと、それらの層も一枚また一枚と剥がれ落ち、かけらも次々に消えていった。この本の第一部では、このような時間という概念の崩壊について述べる」(11~12頁)。「第二部〔「時間のない世界」〕では、その結果残されたものについて述べていく。〔…〕本質だけが残された世界は美しくも不毛で、曇りなくも薄気味悪く輝いている。わたしが取り組んでいる量子重力理論と呼ばれる物理学は、この極端で美しい風景、時間のない世界を理解し、筋の通った意味を与えようとする試みなのだ」(12頁)。
★「第三部〔「時間の源へ」〕はもっとも難しく、それでいていちばん生き生きしており、わたしたち自身と深く関わっている。〔…〕これは、第一部でこの世界の基本的な原理を追い求めるうちに失われた「時間」へと立ち戻る帰還の旅である。〔…〕結局のところ時間の謎は、宇宙に関する問題ではなく、私自身についての問題なのだ」(12~13頁)。日本語版解説をお書きになった吉田伸夫さんは第三部中盤での議論についてこう紹介されています。「ロヴェッリは、アウグスティヌスやフッサールの主張を引用しながら、時間が経過するという内的な感覚が、未来によらず過去だけに関わる記憶の時間的非対称性に由来することを指摘する。その上で、記憶とは、中枢神経系におけるシナプス結合の形成と消滅という物質的なプロセスが生み出したものであり、過去の記憶だけが存在するのは、このプロセスがエントロピー増大の法則にしたがうことの直接的な帰結であると論じる」(214頁)。
★本書はおそらく理工学書売場で展開されるものかと思いますが(ちなみに分類コード上では「外国文学、その他」で、版元さんとしては海外エッセイという位置づけなのかもしれません。推薦文は作家の円城塔さんが書かれています)、吉田さんの解説にもある通り、時間論は哲学思想でも扱いますから、人文書でもおそらく本書は売れるのではないかと思います。「ガーディアン」紙では「スティーヴン・ホーキングの『ホーキング、宇宙を語る』以来、これほどみごとに物理学と哲学とを融合した著作はない」と評されています。
★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『身体を引き受ける――トランスジェンダーと物質性のレトリック』ゲイル・サラモン著、藤高和輝訳、以文社、2019年9月、本体3,600円、四六判上製365頁、ISBN978-4-7531-0355-3
『菅原道真――学者政治家の栄光と没落』滝川幸司著、中公文庫、2019年9月、本体860円、新書判280頁、ISBN978-4-12-102559-3
『暦川』公文健太郎写真、平凡社、2019年9月、本体5,800円、A4変型判上製160頁、ISBN978-4-582-27831-6
『浮きよばなれ――島国の彼岸へと漕ぎ出す日本文学芸術論』栗原明志著、作品社、2019年9月、本体2400円、46判並製376頁、ISBN978-4-86182-775-4
★『身体を引き受ける』は、『Assuming a Body: Transgender and Rhetorics of Materiality』(Columbia University Press, 2010)の全訳。サラモン(Gayle Salamon)はプリンストン大学教授。本書は彼女の博士論文を元にした第一作で、日本語に翻訳されるのは今回が初めてです。謝辞の筆頭にはジュディス・バトラーが挙がっています。帯にはそのバトラーによる論評が載っています。曰く「サラモンの著書は、文化理論にはめったにみられない非凡な洞察力と哲学的なエレガンスを備えており、身体そのものの物質性に関してトランスジェンダーが含意しているものに鋭敏な哲学的省察を加えている」。目次詳細は版元ドットコムの単品ページで掲出されています。
★「本書『身体を引き受ける』は、現象学(主としてメルロ=ポンティの研究)と精神分析(フロイトとポール・シルダーの研究)、そしてクィア理論を通して、身体性(embodiment)の問いを探究する試みであり、これら各々の分野において身体がどのように理解されているのかを考察することを通してこの問いに取り組むものである」(序論、3頁)。「本書で、私は身体の存在についての記述における「物質的なもの」と「幻想的なもの」とのあいだの関係を考察する。そして、この関係が両立不可能な関係である必要はないこと、むしろ、身体の物質性が意識に現れる仕方、そして同様に重要なことに、それが意識から消える仕方を説明することを可能にする生産的な緊張によってその関係が特徴づけられることを示したい。メルロ=ポンティ、ジグムント・フロイト、ポール・シルダー、ジュディス・バトラーらによって提示された身体性の理論を読むのは、これらの理論に含まれる幻想的なものと物質的なものとの関係がトランスの身体に関するより良い理解にいかに資するのかを考えるためである」(4頁)。「私が望んでいること、それは、トランスジェンダリズムやトランスセクシュアリティに関する諸議論が「本当らしさ」にいたずらに訴えなくても済むようになることである」(6頁)。
★訳者解説ではこう紹介されています。「本書『身体を引き受ける』はきわめて学問領域横断的なスタイルで書かれたものである。精神分析、現象学、フェミニズム、クィア理論、トランスジェンダー・スタディーズなどの様々な学問分野を横断しながら、本書は執筆されている。とりわけ注目に値するのは、、精神分析と現象学をトランスジェンダー理論として読み直している点だろう。〔…〕彼女が主張しているのは、身体とは単なる「物質的なもの」ではなく、むしろ、物質的な身体とは「身体イメージ」の媒介によってはじめて生きられるのであり、そして、このような「感じられた身体」と「物質的な身体」とのあいだのズレや不一致は決して病理学的なものではないということである。/本書はまた大変バランスのとれた著作であり、理論的なだけでなく、きわめて実践的な著作でもある」(341~342頁)。
★『菅原道真』は、京都女子大学文学部教授で平安文学がご専門の滝川幸司(たきがわ・こうじ:1969-)さんが、道真の人生を四期に分けて紹介するもの。「第一期は、誕生から、大学寮紀伝道入学、対策(官僚登用のための国家試験)に合格して官僚としての道を歩み、文章博士として紀伝統の頂点に立った時期である。/第二期は、文章博士を離任し、讃岐守として統治に赴任した時期である。〔…〕/第三期は、都へ戻り、宇多天皇に抜擢され、蔵人頭として天皇の側近となり、以後右大臣に至る時期である。〔…〕/第四期は大宰権帥として都から左遷され、九州の地で過ごす時期である」(「はじめに」iii頁)。「それぞれの時期の心情がこれほどまでに残り、自分の手で編纂した史料が現存している官僚は、平安時代には他にいない」(iv頁)。道真は藤原氏の策謀により失脚したと言います。「道真の生涯の、いわば骨格を記したのが本書である。今後、血肉を加える作業を続けたい」と著者はあとがきで記しています。滝川さんには『菅原道真論』(塙書房、2014年)という研究書もあります。
★『暦川』は、写真家の公文健太郎(くもん・けんたろう:1981-)さんによる、2016年刊の『耕す人』に続く平凡社では2作目となる写真集。帯文に曰く「東北を代表する大河・北上川。源流から河口まで250kmの四季折々の営みを気鋭の写真家が活写」。ノスタルジーを誘う美しい川辺の風景に魅了されます。個人的にはっとしたのは48番の写真。川岸を進む蛇と目が合って、蛇(青大将でしょうか)もフレームのこちら側の写真家をじっと見つめています。思いがけない交感。今年刊行された公文さんの写真集は冬青社から2月に刊行された『地が紡ぐ』に続いて2冊目です。
★『浮きよばなれ』は作家・演出家・プロデューサーの栗原明志(くりはら・あかし:1971-)さんが20代後半から40代後半のこんにちまで、20年間にわたり書き溜めたエッセイ24篇をまとめたもの。第一作である特異な小説『書』(現代思潮新社、2007年)以来の新刊です。「「とりあえず」現在を先送りにする運動のただ中で、人は金銭に埋没する。「とりあえず」は錬金術の合言葉に他ならない。「とりあえず」の対極に文学と芸術が存在し、ますます迫害され、黙殺され、表面から撤去され、倉庫で眠らされ、見下され、勝ち誇ったせせら笑いに晒されながら、幾重にも迂回された奇妙な方法で人々が背を向けた現在を拾っている、「ポスト真実」の時代は、「ポストイメージ」の時代でもあり得るのだ」(「二〇一七年の京都」367頁)。
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