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注目新刊:土田知則『ポール・ド・マンの戦争』は若きド・マンによる記事12篇を併録

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★ポール・ド・マンさん(著書:『盲目と洞察』)
ベルギー時代のド・マンの反ユダヤ的言説をめぐって考察された土田知則さんの最新著『ポール・ド・マンの戦争』(彩流社、2018年5月、本体1,800円、四六判並製228頁、ISBN978-4-7791-7103-1)において、ドイツ占領下時代のベルギーで執筆されたド・マン自身の新聞記事12篇が訳出されています。


「現代文学におけるユダヤ人」1941年3月4日「ル・ソワール」紙
「シャルル・ペギー」1941年5月6日「ル・ソワール」紙
「批評の現代性について」1941年12月2日「ル・ソワール」紙
「ドイツ現代文学への手引」1942年3月2日「ル・ソワール」紙
「フランス文学の現代的諸傾向」1942年5月17-18日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「ヨーロッパという概念の内実」1942年5月31日-6月1日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「批評と文学史」1942年6月7-8日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「フランス詩の現代的諸傾向」1942年7月6-7日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「文学と社会学」1942年9月27-28日「ヘット・フラームスヘ・ラント」紙
「戦争をどう考えるか?」1939年1月4日「ジュディ」紙
「イギリスの現代小説」1940年1月「カイエ・デュ・リーブル・エグザマン」誌
「出版社の仕事」1942年10月「ビブリオグラフィ・ドゥシェンヌ」誌


最後の「出版社の仕事〔Le métier d'éditeur〕」について、土田さんは「編集者ド・マンの姿を生き生きと彷彿させる興味深い一篇である。ド・マンは十代の頃から編集者として豊富な経験を積んでいる。つまり、この道ではプロ中のプロなのだ」と紹介しておられます。ド・マンは出版社の仕事の「おそらく最も重要な部分」として「探索=発掘」だと述べ(186頁)、次のように表明しています。「こうした仕事に当たるには、有り余るほどの見識や機転や批判=批評精神が、そしてまたしても、豊富な直感が要求されるのです」(186~187頁)。


さらにはこう結んでいます。「つまり、出版社・出版者は一種の仲介役に見えますが、真摯な創造的使命を担っています。該博な知識は言うに及ばず、天賦の才能を自然に備えていなければなりません。決して型通りの行動に身を委ねることはできないでしょう。一つ一つの新作、企画された一つ一つの叢書には独創的なアイデアが要求されます。出版に携わる者は刷新・考案・創造の人生を送らなければならないのです。出版社・出版者の仕事が極めて困難である――招かれる者〔競争者〕は多いが、選ばれる者〔成功者〕は少ない〔マタイ福音書22・14〕――のはこうした事情によります。ですが、その可能性やすばらしさをすっかり理解している人にとって、この仕事は抗し難いほど魅力的でもあるのです」(187頁)。当時ド・マンは数え年で23歳。だいぶハードルの高いことを仰っておられますが、あるべき姿としては否定できません。


なお本書は彩流社さんのシリーズ「フィギュール彩」の101番。ひとつ手前の100番は4月刊行、高山宏さんと巽孝之さんの『マニエリスム談義――驚異の大陸をめぐる超英米文学史』でこちらもまためくるめく一冊。先週末25日に東京堂書店神田神保町店で土田さんと巽さんのトークセッション「ポスト・トゥルースの現在を生き抜く批評理論」が行なわれましたが、これは活字化されてほしいなと願うばかりです。ちなみに巽さんの『盗まれた廃墟――ポール・ド・マンのアメリカ』も「フィギュール彩」の一冊であることは周知の通りです。


★清水一浩さん(共訳:デュットマン『友愛と敵対』)
青土社さんの月刊誌「現代思想」2018年6月号「特集=公文書とリアル」において、マウリツィオ・フェラーリスさんの論文「資本からドキュメディアリティへ」(145-164頁)の翻訳を手掛けられています。訳者附記で清水さんは本稿を次のように紹介しておられます。「著者の提唱するドキュメディアリティ概念をスケッチすべく、資本/工業/労働の時代およびスペクタクル/メディア/コミュニケーションの時代との関係を明快に図式化」と。



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★筑摩書房さんのPR誌「ちくま」2018年6月号(No.567)で絓秀実さんがご自身の著作『増補 革命的な、あまりに革命的な』(ちくま学芸文庫、2015年5月)をめぐって「一九六八年の「狂気」」という文章を寄せておられ、そこで編集者・中野幹隆さんに言及され、弊社刊『多様体』第1号に掲載された檜垣立哉さんの論考「後期資本主義期のなかの哲学【1】中野幹隆とその時代(1)」にも触れて下さっています。そして、中野さんが編集された「パイデイア」のフーコー特集号の編集後記(1972年)について次のように書かれています。「誤解を恐れずに言えば、それは、理解をしりぞける「狂気」のようなものであり、それなくしては、日本に「68年の思想」が導入されることもなかっただろうということだ」。


本稿の締めくくりはこうです。「15年前に出した拙著『革命的な、あまりに革命的な』を読み返しながら、私はそれが、中野幹隆という編集者の仕事に負っているところが少なくないことに気づいて、ふと嘆息することがあった。だが、私は中野の「狂気」を、どのくらい分有していたのだろうか」。別の箇所では絓さんは親しみを込めて、「ややクレイジーな、文脈無視の中野のキャラクター」と回想されています。中野さんの卓抜な編集センスについて「狂気」と端的に分析されておられることに強い感銘を覚えました。


私のような後進の者にとって、中野さんの「文脈無視」はコンテクストを新たに作り直す編集技法の核そのものと映っていたのですが、そうした美しい整理では中野さんの「狂気」までにはたどり着けないのでした。自分の年齢と同じ、半世紀前の「狂気」を理解しようとすることは容易ではありませんが、編集と狂気という主題について――それは「編集狂」の話ではなくむしろ「狂編集」に近いです――思索を深めていきたいと感じました。


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