『スピノザの学説に関する書簡』F.H.ヤコービ著、田中光訳、知泉書館、2018年4月、本体7,000円、A5判上製496頁、ISBN978-4-86285-273-1
『自叙伝』マリア・ヴァルトルタ著、殿村直子訳、春秋社、2018年4月、本体5,000円、四六判上製581頁、ISBN978-4-393-21713-9
『議論して何になるのか――ナショナル・アイデンティティ、イスラエル、68年5月、コミュニズム』アラン・バディウ/アラン・フィンケルクロート著、的場寿光/杉浦順子訳、水声社、2018年4月、本体2,800円、四六判上製211頁、ISBN978-4-8010-0333-0
★ヤコービ『スピノザの学説に関する書簡』は初版が1785年に刊行された『Über die Lehre des Spinoza』の第三版(1819年刊のヤコービ著作集第四巻に収録)の翻訳で、凡例によれば「巻頭のケッペンの読者宛ての文と「メンデルスゾーンの非難に抗して」は割愛した」とあります。訳文は『モルフォロギア』に20年来掲載してきたものが元になっているとのことです。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。周知の通り「汎神論論争(スピノザ論争)」のきっかけとなった高名な古典であり、ヤコービがユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn, 1729-1786)に対して送った書簡集が中心となっています。
★また巻末には、各版の異同情報を記した「『スピノザ書簡』第三版と第一版・第二版との異同について」、訳者による解説「ヤコービの生涯と著作」(363~426頁)や、ヤコービ年譜、文献表、索引(人名・事項・文献)と充実しています。
★巻頭の「日本語版への序言」はヤコービ研究の第一人者ビルギッド・ザントカウレン教授(ボーフム大学)が寄稿されたものです。彼女が「時代の影の実力者」(ix頁)と評した哲学者ヤコービ(Friedrich Heinrich Jacobi, 1743-1819)は「一人でスピノザを研究し、ゲーテの時代で一番スピノザを理解していた人」(訳者あとがき)で、当時カントの論敵として名高かったはずのメンデルスゾーンに対して、憶することなくスピノザ哲学への理解度について論難しています。二人の共通の友人にレッシングがいたわけですが、レッシングの死去によって論争がもたらされることになり、「ドイツの知識人は〔…〕根底から震撼させられ」たといいます(「日本語版への序文」viii頁)。
★ヤコービによるスピノザ理解は第Ⅰ部「スピノザの学説に関する書簡」内の「スピノザの学説に関して」でまとめられているテクストのうち、特に「六 スピノザの学説の第二の叙述」と「七 スピノザ主義に関する六つの命題」に端的に表れています。前者にはヤコービ自身が「この説明に私の精神の力すべてを傾け、その際いかなる苦労も忍耐も厭わないと固く決心し」た(155頁)と書いた44項目のテーゼが含まれています。訳者による「ヤコービの生涯と著作」で二度にわたり惹かれているテーゼ39が印象的です。以下に引用します。
★「すべての個物は互いを前提とし、また互いに関係しあっている。したがって、どの個物も残りすべての個物なしでは、またすべての他の個物もおのれ以外の個物なしでは存在することも、考えることもできない。すなわち、すべての個物は協力して一つの切り離すことのできない全体を形づくっている。〔…〕」(163頁)。また、「人間の拘束性と自由についての予備的命題」にはこうも書かれています。「私たちに知られているすべての個々の事物の存在の可能性は、他の事物との共存に支えられ、関係している。したがって私たちはそれ自体で存立している有限な存在者を思い描くことはできない」(47頁)。
★「ドイツ古典哲学にとっても、近代哲学全体にとっても一つの新しい時代」(「日本語版への序文」viii頁)への導入となった本書の翻訳をきっかけに、ヤコービが日本においても再発見されることになるのではないかと感じます。
★次にヴァルトルタ『自叙伝』は、彼女の著書『私に啓示された福音』などの訳書を刊行してきた天使館から当初は刊行予定だったもの。ヴァルトルタ(ワルトルタとも:Maria Valtorta, 1897-1961)はイタリアの霊視者であり見神家。イエス・キリストの生涯や聖母マリアの言葉を病床に寝たきりの状態で霊的に見聞きしたままに書き写した122冊のノート(1943~1951年)によって有名です。聴罪司祭の勧めによってその直前まで書いていたのがこの『自叙伝』(1943年)であり、ヴァルトルタが歩んできた苦難の半生が綴られています。目次は以下の通りです。
はじめに
第一章 育児放棄〔ネグレクト〕する母のもとで
第二章 父の悲しみ、寄宿学校にて
第三章 フィレンツェ、従姉と叔父
第四章 一九三〇年の夏
第五章 超霊的な至福
第六章 寝たきりの日々
第七章 父の死
編集者後記(エミリオ・ピザーニ)
訳者あとがき
写真
★巻末の写真は、著者の生涯を振り返るアルバムです。ヴァルトルタの著作はこれまでにあかし書房よりフェデリコ・バルバロ神父(Federico Barbaro, 1913-1996)によって抜粋訳が10冊出版されており、天使館から『私に啓示された福音』全10巻が全訳で刊行中ですが、『自叙伝』の翻訳は初めてです。ヴァルトルタはこう書きます。「私の人生にこんなにも悲しみがあり、希望がことごとく壊され、愛情面でことごとく失望させられ、孤独が日増しに大きくなって、完全に私を取り囲むのも、すべては神によって特別に意図されたものだったのです。神は木である私の葉を全部刈り込み、枝を全部切り取られますが、それは私が神の庭で大きくたくましく育つためだったのです。私の神は排他的な愛をお望みで、私を神だけのものと定められ、私が神だけに慰めを求めるしかなくなるように、私からすべてを取り上げられたのでした」(163頁)。血涙を絞るような本書での告白と、一切が(他宗教すらも)収斂していく中心としての神への愛は、122冊のノートへと結実するものの「蕾の徴〔しるし〕」(ピザーニ)として読むことができると思われます。
★続いて、バディウとフィンケルクロートの対談本『議論して何になるのか』は、『L'explication : Conversation avec Aude Lancelin』(Éditions Lignes, 2010)の全訳。目次詳細は書名のリンク先をご覧ください。訳者あとがきによれば、本書は「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌の文化・思想欄を担当するジャーナリストであるオード・ランスランの提案によって2009年12月17日と2010年2月16日に行われた、バディウとフィンケルクロートの討論を収録したもの。ランスランは序章で次のように綴っています。
★「バディウとフィンケルクロートは、時代のまさに要諦をなす、根本的に相反するふたつの視点である。このふたつの固有名は、今日コランスで激しく争うことが明確に定められた、知的な両氏族にとっての戦時名として響いている。2009年12月21日号の「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌上に掲載された対談に際して、彼らが初めて向かい合ったとき、両者ともに敵と対面するというこの単純な事実ゆえにもっとも熱狂的な仲間たちから激しく批判された。それでも彼らの仲間たちは出版された雑誌を目にするや、すぐさま胸を撫で下ろした。恐れていたハッピー・エンドが訪れることはない。緊張に満ち、火花散るような、時に激昂しさえもする雰囲気が誌面を貫いていたからだ。それは通常の討論とは明らかに異なるが、その後に含まれる、口語的な、ほとんど具体的な意味での、まさに「口論〔エクスプリカスィオン〕」であった」(10~11頁)。
★「バディウと私が現実と見なしていることが、同じではないということです。われわれは現実についての同じ思考を共有していません」(60頁)とフィンケルクロートが吐露しているような、二者の討論が生む隔たりは、そのまま読者の思考の幅を広げてくれる梃子になっているように感じます。フランス人の話だと切って捨てることのできない切迫性を日本の読者も実感できるのではないかと思われます。
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★このほか最近では以下の新刊との出会いがありました。
『被抑圧者の教育学 50周年記念版』パウロ・フレイレ著、三砂ちづる訳、亜紀書房、2018年4月、本体2,600円、四六判上製408頁、ISBN978-4-7505-1545-8
『熊楠と猫』南方熊楠/杉山和也/志村真幸/岸本昌也/伊藤慎吾著、共和国、2018年4月、本体2,300円、A5変型判上製176頁、ISBN978-4-907986-36-0
『ねみみにみみず』東江一紀著、越前敏弥編、作品社、2018年4月、本体1,800円、46判並製258頁、ISBN978-4-86182-697-9
『エンジニアリング・デザインの教科書』別府俊幸著、平凡社、2018年4月、本体3,200円、A5判並製256頁、ISBN978-4-582-53225-8
『現代思想2018年5月臨時増刊号 総特集=石牟礼道子』青土社、2018年4月、本体1,500円、A5判並製246頁、ISBN978-4-7917-1363-9
★フレイレ『被抑圧者の教育学 50周年記念版』は、ポルトガル語版『Pedagogia do Oprimido』(Paz e Terra社、2005年刊、第46版)を翻訳した旧版『新訳 被抑圧者の教育学』(亜紀書房、2011年)に、先月(2018年3月)にBloomsbury Academicより刊行された50周年記念英訳版『Pedagogy of the Oppressed』で新たに追加された、ドナルド・ナセドによる「50周年記念版へのまえがき」と、アイラ・ショアによるあとがき「闘いはつづく」と、「同時代の学者たちへのインタヴュー」を訳出して併載したものです。インタヴューに登場する人々は以下の通り。マリナ・アパリシオ・バーベラン、ノーム・チョムスキー、グスタボ・E・フィッシュマン、ラモン・フレチャ、ロナルド・デービッド・グラス、バレリー・キンロック、ピーター・メイヨー、ピーター・マクラーレン、マーゴ・オカザワ・レイ、以上9名。80頁以上の増量にもかかわらず本体価格はわずか100円の値上げです。英語版からの旧々訳が1979年に刊行されて以来長らく読み継がれている名著であるだけに、今回の再刊は実に嬉しい知らせです。
★『熊楠と猫』は杉山和也さんによる「はじめに」によれば、「熊楠自筆の日記や書簡に見える熊楠と猫とのエピソードを紹介」し、熊楠が「猫を学術的な観点からはどのように捉えていたのか、ということについても詳しく解説」したもので、「熊楠自慢の猫の絵(自筆)を多数、紹介して」もいると言います。目次詳細は書名のリンク先でご確認いただけます。「猫と南方熊楠。自由で不思議な生き物と自由に不思議を究める人間の関係についての本なんて。読みたいに決まっているやんけざますじゃん。」という、町田康さんの帯文が素敵です。よく見ると帯文の町田さんの名前が、カバーの書名に次ぐ大きさで組まれていて、ものすごい誘引力を放っています。巻末には参考資料として年表「熊楠と猫のあゆみ」や「猫に関する〔熊楠の〕論考一覧」などもあって、共和国さんならではの、楽しみが満載されていると同時に資料価値の高い一冊となっています。
★東江一紀『ねみみにみみず』は、2014年に逝去した翻訳家が「多忙をきわめた翻訳作業の合間を縫って、数えきれないほどの達意のエッセイや雑文を書いた〔・・・〕それらのエッセイを一冊にまとめ」たもの(編者後記より)。目次は書名のリンク先でご覧になれます。「たとえあなたがなんだこりゃと思ったとしても、これは間違いなく本書の内容目次である」という注意書きがあるのが楽しいですね。編者の越前さん東江さんの文章を「軽妙洒脱」と評しておられますが、本書はまさにそのものが味わえる魅力的な本で、読者が読み終わる頃には東江さんのことがすっかり好きになってしまうことでしょう。書名の由来は越前さんの編者後記で明かされています。目次や奥付の後に配置されている東江さんの「名刺」の数々も洒落が効いていてついつい笑ってしまいます(何のことを言っているのかはぜひ店頭でご確認下さい)。編者さんと編集者さんの東江愛を感じる素敵な一書です。
★別府俊幸『エンジニアリング・デザインの教科書』は帯文に曰く「顧客価値を作り出せ! 未来のビジネスとモノづくりのために! 日本製品デザインのノウハウがここにある」と。本書は以下の8章から成ります。1.デザインとエンジニアリング、2.クライアント要求を説き明かす、3.デザインに必要な情報、4.デザイン案を考える、5.エンジニアリング・デザイン・プロセス、6.アイデアより設計情報へ、7.失敗に学ぶ、8.新しいデザインで未来を切り拓くために。別府さんは「おわりに」でこうまとめておられます。「日本的ユーザ指向アプローチは、製品に関連することだけに集約されているように感じます。〔…〕クライアントのニーズを、その根底まで掘り起こそうとの意識が薄いようです。これが製品の改善にばかり注力し、主体的にマーケットを変革させようとの発想につながらない要因だと感じます」(250頁)。またこうも書いておられます。「競争に苦戦しているのであれば、その理由を徹底的に分析すべきでしょう。想定できれば失敗は回避できるように、理由が明らかになれば、対応策を作ることはできるはずです」(251頁)。出版人も噛みしめるべき言葉であるように感じます。
★『現代思想2018年5月臨時増刊号 総特集=石牟礼道子』は、こたつに座って執筆する石牟礼さんの写真が目を惹く増刊号で、初期未発表作品6篇、「現代思想」「ユリイカ」両誌からの再録2篇をはじめ、加藤登紀子さんのインタヴュー、栗原彬さんと藤原辰史さんの討議、石内都さんによる写真と回想記、そして様々な書き手によるエッセイや論考が収められた読み応えのある特集となっています(他誌からの再録もあり、石牟礼さんと石内さんを引き合わせた伊藤比呂美さんのエッセイ「『不知火』の声」は『道標』誌第9号から)。附録として略年譜と主要著作一覧を掲載。渡辺京二さんによるエッセイ「誤解を解く」では『苦海浄土』と渡辺さんの関わりをめぐる風説について言及されています。「この際、このような推測を完全に一掃しておかねば、とんでもない悔いを残すことになる」として、たいへん興味深い打ち明け話を綴っておられます。
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