★今月の新書、文庫から注目書を何点か列記します。
『隠された奴隷制』植村邦彦著、集英社新書、2019年7月、本体880円、新書判268頁、ISBN978-4-08-721083-5
『プリンシピア――自然哲学の数学的原理 第Ⅱ編 抵抗を及ぼす媒質内での物体の運動』アイザック・ニュートン著、中野猿人訳、ブルーバックス、2019年7月、本体1,500円、新書判384頁、ISBN978-4-06-516656-7
『ユグルタ戦争 カティリーナの陰謀』サルスティウス著、栗田伸子訳、岩波文庫、2019年7月、本体1,070円、文庫判432頁、ISBN978-4-00-334991-5
★『隠された奴隷制』は2019年下半期でもっとも重要な新書新刊となるだろう一冊。帯文はこうです。「ロック、モンテスキュー、ルソー、ヘーゲル、ヴォルテール、スミス、ヘーゲル・・・近代350年を辿り、マルクスが遺した謎のキーワードで資本主義を読みとく」。謎のキーワードというのは書名にある「隠された奴隷制(die verhüllte Sklaverei)」のこと。マルクス『資本論』第一巻の終わり近く、「いわゆる本源的蓄積」を論じた章に出てくる言葉です(岡崎次郎訳、『マルクス=エンゲルス全集』第23巻第2分冊、大月書店、1965年、991頁)。巻頭の「はじめに――「奴隷制」と資本主義」には次のように書かれています。「私たちは今、資本主義社会に生きている。その日々の暮らしの中で「奴隷制」という言葉に出会う機会はまずない。しかし、実は「奴隷制」と資本主義には密接な関係があることを、あなたはまだ知らない」(3頁)。「資本主義は奴隷制を前提とする。そして資本主義は奴隷制を必要とする」(7頁)。「「隠された奴隷制」という言葉の謎を解くために、近代の奴隷制の歴史を振り返り、そして奴隷制をめぐる言説の歴史をたどり直してみること、そして資本主義と奴隷制との切っても切れない関係をあぶり出すこと、それがこの本の課題である」(8頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。
★『プリンシピア 第Ⅱ編』は、第Ⅱ編「抵抗を及ぼす媒質内での物体の運動」の第Ⅰ章「速度に比例して抵抗を受ける物体の運動」から第Ⅸ章「流体の円運動」までを収録。底本は第3版からの英訳(モット訳、カジョリ改訂)で、ラテン語原著初版と比較参照のうえ訳出。第Ⅲ編「世界体系」は8月下旬発売予定。
★『ユグルタ戦争 カティリーナの陰謀』は書名にある二篇を収録。訳者解説の文言を借りると「ローマ共和政末期の異才の歴史家、ガイウス=サルスティウス=クリスプス(前86年頃~前35年頃)が著した歴史書のうち完全な形で現存する二篇、『ユグルタ戦争』と『カティリーナの陰謀』である」。底本はトイプナー文庫のKurfessによる1957年校訂版で、「オックスフォード版(Reynolds, 1991)を随時参照し、両者の読みが大きく異なる場合には訳注で説明を加えた」とのことです。なお、『カティリーナの陰謀』については、既訳があります。渡辺隆三訳『カチリナ戦記』(津軽書房、1972年)、合阪學/鷲田睦朗訳註解『カティリーナの陰謀』(大阪大学出版会、2008年)。今回の新訳では後者を参考としたそうです。
★また、最近では以下の新刊との出会いがありました。
『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[2]数学論・数学』G・W・ライプニッツ著、原亨吉/佐々木力/三浦伸夫/馬場郁/斎藤憲/安藤正人/倉田隆訳、工作舎、2019年7月(初刷1997年4月)、本体1,2000円、A5判上製400頁+手稿8頁、ISBN978-4-87502-510-8
『聖杯の探索』天沢退二郎訳、人文書院、2019年7月(初刷1994年10月)、本体5,500円、4-6判上製464頁、ISBN978-4-409-13018-6
『印象派と日本人――「日の出」は世界を照らしたか』島田紀夫著、平凡社、2019年7月、本体4,200円、A5判上製224頁、ISBN978-4-582-20648-7
★『ライプニッツ著作集 第I期 新装版[2]数学論・数学』は第6回配本。全10巻なので、いよいよ折り返したことになります。帯文に曰く「微積分学創始のドキュメント、普遍数学から発見術へ」。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。ガロア、ホイヘンス、オルデンバーグ、ニュートンへの手紙を含みます。個人的に興味深いのはオルデンバーグとのやりとりです。馬場郁さんの解説によれば、二人の文通は1670年にライプニッツから始められたとのこと。オルデンバーグは数学者のジョン・コリンズやニュートンらを巻き込んで文通を重ねます。「一連の手紙は形式上個人の間で交わされていても、私的な通信ではなく研究成果の公表という性格を持っていた。ライプニッツからオルデンバーグへの手紙はすべて王立協会のものとして保管された」(231頁)。オルデンバーグは王立協会(The Royal Society)の初代事務総長で、協会の紀要「フィロソフィカル・トランザクションズ」の編集者です。
★もう少し詳しく言及しておきます。ヘンリー・オルデンバーグ(Henry Oldenburg, c1617-1677)はドイツ生まれの亡命外交官でした。「現存する世界最古の科学者の学会であるロンドン王立協会に神経を張り巡らせた男、ロンドンの中心に全西欧に科学情報のネットワークを初めて作り上げた男、現在もつづく世界最古の科学雑誌を創刊した男」であり、「近代西欧文明の二つの特質、科学と情報の両面のインフラを練り上げ、イギリスを世界に冠たる近代国家に押し上げた男、要するに17世紀科学・情報革命の総合演出者、といってもさしつかえあるまい」と、金子務さんは著書『オルデンバーグ』(中公叢書、2005年、8頁、品切)で紹介しています。オルデンバーグはいわば「懸け橋」であり「結節点」でした。現代に生きる編集者にとっては歴史的な巨星でありモデルです。
★『聖杯の探索』は25年ぶりの重版。作者不詳の中世フランス語散文物語で、アーサー王物語として名高い「円卓の騎士たちの至高の冒険と幻夢の数々。全編にみなぎる血とエロスと聖性のドラマ」(帯文より)を描いた古典です。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。重版に際し特に訂正等は加えられていないようです。「およそ1180年代初めにクレティアン・ド・トロワがフランス語で書いた長篇韻文物語『聖杯の物語』を出発点とする“聖杯物語群”は、それからわずか50年ほどの間に、質量とも圧倒的な作品群として成立し、さらに数百年の間、中世ヨーロッパ各国にまたがって展開した。ここに訳出した仏語散文『聖杯の探索』は、1220年代にフランスで書かれた“大伽藍的”連作集成の、核心に位置している」(解説、442頁)。凡例によれば底本は「A・ポーフィレ編注の校訂本(1949年)に収められた本文」とのこと。ただし諸写本などを参照してポーフィレ本と異なる読みを採ったところがある、とも注記されています。
★『印象派と日本人』は「はじめに」によれば「本書の構成は三部からなる。Ⅰ部「バルビゾン派」は印象派の直接の先駆者であるバルビゾン派を概観する。筆者はかつて山梨県立美術館に奉職していたが、その折に開催したバルビゾン派とミレーの展覧会が拙著を書くのに役立った。Ⅰ部とⅡ部のあいだの「インテツメッツォ(間奏曲)」は風景がをめぐりバルビゾン派から印象派に継承された経緯を略述する。Ⅱ部「印象派」は、最初に印象派グループの主要メンバーとその画風の特徴を抽出する。ついで印象派グループの形成と彼らが中心になって開いた八回のグループ展を確認する。最後に八回のグループ展から各一名の画家の作品を選んで鑑賞する。Ⅲ部「印象派と日本」は、印象派と日本の関係を、画家・鑑賞者(批評家)・雑誌(主に『白樺』)などを介して跡付け、最後に日本における印象派に関わるコレクションと美術館を述べる。/「補論」として、「第二次世界大戦以後の日本におけるバルビゾン派と印象派関連の展覧会」を加えた。これらの展覧会によって、私たちは日本にいながらにしてバルビゾン派や印象派の作品を鑑賞することができたからである」(11頁)。
★最後に、ここしばらく言及できていなかった注目既刊書を列記します。
『時間観念の歴史――コレージュ・ド・フランス講義 1902-1903年度』アンリ・ベルクソン著、藤田尚志/平井靖史/岡嶋隆佑/木山裕登訳、書肆心水、2019年6月、本体3,600円、A5判並製352頁、ISBN978-4-906917-92-1
『欲望の資本主義(3)偽りの個人主義を越えて』丸山俊一/NHK「欲望の資本主義」制作班著、東洋経済新報社、2019年6月、本体1,500円、四六判並製240頁、ISBN978-4-492-37123-7
『ホホホ座の反省文』山下賢二/松本伸哉著、ミシマ社、2019年6月、本体1,800円、四六判並製208頁、ISBN978-4-909394-22-4
『ヒエログリフ集』ホラポッロ著、伊藤博明訳、ありな書房、2019年3月、本体3,800円、A5判上製232頁、ISBN978-4-7566-1965-5
★『時間観念の歴史』は『Histoire de l'idée de temps. Cours au Collège de France 1902 -1903』(PUF, 2016)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。「本講義の主題は「時間観念の歴史」である。つまり時間の観点から紡がれた哲学史である。なぜ時間なのか。それは、ベルクソンという哲学者が「哲学のアポリアは時間を適切に扱うことによって解説される」と考えているからである。それゆえ、哲学的問題に取り組んだ哲学者の数だけ、時間への取組が見いだせる。そして、それは当の哲学者の思考の核をかたどるものだ」(平井靖史「訳者解説」410頁)。「もちろん、持続の多元論者、ベルクソンである。彼は決して安易に脚色された、単線的な歴史を描こうとはしない。一人一人が見せる手腕に寄り添ってその固有の魅力を引き出しつつ、それら多くの思考の線それぞれが、時間という巨大な問題のどこをどのように掘り進んでいるのかを丁寧に描き出してみせる。こうして繰り広げられる時間の哲学史絵巻は、思索の個性で豊かに彩られていて、通り一遍の哲学史を頭に入れたつもりの哲学マニアにもきっと新鮮な驚きと知の歓びを思い出させてくれることだろう」(410~411頁)。
★ちなみにハイデガーの『存在と時間』の前段となる、1925年の講義「時間概念の歴史への序説」は創文社版『ハイデッガー全集』第20巻として1988年に刊行されています。創文社の廃業は来年予定。お持ちでない方は今のうちにコツコツと買い揃えた方がいいかもしれません。
★『欲望の資本主義(3)』はNHKの経済教養番組の書籍化第三弾。今回は起業家スコット・ギャロウェイ、数学者チャールズ・ホスキンソン、経済学者ジャン・ティロール、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ、哲学者マルクス・ガブリエルの四氏へのインタビュー。第一弾は2017年刊で、経済学者のジョセフ・スティグリッツやトーマス・セドラチェク、投資家スコット・スタンフォードが登場。第二弾は2018年刊で、ダニエル・コーエン、ガブリエル、セドラチェクが登場。NHKプロデューサーの丸山俊一(まるやま・しゅんいち:1962-)さんが関わっている類書では『欲望の民主主義――分断を越える哲学』(幻冬舎新書、2018年)があります。この本ではヤシャ・モンク、ジョナサン・ハイト、シンシア・フルーリー、マルセル・ゴーシェ、ジャン=ピエール・ルゴフ、マルクス・ガブリエルが登場。
★『ホホホ座の反省文』は、本屋や物販もやる編集企画集団ホホホ座の山下座長と松本顧問による活動記録。「ひたひたと忍び寄る、「暮らし・生活系」の足音に、お店の存続をかけて歩調を合わせながらも、時として、その道に、バラバラと画鋲をまき散らしあくなることもあります。それは、常に人生の脇道に追いやられていた、サブカル者としての怨念と、燃えカスのようなプライドがもたらす、屈折した感情なのかもしれません」(66頁)。実に素敵です。「僕らは、「暮らし・生活系」の流れの中にあっても、ものごとを切り取る、視線としての「サブカル」っぽさを消し去ることは、この先もできないでしょう。それをどのようにしてお店づくりに反映させるのか? 日々、実験を繰り返しています」(69頁)。ほぼ同世代ということもあるのか、お二人の考え方や姿勢に共感を覚えます。勇気を分けてもらえる本。
★『ヒエログリフ集』は「エンブレム原点叢書」の第3弾。底本は本文が1996年のイタリア語対訳版(Rizzoli)、図版は1551年のジャン・メルシエ版から採ったとのことです(第1部「いかに魂を示すのか」の図版のみ、1543年のフランス語版から採用)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。例えば「いかに未来の出来事を表すのか」では中空に浮かぶ耳が描かれます(98頁)。二羽のカラスは結婚を表し(19頁)、ウサギは開放を示し(40頁)、鼠は崩壊を示します(64頁)。中空に浮かぶワニの二つの眼は「日の出」を表し(81頁)、二羽のウズラは同性愛を表します(149頁)。宙に浮かぶ手は「製作することを好む者」を表します(167頁)。現代人の感覚とは異なりますが、他人と違う符牒を持ちたい方には多いに参考になる図版集です。
★同叢書の既刊書はいずれも伊藤博明さん訳で、2000年にアンドレア・アルチャーティ『エンブレム集』が、2009年にオットー・ウェニウス/ダニエル・ヘインシウス『愛のエンブレム集』が刊行されています。これらは「エンブレム研究叢書」と併せ、「叢書エンブレマティカ」を構成します。続刊にはクロード・パラダン『英雄的ドゥヴィーズ集』や、パオロ・ジョーヴィオ『愛と闘いのインプレーサ』が予定されています。
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