Quantcast
Channel: URGT-B(ウラゲツブログ)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1277

注目新刊:千葉雅也『意味がない無意味』河出書房新社、ほか

$
0
0
a0018105_22364770.jpg『意味がない無意味』千葉雅也著、河出書房新社、2018年10月、本体1,800円、46判上製 296頁、ISBN978-4-309-24892-9
『歴史からの黙示――アナキズムと革命(増補改訂新版)』千坂恭二著、松田政男/山本光久解説、航思社、2018年10月、本体3,600円、四六判上製384頁、ISBN978-4-906738-35-9
『酸っぱい葡萄――合理性の転覆について』ヤン・エルスター著、玉手慎太郎訳、勁草書房、2018年10月、本体4,000円、四六判上製404頁、ISBN978-4-326-19970-9
『社会的世界の制作――人間文明の構造』ジョン・R・サール著、三谷武司訳、勁草書房、2018年10月、本体3,900円、四六判上製360頁、ISBN978-4-326-15455-5


★千葉雅也『意味がない無意味』は2005年から2017年にかけて各媒体で発表されてきた23篇のテクストを改稿し、書き下ろしの「はじめに」と表題作論文を加えて1冊としたもの。帯文に「千葉雅也の哲学、十年間の全貌」とあります。「本書には、ドゥルーズ研究以外の、私の第一期における、自分自身に発する考察が示されている」(7頁)と千葉さんはお書きになっています。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。論及される対象は哲学に留まらず、美術作品や小説、建築、音楽、さらにはギャル男、ストリート・ファッション、ツイッター、飲酒後のラーメン、ボディビル、プロレス、等々、多彩です。「2016年までを私の仕事の第一期として句切るならば、その間に私は、身体の哲学を作ろうとしてきたのだと思う。/〈意味がある無意味〉から〈意味がない無意味〉へ――それは思考から身体への転換だ。/考えすぎる人は何もできない。頭を空っぽにしなければ、行為できない」(12頁)。


★「考えすぎるというのは、無限の多義性に溺れることだ。ものごとを多面的に考えるほど、我々は行為に躊躇するだろう。多義性は、行為をストップさせる。反対に、行為は、身体によって実現される。無限に降り続く意味の雨を、身体が撥ね返すのである。身体で行為する。そのときに我々の頭は空っぽになる。行為の本質とは、「頭空っぽ性 airhead-ness」なのだ」(13頁)。「私が「思考停止」や「頭空っぽ性」といった概念をあえて肯定的に使用するのは、それこそが行為の条件だからである」(35頁)。「現実的な世界を生きるとは、潜在的に無限な多義性の思考から、有限な意味を身体によって非意味的に切り取ること――そして行為するということだ。行為の本質が、〈意味がない無意味〉なのである」(同頁)。


★「『動きすぎてはいけない』以来、次第にはっきりしてきたのは、私は、ドゥルーズにおいて必ずしも明確でなかった現実性の本質に考察を集中させているということだ。ドゥルーズは主著『差異と反復』で「潜在的なものの現実化」を論じた。そこでは、潜在性にプライオリティがあった――実在的なのは潜在性であり、現実性はそこから派生する次元である。これに対して、私は逆に、現実性の側にもうひとつの原理性を認められないかと考えるようになった」(36頁)。「ドゥルーズの構図を反転させる。ドゥルーズにおいては、潜在性の肯定が存在論の極致であり、〔…〕私はそれとは反対に、現実へと向かう。存在論のもうひとつの極致としての現実。ただたんなる現実、そうであるからそうだ、ということ」(同頁)。「ただたんなる現実、そうであるからそうだ、というトートロジーの閉域。意味がなく無意味な二度塗り。〔…〕まさにその自明性が、存在するということの過剰さ、存在の盛り上がりなのだとしたら」(37頁)。千葉さんの丁寧な整理と総括により、一見雑多に見える本書の「テクスト相互がリンクされていること」が浮かび上がります。


★千葉さんが出演する今月の二つのイベント情報についても記しておきます。


◎「勉強する、研究する――立岩真也と千葉雅也における「読み書きそろばん」」



登壇者:立岩真也/千葉雅也/小泉義之(司会)
日時:2018年11月11日(日) 14:00-17:00
会場:ステーションコンファレンス東京(サピアタワー)4F(JR東京駅日本橋口直結)
※会場人数制限があるため要予約です(予約方法は催事名のリンク先に記載)。
 ご予約期間:2018年11月2日(金)9:00~11月7日(水)13:00
※抽選の可能性があります。
※当日参加分を若干ご用意していますが、会場が満席になりましたらお断りすることになります。その場合は大変申し訳ございませんがご了承ください。


内容:研究するとは、読み、書き、計算すること。しかし、読んで書いて計算すれば、研究になるかと言われれば、そうでもない。しかし、研究用に、読んで書いて計算すれば足りるかと言われれば、そうでもない。では、読み書き計算の何が、研究かそうではないかを決める? そして、読み書き計算の先には何がある? ─── 第一線の研究者が何を行い、そして何者になったのか(なるのか)を験しに語ってみます。


◎「思弁的実在論と精神分析――現代の思想・病理・芸術をめぐって」



登壇者:千葉雅也/松本卓也
日時:2018年11月29日(木)16:30~18:00
場所:京都大学研究3号館1階共通155教室
※入場無料


内容:『意味がない無意味』刊行記念対談講演会。『勉強の哲学』について、さらには現代の思想(思弁的実在論ほか)や、病理(古典的「狂気」と自閉症スペクトラム)、芸術(創造性)の関係について対談形式で語り尽くす。科研費研究課題「精神分析理論をもとにした「狂気と創造性」の問いをめぐる包括的な思想史的研究」の一環として開催。


★千坂恭二『歴史からの黙示(増補改訂新版)』は、航思社さんのシリーズ「革命のアルケオロジー」の第7弾。凡例によれば『歴史からの黙示』(田畑書店、1973年)に「反アナキズム論序説」(『情況』1975年1-2月号)と『無政府主義』(黒党社、1970年)を増補したもの。「改訂にあたり、著者の監修のもと旧版の誤字脱字は可能なかぎり訂正し、若干の難解な表現を改めるとともに、新しい読者のために書誌情報などを追加した」とのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。巻末には2篇の解説、松田政男「“癖”に昂まった原理」と、山本光久「〈観念〉の力」が付されています。あとがきによれば、『無政府主義』は「1970年の反安保闘争の直後の20歳の時に書き、少部数の冊子として出したまま現物を紛失し、以来、長らく行方不明の状態にあった」という幻の書。著者の知人が「古書店で見つけ、数万円という大枚を投じて購入してくれたおかげで、再会し本書に収録出来たのだった」とあります。この幻の本については「「無政府主義」と「アナキズム」」と題された2015年7月10日付の日記で著者自身も言及しています。



★エルスター『酸っぱい葡萄』は『Sour Grapes: Studies in the Subversion of Rationality』(Cambridge University Press, 1983/2016)の全訳。ノルウェーに生まれ欧米で活躍してきた社会科学者のエルスター(Jon Elster, 1940-)の3冊目の訳書で、勁草書房さんのシリーズ「叢書・現代倫理学」の第4弾です。本書の原書より後に刊行された著書2点、『社会科学の道具箱』(原著、1989年;訳書、ハーベスト社、1997年)、『合理性を圧倒する感情』(原著、1999年;訳書、勁草書房、2008年)は既訳。「『酸っぱい葡萄』〔というタイトル〕は、〔…〕一つの選択の基礎となる選好は制約によって形づくられることがありうる、という考えを表現している」(v頁)と著者は書きます。それが本書が提起した概念「適応的選好形成」であり、「実行可能な選択肢が貧弱である場合に、そこからでも十分な満足を得られるように選好を切り詰めてしまうこと」(訳者解説、351頁)を指しています。貧しい選択肢しか選べない時に人間がそうした状況に適応しようとする傾向を持っているというのは、現代人が特に選挙において直面してきた現実ではないでしょうか。本書のアクチュアリティはこんにちいよいよ露わになってきたように思われます。


★サール『社会的世界の制作――人間文明の構造』は『Making the Social World: The Structure of Human Civilization』(Oxford University Press, 2010)の全訳です。序文冒頭には「本書で試みるのは、人間の社会的・制度的現実の基本的な性質とその存在のあり方――哲学用語でいうなら本質と存在論――の説明である。民族国家や貨幣、また会社やスキークラブや夏休みやカクテルパーティやアメフトの試合、これらが「存在する」と言われるとき、その「存在する」とはいったいどういうことなのか、それを考えたい。特に社会的現実の創出、構成、維持に際し、言語がはたす役割については、とりわけ厳密な説明を与えたいと思っている」(v頁)。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。本書はサールの『社会的現実の構築〔The Construction of Social Reality〕』(The Free Press, 1995:未訳)の続編であり、訳者は「この社会的存在論を、サール哲学の集大成ないし終着点と見るのは決して無理な態度ではあるまい」と解説で評価されています。なおサールは今月、文庫でも新刊が発売予定なので、以下で触れておきます。


+++


★11月8日に発売となる、ちくま学芸文庫の11月新刊5点をご紹介します。


『MiND――心の哲学』ジョン・R・サール著、山本貴光/吉川浩満訳、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,500円、464頁、ISBN978-4-480-09885-6
『基礎づけるとは何か』ジル・ドゥルーズ著、國分功一郎/長門裕介/西川耕平編訳、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09887-0
『わたしの城下町――天守閣からみえる戦後の日本』木下直之著、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,400円、416頁、ISBN978-4-480-09893-1
『人身御供論』高木敏雄著、ちくま学芸文庫、2018年11月、本体1,200円、304頁、ISBN 978-4-480-09896-2
『関数解析』宮寺功著、ちくま学芸文庫Math&Science、2018年11月、本体1,300円、384頁、ISBN978-4-480-09889-4


★サール『MiND』は、朝日出版社から2006年に刊行された訳書の文庫化です。原書は『Mind: A Brief Introduction』(Oxford UNiversity Press, 2004)。訳者による「ちくま学芸文庫版への付記」によれば、「文庫化にあたり、訳文を見直し表現を改めた箇所がある。また、言及されている文献について気づいた限りで書誌を更新した」とのことです。第一章「心の哲学が抱える12の問題」にはこうあります。「本書の狙いは、読者に心の哲学を手ほどきすることだ。〔…〕本書は、心の哲学こそが現代哲学で最も重要なテーマであり、現在の標準的な見解――二元論、唯物論、行動主義、機能主義、計算主義、消去主義、随伴現象説――はすべて誤っているという確信のもとに書かれている」(21頁)。訳者二氏は、サールの平易な文体と「心の哲学」をめぐる包括的な見取り図、そしてサール自身の独自見解に触れつつ、本書を「40年に及ぶ著者の研鑽とキャリアによってはじめて可能になった名人芸」であり、「単なる教科書に留まらない魅力」を有するものと評価しています。


★ドゥルーズ『基礎づけるとは何か』は、國分功一郎さんの「解説」によれば「ドゥルーズの初期の講義、入手が難しかった論文を独自にセレクトした日本語版オリジナルの翻訳書」。目次を以下に列記します。


1 基礎づけるとは何か 1956-1957 ルイ=ル=グラン校講義
 第一章 自然と理性
 第二章 「基礎すなわち根拠の本質をなすもの」(ハイデガー)
 第三章 基礎と問い
 第四章 原理の基礎
 全体の結論
2 ルソー講義 1956-1960 ソルボンヌ
 自然状態についての二つの可能な考え方
 『新エロイーズ』について
 自然状態
 ルソーの著作の統一性
 社会契約
 ルソーにおける市民の法の観念
3 女性の記述――性別をもった他者の哲学のために
4 口にすることと輪郭
5 ザッヘル・マゾッホからマゾヒズムへ
 原註/訳註
 解題
解説


★「基礎づけるとは何か」は「ウェブ・ドゥルーズ」で公開されている、ピエール・ルフェーブルの筆記録の翻訳。「ルソー講義」はリヨン高等師範学校所蔵のタイプ原稿の翻訳。『女性の記述」は「ポエジー45」誌第28号(1945年10-11月号)掲載のテクストの翻訳。『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』(河出書房新社、2016年)に宇野邦一さんによる既訳「女性の叙述」あり。「口にすることと輪郭」は「ポエジー47」誌第36号(1946年12月号)掲載のテクストの翻訳。『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』に宇野邦一さんによる既訳「発言と輪郭」あり。「ザッヘル・マゾッホからマゾヒズムへ」は「アルギュマン」誌第5期第21号(1961年第1四半期号)掲載のテクストの翻訳で、初出は國分さんによる訳と解題で、みすず書房の月刊誌「みすず」2005年4月号に掲載。『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』では宇野邦一さんによる訳が収録されています。



★木下直之『わたしの城下町』は筑摩書房より2007年に刊行された単行本の文庫化。巻末には、文庫あとがき「この十二年間に「お城とお城のようなものの世界」で起った出来事について」が付されています。序「お濠端にて」では本書の主題が「近代日本におけるお城の変貌」であると説明されており、「お城のようなもの」というのが何であるかは序の次のくだりを読むと明らかです。「本書で尋ね歩くお城の大半は、戦争が終わったあとに、いわば平和のシンボルとして生まれてきたものである。〔…〕お城は、武威とは対極の何ものかを示す場所に変わった。それが何であるのかを、そして、敗戦後の日本人がお城に何を期待したのかを、これから考えてゆきたい」(15頁)。例えば序の末尾で言及されている浜松城は1958年に再建されたもの。ちなみに単行本版の版元紹介文は以下の通りでした。「戊辰戦争以降、攻防の要たるお城はその意味を失うかに見えた。が、どっこい死んだわけではない。新たな価値をにない、昭和・平成を生き続けている。ホンモノ、ニセモノ、現役、退役…、さまざまなお城から見えてくる日本の近・現代史」。



★高木敏雄『人身御供論』は宝文館出版より1973年に刊行された単行本の文庫化。再刊にあたって解説「ささげられる人体」を寄稿した山田仁史さんの協力のもと、初出や原典等と照合して明らかな誤りを修正したとのことです。「人身御供論」「人狼伝説の痕跡」「日本童話考」の三部構成。民俗学者の高木敏雄(たかぎ・としお:1876-1922)さんは柳田國男の同時代人であり、柳田とともに月刊誌『郷土研究』を創刊。筑摩書房さんでは『日本伝説集』(郷土研究社、1913年;宝文館出版、1973年;ちくま学芸文庫、2010年)に続く文庫化です。現在は品切ですが『童話の研究』(婦人文庫刊行会、1916年;講談社学術文庫、1977年)というのもありました。


★宮寺功『関数解析』は理工学社から1972年に初版が、1996年に第2版が刊行された単行本の文庫化。再刊にあたり、早稲田大学教育・総合科学学術院教授の新井仁之さんが解説をお書きになっておられます。帯文に曰く「定理・証明の丁寧な積み上げで初学者にも読みやすい名教科書」と。「Banach空間」「線形作用素」「線形汎関数」「共役空間」「線形作用素方程式」「ベクトル値関数」「線形作用素の半群」の全7章だて。親本の版元である理工学社は2013年に解散。国会図書館で検索すると、1940年代から同名の出版社の刊行物を確認できます。


+++

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1277

Trending Articles