『テーマパーク化する地球』東浩紀著、ゲンロン、2019年6月、本体2,300円、四六判上製408頁、ISBN978-4-907188-31-3
『ハイデガー=レーヴィット往復書簡 1919–1973』マルティン・ハイデガー/カール・レーヴィット著、アルフレート・デンカー編、後藤嘉也/小松恵一訳、法政大学出版局、2019年6月、本体4,000円、四六判上製360頁、ISBN978-4-588-01094-1
『宗教社会学論集 第1巻(上)緒言/プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神/プロテスタント諸信団と資本主義の精神』マックス・ヴェーバー著、戸田聡訳、北海道大学出版会、2019年5月、本体5,400円、A5判上製452頁、ISBN978-4-8329-2517-5
『ショーペンハウアーとともに』ミシェル・ウエルベック著、アガト・ノヴァック=ルシュヴァリエ序文、澤田直訳、国書刊行会、2019年6月、本体2,300円、A5変型判152頁、ISBN978-4-336-06355-7
『アナーキストの銀行家――フェルナンド・ペソア短編集』フェルナンド・ペソア著、近藤紀子訳、彩流社、2019年6月、本体2,000円、四六判上製183頁、ISBN978-4-7791-2599-7
★『テーマパーク化する地球』は「ゲンロン叢書」の第3弾。「2011年3月の東日本大震災以降、ぼくが書き溜めてきた原稿から時事性の高いものを除き、批評と社会の関係を考察したものを中心に集めた評論集である。再録にあたってはほとんどの原稿に加筆修正を施した。修正が多すぎて書き下ろしに近いものもある。関連インタヴューもふたつ収録した」(あとがきより)。「テーマパーク化する地球」「慰霊と記憶」「批評とはなにかⅠ」「誤配たち」「批評とはなにかⅡ」の4部構成で、巻末の「あとがき」を除き47本が収録されています。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。2月に河出書房新社より上梓された文芸エッセイ集『ゆるく考える』の姉妹編とも言えます。もっとも注目したいのは最後の論考「運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について」です。これはゲンロンの活動を振り返った回想録であるとともに、ゲンロンを「人間が人間であるために、等価交換の外部を回復するためのプロジェクト」として改めて規定する原理的なテクストです。運営と制作の一致をめぐる問題は、出版界においてもっとも根本的なものであり、今までも、そしてこれからも問われ続けるものです。このテクストは出版人や書店人にとっての仕事論として読むことができる、非常に示唆に富んだ一篇です。
★『ハイデガー=レーヴィット往復書簡 1919–1973』は、アルフレート・デンカーの編纂と註解による、2017年にカール・アルバー社から刊行された『ハイデガー書簡集』第Ⅱ-2巻の翻訳。補遺として、ニーチェの妹エリザーベトがレーヴィットに宛てた書簡、レーヴィットの教授資格論文に対するハイデガーの所見、ナチス政権期のハイデガーのローマ講演に際したレーヴィットのイタリア日記、トートナウベルクの山小屋帖へのレーヴィットの1924年の書き込み、なども収められています。帯文に曰く「ナチス政権期の政治的断絶を明確に刻印しながらも、73年のレーヴィットの死まで続いた120通を超える往復書簡群は、時代の証言であると同時に、世界大戦期を生きた師弟の運命的な抗争、そして不可能な友愛を示す稀有のドキュメントである」。収録されている書簡の大半は1920年代に交わされたものです。
★『宗教社会学論集 第1巻(上)』は、戸田聡さん単独による新訳『宗教社会学論集』全4巻の第1巻2分冊のうちの上巻。「緒言」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」「プロテスタント諸信団と資本主義の精神」を収録。第1巻の巻末には、「今なぜ新訳が必要か――訳者あとがきに代えて」と題し、「なぜ『宗教社会学論集』が改めて翻訳されるべきか」「『宗教社会学論集』日本語訳の今日的意義」「本翻訳の特色」という3部構成で新訳の意義が説明されています。戸田さんは北海道大学大学院文学研究科准教授で、ご専門は古代キリスト教史、古典文献学。「筆者が今回の翻訳で目指しているのは、どちらかと言えば直訳的・逐語訳的な翻訳であり、つまりヴェーバーの議論を極力正確に写し取ることによって、ヴェーバーがどういう概念(群)を駆使して思考していたかを日本語の訳文上で可能なかぎり明確にすることである」(331頁)。周知の通り、本書に収められている『プロ倫』は今まで幾度となく訳されてきた古典的名著です。
★なお、下巻は2020年3月刊行予定で、「諸々の世界宗教の経済倫理」の第Ⅰ部を収録。第2巻は同書第Ⅱ部、第3巻は同書第Ⅲ部と「宗教社会学論集 補遺 ファリサイは」を収録予定。
★『ショーペンハウアーとともに』は『En présence de Schopenhauer』(L'Herne, 2017)の全訳。フランスの作家ウエルベック(Michel Houellebecq, 1958-)は20代後半に図書館でショーペンハウアーの『幸福について』を借り、「重大な発見」をしたと気付きます。「私はすでにボードレール、ドストエフスキー、ロートレアモン、ヴェルレーヌ、ほとんどすべてのロマン主義作家を読み終わっていたし、多くのSFも知っていた。聖書、パスカルの『パンセ』、クリフォード・D・シマックの『都市』、トーマス・マンの『魔の山』などは、もっと前に読んでいた。私は詩作に励んでもいた。すでに一度目の読書ではなく、再読の時期にいる気がしていた。少なくとも、文学発見の第一サイクルは終えたつもりでいたのだ。ところが、一瞬にしてすべてが崩れ去った」(26頁)。「私の知る限りでは、いかなる哲学者もアルトゥール・ショーペンハウアーほどすぐさま心地よく元気づけてくれる読書を提供してくれる者はいない」(30頁)。
★「私は、自分の気に入ったいくつかのくだりを通して、なぜショーペンハウアーの知的な態度が、私にとっては来るべきあらゆる哲学の模範であり続けるのか、また、たとえ彼と意見が一致しない場合であっても、彼に対して深い感謝の気持ちを感じずにはいられないのかを示したいと思う」(30~31頁)。ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』と『幸福について』から言葉が引かれ、ウエルベックによるコメントが加えられています。水戸部功さんによる瀟洒な装幀は、プレゼントとしても最適の美しさではないかと思います。序文を寄せたアガト・ノヴァック=ルシュヴァリエはパリ・ナンテール大学准教授。専門はフランス19世紀文学ですが、ウエルベックの研究者でもあります。
★『アナーキストの銀行家』は日本語版オリジナル編集の短編集。短編集『Contos Escolhidos』(Assírio & Alvim, 2016)と、『O Banqueiro Anarquista』(Assírio & Alvim, 1999)から以下の8篇を収録したもの「独創的な晩餐」「忘却の街道」「たいしたポルトガル人」「夫たち」「手紙」「狩」「アナーキストの銀行家」「アナーキストの銀行家・補遺」。表題作「アナーキストの銀行家」は1922年、本名で発表された「珍しい作品」。「アナーキストが銀行家に、銀行家がアナーキストになる、そこにはペソア流の皮肉なパラドックスがあると同時に、政情不安が高まる当時のポルトガルの社会、強大化する金(かね)の専制とそれに対するイデオロギーの空洞化が映し出されている」(9頁)と訳者は紹介しています。「その意味でこの作品は、当時のポルトガル社会の、さらには極度なまでの経済優先社会に生きる現代のわたしたち自身の、苦く皮肉な肖像となっている」(同頁)。
★続いて、注目している文庫と新書の新刊を列記します。
『新訳 不安の概念』セーレン・キルケゴール著、村上恭一訳、平凡社ライブラリー、2019年6月、本体1,800円、B6変判並製416頁、ISBN978-4-582-76882-4
『デモクラシーか 資本主義か――危機のなかのヨーロッパ』J・ハーバーマス著、三島憲一訳、岩波現代文庫、2019年6月、本体1,300円、文庫判viii+312頁、ISBN978-4-00-600406-4
『クーデターの技術』クルツィオ・マラパルテ著、手塚和彰/鈴木純訳、中公文庫、2019年6月、本体1,200円、文庫判448頁、ISBN978-4-12-206751-6
『モナリザの微笑――ハクスレー傑作選』オルダス・ハクスレー著、行方昭夫訳、講談社文芸文庫、2019年6月、本体1,600円、A6判288頁、ISBN978-4-06-516280-4
『プリンシピア 自然哲学の数学的原理 第Ⅰ編 物体の運動』アイザック・ニュートン著、中野猿人訳、ブルーバックス、2019年6月、本体1,500円、新書判448頁、ISBN978-4-06-516387-0
『ブレードランナー証言録』ハンプトン・ファンチャー/マイケル・グリーン/渡辺信一郎/ポール・M・サモン著、大野和基編訳、インターナショナル新書、2019年6月、本体780円、新書判176頁、ISBN978-4-7976-8039-3
★『新訳 不安の概念』はライブラリー版オリジナルの新訳。底本はデンマーク語版著作全集第2版(1920~1930年)の第Ⅳ巻。『原典訳記念版 キェルケゴール著作全集』第3巻(2分冊、創言社、2010年)の下巻に収められた大谷長訳『不安の概念』以来の新訳となります。文庫版では久しく新訳はありませんでした。主要目次は以下の通りです。
序文
緒論
第一章 原罪の前提としての不安
第二章 現在の結果としての不安
第三章 罪意識を欠く罪の結果としての不安
第四章 罪の不安、あるいは個体における罪の結果としての不安
第五章 進行による救いの手としての不安
訳注
訳者解説 キルケゴールの『不安の概念』を読む――心理学の視点を顧慮しつつ
訳者あとがき
★文庫版で読める既訳としては、斎藤信治訳『不安の概念』(岩波文庫、1951年;改版、1979年)があります。このほか戦後に刊行された文庫版には、田淵義三郎訳『不安の概念』(中公文庫、1974年)もありますが、現在は品切。田淵訳は『世界の名著(40)』(中央公論社、1966年)に収録されていたものに「ところどころ訂正を加えたもの」(文庫版解説、256頁)。村上さんによる今回の新訳の前段には、大学書林から1985年に刊行された同書の対訳書がありました。
★『デモクラシーか 資本主義か』は日本語版オリジナル編集による論文集。ハーバーマスが2007年から2018年にかけて発表してきた政治的エッセイやインタヴュー、全11篇をまとめたもの。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。7篇は岩波書店の『世界』誌に訳載されたもので、以下の4篇は新訳。「テクノクラシーに飲み込まれながら」2013年、インタヴュー「民主主義のための両極化――右翼ポピュリズムを瓦解させるには」2016年、「強いヨーロッパのために――しかし,それはどういう意味だろうか」2014年、エピローグ「左翼ヨーロッパ主義者たちよ,どこに行った?」2018年。論文集『ああ、ヨーロッパ』(岩波書店、2010年、版元品切)の第9章「行き詰まったヨーロッパ統合」も再録されています。
★『クーデターの技術』は2015年に中公選書の1冊として刊行されたものの文庫化。巻末に新たに付された鈴木純さんによる「訳者あとがき(二〇一九)」によれば、「文庫化に際しては、再度訳文を見直し、読者の理解を少しでも容易にするため、必要に応じて訳註を増やした」とのことです。また共訳者の手塚さんによる「文庫版のためのあとがき」には「文庫版出版については、共訳者の鈴木純氏の丹念な検討により、より完全な役になった」とのコメントがあります。イタリアの作家マラパルテ(Curzio Malaparte: Kurt Erich Suckert, 1898-1957)の著書の文庫化は今回が初めてです。
★『モナリザの微笑』はオルダス・ハクスレー(ハクスリーとも:Aldous Leonard Huxley, 1894-1963)の日本版オリジナルの新訳短編集。収録作は5篇。「モナリザの微笑」「天才児」「小さなメキシコ帽」「半休日」「チョードロン」。「チョードロン」は初訳です。1930年の短編集『束の間のともしび』に収録されていた作品。『恋愛対位法』と『すばらしい新世界』の間に発表されたもので、「ハクスレーの特色である、百科全書的な博学、機知、軽妙で辛辣な風刺、痛烈な戯画、分析癖、現代的な不安と懐疑などのすべてを、この短編に見出すことができます」と訳者の行方さんは巻末解説「父方から科学者、母方からモラリストの知を受け両者の間に揺れた博識の作家」で紹介されています。
★『プリンシピア――自然哲学の数学的原理 第Ⅰ編 物体の運動』は、1977年に講談社より刊行された単行本『プリンシピア――〈自然哲学の数学的原理〉』の新書化。『第Ⅱ編 抵抗を及ぼす媒質内での物体の運動』が7月発売であることから、新書では全3編を3分冊で刊行する予定になるものと思われます。全3編の電子書籍は税込で7000円を超える値段なので、紙媒体の3分冊を買った方が安いです。訳者解説に曰く「本書の訳出にあたって訳者が手にすることのできたラテン語原書はただ初版本だけであった。しかし、幸いに第3版からの優れた英訳とされている〔…〕モット訳、カジョリ改訂の“Mathematical Principles of Natural Philosophy”を手にすることができたので、これを底本とし、前者と比較参照をしながら、原意を正確に伝えるよう最大の努力をした」と。ラテン語原典初版は1687年刊。原著第3版からのアンドリュー・モットによる最初の英訳版(1729年)をフローリアン・カジョリが再改訂した翻刻版(1934年)が中野訳の底本、ということかと思います。
★なお、ラテン語原典からの日本語訳には、中央公論社版『世界の名著(26)ニュートン』(1971年;中公バックス版『世界の名著(31)』1979年)所収の、河辺六男訳『自然哲学の数学的諸原理』があります。巻頭解説「ニュートンの十五枚の肖像画」末尾の「後記」によれば、「この役のテキストとしてはPhilosophiæ Naturalis Principia Mathematica 第3版、トーマス・ル・スールとフランシス・ジャッキエーが注釈をつけた1760年ジュネーヴ版を使い、初版ロンドン版およびアンドリュース・モット訳フローリアン・カジョリ補訂の英訳を参照した。モットの英訳は、カジョリも特に第三篇では注意しているが、他の諸篇中でも説明的な文章が挿入され、ニュートンの簡勁な文体から離れている箇所が多々ある。古典の翻訳というとき、いろいろな考え方がありうるであろうが、ここではできるだけ原著の文体と数式の体裁を残すように心がけた。しかし数式のなかで現在まったく使われていない記法は現代風のものに改めた」(45頁)。訳文だけでも46判2段組500頁以上になるので、復刊のハードルは高いのかもしれませんが、中公クラシックスないし中公文庫で再刊される意義はあると思われます。
★『ブレードランナー証言録』は、大野さんによる独占インタヴュー集。『ブレードランナー』脚本家ファンチャー、『ブレードランナー2049』脚本家グリーン、『ブレードランナー ブラックアウト2022』渡辺監督、『メイキング・オブ・ブレードランナー』(ソニーマガジンズ、1997年;ファイナル・カット版、ヴィレッジブックス、2007年;再版、2017年)の著者サモン、以上4氏へのインタヴューです。興味深いエピソードの中から1つだけ。『2049』が引用した文学作品にミルトン『失楽園』やナボコフ『青白い炎』(例のベースライン・テストでの「within cells interlinked」のくだりですね)などがありますが、ナボコフの引用はグリーンの発案によるもので、グリーンはこの本を何百回と読んできたそうです。ただし引用の意図は明かされていません。
★最後に、最近では以下の新刊との出会いがありました。
『日本の民俗学』柳田國男著、中公文庫、2019年6月、本体1,200円、文庫判416頁、ISBN978-4-12-206749-3
『科学技術の現代史――システム、リスク、イノベーション』佐藤靖著、中公新書、2019年6月、本体820円、新書判240頁、ISBN978-4-12-102547-0
『いやな感じ』高見順著、共和国、2019年6月、本体2,700円、菊変型判並製424頁、ISBN978-4-907986-57-5
『海人――八重山の海を歩く』西野嘉憲写真、平凡社、2019年6月、本体5,900円、A4変判上製168頁、ISBN978-4-582-27830-9
『児玉源太郎』長南政義著、作品社、2019年6月、本体3,400円、46判上製448頁、ISBN 978-4-86182-752-5
★『日本の民俗学』は中公文庫プレミアムの「日本再見」と題されたシリーズの一冊。中公文庫オリジナル編集版で、編集付記によれば「著者の民俗学の方法に関する論考を独自に編集し、折口信夫との対談、談話「村の信仰」を合わせて一冊にしたもの」。3部構成で第Ⅰ部「日本の民俗学」に「郷土研究ということ」「日本の民俗学」「Ethnologyとは何か」「郷土研究の将来」「国史と民俗学」「実験の史学」「現代科学ということ」「日本を知るために」の8篇の論考を収め、第Ⅱ部「柳田國男・折口信夫対談」に「日本人の神と霊魂の観念そのほか」「民俗学から民族学へ――日本民俗学の足跡を顧みて」の2本の対談、そして第Ⅲ部が「村の信仰――私の哲学」です。巻末解説は東京大学教授の佐藤健二さんがお書きになっています。
★『科学技術の現代史』は「まえがき」に曰く「現代科学技術、すなわち第2次世界大戦から現在までの科学技術が、米国連邦政府との関わり合いのなかでどのように進化してきたかを追う。米国内外の政治・経済・社会の変動を反映して米国連邦政府の課題が移り変わるなか、現代科学技術も構造的な変化を遂げてきたことを明らかにする」(iii頁)と。主要目次は以下の通りです。
まえがき
序章 現代科学技術と国家
第1章 システムの巨大化・複雑化――東西冷戦と軍産複合体
第2章 崩れる権威、新たな潮流――デタント後の米国社会
第3章 産業競争力強化の時代へ――産学連携を特許重視政策
第4章 グローバル化とネットワーク化――連戦終結後
第5章 リスク・社会・エビデンス――財政再建とデータ志向
第6章 イノベーションか、退場か――21世紀、先進国の危機意識
終章 予測困難な時代へ
あとがき
参考文献
科学技術の現代史関連年表
★『いやな感じ』は1960~1963年にかけて「文學界」で連載され、同63年に単行本として出版された表題作小説に、「「いやな感じ」を終って」「革命的エネルギー――アナーキズムへの過小評価」「大魔王観音――北一輝」の三篇と、栗原康さんによる解説「いい感じ」、さらに版元である「共和国」の代表、下平尾直さんによる解題「『いやな感じ』とその周辺」を付して1冊としたものです。
「兄さんは、なんの商売?」〔…〕
「俺の商売か。さあ、なんていうかな」
と返事に窮した。俺はアナーキストだと、
誇らかに言いたいところだったが、〔…〕(29頁)
「あなたは失礼ですが、どういう方ですか」〔…〕
「俺は――僕は詩人だ」(291頁)
「奥さんですか」
「はい」〔…〕
「加柴四郎と言って、玉塚さんの昔の友人です」〔…〕
「詩人でいらっしゃいますか」
「いやあ……」(253頁)
「俺はお人よしか」
「加柴四郎は悪党でもなければ、お人よしでもない」
「じゃなんだ」
「根っからのアナーキストだ」(365頁)
★エッセイ「「いやな感じ」を終って」の末尾において著者は主人公の生きざまをめぐってこう述べています。「加柴四郎は私自身なのである。私が一時彼に似た生活をしていたことがあるという意味ではない。彼の人生と私の人生は具体的には違っていても、彼の運命は私の運命でもあり、昭和時代の日本人の運命でもあったのだ」(377頁)。投げ込みの「共和国急使」によれば、続刊予定に『ダダカンスケという詩人がいた(仮)』と『ルディ・ドゥチュケと戦後ドイツ』の2点が挙がっています。
★『海人』は沖縄本島の南西約400kmに位置する八重山諸島の豊かな海とそこに生きる漁師の方々を20年間にわたり写してきた、たいへんに美しい写真集。西表島、石垣島、さらには尖閣諸島沖の貴重な写真まで、紺碧の世界に魅了されます。キャノンギャラリー銀座では2019年7月11日から17日まで本書の写真家の写真展「海人三郎」が開催されるとのことです。9月5日から11日まではキャノンギャラリー大阪で開催。
★『児玉源太郎』は、明治の軍人・児玉源太郎(こだま・げんたろう:1852-1906)の多面的才能とその生涯をめぐり、2017年に公開された「児玉源太郎関係資料」を含む新史料を駆使して、「通説を再検証しつつ、軍事学的・戦史的視点を中心に描」(iii頁)いた評伝。「軍事指導者には、ただ将来の戦争像を洞察するにとどまらず、将来の戦争像に基づく改革策を政策として実現化するために必要な決断力・政策実現力・調整力が求められる」(同頁)と述べる著者は、児玉を「平時における飽くなき予言的改革者」(同頁)と評価しています。
+++